○公述人(
井藤半彌君)
一橋大学、
東京商科大学教授井藤半彌でございます。お招きにあずかりまして、今度の
税制改革に関するいろいろの法案に関して意見を述べさせて頂きます。
税制に関する
改革法案のほかに、資産再評価に関する法案が出るとかいうことでありますが、これはまだ出ておらんそうであります。併しこれに関しても意見があるならば述べろというお話でありましたので、この問題につきましても、極めて大ざつばなことでございますけれども、意見を述べさせて頂きます。それからもう一つ、これも申上げるまでもなく、皆樣御案内のことと思いますが、実は今月の十七日に、
衆議院の
大蔵委員会の
公聽会で、同じ問題につきまして公聽を命ぜられまして公述いたしました。それと今日申上げますこととは、大体同じことであります。これは当然のことで、矛盾するようなことを言えば変なことになりますが、大体同じことであります。ただ少し違うところは、資産再評価の問題について意見を申上げますが、この前は言わなかつたのであります。それからもう一つは、多少計数、数字が少し改められておりますので、私が使いました数字は皆
政府発表の数字でありますが、それがここ十日ほどの間に新らしい資料が出ましたので、その資料によ
つて計算をし直した部分もございます。その点は違うのでございますけれども、それ以外の部分は大体同じでございます。
それで今度の
税制改革案というものは、これは政府の
趣意書にもございます通りに、昨年の秋の第九回国会の
間接税を中心とする改正と関連があることは申すまでもないことであります。今回の分は
間接税につきましても改正はございますけれども、直接税の改正に重点を置いておるということは、これ又皆様御案内の通りであります。そこで今度の
改正法案の特徴を列挙いたしますと、大体次の四つであると思うのであります。一つは、
国民負担の軽減を図る、これが一番、それから二番は
社会政策的な措置を講じた、政府の
趣意書には
社会政策という言葉は出ておりませんけれども、別の言葉で言うならば
社会政策的措置を講じた、これが二番、それから三番は、
資本蓄積を助長する、それから四番の特徴は、税制の簡素化その他税制に関する整備をする、これは主としてテクニツク的な、技術的な整備をする。この四つが主な特徴だと私は思うのであります。このうち四番目の問題は、これはどちらかと言いますと、テクニツク、技術に関するところが多いと思いますので、私は今日はこれについては述べません。私が今日ここで公述させて頂きますのは、一番、二番、三番の問題についてであります。
そこでこの順番で申上げさして頂きますと、先ず
国民負担の軽減の問題であります。果して
国民負担というものが軽減されておるかどうか、この問題であります。これにつきまして、順序といたしまして、これはもうきまり切つたことを申上げまして恐縮でありますが、少し計数を申上げますと、昭和二十六年度の予算によりますと、租税及び
印紙収入合計が四千四百四十五億、それから
間接税、
消費税と同じ効果のある
專売益金、これは煙草の
專売益金以外にアルコールの
專売益金も含んでおりますが、これが千百三十八億、広い意味の国税は両者合計いたしまして五千五百八十三億であります。それから
地方税でありますが、これは御案内の通り、予算なんというものはないのでありまして、これは或る役所の推計でございますが、昭和二十六年度分の
地方税は大体二千八十七億と言われております。この二千八十七億という数字はどうして得たかというと、
地方税では殊に増税も減税もやりません。多少の修正はあるようでありますが……、但し
国民所得が二十五年に比べて二十六年は一割くらい殖えると、そういうことを中心に推定したもののようでありますが、それによりますと、
地方税は二千八十七億と言われております。両者合計いたしまして、国税、
地方税の合計は七千六百七十億であります。それと同じ方法で昭和二十五年度について計算いたしますと、国税、
地方税を合計いたしまして、七千四百八十九億であります。そこで二十六年度が七千六百七十億、二十五年度が七千四百八十九億でありますので、どつちが多いかというと、二十六年度のほうが金額から行くと多いのであります。即ち百八十一億だけ形の上では増税になつておるのであります。これが一体
国民負担の軽減になるかならんかという問題でありまするが、まあこれはなかなか面倒な問題でありますが、例によりまして、一番普通に行われておる方法は、
国民所得というものを国の
経済力を現わすものとみなしまして、それとの関連において見るということが普通に行われておるところであります。これも
皆さん御案内の通り、国の
経済力を数字で示すものといにしましては、私は三つあると思うのであります。一つは
国民所得、もう一つは国富であります。この二つは国内の
経済力でありますが、もう一つは国外の
経済力でありまして、自分の国の
財政経済に利用し得るもの、例えば
戰争中は、南方であるとか、中国の大陸の物資を利用いたしましたし、現在では
