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1951-02-27 第10回国会 参議院 大蔵委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聽会 ———————————————— 昭和二十六年二月二十七日(火曜日)    午前十時三十一分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○所得税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○法人税法の一部を改正する法律案  (内閣提出衆議院送付) ○租税特別措置法の一部を改正する法  律案内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) これより大蔵委員会公聽会を開会いたします。所得税法の一部を改正する法律案その他の税制改正案につきまして、民間の御意見をお聞きしたい、こういう考えでここに御出席を求めたのであります。一橋大学教授井藤半彌先生に先ずお願いいたします。
  3. 井藤半彌

    ○公述人(井藤半彌君) 一橋大学東京商科大学教授井藤半彌でございます。お招きにあずかりまして、今度の税制改革に関するいろいろの法案に関して意見を述べさせて頂きます。  税制に関する改革法案のほかに、資産再評価に関する法案が出るとかいうことでありますが、これはまだ出ておらんそうであります。併しこれに関しても意見があるならば述べろというお話でありましたので、この問題につきましても、極めて大ざつばなことでございますけれども、意見を述べさせて頂きます。それからもう一つ、これも申上げるまでもなく、皆樣御案内のことと思いますが、実は今月の十七日に、衆議院大蔵委員会公聽会で、同じ問題につきまして公聽を命ぜられまして公述いたしました。それと今日申上げますこととは、大体同じことであります。これは当然のことで、矛盾するようなことを言えば変なことになりますが、大体同じことであります。ただ少し違うところは、資産再評価の問題について意見を申上げますが、この前は言わなかつたのであります。それからもう一つは、多少計数、数字が少し改められておりますので、私が使いました数字は皆政府発表の数字でありますが、それがここ十日ほどの間に新らしい資料が出ましたので、その資料によつて計算をし直した部分もございます。その点は違うのでございますけれども、それ以外の部分は大体同じでございます。  それで今度の税制改革案というものは、これは政府の趣意書にもございます通りに、昨年の秋の第九回国会の間接税を中心とする改正と関連があることは申すまでもないことであります。今回の分は間接税につきましても改正はございますけれども、直接税の改正に重点を置いておるということは、これ又皆様御案内の通りであります。そこで今度の改正法案の特徴を列挙いたしますと、大体次の四つであると思うのであります。一つは、国民負担の軽減を図る、これが一番、それから二番は社会政策的な措置を講じた、政府の趣意書には社会政策という言葉は出ておりませんけれども、別の言葉で言うならば社会政策的措置を講じた、これが二番、それから三番は、資本蓄積を助長する、それから四番の特徴は、税制の簡素化その他税制に関する整備をする、これは主としてテクニツク的な、技術的な整備をする。この四つが主な特徴だと私は思うのであります。このうち四番目の問題は、これはどちらかと言いますと、テクニツク、技術に関するところが多いと思いますので、私は今日はこれについては述べません。私が今日ここで公述させて頂きますのは、一番、二番、三番の問題についてであります。  そこでこの順番で申上げさして頂きますと、先ず国民負担の軽減の問題であります。果して国民負担というものが軽減されておるかどうか、この問題であります。これにつきまして、順序といたしまして、これはもうきまり切つたことを申上げまして恐縮でありますが、少し計数を申上げますと、昭和二十六年度の予算によりますと、租税及び印紙収入合計が四千四百四十五億、それから間接税消費税と同じ効果のある專売益金、これは煙草の專売益金以外にアルコールの專売益金も含んでおりますが、これが千百三十八億、広い意味の国税は両者合計いたしまして五千五百八十三億であります。それから地方税でありますが、これは御案内の通り、予算なんというものはないのでありまして、これは或る役所の推計でございますが、昭和二十六年度分の地方税は大体二千八十七億と言われております。この二千八十七億という数字はどうして得たかというと、地方税では殊に増税も減税もやりません。多少の修正はあるようでありますが……、但し国民所得が二十五年に比べて二十六年は一割くらい殖えると、そういうことを中心に推定したもののようでありますが、それによりますと、地方税は二千八十七億と言われております。両者合計いたしまして、国税、地方税の合計は七千六百七十億であります。それと同じ方法で昭和二十五年度について計算いたしますと、国税、地方税を合計いたしまして、七千四百八十九億であります。そこで二十六年度が七千六百七十億、二十五年度が七千四百八十九億でありますので、どつちが多いかというと、二十六年度のほうが金額から行くと多いのであります。即ち百八十一億だけ形の上では増税になつておるのであります。これが一体国民負担の軽減になるかならんかという問題でありまするが、まあこれはなかなか面倒な問題でありますが、例によりまして、一番普通に行われておる方法は、国民所得というものを国の経済力を現わすものとみなしまして、それとの関連において見るということが普通に行われておるところであります。これも皆さん御案内の通り、国の経済力を数字で示すものといにしましては、私は三つあると思うのであります。一つは国民所得、もう一つは国富であります。この二つは国内の経済力でありますが、もう一つは国外の経済力でありまして、自分の国の財政経済に利用し得るもの、例えば戰争中は、南方であるとか、中国の大陸の物資を利用いたしましたし、現在ではアメリカの見返資金、援助物資という形で、外国の経済力を日本の国民経済力に利用しております。この三つが国の経済力を数字で現わすものでありますが、このうち国富統計につきましては、皆さん御案内の通り、昭和五年及び昭和十年の年末における国富の推計が、当時の内閣統計局でやつたものがあるのであります。それから戦後のものといたしましては、昭和二十四年四月六日に経済安定本部が、戦後における日本の国富の数字を出したものがあります。併しこういうものがございますが、これは国民所得に毎年推算が行われておりません。それから外国の資源であつて、経済力であつて、国内で利用し得るもの、これは見返資金や何かの問題につきましては、毎年予算やその他に数字は出ております。ですが、私は本当を申しますと、この三つを総合して、寄せ算という意味ではありません。寄せ算はできないものがありますが、総合して問題とすべきでありますが、ここでは便宜上、そのうちの最も重要なものであるところの国民所得だけを、国の経済力を数字で現わすものとして問題にするのであります。勿論御案内の通り、国民所得というものが当になつてならんようなものでありまして、これは人口統計のように具体的にあるものを計算するというのではなくて、これは学校の教授なんかが頭の中で考えてやるものでございますので、当にはならんのであります。併しながら、ないよりは勿論ましでありまして、これは多く使われるのであります。というのは、国民所得と租税との関連においてこれは多く行われておるところであります。  そこで租税を国民所得で割算いたしますと、それからちよつと国民所得について申しますが、昭和二十六年度予算に関する説明、大蔵省主税局から出されておる説明が出ております国民所得と、私が今日申します国民所得とはちよつと違うのであります。それは私が使います国民所得は今月の二十四日、あの経済安定本部から、より精密なものとして国会の委員会に提出されましたあれによつております。この点は衆議院の公述とちよつと違つて来るのであります。その具体的数字皆さん御案内の通りであります。それによつて租税国民所得に対する割合を計算いたしますと、二十六年度は二〇%になります。それから二十五年度は幾らかと申しますと、二十五年度は二三%であります。それから少し過去に遡りますと、二十四年度は二九%、二十三年度は二四%、二十二年度は一八%、それからずつと遡りまして昭和十年、これは事変前をとつて見ますと、昭和十年度は一三%になるのであります。これを見ますと、二十四年度の三九%を最高といたしまして、二十五年度、二十六年度、逐年国民負担が一応は減少しておるということが言えると思います。併しながらこれにはいろいろの條件がありまして、国民所得の計算が仮に正確なものと仮定いたしましても、この数字に余り重大な意味を認めることができないということは、これは皆さん御案内の通りでありまして、いろいろ問題がありますが、これは一々私はここでは申上げません。こういうふうに一応は減つておる。それでこれは当になつて当にならないという例証を一つ申しますと、これはちよつと話が余談になるのでありますが、私昭和十九年度の予算書類につきまして、租税の国民所得に対する割合を計算したのであります。ところが御案内の通り租税という概念が時、所によつて違います。ある場合には專売益金を含むことあり、含まないことあり、地方税を含むことあり、含まないことあり、又アメリカなんかの場合も社会保障税を含むことあり、日本では社会保障税という形をとらないで、現在では保険金という形をとつておる。租税の概念というものは広狭種々雑多であります。又国民所得という概念は又種々雑多、殊にこの数字が当にならんという例証といたしまして、昭和十九年度の戰争中でありますが、予算について計算して見ますと、国民所得という概念をいろいろ考えて見、それから租税という概念についてもいろいろ解釈できる、そこで地方税は入れないで、国税についてやつたのでありますが、或る計算法、私は極端な二つの例を挙げたのでありますけれども、成る計算方法をいたしますと、昭和十九年度の租税の国民所得に対する割合は一八%という数字が出ておるが、ところが同じ予算書を使つて同じ国について計算してやつて見ますと、この計算方法をやりますと、三二%という答えが出たのであります。成るやりかたをやれば一八%、或るやりかたをやると三二%、これを見ましても、これはどうでもなるんだということが一応は言えるのでありますが、併しながら同じ日本について比較する場合であるとか、或いは外国で比較する場合は、できるだけ同一の基準によらなければならないということは言うまでもないことであります。それは租税の国民所得に対する割合から言うと確かに減つております。併しこれだけでは物足らないのでありまして、もう少し真相に近いことを文章で言うことができるのです。例えば同じ二〇%でも、アメリカと日本を比べて、アメリカは金持の二〇%、日本は貧乏の二〇%、同じ二〇%でも日本のほうが重いとか、等々ですね、こういうことは幾らでも言えるのでありますが、これをもう少し数字で現わしたい。私は去年衆議院のたしか大蔵委員会であります、公聽会のお招きに預かりましたときに申しましたときの計算方法をとつて、今度これをもう一度計算し直して見ましたのであります。それはどういうことかと申しますと、大して新らしいことではございませんのですが、それは国民所得を以て国の経済力と解釈するのも一つの方法でありますが、これは必ずしも納税力を現わすものではない。国民所得で我々は生活をしなければいけない。そこで国民の物理的最小生活費に当る部分は、これは納税の能力がありませんので、その部分を国民所得から引いた残り、これが国民の負担能力最大限負担能力そのものではありませんが、負担能力最大限を示すものではないか、そういう考え、これは井藤が初めて言つたのでも何でもない、これは皆さんおつしやることでありますが、その方法によりまして、少しこの数字をより正確なもの、より真相に近いものに改めて見たのであります。そこで今問題は、国民の物理的最小生活費というものはどうして計算するか、これはなかなかむずかしいのであります。むずかしいものでありますが、計算がないわけではありません。併しながら国会の公聽会でお呼びにあずかる場合は、大体一週間か十日前、一週間前でありまして、一週間以内では計算できない。どうしても拙速主義を尊びますので、私の計算はやはり皆拙速主義でありまして、五年も十年もかかつて計算したものはございません。皆十分、十五分、小学校の一年生ができるような算術をやるのでありますが、それによつてぼやつとした計算をやつて見たのであります。それは何かと申しますと、食糧費であります。我々の経費のうちで食費というものは負担能力のないものです。勿論やかましく言いますと、食費でも贅沢なもの、贅沢でないものとありますが、結局食費、それから着物はどうか、住宅はどうかというと、これも必要ですが、先ず食費が一番必要なものと解釈いたして、これに関しては統計の資料も得やすいので、そこで食費の部分を国民所得から引いて来る。食費の部分というのは何かというと、いわゆるエンゲル係数であります。所得の支出のうちで食費の占めている割合、そこで国民の一人当りの国民所得を求めて、それからエンゲル係数の部分を引いた残り、それを以て納税能力最大限と、先ずそういう方法で計算して見たのであります。そこでエンゲル係数はどういうふうなものをとつたか、これは勿論全都市の一世帶平均のものでありますが、昭和十年先の年度について申上げますと、十年はこれは平均でありますが、目の子平均という、これはインチキ極まるものでありますが、大体毎月の統計があるのですが、実際さつと見て、この辺だという目の子平均をとつたものです。目の子平均でいいと思うのでありますが、昭和十年は三四%であります。食費が支出において占めている割合が三四%、昭和十年頃は非常に生活が楽であつたと思います。それからうんと飛びまして、昭和二十二年は六五%、これは非常に生活が苦しかつたのであります。それから二十三年は六三%、二十四年は六〇%、それから去年でありますが、これは目の子平均で五五%、昭和二十五年が五五%、昭和二十六年は幾らか、これはむずかしいのです。これは推定をするより仕方がないのでありますが、私は生活がずつと楽になるものとみなしまして、仮に五〇%という推定をやつたのであります。但しこの推定は大して根拠がございません。五〇%にするか、五三%にするか、いろいろ問題はあるけれども、少しよくなると、甘く見まして五〇%と推定したのであります。そのやりかたで負担能力最大限を計算しました。要するに国民所得からこれだけを引いたのであります。そうして先の租税を割算したのであります。租税を国民所得最大限で割算しました。そうしてどういう答えが出たかというと、昭和二十六年度は四〇%であります。それから昭和二十五年度が五〇%、昭和二十四年度が七二%、二十三年度が六四%、それから二十二年度が五一%、それからずつと飛びまして、十年度が一九%になるのであります。これを見ましても、やはり昭和二十四年度、即ちシヤウプ勧告による税制改革の前年でありますが、あれがやはり七二%で一番高くて、昭和二十三年は次いで重いのでありますが、それから二十五年度が重くなつておる。二十六年度が多少軽くなつておるということは一応は数字によつて説明が付くのであります。だからまあこれは先にも申しましたように、いろいろ注目すべき、顧慮の中に入れるべき要素があるのでありますが、そういうようなものを無視して申しますと、大体負担は軽減されておるものと見て大なる誤まりはないだろうと思うのであります。それからもう一つは、負担の軽減について、今度は内容でありますが、これは一般的なものとして申しますと、直接税と間接税との比較としていうことになるのであります。私も直接税、間接税の比較を毎年やつておりますが、ところが国税のみについてやつておりまして、地方税は入つておりません。それから私の申します直接税と間接税との比較は、大蔵省の直接税、間接税の計算とはちよつと違うのでありまして、大蔵省のほうは直接税と間接税と、それからその他のものというその他が入つておりますが、私はその他のものという第三のカテゴリーを設けますことは、それは無意味とは申しませんが、私がこれから言おうというようなことは、直接税というものは大体金持が負担して、間接税は金持も貧乏人も負担するのだと、そういうような意味で申しますと、第の三グループを認めるということはどうかと思う。それで私は第三のグループは認めない、直接税か、間接税かに態度をはつきりしたのでありますが、その点が違うだけで、大したことはございません。それによつて直接税、間接税を国税について、まあ專売益金間接税になるのですが、国税について計算いたしますと、昭和二十六年度が三千七十九億で全体の五五%、間接税が二千五百四億で四五%であります。二十五年度はどうかと申しますと、大体同じでありまして、直接税五六%、間接税四四%になつております。二十四年度について申しますと、直接税五七%、間接税四三%、二十三年度は直接税五一%、間接税四九%、二十二年度が直接税五三%、間接税四七%、戰争の真最中をとりますと、直接税が六七%、間接税三三%、それから支那事変前の昭和十年は直接税四一%、間接税五九%になつております。この比率で見ますと、戰争中まあ普通の常識で言うと、直接税が重いほうが大衆の負担が少く、間接税は大衆の負担になるのであります。そういう立場から申しますと、日本の租税制度といたしましては、昭和十九年度が一番いいということになつているのであります。戰争中の日本の制度は何でも惡いものだつたといわれますが、少くとも租税制度に関する限りは一応はいいことになつておるのであります。ところが戰後間接税が大分殖えて来まして、それで現在はどうかと申しますと、直接税がやや多くて間接税がやや少いのであります。一体これでいいのかということでございますが、これは我々の教壇論としましては、直接税が多いほうがいい、間接税が少いほうがいいということは、大ざつぱに申しまして、それが正しいことは言うまでもないのでありますが、併しながら私は終戰後の我が日本の現状から申しますと、間接税も意味があります。私はむしろ減税をやるのだつたら、所得税を減らして間接税を減さないようにされたいということを数年前から申しておりますが、これは意味があるのであります。と申しますのは、直接税は成るほど金持が負担し、間接税は賢人が負担するのだと申しますけれども、今度の戰争によりまして、日本の国民所得分布状態についての推算を見ますと、今度の戰争によりまして、富の分配関係が平等に近くなつて来たのであります。これはもう我々がちよつと考えても、家を持つていて家を焼かれた、地面は燒かれなかつたけれども、農地改革によつて大地主というものはなくなりましたから、或いは終戰後財産税がかかつたとか、その他財閥解体であるとか、集中排除等々、いろいろの事情で頭の高いものはずつと切られるような傾向があつたということは、これは皆さん御案内のことだと思うのであります。これはこの前の世界大戰のときとちよつと逆でございまして、この前の世界大戰は御案内の通り日本資本主義の流行期でありましたために、富の分配関係が非常に不均衡になつたのであります。今度はその逆でありまして、その点はこの前の世界大戰の英国において、この前の世界大戰は英国は戰争に勝つたのでありますけれども、富の分配関係は平等に近付いたのであります。これは話が脇道にそれましたが、現在日本の国家について申しますと、金持もあれば貧乏もございますけれども、併しながら富の分配関係が平等に近くなつたということは言えるのでありまして、平等に近くなつたと言つても、金持のほうに、ずつと皆が上りたというのではない。下のほうへ下つて平等になつたのであります。これは嘆かわしいことで、これは問題でありますが、そういうことです。そういう世の中で、一体直接税を金持が負担し、間接税を貧乏人が負担すると言つても意味がない。誰も彼も同じような所得を持つておれば、直接税も間接税も意味がないのであります。それを数学的に申しますと、これは私絶えずいろいろな機会に申上げている数字でありますが、それはどういう数字であるかというと、国税庁における昭和二十四年度の確定申告に関する数字であります。昭和二十四年度でございますので、その申告は去年の一月三十一日付で締切つてある確定申告だから、一年前でありますが、これを四月三十日くらいまで延ばして、主計局で推算したのでありますが、それを見ますと、総所得は基礎控除前の総所得でありまして、確定申告申告者総数が七百八十三万人でありますが、そのうち総所得二十万円以下の者はそのうち八七%を占めているのであります。これは人数から申しまして八七%占めているのであります。金額は幾らになるかというと、確定申告の金額が、合計いたしまして九億六千十六億円でありますが、このうち総所得二十万円以下のものは六八%を占めているのであります。そこで二十万円以下のものは人数から言うと八七%、大体九割、それから金額から言いますと、六八%で、大体七割、そこで二十万円というと多いようでありますが、井藤でも一年の所得が二十万円を突破しているのでありまして、二十万円は昭和十年頃の貨幣価値に直しますと、千円以下であります。ところが昭和十年頃の千円以下と申しますと、第三種所得税は免税点であつたから、昭和二十六年度であつたら所得税を払わなくてもよかつたような連中が大分所得税を負担しているというような情勢になつております。これなんかは富の分配関係が非常に平等に近くなつている一つの証拠です。それで直接税と言つても大衆が負担する、間接税言つても大衆が負担する。これは国民所得構成状態を見ましても、これはちよつと意味が違うのでありますが、そういうことが言えるのでありまして、昭和十年と昭和二十六年の国民所得の構成を勤労所得資産所得法人所得官公給与所得と分けて、そのパーセンテージを申上げますと、勤労所得は殖えて、個々の事業所得が非常に殖えて資産所得が減つているのであります。この計数は安本発表の数字で計算したのでありますが、これは勤労所得は昭和十年は国民所得のうち三七%を占めております。ところが昭和二十六年度はどうかと言うと、二十四日に発表された資料によると四四%、それから資産所得でありますが、個人の利子及び地代でありますが、これは昭和十年度は二二%、二十六年度は僅か三%であります。それから個人事業所得でありますが、農耕などの個人経営のもの、それは昭和十年が三四%であり、昭和二十六年度は四八%であります。それから法人所得でありますが、これは昭和十年が七%、昭和二十六年度が五%、官公企業所得は一%にもなりませんで、非常に僅かであります。これを見ましても勤労所得が非常に殖えている。それから個人事業所得というものの中には勤労所得的な要素が多分にあるのでありまして、これが非常に殖えて資産所得が非常に減つていることから判断いたしましても、現在の直接税と言いましても、いわばいわゆる昔のように金持が多く負担するのだと言いましても、実際は必ずしもそう言えないということであります。そこで問題は直接税をかけても、間接税をかけても、結局は負担する税金は同じことである。そういたしますと、課税の便宜、又納税の便宜という点から言うと、間接税のほうが納めいいのであります。便宜であります。私は現在のような、直接税について遺憾ながら日本では脱税が行われている、脱税が多いと言われている我が日本におきましては、間接税というものは相当意味があると思うのであります。これは歎かわしいことでありますけれども、租税経済の地盤となつております日本の社会経済の現状がそうなつておりますので、これはやむを得ないのではないかと思うのであります。私は最近直接税について大幅の減税が行われつつあるという事実は、これは非常に結構なことだと思うのであります。  ちよつと時間をとりましたが、一般的な負担軽減の問題、それに関連しての問題を終りまして、今度は社会政策的措置の問題につきまして、若干申上げたいと思います。社会政策的措置でありますが、これは結論だけ申上げますと、今度の改革法案におきまして、次のような一連の措置がとられておりますが、これはいずれも社会政策を考慮したことでありまして、この点は私は賛成するのであります。これはどういうことかと言うと、基礎控除の引上、扶養控除の引上、不具者控除の引上、それから税率の引下げでありまして、これは従来からある制度について、いわば社会政策的に見て減税をやつたのであります。それから次に述べます新らたな減税制度を挿入したのであります。それは未亡人の寡婦控除制度、それから六十五才以上の老年者についての控除、それから勤労学生の所得控除、それから生命保険料の控除、これは所得税制度について、従来ないものを新たに実施しようとするのでありまして、これは社会政策的立場から見て歓迎すべきことだと思うのであります。それから相続税につきまして、被相続人の死亡によつて支払われる生命保険金のうち、十万円の控除をするということになつておりますが、これも又社会政策の点から見て歓迎すべき点であります。  それから三番目の資本蓄積の問題であります。これにつきましては、大分問題が多いのでありまして、結論を申上げますと、政府の資本蓄積ということを目的とするところの減税措置につきましては、私は相当疑問を持つているのであります。そこで資本蓄積についてどういう措置をやろうとしているか。先ず一般的なことは、一般的な減税をやる。一般的な減税をやるということは、それは民間資本の蓄積を図るというのでありまして、これは結構であります。併し私はこれについて問題にしようとするのではないのでありまして、次の三つの措置であります。それはどういうことかというと、新規取得の特別の機械や船舶などに対しまして、三年間を限りまして、法定償却高の五割程度の割増の特別償却を認める、これが第一、二番は銀行その他の預金、貯金の利子につきまして、五〇%の源泉選択の制度を復活する。それから三番が、法人の積立金に対して二%の課税が行われておりますが、この二%の課税を廃止する、この三つであります。これは減税の金額から言いますと、割合に少いのでありまして、例えば新たに取得いたしました機械、船舶などの特別償却によつて生ずるところの減収は七億四千五百万円であります。それから預貯金の利子の源泉選択によつて国庫収入が減るかというと、大蔵省主税局の推算では増減なしということになつております。それから積立金の二%の課税廃止によつて五億四千万円の減収があると言われているのであります。この三つの措置をいたしましても、国庫という立場から申しますと、減収といつても十二、三億でありまして、大したことはないのであります。私は問題は減税をやろうとする根本精神、根本方針、ここに問題があると思うのであります。その一々について私の卑見を申上げさせて頂きます。  先ず第一の五割程度の特別償却でありますが、これは日本経済再建のためには、こういうような特別の機械や船舶に対して減価償却を多くするということは、これは勿論日本経済の再建のために役立つことは言うまでもないのであります。それだけを抽出すれば役立つのでありますが、併しながら結果からいたしますと、こういうようなものを新たに取得し得るというものは資力の優秀なる大優秀企業でありまして、これは大優秀企業にとつては極めて有利な措置であることは申すまでもないのであります。私はこれは大優秀企業をいため付けようというばかなことを言うのではありません。勿論これも必要ですが、ほかとの比較において考えますと、私はこれは確かに大優秀企業にとつて有利だということが一応言えるのであります。それからその次が源泉選択の復活であります。これは内容は皆さん御案内の通りでありますが、五〇%預金の利子に対して源泉選択を認める、これは箪笥預金をなくして、預金を吸収するために必要であつて、延いてはやはり資本蓄積を図るということでありますが、一体これによつて果して資本蓄積が行われるかどうかと申しますと、私はこれについて疑うのであります。と申しますのは、五〇%で源泉選択をする、ところが所得税の税率を見ますと、五〇%はどこかと言いますと、この改正法案によりますと、五十万円を超える部分は五〇%であります。だからナイーブに申しますと、五十万円を超えた部分は源泉選択をやるということになりますが、実はそうは言えぬのでありまして、もう少し精密に考えますと、地方の住民税、市町村民税のことを考えなければいけないと思います。市町村民税は今年のやりかたは、来年からは変るようでありますが、今年のやりかたは前年度の所得税の一八%を標準税率でとつております。その通り行われると仮定いたしますと、それをも考慮いたしまして、源泉選択を何万円以上のものからやつたら得かという計算を見ますと、結局三十万円以上のものです。年の課税所得が三十万円を超えた分につきまして、源泉選択を請求するのが得だということになるのであります。五十万円ではないのでありまして、地方税を入れますと三十万円以上ということになります。そこで三十万円以上のものは源泉選択をやるのが得だ、それ以上のものはやらないほうが得だ、そういたしますと、源泉選択制度というものは高額所得者を優遇することになるのでありまして、租税の根本原則であるところの累進課税の精神に反するということは、甚だ教壇論でありますが、そういうことは一応言えるのであります。それから一体貯蓄奨励になるかというと、それはそういうことになることもありますが、必ずしもならんのであります。それはどういうことかと言いますと、貯蓄奨励と言いましても、大所得者は銀行に自分の余つた金を預金なんかにするということは少いのでありまして、大所得者は経済能力がありますので、銀行その他の預金にしないで、それ以外の方法で自分みずから投資いたします。而も源泉選択制度を復活いたしましても、必ずしも大資本の預金の吸収になるとはどうも私は言えぬのであります。問題は我々のような零細の所得者の余つた金、これを集めるのでありますが、これは三十万円を超えた分は有利であるが、その以下のものは却つて損だということになりますと、そういうことはやらない、そういたしますと、どうも貯蓄奨励、又は預金吸引という点から言うと効果が余りないのだというのでありますが、話が非常にそれましたが、預金の吸引にはどういうことをすればいいかというと、預金の利子の引上ということがより有効な措置であります。それからもう一つ、なぜ箪笥預金が殖えるかというと、やはり通貨の価値の将来につきまして、我々は不定を持つからでありまして、即ちインフレの心配があるからであります。それがなければ、箪笥預金はなくなるのであります。それからもう一つ申上げたいことは、これによりまして動産が隠れます。これは事実であります。動産が隠れるということは、法人税を課税する場合においても、或いは富裕税又は相続税を課税する上におきましてもいろいろ脱税を、少し言葉は過ぎますが公認というとまあ助長することを公認するようなことになるのでありまして、税法という点から面白くない。ところが我が国の税法はそういうふうな脱税することも考慮して今度の税ができておるかというとそうじやなくて、シヤウプ勧告に基き、現在の我が国の税制は、課税物件を一〇〇%残りなく把握するということがその前提になつておるのであります。だからして一部をこれは把握せないということは、その一角からシヤウプ勧告を基礎として作られた日本の税制というものの形が崩れるのでありまして、この点私は遺憾だと思うのであります。例えば勤労所得の控際率が二五%であつたのが一五%になつた。ところが勤労所得というものは割合に脱税が困難なのであります。ところが事業所得なるものは、ときには脱税が容易な部分があるのであります。そこでそういうものを考慮して、若し租税制度を作るとするならば、勤労控際は一五%でなく、昔のように二五%がよかつたのでありますが、これを一五%になぜ引下げたかということ、一つの理由は、やはり根本は勤労所得であれ事業所得であれ、あらゆる所得の一〇〇%課税物件を把握するということが前提になつておるのでありますが、そういうことが前提になつておるときにおきまして、動産の利子所得だけについてこういう措置を講ずるということは、いろいろ私は問題があると思うのであります。  それから法人の積立金の課税の廃止の問題であります。これもやはり同じようなことが言えるのでありまして、皆さん御案内の通り、この法人の所得の課税につきまして英国式と大陸式の二つの立場があるということは皆さん御案内の通りであります。大陸式というのは法人というものに独立の人格を認めて、法人の所得にも重い税金或いは軽い税金をかける、個人の所得にも税金をかける。ところが英国式では御案内の通り結局法人の所得を個人のところに集めて個人のところで課税する。シヤウプ勧告というもは大体英国式に近いのであります。この場合に積立金に対しまして二%の課税をするということは理論上当然のことでありまして、これを課税せないとどうなるかというと、個人の営業所得者との間に不公平が生ずるのであります。個人の営業所に対しては、これは所得税がかかります。これは金額に対してかかる、ところが配当されたる法人所得につきましては個人の所得税はかかりますが、配当しないで会社に留保した所得、これに対しては個人の所得税がそれだけかからないのでありますので、個人の営業者の所得税との間に不公平が生ずる。それから又もう一つは、会社、法人という立場から申しますと、留保所得というものは、いわば無利子で利用するのであります。そのために国庫は一時収入を失うのでありますが、それに対する意味で二%利子をかけようというのであります。これだけ抽象いたしますと大したことじやないのでありますが、私はこれはシヤウプ勧告の性格ともいうべきものでありまして、ここにシヤウプ勧告の極めて精密な精神が現われておるのであります。ところがそれを壊すというのであります。私はこれはあとから申し上げますが、シヤウプ勧告を極めていいものと思つておりません。大いに私は批評するの余地があるのでありますが、少くともシヤウプ勧告を前提として日本の税制ができておる今日、これを壊すということはどういうものかと思うのであります。これと同じようなことは、これは今日の法案に直接関係ないようでありますが、有価証券の登録制度、これを実施しないのであります。しないということは、これも同じようなことが言えるのでありまして、これにつきまして有価証券の登録制度を実施しないで、個人の株式などの讓渡所得を十二分に把握することはできません。そうするとやはり今度のシヤウプ式の課税制度において大きな穴を残すのであります。ところがどうしたものか、シヤウプ勧告におきましても、第一次のシヤウプ勧告におきましては有価証券の強制登録を非常に強調しながら、第二次勧告におきましてはこれについて一言も触れておらないのでありますが、私はこの点はシヤウプ勧告におきましての思想の一貫を、統一を欠くと思うのであります。そこで私が申上げたいことは、我が日本におきましては有価証券の強制登録が事実できないのだ、或いは二%の課税はやつて行けないのだ、日本の国柄が若しそういうものでありとするならば、英国式の或いは英国式を加味いたしましたアメリカ式の、シヤウプ式の法人課税方式というか、それが日本に適しないのじやないかと思うのであります。これは私は今初めて言うのじやございませんので一年半前から言つておるのでありまして、私はシヤウプ式の課税方式に疑問があるということを言つておるのでありますが、これは今度のこういう措置が行われないということは、やはり日本に実施しにくいところがあるのだということを如実に物語つておるのではないかと思うのであります。それはさておきまして、少くともシヤウプ勧告を前提として租税制度を実施するということは遺憾であります。こういう制度を実施することは問題があると思うのであります。  要するに資本蓄積のための三つの措置、即ち特別償却問題、それから積立金の課税の廃止、それから源泉選択の問題、この三つは大体大まかに申しますと、大資本、大企業にとつて有利なものであります。私は日本経済再建のためにこういう措置を講ずるということは勿論必要であるということを認めるのであります。それからもう一つは租税形態というものが資本主義経済秩序を前提としたところの財政形態でありまして、それに矛盾するような租税政策を永久的な政策として講ずることは無論ないのですから、これも私は認めるのであります。にもかかわらず私はなぜこの実際について疑問を持つかというと、租税制度を見る場合に成る局面だけを見ないで、それ以外の均衡、釣合いということが問題になるのであります。そこで具体的に申しますと、成るほど資本蓄積は必要でこの措置も必要でありますが、その以外の部門との釣合いを見ますと、私はやはり社会政策との釣合いを考えますと、そこで例えばこれでいいかというと、所得税の基礎控際は三万円に上りました。三万円は多いようであります、事変前の価値に直すと百五十円以下になる。当時免税点は二百円以下、基礎控除の物理的最小生産費、物理的免税という趣旨でいたしたのであります。事変前はどうかというと年千二百円、月に百円以下の場合でなければならんというので、そこに大体の個人の免税の趣旨があつたのでありますが、而も現在は月百五十円ではこれは生活できないのであります。一方でこういう措置をそのままにして置いて、多少引上げいたしましたが減税をして置いて、他方でこういうことをやる。こういう場合は負担の均衡という点からいつて問題があると思うのであります。それだけ抽象すれば勿論結構でありますが、他との均衡との関係において考えれば問題があると思います。幸いにしてこの三つの資本蓄積に対する措置というものは、これは所得税法法人税法の本法の改正という形をとらないで、租税特別措置法の改正という臨時措置をとることになりますから、この点は私は非常に結構であります。臨時措置をとられたのでありますから、適当の機会にこれを又廃止して頂きたいと思うのであります。それから又特別償却はどんなものについて償却を認めるかというと、船舶、機械、この機械はたしか命令によつて指定するということになつておるのでありますが、指定される場合にも愼重なる態度をおとりになることを希望するのであります。税制に関する点はそれだけであります。  それから資産再評価に関する問題は極めて簡單に申上げます。資産再評価の問題でありますが、この資産再評価はなぜやるかというと、目的は結局次の三つだと思います。その一はインフレーシヨンによつて生じた資産の価値の混乱を修正するということが第一番、それから第二番の特長は減価償却を適正にして企業経営の合理化を図る、これが二番。三番目はインフレーシヨンによつて生じた社会的犠牲を社会全体が公平に負担する、これが三番であります。こういう目的から今年の資産再評を実施するときに、これはすべて強制とすべきであつたのであります。ところが資産再評価法におきましてはこれを強制にしないで事業用資産について自由にする。最高限は認めておるが自由にするという立場をとつたのでありますが、私はこれは当時からよくない制度でなかつたかと思う。今資産再評価の目的という点から申しますと、すべて強制にすべきではなかつたかと思つておるのであります。自由にいたしますと企業は収益性という立場で評価いたしますので、先に申しました三つの目的のうちの一番と三番の目的を達成できないのであります。現にシヤウプ勧告においてもこれは強制を命じておるが、それが自由になつたということは一応やはり経済界の要求を尊重したのでありますけれども、併しながらここにもやはり問題があるのであります。そこで今度又資産再評価をもう一度やり直そうということが問題になつております。そこで一般世間に伝わつておるところの議論を見ますと、企業経営の合理化ということは二番の説が中心になつて議論されておるのでありますが、私は一番の立場、インフレーシヨンによつて生じた混乱の修正、それから二番の立場、インフレーシヨンによるところの犠牲を社会全体が合理的に負担するという三番の立場、この三番の立場を尊重されんことを希望するのであります。  それから具体的に申しますと、今度の資産再評価法を改正される場合には、できるだけ先の原則を変えてもらつては困る。従つて税率を下げようというような議論は、インフレーシヨンに伴う社会的犠牲を合理的に分担するという立場からいつて、面白くないのであります。それから物価指数の倍数を変更する、こういうことはできるだけ中止願いまして、昨年の方針を嚴守されないと、いろいろ不公平に伴う更に不公平ができるのじやないかと思うのであります。  甚だ予定以上の時間を取りまして恐縮でございますが、これを以て私の公述を終ります。
  4. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 只今の御公述に対して御質問のあるかたは、どうぞ御質問願います。
  5. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 簡單に二つばかり御質問申上げたいのですが、先ほど国民所得からエンゲル係数による支出を引いたものと税との比率ですね。それによつて負担の重いか軽いかの比較のお話があつたのですが、との問題は実際問題として、朝鮮動乱前後の実情を見ますと、生計費内容を見ますと、医療費、これが著しく上つている。大体食費は余り上つていない、多少上つていますが、一番上り方のひどいのは医療費、それから光熱費、住居費でございます。ですから実際問題としてもつと現実に即して見る場合には、食費のほかにそういうものを入れて負担を見ますと、相当事情が変つて来るのじやないかと思いますが、そういうふうな比較のほうがより実際的であると思うのですが、こういう点は如何ですか。
  6. 井藤半彌

