○相馬助治君 成るべく発言を少くしようということで来ておるのでありますが、
只今何回か天野
文部大臣が立たれての答弁に、事情が止むを得ない、こういうことをおつしや
つておる。その止むを得ない事情とは何であるかということを解明しない限りにおいては、本問題は解決しないわけであります。
もう
一つ私
どもがこれについて問題としておりますのは、そこに大臣も坐
つておられて、
地方公務員法の
立法に当
つて十分なる
意見を述べられたように、いろいろ答弁をなされたのでありますけれ
ども、楽屋裏はそうでない、我々は知
つておる。事実は何よりも雄弁であ
つて、自治庁の答弁を聞いて見ましても、
地方公務員法が出て来るというと、この
法律を優先して、これに抵触するところの
教育公務員法の一部を改正するのだと述べておる。その改正の部面ば何だと申しますと、
教育公務員法の中に、
職員及び
地方公務員は
国家公務員の例に倣うと書いてある。それが抵触するから直すのだと
地方自治庁では答えておる。ところが天野
文部大臣は、荷主述べられておりますることは、敗戰日本の現実に照して、
教育の重要性に鑑み、当然
教育費というものは、理想としては国家が見なくてはならない。少くとも国家が見ないまでにも、関家的規模においてこれを與えるべきであるという、誠に尊敬に値いする
意見をしばしば吐かれている。天下五十万の
教職員をして、この人文相にありとして心強さを感ぜられておる。これが天野
文部大臣の今の反動的な吉田内閣の中にあるただ
一つの道理のある感覚であるとして、我々はこれに対して期待しておるにもかかわりませず、事情止むを得ないということだけで片付くとは私はどうしても受取れないのです。甚だくどくはありますが、然らばどういう事情なのであるか、抽象概念としての何々というような、論理学的な
説明その他ではなくて、この具体的の問題として先ず私は御答弁を願う前に、基本的な
一つの要件を申上げて見たいことは、行動をしなくても
政治教育はできる、これは成るほどはんぱなことはできるかも知れませんが、私はできないと断じたい。(「ノーノー」と呼ぶ者あり)何故ならば民主主義というのは、御承知のように今日広汎に使われておりますが、狹義に申しますれば、これは
政治の形式である。
政治の形式であ
つて、議会中心の
政治である。議会
政治を我々が認めるならば、
政党政治であるということを認めざるを得ない。私
ども現在の
国会には無所属のかたもありますが、これは
一つの
政党なんである。今の自由党、社会党は論ずるに足らない、我々はほかのものには入ることはできないという
一つの
政党としての意識を持
つておる。
従つて今の議会を構成している全代議士、参議院議長は、全部これは
政党としての
一つの意識の上に立
つていることはこれは論を待たない。そういうように考えて来まするというと、
政治というものは現実の手近なものを処理して行くためには、遠いところに光を求めて
一つの理想を持
つている。これが
一つの
政党政治の形であります。そういうことを考えたときに、この
地方公務員法を大臣つらつら見て下さい。三十六條に七面倒くさい文章が書いてありますが、これを簡單に要約するならば、
教員は
選挙だけをしろ、あとは何もするな、こう帯いたことと同断でありますが、私このときにしみじみ考えますことは、人間の性慾である。神様が人間に性慾を與えておりますが、人間の性慾は一年中これは発動できます。
動物と違う。これが人間であるからである。私は神様の道としみじみ考えます。だからこそ我々は何らあせらない。と同じように、
教員が成るほど
選挙活動なんか嫌いなものはしなくてもよろしい。
政党の批判もそういうことはしなくてもよろしい。併しながら事情によ
つては
政党の批判もしなければならない。ときの
文部大臣の施策についても批判をしなければならない。又少くとも最小限度するかしないかは、その者の自由として、そうした権利は保留しなければならない。そういう基本的な権利のない者がどうして
教育ができるかということを私は訴えたい。
第二の事情は、いろいろの事情ということは、マッカーサー書簡の出た事情を言われておると思うのです。私はこれに対しまして成るほど
教員組合等を含めた当時の組合運動の幾つかの点における行過ぎを私は否定するものではありません。併しながら少くとも
一つの国が民主的に脱皮しようとするときには、素朴な形で、表面から見ると破壊的な
一つの表現があり得る。天平年間の仏像が今日我々が幽幻であるとか何とか言うておるけれ
ども、あの
時代の人は非常に象徴的な六のであるから天平
時代の仏像の線が出て来たときには、こんな人間くさい仏像は仏像でないと批判しておる。ところが
時代がた
つて見ると、天平
時代の仏像こそ芸術の極致であると我々は
言つておる。我々は将来を考えたときに、この参議院において議論されているようなことはまさにこれは悲劇である。なぜならばです。そういうふうな
一つ一つの事情を見て、これはこの際
教員の
政治活動をふん縛るというがごときことは、これは後世の歴史家にこれはあからさまに批判されて、これは非常に大きな祖国再建へのこれは汚点を残すものだとかく増えるので、従いまして
教員が特殊な
性格を持
つておる。特殊な職能を持
つておる、
従つていろいろな
意味で
制限されなければならない。それは一般概念的な論であ
つて、私は
教育公務員というものを
地方公務員の枠から外して、單独の
立法として真実にこれを眺め、しみじみこれを
立法して行くというのならとにかく、味噌も糞も一緒にしてそうしてこういうふうな
地方公務員法というものを出して、この際
教員の
政治活動というものを大幅に
制限することは、日本の将来のためにも、そうして文化国家として再建されなければならない敗戰国民の当然の義務としても、私は反対せざるを得ないのであ
つて、大臣その事情止むを得ないのであるというその事情につきまして、一々具体的に
納得の行くよりに御
説明、御指導賜わりたいと思います。私はあなたの通りの感覚を期待いたしまするが故に、あえてくどいようでありますが申上げます。