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1951-03-23 第10回国会 衆議院 文部委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年三月二十三日(金曜日)     午前十一時三十一分開議  出席委員    委員長 長野 長廣君    理事 岡延右エ門君 理事 佐藤 重遠君    理事 小林 信一君 理事 松本 七郎君       柏原 義則君    甲木  保君       東井三代次君    圓谷 光衞君       井出一太郎君    笹森 順造君       坂本 泰良君    渡部 義通君       浦口 鉄男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 天野 貞祐君  出席政府委員         文部政務次官  水谷  昇君         文部事務官         (大臣官房宗務         課長)     篠原 義雄君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     辻田  力君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 三月二十二日  学校給食法制定に関する請願松本一郎君外一  名紹介)(第一四八四号)  五大市における府県立高等学校移管に関する請  願(三浦寅之助紹介)(第一四八五号)  教職員の結核対策強化に関する請願苅田アサ  ノ君紹介)(第一四八六号)  同(竹山祐太郎紹介)(第一四八七号)  同(小松勇次紹介)(第一四八八号)  同(清藤唯七紹介)(第一五四〇号)  九州大学放射線従業員待遇改善に関する請願(  柳原三郎紹介)(第一五四一号) の審査を本委員会に付託された。 同日  宗教法人法案に関する陳情書  (第四三四号)  島根大学教育部浜田分校存置に関する陳情書  (第四五七  号)  職業教育法制定に関する陳情書  (第四五八号)  義務教育費全額国庫負担に関する陳情書  (第四六三号)  教育予算確立に関する陳情書外一件  (第四七三号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  宗教法人法案内閣提出第五一号)     ―――――――――――――
  2. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 これより会議を開きます。  宗教法人法案を議題とし、前会に引続いて残余の質疑を許します。渡部義通君。
  3. 渡部義通

    渡部委員 大臣に質問いたします。大臣の説明の中で、信教の自由と政教分離ということを、非常に強調されておるので、その点について若干質問します。第一に、政教分離についての大臣考え方を、まず伺います。
  4. 天野貞祐

    天野国務大臣 政教分離というのは、宗教法人法案において、宗教団体活動という面には規定をするけれども、宗教教義とかいうものに立ち入つては、何ら規定することをしない、こういう意味でございます。もとより宗教のそういう教義とか教理とかいう内容には立ち入らぬといつてみても、非常な非倫理的なものになれば、審議会認証をする場合にその点を考慮するということは、当然な話だと思いますけれども、そういう場合でない限りは、教理とかそういうものには立ち入らないという意味で、政教分離ということを言つたのであります。
  5. 渡部義通

    渡部委員 宗教内容ということの中には、やはり教義宗教活動とが伴うものである。つまり教義社会的に実践されなかつたならば――宗派によつて違うかもしれませんが、宗教としてのほんとうの意義ある活動はできないわけで、当然宗教教義内容社会的な実践というものが伴うものと考えられるのです。その社会的な実践を伴わないような宗教というものは、われわれとしては考えることができないわけなんです。そうするとやはり政教分離ということは、こういうことになるわけですか、教義教義を貫くための宗教的な諸活動に対して、政治権力が何らの干渉もしないということになるわけですか。
  6. 天野貞祐

    天野国務大臣 政治権力が何も干渉しないといつても、それが法律に触れている場合は、もちろんの話これは別のことですが、ここでは、要するにそういう活動がしやすいようにしようというのです。いかなる宗教でも、その教理があり、その教理の宣伝とかいうことは、当然あるわけなんですが、そういう教理内容には立ち入らない、その教理が神というものをどう考えようと、あるいはそれの組立てをどうしようと、そういうことは関係しない。ただそれを実践的に社会へ普及させて行つたりするのに都合のよいように、それをむしろ育成するようになろうかというわけでございます。
  7. 渡部義通

    渡部委員 政教分離ということは、そうすると具体的な内容は、信教の自由ということと直接に結びついているわけですね。そうしますと、私たちのこの法案における懸念は、宗教内容及び社会的な実践という言葉に対する政治的な統制、または干渉が行わるべきでないという原則の上から言いますと、法人を決定するような場合においても、やはり宗教的な実践、つまり社会的な活動というものが問題になるのでありまして、そういう場合に、文部大臣が最後の認証権を持つということになりますと、結局は時の政府の、あるいは時の大臣考えを中心として宗教的な実践宗教的な諸活動に対する統制がなされ得るようなものが、ここに潜在しているのではないか、こういうふうな懸念を持たれるのですが、この点はどうですか。
  8. 天野貞祐

    天野国務大臣 この法人法案というのは、物を禁止するとかどうとかいうよりも、むしろその活動をしやすくするように、宗教団体をむしろ保護するというようなことが趣意であつて、その活動をとめるとかいうようなことは、むしろ付随的なことだと思うのです。けれども、先ほども申しましたように、非常に非倫理的な内容を持ち、従つて社会に害悪を及ぼすというような考えになれば、認証しないということもあり得るわけです。そこで渡部さんの御懸念になる点は、大臣一個の主観的な考えから、あるいは当時の政治上の立場から、何か干渉するということが、現に戦時中においてあつたように、あり得るのではないかというのですが、そういうことがないために、ここに審議会というものをつくつて、その審議会によつて公平に客観的に審査をしようというわけでございます。
  9. 渡部義通

    渡部委員 そうしますと、審議会構成自体も、結局は文部大臣の任命ということになるわけですが、従つて審議会そのものが、時の政治的な色彩を帯びるような形になる憂いはないかどうか。
  10. 天野貞祐

    天野国務大臣 そういうように突き詰めれば、やはりそうなる憂いも絶対ないとは言えませんけれども、その政府当局者は、時の国民の選んだ議員によつて支持されておる政府なんですから、そういう政府考え審議会を設けてやるということになれば、それ以上のことを現在の政治組織において望むことは、できないと思うわけです。
  11. 渡部義通

    渡部委員 現在の政府が、国民ほんとう意思を代表しておるかどうかということについての議論は、ここでは申し上げません。しかし問題は、かりに大臣の言われることが承認されたとしましても、その仮定の上に立ちましても、一応大臣によつて、あるいは審議会によつて認証された法人がその活動をする場合に、いろいろな制約を受ける。たとえば裁判権が、その宗教的な活動に対して――あるいは宗教的な教義に対してさえもあり得るかもしれないが、とにかく制約を加えておる。解散條項ですが、解散の命令を出すことができるということになりますと、宗教審議会、あるいはその意思関連して、文部大臣認証した宗教団体がその活動をする場合に、裁判権によつて制約されるということになりますと、宗教活動というものは、やはり裁判によつて政治権力によつて制約される。言いかえれば、信教の自由というものが失われるという懸念が非常に強いわけなのですが、この点についての御見解はいかがですか。
  12. 天野貞祐

    天野国務大臣 今申しますように、教義というものには、政府は全然干渉しないのです。法律違反とかそういうことがあるときに、裁判権というものによつてそれが規定されるということなんであります。しかし私は、渡部委員のお考えも非常にふしぎに思うのですが、そういうどこからも拘束されない悪自由といつたようなもの、そういうものは社会にはないのであります。自由といつてみても、制限のないところに自由というものはないのであります。あなたは、何かの制限があつたらもういけないと言われる。しかしその制限というものが、できるだけ公平天あるために、国民意思を代表する国会というものがあり、国会というものによつて代表された政府があつて、その政府がやり、しかもそれを裁判という政治からは独立しておるべきものがやる。その拘束さえもあつたら、信教の自由が束縛されるというのだつたら、それは天国の自由であつて、この世の自由ではないといつてよいでありましよう。あなたのような現実論者が、私のような観念論者といわれる者に、さかさまの論を聞かされることは、はなはだふしぎにたえないところであります。
  13. 渡部義通

    渡部委員 大臣は、私の考えを理解されないから、さかさまに見られるのであつて大臣自身がさかさまの方から見でおられるから、結局そう見えるのです。それはやはり自由というものは、非自由というものとの関連において考えられる自由なのであつて一定制約があることに関連しての自由が考えられることは当然なんです。自由自体というものがあるのではなくして、やはり一定制約関係との関連においての自由があることは、だれでもわかるのです。しかしながら、その自由を制約するところのものが、一定政治的立場において制約するということになると、ここに問題が出て来る。たとえば、戦時中に行われましたように、教義にまで触れて宗教的な実践というものを弾圧して来ている。しかしながら、教義というものは、先ほど申し上げましたように、必ずその教義が実現されるということを予想しての、あるいは前提としての教義なのであつて従つて教義というものは、必ず社会的な実践というものと関連を持つていることは、明らかだと思うのです。かつて北條政権のもとで、弾圧を受けながら日蓮上人がその教義弘布して行つたということもありますが、戦時中を見ましても、天理教の中心的な教義であると思うのでありますが「泥海古記」というふうな聖典が問題になり、それから、私も読んでみましたが、日蓮上人遺文集というものが、やはり不敬罪を構成して弾圧され、それからその他教義上に対してのみいろいろな問題が起きるだけではなく、その教義が広められなければならぬという、宗教的な情熱に基く天理教や仏教の諸派の諸活動が、非常に強い弾圧を受けて来たわけであります。そしてその当時においても、やはり信教の自由ということは言われていたわけであります。言われていたが、そういうふうな弾圧を受けている。今日もまた、信教の自由というものが法文中にどのように規定されても、ある政治條件の変化のために、そういう弾圧を受けないという保障は得らないわけであります。たとえば、ここに「公共福祉を害する」ということがありますが、この公共福祉を害するという事柄についての考え方は、これはやはり政治的な意味を持つて来るのではないかと思います。  そこで、私は具体的にお聞きしますが、公共福祉を害するということが、抽象的であるならば、これは問題でないが、具体的になつた場合に、やはりここに問題が出て来るのではないか。そういう懸念を持つたので、私は信教の自由ということを非常に気にかけているわけなんですが、この点はどういうふうに解釈されますか。「公共福祉を害する」というふうなこと、それから「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」というような事柄、こういうものに対する当局者考え方いかんによつては、この法律自体が、抽象的にはどうであれ、非常に危險性を含んでいるということが言えると思います。
  14. 天野貞祐

    天野国務大臣 今渡部委員は、戦時中とか、あるいはもつと過去において、いろいろ信教の自由というものが束縛されたということを申されたのですが、今度はそういうことがないようにしようというのであります。だからして、政教分離ということを言つて、決してそういうことには拘束干渉をしないのです。憲法信教の自由といつてみても、それはやはり公共福祉を害しない限りという、そういう制限つきでいつていることは、御承知の通りであります。だからして、この法文通りにやれば、それで決して信教の自由を拘束することにはならないで、宗教団体活動を保護するということになります。しかし政府が悪ければ、そういうことはいくら言つてみてもだめじやないかといえば、どういう法律でも、政府が悪ければだめなのであります。しかしその政府というのは、国民が選んでいる政府なんですから、悪い政府が出るということを前提のもとに、どういう法律でもいかぬといえば、法律というものはできないのではないかと思います。だから私は、この法律は、そういう信教の自由を、できるだけ保護して行くという趣旨でできているもので、その趣旨はこの法律において完成できる、達成できるという考えでございます。
  15. 渡部義通