    公述人井藤半彌君) お話御尤もであります。私先ほど申しましたときにできるだけ早く短い時間にまとまつたことを言えということでございましたので申しませんでしたが、今御指摘の点は非常に御尤もでありまして、当然そうすべきじやないかと思います。それ以外の点につきましても、やはり数字を以て操作し得るものはまだほかにあるのであります。これは指摘しなくてもおわかりかと思いますが、それは勿論私は当然の御注意だと思います。
  7. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 もう一つお伺いしたいのは、先ほど階層別国民所得の話ですが、二十四年度の確定申告を基礎にされての主計局計算を引用されてのお話でございましたが、総所得申告数七百八十三万人のうち二十万円以下の人数が八七%、それから所得について見ますと二十万円以下が六八%、こうなつておりますが、どうも私、シヤウプさんが参りまして、それで階層別国民所得を調べるときに、大蔵省が二十三年度の階層別国民所得を基礎にしてシヤウプさんに提出して、それを基礎にしてシヤウプさんが税率その他をきめられたように思うのですが、どうもこれまで一番シヤウプさんが指摘しておりますのは、日本で問題になるのは脱税だと思います。それで非常に脱税がたくさんあるのでありますから、これを元にして階層別国民所得を見ますと、よほど違うのじやないかと思います。我々素人でよくわかりませんが、シヤウプさんがああいうふうに出したような高額所得者は余りない、殆んど低額所得者が大部分だという計算は、どうも非常に違うのじやないかという気がしております。併しこれは実際に調べようがありませんから、我々もそういう気持だけでありますが、だんだん最近大蔵省でも二十四年度ですかの階層別国民所得のなにができたようでありますが、シヤウプさんと比較して見ると、更にそのほうが高額所得者が多少多くなつている。脱税の問題、これはやはり日本では小さくないのですから、非常に大きいのですから、これを一応含めて考えて、殊にインフレ期なんかは非常にそうであつた。高額所得者というのは、殊にインフレ期なんかを考えますと、非常に違うのじやないかと思います。  それから富が平等になつたというような御意見でありますが、その後のインフレによる冨の不均衡というものが相当ある。例えば銀行預金を見ましても、大口預金と小口預金、これは法人預金を除いても非常に不均衡があると思いますが、この点非常にいい有益なお話を承わつたのですが、その点少しどうもはつきりしないのですが、御説明願いたいと思います。
  8. 井藤半彌

    公述人井藤半彌君) これも御尤もでございまして、現在日本脱税が多いだろう、殊に高額所得者の脱税が更に多いだろう、これも私感じでございますが、それはあり得るだろうと思います。ただ先ほどお話がございましたように、これを計数でやるということはこれは非常にむずかしいのでございまして、どうしてもこれはいろいろな推算をやらなければならんだろうと思います。それで我々財政学を勉強しておる者として、勿論そういう推算をやつて見なければならないのですが、これを具体的に数字で表わすとなると、いろいろ問題があります。それでシヤウプ勧告資料として大蔵省なんか出された数字、やはりこれも大体これと同じようなものでございます。それから私が去年、昭和二十三年度の確定申告について同じ計算をやつた数字をここに持つて来ましたが、ちよつと違つております。  結論だけ申上げますと、やはり二十万円をとつたのでありますが、それをとりますと、人数からいいますと二十万円以下が九四%、金額からいうと七八%、それだけまあ今度は人数からいうと、二十万円以下の者が減つております。それだけ富の分配関係が、これは物価の騰貴ということもございますが、そういうような見方をすると、少し変つておる、こういうことは一応言えると思います。但しシヤウプ博士のところへ大蔵省から出された数字、あれは私は特別な数字じやなくて、我々でも自由に手にし得るような数字を基礎にして出されたのであります。ただ我々が手にし得る場合は、少し年度が遅れますが、あれは急ぐ特別な事情があつたために、一年或いは半年早い数字を出されたのじやないかと思います。あれを見ましても、これと余り大勢は変つていないのであります。  今御指摘の脱税、そういうことも考慮しなければならないという御注意、御尤もと思います。ただ計数によつて表わすとなると、いろいろ問題があるのじやないかと思います。
  9. 森下政一

