○小林
公述人 ただいま御紹介にあずかりました小林健治であります。
裁判所侮辱制裁法案の御
審査に
あたりまして、実務家として卑見の一端を述べます機会を与えられましたことは、非常に欣快とするところであります。ただいま実務家と申し上げましたが、私は
昭和四年五月に
司法官試補を拝命いたしまして、
東京地方裁判所等において修習いたしました。
昭和五年十二月に
判事に任ぜられ、
昭和九年二月一日まで
東京地方裁判所、次いで宇都宮
地方裁判所で民事
裁判事務を担当して参りました。
昭和九年の二月二日から
東京地方裁判所、
東京区
裁判所または
東京刑事
地方裁判所において、もつぱら刑事
事件の事務を担当して今日に及んでおります。その間
昭和十五年三月から
昭和十九年十二月までの約五箇年間予審
判事をいたしておりました。
昭和二十年一月から現在まで刑事部会議体の
裁判長をしております。従
つて私の今日申し上げます
意見は、刑事
裁判の実務家として、しかも
東京地方裁判所判事としてのごく限られたものであることをまずも
つて御了承願いたいと存じます。
まずこの
法案に対する私の
結論を申し上げますると、私は本
法案に賛成するものでありまして、その成立を心から希求するものでございます。以下その
理由を簡単に申し上げます。
ただいま
末弘先生から手きびしくわれわれの地位、素養、人格、識見等について御批判がございましたので、非常に謹聴しておつたのでありますが、期せずして私は
末弘先生とまつたく反対の
意見をここに
開陳するのやむなきことを御了承願いたいと思うのであります。
まずこの
法案の趣旨でありますが、この趣旨については、
先ほど委員長が申された通り、
裁判所の
威信を保持し、
司法の円滑なる運営をはかろということにおいて、皆様何人も御異論のないことと存ずるのであります。
次にこの
法案の必要性について二、三私の感じを申し上げますと、さきに申し上げましたように、私は
昭和九年二月から
昭和十九年十二月まで
東京地方裁判所、
東京区
裁判所、または
東京刑事
地方裁判所に陪席
判事、単独
判事または予審
判事として刑事事務の処理に当
つて参りました。その聞幾多の審判に参与、
経験したのでありますけれ
ども、当時は旧刑事訴訟法でありまして、
裁判所または
裁判官の職権的、ある意味では一方的措置が講ぜられた場合が多かつたのでありますが、それでも一件たりとも旧
裁判所構成法第百九条によ
つて体刑を命じたり、あるいは勾引したり、拘留したり罰金に処したという事例を
経験して参りません、従
つて私の
経験から申しますと、少くとも
昭和十九年十二月までは、旧
裁判所構成法第百九条の
規定は無用にあるかに見えたのであります。ところが終戦後のある種の刑事
事件の
法廷の様相は、まさに一変したと言い得るのでございます。特に
昭和二十四年一月一日、現在の刑事訴訟法が施行されまするや、
当事者主義に便乗したとも見得る事態がかなり発生しておるのでございます。敗戦に伴う民族的自暴自棄から来る道義の頽廃、ある民族による集団的反抗、あるいは思想混迷による等のことからして、悪質
犯罪の激増とともに、その審判に当
つて不当な行状に及び、
法廷はもちろん、その内外において不穏な事態を引き起しておるのでありまして、これが全国的事例については、すでに政府
委員の方あるいは
最高裁判所の職員の方から御説明があつたことと存じます。ここでは私が
経験しましたほんの一、二の事例を御
参考まで申し上げたいと存じます。その第一の事案は、ある政党の有力な幹部が指揮して、旧軍術の大豆等の主食を管理者に強要して、管理権を人民の手に移したと称して、これを多衆に分配した
事件であります。この
事件は
昭和二十一年の六月、私がその審理に当つたのでありますが、まず数十名の者が私
ども裁判官を取囲みまして
裁判は公開である、従
つて大衆の面前でやるべきである、日比谷の公会堂、または日比谷のあの大広場においてやるべし、それが公開の本質であると
言つて、執拗果敢に私
どもに数次の折衝を続けました。
法廷においては、証人に対し、
裁判長の制限に従わず、必要以上に長時間に尋問を続け、あるいは侮蔑的言辞を弄し、ときに傍聴人は被告人に呼応してその
発言を声援する等、かなりの喧騒をきわめておりました。
次に
