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1951-05-08 第10回国会 参議院 厚生委員会 第25号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聴会 ———————————————— 昭和二十六年五月八日(火曜日)    午前十時三十一分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○医師法歯科医師法及び薬事法の一  部を改正する法律案内閣提出)   —————————————
  2. 山下義信

    委員長山下義信君) これより医師法歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律案、即ち医薬分業法案に関する厚生委員会公聽会を開会いたします。  本公聴会は、本院規則第六十五条によつて開催いたすものでありますが、この際御報告をいたすことがございます。今回の公聽会公述人としての申込者は総計百三十二名に達しました。うち賛成意見申込者は四十七名、反対意見申込者は八十五名でございました。これを職業別にいたしますと、賛成の主なるものは薬剤師の十四名、公吏の六名、教授の四名、俸給生活者の四名、その他新聞記者農業印刷業著述業二、三名ずつございました。又反対の主なるものは医師二十五名、俸給生活者十二名、農業正名歯科医師四名、新聞記者四名、薬品販売業四名等でありました。ほかに教授、商業、官公吏等二、三名ずつあつたのであります。本委員会におきましては、今回の公述人は成るべく専門的な立場でなくして、広く一般の世論を聽取するという建前で各方面職業を持たれましたかたがたから適宜選定をいたしたのであります。これより公述人の御発言を求めますが、それにつきまして公述人かたがたに御注意を申上げておきます。公聽会に関しまする本院規則第六十八条によりまして、公述人の御発言範囲は成るべく問題の範囲を超えないように願いたいと存じます。又公述人の御発言が問題の範囲を超越いたしましたり、或いは又不穏当なる御発言がありました場合は、委員長はその発言を禁止し、或いは御退場願わなければならんことになつておりまするから、御注意を願いたいと存じます。御発言の時間は大体二十分以内にお願いをいたしたいと存じます。且つ又、同様の御意見は、前の御発言のかたと同じような御論旨が重複しないようにお願いをしたいと存じます。なお公述人かたがたに対しましては、同様本院規則によりまして、議員かたがたから或いは御質問等があります場合にはお答えを願いたいと存じます。それではこれより順次公述人のかたの御発言お願いすることにいたします。最初に山口県町議会書記長北村政二郎君の御発言を求めます。
  3. 北村政二郎

    公述人北村政二郎君) 私は結論といたしまして医薬分業賛成をいたします。その理由といたしまするところを簡單に述べさして頂きます。  私は曾つて中国華南厘門皷浪嶼で、この医薬問題につきまして、その土地の立法に関与したことがあります。そのときの状況は、昭和十三年でありましたが、中国状況自然放任の形になつておりまして、何らこれに関する制度とか制限がありませんでした。中国のほうの状況は、御存じの通り漢方医西洋医に分れております。漢方医専門漢方医のみをやり、西洋医西洋医のみをやつております。その業態は三種に分れております。診察専門医者、次は薬種商、薬ばかりを販売している家であります。これは漢方医から処方箋をもらつて、そうして薬種商が販売するのであります。もう一つ薬種商の中に少し器用な人がおりまして、それが医師を兼業しておるものもあります。西洋医のほうに行きましてもやはりこの通りでありまして、西洋医師診察専門医者並びに薬局、同時に薬局医師を持つもの、この三通りがあります。このような自然放任状況から推して、日本的な延長を持つて行くというような立法をするときに、非常に困つたことがあります。大体その状況を申しまするというと、多忙でよくはやつているお医者さんは、薬種商薬局などはやらないのでありまして、非常にそれを一つの誇りのようにその人がいずれも言つております。二、三のよくはやつている医者の人は、自分はこの病人の診察だけで手一ぱいであつて、とても薬の仕入れとか薬の調合などに手が廻らない。自分はもうこれで結構であるというふうに、薬に対することはすべて専門家に任している状況でありまして、そうしてやはり民衆から多大の尊敬を受け、何ら法律制度とか、制限とか、取締とかというものがなくても、民衆からは多大の尊敬を受けて、そうして立派な生活をしておられます。中国のようなこういう民度の低い社会にありましても、自然放任状況にあるならばこのようなものになつているのであります。我が国薬剤師のかたの資格は最近非常にむずかしくなつて大学を出ても国家試験を受けなければ取れないというような法律制度になつておりますが、現在のこの法律制度には私は一つの大きな矛盾を発見いたします。それは地方開業医のかたで、このような厳重な資格を持たなければならない薬剤師のかたを雇つておるかたも聞いたこともありませんし、又そういうようなこともないのでありまして、多くは家族のかたとか或いは看護婦であるとか、いろいろなかたにそういうようなのをお委せになつておるのであります。これについてのいろいろの問題を私の狭い範囲においても二、三聞いております。こういうように現在の日本法律は非常に薬剤師資格を厳重にし、そうして資格を重んじておる平面に、一般大衆薬剤師のようなものは誰でもできるんだ、一年もかからなくても、器用な者ならば半年もすれば薬剤師の仕事はできるというような感じを与えております。これは私は法律というものがかようなものではないと、私はそう信ずるのであります。結論といたしまして餅は餅屋に、こういうことはお委せになり、そうしておのおのの分野によりましてそれぞれ専門的にこれを御研究になり、そこに医薬合理化が生まれて来る、そうして国民保健向上によい結果が必ずここに現われるものと私は確信するのであります。お医者さんにしましても、よくはやるお医者さんが、次から次から新らしく出て来る薬剤の研究もやらなければならないし、又仕入れのことにも頭を使わなければならない。こういうことでは本来の医術研究ということが疎かになるのではないか、それが故に日本医術というものが地方においては余り向上しないのではないかというように私は考えるのであります。どうか我々といたしましては薬事法なり、或いは薬剤師関係資格に更に重きを置かれるというこの法律制度平面、何でもない者が薬剤師をやる、誰でもできるんだというような現実を一日も早く是正されまして、法の精神を立派にお活かしになることを国民の一人として希望するものであります。この私の考えについていろいろ実例を持つておりますが、時間の関係上これくらいにいたしまして、参議院の厚生委員会における議員各位の深甚なる御考慮を煩わしたいと存ずるものでございます。  以上簡單でございますが、私の公述を終ります。
  4. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は反対意見者、京都市医師林良材君の公述お願いいたします。
  5. 林良材

    公述人林良材君) 御指名にあずかりました林でございます。市井の一開業医である私がこの席に公述人としてお招き頂いた光栄を厚く感謝いたします。但し私自身開業二十五年、開業当初から今日に至るまで、有資格薬剤師と共に医療をやつておるということを先ず申上げます。但しその薬剤師医師重き責任の一部を分担する重責にありますので、私の心を心として、私の手の延長として、体は異なるけれども、心を一にして働いておつてくれるために、今日まで無事に私の業務を勤めさして頂いたものと信じておるのであります。特にその点を強調いたして置きます。高橋検事さんの御説に従うと、立法妥協なりと言うておられます。法律は各方面の異なつ立場、利益の違つたいろいろなかたがたが立案し審議して、立法されて法律となつておるので、いろいろのかたの考え調和されたところに法律ができておる。即ち法は妥協なりという言葉は、古今を通じ、東西を問わず、価値ある言葉と言われております。ところが本法は、未だ各方面意見調和の点に達していないと存ずるのであります。余り調和をとろうとすると骨抜きになつて、折角の改革が行われないという難点もありますけれども国民大衆日常生活と直結いたしておりますところのこの大事な医薬問題が、みんなのまだ得心の行かないというままで法律となろうとしておるところに、難点があると思うのであります。私は医者としてこの問題はまだ十分に論議する価値のあるもの、脈がある、まだ匙を投げてはいかんという医者立場からここに参つた次第であります。拙速を尊ぶべきでなくて、国民文化向上と共に、次第に無理なくスムーズに発展すべき問題で、愼重に審議して頂きたいと思うのであります。今我が国民の最も要望いたしておりますところは、第一に安心して、第二に便利に而も安く立派な治療を受けたいというのであります。立法精神国民のこの大きな要望にできるだけ副うて行くということでなければならんと思うのであります。従つて安心して便利に安くできるような法案であつたらいいのでありますから、この意に沿うて審議したらば間違いは起るまいと思うのであります。そこで本案のできました経過を拝見しますと、臨時医薬制度調査会答申案に基いて政府が提案されたのでございますが、すでに御案内の通り医療関係者医師が十人、薬剤師が十人、それから診療を受ける側のかた、学識経験者及び関係行政官庁、合せて二十名、四十人の委員会であります。短い限られた時間の間に総会六回、特別委員会八回という御熱心で、夜を日に次いで御審議下さつたところの労を多とするものでありまするが、その速記録を拜見しますと、殆んど医師薬剤師との論争に終始して、中立のかたは吉田委員等二、三を除いては殆んど発言しておられませず、そのままで結局特別小委員会賛成五、反対三、白紙一で以て可決され、総会では十九対十一で以て可決されております。その筋からの督促もあつて非常にお急ぎであつたことはいたし方ないとしても、非常に結論を急いだために各委員意見が十分に討議し盡されておりません。私は国民生活と直結したかかる重要なる法案を、まだ議を盡さないままで提出されるようになつたということは、国民と共に頗る遺憾に存ずる次第であります。今仮にこの法案法律としてでき上つたということを想像して見ますと、委員の一人である高野さんは雑誌に「医薬分業遂に成る」という見出しで一文を掲げ、凱旋将軍のごとき絶讃を博しておつたのであります。昨日の新聞を見ると、マツカーサー元帥日本人一般東洋人と同儀に勝者には、勝つた者には追従し、負けた者には最大限の侮蔑を与える傾きがあると言うておる。併し私どもは、負けて国民から最大限の侮辱を受けておらんと自信しております。先ずここに重要視しなければならんことは、この案のいきさつから見て、診療を担当するところの主体である医師団が全面的に反対しておるということであります。これは注意して頂かなければならん。若しこれが法律となつて実際に行われますときに、そうなつた以上は何ぼ反対したからと言つても、医師遵法精神に忠実に、自己を空しうしてその職責を盡すでありましよう。併しながらそういう場合においても、感情を持つ人間である以上はおのずから心平らかならざるものがあると思います。つまり言葉は悪いが、只今状況では医師薬剤師とが喧嘩して、医師が言い負かされた。そしてその二人の喧嘩をした者に人の命をあずけるという大事な責任を分担させようということに考え及んで見ますというと、診療を受けるほうの側から言うて言い知れぬ不安が伴う。私が先ほど言うた国民要望の第一に挙げた、安心して治療を受けるというその第一の要求が破壊されておるのでありますから、この一事を以てしても本案は落第であると思うのが私の反対理由であります。  なお薬剤師側の主張によりますと、数十年来の問題がいつも医者政治力薬剤師政治力よりも優つておるために、議会でも敗れたと言うておりますが、これはよく考えて頂かなければならんと思うのであります。私は医者政治力薬剤師のそれに比して如何ほど優つておるかはよく存じませんが、若しもこの法案国民大衆の心とぴたつと合うものでありましたならば、医師政治力くらいは鎧袖一触であると信ずるのであります。お考え願います。而も本問題のやかましくなりましたのは、アメリカ薬剤師団が参りまして勧告書を出された日から始まるのであります。そしてサムスさんが後援されたかに見えるところに力を得ておられるのであります。高野さんの発言を見ますと、サムスさんまで表面に出て参られたのです。だからいい加減にもうきめようと、こういうふうに言つております。この言葉は私どもは、薬剤師の強く主張するところは、後ろから応援して頂いて、糸を引張つておられたのだということを、問うに落ちずして、証るに落ちたのだと思います。私はこれを見たときに、如何に被占領下であり、敗戰国であるといえども、もう少し我が国民大衆のために支持するところのものは、日本人らしくあつて欲しいと涙を流したのであります。お手許に差上げて置きましたサムス准将への陳情書に、サムスさん、あなたは非常にたくさんのいいことをして下さいましたけれども、こと医薬分業に関する限りは千慮の一失と存じます。甚だ失礼でありますが、千慮の一失であると存じますということを書きました。その千慮の一失ということの表現に非常に骨を折りました。お読み下さいましたらわかります。いや、そんなことを申せば占領目的に反する、引張られてしまうと言つたけれどもサムスさん自身のお話において、日本の側で十分に研究し、それがその国に適用して利益ありと思うものから実行に移すように、こういう言葉を述べておられます。それ故に私が若しサムスさんの、この御本人はわかつておるから、占領目的に反して引張つてくれたならば、そのときにこそ私が真心をこめて、信ずるところを陳述さして頂く機会を与えてもらえるのだから、撤回いたしませんというて忠告を退けたのであります。默つておさめて、読んで頂いたか存じませんが、黙つておさまつております。  次に又、私の尊敬するドイツベルツ先生日本文化というものをよく研究して、その上に西洋文化を積み重ねよ。破壊して、欧洲文明を許してはいかんということを言つて下さつた言葉を聞いて、サムスさんも当然我々の子孫から、我々がベルツに捧げる尊敬の念と同じように、感謝の念を我々の子孫サムスさんに捧げて頂くようによく導いて下さいと歎願しておりますので、それは読んで下さつたかどうかわかりませんが、おさまつております。それで私はすでに還暦を迎えた一老人であります。三十三年頃から実施されることになるが、その頃は死んでおるか、生きておればもう癈人でおりましよう。ところが只今は何でも米国化することがいいかのごとく言われる。大事な固有文化が破壊されつある現状であります。そのときに医薬一如制度我が国古来医薬一如制度というものは世界唯一の立派な文化財と信じます。それは細かいことは別紙に書いてあります。私は僅かに残された我が固有文化財をどうかして我が子孫のために残しておきたい、そういう考えから特に参つたわけであります。  次に法律を強制することの不当ということについて申上げます。アメリカにおいても医薬は強制的に法律で以て分業されておりません。主として民衆医師相互の利便を基にいたしております。もとより分業の厳重に行われておるというドイツにおいてさえも、どの文献を見ましても医師調剤してはならんという言葉はどこにもありません。罰則があるにかかわらずどこにも見付かりません。私は医薬分業文献を見付けるのに骨を折りましたが、医薬分業言葉さえも見出すことができない現状であります。これは昔からの習慣は、医者は薬をやるものでないとわかつておる。そのためにそんなことは法案に書かずとももうそれでよろしいのであります。私はその言葉がないのでそう思つておるのであります。ところが我が国においては全く事情が違つております。医師法の第一条に医師診療を掌るものなりとあります。これだけで十分であります。診療と言えば診察治療も全部含めておる。その治療には手術をしようと注射をしようと薬を与えようと自由であります。その薬を与えるというのは、調剤というものが附随しておる故に医師診療を掌るものなりとあれば無論薬を与えるもよし、薬を与えるについては調合してもいいんです。今問題になつておるのは、その薬をこしらえるのはどこでこしらえるのかが問題だ、全く枝葉のように思うけれども、併しながら医師責任というものを考えて見ますときには、これはいけないのであります。つまり法文化しないでも、医師にはちやんとその権利があるということを認めて頂きたいのであります。それはあたかも助産婦が、助産婦でなければ分娩掌つてはならないという規則がありますけれども医者は何時助産婦と立会つたり、独立で分娩をさせてもかまわない。いけないということはないのであります。それと同じように解釈して頂いていいのであります。だから薬剤師は私のように協力を求めてやれば医師がやろうと思えば何時でもやれるということがあつて欲しいのであります。これは法律できめる上において大事な点だと思います。もう僅かな時間ですから……、中国人は日本人に対して何でも規則ずくめでいじめる法匪法律の匪賊と申しております。規則自分でこしらえて、その規則のために自繩自縛に陥り、動きのとれんようになつた場合、肚で行きましよう、肚で行きましようと言つております。これは為政者の以て他山の石となすに足ることと思います。こういうことを申上げると、おえらがたの前に甚だ相済まんわけでございますけれども、若し仮に靴下足袋に優るから、足袋を履いてはならんという法律をこしらえたならば、皆さんおかしな感じを持つに違いないと思います。成るほど靴下は左右どつちにでも履けますけれども、それは靴を履くときに便利であるのであつて下駄を履くときには不便であります。その代り靴は左右きかないけれども下駄は左右取替えられます。だから何でもいい面と悪い面と二つありますが、元来人間の足がずんべらぼうであつた靴下に限るでしようけれども、親指とほかの指との間に股があるので、ここに物を挾む権利があると思います。(笑声)かるが故に日本人間が疊の上で生活をする場合には、まだすたらないので、吉田総理大臣のごとき、最も外国の風習に慣れられたかたでも、白足袋を愛用してござると思う。(笑声)私は喧嘩はできませんので、和気靄々のうちに話を進めたいと思うので、こういう例を引いたのでありますが、以て万来医師診療を任される、診療の中には手術しようが、注射しようが、薬を盛ろうが、勝手にできる。若しそれがいけなかつたら、手術もこれはできないので、魚屋さんの切るのを上手な人に手術をさせることになるのじやないか、ここまで思うておるのであります。ここで現行分業任意分業でありましたが、一人の患者医師が拜見しまして、真心を盡して診断して、これはどうも骨が折れるから、私が一つ薬を工夫しよう、手術しようという場合に、或る落着きを得ましたときに、大体よくなつたようだから、あとは同じ薬でもいいと思うから、何もここまで来なくても、或いは私が往診しないでも、あなたの御近所に薬局があるだろうから、これでお飲みなさい、又変つたことがあれば、すぐ来なさい、変つたことがなくても、一週間したら来なさいというので、最寄りの薬剤師から薬をもらうということになれば、患者は安心するだろうし、医者はその職責を盡すことができるだろうし、薬剤師は又治療の一部を分担して、おのずから経済的の助けになる。これが今の自由分業の形であるとすれば、三者が安心して治療を進めて行くというところの今の現行任意分業が非常に立派なもので、これができてまだ三年に満たないのに、何を好んでこういう無理押しをされるのか、不思議に堪えないのであります。時間が参りましたから、まだ不便、不利というような点について申述べたいこともありますけれども、時間が許されるときを待ちまして、又申述べたいと思います。
  6. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は賛成意見、熊本県阿蘇郡、村開業薬剤師岩下誠二君の公述お願いいたします。
  7. 岩下誠二

