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1950-12-06 第9回国会 参議院 決算委員会公団等の経理に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十二月六日(水曜日)    午前十一時二分開会   ――――――――――――― 昭和二十五年十一月三十日決算委員長 において、小委員を左の通り指名し た。            小杉 繁安君            仁田 竹一君            廣瀬與兵衞君            カニエ邦彦君            小林 亦治君            棚橋 小虎君            杉山 昌作君            常岡 一郎君            溝口 三郎君            岩男 仁藏君            谷口弥三郎君            矢嶋 三義君 十二月一日小委員長互選の結果左の通 り決定した。    委員長     棚橋 小虎君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件特別会計政府関係機関及び終戦処  理費経理に関する調査の件  (昭和二十三年度会計検査院決算検  査報告批難事項第三百九十七号足利  工業株式会社に対する二重煙突代金  支拂並びにそれに関連する事項の  件)  (右件に関し証人の証言あり)   ―――――――――――――
  2. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは只今から決算委員会の公団の件に関する小委員会を開会いたします。  今日は昭和二十三年度会計検査院決算検査報告批難事項の第三百九十七号足利工業株式会社に対する二重煙突代金支拂並びにこれに関連するものに関して、五人の証人出席を求めまして、慎重に調査することにいたした次第であります。各証人におかれましては、御多忙中御出席をお願いいたしまして御迷惑のことと存じますが、本小委員会が国会の権威にかけまして、慎重な調査をする意図をお汲取り下さいまして証言されることをお願いするものであります。  これから宣誓を行いますから御起立を願います。傍聴のかたも御起立を願います。大橋武夫証人から順次宣誓をして頂きます。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕     宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もか  くさず、又、何事もつけ加えないこ  とを誓います。        証人 大橋 武夫
  3. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 只今からして、どうぞ……。それでは順序といたしまして、特調長官から先にお願いいたしたいと存じます。  それではもう一遍御起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓行つた〕     宣 誓 書  良心従つて真実を述べ、何事もか  くさず、又、何事もつけ加えないこ  とを誓います。        証人 根道 廣吉
  4. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 証人に対して尋問をお願いいたします。昨日の小委員会におきまして、小委員外委員のかた、即ち決算委員会かたがたには質問されることをお許しすることにいたしましたから、委員のかたは遠慮なく御質問を願います。それでは大橋証人から……。それでは委員のかたから順次御質問を願います。
  5. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 大橋さんにお伺いしたいのでありますが、最近のですね、この新聞雑誌の報道されておるところによる、いわゆるこの二重煙突事件というものに対して、何かあなたがこれに関係があるようなことをしばしば我々は耳にいたすのであります。一国の法務総裁の要職にあるところのあなたが、たとえそれが、これは私は単なる噂にしろです、非常にこういう噂が出るということは遺憾に思うのでありますが、そこで今日はそれらの問題について、その国民が疑惑を持つておる、その所在するところの理由と、そうしてその真偽のほどを明確にするために伺いたいと思うのであります。  先ずそこで問題となつております足利工業、前は組合、現在は会社に対して、あなたがどのような一体関係を持つておられるのか、その点をお尋ねしたいと思います。
  6. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 足利工業株式会社につきましては、昭和二十三年の四月頃から昨年の春まで私、顧問を頼まれまして、主として土木建築事業部門を創設いたしまして、これを指導いたしまする仕事を頼まれてやつておりました。
  7. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでこの本事件の中心となつておると思われるところの高橋正吉、いわゆる足利板金専務取締役高橋正吉氏についてですね、この人間を知つておられるかどうか。
  8. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 承知をいたしております。
  9. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは高橋とは一体何年の何月頃、どういうような関係で初めて知り合になられたですか。
  10. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 高橋専務が、私が足利工業顧問として、土建部門を指導して欲しいという希望を持つておるということを特別調達庁の者からいわれまして、顧問として就任することになつたわけであります。知つたのはその際であります。
  11. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その際と申しますと、何年何月頃ですか。
  12. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 顧問になりましたのは一昨年の四月頃であります。
  13. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで初めて高橋とお会いになつた場所はどこでありましたか。
  14. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは特別調達庁附近の、何でしたかね、あれは確か料理屋で初めて会つたんだと思います。
  15. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その料理屋は何という名前ですか。場所は大体どの辺ですか。
  16. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 場所は大体白木屋の附近であつたと存じますが、正確に記憶いたしておりません。
  17. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その高橋と最初会うとき、偶然に道で会つたのか、或いは誰かが紹介したのか、どういうような機会で初めて知り合つたのですか。
  18. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私が顧問就任してくれるように希望をしておる、ついては会つてつてくれと、こういう紹介がありまして会つたわけであります。
  19. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 誰から紹介があつたのでありますか。
  20. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは特別調達庁石破事務官であつたと思います。
  21. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで今度は高橋人物について、親しくお付き合いになつておるのですが、性格人物について知つておられる範囲において一応お述べ願いたい。
  22. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 性格と申しましても、特に変つたところはないと思つております。
  23. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋は常にほうぼうで、わしは大橋秘書だというようなことをいつておるのですが、あなたがこれを秘書にするということをいわれたことがありますかに、或いは又秘書にしておつたことがあるか、その点について伺いたい。
  24. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 秘書にいたしたこともなし、又秘書にするということを申したこともありません。
  25. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋と知り合つた当時、あなたは戦災復興院のどういうような仕事をしておられたか、或いは又そのときは、最初知り合つて料理屋で会われたときは何をしておられたか。
  26. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 当時は一介の弁護士をいたしておりました。
  27. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 最近この高橋と会われたのはいつでありますか。一番最後に会われたのはいつでありますか、それは場所はどこであつたか。
  28. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 一昨日でありましたか、衆議院食堂ちよつと会いました。
  29. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 昨日ですか、そのときに高橋との話合いは、どういうことを話したか。
  30. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 証人に出頭するということを私にたしか申しておつたと思いまするので、事実をありのままに申上げないといけないであろう、こういうことを注意いたして置きました。
  31. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときにその会う連絡は、あなたが高橋を呼んだのか、高橋があなたを呼んだのか。どういう関係において衆議院食堂で落ち合つたか。
  32. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私が食事のために衆議院食堂に行きましたら、そこに高橋がおつたわけであります。
  33. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋会社をいろいろな事情でやめまして、そうして最近国警予備隊の宿舎の賄いをやらせいということで、その点について君がやらせた、或いは世話をしたということであるか、その点について説明願いたい。
  34. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) さようなことは全然私は関係ございません。
  35. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今まで御答弁になつたことは少しも間違いはございませんか。念のために伺つて置きます。
  36. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ……。
  37. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次に先ほど御答弁になつた昭和二十三年四月頃から顧問就任してくれという要望があつて顧問になつたということで、最近までやつてつたということを言われておるのですが、実は幾日でしたか、ちよつと私も記憶がありませんが、後ほど資料で差上げますが、たしか十七日の日であつたと思いますが、時事新聞記事に、どこかあなたが国警予備隊調査のために東北方面に出られておつた機会に、出先で時事新聞に対して、自分特調から頼まれて、そうしてこの国の過拂、いわゆる拂い過ぎておる金を取立てるために顧問になつた、こういうことを言つておられるのでありますが、その点はどうなんです。
  38. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 顧問になりましたのは、私は足利工業において土木建築をやりたい、そのほうのスタツフを作ること、仏事を指導すること、そういうことを引受けてもらいたい、こういう趣旨顧問就任いたしたのであります。特調のこの問題となつておりまする過拂代金取立ての問題につきまして、私が顧問になつたわけではありません。ただこの代金取立特調から頼まれまして、それによつて盡力をいたしておるということは事実であります。
  39. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ところで、ここではつきりしない点は、特調長官根道氏は、特調としてこの件に関して取立大橋君に依頼した覚えは毛頭ないと委員会で述べておるのでありますが、どこで一体そういうような依頼特調から受けたか。
  40. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 根道君が根道君として言われておることは根道君の御記憶で、その通りであろうと思います。実はこの週初代金の問題につきましては、私一昨年十二月初めより選挙のために島根県に帰つておりました。その留守中のできごとでございまして、私は当選をいたしましたる後、一月の末に東京へ帰つて参つたわけであります。一月の末でありましたか、二月の初めでありましたか、特別調達庁監事でありまする三浦君から、お願いしたいことがあるから一度特調へ来てくれということで、私は特調三浦監事部屋へ参つたわけであります。その際に三浦監事、それから川田経理局次長でありましたか、このお二人から、実は私の留守中に特調の手違いによつてこの代金の過拂をいたしておる。ところがこれに対して回収を図ろうとしたところが、会社には全く金がないようであつて、取返すことができない。ついては私が顧問として会社関係いたしておる立場において、自分たちも困つておるのであるから、何か助けるために考えてくれないか、こういうことでありまして、私はこの過拂金を会社から返還させるために盡力しようという約束をいたしたわけであります。
  41. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ところで当の責任者である根道長官が、特調としては頼んでいない、依頼したことがない、間違いでないか念を押したところ、はつきり特調責任者として、そういう覚えはないと言う。今、根道君の話はその立場で言つておられるので、私は三浦、或いは川田に頼まれたと言つておられるが、本件質問のときにはですよ、これは川田氏も、長官である根道氏には、事がこういう重大なことになつておるのでありますから、全部話をしておるはずなんでありますよ。それにそういうようなことは、私はあり得ない、私は法律的には一体そういうことはどうなるのか、これは法律家じやないからわかりませんが、とにかくそういうことである。それからもう一つは……。
  42. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ちよつと待つて下さい、それをお答えいたします。当時は根道君は私は長官でなかつた記憶いたしておりますが、これはお調べになりましたか。
  43. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 当時根道者長官であろうがなかろうが、現在は長官であるのですよ。役所というところは、その時分長官でなかつたら頼んだ、頼まんというわけではないのですよ。特別調達庁として私としては頼んだかということですよ。誰が頼もうと、係長が頼もうと誰が頼もうと、そんなことをいつておるのじやないのですよ。特調からあなたが頼まれたという以上は、特別調達庁から頼まれたのであるから、私は別にその当時の者が誰であれ彼であれ、そんなことは問題にならない。  これは議論になりますから、時間もありませんからよしまして、先ほど言われた十一月十六日附の時事新報記事、この記事に対しては、一体記事が本当なのか、或いはあなたが言われたのが本当なのか、どつちが本当なんですか。
