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1951-05-16 第10回国会 参議院 厚生委員会 第28号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年五月十六日(水曜日)    午前十時三十九分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○医師法歯科医師法及び薬事法の一  部を改正する法律案内閣提出)  (右法案に関し証人証言あり)   —————————————
  2. 山下義信

    委員長山下義信君) これより厚生委員会を開会いたします。  本日は医師法歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律案審議のため、証人として東大医学部長見玉桂三君、岡山医大名誉教授田中文男君、東北大学医学部長黒川利雄君、大阪大学医学部長黒津敏行君、九州大学医学部長戸田忠雄君、東京薬科大学長村山義温君の六人のおかたに御出席を願つております。  これより証人宣誓を求めることにいたしますが、宣誓に入ります前に証人かたがたに申上げます。証人虚僞陳述をし、正当な理由なく証言を拒んだりいたしますと、法律によつて罰せられることになつておりますので、念のために申上げて置きます。  それでは証人のかたに順次宣誓を求めることにいたします。宣誓書の御朗読を願います。総員起立をお願いいたします。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 児玉 桂三    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 田中 文男    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 黒川 利雄    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 黒津 敏行    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 戸田 忠雄    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。        証人 村山 義温
  3. 山下義信

    委員長山下義信君) 御着席を願います。本日、大体御証言をお願いしたいと存じまする点は、医科大学におきまする教育内容、特にその教育内容に関連いたしまして、医学教育を終え医師と相成りまする者の調剤能力との関係という点につきましても、御証言を願いたいと思うのであります。なお薬学部というものを別に設けられておられまする学部等につきましては、薬学部を別置せられました理由等につきましても、御証言を願いたいと思うのであります。関連いたしまして、この医師薬剤師との調剤能力差異等につきましても、我々に参考になりまするような御証言をお願いしたいと思うのであります。又最近の医学進歩状況等につきましても、御証言を願いたいと存ずるのであります。且つ又最近の医学進歩と、現在の医師のそれらの医療上におきまする進歩状況との関係等も承わりたいと思うのであります。なお多数の医学生教育しておられます各位から、現在の我が国におきまする医師の適当なる数と申しますか、或いは医師がすでに過剰傾向にあるのではないかという説もありますので、そういう傾向有無等につきまして御証言を願いたいと思うのであります。薬科大学長の村山証人からは、同様に薬科大学におきまする教育内容等につきまして御証言を願い、且つ只今申上げましたような諸点に触れての御証言を得たいと思うのであります。只今大体の御証言をお願いしたいという点を申述べたのでございますが、なお他の委員からも御証言を願いたいという点がありますれば、冒頭に御希望置きを願いたいと存じます。なお御証言のありましたあとで、委員各位から証人皆様がた質疑があると存じまするので、その質疑に対しましては適当に御答弁、即ち御証言をお願いしたいと存じます。それでは順次児玉証人田中証人黒川証人黒津証人戸田証人村山証人という御順序で御証言をお願いしたいと存じます。松原委員何か御発言がありますか。
  4. 松原一彦

    松原一彦君 只今委員長から、目頭の本日御証言を願う要点は盡されたように思いますが、私も念のために是非お願いしたいことがございます。それは今日、私ども審議を託されております法案は、世にいわゆる医学分業法であります。これは明治二年以来の懸案終止符を打とうという重大な問題でございます。ここに日本医療史上における法律上の一時期を画するものでございますからして、十分に念を入れて、公正に誤りのないようにしなければならんという考えを持つております。これは私ども責任でございます。今日は、当代医学界の権威であり、又医者を養成し、薬剤師を養成しておいでになる尊敬すべきかたがたから、この重大な画時代的な法律を作る上に、正確なる御証言を得て、誤りのないように期したいのでございますから、私どもは、この中には専門家もおりますが、私のような準備のない素人もおるのであります。これは国民的立場から、疑義を解明して置かなければならんと思いますので、すべての国民納得の行くような立法でなくてはならん。そうしてそれが全国民の幸福に寄與するものでなくちやならんと、かように思うのであります。でありますからして、私が特に疑義を持ちます点は、医薬は自ら世界先進国のような状態に相成るものだということを実は信じておるものであります。併し医者と称する、医師と称する者の責任範囲において、処方箋を書いて自己の診療する患者に対する、その処方箋調剤と称するものが、現代の医師としても、将来の医師としても、それは法律上禁止せなければならないものであるかどうかという点に、根本の疑問があるのであります。若し禁止しなくてはならんということになりまするというと、将来は、医師單独開業は許されないと思います。医師薬剤師が、双方両立しなければ医業というものの開業ができないということになります。これは重大なる法律上の問題だと思います。又医療史上の問題だろうと思います。この点につきまして、その調剤というものが今日の法律にはなつておる。調剤というものが一体何かということが実はわからんのであります。この調剤学というものをここで初めて読んだのでありますが、調剤とは薬品を調合して薬剤を作り、これを患者に交付する理論を講ずる化学を言うとありますが、これは調剤学でありますが、單純な原薬というがどうか知りませんけれどもが、一つの薬をただ分量を分けて患者に與えるということも調剤の中に入るものか、或いは一つの粉末を水に解いて区分して、これを與えるということも調剤なのか、或いはできた錠剤を與えることも又これ医師調剤投薬というものの中に入るのかどうか。こういう点について実は私全くの素人でありますためにどうにもわかりかねるものを持つておるのであります。で医学上又薬学上今日の公認せられた許可薬の種類のうちで、医家が薬局に、薬局とは申さないかも知れません。薬室に持つべき最小限度範囲、それの投薬のための操作、そういうことは果して調剤なのか、それをも理想として或いは現実として禁止しなければならないというようなものかどうかという根本の問題、それを学術的にも、或いは医師というものを養成しておいでになります医師技能責任の上からも解明して頂きたいのが私の希望であります。これは私も委員長に要求いたしましてはるばるおいでを願いました根本の問題なんです。この点を全国民納得をするように御解明頂きますならば、この法律案審議は非常に順調に進むものと思う。私どもかような重大なる七十年来の懸案終止符を打とうというのでありますから、どうも責任の重さに堪えかねておるので、その点につきましての本日は時間を取りましても、国民納得の行くどころまで御解明を頂きまして、参考に資したいというのが、私どもの仲間の希望であります。どうぞそういう希望を御斟酌下さいまして御陳述を頂きたい。その上でなお疑問の点は後刻ゆつくり一々の項目に亘つてお尋ね申上げたい、かように思うものであります。
  5. 有馬英二

    有馬英二君 私は特別に申上げるというほどでもないのでありますが、はるばる本日証言陳述のためにお出でを願いました各位におかれては、平素多数の学生若しくは生徒を教育しておられるかたがたであります。誠にその表現の責任の重大であることは申すまでもないのでありますが、先ほど委員長から数項にわたつた項目をお示しになつたのでありますが、なお附加えまして、そのほかに今日問題となつておりまするいわゆる強制医薬分業ということにつきまして、各位がこれは個人的でも一向差支ないのでありますが、それぞれこれに対する御意見をお述べ願つたならば私どもの非常に参考になることと思うのであります。どうぞその点を、私から特に委員長先ほどお話になりました数項のほかになお附け加えさして頂きたいと思います。
  6. 山下義信

    委員長山下義信君) それでは兒玉証人から御証言をお願いいたします。
  7. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 先ほど委員長からいろいろお尋ねの各項目がございましたが、その第一点の医学教育におきまして、どの程度調剤の問題を教えておるかという御質疑に対しまして、東京大学医学部学生に教えておりますところを私からお答え申上げたいと存じます。  申すまでもなく医学教育におきましては医師患者の生命に対しまして、全責任を負うという観点からして診察して治療に至りまするまでの間に必要でありますところのあらゆる知識技術とを教えておる建前であります。その間におきまして御質問調剤がどの程度まで実際行われておるか、教育されておるかという問題でございますが、東大におきましては大体薬理学という講座の中に包含されて、その薬理学講義の中に織込んで教えられておる現状であります。薬理学は第一学年学生の三学期と第二学年学生の一学期、二学期におきまして講義が九十五時間と実習が三十時間ございます。合せて百二十五時間、それから第三学年の一学期におきまして、臨床薬理学というものがございまして、これに対しましては、七・五時間の時間を與えてそこで講義がなされておるわけであります。全体すべての私ども医学教育に使つております時間のパーセンテージから申しますと、医学教育基準では四%となつておりますが、私のほうでは合せまして三・五%に少し足りないくらいになつておりますが、そういうふうな時間の振合いになつております。その間におきまして処方学及び調剤学の面におきましても十分とは申されませんが、最小限度に必要なところの課程は教えておるのでありまして、その内容は、先般担当の小林教授にお伺いしましたところが、小林教授は、京都大学の前教授でありました森島庫太先生が書かれました処方学という本の改訂第七版、これを一つ見てくれと私の所に持つて来られたのでありますが、大体これにありまする内容のことを一通り教えておられるのであります。これは僅か百四十ページくらいの書物でございますが、この処方学という教科書の中には、薬品取扱い方、それから保存方法、それから配合禁忌の問題、それから散薬はどうして作るか、丸薬はどうして作るか、錠剤はどうして作るかというふうなこともあり、大体これに書いてあるようなのでありまして、この教科書内容を今申しますと、薬理学講義のなかでときどき教えておるのであります。従つて東大を卒業しました学生というものは、大体自分処方箋も書き、そうしてその処方に書きましたところのいわゆる調剤するための能力は一応持つておるというふうに私は考えるのであります。それで薬理学のほうにおきまして、調剤学というものがどの程度教えられておるかという点につきまして、先般も薬理学教授にお伺いしたわけでありますが、東大におきましては、講座といたしまして、近く製剤学という講座が設けられるということになつております。今日まではなかつたのでありまして、これは近く、正式のまだ通知は受けておりませんが、その講座が新設されることになる、そういう段取りになつておるのであります。薬学のほうにおきましても、その学生教授の面におきまして、薬品の製造でありますとか、合成でありますとか、そういうふうな面においては随分教授をやつております。調剤という面につきましては、大体大同小異であろうと私は感じております。この調剤技術というものは私の考えでは深い技術を要するものではないと思います。一般に化学的な操作というものができるという人間でありますならば、そこに処方箋に何グラム、何グラムというふうに盛られておるものを集めて参りまして、そうしてその指示に従いまして、その薬を調剤して行くという技術でありまして、天秤で計るとか、或いはメートル・グラスを使うというふうなことが一応できますならば、調剤ということはできることと思います。ただそこに配合禁忌の問題でありますとか、或いは何かもつと複雑な、二つのものを合せて複雑な変化が起つて他のものに変つてしまうというふうなものがあるかも知れません、そういうふうな配合禁忌の問題にいたしましても、大体処方にそういうことを書くということが間違つておるのでありまして、これは調剤技術という問題とは別個の問題だろうと私は考えております。従つて調剤技術というものは、それほどむずかしい問題ではなくて、今述べましたように、一応化学的な操作ができるという基礎があります人間であるならば、割合に楽にできることであろうと考えております。従つて私は医師調剤能力なしということは決して言えないだろうと思います。むしろ医師調剤能力があるというふうに思つております。  以上が医学教育の面におきましてどういうふうに調剤が教えられておるか、又その医師にその能力がありやなしやという問題であります。  なおいろいろお尋ねがあつた中で、どういう順序にお答えしていいのでありましようか、一つ委員長から御指示を願いたいと思います。
  8. 山下義信