    渡部委員 いい政府、悪い政府とおつしやいますが、現在の政府がいいか悪いかどうかということは、一応別問題としまして、公共福祉ということについての考え方の中に、やはり私は重大な問題を含んでおると思います。たとえば、大臣関係されております平和問題談話会の問題でありまするが、平和を守る、平和を希求するということは、これはすべての人々の強い心の中からわき出て来る事柄であると思います。しかし、平和を守るためには、単に自分は平和を望むということだけによつて平和を守るのではなくて、やはり平和を守るためには、平和を希求している人たちにその心を伝え、その共感を高めて行つて、そして平和の動きというものを強めて行かなければ、現実としては平和が守れないわけです。大臣もそこに名を連ねておられる平和問題談話会という、あのいわば私たちが妥当穏健と世間からいわれると見ておるような人たち、私たちの尊敬している人たちの集まりにさえも、やはり若干の干渉がましいことが現実に起きているわけです。そうしますと、そういう団体といいますか、そういうグループの動きさえも、現在では公共の利益を害するというふうに考えられるから、そういうふうな動きが出て来るのではないかと考えざるを得ないわけです。そこで問題になるわけですが、この宗教の本質としては、やはりこういう問題は当然出て来る。宗教は、単に個人的な心の問題だけではなしに、仏とか神とか絶対者とか、あるいはロゴス的なものに対する個人の心だけの問題ではなくて、やはり一定教義、あるいは社会人の心及び生活の安定をかためて行く、あるいは安定をつくり出して行くということに宗教的な精神があり、宗教活動内容があるとしますと、やはり宗教の中には、平和という動きが非常に強くなつて来ると思うのです。これはキリスト教でもMRA活動が世界的に行われておりますし、あらゆる、宗教団体においても、平和運動というものが非常に強く行われておるわけなんですが、平和運動はそのように一般人たちの望むところであり、宗教団体がそれ自身性質として当然そこに行かなければならぬような問題であつても、やはり政治的な干渉を受けるような状態が来るのじやないかということが強く考えられるわけなんです。その場合に、信教の自由というものは、結局はなくなるのじやないかと思うのですが、こういうことについての考え方はどうですか。
  16. 天野貞祐

    天野国務大臣 私には渡部さんのお考えが実はよく了解できないのであつて、いくら信教の自由ということを言つても、時の政府考えによつては、信教の自由もなくなつてしまうということもあり得る。そういうことを言うなら、現在の憲法もだめだということになるのです。憲法でもつて信教の自由を保障しておいても、現実には時の政府考えによつては、信教の自由ということもなくなるから、こういう規定はいかぬというならば、法律憲法もみんないけないことになつてしまうのです。やはり信教の自由ということをここで十分力説しておくということは、私は法律としてはよいことなんだと思います。しかし、それがどこまでが信教の自由であるかということは、時の政府判断によることは、これはいたし方がないことで、神様に判断してもらうというわけには行かないのですから、人民が選び出した国会の支持を受けている政府が、これを判断するよりいたし方がない。だから、できるだけよい政府ができるように、民主主義というものができているのだと私は思うのです。だからそういう事実がある可能性は、どうしても認めざるを得ないのですが、可能性があるからこの法律が悪いとは、私は言えないだろうと思うのです。
  17. 渡部義通

    渡部委員 政府判断するからいい、あるいは政府判断する以外に道はないとおつしやるが、政府判断するところにむしろ問題があると、私たち考えざるを得ないわけなんです。それならば具体的にお聞きしますが、たとえば、今、日本では、御存じでしようが、ミツシヨン離脱運動がずいぶん起きております。同様の運動は、中国なんかでも起きておるのですが、つまり外国の、ことにアメリカからの干渉や、アメリカからの指示によつて日本宗教が行われるのじやなくて、日本人自身の手によつて日本人自身の努力につて日本人自身の力によつて宗教を高めて行こうとする運動が起きて、これがキリスト教の中では、横浜、大森、北海道なんかの教会で、すでにずつと起きているわけなんです。こういう事柄は、大臣考えによれば、公安を害するとか、逸脱的な行為であるというふうに、はつきり考えてもいいわけですか。
  18. 天野貞祐

    天野国務大臣 ものがはつきりしているときには、問題はないのですが、ものがはつきりしないときには、だれが判断するかといえば、私はやはり広い意味はで、時の政府判断する、あるいは政府でなければ裁判所とかいうものが判断をするので、それが間違つた判断をする可能性があるから、それで法律がいけないといえば、どの法律でもいけなくなつてしまうと思います。
  19. 渡部義通

    渡部委員 だから、私は具体的に申し上げたのです。それならば、時の政府である、時の文部大臣である天野文部大臣は――ミツシヨン離脱運動というものが起きておるのですが、ミツシヨン離脱運動が起きていれば、当然日本キリスト教的な活動に対して、アメリカキリスト教側は不愉快な感じを高めて行くでありましよう。高めて行くでありましようが、これは日本におけるキリスト教者の非常に強い希望から動いているわけでありまして、こういう事柄は、当然民族自立というようなものに結びついて行かざるを得ないと思うのです。こういうものが高まつ、て行きますと、やはり民族独立運動が広汎に国民の中に起きて来る。これに対して、外国は――外国というよりも、具体的に申しますと、一部の外国帝国主義者どもは、決していい感じを持つておりません。そうしますと、そういう運動がぐんぐん進んで行きますと、やはりこれは国際的な関係その他から、時の政府としては取締るというようなことが起きはしないか。もしこういう運動が取締られることになりますと、日本キリスト教者の自主的な広汎な平和運動というものが、キリスト教そのもの性質関連したこういう動きというものが、押えられることになる結果、信教の自由というものが、やはり押えられるのじやないかという懸念があるわけなんです。
  20. 天野貞祐

    天野国務大臣 非常にふしぎなように、私には思えるのですが、そういう離脱ということは自由にしておいて、その自由を保障するというのがこの法人法案なんです。
  21. 渡部義通

    渡部委員 そうしますと、今、さらに同じような運動が発展しているわけですが、それはキリスト教者平和の会というものが、御存じのようにいろいろな人たちによつてできております。このキリスト教者の会というのは、全面講和とか、再軍備反対とかいうことを目標に掲げて、今平和を守るためには、それ以外にはないのだという強い信念を持つて行われておりまして、これには、名前は申し上げませんが、有名な神学校の教授たちとか、あるいは無教会派人たちとかいうものによつて、大きな動きがこの会の中にあるわけです。こういう政治的な動きに見えるところのスローガンを、一般の大衆が掲げて鬪つている場合には、非常に弾圧されております。宗教団体宗教本来の立場として、その宗教本来の希求としてそれをやる場合には、結局政治的なスローガンであるようなものが、当面の活動目標にもなり得ることがあるわけです。そうなつて来ますと、やはりこれは、全面講和はいけない、再軍備反対はいけないという政治的な立場から判断するならば、こういう宗教的な動きも、やはり押えられる結果になりはしないか。その点についての大臣のお考えはどうですか。
  22. 天野貞祐

    天野国務大臣 一つ宗教団体が、その本来の宗教弘布とか、そういう純粋な宗教活動をするということは、何も制限は行われないのであります。それと違つて一つ政治活動をするということになると、またそこに時の政府としては、政治的活動を抑制せねばならぬということが起るかもしれません。それはいたし方がないことだと思つております。ただ宗教家がやれば、何でも宗教活動だと言うわけには行かないと思います。
  23. 渡部義通

    渡部委員 御存じのように、平和運動は全世界の運動になつておりまして、今MRAというような活動に、日本の国からもずいぶん参加しておるようですが、世界的の規模においてこういう活動がなされているわけです。それはやはり平和を守るという一つ希求を反映しておるものだと思いますが、そういう平和の守り方について、宗教家たちが、平和を守るためにはもつと具体的に守るための方法考えなければならないという立場に立つて、そして同じ平和を守るという宗教的な希求からいつても、現実にどうして守るかという問題になつて来ますと、そこにやはり全面講和とか再軍備反対とかいうことを唱えるような動きも出て来得るし、また現に出て来ているわけです。しかしそれは同じ宗教的な活動の現われ方として出て来るのでありますが、こういう場合に、私はやはり問題になるのではないかと思つているわけなんです。これは私が共産党だからそういうふうに考えているのだというのでなくて、私はもし必要ならば、共産党とかなんとかいう政党の立置などを全然考えの外に置いて、私の考え方議論を進めているのだということを知つていただいて、その上で、本質的な問題として取上げて答えていただきたいと思うのです。
  24. 天野貞祐

    天野国務大臣 私はどなたのお考えを承るときにも、この方は共産党だ、この方は自由党だということで聞いてはおりません。御意見自体に対して、私の考えを常に率直に述べておるつもりでございます。渡部さんに対しても、その通りでございます。  平和を守るということは、すべての人々希求するところで、平和に反対の人はないと思つております。しかし、いかなる方法によつて平和を守るかという点で、いろいろ考え違つて、来ると思うのです。この間まで平和論者として、自分の位置も放擲し、自分の理論も放擲し、牢にまで入つたバートランド・ラツセルが、最近は、そういう今までのようなやり方では、平和は守れぬということを言い出したのも、その一例でありまして、平和を熱願するという点においては同じでも、その守る方法においては、いろいろな考えがあり得るわけだと思うのです。渡部さんなどのお考えも、一つ考えだと思います。けれども、日本国というものを維持して行くという、実際の政治を握つている人たちは、また別の考えを持つこともあり得るわけなんです。そういうときには、いくら宗教家が唱えても、その動機がいかに純粋であろうとも、政府のやることが直接に妨害されてしまうということは、政府としては忍ぶことができない場合もあり得ると思うのです。私は現在そうなつていると言うのではありませんけれども、そういうことも考え得られる。だから純粋な気持で、純粋に宗教的な情熱から、純粋に平和を愛するから、どういうことを唱え、どういうように言つてもいいというわけには行かないと思うのです。
  25. 渡部義通

    渡部委員 そこに私は、やはり宗教に対する、あるいは信教の自由に対する政治的な干渉の危險があるというふうに見ているわけなんです。いわゆる国家の政治を担当するといいましても、時の政府が、広汎な宗教家の、あるいは広汎な人々意思をそのまま代表しているのではなくて、一つ政治的な立場というものから物事を判断して決定するのでありますから、そうしますと、こういう裁判所により宗教団体解散命令が出されるという條文がありますと、これはやはり信教の自由という、すべての宗教家か望んでおり、また大臣もそれを原則とされているようなものが、くずれて行く危險性があるという点を懸念しているわけです。ですが、これはこれ以上質問申し上げても、問答の繰返しのことになると思いますから、私はこの問題についてはこれで打切りまして、あとは他に譲ります。
  26. 笹森順造

    ○笹森委員 法律の建前の問題について、重要な点は、大臣からのお答えを伺い、その他の点は、政府委員においてお答えをいただいてけつこうであります。  初めにお尋ねしたいと思つておりますことは、当然のことのようでありますが、一応記録にもはつきりしておきたいので、お尋ねしたいと思います。それはこの宗教法人法で認証を与えられまして、法人格を備えたものに対して、いろいろと事業運営に資するために、あるいは業務を行うに資するために、あるいはまた実際の礼拝に必要な施設を保護するために、法人の能力を与える、という建前でありますから、当然そこに認められないものと認められたものとの間に、一つの便宜あるいはまた特典、こういうものが出て来ると考えるのであります。こういうことをするのが、この法律の建前のようでありますが、憲法では第二十條において、いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならないという箇條があるので、この法律憲法違反にならないのだということを、一応法理論の上から明確にしておく必要が、将来出て来ることもあろうと思いますから、これはこの憲法の二十條に違反でないのだということを、大臣が御確信でありますれば、この点を法理論的に、はつきり伺いたいと思います。
  27. 天野貞祐

    天野国務大臣 この認証制度ということなんですが、認証ということは、宗教団体というものに全然入り得ないもの――この前も議論を申しましたが、非常な非倫理性を持つたものとか、そういう宗教団体とは言い得ないものを除くということで、認証を受けるということは特権でないので、当然のことだというふうに、私は観念してよいのじやないか、これを特に特権というような言葉で言うべきではないかと思います。なお政府委員からも補足させていただきます。
  28. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御質問でございますが、憲法における信教の自由あるいは政教分離の線から申しましても、この法案憲法違反であるというふうには解釈いたしておらないのであります。なお、宗教団体と申しましても、認証によりまして、特殊な、法の上における保護恩典が規定されております。これは宗教団体なるがゆえにとともに、その宗教団体が公益法人としての一つ法人である。従つて各公益法人が受けると同様な程度に、いわゆる特権的取扱いでなくて、公益法人ととて平等な取扱いを受ける、こういう意味合いのことであります。従つて公平、平等である、特権的な取扱いでないという限りにおきまして、憲法に抵触するものではない、こういうように理解しておる次第であります。
  29. 笹森順造

