○
参考人(松岡三郎君) 私ちよつと個人的な用事がありましで深く研究して参りませんでした。條文をざつと読んだ單なる思付きの点ですが、お話して見たいと思います。私今お話しましたように深く勉強しておりませんが、むしろ法技術的な面からこの問題を
考えて見たいと思ます。
先ずこの
法律を作る必要があるかどうか、作る場合にどういう理想で作るかという問題について感じたことを述べて見ますと、元来
国家公務員が
一般の
労働者と建
つた面があるから
国家公務員法ができたわけです。
ところが
国家公務員がどういう点で違うかといいますと、これは何としても
公務に従事しているという点が一番大きな違
つた理由だと思いますが、この違
つた面が労災
関係でどう反映するかという問題です。私は率直に
考えますと、労災
関係については
公務員の特殊性は何ら
考えられないのではないか。労働時間そのほかいろいろな
実態的な
労働條件については確かに
公務員の特殊性があります。併し怪我をした、その怪我を
補償するという点
はついて
一般の
労働者とどう違うか。例えば各省の次官とか局長が怪我をされた、その怪我をどう
取扱うかという場合に、
一般の
労働者よりも低く
取扱う必要は全くない、できれば
公務に従事しておられるのですから、税金が許す限り多く、よりよく
取扱いたいという気持が我々国民にあるわけです。もつと極端な例を挙げますと、公勝負力中で一番上は吉田総理大臣ですが、吉田総理大臣が週末旋行に行かれます。あれで一週間に四十八時間でありまして、
規定から外されるゆえんは吉田首相の特殊な
公務に基くものだと思うのであります。
基準法から言えば、
労働基準法四十
一條の管理監督の地位に当るものですから、労働時間や普通の休日の適用がない、ただ割増賃金をもらえないだけのことであります。併し吉田首相が閣議の最中の怪我をされた。その怪我をされた場合にそれをどういうふうな
取扱をするかという点になりますと、全く特殊な
考慮をする必要は
なつい、
労働者より
一般的によりよく
取扱つて上げたいという気持だけです。こういう点から見ますと、今度の
国家公務員災害補償法案の
一つの理想というものが、そういう見地から見ますと理想が全くないのです。この
法律を作
つた目的は第
一條に書いてありますが、この目的の第
一條をそういう見地から
一つ読んで見ますと、この
法律を作
つたのは、
国家公務員法第九十三條から九十五條までなのです。一体
国家公務員法九十三條と九十五條というのは非常に悪い
規定で、非常に杜撰だと言いましようか、今の資本を全く知らないものだと思うのです。なぜかと言いますと、例えば非常に技術的なものを取上げますと、九十三條、九十四條からは、これを読んで見ますと九十三條で
公務員が
補償される理想というものは、
公務員が怪我をしたという場合の損害の担保だけであります。これは
労働基準法よりも低い、
労働基準法の理想というのは損害の担保ではなくて生活の
補償です。なぜ
公務員たけが損害の担保に過ぎないかどうか、その
理由は今申上げましたように全くない。それから九十三條九十四條からの
考え方から見ますると、葬祭料というような
考え方は全くないのです。葬祭料が出て来る余地はない。この九十四條は「前條の
補償制度には、左の事項が定められなければならない。」という中で、この中には葬祭料という
考えは全くないのです。又
公務員の福祉に必要な施設という
考え方も九十三條、九十四條からは出て来そうにない。そうすると、この第
一條はもうすでに嘘をついておるのです、嘘をつかない
法律にしようと思うなら九十三條、九十四條に基く
法律でない
法律を作るべきである、そういう九十三條、九十四條は吹つ飛んで、今言いましたように
公務員を
一般労働者よりもよりよく
取扱うようにしなければならないということが出て来ると思うのです。そういう観点から言いますと、ここで
一般職の
職員と特別職と区別する必要も全く認められないのです。この九十三條、九十二條に基くからこそ
一般職ということが出て来るのですが、九十二條、九十三條のことを全部
考えから除きますと、
一般職に限らず特別職をもできれば
労働基準法よりも上の
取扱をすることになるのではないかと思うのです。
それからここの第
一條の
考え方を見ますと、「迅速且つ公正に行い」というように書いております。この中には十分な