    ○森下政一君 基礎控除の問題でありますが、私は先生がさつきおつしやつたように、国民の最低生活費というものは税の圏外に置くべきものだ、最低生活費がどれだけかということはいろいろな議論がありますが、物理的最小生活費というものが、結局基礎控除としての税の圏外に置かれる、すべからくそうあるべきものと思う。ただそのときの財政的事情によりまして、必ずしもその通りになつていないというふうな実情と思うのでありますけれども、この点につきましては、一体基礎控除とは何だということを主税局長とは何回もこれまで論議を闘わしたことがあるのでありますが、私は先刻申しますように、国民生活の最小生活費というものを税の圏外に置くのだ、こういう精神と思うのであります。そこで特に先生がさつきおつしやいましたように、現在の日本のような富の配分状態の下では、直接税は必ずしも金持負担するものではない、間接税貧乏人負担するものだと言うことはできない、双方ともに大衆負担しておる、全くその通りであります。そういう場合であればなお更、所得税における基礎控除というものは、物理的な最小生活費というものを求めて、これだけは税の圏外に置いて、そうして仮に政府が税収を財政事情によつて上げなければならんというなら、むしろ間接税をいろいろ、これは間接税の場合においては、国民側にその税を負担する、しないの選択の自由がある、こう私は思いますので、みずからの生活を削つてでも、なお且つあるものを消費するとかいう場合、これは特殊なものだと思いますので、現在のような状態の下においては、基礎控除は厳格に国民の最小生活費というものを税の圏外に置くという制度を私はとらなければならんものだと思います。若し私のような考え方が間違いがないとするならば、今度政府の基礎としておりますところの基礎控除金額、これで果して物理的な最小生活費というものは満たされておるのかどうか、その点ひとつ先生のお教えを願いたいと思います。
  10. 井藤半彌

    公述人井藤半彌君) 今のお説私も尤もだと思います。ただ先にも申しましたように、この財政問題、税制問題というものは、それだけを抽象して問題にしますと、どんな場合でも税減がいいという結論に達するのであります。それでできれば幾らかそれでは現在の一世帶の最小生活費かというと、その数字を今申上げるということはできません。これは問題がありますが、仮に二十万円なら二十万円、十五万円なら十五万円と仮定いたします。それを若し免税すれば、それだけを抽象してやれば非常にいいことでありますが、国庫として非常な減収が出て来るのであります。そういたしますと、経費の節約をすべきだという問題が出て来ます。それから又基礎控除の引上げした部分だけ所得税に非常な穴が開く、これをほかの税金で一体負担できるかどうかというと、ほかの方面でも非常に重いという声がある。  それから一番いいのが国家経費を減らすというのがいいということでありますが、それは今皆さん案内通り、税金につきましては欠陷を指摘するということは非常にやさしいのであります。ところが国家経費についてはむしろいいということは、経費の必要ということは指摘するのはやさしいのでありますが、無用であるとか必要度が少いというような証明を与えるのはこれはむずかしいのでありまして、これは結局は国の財政全体の総合的な判断によつて私はきめる以外に途はないのじやないかと思います。私実は今やらないのでありますが、こういうことをやつて見たらどうかということを思いついているのがあるのです。それは今の御指摘のような事情によりまして、国民の最小生活費が仮に幾らなら幾らと仮定いたします。これによつて幾らの減収がある、この減収をほかの税金によつて幾らカバーできるか、なおそれよりもカバーできない部分が出て来ますが、これだけは国といたしましてはどうしても経費を節約すべき部分じやないか、どの経費を節約すべきか、これは問題じやありませんが、そういう意味で国の経費を節約すべきものが或る程度まで数字で出るのじやないかと思つております。併し現在の当面の問題といたしましては、私これを四倍に上げて欲しい五倍に上げて欲しいということは勿論結構でありますが、それは建設的な批評にならないのでありまして、それでは具体的に何の税金を殖やすのか、言えといわれますと私は即座に答えることができないのであります。私は方針といたしましては今御指摘のような方針に全面的に賛成するのでありますが、現実の問題といたしましてはこれは徐々に上げる以外に途がないのじやないか、基礎控除につきまして。それから具体的な問題といたしましては、三つ措置というものは、これはやはり一方にこういう無理をやりながらこういうような減税措置をするということは、均衡という点からいつてむしろ取上げたほうがいいのじやないか。今現実的に言つてそれだけしか意見が出ないのであります。   —————————————
  11. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) それでは先生有難うございました。  次に引続きまして、日本勧業銀行取締役会長の山田義見君にお願いします。
  12. 山田義見

    公述人(山田義見君) 私は以前長い間税務をやつておりましたのでございますが、その税務をやめましてから相当たちまして大体大分忘れてしまいましたし、只今又井藤先生から微に入り細を穿つたお話がありましたからして、あまり附加えることもないようであります。ただ私はこの時間を如何に税金が重くして国民が困つているかということに、国民の一人として陳情の機会に代えたいと思うのであります。  税金が重いか軽いかということは簡單には結論が出ないのでありまするが、どうしてその重い軽いということをお前言うかというと、これは外国との税率等を比べて見ましてもなかなかわかりませんが、只今井藤先生からいろいろお話がありまして、国民所得に対する税が何パーセント、だから高い安いというお話があつたようでありまするが、これは先生のお話にもありました通り国民所得の総額というものがなかなかわかつたようでわかりません。何兆何億という何がありまするが、これは私に言わせれば極めてでたらめであると思います。だからこれを基礎といたしまして税金が高い安いという議論をすることは、結局砂上の楼閣と申しますか、全然意味がなくして、却つて人を誤らしめるものであると思うのであります。殊にこれを外国と比べまして、外国国民所得に対する税の割合がどうなつておる、日本はどうなつておる、だから日本は安いのだ、高いのだということは全然言えないのであります。と申しますのは、今申しましたように、国民所得の総額はいい加減のものであり、アメリカ、イギリスには相当根拠があるのでありますが、少くとも日本現状においては全然もう無意味のものであると考えておるのでありますが、それが意床のあるものである、立派なものであると仮定いたしましても、国民所得国民の間に如何に配分されておるか、又一人当りの国民所得金額がどうであるか。アメリカ国民所得日本の一人当りの国民所得を比べて見ますと、これは雲泥の差があることは御承知の通りであります。といたしますと、所得に対する割合だけで以て税の高低を言えないということは、所得税においては今日累進課税をされておる国内においては、所得の大小によつて税率が非常に違う。それは国際間においても同じであると思います。又一人当りばかりでなく国民所得がどういうふうに分配されておるかということ、もつと端的に申しますと、大部分のものが貧乏である、或いは貧富の懸隔が非常に大きくて貧乏人もあるけれども非常に金持もある。現にアメリカのような国は貧乏人はないかも知れませんが、例えば戰前に日本には成るほど貧乏人もあつたが非常な所得者もあつた。当時の金といたしましては今まで私の知つております最高の所得者は三井さんでありましたが、あれが一番多いときに当時の金で以て一千万円の所得に近いところにありましたが、今の金に換算いたしましたなら何十億となります。そういう状態と今と違うのでありまして、そういうふうに貧富の懸隔という点から考えましても、一概に国民所得が何パーセントが税金であるから高い安いということはできません。どうして高い安いかということが言えるか。先ず私は比較的高い安いことを言う根本といたしましては、今まで我々が払つてつたところの税金と比べてどうか。これが一番私はピンと来るし又的確なものであろうと思います。では今我々が負担しておるところのこの税、これは主として所得税について申しますが、それから曾て我々が負担したところの税金とどれだけ違うかということを一つの例を挙げたいと思います。今度の税制で以て相当税金はまけてもろうことになつておるのでありますが、それでも五十万以上が五〇%、二十万以上が四〇%になつておるようであります。五十万と申しますと以前の金ではどうなつておりますか、仮に百倍といたしますと五千円になります。二百倍といたしますと二千五百円になります。五割の税金がかかる。戰争前に初めて分類所得税、総合所得税というものができまして、税に根本的な改正が加えられたときには、これは五十万の百分の一としましては、五千円を越えるところに対して幾らの税金がかかつてつたか。これは分類所得税の百分の六、総合所得税として百分の十、百分の十六だけの税額がかかつておりました。それが今日では五十の税金がかつております。正に二倍の税金がかかつております。又これを二百分の一といたしますと二千五百円、二千五百円の当時税金は幾らかと申しますと、総合所得税というものがかかりませんから、分類所得税だけが百分の六であります。百分の六だけの税がかかつてつたのに対して今日は五十倍の税金がかかつております。正に八倍以上の税金がかかつております。その後戰争の進むにつれまして税金が上つて参りまして、それが上つて参りましても百分の六が百分の十になつただけであります。そういたしますと五万円以上は百分の二十になります。それから二万五千円になりますというと百分の十になる。戰争中と比べましても正に三倍、五倍の税金を今日我々は負担しておるのであります。これは私は税金ばかりではなく、国民生活、これは一人の経済生活ばかりでなく、道徳生活においても結局いろいろな犯罪でありますとか、脱税でありますとか、ごまかしでありますとか、そういういろいろな道徳生活、社会生活、そういうふうなものに対しましても非常に大きな影響を及ぼしているところのものであると思います。勿論これは恐らく最大の原因であろうと私は考えるのであります。即ち税をこの際まけてやることが、少くとも戰前に近いように努力することが、今日一番大事なことであると私は考えるのであります。税金が如何に当時安かつたかと申しますと、当時国民は営業者も、殊に我々月給坂のようなものは税金というものは殆んど考えたことはありません。ただ所得税決定通知書が来たときに税金のことを思い出す。或いは又納めるときに税を思い出す程度でありました。毎月々々月給袋から月給が引かれるということになりましても、僅か百分の六の月給が引かれるのでありまして、別に気にもとめませんでした。併し今日はどうであろうか。朝から晩まで税税、皆税のことで非常に苦労をしております。大体税というものは私はそう朝から晩まで毎日々々苦労するものではない。やはり以前のようにときどき思い出す程度でなくてはならんと思います。恐らくアメリカやイギリスなんかはそういうのうのうとした生活をしているのだろうと思います。そういう点から申しまして今日如何に我々国民が重い税を負担しているか。如何に苛斂誅求に喘いでおるかということが言えるかと思います。この点を議員諸公は十分お考えを願いたいと思うのであります。よくこの頃税が高いと言つて税務署に叱言を申しますけれども、併しこれは税務署の責任ではないのであります。むしろ税務署は非常に強いところの税法を如何にして緩和して適用するかということに非常に智慧を絞り努力をいたしておるのであります。その苛斂誅求の本元は誰かと申しますというと皆さんであります。これは私は議会であると思います。税法を作つておるところの議会が、もつと議員諸公が、如何に税金が重いかということを本当に身を以て考えて頂きたいと思いますが、どうしてその感じが出ないかと申しますと、これ以上は本当に失礼になりますから私は申しませんが、本当に議員諸公が如何に税金が重いかということの自覚が足りないと私は断定するのであります。昨年の衆議院公聽会においても私は特にこれを強く申したのでありますが、参議院のかたがたにも、大分おいでになりませんけれども(笑声)申して置きます。  ではどうしてそういう重い税金になつたか。我々はいつの間にかそういう重い税金を負担するようになつたか。それは今日税金の重くなつたところの一番の大きな原因であります。税金が重くなることにつきましては二つの途があります。その一つは我々が意識的にこの税率を重くして行くのであります。例えば分類所得税が百分の六であつたのが七になり、八になり、十になりました。それから又よく問題になりまする映画の税というものが一割くらいから遂に五割、十割、十五割となりました。殊に十割を越えるところの税金というものは、我々が事にも思わなかつたのでありますが、戰争の時にそうなりました。こういうものが我々が自覚して上げるところの税金であります。これは税を上げるときに、上げる大蔵省も、又これに協賛なさるところの議会のかたもやはり幾らかお考えになります。だからこれに対しては成る程度の躊躇というものがありますし、又上げたのに対して罪滅ぼしと申しますか、何とかしてよくなれば下げてやりたいという気持も浮かんで来るのであります。併しもう一つの税金の上げかたがあります。これは知らず知らずのうちに上つて来るところの税金があります。所得税が今日、こんなに多くなつたということは議会も大蔵省も意識的に上げたのではないのであります。従つてべらぼうに上つたといつても意識的に上げたのではないのでありまして、これを下げようとする強い意欲が起つて参りません。これは大蔵省はあるかも知れませんが、議会のかたがたは私はそういう気持がないように思います。そうして僅か税金を下げるというと如何にも減税をしてやつたという気持になります。現に終戰以来大蔵省がたびたび税の減免のあれを出しました。終戰以来増税案というものは所得税では出ておりません。毎たび毎たび税金は下つておる。そうして大蔵省はこれに対して説明する場合に、所得五万円の者は今はこうだけれども、今度はこうなつたのだ、今まではこうなんだけれども、今度は二割下つた、今度も同じような説明をされておる。常に減税であります、戰争以来減税々々であつて一回も増税はしておりません、といつて知らないうちに五倍、十倍の税金になつておる。これは皆さん御承知の通りインフレーシヨンのためであります。このインフレーシヨンというものは支那や何かではすぐ頭にピンと参ります。というのは何百年来そういうインフレーシヨンに免疫にされておりますからすぐわかります。貨幣価値の変動というものはすぐ頭にピンと来る。幸いなるかな日本では曾つてそういう経験がなく、初めて戰後にこのインフレーシヨンというものは起つたのであります。従つてよく考えればわかる。大蔵省の人も代議士のかたもよく胸に手を当てて考えられますと、この貨幣価値の変動ということがよくおわかりになるはずでありますが、併しながらなかなか本当に心からわかつていない。かだらついこういう過ちを犯すようになるのであります。これは同じ税法でありましてもものによつてはこの税がそのインフレーシヨンによつて増税にならないのであります。例えば法人税でありますとか、その他いろいろの税におきまして比例税率でなつておるもの、これは例えば所得の三〇%ということになつておりまするというと、そうすると、それは所得がインフレーシヨンになつて名目の所得が十倍になり、二十倍になり、五十倍になり、百倍になりましても、税金というものは上つて参りません。税金が上りますその代りに所得も同じような比例で以て上るのでありますからして、そういう税法の下にあるものは少しも増税になりません。これは併し所得税のようにいわゆる累進税率によつて課税されておるもの、これは何万円以上は幾ら、それを越すと五倍、十倍、二十倍とずつと上つ参りまするからして、以前五十割で適用されておつたところの税金が二百分の一になつ所得階級はそのまま適用されることになります。そうして国民はちつともその増税という法律が出たことも知らない。又大蔵省もそういう法案を作らない。議会もちつとも増税をしていない。それがいつの間にか知らないうちに五倍、十倍の税金になつて、まけたまけたと言いながら、いつの間にか十倍の税金を大蔵省や議会はとつておるのであります。併し私はこういうべらぼうな税金はないのだ、所得税というと元来戰前は大体金持階級——と申すと語弊がありますが、中流以上のものがこれは占めておつたものなのであります。それが今日においてはいわゆる大衆課税と称して本当に給仕の末まで税金がかかつて来る。こんな所得税世界に例がないのであります。これを戰前に返すことはむずかしいけれどももつと合理的なものにしなければならないのであります。  一つの話がありますが、私が田舎で役人をしておつた時に成る税務署がありまして、約百人の税務署員がおりました。それは戰前でありますが所得税がかかつておる者が何人おつたかと申しますと一人であります、税務署長一人でありまして、これは学校を出ました学士でありまして、三十前の人でありますから扶養家族というものがない、従つてこの人だけに税金がかかつておる、ほかの九十九人というものは所得税がかからんのであります。それが今日はどうでありますか。恐らく役人というものは百人のものが百人とも全部かかつておる。どうかするというと給仕にかからないかも知れないが、或いはかかつておるかも知れない。結局税務署は自分の能力以上の負担をかけることになりまして脱税が横行するし、いい加減な税金の取り方をしておる。皆さんが隣近所を御覧になりましても、まともに税金をきちんきちんと払つておるのは役人くらいなものでありましよう。というと甚だ語弊がありますが、我々の銀行もそうでありますが、(笑声)大体そういうところだけでありまして、一般の商業者とか、その他の者は本当にいい加減の税金であります。じやこれを税務署員はしつかりやつたらいいじやないかと申しましても、今の税務署員の能率を以てしますると、これは到底できないのであります。税務署員の責任ではなくして、さつき申しました通りそういう惡税法を作りましたところのこの議会であると私は思つております。議会議員諸公はその点をよくお考え願いたい、と申しますというと、じやお前、今日のようなせち辛い世の中にあつて税金をまけてやるばかりであつては、じやどうして帳面の辻褄を合わせるのか、まけてやれと言うことは勇ましいけれども、そう言うことは誰でもできる、じや一つお前具体案を示せということになると思いますが、なかなかそうなりますと私も一応おじぎしなければならないのでありますが、併しこれに対していろいろな私は行き方があると思います。第一に何といつてもこの歳出を減らすことであります。これは又歳出を減らす権限はこの議会にあるのでありまするからして、議会のほうが思い切つてその経費を節約する、戰争が敗けたから税金は高くてもいいのじやないか、そういうことを言いながら、併し歳出面においては戰争に敗けたから殖えるのが当り前だという甚だ矛盾極まる考えでありますが、そういう考えを以ちまして、年々歳出は増加しております。去年ドツジさんに会つてやかましく言われましてから、やつと下り始めたのでありますが、この点は私は思い切つて削減する必要があると思います。では具体的にどのようなことがあるか、これは一々私はここで資料を持つておりませんから申しませんが、併し非常にここで又残念なことでありますが、歳出を減らすということは言葉としては易いのでありますが、議会政治の本質といたしましてなかなかむずかしいことであります。田舎に対するおみやげ案ということをよく惡口を言われますが、歳出を殖やすというと顏が広くなり、歳出を減らすというと顏が惡くなる、これはひとり日本の議会の欠点ばかりでなく、議会政治そのものがそうであります。イギリス等のようなああいう模範的議会におきましても、その議会のことを書いておる人たちは、議会というところは歳出を減らすことができない、歳出を減らす能力はないのだということを言つております。イギリスでさえ然りでありますからして、この難きを日本の議会に望むことは甚だむずかしいことであると思いますけれども、併し今日、さつき申しましたように戰前ならとにかく、戰争中の税金の五倍、六倍に当るところの税金を今取るという手は絶対にない。そういうことを考えて、本当に思い切つてこの歳出を減らしてもらいたい。それに対しまして、私は昨年これは衆議院一つの提案として申しましたが、積極的にこれを減らすということはなかなかむずかしいかも知れませんが、消極的に殖やさないということをしてもらいたい、と申しますることは、今後みんなの国民所得というものは相当増加して参ります。殊に昨年の朝鮮事変以来法人所得と、個人所得がどんどん増加する勢いにあります一この増加する分だけを所得税の減免に充ててもらいたい、そうして大体戰前と比べて適当なところに来るまではこの政策を続けてやつてもらいたいということを一つ私は提案いたします。これは国民の声としてそういう強い声が上らんことを私は期するのでありますが、議会でもそれくらいの覚悟でやつて頂きたいと思うのであります。それからあのときも申したのでありますが、あのとき議員から、ではお前そう言うなら具体的にどの経費が多過ぎるか言え、ということを言われましたが、これはたくさんあるのでありまするが、一つの例を挙げて言つて見よう、例えば港湾修築というものがある、それは港湾も荒れたものがあるだろうが、併しながら日本の船はどうなつておるか、戰争前にあれだけの六百万トンの軍艦を持つていた、四百万トンの商船を持つていた、併し今日はどうだ、軍艦というものは一隻もないではないか、而も又商船というものも僅かに五十万トン、六十万トンしかない、今度造船しても百万トンを幾らも超えない、それだけの船が入れる港がないのか、或いは不便かも知れませんが、幾ら爆撃を受けて惡くなつたからといつても、それだけの港がないとは言わさんぞ、じやそれを更に修築し拡張するということは、結局或る港が自分の港をよくしてその繁栄を図る、併し船は造つたが船を入れる所がない、結局よその田に入る水を自分の田に引張つて来て、自分はいいかも知れませんが、相手は困る、国民として、国家としてこういうことはやつていけないのだ、これはこの頃非常にやかましい問題になつておりまするところの何といいますか、公共事業費、国土が荒れているからどうする、こうする、成るほど荒れております。併しそれを今やるがいいか、或いは税金をまけてもらうがいいか、これは国民自身がやはり判断し、又議会も同時に判断すべきものであります。どつちもやりたいのは山々でありまするが、戰前に対して四倍、五倍の所得税を払つてもなおここに橋を架けてもらいたい、木を植えてもらいたいならそれもいいでしよう。併しそれは暫らく待つてもらいたい、先ず税金を下げてもらいたいということを申します。  それからもう一つ、同じ税金の中であつてもまだ取つていいところの税金がある。所得税はまけなければならんが、ほかの税金すべてをまけてくれとは言わない。もつと取つていいところの税金があります。よく例えに言われますが、同じ重い荷物を馬に付けるにしても、ちやんとした鞍の上に荷物を置けば、そうするとその馬は大した苦痛を感じないで進んで行ける。併しこれを尻尾にぶら下げたり、頭に載つけたりしたら、その半分の荷物でも馬は苦しくて堪らない、これは税金が重くてもこれを適当に各税金が比例のとれるようにやるということであります。ということはやはり、ではこれをどういうふうにやつた方がいいか、権衡のとれたところの税であるかということ、これも抽象的にはなかなかむずかしい、ことでありまするが、これも一つ比較といたしまして、戦争前の状況はまあ一応そのときは、さつき申しました通り税金なんというものはそう苦にしないで行けた時代でありまするからして、その時代のプロポーシヨンで行つたらいいのではないか。そういたしますると、例えば法人税と所得税の問題、個人と法人との間の税金がどうなつているかということを一応考えてみると、これは戦前におきましては、所得税個人の税金と法人の税金とはこれは大体同じであります。或る年は個人の税金が殖える、成る年は法人の税が殖えることもありまするが、大体二、二億のところであつてそう違いません。違つても一割か二割の違いに過ぎません。これはあとで数字を御覧になるとわかります。これが戦争になりますというと、殊に所得税法二つに分れまして、法人に対しては法人税がかかる、個人に対しては分類所得税と総合所得税がかかる。そして分類所得税というものが相当下の階級までかかるようになりましたために、そのプロポーシヨンは或る程度壊れまして、所得税の方が殖えて参りました。戰後はどうでありますか。これは戦後一、二年の間はこれは止むを得ない状態であります。ということは法人というものが殆んど全部損欠をいたしております。従いまして法人税が安いということはこれは止むを得ないことであります。併しながら最近はどうでありますか。最近は一般の国民は、個人は一部を除きましてやはり食うや食わず、というと語弊がありまするが、非常に苦しい生活をしております。先ほど井藤先生のお話にもありましたように、いわゆるエンゲル係数は食物のこと……これは議員諸公にお話しているのぢやありません。皆さん、お向うの方に申しますが、エンゲル係数、即ち国民所得のうちでどれだけを食物に使うかというと、その係数が六十前後、今日は恐らく私は五十くらいになつていると思います。戦前は四十くらいのものでありました。だから四十くらいになりますともう日本としては一人前でありまするが、今日は五十切れるくらいです。四十七、八のところのように記憶しておりまするが、そういう状態になつて参りました。それでも私はまだ戰前と比べてみると国民生活というものは非常に苦しいものであります。法人はどうでありますか。法人も戦後は非常にやかましかつたが、今日におきましては全部の法人がそうではありません。中には資本金が二十年、三十年で、二倍、三倍というのを半期に儲ける会社もあるのであります。これは勿論例にはなりません。併し大多数の法人が戦後のあの惨憺たる状況を脱却いたしまして、殆んど戦前の状況に近付いております。昨日の新聞でありましたか、建設大臣がどこかで演説をしておりまして、日本の工業生産力は殆んど戦前のところに回復した。戦前の幾らか減に回復して来ているのだ、そうしてその生産力の大きさたるや、世界で四番目であるけれども、三番目であるイギリスと余り違わないという大見得を切つておりますが、それだけ法人というものはよくなつている。その法人に対する税金が今どうなつておりますか。これは法人に対する観念が、先ほどの井藤先生の言われました通り、ドイツ法の考え方からイギリス法の考え方に変つて参りまして、法人というものは特別のものではない。これは特別に租税負担する能力のないものだという考え方、これは今日の日本の考え方からするというと、むしろおかしいのでありまするが、そういう考え方をシヤウプ勧告によつて強制されまして、それを鵜呑みにしておる関係もあるのでありまするが、それが僅かに百分の三十五であります。戦前、戦争中におきましてはこれは法人税は五十、六十、もつと大きな税であります。殊に利得税というものがかかりますというと、例えば五割、六割、資本金に対して五割以上というものに対しましては八割、九割の税金をとられている。平均いたしますと六〇%以上の税金を法人が負担しております。個人の税金はそれだけ多くなつた、何倍かになつておるのに対しまして法人の税は半分になつておる。これは今日の状態におきましては私は間違いである。これは戦後においては仕方がない。併し今日におきましては私は法人税をもつと増徴すべきものである。更に強く申しますならば、このシヤウプ勧告によりまして強制されましたところの法人に対する観念を曾つて日本的の観念に帰さなければならん、そういうときが来ておると私は考えます。戦後に当りまして法人に対して非常に重い税金がかかつた、これは税の建前がインフレーシヨンによつて壊れたからであります。と申しますのは、所得はこのインフレーシヨンによつたところの貨幣価値の低いところの金によつて算定された。然るにこの資本というものは過去の高い昔の金によつて算定されておる、その矛盾が一つあります。従いましてその結果といたしまして償却というものが十分できなかつた。従つて当時の、即ち昨年までの法人の所得というものは、本当の法人の所得ではありません。これは当然そのうちに相当償却費として減らさなければならんものがある。併し今日におきましてはその資産の再評価というものができましたし、そのために法人というものは十分の償却はできることになつております。これはいろいろ法人に対して誤解がありまして、十分の再評価ができなかつたために、すつかりその企業の必要とするところの償却を全部やつているかどうかは疑問がありますが、併しやり得ることになつており。殊に今度再々評価といたしまして新らしく評価をやり直すことになりますというと、大体そういう方面からの間違いはなくなります。従つて法人の得ておるところの所得というものは、これは純然たる所得というものに相成るわけであります。これに対しまして戰前は超過所得というものがありまして、資本金に対して所得が大きいというと高い税金がかかつた。そこまで強いてやる必要はありませんが、少くとも比例税といたしましては百分の三十五はこの際考えるべきものである。これによつて法人と個人との権衡を直して行く、そうして法人に対して重荷しただけは個人の税金をまけてやる、即ち大きく言えばさつき申しました通り、先ず歳出を減らすことである。少くとも歳出を増加しないことである。そうして自然、増収を全部この所得税の減免に充てることが一番大事なことであると思いますが、それが金ができない、議会でその能力がないといたしますならば、せめてこの法人と個人との間の権衡を直したらどうだろうか。百分の三十五を百分の四十五に引上げましても、今日の法人の所得状態から考えるというと、私は大したことではないと考えます。これだけのものを個人の減免に充てますならば、相当の減免ができるのであります。先ほども井藤先生のお話がありましたこの基礎控除というもの、これが今度三万円になるのでありますが、これは戦前におきましては月に五十円であります。従つて年に六百円であります。これを百倍するというと六万円であります。二百倍と仮定すると十二万円であります。それが基礎控除であつたのであります。それが今日では三万円に上げて如何にも上げたような顏をしておるのでありますが、甚だおかしな話であります。これをせめて五、六万円に上げてもらいたい、倍以上に上げてもらいたい、そういう方向に今申しました歳入の余剰というものを先ず持つてつてもらいたい。又扶養控除、これも今度一万五千円に上げて如何にも上げたようなことを言つているのでありますが、これを戰前の金に比べますと幾らになりますか、戰前は大体二百円であります。これを百倍としても二万円であります。若し貨幣価値が二百倍になつておるというと四万円であります。過去においては二万円、四万円引かれておつたのが今日やつと一万五千円が引かれておる状態であります。そうして子供を育てるその苦労、経済的な負担というものは戰争前と今日とどちらが大きいかということは、子供を持つておる者ははつきりわかるのであります。そうして如何にもその税金をまけたような顔をしている。その考え方は私は遺憾だと思う。そういう点から申しまして、今申しましたように当分の間はこの所得税の減免をもつと思い切つてやる。そうして今私の言つたような方法によつてその財源を見出だしてもらいたい。今度の議会には間に合わんかも知れませんが、大蔵省が若しその気になりませんならば、議員提出とかという方法もあるそうでありますからして、そういうことで以て本当に今の苛斂誅求に泣いているところの国民の代表であるならば、それくらいのことはしてもらつて私はいいと思う。これだけであります。
  13. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) どうも御苦労さんでした。
  14. 松永義雄