    ○笹森委員 最後のことをお尋ねしておるのであります。つまりある一つの便宜を与えられるということになるのですが、宗教団体ということになるために、そのことが特権でないのだ。では何であるかということが、最後のせんじ詰めた問題になるので、それが憲法の法理論の上から、今のお答えだけでは、まだ不十分なようでありますので、先ほどの認証を与えることが何も特権でない。――特権か特権でないかということを、私は伺つておるのではないので、少くともこの法律では、そういう便宜を供与しようというのが目的なんです。しかるに憲法は、いかなる宗教団体にも特権を与えてはならない、つまり宗教団体が普通の人間とかわつた、つまり税金の免除とかいうことを受けることになることは、特権でないのだということを、もう少しはつきりおつしやつていただきたい。この点、最後の点であります。
  30. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 憲法二十條の、国からいかなる特権も受けてはならない、こう規定しております、それとの関連におきまして考察いたします場合において、ここでは、宗教団体宗教法人となり得る道が開かれておる。従つていかなる宗教団体も、平等に宗教法人となる通達あるわけであります。しかし御承知のように、民法三十三條並びに三十四條の規定から申しまして、法人格を附与するのは、一定法律が必要だ、そうして三十四條にありますように、学術、宗教、技芸ですか、かかる向きの公益法人については主務官庁の許可がいる。そうして生じましたところの民法法人であるところの財団法人あるいは社団法人等におきまして、租税その他の関係は、その公益性に免じまして恩典を与えている。ところで、この宗教法人も民法三十四條の特別法として生れて来ているわけです。ここが民法にございます。従つて、かりに税法等の恩典を附与しない、こういう場合がありますならば、同じ公益法人である宗教法人が、他の公益法人との関係におきまして取扱いを別にされまして、いわゆる不平等になる、こういう反対の現象も見受けられるのであります。従つて、他の法令と同様な、その特殊性を生かした公益法人については、免税その他の恩典を与えても、これはいわゆる特権的な取扱いだ、こういうふうには法理上解すべきではない、こういうふうに考える次第であります。
  31. 笹森順造

    ○笹森委員 私はこの憲法の表現は、従来特に特殊な宗教に対して、国家が国教的な、国の宗教的な色彩のゆえをもつて特典を与えておつたというのがいけないので、それを取除くという精神がここにあつたのではなかろうか。従つて今お話のごとく、公益法人としてほかのものが与えられておる平等なことを受けることは、これは憲法の二十條のいわゆる特権ということには抵触しないんだということを、実ははつきりお答えを願つて記録に残しておいた方が、将来問題を起さないでよろしいのではないかということを、実は考えていたのでございます。そう理解してよろしゆうございますか。
  32. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 御意見の通り、われわれも理解しております。
  33. 笹森順造

    ○笹森委員 次にお答えを願いますのは、これは多少事務的になるかもしれませんが、第十三條の一号の「宗教団体であることを証する書類」――これは取扱上、私どもの理解では、その中には、宗教団体であることを証する書類でありますから、この法に掲げられておりまする少くとも最低基準の教義とか儀式であるとか、信者の教化育成であるとか、あるいは礼拝の施設の書類であるとか、また宗教的な業務、事業であるとかいうような、こういうようなものだけは、ぜひ証明しなければならないのではなかろうかということを、ちよつと考えておるのでありますが、この宗教団体であることを証する書類は大体どういうものかということが、もしも当局の方でお示し願えるなら、この際お示し願いたいと思います。
  34. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御意見の通り、われわれも了解しおります。しかして、たとえば教派や教団に所属するところの神社、寺院、教会につきましては、これは平たい言葉で申しますならば、素性がわかつている宗教でございます。従つてかかる神社、寺院、教会につきましては、たとえば教団の証明を付するとか、あるいは宗派の方の証明を付する、この程度でよろしいかと思います。
  35. 笹森順造

    ○笹森委員 この前の質問に、篠原政府委員からのお答えで、まだ不十分だと思つておりました点に触れてもう一度お伺いしたいのですが、第二十三條の中に、新たに財産を取得する場合には、この條項では公告しなくてもよろしいということであつたのですが、これは将来相当重要な問題になると思います。そこで、この新たに取得する場合に、公告する道がどつかの規定にあつたのか。私これをずつと見ても、見当らないようでしたが、どつかにあるのか、また、どういうように公告するのか、新たに取得する場合は公告はいらないのか、この点についてお答えを願います。
  36. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この二十三條の公告につきましては、現在所有しあるいは管理するところの財産についての規定でございます。新たに取得する場合の公告はいらない、こういうふうに了解しております。新しく土地建物を買うという場合につきましては、公告は必要としない、こう了解しております。
  37. 笹森順造

    ○笹森委員 この点わかりました。  その次に、これも実際取扱上の問題となつて来ると思いますが、七十條の規定、このページで申しますならば五十六ページになりますが、その一番初めのところに「これとともに当該建物又は土地に係る同條の規定による登記を抹消しなければならない。」こういうことがありますが、これは宗教法人のものでなくなつた場合には、これは抹消するのが当然でありますが、こういうものがたびたび今後起ります。包括法人から非包括法人に所有権を委譲するという場合が起つて来ます。そのまますぐ移つて行く。そうすると、一ぺん抹消して新たにまたすべきものか。あるいはまた抹消して登記するというのは、非常にむずかしいことになるので、そのまま委譲することになるのか。その点について、取扱上のことをお答え願います。
  38. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 実質的に、たとえば第三者との関係におきまして生ずることでございますので、相手方が両者が名称を異にする場合におきましては、相手方第三者の安全のために、やはり一応所有権の移転登記がなされてから、しかる後に問題になる。たとえばこの問題は土地建物に附記登記する、附記登記でございますので、所有権が移転した場合においては、一応その所有権者が宗教法人であるならば、その附記登記も当然そのまま移行する。しかし、それが宗教法人でない場合におきまして、所有権移転の場合移転された主体が宗教法人でない場合には、この通り抹消しなければならないので、手続といたしましては、名称その他の関係で、第三者の利益保護の関係から、多くの場合は抹消し、また登記の変更をすることになるかと思います。また実態関係において、その通りに変更を来さない、ただ単に名称におきましても変更がないような場合は、所有権移転の登記だけで済むと思います。
  39. 笹森順造

    ○笹森委員 その次は、直接大臣関係のある問題でありますから、大臣からお答えを願いたいと思います。第八章に宗教法人審議会を設けることになつておりまして、第七十一條のところには、文部大臣の諮問に応ずる、そうして文部大臣に建議する、こういうことが規定されております。つまり、これは諮問機関であり、建議することを義務とするもののように心得ます。従つて大臣は、これが諮問であり建議であるから、必要に応じてはこれに従わないということがあり得るかどうか。この審議会が、大体自分の任命したものである以上、そこで十分に愼重審議した場合には、これに絶対に従わなければならぬものであるか。公的には、これは大臣が諮問機関として取上げているのであるから、従わなくてもいいということでありましようが、実際的には、これに全部従うのか、あるいはその辺の取扱い方はどうなるのか。これは今後審議会の運営について重要な問題である。また国策というものと審議会との間に、先ほども渡部委員からお話がありましたように、国策というものと、国民を付表した審議会の意見というものが合わないことが起るということも、将来予想しなければならない。従つてこの辺の関係についての大臣のお考えを、明らかにしていただきたいと思います。
  40. 天野貞祐

    天野国務大臣 これは法律上は、大臣がきめるということになつておりますけれども、実際問題としてはこの審議会のきめたことに大体において従う。しかし、もし従わぬ場合には、審議会大臣自分の意見を述べて、どこまでも審議会自分の説を了承してもらうように努めるという考えでございます。ただこうある以上、絶対にいつでも従うというふうに私がここで明言することは、法律上できないだろうと思います。
  41. 笹森順造

    ○笹森委員 特に信頼する良識能力ある大臣がおられる間は、それが信頼できると思いますが、万一大臣が同意しない場合には、あくまでも審議会にかけてやられる、この心づかいをおとりなさるというお答えは、満足すべき御発言だと思います。  同じく関係のあります問題でお尋ねしたいのですが、第七十二條の二項のところに「委員は、宗教家及び宗教に関し学識経験がある者のうちから、文部大臣が任命する」というぐあいに、しかもそれが十人以上十五人以内ということになつております。これは実際の具体問題となりますならば、世間でも相当嚴重に注意し、しかも公正を期するために、おのおの自薦があつたり、あるいは他薦があつたりして、世間的な非難が出ると思います。今日のところ、今から明言できないなら、あえてお尋ねしませんけれども、大体人数についての構想があるなら、お示し得るものならばお示しを願いたい。できないなら、できないでもけつこうでありますが、その辺のところを、この法案を通す上において、一応知つておく必要があると思いますから、お尋ねいたします。
  42. 天野貞祐

    天野国務大臣 これはできるだけ公平無私に――私は個人としては、宗教に何の関係もない人間ですから、ほんとうに虚心坦懐に、公平に選びたいと思います。あらゆる事情を考慮して、適切に選びたい。しかし、どうして選ぶかということは、今ここでまだきまつておりませんし、方法もついていませんから、お答え申し上げることは、お許し願いたいと思います。
  43. 笹森順造

    ○笹森委員 次に、七十七條のところで、事務当局の方にお尋ねしたいのですが「宗教法人審議会の議事の手続」これはわかります。「その他その運営に関し必要な事項」――これは実際にこの委員会が構成された場合に、いろいろな問題が出て来るのではないか。特にこれは何べん議論しても結論に達しなかつた問題、つまり議事の運営上に、どうしても必要なものは、宗教とは何ぞやとか、宗教団体とは何ぞやという問題が、必ずそこに出て来まして、いくら議論しても、議論が盡きないという事態が将来起りはせぬか。その他のことは、ここに大体必要事項を定めておるのですが、そこでこの場合私懸念をすることは、ある程度まで宗教団体の基準の最低線を明らかにしておくのでなければ、かえつて将来危險性を包蔵し、あるいはまた混乱を招来するのではなかろうかという心配を持つのでありますが、「その運営に関し必要な事項ということは、そういう根本問題までも、一体必要があるならば考えてやる権能があるのかどうか。このことについて、事務当局でよろしいですから、お答え願います。
  44. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 審議会それ自体としましては、判定の基準等が、現実の問題として論議されるかもしれません。この審議会として「その運営に関し必要な事項」という、事項の内規等を、ここでは予想しておらないのでございますが、たとえば庶務的な事項であるとか、あるいは会議の運び方、処理の運び方、あるいは文部省との関係における手続規定、こういつた関係のものを予想しておる次第でございます。あるいは、これが御承知のように、地方の都道府県知事と審議会との関係も出て参ります。その場合における処理の運び方であるとか、あるいはどういう調書をつくるとか、そういう実務的なものを、われわれの方では考えておる次第であります。
  45. 笹森順造

