○
小澤参考人 引揚げ問題に関する懇請平和と自由と独立を熱愛し
国際連合憲章とポツダム宣言を無
條件的に支持する
日本勤労
人民を
代表し表記三
団体は貴
総会が日独両国在ソ抑留者問題を議題として採択せるに際して次の如く訴うる事無上の光栄とするものである。
一、
日本人抑留出者の問題は問題の性質からして
国際連合総会に提出さるべき筋合のものではなく、一九四六年十二月十九日の「
ソ連地区引揚に関する米ソ協定」(仮称)に基き実施せらるべきものであると
考える。
二、
日本政府資料の示す在ソ抑留
日本人三十七万余の
数字はある
政治的企図のために、あいまいな虚構の事実によ
つて作為されたものであり真理を愛する
日本勘所
人民が誰一人として信ずる事の出来ないものである。この点に於て吾々は終戰以来前後矛盾なく数次にわた
つて発表せられた唯一のものとして
ソ同盟政府発表を正確なものとして確信せざるを得ない
第一〇二回対
日理事会に於て引揚問題が論ぜられたる際われわれは右
資料が連合諸国を或は欺瞞し或は誹謗するものであり且つ本問題が国際紛争の原因となることを憂慮せるが故に一九五〇年一月十六日
質問状を以て
日本政府にその
数字的根拠を追求したが、
政府門川者は返答に窮し「手
の内は見せられぬ」(「敵に対して味方の陣地は教えられぬ」の意)と方言し、
数字の虚構とその
政治的企図を明白にした
1 右
政治的企図とは次の如きものである第一に終戰当時の出先軍官当局の無脂無賃の
責任を
連合国に転嫁し排外
主義を煽動する
第二にポツダム出宣言に基き
日本の
民主化に
努力する
日本勤労
人民の関心を国外にそらし
民主主義を圧殺する
第三にか
つてのヒツトラー、ムツソリニー、東條にならい反ソ反共の旗印の下に
日本帝国
主義を復活する遺憾乍らわれわれは右企図がポツダム宣言、
日本国憲法を蹂躙して着々現実化しつつあることを認めざるを得ない
民主的諸
団体(第三国人
団体をも含む)の解散彈圧、言論集会自由等の初歩的
民主主義諸権利の蹂躙、警察を仮裝する軍隊の再編成等に現われた現
政府の行動こそはそれを裏書きするものであり全面講和を拒否して
日本を特定国の軍事的植民地に釘付けせんとするものである
2
数字の虚構は左の諸事実によ
つて証明せられる
A 終戰時在外邦人数の不詳
(イ)一九四五年九月二十五日現在に於ける在外邦人数については海軍省と厚生省
調査の二種類があり、それによると
海軍省 七、〇七六、一七四人厚生省六、三七四、九八一人であ
つて、
政府部内で当時七〇万人余の差が生じていた
(ロ)
政府は現在引揚対象基本数として六、六一五、〇八三人を用いているが
一九四八年九月二十四日
六、六一一、〇〇八人
一九四九年四月八日
六、六一三、六〇九人
一九四九年九月一日
六、六一五、〇八三人
と変更しており、これは引揚 完了の地域(
中国、台湾、香港、北鮮、蘭印、比島、琉球、東南アジア)から
引揚げて来たから基本数を増加したものである
B 終戰前後の戰
死者並びに在外部隊配備変更に関する
資料の不祥
一 九四九年四月五日衆議院在外同
胞引揚問題特別
委員会で復員局高山復員課長は敗戰当時の満洲の混乱
状態と関東軍の無秩序、無能によ
つて正確な
数字は把握出来なかつた旨、答弁しており一九五〇年二月六日の衆議院予算
委員会では吉田総理大臣自ら「いわゆる正確な数というものは、多分これだけの人が捕らえられて
ソ連に送りこまれているだろう、という想像上の基礎
数字をも
つており、其の後
帰還者の
報告、総司令部の
報告などによ
つて今日は多分この位の人が残
つているであろう、これも想像に過ぎない不完全な
調査だけである……」と言明している事によ
つても「想像上の基礎
数字」から算出される「三十七万」の米復員者こそ推定であり明らかに虚構であることが
理解出来る
なおわれわれは数多の事実により在満部隊の多くが終戰前南方戰線に移動したことは明白であると確信している
G 在ソ残留邦人三十七万人死亡説の虚構
日本政府資料に基くシーボルト対
日理事会議長の
発表によると「一九四五年より四八年迄の四ケ年間の
死亡者は三七四、〇四三人で一九四五年の
死亡率は一〇%で二七二、三四九人とな
つている
これを逆算すれば一九四五年に
日本人二、七二三、四九〇人入ソした事になりこれはシベリヤの引揚対象基本数を七〇万としている