アメリカの見返資金、
援助物資という形で、外国の
経済力を日本の
国民経済力に利用しております。この三つが国の
経済力を数字で現わすものでありますが、このうち
国富統計につきましては、
皆さん御案内の通り、昭和五年及び昭和十年の年末における国富の推計が、当時の
内閣統計局でやつたものがあるのであります。それから戦後のものといたしましては、昭和二十四年四月六日に
経済安定本部が、戦後における日本の国富の数字を出したものがあります。併しこういうものがございますが、これは
国民所得に毎年推算が行われておりません。それから外国の資源であつて、
経済力であつて、国内で利用し得るもの、これは見返資金や何かの問題につきましては、毎年予算やその他に数字は出ております。ですが、私は本当を申しますと、この三つを総合して、
寄せ算という意味ではありません。
寄せ算はできないものがありますが、総合して問題とすべきでありますが、ここでは便宜上、そのうちの最も重要なものであるところの
国民所得だけを、国の
経済力を数字で現わすものとして問題にするのであります。勿論御案内の通り、
国民所得というものが当になつてならんようなものでありまして、これは
人口統計のように具体的にあるものを計算するというのではなくて、これは学校の教授なんかが頭の中で考えてやるものでございますので、当にはならんのであります。併しながら、ないよりは勿論ましでありまして、これは多く使われるのであります。というのは、
国民所得と租税との関連においてこれは多く行われておるところであります。
そこで租税を
国民所得で割算いたしますと、それからちよつと
国民所得について申しますが、昭和二十六年度予算に関する説明、
大蔵省主税局から出されておる説明が出ております
国民所得と、私が今日申します
国民所得とはちよつと違うのであります。それは私が使います
国民所得は今月の二十四日、あの
経済安定本部から、より精密なものとして国会の
委員会に提出されましたあれによつております。この点は
衆議院の公述とちよつと違つて来るのであります。その
具体的数字は
皆さん御案内の通りであります。それによ
つて租税の
国民所得に対する割合を計算いたしますと、二十六年度は二〇%になります。それから二十五年度は幾らかと申しますと、二十五年度は二三%であります。それから少し過去に遡りますと、二十四年度は二九%、二十三年度は二四%、二十二年度は一八%、それからずつと遡りまして昭和十年、これは事変前をとつて見ますと、昭和十年度は一三%になるのであります。これを見ますと、二十四年度の三九%を最高といたしまして、二十五年度、二十六年度、逐年
国民負担が一応は減少しておるということが言えると思います。併しながらこれにはいろいろの條件がありまして、
国民所得の計算が仮に正確なものと仮定いたしましても、この数字に余り重大な意味を認めることができないということは、これは
皆さん御案内の通りでありまして、いろいろ問題がありますが、これは一々私はここでは申上げません。こういうふうに一応は減つておる。それでこれは当にな
つて当にならないという例証を一つ申しますと、これはちよつと話が余談になるのでありますが、私昭和十九年度の
予算書類につきまして、租税の
国民所得に対する割合を計算したのであります。ところが御案内の
通り租税という概念が時、所によつて違います。ある場合には
專売益金を含むことあり、含まないことあり、
地方税を含むことあり、含まないことあり、又
アメリカなんかの場合も
社会保障税を含むことあり、日本では
社会保障税という形をとらないで、現在では保険金という形をとつておる。租税の概念というものは広狭種々雑多であります。又
国民所得という概念は又種々雑多、殊にこの数字が当にならんという例証といたしまして、昭和十九年度の
戰争中でありますが、予算について計算して見ますと、
国民所得という概念をいろいろ考えて見、それから租税という概念についてもいろいろ解釈できる、そこで
地方税は入れないで、国税についてやつたのでありますが、或る
計算法、私は極端な二つの例を挙げたのでありますけれども、成る
計算方法をいたしますと、昭和十九年度の租税の
国民所得に対する割合は一八%という数字が出ておるが、ところが同じ予算書を
使つて同じ国について計算してやつて見ますと、この
計算方法をやりますと、三二%という答えが出たのであります。成るやりかたをやれば一八%、或るやりかたをやると三二%、これを見ましても、これはどうでもなるんだということが一応は言えるのでありますが、併しながら同じ日本について比較する場合であるとか、或いは外国で比較する場合は、できるだけ同一の基準によらなければならないということは言うまでもないことであります。それは租税の
国民所得に対する割合から言うと確かに減つております。併しこれだけでは物足らないのでありまして、もう少し真相に近いことを文章で言うことができるのです。例えば同じ二〇%でも、
アメリカと日本を比べて、