    ○笹森委員 その次には、多少憲法に触れた問題でありますから、文部大臣の御判定を伺いたいと思います。それは八十四條に関係したことでありますが、その五行目のところに「信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない。」――これはある宗教教団から希望も出ておつたことでありますが、ここに「平等」ということを明記していただく方がいいのではないかということであります。それは申し上げるまでもなく、憲法の第二十條に、信教の自由ということがありますとともに、第十四條には、信條によつて差別されてはならない、法のもとに平等たることが、やはり憲法の上で明記されております。ですから、信條の平等ということが明記されておる以上、この「平等」という文字を入れた方が、ここではかえつていいのではないか。自由ということの中に平等という意味が含まれているのだという解釈は、あまりに包括的であつて、つまり米国流の法律をつくるときの表白主義では、あまり適当しないように考えられる。そして私どもとして申しますのは、憲法の中に、信教の自由ということと、それから信條による差別がない、平等だということがはつきり出ている。しかるにもかかわらず、この宗教法人法が出ます以前には、やはりこの平等な取扱いをされてなかつたという事実を、私どもは経験しているのであります。この際に、もし信教の自由の下に、自由と平等を防げることがないというふうにはつきりと書いた方が、その辺の過去においていろいろなおもしろくないことをしたということを取除くために、いいのではないかという考えを持ちますが、これに対します大臣のお考を承りたいと思います。
  46. 天野貞祐

    天野国務大臣 御意見は、私も非常にごもつともだと思うのですが、ただ信教の自由といえば、それではあまり包括的だとおつしやいますけれども、私はやはりそこに平等という意味も含まれていると思うのです。信教の平等というと、少し言葉としていかがでございましようか。信教の自由平等というと、信教の自由は言葉としてよくわかりますが、信教の平等――それなら、もつと何か長い言葉にしませんと、言葉が熟して来ないように思うのです。ですから、私はこの信教の自由というのにそれを含めたと解釈をしてここで了解していただければ、それでいいのじやないかというふうに思います。しかし、おつしやいます。ように、以前に非常にそういうことがあつたからという御意見は、私も非常にごもつともと思いますが、自分としては、これでそう了解願つていいのではないかと考えます。
  47. 笹森順造

    ○笹森委員 ただいまの大臣の記録が残つて、それがあえて法律を修正しなくても行われて行くということであれば、私はあえてこれを固執するものではないのであります。お話のごとく信教の自由と平等とを妨げることがないというと、これは言葉では実はまずいので、やはりいかなる宗教団体に対しても、取扱い上平等でなければならぬというぐあいに表白すると、今の言葉ではそれはいかがかということは、ごもつもだと思います。そこまで今手をかけるかかけないかは、別の問題といたしまして、ただいまの大臣のお気持で、あるいはこの前法務関係の説明者の方で、この自由ということの中に、取扱いの平等が十分含まれておるのだということがはつきり記録に残り、将来そういうぐあいになるならば、ぜひそのことはしていただきたいものだと思います。  最後に、一点だけ事務当局にお尋ねをいたします。七十七ページのところにあります附則の二十六項に関する問題であります。これもすでに事務当局の方には、希望等が参つているのではなかろうかと思いますが、その最後から二行目のところに「二ノ四」というのがあります。そこに「宗教法人ガ專ラ其ノ本来ノ用ニ供スル」とあるのを、「みずからまたはその所属の宗教法人が本来の用にもつぱら供する」こういうことにしていただきたい、その次のページの第三行目も、同じく「宗教法人がみずからまたはその所属の宗教法人の本来の用にもつぱら供する」こういうぐあいにしていただきたいという希望が相当強くあり、これがまた理由もあるようであります。これは申し上げるまでもなく、包括団体が一応財産を取得して、その大きな包括団体が所属の教会等に後に財産等を分与するということは、過去においてもあり、将来もまた、その宗教を広めるという建前から、起り得ることでありますがゆえに、これをそう狭くしてしまわずに、包括するもの、あるいはその所属の宗教法人の用に供するというぐあいにした方がよいのではないか。しかし、この法律の中でそういうことをしなくても、今の趣旨が含まれるということならば、あえてこの條文を修正する必要を感じないのでありますが、この点に関しまして、取扱い上、これらの希望がこの法文のままで通るものかどうかという取扱いについて、お答えを願います。
  48. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 御意見の教宗派教団、それに包括されるところの神社、寺院、教会との関係におきまして、この條文をどういうふうに読むかという御質問に対しましては、御疑念の点は全然ございません。笹森委員のおつしやる通り、両者に適用になる。実際の場合におきましても、神社、寺院、教会に適用になるとともに、包括教団である教宗派教団が所有権を持つておる場合につきましても、同じようにそれが宗教法人の用に供される限りにおいて適用されるというので、御疑問の点は全然ないかと、われわれは考えております。
  49. 笹森順造

    ○笹森委員 以上をもつて私の質問を終ります。
  50. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 私は八十一條と八十六條の「公共福祉」という言葉について、はつきりしたいために、その前提として大臣にお伺いいたしたいのは、宗教法人法は、憲法規定されておる信教の自由ということには全然触れずに、信教の自由が外形的に現われた場合において、それをこの法律の対象にして、今までいろいろ信教の自由についての判断が、この法律によつて、あるいは審議会なり、あるいは文部大臣なり、それから公共福祉――この公共福祉信教の自由そのものに対して関係しはしないかという懸念もあつたのですが、私の考えるところでは、憲法上の信教の自由には全然触れずに、その信教の自由が外形に現われた礼拝堂とか、財産の問題、あるいは僧侶とか教講師の行動の問題、そういう点に関するものである。結論を申しますと、信教の自由には全然触れずに、具体的現実についての問題である、こういうふうに了承していいかどうか、その点をひとつお伺いしたい。
  51. 天野貞祐

    天野国務大臣 その通り私は考えて、それを政教分離という言葉で言つておるわけです。
  52. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そう考えますと、この八十一條と八十六條の公共福祉は、信教の自由をたてにとつて外形に現われたものを、信教の自由だということでやつてはいけない。いかなる宗教であつても、外形に現われた行為が、たとえば公の秩序に反するような行為があるならば、それをいけないといつて裁判所は解散を命令するとか、そういうことが八十六條の公共福祉の解釈についてなされるのではないか、そういうふうに考えるのですが、その点はいかがですか。
  53. 天野貞祐

    天野国務大臣 その通り考えます。
  54. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そこで第一に疑問になりますのは、宗教行政の問題ですが、戦争前の宗教行政は、信教の自由と、今申します外形に現われた行為、この二つを行政の面に入れて行つて来たと思うのですが、現在の新憲法のもとにおいては、あくまでも国民信教の自由というのは、これは全然別個でありまして、この宗教行政の及ぶ範囲は、その宗教を行うにあたつて、外形に現われたそのものに対する行政に限つてやるべきものであるか、その点をお伺いしたい。
  55. 天野貞祐

    天野国務大臣 そう考えております。
  56. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そうしますと、この法律で一番問題となりますのは、財産の免税の問題でありますが、これは公聽会においては、数千の宗教ができておるということであります。その宗教団体が、あるいは莫大なる財産、建物その他の財産を持つておる。ある宗教はほとんど皆無のような財産しか持たない。それをそのまま現実に認めてやりますと、いわゆる財産によつて信教の自由にハンデイキヤツプがつくようにも考えられるのですが、認証にあたりまして、財産の範囲を――第三條に財産の範囲は規定してあります。この第三條第一号に本殿、拝殿、本堂、いろいろ書いてありますが、これ無制限に認めますならば、脱税の一つの対象になるのではないか。ことに本殿、拝殿などはそうでありますが、境内を離れてある教職舎、それから最後の方に「前條に規定する目的のために供される建物及び工作物(附属の建物及び工作物を含む。)」と書いてありますから、第二條に規定する目的のために供される建物及び工作物、それから附属の建物、工作物も入るということになると、その教派によつては非常に莫大なものになり、それが免税の対象になるわけでありまするが、その点について、この法律が通過いたしますと、ただちに認証の問題が起きるのであります。現在のこの状態において、それを認証されるつもりであるかどうか、その範囲について考えがあるかどうか、その点を承つておきたい。
  57. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 境内地、境内建物の範囲につきましては、認証それ自体とは直接関係を持つておりません。従つて三條で境内地及び境内建物を、一応宗教上の角度から申しまして、かかる土地、建物が本来宗教団体の用に供されている場合には、歴史的、由緒的な観点、あるいは実際の宗教活動の必要性から、この範囲が境内地であり、また境内建物であろう、こういうふうな角度の上に立つて、その後における財産処分であるとか、あるいは工事方法等につきまして、一応の限定をしている趣旨でございます。従つて、租税その他の関係におきましては、税務当局の判定がこれに加わるわけであります。従つて、現在租税の面における免税等がございます場合、これは現実の問題として、やり直しをするということはないと心得ております。
  58. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 なお、大臣にもう一つお聞きしておきたいのは、先ほど笹森委員の聞かれました七十二條の二項の委員の点でございます。これを見ますると、「宗教家及び宗教に関し学識経験がある者」、こういうふうに書いてあるものですから、やはりこの委員会においては、信教の自由の点までも考えてやるのではないかというおそれもある。もしそうでなくて、ことにこの外形に現われた、いわゆる宗教財産を主体としたところの宗教法人法であるならば、この宗教法人審議会の委員も、宗教家並びに宗教に関する学識経験者だけでは、私はこれは不十分ではないかと思う。やはりこの宗教財産というのは、全国的に考えますると、莫大なものであると思いますから、具体的に外形に現われたものが宗教法人の目的であり、宗教法人の本質は信教の自由でなくて、信教の自由を発現するためと申しますか、実行するための基盤であるところの財産関係、それが主体である。また信教の自由を実現するための、いわゆる僧侶とか、あるいは教講師とかいうような人的の外形的の要素、こういうふうに考えますならば、この委員は、宗教のみに限つたのでは非常に不十分でないか。ことに財産関係その他において、委員がこの顔ぶれであるならば、宗教法人の財産のみを保護するに汲々として、一般国家的の立場からの財産の処置について誤るのではないかという懸念もあるのでございますが、その点についての御見解を承りたい。
  59. 天野貞祐

    天野国務大臣 その点は、いかにもおつしやることが、私はごもつともだと思います。ただ、それですから私は、この宗教に関する学識経験者というのを、非常な広い意味にとつてはどうかと思うのです。そうかといつて、財政のことには明るいけれども、宗教というものに対して何もセンスがない、と言うと、少し極端かもしれませんが、理解のない方では、またこれもいけないという点はないでしようか。だから、これを広くとつて宗教家とかいうものばかりでないことはもちろんのこと、宗教学者とかいうのではなくて、宗教に関心を持ち、理解のある、しかも財政的な知識を持たれた方、そういう見地で選べば、この文言でもよいのではないかと、私は理解しておりますが、いかがでございましようか。
  60. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 もちろん、広い意味に解していただけば、けつこうですが、ただわれわれがおそれるのは、米価審議会なんかは、これは生産者の立場、消費者の立場、それから学識経験者、いわゆる中立の立場という点をとつてありまするが、いろいろ委員会並びにこれに類する社会保障の問題なんかについては、その方面の大家だけが集まりますと、やはりひいきの引倒しになつて、かえつて弊害を招くというような関係もあると思います。公聽会の意見にもありましたように、宗教法人法ができるというので、何千倍というふうに申請がふえて来たというのは、これは真に信教の自由に基く、国民のりつぱな宗教を育てるという意味ではなくて、この法人法ができて、これによつて財産は保護される、免税の対象になる。それをやらんがためで、ここ一、二箇月のうちに、何千倍というものがふえて来たというのは、やはり財産を目的としている。国民信教ほんとうの自由を育てる基盤とするというこの法の目的に反する現象が、今まさにこの法の通過を目標として、客観的にこういうふうに現われて来ておる。そういう点から考えますると、財産的措置の問題については、やはり一般的のものも特に必要じやないかと私は思うのであります。その点も、学識経験というのを広い意味に解していただけば、異論はないと思います。その点については、この中に特に入れる必要もないですが、その広い意味ということを公文書に残して、これはひとつぜひとも実行しなければならないと思うのであります。  大臣に対する質問はこれで終ります。
  61. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 それではこの程度にいたしまして、午後は二時から続開いたします。     午後零時五十二分休憩      ――――◇―――――     午後二時五十六分開議
  62. 長野長廣

