○津布久
参考人 お答えいたします。要するに三
団体が出しました
要請状というものを通読いたしまして、これが組み立てられておる基本的なものというのは、タス通信が絶対に正しいという
立場から出発しているわけであります。それでタス通信が間違いであるということが立証されますならば、これは根底から崩壊するべき筋合いのものであります。さ
ように
意味のなく
なつたものを今ここでむし返すことは、私の本意とするところではありませんけれ
ども、私は重ねて、この三
団体が唯一絶対のものと信じているところのタス通信について、われわれの考えておるところを述べてみたいと思うのであります。それが最も具体的なお答えになる、か
ように私は考えます。一九四八年の八月十日の日に、
全国留守家族が三千名東京の日比谷に集まりまして大会を開き、タス通信否定の声明を発したのでありますが、そのときに私
どもが考えておりましたおもな論点、そしてさらに昨年の四月二十一日に
発表せられました第二回目のタス通信と比較照合して生ずるところの明白な誤謬というものについて御指摘を申し上げたいと思うのであります。まずタス通信は、
ソ連において捕虜と
なつた
日本人の将兵の総数は五十九万四千人といつおります。しかしながらわれわれはあとから参考資料を提出いたしたいと思うのでありますが、この五十九万四千というのは、終戰の年の九月と承知いたしておりますが、そのときに赤軍が
発表いたしました対日戰の戰果という報告の中に、
日本人を五十九万四千以上を捕虜としたということをいわれておるのであります。その
数字をここにそのままそつくり持
つて来ておるのでありますが、故意か作意かは存じませんが、ここに「以上」という言葉が抹殺されておるということも指摘しておかなければならないと思います。
それからまた私はここに提出をいたしたいのでありまするが、それはソビエト地区から中共地区に逆送されたということを
はつきりと書いて来て、しかも現在なお中共地区に抑留されておるまま残
つておるという
方々の通信を
発表いたしたいと思うのであります。それは現在鞍山の鉄工医院に勤めております岡山県の吉岡春雄君の手紙であります。これにはその一節にこう書いてあります。小生は八月十五日以後、九月から翌年の二月までシベリヤに行き、その後義勇隊の者は東北へ帰され、東北経済建設部門の鞍山鋼鉄公司におりますというふうに書かれております。その人員は不明でありますが、義勇隊の者が相当数ソビエト地区に抑留されてから、翌年の二月ごろに再び満州に返されておるということは
はつきりした事実であります。それからこれは三重県三重郡の荒木さんという奥さんにあてて、今松江省双鳴子炭坑に働いております荒木要さん、これは御主人でありますが、その手紙によりますと、一節にこういうふうに書かれております。佳木斯で妻とわかれて、団員らと牡丹江に下り、横道河子で武裁解除されて
ソ連に運ばれ、二箇月余りを過して牡丹江収容所にもどされ、東海で
日本人三十名と開墾に従事、昨年二月、この双鳴子に移
つて、百名ほどの
日本人とトロ線の保線、坑木の運搬等をして現在に至
つておるというふうに書いてあります。
それからさらに申し上げますならば、これはハルピンの
日本人民会気付で出されました柿沼氏、受信人は長野県の方でありますが、その手紙によりますとこういうふうに書かれております。一九四五年八月十五日、終戰のときでありますが、チチハルを
たち、戰後の満州をあとに一度ウラジオストツクに行
つて四箇月石炭掘りをやり、状況の変化により牡丹江に帰
つて来て、一九四八年九月までおりましたと書いてあるわけであります。
それから現在松江省穆稜県梨樹鎮鳳山煤礦に勤めておりますところの
中村氏はこういうふうに書いております。小生八・一五の災変以後、ソ国に留用、現在旧満州の牡丹江付近の炭鉱の技術員として祖国遺送の日を待
つて働いておりますというふうに書かれております。すなわちソビエトに捕えられましたとき、九月の対日戰の戰果に
発表されております五十九万四千以上という
数字、そしてその後の出し入れがさらに明確にされおらないのであります。私
どもはこの九月の対日戰の戰果が
発表されました後に、武装を解除されて
ソ連に連れて行かれて、しかも帰
つて来ておるたくさんの
人たちを知つおります。すなわち五十九万四千というタス通信の大前提は、もはやわれわれは今日これを基礎
数字にすることは
意味がないとさえ考えられるのであります。それは
先ほど申し上げました
ような
理由によります。
その二番目でありますが、戰闘地域で即時釈放した七万八百八十名という
数字があります。この数についてでありますが、一旦
ソ連の手中に入つた者である以上、何ら帰国の措置を講ずることなくして、満州でか
つてに釈放する。そうして事後の措置が何ら明確にされていないというのは、私は明らかにポツダム宣言の違反であると思います。ポツダム宣言は、武装を解除した
日本軍隊はすみやかに
日本の国に返して、平和的かつ生産的な生活を営ましめることが連合軍の義務であるということを規定しておるのであります。
その三番目でありますが、タス通信は一九四六年十二月、
日本人捕虜送還に関する