アメリカは金持の二〇%、日本は貧乏の二〇%、同じ二〇%でも日本のほうが重いとか、等々ですね、こういうことは幾らでも言えるのでありますが、これをもう少し数字で現わしたい。私は去年
衆議院のたしか
大蔵委員会であります、
公聽会のお招きに預かりましたときに申しましたときの
計算方法をとつて、今度これをもう一度計算し直して見ましたのであります。それはどういうことかと申しますと、大して新らしいことではございませんのですが、それは
国民所得を以て国の
経済力と解釈するのも一つの方法でありますが、これは必ずしも
納税力を現わすものではない。
国民所得で我々は生活をしなければいけない。そこで国民の
物理的最小生活費に当る部分は、これは納税の能力がありませんので、その部分を
国民所得から引いた残り、これが国民の
負担能力の
最大限、
負担能力そのものではありませんが、
負担能力の
最大限を示すものではないか、そういう考え、これは井藤が初めて
言つたのでも何でもない、これは
皆さんおつしやることでありますが、その方法によりまして、少しこの数字をより正確なもの、より真相に近いものに改めて見たのであります。そこで今問題は、国民の
物理的最小生活費というものはどうして計算するか、これはなかなかむずかしいのであります。むずかしいものでありますが、計算がないわけではありません。併しながら国会の
公聽会でお呼びにあずかる場合は、大体一週間か十日前、一週間前でありまして、一週間以内では計算できない。どうしても
拙速主義を尊びますので、私の計算はやはり皆
拙速主義でありまして、五年も十年もかか
つて計算したものはございません。皆十分、十五分、小学校の一年生ができるような算術をやるのでありますが、それによ
つてぼやつとした計算をやつて見たのであります。それは何かと申しますと、食糧費であります。我々の経費のうちで食費というものは
負担能力のないものです。勿論やかましく言いますと、食費でも贅沢なもの、贅沢でないものとありますが、結局食費、それから着物はどうか、住宅はどうかというと、これも必要ですが、先ず食費が一番必要なものと解釈いたして、これに関しては統計の資料も得やすいので、そこで食費の部分を
国民所得から引いて来る。食費の部分というのは何かというと、いわゆる
エンゲル係数であります。所得の支出のうちで食費の占めている割合、そこで国民の一人当りの
国民所得を求めて、それから
エンゲル係数の部分を引いた残り、それを以て
納税能力の
最大限と、先ずそういう方法で計算して見たのであります。そこで
エンゲル係数はどういうふうなものをとつたか、これは勿論全都市の
一世帶平均のものでありますが、昭和十年先の年度について申上げますと、十年はこれは平均でありますが、
目の子平均という、これはインチキ極まるものでありますが、大体毎月の統計があるのですが、実際さつと見て、この辺だという
目の子平均をとつたものです。
目の子平均でいいと思うのでありますが、昭和十年は三四%であります。食費が支出において占めている割合が三四%、昭和十年頃は非常に生活が楽であつたと思います。それからうんと飛びまして、昭和二十二年は六五%、これは非常に生活が苦しかつたのであります。それから二十三年は六三%、二十四年は六〇%、それから去年でありますが、これは
目の子平均で五五%、昭和二十五年が五五%、昭和二十六年は幾らか、これはむずかしいのです。これは推定をするより仕方がないのでありますが、私は生活がずつと楽になるものとみなしまして、仮に五〇%という推定をやつたのであります。但しこの推定は大して根拠がございません。五〇%にするか、五三%にするか、いろいろ問題はあるけれども、少しよくなると、甘く見まして五〇%と推定したのであります。そのやりかたで
負担能力の
最大限を計算しました。要するに
国民所得からこれだけを引いたのであります。そうして先の租税を割算したのであります。租税を
国民所得の
最大限で割算しました。そうしてどういう答えが出たかというと、昭和二十六年度は四〇%であります。それから昭和二十五年度が五〇%、昭和二十四年度が七二%、二十三年度が六四%、それから二十二年度が五一%、それからずつと飛びまして、十年度が一九%になるのであります。これを見ましても、やはり昭和二十四年度、即ち
シヤウプ勧告による
税制改革の前年でありますが、あれがやはり七二%で一番高くて、昭和二十三年は次いで重いのでありますが、それから二十五年度が重くなつておる。二十六年度が多少軽くなつておるということは一応は数字によ
つて説明が付くのであります。だからまあこれは先にも申しましたように、いろいろ注目すべき、顧慮の中に入れるべき要素があるのでありますが、そういうようなものを無視して申しますと、大体負担は軽減されておるものと見て大なる誤まりはないだろうと思うのであります。それからもう一つは、負担の軽減について、今度は内容でありますが、これは一般的なものとして申しますと、直接税と
間接税との比較としていうことになるのであります。私も直接税、