  44. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私は宣誓をいたして只今申上げております。
  45. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうするとですね、ここで、これは私はあなたのような法律家じやないのですからわかりませんよ、わかりませんが、昔から金を取立てる……、そうして特調から頼まれたというのですよ、特調から頼まれて、特調取立てる側、債権者ですよ、足利板金はこれば拂うところの債務者である、その取立てる役の債権者に頼まれてあなたがその顧問をしたというなら話はわかる。ところが何のことはない、債務者顧問になつて、そうして取立てるというようなことは、どうも私は聞きとれないのであります。  而もこれは後ほど伺いますが、あなたは月三万円ずつの顧問料足利から取つておる。顧問料債務者から取つてつて、そうして債務者顧問になつておる、取立てるためにおれは顧問になつておるという時事新報に対するところの、これは単なる時事新報じやありませんよ、天下の公器でありますよ、国民はこれを全部信じて読んでおるのでありますから、こういうようなおかしな理窟がどこから成り立つか。
  46. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) カニエさんは非常に興奮しておられるようですが、これは事実が違います。と申しまするのは、私はこの事件が起きまして以後は、特調のために返還するように盡力をいたしておりまするが、併し顧問料を月々もらつてはおりません。私はその月以後顧問料をもらつておらないということをはつきり承知を願います。
  47. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうしますとあなたは時期はどうであつたか知らんが、足利工業から、或いは又如何なる名目にせよ金品をもらつたことはないですか。
  48. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私は顧問として就任いたしました一昨年の春から昨年の春までは顧問料を取つております。顧問料というのは、これは車代として取つております。併しながらその以後は取つておりません。
  49. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もらつたのは大体幾らぐらいですか。
  50. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 月に三万円でありますから、約一年でありますから三十数万円ぐらいになつておると思います。
  51. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで先ほどの話に戻りますが、足利板金が取過ぎたという過拂の件について、あなたはいろいろとこれに関係されたそうでありますが、具体的にその関係事項について一つお話を伺います。
  52. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 過拂については私は関係ありません。私は過拂をして困つておるのだが、何とかしてこれが調達庁に返るように盡力をしてくれろということを、先ほど申上げましたお二人から頼まれまして、その後盡力をいたしたと、こういう関係であります。
  53. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 盡力をされたといつても、具体的にはどういうふうな盡力をされ、どういうようなあなたとしては行動をされたか。
  54. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この過拂が明らかになりましたる当時におきましては、足利工業が、暮に調達庁から受取りましたる約四千万円の小切手というものが現在の第一銀行足利支店、当時は帝国銀行と申しましたか、そこへ全部入つたらしい。併しその前に会社或いは会社関係者手形があつたらしくて、その手形を落して別命預金としては殆んどなかつた。そこで会社から取立てようにもなかなか国難である、併しこの会社というものは田中高橋両君株主であります。この両名の個人財産によつて回収を図るとすれば、これは回収ができるかも知れない、こういう趣旨でいろいろ調達庁関係者が両名を呼んで話して見たようでありまするか、併しこれは会社債務であるから、会社が破産をすれば、その上重役個人として責任を食う必要はないではないかというのが、当時の田中社長高橋専務考え方であつたようでありまするが、私は顧問といたしまして、そういう考え方は法律的には可能であるかも知れませんが、現実にこの会社株主というのは、今の社長事務の二人だけではないか、いわば二人たけの個人経営も同じようなものである、従つて会社財産によつて完済できない場合に、而も官庁の過拂代金弁済であるから、これは個人的にも責任を負わなければならないものであるということを極力説得いたしまして、遂に両名が私の話しました趣旨を容れまして、調達庁に対しまして会社としてのあの弁済の計画を立てますると同時に、会社として弁済のできなかつた場合においては、この二人の重役が、個人財産を以て弁済しよう、即ち個人の資格において連帯保証の責に任じようということになつたわけであります。当時この旨を二人の名前誓約書として調達庁へ提出いたしました。その際私は立会人としてその誓約書署名捺印をいたしておるようなわけであります。
  55. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはいつ頃で、どこで、そういうようなあなたのお話がいつあつたのですか。
  56. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは大体一昨年の二月から三月にかけてのことであると思いまするが、私が両名の署名捺印をさせましたのは、交詢社の二階にありました足利工業事務室であつたと思います。併しその後は、その書類を調達庁へ持つて行きまして、権か三浦監事川田次長に差上げた、かように記憶いたしております。時期は大体一昨年の二月から三月頃であつた記憶いたしております。
  57. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは交詢社の二階だけであつて、その他の場所では本件についていろいろ話会いされたことはありませんか。
  58. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは会社の今の両名との話合いを指されるのだと思いまするが、そのことは会社の他の一般の社員の他聞をはばかりまするので、主として交詢社事務室話合いました。
  59. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは何回ぐらいでございますか、一回だけでありますか。
  60. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これに、ついては三、四回私が話合いをいたしたいと思います。
  61. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その当時何か高橋正吉会社から、もう会社状態もそういうような壊滅の状態になり、過拂はできる、それでこれはもう早く手を引いたほうがいいというような考えがあつたかなかつたか知らないが、とにかくそういうようないきさつからして、高橋会社から手を引きたいというような話合いが出て、そうしてあなたが何かそれに対して話合をされたことがあるのですか。
  62. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私はもともと会社におきまして顧問として與つておりましたる仕事は、会社土建部門を創設いたします、即ち土建技術者その他の土建関係スタツフを新らしく作り、そうしてそれによつて土建関係事業をやつて行く、これらの仕事を主にやつておりました。これが会社経営ということになりますると、実は会社とは申しまするものの、田中高橋両氏だけが株主で、殆んどまあ個人組合のようなものでございまするから、さような会社をどうするとか、或いは誰が手を引くとか、そういつた問題については私は余り干與いたしたことはないように覚えておりまするが、従いまして今御質問になりました事柄につきましても、そういえば高橋専務が引きたいと言つたのであるか、そういうようなこともあつたようにおぼろには記憶いたしておりまするが、どういう事情でそういう話が進められたかということの詳細につきましては、申上げ程度記憶いたしておりません。
  63. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで次にお伺いする間に、先ほど申しました新聞記事の何か出て参りましたから……、十一月十六日附の時事新報の見出しに、「就任特調依頼大橋法務総裁談大橋法務総裁は目下警察予備隊視察のために東北に出張中であるが、同相はかねがね「私はこの事件についてやましい点は全然ない、顧問になつたのは未納金を取り立てるため特調などから依頼されたためであり、当時の小切手などを調べれば潔白が証明されるはずだ」と言つておられる。この点については別に間違はないのですか。
  64. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 新聞記事については私は責任を持つわけには行きませんし、又事実仙台に時事新聞の記者が一緒に来られたということについても全然記憶いたしておりません。
  65. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、これは時事新報がこういうようなことを架空ででつち上げたものか、或いはあなたが多少でもこれに似寄つたことを話されたのか、その点についてはどうですか。
  66. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この問題につきましては、かねて雑誌等におきましていろいろと虚報の事実が流布されておりまして、新聞社その他におかれましても、真相を明らかにされる意味において、私のところに真相をお尋ねになつたかたがたがございます。それらのかたがたに対しましては、私はいつも只今質問にお答え申上げ通り真実申上げでおつたわけであります。併しそれらのお話をどういうふうにお受取りになり、どういうふうに記事にされたかということは、これは新聞社のほうのお考えによるものと思います。私は常にどなたに対しましても、この問題のいきさつについては真実以外に申上げておりません。そうして真実は先ほど御質問に対して私がお答えいたしたのが、私の記憶いたしておりまする限りの真実でございます。
  67. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで又真実を言つておられるのは結構なのですが、記事表現の仕方が、こういう表現の仕方であるかどうか、それは別として、とにかくこの記事に書いてあるような趣旨のことを述べられたということはあるのですか。
  68. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 趣旨から申しますと、先ほど私が申上げましたことと大分指摘された記事趣旨は違うと思います。それはどういう点が違うかというと第一、私の就任いたしましたる当時におきましては、未だ過拂が行われておりません。従いまして過拂を取立てるために顧問就任をいたしたというようなことを、私が申すはずはないわけであります。この点だけでも事実と違うし、又事実と違う以上私がそういう趣旨のことを申すはずはなかつたわけであります。
  69. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この点はこの程度にして置きまして、次に高橋が二重煙突仕事を契約していた当時のことについてお伺いしたいのですが。
  70. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この契約はいつ行われましたか、私は全然存じません。
  71. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次に足利板金の現社長であり、当時は組合長であつたという田中平吉という人を御存じですか。
  72. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは私会社事務室において十回くらいお目にかかつたことがあります。
  73. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで一番最初に田中平吉とお会いになつたのは何年何月頃で、どこでお会いになりましたか。
  74. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは交詢社ビルでないほうの、あれは何というビルでございましたか、もう一つ足利工業事務所がございました。その部屋で私が法務府に就任いたす間もなくお会いいたしました。
  75. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうするともう一つビルというのは、場所なりお名前御存じないですか。
  76. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 場所はやはり銀座でございまして、交詢社ビルよりも北のほうへ参りましな、約一町ほど北のほうに参りました角にありまするビルでございます。
  77. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 私の聞いておりますのでは、尾張町の尾張ビルの七階というふうに聞いているのですが、尾張ビルでなかつたのですか。
  78. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 或は尾張ビルと申しましたか、その七階にも小さな部屋があつたようですが、私の会いましたのはそこではなく、たしか三階だつたと思います。三階か四階に部屋がありました、恐らく三階であつた記憶いたしまするが、東北の角の部屋であります。
  79. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ほどの話に戻りますが、特調三浦というかたは、当時特調の何をしておられて、そうしてあなたとの関係はどういう関係になるのですか。
  80. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 三浦君は当時特別調達庁監事をしておられました。長らく鉄道省におられまして、その後戦災復興院に技官として、特別調達庁創立に際して監事として特別調達庁に入られたかたであります。
  81. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その人とあなたとの間柄は、一体どういうことなんですか。どの程度に親しいのですか。
  82. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 戦災復興院当時に、同僚としてお付き合いをいたしておつた程度であります。
  83. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 特調で契約局長をやつてつた伊藤清という人を知つておりますか。
  84. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 伊藤清君はよく承知しております。
  85. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 伊藤清君とあなたとは、どういう関係でいつ頃から知つておりますか。
  86. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 伊藤清君は、内務省におきまする私の二年ほど先輩でありまして、昭和三年、私が内務省に見習として入りました当時は、たしか地方の課長をしておられたと思いまするが、その後同じ系統の役所に勤めておりまする関係上、いつとはなしに御懇意にお願いいたしております。
  87. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 伊藤清が島根県の知事か何か、あなたのほうの知事をしておつたということであつて、その後あなたがこれを特調に斡旋して、引つ張つて来たというようなことを聞くのですが、その点についてはどうですか。
  88. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 知事もいたしておりましたが、島根県の知事をなさいました後、東京都次長をなさいまして、知事公選の際に交替せられたと思います。その後特別調達庁ができましたる当時に、重田長官が御採用になつたわけであります。
