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委員外議員(宮城タマヨ君) 本年の十月八日から十三日まで米國のセントルイスで開かれました米國第八十回年次矯正保護の大会に
政府代表として出る
ようにということが休会中に私に交渉がございまして、愼重に考えましたけれども、
國会のほうでも、殊に少年の保護問題については特に
関係を深くしております
ようなこともございますので、結局参ることにきめまして、九月の終りに
日本を立ちましてセントルイスに参りましたのでございます。そのセントルイスの会を済ましまして、それからワシントンに行きます途中いろいろな施設を見ましたのでございますが、丁度ケンタツキーのルイスビルという所へ参りましたときに、はからずもルーズベルト夫人から、ニューヨークヘ来たら会いたいという手紙を頂きましたので、それで途中ワシントンも少し早目にいたましてニューヨークヘ参りましたのでございますが、ニューヨークでルーズベルト夫人にお目にかか
つたのでございます。そのときに私は何の意味でお会い下さるということかもよくわかりませんでしたが、勿論
政府代表としてという意味ではございませんで、個人でお目にかかる意味で随分
準備もいたしました。と申しますことは、とにかくナンバー・ワンでいらつしやる、アメリカにおいての女性のナンバー・ワンでいらつしやるルーズベルト夫人にお目にかかりますについては、
自分といたしまして十分の心の
準備をしなければならないと思
つて、それこそ宿におりまして一日も二日も靜ま
つて、そうして
準備をいたしましたときに、随分話題といたしたいことがたくさんございました中の
一つといたしまして、丁度いい機会でございますから、今
日本の大きい問題とな
つております、殊に私
たち母の立場にあります者の大きい心の問題として、一日も忘れることのできないところの引揚問題については、どうしてもいい機会でございますから
一つお願いして見
よう、殊にルーズベルト夫人は國際連合のほうにも
関係していらつしやるかたでございますからというふうに考えまして、このルーズベルト夫人にお目にかか
つたのでございます。丁度考えました
ように、この引揚問題にも話が持上りましていろいろ申しましたら、ルーズベルト夫人が、それは丁度いいことがある、あの
サムプソン夫人がこの方面の問題を引受けてや
つていらつしやるから、あの
サムプソン夫人にお会せする機会を作りますということでお別れしたのでございますが、そうしましたらすぐその翌日、つまり十月のたしか二十五日でございました、國際連合で、つまりレーク・サクセスの國際連合が開かれておりますその会の席上で
サムプソン夫人にお目にかかる
ように
準備ができまして、これはこの
サムプソン夫人の秘書を通しまして私の秘書に電話がございまして、ゆつくり
お話を聞きたいからお晝の食事を一緒にしたいということで、それで私はお約束の
通りにお晝の時間に特にその
お話をする意味において食を共にいたしましたのでございます。そのときに、私はこの
委員会に或るときには
委員として出ましたけれども、今は
委員ではございませんので、
委員会の空気とかいう意味でなしに、本当に
日本の國民の一人として、女性として、母として、そうして又参議院の一人といたしまして、私の能う限りの材料を提供し、能う智惠の
範囲におきまして熱心に引揚問題について何とか御努力が願いたいということをお願い申したのでございます。そうしましたら
サムプソン夫人は、丁度そのときに一緒に私に会
つたほうがいいという他のお客様数人をもお招き下す
つたのでございますが、その
かたがたも又この
日本の留守家庭の
実情をお聞き頂きまして、何とかこれは國連で今度こそ解決して欲しい問題だという
ように、そばの
かたがたも大変力を入れて下さいまして、この
サムプソン夫人も殊に熱心に、私はこのことをやらなければならないと、最後にお別れするときなんかは、それこそ目に涙を浮べて、引揚のことを一生懸命にやります。必ず成功する
ように努力しますから、
日本にお帰りにな
つたら、殊に留守家族の
かたがたをお力付け下さいまして、お力を落さないでもう暫くのところ待
つていてくれということをおつしや
つて下さいという
ような
お話もございまして、
お話は三時間ぐらい続けましたが、お別れして参りましたのでございます。そうしましたら、その日の夜六時でございますか、
サムプソン夫人のところからお使いがございまして、
日本の
かたがたにメッセージを書きましたから持
つて帰
つて、然るべく発表して頂きたいということで、ここにでございますこのメツセージを私は受取
つて参りましたのでございます。帰りましてからも、どういう
方法でこれを留守家族の
かたがたに知らせ、國民に
お話したほうがいいかと思
つておりましたが、一番この問題について懸命にお取上げにな
つております当
委員会に先ず申上げるべきだという
ように私が考えましたので、この第九
國会が始まりまして
委員会が成立し、そうしてこの
委員会においての
委員長もきまりましたその翌日、二十四日と思
つております。こちらに参りまして
委員長に御相談した
ようなわけだ
つたのでございます。それで
只今からメッセージを読まして頂きます。
一九五〇年十月二十五日、
日本の國の皆様に私個人としてメッセージをお送りいたします。國際連合を訪問された宮城夫人を、今日私の賓客としてここにお迎えし、お目にかかることができたのを喜んでおります。同夫人は沢山の
日本の女性の消息をもたらされました。この婦人達の夫や子供や又父親は今日までまだ復員していない戰争俘虜の中に数えられているのであります。偶然とでも申しまし
ようか、私は國際連合第五回総会のアメリカ代表の一員として「ソ連地域に抑留されている俘虜の復員又は彼らに関する消息のソ連の不履行の件」について担当することにな
つています。すでに数週間に亘りまして私はこの問題に関する今までの
事情と統計を調べて参りました。その他数年来この問題に携
つて来た沢山の役人とも会談いたしました。私達は何らかの解決が早くなされる
よう希望するが故に、この問題を國連総会に持出す道徳上の
義務があると私は確信するものであります。私は家庭や家族から切離されている軍人や市民の家族へ深く同情いたします。この人達が続けて抑留されるということは、今日の私達の考えている正しい行動の基準に反するもので、つまり甚だしい人権の無視であり、常識とな
つている國際法の規約への違反であると私達は確信します。この人達の家族に私は確信を持
つてこう申すことができます。というのは、國際連合はその方々のためにあらゆる道徳的な迫力を加えて、問題を円満に解決するだろうと強く確信しているのであります。
エデイス・エス・サムプソン。
これだけでございます。この飜訳は外務
委員会の專門員の坂西志保先生がなさ
つて下さいましたのでございます。これだけでございますが、これをこの
委員会で取上げて頂きますか、或いは又他の
方法によるべきでございますかということも、この一番
関係の深い
委員会でお考え頂きたいと思います。