    委員長山下義信君) 証人証言したいと思う分をお述べ下さつてよろしうございますし、順序は前後いたしてもよろしうございます。
  9. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 先ほど有馬さんから医薬分業についてどういうふうにお前は考えておるかという意見が述べられましたが、これは私としまして私の考えておることを一つ申上げたいと思います。これは社会の進化につれまして、いろいろ職業というものがだんだんと専門化して行くということは、これは当然なことであろうと思うのであります。従つて医という職業におきましても、いろいろその中におきまして職業上やりますところの技術的な面におきましても専門化して行くということはこれは当然考えられることであろうと思うのであります。それで調剤という一つの面におきましてもそうでございますし、なお最近のアメリカなんかにおきましても、尿の検査或いは血液の検査というふうなことにしてもそれぞれ専門家ができて、医者はそちらのほうにやつて頂くというふうなことも行われておるようであります。又最近におきましては、日本におきましても栄養士という一つ職業法律化されてできておりまして、患者の食事に対しましては栄養士がやつておるというふうにだんだんとなつて来つつあるようであります。併しこれは成るほど医者が、自分が一々そういうことに手をかけて行くのには時間が足りないから、自分の最も信用するかたがたにそういうことをお手助け願つてつて頂くという建前でありまして、医者ができないからやつて頂くという建前ではないと私は信じます。若しそういうふうなことで医者薬剤師のかたに調剤を任すということは、ただ自分のやるべきことを、非常に忙がしいからやはりその専門家の人にやつて頂くということが建前でありまして、そのことは丁度医者がやはり栄養士の職を兼ねて、そうしてこういう患者にはこういう食物が適当だという処方を書きまして、栄養士にそれを渡していろいろ調剤することをやらずに、栄養士に任すということと同じであろうと思うのであります。若しその場合に、医者調剤する能力がないということでありますと、丁度医者栄養士に任すと同じように医者が飯を炊くとか或いはおかずを作るところの調理をする能力がないということを法律によつてきめようということと同じだと思うのであります。それは少し私といたしましては、それほど法律で以てそれをきちんと分けなくちやならんという理由一つも見出だすことができないと思います。ただ医者はそういうかたがた協力を得まして、そうして自分診療を完全にやつて行くという建前であつてお互い協力してやつて行くという建前であると存じます。従つて医薬分業の問題というものは、そういうふうに考えて参りますと、やはり医者とそれから薬剤師かたがたお互い協力して、そうしてやつて頂くという道徳的な面においてお互いに手を結ばれるということが当然なことでありまして、お互いに他の専門を尊重し合うという建前でありまして、そこを法律で以て両者きちつと区別してしまうということは、私は非常に不必要な問題であろうとこういうふうに考えております。私のほうの医学部におきましては、すでにずつと以前から医学教育というものと併行して、そうしてやつております。それでお互い両者が話合いまして、そうしていい薬を作る。そうして互いに研究し合つて、我々の幸福のために努力しておるような次第であるのでありまして、そのお互い協力というものは実は麗わしい協力であると私は見ております。でその学校を出ました薬学士というものと医学士というものとが社会に立ちまして、お互いに今度は反擬してしまう。専門分野きちつときめることは結構でありますが、お互いにそれは尊敬し合つて、そうして携えて共に民衆の健康のために努力して行くという姿が私は実に麗わしいことである。又そうなくちやならんのであるというふうに考えておる次第でありまして、それぞれの専門お互いに尊重するということは、誠に私は結構なことであろうと思いますが、そういう了解の下に進むということが、この医薬分業におきましても、当然あるべき姿であろうと、そういうふうに私は考えます。お互い能力がないからというようなことで以てやりますというと、そこにいろいろと不都合な問題が生じて来ると、実は感じておるのであります。まあそういうふうなわけでありまして、強制医薬分業ということにつきましては、私は反対であります。道徳的にこの問題は解決して行くべき問題であるというふうに考えておるわけであります。  それからしてなおお尋ねの中に現在の医者が過剰であるかどうかという御質問がございましたのですが、この点につきましては、私余り詳しく御意見を申上げることはできないと思いますが、今年からして我々医学部入学者の数を百三十名でございましたのを八十名に減らしました。併し八十名に減らしましたが、大体今年だけの措置としまして、いわゆる白線浪人を吸収するという意味におきまして、二十名を殖やしまして百名にしました。そういうわけで、これは全国的に医科大学におきまして、今までの定員よりも少し少なく取ることにしております。これはつまり医者が過剰であるという建前からして、そういう結論が導かれまして、そうして医学教育の面におきまして採用人員を少なくするというふうにいたしたようなわけでありまするからして、この日本現状といたしましては、医者が少し過剰であるのじやないか、こういうふうに考えて私は差支えないと思います。然らば何人ぐらいのところまでそれをしぼつて行くならば適当かという点につきましては、私今日まだはつきりした御意見を申上げることはできないと思います。  それからして最近の医学進歩というものの状態、それが又この医薬分業にどういうふうに反映するかというようなことについての意見を述べろというような委員長からのお話があつたようでありますが、どうもこのいろいろ最近は医学進歩、特に治療方面におきましての進歩というものは、最も著しいのは抗菌性物質アンチブロチツクスに関する進歩であろうと私は思います。ほかにもたくさんあるかと思いますが、これは最も著しいと思います。即ちストレプトマイシンとか、ああいうふうな生物学的製剤、この研究は主として医学者の手によつて開始されまして、それでだんだんとそれがまあ製薬者、つまり薬学系統のかたの手によりまして作られつあると思います。併し薬学系統のかたよりも、むしろ日本なんかにおきましての傾向明治製菓でありますとか、或いはその他のああいうところがやつておりまして、少しこの製薬業者系統とは違つて来ておるようであります。でこういう新しく発見されました製剤に対しましては、薬剤師かたがたも十分に今後におきましては知識なり、それから取扱いなんかをやはり弁えなければいかんと思うのでありますが、遺憾なことには、東大医学部におきましてはまだ抗菌性物質などの講座ができておりません。その講義なんかにつきましてはむしろ医薬のほうからの応援で講義をしておるというような現状だろうと思います。これは将来まあ我々のほうの薬学のほうの面を充実いたしまして、是非とも近い将来におきまして、取入れまして、こういうふうな抗菌製剤講座薬学のほうにおいても置きまして、薬剤師のかたにも十分そういう知識なり取扱いを知つて頂かなければならないと考えております。今日はまだそこまで進んでおらないような状態であります。そういうふうな新らしい製剤なんかにおきましては、むしろ医学の面からしてそういうものがどんどん研究されて参つておるということでありまして、その使用方法というような、調剤ということは或いは言えないかも知れませんが、そういつたものは薬学よりもむしろ医学のほうのかたの人間が指導的な立場をとつておるような次第であります。今後どういうものが出て参るかわかりませんけれども、いろいろそういう面におきましても問題が出ました場合に、調剤能力調剤ということがそういうものを何ミリとか何グラムとか分けて患者に與えることであるというふうになりますと、そういうことはできないということになりますというと、これは非常に又差支えが来ることと私は存じます。まあ大体私がお答え申上げることはそんなことでございますが、よろしうございましようか。
  10. 山下義信

    委員長山下義信君) よろしうございます。又あとで伺わせて頂きます。  次に田中証人から御証言をお願いいたします。
  11. 田中文男

    証人田中文男君) 私は証言をいたします前にちよつと私の立場を申上げて置かなければならんと考えます。  私は明治四十三年から昭和十五年まで岡山医学専門学校岡山医科大学になりましたのちにおいても満三十年間教授として職を勤めており、その間八カ年間医科大学長をしておつた者であります。その後昭和十五年から自分診療所を開いて一般患者診療をしておる者でありまして、恐らくそういう立場から私をお呼びになつたことと考えます。従つて直接今医学に携つておりませんから、何とぞその点お含みをお願い申上げます。  先ず第一の医科大学におきまして調剤ができるような教育が行われておるかどうかということにつきましては、只今証人のかたが詳しくお述べになりまして、私は全くその通りであるという感銘を受けました。で岡山医科大学におきましても、私が辞職いたしまする昭和十五年の際におきましては、薬理学並びにその中に処方学を含めて、やはり時間は一カ年間を通じてほぼ同様でありましたし、なお又そのほかに薬理学実習というものも施しております。その後私は現状についてよく知りませんので、先般この証人の出頭を求められましたのちに、岡山医科大学薬理学教授山崎教授にいろいろ質問をしました。なお又学生にも聞いて見ました。ところが、やはりその当時とほぼ同じようであります。なお調剤のほうにつきましては、薬局長によつて講義が行われておるそうであります。こういう点から考えてみまして、私の過去三十カ年間医職に携つておりました当時と参照いたしまして、岡山医科大学、これはどこの大学でも全く同様と考えますが、岡山医科大学の卒業生が十分調剤はできるのみならず、この薬理的の作用というものにつきましては、却つて或いは失礼かも知れませんけれども薬学だけをお修めになつたかたよりも、より深き知識を以て薬を扱うことができるのではないかと私は信じております。これだけが私が調剤のほんとうについて申上げることであります。  次にこの医薬分業の是非についてということにつきましては、兒玉証人からもお申しになりましたが、医師患者の診断治療に対して全責任を持たなくてはならん。そういう理想を以て患者を診断治療しなければならん上私は学生にも教え、又自分でもそういうつもりでその理想に近付かんとして努力しておるものであります。で診断、治療は單に単純なる診察室での診察、治療のほかに、なお他の理学的或いは化学的、或いは細菌学的、いろいろの補助診断治療法があります。御承知の通りレントゲン線であるとか、或いは又化学的の精密な検査であるとか、或いは細菌学の検査であるとか、こういうものもできれば一人の医者がすべてやつて、そうして患者治療することが理想だと考えます。勿論この中には調剤投薬は勿論のことでありますし、これも二、三十年前まではかなり一人の医者がやつた程度にやつて来ておつたのでありますが、併しながらいろいろ学問が進歩するにつれ、技術等もいろいろ複雑になりまして、只今のところは簡單なる化学的検査、或いは黴菌学的検査、或いはX光線の検査等は、簡單なものは、それは行い得ますが、少し複雑になりますと、これはそれぞれ専門家、やはり先ほど兒玉証人が言われたごとく、自分が信頼するそれぞれの専門家に依頼してその検査を乞い、そうしてこれを診断の参考にし、或いは又場合によつては進んでその治療をしなければならないということになりまして、これはもうすべてやはり医師責任において施行しなければならないことと考えます。勿論これらのほかに調剤投薬ということは医療上においても最も重要な一面でありまして、この点は他の技術のごとくさほど困難なるものではありません。医科大学の卒業生によつて十分行い得るものでありまするから、而もその医師自分投薬責任を持ち得る、自分調剤投薬責任を持ち得るという点において、患者のためにみずから投薬することが私は最も理想的、最も理想に近いものであると考えます。現在の任意医薬分業と申しまするか、それが理想に近いものではないかとさえ私は考えているのであります。  私は専門は耳鼻咽喉科でありまして、少しく外科的方面に属しております。従つて投薬調剤投薬という方面は、ほかのほうより非常に少いのでありまするけれども、いろいろな医薬、殊にこの頃新らしくできました医薬は、個人に対する反応が非常に差異がある。これらは投薬調剤投薬をいたしますことの少い私においても非常によくわかつていることでありまして、従つてその調剤を、ただ処方箋によつて薬剤師のかたにお頼みするということについては、医師として少し責任を持てないような気持がするのであります。又病人のほうからいたしましても、自分の信頼する医師から薬をもらつたほうがよほど精神上にも安心を與えることになり、病人も又幸福ではないかと私は考えております。耳鼻咽喉科の私でもそういう感じを持つているのでありまするから、私は、内科小兒科のかたには一層その観念が強いであろうと考えるのであります。現に私はこのたびこの参議院に証人として喚ばれた。それは医薬分業のことがある。こういうことにつきまして一昨日私の曾つての同僚でありました小見科の好本という教授が私を訪問されました。この好本教授は、少し余談になりまするが、ただもう私と同年ぐらいの六十八、九歳、夫婦二人だけです。それで別に金銭上の欲望の全くないかたです。これが看護婦も使わず、女中も使わず、二人だけで小兒科の診療を老後の計のためにやつておられるのでありますが、そのかたが私を一昨日訪問されまして、君は東京へ行くそうだが小兒科医の私としての立場をよく君呑み込んで置いてくれ給え、それは自分は、というのは好本……やはり岡山大学の名誉教授ですが、今……。自分は薬を長くやる、殊に慢性の疾患のときには患者に薬の名前を教える。そして或いは薬剤師に頼み薬店から買わせる。そうして飲ましているけれども、急性疾患の場合には、私は自分自身でやらなければ安心できない。小兒においてどういう急変があるかも知れないので、ただ処方箋だけ出してそして薬剤の治療責任が持てない気持がする。現に母親の前で自分は子供に薬を飲まして、自分で薬を飲ましてやつて見ておることもある。そういう場合があるから私は……、好本教授ですが、私は強制的の医薬分業ということには全く反対である。こういううことを私に皆さんにお伝えして欲しいと言つて来られたのであります。証人以外の言葉でありまするけれども、そういう適切な例、注意がありましたし、又成るほど調剤投薬の少い私が感じておるくらいのことでありまするから、成るほど小見科及び内科医のかたにおいては一層その医薬強制分業の弊を嘆いておられることであろうと、これは却つて医師責任感を少くするのみならず国民の不幸になりはしないかと私は考えておるものでありまして、この医薬の強制分業というものについては私は賛成し兼ねるのであります。先ほど委員のかたから仰せられたごとく、これは重大なる問題であります。この点についてまあ私も喚び出しを蒙りましたから岡山からはるばる出かけて来たわけであります。で私はアメリカに三度参りました。まああとの二度は一カ月間くらいずつでしたが、初めは二年半くらいおりました。二年半もおりません。二年余おりました。二年三カ月。で多少アメリカの事情に、通じておるわけではありませんが、まあ少しは知つておるのであります。その間に私は不幸にして、今から考えれば後悔しておるのでありまするか、アメリカにおける医薬分業ということについて余り注意をしておりませんでした。併しその当時私が見聞いたしましたことは、私ボストンにおりましたが、ハーバード大学にちよつと学んでおりましたが、私の友達が、やはり日本人で下宿で病気になつた際に、下宿屋の小母さんが心配して医者を呼んで来た。ところが医者が来て診て、そして病気の容態を察して、これは連れて来てはいかんというので薬を調剤して自分にくれた。すると工合が非常によくなつたと言つて非常に感謝しておりました。そういうところから、これはアメリカにおいては強制的の医薬分業ではないんだろうとこう考えておつたのでありますが、その後、まあこれは州によつて、アメリカは州によつて法律が非常に違いますから、アメリカ全体一定しておるとは考えませんが、まあ大体そういうふうになつておるのではあるまいか。これは何か雑誌で読んだこともあります。法律で以て医者投薬を禁止していないというのが事実らしく考えられます。で成るほど一見このアメリカの大都市の医師の開業状態を見まするというと、全く処方箋で以て、薬は処方箋で以て薬局から取るようになつておるらしく見えます。併し私考えまするのに、アメリカの少し大きな都会におきましては、開業するのに日本のごとく一軒の家を構えておる人は殆んどありません。ビルデイングの中の一室か二室を自分のオフイスとして、そして開業しておるのであります。看護婦兼事務員として女が一人、いいところで二人くらいおります。そうしてそこに病人が来まするならば若し重い病人ならば、内科的病人でありましたならば自分の連絡しておる病院に連れて行つて、そうしてそこに入院させる。そうして自分が毎日往診して診ておる。なお外科的疾患でありましたならば、自分の連絡しておる病院にやはり持つてつてそこで自分が手術する。そうして患者を入院さして置く。そうして自分は又毎日縄帯の交換或いはその後の経過を観察に行つておるような状態でありまして、人もなければ室もない。そういう設備を一々多数の医者が拵えておつては到底改良ができないのでありますから、そういう設備になつておりまするというと、勢いこれは薬はくれと言つて医薬設備を、実は投薬をする設備、調剤をする設備をこれに附けることができないのです。日本におきましても二十三年ですか、薬療法というものが新しく制定されまして、その規定によりまするというと、二カ年間、本年の七月までは診療所においては二十四時間以上病人をとめて置いてはいかんという規定になつております。なお場合によつては、もう二カ年間これを延期してもいいということであります。これは恐らく今申しました米国のほうの診療所の形式に従わんとしたところであろうと考えますが、これも余談ではありまするが、実際殆んど日本の各都市に焼けてしまつて、今は患者を收容してくれと言つても全体あの診療所患者を収容し得る病院がない。或いは又交通の不便その他から到底アメリカ流にやつて行けない。今年の七月になつてもやつて行けない。もう二年たつて果してそういう状態に回復されるでしようか。これは私非常に疑問に思つております。これも私は国民の不幸だと思つておりますが、併しながら日本におきましても漸次これが或る一定の時期にはアメリカ流になつて来るだろうと思います。と申しますのはこの際今開業しようと思う医師大学を卒業して、そうして一定の修練を積んで開業しようと思いましたならば莫大な費用が要ります。手術する手術室を持ち、いろいろの器械、レントゲンの装置をする。随分莫大なる費用が要りますから、そうして而も四十八時間以上患者を停滞さしておいてはいけないということが、まあ十年先になりますか、五年先に近づいておりまするか、漸次なりましよう。そういう場合には私はおのずからこの形はやはり医薬分業の形になりまして、任意ではありまするけれども、見たところは強制医薬分業のような形になつて来るのではないかと私は想像しております。まあそういう状態でありまするから私は今まだ戦災を蒙つて、そうしてその蒙つた損害はまだ回復しておらん場合に急激なる変化を、而も法律で以て医者調剤権を取つてしまおうとするようなことはちよつと私は、少くとも薬剤師のかたにもこういう点を御考慮下さつて、そうしてその表立つて私は喧しく言わずに、先ほどやはり兒玉証人も申されたごとく、道徳的にお互いに手を握り合つて、そうして自然の推移、そうしてその間に我々も又薬剤師のかたも協力一致して自然の進路に任して行つてはどんなものであろうかと私は考えております。大学の現職におりませんからそのほかのことはちよつと答弁はお許しを願います。これだけ申上げます。
  12. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は東北大学医学部長黒川利雄君から御証言をお願いいたします。
  13. 黒川利雄