    公述人岩下誠二君) 私岩下であります。阿蘇の山の中に開いております純農村の、当年二十七歳の青年薬剤師としてこの問題について公述いたします。  先ずこの改正法律案賛成に対する理由としまして、次の四項目を挙げます。第一番が調剤の問題、第二番が医療費の問題であります。第三番が薬剤師の分布と便不便の問題、第四番が医療向上の問題であります。  先ず第一の調剤の問題でありますが、これは私ども薬剤師調剤する場合と、薬剤師以外の人が調剤する場合とに分けて、今から暫らく詳しく述べます。先ず調剤と申しますのは、処方箋に基いて調剤するわけです。処方箋と言いますのは、現行法においても、又改正法においても、医師調剤しようと、薬剤師調剤しようと、これは必ず要るものであります。で先ずここに処方箋があるとします。先ず薬剤師以外の人が調剤する場合に、そのレツテルを見ます。例えば重曹二グラム、ジアスターゼ一グラム、これが一日分という処方箋がある場合、先ず薬剤師でない人は重曹そのものを知りません。ジアスターゼそのものを知りません。レツテルを頼るほか方法はないのです。レツテルと中身は必ずしも同じではない。(笑声)これは最も大切なことです。それでその薬剤師以外の人は、その壜のレツテルを見て、重曹と書いてあるからこれが二グラム、ジアスターゼと書いてあるからこれが一グラム、そうして計つてただそれを混ぜ合せるだけです。そのレツテルの中に果して本当の重曹が入つているか、若しくは変質していはしないかということは、薬学をやつておらん医者でも、看護婦でも、その他の書生でも、そのことはわからん。ところが薬剤師専門学校、若しくは現在の法律においては、大学において四年間薬学をやつておりますから、調剤する場合勿論レツテルを見ます、レツテルを見ますが、それを一匙掬つたときに、その頭の中には、必ず重曹というものは化学的にどういう種類のものである、どういう化学構造を持つておる、これは薬理作用は、これは單品でどういう薬理作用がある、而もこれはどういうものと配合禁忌であるか、混ぜたら有毒物とか水分を出すような状態になる、そういうことが掬つただけで頭の中にぴんと来る、ぴんと来ることが最も大切であります。若しも壜の中に、重曹と書いてあるが、この中に間違つて毒物が入つてつた場合、それを薬剤師以外の人がただ掬つて混ぜただけで、死んだらどうしますか。そのために四年間の大学教育を受けさせ、又国家試験を受けさせて、薬剤師免許を与えておるわけであります。ここが最も大切なんだ。医師大学を四年やつて出て、医師免許をもらう、これは医学教育を見られたらわかりますが、人間の体を診察すること、それからそれによる処置処置の中には処方箋を書くことも、手術することも入つております。こういうことが医学であつて調剤なんということは、大体医学にはない。薬理学調剤と全然別個です。薬剤師は勿論医師がやる薬理学の一部をやつております。それで結局医師調剤する場合、医師看護婦若しくは書生あたり調剤する場合と、薬剤師調剤する場合は、ここに相違がある。医薬分業をして初めて調剤というものは完全に行われるというのが、私のさつき述べました調剤方法によつてはつきりするわけであります。  それから第二番目に医療費の問題であります。医薬分業になりますと、医師は必ず処方箋を出すことになつております。今度の改正法案によりますれば、昭和二十八年の一月一日から、医師は投薬の必要ある場合、必ず患者若しくはその附添人処方箋を渡さねばならないということになるのです。そうしますと、お医者さんは、この人は自分はこう診断した、それだからこの人にこの薬を飲ませるのだということを他人に知らせる。他人と言いますのは、患者も知ります、薬剤師も知ります。自分はこの人はこういうふうに診断した、だからこの薬を飲ませるのだということを他人に公開するのです。公開されましたら、必ず医師たる者はあいまいなる診察はできない。あいまいなる処方箋は書けない。そのために医師一般の他の人から選択されます。選択されますそのために、医師は診断、処置処置には処方箋を書くことも入つております。これに最も励むようになる。これが最も大事なことである。そうして結局いわゆる診断というものを、設備を整え、勉強する。そのために診断が今より随分進んで来るわけです。そうして現在までにあつた誤診による誤つた投薬、それから誤診による期間の長かつたのが、結局最初から診断がびしやつとして、それに対する最もいい薬品、手術をぴたつとやる。そのために十日かかつた病気が五日で済む。その場合に苦痛が結局半分減る。病気になれば体に苦痛がある。その十日あるはずのやつが分業なつた場合に五日で済む。それから十日医療費を払わなければならなかつたものが五日払えばいい、そこで医師診察費、薬剤師調剤して薬価と手数料を取る。そこで一日の医療費は上るかも知れない。ところが総体的にこれを計算するならば、これは私は利益は莫大なものであると思う。その理由医薬分業をやつたならば、医療費は下ります。つまり私はこの点で大いに医薬分業賛成します。  それから三番目に薬剤師の分布と便不便の問題でありますが、諸外国の分業をやつている国と、日本の市と町部においては、大体医師薬剤師の人口若しくは距離に対する状態は、日本のほうが却つていいわけです。それで日本分業をやつても、これは農山漁村は現在のところ含んでいません。市と町においては、大体外国の分業をやつている国並みにあると私は思います。それから私は特に農村出身の薬剤師でありますから農村のことについて申上げますが、将来医薬分業をやつても農村とか漁村とか、そういうところはどうするのか。薬剤師はおらんじやないか。勿論医薬のおらんところもあります。ところが、薬剤師がなぜ農村に分布が少いかと言いますと、経済的に成り立たない。なぜ経済的に成り立たないかといえば、結局農村というものは広い、人家はまばらです。まばらなところにぽつんと建てても、人は薬を買いに来はせんです。そうして結局薬剤師というのは、今のところ調剤というものは農村じや殆んどやらないし、処方箋なんか一枚も来ません。そのために單なる医薬販売業をやつている。ところが薬剤師以外に医薬品販売業というものはまだほかにあります。先ず簡單な試験を受けて県の登録を取る薬事士、薬種商、それから家庭薬だけを売る第三号という医薬品販売業者がおります。こういう人たちは純粋な商人です。薬を売る、商売するために薬屋になつた。その人と薬剤師医薬品販売を対抗してやつても、薬剤師は純粋な商売人じやないから負ける、結局そこをお払い箱になる。それでどうしても農村に薬剤師を分布させるには、先ず医薬分業をしなければ薬剤師は農村には分布しない。又医薬分業してから、農村に薬局が分布するわけです。  それから第四番目に医療向上の問題であります。国民として最も重要であることはさつき少し述べましたように、処方箋の公開によつて医師医師としての本分、いわゆる診断、それから処置に励むような制度にすること、励むような制度というのは、これは医薬分業制度であります。こういうことにすることによつて医師は專ら診断に励みます。そうして薬剤師は本分の、その処方箋による最も正確な調剤をやる。そういうことによつて医療というものは向上するわけです。今ここに一例を挙げますと、野菜と魚を一緒に売つておる所があります。そこに行つて魚と野菜とを今まで買つてつた。ところが野菜も専門でない、魚も専門でない。そのために結局別に魚専門、野菜専門に分れた所に行つて見ましたところが、品物は豊富、値段は安い、サービスはいい。それで結局今まで魚と野菜の兼業の所から買つてつたよりも専門店で買うから、ちよつと不便のようではありますが、そのこうむる恩恵は莫大なものであります。腐つた魚であるとか、売れぬ野菜を買うよりも、毎日々々どんどん専門にそれだけに精進しておる所から新鮮なる魚、新鮮なる野菜を買うならば、少しそれは便利は悪いかも知れない。併しそのほうが本当です。その本当であるということが大切である。  以上のような理由によりまして、私は医薬分業賛成するものであります。とにかく阿蘇山の山の中から出て来まして、まあ服装はちよつときれいにしておるようでありますが、とにかくバンカラであります。甚だ野暮めいたことばかり申しましたが、どうか私の純粋な意のあるところを取られまして、慎重審議されますようお願いします。どうも有難うございました。
  8. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は反対意見者、東京都新宿区、鉄工場支配人森戸重治君の御公述お願いいたします。
  9. 森戸重治

    公述人(森戸重治君) 御紹介にあずかりました森戸であります。私は勤労者の立場から一言本案反対意見を申述べて見たいと思います。職工上りでありますので、甚だ調弁でわかりにくいところがあるかと思いますが、あらかじめ御了承をお願いいたします。理論的に本案が解決さるべきものでなく、現実に我々勤労者が日常生活の面からして、どのようにこの法案を重要視しなければならないかということを、日常生活の面から一二の例を挙げて申述べたいと思います。  先ず第一に委員各位にお願いしたいことは、健康状態の時を考えることでなく、一日本人自身が病気になり、或いは家族の者が病気になつておるという時を中心に考えて欲しいと思うのであります。本案が仮に可決されると、明らかに医者診察料及び処方箋料というものは取られると思います。この面で本案の利益になる面は医者薬剤師であつて、少しも患者、いわゆる国民の利益になる点がないと私は思うのであります。いわゆる経済面で必ず患者は損をして行くことは明らかであると思うのであります。  それから第二の点は非常に不便になることであります。医者の窓口で大体済むことが、処方箋をもらつて薬剤師の店に駈け込まなければならない。仮に本人がこういうことを病体を以て駈けずり廻つて、果してどれだけの何がありますか、非常に迷惑も甚だしいのであります。又家族の者が病床にあつて、病人以外の者が医者に行つて、又処方箋をもらつて薬剤師のところに行く、その間の時間、その間における心労、心配しておる本人はもとより、家族の者の心労というものは、これは実際皆さんに考えて頂いても現実にはつきりわかることであります。  第三の点でありますが、医者というものは、およそ病気になつてかかる場合に、先ず一番信ずるのは医者でなかろうかと思うのであります。この先生に診てもらう、この先生というものを信じて、初めてそこに病人なり家族の者が或る程度の安心感があるのではないでしようか。医者というものを先ず信じなかつたならば、これは到底病気を癒すということは実際として私はでき得ないと思う。その裏付けになる何があるか、この信ずる医者の投薬によつて初めて安心感というものがそこに出て来るのではないでしようか。これは現実の面を私は申上げたいのであります。それからこれは甚だ申上げていいか悪いかわかりませんが、薬剤師医者とが分業された場合に、一番私疑念を持つ点は責任を転嫁されはしないかと思うのであります。正しい処方箋を書いたのだと医者はどこまでもいいましよう、薬剤師は正しい投薬をしたのだという。併し結果は癒らない。その責任はどこに持つて行かれるでしようか。信ずる医者によつて診察をしてもらい、そうして投薬をしてもらつて初めて医者自分責任というものを感ずるのではないでしようか。まあ私大体以上の点で本案反対するものであります。私は東京社会保険協会の新宿支部の常任理事をやつております。新宿支部は六区に亘つております。新宿、中野、杉並、目黒、世田谷、澁谷とこの六区で、非常に広範囲に亘つております。それで先般来から私先生方と、それから従業員の立場とそれから役所の窓口、この三者の座談会というものを支部の二十五年度の事業としてやつております。その実情を例にとつて申上げて見たいと思うのでありますが、仮にこの分布状態が、恐らく六大都市というものは、分業をはつきりされた場合に、都心地に近いところのものは比較的そうでもなかろうと思いますが、それにしてもともかくたとえ一町なり半みちなり医者から離れていることは明らかであります。それが中野の奧或いは野方、或いは杉並のずつと奧、或いは白黒の多摩川寄り、結局何と申しますか神奈川県寄り、或いは世田谷の奥というような、殆んど囲りはお百姓で、東京都といつてもお百姓です。お医者に行くのに甚だしいところは一里も行かなければなりません。薬剤師なんか見当りません。そういうところに住んでいる人たち、現実に家族の者なり本人が病気にかかつて、夜夜中漸く医者に辿りつく。或いは医者に来てもらつて処方箋を書いてもらつて、これから一里も離れた駅の前とか、或いは少々密集したところの薬剤師のところに駆け込んで調剤してもらう。そのときに又薬がないとか、或いは薬剤師がおらないで、今度は又一里も半里も尋ねて廻る。その間の苦痛、これは先ほどのを繰返すことになりますが、その間の苦痛をこれは実際皆さんが現実に考えて欲しいのであります。私冒頭に申上げた通り、この問題は健康状態のときに考えるべき問題でなくて、実際本人が病気になつているときとか、或いは家族の者が病気にかかつたときに主体を置いて考えて欲しい。以上の点でともかくいずれの面でもプラスになるのは薬剤師医者であつて、マイナスになるのは患者、いわゆる国民であります。かような重要な議案を、国民一つも利益にならない議案を提出するごときは、甚だ民主主義に相反するのじやなかろうかと私は思うので、本案反対するゆえんであります。以上であります。
  10. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は賛成の御意見、群馬県利根郡、農村改善協議会長清水猛君の公述お願いいたします。
  11. 清水猛