補償ということは少しもない、迅速と公正だけなんです。それでその迅速というのは一体あとの條文の中にどこへ出て来るかといいますと、これはどこにも出て来ないのです。どこへ出て来るかといいますと、あえて言えば第二十四條に審査権請求があ
つたときに、「
人事院は、すみやかにこれを審査して判定を行い」というそこの「すみやかに」という言葉の中に出て来るだけであります。今これを読みました一番の感想から言いますと、怪我をして或いは死んだというときに、各省に
補償してくれと言います。それで各省が
補償しなか
つたらどうなるか、
補償しなか
つたら全く審査の請求もできないのです。これは読んで見ますと、「
公務上の
災害の認定、療養の
方法、
補償金額の
決定」つまりそういう
決定をしなければ何も救いようがない、今までの
官庁のやり方を見ると、要求しても一年も二年も放
つて置く。放
つて置かれたときにどういう訴えができるかというと、つまり金額の
決定をやらないのならやらないという処分、或いは幾ら幾らという処分、そういう処分がなけれ一審査ということの請求はできない。放
つて置いてもこの審査はできるのだというおつもりでしたら、これはそういうように直して頂かなければならないのじやないかと思うのです。今のこれは結局は行政訴訟という形になるのだと思いますが、今の行政訴訟では、処分がなければ行政事件訴訟特例法で救済を求めることはできないのです。これはだから処分がない場合には不許可処分というような解釈で行けるかどうかというと、今の学界ではそういう解釈ではいけないとすると、このように生存権に一番
関係のあることを、そのように今の自由主義の
法律のほうに任しておいてよいかというと、私はどうしても任しておけないように思うのです。ですから若しこの場合に、速かにというこの第
一條の根本的な目的が嘘でないというためには、二十四條をむしろ
改正すべきだ、どういうように
改正すべきかというと、怪我をしたとかいうときに療養
補償、或いは金を全くくれないというときにも、
異議の申立ができる、或いはくれないというときに、例えば二週間ぐらいに何ら各省が面倒を見てくれなか
つたというときには、この面倒を見なか
つたのだとみなすという一項目を入れて、それで
人事院に、
異議の申立ができるという形にしなければ迅速ということに空念仏、そういう法的な保障がないのだと思う。私今言いましたように、元来労災に関しては
公務員について特別な
規定を設ける必要がないと思う。設けるとすれば
一般の
公務員よりよりよい迅速な
補償、ですから私は第
一條で迅速という言葉を使われたと思うのですが、この迅速ということについて何ら法的な保障をしていないのです。又ここで
異議の申立の期限のことですが、これが二十四條について、
異議の申立について、明治時代に作られた訴願法というものが適用されるおつもりであるかどうか。若し訴願法を適用されるつもりであるとすると私は非常に反対なのです。この面について明治時代に作られた訴願法を検討し直されて、この
規定に入れるべきではないかというように思います。
それからその次に、第
一條の目的は公正ということが書かれてありますが、この公正な自的、公正に
災害補償をする、その公正の法的な担保がどの條文に現われているかという問題なのですが、この点について私は必ずしも公正な法的な損保があとに出て来ないような気がするのです。今言いましたように、この労災については、
一般労働者と特に違
つた理由は殆んど見出せないとすると、この面についてむしろ公正なやり方をしようと思うなら、労働
基準局の協力を求めるような法的な構造のほうがむしろ望ましいのではないかと思うのです。と言いますのは、今の
人事院の機構で勿論
専門家はたくさんおられますが数が少い、数が少いということにサービスの公正に欠ける懸念があるような気がいたいします。これについて何か
基準局の協力を求めなくても公正にや
つて行けるのだというおつもりだ
つたら、そういう何かの法的な保障をどこかの條文に附加えるべきじやないかというように思うのです。ただ公正をいう点を見ますと、
基準局の協力を求めているという点は二十五條に見ようとすれば見ることができるのですが、ここで、
人事院は「従前の
労働者災害補償保険審査官若しくは
労働者災害補償保険審査会の
決定又は裁判所の判決に
矛盾しないようにしなければならない。」ということです。このときに
矛盾しないようにしなければならんとい
つた場合に、
矛盾したらどうか、その法的な跡始末はどうするかと言いますと、この点が