  89. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その当時は、あなたは戦災復興院の次長をされておつたのとは違うのですか。
  90. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) そういうわけでございます。
  91. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 横田浩吉という人を知つておりますか。
  92. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 横田浩吉君というのは若い事務官で、戦災復興院から特別調達庁行つた人であります。
  93. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 このかたとの関係はどの程度関係ですか。
  94. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 上司と下僚という関係でございます。
  95. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋正吉昭和二十二年頃、政令百六十五号違反で京橋署か、あの附近の警察署に検挙されたとき、あなたがその釈放方についていろいろ運動されたという事実があるかどうか、その事情を伺いたい。
  96. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 何年頃でございますか。
  97. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは私もはつきりわからないが、事件の発生当時でしよう、これは昭和二十二年ですね、だから結局三十三年度に処分を受けたとすると、二十四年度あたりに来ておるのじやないですか。
  98. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私が高橋と知合いましたのは、先ほど申上げましたる通り昭和二十三年の四月頃でございまして、その以前には高橋は何ら関係はございません。
  99. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 従つて、そうしますとこういう事犯に対して運動をしたということはないのでありますか。
  100. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) どういう事犯かも私存じません。
  101. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 横道長官が、大橋さんはこの事件に関しては深い関係がない、ただ足利板金に対する支拂というものは、この過拂になつた四千何百万円の金でありますが、この支拂についてあなたが書くか、或いはそれぞれの関係者に早く支拂つてつてくれという支拂促進方を頼みに行くとか、この程度であつて、それ以上に深く関係がないということを言つておるのですが、支拂の促進に関してあなたが奔走なさつたという事実はあるのですか。
  102. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 過拂というようなものは、これは間違いによつて拂い過ぎるのでありまして、それを私が運動をして、間違つた、拂つてくれと頼み歩くようなことは到底あり得ないことであります。
  103. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 過拂はその後これは発見されたのであつて、拂う当時は過拂であるということは発見されておらなんだと思いますね。そのときにはただ普通の請求によつて、そうして普通の形でやはり請求されておつたのです。だからそのときは過拂でなかつたのです。あなたに私がこう質問申上げておるその当時は、それは正常な場合ですよ、そのときにその取立に対していろいろあなたが動かれた、この時期は二十三年の十二月頃だと思うのです。
  104. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 二十三年の十二月には、私選挙準備のために帰郷いたしておりまするので、調達庁行つたことはないと思いまするが、たしか十一月の末項でございましたか、足利工業高橋専務から特調に対して納入いたしました物品の代金の支拂が遅れておるが、何か年内に支拂つてもらえるように頼んでくれないかという話がございまして、納入物品の代金の支拂を依頼調達庁行つたことはございます。併しこれはお断わり申上げて置きますが、すでに納入した物品であるからそれで早く拂つてつてくれ、こういうことを頼みに行つたわけであります。その当時は私はただ頼めばいいのでありまするから、その金額が何ほどであるかというようなことは深く意にとめておりませんでしたが、何でも二十万円ぐらい未拂になつておるというようなことを、或いは聞いたことは聞いたのではないかというような記憶があるわけでございます。その程度依頼行つたことはございます。時期は十一月頃であつたと思います。
  105. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときに特調の誰誰にお会いになつてその話をされたのですか。
  106. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) その当時は主としてこの話をいたしましたのは経理局長ではなかつたかと思いますが。
  107. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 経理局長は誰でありましたか。
  108. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ちよつと今名前をど忘れいたしました。大蔵省から来ておられるかたで、今たしかやめておられると思います。特調関係者のかたがここにおられますから、そのかたにお聞き下さればわかると思います。
  109. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 私の知る範囲では、それは加藤という人ではなかつたですか。
  110. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ああ、そうでございます。
  111. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ほどの話に戻りますが、交詢社の二階であなたがお会いになつた、その交詢社の二階は、これは同事件高橋正吉が、絶えず事務所に使つており、現在でもそこに何かたむろして仕事か何かやつておる、その場所でありますが、その場所であなたが弁護士の事務所か、或いは又それ以外の集合場所とか、休憩等、そういうようなことにしばしばお使いになつておるということを聞くのですが、そういう事実はあつたのですか。
  112. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私が足利工業顧問をいたしておりまして、当時私と田中社長高橋専務は、一般社員の勤務場所から離れました交詢社の一室に机を置いて、そこで仕事をいたしておる。こういうことになつておりましたから、或いは訪問者と会つたというような場合もあろうかと思います。併し特にそれを私が事務所的に使用いたしておつたというような事実はございません。
  113. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) ちよつとお伺いしますが、あなたは足利工業特調へ納める品物が、どの程度の、当時生産状況にあつたかというようなことは、顧問として大体御承知になつておりましたか。
  114. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 工場は足利にありまするし、それから最初から私がこの顧問として就任いたしましたのは、足利工業が新らしく土建をやつて行きたい。そしてそのために新らしく人も採用し、又仕事もやつて行きたいからその面倒を見てくれというような趣旨で最初から入つておりましたので、煙突の問題については私は全然終始承知いたしておりませんし、従いましてそのときは足利工業が納めた品物については調達庁が拂つてくれない、場合によつたら拂つてくれないばかりでなく、当分拂つてくれないような話であつた。それで会社としては非常に困つておる。何とか拂つてもらえるように頼んでくれ、こういう趣旨で頼みに行つただけであります。
  115. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 二十三年の終り頃は、今度のこの過拂の問題が起きた一番重要な時期であるわけでありまして、昨日の調査によりますると、足利工業と検収の代行者との間の話合いがありまして、現品は後ほど納めるによつて、年内の金融操作のために、是非とも現品が納まつたということで検収をして貰いたい。こういうようなお話合いがあつて、そうして検収がすべて未納入のまま行われた。こういう事実が明らかになつたのでありますが、そういうようなことをあなたは全然念を押さないで、特調に対して、経理局長に対して金銭支拂の掛合いをせられたわけでありますか。
  116. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私が調達庁に頼みに行きましたのは、年内に支拂つてもらうという方針の問題を頼みに行つたのであります。金額を頼みに行つたのじやございません。従いましてさようなことは全然関知いたしておりません。
  117. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私も金額ではないのでありまして、少くとも品物の入つたものについて支拂をするのがこれば定めでありまして、そういうような足利工業の生産状況からいつて、生産の完全にできていない、従つで納品が完全に行われていないものについて、納品せられたことくに代金を国から受取るというようなこと、そういうようなことについてあなたが、少くとも顧問として、而もあなたのお立場で運動なさる以上は、念を押されるべきであつたと思うのでありますが、そういうようなことを念を押されないで、ただ依頼されたままに支拂の方針を以て運動せられたか、その点伺つておるわけであります。
  118. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私の行きました当時は、まだ正式に恐らく請求をするというような運びになつておらなかつたのでありまして、無論品物の代金の請求をする以上は、品物が納まつていなければ支線ができないことは、私も役所に長くおりましてよく承知いたしております。前拂というようなごときものは私は全然知らない。それですから私としては、納まつているだろう、納まつているということを前提にして話に行つたのであります。  そうしてこの間の事情をもう少し皆様にはつきり御理解願うために、当時の事情をもう少つし詳細にお述べを申上げることをお許し願いたいと思います。当時特に私に、高橋専務からこの品物の代金の年内支拂を調達庁へ行つて頼んでくれということがありましたから、そんなことは俺が行かなくつたつて君が行けばいいじやないかと、こういいましたところが、実はこれは調達庁としては、この品物はキヤンセルになつておるからというので、品物は受取つておるけれども、その代金の支拂を拒否している。そこでちよつと困つているのだという話であつたのであります。そこでいろいろ私事情を聞きますというと、成るほど八月頃に調達庁に対しまして、調達命令の取消があつたということは事実あつたらしい。そこで本来から申しますると、特別調達庁が調達命令を取消されました場合におきましては、その旨を直ちに契約の相手かたでありまする足利工業に通知をいたしまして、そうして事後の物品の納入を拒絶いたしますると共に速かに契約解除の手続を運ぶということが、これが当然の運びであります。然るに特別調達庁におきましては、何らかの事情によりつまして契約解除の手続をいたさなかつたばかりでなく、その後足利工業からの物品の納入に対しまして、これを無條件に受領を続けておりますのみならず、時には納入すべき倉庫を調達庁から指定をして、そこへ搬入せしめておるというようなこともあつたわけであります。そこで私はまあ当時弁護士をいたしておつたのでございまするが、これを法律として考えまするというと、調達命令の取消ということは、調達庁と司令部の間の関係でございます。ところで足利工業の品物の納入というものは、調達庁足利工業との間の契約に基いて行われておるのであります。従いまして調達命令の取消ということは、これは特別調達庁といたしましては、直ちに契約の解除の申入れをしない以上は、法律上契約が無効になつたということを足利工業に対して主張する理由とはならないわけであります。然るに当時特別調達庁といたしましては、八月以後納入せられましたる約二千万円ほどの品物の代金を、いざ暮になつて支拂うという場合におきまして、これはキヤンセルになつておるので、ちよつと支拂ができないのだというようなことを言つておる、こういうことを聞いたわけであります。それでそれは法律に照して考えまするに、明らかに調達庁側において契約の解除をしておらないし、又引続き物品の納入を受領いたしておりますので、この受領いたしたる品物に対しては、これは契約上正当に履行せられたる債務でありますから、それに反対給付としての代金支拂を適当な時期に行うのは、調達庁として当然のことではないか。そこで私はそのことを調達庁の係の諸君に申上げて、そうして十分に法律的にも正当な支拂を年末までにして頂きたい、こういうことを特にお願いいたすために調達庁に参つたわけであります。従いまして当時幾ばくの額物が納入されておるか、幾ばくの代金が支拂われるかというようなことは、このお願いにおいて重要な問題でなく、むしろキヤンセルがあつたということだけでは、品物の代金の支拂を調達庁が拒絶される理由とはならないのであるということを御了解願うということが主眼でございましたから、自然只今質問になりましたような事項は、当時私にとりましては余り重要な問題ではなかつたわけでありまして、自然その点について確めるというようなことは、私としては必要を認めなかつた次第でございます。
  119. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 大体事情はよくわかりましたが、実はこの注文がキヤンセルになりましてからあと、当然もうキヤンセルになつたわけでありますから生産のストツプをすべきであつたのであります。ところが依然としていろいろな事情で生産を続けて、これはここでは長くなりますから私申上げませんが、生産を続けた。それでいよいよ支拂になりましたところが、支拂をするのに非常に困りまして、いわゆるオーダーがないわけでありますから非常に困りまして、L・D三十五号というオーダーとは全然関係のないL・D五十七号というオーダーの枠を引用いたしまして、そうして支拂が行われておるのであります。従いまして私があなたに伺いたいことは、こういうような当時キヤンセルしたものでありまして、而もキヤンセルしたということは、この品物がもう不要であるということになつたわけであります。現実にたくさんの滞貨があるわけでありますから、そういう状況の下において吏に生産を続行し、而もその代金の支拂においてはオーダーを外のものを使いまして、悪く申上げますならば、苦しまぎれにL・Dの五十七号という枠の中へ無理に入れて、そうして特調が支拂をしたというようなことは、その間にあなたが戦災復興院の次長、或いは現在のような有力な政界における立場というものを利用されて動かれたために、特調方面においては何とか善処をしなければならん、こういう気持でこういうようなことが行われたのではないか。こういう工合に私は推量するのでありますが、そういうことについてあなたは責任をお感じになりませんか。
  120. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) はつきり申上げて置きまするが、二十三年の十一月には、私は二十二年の十二月末を以ちまして復興院次長をよしまして、そうしてその後は一弁護士として、かねて足利工業顧問をいたしておりまする單なる民間の一人でございます。従いましてこの事件につきまして、私の政界における地位というものはゼロであつたのでございます。何らさようなことを当局として顧慮されたことはないと思います。当局がいろいろ御苦心になつてこれの支拂をされたということは、これは当局においてこのキヤンセルを、調達命令の司令部よりの取消のあつたという事実を遅滞なく足利工業に通知をし、その契約の取消をするという当然の手続を怠つてつた、そのために足利工業が引続き生産をする。又関係者においてはこれを受領いたしている。こういう調達庁としての不手際から来ました当然の法律上の結果でありまして、これに対しては調達庁責任であるわけであります。足利工業においてこれが代金の請求をするということは当然のことである。法律上認められたる権利である。従いまして私はこの足利工業の納入した物品に対する契約上の支拂代金の請求という、それについて調達庁にお願いに行つたのでありまして、何らさような地位を利用し、或いは区不当なる勢力を利用した結果とは考えておりません。従いましてさような御質問について、責任を云々というようなことはお答え申上げかねる次第でございます。