    公述人(清水猛君) 本日ここに委員会の御招待にあずかりまして出席の栄を賜つたことは感謝に堪えない次第であります。  医薬分業問題になりまして、日本がおよそ七十年間という間、日本のいわゆる医療技術というものが漢方医の時代から近代医学にまで発展して来たが、制度として今日まで殆んどその改革が行われなかつたということは、誠にこれは旧態依然であると言えると思います。今日日本のあらゆる制度が民主化のため改革されて来ましたが、この間、この医薬分業問題だけが依然として現在まで近代化されないとき、丁度一昨年ですか、アメリカ薬剤師協会の使節団が訪れまして、この問題の改革が提唱されまして、医師といわゆる薬剤師の間で一年有余も紛糾し論議して漸く今日改正の見通しがつくに至つた。この改革は国民全体の直接生命に関する重大なる問題と考えまして、一般的にまだ国民が関心が少いということは、私は特に農村の立場といたしまして悲しむべき事実ではないかと思います。  強制分業反対し続けて来ました医師会では、創立の歴史が全く古くから全国に亘つて多数の会員を擁しまして、近代的の医療制度を確立することに努力して来たその功績に対しては、いささか敬意を表する次第でありますが、同時に医師会の発展につれましてこれが大きな政治的勢力を持つようになつたということも否定し得ないものであると思います。更に薬剤師協会はまだ新興の団体でありまして、その社会的勢力もまだ殆んど微弱でありますが、併し薬剤師協会は医師会に対立する団体ではない。薬学の進歩から生れ出た一つの当然の民主主義的団体ではないかと思います。医師会としても新興の薬剤師協会を敵と視るようなことをいたさず、互いに医薬一体という観念から手を携えて医薬のいわゆる公共性を更に向上させて行くのが、今日の賢明なる処置ではないかと考えるものであります。  この提出されました医師法ほか関係二法の一部改正法律案こそは、これが民主主義国家社会におきますところのいわゆる民主主義立法として私は全面的に賛成の意を表するのであります。およそ民主主義国家社会においては、その人の個性乃至は技術とか或いは能力、いわゆる専門的な価値、価値と言いますといささか経済学的に入るかも知れませんが、その価値を活かすところにいわゆる発展進歩が存立するのではないかと思います。従来の薬剤師が、医師のごとく社会的に専門技術能力を一般化されなかつた事実は、これ又実に悲しむべきものであります。即ち旧来の医師の私的独占営業を改廃いたしまして、薬剤師の薬剤専門技術を、従来と異なり、その専門価値を認めることは、更に調剤技術に進歩の拍車を加えて、その権利と能力を活用することができ、一人の病人というものを回復させるにしても、医師というものは診断処方箋に最善の専門能力を発揮してもらう、一方薬剤師処方箋による医薬品を確保しまして、最善の調剤知識を発揮してもらう、而して初めて両者の専門能力の協力によりまして、一人の患者が健康体に回復するという結果を見出すのではないかと思います。即ち改正案の医師法第二十二条及び歯科医師法の第二十一条の条文、この条文は医師歯科医師専門責任を強調するという改正条文としては、誠に適当なるものではなかろうかと考えております。更に薬事法第二十二条の改正条文で一部と、第二十二条の次に一条を加える、二十二条の二とし「調剤に従事する薬剤師は、調剤の求めがあつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」というこの条文、或いは薬事法第二十四条に附加えた一項の条文等は、これは薬剤師調剤専門権利、更に責任、これを一体化し、明確化し、更に薬事法第二十二条の全文等は、両者特殊な時と地域或いは場合を相当に本委員会におきまして考慮されて立案した適切なる条文として、これ又賛成を強調するものであります。更に医薬分業の長所といたしましては、この法律案が通過し、実施されますと、両者が共に責任は重大であるという事実を認むべきであると思います。なぜなれば、例えば甲の医師に診断処方箋に欠陥があつた場合、又は暴利を得た場合、依頼した患者は別に乙の医師に依頼するようになり、遂には甲の医者は信頼を欠くようになり、又同じく処方箋による調剤専門薬剤師医師の例と同じことではないかと思います。従いまして、更に医師は病状を判断し、治療する能力はありますが、常にデリケートな影響を患者に与えることが多々あることを拜聽し、又そういう立場に遭遇することが私もあります。特に患者が相当重態であつた場合に、これこそ問題ではないかと考えます。従つて細かい大切な調剤については、多くの場合専門的な知識に欠けておるということであります。何故なればこれは大病院であればあるほど、医師は診断して処方箋を作り、所属の薬局調剤する仕組になつておる。勿論今までも患者医師処方箋を要求した場合は、法的にも医師処方箋を発行しなければならないととになつているが、進んで患者のほうから処方箋を受ける者が殆んどいない実情で、この点からしましても民主的医療制度の確立ということが必要とされるものと考えます。又薬剤師が薬だけを売るのであるならば、これは調剤専門とする人と私は考えません。即ち一種の商売人的なことに過ぎないと考えるものであります。又医師は診断と治療の知識を持つていることが専門の人として勝ち得るもので、依然として薬を売るならば、これは薬の商売人である、販売人であると、私はさように述べたいのであります。経済面より言い換えれば、医師は診断を行うその知識によりまして報酬を与えてもらう、この半面分業が成立しましてこれが実施になりますと、或る一部では薬剤師はいわゆる経済的に余り利益がない、減るというような状態もありますが、故に私は第三者たる病人或いは一般階層の立場から申しますと、経済的に安価な診療投薬ができるということは第二問題としまして、問題はその両者の専門知識、いわゆる技能とか能力、これを信頼し活用したい。何故なれば、例えば医師のうちに内科、外科、眼科、婦人科というように分科されておれば、一般的、実質的にこれは専門技術というものを一般病人が信頼するということは当然の姿ではないかと思います。地方の農村地域も何らかの方法を以ちまして強制分業を容易に取扱いまして、都会地域と同じように実質化したこの制度を私は特にお願いするものであります。医師側より実は先ほど林氏は、日本古代の文化財を破壊すると考えると発言をせられましたが、私は進歩に役立つなればいずれの国の文化財といえども、これが発展を基礎付けるものであればどしどしと活用すべきであると考えます。又更に林氏曰く、薬剤師協会の理事長を少々攻撃かたがた皮肉つて言葉を取上げましたが、七十年来という間医師薬剤師の対立的な考え方をして来た今日、これが漸く見通しがついた時に、一方は何か負けたような気がする。一方は凱旋将軍のような気取でおる。これは私は人間本来の姿ではないかと思います。却つてこれは好意を持つところに医師会側に賛成の意を表してもらいたいというのが私の言わんとするところであります。故に私は専門的実力価値如何によりまして患者の信頼を左右されるものと確信すると同時に、一般貧困者及び患者は勿論のこと、経済的負担は従来の医師独占により一部に起りますところの暴利的高価な費用負担は、分業実施後は相当解消されるものではないかと考えております。絶えずこの政治というものは現実でなければならない。絶えず客観情勢を注視して、これは正当であり、これが民主的立法であると同時に理論上これは正当であると認むべき問題は、この医薬分業法律案ばかりでなくて、どしどしさように私は実施策を講じてもらいたいとお願いする次第であります。特に強調いたすところは、いわゆる学界の専門分野たる技能的価値です、これを活用するところに民主主義的な経済の発達或いは文化の発達というすべての国家内部の体系が成立する。まして公共のいわゆる人間の使命、これが達成できるものと確信いたす次第であります。そこにいわゆる民主主義の原理的なる実施、実現化する価値があるのではないかと思うのであります。  附加えて論述いたしますが、段階といたしまして現在としては実現不可能だとは思いますが、将来は、医薬分業を社会保障制度とした診断、処方箋薬剤師の安価な薬品の調剤、販売によりまして、例えば現在の郵便局制度のようないわゆる地域々々にこれを配置いたしまして、国立病院制としたこの医薬分業の近代におけるこの最後的段階ですな、これを直視すれば、現在提出してありまするところの政府法律案は、実に近代的段階におきましては何ら私は医師会側乃至は患者、第三者の立場においてこれを強いておるものではないと、賛成するものであります。一般国民の知識と自覚の向上がなければ、任意分業は理想といたしますが、これは到底不可能ではないかと思います、特に私はお願いいたしますことは、この多数の政治家諸公と相並行いたしまして、学者界、いわゆる国民の指導陣と言いますか、これらのかたがたは一党の政策云々でなくしてです、現実と絶えず客観情勢に即応すべくあらゆる法律案を改正実施せよ。これが正当と認むべき問題は、政党政策を超越いしたまして国民の指導に当つてもらいたいと共に、更に附加えまして旧来の学者界におきましてはよく御用学者なるものがありますが、これこそ真の私は学者として価値を失い、更に信頼を失うものではないかと思うのであります。いわゆる自由経済を標榜した経済政策をとるところの自由党でも、ときに社会主義的政策を含まざるを得ない場合にも遭遇します。或いは又社会主義的政策、政党であつても、ときに応じてこれは自由党のように資本主義政党の行う政策に賛成をせざるを得ない場合もあると思います。特にこの法律案は小異を捨て大同に立脚して、この医薬分業実施策を講じてもらうよう、特に強調いたしまして、簡單でありますが私の政府提出山案に対する賛成の論に代える次第であります。
  12. 山下義信

    委員長山下義信君) 午前の公述人は以上の五君といたします。この際委員諸君におかせられまして公述人に対して御質問のおありのかたは、どうか御質疑を願いたいと存じます。
  13. 松原一彦

    ○松原一彦君 清水公述人に伺いますが、あなたの御職業は何でしようか。
  14. 清水猛

    公述人(清水猛君) 私は農業でありす。
  15. 松原一彦

    ○松原一彦君 薬剤師とは御関係ありませんか。
  16. 清水猛

    公述人(清水猛君) 別に関係はございません。
  17. 松原一彦

    ○松原一彦君 農村改善協議会長というのは御職業ではないのですね。
  18. 清水猛

    公述人(清水猛君) 職業ではありません。
  19. 松原一彦

    ○松原一彦君 わかりました。
  20. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 ちよつと森戸さんにお尋ねしたいのですが、先ほどいろいろ便不便を承わりましたが、あなたのほうでは健康保險をお取扱いになつておる……。
  21. 森戸重治

    公述人(森戸重治君) 何ですか、材料ですか。
  22. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 いや、健康保険の仕事をたくさんおやりになつておりますので、それについて承わりたいのですが、今いろいろお聞きいたしましたが、その中でお話がなかつたのは、実は御承知の通り先般健康保険の料率の改正法律案が出まして、これは通しました。議会も労働者の今後の保険の料率というものは絶体に下げなければならんという我々考えを持つて、あの法律案は一応通したわけであります。医薬分業によりましていわゆる勤労大衆が負担が重くなるかどうかということについて、何かあなたのお考えがございますようならば承わりたい。
  23. 森戸重治

    公述人(森戸重治君) お答え申上げます。冒頭私は経済面で非常に不利益になると申上げたうちには、被保険者が非常に現在の健康保険料でも安いと感じておりません。むしろ料率を下げて欲しいくらいに思つておりますが、それが現在この分業なつた場合、一般の自由診療でも当然上ると思うのでありますので、必ず医師の面からも健康保険料の値上げの面が必ず出て来るんじやなかろうか。私はこれを非常に懸念するものであります。この意味で経済面から不利益になるということで明らかに本案反対したのであります。で健康保険の面から今藤森さんから御質問がありまして、先ほどちよつと申上げて見たいと思つたのでありますが、健康保險が非常に何しますが、地域的な面から不便を感じておるということは確かであります。それと、それからこれは先ほど一番あとで申上げたんでありますが、先生を信ずるということの必要性でございますね。これにこれにやつぱり管内に保険医でない先生がおるのであります。この先生に実情を伺つて見ますと、無理からんところがあるのであります。私は是非保険医になつて欲しいと希望しておるわけでありますが、やはりその先生がたの立場から考えるとできない。特殊の技能を持つておる。そうして保險診療で容易になし遂げ得ない。そこに私はやはりその先生の立場の苦しさがあるのじやなかろうかと、この面をも申上げて見たいと思うのでありますが、お名前を出すのと、それからどういう何であるかということを申上げるのはちよつと差控えたいと思いますが、胸部疾患を専門にやられている著名な先生であります。この先生に私が勤労大衆として……。今健康保険料の改善の問題も長期に亘つて、健康保険料の大部分の費用は胸部疾患者で賄われておるような実情でありますので、これは社会保障審議会で問題になつておりますから、これはいずれかはこの医薬分業に関連することだろうと思うのでありますが、それは別としまして、その先生が特殊な技能を持つておる。これは恐らく薬剤師ではできないのです。私その先生の二、三の患者関係しておりますので、往診されて注射をされるところを見ますと、これは実際めきめきとよくなつています、胸部疾患者でありますが……ところがその先生が健康保険で実際できないのだ。そこでその先生が悩んでおられますが、私は保険料の問題よりもその先生の持つ特技、これは薬剤師が何と言つてもでき得ないことであると思うのであります。この点で現在の段階から言つて苦しんでおるのはやはり被保険者であり、同時にこの分業された場合にそういうようないい先生に診てもらう場合に、これは医者を信じる。医者を信じることはその先生の投薬を信じるのだということを強調したいのであります。大体そこらで如何でございましようか。
  24. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 もう一つ伺います。若し医薬分業が実施された曉に、それと労働時間との関係で何か御意見があれば承わりたい。
  25. 山下義信

    委員長山下義信君) 森戸公述人に申上げますが、成るべく簡單明瞭に御答弁願います。
  26. 森戸重治

    公述人(森戸重治君) それはどういう意味でございましようか。
  27. 藤森眞治

    ○藤森眞治君 労働時間に何か影響することがないかということについての御意見はないかということであります。
  28. 森戸重治

    公述人(森戸重治君) そこまで考えておりません。
  29. 有馬英二

    ○有馬英二君 私は清水公述人にお伺いしたいのでありますが、あなたには農村の代表の立場からとして御出席を願つておるのでありますが、只今のあなたの御所論は概念的であつて、農村に対することについては殆んど発言をせられておらんようでありますが、如何でございましようか。
  30. 清水猛

    公述人(清水猛君) その点はちよつと今参考資料を向うに何しましたが、今後ですね、更にこの分業が成立した後におきまして、農村にはこれは殆んど適用されないのが大部分ではないかと思いますが、これらを何とか一つ委員会におきましてこれが実現するよう是非要望したいということを、私は一応こじ付けでありますがこの点を……。
  31. 有馬英二

    ○有馬英二君 もう一つ、もう少し具体的に農村にこれが実際行なわれる場合には農村人が如何に利益を得るか、或いは損失を蒙るか、そういうような点においてお考えがございませんでしようか。
  32. 清水猛

    公述人(清水猛君) 私は利益があるかないかということは第二の問題と考えまして、如何にしたならば第三者たる病人が確実に病気が治るか治らないかということを私は強調いたすのであります。
  33. 山下義信

    委員長山下義信君) 他に御質疑はございませんか。
  34. 井上なつゑ

    ○井上なつゑ君 林さんと岩下さんにお伺いしたいのであります。実は先般こちらの山下厚生委員長とそれから私と二人でアメリカの厚生制度を見せて頂きました。そうして第一番にアメリカに参りまして不思議に思いましたことは、どこへ参りましても大きな赤いネオン・サインでドラツグ・ストーアというのが出ている。それで一体ここでお薬を売つておられるお医者さんはどこにおられるのかと思いましても、大きな病院はよくわかりますが、お医者さんのありかがわからない、それでいろいろ伺つて見ましたが、お医者さんはドクター・オフイスと言うのだそうです。それでどこかに小さな看板を出して、何々ドクターという看板を出しておられる。薬剤師のかたは大きなネオン・サインで夜中でもドラツグ・ストーアがわからないことはなかつた。それで私どもつくづく感じました。それにそこに参りました御一行のかたがサンフランシスコに着くなり少し風邪を引いて気分が悪いというので、それでドラツグ・ストーアにお薬を欲しいといつて薬剤師のかたにお医者さんの処方箋を持つて参りました。これが医薬分業かというので私も習わされたわけなんです。それにつきまして伺いたいのでございますが、先ず岩下さんが、調剤の面からどうしても医薬分業の方がいいと、アメリカ医薬分業をしておられますドラツグ・ストーアの状況を見ますと、ほかの店が閉つても年中ドラツグ・ストーアは開いておりまして、薬剤師の方がいなさらんということはないのであります。岩下さんのお考えで若し医薬分業ができましたら、薬剤師のかたは年柄年中責任をずつとお持ちなさることができるとお考えになるかどうかということが一つ。  それから林さんに伺いたいのでございますが、医薬分業が現在の日本文化を維持して行くとおつしやいますが、だんだん他の文化が何と申しますか細部に入つて細かくなつて参りますときに、只今でもお医者さんの責任は重いと思つておりますが、アメリカの病院を見せて頂いても、アメリカの病院のお医者さんは必ずしもお医者さんではないのであります。それが日本におきましてはお医者さんは病院管理をなさらなくちやならん。診察をなすつて診断しなければならん、お薬のこともやらなくちやならん。ときによりますと看護婦のお世話もなさらなくちやならないというので、お医者さんの責任は過重だと思うのでございますが、今後こういうような他の文化面が発達進歩しましても、医療の面は一本の線で総括的にお考えになつて国民の保健が保たれるかどうかということをどうお考えになつているか、そのことをお二人の方にお伺いしたいのでありますが。
  35. 岩下誠二

    公述人岩下誠二君) 只今井上さんからお尋ねがありましたからお答えいたします。私たちは医薬分業になりまして、調剤というものに責任を持つようになりましたならば、必ず今井上さんがおつしやられましたようにアメリカ並みに……並みといつては語弊がありますが、(笑声分業を達成した責任上でも私たちはこれは大いにやらにやいかんと思います。それで看板も大きく出しますし、(笑声)又地区々々によつてはその薬剤師同志で話合いまして、今日は月曜日であると、月曜日であるからまあ三軒ありますれば、今日はAならAの家は徹夜でやつてくれ、そうしてAの家は何曜にはいつも薬剤師がちやんとおつて調剤でも何でもしているのだ、その次の家はB、その次はCと、そういうふうに按配して徹夜でもやる覚悟はあります。又現在も薬剤師は殆んど医薬品販売をやつております。どつちかというと商人と同じような状態でやつているのです。商売というものは夜中も起されます、朝早くもあります、晩遅くもあります。アメリカ日本と現在はその点では同じです。私は実際農村で開業しておりますが、夜中に浣腸薬をくれと言つて叩かれます。睡くて仕方がないですが、起きてやります。朝睡たいですが、岩下さあんと言つて起しに来ます。又脱脂綿くれと言いますから脱脂綿をやります。もう寒くて風呂から上つて冬なんか寒くてたまらない。風邪をひいて今日は一つ薬を飲んで寝たいと言つて寝ますと、すぐ風邪をひいたから風邪薬下さい。こつちはぶるぶる震えて四十度ぐらい熱が上つております。そこで三時間も話し込んで行く。(笑声)それも職業上三時間が五時間間でも、まる一日でも薬剤師に用があることなら徹夜でもいいです。御飯も食べんでやる覚悟です。その点はどうぞお含み下さいますよう。
  36. 山下義信

    委員長山下義信君) 林公述人の御答弁を願います。
  37. 林良材

    公述人林良材君) 私外国におりましたのは二十五年前のことで、大分事情が違つておりますが、外国でも強制分業をやつておる所で、患者を診ますのに大変不便だから、まだ行われていない地域がある、そこへ転地するということがなかなか盛んに行われておりました。私自身が内科医者でありますので、処方を書きまして、無論留学とか、内地の人であつちへ行つておる人を診るのですから、誰も処方箋を持つてつてつてもろう人がないので、私自身薬局へ立向いまして、自分の下手な処方箋でも意味が通るのを見せて、なかなか不便で閉口した。思う薬がなくてこれに対する代用薬はこれでいいかどうかと、非常に薬剤師に協力を求めるのに骨が折れました。こんなに骨が折れるものか、どこにもないか、実は処方の上に疑いが出て来て困つて、電話をかけても先生往診していられないし、仕方なくてこの代用薬をやりました、これでえらいすまんけれども連絡がとれんからと言つて事後承諾を求める。その連絡がとれん間そんなものを受取つて帰る人は気の毒で、私は医者であつたが故にその点の妥協は付きますけれども、これはなかなか困難だと思うたのであります。とにかく実際なかなか外人の中に日本の今の医薬一如というこのほうが非常によいと言うかたもなかなかあるのであります。どうぞこの文化財というものが何でも破壊されていいというようなことはないと私は信じております。
  38. 山下義信

    委員長山下義信君) 暫時休憩いたします。午後は一時から再開いたします。    午後零時三分休憩    —————・—————    午後一時十三分開会
  39. 山下義信

    委員長山下義信君) これより午前に引続きまして公聽会を続開いたします。  先ず反対意見として時事新報編集局長内海丁三君を紹介いたします。御陳述を願います。
  40. 内海丁三

