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山口(武)
委員 私はこの
改正法案に対しまして、共産党を
代表いたしまして
條件付の
賛成をいたすものであります。
條件付の
賛成ということでありますが、これはこの
改正法案における限られた
措置について
賛成をするというのであります。従いまして、さらに明らかにいたしますならば、
災害補償法そのものにつきまして私
たちは
賛成はしていない。それから今回の
改正にあたりまして、このような
改正の
態度そのものに対しては
賛成できないのであります。
改正するといたしますならば、もつと根本的に考えるべき問題があつたはずであります。きわめて
簡單に申しますと、
一つの問題といたしましては、こうした
改正措置を毎年講じているということでありますが、そうであるといたしますならば、これは本法を根本的に
改正する必要がありはしないか。その点につきまして、現在の
消費者大衆の
負担金の問題であります。これは
消費者大衆の
負担金ということを考えて行く場合に、その
生活が現在問題にされているわけでありますが、少くとも現在の
消費者の
大衆の
生活の水準というものは、今後悪化するとも、向上する見込みはまず持てないのでありますから、どうしても恒久的なものに考え直す必要があるだろう。さらにこの
災害補償法そのものの問題でありますが、これにつきましては、
日本の
農業に対する認識というものをさらに明確にする必要があるのではないだろうか。その観点から問題を考える必要があるのではないだろうか。それは
簡單に申しますならば、
農業というものを、
一般の
企業と同じように見られては困るのだということです。この
災害補償法によりますと、
不慮の事故に対してこれを救済して、
農家の
経済を安定させるということを言われておりますが、このように
農家の
経済の安定というような言葉を転々しく
使つてはいただきたくないのだ。
不慮の
災害ということを救済するくらいで、
農家の
生活が安定できるような
状態ではないのだ。これを根本的な問題として考え直す必要があるわけではないか。しかもこの問題につきましては、
終戦後
農業経営そのもの、
農民の
地位そのものが問題になりまして、何回か
農民解放ということが騒がれて来たのであります。しかし現在の段階におきましては、これが全面的に否定される運命に遭遇しているのではないだろうか、こういうことが問題にな
つて来る。さらに現在の
供出価格政策でありますが、この
供出価格政策というもの、さらに現在の
農民大衆の背負
つている重税の問題、こういう問題を考えて来るときに、
農家経済の
逼迫というものが大きな問題とな
つていることはもちろん明白なことでありまして、こうした
農業経営の実態というものを見た場合には、これは現在の
農業を
企業として見た場合に、單に
不慮の
災害を救済するというようなことで、しかもその
被害の半額を救済するというようなことで、問題は処理されはしないのだ。普通の
状態においても
農家経済は破綻しておる。
不慮の
災害を受けた場合には、これは
経営の
内容的に見れば破綻する
状態にまで追い込まれておる。こういう点を考えた場合には、これは
全額救済の方法を講じられなくてはならない。それから現在の
状況を見た場合に、
農家の
負担金という問題につきましても、
金額国庫負担の必要もあるだろう。なぜかと申しますならば、現在の
農業経済の
逼迫という問題は、これは全部
政府に
責任があるからである。こういうことを考えました場合に、当然この問題が考慮されていいはずだ。しかも今回の
改正案におきましては、きわめて一部分的なものしか取上げておるませんし、根本的な
態度というものが示されていない。
災害が起るといいますが、
災害の問題につきましても、
政府の
災害復旧の
対策が根本的に進められていないために
災害の問題が出て来るのであろう。こういう問題を考えてみた場合にも、当然
政府に
責任があるはずだ。もつと基本的に考えられなくてはならぬはずだ。しかも
農業経済をこういうような
逼迫した
状況に追い込んでおきまして、これに対する
支出金がないというようなことは言えないだろう。ずいぶん
政府はか
つてなことをや
つてるのだろう。こんなに
農家の
経済が
逼迫して、
税金が納められなくな
つて、
農民が将来騒ぐようになるということを想定して、あるいは
警察予備隊で
税金の取立てをやるというような想定も
政府の中にあるのだろう。これは
農民を扱う場合に、本末転倒した
政策である。これまでの封建的な、
農民に対する
支配政策と同じ
精神でどこまでも貫いているのだ。これはわれわれとして、とうてい了承できない問題である。それから昨年度におきましてわえわれが感じておりましたのは、
政府は外国の
食糧をどんどん
輸入されるというような
政策をとりまして、そのためにむしろ
国内の
減産政策をやつたのではないか。少くとも
政府の
予算面に現われた結果から見ると、
国内の
食糧の
減産政策をとつた。ところがアメリカが
軍備拡張を始めた。そういう
状況のもとにおいて、
食糧事情がより
逼迫して来るというような
事情におきまして、
政府は何を好んでか中共との貿易を禁止して、
大豆の
輸入を入れないというようなばかばかしい
政策をとり出した。これは一体だれの利益になるのか。
大豆は今度は一割
増産運動だ。これは
農民の側からいえば、ばかにするのもいいかげんにしろというようなことにな
つて来ます。このようにして、
政府はか
つてに
農業政策というものを、何らその安定を考慮せずにもてあそんでいるのだ、こう言われてもやむを得ないのだ。そういうような場合におきまして、私はさらに
政府の
責任というものがもつと明確にされる必要があると思う。
政府が
責任を明確にしないならば、われわれは少くもこれを強く要求する権利がある。
農民の
代表として当然なのだ。しかも
現実の
災害補償の
状況を見ますると、
被害を
共済団体が見積つたことに対しまして、
政府の
評価は常に低いのだ。
政府の
予算に無理に合せようと
思つて、
災害の
評価を低くしているというような場合も出ておる。こういうような現在の
農業災害補償法の
精神をも否定するようなことが事実行われておる。こういうような問題に当面しておるときに、この
法案はもつと根本的に考え直す必要があるのじやないか。理論的にそうであるばかりでなく、
現実の
農家の
経済の
逼迫という問題が、事実の問題としてこれを要求しておるのだ、こういう立場を私
たちは明確にいたしまして、今回限られた
措置としてこの
改正法案に対して、まずやむを得ず
賛成をしておくものであります。