  121. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 正常な形における経済行為の契約履行に対しましては、今あなたがおつしやつた通りでありまするけれども、これは途中でキヤンセルになり、そうして而もそれが生産のストツプにまで及ばなくして、依然として生産が続けられ、不要品が国の財産として、山積しつつあり、而もその間においては、未納の品物にまでも金銭を国が支拂わなければならんというような、特調責任においてやられたと申しますが、これは非常に過失以上の重要な内容を持つておるものなんでありまして、業者のほうは利益を挙げるための行為でありまして、而も法律的にいささかの間違いもない、こういうことでありまするならば、又別問題でありまするが、要は行政府でありまするところの特別調達庁の取扱がそういう工合に、一企業者に特別な過分な措置を講じなければならんようになつたのは、單に注文主と請負着という関係だけでなくて、戦災復興院の次長をやりましたあなたが、一旦野に下られたとはいいながら現実に只今法務総裁の地位にまでおつきになつておるような、将来性を持たれた非常に有為有能なかたである。こういうかたが、而も戦災復興院なり特別調達庁の係官とも密接な御面識、或いは御懇意の間柄にある過程において運動せられたということが、陰に陽に私はこの問題をかように発展せしめたことについて、少からざる影響力を及ぼしたのではないか、こういうことを私は考えるのであります。その点についてのお考えを承わりたい
  122. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私不省ではございまするが、昭和三年に内務省へ入りまして、昭和二十二年の暮を以ちまして官吏の生活を終つたのであります。この間におきまして約一年五カ月に亙りまして休職をいたしておつたのでございます。この間おおむね中央の官庁に職を奉じまして、多数の後輩の指導育成にも当つております。併しながら私は未だ曽て官吏としてみずから不当なる勢力に屈し、これによつて自己の職務上の行為を二、三にいたしたがごときことは一回もございません。従いまして、私、後輩の指導に当りまして、常に私みずからを手本にしてやつてくれということを、輝りながら高言いたして指導をいたして参つたのでございます。従いまして私の知る限りにおきましては、私に曽て関係のあつた官吏に、さような不心得の者があろうとは考えておりません次第でございます。
  123. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今栗山君が言つていられる要点はですね、あなたは潔白である、潔白であるということを盛んに主張される。又自分立場はですね、一介の浪人であつた、だからそういう立場になかつた、こういうようなことを言つておられる。併しながらですよ、誰が考えつてね、金を早く支拂つてつてくれと一言あなたが言つた。或いは又言わなくとも無言で眼と眼で示してもですよ、これは通ずるのでありますよ。あなたが戦災復興院、今のいわゆる特調の前身であるところの戦災復興院の最高の位置におられた。而も崇められておつた、これはよくやることだろうと思います。これは併し、よく調べて真面目にやつて置けよ、でき得る限り早くやれよ、これは言うことですよ。併しながらそれが行われた、行われる可能性があると、こういうことを言つておられるのでありましてですね、何もあなたがそういうことを言外に漏らしてですよ、どうされたこうされたということでない。そういう立場にあつたあなたがそういうようなことをされれば、それは陰に陽にやはりそういうことの影響力というものは強いのです。こういう点なんです。だからこれ以上私は重ねてそういうことの議論はいたしません。
  124. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) さようなる影響力のないように、私は常に後輩の指導をいたしておつたということを申上げたわけでございます。私は何もここで潔白だつたということを主張しようというわけではございません。私がこの場合において申上げまするのは、私が潔白であつたとか、或いは不正直であつたとか、そういうことではなく、ただ私にお聞きになる真実を私はここからお述べいたしておるだけであります。
  125. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) もう一点これは……。
  126. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) その結果カニエ君が、私が潔白であつたということを主張されておるようにお聞き取りになつたとすれば、真実私が潔白であつたからにほかならんと私は確信いたします。
  127. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) もう一点でございますが、これは証人個人のことになりまして甚だ恐縮でありますが、お述べ願いたい。  それは先ほどあなたは足利工業顧問就任をしまして、就任後年の春まで顧問料として三万円ずつを収納した。こういうことをおつしやつたのでありますが、この顧問料は、あなたの国へ納められたところの所得税の申告の中にお入れになつておりますか。それをお聞きしたい。
  128. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは私は車代として、車馬賃の実費として受取つておるわけであります。
  129. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それはそういたしますと、足利工業のほうの出金伝票は、車賃いわゆる旅費ということになつておりますか。
  130. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) さような詳細なことは承知いたしておりません。
  131. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは明らかに私は、法務総裁でありますので、あなたには所得税法に関するいろいろなことは十分御存じだと思いますが、こういう月極めになりました三万円というような額が、車賃というような名称で、全然税の対象からはずされて、個人の所得に収納されてよいと法務総裁考えられますか。
  132. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 税法のことは私よく存じませんが、当時会社のほうにおきましては、税金は会社として拂つてある、税引としてこれだけを渡す、ここういうふうに聞いておりますから、税は何らかの形で会社から立替えて拂つてつたものと考えております。
  133. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) あなたはもう少しよく御存じだと思いますが、源泉課税で会社で引かれておれば尚更のことでありますから、旅費は引かないのでありますから、若し足利工業で源泉課税を引いて三万円手取りで渡つたのでありますから、事は重大であつて、それならばあなたは恐らくそのほかの收入もおありでありましようから、必ず申告をしまして、そうして税率の差額だけは、源泉課税の税率と年所得の税率の差額だけは、別途に納めなければならんということは御承知だろうと思います。従つてこの点はもう少し明確に御答弁願いたい。
  134. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) とにかく私も毎年税金を拂つておりまするし、税の申告には、足利工業からの顧問料というものをとつております。ただここで真実申上げ関係上、足利工業から入つた金を全部で毎月三万円の割でもらつておるということを申上げたのでありますが、これは税の適用の上におきましては、車代というものと、それから恐らくは顧問料というものを適当に分けて申告いたしておると考えます。果して三万円の全額を申告してあつたかどうか、恐らくもう少し低目の金を申告いたしたと思います。その差額は実費としての車賃というものに当然なる。これは旅費に相当するものと思います。
  135. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは足利工業……、自分が得た收入を自分が適当に、これは旅費である、これは顧問料である、これは給料であるというような仕訳をして税務署に申告をして、それで済むということでありますならば、これは極めて簡單なことであつて、私は今日税がこれほど苦しいといつてほうぼうから文句は出ないと思う。やはり一つの税法によりまして給與というものはどういう内容のものだと、すべて給與という嚴格なる規定があるわけであります。而も法務総裁が……、只今私は法務総裁としてのお考えを伺つたのでありますが、そういうような問題について極めてあいまいな御答弁を伺つたことは、私奇怪に存ずるのであります。  でいま一度重ねて伺いますが、三万円とられましたうちで、一部を車賃として、一部を顧問料として、そうしてその一部の顧問料になつたものはあなたの年度申告の中へ今まで入れて申告をせられたのか、全然しておられないのか、その点を伺いたい。
  136. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 顧問料として会社から……、会社では一括して三万円になつておりますが、たしかそのうち何がしは顧問料であり、何がしかは旅費である、車賃であるという区分はあつたと思います。その区分によりまして、届出をいたしたのであります。
  137. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 会社ではないのです、あなた御自身がどうしておやりになつたかを伺つておるのです、あなた御自身が。
  138. 大橋武夫

    ○記入(大橋武夫君) 会社の区分いたしておりまするその区分によつて私は受けでおるのでありまするから、私としてはそれによつて届をしてあるはずであります。
  139. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) あるはずということは、ちよつと御証言としておかしいと思います。それからもう一つ重ねて伺うのでございますが、領収書はその都度お出しになつておりますか。
  140. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 領収書は出したこともあり、出さないこともあつたと思います。
  141. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 領收書を出さないということは、少くとも法人組織の金銭の出納において私はあり得ないことだと思いますが、その点は法務総裁として如何でございますか。そういうことを行われていいと、法律家として、そういう現在の所得税法の裏をもぐるようなことをやつていいとお考えになりますか。
  142. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは私は、領收書は私の名義で誰か代理人がきつと出しておる、今まで考えなかつた。御質問によつて初めて気がついたのですが、恐らくそこは適当にやつてあるだろうと思います。
  143. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それでは重ねて申しますが、あなたが所得税を納め、源泉所得ではございません、総合所得をお納めになつておる税務署は、どこの税務署でございますか。
  144. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 総合所得は世田谷税務署であると思います。
  145. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それでは私は委員長にお願いをいたします。この三十万円の顧問料に対しまして、足利工業が如何なる名目でこの金額の支出をしておるか、又、足利工業の帳簿にはつきりとそういうものが載せられておるかどうか、又税務署のほうにこれが申告されておるかどうか、こういう点を明細にお調べを願いたいと思います。
  146. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ございませんね。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  147. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ではそういうふうに取計らいます。
  148. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 ちよつとお伺いいたしたいのですが、この問題については、大橋さんは全然初めは知らなかつたというお話でごさいましたが、一番初めにこの問題の出たのは、多分二十一年の十二月頃、戦災復興院足利工業に発注したと伺つておりますが、そのときは契約者は瀧澤という総務課長だというふうに出ておりますが、こういうような問題については、その当時次長に出されておりましたが、決算や何かはどの辺までやることになつております。
  149. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私は課長になりまして以来、私の判は秘書に渡してありまして、一切秘書に扱わして今日までやつて来ております。もとより責任は私にあるわけでありまするが、一々の書類に私目を通すということは、課長になりましてから一切いたしておりません。その書類について記憶はいたしておりません。恐らく私の在職中ならば、私の判があるものと思います。併し時期といたしましては、私、契約が行われた当時は、私は終戦処理費関係のない他の職にあつたわけでございます。
  150. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 わかりました。もう一つお伺いしたいのですが、先ほど過拂金の取立について、局長のほうから依頼を受けて、相談をして立会つてつたということでごさいましたが、その当時大橋さんは足利工業のほうの顧問をしておられた。それから一方取立てておるほうから頼まれて、自分顧問をしておる会社から返還の計画をしなければいかんという非常に複雑な立場にいられたことはわかつておりますが、大橋さん、実はそのときに全部会社のほうが出してしまえば会社が潰れてしまう、併しまあ一番初め戰災復興院の当時の関係から、発注したあとからこういう問題が起つたんだというようなことで、是非返還ということはできるだけすぐしなければいかんというようなお考えを持つて、私はあなたが御依頼を受けてやられたのじやないかと思いますが、実際にその処理をなさつたときの御心境は、一体会社の有利にすべきか、国のほうの有利にすべきか、どちらに一体御心境はあつたか、そこをお伺いいたしたいと思います。
  151. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私はこの問題につきましては、正しきによつて、道理によつて処理すべきものであるということを考えたわけであります。従いまして、この金が如何なる手続上の齟齬はあつたにせよ、これが過拂でありまするから、この過拂は飽くまで会社が返還しなければならない、又法律的に申しまするというと、会社個人は違うのでありますから、会社が返さなければそれでおしまいだということが考えられまするが、併し会社の性質から見まして、僅か二人の株主であり、それが社長と専務をいたしております。そういうふうな場合においては、これは会社で拂わないものは個人責任を負つても拂うべきものである。どうしてもこの金は全額拂わせなければならない、又拂わせるようにするにはどういうふうにすれば拂わせるか、こういうふうな考えで処理をいたしたわけであります。
  152. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その辺で大体わかつたんですが、そうしますると、確かに顧問料は三万円というものをもらつた。そのほかに田中平吉高橋個人、或いは又会社等から金品を受取つたことがあるかないか。或いは又金品ではないが、併しそうすると今度は飲食いをしたことがあるだろう、この点はどうですか。