    公述人(内海丁三君) 専門立場からそれぞれ意見が出た結果でありましようから、こまかいことについては申上げる必要もなかろうし、それから私もそういう資格を持つていない。ただこの問題について国会の皆さん方に是非とも考えて頂きたいと思いますことをまあ三つほど申上げておきたいと思います。  第一番は、この論争、或いはこの法案が出るに至りますまでの過程において、患者患者ですね、我々お医者さんにかかる立場の者のことが非常に忘れられておるのじやないか。いや忘れてはいないとおつしやるかも知れませんけれども、忘れられているという印象を受けるのです。この問題はお医者さんと薬剤士のかたの争いという長い間の経過を持つて、最後にそれがいわば薬剤士のほうの陣営が勝つたという形式のようになつております。それが長い間実現されなかつたというのもお医者さんの政治力が強いからである、こういう考えがかなり広く行われておりますが、然らば今回は薬剤士の政治力が勝つて遂にその土俵際まで持つてつているというのでありましようか、そうならばお医者さんと薬剤士のこの争いの勝ち負けの問題であつて、我々患者は一体どうなるか、こういうことを申上げたいんでありまして、それで結局この問題は、法案をよく拝見してみますと、簡單に一言に言いまして、我々がお医者さんから薬りをもらうことはならん、もらう権利法律制限する、こういう問題に帰着します。このことは非常に軽視されておりまして、今日までの先ほどの公述人かたがたの中にも多少は出ておりましたが、枝葉末節の問題が論じられてこの問題が論じられていない。我々はお医者さんでもらおうと薬屋さんで買おうと、それは自由である。これは我々の自由であつて法律で禁止されることは勿論けしからんと思うのであります。でありますから、お医者患者処方箋を要求すれば拒むことを得ないという現行の状態、若し分離ということが非常に理想的であるならば、漸次そういうふうになるようにし向けて頂きたい、これを法律で禁止することは根本的に国民立場患者立場を無視しているものだ、こういうふうに考えるのであります。これが一つ。  それから第二番目に、医薬分業ということと社会主義との関係を申上げます。私は或る席で医薬分業は社会主義である。こう断定しましたら反対の人が随分ありました。この席でも社会主義の委員の方もいらつしやるであろうし、その方たちが御反対なさることもよくわかります。それから医薬分業の社会主義は反対である。こう言われるでありましよう。併し私の言うのは一つの社会主義というものの定義として言うのではない、一つの言い過ぎの形式を以て私の意味を表現したいために言うのであります。つまり医薬分業というものが社会主義というのと非常に共通性を帶びている。その本質的な部門に共通性があつて殆んど区別ができないということを申上げるのであります。つまり一つの理想、原則というものを固執して形式を非常に重んずる。そして何か弊害があれば弊害を非常に一般化して制度の罪として、その制度を変えれば、極端な場合に変えさえすればその弊害から免かれるがごとく考え、こう主張をする本人も考え、無論人にもそう考えさせようとする、これが両者の共通の本質なんであります。それからよく言われます、これは多くの人心にアツピールしているようでありますが、医者は儲けている、ずるい、こういうのであります。制度を変えてこうすればよくなる、社会主義者もよく言います。資本家は儲けている、ずるい、搾つている、労働者を搾つている、制度を変えれば天国か何か来るように思う、自分も思い人にも思わせる、この医薬分業も社会主義もどちらも法律性、権力を持つて制度を変えてこれを一律一体にどこまでも強制しようとする、どこにこの二つの区別を付けられるかというと、殆んどその本質的な部分においては区別が付けがたい。お医者がずるくて薬剤師一つもずるくない。こういう考え方の滑稽なのはおわかりだろうと思います。お医者さんにもずるいのもありずるくないのもあり、立派な人もある、薬剤師にもずるいのがありずるくないのもあり、立派な人もある。これはあらゆる階級にあるので、新聞記者の我々にもずるいのがあり、ずるくないのもあり、立派なのもある。私はどつちに属するか、まあ立派なほうにしておいて頂きたいと思います。そういうものなんでありまして、制度を変えればすべてそれの担当者はよくなる、そういうものではないのであります。あらゆる弊害というものはあらゆる制度にあり、長所も又あらゆる制度にある。この日本にまだ近代医学が全然入らない時代から永い間とつて来たこのお医者が投薬するというこの制度を永い間の習わし、慣行制度を今法律によつて改めてそれを強制しよう、こういう問題である。ここに提出されているのはそういう問題なんであります。外国のどこにどういうことがあつて中国のどこでどういうことがある。そういう例でなくて永い間の慣行を法律で強制的に改めて、それを一律一体にやろう。こういう制度である。そういう問題がここに提起されておるのでありまして、外国の例がどうこう、そういうことは直接関係のないことだ。このことは委員の皆様によく考えて頂きたい。これが私の希望する第二の点なんであります。これには法律案を拝見しますと、二年或いは七年というような期限が付いておる。これはよく妥協方法、或いはなだめる方法、だます方法。いろいろのためにときに使われる手でありまして、いや今やるのではない、先でやるのだということを以て反対論を抑える妥協の手に用いられるのでありまして、今回の場合も恐らくそういう審議会の経過でそういうことになつたのだろうと思います。それが又反対論を抑える、一時納得させる効果もあつたのだろうと推察いたします。そうして何年か先のことだからまあ一応賛成しておけというふうな賛成論も恐らく若干は出るだろう、こう思いますが、この基本的なこの案のキヤラクター、案の性格というものは二年先でも三年先でも変らないのでありますから、これはよく十分お考えを願いたい。こう患者の一人としてお願いいたします。  それから第三に、承りますところによれば、これは総司令部の強いバツク、支持、促進があつたために今日の段階にまで到達し得たのだ、こういうふうに聞いております。これは本案に限りません。占領下のいろいろな改革は総司令部の強い促進によつて実現される場合は多々ほかにもあつたのでありますから、本案もそういうことがあつたことを想像しても差支えなかろう。七十年の論争が今日ようやく国会にまで法案として出たということの裏には、総司令部のなにがしの人たちの強い支持があつた、こう考えまして、その権威の前に多くの人が或いは沈黙し、或いは行動しているのではないか。このことは非常に重大な問題であります。今日まで五年間においても非常に重大な問題でありまして、————————このことは国民、殊に国会の皆さんには考えて頂きたい。殊に今日は占領行政のいろいろの改革が再検討をすべく総司令官からそういう許可、指示を得て日本の政府が取りかかつている時代です。そうして多くのこの占領改革が一つの善意から出た、日本を民主化させ、日本を進歩させるいろいろないい心持から出られたのであり、その経過や考え方はよかつたでありましよう。その部分々々、或いは末梢な点、或いは本質の点に合わないところがあるのを直すというのは、そこからこの目的を達成する上にも当然結構なことである。それは総司令官の今すでに指示されているところなんです。そういうときになつて、総司令部の強い支持がある故にようやくできたような案を、ここであえて申しますれば、軽々しく決定して賛成して行くということは私は重大だと思う。過去のいろいろの占領政策のようにいろいろな欠点のあつたことは、すでに心ある人は口にしておるのであります。併し公に口にし、或いは筆にすることはあえてできなかつた、何事か非常に恐怖感があつてできない。我々もそうであります。併し今日はつきりその改廃再検討というものが総司令官から指示せられておる以上は、これは占領目的全体のためにも再検討が必要なんであります。改めてここで本案をそういう意味においても再検討して頂きたい。これは三つお願いしたい私の最も重大な点であります。その他反対はいろいろありましようが、細かいことは私は細かいとあえて申しますが、技術的その他のことは当該関係者の御議論でお済みでしようから、私は今の三つの点をお願いして反対論に代えます。
  41. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は賛成論者として朝日新聞論説委員野村宣君の公述お願いいたします。
  42. 野村宣

    公述人(野村宣君) 私は医薬分業賛成であります。賛成理由を少しく述べさして頂きたいと思うのであります。  御存じの通り昨年社会保障制度審議会から政府に送られました社会保障制度の実施に関する勧告の中には、医薬分業というような文字はどこにも使われてはおりませんでした。でありますけれども、この社会保障制度の実施には医療及び医薬の科学性即ち医学及び薬学の進歩に即応し、且つその公共性を発揮せしめるような制度の改革を予定しており、或いは又医薬とは診療や薬剤の支給等一般医療行為及び施設の復旧であるとか、或いは又この医療施設には薬局を含むと、こう述べられておるのでありますが、開業薬局医療機関として取扱うことをこれは明らかに示したものであります。と同時に薬局の持つ公共性をより高めて行く、若しくは技術者としての薬剤師向上を期待しているのでありまして、私自身考えて見まするならば、この社会保障制度審議会はこの医薬分業の問題を愼重に考慮し、又この問題が今まで非常にデリケートな問題でありましたればこそ、このような誠に含みの多い表現を用いざるを得なかつたのではないかと、私はこう考えるのでありますけれども、審議会におきましても、この診療報酬とか或いは医薬制度調査会の結論に基いてこの問題を解決したいという見解が持たれておりますし、殊に社会保障制度が一日も早く実現されることを私たち国民が期待している以上、この診療報酬及び医薬制度調査会、この二つの調査会の答申は、これは全く世論の縮図として大いに尊重して頂かなくてはならんと、先ずこのように考える次第であります。  その次に申上げることは、日本医学が世界的な水準に達している、これは皆様御存じの通りでありますが、この点につきまして、お医者様方の今までの並々ならん御努力には全く感謝のほかはないのでありますが、併し同じように薬学も又非常に進歩している、そうして今ではこの薬学というものも医学に平行して独自の領域をも開拓しており、御存じの通り大部分の各大学では薬学というものを独立の学部ともされているのであります。社会保障制度審議会が期待しておりますような新らしい医薬制度といたしましては、このような薬学の進歩に照応しまして、薬を見付ける、或いは調剤診療から分離して独立させる、つまり医薬の分離を制度化するほうがより科学的であり、より進歩的ではないかと、私はかように考える次第であります。ところが調剤診療から離してしまいますというと、お医者様のほうではその治療の一貫性が失われるのではないか。で医薬分業制度化するよりも今まで通り任意分業のほうがいいという工合に主張されるのでありますが、併し若し任意分業といたしますれば、場合によればこれは一身のお医者様の責任とならない患者さんも出て来るわけでありまして、こうなりますというと、治療一貫性の主張と少しく矛盾するところがあるのではないか、このように考える。御承知の制度として医薬分業するのでなければ任意分業の主張そのものも成り立たないのではないかと、こう私は考えるのであります。とにかく日に日に進歩いたしまする医学を大いに勉強して頂いて、その結果を治療の上に反映させる、それを応用することがお医者様の社会的な責任ではなかろうかと存ずるのでありますし、又薬学とか調剤専門の技術を以ちまして、本当に正確な安い薬剤を患者に提供してもらうのが、これは開業薬局責任ではないかとこう思うのであります。このようにしまして医師薬剤師とがおのおの社会的な責任と申しますか、そういうものを大いに自覚して頂いて、そうしてお互いに助け合つて医薬の事に当りますれば、この医薬分業制度化しても治療の一貫性が失われないわけであります。この医薬治療の一貫性という御疑念はどつちかといえば、我々の感じからいたしますれば、やや素人だましのような議論ではないかとさえも疑われる次第なのであります。最後の医療を受ける者の立場から見まするというと、お医者様の投薬には絶対に誤まりがないかということをどなたか保証して頂ければ結構なのでありますが、お医者様のほうに誰がこういうことを保証することができるか、今のところ神ならぬ我々にはそういうことができないのではないか、お医者様は御存じの通り診療もされるが、併し死亡の診断書もお書きになるのであります。万一の場合誠にお医者様には失礼な言い分であるかも知れませんけれども、万一投薬を誤まつて患者を不幸な目に会わしたとしても、これは今申したように死亡診断書をお書きになることができるのでありますから、お医者様は自分のペースをセーブするためにどうにでもと申しますか、できるのではないか、私たちとしては失礼な言い分でありますが、このようにも考えられないことはない。このような調剤の過ちと申しますか、処方箋上の過ちと申しますか、そういう過ちの原因は申すまでもなくこの薬を作り投薬するということを診療するということから離してしまえば、これはもう未然に防止することができるのではないかという工合に考えられるのでありまして、医療を受けておる者といたしまして、今までの長い間馴染んで来ました今までの制度が改められまして、非常に不便であるかも知れませんけれども、今申しましたように、我々医療を受ける者の命には代えられない次第なんであります。そうしてこうした危険を医薬分業制度化することによつて防止することができますれば、私は医薬の公共性というものはますます発揮されるのではないか、このように考えます。  それからもう一つ医者様に私たちがお払い申上げておる診察料とかその他診料費とかいうものは、これまでの仕来たりといたしまして、お医者様に一方的に決定されるのであります。これは誠に失礼な言い分でありますが、例えばデパートでもめいめいで値段をきめておる。併しデパートにおきましては、お互いに値段の調査員というものを置きまして、ほうぼうのデパートに参りまして、同じ品物はどうだ、おれのほうは安いだろうか、向うが安いだろうか、そういうことをふだんに勉強いたしましてその値段を決定する、今のような診察料とか診療費とかいうもののように一方的にはきめられてない、こうした医療費の建て方というものは、我々医療を受ける者としてはちよつと納得しかねるところがあるのであります。若しこの医薬分業制度化いたしまして、この診療するということと調剤したり投薬したりすることを切り離して、そうしてめいめいにかかる費用をそれぞれ原価採算の方式に従いまして科学的に算出されたものでするならば、これは我々医療を受ける者としても当然納得せざるを得ない。又このように医療費を算出いたしましても、我々が負担する医療費というものは必ずしも増加するとは限らないのでありまして、この点はすでに臨時診療報酬調査会におきましても、みなみなこの御専門かたがたがこの点は十分に検討し、あらゆるデータをお集めになりまして、いろいろと御研究なされたはずでありますし、又この両調査会の答申におきましても、医薬分業制度化いたしましても、それによりて国民医療費の負担は決して増額はさせないという一つの条件の下にああいう答申がなされたのではないかと思います。でありますから、仮にこの医薬分業制度化いたしましても、我我がお医者様に払う診察料とか薬価というものは必ずしも増加するとばかりは考えられない。この点についてはお医者様にもとくとお考えになつて頂きたい、こういう工合に考えます。  それから又これは少し違うのでありますが、今健康保険のほうでは赤字だ、これは非常に心配されたのであります。勿論健保経済の赤字というものは、これは保険料の収入が滞りがちだ、経済界の非常な動揺期でありますから、保険料の納入も面白くないというのは勿論これは主たる原因ではありましようけれども、保険の診療にときどき見られますところの保険医さんの点数稼ぎというようなこともその一つの原因と申しますか、そういうことが又この赤字の小さいではありましようけれども一つの原因になつておるのではないかと思うのであります。若しこの医薬分業制度化いたしまして、医薬費を今申しましたようにそれぞれ原価採算の方式を以て合理的に算出するようなことになれば、恐らくお医者様としても今まで仕来たりになつておりますところの自剤制度、散薬とか水薬とかたくさん下さる、ああいう自剤制度というような馬鹿らしいことをおやりにならなくても済ませる。若しもそういうことがなくなれば、この保険診療におきましても、今までまま見られましたような点数稼ぎの弊風は自然になくなり、保険経済の赤字を救う一つの途となるのではないかと、このように考えられるのであります。いずれにしましても、薬剤師という職業は、これは薬学の進歩が生みました近代的な職業なんでありまして、全く歴史的な産物なんであります。でお医者様の眼から見ますれば、これはお医者様に対する侵攻、誠にこれは失礼な申分かも知れませんが、誠に庶民的な職業のようにお考えになられるかも知れない。若しこのお医者様が、今までのような社会的に大きな力をお持ちになつておりますが、こういう社会的な力を頼み、薬剤師の発展や向上をお嫌いになり、或いは抑えて行こうなどということでありますれば、これは誠に非民主的、封建的な護りは免れないのではないか。私はこう考える。いずれにしましても分業というものは経済ばかりでなく、この社会の医薬制度の改革なんかにおきましても、その発展はやはりこれも原則の一つではなかろうかと考える次第であります。こういう以上申しましたような数々の点から、私は医薬分業制度化することに賛成する次第であります。
  43. 山下義信