間接税の比較を毎年やつておりますが、ところが国税のみについてやつておりまして、
地方税は入つておりません。それから私の申します直接税と
間接税との比較は、
大蔵省の直接税、
間接税の計算とはちよつと違うのでありまして、
大蔵省のほうは直接税と
間接税と、それからその他のものというその他が入つておりますが、私はその他のものという第三のカテゴリーを設けますことは、それは無意味とは申しませんが、私がこれから言おうというようなことは、直接税というものは大体金持が負担して、
間接税は金持も貧乏人も負担するのだと、そういうような意味で申しますと、第の三
グループを認めるということはどうかと思う。それで私は第三の
グループは認めない、直接税か、
間接税かに態度をはつきりしたのでありますが、その点が違うだけで、大したことはございません。それによつて直接税、
間接税を国税について、まあ
專売益金は
間接税になるのですが、国税について計算いたしますと、昭和二十六年度が三千七十九億で全体の五五%、
間接税が二千五百四億で四五%であります。二十五年度はどうかと申しますと、大体同じでありまして、直接税五六%、
間接税四四%になつております。二十四年度について申しますと、直接税五七%、
間接税四三%、二十三年度は直接税五一%、
間接税四九%、二十二年度が直接税五三%、
間接税四七%、戰争の真最中をとりますと、直接税が六七%、
間接税三三%、それから支那事変前の昭和十年は直接税四一%、
間接税五九%になつております。この比率で見ますと、
戰争中まあ普通の常識で言うと、直接税が重いほうが大衆の負担が少く、
間接税は大衆の負担になるのであります。そういう立場から申しますと、日本の
租税制度といたしましては、昭和十九年度が一番いいということになつているのであります。
戰争中の日本の制度は何でも惡いものだつたといわれますが、少くとも
租税制度に関する限りは一応はいいことになつておるのであります。ところが
戰後間接税が大分殖えて来まして、それで現在はどうかと申しますと、直接税がやや多くて
間接税がやや少いのであります。一体これでいいのかということでございますが、これは我々の教壇論としましては、直接税が多いほうがいい、
間接税が少いほうがいいということは、大ざつぱに申しまして、それが正しいことは言うまでもないのでありますが、併しながら私は
終戰後の我が日本の現状から申しますと、
間接税も意味があります。私はむしろ減税をやるのだつたら、
所得税を減らして
間接税を減さないようにされたいということを数年前から申しておりますが、これは意味があるのであります。と申しますのは、直接税は成るほど金持が負担し、
間接税は賢人が負担するのだと申しますけれども、今度の戰争によりまして、日本の
国民所得の
分布状態についての推算を見ますと、今度の戰争によりまして、富の
分配関係が平等に近くなつて来たのであります。これはもう我々がちよつと考えても、家を持つていて家を焼かれた、地面は燒かれなかつたけれども、
農地改革によつて大地主というものはなくなりましたから、或いは
終戰後に
財産税がかかつたとか、その他
財閥解体であるとか、
集中排除等々、いろいろの事情で頭の高いものはずつと切られるような傾向があつたということは、これは
皆さん御案内のことだと思うのであります。これはこの前の世界大戰のときとちよつと逆でございまして、この前の世界大戰は御案内の
通り日本の
資本主義の流行期でありましたために、富の
分配関係が非常に不均衡になつたのであります。今度はその逆でありまして、その点はこの前の世界大戰の英国において、この前の世界大戰は英国は戰争に勝つたのでありますけれども、富の
分配関係は平等に近付いたのであります。これは話が脇道にそれましたが、現在日本の国家について申しますと、金持もあれば貧乏もございますけれども、併しながら富の
分配関係が平等に近くなつたということは言えるのでありまして、平等に近くなつたと
言つても、金持のほうに、ずつと皆が上りたというのではない。下のほうへ下つて平等になつたのであります。これは嘆かわしいことで、これは問題でありますが、そういうことです。そういう世の中で、一体直接税を金持が負担し、
間接税を貧乏人が負担すると
言つても意味がない。誰も彼も同じような所得を持つておれば、直接税も
間接税も意味がないのであります。それを数学的に申しますと、これは私絶えずいろいろな機会に申上げている数字でありますが、それはどういう数字であるかというと、国税庁における昭和二十四年度の
確定申告に関する数字であります。昭和二十四年度でございますので、その申告は去年の一月三十一日付で締切つてある
確定申告だから、一年前でありますが、これを四月三十日くらいまで延ばして、主計局で推算したのでありますが、それを見ますと、総所得は
基礎控除前の総所得でありまして、
確定申告の
申告者総数が七百八十三万人でありますが、そのうち総所得二十万円以下の者はそのうち八七%を占めているのであります。これは人数から申しまして八七%占めているのであります。金額は幾らになるかというと、