  153. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 会社へ行つておりまする際は、たまたま長くおりまして、晝飯のときなどになりますと弁当を取寄せて食へるというようなことは数回あつたと思います。それ以外に会社から金品を受けたことはありません。なおそれでは個人としての田中或いは高橋から何か貰つたか、これはたしか昭和二十四年昨年の春、私が郷里において選挙をやつておりました当時、高橋からたしか十万円か二十万円程度の陣中見舞をもらつたことがあります。この金はどこから出したかと申しましたところが、これは自分の写真機を売つて出した浄財であるから選挙の際の費用の一部に使つててれ、こういうことを申して受取りました。それは選挙期間中及び期間後における生活費の一部に充てた費用であります。
  154. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときの選挙の投票日はいつでしたか。
  155. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 一月の二十三日でございます。
  156. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それ以外には選挙のときに二十万円ほどもらつた、確かに二十万円に違いありませんか。
  157. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) たしか二十万円りであつた記憶いたしまするが、それ以上でなかつたことは確かであります。
  158. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 選挙の終盤であるところの十七、十八日頃に、電報で金を足利板金高橋宛に送つてくれということを言つたことがあるか。
  159. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) さような事実は記憶いたしておりません。
  160. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 このときの金は二十万円ではなくして、額が違うではないか、これは今証人が違うと言われたのでありますから、これは私は申しませんが、どうも私は違うように思うのであります。それから……。
  161. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは確かに二十万円であつたと思います。恐らく違わないと思います。
  162. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは高橋が持つて現地に行つて、現金で受取つたのか、或いは送金で受取つたのか。
  163. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 現金で持参いたしております。
  164. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次に先ほどの交詢社の二階で、昭和二十四年の二月二十三日の田中平吉高橋正吉……。
  165. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 恐れ入りますが、日附は何日でしたか。
  166. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 二十四年の二月二十三日、そのときに交詢社の二階で三人がいろいろ話をしたことがあると思うが、そのときの話の模様を伺いたい。
  167. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) どういう事柄についてのお話であつたでありましようか、お調べがあつたらお聞かせを願います。
  168. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういう記憶はありませんか。
  169. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 古いことでありまするので、いつどこでどういう話をしたかということを一々記憶いたしておらないわけでありますが、何かこういつたことについて話をしなかつたかというようなサゼツシヨンでもあれば、或いは思い出すかも知れません。
  170. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは私は確かに私の知る限りでは、三人だけでほかの者を寄せずに、何か重要な話合か或いは会談か何かしらか、三人だけでやつたというように聞いておるのですが、こういうような三人だけで特に重要な話合をしたというようなことだから、記憶にあるはずだと思うのですが、而も日にちだけははつきりしておりますので。
  171. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 勿論日にちもはつきりいたしておりませんが、二十四年の二月と申しますと、先ほど申上げました通り、この問題の処理について私が会社高橋田中両人を説得いたしまして、そうして個人財産を出しても国家のこの損失を補償しなければならんということを数回説得いたしておつたその頃だろうと思いまするから、恐らくさような会談で、殊に三人限りと申しますならばそういつた筋の話をいたしておつたと思うのであります。
  172. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは私がここで読上げますから、その点で一つ伺います。    覚 書  足利工業株式会社の運営に関し関係者立会協議の結果、左記の通り特約を締結する以下足利工業株式会社を單に会社、取締役社長田中平吉を甲とし、専務取締役高橋正吉を乙と称する  一、乙は会社に対し芝浦足利寮及其の電話備品其の他一切を附したる所有権、銀座尾張ビル七階、並に交詢社ビル二階の各賃借権、モリス自家用自動車一基の所有権、東武鉄道株式会社五十円全額拂込済株式参万五千株の所有権を現実に無償にて提供し甲の会社の為にする処分に一任する  尚乙は右に付甲の要求ある時は、何時なりとも必要書類を提出する  一、甲は前項物件を処分して得たる同一金額を会社に提供し会社の資力を充実する  一、今後会社運営の指揮代表は甲之に当り乙は専断行為をなさざるは勿論甲に対し最大の努力と最善の誠意を以て協力する  但し甲は之が処理に当りては自発的に乙を始め他の役員と協議する  一、本特約に定むる事項については甲乙共に会社の為に信義誠実の原則に基き円満に之を処理する  昭和二十四年二月二十三日       甲 田中 平吉 拇印       乙 高橋 正吉 印     立会人 大橋 武夫 自筆  こういうものについて御存じありませんか。
  173. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 思い出しました。そういうような相談をいたしまして、さような書面を作成いたしたわけであります。
  174. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういたしますと、書面を作成され、文書を作り、そうしてこれを書いたのは誰であるか。
  175. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは書いてあつたのにサインしたのじやなかつたかと思います。
  176. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ほど言われた、私が尾張町の七階並びに交詢社ビルという、ここにこういう字が書いてあるですね。而もこれにサインしているのですね、あなたは。そうしておつて尾張町のビルであつたかどこであつたか知らない、そういうことはどういうわけでしよう。
  177. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ……。
  178. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 どういうわけだ、それは。
  179. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) お答えする必要ありましようか。
  180. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御随意に。
  181. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは証拠書類をお見せいたします。これは誰の字ですか。
  182. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この字は私の字でないことは確かでありまして、これは誰かが書いておつたものに私が署名したわけであります。
  183. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この署名はあなたの署名ですか。
  184. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これはそうであります。
  185. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ほかに委員のかたから何か御質問ありませんか。
  186. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私証人にお伺いします。先ほどあなたは足利工業顧問就任したのは、ただ単に土建部門の創設のために、その指導育成に当るために就任したのである。こういうことをおつしやつた。その途中においてカニエ君、或いは私どもからも足利工業経営の内容に関するような点について、あなたが御関係になつたかならないかを御質問申上げましたときに、そういうような点については触れない、もつぱら土建のことについての指導に当つたということを繰返しおつしやつたのでありますが、然るに只今のこの契約書では、明瞭に冒頭から「足利工業株式会社の運営に関し関係者立会協議の結果左記の通り特約を締結する」となつております。そして而もあなたはこれにサインをせられて、立会人として相談に與かつておられるということは、足利板金工業の経営全般について、あなたが顧問として活躍されたということを雄弁に物語るところの一つの証拠であろうと思いますが、前の証言との食違いは如何なさいますか。
  187. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私は顧問といたしましては、先ほど申上げました通り、主として土建関係の指導を委任されておつたわけであります。ところがこの過拂金の弁済の問題が生じましてから、社長たる田中、専務たる高橋、この両者の間にこれが償還に関する実際上の負担区分等の問題に関連いたしまして、お互いにまあ責任の帰属を争うというような事態に相成りました。それでいろいろと顧問弁護士、或いは調達庁の係官等のお諭しもありまして、とにかくそんなことよりも調達庁債務を支拂うということが必要である。又それがためにはできるだけ円滑に会社を運用するようにしなければならん、こういう機運になりまして、それでその当時においてはできたものと思います。私がここに立会人としてサインをいたしておりますのは、その記事の内容について私が斡旋をいたし、或いは責任を持つという意味ではございません。かようなとりきめを両者が行い、そうして誠意を以てこれを遵守するということをお互いに誓い合つたという、その事実を私に証人として立会つてくれ、こういう意味で私は立会人として署名したのであります。従いまして私が立会人として署名をいたしそおるのは、両方がそういう申合せをいたし、その申合せを双方誠意を以て実現に努力をするということを誓い合つた事実を後日証明するためのものでありまして、これが私が会社の運営の内容にまで立入つてかれこれと干與するというようなことを意味するものではないのであります。
  188. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 重ねて伺いますが、この覚書の内容が生れて参りますまでの間において、内容の結論がなされるまでの間におけるいろいろな運営の相談があつたと思いますが、そういうことにつきましては、あなたは全然意見を述ベられていない、ただそれをお聞きになつただけである。こういうことなんでございますか。
  189. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この問題については、たしか東京駅の前に土地建物ビルですか、あすこにたしか会社顧問弁護士がおられまして、そのかたが相談に與かつた。私はそうした会社経営上の問題につきましては知識もなし、又過去の行掛り等についても全然承知いたしておりません。さような問題について相談を受けたことはないわけでありまして、ただ私はこの国家に対しで與えておるところの損失を、両名の責任においてどこまでも完全にお返しをしなければいけない。そしてそれがために両方が協力をするということならば、自分も応分の援助をしようというような趣旨で説得をいたしておつただけであります。従いまして経営の内容に干與したということはございません。
  190. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうしますと、この覚書にあなたが署名されておる、この覚書が手交されたまでの経過、又これの結論か出ましたこの覚書によるものは、どういう思想とどういう考えでこれをやつて、又どう立会いされたのか、その間の事情についてちよつと。
  191. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 会社が非常な苦境に陥つたことにつきまして、いずれにしてもこれが会社の財産だけでは債務弁済は不可能である。個人財産を以て完済して行かなければならない。そうなりますると、個人間におきまする実際上の負担をどう引受けるかといつたような問題があるわけでありまして、それについては当事者だけで話合をして貰わなければならない。我々第三者としてそれについてどうこうということは言い得る立場にないわけであります。ただ私は顧問として干與いたしておりましたし、又事実調達庁から私に何とか返してくれるように努力してくれ、こういう依頼も受けておりまするから、その線に沿うて努力をいたしましたというだけであります。
  192. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次にこの覚書の記載の中にありますところの東武鉄道の株式三万五千株、この株券がその後二十四年三月八日、先ほどの覚書のこれは記載のものでありますが、それと田中平吉の持つております一万五千株の株と合わせて五万株を、これを特調に持つてつてそして持調にこれを預けた。その後この特調に預けた株券のうちに、この該覚書によつてあるところの三万五千株を、これを高橋正吉特調から取り出して、そしてこれを持つて逃げてしまつた。それについて、その株の取返しかたについて当時の川田経理部長その他関係者がいろいろ大騒ぎをやつて協議をした。そういうことについて知つていますか。
  193. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 株券では政府の收入になりませんので、できるだけ債務の完済を促進するという意味においてこの株券を換価して、政府の收入にいたしたいということを川田君が考えられまして、そしてこれを早く換価したいということを言つてつたことを私聞いております。そしてその際においては、私はこれは換価するならば特別調達庁において適当な仲買人を通じて直接換価されるがよかろう。こう言つてつたのでございまするが、後に高橋が換価するからそれでちよつと貸しでくれと言つたので、品物を貸し與えたということを聞きまして、私はそれはどうも飛んだことをしてくれたといつて話したこともあるのでありましで、そういう事実のあつたことは、それによつて承知をいたしております。
  194. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ところがこの株券はこれは唯一の国に対するところの返済の財産である。而もこれを社長田中平吉がこれを特調に持つて行つた特調はそれを預かつた。そうして田中平吉に預かり証まで出しておる。ところがそれを高橋が持つて逃げた。又仮にどういう理由にせよ、これは渡したというところに大きな疑問があるのでありますが、これは先ず別といたしまして、その株を、当時の高橋状態というものは非常に危險な人物であるということは、これはもう周知の事実である。何をやらかすかわからないというようなこの高橋にこれを渡したということは、これは特調の問題でありますから、特調を調べるのでありますが、今あなたが言われたような、こういうような事情においてなされたこの一つ事件について、今お述べになつた以外にあなたはお話をなさつたことはないのでありますか、その点をもう一度。