    ○長野委員長 休憩前に引続き会議を続行いたします。  宗教法人法案を議題とし、午前に引続いて残余の質疑を許します。
  63. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 第一條と第六條の関係についてお伺いしたいのですが、第一條の「業務及び事業を運営することに資するため宗教団体法律上の能力を与えることを目的とする」――これによりますと、宗教団体に対して法律上の能力を与えるのは、この宗教団体が財産上に関する業務及び事業を運営する、この二つに限られるかどうか、この点をお伺いしたい。
  64. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ここで「法律上の能力」と申しますのは、端的に申しますれば、法人格を附与するというところにねらいがありまして、従つて「業務及び事業」というのは、その実体的内容を指称してここで掲げた次第でございます。この内容としますところは、もつぱら世俗の面、いわゆる目に見える面の事業及び業務といつたような点をとらえたいというのがこの法案の主たる目的でございますが、しかしながら御承知のように、宗教団体の事業、業務と申しますと、おのずから宗教団体の色彩を受ける。宗教活動あるいは宗教の行事等のために、かかる事業や業務が営まれる関係上、事業、業務がその色彩を受けるということは当然でございまして、その限りにおきますところの事業でございますので、従つて間接ながら目的とも関係する次第でございます。従つてここでは、端的に申しますれば、世俗の面における事業及び事務、こういつたものを主眼点としておる次第でございます。
  65. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そういたしますと、この第六條の「公益事業を行うことができる。」しかしその第二項に、「その目的に反しない限り、公益事業以外の事業を行つたことができる。」――これはいわゆる私益事業でございます。この私益事業はいかなるものであるか、それを承りたいと思います。
  66. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 御承知のように、宗教法人が民法三十四條に基きます特別法人としてできます関係上、宗教法人も一種の公益法人考えられて来たのが、従来の関係でございます。従つて、ここで公益事業以外の事業と申しますのも、かかる公益法人として営むところの事業にふさわしい面ということが、その本来の性質からかぶつておる次第でございます。従つて営利を本位にするような事業、こういうものは、ここでは避けたいというような意図のもとに規定されておる次第でございまして、たとえば一つの例をとりますならば、たとい形式上営利事業的形態をとりますところの出版印刷にいたしましても、それがもつぱら営利目的のために営まれないで、いわゆるその宗教法人教義の宣布、あるいは教化育成のために必要な印刷物を出版する、こういつた種類の事業をここでは想予しておる次第でございます。
  67. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そういたしますと、非常に限定されるようですが、この第六條の第二項の解釈から参りますと、これは目的に反しない限り純然たる営利事業をやつてさしつかえないというのは、たとえば文房具屋をやつてもよろしいし、あるいは旅館営業もやつてよろしい、あるいは飲食店をやつてもよろしいというふうに、この第二項の解釈によつてはできるわけなんです。この「目的に反しない限り」というように、ここに制約があるのですが、この「目的に反しない限り」という制約を、どういう程度に考えておるのか、その点の御見解を承りたいと思います。
  68. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 宗教法人法は、第二條で宗教団体という一応の定義をいたしまして、そうして第四條におきまして、この宗教団体はこの法律によつて法人となる。従つて実体的には宗教団体がその基盤にあるのでございます。従つて、これを一般的な角度から申すならば、公益法人としての活動にふさわしいかかる事業があろうかと思います。その事業から収益が上る場合に、その収益の使途に関しまして、この第六條第二項におきまして、一応宗教法人並びにそれと直接関係のあるような宗教法人または公益事業にその収益を使用してほしい、こういう趣旨のもとに立法されておる次第でございます。
  69. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 私がこの営利事業に対して非常に危惧の念を持つておるのは、飲食店、あるいは旅館営業をやる。そうすると、これが風俗を乱すような関係に発展して行く。そこで予想されるのは、午前中質問いたしました、公共福祉に反した行為というので、裁判所の解散命令もあり、それから罰則の規定もあろうと思うのでありますが、往々法律の発展というものは、主たる目的をはずれて、そうして他の営利的あるいは俗悪的な目的に進むという点が、非常に懸念されるわけです。ことに公益法人については、その点が特に懸念されると思うのであります。ですから「目的に反しない限り」というのは、午前中文部大臣の御答弁で、委員については学識経験者を広く解すると言われたのと、非常に関連的になるのでありますが、宗教法人がいろいろその趣旨に反することをやつて、そうして裁判所の命令なり罰則を受けるときは、もうすでにその行為が終つたときである。風俗を害するようなことが過ぎ去つたあとで、その行為が行われるということが、非常に多いわけなんです。ですから、第六條第二項で、営利事業、いわゆる私益事業を許すというのは、宗教法人趣旨に反するように考えられるのでありますが、その点と、それからこの「目的に反しない限り」というのは、嚴格に解する意味か、あるいは一般の、たとえば会社の目的に反しない限りというふうに、広く解する意味か。その点についての見解を、ここではつきりしておきたいと思います。
  70. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この「目的に反しない限り」とは、われわれ立案の意思といたしましては嚴格に解する、いわゆる法規上の関係から解したいと考えております。
  71. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 今の点は、大体これで了解できました。あとにもちよつと関連いたしますが、もう一点だけお聞きしておきたいのは、第二項の私益事業をやる場合において、その目的に供するところの財産関係、これに対する免税関係の措置、これが全然除外されるのであるか。もちろん八十四條の趣旨から行けば、除外されるように考えられますけれども、はつきり除外されて、これは免税の措置を受けるのか、または一般私益事業としてやる以上は、税金の対象になるのか、その点をもう一点はつきりしておきたいと思います。
  72. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 いわゆる収益を伴う事業にありましては、法人税法その他の税法の関係から、一般の公益法人と同様に、そこから上りますところの収益については、その三〇%と心得ておりますが、これだけ控除した残りの額について租税の対象になるというふうに考えております。しかして公益事業に要する土地等につきましては、やはり租税法あるいは地方税法等の関係から、社会事業とか、あるいは生活保護法に基く事業、あるいはその他医薬、施療、病院等の経営につきましては、その方面からの税の恩典にあずかつておる次第でございます。
  73. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 それからもう一点だけはつきりしておきたいのは、第三條の第一項第一号の「附属の建物及び工作物を含む」というので、今申された病院とか、営利事業に使う建物、土地なんかが、ここに包含されて免税の対象になる危險性が、非常にあると思うのでありますが、この第一号の範囲に入らないということになるかどうか、その点お聞きいたしたいと思います。
  74. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 たとえば病院とか、あるいは一般の児童福祉に関する保護施設であるとか、あるいは生活福祉に関するところの施設であるとか、こういうものは、政府の方のあるいは都道府県の方の許可あるいは認可を受けなければ、その事業を営み得ないことになつております。従つて、そちらの方の制約を受ける。そうしてそれ以外の、たとえば小さい託兒所とか授産場に近いような事業は、当然教化の面から考えられますので、そういう面の施設も考えられる。これはここでいうその目的のために供される建物、こういうことで、直接教化宣伝の用に供される限りにおきます施設とし七考慮される。そうしてここで「工作物」と申しますのは、たとえば生けがきだとか、玉がきだとか、へいだとか、あるいは石段だとか、そういうものを一応工作物として考えておる次第であります。
  75. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 第二條の規定はあとに関係しますが、第三條の関係の今の第一項第四号ですが、神饌田、仏供田、これが儀式行事を行うために用いられる土地として、その中に包含されておるようですが、この神饌田、仏供田の範囲が、やはりこれも儀式行事を行うためにするといつて、何町歩も、あるいは何十町歩も含まれないとも限らないのです。そうする場合において、第一は、免税関係はこれの対象になるかどうか。第二は、現在行われておるところの供出関係はどうなるか、その点についての御見解を承つておきたいと思います。
  76. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 神饌田、仏供田等につきましては、その当該社寺のお供えに必要な穀類等を生産する田であります。従つて、その当該社寺の格式によりまして広狭がございます。しかしながら、非常に厖大なものを神饌田、仏供田としておる実例は、現在においてはございませんので、それに必要な限度における田なり畑でございます。これは御承知の通り、神饌田なり仏供田は、祭札をし、毎年一定の時期におきまして五穀豊穣を祈る儀式とか、あるいは田殖えの儀式とか種々ありまして、従つて、ここで宗教上の行事をやつているのが、多くの例でございます。これは厖大な土地を予想するということでなく、当該社寺に応じた田畑をここでは予想しておりますし、また現実にも、そういうことになつております。従つて供出の関係につきましては、私実例をよく承知しておりませんですが、一応一般の例にならつておるのじやないか、こういうふうに心得ております。
  77. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 今の点は、大体それで了解いたしました。  次にお伺いいしたいのは、罰則の点です。これは八十八條と八十九條と二箇條になつておりますが、いずれも一万円以下の過料になつておるわけです。この一万円以下の過料にするという根拠を、どこに求められたか。また一万円以下でよろしいかどうかという、その根拠を承りたい。
  78. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この宗教法人も、一つの公益法人として存在しておるのでございまして、他の例によりまして、この金額を定めた次第でございます。なお過去の例を申し上げますならば、二百円以下と心得ておりますが、そういうのが過去の例でございます。それを五十倍にするというので、他の公益法人の例にならいまして、ここに一万円以下の過料、こういうふうにした次第でございます。
  79. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 二百円以下というのは、これは民法の法人の罰則だと思うのですが、これだけでは、私はこの立法の趣旨に対して少し足らないのじやないかと思う。というのは、学校教育法の罰則を見ますと、六箇月以下の禁錮になつておるわけであります。宗教法人も、やはり学校法人と同じ公法人じやないかと思うのです。そういう学校教育法の罰則の関係を考慮されたかどうか、その点を伺いたい。
  80. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御質問は、ごもつともな御質問でございまして、われわれもその点十分考慮して定めた次第でございます。もともと宗教法人は、御承知のように、宗教団体から生れておる法人関係で、しかも長年の経験、あるいは今までの法令の取扱い上、過料以上の罰金等につきましては、定めをなるべく避けて来たという長い伝統がございます。宗教団体に対し、過料程度でもつて適当ではないかということを考慮し、その観点からここで一万円以下の過料ということだけに限定した次第でございます。
  81. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 しかしこの法律趣旨は、午前中も質問しましたように、信教の自由は別にして、外形上に現われた、ことに財産関係を基盤にしておる。ですから、これはもう少しつつ込んで考えなければならぬと思う。というのは、現在数千の宗教団体としての届出が出ておるという点から考えまして、また学校教育法の関係から考えまして、一方、学校教育法において六箇月以上の禁錮を認めながら、これまでの伝統があつたからというので、単に一万円以下の過料。これは刑罰じやないのです。     〔委員長退席、岡(延)委員長代理着席〕 この過料にするというのは、ただずつと昔にできた民法の罰則のみを参考にされて、現在新しくできるところの、こういう公法人その他に対するところの罰則を全然考えておられなかつたんじやないかと思う。もちろん公団なんかについては、六年以下の懲役ということがある。しかし公団なんかというのは、統制違反とか、そういう経済的目的が主ですから、これは別といたしましても、学校教育法においてすでに六箇月以下の禁錮というのがあるし、また三千円以下の罰金ということがある。学校教育法には刑罰が規定されておる。この宗教法人法では、単なる行政罰たる過料である。これは現在の法体系としていい悪いは、この次に伺いますが、この宗教法人法の罰則としては、現在の法体系から考えて、少しその根拠を誤つているんじやないかと思う。その点については、どう考えるか。
  82. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 今の御質問ですが、われわれ同じく文部省におりますので、私立学校法あたりを十分に検討し、そのいいところは、御承知のようにこの法文のうちにも多少採用しておる次第でございます。罰則につきましても、十分その点を考慮し、なお他の法令に関連して、この類型的なものを探し求めて、そうしてバランスをとつてここに定めた次第でございます。先ほど申しますような理由とともに、御承知のように、これを強くいたしますると、宗教団体側の代表役員あるいは責任役員等につきまして、いわゆるその理事者が、法律に非常に、何と申しますか暗いのでございます。たまたまいろんな手続に手違いを生ずるというようなことも必ずしもなきにしもあらずでございます。かかる点を予想しまして、宗教団体の特性といつたものを、一面におきまして考慮した上において、この程度ならば相互の関係からバランスがとれているのじやないか、こういうことで定めた次第でございます。
  83. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 しかしその関係は、非常に私は足らないじやないかと思う。というのは、学校法人というのは、これは教育とそれから教育のための財産の維持というこの二つの面から携わつておる。しかしながら、宗教法人法は、信教の自由というのは全然別個にして、その信教の自由の基盤であるところの財産関係についてのことが主体になつておると思う。その基盤になつておるところの財産関係についての代表者その他、が単に法律に暗いからといつてやるのでは、これはちよつと社会的に反するのじやないか。ということは、むしろこの罰則が軽いから、この法律を濫用し悪用して、そうして、なに一万円の過料であるからどんどんやれというふうにも考えられる。しかし、それは法律の、これは応報的であるか、あるいは教育刑的であるかという点で見解は違います。われわれとしても、刑罰は応報でなくて、これはやはり教育でなければならぬ、誤つたものでも、それを改めなければならないという見解は、理論としては堅持しておるのでありますけれども、単に過料だけということにすると、この法律の第二條、第三條を濫用しまして、脱税の対象にする、あるいは供出を免れる対象にするという関係が生じて来ると思うのであります。しかも、学校教育法において刑罰をもつて臨んでおるのにこの宗教法人法において、単なる行政罰をもつて臨むというのは、文部大臣は今帰られましたが、文部当局において、この法律を制定される場合にあたつて、はたして一貫した思想があるかどうか、その点を疑うのであります。ですから、学校教育法の罰則が、これはいけないというので、これを過料に改めるつもりでこの法律を制定されたのか、あるいはもしもそれがわからなくて、ここで気づいたならば、この過料のみではいけないから、この罰則をさらに強化して変更する意思があるかどうか、それともこれはこのままにして、文部当局がことにこの強化についての学校教育について、こういう罰則を将来なくする努力をする、こういう前提のもとに、この本條の罰則を過料をもつて満足するかどうか、その点についてのはつきりした御見解を承りたいと思います。
  84. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この過料につきましては、先ほど申し上げましたように、本省といたしましても、十分審議をしたことでございます。なおこれ以上の額、あるいは刑法上の罰則、こういうこともわれわれは研究いたしました。しかしながら、完教団体というものが法人になるという実体的な関係から考えますことと、それとともにその特殊性ということと、かつまたこの法律自体につきましては、宗教団体の要望に沿うよう、十分熟議、協議して定めたわけでございます。そうして過去における例をも研究いたしまして、その罰則適用の例が、これに相応する宗教関係のかつて団体法、あるいは現行の宗教法人令、これには現在までのところ罰則の適用があつたことはないのでございます。従つてこれは、宗教団体がおのずから精神団体であるという点も、その実例が示しておるのであります。単にここではこの程度の、よくよくの場合を考慮して規定したというのでありまして、文部省としてこの程度で十分であろうということで定めた次第ございます。
  85. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 その点はどうもはつきりしないのですが、しかしこの八十八條第九号によると「第七十九條第一項の規定による事業の停止の命令に違反して事業を行つたとき」とあるが、この「事業の停止の命令に違反して事業を行つた」というのは、先ほどから私が問題にしました営利事業、収益事業について、命令で停止をやつた場合もあると思うのです。そういうような場合において、単なる今までの精神的な宗教団体という名のもとにおいて、単なる過料にするということは、これはどうかと思うのです。そうしてこの教育問題について、学校教育法のことなんかも参考にしたかどうか、その点をまずお伺いしたい。
  86. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 先ほど申しますように、われわれは私立学校法関係の罰則の関係を十分考慮して、その上でこういうふうに定めた次第であります。
  87. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 そうしますと、私立学校法、ことに学校教育法は、宗教以上の精神的のものであり、国民の教化のものであるということに本員は考えるのでありますが、文部省としては、宗教は教育以上のものであつて、過料でいい、学校教育法の六箇月以下の禁錮ということを考慮して、これはあたりまえだと思つて宗教というのは精神団体であるから、特別のものである。だから過料にした、そういうふうに承知していいかどうか。
  88. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 われわれは教育の面の関係も、非常に重要でございますし、また宗教の面についても同様でございますので、どちらを高下にするという趣旨から、この罰則が考えられたのではないのでございます。御承知の通り宗教団体の役員たるものは、ここで掲げますような種類のものは、社会奉仕を主としております。従つて宗教団体の実情を見ます場合におきまして、かかる代表役員あるいは代務者に就任するもの、そういつたものに予想されているものは、財産的には――法人としては特定の境内地、境内建物等を所有し、法人としての財産はあるかもしれませんが、もともとそれに任命されるものは、ほとんど法人的な役割をもつて存在しているのであつて、俸給等もほとんどないような実情でございます。かたがた一般宗教界の実情から考えます場合におきましては、ここで一万円以下の過料ということだけでも、その与える印象は非常に強いのでございます。これは宗教界をごらんになりますと、一部のものにつきましては、先生のおつしやるようなおそれもなきにしもあらずでございますが、一般的にかかる過料を持つという規定それ自体でも、宗教団体ではさびしい思いをしているくらいでありまして、実感的に宗教界のお気持を考えますれば、この程度が最もふさわしい。学校教育との関係におきまして、それよりもこれを重んずる、あるいは低いとか高いとかいう気持でなく、実際の宗教界の現状等を考慮した上において、この規定ができているということを御了承願いたい。
  89. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 その趣旨はわかりますが、しかしこの法律は、信教の自由は全然列外に置いて、その基盤であるところの財産関係が基礎になつているわけであります。しかも現在の宗教界を見ると、ある宗教においては莫大なる財産を所有している。この財産関係を、単に宗教人だからといつて無視することはできないと思う。またこの莫大なる財産を持つているところの宗教団体が、強力なる事務所を持つて、財政的にもあるいは法律的にも、会社その他より以上の強固なるものを持つているものがある。だから、私は単なる教化的の任務に当る人がその責任に当るから、これだけでも脅成だということは、当らないと思う。そういう意味で言うならば、学校教育なんかの方は、教授を主としてその運営にも当らなければならないから、もつと無知であるかもわからない。だからこの学校教育法の刑罰をそのままでいいと考えて、単に宗教法人について過料にするというのは、これはまだ文部省の研究も足らないし、浅薄じやないかと思うのであります。もちろんその基本的方針が、刑罰を教育的に考えてやるという方面で軽くするという意味ならば、こちらも承服できるけれども、今までの関係、あるいは学校教育法も考慮した上でこれを決定したということになれば、われわれとしては、これは承服できないわけです。今までの宗教関係で罰則があつたかなかつたか。私は、ほとんど宗教関係の法令というものは、なかつたと思うのであります。だから、この法案制定にあたつては、単に民法の法人の罰則を参酌して、この民法の制定当時二百円であつたから、今の貨幣価値からして一万円ぐらいにすればいいだろうくらいの簡単な考えでこれをやつたのではないかというふうにも推測される。ですから、過了だけだということになれば、逆に宗教法人はこれを濫用して、この九項目あるいは八十九條の濫用に陷るおそれが、多分にありはしないかということを、私は憂えるわけです。ですから、この過料にされた根拠を詳しくお聞きするわけですが、今までのような御答弁で行かれるならば、もつとこれを強化されて、他の学校教育法なんかの方でバランスオーバーでやられる気持があるが、あるいはこの法案を基礎にして、他の教化団体に対する、ことに学校教育法に対するところの罰則を過料に改める熱意を持つておられるかどうか、その点を最後にお聞きしたい。
  90. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 先ほど来御質問でありますが、われわれといたしましては、最近に出ました私立学校法などを標準にしておるわけであります。私立学校法の学校法人といたしましても、その罰則の規定につきましては、一万円以下の過料とし、いわゆる刑法的な罰則の規定はございません。教育の面につきましても、私立学校法による学校法人につきましては、宗教法人の過料の程度と同じような程度において規定しておる次第でございます。従つて、他の法令につきまして参照いたしました私立学校法の学校法人につきましてと同様な取扱いで、むしろ宗教法人としては他の法令並に扱うことを公平とするという関係から、同じような規定で定めた次第でございます。
  91. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 私立学校法は、一万円以下の過料というのは、私初めて知つたのですが、そうすると、この学校教育法との関係をどういうふうに考えておられるか、その点を最後にお聞きしたい。
  92. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 学校教育法との関係につきまして、ことに学校法人をつくる場合におきましては、御承知のように私立学校法が基礎になるわけでございます。多くの学校法人と申しますのは、この規定において設立認可を受けるわけだろうと思います。従つてわれわれといたしましては、この一般の公益法人であるところの私立学校法に基く学校法人と同一な歩調をとることがふさわしいのではないか、こういう趣旨規定した次第でございます。
  93. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 学校法人法は、その届出とか何とかの規定であつて、学校教育法の罰則の八十九條というのは、十三條によつて閉鎖を命ぜられた場合に、それに従わなかつたような場合ですから、私立学校法ができても、学校教育法の適用はあるわけです。ですから、この宗教法人法の罰則の第九号の事業の停止の命令に違反しなんというのは、閉鎖に違反したのと同じことになります。そういうことを考えると、今あなたの答弁の、私立学校法においての届出その他の違反についての一万円以下の過料と、この宗教法人法の一万円以下の過料とを、同視するわけには行かないと思う。それは言いのがれじやないですか。八十八條というのは、事業の停止を命令して、それに違反した場合には一万円以下の過料だ。私立学校法の方は、届出なんかの点については過料だけれども、閉鎖を命じた場合に、それに違反したときは、やはり十三條違反で六箇月以下の禁錮になる。ですから、今のあなたの答弁は当らないと思う。だから、学校教育法に規定してあるような内容が、この宗教法人法の罰則にあるのですか。同じような内容であつて一万円以下の過料にすることがいかぬじやないかということを、私は聞いておるのです。
  94. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 私はただいまの罰則の八十八番中、事業の停止命令に違反するということだけに限定しての御質問だと了解しなかつたものですから、失礼申し上げましたが、それ以外の記載、登記その他届出、公告等の手続上の問題は、大体におきまして私立学校法の学校法人と同様な取扱いをしておるわけであります。そうしてこの事業の停止命令の違反に関する規定でございますが、これは御承知のように、本来宗教法人は公益法人であり、かつまた公益事業等を主たる事業としておるだろうということを予想されますので、従つてそれに違反するような場合というものを、われわれといたしましては、ほとんど実例はないが、またかかる規定をすること自体、たとえば一万円以下の過料に処すという規定があることによつて宗教団体の自覚を促したい。先生のおつしやるような、教育目的的見地で、この過料の規定ができておりますので、宗教団体に反省を求めるという趣旨から考えまして、この程度でよろしいのではないかという趣旨で、先ほど先生のおつしやいました一万円以下の過料ということも、ここに掲げた次第でございます。先ほど申しました手続等に関することと考えたわけでありますから、私立学校法のことを申し上げましたが、これも十分参酌し、かつまたその中にこの規定を教育的な目的の意味合いにおきまして挿入した次第でございます。
  95. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 私立学校なんかは、単に夜間の生徒にパンをやるとかなんとかで食堂を経営するくらいのもので、ほとんど営利事業を経営していない。ところがこの宗教法人というものは、この宗教法人法が通過しますと、これによつて何でもできるというのでやるのです。それをおそれるわけです。その見地に立つたならば、この学校教育法の刑罰の規定と、この宗教法人法の単なる行政罰との関係においては、同じ文部省が起案した法案について非常な矛盾がある。その点を認めたか認めないか。もし認めたならば、これで通過するならば、学校教育法については罰則なんかをやはりなくするように、これは文部大臣として努力しなければならぬ。その点を聞いておる。単に責任のがれで、これは考慮してこうだというのでは、われわれは承服できない。その点をひとつはつきり答弁願いたいと思います。
  96. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 御意見のところは、十分考えておりますが、私立学校の場合につきましても、御承知のように収益事業等をなし得る規定がございます。その場合についての罰則等も考慮して、それとバランスをとつた。その点につきまして、むしろ宗教法人がかかる向きの事業を営む場合に、お話のような事態を発生するおそれがある。私立学校の場合の収益事業等の場合以上に、この方を一万円以下の罰金にしまして、一方ではその罰則、過料の規定さえ持たないようなわけであります。この点停止命令と申しますと、ほとんど解散に近い場合でございます。そういう事業自体から派生する場合の規定としては、むしろ先生の御意見のところをわれわれの方も参酌して規定した次第でございます。
  97. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 その点は、どうも少しはつきりしないのですが、私立学校法においては、やはり一万円以下の過料ということを固持されておりますけれども、その上に学校教育法というものがあつて、その十三條においては、「法令の規定に故意に違反したとき」「法令の規定により、監督庁のなした命令に違反したとき」「六箇月以上授業を行わなかつたとき」こういうような場合は、六箇月以下の禁錮になるわけです。ですから、私立学校法においては一万円以下の過料ですけれども、その上に学校教育法というものがあつて、これを発動すれば、やはりこの制約を受けなければならない。宗教法人法においては、何らこの上に、この行為に対してやる規定がないわけです。ですから、単なるこの私立学技法においては学校法と宗教法人法とのバランスをとるだけでは、納得できないのです。納得できないどころか、私立学校教育法中の罰則の規定があるから、二重にこれが働いて来る。その点を考えると、この罰則が非常に軽率ではないかと考える。ですから文部省の方針として、今後こういう教化団体、あるいは教化行為について罰則をなくして、行政罰にするという意思のもとにやられた、しかして学校教育法の罰則は間違つていた、これは変更しなければならぬという見解に立つてやられたことならば、こちらもそれで納得する。私はこれを重くしようなんということは言つていない、この根拠を聞いておるのです。片方は刑罰であり、片方は単なる過料という行政罰である。その点は文部大臣がおられぬけれども、少くとも文部省が教化的の団体について、こういう罰則を規定する上においては、そこに一つの大方針がなければならない。ただその場のがれじやいかぬと思う。その方針のもとにこれをやつたとすれば、それでけつこうでありますが、その方針がなくて、学校教育法は教育法で、宗教法人法は法人法だというのでは、これはこの規定が、法案がむちやくちやになつてしまう。その点を気づかなかつたならば、今後の希望でもいいですから、その点をお聞きしたい。
  98. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 かかる向きの類似の事実がございます場合におきまして、その事実と法規との関係につきまして、一般の法体係をくずすようなことのないように、われわれも努めますし、今後ともかかる法の立法に際して、十分考慮して行きたいと思います。かつまたこの法案につきましても、その点については考えていたということを、御了承願いたいと存じます。
  99. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 終りました。
  100. 小林信一