    ○松永義雄君 山田さんは曾つて大蔵省にいらつしつて、その間の事情をよく御承知だろうと存じます。只今我々の意のあるところを忌憚なく述べられて、非常に感謝いたしております。御承知の通り分類所得税がたしか戰争中にできたのでありますが、……
  15. 山田義見

    公述人(山田義見君) 戦争前ですが。
  16. 松永義雄

    ○松永義雄君 事変中ですね。
  17. 山田義見

    公述人(山田義見君) 事変中ですね。戰争の始まらない前です。
  18. 松永義雄

    ○松永義雄君 太平洋戦争でなく事変中に……、それで法人と個人所得のお話がありましたけれども、これから基礎控除なんかも引上げるという話ですが、もう少し進んで、早廻しになるかも知れませんけれども、根本的な税制改革を行なつて、昔のような状態に戻して、事変前に戻してやり、所得税なんというものをやめるような傾向に持つてつたらいいのじやないか。
  19. 山田義見

    公述人(山田義見君) 分類所得税じやありません。
  20. 松永義雄

    ○松永義雄君 勤労所得税とか何か、ああいつたものをやめるような形に持つてつたらいいのじやないかと思うのですが、どうですか。
  21. 山田義見

    公述人(山田義見君) これにつきましては、私は以前の分類所得税前ですね、いわゆる法人に対しても個人に対しても所得税法を一本でやつてつた当時は、最低が一千二百円であつた個人所得の税は一千二百円であります。そうして一千二百円を超える金額は僅か百分の二であります。まるで嘘みたいな税金であります。これがあとになりまして一千二百円から一千円に下げました。このときに非常に問題があつたのでありますが、と申しますのは、最低一千二百円を千円に下げる。今のこれは基礎控除に当るものでありますが、これは百倍にするというと十万円、二百倍にすると二十万円、二十四万円というものを最低二十万円に下げる。甚だおかしい気がするのでありますが、それがなかなか踏切りが付かなかつたのであります。と申しますのは、一千二百円を千円に下げますというと、税金でもつて一割足らずの税金しか殖えないのであります。然るに所得納税者というものがどれだけ殖えるかというと、殆ど倍近くになるのであります。そうするというと、フルに働いている税務署というものが逆立ちをしても追つつかない、結局脱税ということになつて、果してそれだけの税金が殖えるかどうか、いわゆる高額所得者の税金を十分取れるかどうかということで、この千円に下げることもなかなか踏切りが付かなかつたのでありますが、結局事変が始つてからそういうことになりました。そういうまるで夢の世界のような、極楽のような世の中がそう遠くない十年ばかり前にあつたのであります。これは余談でありますが、それで今日の税法でありまするが、先ほど井藤先生の話にもシヤウプ税制に対する一つの懐疑というものを持たれたのでありますが、私もこのシヤウプ税制というものに対しましては、大体において反対であります。これは昨年シヤウプ税制が発表されたときに、一般でああいい税制ができた、日本大蔵省なり税をやつている者は何をしているのだ、アメリカさんが来るというと、一二カ月の間にこんな立派な税制ができたと言つていたが、それに対して何を言つてやがるという気がしたのでありますが、今日におきましては、ますますこのシヤウプ税制というものに非常に間違いがあると思います。現に税制というものは国民の経済生活の根幹に襴れるものであります。経済生活それから消費生活、我々の生活、生きて行く上においてその根幹に翻れるところの大きな影響を持つているものであります。これを全然知らない人が、アメリカの社会しか知らないところの人が来まして、一カ月か二カ月グルグル日本を廻つて見て、そうして理想的な税法を作るということは、これは神樣でなければできないことであります。そういう神樣でない人がいい加減、いい加減と言うと甚だ誤弊がありますが、一二カ月間勉強して作つた税法が日本国民生活にマツチするということは、これ又到底考えられないことであります。それで私といたしましては、今占領中で、こういつたら以前には引張られたのであります。なかなか困難でありましようが、少くとも日本が自主権を回復いたしましたならば、このシヤウプ税制によるところのこの税制というものは根本的に変えなければならんと私は考えます。国税においてもそうであります。いわんや地方税におきまして、これは地方税の問題ではありませんが、固定資産税でありまするとか、或いは今度何といいますか、附加価値税といいますか、殊に附加価値税というものは言語道断の問題であります。これは私昨年の参議院の公聽会におきまして、この不可なるゆえんを十分御説明したつもりでありますが、これは固定資産税について申しました。こういう税金は変えなければならん。その私の言うたことを御採用願つたためかとも、私少しうぬぼれるのでありますが、この附加価値税は一年延期になつた。今度又出るそうでありますが、もう占領終了もすでに目前に控えておるときに、こういう税法を施行することは、もうやるべきものではないと思います。大体附加価値税などというものは世界の国においてやつた所はないのであります。これはアメリカのシヤウプ氏が頭の中で考えて、そうしてやつたらいいだろうというのでこれを日本に試験的にやつてみておるわけです。これはさつき申しましたように、国民生活の根本に触れるようなこの税制を試験的にやつてもらつたら甚だ迷惑である。試験ではないと言われるかも知れませんが、私はまだどこの国もやつたことのない、曾つてつたことのないような税制を半年や一年の研究で以てやるなどということは極めて私は乱暴であると思う。殊に私昨年やかましく言いましたのは、この税制をやつてみてどれだけの税金がかかるか、今の収益税と比べてどれだけの増減があるか、そかいう調査も何もない。今はそういうことをなさらんかも知れませんが、以前税制の整理をやりますときに、税法を作つてみると、そうするというと具体的に個人や法人に当りまして、この税法でやるとどれだけの税金になるか、全般的な問題ではありません。全般的な問題は今でもありまするが、個人個人に当りましてそれを適当にピツクアツプしまして、実際に税金を弾き出してみる、そうすると今までの税金とどれだけの違いがあるか、どれだけ殖えるか、殖えていいのかどうか、そうしてこういうふうに業態別にやつてみまして、この業態はこれだけ殖えるこの業態はこれだけ減る、これが果していいのかどうかということをすつかりやつてみまして、そうしてどういうときはどういう業態、どういう人々に対しましては大体どれだけの税金の負担の違いが出て来るかということをはつきりした上で、自信を持つて議会に出したわけであります。そうして議会の賛否を得たのであります。然るに今度の附加価値税につきましては、そういうことは全然やつてございません。どうなるかも無我夢中でありまして、そういう税法を作つただけであります。私はよく言うのでありますが、税法というものは紙に書いたものが税法ではないのであります。税法というものが紙に書いたものであるならば、僕にやらせれば一日で以てその理想的な税法を作つて見せる。併し税法というものは紙に書いたものが税法ではないんだ、では何が税法だ、これは現に行われておるところのものが税法だ、そうして紙に書いたものと行われておるところの税法とは違うんだ。これは戦争前においても違いますが、今日においてはまるで違います。と申しますのは一つの例を申しましても、例えば所得何十万に対しましては幾らという税法になつておりまするが、その所得が果して捕捉されておりますかどうか、これは所得が半分しか捕捉されていないとすれば、税率は百分の二十、三十を適用いたしましても税金は半分しか入つて来ない。税法には所得に対してこれだけときまつておりまするが、実際にはその半分か三分の一しか取れていないということがあるし、又或るものは余計取れたということもある。そうしてどれが税法かというと、紙に書いたものが税法でなく、現に取られておるものが税法だ。紙に出されたものが税金ではなくして皆さんが現に納めておるものが税金である。そういうものであつて、税法の施行ということは非常にむずかしいのであります。我々税務官僚の理想としましては、この紙に書いた税法と現に行われておるところの税法と、この差をできるだけ縮めること、これが税務行政の努力すべきところの目的であります。今日においてはそれがどの程度行われておるかどうかということは、もう皆さん身を以て体験しておられると思います。そういう意味からいたしまして、本当に生きたところの税法を作るということは非常にむずかしいのであります。それをシヤウプ博士のほうでは何カ月かで以てすらすらと紙に書いて、そうしておつぽり出したのであります。それを殆んど無批判で議会も政府も入れてやつたというところに根本的な誤りがあるのであります。私は早急にこれを変えるわけには行きませんが、もつとゆつくり考えまして、そうして本当に我々国民生活、我々の理想ではありません。我々の現在の日本の民情、そういうものに立派にマツチしたところの税法を作らなければならん。如何に理想的な税法でありましても、これが我々国民生活にマツチしなければ紙に書いた餅に過ぎない。現に日本所得税法というものは立派なものかも知れません。これを中国に持つてつてごらんなさい、この税法では行えない。いわんやこれをインドネシアやそこらへ持つてつたら行われるわけはありません。それと同じようにアメリカの税法が仮に理想的でありましても、それを日本に持つて来て適当ということはありません。こういう点からいたしまして私は、今までアメリカさんの言うことだと何でもいいことだと思つてつておるようですが、ほかのことは知りません。税だけは今度我々もつとよく考えて、そうして我々の国民生活、我々の感情にマツチしたところの税法に変えるということは、結局大体において戦前の税制に帰らざるを得ないと私はひそかに考えておりますが、併しながら戰前にもいろいろ間違つたこともありましようし、その後世の中というものも変りましたし、いわゆる民主主義というものによりまして、よほど皆の考え方も変つておりますからして、戰前のそのままではうまく行かんでありましようが、少くとも日本国民性というものは変らんものでありますから、そういうところから根本的に考え直さなければならない、そういうためには今日の話のほかでありますが、附加価値税というものは、もう固定資産税はやつてしまつたら仕方がないから、附加価値税はこれからやろうとする、それをもう一年乃至二年延ばしてゆつくり考えて、もつと調査をして、これがよければやつたらいい。併しアメリカから言われたからやるというのでなくして、よく考えて、そこで成るほどこれならいい税法だ、こういう税法ならばこれは世界の先達としてやつてもいいわけでありますが、いいかどうかわからんのをちよつとモルモツトに試験するような恰好でやられたのでは困るということを私は申上げたのであります。
  22. 野溝勝

    ○野溝勝君 私は山田君に希望を申上げておきたいと思います。質問よりは簡單に希望を申上げておきますが、非常に今日は私どもの思つているような、平生考えている御意見で意を強くいたしました。そこで山田君に一つ希望しておくのですが、私が地方財政の所管の大臣をやつているときに、今のような課税の構想から事業税中土地使用税というものを数十億計上したわけでありますが、そのときには私は今の観点から反対したときに、あなたが地方財政の顧問をやられて、そういうふうな私の積極的な味方になつてくれると思つておりましたところ、なかなかそうでなかつた。ところが今日は非常に御意見が飛躍したのでありますから、特にあなたは非常に地方財政のほうも顧問をやつておられ、殊に附加価値税の問題や、固定資産税の問題を出されたのでありますが、更にそういう考え方を今回の地方財政の顧問会議においても強調されんことを切に希望いたしまして、私のあれを終ります。
  23. 山田義見

    公述人(山田義見君) ちよつと御質問でありませんから答えませんけれども、何か豹変したように言われますけれども、これは昔からのあれであつて私の基本であるということは、私の長官でありました大矢主税局長よく御存じでありますが、あのときはどういうわけでありましたか、あのとき私が申しましたのは、地方というものが国の補助金といいますか、今は分担金となつておりますが、それによつてみな払うということになつておる、それじやいかん、地方は地方で自前でやれ、そういう例を立てました。そういうことに対しましては当然歳出の面においてもいろいろの国の負担が地の方負担になくてはならんということもあるだろう、併し少くとも自治体というならばこれは自前で、自分の税金でやるようにする、それを今日の税法は丁度、あのかたがお作りになつたかも知れませんが、例えば府県などというものは総収入の九割を国に依存しているところの財政であります。鳥取県でありますとか、ああいうところは九割何分まで国の負担金で賄つております。そういう自治体というものがありますし、自治というのはみずから納めてみずから立つというか、自分の金で賄うというのが自治である、そうであると私は考えております。そういう点から私はそう言つたのでありまして、そうするためにはこの自治制というものを根本的に変える、変えないならば、府県を廃止する、廃止しなければ自前でやれるような税制を作るか、そういうことをそのときに言つたのであります。
  24. 野溝勝

    ○野溝勝君 それはあのときに国家委任事務というものがあつたのです。国家委任事務としておいて、国がそれに対して地方の財政を援助しないということはこれは不合理です。そういう建前で、勿論自治体が財政の裏付がありさえすれば、これは自治制でありますから何も中央から援助を受ける必要はないと思う。そういう点からあの当時は国家委任事務というものは、まあ政府の財務の裏付を事務だけ責任を持たしてやらしておりましたから、そういう点であなたは考えておつたか知れんが、私はそういうふうに考えます。
  25. 油井賢太郎

    ○油井賢太郎君 大変結構なお話を承わつたのですが、三点についてお伺いをしたいのですが、第一はエンゲル係数の問題です。これは今の政府では、先般来予算の関係上等よりして、安本長官のお話によると、消費者のいわゆるC・P・Iの指数というものがいろいろ検討されたのであります。大体国民の食生活がやはり現在でも六〇%を占めている。そういう点で以てC・P・Iが余り上つてないのであります。こういう発表をつい近日やつている。あなたの御説によるというと、これは五〇%を切つているという、大変その間相違があるのでありますが、あなたの取られた資料というものが正しいとすれば今の政府の考えは根本的に間違つている。そこであなたの取られた資料を今日でなくてもよろしいですけれども、この委員会一つお出し願つて一つ参考資料にさして頂きたいということを希望しておきます。  その次にもう一つは、資産評価等によつて法人のいわゆる含み資産というものが表に出ましたけれども、やはり資本蓄積という意味からいうと現在の三五%当りが適当でないかということで、この国会特に大蔵委員会当りであの法人税も通つたのでありますが、あなたの御説によると、非常にアンバランスだというわけなんですが、この点の見解から見ますというと、資産評価の含み資産が資本に振り替えられたあとと前では大分違うのではないかと思います。この点は更にちよつと御意見を伺いたいのであります。  もう一つ第三点は、五百億の今度のインベントリー・フアイナンス、これを廃止すれば相当税の軽減を我々はできるのじやないかという私どもの党としての意見があるのですが、これに対して金融機関等にタツチされているあなたのお考えをお聞かせ願いたい。
  26. 山田義見