確定申告の金額が、合計いたしまして九億六千十六億円でありますが、このうち総所得二十万円以下のものは六八%を占めているのであります。そこで二十万円以下のものは人数から言うと八七%、大体九割、それから金額から言いますと、六八%で、大体七割、そこで二十万円というと多いようでありますが、井藤でも一年の所得が二十万円を突破しているのでありまして、二十万円は昭和十年頃の
貨幣価値に直しますと、千円以下であります。ところが昭和十年頃の千円以下と申しますと、第三種
所得税は免税点であつたから、昭和二十六年度であつたら
所得税を払わなくてもよかつたような連中が
大分所得税を負担しているというような情勢になつております。これなんかは富の
分配関係が非常に平等に近くなつている一つの証拠です。それで直接税と
言つても大衆が負担する、
間接税と
言つても大衆が負担する。これは
国民所得の
構成状態を見ましても、これはちよつと意味が違うのでありますが、そういうことが言えるのでありまして、昭和十年と昭和二十六年の
国民所得の構成を
勤労所得、
資産所得、
法人所得、
官公給与所得と分けて、そのパーセンテージを申上げますと、
勤労所得は殖えて、個々の
事業所得が非常に殖えて
資産所得が減つているのであります。この計数は
安本発表の数字で計算したのでありますが、これは
勤労所得は昭和十年は
国民所得のうち三七%を占めております。ところが昭和二十六年度はどうかと言うと、二十四日に発表された資料によると四四%、それから
資産所得でありますが、個人の利子及び地代でありますが、これは昭和十年度は二二%、二十六年度は僅か三%であります。それから
個人事業所得でありますが、農耕などの
個人経営のもの、それは昭和十年が三四%であり、昭和二十六年度は四八%であります。それから
法人所得でありますが、これは昭和十年が七%、昭和二十六年度が五%、
官公企業所得は一%にもなりませんで、非常に僅かであります。これを見ましても
勤労所得が非常に殖えている。それから
個人事業所得というものの中には
勤労所得的な要素が多分にあるのでありまして、これが非常に殖えて
資産所得が非常に減つていることから判断いたしましても、現在の直接税と言いましても、いわばいわゆる昔のように金持が多く負担するのだと言いましても、実際は必ずしもそう言えないということであります。そこで問題は直接税をかけても、
間接税をかけても、結局は負担する税金は同じことである。そういたしますと、課税の便宜、又納税の便宜という点から言うと、
間接税のほうが納めいいのであります。便宜であります。私は現在のような、直接税について遺憾ながら日本では脱税が行われている、脱税が多いと言われている我が日本におきましては、
間接税というものは相当意味があると思うのであります。これは歎かわしいことでありますけれども、
租税経済の地盤となつております日本の
社会経済の現状がそうなつておりますので、これはやむを得ないのではないかと思うのであります。私は最近直接税について大幅の減税が行われつつあるという事実は、これは非常に結構なことだと思うのであります。
ちよつと時間をとりましたが、一般的な負担軽減の問題、それに関連しての問題を終りまして、今度は
社会政策的措置の問題につきまして、若干申上げたいと思います。
社会政策的措置でありますが、これは結論だけ申上げますと、今度の
改革法案におきまして、次のような一連の措置がとられておりますが、これはいずれも
社会政策を考慮したことでありまして、この点は私は賛成するのであります。これはどういうことかと言うと、
基礎控除の引上、扶養控除の引上、不具者控除の引上、それから税率の引下げでありまして、これは従来からある制度について、いわば
社会政策的に見て減税をやつたのであります。それから次に述べます新らたな減税制度を挿入したのであります。それは未亡人の寡婦控除制度、それから六十五才以上の老年者についての控除、それから勤労学生の所得控除、それから生命保険料の控除、これは
所得税制度について、従来ないものを新たに実施しようとするのでありまして、これは
社会政策的立場から見て歓迎すべきことだと思うのであります。それから相続税につきまして、被相続人の死亡によつて支払われる生命保険金のうち、十万円の控除をするということになつておりますが、これも又
社会政策の点から見て歓迎すべき点であります。
それから三番目の
資本蓄積の問題であります。これにつきましては、大分問題が多いのでありまして、結論を申上げますと、政府の
資本蓄積ということを目的とするところの減税措置につきましては、私は相当疑問を持つているのであります。そこで
