○
永井参考人 石川県の
旋網、すなわち
きんちやく網のことにつきまして
経過を一応御
説明申し上げたいと思います。
〔
委員長退席、
鈴木委員長代理着席〕
石川県は
能登半島を抱いた
漁業地区でありますが、従来
漁撈方法は非常に単純でありましたので、いろいろ
多角経営についての問題、それからもう少し
漁法を改良すべき
問題等がありましたので、昨年県費をもちまして、
旋網漁業につきまして、いささか
調査研究をしたわけであります。その結果によりまして、大体
能登沿岸におきましては、
旋網による
漁法が非常に有効であるという
結論を得ましたので、これを一般の
業者の
希望者に
許可を與えて奨励してみたいという
意見を持
つたのであります。しかしこれには根本的に、従来のような役所、すなわち県庁だけで操作することは非常に大きな問題でもあり、また現在
制度改革が進行中で、その線に
沿つてあらゆる民主的な各
方面の
意見を取入れてやるという
方法が望ましいことに考えましたので、昨年発足しました
漁業調整委員会ができましたので、その
連合海区
漁業調整委員会を開きまして、広く各
方面の御
意見を聞いて、将来の
許可方針その他について検討を加えようと考えたのであります。そうして今のような
連合海区
漁業調整委員会という組織が一応
——ただいま月日その他は記憶がありませんが、昨年の秋と考えておりますが、問題といたしましては、いろいろ
沿岸漁業に対する
摩擦、あるいは
調整などの問題があるから、いかにしてこれをやるか、もちろん将来
許可するかどうかというような問題、もし
許可するとすれば、一体どういう
統数を
許可すべきか、
操業区域をいかにすべきか、あるいは
許可を與える人間はどういう者を優先的に考えなければならないかというような
根本方針をきめました結果、大体いろいろな御
意見がありましたが、
結論といたしましては、
石川県の
漁業といたしましては、
石川県の
沿岸の大体三千間の
沖合いに
操業させる、ただ問題といたしまして
富山湾の方に面したところにおきましては、
定置漁業その他が非常に盛んでありますので、これをどうするかということにな
つたのです。その間にいろいろ
過程はございましたが、
結論といたしまして、地名的に申しますと、
能登半島の
長手崎という岬があるのですが、その岬からたしか西東の線を切りまして、それから
富山湾内には他の
漁業は入れない、こういう
結論を得たのであります。それからなお
許可を與える
人たちに対しましては、これはいわゆる新
漁業法に基く
多角経営、
協同化というふうな線からいたしまして、
漁業協同組合のごとき、
零細漁民を一丸としたものに対する
許可を優先的に與えて行くというふうなこと、それから、もちろん
県内の
漁船、
県内の
業者が
ほんとうに盛り立
つて行くというものを優先的に考えるというのが
根本方針でありますが、何分
石川県といたしましては、今までそうした
旋網専業の
漁船もあ
まりないということで、去年の十月から本年の十月までは他府県からの
漁船を傭船、いわゆるチヤーターいたしまして
漁業を経営するということも、一応暫定的な措置として認めよう、その結果
ほんとうに自信がつき、技術的に研究して立ち上れるものにつきましては、更新その他の
許可を與えて、将來はつきりしたものにしたい、言いかえれば、現在の
過程にある約一箇年は、
試験過程の中に置こうというような
結論を得たのであります。大体大きな目標といたしましてはそういうふうに
なつた次第であります。
次に出て来ます問題は、
許可統数をどうするかという問題がいろいろありました。御
承知のように
石川県の海区は四海区あるわけであります。それで海区ごとに海区
調整委員が地元に帰りまして、いろいろな構想をめぐらしまして、あるいは
公聴会その他を開きまして
漁民の
意見を聞き、
結論といたしましては、当初そうい
つたもので
新規許可を與えるものは約二十統という線が出たのですが、その後数回にわたりまして、その間にいろいろな
過程がありますが、約半箇年の間に、次々にいろいろは派生的な問題その他が出て來まして、
許可統数もそれから大分ふえまして、約十統ふえまして、計算いたしますと三十統ないし三十五統というところまでや
つて來たのであります。ところが本日問題になりましたる問題といたしまして、本年の四月に入りまして、たまたま先ほど申し上げました
能登半島の
内側に
相当いたします
長手崎、
祿剛崎、あの
地帶におきまして、まあ
海況その他の
異変もあ
つた関係と思いますが、あそこの
地帶に
さばが非常に密集しまして、
従つて旋網の
漁船団もそこに集中したという
結論になりました。そしてもちろん
操業区域を犯すというようなこともあり、これは一応
取締りを厳重にする