政府発表より二〇〇万以上も多く大連、北鮮、千島、樺太、シベリヤを含む
ソ連地区引揚対象基本数一、六一七、六五五より更に一、一〇五、〇〇〇人以上も多くな
つている。
この死亡説は
ソ同盟地区(大連、北鮮、千島、樺太、シベリヤ)の基本数に満洲の基本数一、一〇五、八三七人を加えた数二、七二三、四九二人の一〇%二七三、三四九人なのである。すなわち満洲にいた
人々を全部入ソさせて計算した
数字なのである。
D 最終引揚者の証言 一九五〇年四月末取終船の引揚者が「シべリヤ二十八
地区に
日本人浮虜はいない」との各
地区帰還者の署名をと
つて上陸したことによ
つて、
タス通行による
ソ同盟政府の「引揚完了」の声明の正しさが確証される。「三十七万
残留者問題」は
ソ同盟からの全引揚者がひとしく否定するところである。
E
ソ同盟地区外における
資料の不祥
政府発表によると引揚予定数零の南方諸地域よりも若干名づつ
引揚げて来ており生死
不明者が最近に至
つて戰死公報を受けたり、ジヤワ、スマトラ等の南方諸地域に三千名余が生存していることが南方よりの引揚者によ
つて証言されている事によ
つても、
ソ同盟地区以外に相当数生存者がいることは推察出来る。
更に
ソ同盟政府の
発表した引揚
数字の如き、明確な引揚者数は他の国よりは何等
発表されておらず
日本心労
人民に疑惑を抱かせている。
三、「引揚促進」についてかくも狂的騒ぎを示している、
日本政府の復員音引揚者の
生活援護政策の貧困は次の諸事実によ
つて証明せられる。
1、職業 一九四九年度引揚者の就職率は、官庁統計によるも日傭をふくめ二二%にすぎない労働省職業安定局労働市場
調査課調、舞鶴相談七月から十月が一八、三一九人、十一月が四、三八四人、十二月には四、三五八人、求職申込み、七月から十月が一〇、〇六五人、十一月三、七〇一人、十二月三、七四三人、常傭
紹介七月から十月が五、三三九人、十一月一、三三〇人、十二月が一、〇七〇人、日傭
紹介一、八四三人、十一月六八九人、十二月六七〇人常傭就職が七月から十月が二、〇八五人、十一月が五一五人、十二月が四六六人、日傭就職が七月から十月が一、五二六人、十」月が六二八人、十二月が五九一人、補導所申込七月から十月が二一九人、十一月が五三人、十二月が四六人、補導所入所七月から十月が八九人、十一月が四六人、十二月が一八人。
なお興味ある
数字として次の例をあげ得る。この
調査は、区役所が区内引揚者の
生活実態を把握していないため、引揚者が区役所職業安定所に要求して実費を把握ししめ、みずから戸別訪問して
調査せるものである。
東京都品川区大井町、一九四九年度引揚者
生活実態調、一九四九年十二、
調査対象数一八四名、内転出者一八名、不明一四名、失業し寄食、貧困二三名、失業臨時人夫日雇労働者七名、失業(手伝い、使い走り)二八名、就職 しているけれ
ども生活貧困三四名 どうやら
生活している者四五名、普通一五名。
2、住宅終戰後
政府が引揚者用として買收または建築した住宅並びに收容人員は、左表のごとく引揚者約六五〇万のうち、わずか二、三パーセントが收容されたにすぎない。
引揚
援護庁指導課
調査、一九四六年度、棟数二、五五〇棟、收容人員一八六、〇九五人、一九四七年度、二二七棟、二九、〇〇〇人、一九四八年度六、〇〇二棟、三〇、〇一一人、一九四九年度、一二、六六七棟、六三、二九五人。これら引揚者寮の施設は劣惡で、多くは四畳半また六畳に一家数名が雑居し、正常なる人間
生活が営めないものである。
3、
資金資材 引揚者用更生
資金、一世帶わずか一万五千円、応急家財たとえば越冬用寝具、一府県あて約五十組は、慈恵的、名
目的なものにすぎない。
四、以上の諸事実に基きわれわれは
国際連合総会が、その絶大なる権威をも
つて左記に関して適確なる措置をとられんことを懇請するものである。
第一に、
日本政府資料の虚構を徹底的にバクロし
国際連合憲章並びにポツダム宣言に敵対する不当なる
政治的野望を粉砕すること
第二、在外邦人消息
不明者の大部を占める太平洋諸地域に就て、徹底的
調査を開始すること
第三、ポツダム宣言第九條に反し、平和的且つ生産的
生活を保障せられざる引揚者の
生活状態改善の為
日本政府を督励すること、右は平和と自由と独立を熱愛し全世界の平和愛好諸
国民の期待に副うべく
日本の
民主的再建に
努力しつつある
日本人民の心からの懇請である。
以上が懇請文であります。