資本蓄積についてどういう措置をやろうとしているか。先ず一般的なことは、一般的な減税をやる。一般的な減税をやるということは、それは民間資本の蓄積を図るというのでありまして、これは結構であります。併し私はこれについて問題にしようとするのではないのでありまして、次の三つの措置であります。それはどういうことかというと、新規取得の特別の機械や船舶などに対しまして、三年間を限りまして、法定償却高の五割程度の割増の特別償却を認める、これが第一、二番は銀行その他の預金、貯金の利子につきまして、五〇%の源泉選択の制度を復活する。それから三番が、法人の積立金に対して二%の課税が行われておりますが、この二%の課税を廃止する、この三つであります。これは減税の金額から言いますと、割合に少いのでありまして、例えば新たに取得いたしました機械、船舶などの特別償却によつて生ずるところの減収は七億四千五百万円であります。それから預貯金の利子の源泉選択によつて国庫収入が減るかというと、
大蔵省主税局の推算では増減なしということになつております。それから積立金の二%の課税廃止によつて五億四千万円の減収があると言われているのであります。この三つの措置をいたしましても、国庫という立場から申しますと、減収といつても十二、三億でありまして、大したことはないのであります。私は問題は減税をやろうとする根本精神、根本方針、ここに問題があると思うのであります。その一々について私の卑見を申上げさせて頂きます。
先ず第一の五割程度の特別償却でありますが、これは日本経済再建のためには、こういうような特別の機械や船舶に対して減価償却を多くするということは、これは勿論日本経済の再建のために役立つことは言うまでもないのであります。それだけを抽出すれば役立つのでありますが、併しながら結果からいたしますと、こういうようなものを新たに取得し得るというものは資力の優秀なる大優秀企業でありまして、これは大優秀企業にとつては極めて有利な措置であることは申すまでもないのであります。私はこれは大優秀企業をいため付けようというばかなことを言うのではありません。勿論これも必要ですが、ほかとの比較において考えますと、私はこれは確かに大優秀企業にとつて有利だということが一応言えるのであります。それからその次が源泉選択の復活であります。これは内容は
皆さん御案内の通りでありますが、五〇%預金の利子に対して源泉選択を認める、これは箪笥預金をなくして、預金を吸収するために必要であつて、延いてはやはり
資本蓄積を図るということでありますが、一体これによつて果して
資本蓄積が行われるかどうかと申しますと、私はこれについて疑うのであります。と申しますのは、五〇%で源泉選択をする、ところが
所得税の税率を見ますと、五〇%はどこかと言いますと、この
改正法案によりますと、五十万円を超える部分は五〇%であります。だからナイーブに申しますと、五十万円を超えた部分は源泉選択をやるということになりますが、実はそうは言えぬのでありまして、もう少し精密に考えますと、地方の住民税、市町村民税のことを考えなければいけないと思います。市町村民税は今年のやりかたは、来年からは変るようでありますが、今年のやりかたは前年度の
所得税の一八%を標準税率でとつております。その通り行われると仮定いたしますと、それをも考慮いたしまして、源泉選択を何万円以上のものからやつたら得かという計算を見ますと、結局三十万円以上のものです。年の課税所得が三十万円を超えた分につきまして、源泉選択を請求するのが得だということになるのであります。五十万円ではないのでありまして、
地方税を入れますと三十万円以上ということになります。そこで三十万円以上のものは源泉選択をやるのが得だ、それ以上のものはやらないほうが得だ、そういたしますと、源泉選択制度というものは高額所得者を優遇することになるのでありまして、租税の根本原則であるところの累進課税の精神に反するということは、甚だ教壇論でありますが、そういうことは一応言えるのであります。それから一体貯蓄奨励になるかというと、それはそういうことになることもありますが、必ずしもならんのであります。それはどういうことかと言いますと、貯蓄奨励と言いましても、大所得者は銀行に自分の余つた金を預金なんかにするということは少いのでありまして、大所得者は経済能力がありますので、銀行その他の預金にしないで、それ以外の方法で自分みずから投資いたします。而も源泉選択制度を復活いたしましても、必ずしも大資本の預金の吸収になるとはどうも私は言えぬのであります。問題は我々のような零細の所得者の余つた金、これを集めるのでありますが、これは三十万円を超えた分は有利であるが、その以下のものは却つて損だということになりますと、そういうことはやらない、そういたしますと、どうも貯蓄奨励、又は預金吸引という点から言うと効果が余りないのだというのでありますが、話が非常にそれましたが、預金の吸引にはどういうことをすればいいかというと、預金の利子の引上ということがより有効な措置であります。それからもう一つ、なぜ箪笥預金が殖えるかというと、やはり通貨の価値の将来につきまして、我々は不定を持つからでありまして、即ちインフレの心配があるからであります。それがなければ、箪笥預金はなくなるのであります。それからもう一つ申上げたいことは、これによりまして動産が隠れます。これは事実であります。動産が隠れるということは、法人税を課税する場合においても、或いは富裕税又は相続税を課税する上におきましてもいろいろ脱税を、少し言葉は過ぎますが公認というとまあ助長することを公認するようなことになるのでありまして、税法という点から面白くない。ところが我が国の税法はそういうふうな脱税することも考慮して今度の税ができておるかというとそうじやなくて、