    公述人(山田義見君) エンゲル係数の問題、これは資料を出せと言われますとお見せしなければならんことになりますが、私の申しますのは二、三年前、我々のすべての食生活が非常に惡くて殆んど食うだけのことであくせくしておつた時分に六〇乃至六五%と言われておる。それが嘘であれば別であります。それを今日聞きますと、私一は当時六〇乃至六五%であつたのに今日もやはり六〇%を切つていないと考えるのは少し甘すぎる。少くとも五五一を切るくらいのところまで行つている。俺は全部殆んど食うものに使つておるといわれましようけれども、平均しますればそこまでは食生活というものは私は改憲されているのじやないか。即ち今日の五〇というお話は、六○乃至六五と言われました当時と比べまして、少くとも何割か程度は食生活に、我々が米や何かに払うところの金をそれだけ文化的なことをやるようになつているのだということを考えまして、それから趣旨は同じなんですが、そういう関係でよく本等につきましても、今日は五〇を切つているように見ましたよ。さあ証拠を示せと言われますと困りますが……。  次は法人でありまするが、この三五%は安いから上げろという、これは資本蓄積上必要じやないか、これはまあ資本蓄積という点を考えまするとその通りであると思う。結局は両方ともいいことはないのであります。資本蓄積を……国民が食うや食わずのものが今の五〇になるというような、言葉は強いのでございますけれども、今日のような戦前と比べて何倍というような所得税負担さして、なお資本蓄積という方向で行かなければならんものだろうかどうか、問題はそこであると思います。例えば今日或る業体としては何十パーセントの利益を上げている。そういうものは資本蓄積でどんどん事業を拡張する。それが果して国家のために考えまして、こうなることがいいかどうかということは、そういう事業は必らずしも今後の日本の国家として、今日以上に拡張しなければならん業態であるかどうかということを考えなければならん。日本銀行では今日の新聞で見ますと、そういう点を考えて資本の統制をやつたようなことを言つておりますが、併しそういうところには統制の手は及ばないのであります。それ自身資本蓄積で拡張するのは、必らずしも国家的に必要でないものであつても、その会社が民間の仕事でありますればどんどん資本蓄積をやり得る。併しそういうことが必要でありますかどうか、根本的に申しまして資本の蓄積というものは勿論大事であるが、非常に強制的な資本蓄積、そうでなくてもう少し国民生活に余裕を持たして、そうして資本蓄積をいたしましても、個人を通じての蓄積という面、併し法人で税金を取つて、そうして個人にまけてやつた場合において、それだけのものが資本蓄積に向うとは申しません。大部分というものは消費生活に向うでありましよう。併し要するに国民生活が豊かになることは、これは広い意味資本蓄積になるのですが、国家のためにはどちらがプラスであるかということは違つた観点から考えなければならんと思います。  もう一つさつき申したと思つたのですが、今御指摘の通り評価をいたしましても、これがまだ資本化されておらない面がありまして、この点も私申しました通り違うところがあります。昨年の第一回の再評価の場合におきましていろいろな観点からこれを十分やつておりません。ある事業家等にはこれを是非やらなければならん。これをやらなければあとでえらい目に会うぞと言いましたが、いろいろな観点からやつておりません。一般の人たちの心配というものは百分の大の税金が高い。今これを払うのは大変だという声であつたと思う。だから私は今度第二回の再再評価の場合におきましては、この百分の六というものをもつと下げてもらいたいと思います。これは井藤先生と全然反対するのでありますが、私は下げてもらわなければいかん。元来先ほど申しましたようにインフレ所得というものは本当の所得ではないのでありますから、資産評価によつて法人の資本というものは二億が四億、五億になると言つても、その五億のものが決して所得でも何でもないのでありますから、これに税金をかけるということは間違いであります。これをシヤウプ氏はその点認めておるのでありまして、ただシヤウプ氏がこれに対して百分の六を取らなければならんといつた理由は、いろいろな形において日本税制ではそういうインフレ利益に対して税金をかけておるのは、今の一つの権衡上かけておるのだということを申しておるのであります。併し権衡上と申しましても、私は少くとも六というのは高いと思うのであります。併し六のうち百分の三だけはすでに払つておりますからして、これを国に返せと申しましても大蔵省なかなか肯んじない。だから私は資産評価委員会でも申したのでありますが、取つたものは仕方がないから、百分の三で打切つたらどうか、今度同再評価の場合百分の大を百分の三にしたらどうか、そうしたら民間のものも思い切つて評価やる。そうすると百分の六を百分の三に下げても再評価の総額というものは大蔵省の心配するほど減らんだろうと思う。そうして再評価をみんなが安心してやるようになるだろうし、それで大蔵省も非常に助かるだろうと思う。そうしなければ会社というものはその百分の六のために再評価を十分にやらない。殊に収益状態の惡いものをやらない。そうするとよくなつたときに困る。そのときにえらい目に会う。今の税法で再評価ができんから、私は恐らく占領政策がなくなつたあとにおきましては、法人に対する税法というものは根本的に変ると思います。そうしてこれが所得というようなものができて来た場合においてはえらい目に遭う。又評価できなくて、償却をするというときに十分の償却ができないということは、結局資本の食い潰しになる。そういう点から言つてみんなが安心して再評価ができるように百分の六を百分の三にしてもらいたいということ。それからもう一つ、これはほかの意味で再評価を阻止する途がありますが、これは収益の少いものを再評をしますというと、十分の償却ができない、償却をすることになるというと配当ができない。配当ができなければ会社の経営に非常に困難をする。株価も下り増資もできないで囲る。そういうものに対しましては、これは償却というものを強制的にしないのだ、企業が償却し得るところの限度におい償却を認める、それもいい。そうして償却できないものはこれは償却不足として、今後利益の増加した場合にその繰越しを認めてやる。これは以前はやつてつたのでありますが、これは戦争の末期に至りましてそれをやらなくなつた。償却の未済の繰越しというものをやらなくなりました。これは私はそこまでやる必要はない。償却未済には今後利益のあつた場合に特に償却を認めてやる、そういう方向にやつたらどうか。それから又償却できないところはできないなりでいいぢやないか。これは電気事業なんかにおいて特に影響が大きい。電気をとことんまで償却いたしますというと、再評価をいたさなければ、これは電気事業の食い潰しになります。これをやるといたしますと、これを十分償却いたしますというと、今日の電気の料金が押えられておる関係上これを上げると申しますけれども、一遍に上りませんから、或る程度ずつと上げて行く。その期間だけはこれは償却する能力はありません。償却するということになると配当ができなくなる。そうしてこれは又公益事業委員会というものがありますから、配当未済のままで償却を十分にやらないで以て、利益として配当を許すということはしないと思います。そうすると電気の株というものは無配当になります。配当しようとするならば、再評価を減らさなければならない。このジレンマになる。私はとことんまで償却をしろ、そうして償却はその企業が適当な配当をなし得る範囲において償却を認めて、そうして償却ができなかつた面だけは、これはあとは赤字として残して行く。そうして利益ができたときに償却を認めて行く。そうしなかつたならば円満な解決はできないのではないかということを私大蔵省にやかましく言つておりますが、なかなか御理解頂けません。どうぞ議会の方でこの点を御推進願えれば結構だと思います。第三は……
  27. 油井賢太郎

    ○油井賢太郎君 インベントリー…。
  28. 山田義見

    公述人(山田義見君) 私はああいうものは国のあれでやる必要はないと思います。それだけのものを所得税でまけてもらつた方がいい。所得税をまけるためにはどんなことをしてでも財源を捻出してやつてもらいたい。それによつてマイナスになることは絶対にないと思います。
  29. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 大分時間が経ちましたから午前の公聴会はこれを以て休憩いたしたいとと思います。  午後は一時三十分から開会いたします。    午後零時三十三分休憩    —————・—————    午後一時四十五分開会
  30. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 午前に引続きまして、これより大蔵委員会公聽会を継続いたします。  関西経済連合会の常任理事の工藤友恵君に先ず公述をお願いいたします。
  31. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 資産評価に関しましては、従来私どもの関係しておりまする会におきましては、非常に最初から熱心に検討しておりまして、実を申上げまするというと、最初に、日本の敗戰後におきまして生産増強対策というものが叫ばれた当時、生産増強の一番の基底は何であるかということからいろいろ考えまして、企業の弱体化を防ぐということが一番根幹ではないかということからこの問題を取上げたのであります。その理由としましては、終戦後のインフレ高進により、固定資産の減価償却が企業の実質資本を維持するに足るだけ行い得なかつたことに起因するのであります。幸い私どもの要望が認められまして、資産評価法の制定を見、昨年実施されたのであります。併しその実施状況は極めて低調なものでございまして、この具体的な数字につきましては再評価の締切日である昨年十月末現在における国税庁の集計が本年一月公表されたので、すでに御承知のことと存じます、私どもにおきましては、資産評価の必要性を早くから提唱して、その結果に重大な関心を持つていた関係上、昨年十月私ども会員である会社に対しまして、再評価に関する実態調査を実施いたしました。その調査の内容は、再評価実施の有無、再評価を実施した目的、再評価を限度一ぱいまで実施しなかつた理由、或いは全然再評価をしなかつた理由及び再評価に関する今後の希望、こういうものを項目について調査したのであります。この調査は私どもの会員構成上、比較的大企業を対象といたしたものでありますが、十一月中旬までに得ました百六十社の回答を整理集計しましたところ、再評価実施状況の低調なのは次のような理由に基づくことがわかつたのであります。  将来の収益の見込より考えて、限度額まで再評価したのでは、その減価償却額を吸収し得ず、又はその程度の減価償却額を辛じて吸収するも、一定率の配当が困難となる、これが理由の一つ。  第二は、固定資産税との関係において、再評価額が固定資産税の課税標準の最低限度となり、或いは固定資産の時価、決定の基準となる危険性を伴うを以て不利なる結果を招くからだ、これが第二の理由であります。  第三には、再評価税が高率に過ぎ且つ納付期限が短期に過ぎるを以て、納税資金の調達が困難である。  以上のようなのが大体ございますが、その外には、今度の資産評価法の法文が甚だむずかしくて、且つ申告書提出期限までの時間的余裕が乏しかつたため、再評価を全く断念せざるを得なかつた事業も相当存在することを認めなければなりません。元来一度切りの約束で実施されました再評価は、前述のごとき諸原因により極めて不十分な結果しか得られなかつたのであります。再評価の必要が痛感された時期と、その実施の時期とが非常にずれており、再評価の実施された時期には経済界は異常な沈滯なる空気に見舞われておつたことが大きな原因だと存ずるのであります。従つてその後における諸情勢の変化、特に収益見込の好転によりまして、再度再評価実施を要望する声が起つて来たことは誠に当然だと思います。再び再評価を実施せしむべしとの要求は、資本の食い潰しを可及的に防止し、現在特に緊要な資本の蓄積を図るためにも当然なことであります。又一部の企業のみが再評価を利用して大多数のものが再評価法を実際に利用し得なかつた状態のままに放置するときは、税の負担の均衡上も公正を欠くものと考えます。再評価比較的高度に行なつたものにつきましても、その限度額は定率法を用いて計算されたものでございまして、業種によつてはこれを以て十分なりとは称しがたいものがあるのであります。再評価が法定の限度額より更に低い程度にとどまり、又は全く再評価を行わないときは一層資本の食い潰しの傾向は大きくなります。前回の再評価はその実績より見まして、全くの失敗であつたと言わなくてはならないと思うのであります。ここにかかる結果を補正する意味を以て第二次再評価が必要とせられるのであります。  こういう理由に基きまして昨年十二月、私どもは資産評価対策に関する意見を発表しまして、関係当局並びに本院の大蔵委員会の委員のお手許に差上げたのであります。その後本年一月税法改正に関する意見書におきましても、前回行われた資産評価の実績が至つて低調であつたことに鑑み、その後の経済情勢の変化も勘案して、資産評価の効果に十分均霑し得なかつた企業に対してもう一度再評価の機会を与えて欲しいということを強く要望しております。その後これらの要望に応えまして、大蔵省主税局より、税制改正及び資産評価に関する要綱が公表せられまして、再び資産の再評価を行い得る意向を示しましたことは、我々甚だ同感を禁じ得ないところであります。併しその條件が前回とほぼ同一の場合にはということになつておりますが、そういう場合には、その成果に関して大いなる疑いを抱かざるを得ないのであります。  これから主として一月末発表されました資産評価特別措置要領案を中心にして、私どもの意見を申上げたいと思います。  第二次再評価に対する根本態度そのものについて申上げますと、企業経理を合理化して、健全な資本蓄積を図るために第二次再評価を認めることは、私どもの主張し来たつたところでありまして、その実現を強く要望する。併しながら大蔵省原案のごとく、前回十分な再評価を行わなかつた企業についておおむね前回と同樣の方法により再び資産評価を行い得る措置を講ずるという、そういう程度では到底この目的を達成することはできないと考えます。なぜかと申しまするというと、最初に申上げました通り、前回の再評価が低調であつた原因は、実に方法條件等が惡かつたためであるから、この同じ方法條件でやらせるならば、幾度繰返し再評価の機会が与えられても、十分なる再評価は望み得べくもなく、従つて評価法の目的とするところの適正なる減価償却と譲渡所得に対する課税の合理化は不可能に終るであろうと考えるのであります。元来資産の再評価を我々が要望し、そうして当局がそれを認めました根本目的は、企業をして適正な減価償却を可能ならしめることであります。即ち我が国の企業は戦後のインフレーシヨンによつて貨幣価値が著しく下落したにもかかわらず、企業の資産の帳簿価額は、従来通り低いままで置かれていましたために、適正なる減価償却ができず、資本の食い潰しが行われていた状態でございました。そこでその古い、低い帳簿価格を貨幣価値低落に相応する価額につけ直すことによりまして、減価償却を適正ならしめ、以て企業経理の合理化及び企業の資本維持とを可能ならしめる基礎を確立すると共に、法人税の課税についても適正なる減価償却を行なつた後の実質所得を標準とするようにしようとするものであります。こういう目的を以て昨年再評価が実施されましたが、その條件が苛酷でありましたため、更に再評価申告が企業収益の見通し甚だしく惡化した時期において締切られたため、至つて低調になつたものと考えるのであります。  次に再評価の時期について申上げたいと思います。大蔵省原案によれば、法人については昭和二十六年一月(一月一日以後四月一日前に事業年度の終了する場合を除く)又は同年一月一日後同年九月三十日までに開始する事業年度の初日現在で再評価を行い得ることとなつております。即ち遅くとも本年九月三十日まで現在で第二次再評価を実施させようとする意向であるが、前回の再評価が不十分だつたのは、その時期が余りにも短期であつたため内外経済情勢の見通しが十分つかなかつたことがその一因となつていることを考慮せねばなりません。従つて原案のごとく短期間のうちに第二次再評価を行わしむべきではなく、日本経済の見通しがほぼ確定するまでの間に適宜に行わしむべきである。併しながらその期間も無制限では種々弊害が生ずるであろうから一応三年間に限定するのが適当であると思う。三年もすれば日本経済もほぼ安定し、内外経済情勢に即応した企業体制を確定することが可能であろうと思います。従つて第二次再評価に関しては、昭和二十六年一月一日を第二次再評価の基準日とし、その基準日たる本年一月一日現在か、又はそれ以降昭和二十八年十二月三十一日までに開始する事業年度初日現在のいずれか現在で再評価を行うものとすれば、各企業はその間において最も適当と考える時期を選んで第二次再評価を実施し得ることとなります。  個人の第二次再評価は、法人に準じて昭和二十八年までに企業の任意の時に再評価せしめるようにすべきであります。  その次に、再評価の基準及び資産の範囲について申上げます。再評価額を算定するための倍数は、大蔵省原案によれば、前回通りとなつておる。前回の再評価の際用いられた倍数は、昭和二十四年六月の日銀調べによる東京卸売物価指数によつているにもかかわらず、第二次再評価の場合にもこのまま使うつもりと思われる。併しながらその後卸売物価は漸騰の一途を辿つているから、それを考慮に入れて本年一月一日現在における物価指数に基く倍数によつて第二次再評価をなさしめる必要がある。これに伴い昨年再評価の際、限度まで再評価した企業といえども、その後本年一月の卸売物価指数の上昇分だけは更に再評価を行う余地を生ずるわけである。昭和二十三年一月を一〇〇とした日銀のこの指数は、昭和二十四年六月が二四六・一であつたが、昭和一十五年六月には二六九・二となり、更に二十五年末には三三〇・一となつている。昭和二十四年六月を一〇〇として換算すると二十六年十二月は一三四・一、即ち卸売物価は三割四分の騰貴を示しておる。かかる騰貴率は当然群評価倍数の作成に反映せしむべきであります。  次に、再評価のとき用いられる倍数表は、前述の日銀調べの物価倍数と未償却残存率とを掛け合せて作成されているのであるが、その末償却残存率は前回の再評価のときは、取得の時期からの経過年数に応じ、その耐用年数の資産について法人税法上定められた定率法の償却率によつて法定限度一ぱいまで減価償却を行なつた場合の未償却残存率を使用された。併しながら未償却残存率は定率法によるものは定額法によるものよりも常に低位にあるのは当然であるから、仮に限度額一ぱいまで再評価したとしても、実際の価額よりも低いということが言える。法人税法は、シヤウプ勧告に基き昨年の改正により、法人はそのいずれか自己の企業の実態に最も即応する方法を選択することができるものであると定めまして、定率法によるも定額法によるも、企業の自由なることを明らかにしております。然るに再評価に際し倍数表を作成する基礎として使用された未償却残存率を定率法を用いて計算されたもののみであるということは、減価償却の本来の性質から考えましても、不公平と言わなくてはならないと思います。従つて第二次再評価の際は、未償却残存率は定率法によるものと定額法によるものとの二樣のものを作成し、そのいずれを適用するかは企業の選択に任せるものとすべきだと考えるのであります。  なお前回の再評価の際は、陳腐化していたため再評価の限度額が低かつた資産につきましては、その後の経済情の変動によりまして稼働率、収益率等が向上したために陳腐化の程度が小さくなつたと考えられる資産がございますが、こういう資産につきましては、再評価の限度額を昨年よりも増額することを認めている大蔵省原案は、当然のこととして私どもの賛成するところであります。なお倍数の変更に伴い再評価資産の範囲も又変更を生ずべきこととなるのであります。  再評価資産の範囲は大蔵省原案によりますれば、昭和二十五年一月一日から再評価日まで引続いて所有する資産に限定されております。従つて二十五年中に取得した資産については、再評価を認めていないのであります。併しながら再評価本来の目的が、適正なる減価償却をなし、資本蓄積を促進さすためのものであるという趣旨からしますれば、二十五年度に購入した資産についても、その後の物価騰貴を考慮する限り当然その再評価を認めなければならない、こう考えるのであります。  次に再評価税について申上げたいと思います。大蔵省原案によりますれば、第二次再評価においても前回と同樣六%の税率により再評価税を課することとなつておりまするが、これについては愼重なる御考慮を煩わしたいと思うのであります。私どもにおきまして昨年十月再評価実施状況について実態調査を行なつた結果によりますれば、六%の再評価税が如何に再評価の実施を阻害したかを物語つておるのであります。即ち先ほど申上げましたように、調査対象会社、比較的大企業でございまするが、百六十社のうち、再評価税率が高過ぎるため納税資金の調灘が困難であると回答したるものは三十三社に及んでおります。再評価差額はインフレによる貨幣価値の変動に伴う單に名目的な帳簿上の利益に過ぎないのでございますから、これに対して課税すべきではなく、この点についてはシヤウプ勧告においても理論上認められいるのでございまするが、それにもかかわらず、前回の再評価に際し課税されたことが、再評価の実施を不満足に導いた原因の一つであるから、第二次再評価においては、再評価税を全廃することを我々は要望したいのであります。これは理論的に正しいと思いまするが、若し何らかの理由によりまして課税が必要だとするならば、現在の税率の二分の一たる三%以下の税率にとどめるべきであると思うのであります。このようにしますれば、初年度に納めました三%の税は返戻を要しないのでございまして、政策的に私は三%というところが適当かと考えるのであります。  再評価税が課せられる場合におきましても、その納付方法は、現行法は原則として当該企業の収益の多寡にかかわらず、三年間それぞれ二分の一、四分の一、四分の一ずつ分納することとなつております。この方法は企業の収益の多寡を考慮していないから、決算の結果赤字となつても、一定期限内に再評価税を支払わなくてはならないのであります。こういうことは再評価によつて減価償却額が増大してこそ再評価の利益が得られるのであるが、商業の業況が惡く減価償却が法定の限度までできない場合でも、再評価税だけは規定通り納めなくてはならないことになりまして、企業としては何ら得るところがない結果になるのであります。尤も納付方法に延納が認められておりますが、それも大蔵省案によりますると、法人については、昭和三十年十二月三十一日を含む事業年度終了後二月以内となつており、それ以後に亘る延納は認められておりません。かかる不合理をなくするために再評価税の納付方法としましては、現実に再評価により得られました効果、つまり再評価にはりまして殖えましたその一部を納税するという方法が妥当と考えるのであります。その方法としましては、実際増加償却額の一〇%以下の額を毎期分納せしむるという方法が最も合理的であります。そのようにして分納した額の合計が規程の税率によつて計算した再評価税額に達するまで納税を続けさせるのでありまして、従つて企業成績がよくて、常に法定範囲額まで減価償却する企業は、再評価による利益を多く受ける代りに、再評価税も早く納めなければならない結果となるのであります。  次に再評価積立金の資本組入れにつきまして申上げたいと思います。再評価積立金の資本組入れの時期は、現行法では、法人は昭和二十八年一月一日以後においては、同日における再評価積立額の四分の三の範囲内でこれを資本に組入れることができることになつております。ところが昨年下半期以来、一般的に企業の成績が良好となり、利益率が激増し、その結果配当率も著しく上昇して参りました。従つて外形的には異常に高率な配当が行われるようになつたのであります。これは総資本に対しては適正な配当率であつても、公称資本金に対しては過当なものと見えるのであります。従つて評価積立金を早期に資本に組入れ得るものとしまして、正しい資本額との関係においてものを考えるということにしなければならないと思います。それは経済正常化への途であります。再評価により固定資産の帳簿価額は成る程度修正されましたが、資本金額は再評価によつて何ら修正されておりません。そのことのためにしばしば誤解を生ずるのであります。経営者も正しい資本額を標準として利益を挙げることに努力しなければならないのに、小さい資本を標準にしてことをあげつらう傾向があります。修正されない古い資本金を目標としていたのでは、名目的利益率に目がくらみまして企業努力をおろそかにすることなしとも言えないのであります。又名目的に高率な配当率は如何にも株主が儲け過ぎているかのごとき誤解を世間に与えるのであります。再評価積立金を資本金に組入れることの可能な企業はどしどし早期組入れを実行し、企業経理の正常化を達成すべきものだと思うのであります。尤も再評価積立金の資本組入れは、その可能な企業のみが行うだけで、一般にこれを強制すべき筋合いのものでないということは当然です。この点につきましては各方面にいろいろの議論がありまして、私どもの周囲におきましても、再評価の組入れは従来通り三年間縛つて置くのがいいというような議論もございまするが、私個人の考えとしまして、そういうことは正当でないと考えるのであります。その代り何らかの方法でそういう企業が苦しまないような措置を講じ得れば結構だと思うのであります。  なお再評価積立金の資本組入れに関連しまして御考慮を願いたい点があるのであります。現行登録税法は、その第六條におきまして、株式会社資本増加の場合には増資払込金額の千分の七の登録税を賦課しております。従つて例えば再評価積立金から一億円を資本金に組入れた場合、若し登録税法がこのまま適用されるとすれば、本店において直ちに七十万円の登録税を払わなくちやならないことになります。これが十億の場合におきましては七百万円、小さい数字ではないのであります。併しながら再評価積立金の資本組入れによつて生ずる資本の増額は、普通の払込増資と異なりまして、無償交付のこともあれば、たとえ有償交付の場合でも、極めて低額で交付することは当然でございますから、資本増加の登記に関し登録税を課すべきではないと考えるのであります。若しも一般の払込増資と同樣に登録税を課せられるとすれば、円滑なる資本の組入れを阻害することとなり、折角認められた資本の早期組入れももはや無意義なものと化する危険なしと言えないのであります。  以上を以ちまして大蔵省原案、先ほど申しました資産評価特別措置要領に対する私の意見を述べたのでございますが、この原案に盛られていない問題で重要なものを、若干続けて私の考えを申上げたいと思うのであります。  第一は、固定資産税との関係でございます。前回の再評価が極めて低調に終つた理由の一つに、地方税たる固定資産税の課税標準を再評価関連せしめたことが挙げられているのであります。先ほど申上げました私どもの実態調査によれば、このことは明瞭に数字に現われているのであります。即ち再評価額は固定資産税の最低の課税標準となるから不利であるため、或いは固定資産税について再評価額が将来固定資産の時価決定の基準となる危険性があるということであります。逆に申しますれば、黙つていれば再評価しない。しなければあの高い固定資産税が低くて済むのではないかというようなことが懸念されるために、再評価を十分なし得なかつた企業は相当ございまして、私どもの調査対象の百六十社中六十社、即ち約三八という多きに達しております。再評価を十分行なつたならば、一回限りの再評価税はやむを得ないとしても、毎年の固定資産税まで多くとられるという虞れがあるならば、他の條件がよほどよくない限り再評価を躊躇するに至るであろうことは、これ又無理からぬことだと思うのであります。第二次再評価におきましては、この点を考慮いたしまして、再評価と何らの関係のない地方税たる固定資産税の課税標準に再評価が便乘されないような措置を講じて置くのが一般の安心を買うゆえんだと思うのであります。その一つ方法といたしまして、現行の資産評価法第四十五條に、法人の再評価申告方法が詳細にきめられておりまするが、その八項に、税務署長は、再評価申告の明細書又は書類(資産の所在する市町村ごとに別紙に記載した書類及びその写)の提出があつた場合においては、その写に誤まりがない旨を確認して、大蔵省令で定めるところにより、遅滯なく地方財政委員会又は当該資産の所在する市町村の長に送付しなければならない。と規定しているのは、これは明らかに固定資産税の課税の場合の参考資料に供する趣旨のものでございます。従つて評価と固定資産税との関連を断ち切るためには、この法文並びにこれに関連を持つすべての法令を廃止することが企業経営者をして安心して再評価を十分に行わせる一つ方法だと存ずるのであります。  第二に、再評価と統制価格との問題でございます。電鉄業、倉庫業等は、その料金又は価格が今なお統制されているため、再評価をしまして減価償却額を増加させても、その増加分を料金又は価格に算入して他に転稼することができないことになつております。これらの企業が前回十分再評価をなし得なかつた。例えば関西地方における電鉄会社は殆んどなさないし、なしたものも極めて低い程度でざいます。その理由はここに大きく存しているのであります。従つて第二次再評価におきましては、この点を考慮して、再評価による増加償却額を価格又は料金の算定上速かに原価に算入すべきことを認むべきであります。若しこれらの公益事業の増加償却額分全部を他に転嫁するため、料金を一時に値上げすることが一般産業に急激な影響を及ぼすから惡いというならば、料金引上げを認められる都度、それに応ずるだけ再評価を行い、再評価の限度額に達するまで小刻みに何回でも再評価ができるような特例をこれらの事業には特に容認すべきだと、これがもう一つの案ではないか、こう考えるのであります。以上大ざつぱな議論でありますが、これで私の意見開陳を終ります。
  32. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 御質問ありませんか。
  33. 森下政一