    委員長山下義信君) それでは次の反対説、北海道大学教授中谷宇吉郎君の公述お願いいたします。
  44. 中谷宇吉郎

    公述人(中谷宇吉郎君) 私は本来は物理学者でございますが、社会評論のようなこともしておりますので、そういうほうの立場から簡單意見を申上げます。  これは私は医薬分業だけの問題でなしに、この問題は非常に大きな一つの問題だ思うので、わざわざこういう席に出たのであります。一つ是非お考えを頂きたいことは、こういう問題にはとかく賛成論と反対論とが白熱をいたしまして、話が言つておるうちに大きな盲点を落す虞れがあるのであります。今の当事者のかたがたにこの点があるとは申しませんが、そういう虞れがあるのでありまして、例えば現在の問題になつております医薬分業というのは、言葉に大分だまされている。少くとも私などはそうだつたのであります。私は医薬は、医と薬とはこれは別のことであります。当然分離してやるほうがいいと思つております。アメリカども、イギリスなどでも皆大体において分離になつておりますから、それはいいのだろう。医者の一人に、そんな反対するのはけしからんじやないか、そんなものは別にして、医者診療だけやればいいので、薬は薬剤師にさせればいいんじやないか、十分ではないかと言うと、だつてそうなつているじやないかと言われるので、それは知らなかつた。もうちやんと医者患者から請求があれば処方箋を出すことになつているのだから、薬剤師の薬を飲みたい人は医者から処方箋をもらつて行けばよい、もう医薬分業制度はできておるのだということでありまして、それはそういうことは私は知らなかつたのでありまして、恐らく国民の大多数はそういうことは知らないで、こういうものの輿論調査などをなさつたならば、或いは賛成するかと思います。私は医薬分業になるような社会水準になることは賛成でありまして、非常に望ましいことでありますが、併しそれを法律を以て強制するか否かは又第二の、次の問題である。この点を非常に大事に考えなくちやいけないと思うのであります。実はその肝腎な点を前の公述人の内海公述人から言われてしまいまして、私ちよつと困つたのでありますけれども、先ほど言われた通りであります。そればかりでなしにこういう議論をやつておりますと、いろいろな言葉にだまされまして、誤解をしたままで、議論が進んで行く虞れがある。例えば先ほどのいろいろな公述人のかたが言われました言を引きましても、とにかくアメリカとか先進国のようになるべきだ、それから民主的の所をまねるべきだ、進歩すべきだというような話をほうぼうで聞きますが、それはあたかも今日本でいういわゆる医薬分業というものが外国で皆あるかのごとき錯覚に陷つてしまつております。併し外国にはそんな所は私の知つている範囲内では一ヵ国もないのでありますから、これはアメリカのまねでも何でもないのです。これは世界に極く少数な所はあるかも知れませんけれども、我々が知つております国の範囲内では一つもそういう例はないのですから、日本で率先してこれをやるというそういう問題なんですから、それをいつの間にか外国もやつておるのだから、日本もやろうじやないかというような錯覚に陷る虞れがある。それからこの薬理学が進歩しておるというようなお話もありましたが、これも間違えますと非常な錯覚に陷る障れがあるのです。というのは、薬理学は誠によく発達いたしております。そうして薬というものは非常によくできておりますが、その薬理学というものは調剤なんかをやる学問ではないです。オーレオマイシンとか、ストレプトマイシンを使つて、それがどういうふうに体に効くかということはこれは薬理学でありますが、重曹とアスピリンと粉を合わすということと、薬理学が非常に進歩しておるということとをごつちやにしてはいけない。そういうことを言われると、先ほど薬剤師でなくちやいけないというのに、重曹と書いて中に毒が入つている瓶があるかも知れないという例が出ましたが、そういうことがあればこれは非常に困るのです。併しこれは厚生省で取締つて頂きたい問題でありまして、やはりアスピリンと書いてあつたらアスピリンが入つている薬を売らすようにして頂きたい。それだけを前提といたしますと、薬を調合いたしますことは單なる物理的な操作をすることでありまして、何も化学変化を起させるわけではないのです。だから調剤において一番厳密な調剤処方箋通りやり得るものは物理学者だろうと思います。恐らく百万分の一の精度を以て調剤をして御覧に入れます。即ち天秤を百万分の一の精度で使い得るのは我々しかないですから。ですから薬が禁忌があるというような問題は、混ぜてはいけないものを混ぜるというような問題がありましたならば、これは医学部の責任でありまして、そういうことを処方箋に書くような医者を出したことは悪いことであります。ですから恐らく現在薬剤師の所に人が来て、そういう医者処方箋に基いてやる以上はそういう禁忌なものがあつたときには、そういうものを書いてあるような医者があつたらこれは戻すなり注意するという、そういう意味がありますが、それは非常に特段な場合でありまして、恐らく現在の大学、或いは医専などにおきまして、医者として送り出す以上は、それくらいな知識は与えて送り出しておると思います。従つてそういう人たちに今まで処方箋を書いて頂いておることができたのであります。ですからこういう薬学が非常に進歩したということと、調剤薬剤師でなければできないということは、これは別の問題であります。ただ併しそういうことがいつの間にか言葉のあやでそういうものが互いに議論を、事の本質を知らないでただ言葉の上で議論をしておりますと、だんだん錯覚に錯覚を重ねて陷つてくる虞れがあると思います。いろいろな賛成のかたのお話を聞いてみますと、かなりいろいろ尤もなことがたくさんありますが、そういうかたは現に医薬分業制度というものは、もうできておるのでありますから、医者から処方箋をもらつて薬局へ行つて薬を作られればいいのでありまして、ほかの人のことにまで、お前が医者から薬をもちうのがけしからんということはちつともないのでありまして、薬は薬剤師の薬のほうが信用できると思う人は、処方箋をもらつて自分の思う通りになさればいいと思います。実は私も大抵の場合は薬剤師に行つてつているわけであります。大抵病気をしましても、東京で診察してもらいまして札幌へ帰りますので、私は大抵は薬剤師にやつてもらつているのです。ですから私は非常にそれは信用できるいい薬剤師を知つておりますので、実際はやつておるのでありますが、そうかと言つて信用できる薬剤師のない人、或いは病人の心理として医者の薬が欲しいという人までも私はその人の権利を束縛してやろうという気はしないのであります。どうもこういう問題は非常にこの問題がこんがらがりまして、感情的になりまして、私はせめて人間は死ぬときくらいは自分の信用のできる薬を飲みたいということを書きましたが、死ぬときくらいは医者の薬を飲みたいなんというのは非常に旧弊で、非民主的だと言つてどつかで反対論で叩かれたこともありますが、そういうふうになつては非常に困るのであります。私は死ぬときくらいは医者の薬を飲みたいと書いた覚えはない。信用できる人のところのを飲みたい、そう言つただけで、私は恐らく薬剤師のを飲むだろうと思います。けれども医者の人を信用している人にまでそれをほかからの力で、而も本人が銭を出して買うのですから、只でくれるならば何とか話もありますけれども、(笑声)銭を出して買うのに、よそからお前そこから買つちやいかんとか何とか言う、これはひよつとすると憲法に違反するのじやないかと思うくらいのことになりますが、実に不思議なんです。そういうことが大まじめに法律になるとかならんとか議論していることが非常に不思議なんです。私はこの問題は法律なんかでやるべき問題じやなしに、社会教育の問題として解決すべき問題であるということを最初から考えております。即ちもう少し日本の社会制度がよくなつて参りまして、日本薬局というものがよくなりまして、設備が整い薬も整つて来て、みんなが薬局のほうを信用するようになりまして、それで医者は成るべくならば調剤みたいなことに労力を使わんほうがいいのでありますから、そんな処方箋だけで済ませれば大変結構なんであります。ですからそういうふうになることは非常に望ましいことでありますが、これは社会教育の力でやらなくちやいけない。それは実は私は相当困難なことだと思うのです。だから中にはそういう困難があるから、この医師の投薬禁止法を作りまして、禁止法によつて薬剤師へどうしても行かなければいけないようにすれば、薬剤師のほうが経済的に恵まれるから設備がよくなる。だから日本の設備をよくするにはそうしなくちやいかんと思いますが、そうしますと、その間設備がよくなる間犠牲になるのは患者なんです。患者の中の医者の薬を飲みたいという患者精神的な犠牲において薬局の方が得するということになりまして、病気の場合は精神的の犠牲というものを決して軽視してはいけない、病いは気からというのは確かにそうでありまして、いけないと思います。ただ併しそれはお前などは迂遠なことを言うけれども教育とか、社会教育とか、一般の知識の水準を高めることによつてやれと言つても、とても日本ではできん、だから法律でやつちやうのだ、仕方がないのだ、こういう議論もよく聞くのでありますが、併しこれは私はやはり非常によくない考え方だと思います。ということは、教育的にやつて日本の水準をだんだん上げて行きまして、医薬分業が自然にできるようにする努力を少くとも数年やつて見て、やつて見たけれども、とてもこれでは望みがない国民だから、インドネシアにもこういう法律がないそうでありますから、インドネシア以下だから、法律できめてしまえというなら止むを得ないと思います。併し全然そういう努力をしないでおいて、全然見込みのない国民だから法律できめちやう、この考え自身に私は賛成ができないのであります。併し教育言つても、どんなことができるかと言われるかも知れませんが、例えば薬というものは、調剤自身簡單なことで、機械的の操作ではあるけれども、同じアスピリンにいたしましても、これは私はアスピリンのことはよく知りませんけれども、ほかの化学薬品から見ますと、化学的な成分は殆んど等しくても色なんか非常に違うものがたくさんありますから、單なる分析では現われない、もう少し高級な物理的の性質によりまして、薬品などというものの生理的な性質は当然違つて差支えない、同じアスピリンでもドイツとかスイスのどことかのほうがいいという、薬には同じ名前でありましても、生理的の性質は皆違うことはちつとも差支えないし、違うべきでありますから、そういうものがあるから、私の薬局ならばこういう薬を使います、医者から薬をもらわれたならば、きつと安い薬しか使わないから、私のところでは同じ名前でもこういうものを使うのだという広告、そういうものを店に宣伝する、或いは一方医者のほうでも、こういう任意分業というものは私は非常にいい、当然そうあるべきです。これは患者の自由であります。その制度を助長いたしますために、例えば患者の待合室には必ず大きな紙で処方箋は差上げることになつておりますから、御希望のかたは遠慮なくお申出下さいというようなことを書いて、例えば罪人がつかまりましたときに黙秘権というものがあるから、お前言いたくなければ言わないでいいということを初めに言つておいて訊問をいたしますと同じように、患者のほうでそういう処方箋をもらう権利があるということを知らない患者は気の毒でありますから、それを大きく書いて、或いは患者一々に医者診察したあとには処方箋をあげましようか、それともうちの薬が欲しければ薬も作つてあげますが、処方箋はお出しすることになつているのですよと、一々お前には黙秘権があるということを教えると同じような意味でそういうことを教えて、社会教育の力を以て自然に医薬分業をやつて行く、そういうことは先進国はそういう形になつておるのでありますから、そういうふうに持つて行く、そういう努力をしないでおいて、初めから法律で以てこれを決定する、そういう筋合のものではないと思うのであります。そういう意味で反対なのでございます。
  45. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は賛成公述人として、都内港区婦人会幹事千葉千代世君の公述お願いいたします。
  46. 千葉千代世

    公述人(千葉千代世君) 私は現在の日本の多くの婦人たち、特に農村婦人、貧しい婦人たちが日本医療制度に非常に神秘性を持つておる、封建性と申しましようか、そういう点の打破の点と、それから医療費合理化と、こういう二つの点からこの法案賛成いたします。婦人会でよく集まりますというと、家庭生活合理化ということがいつも話合いになります。そうしてこれを阻むものは何であろうか、こういういろいろの問題が取上げられます。その中で封建性の問題とか、或いはいろいろ経済上の問題とか、たくさんございます。そうしてその中で最も困つておる問題はと言いますと、皆申合せたように病気になつたときほど困ることはない。病人を治したいと思う気持と、一体どんなにたくさん金がかかるだろう、この二つの気持が矛盾してしまう、非常に困るという率直な意見がある。私は現在家族の者が神田の病院に入院しておりますが、今の医学ではできるだけのお手当は頂いておりますけれども、丁度私の実家におります七十五歳の千葉県の年寄から手紙が参りまして、その中には余り病気が治らないから非常に占いの当る坊さんに見てもらつたらば、四月の終りには大変よくなり、病院の方角も悪くない。こういうことがありまして、そうしましたら、嫁いだ先が秋田県の山の中で、又非常に心配しまして、もつと芸の細かい手紙が来まして、神降しとか市子に見てもらつたらば、何代か前の祖先ですが、そのかたが非常に浮ばれないでいるから、その法事をすればすぐ治るというこういう手紙が来た。これは非常に愛情のある手紙でございますけれども、私はこれを一笑に附せられないと思う。その前に身近の者に中国とかビルマとかへ行つてつて来た宣撫工作の話を聞きますというと、現地に行つて一番困るのは病人のあることだ。ああいう未開の人たちを治してやる方法は歯磨きが一つあればたくさんだ。歯が痛いと言えば歯磨きを歯に当てれば治る。おなかが痛いとか言えば歯磨きを飲ませれば治る。頭痛がすると歯磨きを付けてやればすぐ治るという話を聞いた。でこれは大変未開の人をごまかすやり方で悪いのではなかろうか。この歯磨きの効く限界、精神療法と言われておるが、この限りがあるということを未開の人たちになぜ教えてやらなかつたのであるか。こういう考えを持つておる。ところがこれは未開の土地ではなくて、自分の住んでおる現在の二つの郷里からこういうことが来た。私は考えるときに、これはやはり一つ日本精神医療というものが今まで発達しておつて、神様におすがりするということに一連の繋りがあつたと思う。それで私が言いたいことはお医者さんに対する信用、私も医者を信用する一人ごでざいますが、この七十五歳の年寄も医者を信頼して偉いと思つている。而も現在手紙を私の所に持つて来まして、坊さんの言つたことが、お医者さんに行くのは四月末まで待てということに非常に矛盾したことがある。これは過信ではなかろうか。医は仁術というものに対する過信から来たのではなかろうか。こういう点を考えましたわけで、私はこれは何とか明るい治療が行われて、そうして本当に安いお金で以て皆が安心して医者にかかれる。薬剤師調剤を頼む。こういうことから考えて来まして、今までの医者に対する気持、薬剤師に対する気持、二つながら率直に批判を持つものでございます。例えば薬剤師さんにしましても、私が薬を買いに行きますと、そばに子供を抱いたお母さんが、かつかつと熱が出ている。そういうときにこの薬はどうでしよう。これは正にこの薬で治りますと言うと、お医者さんに行くことを抑えてしもう。どうしてこの薬剤師医者の処方によつてやらないのだろうかと思う。お医者さんに対しましては、病気について親切におつしやいますが、併し処方についてどういう薬を処方されたかということをちよつと今までの封建性と申しましようか、聞けないわけです。お医者さんにしましても、そんなことは素人に言つたところで何にもわからない。こういう考えもございましよう。併しながら私どもとしましては、最も納得の行く方法でお医者さんからも聞いて、こういう薬をこういうふうにして処方箋薬局へ持つてつて薬をもろう。そこで問題になることは、非常にそれでは不便ではなかろうかということを考える。お医者さんの所で一遍ですむところを薬剤師の所に行けば二遍になる。併しそうではなくて、私ども聞きますと、このお医者さんは大変いいと言われますから、行くといつも非常に混んでおります。そしてお薬をもらうと大抵一時間以上たつてしまいます。又どこも一概にそうではございませんけれども、こういう例もございますので、これはやはりお医者に処方をもらつてすぐ近くの薬局に行つたら便利ではなかろうか。こういう点も考えます。併しこれは薬剤師のない所ではできないことは当然であります。こういう気持はわかります。今度の法案を見てもやはり距離のことが問題になります。何町以内に薬剤師がない場合はこれこれということを書いてあります。原則として医薬分業ということが考えられておる以上は、法の解釈はお医者さんも薬剤師さんも知性の高いかたがたばかりですから、この法律の彈力性を生かして頂ければ、こういう点についてはそう大した問題はないだろうと思います。私は患者立場としてやはり自分の子供たち、夫、家族の健康を守るということについては主婦としての立場といたしまして、やはりお金の問題がすぐ頭に来てしまう。今船橋から眼が悪くて東京へ入院しておられるかたがありますが、このかたは毎日二万五千円かかる、千葉県でかかれば只である、あいにく眼の専門の病院がないので、東京がよいというのでここへ来た、そういたしますというと、この保険の制度はなかなか適用されない。何とか行く方法はないだろうかと再三千葉県に掛け合つておる。病院のほうではこれは証明を書いてやるからいいとおつしやるけれども、それは現状ではなかなかお互いにできにくい。そのかたが言うには、子供の可愛いには替えられないし、逃げて行くわけにも行かないという悲痛なる叫びです。私たち集りますというと、病人の容態を話合うよりお金の状態を話合う、こういう現状であります。そこで医薬分業なつたら一体どんなにお金が安くなるだろうかということは、こういう点は先ほど述べられたし、私素人ですからわかりませんですが、この間何か私の知り合いでイギリスへ行つてつて来た或るかたの話を聞きましたら、イギリスで自分が病気になつて医者さんにがかつたらお金をとらない。これは自分日本から来たから特別に優遇してもらつたのだろうと思つて喜んでおつたらそうではない。向うでは医療国営というのがあつてイギリスの国民の払つた税金によつてこうするのだ。それでは日本でもやつたらよかろうと考えた。向うはお金があるからだろう。とんでもない。やはりお金はない。こういうことについてもいろいろとあなたたちも考えなければならないと言われました。いろいろ私は婦人としての立場から新らしい政治への参加という点で婦人会でよく問題になりますが、一番重視しているのは厚生委員会であります。それに一番身近な問題が取上げられて行く。而もその中でこの医薬分業の問題があるというので、何をおいても何とかして貧しい婦人の声が反映されるようにしなければならんというので、こういう考えで参りましたのでありますが、明るい治療という問題、例えば今までのように知らないほうが何か安心感が行くような、そうしてお医者さんにゆつたり抱かれて安心して、心配ないからとこう言われたら万事がOK、解決するという婦人の無知な時代は去つて、やはり私どもとしてはよりよい治療というもの、やはり科学的知識というものがなかつたのでありますが、だんだん持合せるように婦人会の集まりなんかで話合つて、そういう眼をだんだん覚まされて行くにつれまして、お医者さんと薬剤師というものについて我々の持つてつた観念、例えば薬局さんに行きますと、今は余りございませんが、家伝の秘薬というのがある。これに対して盲信しておる。あそこだけにある家伝の秘薬を飲んだら治るだろう。或るときにはそちらに比重がかかつて家伝の秘薬に没頭してしまう。又或るときには神様にすがる。或るときにはお医者さんが親切に言つて下さるときにはそれに行こう。こういうように右往左往して行く現状というものはやはり身近にたくさんあるということは、殊に知性の高い男の皆様がたにはおわかり頂けないと思いますが、中谷先生が盲点をお突きになつたそのお言葉の中には、患者が薬を、処方ですか、医師から薬をもらう権限まで剥奪するのは憲法違反だということをおつしやいましたが、私は先ほどこれをお借りして、薬剤師のかたからこれを借りて見ましたが、そういう点はなくて憲法違反は毛頭ございません。というのは、原則として云々というのがございますし、それから距離にによつて云々、薬剤師さんのない所においては現状のままでいいとこういうふうに、非常に彈力性のある法律の内容を今見せて頂いたのです。そうするというと農村において、薬剤師のない所においては現状のままで成るべくこれは医者も早くやつて薬局を開いたほうがいいと村会に進言するのもよかろうし、村の婦人会或いは社会事業関係でお話して、そういう方法をとると、こういうふうに医者薬剤師と女の人も男の人も一体になつて全部そういう社会的責任によつて医療制度を解決して行く、そうして衝いてもらうところは、多くの婦人が未だに迷信の中に眠つてつてそうして大事な医者とそうして薬剤師を両方信用しています。私はお医者さんばかり加勢するわけでも、薬剤師ばかり贔貭するわけでもありません。両方とも同じように信用します。そうしてもう一つ言いたいことは、今までの医療制度の中で、非常に医者が一番偉くて、最も大事な看護婦さんがその奴隷の、隷属的な立場に追いやられておる感じが、医者薬剤師もそうでありますけれども、まあそうでなくて日本医療制度、全体的にして、医薬分業ばかりを改正するのではなく、看護婦さんというものの今までの隷属の立場から本当に看護の独立ということが叫ばれて日本現状に合せてやつて行くようにと、ついこの間もこの厚生委員会で取上げて私も関心を持つておりました。そういう点を、これが徐々に解決をされておるであろうかということです。而もその改正のやり方が現実を全く忘れてしまつた改正の仕方をするのではなくて、現実を満たしながら行くようにとこういう努力がなされて法律が施行されて、いけない点があればどんどん改正する、やつてつていけなければ又いいほうに改正する、一遍きめてしまつたらそれの波に落込んでしまつて先ほどどなたか御発言なつたように、これができてしまつたら我々は遵法精神で云々とそういつたような特攻隊的な考えをお互いに止めまして、そうして率直に見てそうしてこれはよかろうと、これはいけないと、妥当な観点から判断しましてお互いにいいところをやり合う、こういう意味で公聴会も開かれておると思うのです。ですから私は、まだ三分間ありますね、そういう意味でやはりこれは裸になつて、大変薬剤師さんにもお医者さんにも失礼なことを言つたのですが、言う場所もございませんので申上げたので、どうか悪く思わないで頂きます。それから夜中に云々ということが大分あつたのですが、そうしたら薬剤師さんもアメリカのようにいつでも明るく提灯だか、電気をつけて夜それをやつておる、これは不当な話で、人間であれば眠らなければならない、そういう点は最も素直に考え併せて行かなければならない。氷屋さんだつて熱の高いときには起さなければならない、やはりあるのです。そういうふうにお互いの職業というものを尊重し合つて薬剤師さんだけは夜起きなければならない、悲壮な気持で向う鉢巻的な精神でなくて、もつと平易な気持になつてお互いの立場を守り合うと、こういうふうに思つて頂いたらなあと、こういうふうに思つたわけです。それから現実面から、先ほど理想はそうであろうけれども、現実面からこうであるというような御意見も頂いたのです。私どもとしましては、やはり現実面の上に立つてそう考えなければならないので、併しその理想というものはやはり我々の現実面から考えて行い得る段階の足段であればいいのです。そうして一歩々々近付いて行く、こういう考えから見ますときに、私は婦人会なんかでの一番問題は社会保障制度の完備ということを言つで、未亡人会なんかで言つております。そういう観点から、先ほど朝日のかたが述べられたように、大内兵衛さんが社会保障制度審議会の会長で答申案というものを見せてもらつたら、政府のほうではこれは大変いい意見であるけれども、予算の裏付を持つた社会保障制度はなかなかできにくい云々ということを新聞で拝見したのです。そこで婦人会で話合つて、これじや全く意味がなくて、この予算を裏付けるために一体どんなふうに国家で予算を持つて頂いたのだろう、こういうお話があつたのです。私どもとしては何が何でもむちやくちやに全部予算を引き詰めて社会保障だけ完備しろと、そういうやぼな横車を押しませんが、現在の範囲において、そして最も困つておる者、台所の隅で泣いておる婦人の立場から、そういう点から考えますときに、やはりこの医療制度というものが社会保障制度の完備の一段階として考えられる、そうした場合には、これは医療国営にまでやつて行けたらなあという、これは非常に純真な気持でございます。私の家族も今入院しておる。これが医療国営でもきまつたら率直の話が、もつとお金が少くて済むだろうし、そうして皆が同じように高い注射を打つて頂けるのじやないかとそういうふうに考えるわけです。そういう観点から国民医療能力の負担という点から、そうしてまあ各自の経済をあずかる者につきましては、限られた一家の経済の中で一人病人ができますと直ちに参つてしまう。そうして健康保険のお医者さんと、健康保険でないお医者さんがあるわけです。そうしますというと、健康保険のお医者さんですというと先にそれを提示すれば、これは何とか玄関に貼つてありますから、一遍は失敗しますが二回目には持つて行く、ところが大変いいお医者さんに行きますというと、自分のところは健康保険に加入してないからというのです、そうしますというと、例えば注射を一本打つてもらつても現実に値段がうんと違うのです。博士という看板があるとこれ又違つて来る。非常に私どもとしましてはどこにどういう差があるのだかということにつきまして非常に不明なんです。率直に失礼なんですが、そういう点から考えて来ました場合に、一体これは何にも知らないで今まで払つて来たけれども、一体お薬と、それからお医者さんの往診と診察に対する比率というものはどんなものだろうかということをお話したのです。それで医薬分業ということになつて行きますと、やはり科学的な合理的な検討が加えられて行くのです。而もお医者さんが、先ほど井上参議院議員から言われたように、過重なる負担を背負つて一人お苦しみになる、これは非常にお気の毒だと思うのです。病院の経営もしなければならない、いろいろの面でお互いが社会の責任を分ち合うという立場におきまして薬剤師制度がはつきり確立されて、而も薬剤師専門学校看護婦も今度は大学を出なければなかなか看護婦資格がもらえないと、こういうことになつて、そうした場合には医療制度において一人の患者をめぐつて患者のために医者があるのか、医者のために患者があるのかというようなときに、概してそういうときにお医者さんのために患者がいるのではないか、そういう意見も出て来る、そうではなくして、一人の患者を中心としてお医者さんはお医者さんの立場からいい診察を下して、そうして薬剤師薬剤師立場から最も知性のある薬剤の調合を行うし、看護婦看護婦立場で最もいい看護を行うし、家庭の者は安心して明るい治療を受けると、こういう観点から私の最も望むのは社会保障制度の完備でございます。その一段階として先ずその途を開く、段階を開く、こういう意味でこの法案賛成でございます。
  47. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は反対公述人として都内千代田区医師竹内薫兵君に公述お願いいたします。
  48. 竹内薫兵

