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渡部委員 同感という声も起きているので、私は非常にこつけいに感ずるわけです。どれが正しいかということは、
大臣の頭の中から出て来るのでなくて、これは一般民衆の動きの中にこそ、大衆の中にこそ、大衆が指向するところの
方向というものはあるのだと思う。そういう大衆の
方向というものが総合され、鍛えられて、
ほんとうに国民の
教育というものは確立するものだと思う。
従つて大臣、あるいは特定の
大臣でなくとも、
政府当局が
考えて正しいとすることによ
つて、
社会教育が行われるとするならば、私はおそらく今日とられている一般的な
方向からいえば、これは明らかに広汎な民衆の自発的なイニシアチーヴと
活動というものと対立せざるを得ないと思う。そうな
つて来ると、この
社会教育というものが、かえ
つて官僚的な統制にかわらざるを得ないと思う。
大臣は、穏健とか、公正とか、あるいは正しいと思うというようなことを言われますが、一体何を基準としてそれを言われるかに、私は問題があると思う。やはり全体の国民の動き、全体の人民こそが物事を創造して来たことは、歴史的に見てもはつきりしております。若干の
指導者や、若干の政治的な支配的な位置にある人
たちが
指導して来たのではありません。思想もそうです、あらゆる
文化的なもの、すべてそうです。私は歴史の研究をしておりますけれども、
日本の歴史を見ましても、すべて
日本を発展せしめたものは、民衆の中から、民衆全体の力によ
つて芽ばえ、そこから発展せしめられて来ておるわけです。現在この混乱の中に、そういう動きが非常に強いということについてわれわれ
日本人は意を強うしていいと思う。何となれば、民衆の中にそういう動きがあるからです。こういう動きを助長して行くこと、こういうイニシアチーヴと
活動とを十分に持ち得ること、この中でのみ、
ほんとうのものができ上るのだという立場に立たれないならば、私は、一部の人
たちによ
つて、民衆の動きというものはかえ
つて押えられ、その結果、
社会教育というものがだめにな
つてしまうのではないかという懸念を持つわけなんです。
大臣は、
文化なり、科学なり、あるいは民衆の創造力について、どういうふうにお
考えになるか。