——あそこに非常に
さばがわきまして、多くの
漁船団が行く。ところが、たまたまあそこの近海には、従来から小
づり、はいなわあるいは
定置漁業というような
漁業が、
漁区あるいは
漁法によ
つて依存しておる
漁業者も非常にあるわけです。そういう
人たちが、たまたま多数の船団が
行つたために、そこに
自分たちの
漁業が成り立たないというようなことで、その
結論としましては、
現実の問題として、
自分たちの職業が圧迫されることになるから、ぜひ現在きめられておる
長手崎から云々の
操業区域の線を、それより北になるのですが、
祿剛崎から佐渡を結ぶ
線——ここに地図がないから
ちよつと御
説明いたしかねますが、言いかえれば少し
操業区域を縮小してもらうというようなことの要望があ
つたわけです。その行き方といたしましては、あるいは郡で申しますと珠洲郡という
地区で、海区で申しますと
内浦北部の
地区になりますが、そこの
漁民たちが、いろいろ
漁民大会を開いて
意見の交換をして、何とかこの線の変更をやりたいということで、当時その
地区の
漁業調整委員会にも申込み、さらに県にも参りましてこの
善処方を上要望したのであります。県といたしましては、どういう
関係になるかと申しますと、県はこれは大きな問題であるから、すべて
漁業調整委員会の
連合会に諮問し、その諮問の結果によ
つてすべての
許可統数、すべての問題を処理して来たという
過程がありますので、
連合委員会を招集いたしまして、それに付議したというふうにな
つております。ところが
連合委員会の方といたしましては、彼らの言う
実情は非常によくわかる。わかるけれども、すでに
漁期最中に際会しておる。
従つてすでに
許可を與えたものも数十統に及んでおる現在におきまして、今にわかにその線を変更することは、
現実の問題としていたしかねる。ただ
連合委員会としてと
つた手段は、昨年の秋から、
操業区域の線にいたしましても、すべての点を、各
協同組合、
漁村において
公聴会その他を経て、こういう
結論にも一応達したのだ。ところが
さば異変と申しますか、あそこに
さばが密集した
関係も一つの原因でもありましようが、そうい
つた関係からいたしまして、そこに
摩擦といいますか、
沿岸の小
づり業者その他に対する思わざる、妙な桎梏ができた、こういう
結論のことはよくわかるのですが、今申しましたように、
漁期半ばに達しているものですから、この際変更するわけには行かぬ。それでこの
旋網その他の問題につきましては、御案内のごとくに、新しい
漁業制度改革によりまして、府県の
取締り制度その他を根本的に改める時期が、六月あるいは七月、八月ごろに、いずれは県下全部の
連合委員会を招集して
結論を持たなくてはならぬ。その時期に、
十分諸君の
希望を入れて善処しようということにな
つてお
つたのですが、一方
漁民側といたしましては、それではあ
まりに先の問題であ
つて、
現実の問題として非常に困るから、何とかそこに早急に手を講じてもらいたいという、一方の訴える
気持と受ける
連合委員会との間に、若干の食い違いを生じたという
結論に
なつたわけであります。ところが大体におきまして、あの
地方の
漁期と申しますのは、四月の下旬までが
漁期でありまして、すでにあそこの
魚群は散りました。そういうような
関係で、そのことは
漁民の
各位も一応御
承知なのですから、
漁民からすれば、そういう口約束的なものであ
つては将来に対する不安が非常に濃いから、何か言質なり、はつきりしたものを與えてくれというような御
意見もあ
つたわけですが、遺憾ながら
連合委員会としても、どこをどうするというような十分な、責任ある言葉を吐けぬというような
関係で、今のような情勢、言いかえれば物わかれに
なつたという形になるわけであります。その間にこの
地区の海区
調整委員に対して、
諸君のや
つたことは非常にまずいから、
諸君は辞職すべきだというような御
意見もあ
つて、海区
調整委員会の
人たちは、一応辞意を表明したというようなことにな
つておるのであります。
〔
鈴木委員長代理退席、
委員長着席〕
それが大体現在までの
経過でありまして、
従つて県といたしましては、この問題はあげて
連合調整委員会に諮問して、その御
意見を伺
つて来たような
過程にありますので、将来ともに
連合調整委員会の
人たちの御
意見に
沿つて、この問題は処理して行きたいという
気持はありますが、ただ
漁民の
各位が、非常に生活問題として熱心な叫びをあげておられますので、来るべき
漁業取締規則の改正というふうな段階に至りましたならば、十分彼らの御
意見も入れて、いわゆる
漁業調整の完璧を期したいというふうに考えておる次第であります。
以上大要御
説明申し上げました。