    ○小林(信)委員 私は地方の問題ですが、認証権が知事に与えられておる点からいたしまして、今後この所轄庁と称するものは、どういう形で設置されて行くか、お伺いしたいと思います。
  101. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 われわれの予想しておりますのは、地方の総務部内に、あるいは庶務課か地方課等に――これが実施になります場合においては、本年度は御承知のようにその認証申請の数は割合少いのではないか。もつぱら来年再来年につきまして、その数が激増するだろうという予想のもとに、われわれといたしましてはこの点の十分な連絡を、中央におきましても、地方財政委員会等とも話合いをいたしますし、大蔵省とも話合いをいたしまして、十分な人的配置を、これにふさわしいだけのものを持つて行きたい、こう思つております。御承知のように教宗派教団に所属するところの神社、寺院、教会、の数が、ほとんど九割に相当しております。しかもその事務の内容である規則それ自体は、宗派の方の指導よろしきを得ますときにおいては、ほとんどひな型的な準則的なものを全社寺に配付いたしまして、そしてその特質的な事項についてそれに記入する、こういつた方法が講ぜられるように、だんだんの連絡をしおります。従つて数におきましては、宗教法人といたしまして現在十八万何がしの数がございますが、実質におきましては、その教宗派教団に所属する関係上、ほとんど定型的、類型的な規則が多く出るのじやないかというので、実務として激増するという面については、性質から申しまして、割合に困難なものは少いのではないか、そういう見通しのもとに、地方の関係につきましても、これに善処するように、われわれも計画しておる次第でございます。
  102. 小林信一