    証人黒川利雄君) お尋ねのことでありますが、私ども医学部には薬学科を持つておりませんので、薬学のことに関しては申上げる能力を持たないのでありますが、私の大学でもやはり薬物学、或いは薬理学と申しまする講義を全体の四カ年間に四千時間、その四%以上でありますが、百七十時間に近い講義並びに実習をいたしております。処方調剤学につきましては、二年生の三学期におきまして、一月から三月までの間に処方調剤学という講義が毎週二時間ずつございます。その内容処方の総論、その総論の中には薬局方の内容、つまり薬のことを講義いたしております。それから処方箋の書き方、或いはこれの読み方、そういうものを総論として講義しております。又薬剤の形につきまして、例えば水剤であるとか、或いは散剤であるとか、或いは煎薬、又は錠剤、丸剤、或いは座薬であるとか、膏薬はどうして作るか、そういうようなことにつきまして講義をいたしております。それが大体処方調剤の総論でありますが、各論といたしましては、いろいろな薬の一つ一つにつきましてどういうふうな処方例、そういうものを講義いたしております。例えば睡眠剤であるとか、下熱剤であるとか、鎭痛剤、或いは鎮静剤、健胃剤であるとか、強心剤、そういうようなもの、並びにそういう薬にいろいろ味を與える調味剤というような薬、そういうものについての講義それから特に力を入れて講義しておりますのは、薬の相乗作用、例えばカフェインとピラミドンをまぜると、そうすると單独に與えたときよりもその力が倍加するというような、そういう相乗作用或いは最近いろいろできました抗ヒスタミン剤であるとか、或いは抗菌性物質そういうものについての講義をいたしております。並びにその実習としては各人に実習をすることができない場合がありますので、教授をするかたがこれの施設をしてその実験をやつて見せているというような状態であります。従つて東北大学医学部を卒業したものは、調剤をする能力はあると思うということを薬物学の教授並びに実際に講義をしております山口助教授がそういうふうに申しているのであります。従つてどももその能力は十分にあるというふうに考えてよろしいのではないかというふうに思います。  なお前証人、前々証人お二人のかたから詳しくお話がございまして、私もそれに附加えることが殆んどないように思うのでありますが、なお敷衍いたしますと、例えば心臓病の患者、そういうものにジギタリスの製剤を與える、これは單に処方で與えて数日間或いは二、三日というふうに與えることは不可能でありまして、最初の日は〇・三グラム、そしてその反応を見て、或いはその結果を見て、その次の日に又薬の分量を変える、或いは朝呑んだ薬の反応を見てから、夕方又処方考えるというふうにしなければならない場合が相当に多いと思うのであります。特に肺炎であるとか、或いは敗血症というような場合には、血液の白血球の減少の程度というものを毎日調べながら投薬の分量を変えて行く、或いは廃止する、或いは別なものに変えるというようなことが毎日の臨床に行われておるのでありまして、そういう場合にやはり医師調剤権がないということは、非常な患者の不幸を来たす場合があるのではないかというふうに考えるのであります。従つて私は第二のお尋ね医薬強制分業に関しては、只今法律で任意分業の形になつておるのでありますから、その任意分業の形で十分に機能を発揮することができると思うのであります。又二、三の調剤の間違いとかそういうものがたとえあるにいたしましても、全体の医者から法律調剤の権利を失なわせるということは、非常な損失でないかと思うのであります。例えば私は内科学の講義をしておりますので、私自身が調剤いたしますよりも、大学にずつと勤めておりますから、多くの場合処方箋を発行いたしまして、薬局でこれを調剤しておるほうが多いのでありますが、併しながら調剤権が若しないということになれば、非常な不便を来たすのではないかと思うのであります。例えば私は内科でありますから、虫垂炎、俗に申します盲腸炎の手術はまあ実際にはやらないのであります。実際に行いませんが、併しながら私が虫垂炎の手術をする権利を奪われるということは、非常な苦痛ではないかと思うのであります。将来そういうことを修練すれば幾らでもできる能力を與えられるように教育されておると思うのであります。従つて私は強制的な医薬の分業には賛成いたしかねるように思うのであります。
  14. 山下義信

    委員長山下義信君) 次には大阪大学医学部長黒津敏行君から御証言をお願いいたします。
  15. 黒津敏行

    証人黒津敏行君) 私は医学部長をやつておりますが、専門は解剖のほうでありまして、臨床の方面については多年隔たつておりまして、それで今度参りますについて、内科において病院長をやつております福島教授七の他薬学教授に話を聞きまして、そうして参つた次第であります。医学教育における調剤の問題でありますが、これはやはりどこの大学でも薬理学についたものでありまして、私もここに、これは昭和十八年の一覧でありまして、その後印刷して公表したものはないのでありまして、ここに持つて参りましたが、薬理学の中に薬理学及び処方学となつておりますが、そのほか薬理学実習もあります。なお又薬理学実習のほうでは調剤に直接関係は少ないのでありますが、併しながらそのほかに実際に薬品学生自分でとつて薬品を使いまして、実習しますのは、むしろ生化学のほうでこれで相当薬品取扱い方を練習することができます。それからこの調剤の理論というようなことは勿論大切でありますが、併しながら実際に当つてですね、処方する人間が、自分処方した薬の色も臭も味も知らないようなことではならないのですから、そういうようなことについては、特に大阪は土地柄でもありますが、やはり開業する人間が多いのでありまして、特に臨床のほうで、この外来実習と申しまして、参りました患者について学生実習するのであります。そのときに、或いは又この患者を講堂に連れて参りまして、そこで教授がその患者について講義をいたします。そのほか卒業後一カ年間のインターン生活、そういつたとき折に触れ機に臨んで、そういつたことについて注意を十分に與えるようにしているということは、これは福島院長の話でありまして、そうして、現にこれは現在は今改版中でありますが、院内申合せというものを作りまして、それにやはり薬の與え方、それから薬品、普通の大人で一日にどれくらいやるものか、或いは又極く一般的に使われる処方、それから極量の問題、或いは小兒についてどんなふうに使うかというようなことを一々書きました申合せというものを、これを学生に皆渡しておりまして、これを実際に活用するようにしております。それから又ことに今まで戦時中からできまして、そうしてその後終戦後年限が延びましたので、本年最後の卒業生が出ましたが、この附属医学専門部の学生でありますが、その学生たちもやはりこういつたふうに調剤学というような講義を聞いておるのであります。これも専門部であつても、これもやはり一週一時間一学期間ずつと来ておりまして、こういつたものも参考に持つて参りました。それで卒業生が調剤能力がないというようなことは、これは全く考えられないことで、又現に内科などでありますと、卒業試験の際にやはり処方もつけるようになつております。ただこれは実際に臨んで練習すればそうむずかしいことではないのでありまして、私のほうには本年度から薬学科というのが医学部の中に新発足いたしましたですが、これはもと大阪の製薬業者の集りが作つてつた私立の専門学校でありまして、この建物なり設備なりを国家に寄附すると申しまして、一昨年それが阪大の中に入りまして、その後入学生も取らず、そうして附属薬学専門部、そして本年の三月、これは廃止になりました。そうして新たに陣容を立て直して、そうして薬学部というのができたのであります。もともと大阪というところは製薬業者の多いところでありまして、そういつた実際的の関係からやはり薬学士が必要であるというところから、これが発足して参りまして、その中における調剤学というものは、これはまだ本年から発足したところでありますから、そういつたものがまだできておりません。併し完成いたしましても、これはその中においてほんの小さい位置を占めるもので、やはり大きなところは薬品の性質とか或いは製薬でありますとか、或いは合成であるとか、或いは分析とか、そういつたことが主たるものでありまして、医学部におきまして、医学科の学生たちが卒業するまでに、又卒業後一カ年間のインターン生活というものをやりまして、その間に受けた教育によつて調剤能力なしということは絶対に言えないと、私はかように存じております。  それで分業、医薬分業が可であるか不可であるかという問題でありますが、これは勿論さつき兒玉部長も言われましたように、だんだん世の中が進んで参りますれば、分業が行われて来ることは、これはもう理の当然でありまするが、併しながらそれかといつて医者にしてはならない、調剤してはならないというのが、どうも行き過ぎではないかと思うのであります。処方箋の公開とか、そういつた問題につきましても、私はだんだん人間を余りに動物扱いし、又機械扱いするのではないかとさえ思うのであります。人間というものは、勿論人間治療に当りましては、最近の学問の進歩従つて治療するのでありますが、これは決して物理的、化学的だけではいけないのでありまして、人間には人間としてもつとほかの動物から比べて進んでおるところの脳髄、それの働き、精神、精神を忘れてこの医療ということは行われない、かように感じます。私も実際治療には当つておりませんけれども、私もこの点は学生に申すのであります。医師というものは、決して患者の病気そのものを直すだけが目的ではないので、治療に際してですね、それらの患者の気持までも、考え方までも正しく向けて行くようにするだけの修養をすべきであるということを言つております。動物の例を引きましたが、私もいろいろ動物実験をやつております。併しながら兎のような、あんな下等な動物でさえも個体別の差違というものは相当あります。まして人間においておや。ですからあの機械文明のアメリカにおいてさえ、最近はサイコンマチツク・メデイシン、精神の肉体に対する影響を強く考えるところの医学、そういつたものが盛んに唱導されて来ておるようであります。いろいろそういつたことについて実例を申上げてもよろしいですが、これは私の話が少しそれると思いますから申しませんが、それから医学進歩医師との関係であります。これは河と申しましても、やはり医学日本の各種の科学の中においては相当優れた位置を持つておると私は信じております。この医学進歩にはどうしても研究を除くことはできないのであります。その研究を進めて行きますのは、やはり医学者がその頭により、そうしてそれを実際化して行くのでありますが、その際にやはり、私のほうでは今まで薬学科のほうがありませんでしたから、いろいろな薬剤に関する問題はこれは理学部のほうに頼んで、そうしていろいろ合成してもらつたり何かして、実験をやつておりました。そのほかいろいろな抗菌性の、殊に微生物なんかに関します治療の問題でありますが、こういつたものは私どものほうに微生物病研究所というものがありまして、そこでやはり医学者が主となつてつております。そうして、だから医者が何でもかんでも自分一人でやるというわけではありませんが、その研究を進めて行く上において、いろいろ必要があれば専門のかたの知識を拝借し、又技術を拝借しておるのであります。であるからといつて我々がそういつたことにタツチしてはいけないということは私はないと思います。例えばいろいろな実験をするに当つて、設計をしたりしまする場合でも、やはり大体のプランとか、又我々の中にもいろいろ特技のある人がありまして、そうしてそれらの人が自分でときには作らなければならん場合もあります。又或る種の試薬などに関しましては、これはどうしてもアメリカのようなところでありますと、割合に簡単に手に入るものでも、我々のほうでは実際にそれを研究室の中で骨を折つてつておるという場合も多々あります。  それから医者が過剰であるかどうかの問題、これもすでにお話がありましたが、今年が卒業生が最高であります。そうして来年からは最大の卒業生を出しますところでも八十名、それから少いところで四十名、それ以上の学生を取ることはできなくなつております。ですからこれが続いて行ければ決して過剰になるということはないと思います。それで結局この医薬分業に当りましても、勿論専門薬剤師のかたにお任せするそういうこともありましようし、併しながら又そうでなくて行ける人もありましようし、それは必要があつてそうするのでありまして、決して強制されてすべきものでないというふうに私考えております。まあこれくらいにいたしまして、何か御質問がございましたらお答えいたします。
  16. 山下義信