シヤウプ勧告に基き、現在の我が国の税制は、課税物件を一〇〇%残りなく把握するということがその前提になつておるのであります。だからして一部をこれは把握せないということは、その一角から
シヤウプ勧告を基礎として作られた日本の税制というものの形が崩れるのでありまして、この点私は遺憾だと思うのであります。例えば
勤労所得の控際率が二五%であつたのが一五%になつた。ところが
勤労所得というものは割合に脱税が困難なのであります。ところが
事業所得なるものは、ときには脱税が容易な部分があるのであります。そこでそういうものを考慮して、若し
租税制度を作るとするならば、勤労控際は一五%でなく、昔のように二五%がよかつたのでありますが、これを一五%になぜ引下げたかということ、一つの理由は、やはり根本は
勤労所得であれ
事業所得であれ、あらゆる所得の一〇〇%課税物件を把握するということが前提になつておるのでありますが、そういうことが前提になつておるときにおきまして、動産の利子所得だけについてこういう措置を講ずるということは、いろいろ私は問題があると思うのであります。
それから法人の積立金の課税の廃止の問題であります。これもやはり同じようなことが言えるのでありまして、
皆さん御案内の通り、この法人の所得の課税につきまして英国式と大陸式の二つの立場があるということは
皆さん御案内の通りであります。大陸式というのは法人というものに独立の人格を認めて、法人の所得にも重い税金或いは軽い税金をかける、個人の所得にも税金をかける。ところが英国式では御案内の通り結局法人の所得を個人のところに集めて個人のところで課税する。
シヤウプ勧告というもは大体英国式に近いのであります。この場合に積立金に対しまして二%の課税をするということは理論上当然のことでありまして、これを課税せないとどうなるかというと、個人の営業所得者との間に不公平が生ずるのであります。個人の営業所に対しては、これは
所得税がかかります。これは金額に対してかかる、ところが配当されたる
法人所得につきましては個人の
所得税はかかりますが、配当しないで会社に留保した所得、これに対しては個人の
所得税がそれだけかからないのでありますので、個人の営業者の
所得税との間に不公平が生ずる。それから又もう一つは、会社、法人という立場から申しますと、留保所得というものは、いわば無利子で利用するのであります。そのために国庫は一時収入を失うのでありますが、それに対する意味で二%利子をかけようというのであります。これだけ抽象いたしますと大したことじやないのでありますが、私はこれは
シヤウプ勧告の性格ともいうべきものでありまして、ここに
シヤウプ勧告の極めて精密な精神が現われておるのであります。ところがそれを壊すというのであります。私はこれはあとから申し上げますが、
シヤウプ勧告を極めていいものと思つておりません。大いに私は批評するの余地があるのでありますが、少くとも
シヤウプ勧告を前提として日本の税制ができておる今日、これを壊すということはどういうものかと思うのであります。これと同じようなことは、これは今日の法案に直接関係ないようでありますが、有価証券の登録制度、これを実施しないのであります。しないということは、これも同じようなことが言えるのでありまして、これにつきまして有価証券の登録制度を実施しないで、個人の株式などの讓渡所得を十二分に把握することはできません。そうするとやはり今度のシヤウプ式の課税制度において大きな穴を残すのであります。ところがどうしたものか、
シヤウプ勧告におきましても、第一次の
シヤウプ勧告におきましては有価証券の強制登録を非常に強調しながら、第二次勧告におきましてはこれについて一言も触れておらないのでありますが、私はこの点は
シヤウプ勧告におきましての思想の一貫を、統一を欠くと思うのであります。そこで私が申上げたいことは、我が日本におきましては有価証券の強制登録が事実できないのだ、或いは二%の課税はやつて行けないのだ、日本の国柄が若しそういうものでありとするならば、英国式の或いは英国式を加味いたしました
アメリカ式の、シヤウプ式の法人課税方式というか、それが日本に適しないのじやないかと思うのであります。これは私は今初めて言うのじやございませんので一年半前から
言つておるのでありまして、私はシヤウプ式の課税方式に疑問があるということを
言つておるのでありますが、これは今度のこういう措置が行われないということは、やはり日本に実施しにくいところがあるのだということを如実に物語つておるのではないかと思うのであります。それはさておきまして、少くとも