    公述人(竹内薫兵君) 私はあまり話すことが上手でありませんから、ここに書いて持つて来たのを大部分朗読をいたします。お聞き苦しいところは御容赦を願います。なおもう一つお断り願いたいことは、先ほど委員長はあまり前にしやべつたかたと重複しないようにという御注意がありました。ところが私の申しますことは、内海公述人中谷公述人このお二方のお話と甚だよく似ておること、或いは共通のことが実はあるのでありますが、只今申しました通り書いて参りましたので、そこだけを省くことができないかも知れませんからどうぞ御容赦を願いたいと思います。  これより申述べます。「医薬分業は是か非か」という問題を出されまして、そのどちらかを端的に答えよと求められますれば、いわゆる任意分業こそ是なりと即座にお答えするものであります。何となれば、医薬分業をいわゆる強制分業任意分業とに分けますと、強制分業に比べまして任意分業のほうが、一、病人に便利であります。二、治療の成績が上ります。三、医療費が安くなります。こういう点からいわゆる任意分業のほうに団扇を上げる次第であります。医師薬剤師のどちらからでも、病人の自由意思によつて選択して、そして薬を調合してもらえるというのが任意分業で、薬剤師のほかは絶対に誰からも調合してもらえないというのが強制分業と申すのでありますから、制度として取上げる場合、任意と強制と、どちらがよいかと問わるれば、病人が自由選択権を持ち得るという点一つだけでも任意分業のほうに賛成の手を挙げるのが、個人の自由を愛する者の当然の心持だと考えられます。これに加うるに、任意分業のほうが病人に便利で、病気が早く治り、治療費が安くて済むのでありますから、任意、強制いずれの分業が是なりやの問に対しましては、任意分業是なりと答えますことは無理からぬことと思つて頂けると私は存ずる次第であります。ここにちよつと念のため申上げますが、従来医薬分業という言葉が、医薬両界以外の人々には事実と全く異つた意味に解釈されまして、従つてそこから出て来る議論が全く見当違いであります。延いてはその結論がとんでもない方向に走るのがあるのを見受けます。出発点が誤つておりますと結論が又誤りであります。その言葉とは、「薬は薬屋がよい」或いは「餅は餅屋だから」とか、「医師は診断」「薬剤師は薬剤」と言うのでありまして、こういうことを聞きますと、医界のこと、薬界のことがあまり明らかでない人は、それほどはつきりしているならば、めいめいその分野々々を守つたらいいではないか、いわゆる分業を強制にやつたほうがいいという、かように軽卒にも思い込む場合のあることを見聞きするのでありますが、これは「餅は餅屋」などという言葉感じからすぐに結論に飛んで行つた人でありまして、いわゆる言語魔術に引かかつたためであると思われます。今日問題になつております医薬分業というのは、病人が薬を調合して用いる必要の起つた場合、診察してもらつた医師のところから薬を調合してもらうか或いは薬剤師に調合してもらうか、医師からでも薬剤師からでも、どちらからでも病人の思つたほうから調合してもらえる制度任意分業、薬の調合は医師からは絶対にいけない、必ず薬剤師のところへ行けというのが強制分業、この任意可なりや、強制可なりやというところが今日議論となつております争点でありまして、單に言葉感じ言葉の綾、言葉の響きだけで、結論が出せるほどしかく簡單な問題ではないのであります。こういうわけでありますから、医薬分業ということを、言葉を成るべく切り詰めて言い現わしますならば、調剤分業とでも申すほうがわかりいいかと思います。  さて、任意分業のほうが強制分業より病人に便利だと申しましたが、これは説明をするにも及ばないほどわかり切つたことで、一軒の建物の中で診察してもらい、薬ももらえるのと、診察を受けてから又別の家であるところの薬屋へ行かなければならんのと、どちらが便利か、不便利か、どちらかなんということは申すまでもありません。夜更けに病気になつた子供を背負つた母親が、「坊や、これから又お薬屋さんへ行くのだよ」と苦しんでいる子供に話しかけながら医師の門口を出て行く哀れげな母親の姿が眼に描かれます。現在の制度では医師薬剤師もどちらも病人に薬を調合して与えられますから、私ども、小兒科の医者でありますが、私ども小兒科の医者などは、病気の子供の家に往診します場合には、早く薬を飲ませたいという場合には自分で調合して子供のところへ持つてつて飲ませることもありますが、強制分業となりますと、こういうことはできなくなり、一々薬剤師のところに行かなくてはならなくなります。この不便さは、病人の子供にはかわいそうであります。うちの人には実に気の毒であります。一軒の家の中で診察と投薬を共に受けられる便利さは、一品しか売つていない店よりもデパートのほうが客が多く集まるということで説明がつくわけであります。分散的よりも集合的、総合的のほうがいいということはデパートと小売店との関係を申上げれば明瞭であると思うわけであります。けれどもこれのみならず便利、不便利でない、ほかにもう一つ医師に対する病人の信頼感というものが、診察を受けた医者から薬ももらいたいという気持を起させて、薬剤師よりもこの医師から薬を欲しいと思わせる場合も私はあると思うわけであります。  その次に任意分業のほうが強制分業よりも病気の治り方がよいと申しますか、治り方が早いと申しますか、とにかく治療成績が上がるはずであります。小兒科のごとき子供の病人では、一刻も早く薬を飲ませる必要のあることもあり、一日のうちに処方を変えなければならぬ場合もあります。一々そういう場合に、家の者が薬剤師の許へ走るよりも、医者がその子供の家で調合してやるくらいにしたらどのくらい治療が適切に行くか、応病与薬を臨機になし得るということは、これは病人の治り工合が早い、こういうことに考えられる次第であります。その次に任意分業のほうが薬価が安くなる、こういうことを私は申しました。このことはすでに各方面から細かい調査をされておりますから、私はここで詳しい数字を申上げようとは思いません。実際は厚生省でもGHQでも幾らか強制分業のほうが高くなるだろうということを公言されておられます。およそ物価は需要供給の原則に大きく作用されますから、将来のことは必ずしも任意と強制との分業の差だけでは言えないわけでありますけれども、ともかく強制分業になりますと、この薬に関することにつきましては、いわゆる独占企業の形になるわけでありまして、独占企業というものの大きな弊害の一つは、独占企業になると物価が上昇するという点があるということを思い合せますと、とくと将来を考えなくちやならんと思います。任意分業であるより強制分業のほうが全治療費が高くなるということは、その高くなる因子が、フアクターが種々あるといたしましても、これは忍びがたいことであります。  以上で以て任意分業のほうがよいという三つの理由を述べましたが、この述べましたところに更に多少の裏付をいたしますために、二、三のことに触れたいと思います。或る人が、医師調剤権がないということを申した人があります。それについて私は反駁いたしたいと思います。医者は病人の病気を治療するにつきまして、如何なる治療法もできるという資格を持つております。この治療法の中には、勿論処方箋を書くことも、薬を調合することも含まれております。医師免許証というものがこのことを示しておる次第であります。然るに世の中は広いので、医者薬学を学ばないから調剤はできない、その証拠には医者はときどき配合禁忌言つて調合することを学問上禁じておる薬を調合させるような処方箋を書くとか、或いは又薬の分量をときどき間違えた処方箋が出ることがある。そういうわけだから、危なくて医者には調剤はやらせられない、こういうような根拠で言うのでありますが、こういう泥仕合的なことを言い出しますと、お互いに際限もないことでありますから、私は触れることも言うことも憚ります。併しながら配合禁忌というような、こういう事実が極めて稀にあつたといたしましても、これを以て医師調剤能力、或いは延いては調剤権を剥奪するというような根拠とするということについては、むしろ噴飯ものと私は考えておる次第であります。  医師薬剤師との関係は、処方箋調剤との関係であります。建物の建築の場合の設計者と大工や左官の関係とは全く違うのであります。強いて例を建築に取れというのでありますれば、棟梁と職人との関係であります。ただ疊とか建具というようなものが並べられておる場合、この疊はここへ敷け、この建具はここへはめろというように棟梁に言われて、その言われたままに疊を敷くとか建具をはめ込むという職人と同じでありまして、事調剤に関する限り薬剤師は既製品の適当配置の技術者として見るべきものと考えられます。調剤とはそれではどういうものだろうかと申しますと、これは薬剤師が実際の場合は医者の書かれた処方箋を先ず読んで、そうしてその処方箋に記載されてあります通り忠実に実行するのが薬剤師の役目であります。例えば二つの薬を混ぜて病人に持たせるとか、かくかくの薬を水に溶かせ、何グラムにせよとか書いてある通りに実行するだけが調剤の職務であります。ただ処方箋に不審のある場合がある。配合禁忌とか、又分量に不審の場合を薬剤師において見つけたならば、これは医者に糺せばいいのであります。こういうわけでありまするから調剤ということは簡單と申せば誠に簡單でありまして、調剤技術そのものは何ら深遠なる薬学の学殖を必要としないのであります。勿論医師自身調剤することは技術的にできますし、現行法律でも立派に認めております。而も薬剤師調剤というものは單に法律的には医師の代行なのであります。代つて行うのであります。医師の代りとして行うわけであります。大審院の判決例にも、薬剤師調剤医師の代行調剤であると見ているくらいであります。医師調剤能力なしなどとはとんでもない言葉であつて薬剤師はただ処方箋の記載を正直に実行すればいいのであります。決して薬剤師自己の頭で処方の改竄をするとか、或いは又処方を創作するというようなことは、これは認められておりませんということを申上げて置きます。  もう一つ今度は病人は薬剤師調剤を嫌うということを申したいと思います。現行任意分業の場合に薬剤師のところに調剤を依頼する病人は極めて少い、ということは薬剤師側の調査報告に出ております。この少いという理由薬剤師側では、どうも医者にかかつている病人というものは人情として医者処方箋をくれと言えない、だから少いのだ。処方箋を書かないのだ。或いは又処方箋をくれというと処方箋料をとられるから、だから処方箋を請求もできないし、従つて薬剤師のほうに行くのが少いのだというふうな理由を挙げておりますが、私どもはさようには考えません。單に言いにくいとかそういう人情や処方箋料などというので過去何十年間、延人員にしますれば何億もの人が病人の持つところの自由選択の特権を容易に放棄するとは何としても思えない。それよりもこれは民衆が、病人が薬剤師調剤を好まない端的な現われであると見るべきが正当だと考えます。こういう実例があります。田舎から来ております病人が暫らく滞在しておつた、そうして田舎へ帰る、その田舎は遠い、だから遠いことでもあるし、又あなたの土地には薬剤師もいることであるから、処方箋を書いて上げますから、この処方箋を持つてお帰りになつて薬剤師から薬をもらいなさいと言いますと、いや処方箋よりはここの薬を一月分ばかり頂かしてもらうべえ、なんと言つてつて帰るというようなこともあります。全部が全部ではありませんが、そういう例もあります。民は口を以て言わず、行いを以て示す。この点を玩味すべきであると私は考えます。小兒では殊に変化が早い病人が多いのでありまして、一一薬剤師のところへ行く、そういう煩を嫌う心持とか、或いは医師への信頼感というようなものが強制分業に非常に多く反対の態度を示しております。これは小兒に関することのみではありませんが、愛知県の医師会で、県下一万四千五百人の人についてその自由意思を調べてみましたところが、九八%が強制分業反対つたと申します。任意分業であるにもかかわらず、何十年もの間何億の人が薬剤師調剤を欲しないというその事実、この態度は率直に直視しなければならんと考えます。  もう一つ本則と附則ということを申上げます。すべて薬剤の調合は薬剤師がやるべきことが薬事法の本則には出ております。医師歯科医師等は例外的に附則に掲げられてある、例外規定というのは一時的の性質であるから、もう附則を削つてしまおうというのが今回の分業問題の法律的な結論であります。事実を、現状を直視するならば、むしろこの法律を改めまして、先ほど申しました現状を直視して行けば、医師調剤するほうが本則である。附則に持つてつて薬剤師医師処方箋によつて調剤するように解釈するほうが適当である。これは明らかに民意を現わしておるとも思われないことはありません。一体一旦きまつた法律は不磨の大典のごとく考えるというのは間違いでありまして、適当の手続によりますれば、いつでも変更できるということは国法の示す通りであります。このことは私ごときものが申上げるまでもないことであります。五年前に全世界に明示したところの日本の憲法は今や早や再軍備がどうとかという話が出まして、憲法改正の声さえも真剣に論議されておるような実情であります。  さて結論を申します。かくのごとき強制医薬分業というような大問題、即ち医師は病人を診察したら、薬をやる必要があると認めた場合には必ず病人がいやだと言おうが、断ろうが、そんなことにはおかまいなく、何でもかんでも処方箋を渡して、その処方箋は必ず薬剤師のところへ持つてつて調剤してもらえ、というような、かような大問題の法律を作るには私は反対であります。もつと国民の意思をはつきり聞き、国民から盛り上る一つの固まりというものを見届けてから立法のこのお城は動くべきであると思われます。渠成りて水至るということを申しまするが、現在の我が国ではまだ渠ができておりません。できておらないところに強いて水を流そうとするならば、若しそうして水を流したならばその水は案外或る人々の予期しないような方向のほうへ流れるかも知れないとさえ思われるのであります。それで私は本案を提案するもつと以前に、吟味さるべきこと、盡すべき手のまだまだ残つておることを感じますので、一小兒科医といたしまして病人の親たちの気持もいささか四十年、長年わかつて来ておりますので、言うところの強制分業又はこれを端的に言いますというと、強制処方箋発行的分業案というものには明らかに反対の意思を表示いたしたいと存じます。
  49. 山下義信