    委員長山下義信君) 次に九州大学医学部戸田証人の御証言を願います。
  17. 戸田忠雄

    証人戸田忠雄君) 前証人各位が、大体私が考えておりますことと同じようなことをお述べになりましたので、余り述べるところがないと思いますが、証人責任といたしまして少し申上げたいと思います。私の大学におきましても、薬理学及び処方学講義につきましては百六十時間余りの時間で講義をいたしておりまして、大体兒玉東大医学部長の説明されたところと同じだと思います。九州の薬理も、東大の学部をそのまま受継いでおるといつて差支えないと思います。薬理の教授は福田教授であります。貫助教授処方或いは調剤に関するかなり浩瀚な図書を出しておるくらいでありまして、私は専門が細菌学でありますから、そちらのほうは詳しくは見てはありませんけれども医学を修めたものが調剤能力がないというようなことはあり得ないと感じておるのであります。  それから薬学科の設立に関する考えかたといつた質問がありましたのですが、それにつきまして一言申述べます。九州大学は、十数年前くらいから薬学科の創立を希望いたしておりまして、毎年その運動をしておりまして漸く昨年の旧制の薬学科ができまして、四十人分学生を入学させました。本年新制の薬学科にこれが代りまして三十人ほどの学生を收容いたしております。私ども薬学科を創立したいというその一番の希望は、やはり現在の医薬において、はかることの知れないような薬の進歩といいますか抗菌性物質……、化学療法剤と一括して申上げればそれでいいのでありますが、そういつたものに対する進歩或いはその他万般の治療薬の進歩は非常に目まぐるしいこういつた場合に、先ほど阪大の医学部長から御証言がありました通り、薬学科がありませんというと、医学部のほうで薬理的に或いは内科或いはその他の科で以てこういつた薬を作つたならば、こういう効果が出てくるのではないかといつたことを教授考え出しても、それを自分たちが合成するということができませんですからして、関係方面にそれを頼む、或いは東京に行き或いは大阪でその方面に頼みに行く、場合によつては理学部或いは工学部の方面の教授に頼んでそれを作つてもらう。そういうようなことではやはり十分に機能を発揮することができない。従つて私たちが薬学科の創設を望んだ最も大きな希望というものは、同じ学部のうちにその合成乃至分析或いはその他いろいろそういう薬の発見に従事される専門教授がおり、その下にそのことに従事される助教授以下の研究者がたくさんおるということが第一であるということなのでありまして、私は甚だ申訳ないような感じが薬剤師のかたにはするのでありますが、薬学科において調剤学が非常に必要であるから薬学科を創設して欲しいといつたようなことは余り考えたことがないのであります。これは私細菌学の専門家として個人の恐らく考えでありましようから、薬理のほうの先生はそういうことは考えておらないと思うのでありますが、そんな程度であります。併し私ども薬学科にも、現在は五講座でありますが、    〔委員長退席、理事小杉繁安君委員長席に着く〕 来年度からは調剤学講座を作ることを申請しておりまして、若しもそれが許されれば、その設立が許可されれば調剤学教授ができることになつております。従つて我々も、薬学科において調剤学を決してないがしろにしておるわけではありません。調剤学講座により薬学科の学生並びに延いては一緒のところにおる医学部学生にも調剤学知識が従来よりも更に重ねられるということを念願しておるわけであります、で私は現在の、今までの医学生にやはり調剤能力があるのではないかというふうに考えております。薬学科の設立に対する考えかたというのはその程度であります。  それから学生の数につきましては、或いはそれに引続いて医師の過剰の問題といつたようなことに対しましては、やはり兒玉学部長、黒津学部長の証言と同じであります。ただ終戦後間もないときに、日本医学教育をどうするかという問題がありまして、そのとき私ちようど文部省の医学視学委員をしておりまして、日本医学生を将来どの程度に定員を定めるかということで、これは本日列席になつておる草間専門員もおられたのでありますが、厚生省の方面ともいろいろ連絡して、大体学校は現在の通りあつて、設備の大体整つている旧帝大、旧単科大学は八十人程度、新らしく新設の大学は四十人程度といつたようなことで三千人内外の学生を卒業させれば医師の過剰にはならないのではないかといつたように考えております。  それから医薬分業の是非につきまする私の個人の考えでありますが、私も前証人各位が述べられたのと大体結論は同じであると存じます。結論から先に申しますと、やはり私は強制的に医師から調剤権を取つてしまうというところが実に不合理ではないかと、こういうふうに感ずるのであります。で強制医薬分業ということよりも、やはり従来通りの任意医薬分業でいいのではないか。私ども今まで何十年かの間、私どもが周囲の医師或いは大学そのほかの人々が、自分調剤をして投薬をされておつて、そのために患者が非常に不幸な目に会つたかということを私はいつも考えておるのでありますが、やはり自分が細菌学が専門でありますし、自分自身が医師の免許状は持つておりますけれども患者治療したことは全くないといつていいと思います。自分が飲むとき、場合によつて自分の家族には胃散程度のものを作ることはありますが、それ以外にはしたことがないのでありまして、教育者の立場から言えば私も医師としての考え方というのがあるわけでありますが、私はいつも医師でない自分が、医者でない場合にこのことをどう考えるかということを自分でいつも考えているので、今度の強制医薬分業というものが、患者立場にあつてよく考えて見た場合に、果して患者の幸福をもたらすであろうかどうかということをいつも真剣に考えておるのであります。統計学的の数字を私は出したことはないのでありますけれども、どうも感じといたしまして、強制医薬分業になるというと、患者の負担が非常に多くなるのではないかという感じがどうしてもするのであります。その理由をここで申述べることは、只今は略して置きます。又後ほど申上げてもいいと思いますが、とにかくそういつたような感じがいたしまして、患者医師から薬を欲しいということを希望した場合には、やはり医師からもらうのがいいのではないか。併し処方箋をもらつたほうが便利だと考える場合には、やはり処方箋をもらうほうがいいのではないか。そういうふうなことから、やはり考えて行きますと、今まで通りで一向差支えないのではないかという感じがしております。それですからやはり結論といたしましては、最初申上げました通り任意医薬分業式がいいのではないか、こういうふうに考えております。
  18. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 引続きまして甚だ時間が遅れましたけれども東京薬科大学長村山義温証人に御証言をお願いいたします。
  19. 村山義温

    証人村山義温君) 私は先ず薬学教育のことから申しまして、漸次一般の点に及びたいと思います。  薬学部のありましたところの、旧制大学でありました東京、及び京都においては、或いは調剤学という点については、他の学科より以上に重くなつているというのはないかも知れません。と申しますのは、大抵卒業生は基礎の薬学を修め、或いは製造であるとか、或いは植物科学であるとかを修めまして、そうして薬品製造会社に行く者が多かつたと思うのであります。ところが薬学専門学校のほうは、大体におきまして薬局に勤める者が多いのでありまして、従いまし調剤学或いは薬剤学というような、実際薬学に関する面の学科に重点を置かれまして、勿論それのみではありません、衛生学であるとか、或いは薬品製造とか、薬化学とかいう化学部面の学科も相当やります。併し新制大学となりましてからは、各大学が一応の基準、薬学教育基準に従つて教育されております。各大学におきまして、調剤学講座が行われておると思うのであります。でそれ以上に新制大学におきまして薬学というものが医薬と共同して衛生保健の道に携わるという建前からいたしまして、医学に関する学科が以前よりより多く盛込まれたのであります。例を申上げますと、薬理学と申しまする医学にあります学科は勿論のこと、生理、解剖学、公衆衛生学、微生物学、細菌学ですね。免疫学というような、医学においてありまするところの学科も多分に薬学部に設けられたのであります。これは大学の基準委員会においてきめられた基準において、これこれの学科を修めなければ大学を卒業することができないということにきめられてあるのであります。これだけは必ず履修しなければならん学科でございます。従いまして薬学の学科課程も充実いたしまして、その卒業生の学力も昔日の比ではないことは勿論であります。往年、医薬は分れてやるのだ、併し薬学のほうは医学に比して学力が足らん、教育程度が低いから暫くこれを預つて置けというようなことでありましたのが、今日に至りましては、勿論薬学医学も同じような学科の水準に達しておるのであります。勿論これはおのおのその職分を分けてやるのが至当ではないかと思うのでございます。只今新制大学のことを申上げましたが、旧制の専門学校においても、医学におきまするところの薬理学でありますとか、或いは細菌学等は大多数の学校において履修されておるのであります。又ほかの学校よりか医学に関する学科がたくさんあるのであります。従いまして旧制の専門学校の卒業生でも、医学に関する知識がないというわけには論ぜられないと思うのでございます。そういうわけでございまして、これは結論を早く申上げてはなんですが、その学科がら論じますれば、医学薬学もやはり同じような水準に達しておるのでございまして、薬学におきましても、医学の学科を十分に履修する。ただ足らないのは臨床医学的な、例えば診断学等においてはまだやつておりませんが、その点については欠くるところがありますが、一通りの知識は備えているように存ずる次第であります。  さて只今、分業に関する意見がどうだということでありますが、今申上げた通り、これは制度上一応やはり分けて、医学は、医者医者薬剤師薬剤師としたほうがいいように感じております。併したびたび所方から承わりますところによりますと、成るほど東京とか大阪、京都等の都会地においては角並み薬剤師薬局がございまして、処方箋をどこへ持つてつて調剤できるという程度でありますから、これは只今申上げましたように、医者責任その他を考えますと、どうか知りませんが、薬局に持つてつて調剤してもらうという便不便から言えば、決して不便ということは言えないと思うのでございます。併しながら、地方におきまして、お医者がありましても薬剤師がない、薬局がないところにおいてはどうかという問題になるのでありますが、その場合において、只今申上げたように医者が止むを得ず調剤をするというような点も、これは民衆の便不便から考えますと、やらなければならないかと思います。薬局のないところでは、遠くに行くということは不便ではないかと考えるのであります。併しその半面において、薬局があつて医者がないというような僻遠の地にありましてはどうかということになりますが、その場合にやはり民衆のためというようなことを考えまして、その辺で一番医学に対して知識のあるのは、今申上げた通り薬剤師でございます。そこへ持つてつて相談したり、或いは投薬してもらうのもいいのじやないか、そうすることがやはり民衆のためである、民衆の便利になるというような点も考えられるのじやないかと思うのであります。そういうようなことにいたしまして、只今では両方とも大体同じような学科課程を履んでおるのでありますから、お医者がないところは薬剤師が代行をする、それから薬剤師がないところは医師が代行するというようなことにいたしたならば、これは法律のことはわかりませんが、私はただ所感だけを申上げるのでありますが、そういうふうにいたしましたら別に医者がどうで、薬剤師がどうでというようなことで、妙な争いをする必要がないのじやないか、只今各先生からいろいろ申上げたと同じように、やはり医師薬剤師というものは同じ衛生保健の道に携わつているのでありますから、共に共に提携して、そうして民衆の便宜を図る、民衆のためになるということにいたしたならば、薬学医学進歩と共に、衛生保健の道が日本においても発達進歩するのではないかと考えるのであります。私の申上げたいところは以上の通りであります。
  20. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 午前中はこれにて休憩いたします。午後は一時半から再開いたします。    午後零時二十七分休憩    —————・—————    午後一時四十一分開会
  21. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 午前中に引続き再開いたします。各証人証言に対して御質疑がございますかたは御質問をお願いします。
  22. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) 私厚生委員でありませんが、所属する党のこの問題についての特別委員にはなつておりますので、若しよろしければ発言をお許し願いたいと思います。
  23. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 吉川君から発言のお申出がございましたので、許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  24. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 御異議ないと認めます。
  25. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) それでは証人のかたで、大体医科大学の五人の部長のかたの御証言は共通している面が非常に多かつたと思うのでありますが、そのうちのどなたでも結構なんでありますが、先ずここに書いてありますから、東大医学部長でいらつしやいます兒王桂三先生にお伺いしたいと思うのであります。この問題を私たちが立法府の議員といたしまして審議いたしますのについて、これは私見でありますが、前提としてどうしてもはつきりして置かなければならんということは、第一にはこのサムス准将がこの問題について言つておりまするように、西洋人が日本へ来て、日本では医者が薬を売つているということで、一番不思議に思うことはそれであるということを言つておりますが、サムス氏はそういうことを非常に不思議に思われるのでありますが、日本人はそれほど不思議に思つておらん。即ち私もこの委員会で曾つて申したことがあるのでありますが、四十年ほど前だと思いますが、医薬分業法案がやはり国会に提出されたときから多少私はこの問題に興味を持つておるのでありますが、その後西洋に行きましたときに、特に医薬分業につきまして、三年間西洋各国におつたのでありますが、聞いて見たところによりますと、私のいましたアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリヤ、ハンガリー、チエコスロバキヤ、オランダ、ベルギーのいずれの国においても、医者日本のように調剤して売つているところは全くないのでありまして、法律で強制していようと、それが慣習法として行われていようと、ともかくも全般に行なわれている所は先ほど田中さんもお話になりましたように、若干の例外規定はどこでも認めておりましようけれども、原則としてはそんなことをしておるところの国は欧米先進国ではどこもないのであります。そのことがはつきりしていないと、これに対する私は国民としても、議員としても判断が十分つかんと思うのであります。それが実ははつきりしておらん。  それから第二に、国民の間においてもこの薬剤師というものが非常に高い自然科学の教育を受けて、そうして全くその資格においては法律医師と歯科医師薬剤師というものが皆同格のものである。勿論医者のほうが社会的名誉もあり、収入も多いしするから人材が集まつているのでありますが、制度上は同資格のもりになつているが、そのことがはつきりしておらん。今日では薬剤師というものは大学を卒業して国家試験を受けなければならないが、殆んどそういうこと、即ちこの二つの前提としてもどうしてもそれをはつきりして置かなければ、これに対する判断ができないという最も重要な、即ち欧米先進国には、サムス氏が驚くように、日本の国だけが行なわれていないのであつて、欧米各国では全部医薬分業であるということ、それから第二に、薬剤師がそういう高度自然科学の技術者という、この二つの大前提がはつきりしておらんために国民が判断に非常に迷うので、まあ議員にも私はそういう共通の点があるかと思うのでありますが、この前提は私の実験からいたしまして、又そういう薬剤師がそういう大学卒業生であつて国家試験を通らなければならんものであるということは……。これは皆さんも御否定にならないだろうと思うのです。それで皆さんに今日国会が聞かれようとしておりまする点は、主として大学学長としてこの大学に、例えば兒玉さんの大学医学部薬学科とそうして医学科というものに分れて、そうして旧制によれば高等学校のときから薬学科の人は二部に入り、医学科の人は三部に入るというようなことで、高等学校で基礎学を習つているときから学科が分類されてしまつているのでありますが、そこでその薬理学或いは薬物学として五大学の部長さんが先ほどお述べになりましたその薬理学は、私の理解するところでは医学に属するものであつて、いわゆる薬学に属するものではない。即ち薬理学を知つている、従つて処方箋を書くことを知つているから薬剤師と同じように薬学を知つており、又それが調剤することが妥当であるというところの私は結論になると思うので、その点を私は立法府の諸君が学問的に非常に明確にしてもらいたいということを望んでいらつしやるのではないかと思うのであります。私の解釈が間違つておりましたら一つ御訂正をこの際お願いしたいのでありますが、薬理学というのは即ち医学の一分科であつて、そうして薬品が体内に入つてどういう生理作用をするものであるかどいうことを研究するのが薬理学である。そのためには医学全般の知識を必要とするのであつて、例えば重曹なら重曹というものが体の中に入つて来るならば……私はそういう医学素人でありますからわかりませんが、例えば胃液なら胃液と加合してどういうものになるか、或いは体に吸収されてどうなるか、或いはどういう作用を及ぼすかというようなことを研究するのが薬理学であつて、その薬理学を十分に明かにするためには、勿論生理学も必要でありましようし、解剖学も必要でありましようし、或いはその他の内科学とか外科学とか、全般の医学が必要になつて来るだろうと思う。それは医学の一分科であつて、又薬理学や薬物学の専攻者は、学位の上におきましても医学博士の学位をお受けになるのだろうと思うのであります。ところが薬理学というのは、即ち薬剤師の諸君が主張しておられるのだけれども薬学というものではないということを、皆様たちにはつきりして頂く必要が私はあるのではないかと思う。医薬というものは、今重曹の例を申しましたが、重曹ならば重曹というものは重炭酸ナトリウムというのであつて、こういう化学成分を持つておるものである。そうしてそれはどういうところの製造過程を経て作られるのであるか、その作られた、眼前にここにあるところの重曹というものが、果してこの化学的に純粋なところの重曹であるかどうかということのためには、この重曹を例えば水なら水に溶かして、果してこれが重曹であるかどうかということをば、化学的に分析して闡明にしなければならない。そういう二とのためにば、全く大学薬学科で勉強して来るところのケミストリイ、化学の知識、定性分析、定量分析、或いは植物性の薬品であるとか、そういうようないわゆる薬学の部類に属する、人を対象としているのではなくて、ものを対象にした、即ち自然化学が必要になつて来るのであります。それは即ち薬学というものと、皆さんたちがおつしやるところの薬理学というものとは全然違うものである。勿論学問でありますからお互いに関連性はありますが、その本質、内容というものは異なるものであるということをはつきりして頂くということが我々の要求するところなんです。それで医薬分業の問題について考えて行きますというと、医薬分業は原則としていいことである。併しながらいろいろな事情で以てそれを法で強制することはいかんというのが、五人のかたがたの結論であつたと思うのでありますが、併し原則としていいということは大体皆認めておるように私伺つたのですが、それでこの学問としての分れ目をはつきりして頂きたいというのが我我の要求なんです。それでお医者さんはそういう解剖学、生理学とかいうような基礎学に対して、婦人科であるとか、小兒科であるとか耳鼻咽喉科であるとか、いろいろ勉強をしておる、最後に薬品に関する手段としての治療をするということになると、ここで最後の結論として、どんな基礎学を集約されたところの、皆様がた医学というものが、ここで処方箋を書くということに結論として集約される。そして処方箋をお書きになるというと今度は薬学の部類に属することであつて、それを薬局に持つてつて調剤してくれということになると、これはさつき重曹の例について申上げましたが、例えば阿片なら阿片というものが、果して日本薬局方に適合するところの純粋な阿片なりや否やということは、これは医学範囲から離れて、薬学範囲に属するのでありますから、その薬学としての基礎の上に立つた、丁度お医者さんが処方箋を書くということの結論を見出すくらいのいろいろな基礎的な医学の勉強をしていらしやつた。今度は調剤というそれに対応する一つの療法の上においては、そのものを対象として勉強して行つたところの薬学というものが基礎になつて、そこでお医者さんは処方箋を書いて、そうして処方箋に基いて薬剤師調剤する、これを患者に交付するという一つ医療行為が生れて来るのであつて、その学問としての分れ目をはつきりして頂くということが非常に必要なんです。それで医薬分業の主張者、或いは西洋医学医薬分業をやつていないところはないのでありますが、その立場からすれば、それはやはり医学をやつて来て薬品、この重曹なら重曹が果して純粋なるものや否やということがわからず、これが定性分析、定量分析というものは薬剤師に比べれば、やつて来ないところのものよりも、その専門家である薬剤師にやらしたほうが、それは科学的に正しいことである、又医療行為の上からもそれが合理的であるという建前から薬剤師の諸君が主張する立場であると思います。だから薬物学、或いは薬理学といつておると思うのですが、薬理学医学の一部で、薬剤師薬学科で兒玉さんの御経営になつておるところの東大医学部の中に、医学科と薬学科にわかれておると思いますが、薬学科で教えておるところのその薬学というものと、医学の一部分であるところの薬物学というものとは違う。薬物学というものは結論として、私は医学は知りませんが、処方箋を書くための学門、薬剤師処方箋を書く法律的権能も持たないし、処方箋を書く知識も持たない。それは非常にさつきの御証言で五人のかたがたは皆非常に茫漢としている。わざとしておいでになるのか、私そういうふうに解釈したくはないのでありますが、薬剤師処方箋を書く力もないし、法律的な組織もないから、お医者さんだけが持つている。それと同時に薬学をやつて来ないから、この薬品は純粋なりや否やということを、一応薬局方を習つて来ているとお言いになりましたけれども、それは薬局方に基いて定性分析したり、定量分析したりするのはお医者さんじやないのです。医学範囲じやない。その点をはつきりして頂く必要がある。それについて、私どもの申上げていることについて間違いがあれば一つお直し願いたいと思う。これが兒玉さんに対する質問の第一点であります。
  26. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 只今の御質問でございますが、勿論薬学の課程というものと、それからして医学の課程というものとはおのずから違つているのですが、薬理学というものの形において、我々は調剤ということを教えているということを申上げたわけでありまして、少くとも調剤というものはどういうことかということについて大体御質問の要点は結論から来るのじやないかと思います。それでつまり調剤というものになりますと、ここに薬剤師が作りました一つの薬というものがある。その医者に與えている薬については、この医者が全面的に、これは確かにいいものであるということを信用して、薬局においては薬局方以外のものになりますといろいろ問題になりますけれども、とにかくこれはこういう成分を持つている、これを処方箋に書きまして何グラム何グラムというようなことでただ計つてそれを患者に與えるというだけの技術、その調剤というものは或いはもつと深い込み入つたものがありましても普通の調剤というものはそういうふうになるわけであります。特にここに薬剤師でなくちやできないという技術医者ではできないという技術はないのです。一般の科学的な操作ができるならこれはできるのであります。だからその調剤ということの範囲になつて参りますと、このぐらいの調剤はできる、薬を作るということになればお医者さんはできない。処方を書くということはできるが、両方できない。調剤ということになりますとこれはできるということが一つ建前でございます。
  27. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) その点は初めからお答えはわかつているのでありますが、そこでお尋ねしたいことは、あなたの大学の病院におきましてもお医者さんも調剤のことを薬物学に関して多少お習いになつているのだけれども、やはり薬局は恐らく薬学者がやつていらつしやると思います。ほかの調剤もやはり大学薬学科を出た薬剤師がやつておると思いますが、それはどうなつておるか。即ちお医者さんも薬局調剤していらつしやるかどうかということの一つ御答弁を得たいということと、今の御答弁に関連して、この調剤術というものは、薬剤師の主張するところによればあくまでも薬学の最後の医療行為の結論としての薬学を勉強しておると主張するのですが、それで日本法律は大体そういう建前をとつておると私は記憶しておるのですが、それの例として調剤術は医薬が分業にならないで兼業になつておるのだから、事実上町医者がやはりちよつとぐらい知つていなければならんという意味でお知りになつているのだと私は解釈するのですが、医師の国家試験の課目の中に調剤術があるのかどうかということと、それから薬剤師の国家試験の課目には勿論それが含まれておると思うのですが、それについて一つ兒玉証人、それから薬科大学村山さんの御両名から一つお聞きしたいと思います。
  28. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 調剤学という学問は別にやつておりません。今申しますように、薬理学の中でそれだけの技術を私は教えております。国家試験にそういう問題が出るか出ないか、或いは出るかも知れません。今のところまでは或いは出ておつた例はないかも知れません。或いは今後出るかも知れません。併しその技術というものがですね、それの試験を受けてとらなければならんほどの、つまり知識的なものを要するものじやないというふうに、或いは言うかも知れません。
  29. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) あなたの病院では……。
  30. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 全部薬剤師がやつております。
  31. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) それはどういう理由でしようか。
  32. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) それは専門を尊重するという意味においてやつているということであります。
  33. 村山義温