はつきりわからないのです。裁判所の判決に
矛盾しないようにしなければならないということは、これは行政事件訴訟特例法に書いてありますから、この点も問題ない。そうすると残
つたのは、審査官の
決定に
矛盾しないようにしなければならない。
矛盾した場合に、例えば
人事院が
矛盾したことをやりますと、これは二十五條違反であるから違法な処分だ、違法な処分だとすると、行政事件訴訟特例法によ
つて人事院の
決定を取消すという訴えができるかどうかという点が、問題になるわけです。この点ができるようにも思うしできないようにも思う。この点立案者のお気持が
はつきりするならそこに書いて頂きたいと思います。
それからもう
一つ私は感想なんですが、
人事院というのは非常にえらい役所だと思
つていたら、これを見ますと、一介の審査官の
決定に屈服するというので、非常に
人事院の地位が転落したような印象が起るのです。この点がどうもいろいろな感想を抱かれるので、この点もあとに誤解の起らないように
はつきりして頂きたい。どちらでもいいと思うのですが、
はつきりして頂きたいと思います。
それからあと多少思いつきで、小さい字句の両を伺いますと、六條の「国は、
補償の原因である
災害が第三者の行為によ
つて生じた場合に
補償を行
つたときは、その価額の限度につおいて、
補償を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得する。」という場合に、損害賠償の請求権というような問題ですが、この請求権を
公務員が放棄したらどうか。つまりどうせ国からもらえるのだから、第三者と
話合つてこの請求権を放棄したというような場合の跡始末が、
基準法を運用して見ると、この問題があちらこちらで問題にな
つておる。とするとここで
一つその
基準法の経験を活かして、何か
はつきりした
法律的な措置が必要だというような気がいたします。
それから又小さい問題を言いますと、十四條ですが、「
職員が重大過失によ
つて公務上負傷し、又は
疾病にかか
つたときは、国は、休業
補償又は障害
補償を行わないことができる。」この場合に「重大な過失」ですが、故意の場合はどうか。故意に自分が怪我したという場合には、休業
補償がもらえるのかという疑問が当然出て参ります。重大な過失の場合にもらえないのだが、故意の場合にもらえるということはおかしい。重大な過失の場合にもらえないとすると、故意の場合ももらえないのは当然だというように解釈を恐らく立てられるかも知れませんが、頭の固い裁判官は反対解釈をやる、重大な過失によ
つては休業
補償はできないのだけれ
ども、故意による場合は書いてないから、故意の場合にはもらえるのだというように裁判するのが、概念法学をや
つている裁判官の中にいますからつ、こういう点も
はつきりして頂きたいと思うのです。
それからその次の十六條のほうは、前條に
規定する
職員の遺族
補償の問題ですが、その場合に第一号として配偶者というのがあります。その配偶者の中に括弧して「婚姻の届出をしないが、
職員の死亡当時事実上婚姻
関係と同様の
事情にあ
つた者」ということについてですが、ここで、配偶者というのは結婚届出をしたものです。
ところが結婚届をしながら、その奧さんを面白くないというので、届出だけはそのままにしてほかの女性と事実上の婚姻
関係を長い間しているという場合は、その人が死んでしま
つたという場合に、一体もらえるのは何年も一緒におらない名義上の配偶者なのか、或いは事実上何年も一緒にいる配偶者なのか、この点が
はつきりいたしません。それから又事実上の婚姻の
関係でも、中に非常に浮気な著がいる、
公務員が皆道徳家であるというわけでもない。そうすると事実上の婚姻
関係をたくさんや
つているというときに、誰が一体もらえるのかということも
はつきりいたしません。それから又事実上の婚姻
関係というのは、一体何であるかという問題で、私この場合には事実上の婚姻
関係というのは、やはり單なるいわゆる肉体
関係ではなくて、夫の収入によ
つて生活を維持している者、つまり第二号、あの思想がこの中に入るのじやないかと思うのです。そうするとこの点も、
はつきりそうでないとすれば、そうでないということも書いて頂きたいのですが、いずれにしても
法律上
はつきりしないのです。この点が気にかか
つております。
ほかに細かい点がまだ多少残
つておりますが、一応私の思いつきはその程度でございます。