○浦口委員 今のお
言葉で大体了解をいたします。哲学が非常に理論的にものを
解釈している、こういうこともよくわかるのでありますが、われわれが今
宗教あるいは
宗教の根本となる信仰ということを
考えます場合に、これが
一つの
現実の行動の上においてどういうふうに現われるかということが、端的に
考えられるわけであります。そこで
大臣の予算委員会あるいは外務委員会で、いわゆる愛国心ということについての
お答えを拜聽いたしております。静かなる愛国心、これはまことに私当然と思うのでありますが、私実は仏教
信者でも何でもないのでありますけれ
ども、仏の
言葉にも、一心に仏を見奉らんとしておのずから身命を惜しまず、こういう法華経の
言葉もあります。そうなりますと、理論的に
解釈しただけでは、
一つの行動にならないということを、われわれは
考えるのであります。その理論を超越して一歩踏み切
つたときに初めて行動になる。そこに私は
宗教と哲学との
一つの境目がある、こういうふうに、これは私の
考えですが、
考えられるのであります。
そこで私が
文部大臣に
お尋ねをいたしたいことは、そういう関連から
考えまして、
日本のいわゆる
神社が問題になると思うのです。
日本の
神社というものは、これは
日本人の中にも、そういう
考えをお持ちの方があると思うのでありますが、われわれの印象でも、
日本の
神社が、何か軍国主義の根本の基礎をなしているというふうな
考えがあると思うのです。もちろん戦争中、当時の政府が、戦争目的遂行のために、学校の生徒、教授その他に対して、
神社を
中心に置いて、そして戦争送行意識を高揚しよということを、われわれは
承知いたしておりますが、
神社の本質そのものが、軍国主義の要素であり、あるいはそれから来た結果が、
日本人をして好戦国民としたというふうな
考えに対しては、われわれそこに根本的な
考えの誤りを指摘したいのであります。しかし、これは論争を避けまして、そういう事実が、はたして
日本の
神社の根本にあ
つたかどうか。戦争中のことになりますと、これは必ずしも
神社ばかりではなしに、あらゆる
神社、仏閣その他、あるいはそれがたとい金刀比羅さんでも豊川さんでも、みな武運長久をお祈りしたということは、これはわれわれも
承知いたしておりまするし、またふだんにおいて、社神に参詣する
日本の国民全部が、
日本のいわゆる武力的進出ということを、必ずしも所願していたかどうか、私はそういう事実は不幸にして
承知いたしておりません。中には家内安全、商売繁昌と拜んだ人も、たくさんある。そういう点から、
神社に対して、
日本の国内においても、あるいは
外国においてはことさらそういう誤解があるのではないか、この点について、まず
大臣のお
考えを
お尋ねしたい。