    証人村山義温君) 只今の吉川さんの御質問に対して国家試験に調剤学があるか、これは将来のことは、私試験委員でもございませんので、当局の問題でありますから申上げませんが、今までの国家試験においては調剤学というのは学説試験並びに実地試験においてございます。従いましてこれは国家試験においても薬学のほうの重点であります。薬科大学の学科課程において重点であるということは、先ほども申上げた通りでございます。この調剤学薬学においてどういう位置にあるかということを、この際ちよつと附加えて申上げて置きます。只今吉川さんも仰せられたごとく、調剤学というのは薬学の主なものであるし、又これをやりまするのに、ほかの分析学とか、或いは薬化学でありますとかいうようなものはすべて調剤学を完全にすべき課程における学科と見倣してもいいくらいであります。勿論これは今までの薬学専門学校の課程の話であります。又新制大学の課程の話でありまして、そういう次第でありますから、この調剤学医学のほうではどういう程度でやつて行くか存じませんが、薬理学を学ぶ際において、そのために調剤学、或いはそういう調剤に関する技術をおやりになつているかも知れませんが、薬学おいで重点的にやるとは趣きが違うのではないかと私は察するのでございます。そこでこの調剤学を中心にして今まで学校でやつて来まして、国家試験においても重要な学科であるのでありますから、国家がそれを以て薬剤師を養成しておるのでありますから、これをして薬剤師の専業でなく、ほかの業で兼業させるということについては、教育をどうしてやるか、大学教育を何故そういうようにやるのかということについて、甚だ疑いを存するわけであります。大学を完成し、独立の薬学を修めさせる、そうして国家試験を受けさして水準に達したところの薬剤師を養成した以上は、これをして本業を完全にやらせることが理想ではないかと存ずる次第であります。従いまして、この分業の問題につきましては、法律を以てはつきりと薬剤師を以て調剤行為をやらせる、処方までは医師がやるというふうにはつきりきめられることが私は妥当ではないかと考える次第であります。
  34. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) それから薬局の設備についてでありますが、私間違つておるならば、一つお直しを願いたいと思うのでありますが、薬局医者薬局ということを普通に言つておりますが、これは法律的には誤りであつて日本法律では昔から薬局薬剤師にあらざれば開設することを得ずという規定がありました、今もあるのじやないかと思います。薬局には一定の薬品を置かなければならないということと、それから非常に微量の毒薬等を計ることができるところの精巧なる微量天秤を備え付けなければならん、冷暗所、薬品を貯蔵する冷暗所を作らなければならないという規定が昔からありまして、薬局医者が開くことはできないのでありまして、普通薬局とか、薬局生とか言つておりますか、それは間違いで現在でもやはりお医者さんは薬局を開くことを得ず、従つて薬局に関するところの規定である〇・〇〇幾らまで計れる微量天秤や、又、冷暗所を設けるというような設備を持つていないのは間違いで、今日までは、町の医者はモルヒネというようなものであれば、計る天秤がないから、何かはかのニユートとか何か混ぜて十倍か百倍ぐらいにして、そんな細いものを持たないでも計れるようにわざとおやりになつていたと思いますが、村山さんは、衛生試験所の所長をしておられたと思いますから、その点について一つお教えを願いたいと思うということ、これは最後でありますが、黒川さんにお尋ねいたしたいことは、黒川さんは医薬分業はいいというようなお話になつておるかと思うと、又医者医療行為の全部をやつて調剤投薬することも理想的な医療状態であるというようなお話もあつたと思うのですが、あなたの大学の附属の病院では、それではお医者さんが調剤して薬を與えるのが理想状態ですから、薬局の設備がなくて、薬剤師調剤をさせないでお医者さんがやつてるかどうかということ、ジギタリスはもとより日によつていろいろ分量を変えて行かなければならんものでありますが、あなたのお話によるというと何か処方箋というものは一カ月も、二カ月も通用するようなお話でありましたが、医薬分業になれば、当然に診察することに毎日処方箋を渡さなくちやならないのでありますが、いわゆる二つの点について私あなたお間違いのように思うのですが、それに対してお答えを願いたいということ、それからあなたは医薬分業でなしに兼業が理想的状態であるとおつしやいましたが、そうするとサムス准将が言つてることに対して、あなたは全的に御否定になることになりますが、サムス准将が言つたことに対して、御否定を持続されるのかどうか。この三点についてお伺いいたします。これでおしまいであります。
  35. 村山義温

    証人村山義温君) それでは薬局の設備について申上げます。全部の薬局を私は拝見しておりませんが、大体におきまして、国立総合大学薬局等におきましては、これは完備しておりまして、普通の化学実験室に備えてあると同様の天秤を備えて置きまして、如何なる微量といえども正確に計り得るものと存じます。これは申すまでもなく、薬には毒薬並びに劇薬がありまして、毒薬に至りますと、〇・〇〇幾らで非常に微量を以て人命をどうこうするというような非常な作用があります。これを計り損い、若し〇コンマ一つ間違えたならばとんでもないことになるということであります。これにはどうしても微量天秤が必要でないかと思うのであります。その他薬品の真価、その他をきめますには、やはり分析をいたさなければならんという場合におきましては、薬局において、分析の設備もやはり十分でなければならんのであります。そういう点におきまして、大部分の大学薬局においてはこれは完備しておるが、市中の薬局のことですと、これは全部見ておりませんが、近来調剤室はいろいろ整備されまして、二坪以上の調剤室を備えておるように見受けております。又天秤も相当に備えてはおるように見ております。さようにいたしまして、お医者の方は調剤室は拝見しておりませんが、若し薬局において微量天秤まで備えて毒薬といえども正確に計り得るというのに、医家の調剤室においてそういう設備がないとすれば、これは若しやるといたしましても、毒薬の調理において誤る点が多々あるのじやないかと思うのであります。薬局においては或いはまだ十分に整備してない所があるかも知れませんが、大体におきましてそういう設備がしてあると私どもは観察しております。まあどつちかといえば、やはり薬局において薬の調剤をするというのが原則で、実際においてもどうしてもそうなければならない。今の設備から申上げましてもそういう結論に至るわけでありまして、そういう設備から見ましても、やはりこれは強制分業で早急にはつきりきめなければならんという結論に達する次第でございます。
  36. 黒川利雄

    証人黒川利雄君) 吉川さんの只今の御質問で、私が医薬分業が理想であるというかと思えば、又適当じやないというふうにお聞きになつたように伺いましたのですが、私は医薬分業が理想であるということは申上げなかつたように思います。現状において実際において医薬分業なのでありますが、ただ強制的な医薬分業は賛成いたしかねる、こういうふうに申上げたのであります。それからそうすると大学では医者調剤をしているかどうかというお話でありますが、これは決して医者調剤をいたしておりません。これは勿論先ほど私が申しましたように、私は大学におりますので処方箋を発行するだけであつて自分では調剤をしたことがない、こういうふうに私申上げた通りでありまして、私ども大学におりますものは殆んど誰もそういうことはしておりませんと思います。併しこれは強制的に外に行つてもやれないというからやらない、そういうような意味ではないというふうに私は解釈しておるのであります。又ジギタリスの問題でありますが、今日処方で間違いなくそれが與えられ、又時間的にも患者に幸福を與えるような治療ができるものであれば、これは処方で勿論私ども教育に、大学の面におきましては自分は薬を持たないのでありますが、これはもう毎日一時間……。
  37. 吉川末次郎