昭和二十三年の四月に開かれました生産管理に起因する某
事件の公判においては、被告人は
裁判長たる私をわざわざ議長々々と連呼し、しかも時をきらわずしばしば
発言を要求するのであります。なかんずく最もその処置に窮しましたのは、私
どもが休憩または会議のために退廷しようとしてドアを出ようとする際に、傍聴人かあるいは被告人か確定し得ないのでありますが、資本家の御用
裁判あるいは反動
判事という罵声を私
どもの背中に浴びせるのでございます。
そのころまた、これは特殊な思想及び
政治運動をしておるかなり知名な
政治家の詐欺
事件でございましたが、執拗に保釈を要求いたしまして、この保釈が許されざる
事情については、あるのでありますが、保釈を要求いたしまして、その保釈の許されざる
理由をも
つて裁判長たる私に国賊
裁判長、かような罵声を浴びせるのであります。さらに最近におきましては、数例において被告人が検察官を指さしまして、売国奴
検事、売国奴検察官と呼号する事例があるのであります。さらに被告人が証人に対しまして、生かしてはおかぬ、ただでは帰さぬというような言辞を弄する事例もあるのでございます。特に最近におきましては勾留
理由開示の
法廷で、被告人、利害
関係人らが
裁判官、検察官に食い下りまして、ある種
政治的な
意見を露骨に表明し、また傍聴人たる同志を啓蒙するがごとき言辞を弄するのが、通常の状態とも言い得るのでございます。ここにこの種
事件あるいはその傾向のある
事件、あるいは勾留
理由開示
事件について、最近
東京地方裁判所でこれだけ取扱つたという例を
ちよつと調べて参りましたが、勾留
理由開示手続だけについて申しますと、
昭和二十五年で一
東京地方裁判所及び八王子を合せまして合計二百十五件の申請がございます。うち実際に開示手続をしたものが百三十二件、特に二十五年の十一月には五十四件の開示手続を行
つております。本年に入りましても四月までに請求が百三十四件、実際の開示五十三件を数えておるのであります。これが大体手続において今言つたような波瀾、混乱をあるいは好ましからざる事態を引起しておるのが実情なのでございます。
そこで
法廷で、訴訟指揮権という面からこの事態にいかに対応すべきかということを私
どもは
考えさせられるのでありますが、
法廷または
裁判手続を行うその他の場所における
裁判長、
裁判官の毅然たる適切なる態度は、訴訟指揮権が
法廷その他の場所において施行される公判の円満なる進行に重大なる力を持つことは申すまでもないのでございますが、この種の訴訟指揮権は御案内の通り刑事訴訟法に認められておるのでありまして、それ自体訴訟法上のものであ
つてその作用にはおのずから一定の限界がございます。道義と条理を無視し、あるいは
法廷を階級闘争の一場裡であると観念し、法と
秩序を無視し、暴力的言動をも
つて法廷を支配しようとする被告人に対しては、単なる訴訟指揮権のみをも
つてはとうてい円満なる訴訟の進行を期し得ないことは明らかであろうと思います。しかのみならず、これら被告人に呼応してこれを声援するがごとき傍聴人の存するにおいては、この訴訟指揮に挺身する
裁判長または
裁判官の労苦は、お察し願いたいと思うのであります。
かような情勢あるいは事実に面しまして、私
どもは何らかの、権力というと語弊がございますが、これをうまく運営する方法を与えていただきたいと申しますのは、これは当然の要請であると思うのであります。その点についてはすでに
法廷警察権、それから今の
裁判所侮辱制裁というものが
考えられるのではないかと存じます。この点についてはすでに
末弘先生からも
お話がございましたように、
法廷警察権については
裁判所法七十一条、同条の二、七十二条におきましては、
裁判長に退廷、退去を命じ、その他警察官を使用するというようなことを許容しております。七十三条において、
裁判長の命令に従わずしてなおかつ訴訟の進行を妨害する場合にはこれを処罰し得ることを
規定しておるのであります。前者についてわが
東京地方裁判所の実情を申しますと、通常は老齢の廷吏一人であります。
裁判長が訴訟指揮権を実施し得る
裁判所要員は一人の老齢の廷吏だけでございます。この点から行きましても——後にこの点は申し上げたいと思いますが、
裁判長の方で警察権の執行を万全ならしむる方法については、
各位の特段の御配慮をお願いしたいと存ずるのであります。
