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鈴木参考人 参考人の大阪市の
警視庁の
鈴木でございます。これから現在問題にな
つておりますところの
警察法改正問題につきましての私
どもの
自治体警察連合会として審議しました結果に基きまして、
意見を述べさしていただたきます。
その前にちよつと申し上げたいのですが、われわれの
意見が
国家地方警察の出しておるすべての案に対しまして、ほとんど大部分につきまして見解を異にしているという点で、いかにも対立しておるような気持、あるいはなわ張り争いをしているというような感じをときには與えるかもしれませんが、われわれは決してそういう気持ではなしに、わが国の
警察制度の民主化が正しい方向をも
つて行きますように心から念願しまして、われわれの体験の
立場から、自分自身が
警察をみずから
運営してみまして、その技術的な、またその体験に即した
立場から、皆さんに私らの
意見を申し上げまして、御協力を得たいと思う次第であります。この
国家地方警察というものの性格が、先ほど
田中警視総監から言われましたように、
自治体警察との
関係は、完全に五分と五分の
関係であり、どちらからも支配的な影響を與えるものでないということは、
はつきりとこれはマッカーサー
書簡にも書いてありますし、また憲法の
精神から申しましても、
地方自治を根幹としまして、この自治の仕事の重要なる一部として
警察が、
地方自治体で
運営管理されているわけでありますからこの点から申しましても、
国家地方警察の活動は必要の最小限度にとどめるべきであるということは、私は理の当然ではないかと思うのであります。往々にして過去の全国的な一元的な
警察というものの時代を知
つている者は、あれは非常に能率的なきびきびと仕事できる組織であ
つたというふうに、漠然と常識的に受取
つておるのでありますけれ
ども、これは多くの過去における弊害を起しまして、利益も若干ありましても、弊害が多く、かえ
つて国家を敗戰のうき目に持
つて行くほどのフアツシヨ的な推進力にな
つたことは、皆さん御
承知の通りであります。
従つてわれわれは再びわが国がこの高い敗戰の犠牲を拂
つてあがないと
つた民主主義の理念を逆行さすような方向に持
つて行きたくない。どうしてもわれわれは自由民権の
精神が如実にこの
自治体警察によ
つて運営されているということを、別にマッカーサー元帥からおつしやられなくても、憲法の
精神から申しましても当然でありますので、その決心でこの問題を
考えて行きたいと思う次第であります。
国家地方警察はその設置の目標が、全国の五千以下の部落を統合した、
駐在巡査の
地域を大体統合した
地域を自分の直接の管轄として持
つておりますいわゆる
地方警察であります。ただ
国家の費用でこれを支弁しておるというので、
国家地方警察という名前がついておるのだと思うのでありますが、ただ非常
事態に際しましては
政府の
命令によ
つて、全国の非常
事態の
運営に当るという
国家的な役割を持
つておることは、これもマッカーサー元帥の
書簡で明らかであります。
従つてそういう非常
事態の際におきましては、総理大臣の非常
権限と申しますか、全国の
警察を一元的に
治安の
維持のために運用する、その指令組織を
国家地方警察がやる、そういう意味合いにおきましては、若干中央的な性格を持
つておる。それ以外の常時における執行面における主体性は、あくまで五千以下の部落の
警察であります。非常
事態のみに限
つてそういう
権限が、総理大臣によ
つて発動される。その下働きをする、それは国、家
地方警察それ自体の性格というよりは、便宜上の手段として、
国家地方警察を利用するという建前でないかと思うのであります。
従つて日本には現在
国家警察というものはないわけです。いわゆる中央
警察的なものは何ものもないのでありますが、これは往々にして
国家地方警察を縮めまして
国警、あるいは
国家警察というように呼ばれる
関係上、知らず知らずの間に
一般の
国民層に、これが中央
警察的な権能を持
つておるかのように誤解されておるのではないかと思うのであります。
従つてこの
警察制度が、自治的な
警察というものが根幹であるべきにかかわらず、あたかもまだ以前の旧
制度の
警察の残滓が残
つておるかのように、
一般の印象を與えまして、また
