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玉置(信)
委員 私は先刻
委員長の御
報告を承りまして、きわめて適切なる手続
措置をおとりくださつたことに対して衷心より敬意を表するものであります。その際のお言葉の中にもありましたが、先刻来同僚
委員より申されたいろいろの面を、
国民の声として反映することが望ましいやに承
つたのでありますが、私の手元へ北海道利尻郡仙法志村村長井田定勝氏より、
フイリピンにおいて無期刑を
宣告された者を
本国に
送還していただきたい、こうした
状況の者は全国に
相当数多くあることと思うから、ぜひ私を経て、この
委員会を通じて
国会の名において取上げてくれという切々たる嘆願書が参
つております。幸いにこの間の新聞には、あの
処刑された後に、キリノ・
フイリピン大統領は
裁判所に対して、
戦犯者の再検討をするようにとの命令を下したということが
報道されておるのであります。こうした
フイリピンの
大統領のお
気持等もそんたくいたし、また巷間伝えられるところによりますと、
フイリピンはクリスチヤンの国であるがために、先ほど
池見委員も申されたように、人道上の点から考えても、
戦犯の
減刑ないしは
本国において
服役するということの嘆願をすることは、非常に得るところがあるんじやないかというようなことも考えられますので、特にこの場合この嘆願書を取上げまして、
委員各位の御協力のもとに適当な
処置を講じていただきたいと思うのであります。短かいのでありますから嘆願書を読み上げます。
嘆願書
嘆願の主意
昭和二十四年十一月十九日付
戦犯者として無期懲役の
判決を受け、現在
比島カガヤン州ニユーピリピツト刑務所に
服役中の私の長男、元陸軍兵長落合春一の
服役場所を
日本本国において
服役するようにおとりはからい願いたく嘆願いたします。
嘆願の
理由
私は現在漁業に従事しております。
家族は六人で、私一人の働きで辛うじて糊口をしのいでいる現状であります。長男春一は、昭和十七年以来兵役に服し、太平洋戦争中は
比島方面に派遣されておりましたが、昭和二十一年
一月復員いたしました。以来春一を唯一の力として老後にむちを加えながら家業挽回に専念しておりました。幸いにも近親者の勧めにより現在の妻ヨシを迎えることができ、老後を安穏に暮したいと考えておりました。ところが突然
関係当局よりの出頭命令を受け、昭和二十四年五月出発しましたが、十一月
戦犯の指名を受け、無期刑の
判決を受けました。この悲報を受けた私ども
家族は、悲嘆の涙に暮れ、失望落胆の毎日を送
つております。その後の消息によりますと、
比島カガヤン州ニユーピリピツト刑務所に
服役していることを知りました。そうして月一度くらい音信がありまして、それが私どもの何よりの慰安であり、
フイリピン政府のとりはからいに衷心感謝しておりますが、人情として親の身といたしましては、異国の空で
服役することはまことに忍びないものがあります。せめて
本国で
服役できるものならと、今はただそれのみ願
つております。
政府もいろいろ御盡力くださ
つておりますのはよく存じておりますが、こうした
留守家族の衷情をお察しくださいまして、私どもの懇願が
実現できますよう御高配をお願い申し上げます。
北海道利尻郡仙法志村字神磯七十三番地
父 落合 彦松
かような嘆願書が参
つておるわけでございます。私はいろいろの質問がありまするが、それを後刻に譲りまして、この悲痛なる嘆願書を読みますうちにひとしお胸を打つものがあります。またせんだ
つての新聞
報道によりますと、同じく
フイリピンの刑務所に
服役しております某将校の夫人あてに、参つた
手紙が奥さんの名において発表されておりました。その内容を簡単に申し上げると、
処刑が行われた後の
戦犯者の
気持は
——私もいつどういう結果になるかわかりませんがということで通信をされ、その夫人が同じ
立場にある
家族の方々と寄り合
つていろいろ協議された実情を
報道されたことを見まして、私はまことに涙を禁じ得ないものがありました。どうか重ねて申し上げますが、当
委員会とし特に
委員長におかれまして、こうした嘆願の趣旨をとくとおくみとりくださいまして、適当にお取扱いあらんことをお願いいたす次第であります。