    委員長山下義信君) 次は賛成公述人として、大阪市住吉区薬剤師山本榮三郎君の公述お願いいたします。
  50. 山本榮三郎

    公述人(山本榮三郎君) 山本でございます。本席は医薬分業法案を提案されまして、この法案に対して賛成反対かの意見を開陳せよ、かようなことで私はその席末をけがしますことを光栄と存じます。私は今提案されておりまするところの医薬分業法案に対しては全面的に賛成の意を表するものであります。私はここに過去七十年来非科学的な方法で以て、或いは考え方によりまして、よらしむべし、知らしむべからずと、かような意味においての治療行為をあえてせられておりました我が国の不完全なる医療制度の改革が、まさにでき上らんとすることを非常に喜んでおるものであります。私どもが全面的に賛成いたしておりますところの法案に対して、真つ向からこれ又全面的に反対をしておられるところの医師団の諸君、或いは一部の諸君があるのでありまするが、その人たちの分業に対する反対論の先ず重要であるべきことの二、三を、私がその反対論に対して何と言いますか、駁論と申しますかいたしまして、その私の駁論が医薬分業賛成意見であると御承知を願いたいのであります。日本医師会が分業反対であるという先ず第一の重要点と考えられることは、若し医薬分業になるならば、自分たち医者はその治療に対して責任が持てない、かように言つておることを私は承知しております。私はここにおいて問うて見たいのは、現在任意分業である我が国治療界におきましても、すでに個人の開業医で一流のお医者さんは医薬分業の下に処方箋を発行しておられるのであります。それらのお医者さんはすでに分業はしておりまするけれども、この分業にしておるがために、自分が手にかけた患者に対してはその治療責任が持てないと言つておられるのか、私は聞いて見たい。或いは又我が国の各病院ではすでに医薬分業が実施されておるのは御承知の通りであります。この病院に従事しておられるところのお医者さんが、みずから手にかけて処方箋を発行しておりながら、その治療においては責任が持てないということを言つておられるのな、これも私は聞いて見たいのであります。なお且つ世界各国分業国の医師諸君が、すでに完全なる、名実共に分業を行なつておるところの各国の医師諸君が、みずから手にかけておるところの患者に対して処方箋を発行しながら、治療を行いながら、責任が持てないと言つておられるかどうかということも、私はお聞きしたいのであります。なおこの法案に対しまして、厚生大臣が我が国の各層から最も適当なりとして選ばれましたるところの委員の諸君が、而も長日月かかられまして愼重審議の結果、本日提案せられておりまするところの厚生省案がでつち上げられたのでありまするが、その委員の中にもやはり病院を経営しておられろところのお医者さんもあつたはずであります。そのお医者さんはみずから病院で医薬分業式にやつておりながら、自分みずから責任を持たなければならん立場におりながら、治療責任が持てないと言われるかどうか、これらを私はお聞きして見たいのであります。私はここに医薬分業の最も重大なる意義があることを申上げて見たいのであります。即ち医薬分業になりまするならば、医学を修めたお医者さんが診察するのは無論当然でありまするが、その一面、薬学専門に修めました薬剤師が薬の調剤をなすことによりまして、ここに各責任分野が明らかとなることは、私がここで申上げるまでもないのであります。然るに今日の我が国医療制度と申しますると、診察をするのもお医者さんである、薬を調合するのもお医者さんである、而もお医者さんみずからが薬の調合をせられるならば、これはまだしもでありまするが、多くは看護婦或いは奥さんたちがこの調合をしておりますることは、皆様すでに先刻御承知の通りであります。而して最後に死亡診断書をお書きになるのもこれ又お医者さんでありまして、最も重大視しなければならないところの人命に関しまして、人の生命に関しまして取扱うのには、あまりにも簡單な扱いではなかろうかと私は深く考えておるものであります。ここにおいて私どもが言いたいのは、医師診察をして、その次に薬を投薬する場合には、専門薬剤師にこれを委ねる、このことが最も適当なる治療行為ではなかろうか、若し現在のような状態で一元的にお医者さんがやつておるならば、これは誤つてのときでありますが、誤つて不幸にも誤診、誤薬の場合にどういう結果になるか、誤診、誤薬の場合には闇から闇に葬られるというようなことは絶対にないと私は断言することができないのであります。このときにこの中間に薬剤師が入つておるならば、診察責任はお医者さんであり、薬の調剤に関するところの責任薬剤師でありまするが故に、その責任がはつきりといたしまして、誤つて死亡いたしました場合にでも、診察上の誤診のために死んだのだ、或いは薬の間違いで死んだのだということがはつきりしておりまするが故に、患者の側からいたしまして、その遺族は医者に対して損害賠償を訴えることもできる、薬剤師に対して又慰安をさすべきところの方法も講じられるのでありますが、先ほど申しましたように、一元的に一から終りまで一人のかたがこれを取扱うことによつては、誰が一体これを発見することができるのでありましようか。例えて申しまするならば、人権問題におきましても、被告に対しては法律専門家の弁護士がこれに当つて、被告に非常に有利なるところの弁護を与えるのでありまするが、検事の立場の人は被告に対して峻烈なるところの論告を与えて求刑をするが、併し上に裁判長がおりまして大所高所からこれを吟味して公正なる判断を以てその被告に対するところの判決を与えるのが最も公平なる事柄であるのであります。従つてどもは今日の我が国医療制度も先ずこの裁判官のやつておられるような状態で、診察医師がやり、調剤薬剤師がやると、いずれの責任であるかということもはつきりするのでありますから、私は是非医薬分業断行を強調するものであります。この医薬分業を断行いたしまするにつきまして、私は一例をここに申上げて見たいと思いまするが、医薬分業を実行いたしますると、現在健康保険法問題について保険医諸君に政府が遅払いをしておる。大きなところの赤字を持つておる。従つて健康保険法の内容には非常に欠陷が現われて来ておる。お医者さんはごうごうとして政府の遅払いを攻撃しておる。これはもう当然のことであります。併しながら医薬分業になつておらない悲しさで、この遅払い、或いは赤字の中には……、お医者さんの中にはよい人たちばかりではない。いわゆる不正なお医者さんも相当数おられるかいたしまして、それの成績検査を発表せられるのを見ますると、中には分業になつておりませんから、与えてない薬まで与えておるという請求をしておる。注射をしておられないのに注射をしておるという請求をしておる。診察の回数を余計に請求しておる。いわゆる水増し請求をしておるというような事実がここに現われておることを見ますると、この健康保険の赤字のうち、或いは遅払いのその原因の何分の一かは、医薬分業になつていない結果であると私ども考えなければならない。これが分業になつておるならば、如何に不正なお医者さんがありといえども薬の投薬に際して不正な請求は絶対にできないことはこれは当然であります。この意味からいたしましても、私は是非医薬分業の断行をせなければならないと、さように考えるものであります。それから医薬分業反対論の中に、医師は昔から医師いわゆる薬師である。医師がちよん髷時代から患者を診まするとき、患者の家を訪問するときには薬箱を持つてつてそうして投薬をしておる。こんな便利なことはない。いわゆる便利論を強調しておられるわけでありまするが、私はここにも声を大にして強調して見たいと思いまするのは、昔のちよん髷時代の治療はいわゆる非科学的治療であると言つて、今の西洋医学を勉強せられましたお医者さんがとつて代られて、だんだん医学が進歩している今日であります。然るにもかかわらず、何百年か前のちよん髷時代のお医者さんがやつておりましたところのいわゆる草根木皮的薬を与えておつたところのその薬の事柄だけを、今日の科学的操作をしてでき上りました薬を扱うのに、薬だけは今そのままでまだ温存をしてお医者さんが手にかけておる。こういうことに、私は非科学的医療行為を排撃して、そうして科学的な医療行為に移つておられるお医者さんの考え方とはそこに矛盾がありはしないか。而も昔は草根本皮でありまするが故に、これは多少多くを飲みましてもあまりに病体には関係がないのは御承知の通りと思います。今日の薬はいわゆる科学的操作を以ちまして、あらゆる学理を応用いたしまして、でき上つておりまするが故に、その薬の性質は実に峻烈なるものがあります。一歩を誤れば耳かきの半分くらいですぐに死んでしまうような峻烈な猛烈な作用を持つ薬もあるのであります。或いは重曹ジアスターゼのような普通の薬もあるのでありまするが、この薬を取扱いまする者が薬学の学問を習得してないお医者さん、或いは看護婦乃至は奥さんがその薬を取扱うということは、実に不合理この上もないことと私は固く信じておるものであります。  それから医薬分業にすれば、非常に不便である、こういうことを常に言つておりまするし、先ほどからも言つておられまするが、私はそうは考えておらない。医薬分業になりまするというと、夜間の往診があつたときに、お医者さんが患者の家で処方箋を書かれるか、或いはみずからお医者さんが自分の家に帰られて、そうして往診を受けた患者がお医者さんの家へその薬をもらいに行くか、患者の家で書かれる処方箋があるとすれば、お医者さんの家へ行くまでに近くに薬局があれば、わざわざお医者さんの家へ行くまでもなしに、近くの薬局で薬の調剤をしてもらう。こういう便利を私は考えて頂きたい。なお医師みずから開業医の玄関で診察を受ける場合にその家で薬を調剤をしてもらうほうが便利じやないか。一家のうちで診察も受け、或いは調剤を、薬をもらえる。こんな便利なことはないじやないか。こういうような話を聞きまするが、私は言いたい。この一家のうちでお医者さんに診察を受ける、そのお医者さんが三十人、四十人の患者を受持つておるお医者さんならば、一番に診察を受けた人と、三十番目に診察を受けた人はどうでありましようか。三十番目に診察を受けた人は、三十番あとでなければ薬をもらうことができないのであります。その三十人の患者を待つまでに、診察を受けると同時に自分は帰り遂に寄つて近くの薬局にこれを調剤を求める、或いは主婦のかたならば自宅に帰つて、そうして自分は市場に行くなり、他の用事をするなり、近くの薬局にその処方箋を預けて置いて、自分の用事が済んだらその薬をもらいに行くとかいうような方法もつくわけでありますので、一概に一家のうちで薬を渡すから便利であるというようなことは、私はそのままで受取ることができないのであります。それから治療費が高くなるじやないか。医薬分業になれば治療費が高くなるじやないか。かように強調しておられますが、この治療費の問題に対しましては、先ほど申上げましたように、政府が各層から選ばれましたるところの有力なる、有識なる、有能なる委員の諸君が御協議せられました結果、現在の医療費を高くつくか、安くつくかというような問題でなしに、今日の国民大衆の経済の点を勘案いたしまして、そうして医療費をきめることが合理的である、かような決定を見て、それぞれ答申をしておられるのでありまするから、私はこの問題は、この答申案に全幅の賛意を表するものであります。薬が高くなる、或いは安くなるというような私は心配を持つておらないのであります。それから又薬局に対して信用ができないというような実に馬鹿げ切つたことを私は聞くのでありまするが、これはお互いに徳性の問題でありまして、薬剤師のうちにも五万有余の薬剤師がおります。そのうちで開業しておる薬剤師が三万有余ありますが、その多数の中には或いは不徳義の薬剤師が絶対にないと私は断言できません。その一面におきまして先ほど申上げましたようにお医者さんの中にも健康保険医の中にもいわゆる水増し請求をするような、さような不徳義のお医者さんもあるということを私は考えまして、これらがあるから全体の医者、これらがあるから全体の薬剤師を信用することができないというような断案は私は甘んじて受けることができないのであります。なお医者処方箋を書いて薬局に渡しましてもその処方箋通りにしてくれるかどうかということが非常に心配だと、かように御親切な御心配を言つておられるのでありますが、私はその御心配をして頂く必要はない。若し薬剤師の中で処方箋以外の薬を用い、処方箋通りに薬の調剤をせなければこれはおのずから別にこれらを監督すべき機関が政府に設けられるのでありまするから、さようなる不正行為のある薬剤師に対しては非常なるところの嚴重なる制裁があるわけでありますから、これとても心配する必要ないと、かように考えるのであります。その他分業反対のことについてはいろいろありまするが、時間の関係でこの程度に止めまするが、世界のすべての分業国が医薬分業であるから治療費が高くついておるとか、或いは医薬分業は非科学的であるとか乃至は医薬分業は非常に不便であるとか、或いは医薬分業医療費が高くつくとか、医薬分業をしてから薬局に信用ができなくなつたとか、或いは医薬分業よりも現在の日本制度のようにいわゆる秘密治療のほうが医薬分業よりもいいのだと言つておるところの外国の人たちがあるでありましようか。各国の薬局医薬分業国はそれぞれこの医薬分業に非常に満足をして現在は実行されておるのであります。而もここに私は御参考に申上げて見たいと思つておりますることは、昨年アメリカ医師会では、開業医はみずから薬室を持つべからず、かような決議をしておられることを私は聞いております。而うしてこの医師会の幹事のセールス博士は、自己の専門分野以外での如何なる方面においても利益を得ることは医師の論理に反すると喝破しております。そしてこれこそアメリカ医師会の道徳の原則であると言明していることを医薬分業に対する反対者も医薬分業に対する賛成者も十分に耳をかして参考にして見たいと、私はかように考えておるものであります。で終りに医師立場に、或いは医師立場でおりながらGHQのサムス准将は、日本医師は薬を売り、歯科医師は金を売つており、薬剤師は雑貨を売つておるような、かような日本医療制度の下に行われておるようなことは、日本国民大衆の保健衛生のためには非常なるところの損失である、一日も早く合理化せなければならんと、かようにサムス准将言つておられまするが、先ほどから或る方面の力とか、或いは或る方面の指示があるためとか、いろんないや味らしいことを私は耳にしておりまするから、かようなことを申上げますれば、又ぞろ今のもやはりGHQ方面の指示を受けておるからあんなことを言つておるのだというようなことも批判されるかも知れませんが、私はありのままをここに申上げまして、今日提案されておりまするところの医薬分業法案に対しては全幅の賛意を表するものであります。
  51. 山下義信

    委員長山下義信君) 最後に反対論者として墨田区寺島町向島医師会書記村山榮作君の公述お願いいたします。
  52. 村山榮作

    公述人(村山榮作君) 私は素人でありまして学問的或いは統計上のことはさつぱりわかりません。従いまして一党一派いずれにも偏せず、街の声として意見を申述べて見たいと思うのであります。医薬分業は数十年来の懸案と聞いておりますが、この問題が医師薬剤師の利害関係のほうで争つておる上は今後更に数十年たつてもその結論は出ないと私は思うのであります。この結論を出すものは医療投薬の対象となる我々第三者でなければならないと思うのであります。一般民衆である私は公平に見て今度の改正法律案は時期未だ早しと言いたいのであります。その理由はいろいろありますが、第一に医師薬剤師もまだその受入態勢ができていないと私は思うのであります。これは分布状況や店舗の構造を言うのではありません。根本は医師薬剤師の経済観念から来ておるのでありまして、この観念が支配しておる以上は現在の開業医開業薬剤師にどんな立派な規則を作つてつてもその運営がうまく行くかどうかが私は非常に不安でならないのであります。この不安でならないということには、こういうこともあるのであります。薬剤師のほうから言わせますと、医者患者の体さえ診ておればいいのに、体を診たり薬まで高く売つておると、薬剤師のほうは言つておりますし、又医師のほうに言わせますと、何だ薬局では不完全な施設で患者にペニシリンの注射をやつたり、無診投薬をやると言う。これはどちらにもあるのですから、こういう状態でこれは分業なつたらどうなるか。これを私は心配するのであります。ですから私はこういう利害関係でなくて、どうやつた国民が幸福になるか、患者のためになるかということに重点を置いて、もつと研究して参りたいと思うのであります。又一面患者側も医師診察とか、指導とかこういう無形の行為に対してもその代償を支払う義務観念を有するだけの文化的意識が低いということも分業なつた場合うまく行かないんじやないかと思います。ともかくも分業によつて利害、便、不便を直接受くるものは患者側であります。私どものごとく生活の面から分業なつたために余分の時間を費し、或いは余分な診療費を支払わなければならないんだろうと危惧を持つ階級も多数あることはこれは否定できない。終戰後多くの法律規則が施行されましたが、なかんずく農地改革及び婦人参政権のごときはこれは国民多数の福祉を増進したものであるから誠に結構でございますが、中には我が国情に合わないために改廃を要するものもあると聞いておりますが、医薬分業もこの後者に類するものではないかと私は考える。この医薬分業のごとき社会一般に及ぼす影響の大なるものは、法律によつて強行するとしたならば、これは国民の自由の拘束であります。自由を尊重しました新憲法の趣旨に私はもとるものではないかと考えるものであります。あの普通選挙のごときは長い年月と幾多の血を流して漸く実施されたのでありますが、かくのごとくその時機が来れば自然分業になるのでありますから、現在の任意分業で何ら支障はないのであります。これこそ自由の尊重である。よつて私は現状維持を飽くまでも主張するものであります。簡單でありますが……。
  53. 山下義信