    ○小林(信)委員 私はこの対象になるものの性格というものと、もう一つは量的な面からいたしまして、相当この所轄庁の構成というものは、愼重を期さなければならない。何か従来あるものにこれを当てはめて行くようことで、はたしていいかどうかということを、非常に心配するのであります。審議会というふうなものがない以上は、そこの構成する人だとか、あるいはその人の質の問題というふうなことを、相当考慮して行かなければ、これが単に物的な、ものの裏づけであつて、本質的なものに触れない、干渉すべき下ないという建前をとつておればおるがけに、一つ認証権というふうなもの、あるいはその認証権を与えて、このいろいろの條章にありますように、たとえば一箇年の間にどういうことがなされなかつたとか、あるいは認証したけれども、一箇年の間に、その認証に該当する事項に欠けておつたところがあつたとか、いろいろのことがありましよう。事務的に考えても、非常にむずかしい問題があるわけでありますが、そういうふうなものを取扱うものとしまして、相当の質の問題、あるいは寺院とか神社というものを現在見ましても、相当たくさんのものがあるのでありますから、なかなか構成が私はむずかしいと思うのです。これに対して定員等も、予算の上ですでに用意されておられるかどうか、こういう点もお伺いしたいと思います。
  103. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 先ほども申し上げましたような次第で、定員等につきましては、本年度はほとんど数の上においては、認証申請の数は寥々たるものであつて、これは先ほど申し上げました九割何分のものは、教宗派教団に所属している関係で、今度教宗派教団の認証申請がなければ、その下部の認証申請というものは事実上出て来ないというのが実情でございます。その意味から、来年度につきましては、大いにわれわれの方、中央におきましても、地方の財政の面において支障のないように努力して行く。これにつきましては、大蔵省との話合い等も、だんだんの事務的折衝をしておる次第でございます。そうして、その任に当る者につきましては、われわれといたしましては、地方庁と連絡いたしまして、特にその経歴とかいうものを十分に考慮いたしまして、御相談ずくの上でその職に当る人の選任をしていただきたい、こういうふうな考えを持つておりますとともに、その点につきましては、この法案成立後におきまして、その実施の面における通牒等におきまして、十分御意見のほどを盛り入れて、万遺憾のないようにしたい、こう考えておる次第であります。
  104. 小林信一

    ○小林(信)委員 そうすると、今年はそうでもないけれども、来年度あたりは、相当にこれはいろいろな面で拡充しなければならぬ。そうすると、何か独立した課とか、あるいは局とかいうものを置く予定があるかどうか。またその中の陣容等においても、どの程度の人を置くというふうな、そんなふうな構想は今持つておらぬのですか。
  105. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 われわれの方では、一応計画としては頭の中で考え、なおかつ事務的にわれわれの課においてその点考えておりますが、その資格につきましても、宗教団体の神仏基、その他宗教の非常に多く異なつておる点を考えまして、少くともそういう大別的に考えられたその方面の理解ある人を、その数において適当と思われる各府県の実情、神仏基の散布状況がわかりますものですから、そういう点について、その数並びに宗教別等を考慮した上において、十分なる事務能力を発揮するように配置して行きたい、こう思つておる次第であります。
  106. 小林信一

    ○小林(信)委員 その点はわかりましたが、さらに私はそれに関連してお伺いしたいことは、今申されました今年はという問題があるのです。こういう法律が出たということになると、その條項を適用して行く、ここを免税にしてくれとか、ここはこうしてくれとか、ここが落ちておつたがというような点からして、すでにそういうものに該当しておるというふうに認証されておるものも、あらためてそういう事務的な面でいろいろと所轄庁に折衝して来るようなことが多いのではないかと思いますが、そういう点は、さしあたつてはないわけですか。
  107. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 現在さしあたつてはないのでございます。これは御承知の通り、現在の宗教法人令が、ただ単に届出で法人になる、そうしてその後にいろいろな租税その他の関係につきましては、各官庁を異にして、その点から地方税の適用であるとか、あるいは団体等規正令とか、その他宗教法人関係ある法令の適用につきまして、地方庁並びに宗教団体から問合せは来ております。しかし具体的にこの法人に乘り移る場合に考えられるところの疑義というものは、現在においてはないのでございまして、それは従来からそういう法の適用についての意見を求められ、また中央所管庁との連絡、あつせんということの関係で、いろいろ宗教団体からも要望がございます。これはそのたびごとに連絡しておるわけでございますが、現状としては、差追つた事務というようなものはないのでございます。
  108. 小林信一

    ○小林(信)委員 八十四條に、そういう事務に携わる者に対しての、特に留意しなければならないというようなことがあるのですが、おそらくこの法が生きるか生きないかは、ここにあると思うのです。この点を考えみましたときに、簡単に地方団体の県庁のある部課等に事務を担当させて、はたしてこの目的が達し得られるやいなやという問題を、当局としてはどういうふうに現在お考になつておられるか、確信を持つておられるか。
  109. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この八十四條の関係から考えられますところの多くの場合は、税関係の面が強いのでございます。しかして、現在の機構におきましても、地方税の関係が実務の上において疑義が非常に多いというので、従つて第三條等の一般的な規定を設けてその基準を示すとともに、その画一性をそれに求めつつ運用をやつてもらいたいという趣旨で、三條を規定した次第でございます。この現在の宗教事務を担当しておるものにつきましては、認証事務がない関係で、それ自体としては、この八十四條の適用につきましては、いまだ何らの疑義なり問題を生じないのは当然でございます。これを宗教団体法当時のことを考えますとき、宗教団体法当時におきましては、認可の制度をとつておりまして、その場合の実務なり、その実情などを予想いたしまして、この遺憾なき実施ぶりを、今後われわれといたしましては、十分各庁との連絡において進めて行きたい。たとえば、さつそく講習会を開くとか、あるいは事務担当者の打合会をするとか、そうしてこの法の趣旨の存するところと、その適用についても、重々了解のもとに進めて行きたい、こう考えておる次第であります。
  110. 小林信一

    ○小林(信)委員 そこでこういう重大な面を、一方においては地方自治団体か知事に関係さす。そうして宗教団体活動というふうな、これは教義の拡張ということではなしに、いわゆる宗教団体社会的な活動というふうな面においては、教育委員会社会教育の面で――それは必ずしも結びつきがあるというわけではないかもしれませんけれども、社会教育という面では相当これはいろいろな折衝があると思うし、またそういう面を教育委員会社会教育が考えて行かなければ、社会教育の意味がないと思うのです。そうすると二面のものを一つのところで取扱うことになるのか。いわゆる文部省の管下にそういう二つの方向が出ておるわけでありますが、この点について、御当局としては今後矛盾がないものと、こういうふうに考えて、この認証権というものを知事に与えたのかどうか。
  111. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この点でございますが、仰せの通り非常にむずかしい問題で、もつぱら教育の面、あるいは社会教育の面につきますところの宗教の取上げ方と、この宗教法人法の認証事務、こういう面の連関性というものは、しかく割れ切れるものではないと思いますが、お互いに協力し合いながらやつて行くという方向に進みたい。これはあたかも、私立学校と公立学校との面における、その連携の仕方も考慮いたしましようし、また事柄が、宗教という面は、これは特殊な存在でありまして、教育に結びつけることが、ある場合においてはよろしいが、ある場合においては行き過ぎの場合がある。こういう面もありますので、かたがた宗教法人の性格というものが、一種の公益法人、あるいは公益を目的とする広い面があるわけでございます。これを具体的に申しますならば、社会事業その他の事業を宗教団体が非常に多く取扱つておる、その実務関係は、多くは都道府県の方でやつておられる。こういう関係と総合いたしまして、ここに宗教法人認証事務については都道府県知事の方が、その実務関係からいつて、ふさわしということになつたわけでございます。もちろん社会教育の面との連関は、それは提携して行くことは当然であろうと存じますが、そういうつもりで規定いたしたわけであります。
  112. 小林信一