シヤウプ勧告を前提として
租税制度を実施するということは遺憾であります。こういう制度を実施することは問題があると思うのであります。
要するに
資本蓄積のための三つの措置、即ち特別償却問題、それから積立金の課税の廃止、それから源泉選択の問題、この三つは大体大まかに申しますと、大資本、大企業にとつて有利なものであります。私は日本経済再建のためにこういう措置を講ずるということは勿論必要であるということを認めるのであります。それからもう一つは租税形態というものが
資本主義経済秩序を前提としたところの財政形態でありまして、それに矛盾するような租税政策を永久的な政策として講ずることは無論ないのですから、これも私は認めるのであります。にもかかわらず私はなぜこの実際について疑問を持つかというと、
租税制度を見る場合に成る局面だけを見ないで、それ以外の均衡、釣合いということが問題になるのであります。そこで具体的に申しますと、成るほど
資本蓄積は必要でこの措置も必要でありますが、その以外の部門との釣合いを見ますと、私はやはり
社会政策との釣合いを考えますと、そこで例えばこれでいいかというと、
所得税の基礎控際は三万円に上りました。三万円は多いようであります、事変前の価値に直すと百五十円以下になる。当時免税点は二百円以下、
基礎控除の物理的最小生産費、物理的免税という趣旨でいたしたのであります。事変前はどうかというと年千二百円、月に百円以下の場合でなければならんというので、そこに大体の個人の免税の趣旨があつたのでありますが、而も現在は月百五十円ではこれは生活できないのであります。一方でこういう措置をそのままにして置いて、多少引上げいたしましたが減税をして置いて、他方でこういうことをやる。こういう場合は負担の均衡という点からいつて問題があると思うのであります。それだけ抽象すれば勿論結構でありますが、他との均衡との関係において考えれば問題があると思います。幸いにしてこの三つの
資本蓄積に対する措置というものは、これは
所得税法や
法人税法の本法の改正という形をとらないで、
租税特別措置法の改正という臨時措置をとることになりますから、この点は私は非常に結構であります。臨時措置をとられたのでありますから、適当の機会にこれを又廃止して頂きたいと思うのであります。それから又特別償却はどんなものについて償却を認めるかというと、船舶、機械、この機械はたしか命令によつて指定するということになつておるのでありますが、指定される場合にも愼重なる態度をおとりになることを希望するのであります。税制に関する点はそれだけであります。
それから資産再評価に関する問題は極めて簡單に申上げます。資産再評価の問題でありますが、この資産再評価はなぜやるかというと、目的は結局次の三つだと思います。その一はインフレーシヨンによつて生じた資産の価値の混乱を修正するということが第一番、それから第二番の特長は減価償却を適正にして企業経営の合理化を図る、これが二番。三番目はインフレーシヨンによつて生じた社会的犠牲を社会全体が公平に負担する、これが三番であります。こういう目的から今年の資産再評を実施するときに、これはすべて強制とすべきであつたのであります。ところが資産再評価法におきましてはこれを強制にしないで事業用資産について自由にする。最高限は認めておるが自由にするという立場をとつたのでありますが、私はこれは当時からよくない制度でなかつたかと思う。今資産再評価の目的という点から申しますと、すべて強制にすべきではなかつたかと思つておるのであります。自由にいたしますと企業は収益性という立場で評価いたしますので、先に申しました三つの目的のうちの一番と三番の目的を達成できないのであります。現に
シヤウプ勧告においてもこれは強制を命じておるが、それが自由になつたということは一応やはり経済界の要求を尊重したのでありますけれども、併しながらここにもやはり問題があるのであります。そこで今度又資産再評価をもう一度やり直そうということが問題になつております。そこで一般世間に伝わつておるところの議論を見ますと、企業経営の合理化ということは二番の説が中心になつて議論されておるのでありますが、私は一番の立場、インフレーシヨンによつて生じた混乱の修正、それから二番の立場、インフレーシヨンによるところの犠牲を社会全体が合理的に負担するという三番の立場、この三番の立場を尊重されんことを希望するのであります。
それから具体的に申しますと、今度の資産再評価法を改正される場合には、できるだけ先の原則を変えてもらつては困る。従つて税率を下げようというような議論は、インフレーシヨンに伴う社会的犠牲を合理的に分担するという立場からいつて、面白くないのであります。それから物価指数の倍数を変更する、こういうことはできるだけ中止願いまして、昨年の方針を嚴守されないと、いろいろ不公平に伴う更に不公平ができるのじやないかと思うのであります。
甚だ予定以上の時間を取りまして恐縮でございますが、これを以て私の公述を終ります。