    ○森下政一君 工藤さんに伺いますが、資産評価ですね、その再評価益というものは單に名目的なものであつて、従つて評価益に課税をするということは、その税を納める方法がないということであると思うのですか、そこで払えない、払えないから再評価ということが実際問題として困難だというような企業もあつたというお話ですが、それで何ですか、御説によると、再評価益は先刻おつしやるように、單なる帳簿上の名目的な利益に過ぎないものだから、さようなものには課税すべきでないよう御主張でございますか。
  34. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) さようでございます。
  35. 森下政一

    ○森下政一君 何らかの理由によつて、若しこれに課税をしなければならんとすれば、という、何らかの理由というもので肯定されるものがあるのですか。
  36. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) その点につきましては、実はこれはシャウプ使節団一行の中にワーレンという教授が非常にこの方面を担当されたのであります。これが関西地方に参りまして、シヤウプさんが見えんために特にまあシヤウプさんから派遣されたのでありますが、この人といろいろ話しているうちに、私どもは、これに課税するという、当時は一割とか二割という乱暴な議論がございまして、これに対して不当である、何ら理由がないと言つたら、ワーレンさん自身も如何にも理論的には不当なんだ、併しこれをやつて置かんと、或る場合に企業が水増し的になる危険がある、だから少しはとろうじやないか、そこでこれは相当高くしようじやないかという考えがまだ幾らかあつたのです。それを抑えるのに、固定資産税との関係において抑えようとしたのが一つと、もう一つは、今のような町評価のほかに、何ですか、再評価審議会式のものに一つの権限を与えたらいいじやないか、必ずしもお話のようなものじやないということを申上げて、だんだんその点を了解されたのですが、六%というぐらいは、まあ政府も税も欲しかつたのでしようが、同時に水増しを防ぐために何らかの効果があるだろうということからしたので、ところが実際企業をやる人は、水増しということが限度までやれるならば、限度は低いのですが、決してそう水増しにならないのです。併しその当時は非常に日本の物価がもう一度下るのじやないかということを現にシヤウプさんも言われましたし、ワーレンさんも言われまして、そういうときには、非常に下つたときに議論する、いずれにしても少し抑えるようにしよう。抑える方法は何だというと、税がいいだろう、これは仮に六%という、一番大きなもので……。少くもワーレンさんの言動はそういうところであつたのです。私は肯定するのではなく、それは例えば冥加金のようなものでして、冥加金を納めるのにしても余りに多過ぎる、而もそれが再評価の実施の目的達成上非常な障害になる、そういうことがわかつた、これは全体に行くのが理論的でありますけれども、すでに初年度の税金もおとりになつていることですし、若しすれば三%ぐらいのところならば、今までの人はこれから払う、併しこれからも三%ぐらいならやれる、障害程度が小さかろうという意味でございます。
  37. 森下政一

    ○森下政一君 お説よくわかりましたが、ワーレンが三%程度なら、これは税金というより冥加金だ、将来そのくらいをとろうということになるのですが、そのときに前年度の再評価で六%を納めたその人たちに何か不満が起つてですね、払戻しというような問題は起つていないでしようか。
  38. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 実を申しますと、さつき申上げた通り六%と申すのは、初年度三%でして、それが次年度は一・五%、一・五%で、一度で六%納める必要はない。納めてもらう必要はないのです。三%なら今年でも処理がつくだろうと政治的考慮です。
  39. 森下政一

    ○森下政一君 そうですが、わかりました。
  40. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 再評価の問題ですがね、只今伺いますと、払えないから課すべきでない、仮装利益であるから課すべきでないという御意見ですが、一方において法人の超過所得税というものがなくなつたわけですね、ですからその意味で、超過所得税がなくなつた。一方では非常に軽減しているわけですよ。その点今のお話ですとプラスのほうばかり考えられておるが、他方で非常なマイナスになつて来たから、均衡上その程度で差支えないのじやないか。前は払えないといつても超過所得税で払つてつたんです。それがなくなるということと、再評価税を払うということとプラス、マイナスしてどつちが負担過重になるか、これは再評価の仕方にもよりましようが、その辺はどうなりましようか。
  41. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 今お尋ねの点に関して申上げますと、超過所得税の問題はこれは直接何ら関係はないと思うのでありますが、はつきり申しまするならば今の価格でできておる、昨月今日できた会社が、そのときにも若し昔の超過所得があればそれも同じようにかかるはずです。再評価というものはいわば非常に少いのですけれども、今の価格を持つて来るだけでありまして、何らその間に超過所得税とは関係のない問題だと思うのです。プラス、マイナスにならないのです。超過所得税が以前に利益があつてかかりたということは、資本の食い潰し作用が多くなつたということで、これが減つたということは何らその企業のプラスではないと考えるのであります。不当な税金がなくなつたということで、これはプラス、マイナスに何ら関係はないのであります。
  42. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 再評価は余り成績がよくなかつたというのでありますが、その一つの原因として、まあいろいろ原因は考えられましたが、この前の再評価の問題が起つたそもそもの原因ですね、これは超過所得観にあつたと思うのですがね、古い会社とそれから新らしくできた会社とを比較した場合、古い会社のほうは少し利益があれば直ぐ超過所得税がかかる。ところが新らしい会社のほうは直ぐに超過所得税はかからない、資本金が大きいから……。その権衡上、超過所得税ですね、権衡上まあ再訂価というものが起つて来て、古い資本金の会社が再評価できれば超過所得税のほうは少くなつて来るわけですね。これが最初の起つた根本の原因だと思うのです。ところが超過所得税がなくなつたですね、そうしますと或る意味では何といいますか、資産評価をやらなくてもいいというところが出て来ないですか。その超過所得の転嫁なんですが……。
  43. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 超過所得税の問題につきましては、それを超過所得がなくなつてもとにかく三五%は利益に対してかかるのであります。これは昔のような超過所得税があれば直ることでございますけれども、三五%程度に減つているとはいえ、やはり三五%事実利益はない。本当を申しますれば何ら儲かつておらんけれども、名目上儲かることになれば……、資産が非常に少い、昔の貨幣価値できめてあるものを、今日貨幣価値が低くなつて、はつきりいえば二百倍、三百倍にもなつているときにかけて行くから、如何にも利益があつたように見える。例えば百万円の資本に対しまして、資本が昔のものは百万円ですと、これをすれば一億なり二億になるのです。その二億のものに対して仮に百万円利益があつてもこれは問題にならないと思うのです。おわかりでしようか。つまり百万円に対してかかるから大して利益に見えない。百万円だけの利益にならんで、これが百万円利益が……、昔のものとしてはかかるということになる、百万円にそれが課税される場合に、実際利益にないものが、利益として出て来る結果になるのです。本当を言えば減価償却を正しくすれば、百万円というものは実は大きく言えば、一千万円減価償却をしなければならんとすれば、九百万円の赤字なんです。然るに再評価しないと、百万円と出た数字、即ちこれが減価償却をその中から一割とすれば、九十万円課税されるということになる。実際は赤字であつて課税される。そういう結果を防ぐためにやられたのであつて、それが三五%であろうと、或いは五五%であろうと程度の差であつて、不合理はないとこう思うのであります。
  44. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 それはお話はよくわかるのです。併しそれは均衡上の問題で、資本のほうは、再評価は、例えば労働賃金は再評価がないですからね。賃金は商品ですから、そういうものは再評価しないのですよ、お話はよくわかりましたけれどもね。その均衡の点で資本のみは一つも再評価されはしないというふうに、こういうようなふうに結果はだんだん参つていると思いますが、併しみんな犠牲になつている際に、資本のまがまるまるあらゆる点から減価償却においても、税においても何でもそういうことになるということについて、均衡上の問題として御質問したのですが、その限りにおいては仮装利益という点については、今の理論的には全くそうだと思いますが……。
  45. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 木村委員の最後の御発言と、大体趣旨が同じになるかと思うのでありますが、私はやはり再評価差益に対して、課税をするのは全般との均衡から起つて来るというのが、一番大きな問題で、水増しを防ぐためというのは、補助的作用に過ぎないと思つております。それは貨幣価値の変動の結果、條件が違つて来ておるにかかわらず、他の一般の所得はそれを無視して計算されて来ておるのであります。然るにこの固定資産だけにつきまして、この際それは理論的に正しくない、ただ見かけだけの利益でいわゆる仮装利益であるとして、全然無税にするというのは過去本数年間他の者がみんな負担して来ている、そのものとの間に著しく均衡を失するというのが、基本的の考え方と思うのでございまして、これがなければこの再評価差額に課税するということは全然起つて来ないと思うのでありますが、その点は如何でしようか。
  46. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 賃金を今木村先生もおつしやつたのですけれども、賃金との比較におきまして例えば賃金がこのくらい、物価がこうなつておるという現状につきましては、私ども実は多くの者が賃金労働者である場合に、常にこれでは暮しにくいということは事実だと思います。併しその問題と私は今資本蓄積をして、日本の経済というものを中心に安定しなければならんという線とは混同すべきではないと、私は考えるのであります。この問題は資本蓄積を、資本維持の問題をどうするかという問題でありまして、今の賃金その他の問題につきましては、賃金と、今のこれはむしろ資本の問題より賃金物価の問題でありますが、この方向をどうするかということは皆さん、政治家のかたが十分にやつて頂く事柄でございまして、再評価の問題に関しましては均衡観念から考えるのは当らないと考えます。
  47. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 それはひとり賃金との関係ばかりではありません。例えば公社債のようなものの利子に対しては常に課税されております。併しもと百円の公社債が今日払戻しを受ける場合同額の百円で受取つて利益がありましようか。その利子に対しての課税というものは誠に乱暴極まるものかも知れませんが、課税上ずつと今までそういうふうにやつて来ておるのであります。又銀行預金のごときも同樣であります。元本の価値ですが、これを今日評価すれば百分の一、二百分の一になつているにかかわらずその利子に対して年々課税されて来ておる。こういう場合においてひとり固定資産について仮装利益であるが故に、課税をしないということは全般との均衡を失すると思うのであります。私はあの百分の六を課税するということは資本蓄積のことを考えて余程酌量したものである。又納付についていろいろお話がありましたけれども、この再評価によつて減価償却の額が大きくなれば、それによつて負担軽減される、その軽減額の範囲で納め得るものは納め、納め得ないものに対しては相当延納の方法も講ぜられて、決して無理がかかつていないと思います。私はそれらを考えまして現在の百分の六の課税は決して妥当を欠くものではないと思います。又将来この資産の値下りがあつた場合に、あなたの意見を以てすれば、それは仮装損失だからして、税の計算上損失に見るべきではないというお話になるかも知れませが、これはやはり税務の通常の計算から言つて、値段が下つて安く売つた場合には、やはり損失に見るというのが、税務行政全般の考え方からいつてそうなつておりまして、結局再評価差益に対しては、普通ならば全額課税すべきものを、特殊の事情を考慮いたしまして思い切つて軽減しておるというのが、真相ではなかろうかと思いますが、如何でしよう。
  48. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 私は目的の方から申上げますというと、資本の蓄積とか資本の維持とかいう面のためにやつたことであつて、これを全部課税するという根拠が、公平観念と申しますとちよつとわからないのですが、預金利子その他について私どもも同樣にいろいろなことを心配しております。併し初めに、この問題を私どもが最初に持出しましたときには、大蔵省理財局方面におきましてもこの点は当時盛んに議論されました安定価値計算方法とも繋がつておりましたし、それは私どもその点いろいろあると思います。併し再建が……、例えば銀行預金なり何なりを全部やり直すということによつて、果して経済というものが何とかなつて行くかと申しますと、私はこの目茶苦茶になつ日本経済をどこから建直すかというと、資本の維持のために減価償却を十分にやらせるということが、一番いいことだから、このことをやつたのだと思います。その次に、もう一つ儲からないときでも減価償却で儲けるじやないかということは、ちよつとこれはおかしいのでありまして、実を申しますと、儲からないときには問題はないのであります。儲かつたときにだけ減価償却の功徳はあるのです。税法上、税の関係から申しますと儲からなければ減価償却ということは問題にならない。減価償却分だけを損失として経費も同樣に落されるから、初めて意味があるので、それまでは意味のないことでありまして、この点は私ちよつと納得しかねるのであります。
  49. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 私は儲からないときに減価償却云々ということは一切申し上げておりませんのですから、どうぞ誤解のないように願います。
  50. 木村禧八郎