次に警察官を使用できるという点でありますが、これが現在なかなか実際には使用できておりません。と申しますのは、御案内の通りパトロール制というようなもので、予備員というものは警察署に現在おらないようであります。従
つて急遽派遣を求めましても、これに応ずるだけの力がございません。この点について私が最近
経験いたしました
事件の一例を申し上げますと、当時被告は十六人でありましたが、当時
東京地方裁判所に係属しておりました同種
事件の百三十数人の併合統一審理を要求して、各被告人は
裁判長の制止も聞かず一斉にその申立をいたしました。私
どもは会議の結果、技術的にまた
法律的に不可能のゆえをも
つてこれを却下すべく決定したのでありますが、その情勢下におきまして却下するにおいては、さらに
法廷が喧騒混乱に陷るべきことが認められましたので、私は進行について協議するために退廷いたしました。そしてその間丸の内警察署に警察官の派遣を求めたのでありますが、二十三名かの警官が到達するまでに四十五分の時間を要しております。この四十五分の間いわば
法廷が空白の状態に置かれた、十六人の年少気鋭の人たちに対して当時
法廷に配属されましたのが、
東京地方裁判所としまして動員し得る限度でありましたが、廷丁は五人でございます。五人の廷丁をも
つてしては、あの人たちに立ち向うべき何ものもございません。やむなく四十五分
法廷を真空の状態に置いたのでありますが、幸いにしてそれ以上何らの混乱も生じませんので、私もいささか責を果したような気がして、その日は
裁判の進行を続けたのでありますが、現状におきましては
法廷警察権はわれわれは完全に使用し得ないという状態にあるのであります。
次に本
法案と
英米の
裁判所の
侮辱制裁法との比較における私
どもの
考えを申し上げますと、ただいま
末弘先生、また
伊藤先生その他からも専門的に御説明があるかと思いまするが、
英米法におきます
裁判所侮辱というものは、講学上直接、間接あるいは民事、刑事というような分類がされるような非常に広汎なものであります。御案内の通り新聞雑誌すなわち出版による
侮辱についてしばしば問題を起しており、最近においては労働争議の中止命令に対する処罰について、これまた世界的論争を巻き起したことは、私
どもの耳に新たなることでありますが、直接
裁判所侮辱というものについてはか
つて異論はないのではないかと私は
考えております。この意味についてこの
制裁は、
司法の円滑な運営、
法廷の神聖を保持するに必要的不可欠の最小限度のものであると
英米においては承認しておるのではないかと存ぜられます。まさに本
法案は一読して明らかなるごとく、
法廷または
裁判官の面前及びこれと同一視すべき場所、いわゆる直接
侮辱のみをも
つて対象としておるのでありまして、すなわちこの大目的達成の最小限度のものである。この
程度のものはわれわれ
裁判官たる地位に対して与えてほしい、与えても、後に申し上げますが、その
運用いかんによ
つては十分な
効果を発揮し得るものであろうと
考えるのであります。
次に本
制裁と
裁判所法第七十三条の審判妨害罪との
関係について一言いたしたいと思います。
裁判所法第七十三条によりますと、同法第七十一条によ
つて法廷での
裁判所の職務の執行を妨げ、または不当の行状をなしたために
裁判長から退廷を命ぜられ、その他
法廷の
秩序を維持するため必要な事項を命ぜられた者あるいは必要な処置を命ぜられた者、これと同法第七十二条によ
つて法廷以外の場所においての
裁判の職務の執行を妨げたるため退去を命ぜられ、その他必要な事項または処置を命ぜられた者が、その命令に違反して
裁判所の職務の執行をさらに妨げた場合に、この七十三条の適用があるものと私は解するのであります。すなわち約言しますと、まず職務執行を妨げて不当の行状をした者に対して、
裁判所または
裁判官から退去を命ぜられ、他の作為不作為の命令を受けた者が、これに従わずして退廷しなかつた。さらにまたその命令に反して職務の執行を妨げたりした場合にのみ、この七十三条は適用あるものと私は
考えるのでありまして、その処罰に
あたりましては検察官の捜査、起訴を経て後審判すべきものでありまして、しかも刑事訴訟法第二十条第一号の趣旨から申しまして当該
裁判官はその
裁判に関与し得ないと