国家地方警察の系統の人たちも、若干そういうことにまだ切りかえの十分でない人が相当おると見えまして、この問題についての、絶えず割切れない気持からの摩擦、あるいは
意見の相違が至るところで出て来るわけであります。このたびの
警察法改正も、明らかにそういう中央
警察的な性格を、この際新しく獲得しよう、法律
改正によ
つてそれを確保しようという
目的以外にはないのであります。そのために現在の
自治体は連絡が悪い、あるいは能率が悪い
公安委員会が中小の
自治体では
警察にかれこれと干渉する、それによ
つて弊害が起る、あるいは小さい
自治体は腐敗しやすいからどうも信頼できない。あるいはいろいろな情報
捜査の活動においても、どんどん秘密が漏れるるというような、極端な事例を拾いまして、それをも
つて自治体警察をほとんど信用を失わせるような宣伝にまで持
つて行くというふうな大きな宣伝攻勢が伴
つておるので、これは新聞その他の輿論を見ましても、かなりそういうふうな錯覚に陷
つておる。それは一部分的な現象でありましても、本質的な問題と混同してはいけないと思うのであります。本質的な問題は明らかに憲法並びにこの自治
制度の根本というものによ
つて培われた直接の住民の信託によ
つて、できた
自治体警察が根幹であります。
自治体警察がいけないというのであれば、それを
維持する
町村自治体の住民の
責任であります。その
自治体の住民の
責任を果せないから
といつて、一足飛びにこれを
国家に返上させる――返上というと言葉はおかしいのでありますが、放棄させる、あるいは再信託に持
つて行くところに、大きな観念の飛躍があるのじやないか。こういうことが別に
警察の仕事でなくても、教育の事務にいたしましても、あるいは衛生の事務にいたしましても、その他の事務にいたしましても、
町村自治の仕事は能率が上らぬからとかなんとかいう理由をつければ、これは中央に統制した方が便利である。便宜論で
町村自治が抹殺されて行くということになりましたならば、現在わが国があらゆる施策において
地方に中央の
権限を委譲する、
地方自治を育成するという大きなスローガンに反することになるのじやないか、かように私は
考えるわけであります。
民主主義社会におきまして、御
承知のようにこの
自治体警察というのは第一次的な、住民から信託された執行体であります。これを無視しては
地方自治体というものの健全な存在はないのじやないか、どうしても
維持できない
地域はやむを得ないといたしまして、
維持する決心のある住民の
自治体町村におきまして、これを放棄させるようにし向けるということは、はなはだしく
地方自治の逆行でないかと思うのであります。あくまでも
国家地方警察の性格を
はつきりとさせまして、非常
事態宣言の場合の活動、その他の
警察技術的な連絡調整のあつせんをやる、こういうふうな仕事あるいは共通管
理事務と申しまして、教育であるとか、鑑識であるとか、
犯罪統計をとりまとめる。これは別に
国家地方警察にやらせなくても、共通事務としてやれるのでありますけれ
ども、これは明らかに便宜上、
国家地方警察に一応預けてあるという法制の建前でないかと思うのであります。
国家地方警察が現在でも
警察法五十八條の運用によりまして、
犯罪が始まり、あるいは及んだという理由によ
つて、広汎に自分の
捜査権の拡大を運用いたしておるわけであります。そのために
自治体警察の主体性を無視して、
自治体の中に黙
つて入
つて来て犯人を逮捕する。その事情を調べてみると、
犯罪が始まり、あるいは及んだというので行けるのだ、違法でないのだ、しかし何ら断りなしに人の管轄に入
つて来てどんどんやるということは、法律上は一応違法でないにしても妥当でない、民主的な
警察の
相互関係におきましては、違法よりも妥当でないという方が、罰が重いのじやないか、さような点で絶えずそういう摩擦が起
つておるような現状でありまして、現行法五十八條の運用においてさえ、いろいろ積極的な
権限拡張と申しますか、運用面におきまして
自治体を無視するような
捜査権の活動が行われておるわけであります。現在大阪におきましても、それは問題にな
つて、今
国警と冷静に交渉中でありまして、こういう問題は全然管轄権のない問題、あるいは始り、及んだにいたしましても、
お互いにアンダースタンデイングなしに、
お互いに事前の了解なしに、相当重要な
捜査を人の管轄権の中で独断でやる、これは決して
警察の仁義にも合うわけじやない、これは