    ○木村禧八郎君 只今工藤さんからお話がありましたが、資本蓄積の観点からあれしないというお話ですが、実は税制研究会という工藤さん、堀越さんがおやりになつておる……、そこでモス歳入課長がお見えになつて、経団連あたりで資本蓄積のためのいろいろな税制改正に対する要望をされているのですが、そのとき、新聞ですからどの税度まで本当かわかりませんが、モスさんが言つたからモスさんの権威にあれして言うわけではありませんが、こういうことを言つてるるのです。たとえ資本蓄積に多少役立とうとも租税の公平観念、公平の原則から言つて不適当なものはそれは拒否すべきである。そういうことを言つておるわけです。ですからやはり資本蓄積ということも重要ではあります、併しそれだから租税の公平観念ということ、これを無視していい、無視してでも何でも資本蓄積をやらなければならないということはならないと思う。ですからこういうほかにもたくさんあることですが、資本蓄積のための税制改革、これ以外にもたくさんあります。そういう点については、そういう点からもやはり考慮しなければならないので、先ほど税のほうの権威者である大矢さんからもお話がありましたが、やはり六%課税についてこれを全廃するということは、どうしても私たち釈然としないのですが、これは議論になりますから……。
  51. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) 今木村先生のおつしやつたことに対して私今思い出しました。モス課長の、日本税制研究協会の会合だつたと思いますが、私聞いておりました。それは例の、その問題に触れたのは、非常に英語のほうが明瞭だつたのですが、私よく覚えておりませんが、こういう問題なんです。要するに無記名定期預金、その問題をやれというときに、それは露骨過ぎる。つまりいわば露骨過ぎるあれで、税のトータリー・イベイジヨンを容認することはできないということで、均衡という問題が中心でなかつたようで、まあそんなことを言つておりましたが、英語のあれも……、その訳のほうも非常にいい訳でしたけれども、その辺がどうも実際のお話になつたときと、原稿と少し違うと思います。今の問題と少し違うと思いますのでどうぞ。
  52. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 シヤウプ勧告の第一次勧告において再評価差益に対する課税の基礎付けとして私が先ほど申上げましたことが、明瞭に書いておるはずでありますが、御承知でありますか。
  53. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) どういう点でございますか。
  54. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 従来いわゆるあなたがたのおつしやつておる仮装利益というようなものに対してもすべて課税されて来ておる、それの均衡もあるからして、どうしてもこれを非課税にするわけに行かないのだということをはつきり書いてございます。
  55. 工藤友惠

    公述人(工藤友惠君) その点に関しまして、実は私最初のほうを全部記憶いたしておりませんが、私はこれだけはつきり当時話して知つておるのです。理論的には課税すべきものぢやないということを、これだけ記憶しております。これは私がシヤウプさんにちよつとワーレンさんを通じて会つたので、そのことはよくわかる。併し水増しの点だけをワーレンさんが言つたことを申上げておるので、シヤウプ勧告書の先ほどの詳しいことは私記憶いたしませんが、非常にその点遺憾に存じます。
  56. 大矢半次郎

    ○大矢半次郎君 それは即ち理論的には今日のように貨幣価値の変動の多い場合には、いわゆる安定価値計算方法によつて計算するのが正しいのだということを前提にして、この前提の下に仮想利益に対して課税するのはよろしくないというわけです。然るに従来全体の税の行政を通じ一つもそういうことが行われてない際に、その理論をこの再評価の場合だけに適用するということは、全般に対して均衡を失するからして、どうしても成る程度の課税をしなければならないというのが根本の考え方だと私は考えております。   —————————————
  57. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 如何ですか、若し御質問がなければ次のかたにお願いいたします。有難うございました。毎日新聞社論説委員の岩井良太郎君にどうぞお願いいたします。
  58. 岩井良太郎

    公述人(岩井良太郎君) 手短かに二、三の要点を述べます。私の立場と言いますか、財政の專門家として細かい点を突つつき廻そうというわけではありません。又成る階級的の立場からの主張とか、団体的な立場からの主張を述べようというのでもないのです。幾分莫然としておりますが、いわば国民一般民衆が税制についてどんなふうに思つておるか、そういう立場から申上げます。今度の二十六年の税制改革に十ばかりの改正案が出ております。必ずしもその一つ一つに直接触れないのかも知れませんが、この税制改正全体に対して先ず第一の要点として減税の努力がまだ非常に足りない、このことを述べたいのであります。成るほど二十六年の税金、いわゆる税法上の改正でいろいろなものを合わせると七百億円ぐらい減税になつております。税法上の改正だからごまかしだという意味ではないのです。それだけ減税になつておるととは無論結構だと思います。併し国民の立場から見るというと、まだまだ税金が重過ぎる。具体的に一つの例を申上げます。例えばこの所得税改正が今度の改正の中では比較的大きな内容を成しております。このうちでも特に不満足を覚えるのは中産階級と言いますか、所得額から言えば十万円か二十万円前後のクラスでありますが、勿論減税にはなつておる。併し中産階級の保護という立場から言うと、まだまだこの階級に対してはできれば税金を減らしてもつと保護を加える必要があると思います。大体この中産階級がなくなつたときは、国は滅びるものです。古いローマ時代に中産階級がなくなつてローマ帝国が解体してしまつた。近代ではポーランドがやはり中産階級がなくなつて、その結果歴史上一番悲惨な亡国を味わつたわけです。こんなことを長談議しようとは思いません。いずれにせよ、日本も国を亡ぼす意思がなかつたならば、もつと單に中産階級ばかりではない、それ以下の階級も勿論です。できればもつと所得の多い階級のクラスまで減らすことも無論結構でありますが、特に中産階級の保護という観点に立つて、現在の所得税改正は非常に不満足だという点を強調したいと思うのです。要するに一般的に言つて、現在の税金はまだ非常に苛酷重税だと思います。簡單な一つ比較で申上げると、例えば昭和十一年の專売益金を含めた税金は百三十六億ほどになつております。それから二十六年度は約五千六百億円です。丁度四百倍になつておる。一方国民所得のほうを見ると、昭和十一年は百六十億円ほどになつておる。それから二十六年は相当甘い予想だと思うのですが、三兆八千億だと算盤を彈いている。二百四十倍です。この單純な国民所得の殖え方の比較から見ても税のほうは四百倍、片つぽうは二百四十倍、ここに実に大きな開きがあるわけです。而もこれには地方税改正の結果、地方税の比重が以前よりずつと重くなつておる、この点を考えれば現在の税金がどれくらい重いかということは一層はつきりしてくる。結局経済の自立に対して、税の上で現在最大の問題は財政の自立と仮に言いますか、或いは税の自立と言つてもよろしい、この均衡が、この釣合いがとれていない。そうふうふうに申上げてもいいと思うのでありますが、経済自立のほうは例えば昭和二十八年に戦前の生活水準の大体九〇%くらいまで引上げるのを目標としていると言います。一応それはそれでよろしいでしよう。併し国民生活中心にした経済自立が大体戰前に後帰する、そういう立場から見ると、税金のほうはまだまだとてもそういつた戰前状態になつておらんのであります。これも数字で申上げると、昭和十一年には税金は僅かに十三億円でした。国民所得比較すれば一割以下です。單純にこの数字を見ただけでも、今日の税制が戰前との比較の点から見るというと、まだまだ非常に隔たりがあるわけです。結局財政の自立と言つてもよいし、或いは又健全財政と漠然と言つてもよいわけです。これには収入と支出の均衡、これが勿論第一の條件でありましよう。併しこれだけでは、つまりいわゆる必要な條件が充たされただけです。赤字のない財政というのは、財政自立の第一の條件を充たしただけであります。もう一つの十分な條件がない。その十分な條件は、国の経済との釣合いをとるというその点であります。経済の自立のほうはあと二三年で何とかできるでありましよう。併し財政の現状から見るというと、国の経済と釣合いのとれた財政という意味では、まだまだとても経済の自立と平衡を保つような状態にはなりそうもない。つまりそれは根本原因は税金が重過ぎるからです。若し端的に言うならば、今年の税金は五千数百億円になつておる。これを国民所得の戰前の状態、一割を税金と仮にするならば、せいぜい税金として取つていいのは四千億円、必ずしもそれほど窮屈にこだわる必要はないかも知れません。だが要するにその立場から言えば、現在はまだ一千五百億円くらい税金を取り過ぎておる。こう言つてもよろしいでありましよう。結局今後の財政の個々別々の改正案は別問題として、そういう改正案を考える場合の基本的な原則として、少くともまだ一千億円くらいは税が重過ぎる、これくらいを減税しなければ駄目だ、こういう原則の下に一切の改正案を考えて頂きたいと思うのです。自由党では一千億円減税の看板をかけておりました。何のつもりか知らんが、これを下ろしてしまつた。一番いい看板を下ろして、いわばほかのどうでもよろしい看板だけを出しておる。戰前には税金の問題は、例えで大学を出て月給取りになる、十年か十五年くらいは国税としての所得税は全然納めなかつたものであります。別に脱税しているわけじやない、税のほうで取りに来なかつたのであります。併し今日ではエレベータ孃の月給袋まで税金が狙つておるというような状態なんで、如何に重税であるか、この一例を以てしてもよくわかると思います。結局国民としては、税を納める場合には税が重過ぎる現在では、税金の重いということが、国民のどこに行つても共通の題目になつておる。併し一方財政から支出を受けるという立場、例えば教育費にしろ、地方の公共事業費にしろ、何にしろ、そういう立場に立つときは、もつと政府は金を出せと誰でもいうわけであります。妙なもので一人二役と言いますか、二重人絡みたいになつておる。これを調節するのは、結局次のような原則に従つて調節してもらいたいと思うのです。国の経済が安定しておる時代には、大体において国家の支出を殖やすのも結構です。社会保障の費用にしろ、又化事業費にしろ、もつと出すという方針で税を考えてもよいと思います。だが、経済が疲弊し盡しておる現在のような時期においては、もう一つの原則の下に重点を置いてもらいたいのです。それはとにかく減税をする、国の支出を殖やしたいという面から言えば幾らでもあります。それは私もよくわかるのです。併し現在の状態においては、何はさておき言わば頬被りして、支出のほうは眼をつぶつて減税中心に税の問題を考える、こういう点から言うと、今出ておる改正法はまだかなりの不満足を覚えます。  それから第二の要点であります。これは一口に言うと惡税の整理に対して努力がなされておらん、こういう点を申上げたい。税の中に良税と惡税と区別するのは無理なことかも知れません。併し常識的に見てこれは止むを得ない税である、これはどうも質のよくない税金であるという種類はおのずからあると思います。抽象論でなしに、これも具体的な一例を挙げます。例えば退職金課税であります。これなんから実に非人情、不道徳といいますか、先ず惡税の代表物だといつて差支えない。実例として私の知人のことを一言申上げます。三十年間心身を消耗し盡して六十歳近くになつて退職したこの人が、約百十六万円の退職金をもらつたわけです。ところで源泉課税で三十八万円取りあえず取られる、それから普通の所得と合算した確定申告による課税が十三万円ほど取られております。それから地方税のほうがこの上にかかつて来ておる。要するに退職金百十六万円に対して一切の税金を加算すると実に五十九万円ほどになります。手取りは五十万円と少し、約六割が税金に取られてしまうわけです。一体こういうものはどう考えたらよろしいのでしよう。退職金に税を課するという一つの理由は、想像すれば次のようなことかも知れないと思います。五十万円、百万円という退職金をもらうのはまだそれは惠まれた立場にある、もつと不幸な人間が現在の日本にはたくさんいる、だから比較的に惠まれた者から、たとえ退職金でも税金をとつて一層不幸な者を救うほうに廻すべきだ、こういう議論もあるのかとも想像します。相当な理窟だと思う。併し別の点から考えれば、現在のような不幸な時代には、一人でも不幸から救える人間があるのならばそれを救うのがいいのではないかと思う。折角三十年間勤め上げて五十円か百万円の退職金をもらう、それで何とか老後の生活をやつて行こうという者に対して、そのうちの六割も税金を取つてしまう。改めて不幸な人間を一人製造するというのは、私はどうも賛成できかねると思うのであります。税法上から国民に一人の不幸な人間を特別に製造する必要はなかろうと、こういうふうに考えます。勿論退職金の課税が一切惡いというのじやない、天降りの官吏が三年か去年勤めてお手盛りの退職金を取る、これなんかには九五%の税金をかけて結構です。或いは最近の新聞で話題になつておるように、地方の議員がこれ又お手盛りの慰労金といいますか、一種の退職金を取つておるというのが問題になつておる。こんなものは一〇〇%の税金をかけたつて一向差支えないのであります。今私の申上げたのは單なる一例に過ぎませんが、要するにこんな工合で、今度の税制の改革にはこういう点は何にも取上げておらない、つまり取上げていないというところに重大な不満を感じます。若しも国会議員の協力によつてこういう惡税を改正することができたならば、これはもう人道の問題として、実に多くの人たちから感謝されるだろうと思います。まだ惡税の例はほかにも無数にあります。もう一つ二つのことをちよつと挙げて見ましよう。例えばオペラの税金です。これが例の、しばしば問題になつておると思いますが、依然として十割の税金がかかつておる。私の申すまでもなくオペラはどこの国でも国家の費用、政府の補助によつてつておる、営業としては成り立たんものであります。この十割の課税というのは地方税であります。地方税の芸者の花代の課税が十割になつておる。オペラを楽しむのと芸者……芸術家かも知れませんが、これを楽しむものと税法上では同じ娯楽観念で扱つておる。全然これはでたらめだと思います。それからしばしばこれも問題になつたのでありますが、例えば若い有望な音楽家がある。まだ興業として演奏会を開くほどの力がない、こういつた人たちの研究的な音楽会なんか、現在減税されてもなお四割の課税であります。こいつも大変たとえば品が惡くなりますが、同じ地方税の税率から見ると、待合やカフエの遊興税と同じ税率です。純音楽会の娯楽と、カフエ遊びの遊興税と同じという、少くとも税法上ではそういう立場をとつておる。こういう税を何にも改正しないという税関係の人たちの頭の中に、果して文化という観念が一かけらでもあるのかどうか、疑問に思うとさえ極言したくなるのであります。どうも私の言葉国会言葉としては少し品が惡かつたかも知れません。併しこれは私が惡いのじやなしに、税法が惡いのです。(笑声)それほど現在税法には惡税が多い。これは是非皆さんの、殊に大蔵委員の努力によつて何とかして頂きたいものです。まだ税制でははつきりきまつておりませんが、最近新聞に地方税の虎の巻というのが記事に出て、天下に衝動を与えました。結局農民が鶏三羽飼つておると、これが課税の標準になつておる。庭先に柿の木が四本あるとそれ以上は税金がかけられる。何のことはない、これは佐倉義民伝か、磔茂左衞門時代の税金です。如何に現在経済が疲弊して税が上がる必要があるとはいえ、乱暴な税金を取つてつて、それに対して何ら改正の手が下されぬ、今度の改正案にも全然それらはない、不満足に思う一つの点です。  それから最後に、もう一つの第三の要点を申上げます。それは言葉はちと妙かも知れまませんが、課税の融通性について改正をしなければいかんことであります。課税の融通性と言つて金持ちにごまかされて、その税を取らないようにするとか、何とか、そういう意味ではない。これも具体的な一例で申上げると、最近の文化功労者に対する年金がいい例だと思います。この文化功労者に対する年金に対して税金を取る、いや取つてはいかんというのが問題になつておる。結局税金を取るという予想の下に一人五十万円を交付することになりました。さて五十万円をもらつた個人々々の場合を想像して見ますと、ほかに収入のある人、それから全然収入のない人、これは所得の合算された結果として、或る人は正味二十万円もらうような結果になるかも知れない。或る人は二十五万円、三十万円と、いろいろな差が出て来るはずだと思います。文化功労年金を与える本来の趣旨は、すべて三十万円を平等に上げようという、こういうところにあるだろうと思うのです。ところが税の上で妙なこだわりがあるために、実際においてはいろいろ違つた年金を与えるという大変なことになつてしまう。これなんかは実は簡單なことなんです。結局何か委員会か何かで文化年金というような特殊なものに対しては課税なんかする必要はない、こういうふうな組織と言いますか、制度が一本あれば、同じような類似の問題はしばしば起ると思うのでありますが、実に簡單に解決付くと思うのであります。これは税法上の問題であるかどうか私知りませんが、広い意味ではそういうことになりましよう。こういう点も是非改正してもらいたいと思うのです。これは日本の杓子定規の大変惡い欠陷だと思うのです。外国なんかでは詳しいことは知らんが、もつと融通性があると思うのです。例えばヴエートーべンです。これがウイーンに住んでおつた。ウイーンの楽壇の気風がちと気に食わなくなつてイギリスに行つてしまおうという気になつたのです。ところがオーストリアの政府が是非ヴエートーベンに永住してもらいたいというので、実に簡單にヴエートベンの税金は一切免除する、こうやつたものであります。勿論これは百年前の話、現在の緻密な税法のできている時代は話が違うと言えばそれまででありましよう。併し税金に対する融通性という根本観念があるかないかの問題だと思います。日本の場合でも余りにこの税に対しては全く融通性がない。この点は一つの欠陷だと思うので、できるならば近い将来にこれを改めて頂きたい。  以上で私の述べたいことは終ります。(拍手)
  59. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 御苦労さんでした。  御質問はありませんか。
  60. 森下政一

    ○森下政一君 ちよつとさつきお話になりました数字を聞きたいのですが、十一年ですね、專売益金を含んで税の総額百三十六億、それから今度国民所得のほうは何億とおつしやいましたか。
  61. 岩井良太郎

    公述人(岩井良太郎君) 丁度矢野恒太さんがこういうことをやつておりましたがたしかあの人の資料で見ると百六十億円になつております。
  62. 野溝勝

    ○野溝勝君 二十五年度は幾らですか。
  63. 岩井良太郎

    公述人(岩井良太郎君) 二十六年を標準にしました、基礎に出ておるものを……今年二十六年……私の申上げたのは……。
  64. 野溝勝

    ○野溝勝君 いや、今のは昭和十一年の話。
  65. 岩井良太郎

    公述人(岩井良太郎君) 十一年です。
  66. 野溝勝

    ○野溝勝君 いや、それであなたの二十五年が幾ら推定したのですか。
  67. 岩井良太郎

    公述人(岩井良太郎君) これはそう大蔵省の何か数字でしたな、税金のほうが五千九百億円、それから国民所得が安本のこれは発表でしたか、三兆八千億円と取りあえず出ておりましたな。それを標準に使つたわけです。   —————————————
  68. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 有難うございました。  それでは全日本中小工業協議会の副委員長の國井秀作さんに一つお話をお願いいたします。
  69. 國井秀作