  195. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ただ抽象的に言われてもわかりませんが、どういうような話でございましようか、伺いましたら記憶によつてお答えいたします。
  196. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたは先ほどから私が聞くと、記憶々々と言われますけれども、事は非常にあなたのやられたことの重要な点をお聞きしているのであつて、これは具体的に言えと言われれば言いますが、実はその後あなたが特調め中の部屋で、三浦とあなたと、そうして高橋正吉、或いは又田中平吉等が寄つてその善後策をやつたそのときに、あなたが、高橋は返す返さんというような悶着があつて、結末は、その間いろいろ何回もこれはあるのでありますが、結末においてあなたがその株券を、高橋お前、俺のところへ持つて来い、俺が金にしてやる、金にしてやるから俺のところへ持つて来いといつて、あなたがその株券を取上げた。その後その株は一体どうなつたのか。その株に対する金というものは現在どうなつておるのか。あなたは先ほどから何回もここで言われておるような、善良な立場においてそれを処理して金を返しておるのかどうか。又そういうようなことにあなたが関連されておるのでありますから、具体的にお示しを願つたら、記憶を甦すの甦さんのと、そういうような問題じやないのじやないかと私は思います。
  197. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) カニエさんは、御自分の画かれたる前提の下に、非常に興奮してお話になつておられるのでありまするが、実は或いはそのときの話合で、株を俺のところへ持つて来たらどうだというようなことを或いは言つたかも知れません。併しながら事実私はそんな株を受取つたこともなければ、それを処分したこともありません。恐らく私の考えといたしましては、その際は三浦君、川田君或いは田中高橋、これらの人たちと、この株を取出して高橋は処分したと思うのでありますが、実はまだ処分ができていないと、こう言うので、処分ができていなければそれは調達庁へ早く持つて來たらどうだ。併しこれは自分の株であるということを高橋君は主張したのでしよう。それで自分の株は調達庁へ入れる理由はないと、こういうことを言つたのでしよう。私といたしましては、調達庁のために一銭でも余計に金を返させるということが、私はそのとき必要であると考えた。従いまして若しお前が本当に持つているならば持つて来い、そうしてそれをできるだけ有利に換価して調達庁へ返すべきだ。若し自分の株だけ返して、そうして田中社長のほうは返さないのでいいのか、高橋はこの際に、高橋だけが品物を提供したために取立が厳重に行われて、田中社長取立が頗る緩慢であるというと、結局において自分のほうの負担が多くなるのではないかということを心配いたして、そこでいろいろと苦心をして、そうして自分特調に提供しておつたところのの株を持つてもらつて自分の負担を田中社長との……。カニエさん聞いて頂きたいですな。あなたが質問されて私がお答えしておるのですから。
  198. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 しやべつてもらつたらよく聞いておりますね。
  199. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) そこでその均衡について心配をいたしておつたというような事情がありまするので、この両方の実際の金の出しかたを均衡をとつてたぐつて行くというような点についても、その当時いろいろと三浦君なり川田君あたりと話合つてつたわけであります。併しながらさような株式を私が受領いたしたというようなことは、これは根も葉もない事実であります。若しあなたが只今自信ありげに、お前は受取つたじやないか、かようなお前のことについての重大な問題を自分が聞いておるのに、なせお前はとぼけるかといわんばかりの聞かれかたをなさいました。これは併しあなたの態度として私は行過ぎじやないかと思う。私ははつきり申上げます。この株について私は全然受領いたしておるということは、事実ありませんし、又その処分について干與いたしたという事実もございません。このことは一つ御了承願いたいと思います。
  200. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでこれはまあ余分ですが、興奮々々と、なかなか今のあななのほうのしやべつておられるのもかなり興奮されておる。
  201. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは余りひどいことを言うからよ、普通に言いたまえ。
  202. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 僕がひどいことを言うのは定評があるのだよ。(笑声)そこでこれは肝心な点ですがね。言つた覚えがあるかしらんないかしらんというようなところで言われておるのですがね。一応こんなことじやいかんと思うのですが、株を俺のところへ持つて来いということは言つたことは事実ですか。
  203. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは調達庁に出すのがいやならば私が預かる。私といたしましては、高橋がそれを持つていると、成るほど換価はするかも知れませんが、換価した後の金が調達庁のほうに入ることは私は疑いを持つている。そして私はその結果、結局調達庁の損失がそれだけ回復されないというような事態になることを恐れておりましたので、できるだけ私も頼まれましたる以上は、高橋を説得いたしまして、換価した金はできるだけ調達庁に納めて行く、それがために私は相当立入つて自分自身責任を持つて調達庁にお返しするという立場において、さようなことを申したことがありとすれば、或いは申したかも知れません。
  204. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでこの株について特別調達庁のほうに入らないというような疑惑を俺は持つてつたと言われるのですが、そういうようなことはもう少し具体的にどういう点からそういうようなことをお考えになつたのですか。
  205. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは特別調達庁へ返さずに、高橋が或いは自分事業にそれを転用しやしないかというふうな心配をいたしておつたということであります。
  206. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この点は後刻明確にいたしますが、高橋自身がその株を、大橋さんもひどいやつだ、株を取つちやつたということをこぼしておるということを、高橋から聞いたという人があるのですから、私は重ねてお聞きしたのであつて、それがどういうことかこういうことかは、これは証人を呼べばこれはまあ明らかになると思いますが。
  207. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 株式のことでございまして、恐らく株式の取引は個人相対で行われる場合よりも、これは仲買店を通じて行われる場合が多いと存じます。従いまして必ずやその株式の処分については第三者が介在いたしているということを私は確信いたすのでありまするが、若し御必要とありますれば、その辺の事情をよくお取調の上で、さような株式について利得をいたしたとか、或いは私がその株を取上げたという事実がないというその真実を、私ははつきりお調べを願いたいと思います。
  208. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから次に特調に、この問題になつております取過ぎ金を返すために、いろいろと話をされ、且つそれに基く計画表が出ておるのでありますが、当初の計画はここに書面がありますので、朗読いたしておりますと非常に時間がかかりますので、その次の書面によりますと、    返済計画表  一、負債金額 金五百万円也 個人保証分  現在迄ノ返済金   尾張ビル七階売却代金             六十五万円   芝浦足利寮売却代  七十五万円   現  金       三十万円   計        壱百七十万円   今後返済金    三百三十万円   本年中 金 三十万円 三十五年   明年中 金 壱百万円 二十六年   明後年 金 壱百万円 二十七年   残  金  壱百万円 二十八年  右ノ通り返済計画通リ返済仕リ候   昭和二十五年十月十日            高橋 正吉    法務総裁殿  こういう返済計画について御存じありますか。
  209. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは存じておりません。
  210. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ところがこの今私が申上げました返済金のうち、現金三十万円という金を高橋とあなたが、或いは又あなたがこれを特調に持つて行かれたというようなことはないのですか。
  211. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それはいつのことでございますか。
  212. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 昭和二十五年の少くともこれは十月十日以前のことですね。
  213. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 高橋から特調に金が極く少額返つたということは聞いております。それでそれは高橋が届けたものと思つております。
  214. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでこの書類で見ますると、これはどういうことなのか知らぬが、高橋正吉から法務総裁へというようなこういう書類ですが、これはまあ法務総裁として職掌柄おられ、又足利のそういつた関係も片一方ある。これは止むを得ないことだろうと思うのですが、どうも何か当の高橋大橋の間に何かこうやるやつか高橋で、受けるやつは大橋というような、何か不明朗な感じを持つのですが、こういつた場合はやはり何とか第三者を一々立会わせておやりになるほうがいいのじやないかというような考えをするのですが。
  215. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは裁判の書類じやございませんですか。私個人的にそういう書類を受領いたしたこともありませんし、要求いたしたこともございません。恐らくそれは個人的な問題じやなく、国対足利工業の公けの問題だろうと存じます。恐らく裁判所におきまして、裁判所の指導によりまして和解が成立した、そのときの償還計画についての今後のもくろみではないか、こういうふうに拝察いたしたわけであります。その点お確めを願います。
  216. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつとカニエ委員にお尋ねしますが、まだ御質問は大分ありますか。
  217. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう大体終りでありますが、もう少しまだ残つております。
  218. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それではそれだけおしまいになりまして、続いて御質問願います。
  219. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで返済計画の表があるのですが、その中に大興産業というのに当時百万円ほど品物を買うために足利工業が金を出した。ところがこの会社は、金は取つたが品物は出さないということで、足利としても取立に困つて、そうしてどうもこうもならない。いろいろ話して取つたには取つたが、現在まだ二十五万円という金が焦げついたままになつている。その二十五万円の金がこの国の返済に充当されている。これはどういうようなことでそういうふうになつたのか。ところがこれに関しては、大橋さんが何か紹介されておる。こういうことで、まあ大橋さんの紹介だから当然大橋さんはこれは責任を持つてもらえるものだということで、明確に取れるものなりという考えをしておるそうでありますが、この大興産業の社長とあなたの関係とについて。又どういうような形でこれを紹介し、どういうような時期にそういうことをやつたのか。この点について詳しく御説明を。
  220. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 当時二重煙突の材料でありまする薄板鉄板が非常に入手が困難であつた。大興産業というのは横川製鋼の薄板を販売いたしておりましたのでありまして、そこへ発注をいたしたわけであります。それが大部分の品は納まりましたが、一部は代金支拂の時期と申しますか、金融上の手違いで現在まで未納になつているわけであります、
  221. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それであなたとこの大興産業との関係についてどういう関係があつたのか。
  222. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 大興産業の社長は私と友人であるという以外に関係はございません。
  223. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたの現在お住いになつておる家に、大興産業の社長の宅にあなたがおられるのではありませんか。
  224. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 大興産業の社長をいたしておりました人は、現在亡くなつております。その人から家を借りておるわけであります。
  225. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その住所はどこでありますか。
  226. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 今は亡くなつておるわけであります。
  227. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 いや、あなたのお借りになつている家はどこでありますか。
  228. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 世田谷区上馬三丁目一〇四九であります。
  229. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは現在の住所と同一の場所でありますか。
  230. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 現在は法務総裁公邸に入つておりますから、それまでそこを借りて住いをいたしておつたのであります。
  231. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 現在はそうしますると、住所は官舎であつて、その家はもう空けられたのでありますか、そのままに置いてあるのでありますか。
  232. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 親戚の者が入つております。
  233. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あなたとはどういう関係の人でありますか。
  234. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 親戚関係であります。留守番に置いてあります。親戚の者を留守番に置いてあるというわけであります。