考えるのが至当ではないかと
考えるのであります。この対象と形式において、まさに本
法案とは非常に相違があるのでありまして、その点が一番論議されるのでございましようが、その七十三条をも
つて足るという論者に対しては、私はこの七十三条をも
つて十分でありましようかとむしろ反問したいのであります。同条によ
つては
裁判所の
威信を害する不当なる行状をした者あるいは検察官を売国奴と呼号し、証人に対してただは置かぬぞ、殺してしまうぞと
発言した者に対して七十三条はただちにも
つて適用できるかどうか、私は大きに疑いを持
つております。また野卑な
言葉をも
つて検察官、ときに被告、ときに弁護人を侮蔑する傍聴人、これに対しても右七十三条をただちにも
つて適用し得るかどうか、これまた私は疑いを持
つております。これをしも
法廷警察権だけのもとに放置してよろしいものでございましようか。私の解するところによりますと、
法廷の
威信というものは
裁判官を初めといたしまして、弁護人、証人、陪審またはすべての傍聴人を含むこの訴訟
関係者に対する暴力、脅迫、
侮辱を含めての
法廷等における
秩序紊乱、これが
裁判所侮辱であると解するのでありますが、本
法案を通読してみましても、本
法案によ
つて保護されるのは
裁判所の
威信、すなわちその
裁判関係を構成する全員の
関係において、
法廷またはこれに準ずる場所の全体的観点から
考えるべきものであると解するのであります。すなわち
裁判官に対する直接の言動はもちろん、他の
裁判所職員、検察官、弁護人、被告人、証人等の訴訟
関係人、ときに傍聴人に対する言動であ
つても、それが
法廷のために
法廷の品位を傷つけ、
法廷の神聖を害する場合は、本
法案第二条の適用ありと
考えるのでありまして、一面からいえば本
法案は
裁判官、
裁判所職員はもちろん検察官、弁護人、被告人、証人、傍聴人等その
裁判に
関係を持つすべての人々が、平穏安泰にその分を盡すことを保証するものと解せられるのでございます。そしてそれが
法廷の品位を傷つけるかどうか、職として
裁判に
経験のある、その訴訟において中立不偏冷静であるべき当該
裁判官にその判断をまかせるということは、必ずしも一方的な
制裁または
裁判になるとも
考えられないと思うのであります。この点につきまして旧
地方裁判所構成法第百九条の
規定を回想してみたいと思います。同条によりますと、第一項において「
裁判長ハ審問ヲ妨クル者又ハ不当ノ行状ヲ為ス者ヲ
法廷ヨリ退カシムルノ権ヲ有ス」第一項においては「前項ニ掲ケタル違犯者ノ行状ニ因リ之ヲ勾引シ閉廷ノトキマテ之ヲ勾留スルノ必要アリト認ムルトキ
裁判長ハ之ヲ命令スルノ権ヲ有ス閉廷ノトキ
裁判所ハ之ヲ釈放スルコトヲ命シ又ハ五月以下ノ罰金若ハ五日以内ノ勾留ニ処スルコトヲ得」と
規定し、第三項に「其ノ処為ノ軽罪若ハ重罪二該ルヘキモノナルトキハ之ニ対シテ刑事訴追ヲ為スコトヲ得」と定めてあります。右
規定は現
裁判所法第七十三条と
本案との性格を兼ね備えるものでありまして、右第二項はまさに本
法案とその趣旨において同一のものであるのであります。この意味からしまして、本
法案はまつたく新規な、独善的な、または米英の
模倣ということは言い得ないのでありまして、ある意味から言えば、
裁判所構成法への復帰とも
考えられるのでありまして、別に新しい立法であるとは私は
考えておりません。私
どもは
裁判所法第七十三条によ
つて、この
裁判所構成法百九条が削除されたことを、当時の情勢から見まして、しかあるべしとして賛意を表して参つたのでございまするが、
先ほど申し上げましたような情勢の変化は、さらにまた
裁判所構成法百九条に復帰するのやむなき必要を感ぜしめられておるのでございます。
以上が私の本
法案に対する積極的賛成
理由でありますが、以下その反対
理由の一、二に対して
考えてみたいと存じます。時間を超過しましたので簡単にいたしますが、まず第一は
裁判所法七十一条ないし七十三条との
関係でありまして、論者はこの法条をも
つて十分なりとするのでありますが、その十分ならざる
理由を詳細に申し上げる時間を持ちませんので省略いたしますが、
先ほどの一、二の解釈によ
つて御了承願いたいと思います。
さらに反対論で私