    委員外議員(吉川末次郎君) 分業というのは、処方箋を診察することに渡さなければならないんですよ、それを忘れていらつしやるようですね。
  38. 黒川利雄

    証人黒川利雄君) それが、若しも地方においてそれができない場合に、これは非常な困難を生ずるのではないか、こういうふうに私は申上げたつもりであります。又肺炎のような場合、先ほど申上げましたのでありますが、白血球が減つて来るとか何とかというときに、ズルフアミン剤をそのまま続けておれば非常に危險がある。そういう場合に急に間に合わないことがありはしないか。そういう点について不便が起りはしないか、そういうふうに私は申上げたのであります。
  39. 有馬英二

    有馬英二君 村山証人にお伺いしたいのでありますが、先ほどの御証言であると、新制薬科大学では、薬理学、生理学、解剖学、公衆衛生学、或いは細菌学等も教える、即ち薬学医学も水準が非常に高まつておるというようなお話でありました。私は新制薬科大学の教程については何も知らないのでありますが先ほど承わりまして、薬学医学に非常に接近しつつあるかのような感じを抱かせられたのであります。併しお話の中で、辺鄙な所で医者がいない所で薬局があれば、医者のいない所には薬局の人が、即ち薬剤師医者の代行をしてもよろしい、或いは薬剤師がいないようなところでは、医者が薬剤を代行してもよろしい、代行という言葉をお使いになつたのですが、どういうことを考えていらつしやるのか、伺いたい。
  40. 村山義温

    証人村山義温君) お答えいたします。そのことは別に原則的な意味で申上げたのじやございません。原則的にはどこまでも医業は医者がやる、薬業は薬剤師がやる。ただときに僻村の地にあつては、薬剤師がないということを言われることが大分あるようでありますから、その場合には止むを得ずそういうことをやらざるを得ないのじやないか。そうしなければ民衆が不便じやないかというところで申上げたので、代行という意味はそうその詳しく、医者の仕事を薬剤師が代行し、一方薬剤師の仕事を全部代行するというふうな意味じやございませんので、万止むを得ないときにほかの素人がやるよりか、医者のことを多少知つているところの薬剤師がやる、それから医者薬剤師のことを多少知つているからほかの人よりか余計知つているから、それを間に合わせにやる意味でありまして、原則的の意味ではございません。その点誤解のないようにお願いいたします。
  41. 有馬英二

    有馬英二君 私ども医者の仲間でもよろしからん行為をする人がたまたまあることを聞いているのであります。併し他面におきまして、薬剤師と申してもよいか、薬店が医者の臨時行為をされることを頻々として聞くのであります。例えば薬局医者の別に指示の下でなしに注射を行なつたというふうなこと、又甚だしいのに至つては、レントゲンの写真を持つて来てそれを薬店の主人がレントゲン写真を見て成るほどここに肺の悪いところがある。これはいけない。これにはやはりこういう薬を用いなさいといつて薬を患者に與えているということを、実見して来た人から私は聞いたことがあるのであります。こういうことが必ずしも稀ではないと私は思うのでありますが、そういう点についてどうお考えでございましようか。
  42. 村山義温

    証人村山義温君) お答えいたします。既往においてはそういう今仰せられたことがあつたかも知れません。併し今回の新制薬科大学におきましては、まあ英語でエシツクスでありますが、薬学倫理道をしつかりやるつもりでありますから、その点については将来の薬剤師については御懸念はないと存じます。
  43. 有馬英二

    有馬英二君 御承知のように薬剤師の身分がきめる法律が出ておるのでありますが、これが出たのは明治年間でありましようが、その永い間に日本薬局というのが何故今日まで発達しなかつたか。どういうところにその欠点があつたか。何故民衆の信頼を受けなかつたかということについて一つ御説明願いたい。
  44. 村山義温

    証人村山義温君) 既往の歴史については私も薬剤師教育はやつていますけれども、薬剤業務にみずから接しておりませんのでそういう点は薬剤師各位に、いわゆる町の薬剤師にお聞きになつたほうがよかろうと思います。ただ先ほども申上げました通り、既往のことは問わず、今後我々は十分新制大学ができましたのでありますから、十分道徳、倫理道を行いまして、そうして既往よりよい薬剤師を養成いたしまして、将来においてはそういうことはないようにいたしたい所存でございます。それよりかお答えすることはできません。
  45. 有馬英二

    有馬英二君 私は医薬分業に賛成をしておる一人であります。勿論薬剤師という、而も科学的に立派な学問を修められた職業の人がおありになるのでありますから、而も大きな病院では皆医者薬局とが別になつてつております。それを見ましても、これが少しも不自然ではない。当り前の道であると私は思います。併しながらただ我我がここで、立法府でいわゆる強制医薬分業というこの法律を作るに当りまして、いろいろなことを考えなければなりません。それでいろいろお尋ねをするのであります。なぜ日本薬局が何十年もの間、民衆の信頼を得なかつたかということであります。これは一面において日本の開業医が薬を売らなければならなかつた、或いは薬を與えなければならなかつたということと、恐らく裏表であろうと私は思うのであります。どうお考えになりましようか。
  46. 村山義温

    証人村山義温君) そういう点については御質問したかたのほうがよく御承知でありまするから、私から御答弁いたさんほうが却つておわかりじやないかと思います。
  47. 藤原道子

    ○藤原道子君 私今日お忙しい先生がたにお出で願いましたのは、私が実は委員会へ要請したわけでございます。それは先立つて以来、非常に重要法案である医薬分業が提案されておりますが、これに対して医者の側、薬剤師の側からいろいろと猛烈な運動があるわけでございます。併し私たちはこの公聴会を開いたときに、或るかたの証言の中に、医者には調剤権がない、調剤能力なしというようなお言葉がございましたので、私たち素人でございますので、調剤能力がない人が処方箋を出すというところに非常に疑問を持つたのであります。私たちは少くとも国会議員として立法府にありまする以上は、医者の運動、薬剤師の運動に左右されてこの法案が決定されることは大きな冒涜だと思うのであります。広く国民大衆の福祉の上に立つて法律を作らなければならない。かように信じておりますので、そこで医科大学におかれましての教科課程において、果して調剤能力があるかないのか、そういう教育をしておいでになるかどうかというようなことをお伺いしたいのが、本日お出で願いました重要な理由であつたわけであります。従いまして今日いろいろお話を伺いましで、それで又このことにつきまして私どもも同僚諸君とよく協議して、そうして正しい法律を作成しなければならない、かようにまあ存じておるわけでございます。従つてまあいろいろと今御質問をお聞き下さいましてもそうでございますように、どうも片寄り勝ちな空気がある中で、真剣に国民の福祉を主にした法案にしなければならないと思つて苦労しておるわけでございます。その点自分が提案してお出で願いました一員といたしまして、今日お出で願いましたその理由はそういうことにあつたわけでございます。その点を一つ明らかにいたして置きたいと思います。
  48. 有馬英二

    有馬英二君 私は本日おいでを願いました医学部学部長諸君は殆んど皆さん同じようでありますが、承わりますと、医学部の教科課程の中に薬理学、その薬理学の中に処方学調剤学を教えておるということであります。過去数十年間そういうようなことになつておることを田中証人からも伺いまして、私自身もそうであろうということを承知いたしましたが、今後医学教育においてこの薬理学並びに処方学、それから調剤学が今までと同じようにやはり教えられるお考えでしようか、その点を一つ兒玉証人から……。
  49. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 只今の御質問でございますが、勿論私どもは今後におきましても従来或いはこれ以上にやはり薬理学調剤学という一つ専門的な講座にすることはないと思いますが、従来通り薬理学の中におきまして少くとも最低限度必要な調剤知識というものは教えて行くつもりであります。
  50. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 今日証人の先生がたにお忙がしい中を御苦労願いましたのは、只今藤原委員が仰せられたような理由でございまして、我々の目的は医科大学教育において調剤ができるような教育が行われておるかどうかということが大きな問題でございます。それにつきまして村山先生にお伺いしたいのですが、今朝からのいろいろ大学の先生がたの御意見は大体において同様に近いように拝承いたしました。勿論薬剤は薬剤方面の人が担当するということは、これは好ましいことではございましようが、併しながらこの大学で今行われておりまする教育種度で医師調剤することがこの教育課程では不足でございましようかどうでしようが。  それから第二点といたしまして、若し医師調剤をいたします場合、これを調剤権というものを絶対禁止しなければ国民医療の上に何か弊害が起きましようか。又国民医療の上にこれを禁止するというようなことが必要でありましようか。先ずこの二点を村山さんにお伺い申上げます。
  51. 村山義温

    証人村山義温君) 医科大学における調剤学の課程の問題は、これは医科大学と申しましてもどつちのほうかわかりませんが、医学科と薬学科、それから新制大学においては医学部薬学部と分かれております。従いまして、医学部における調剤の学科のことは先ほど来医学部長からいろいろお話があつたと思います。私はただ薬学科における調剤学がどうだということをお答えいたします。薬学科は前に申上げた通り調剤学というのが薬学科の重点でありまして、いろいろのほかの分析とか薬物とかいろいろ学科ございますが、それが調剤学をやらんがための学科というふうに見ても差支えないほど調剤学に重点を置いておるのでございまして、従いまして薬剤師調剤をやるということはこれはどうしても動かせないことであります。医学部のほうは存じませんが、医学部のほうは恐らくほかの学科が重点になり、それが薬理学の中に調剤技術を多少おやりになつておると思いますけれども薬学においては調剤学とはいささか又違うのじやないかと私は考えるのであります。従いましてこれはどこまでも分かれてやつて行くということが本則でございます。但し禁止するかどうか法律上の問題になりますと、これは為政者の問題でありまして、我々学校の者がかれこれ御説明申上げる筋合のものではありません。ただ我々は学科並びに国家試験を受けて、そうしてそれぞれ独自の職務を持つた医師薬剤師なつたのだから、これはそういう医業、薬業は分かれてやるということが本則だと申上げる次第であります。
  52. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 今の私の質問が或いは徹底しなかつたのかも知れませんが、私が申しましたのは、医師調剤することに対して大学の現在の教育が午前中述べられた程度で不十分でありましようかと申しておりますので、医師と申しておりますが勿論医学科を意味しておると御解釈願いたい。それから調剤権を禁止することはこれは法的の問題になるから自分は知らないという御説明のようでございましたが、私の伺つておるのは、調剤権を絶対禁止することは、国民医療の上に必要なこととお考えになりましようかどうかということを、薬学方面から見られて如何でしようかということを伺つております。
  53. 村山義温

    証人村山義温君) 私の今の薬学の見地から申しますると、医学科において調剤学をやるのは不十分だということをはつきり申上げます。従いまして調剤法律を以てもやはり薬剤師がやり、医者のほうはやめてもらうということが本則だと思います。これは私の意見であります。法律をどうしようというのではありません。
  54. 松原一彦

    松原一彦君 それからこの法律を決定する上でのこの字句、熟語等のこういうものに対して私どもは予備知識がありませんので、これを一つはつきりお伺いしたいと思うのであります。一体今回の改正は極めて文字の上から言えば簡單なのであります。薬事法の第二十二条に「薬剤師でない者は、販売又は授與の目的で調剤してはならない。」これは現行法もこの通りなんであります。「但し、医師若しくは歯科医師が左に掲げる場合において」という字だけが今回入つておるのであります。そうして「自己の処方せんにより自ら調剤するとき、又は獸医師が自己の処方せんにより自ら調剤するときは、この限りでない。」と許容しておるのであります。だから今回の世間に言う医薬分業といいますものも実は終対分業ではなくして、医師調剤し得るものを許容しておるのであります。但しこれには制限があるのであります。原則としましては現行法通り薬剤師でない者は販売又は授與の目的で調剤してはならないというのが今日現行法と新たに改正せられようという法律共にこれは認めておるのであります。だからこの問題は或いは解決しておるのかと思いますが、私ども疑義を解くためにこの際はつきりと学問上からお示しを願いたいのでございます。先ず村山先生にお伺いしますが、調剤というものの定義を聞かして頂きたい。
  55. 村山義温

    証人村山義温君) じやお答えします。調剤というのは化学物、薬物で純粋ではありませんが、一つのもの、例えば重曹なら重曹、それからヂアスターゼならヂアスターゼというものを一つの薬物と見なす。そういうものを合せて、そうして医療の目的に使用するのを調剤と申しております。併しその調剤ということについてもいろいろ機微な点がございますので、まあよくものを水で薄めるのは調剤かというようなことがございますが、そういう機微な点に至りますと、どのものも多少境目がございまして、はつきり申上げられない点もあるのじやないかとこう思うのであります。併しながらはつきりした薬物を二つ以上合せたものを調剤と普通申しております。それについてはいろいろ合せれば作用して、そして効かないものもありますし、或いは却つてそれが毒になるものもあるというところで調剤というものについては相当化学のむずかしいところであり、又いろいろ鑑別するところの鑑識もつけなければなりませんし、又分析してみていいか悪いか、それが古いか新しいかということを又調べるところの分析学も知らなければならないというところに結論を持つて行くわけであります。そのけじめに至つてはやはり動物と植物との境がないと同じように、学問上の細かいところになりますと、差別の言いがたい点が多々あるのじやないかと思うのであります。
  56. 松原一彦

