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国務大臣(
吉田茂君)
講和会議が
調印の会議になりはしないか、これはそうなるかも知れませんが、併しこの前の
講和條約、ヴェルサイユ條約のときと
違つて、
ダレス氏その他が今日まで、マツカーサー元帥もそうでありますけれども、今日まで対日
講和という問題は五年間の問題にな
つてお
つて随分いきさつ、交渉もあり、それから何年でありましたか、第一次吉田
内閣が総辞職をするときに、マツカーサー元帥はその年の、四十七年と思いますが、その年の秋頃には多分
講和ができるだろうという見通しを
言つておられたのであります。然るに国際
関係から今日まで延びて、
日本のみならずオーストリア、ドイツにおいても同じことでありますが、この五年の間に随分交渉、いきさつがあり、彼我の事情についても互いに
議論もし来たつたのであります。でありますから、又最近においては
ダレス氏もイギリまでも出かけて行き、
日本に来られて後、濠洲、ニユージーランドまでも行き、更にイギリスまで行かれるということで、難問題としておる問題について、かなりその解決に尽力されておられるのでありますから、相当難問題は解決しつつあると、又解決したものもあります。そこで
講和條約の場合にはその
講和会議において論談するというようなことは先ずないでありましようが、多少の問題はあるかも知れませんが、
調印というまでには内交渉と言いますか、会議において論談するというのでなくて、内交渉することは
日本も多少続けられると思います。実質においては
調印ということになりましようが、併し
調印の会議になるということでありましようが、主催国においても
講和條約会議で以て互いに論談をして、そうして物分かれになるということになれば、その国の面目にも
関係するでありましようから、相当の見込が付いたところで
講和会議の開催となり、
調印ということになり、実質においては
調印の会議になるだろうと思いますけれども、それまでの間の経緯は相当あると思います。それから利害の一致しない点が條約
締結後まで残るだろう、これは私残るものはたくさんあるだろうと思います。例えば
日本の
関係だけにおいても、
日本人の在外資産はどうなるか、これに対して処分済みのものもあるでありましようし、又処分未了のものもある、それに対する処置等の問題もあるでありましようし、しますからして、又
日本における外国人の所有財産というものの始末もあるでしよう。そういう問題は残ると思いますが、併しそのために再び戦争になるというような問題は一応片付いて
講和條約になるだろうと思います。
講和條約がすべての問題を解決して、あとさつぱりするということは、これはどうしてもあれだけの大きな戦争をしたあとでありますからして、多少、多少以上のものが残ることは覚悟いたさなければならないと思います。それから賠償等の問題についても、これは御
承知の
通りヴエルサイユ條約以後一九三一年頃でありますが、ドーズ・プランになり、ヤング・プランになり、三一年頃にはローザンヌの会議になり、それでもまだ解決できなかつたことなどもあ
つて、賠償問題のごときは殊にそうであります。併し
日本に巨額な賠償を払えと、いつたところが、賠償能力は我々はないと
言つておるので……、実際ないのでありますから、ないものを払えといつたところが、これは
議論になるばかりであ
つて、解決はなかなかむずかしいと思う。これも残るでありましようが、
日本としては、我々としては成るべく負担能力のある限り正常なる賠償の要求に応じますけれども、現在において賠償の余力があるか、御覧の
通りのような
状態であ
つて、回復したとか、或いは景気がいいとか申しても、昨年以来のことで、それまでは食うや食わずの有様で、
アメリカの援助によ
つて立
つて来た国に賠償能力のあるはずがないと見るのが正当なる
解釈と思いますが、にもかかわらず、相手方としては要求をいたします。この要求拒否の問題は相当に今後も続くと思います。一応
お答えします。