    公述人(國井秀作君) 今回の税法改正中で私は主として個人所得税法に対する内容に対する私どもの考え方と又今回の改正案では非常に不満足である点をお話申上げ、法人税にも少し触れたいと考える次第でございます。今毎日新聞社の岩井さんから税制に対する全般的なお話は非常に急所を衝いてお話になられましたので、私はそういう話よりも具体的な今議会の議題となつておりまする税制改正等に対する数字等について私どもの考え方をお話申上げたいと思うのであります。先ず個人所得税の関係から申上げて見たいと思うのでありまするが、今回の所得税改正の中で特に個人所得に対しましては、基礎控除の引上げ、或いは扶養控除の引上げ、特別の減税といたしましては未亡人に対する控除、或いは老年者に対する控除、勤労学生に対する控除、生命保険料に対する控除等が挙げられておるのでありますけれども、これが極めて僅少な数字でありまして、例えば基礎控除の二万五千円が三万円になつた、或いは扶養控除の一万二千円が一万五千円になつた、又老年者の控除、未亡人の控除等が一万五千円ずつ更に新設せられ、又学生で非常に収入の少いような人に対しましても控除をしてくれるというような点がありまするけれども、ただそのくらいの数字だけでこの二十三年以来いわゆる終戰によつて日本の経済が破壊せられ、そして従来は相当大企業が国家の経済の賄いの大部分負担してくれておつて戰前の経済と打つて変りまして国民全体が国家の経済を負担せんければならんという現在の形の中におきまして一番苦んでおるのは大企業でなく、国民の大多数が所得税のために苦んでおるという事実、こういうことにおきまして皆さんも御承知であろうと思いまするが、この所得税のために二十三年、二十四年この両年度に新聞紙上にも或いはあらゆる雑誌の面にも言論界或いはその他においてもやかましく言われた税金旋風、これは今日になりますると、大蔵省当局は当時は極めて不慣れな税務官吏を採用したために非常に急いでたくさんな人を採用するために間違いもあつたし、非常に不正もあつたということを以て二十三年、四年の徴税技術はまずかつたということをはつきりと言つておるのであります。併しそのまだかつた二十三年。四年はただまずいだけではないのでありまして、国民の大勢の人々が自分の収入よりも遙かに大きい更正決定というものでこれを確定せられておるのであります。而も新らしく二十五年度の税法できめられました、いわゆるシヤウプ・ミツシヨンの勧告によつてきめられた税法によつて二十五年度には青色申告制度が採用せられ、そして二十五年度は新らしい税法によつて一応の形は進行しておるのでありますけれども、先ずその第一に不思議なことはいわゆる青色申告によつても、或いはその他の申告によりましても二十五年度の予定申告は二十四年度の確定申告の額以上に予定申告せんければいけない、これを言い換えれば二十四年度、二十三年度の更正決定には一応間違いがあつたのであろうということを肯定しておる大蔵省言葉にもかかわらず税法では二十四年度の確定額以上の予定申告をしろということにきめられておるのであります。従つてそれによつて国民の大多数が予定申告をし、更に十月の修正申告をし、そして只今明日に迫つておるところの確定申告をする時期になつております。ところが先ほど岩井さんのお話にもありました通り、現在の国民所得の総額が上つておるという、そのベースを飽くまでも又税務署はこれも強く押出しまして、二十四年の確定申告以上に予定申告をした納税者に対しても、更に又これを五割、或いは倍、甚だしいのは四倍の更正決定ではありませんけれども、呼びつけてこれに判を押せと言つて強要しておる現状が巷に現われておるのであります。こういうことは私どもが直接青色申告を指導し、或いは都の商工指導所の私も参与といたしまして、各税務署管内にそうしたことを指導して歩いておる責任者といたしまして、最近におけるやはり税務署の末端事務の扱い方については私自身も腹を切らなくてはならんような責任を感ずるほど乱暴な、いわゆる更正決定ではないけれども、強要が行われておるという事実だけはどうぞ議員のかたたちも実情を一遍御調査頂きまして、かくのごときいわゆる徴税方法ではいけない、言い換えますれば税法においてどんなに減税して頂いても、要するに末端の徴税の事務を扱う税務署の窓口が完全にこの税法の線に沿うて、或いは大蔵省当局の首脳部のかたがたが言うように、青色申告者を保護するというような、その線がはつきり窓口に出ない限り、税法の改正が如何に行われましても、国民が納得する税金というところにまで行きかねると私は思うのであります。こういう点から是非私は本日の公聴会にお呼出しを受けた機会に議員のかたがたが本当に明日に追つておる、明日に恐らくでき上りません、三月の或いは十日にも及びましよう。十五日にも及ぶであろうところの税務署の窓口を、一度大蔵委員会が御視察あられて私は然るべきではないかと思うのであります。そこでこれは岩井さんのお話の中にもあつたことでありまするが、現在の個人所得というものが如何に苦しいものであるかということを、一応私は数字を挙げて申上げて見たいと思うのであります。仮に現在三十五万円の所得を挙げておる個人の営業者があつたといたします。そういたしますと現行の税制では二万五千円…三十五万円の所得がありますると、現行では基礎控除が申上げるまでもなく二万五千円、扶養控除が一人一万二千円で扶養家族が五人あつたといたしまするとこれが丁度控除される額が八万五千円であります。そうすると三十五万円から八万五千円を引きますると課税すべき所得額というものが二十六万五千円と出るわけであります。これを現在の税法の税率で算出いたしますると、税額が九万七千五百円であります。この九万七千五百円に対しまして、地方税の事業税はこの所得額三十五万円の一二%でありまするから、事業税が四万二千円であります。更に住民税はこの税額の一割八分、いわゆる九万七千五百円の一割八分と、いわゆる東京都で言うならば平均が八百円を加えましてこれが一万八千三百五十円となるわけであります。そうすると税金は結局において、十五万七千八百五十円を払わなければならんことになる。このほかに細かい雑種税がございましようけれども、大きなものとして十五万七千八百五十円を払わなければならんことになる。三十五万円の所得から十五万七千八百五十円を引きますれば一年の生活費は十九万二千百五十円という所得になるわけであります。これを一カ月にいたしますれば約一万六千円という数字が出るのであります。ところがこの一万六千円、いわゆる一カ年の十九万二千百五十円という余つた金の中には、いわゆる計算の上において未収金もありますし、或いは又税務署で言われる通り棚卸もあるのであります。いわゆる金でない、現実に金が十九万二千百五十円残るならば話は又別でありまして、併しこの中の恐らく大体三分の一は未収金であり、又三分の一が棚卸のものであつてまだ金になつておらないという事実、こういう点から言いますと、生活費は決して一万六千円ではなくて、これが一万円に足りるか足りないかわからんということが実際の数字であると私思うのであります。それで、これでもまだよろしい、それが一万円であつても八千円であつても残るならばよろしい。この三十五万円の確定申告をせんとする業者に対しまして、税務署はこれに対して大体今年度は何か知らんけれども、三〇%、いわゆる三割だけは最低の線だ、大体において六割余計にしなければいかんという噂が巷に飛んでおるのであります。現実においてそれが又頻りと行われておるのであります。若しも大体においてこの三割の更正決定をせられると、三割殖やしたものでなければ承知しないということで、まあ三割くらいは仕方がないと言つた人が、税金の計算までできないのですから、まあ三割くらいは仕方がないというので判を押したら、一体その三割殖えた結果がどういうことになるかという大きな問題がここに残ると思うのであります。それを大体私から申上げますと、所得の額がさつきは二十六万五千円でありましたが、今度三割殖やすことによつて二十九万九千円ということになるのであります。そうするとこれを税金に引延しますと、税金が丁度その三割に相当したような二十九万九千七百円の所得税を納めなければならんことになります。二十九万九千七百円といたしますと、先ほどの算定と同じように、この所得の一割二分の事業税が七万八千四百八十円、更にこの税額の一割八分に平均の八百円を加えた住民税の三万五千九百六十四円、そうすると税金が四十一万四千百四十四円納めなければならんということになる。一体三十五万円しか所得のなかつた人に要求されるものが四十一万四千百四十四円であつたら、この人は一体食つて行けるかどうかという問題ははつきりするわけであります。これが税務署の窓口で三割殖やすという、その三割ということだけでうつかり判を押して来ると、三十五万円そつくり持つて行かれるのであります。尤も私が今申上げたこの四十一万四千百四十四円の中からは、事業税は経費で落ちるわけでありますからこれは減るわけであります。ですから実際においては三十三万五千六百六十四円ということになるわけでありまして、自分の収入から見ますと僅々一万四千二百二十六円の収入で、一カ月に平均すれば一千円で家族六人の人が食つて行かなければならんというのが現在の税法であります。そうして税務署は大体において最近の調べ方の傾向といたしまして、生活費が幾らかかるかということを中心にして課税の方針を作つておるのであります。これは税法ではありません。いわゆる徴税をする末端の役所である税務署の査定方針というものが、その経営をしておる商業であろうが工業であろうが、あらゆる所得税をかけるところのその実体の生活費というものが、どれだけかかるであろうということを一応睨んでおるのであります。而もこれも一つの噂でありますけれもど、税務署は大体において生活費を子供、大人平均いたしまして、一人二千七百六十五円ということを一応私どもは聞いておるのであります。五つ大、七、二と逆にいうと、数字一つ飛びになつておりますが、二千七百六十五円ということを聞いておる。そうすると二千七百六十五円ということでこれを逆算をいたして行きますと、又大変なことになるわけなのであります。これを若しも二千七百六十五円を六人の人に何するとすれば、一カ月一万六千五百九十円ということになるわけであります。これで行きますると、その生活費だけでも要するに十八万、三十五万円から十八万円引いたら十七万円しか残らないのですから、税金はどうにもこうにもならないというようなやはり結果を来す。こういうような、つまり税務署が一人に対して二千七百六十五円という一カ月の生活費を一応算定する方針を立てておられるならば、いわゆる所得税の控除額にもそれだけのことを認めてやらんければ、正しい税金の、税額が出ないという結論を私はこの機会に強くお願いをいたして置きたいと思うのであります。  今回の税制改正所得税の中で基礎控除が二万五千円が三万円になつたという、僅か五千円の違いを以てこの問題を解決つけるということは私は不可能だ。又一万二千円が一万五千円になつたということだけでは決してこの徴税、いわゆる課税が適正になつたということを現わすことはできないと思うのであります。  又その次に申上げまするならば、このいわゆる税率の改正もございます。シヤウプ・ミツシヨンが一つの案を出されて、二十五年度の、いわゆる現行の中におきまして、私どもはこの比率が非常に不均衡であるということをしばしばいろいろの機会に大蔵省に訴えておつたのでありまするが、今回これを相当再分類をいたしまして、税率を引下げたのではありますけれども、これでもまだ不完全であります。なぜかと申しますると、今度の改正案で、五万円以下から百万円以上の、いわゆる九つの段階がきめられておりまするが、大体において今の国民所得を押えるのに、三十万円という線を一応私は押えて見たいと思うのであります。三十万円のところが今度の税率改正をされて百分の四十五というのであります。法人である場合には百分の三十五であつて、而もそこに飽食をしている重役連中は、月給をもらつた残りに百分の三十五がかかるのであります。個人経営であるが故に、三十万円の中に自分の生活費を打ち込んだ中から百分の四十五ということであつては、これもいわゆる法人と個人との一つの差があると私は考えるのであります。又先ほどもちよつと申上げました老齢者の控除については、金額の問題は別として、非常に結構な制度を設けて頂いたと思うのであります。次に未亡人控除の問題も、これも結構ではあります。併しこれには相当一つの問題が私はあると思うのであります。言い換えますと、未亡人なるが故にいわゆる特別控除を受けるで資格者だということは、果してよろしいかどうか、言い換えれば長年病気の床に臥しているところの夫を看護しつつ、ささやかな自分の内職と子供たちの僅かな収入で、その病気である夫を保養しつつ、看病しつつ生活を続けているという人が…、非常に私の言いかたが惡いかも知れないのでありますが、その夫が不幸にして亡くなつて、そうして今までの足手まといの夫が亡くなつて、未亡人にはなつたけれども、大変暮しが楽になつたという例は私は決してないとは言えないと思う。未亡人なるが故に特別控除を受ける資格者であるということだけではいけないと思う。もつと私は、夫があるけれども、もう二年も三年も病床に臥して、今申上げたように自分の手内職と子供の僅かな収入によつて、薬も碌々買えないような、いわゆる生活保護法の一歩手前にあるような夫婦者こそ本当にみじめじやないかと思うのであります。こういう者に対する一つの特別控除という途が開かれて然るべきではないか、こう思うのであります。  又勤労学生の控除に対しましても、これは金額の問題で、後ほど私どもが考える意見を申し述べたいと思います。  それから生命保険控除も、二千円だけの控除では少しこれは少いと思いまするので、この点もあとで総括的に私どもの考えておりますことをお願いして、是非税制改正の最後の決定に対しまして、参議院で十分な御検討を頂きたいということをお願いいたす次第であります。  大体私の総論的な話はその程度にいたしまして、問題はもう一つ、先ほど岩井さんから或いはこのお話が出るかと思つたのでありますが、岩井さんの話にはなかつたのでありまするけれども、現在のいわゆる所得税法というものが、大蔵省の役人のかたは頭がいいから、ああいう非常にむずかしい條文の非常に長いものをお作りになられるのであろうとは思われますけれども、又あれほど細かくきめて置かなければ、いわゆる正しい押えどころがないというにもなるのでありましようけれども、併し税金というものは、シヤウプ・ミツシヨンの話の中にもありました通り、成るべく簡單にして、国民の全体がたやすく納得できるようなものにせんければいけないということが、たしかメモランダムの中にあつたと思います。そういう意味から言いますと、現在の所得税法というようなものが、私が申上げるまでもなく、各條文に、前第何條を引用し、或いは甚しいのは、まだ読んでいないそれからあとの條文が先に引用されておつたりいたしまして、実に煩わしいのであります。従つて今回僅かこの率を変えるだけであり、そうして又控除額等の新設或いはその額を変更しただけにおいても、所得税法改正説明するためにこれだけの冗長な議案とならざるを得ないのであります。もつと私は、大蔵省の官吏のかたがたは頭がいいのですから、もつとこの條文を独立的に考えて、成るべく引用條例を少くするようなことにすると、国民が読んでもはつきりわかる、立派な税法ができるであろうと私は思う。でありまするからこれは非常に根本的な問題でありまするけれども、つまり今後はこうした国民がいわゆる自分の憲法として、是非読まなくてはならんような税法というものは、その辺で働くところの人夫でもお晝の休みに読んで、ちやんとこれがわかるような私は法律にして頂きたいと思う。いわゆる法律全体の簡素化という問題について是非お願いをいたしたいと思うのであります。今度の税法改正の、たしか法人税の中に書いてあつたと思いますが、やはり法律を簡素化するということをちやんと書いてあるけれども、さつぱり簡素化でないように思うのであります。(笑声)この法律改正の理由として、今次の税制改正の一環として云々……、法人税の課税の関係では、その負担の合理化を図り、青色申告の特典を拡張し、また、課税標準等の更正決定をなし得る期間を短縮する等の措置を講ずるとともに、商法の一部を改正する法律の施行に伴い、これとの調整を図るため無額面株式の払込剰余金について何々として、いわゆる合理化を図るというようなことが書いてあるのですけれども、合理化というものは決してむずかしいものじやないと思う、簡單にすることが本当の私は合理化でないか、こういうように思うのであります。是非一つ、これは私のつたない表現ではありまするが、どうか国民が何か国語読本を読んで納得するような法律というものに成るべくして頂くように、この機会にお願いをして置きたいのであります。  それで一応この所得税に対する私どものお願いをする点を申上げて見たいと思うのであります。基礎控除は、今回二万五千円が三万円に引上げられたわけでありまするけれども、これは私はどうしても五万円まで引上げて頂くようにお願いをいたしたいと思います。更に扶養控除、不具者控がそれぞれ一万二千円から一万五千円に引上げられたのでありまするけれども、これは先ほど申上げました通り、税務署が見ているところの国民人の生活費というものが、一カ月二千七百六十五円であるという点から見ましても、大体その七割程度として、つまり一万五千円を二万五千円ぐらいにすると、計算がやや合理化して来るのではないか、こう考える次第であります。  それから課税の率でありまするが、先ほども申上げました通り三十万円の線、二十万円の線、この辺をもう少し考慮を頂きまして、今度の改正案では、三十万円が百分の四十五でありまするけれども、この三十万円を百分の三十五といたしまして、上と下とを調整して頂くことが、合理化する意味において、算定が合理化して来るのではないか、こう考えておる次第であります。  それから老年者の控除、未亡人の控除、これはいずれも一万五千円ずつになつておりまするが、前の扶養控除と同じようにこの一万五千円を二万五千円に改めるように御努力を願いたいと思うのであります。それから勤労控除も、これは学生の勤労控除でございますが、これも一万五千円でありまするけれども、これが特に私は基礎控除を五万円にお願いしたと同じように、学生の勤労控除は五万円にお願いいたしたいと思うのであります。それから生命保険の控除でございまするが、二千円では、とにかく簡易保険の掛金の程度であります。従つてこれは大体において五千円程度に引上げて頂きたいと考えるのであります。  次にもう一つ、先ほど触れましたことでありまするが、未亡人控除に対しまして、いわゆる生活費の補助的営業をなしておる零細な商業、もう一つ、そのほかに見習工を一人ぐらい使つておるところの零細な工場、つまり生活費の補助的な意味でやつておる小さな零細な商業者、お婆さんが駄菓子を売つておるというようなもの、或いは又お爺さんが庭先で筵を敷いて足駄の歯入れをしているというようなもの、或いは又傘の修繕をしているというようなこうしたもの、及び機械工場であつても、本当に小僧の見習を一人使つておるような、経営者自体が真黒に油になつて働いておる。経営者が休むと工場が経営できないのだ、経営もとまつてしまうのだというような、つまり生活費の補助的な仕事をしているような営業、私の表現が惡いかも知れませんが、見習工一人程度の零細な製造工場に対する特別控除制度を新設して頂きたいということをこの機会に特に私はお願いいたしたいのであります。要するに自分一人が真黒になつて働いておるにかかわらず、これを経営者と見て、そうしてやかましい生活費の基準をそこへ押付けられるというようなことが非常に間違つておるように思われますので、その線を一体どこできめるかという問題は、私は民生委員を通じまして、その市区町村が証明することによつて、いわゆるこの特別控除が受けられるという制度にしたら、このことも行われるのではないか、こう思うのでございます。大体私が、個人所得税に対する私の考えかたとお願いをいたしたい点はその程度でございます。  法人税に簡単に触れて見たいと思いますが、法人税の改正は、要するにいろいろ先ほどお話のありました資産評価の問題、或いは固実資産税の問題、その他法人税の改正は非常に合理化して頂いたことは結構であります。いわゆる二十五年度においてもすでに超過所得税の問題で税率を改正されて頂き、今回更に同族会社以外の積立金に対するところの課税をやめて頂く、こういつたような点で漸次改正せられて行くことは非常に結構なのでありますが、これは私個人だけの考えでありまするか、誠に納得の行かないことは、今回の改正で、いわゆる社会保険の診療報酬支払基金というような非課税対象の中に日本放逸協会が入つておることは、これは国民ちよつと考えて変な感じを持つのではないかというようなことを私は自分が感じましたので、この機会に発言をさして頂いたのであります。日本放送協会は、勿論何か放送法とかその他のことによつてここに加えなければならん非課税対象ではあろうかとは考えられるのでありますが、この点については私は何も知りません。併し私はこの改正法の議案を読まして頂いたときに、日本放送協会の入つているということを非常に意外に思つたのです。国民の全体の人も、きつと意外に思われたような問題でないかと思われますので、この機会に不用意ではありますけれども、発言さして頂いたわけであります。そうしますと今年の七月頃から始まる民間の放送会社などは、一体どういうことになるのであるかということも、私どもの疑問の一つであります。  それからもう一つこの法人税に対しまして、つまりどうもこの法人税法が大企業も、それから零細な法人も大法人も、この一本の法律で支配されているということに、私は根本的な一つ意見を持つておるわけであります。言い換えますれば、大法人というのは経営といわゆる株主というものは、これは遊離しております。一般のかたがたがその大法人の株主になつたからといつて、直ちにその経営へ参加したり、或いは又その経営というものを左右することができるものではないのであります。言い換えますれば、経営と株主というものは、これは別個であります。ところが中小法人になりますると、経営と株主というものは一緒なのでございますね。これは私が申上げるまでもなく、つまり中小の法人は、株主と経営というものが一体である。こういう経営と株主が一体である経営と、それから経営と株主が別個であるような大企業のものとが同一の法律で支配されるということが、私は大きな何か間違いを起すような気がするし、又中小法人が非常にこのためにむずかしい法律を読むために、苦心惨憺をしなければならんというような問題が私はあると思うのであります。私自身もこの法人税に対しましては、例えばこの開議案を頂きまして、十分に読んでいないのでありますけれども、私が直感いたしましたことは、この法人といわゆる中小法人には、おのずから別の法律があつていいのではないか、こういうふうにして一つお考えを願いたいと思うのであります。その点につきましてはこの今度の改正案の法人税法第九條の一項にありますところの、いわゆる特別法人に対する、青色申告者に対する五カ年間の損失の繰延の特典でございます。これは非常に結構なことであります。五年間損失を繰延べて頂くことは結構でありますけれども、私は百尺竿頭もう一歩進めまして、昔の法人税のように、この特別法人税、例えて言うならば、農業協同組合或いは又産業組合、或いは貸家組合、或いは漁業組合、或いは中小企業等協同組合、或いは船主の相互保險組合、漁業会、漁業協同組合、水産業協同組合というような、この特別法人に対しましては、ただ青色申告によつて損失を五カ年繰延べて頂くという特典を、もう一歩更に進めて頂きまして、こういう特別法人に対する課税の率を引下げて頂きたい。どうしても課税しなければならんものならば、百分の三十五を百分の十五なり或いは百分の二十にするという特例を一つこの法人税の中に加えて頂きたいと思うのであります。今回の法人税法改正には、税率の百分の三十五には少しも触れていないのであります。いわゆる今申上げた特別法人に対しましては、これらはすべて零細企業の団体であります。経営も非常に苦しんでおるわけであります。これを大企業と同じような法律の中で縛られて、その枠の中で支配されることになつては、実にかわいそうであります。又私どももこの特別法人を一応経営しておる一人として、実に苦しんでおる体験から言いましても、ここまでお情を以ていわゆる損失の五カ年繰延べ、いわゆるなし崩しをお認め頂いたならば、この特別法人に対してはもう一歩、百尺竿頭一歩を進めて頂きまして、税率を百分の二十とか百分の十五にして頂きまするように、くれぐれもこの機会にお願いをいたしたいと思うのであります。  法人税法に対しましては、一応私は簡單な点しか考えられませんので、この程度でお許しを願いたいと思います。御清聽を感謝いたします
  70. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 御質問ありますか。  それじやどうも有難うございました。  速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  71. 小串清一

    ○委員長(小串清一君) 速記を始めて下さい。  それじや本日の公聴会はこれを以て散会といたします。    午後三時四十六分散会  出席者は左の通り。    委員長     小串 清一君    理事            大矢半次郎君            森下 政一君            杉山 昌作君    委員            愛知 揆一君            黒田 英雄君            佐多 忠隆君            野溝  勝君            松永 義雄君            小宮山常吉君            高橋龍太郎君            油井賢太郎君            木村禧八郎君   事務局側    常任委員会專門    員       木村常次郎君    常任委員会專門    員       小田 正義君   公述人    東京商科大学・    一橋大学教授  井藤 半彌君    日本勧業銀行取    締役会長    山田 義見君    関西経済連合会    常任理事    工藤 友惠君    毎日新聞社論説    委員      岩井良太郎君    全日本中小工業    協議会副委員長 國井 秀作君