    松原一彦君 どうも大変むずかしいのでありますが、どうも境がわからんようでありますが、これは大変大事なことでございまして、これに背いたものは医師は、つまり第二十二条違反は同第五十六条によつて三年以下の懲役又は三万円以下の罰金に処せられるという罰則が附随しておるのであります。で先刻来お尋ねしております、医師がかような罰則を受けなければならないという法理論的根拠が、医師薬剤師でないから調剤する能力がないということなら、これはもうはつきり罰則はわかるのであります。当然であります。併し一面において医師調剤が認められております。現にこれは内容がわかりませんけれども、「左に掲げる場合において」と、こういう条件付きで認められておるのであります。それは一つ「省令の定めるところにより診療上必要があるとされる場合」、診療上に必要があれば医師調剤ができるとこうなつておる。又「省令の定めるところにより薬局の普及が十分でないとされる地域で診療を行う場合」、これは地域的に薬局のないところというのであります。こういうふうな条件がついておるのでありますから、若し医師調剤能力がないとするならば、後段の例外としての調剤には危險がある、矛盾するのであります。法律上矛盾いたします。又前段における原則として薬剤師でない医師調剤した場合においては罰則を受けるということになりますと、調剤というものの定義が非常にむずかしくなる。今専門家中の専門家である薬科大学学長がそこはわからんといつたような、ちよつと私の耳には入つたのでありますが、そうなると今後これは裁判上非常な大きな係争の種を蒔く。そこで私がはつきり伺いたいのは、調剤学という本によりますと、薬を調合して薬剤を作ることが調剤とこう書いてあります。薬品というものは只今のお言葉では薬物ということでありましたが、薬物というものを混合しないで、医師患者に交付する場合はこれは調剤ではないのでしようか、どうでしようか。この点をお聞きします。
  57. 村山義温

    証人村山義温君) 調剤ではそれはないでしよう。単独に與えれば、今のような調剤というのは二つ以上合せるという意味ならば……。併し処方箋だけを医者が與えて調剤薬剤師が、投薬の材料は薬剤師が供給するということに御解釈を願えば、單独の薬品でもそれが毒物であり、危い物であるという場合においては、先ほど申上げたように天秤で計ることも医師よりか薬剤師のほうが正確にできるという意味から、投薬をするということはやはり薬剤師でなければいかんという原則に戻るわけですね。ですから調剤という字に余り極限されるとそういう御解釈になるのじやないかとこう思うのであります。
  58. 松原一彦

    松原一彦君 そうなりますと、これは法律のこの文字の上に非常な疑義が生ずる。国民納得が行かないのみならず、医師のかたも私は納得がお行きにならんだろうと思う。投薬を禁ずるとはないのであります。「薬剤師でない者は、販売又は授與の目的で調剤してはならない。」とはつきり書いてあります。この文字が三カ所に出ている。短かい文章の中に……。「自己の処方せんにより調剤するとき、又は獣医師が自己の処方せんにより自ら調剤するときは、この限りでない。」とこう三カ所に出ております。そこで疑義はこの調剤の定義にかかつておる。これが三年以下の懲役に行くか行かんかの境であります。医師としては実に容易ならざることであり、世界的に医学の問題としては、立法例としてはこういう立法例がどこかにあるかと今質問しておりますが、実は世界のどこにもないらしい。アメリカの一州かにあるという。帝政時代のドイツには昔はあつた。現在はまだわからない。今問合せ中だということでありますが、これは実に重大な問題でありますから、それでこの際実ははつきりいたして置きたい。そこで薬局方によつて一つの單剤を、そういう言葉があるか知りませんが、原剤といいますか、アスピリンならアスピリンという薬をば錠剤にし、又は粉末のままであるものを医師が何日分かに分割して、或いは粒を何粒とこう指定して患者に與えた場合も調剤という名の下に処分せられるのであるか。粉末を水に溶いて、これを区分して服むことを指定して與えることが調剤となるかどうか。これが重大な問題でありますから、そこで一つ専門家中の専門家である薬科大学長にはつきりとお聞きいたしたい。
  59. 村山義温

    証人村山義温君) それは只今申上げた通り特例中の特例でございまして、原則として投薬薬剤師の仕事である。処方箋までの仕事は医者の仕事である、こう申上げたわけでございます。それが法令上どういうふうな支障を来す、どういうふうなことになるということについては、為政者において然るべく御検討頂いたらいいのではないかと私は思うのであります。私は先頃から薬学教育からどういうふうに結論したらいいかということを申上げたのであります。その実施上についてどういう障害が起つてどうだということは、やはり実務に当つておるかたがた、或いは為政者において、政治の衝に当つておるかたがたにおいて御検討になつて、それが不都合であれば如何ようにも御改正になつたらいい。私の申上げたことは薬学教育立場から申上げたので、ほかの点については私はしかく存じておりません。
  60. 松原一彦

    松原一彦君 これは大変なことになります。調剤ではなくて、あなたの御見解は投薬してはならないという御見解とこう思うのでありますが、そうなりますと、これはこの法律の文字の上に法律を書き直さなければなりません。修正を要するのであります。私がお聞きしておりますのは、教育のお立場からもありましようけれどもが、薬剤学、又今日非常に問題となつております調剤学というものを、現にあなたが日本の権威者としてこれを御講義になつておる立場からも、調剤というものの定義がわからないとなるというと、これは今後非常な大きな問題が起つて来て、実に立法上法律をどうしてこういうものを作つたかということになりますのであります。そこで私ども素人でありますから、念には念を入れてこの点を明らかにいたして置きたいと思いますので、すると村山先生は調剤というのでは不明であるから、投薬として薬品一切は医師は扱つてはならない。これは薬剤師に扱わせなければならないという御意見であると解釈してよろしうございますか。
  61. 村山義温

    証人村山義温君) 先ほど申上げた通り、薬品には劇薬があり、毒薬がありいたしますので、これを天秤でいやしくも計る段になりますと、やはり薬剤師の業務にしたほうがいいのだろうという考えを持つております。
  62. 松原一彦

    松原一彦君 どうもそれは頗る前後矛盾しておると思うのです。天秤で計るのではない。一つ錠剤或いは粉末剤をば、できておるものをそれを投薬してはならんと今先生はお話なつたように思つたのです、前段においては……。今はこれを天秤で微量にまて扱つてやることは薬剤師責任であるというふうに変つたように思う。そこには私は大きな矛盾があると思うて解釈に苦しみますが、実はこれは参考資料としてここに出ておりますが、内科用の薬品として医師が備え付けておくべきものを日本医師会の調べたところによりますと、局方の薬品で八十九種となつております。私はもつと数百種に上るものかと素人流に考えておりましたが、八十九種とあります。外用二十五種とありますが、これは恐らく調剤するものではないと思う。若し医師日本の政府の公認したる薬局方の薬品をも患者に與えることができないということが前提になりまするというと、外用の措置の薬も扱えないことになる。これは外科のときに今日はつきりわかつておるところの抗菌剤が扱えないことになるのであります。薬は一切医者は扱えないということになるのでしようか。或いは或る程度までは医者が扱つてもいいのでございましようか。これは実に重大な問題でありますから、この際是非明らかにして置いて頂きたい。
  63. 村山義温

    証人村山義温君) どうもお医者の領分まで申上げては恐縮ですが、只今の御質問とは違うようでありますが、ちよつと言い直しますが、例えば錠剤でアスピリン錠剤というような種類のものはこれは医者に限らず、薬剤師に限らず、素人でも随意に薬局から買つて服んでおりますが、その程度のものなら別に医者がどうする、薬剤師がどうするという問題にはならないのじやないかと思うのであります。それから臨時措置については、やはりそれはお互いの常識問題になりまして、法律法律とおつしやいますけれども、私は法律はしかく存じませんが、法律で如何に細かく制定してもその間に目こぼしがあるのじやないかと思います。それについてはお互いの間の常識の理解において調整すればいいんじやないかとこう考えます。併しそうやかましく言わなければとてもけじめがつかんだろうと仰せられれば、それは困つた問題でありますけれども、今申上げた定義と申しましてもいろいろなけじめがありまして、どつちともつかん問題がどの学問、どの分野にもあるのでありますから、その点を明確にせよと申されればこれはかたきを求むるのじやないかと思う。別に逃げるわけじやありませんが、そう申上げるつもりでお答えしたわけであります。
  64. 松原一彦

    松原一彦君 いや実はそれが問題なのであります。法律ではどうあつても目こぼしがあろうとおつしやることは、これは話にならないのであります。法律に目こぼしがあつてはならないのであります。而も世界に余り先例のない峻厳なるここに医薬対立分業の立法を日本が作ろうというのでありますから、念を入れておるのであります。私は欧米諸国のようになることは当然だと思うし、なるがいいと思います。併しこれは厳密なる意味におけるところの医師調剤を禁じた結果ではないのであります。設備が充実をし、国民の常識が発達をし、又それによつて非常な大きい利益があるというところからこうなつて参りましたので、将来必ずこうなるものと信じますが、日本の現在の富の程度、それから日本国民の今日の常識の程度、又医師薬剤師の分布等から見て、それで誠に峻嚴に分割しにくいところがあるがために、ここに医薬の分業が法律で制定、強制せなけりやならないか、或いは発達の程度に応じて任意分業とせなけりやならないかというけじめがあるのであります。で、お目こぼしがあるということであるならば、これはもう法律を制定する必要はないのであります。実を申しますと、今日といえども薬剤は薬剤師でなければ扱われないのでありますが、医師に限つてその調剤が認められております。これは私は先刻来の各大学学長かたがたから御意見がありました通りに、決して完璧ではないけれどもが、一応医療上に医師調剤することができるという能力を與えておるのだということでありますから、これはわかります。はつきりわかります。それを今回の法律では峻厳に立法上に禁止するのであります。だからこの禁止地域における医師は、これはお目こぼしを将来予想してこの法律に服従するわけには行かないのであります。又現行法でも、医師以外の者が調剤した場合においては、同様の罰則があるのであります。医師そのものが罰せられるのであります。医師以外と申しますのは、医師の家族とか看護婦とか書生とかいつたような者が調剤した場合においては、これは告発さるれば直ちに罰を受けるのであります。ところが医師の側において知識が足らず、現にやられておる。私はさように認めるのであります。世間さように認めておりますのであります。でありますからそういうふうに法律ではきめるけれどもが、お目こぼしがあるということになりますというと、現状でいいのであります。併し現状で許されないというのは、薬剤師でない者が汚い手で以て消毒衣もつけないで隈つこのほうで薬を調合しておるというところに不安があるのです。現行法を励行すれば、そうして本当に医者でない者がそこで調剤しておれば、直ちに告発してこれをば処分するということが励行せらるれば、私はよほど大きな目的を遂げやしないかと思うのです。私は恐らく医師調剤しておるというところは、よほどまあはやらない貧乏医師か何かじやない限り私はないと思う。だから医師の側でも調剤希望してはいないと思います。できないのです。この法律を励行すればできないのであります。だからこの法律を、現在における現行法の法律を励行して医師に無形の技術料、診察料というものを適当に與えて、薬は薬代として別に取ることにすればですよ、何も私は不自由なことはないと思うのですが、欧米の今日まで歩いて来た先進国の医療の現在の程度にまで達することを好まない者は、恐らく医師といえども薬剤師といえども国民といえども私は恐らくあるまいと思う。ただ問題は今の微妙な点にあるのであります。分けにくいものを殊更に、むずかしいものを殊更にここで境界線を作つて、そうして間違えたらば、処分になるぞという峻厳な法律を立てるというところに、私ども国民に対して、又これから後の医師に対して或いは薬剤師に対しても深く考慮しなけりやならんとこう思うのですから、私は無理を申すつもりじや決してないのであります。決して先生がたを責めるわけでないのです。その点ではつきりここにして置かないというと、この立法はできません。そこで村山先生の御意見はわかつたようなわからないような御意見でありますから、私は失礼ですけれども、これから先お尋ねすることはやめまして、この点につきまして他の医学部長の先生がたにお尋ねするのですが、調剤というものは一体どういう定義を持つておるものでございましようか。二つ以上の薬品をコンパウンドすると書いてありますから、調合してメデイシンを作るというのであるならば、調合しない薬を今後医師が與えても、これは犯罪にならないのであります。助かるのであります。この法律を施行しても……。ここの見解を一つ医師側のかたからお聞きしたい。
  65. 田中文男

    証人田中文男君) 私診療所を持つておる医師としてお答えいたします。私は調剤という言葉を、そういう法律的或いは薬学的、医学的に申述べることは差控えますが、薬を與える、投薬ということは、或る薬を一定量出しても調剤と言い得るし、或いは投薬と言い得ると思います。或いは重曹だけ出しても、今薬品界で大いにもてはやされておりますサルフア剤を何ら加えずサルフア剤一グラム或いはチアゾール二グラム半これを三包に分けてやつても、これも調剤だろうと思うのです。
  66. 松原一彦

    松原一彦君 どうも、思うのですでは、不安なのですが、どうか他の先生がたから……。
  67. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) やはり処方を書いて患者に與えるというプロセスそれを引繰るめて調剤といつておると思います。一方の場合も、二つの薬を合せる、水で薄める、膏薬の場合もあるだろうと思います。いろいろの場合があると思います。その間の過程すべてを調剤という言葉で引繰るめて呼んでおる。こういうことだと思います。
  68. 松原一彦

    松原一彦君 重ねて伺いしますが、この薬品ということと薬剤ということとどう違うのですか。
  69. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 同じことです。
  70. 松原一彦

    松原一彦君 同じことと心得えてよろしうございますか、原語は違うようですが……。
  71. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 同じことだと想います。
  72. 戸田忠雄

    証人戸田忠雄君) 私も医師が薬を取扱つて量をきめるということがやはり調剤だろうと思います。だから錠剤であれば一粒やるのがいいか、二粒やるのがいいかということは素人にはわからない。診察した結果この人には一錠やるのがいいか、二錠やるのがいいかわかるので、アスピリンなら自分で服めると言いますが、これは素人は盲蛇におじずでアスピリンを服んでおりますが、アスピリンの飲み方というものは処方箋によつて服まなければ本当の効果というものは期待できないというふうに考える。ですから調剤学の定義で言つておる調剤ということと、医師が普通使つておる調剤ということには違があつて、そこに今まではつきりした定義がないというところに参議院のかたがた疑義があるというふうに私は思うのであります。それですから、こういつた疑義のある言葉をここに挙げて立法されたかたがたが非常に何と申していいですか、調査不十分であつたと言わざるを得ないと思うのであります。それで先ほど私も今度初めて条文をはつきり見たんでありますが、一方では危険であると言いながら一方では許しておる。どうも先ほど委員のかたから指摘されましたように、片方ではそれをやれば重罪に処せられる。三年というのはかなり重罪だと思うので、それでありながら片方においてはこれを許す、こういう法律とすれば私は立法上極めて素人でありますが、いかないと私は自分で思つております。これは私の素人考えでですね、矛盾のあるこの法律ができるということは、これは審議が非常に不十分であつただろうと、これは素人として申上げます。実際いけないのであれば、日本中どこでもしてはいけないと思うのですね。これは調剤能力がないということを主張された或る一部の人々が、山の中であればよろしい。併し東京の真ん中ではいけない。そういうことでどうしてその個人々々にそれを識別するかですね、大学において仮に調剤学を専攻しておつた医師があつたとすると、そういうような人、或いは全然知らん人、全然知らんといつては語弊がありますが、余り知識のない人、そういう人が日本中に分布して行つて、山の中ならばいいが、都会の中ならばいけないと、そういう世界中にない立法が考えられるということを私は非常に心配しておるんであります。で調剤という言葉がきまらないということを今聞くことは、今日証人として私ここへ来まして非常に意外だつたんでありまして、そういうことでは誠に心配でたまらない。十分に御審議を願いたいと思うのです。どうしてこの言葉を入れたかということは、これは立法の人々の間においてすでに解決がついていなければならんもので、今この改正案がどの程度まで進行しておつて、議会からこれがいつ出ようとしておるのか、或いは出ようとしていないのか、そういうことはよくわからないのでありますか、もう少しここまで来る間にそういつたことははつきりした定義をされておつて、そうしてここに示されたほうが私はいいんじやないかと、これは私戸田個人の考えとして、ちよつと申上げます。
  73. 松原一彦