警察の民主的な
相互関係を害することがあ
つても、決して増進することはないと思うのであります。これがもし一方的にある特定の種類の
犯罪について、
国警が
捜査権を獲得することになりましたならば、思い半ばに過ぎるものがあると思うのでありまして、そういうことの結果は、先ほど
田中総監の言われましたように、五十四條の
自治体警察は
国家地方警察の
運営管理に服するものでないというこの
規定は、実質的に明らかに蹂躙されまして、特定の重要
犯罪といえば、自分の
責任において一番やるべき
犯罪の
捜査を、どんどん乗り込んで来ておれと対等でやれ、あるいはお前はだめだからおれがやるというような、そういう押入りでや
つて来るような
捜査権が
自治体に及んで来るようでは、
自治体としては気持よく協力できるかどうか、これは十分御理解願えるだろうと思うのでありまして、こういうやり方は民主主義の
警察の運用としては非常な邪道である、これはま
つたく元の内務省の警保局の
警察の運用とかわらないようなことになるのでありますから、こういうようなことは絶対にあ
つてはいけないということを
考えると同時に、現在の五十八條の運用におきましても、違法でなくとも、必ず所轄の管轄権のある
自治体の
公安委員会に十分事前に了解の上で、その及んで来た事件を調べる、あるいは始
つた事件について遡及してやる、かような当然守るべき民主的な
手続をやらせるように、法の
改正を願いたいと存ずる次第であります。
それから情報を一方的に
国家地方警察が收集する
権限を持つということは、これは
犯罪に関する一切の情報を
自治体からとる権利を持つということになりますので、
一定の特定の結論を出すような情報を集めることもできるのであります。
選挙に関する違反情報を出せということになれば、これも
犯罪情報でありますから、全国的に
選挙違反の情報を集めることができ、現にやはりある程度その傾向が見えております。私の聞いておる
範囲におきましても、
選挙違反の情報をよこしてくれぬかということを言う
国家地方警察の官吏がある。
国家地方警察は人口五千以下の
町村の直接の
管轄区域の違法事件について、
責任こそあれ、そういう
自治体警察の中の
選挙違反情報をよこせということは、これはどういうわけか、私は疑問に思
つておるわけであります。しかしただいまそういうことも話に上
つておる。これは全国的に権利としてそういう情報をとれば、か
つての特高
警察と
一つもかわらない。結論的にどういう情報をとろうということで、大体の情報をとる結論をきめれば、それに相当した情報が集ま
つて来る。中正な情報をとろうと思えばもちろん集まりますけれ
ども、
一定の結論を出すような情報もとれる。これは
国家地方警察を別にそういう偏頗なことをするとして疑うわけではありませんけれ
ども、そういう武器を與えれば、どつちにでも使える非常な危險な武器でありますから、こういうようなことを
法制化するのは五十四條違反であると同時に、運用面におきましても、か
つての政治
警察に利用した情報の轍を踏むわけでありますから、非常に危險である。これは
法制化することも、運用におきましても、よほど警戒すべき問題じやないかと思います。特に民主主義社会におきまして、ほんとうに完全に自由な政治をやらなければならぬという場合におきまして、この日本の民主主義政治が自由民権の
精神から起
つておる、この自由民権ということを保障するには、
警察が政治に関與する可能性を全然なからしめるということに根本がなければならぬと思います。幸いに現在の
警察法が圧当に運用されましたならば、そういう危險はないのでありますけれ
ども、もしこれが一歩誤まりまして、全国的な情報を持
つたり、全国的に特殊な
犯罪について、どこにでも踏み込めるというような、全国一元的な
国家地方警察の権能が與えられましたならば、それはいくらでもそういう方向に拍車をかける。これは非常に恐ろしいことであります。こういう方向に
警察法の
改正を持
つて行くということは、民主義社会をかえ
つて元の
警察国家社会に逆転させる危險が非常に大きいということを、私自身は
国民の一人として
考えるわけであります。お手元に差上げました「
警察法改正問題を繞るわれわれの主張」というところに詳細に書いておきましたし、マッカーサー元帥の
書簡並びに降伏調印四年目のマッカーサー元帥の声明の拔萃をお手元に差上げておきましたが、その「降伏調印四周年・