米ソ協定が締結されましてから、一九四九年五月までに送還した者を四十一万八千百六十六名と言
つております。しかしながら
日本側が受取つた
ソ連管下よりの将兵数は約四十三万余であります。しかも一般邦人をも加えますならば、その数は九十一万四千九百五十七名と相なるのであります。四十一万をはるかに上まわるだけではなくして、ソビエト側がつかまえたという五十九万という数をはるかに上まわる九十一万という
人たちが
ソ連地区から帰
つて来ておるということは、これはまつたく驚くべきことであると思います。
数字の魔術であります。ソビエトに数学の革命でも起らない限り、二十世紀の算術を信ずるわれわれとしては、このことは絶対に承認ができない、か
ように考えるのであります。しかもこのタス通信の中にはこういうふうな言葉を
はつきりと使
つております。それは第一次タス通信の末尾でありますが、それにはごこうかれております。
日本人捕虜及び非戰闘員の送還に関し、
ソ連の支出する経費の全額は
米ソ協定によ
つて日本政府によ
つて返済されねばならないというのであります。これは国際法に明確な規定がありますので、これに準じておる
米ソ協定には当然過ぎるほど当然のことであります。ナホトカは
ソ連側が持
つて、ナホトカ以降は
日本の船で運んでおりますからこれは問題がないと思いますが、問題になるのは、
日本人捕虜及び非戰闘員とタス通信は
はつきり二つにわけておるのであります。非戰闘員の送還に関し、否送還どころではなくして、その数、氏名、詳細に関しては何らソビエト側から通報がないままに現在に至
つております。ゆえにわれわれは送還地域、人員、軍人、邦人別の区別が明らかにされていない、そのために返した四十一万八千百六十六名という
数字はどこから出て来たものか、まつたくわからないのであります。
第四番目に、われわれが申し上げたいのは、戦犯着を含めた十万四千九百五十四名の
残留者についてであります。これにつきましては、その当時
ソ連から帰
つて来ました
人たちの報告を総合いたしまして、対
日理事会においてシーボルト議長は次の
ように言
つております。未帰還総数は四十万八千七百二十九名である。そのうち生存と推定される者、ソビエト地区に
はつきり生きておるということが
帰還者の証言やもしくは向うから来る捕虜通信によ
つてはつきりわか
つておる者が十五万三千五百九名いるということを第百六回対
日理事会において言明をいたしておるのであります。この点から見ましても十万四千九百五十四名の残留総数というものはまつたく不可解であります。われわれからすれば絶対に承認ができない。しかもその当時五万も上まわるところの
はつきりした生存確認の証拠をわれわれ
留守家族は握
つておるのであります。
第五番目でありますが、この
発表には
死亡者が一人も含まれておらない、これは驚くべきことであります。その当時シーボルト氏は何と言
つておるかと申しますと、その当時すでに死んだことが
はつきりいたしておる者が、
ソ連地区において三万九千九百三十七人と言われております。これは
帰還者の二人以上の証言に基いて作成されたものであります。二人以上の
ソ連地区からの
日本の
帰還者が現認しておる事実をソビエト側が黙殺し
ようとするならば、これは明らかに人間の基本的な権利に対するところの侵害であると断ぜざるを得ないのであります。しかも一人も
死亡者がないというがごとき
発表はまつたく事実に相違するのみならず、この算術計算を根本的に崩壊せしむるものであると考えるのであります。もはやタス通信の信ずべからざるところの事由は明々白々であると私は考えます。さらに私
どもが遺憾に思い、かつ強く主張いたしたいのは戦犯者に関するところの処置であります。これはタス通信において、戰犯関係取調べのための一部グループを残して、九万五千に達する捕虜の全員が
日本におととしの五月から十一月までの間に帰されるということを公約いたしておりますが、その戰犯者の問題につきましてわれわれはか
ように考えたいのであります。戰犯問題について第一に私
どもがまつたく憤懣というと少し語弊でありますけれ
ども、
留守家族の
立場から言えば明らかに憤懣であるのでありますが、これにつきましては、戰争裁判というのは東京とニユールンベルグで一番大きいのが二つ行われております。その戰犯のカテゴリーといたしまして、平和に対する罪、人道に対する罪、通例の戦争犯罪の三つをあげておりますが、この三つ、しかもソビエトの裁判官がちやんとついて、検事が二人もつきまして、東京の国際裁判で重光葵氏を禁錮七年の刑に処したのであります。この訴因の中もしくはその審理の過程の中にこういうことがいわれております。すなわち
日本が戰争中つかまえておつた米英の捕虜の名簿もしくはその所在、近況、氏名といつた
ようなものは、相手国すなわち米英の政府に対して
日本政府から通報しなければなりません。この通報の義務を怠り、また重大な
理由なくして、赤十字国際
委員会の
人たちが捕虜の状況を視察することを拒むことはできません。しかしながら
日本はこれを拒絶いたしたのであります。そのために重光氏は禁錮七年の処刑を受けております。われわれは戰争中において明らかにこれが犯罪を構成するものであるならば、戰争が終り、平和の鐘が打鳴らされて五年もたつ今日において何らこれらのことについての報告がないということは、私