どもの一番関心を持つのは、わが刑事訴訟法の大原則たる不告不理の原則を破るのではない、か、その意味において賛成できないという御
意見があろうかと存じますが、私の解するところによりますと、この
裁判所侮辱制裁法は、一言にして言いますれば、
裁判所特に
法廷の
威信、神聖を侵害する場合における
裁判所の自救行為的性格を多分に有するものと
考えておるのでございます。しかもそれによ
つて保護さるべきものは、その
裁判における
裁判官、
裁判所職員のみならず、検察官、弁護人、被告人、傍聴人を含めての、その訴訟に
関係を有する一切の人の安泰、平穏なる訴訟行馬であることに御留意を願えれば、さらに一層この自救的行為というものが理解できるのではないかと存ずるのであります。その意味からしましても、
先ほども触れましたように、当該
裁判官にただちにも
つて制裁を与えさせるのはいかぬというような御議論も、
裁判官の
経験、冷静、不偏その他から見て、あながち
一般の
制裁と区別しても、そしりは受けないのではないかと
考えておるのであります。
次に私のこの
法案に対する感想、また覚悟を一言申し上げさせていただきたいと思います。
制裁の威力をかりまして、
裁判所の
威信を保持しようとするのは、往時の封建的思想に根ざすものである。
裁判所の
権威を確立し、
司法の円滑なる
運用をはかる道は、
裁判官にその人を得ることであ
つて、決して
制裁ではないという御
意見については、ただいま
末弘先生も述べられましたが、私
どもは深く
考えさせられるのであります。私
どもはその閲歴、素質、人格、識見において、またその訴訟指揮の技術において、
司法の尊厳を守る者として、省みて忸怩たるものがございます。ただ私
どもはこの職をつかさどるに当
つて、清廉と潔白については強い自信を持ち、清貧を楽しむだけの心構えのあることは、人後に落ちぬと確言し得るところでございます。同時にまたそれらはより高い人格によ
つて裏づけなければならないと深く信じまして、日夜その反省を怠らないものでございます。それにもかかわりませず、この
法案の成立をこいねがう
ゆえんは、まさに汚されんとする
威信を今日にして食いとめ、今日にして支持したいという念願にほかならないのでございます。私
どもはまた一方において、強い権力のもとに、陶酔、偸安、自己満足しようとするものではありません。私
どもは謙虚な心をも
つてこれを
運用したいと念じておるものであります。私
どもは、その権力が強ければ強いほど、これに対する監視、批判、そして弾劾がより強かるべきことが、
民主主義の根本的原理であると
考えております。私
どもはかりにこの権力、権能が与えられた場合、その適正な運営を常に反省し、あらゆる面からの監視、批判を喜んで受けたいと存じております。もしそれこれが濫用のそしりを受けるにおきましては、いかなる弾劾、
制裁をも甘受する覚悟でおります。同時に人格識見の高揚、訴訟技術の練磨に努め、大方の御支援によ
つて、この権力をして拔かざる博家の宝刀たらしめんと、切に願
つて心に期しておるものでございます。
なおこの点について一言させていただきますが、この権力は個人としてではなく、
裁判官としての地位に与えられておるという点でございます。私
どもは先般
各位の御配慮によ
つて、他の行政官または公務員よりも、より多額の報酬を定められました。私個人から言いますれば、他のより有能な同輩または先輩より多額の報酬を受けるということについては、内心忸怩たるものがございます。しかしながら
裁判官たる地位に与えられた報酬として、私
どもはこれを甘受いたしまして、その地位にふさわしき人格、識見、訴訟技術その他を習得したいと念願しておるのでございます。私
どもは決して個人たるその人に与えられる権能であるとは
思つておりません。まさに
裁判官たる地位に与えらるべき権能であると信じております。
最後に、私は昨年五月ある会合において、時期尚早のゆえをも
つて、この
法案の制定に反対の
意見を申し述べたことがあります。しかしその後の情勢の変化は、まさに今日ここに申し上げるような
意見にかえるのやむなきに至つたことを御了承願いたいと存じます。
以上卑見の一端を
開陳いたしたのでありますが、
一つの
参考として愼重御
審査の上に、この
法案を可決、成立せしめるにおいては、望外の仕合せと存ずる次第であります。御清聴を感謝いたします。