  235. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) まだ大橋証人にお聞きしたいこともありますので、もう時間が一時過ぎましたから、この辺で一度休憩をいたしまして、午後、大橋総裁には甚だお気の毒ですが、もう一度御出席願いたい、こう思います。  それからもう一つ、最後に、先ほど私が顧問料の問題でお聞きいたしました際に、若干はつきりしませんことがありましたので、もう一度御証言を願つて置きたいと思います。その前に税務署、或いは足利工業について委員長からお取調を願いたいと申しましたが、大蔵省主税局長にも緊急に御連絡を頂きまして、月ぎめの事賃というようなものが無税でいいのかどうかということを、所得税法上確かめて頂きたい。それからそういうものは所得の対象とならないのか、所得税法による所得の対象とならないのか。それから更に顧問料というようなものは、これは所得税のやはり税の枠の外に出るのか出ないのか、その点も一般問題として主税局長にお確かめを願いたいと思います。  それから税務署のほうは大したことはございませんが、足利工業に対しましては、これは会社であります、株式会社でありますから、はつきりした收支の伝票があるばずでありますので、支出の科目、それから源泉課税をしてあるといたしますればその事実、それから並びに毎月の領收書、そういうものを一応全部揃つておるかどうか、これを調べて頂きたいと思います。  それから大橋総裁にお聞きしたいことは、三万円の金は車賃並びに顧問料を合算したものとしてあなたが受取つたということを御証言になりましたが、その過りに認めて間違いがないかどうかということであります。  それから合算所得税の年度申告に際しましてあなたがこれをせられたかしないか、はつきりしなかつたのでありますが、この点をはつきり、せられたのかせられなかつたのか、その点はつきり御証書願いたいと思います。
  236. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 栗山委員只今の御提案は一応保留といたしまして、時間が遅くなりましたからこれで一応休憩することにして如何ですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  237. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは午後引続いて大橋証人に来て頂くことにしてこれで休憩いたします。    午後一時十四分休憩    ―――――・―――――    午後三時十五分開会
  238. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは午前中に引続きまして証人調べを続行いたします。
  239. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 この委員会では終戦処理費経理について証言を求めているのでございます。今日五人出席して頂くことになつておるのでございますが、まだ一人の証人のかたも済んでいないように聞いておりますが、どうか問題の中心点にできるだけ早く結論の見出せるように進行をお願いいたしたいと思います。
  240. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 午前中の大橋証人の証言の中で二、三重ねて伺いたいと思います。  この前の衆議院の選挙の当時、足利工業高橋氏から浄財二十万円余り、最高二十万円くらいを受けられた。こういうことでありましたが、その額に、最高限の額に絶対間違いがないかどうかということ、それからもう一つは、この二十万円の金は浄財と言われましたが、その性格はどういうようなものであるか、政治貸金であるのか、どういうような金と心得てお受取りになつたか、その点を伺いたいと思います。
  241. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 金額は二十万円間違いありません。  それからこれは選挙に関連するいろいろか支出に充ててくれという趣旨の浄財であつた考えております。
  242. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと、この金は選挙費用の收入として、法規の定めるところによつてそれぞれ届出をお済ましになつたものでありますか、或いはそういうことをなさつていないか、この点を明らかにして頂きたい。
  243. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは直接選挙費用として届出をしなければならないような費用に使つたのではなく、選挙の際のいろいろな私の個人的な諸掛り並びに帰京の際の旅費等に使つてございまするから、選挙費としての届出はいたしておりません。
  244. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと、完全に政治資金のものでないというようなのですが、然らばこれは高橋氏からあなたに贈與されたのですか、普通の意味の贈與收入であると、こう私は理解をするわけでありますが、そういうことで差支えないのでありますか。
  245. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 事実は今申上げ通りでございます。意味は適当に。
  246. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと、これも只今の税法の規定しておるところによりますと、当然個人の昨年度における收入と相成りましで、そして当然に所得税の対象となるべきものであります。従いましてあなたはこの二十万円の金に対しまして、当時の総合所得の申告の中へこれを入れられたかどうか、この点を明らかにして頂きたいと思います。
  247. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 申告に入れた記憶はございません。
  248. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうすると二十万円のこの費用は、税金の対象としての申告をなされていないということが明らかになりました。  第二点は、午前中の御証言の中で、足利工業から受けられました顧問料三万円、約一ヵ年間の分でありますが、これは車賃、或いは顧問料という仕訳を自分は大体考えておつた、そしてその中の一部は、顧問料に該当する分は総合所得税の申告のときに入れたような気もするというような、非常にあいまいな御答弁でありまして、私も聞き漏らしたのでありますが、この点をもう一度はつきりとおつしやつて、そうして三万円の中でどのくらいの比率でそれを分類なさつてつおるのか。若し届出なさつておるといたしますならば、どのくらいの比率になつておるか。
  249. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この点につきましては、私の記憶も非常にあいまいで、先ほどのようなお答えをしたわけでありまするが、その後休憩の間にいろいろ考えてみましたところ、これは終始車馬賃として受取り、いわば月額旅費のごとき性質を持つておる、こういうふうに私は了解いたしまして、さように処理をいたしたように只今では記憶をいたしております。
  250. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと、申告をしておらない、こういうことになりますね。
  251. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 恐らくはさようであつたろうと思います。
  252. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私は只今大橋総裁の御証言がはつきりいたしましたから、これはこのまま承わつて置いてよいと思うのであります。問題は、これが税法上の違反になるかならないかという点は大蔵当局、或いは税務署その他の調査をいたしまして、そしてその結果この委員会が結論をつければよいと思うのであります。従いまして大橋証人の証言は、今日一日ということになつてつたと思いますが、私恐らく事務局のほうでもそういうふうなお取調は今日中には恐らく不可能だと思いますので、もう会期も迫つておりまするから、緊急に調べて頂きまして、そうして重ねて大橋証人の証言を求めるために、大橋総裁がこの委員会証人として立たれることを要請をいたしたい、こう思います。
  253. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは栗山委員の御提案によりまして、税務署又大蔵省のほうの取調は、委員長のほうでやることにいたします。なお大橋証人に対する取調はその上にすることにいたしまして、本日の証人尋問はこれで続行ということにいたしたらよろしうございましようか、どうでしよう。
  254. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう少し私から質問申上げたいと思いますので、それが済んだあとでそれをお諮り願つたらどうかと思います。
  255. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私は時期を失するといけないから、私の質問に対して、又大橋総裁に是非御出席を願いたいという意思を表明したのでありまして、カニエ君がこれから又質問を続行されまして、それについてなお大橋総裁の証言を明日或いはその後において求められるということになれば、これは又別個の問題でありますから、カニエ君の質問を許されて、そのあとで又この点も併せて御決定をされたらよろしいのじやないかと考えます。
  256. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 他の委員に御識見がなければそういうことにいたします。
  257. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは大橋さんにお伺いするのですが、先ほど返還引当に充当されておつた三万五千株の東武鉄道の株というものは、高橋が持つてつて、そうして先ほど証言されたようないきさつである。それは予承したのでありますが、その後現在一体この株はどうなつておるかということについては、お聞きになつておるようなことはございませんか。
  258. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは当初、私は調達庁のために高橋田中両氏から提供させるように盡力いたし、その通りに一旦提供いたしたものでありますから、当初からの趣旨に従つて処分さるべきものである。こういうふうな考えでおつたのでありまするが、爾後になりまして、調達庁の手を離れて、その後私は高橋に対しては現物、或いは代金を、調達庁に納入するようにということは、いろいろと申し聞かしておつたのでありまするが、その結果としてはどうなつたかということは、事実としては承知いたしておりません。ただ恐らくは調達庁に入つていないのではないかと、こう思つております。
  259. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで事実は調達庁に入つていないだろうというようにお考えになつておるのですが、その株が現在までにいろいろな関係で売りさばかれておる。而もその売つた者とあなたとの関係ですが……。
  260. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 買つた者ですか。
  261. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 売つた者との関係は、全然あなたに関係のない者が売つておるのか、それともあなたにやはり多少でも関係のある者がこれを売つたのか、その点どういう工合にお考えですか。
  262. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは高橋みずから売つたとすれば処分いたしておるはずでつありまして、その処分については、私は全然関係いたしておりません。従いまして如何なる店で処分されたか、又その際に何人が干與しておるかということは、今日まで全然私承知いたしておりません。従いまして私に関係ある者の手によつてさばかれたというようになつておることは、あり得ないと思います。
  263. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次に先ほどお伺いしました大興産業の関係はそういうことでわかつたのですが、あなたの友人である、家の家主であるところの大興産業の社長をしておつた人は、何という名前ですか。
  264. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 平川民夫と申しておりました。
  265. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでまあこの性質は、現在二十五万円は又いろいろそんなことで焦げついて困つておる。それをこの国の引当に充てておる。ところがそれが回収がつかない。いくら話に行つて回収つかないので、返さないというような結果になつておるのですが、これはまあ私は常識的にこれを考えて見て、自分が世話をして仲介の労をとつてつた。それがいい考えか悪い考えかは別としまして、とにかくそういうことになつた結果は、まあそういうふうに焦げついてしまつた自分立場もまあこういう立場にある。だから結局この焦げつきに対しては、やはり自分が月賦で立替えてやるとか、或いは何とかこれを返すように努力をするというようなお考えがあるのか。その点に対してどういうように自分責任を痛感されておるのか。又それに対して今日まで一体どういうような手を打たれたか。その点について伺います。
  266. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この焦げつきになつた頃から平川君に対しまして、しばしば誠意を持つて現品を足利工業に提供するか、或いはその代金を返還するか、どちらかの措置をとつてもらわないと、自分もあなたに対して紹介した者として迷惑である。又自分として、紹介者としての道義上の責任もあるから、是非さよう拂つて頂きたいということはしばしば頼み、又本人もその線に沿うて努力いたしておつたようでございまするが、間もなく病気になりまして病死いたしました。従いましてそのまま今日までなつておるのであります。従いましてこれが大興産業という会社債務ということになつておりまするが、その会社も今日恐らく跡形はないのではないかと思いまするから、これが将来調達庁に対する返還の引当として、支拂が不能になるというような場合におきましては、私もその際には然るべき措置を講じたい、かように考えております。
  267. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 次に返済計画の中に先ほどの東武の三万五千株と同じようにありますモーリス自動車三十八年型一台、金額百万円というものでありますが、この自動車はその後あなたがこれを持つて行かれた。そうして持つてつて、それを売つたのか、或いは売つた金をどうしたのか、或いはよそに置いてあるのか、現在まあどういうことになつておるのか、その点について一つお答え願いたい。
  268. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは高橋依頼によつて私が然るべき人を紹介いたしまして、その者が処分をいたしたはずであります。
  269. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで、それはいつ頃のことでしようか。何年何月頃のことでしようか。
  270. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは去年の夏頃ではなかつたかと思います。
  271. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで然るべき人にということでありましたが、それはどこの何という人にあなたが依頼されたのでありますか。
  272. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) それは自動車のさような売買の仲介をいたしておりまする山下茂という人物であります。
  273. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この人物は今どこにおりますか。
  274. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは追つて取調べて事務室のほうに連絡いたして置きます。
  275. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 この自動車というものは、これは明らかに高橋があなたに依頼したと言われましたが、これはあなたが高橋から受取られたのか、それとも社長田中平吉から受取られたのですか。