    松原一彦君 それでは申上げますが、これはすでに国会に提案されておるのでありますが、併しこの調剤という文字はすでに三年前から現行法にちやんと載つておるのであります。ただこれを喧しく言われなかつたのは、それは調剤医師ができるからであります。医師は自己の処方箋によつて調剤ができますから疑義がなかつたのであります。水で薄めようとも、分量をきめようとも、或いは混合しようとも、或いは一つの薬を分割して與えようとも、それはまあその定義は私はよく知りませんけれどもが、今まではそんなに喧しく言わなくても通つたんです。ただ今後大きな、ここにその禁止ということが、一部禁止ということになりますので、医師の権能の問題になつて来る。これは医師というものの持つ権能或いは義務を法定いたすのでありますから、そこで新しくここに問題になつたわけであります。只今審議中であります。でありますから念には念を入れまして、専門の大家のおいでを願つて、万一誤りを残さないように速記も取つておるのであります。これは将来裁判等になつた場合に、どういう根拠の下にこれが議せられたがを明らかにいたしたい。そうしなければ私ども責任国民に対して誠に相済まんと思います。大変理窟がましゆうございますけれども、それでお尋ねいたしたわけでありますが、今の御意見によりましても、これにはそういうことになるというと疑義がある、薬学専門の先生も疑義があるとおつしやるし、又医学のほうの専門かたがた疑義があるということでありますならば、私どもはさように心得まして、これをはつきりした上でこの結論を得たいと思います。  なおもう一つ伺いますが、この法案が成立いたしましたときに、またこの法案の但書以降は、これは何といつても原則でないのであつて、将来は但書は削られて、薬剤師でないものは、販売又は授與の目的で調剤してはならないという原則が理想の到達点だと思うのでありますが、そのことのために将来医師を養成なされる教育上、今の教授内容の一部から、つまり調剤学といつたものは省いていいものでしようか。医師というものがここにある以上、そういうものはやはり省けないものでしようか、この点をお聞きしたい。どなたからでもよろしうございます。
  74. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) 私申上げます。先ほど私冒頭に申し上げましたように、医師というものはやはり患者治療というものに全責任を持つておるという観念のもとに、医学教育はやつておりますから、それによつて必要な技術の面も十分にやはり教育して行くのが至当である。従つて調剤学もある程度はやはりやるべきだと考えております。
  75. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 只今の松原議員のいろいろ御不審の点について、一つ薬務局長の慶松さんが見えておりますので、その点について政府の解釈を参考一つ聞いて置けば証人かたがたにも大変御答弁に便かと思います。
  76. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) ちよつと速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  77. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 速記を始めて下さい。
  78. 上條愛一

    ○上條愛一君 私一つ教育立場からお尋ね申上げたいと思うのでありますが、先ほど来のお話によりまして、医科大学において薬学教授しておりまして、調剤能力があるということはよくわかりました。我々も調剤能力があると信じまするが故に、今日まで医者調剤するということに信頼をして参つたろうと考えるのでございますが、ただ問題は薬学専門学校というものがあり、又新制大学というものが新設せられるということでありまして、この薬学専門学校は主として薬学を中心にして教育をして参つておると考えるのであります。その薬学の意味は無論製薬というような任務もあろうと思いまするが、主といたしまして調剤を本旨といたしました教育のように我々は考えられるわけであります。そこで私のお尋ねいたしたい問題は、この調剤薬学というようなものは、医科大学において現在行われておりまする程度薬学で十分間に合われるのか、或いは薬学専門学校、或いは新制大学というような、この薬学を中心としたやはり教育が今後も必要であるのかどうであるかというこの一点であります。なぜ私がこの一点をお伺いいたすかと申しますれば、我々の今日取扱つておりまする医薬分業問題は、本質論と申しますか、と申しまするのは、医者調剤する能力ありや否やというそういう本質論だけではないのであります。医薬分業の問題、これを法制化する必要があるかどうかという点は、今日日本の国策といたしまして、教育の政策といたしまして薬学専門学校を設け、新制大学を新設して、薬学を中心にして日本教育を行うというゆえんのものは、それによつて薬学といつても、主としてそれは私は調剤だと思います。それらの教育を受けて参りました薬剤師というものがすでに五万以上の数に達しまして、これらの諸君がその本来の仕事といたしまするところの薬剤に従事することができないという点に今日のこの医薬分業の問題が発生しておると考えられるのであります。そこで医薬分業の問題は任意分業でいいじやないか、これは私もそう信じまして、自然のままに発展いたしまして、薬剤師の諸君がその本来の仕事に従事することができまするならば、これは最も望ましき形であると考えられるのであります。然るに今日まですでに五万以上の数を数えておりまするこの薬剤師の諸君が本来の仕事に従事し得ないものが多数生じておるという点が、今日何らか任意分業に任して置いたのではその実現が困難であるという今日の社会実情からいたしまして、これは何らか立法的な処置を講じなければ、この医薬分業がスムースに行われないのではないかという立場から、医薬分業というものが今日問題になつておるのではないかと考えられますので、そこでこの点を村上さんにお伺いを申上げたいと考えるのであります。
  79. 村山義温

    証人村山義温君) 薬学のほうから申上げますと、これは毎回申上げました通り新制大学薬学においては、従来医学部薬学科であつたのを、大部分は医学部薬学部各独立の学部に直したのであります。まだ若干国立においで医学部薬学科もございますが、大部分の私学並びに公立等においては薬学部になつております。而して国家試験を経由して立派な薬剤師なつたにかかわらず只今仰せられた通り、まだ本業はできない、ほかのものに兼業されておる。これでは国家の目的も那辺にありやと疑うのであります。そういう点から私も是非これは法律できめて頂きたいという結論になるのであります。初めに申上げた、地方ではこれこれと申上げたのは、医業においてもこうだ、薬業においてもこうだということを申上げたので、私の本来の考えではないのでありますから、この際取消しをして置きます。くれぐれも申上げますが、医業と薬業とは本質的に違う、違うが、これは非常に協力して、相互いに手を携えて行くべき業務でありまして、互いに保健衛生の道に携わるべき重要な職務を持つております。細かい調剤はどうだとか、投薬はどうだとか、そういう細かい問題を突つかないで、大局から見て、御英断を願いたい所存でございます。
  80. 上條愛一

    ○上條愛一君 私はこの医学関係の先生にお伺いいたしたい問題は、簡單に申しますれば、今後日本において、薬学専門学校、或いは新制大学かも知れませんが、そういう教育を存置いたしまして、やはり薬学というものを専門教育する必要がありやなしやということであります。医科大学において薬学教授せられるのであるから、その程度で間に合うものであるか、或いはそういう専門学校を設置いたしまして、今日のような多数の薬剤師教育するということが必要であるかどうか。若し必要であるといたしますれば、これらの人々を教育の必要の部面につけるべきであるということが生じて来ると考えられるのでありまするので、この点について医学部の部長さんのほうからの御意見を伺いたいと思います。
  81. 兒玉桂三

    証人兒玉桂三君) ちよつと私からお答え申上げます。薬学専門学校というのは、もう多分なくなつたのではないかと思います。今薬科大学ということになつておると思います。そちらのほうで専門家が今後多数に出て来られるということは、これは我々大いに歓迎する問題でありまして、そういうかたがたがたくさん出て来られまして、我々と一致協力いたしまして、そうして国民の保健のために一緒に働くということは非常に結構なことだと思います。将来におきましても私の見通しといたしましては、十分薬学知識技能を持たれましても、今日まで卒業されたかたが余り調剤のほうに関係されなかつたけれども、今後は十分医者のほうといたしましても、そういうかたを活用いたしまして、相携えて進むという方向にだんだんと日本社会進歩して行くということは考えられるわけであります。でありますからして、強制的に法律で以て職を與えなければ薬学大学というものをやめてしまうほうがいいという議論は、私はちよつと自分といたしましては首肯しかねるわけであります。お互いに相協力して行くということによりまして、十分医薬相携えて行くことによつて医薬分業が実現すると考えます。
  82. 上條愛一

    ○上條愛一君 有難うございました。私は決してやめてしまえという意見を申上げておるわけではないのでありまして、今後も現状のような医科大学というものを設けて医学に対する教育を存続する必要があるかということをお伺いしたわけであります。ただなお私がこの質問を申上げました意図は、これは少し議論になりまするので議論は避けたいのでありますが、ただ御質問いたしました趣旨は、我々は任意分業を現在までやつて参りましたけれども、任意分業というものでは円滑に医薬分業というものが行われないというところから、今日この医薬分業法律となつて考えられるに至つたということを私は考えます。一例を申しますれば、労働者と資本家との関係におきまして、労働組合というものは日本においては法律で禁止してはおらないのであるからして、自由に労働組合の発展ができて、労使が対等の地位で労働条件の問題を討議できるということになれば、問題はないのでありまするが、これは経営者側が有力なために、それができないために労働組合法という法律が設けられまして、労働者の団結を助長して行くということが生まれて参つておるのでありまして、公正に見て今日の医薬分業の問題が起りましたゆえんのものは、多数の薬剤師教育せられて社会に出ておるにかかわらず、医薬分業というものがスムースに行われずにおる。その現状からいたしまして、医薬分業の問題がこの法律問題として現われて来たのではないか。その責任なり、原因がどこにあるかということは、我々まだ検討の要があると思うのでありますが、そういう実情であるということを私は考えまするが故に、只今のような御質問を申上げましたわけであります。有難うございました。
  83. 松原一彦

    松原一彦君 今上條委員からの御質問に対する御答弁に私は少しもの足らないものがありますから重ねてお聞きするのですが、これは村上先生にお聞きするのですが、薬事法の第二条には、「この法律で「薬剤師」とは、主として医薬品の調製、鑑定、保存、調剤及び交付に関する実務を行う者」だと、こうあります。今上條委員は、この薬剤師というものを養成する目的は主として調剤ではないか、かようなお話でありましたが、私どもの解釈するところでは、もつと根本に立ち入つて医薬品の調製をする者であり、鑑定をする者であり、保存をする者であるという専門の領域があるのではないか。そのうちの一部に調剤というものがあるのではないかと解釈をするのですが、この点如何でしようか。
  84. 村山義温

    証人村山義温君) それは只今の条文にすべてのものを包含しているのじやないかと思います。ですから調剤のみを以て薬剤師の職務とするものではないのであります。併し調剤も一部であります。
  85. 谷口弥三郎

    ○谷口弥三郎君 私から一つ村上証人お尋ねしたいと思います。先刻来医師の数は或いは過剰になりはせんかという心配もあつて医師の数ということについてはすでにお尋ねをして、又御証言もあつたのでありますが、医学の方面では現在どういうふうになつておりますでしようか。それを一つこの際御証言願いたいと思います。
  86. 村山義温

    証人村山義温君) それは正確な数は厚生省御当局がおいでになりますから、そのほうにお尋ねなつたほうがよろしいと思いますが、ざつと私が調べたところによりますと、従前の専門学校の卒業生を調べて見ますと、年々専門学校として二千五、六百人という卒業生が出ます。併し新制大学になりますとそれが減つて千五百人程度になるんじやないか、こういうざつとした計算で、あと厚生省御当局から御訂正を願いたいのであります。このうち何人が薬剤師になるか知りませんが、約七割方なるとすれば、専門学校出の者の時分には千五、六百人で、大学となれば千人程度薬剤師が出るんじやないか、これは間違つておるかも知れません。あとで厚生省御当局から御訂正を願いたいが、私がざつと卒業生がどのくらいあるかという大よその数から調べた数でありまして、こういう考えで進んでおります。さよう御承知を願います。
  87. 谷口弥三郎

    ○谷口弥三郎君 先刻医科のほうでは、例えば大きい所で今年から八十とか、小さい所は四十とかいうお話がありましたが、あなたのほうの学校は去年と今年とは入学生は変りはありませんでしたか。
  88. 村山義温

    証人村山義温君) 新制大学になりましてからは今申上げた通りでございます。大分定員が減つております。今まで百五十人程度で採つておりましたところを、八十人乃至百人ぐらいしか探つておりません。ずつと減つております。殊に国立の大学におきましては四、五十人程度学年入学者だと思つております。
  89. 小杉繁安

    ○理事(小杉繁安君) 御質問も大体盡きたようでございますから、本日はこの程度でやめることにいたしたいと思いますが、証人のかたには遠路のところ御出席下さいまして、長い間貴重な御意見を拜聴いたしまして誠に有難く感謝いたします。  これを以て本日の委員会は散会いたします。    午後三時三十七分散会  出席者は左の通り。    委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            井上なつゑ君            有馬 英二君    委員            石原幹市郎君            中山 壽彦君            長島 銀藏君            河崎 ナツ君            上條 愛一君            藤原 道子君            常岡 一郎君            藤森 眞治君            谷口弥三郎君            松原 一彦君   委員外議員            吉川末次郎君   事務局側    常任委員専門    員       草間 弘司君    常任委員専門    員       多田 仁己君   証人    東京大学医学部    長       兒玉 桂三君    岡山医科大学名    誉教授     田中 文男君    東北大学医学部    長       黒川 利雄君    大阪大学医学部    長       黒津 敏行君    九州大学医学部    長       戸田 忠雄君    東京薬科大学長 村山 義温