    ○小林(信)委員 私はその性格あるいは使命というふうな点からいたしまして、何も知事の方に認証権を与える必要はないのであつて、教育委員会に与えてしかるべきではないか、そうすることの方が最も妥当だというふうに考えておるわけでありますから、どういうふうに承つても納得しないのでありますが、去年の教育委員の選挙あの前に私たちはいろいろ御当局から御覧を承つたのであります。そのとき、こういうような時期にこういうふうな考えて教育委員の選挙をやつたならば、おそらく選挙に対する一般の関心は少いだろうということは、結局教育委員会の仕事というものが全般に関心を持たれないから、日本の教育というものが、そのために支障を受けるということを、私はつきり申し上げたのであります。それに対して政府はどうかと言つたところが、確信を持つて七割以上の投票を私たちは得ることができる、こうはつきり言つたのであります。ところが事実は、東京の実情等かよく示しておる通りです。これはいろいろな問題から私は言つたのですが、またこういうふうに宗教の問題について教育委員会が無視されて、そうして知事の方に権限が移つた。これは非常に一部の面から、私の感じただけのことをす申のですが、一般の情勢からいえば知事がいろいろな権限を剥奪されて、知事としての存在価値がなくなつて来る。警察権も奪われ、教育権も奪われて来て、なるべくならば地方自治の面においてもつと権限の強化の要がある。従つて、教育委員会の権限をできるだけこちらに剥奪しなければならない。社会教育というようなものもとつて来い。その先がけとして宗教団体自分の管轄下に置くということは、最も大事なことであるというふうなことを言つておるものがあるのです。それとあたかも文部省のやつておることが、相呼応しておる感がある。私は昨日文部大臣に、教育委員会をどうするつもりだ、ということを質問しましたが、あらゆる面において、こういうふうにだんだん権限を知事の方へ結びつけて、知事の方へとつて来ようとしている。今度の宗教法人法の問題では、去年あたりの選挙の実情から考えても、教育委員会の使命が重大であるという点を認識させる上からしても、私は積極的に教育委員会の方へこの際持つて行くべきであると、こう考えているのです。こういう面において、もつと教育委員会等に宗教人の進出が必要だと思う。私たち考えてみて、なぜ教育費会というものを、いろいろ理由はくつつけられるかしらないが、見捨ててしまつたかと、非常に遺憾に思つているのですが、そういう面の提携というようなことは、文部省で、今後こういう形に一応はなりましても、いたしますかどうか、あるいはそういうことについて、何か計画がおありであるかどうか。というのは、昨日も笹森委員から、いわゆる審議会というようなものを、地方にも置く必要があるのではないかというようなことがありましたが、そういうように教育委員会の協力を求めるというようなことをするかどうか、こういう点もお伺いいたします。
  113. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 もちろん十分な提携をしつつ事柄を進められることを、われわれは考えております。なおかつ、宗教団体におきましても、宗教家等につきましては、教育委員会の理解者も相当おりますし、またその方面に、何と申しますか、能力あるいは理解を持つている面が多いのでございますから、その方の活動を希望する人がだんだんにおありのようでありますし、従つてこれは宗教法人としての法人事務に関連する面と、社会事業あるいは社会教育の面に関連するものとの関係におきましては、おのおの個人の行き方に非常に力点がございます。従つて、今後ともわれわれといたしましては、現在もそうでございますが、社会教育に宗教家が貢献する、あるいは社会福祉事業の方面に貢献をするというのが現状でございます。この点はかりに認証事務が地方に参りましても、その点には何ら支障はない。かつまた相互の提携ということは、われわれの方でも一層注意をいたして参りたい、こう考えておる次第であります。
  114. 甲木保

    甲木委員 先ごろ問題を起した新興宗教の中には、知事が旗持ちをしたことが報道されておるのであります。これら都道府県知事が信者になつた場合には、必ず私は弊害が起つて来ると思うのです。当局はこの法案に対して、宗教的に見て行つておりますが、事実はそうじやないのです。こういう場合には、どういう処置をとられるか、その点をはつきり私承つておきたいと思うのであります。
  115. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御質問でございますが、かりに宗教団体でないものを宗教法人とした場合に、それが個人的な意見に基いてそうした場合における処置についての御質問と了解してよろしいですか。
  116. 甲木保

    甲木委員 そうです。
  117. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 その場合につきまして、いわゆる宗教団体でないものについて、宗教法人にした場合におきましては、何人といえども、これが証拠を添えて、その取消し方の申請をなすことの権能をここに規定しております。従つて認証取消しといつた発動が根拠づけられておりますので、これにつきましては、何人といえどもなし得るのでございます。従つてそういう向きの場合については、かかる発動があろうかと予想する次第であります。
  118. 小林信一

    ○小林(信)委員 私は、今甲木先生がおつしやつたようなことは、ほんとうに一部の問題であつて、おそらくそういう事象がたくさん出て、せつかくつくつた宗教法人法が、最近大部分の知事等の行動から見ますと、選挙などのために利用され、そのために宗教界というものが混乱することを、私は予想しておる一人です。そこで第八十條の「要件を欠いていることが判明したときは、当該認証に関する認証書を交付した日から一年以内に限り、当該認証を取り消すことができる」という條章があるのですが、この「一年以内」というのは、一年も放置されておれば、相当実績が認められることになるし、そういう点からすれば、取消すことは無意味である、あるいは時効といいますか、そういうふうなことだろうと思うのですが、これはどういう意味で一年以内と限つたのか。そうしてもう一つは、この欠いておつた場合でも、一年を出れば、その認証というものは確実になつて、それをどうすることもできないのか、そういう点を伺いたいと思います。
  119. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 この宗教団体でない、いわゆる宗教団体の実質を持たないものが、かりに誤つて宗教法人なつた場合の関係考えてみますと、宗教法人として存続させる理由を失うわけでございますので、これにつきまして、その措置方についてどういうふうな方法を講じようかと検討いたしましたところ、まず認証したという限りにおきます認証の取消しということが、一応前提考えられる。しかしてそれがなおいつまでも続くというような実情がございました場合においては、これについて裁判所の発動を求めたらどうか、こういう二つの観点からここでは認証取消しは一応一年といたしまして、その実質が宗教団体でないものが宗教法人なつた場合について、一年を経過した場合においては、裁判所の方にこれを持つて行こう。要するにその実体を法人格をなくなさしめるということの配分のしかたにつきまして、研究した次第でございます。一年を限つては所轄庁、それ以上にわたつて裁判所、こういう配分をした次第でございます。なぜ一年にしたか、こういうことでございますが、所轄庁は行政庁の関係で、二年、三年とわたりますと、そこには認証という関係から、先ほどもお言葉にありましたような現実の持続の関係から、行政庁の取消権としては行き過ぎになるのではないだろうか。従つて一応一年を限つて取消権を留保し、それ以上にわたる場合には、いわゆる第三者の利益保護という角度から、裁判所の方に持つて行つた方が適当だろうというので、その配分を両者に求めたのであります。
  120. 水谷昇

    ○水谷政府委員 小林委員から、たびたび認証権を知事に与えたことについて御疑義があつたようであります。ただいまおつしやつたことでありますが、文部省といたしましては、教育委員会に持つて行かないで、知事の方へ持つて行つたのは、何か意図があつてやつたような御疑義があつたようでありますが、それはまつたくないのであります。従つて小林委員のお説のようにすることも一つの問題であろうと思いますが、今日の日本の段階におきましては、原案の通り行つた方が適当だと考えておりますから、この点をひとつ御了承願いたいと思います。
  121. 小林信一

    ○小林(信)委員 次官がそう言われれば、なおさら私は聞きたいのです。現段階というならば、将来はどうするつもりであろうかというふうなことなどをお伺いしたいのですが、相当この問題は、その内容を整備する、ほんとうに能力を発揮する上からしては、相当の独立した課というふうなものを設けてやるべきものだと思うのです。これは今までいろいろお話を承つておるのですが、単に物面的だけのものだ、こういうのですが、それはもう本質的なものを規定すべきものでないという原則を、すでにお持ちになつておられて、この法律をつくつておられるわけです。私はやはりこの法律には大きな使命があると思うのです。といつて、決してこれが本質的なものをどうこうするというのではない。だが、健全な宗教を育成するという、これが一つつておる使命なんです。日本の将来の宗教面における発展というものは、これによつて左右されるわけです。そういう点から考えると、やはり私は大きな教育行政の面として、文部省に直結するところの教育委員会に結びつけてなぜいけないか、私はこう考えるのです。従つて文部大臣に、教育行政の今の機構というものに対して、どういう考えを持つておるかという点まで実はお伺いしたいのですが、まあ情勢のためならばこれはやむを得ないのですが、そこで今後教育委員会をどういうふうに考えて行かれるかということも、またあらためてお聞きしたいことにもなるわけです。ただいまの八十條の問題は、二つの面を持つておつたわけなんです。というのは、一年以内という期限をつけないと、今の知事にこういう認証権を与える点からすれば、自分の任期四年間というものは、一般の県民等に言わせれば、やつは四年間選挙運動をやつておるのだというような風評さえあるような、今の民選知事のあり方なんです。そういう点からすれば、いろいろな工作をすることを私は事実見ておるのです。従つて認証してやつた、しかしお前にはこれだけの欠点があるのだ、だからいつでもおれの権限でお前のところは解散させることができるのだというふうなことをやりかねないと思うのです。そういう悪用をされることもあるのです。とするならば、やはりこれは年限を限る必要もある。しかもその年限はあまり長いものでなくして、もつと短かい期間が必要であるというふうにも考えられる。それからまた、もしりつぱな知事である場合には単に一年というふうな年限でなくて、いつでもその権限を持つておられるということが妥当である。従つて現実の問題で、私はこの問題を相当運用上考慮して行かなければならぬ。今のようなお説を聞けば、まあ一応了解をするわけですが、以上のようなところに留意をして行かなければならぬことは事実だろうと思います。
  122. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 お説の点、われわれも了解するところ深いのでございます。この法の運用につきましては、十分都道府県と密接な連携を持ちまして、この適用につきましても、十分誤りのないように進めて参りたいと考えております。一年に限定する、あるいは二年にする、三年にするか、ずいぶん論議したわけです。事柄が行政事務一般の通則の関係から申しまして、あまり長いというのは行き過ぎになる。たとえば二年間留保する、二年間の後にこれをやめさせるということになると、そこにまた幅を持ちまして、二年間をとどめておく、あるいは三年間とどめておく。そうしてしかる後にやるのだというような、非常にベンデイングなことも出て来ますし、そのときにいろいろああでもない、こうでもないと論じた次第であります。行政事務の一般かから、他の政治的理由を考慮せずに、一応ここでは事態の性質を法の適用という面からのみ判定して、一年にしたということでございます。
  123. 小林信一

    ○小林(信)委員 わかりました。
  124. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 本案に対する質疑は、これにて終了するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  125. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 御異議なしと認めます。よつて法案に対する質疑は、これをもつて全部終了いたしました。この際委員長よりお願いいたしたいことがございます。明日午前中に宗教法人法案及び市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案、この二案について討論採決を行いたいと存じます。さよう御了承を願います。  本日はこれにて散会いたします。次会は明二十四日午前十時より開会いたします。     午後四時二十九分散会