マ元帥声明」の一番最後のところにおきまして、
政府の財政
関係の不手ぎわのためにいろいろ困難に遭遇しておるが、問題はさきに指摘したように、すでに解決の方町に向
つておる。これはシヤウプ勧告その他によ
つて、
地方財政
平衡交付金が合理的に確保されるようにな
つた、そういう意味だろうと思うのでありますが、まだこれは軌道に乗
つておりません。あの程度の
平衡交付金では、まだ
地方の
警察が必要な
財源を得ておらない。これが
中小自治体が
警察を持ち切れないからこれを投げ出すという方向に拍車をかけておるのでありまして、ぜひこの点は、
地方自治体警察をほんとうに健全に育成するという決心であれは、
平衡交付金を
増額して、これを合理的に再
配分する。特に
中小自治体におきましては、單価を安くしておるが、これは間違いであります。
数が少ければ、かえ
つて單価を高くしてやらないと、共通費が出て来ない。個人の人件費も十分でないのに、その共通費に彈力性がない。たとえば大阪
警視庁のように、八千六百名も持
つておりますと、旅費なんかにおきまして非常に彈力性を持つわけであります。しかし十人か十五人のところは、それの共通費としての旅費は、その規模の大小によ
つて比例的に少くて済むわけじやないのでありまして、やはり事務費の單価が相当に高ま
つて来なければ十分な活動ができない。そういう観点から申しますと、小
自治体は、ある程度財政的には非能率だということが言えるのであります。
従つてもし適正規模の
警察が必要であれば、一躍
国家地方警察にこれを合併、吸收してもらわぬでも、組合
自治警察をつくるように慫慂し、なおかつ財政的な
平衡交付金の運用におきましても、もつと合理的に、小
自治体をつぶさないように、よく調査してめんどうを見てやることが、最も喫緊の要務ではないかと思うのであります。ところが、そういう点につきまして、何らの
措置をとらないで、いたずらに
国家地方警察に吸收するような宣伝を盛んにするということは、
一般に不安動揺を與えまして、
治安を
維持する大切な仕事が、少しでもおろそかになるということになりましたならば、これはたいへん恐ろしいことになるのじやないか。現在のような緊迫した状態におきまして、
中小自治体というものは、相当重要な
責任を果しておる
地域であります。こういう
地域の人が浮ぎ足立
つて、財政上の困難から、
町村長あるいは
町村の財政当局が、これを投げ出すというような意向を漏らしておる。こいう
町村における
自治体警察の当局者、
公安委員会は、一日も晏如たり得ないのであります。こういう点を御了察いただきまして、ぜひ
自治体警察が、やるつもりならやれるようにしてやる。やれるのにやらないというのであれば、あるいはこれを
国家地方警察に再信託するという道を開いてやることも、あながち無理ではないと思う。
従つて調印四周年のマツカーサー元帥声明の最後のところに、「
警察国家再現の危險とか、現在のような機構と陣容の
警察制度では
治安の
維持ができないという危險は全然ない」という断定を下しておられますが、現在の
制度を発展させて行きましたならば、私はマッカーサー元帥の言われる通り、現在の陣容の
警察制度によ
つて、
治安の
維持ができないという危險は絶対にないと、私は断言いたします。もしできないとなれば、その個々の
警察の指揮官が能率が悪いか、あるいはそこに機動力が十分でないか、そういう点についての改善も余地はあるにいたしましても、この
制度で
治安が
維持できない、
国家一元的な
警察が強化されなければ、日本の
治安があぶない、そんな心配はさらさらないのであります。すでに
警察予備隊のような強力なるあと固めもできておるのでありますから、そういう暴動的な鎮圧に対しましても、最悪の場合は、以前よりはずつと日本人の手で、日本の
国内の
治安が
維持できるような組織が完備して来ておる。またああいう
警察予備隊をあてにしなくても、われわれ
国家地方警察と
自治体の九万五千が、
精神的にも仕事の上におきましても、円満に協同一致しましたならば、十分民主的な意味における
治安の確保はできるということにつきまして、私は断言してはばからないのであります。
なお細部の点は、いろいろ個々につきまして
田中警視総監も言われましたし、またあとの
参考人の方から言
つて、いただけると思いますので、私の申し上げたい点は以上でやめることにいたします。