どもは明らかに犯罪を構成するのではないかと考えるのであります。いな今日赤十字国際
委員会の入国視察を拒否しておるというソビエト側の
態度は、私はどこからそういう根拠が生れるのかまつたく了解に苦しむのであります。さらに私
どもが考えますのは、これはわれわれとしてまつたく遺憾しごくに考えるのでありますが、ここで証言いたしました小澤氏のごときは、ソビエト地区におきまして彼がやつた行為を
はつきりと考えてみるがいいとわれわれは言いたいのであります。彼は共産主義に転向をがえんじない者、いわゆる民主主義者にならなかつた者を反動分子としてつるし上げ、そうしてそれを奥地に逆送した経歴を持
つております。今日残されておるところの
人たちは、遺憾ながら、残念ながらこの
人たちによ
つて奥地に送還された人であると言
つても過言ではないのであります。われわれはこの事実に対してもはや八つ裂きにしてもあきたらない憤懣を感ずるのであります。これは
全国の
留守家族の叫びであります。聞いていただきたいと思います。さらにわれわれがもう
一つだけ申し上げておきたいことがあります。これは
要請状の中に、妨害するための方策として、
日本の国内の受入れ態勢の問題を原因にいたしております。戰争犠牲者の保護、保障、待遇の改善等に関する
日本政府の取扱い方が非常に冷酷なものであり、またその施策の不十分おることはわれわれ
留守家族は身をも
つて知
つております。しかしながら
先ほどお話のありました
ように、われわれから考えますならば、いかに
日本政府の扱い方が、
日本国内の状態がひどかろうとも、それは
ソ連側の抑留を正当化する何らの
理由にもならないということが第一点であります。しかもソビエトの
代表団は、
徳田球一氏と私
どもが一九四七年の四月十九日と九月十四日、このときには
日本帰還者同盟の
人たちが——前身を
ソ連帰還者生活擁護同盟とい
つておりましたが、この
人たちもわれわれの
代表とともに行
つて、
ソ連の政治顧問ゲネラロフ氏から聞いておりますが、引揚げ遅延をしておる
理由は、米ソの問題や国内の政治の問題、施策の問題ではないのだ、それは一にかか
つてソビエト国内の輸送力の問題であるということを言明いたしておるのであります。彼らはその当時われわれに対して何と言
つておるか、すなわち船に積んで行く食糧が足りないとか、あるいはまだ
日本の受入れ態勢がな
つていないとか、あるいは
日本が民主化されていないからソビエトは返さないのだということを言
つてお
つたのであります。これらのことは、まつたくソビエト
代表団の
責任者も否認しておる事実を、あえて曲げて、あるいは故意にか、とにかく彼らは盛んに宣伝しておつたということは事実であります。
それから私が申し上げたいことは、すなわち第一回目のタス通信と第二回目のタス通信でありますが、この間に
矛盾が起きておるのであります。それは第一回のタス通信では、つかまえた捕虜は全部で五十九万四千人と言
つております。現地で釈放したものが七万八百八十名と言
つております。第二次のタス通信は、最後においてこういうふうに言
つておるのであります。
日本の降伏以来五十一万四百九名の
日本人捕虜がソ通から
日本に送還された、そのほか一九四五年には七万八百八十名の捕虜が戰闘地域で解放されておる、こういうふうに言
つておるのであります。七万八百八十名に五十一万四百九名を足しまして、五十九万四千から引いた一万二千七百十一名が
残留者とならざるを得ないはずであります。ところが第二回目のタス通信で何と言
つておるかと申し上げますと、戰犯または取調べ中の戰犯容疑者として千四百八十七名、病気の者九名、そうしてまた中共政府に引渡さるべき九百七十一名、合計いたしますと二千四百六十七名になるのであります。それだけしかソビエトに残
つていないというのでありましたが、それではその間の一万二百四十四名はどこに行
つたのでありますか、これは明らかに幼稚園の生徒でも間違わないと思われる
ような算術の魔術であります。この
人たちが宙に消えてしま
つておる。かくもタス通信というのは当てにならないものであるとわれわれは言わざるを得ないのであります。さらに
死亡者についても何ら言明するところがありません。しかしながら本
委員会でこの前に証言いたしました小澤氏は、この一万二百四十四名の誤差というものはおそらく
死亡者であろう、言外に死亡の
意味を含ませておるのであろうと言
つて、タス通信の誤差については彼も承認せざるを得なか
つたのであります。
死亡者はないと言
つておりますが、
死亡者はこの一万二百四十四名を上まわるということは、
帰還者の現認した事実によ
つて裏づけされておるのであります。
以上申しました諸点、さらに
帰還者実数との食い違い等についても、もはや申し上げることもないほどに明々白々であると私は思います。タス通信はかくも間違つたものであり、さらにタス通信を絶対正しいという基本的な大前提の上に立
つて、
国連にあてて三
団体が出した
要請状というものは、まつたく
意味をなさないとわれわれは考えざるを得ないのであります。