    委員長山下義信君) 以上を以て公述人公述は終りました。これから委員かたがたで御質問のありますかたは御質問を願いたいと思います。
  54. 吉川末次郎

    委員議員(吉川末次郎君) よろしうございますか。
  55. 山下義信

    委員長山下義信君) よろしうございます。
  56. 吉川末次郎

    委員議員(吉川末次郎君) 中谷証人の御証言に対して、四、五点について御質問をして御答弁を煩わしたいと思うのでありますが、一問一答の形式をとりますと非常に時間を要しますので、一括して申上げてよろしうございますか。
  57. 山下義信

    委員長山下義信君) どうぞ、成るべく御討論にならんように、(笑声
  58. 吉川末次郎

    委員議員(吉川末次郎君) それで中谷さんのお話を承わつて札幌の遠い所からわざわざ国会のほうにおいでになつたことを、国会議員の一人として先ず感謝したいと思うのであります。それから又あなたの御証言は、非常に我々国会議員といたしましても意義深く拝聴いたしました。意義深く拝聴いたしましたというのは、実はあなたは大学教授をしていらつしやるそうでありますから、私たちは最高の知性を持つたかたと尊敬いたしておるわけなんでありますが、そういうような最高の知性を持つていらつしやると思われるような人であつても、この問題については実は如何に無識でいらつしやるか、甚だ失礼でありますが、そういう印象を受けたので、これはなかなか容易にそういう本分外の人の解決に待つということは非常にむずかしいということを私は感じたのであります。それでお尋ねしたいことの第一点は、あなたの御証言の中には医薬分業ということは、これは外国にはない。日本が先鞭をつけてやるのであるというような御意見があつたと記憶いたすのでありますが、あなたは外国へおいでになりましたかどうか失礼ながら知りませんが、アメリカ医薬分業が行われておるということは、先ほど私の隣にいらつしやる、最近アメリカからお帰りになつた井上さんも先にお話になつたごとく、私も大分古うございますけれども、学生生活を三年余り欧米に送りまして、アメリカあたりのことも、ヨーロツパ諸国のことも多少知つておりまするし、こういうことも多少注意して見て参つておりまするが、むしろあなたの御証言に全く反対なんで、外国といいましても、或いは外国といつても、日本よりも文化の非常に低い野蛮国は別であります。いわゆる近代国の形式をとつております文明先進諸国において、即ち欧米諸国において、むしろ日本のようなお医者さんが薬を、診察して同時に売つておるというような、いわゆる医薬兼業の制度をとつておるところは、私の三年余りの欧米生活の経験からすると、そういうふうな所はない、そういうあなたのおつしやることと全く反対のことなんで、私らそれは実際実験して来ておるわけなんですが、恐らくここにお医者さんのかたも医学界の大家であられる有馬さんその他たくさんいられるのでありますが、この事実は皆否定なさらぬと思います。勿論この法律についても、若干の例外を認めておりますけれども、特殊の場合においては医者が投薬しておるというところもあると思いますが、全般的に医者が薬を売つておるということは私は三年半の生活において見たことがないのであります。私はその間に医者にもかかつたことがあります。法律に規定しておるように医師処方箋を書いて、私は薬局へ行つてもらう、そうしてあなたのおつしやつたことは全く事実に反したことなんですが、あなたはあなたの御証言を裏書するところの更に詳細な具体的な事実がおありになるならばこの機会に一つお聞かせを願いたい。それに関連して、それから山本証人からお話になりましたけれども、GHQのサムス准将のごときはお医者さんであるにもかかわらず、先ほど山本証人が言われたように日本に来ておる者が不思議に思うということは、医者が薬を売つておるということを言つておいでになるのでありますが、これにもあなたは全く否定したことをおつしやつておると思うのでありますが、これに対する御証言を願いたい。これも一つ。それからあなたは薬理学云々ということを言われたのでありますが、あなたは自然科学者でありますが、純粋物理学は先ほど、アプライス、サイエンスということは、薬理学というのは、これは医学の一部でありまして、薬品というものは体内においてどういうように生理的に作用をするかということを研究するのである。薬剤師はそういうことを研究しないのであります。最近において薬剤師国家試験の科目に薬理学というものを入れておるかどうか私は知りませんが、昔はそういうことはなかつたのです。薬剤師の諸君が言つておるということは薬学、フアーマシーということも言つておるのであります。フアーマシーと言いますか、とにかく薬学薬剤師国家試験の科目を御覧になつてもおわかりになる、薬品の製造をやる或いは薬品の試験をやる、或いは薬用植物から採取したところの植物性の薬品というものが、これも果して適正な薬品であるか、やはりいろいろ物理的に顯微鏡で研究したり、化学的に研究してその成分がどうであるか、その成分がどういうものを持つておるものであるか研究するものであります。あなたも大学教授をしておるものであるから、例えば東京大学において医学科においては創立の初めから薬学科というものと医学科というものが分立されておる。その医学科でどういうものを教えており、薬学科でどういう科目を学生が勉強しておるかということは、科目を見たらおわかりになるんで、あなたは薬理学ということを言つておるけれども、そういうことについて失礼だけれども全然お知りにならないようですけれども、そういうことについてのあなたのもう一つ御答弁を促したい。そういうことが第二点。それから第三点は、あなたは原則的にも医薬分業はいけないものであるかのごときようなことをお言いになつて、それから又或るところでは分業であつたならばいいというようなことを言つておいでになるのですが、ともかくどちらにしても現在日本法律は薬品に関する法律が制定された当初から、その医薬分業ということが原則でなくちやならんと、即ち医師診察し、調剤薬剤師がすべきものであるということをずつととつて来ておるんですね、明治の初年から、それで法律の建前からしますと、医者調剤をして薬品を投与することができるということは、薬剤師というものが、日本の国が漢法医の制度でやつて来たものですからそういう制度がなかつた、誰かさつきお話になつたように、医師は薬師であつて、薬屋と両方兼ねておつた医薬制度というものは、漢法医薬の異例なんでありますから、ところが近代医法を採用してそれはいけないということで、薬剤師という新らしい制度、新らしい職業を設けた。それで帝国大学においても医学科と並んで薬学科を設けて軍隊においても軍医と薬剤官というものが並行してあつて医師の試験というものもあれば薬剤師の試験というものもある。まあ丁度歯科医というものが医者と別にあるように、初めから分業制度をずつととつて来ておるのです。それで日本の今日の法律では薬剤師の数が、医薬分業を行わなくちやならないけれども、その数が足りないからエキセプシヨナリーに、例外的に漸次医者の投薬を認めて置こうという法律の建前になつておることは、あなたは薬事法その他の薬品に関する法律を御覧になるとすぐおわかりになるのですが、そういう制度に……、即ち軍隊でも軍医と共に薬剤官があると同じように、さつきどなたか公述人公述の中にもありましたが、大きな病院、官公立病院その他の大きな病院では、医薬分業をやつておる。あなたの大学大学病院で、恐らくお医者さんが田舎の町医者のように、漢方医の遺制のように診察をやつて自分調剤して薬を渡すというようなことはしていない。
  59. 山下義信

    委員長山下義信君) 吉川議員お願いしますが、質問の要点だけ……。
  60. 吉川末次郎

    委員議員(吉川末次郎君) 質問の要点なんです。同じように大学病院ではやつておらん。大学病院その他の、東京であれば東京都立の病院、或いはその他の大病院等は、すべて薬局の管理並びに薬品の管理調剤というものは薬剤師がやつておるわけです。そういうことについてあなたはどうお考えになるか。それは悪いとお考えになるような、あなたの公述結論はなると思うのですが、それについてもう一度お答えを願いたい。それから第四番目にお伺いしたいことは、強制するのはいかんというような言葉がおありになつたと思うのですが、あなたのような最高の知識を持つていらつしやらなければならないかたでも、失礼だけれども全然おわかりになつておらないで、実にあなたはむちやくちやを言つていらつしやる。そうするとこれはあなたよりもそういう知性の低いところの人が、なかなかこれはその可否判断することができない。
  61. 山下義信

    委員長山下義信君) 討論になりませんように……。
  62. 吉川末次郎

    委員議員(吉川末次郎君) それでお尋ねしたいことは、(「無札なことを言つちやいかん、公述人に」と呼ぶ者あり)そういうような任意分業方法でそれが行われないと私は思うのです。行われない。例えば猩紅熱なら猩紅熱の子供の患者ですな。ところが素人からすれば猩紅熱は伝染病であるから、伝染病院に入れなくちやならないのだけれども、伝染病院に送りたくないというのが親心です。これはそうしますと、任意にして置けば伝染病院に送らない。そうしますと素人でわからないことは、これは法律でやらなければしようがないと私は思うのですが、それについてのあなたの、もう一度御答弁を頂きたい。まだほかに大分お尋したいことがありますが、このぐらいにして先ず御答弁願います。
  63. 中谷宇吉郎

    公述人(中谷宇吉郎君) 先ず第一の外国の例でありますが、私はそういうお話があるだろうと思いまして、ここに医薬分業という言葉が往々にして誤解を招くということを最初に申上げたのでありますが、今度のは医薬分業ではなくて、医師の投薬禁止法なんでございますから、外国では医薬分業になつておることはさつきからたびたび速記録にもありますが申上げたのであります。(吉川末次郎君「外国では医薬分業になつておるのですかおらないのですか、どちらなんですか」と述ぶ)現実としては医薬分業になつておるのです外国では……。だから日本もそういうふうになれるようにしたいものだと思うのであります。ただその医師の投薬禁止という意味で、今の医薬分業という言葉が(吉川末次郎君「医師の投薬禁止が医薬分業なんです」と述ぶ)……。
  64. 山下義信

    委員長山下義信君) 私語を禁じます。
  65. 中谷宇吉郎

    公述人(中谷宇吉郎君) そういう意味で外国では法律にはない、私の知つておる範囲ではないということを申上げただけで、若し外国でもそういう医師の投薬禁止という法律があるのだつたらそれはどこの国にあるのか教えて頂きたいと思います。(吉川末次郎君「幾らでも例はあります」と述ぶ)私はそういうものを知らないものですから、私はヨーロツパの英、独、仏、それからアメリカ、カナダしか知りませんものですから、その範囲内では知らないということを申上げたのであります。第二の問題でございますが、薬理学の問題でございますが。薬理学というのは成るほどおつしやる通りの学問であります。併しそのことと現在薬剤師重曹と何とか、何とかという医師処方箋によつて、その処方箋通りの数字を天秤にかけて混ぜることとは別問題であるということを申上げただけでございます。それから第三といたしまして、私は医薬分業というものは賛成なんでありますが、これは法律の力を以てやるべきものではなくて、社会教育の力を以てやるべきものだというのが私の終始変らない結論なんです。それから第四といたしまして、日本では現在すでに任意分業が行われておる場合に、これをなぜもう少し推進するような……、教育の力では駄目だと初めから匙を投げないで、もう少しこれを推進するような方法を用い、到底駄目な場合に法律で禁止するのもこれ又止むを得ませんけれども、とにかく医者としても本当は患者調剤するということに煩わされないで、専心診断だけをできれば一番いいのでありますから、医師のほうでも処方箋は必ず上げることになつておるのですから要りませんかと先ず言うくらいにする。それから薬剤師のほうは薬剤師のほうで、医者薬理学を知らないのだから、薬の性能試験だとか、いろいろの試験はやらないのだから、私のほうはそういうことをやるのだから、私のほうへいらつしやい、そうして患者が成るほどこれは薬剤師のほうに行くべきものだということになつてこういう仕事ができるのが当然であります。いろいろ強制分業賛成のかたは挙つて……、医者から診断書をもらつてどんどん薬局に行くのはいいけれども医者から薬をもらいたいという患者にまでおせつかいすることはないという、それだけのことなんです。
  66. 山下義信

    委員長山下義信君) 他に御質疑のかたはありませんか。
  67. 有馬英二

    ○有馬英二君 私は千葉公述人にお尋ねしたいのですが、先ほど医療費合理化ということをおつしやつたようでございますが、医薬制度合理化ということと、医療費合理化ということと何か関係がありますか。
  68. 千葉千代世

    公述人(千葉千代世君) 医療費合理化という問題でございますけれども、率直に申上げますというと、私どもとしましては、お医者さんにかかりました場合に、これは非常に低い考えかも知れませんけれども、大変高い料金を取られるほうが治りやすいのだという、こういう観念が田舎にもありますし、いろいろございます。そこで本当に真剣なお医者さん、私の仲人をして下さつた医者さんで、このかたは千葉医師会会長を長くやつておられた、そのかたがおつしやるのには、病人はおかしい、高い料金を取られれば大変治つたような気がして、本当は医は仁術という気持で安くしてやると、何か非常に病人はがつかりして行く、こういう病人がたまにある、医薬分業に早くなればよいということをよくお漏らしになつていた。そこでいろいろ考えた場合に、こうういうお薬という問題になると、率直に申上げますと、非常にお薬は高いと思うのです。お医者さんにかかりますというと、例えば診察料は、私のかかつた医者さん……最近でありますけれども、往診料が三百円くらい、おうちに行きますと百円くらい、夜だと何倍……、注射一本打ちます、そうすると、ビタミン注射を薬局で買いますというと百何ぼ、十本入つております。お医者さんにかかりましてビタミン注射一本打つて来ます、そうしますと百五十円つけが来ます。これは本当なんです。私の入つてつた病院は非常に合理的で安い。一番安いところを選つたわけですが、非常に安くて本当にはつきりしておるのです。普通の、一般のお医者さんは、お医者さんによりまして違う。素人考えで行きます場合は、これは薬局さんに行つたら、薬剤師さんの技術によつて技術料というものと手数料というもの、こういう正当な評価によつて払われるお金と、お医者さんの中に含まれるお金には開きがあるように思われるので、具体的な数字については私よく存じ上げておりませんが、これは長い私どもの経験でございます。
  69. 石原幹市郎

    ○石原幹市郎君 私午前中の林さんに一言お伺いして置きたいのですが、陳述の冒頭に、自分と一心同体になつて働いてくれる薬剤師と二十年ばかり一緒にやつて来ておるということを強調されたのでありますが、この問題とあなたの御所論との間の結び付きなんか非常にあるのかどうか、その点若しありましたらお話を願いたい。
  70. 林良材

    公述人林良材君) 山本榮三郎さんのお話になりました大学病院やら大きな病院がみな医薬分業になつておる、それを認めて置いて反対するのはいかんじやないかと言われたが、そういう御議論が出るかと思つて、予防線に私は当初から薬剤師を雇うて今もその通り実行しておりますと言うておるのです。私は薬剤師調剤させるのは悪いということをちつとも言いませんので、立派な薬剤師さんが出て来たらば、医療の忙しい面を薬剤師専門にお任せするのはいいのです。いいから私は初めからやつておるのであります。大学病院がやつておるのは、やはり薬局薬剤師は独立してやつておりますけれども、院長の監督の下に職責を果しておる、強制医薬分業において医者薬剤師とをあたかも対立したもののごとくにお考えになるというところに大きな錯覚があると思つて、私は薬剤師にやらせるのだけれどもこれは代行であつて医師治療方針の貫徹をちつとも妨げないようにできるというところに意味があると思つて、私は薬剤師を雇つてつておりました。併し強制の医薬分業には反対であります、こういうふうに申上げたのであります。
  71. 山下義信

    委員長山下義信君) 他に御質疑はございませんか……。  公述人のかたには御多用中誠に有難うございました。大変有益な御意見を拝聴いたしまして感謝に堪えません。本日はこれを以て散会いたします。    午後三時三十三分散会  出席者は左の通り。    委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            井上なつゑ君            有馬 英二君    委員            石原幹市郎君            中山 壽彦君            長島 銀藏君            河崎 ナツ君            上條 愛一君            常岡 一郎君            藤森 眞治君            谷口弥三郎君            松原 一彦君   委員議員            吉川末次郎君   事務局側    常任委員会専門    員       草間 弘司君    常任委員会専門    員       多田 仁己君   公述人    町議会書記長  北村政二郎君    医     師 林  良材君    村開業薬剤師 岩下 誠二君    鉄工場支配人  森戸 重治君    農村改善協議会    会長      清水  猛君    時事新報編集局    長       内海 丁三君    朝日新聞論説記    者       野村  宣君    北海道大学教授 中谷宇吉郎君    婦人会幹事   千葉千代世君    医     師 竹内 薫兵君    薬  剤  師 山本榮三郎君    向島医師会書記 村山 榮作君