  276. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) このいききつを申上げますと、大体次のようでございまして、即ちこの返済計画が立てられましたる当時において、品物を以て提供するというのは、主として高橋の所有名義になつております品物が提供されたわけであります。そこで社長田中君の個人の名義になつております財産で、現物として会社に提供されたものはなかつたのであります。そこで残余につきましては、今後の会社経営上の利益によつて返済をする、こういう計画になつておりましたので、専務の高橋君といたしましては、自分だけが先に自己所有の財産を現実に提供し、ひとしく会社の運営に当つてつた田中社長は、将来会社の利益によつて支拂い、そうして会社が支拂不能になつた場合においてのみ、自己名義の財産を提供するというような実際上の結果となるわけであります。従いまして高橋個人といたしましては、成るほど負担の割合はともかくといたしまして、現実に自分のほうばかりが先に財産を提供するというようなことでは、将来会社の利益が思うようにならなかつた場合において、田中社長が財産を出すか出さないかわからない。出せばいいけれども若し出さないとすれば、自分が先に出しただけ損であるというような考えを持つてつたわけであります。そこで併し一応そういう約束で話合がつきました関係上、まあ高橋は現実に出さなければならんのでありますが出ししぶつた。併しこれを出さして置かないというと全体の返済の計画というものが当初の計画通り進まない。私といたしましても、それでは調達庁、延いては国庫に御迷惑をかけることになりまするから、成るほどできた計画の結果を見ると、高橋のほうが先に現実に提供をするというような不利な結果にはなつておりますが、これは約束は約束として、とにかく提供したらどうだろう、こういつてまあ進めたわけであります。併し事実として成るほど時期的に申しますというと、ひとしく責任のある田中高橋両名のうちで、高橋だけが先に自分責任を履行しなければならん。これはどうも俺は損だというような気持に本人がなるのも誠に無理からん点もあつたわけであります。そこで私は社長高橋とそれから特別調達庁三浦君、或いは川田君などと相談をいたしまして、そうして現実に財産から出してそれを返済してしまうというと、高橋としては成るほど不利であるから、一旦処分をしても、調達庁に納めずに暫らく高橋に管理させてくれという話をいたしました。幸いに関係者の同意を得ましてそういうふうな運びになつたわけであります。併し高橋にこれを現実に管理させておりますというと、先ほど御質問のありました株券の売却代金の際の例から見まして、その金がどこに行つたかわからなくなつてしまう。その結果は調達庁に入らないというような心配があるわけであります。そこでその金は高橋名前で、高橋に持たして置くけれども、併し二度とそういう虞れのないような方法を講じようということになりまして、私が間に入つてそういつた処分方法及び事後の管理についてのいろいろな方法を考えまして、そうして関係者一同の了解を得てそういう運びになつたわけであります。
  277. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで重ねて言うのですが、今申されたことは、大体御記憶違いというようりなことはございませんね。
  278. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 記憶違いはないつもりであります。
  279. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで、私はまあこれは素人考えでありますが、先ほど大橋さんも言つておられる通りこの株券にいたしましても、自動車にいたしましても、これは一刻も早く金に換える、金に換えることに非常に手間取るものでは決してないのですね、持つて行くところに持つて行けばすぐ金になるのですよ。それをあちらこちら引張り廻したり、あれにやつたこれにやつた、どこにやつたというようなことでは、その間相当な時日を費やしておるのみならず、今言われた自動車にしても、これは自分の何しておる山下にさせた、山下が売つたのである。その金は山下がどうしたやらこうしたやら私は知らんけれども、山下がやつたのだろうから、その点は一応あとで調べる。一体どう考えて見ても、これは金の性質からして、これはもう国民の血税であります。この血税がかような形になつて来ておるのだ、すべてが。而もこの税金の裏には幾多の人が犠牲になつておる。中小企業はこれがために倒産し、労働者、農民はこれがために食えない状態にあるのみならず、多くの人が自殺をしており、がんぜない子供までが道連れにされて行つておる。こういう金の裏にはそういうような大きな社会的な悲劇を生んでおる。この金を取立てるのである。あなたはかなり良心的に努力されたかも知れないけれども、今あなたがおつしやるようなことであれば、どうも私はこれは納得が行きかねる。例えば私であれば、それは自動車にしても何にしても、実際これを取立ててやろうと思うならば、もうその場で金にしちやつて、そうして解決して、特調のほうに金を右から左に渡しておると思う。ところがそれが長い間ごたごたして、そうして結果においては現在までその金は国に入つていない。こういうようなことであるのでありますが、併しこれはここで大橋さんと論議したところでしようがない問題で、考えかたのこれは相違になりますから、時間もありませんし、あとに証人のかたも今日はまだたくさんおられますから、一応私はこの程度にいたしますが。
  280. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) ちよつとその点について、大事な点でありますからお答えいたします。  今カニエさんの御説明によりますると、自動車を売つた金は右から左に調達庁に返すのが一番確かである。それは全く私同感であります。ただここで私考えましたことは、私は自動車を売つた百万円だけを調達庁に返せばそれでいい、私としては、いいかも知れない、併しながら私の考えましたのは、この二千万円の金額ができるだけ早く調達庁に返すということを考えておつたわけであります。そこでこの自動車を売つた金はすぐ調達庁に返すということも、それだけは確かに確実に還りまするが、併し高橋という者の生活も考えてやらなければならない。又将来高橋が或る程度事業を継続いたしまして、そうしてその利益によつて一刻も早く全額の返済ができるようにしてやらなければならんということも考えなければならん。そこで又高橋田中の、先ほど申上げましたように、俺のほうは先に拂わなければならんというのは損じやないかといつたような気持もあります。そこでそこらを睨み合わしました結果、その際に一部は納入してあると思います。たしかその三十万円というのは、その百万円のうち先ほどの現金で、何回かに分けて納入されたものと思いますが、併し成るべく高橋のためにその金が有効に利用されて、そうして高橋が全額を返済するについて役に立つようにしてやりたい。これは当時調達庁関係者一同で考えました、相談の結果、これが最善の方法であろうという結論になりまして、そこでそういつた措置がとられるに至つたわけであります。百万円だけ返すならば、お説の通り右から左へ返すほうが確実で早いではないか。これは私は全く同感でありますが、さような措置がとられなかつたのは、関係者の間に今申上げましたような、全額についてできるだけ取立てるように計らいたいという考えかたが共通にあつたためでありまして、この点を御了承を願いたいと思います。
  281. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そう言われますと、私も又言わなければならんことになるのですが、私は大体考えて見て、これが高橋田中事業をやつて、そうして、それで返還する。そして取上げたんじやどうもそれは再興ができないだろう。これは一応理論的にはそういうようなお考えが出るのも当然だろうと思うのです。ところが当時の現状ですね、工場の状態或いは会社事情等を勘案して見ると、再起どころじやない、どうにもこうにもならない、もうすでに。そんなものを猶予してやつたところでこれはどうにもならない状態行つたということ、そのどうにもならない状態のところへそういうようなことをやつて見たところで、これは取れつこはないのだ。それで結末は最後、まあそういうようないろいろ協議の結果ですよ、そういうような措置でいろいろ和解されているのですが、そういう措置をとられることに実は私は疑念を抱いているのです、実際のところは。これは私とあなたと議論してもしようがないので、あなたはそういう考えで、私は又こういう考えであるというだけのことですからね。  そこでお伺いするのですが、その後、最近の話ですが、和解調書、申立人代表者は法務総裁大橋武夫、それから指定代理人云々、そうして相手方は足利工業株式会社代表取締役田中平吉、それから相手方は個人で、田中平吉或いは高橋正吉、この両名の名前で、昭和二十五年の十月からですから、極く最近ですが、十月の二十日午前十時足利簡易裁判所において和解調書が作られておる。この調書についてはすでに御承知であろうと思いますが、この点はどうですか。
  282. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 内容は承知いたしておりません。
  283. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういたしますと、この調書の内容は承知されておらんということになれば、これは又大きな問題になると思うのですが、こういうものが少くとも法務総裁の名において、代理人にしても行われておる。そして而もその返済計画というと、五年間もかかつてこれを拂うと、私がおかしいと思つたのは、この和解調書を見たんですが、和解調書を見てこれだけのいわゆる問題を今まで散々ぱら掻き廻わして来て、そして自動車も株もどこへを行つたかわからんようになつちやつたと、そのあげくの果、五ケ年で拂うようなことをでつち上げておる。そうしてそのでつち上げたことが完全に実施されるならこれはもう問題じやないのですよ。どう考えてみたつてこれは実施できないことを一応紙の上に書いて結末をつけたとこういうことなんですよ。だから私はこの事件が当初戦災復興院にあなたがおられてから終りまで、法務総裁の位置におられて現在まで、初めから終りまでずうつと不明朗なことだらけであるために一応こういうことを明確にしたい。併しこれは私の考えは或いは誤解かもわかりませんが、私はともかくそういう考えでこの和解調書なるものが実にこれは不まじめで、国のいわゆる取立てる人としては当を得ていない措置であると、こういう点からこの問題をはつきりしてもらおうと思つておるのです。それで、これ以上まだお聞きしたいとはあるのです。ところが今日私うつかりしておりましたら公報には二重煙突に関してということだけしか出ていないのですね。そこで本件以外のことについても実はお聞きしたいこともありますが、遺憾ながらそういうわけにも行きませんし、あとに証人もたくさんおられますし、一旦私の質問はこれで打切りますが、併しこれは委員長申上げて置くんですが、先ほど栗山君が言つた通り証人を又呼びまして、証人の話を聞いた結果、又大橋さんには証言をして頂かなければ、ただ聞きつ放しではこれはいかんと思いますので、会期も短いのでそういう手続をとられんことをお願いしておきたいのであります。
  284. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 今ちよつとカニエさんが或いはこれは口がお滑りになつたのかも知れませんが、私としてちよつと申上げておきたいと思いますのは、戦災復興院のほうには初めから私は何ら関係しておりません。そのことを言つておきます。
  285. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私は先ほどのカニエ君の質問の続きをちよつと承りたいのでありますが、自動車の処分につきまして、あなたは高橋君の性格を知つておるが故に、売却代金が散逸することを恐れて、その管理分を入れて処置をしたということをおつしやつておられますが、大体この自動車は幾らで売れたのか御存じでございましようか。
  286. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは百万円くらいで売れたと思いますが、その当時からこれは特調に将来渡すべき高橋の財産でありまするから、高橋君の名前高橋君のために管理されておるわけでありまして、その当時から金の収支については、一々銀行の預金に高橋名義の預金といたしまして管理いたしてあります。従いまして当時の入金はその通いを見ればわかるようになつております。
  287. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうすると、株の行方その他から考えても、これが折角国庫に納ますべきものが散逸するという虞れがあるので、あなたもそれに気付かれて自動車を売却するようなことまでも斡旋をせられたのでありますが、その売却せられた金を管理するような具体的な措置はあなたとしてどういうふうにおとりにたつたか伺いたい。
  288. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは山下に高橋名義の口座を作りまして、收支についてはその口座に書き、そうして運用する場合にはそれから支出をする。又回收したらばその口座に入れる。こういうことにいたしております。山下が私の監督の下に管理をしております。
  289. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうすると、それは口座で入りましたか、銀行貯金で入りましたか知りませんが、その預金証書は高橋が所有しておるのではなくて、山下氏が持つておりまして、高橋氏の自由にはならなかつたということですか。
  290. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) この通帳は銀行に預けております。山下も持つております。高橋も持つております。いわんや私も持つております。ただ銀行事情を話しまして、印鑑を預けて置き、これによつて收支をやつて行くということを頼んでおります。
  291. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうしますと、この銀行へ管理を保管された預金の出入れは誰ができることになつておりますか。
  292. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 出入れは私から銀行紹介をいたしますと出入れができ、これは入れるというのは自由でありますが、出すについては私から銀行紹介をすればできる、こういうことになつております。
  293. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 午前中の証言で、あなたは国庫に非常に迷惑をかけたのであるので、この回收については、いわゆる国の側に立つて足利工業を相手にしてとるように努力するために、特別調達庁のほうの依頼を受けて引受けたということをおつしやつたのであります。それでこの点から問題がまだはつきりしておりませんので、少し質したいと思いますが、これは特別調達庁長官に伺いたいと思うのでありますが、今大橋証人が言われましたような内容、それだけの内容までも含めて、そうして正式に特別調達庁として依頼をせられた証拠書類があるのですか、そういう点を一つ……。
  294. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これはさつきのことですが、自動車の金がめちやくちやになつてわからないというようなお疑いがカニエさんからありましたが、この点も只今申上げましたる通り、株券の売却代命は私全然干與しておりません。これについては私全然知りませんが、自動車の売却代金はその後明確に收支が明らかになつております。そうして現在もちやんとあります。
  295. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういう工合にお答えになると又問題が出て来るのですがね。大体おかしいことじやないですか。当然初めに自動車の金というものは返済計画にも載つているし、特調もいろいろ協議して、てんやわんやでやつたやつが、それを売つたその金を未だにその銀行に預けてずつと持つている。それで一体何のためにそれを持つているのか。そこでそういつたものを何も持つておらなくたつて、その間特調名前特調の口座にでも入つているというならそれは話はわかると思うのですよ。一体何のために今までそれをおろおろやつてつたか。これはいろいろ疑問は出るでしよう。併しこれは私が先ほど申しました通り証人もあとにたくさんいるのですから、だからそれを聞いて、その上であなたのお答えをお願いする。それまであなたは冷静に頭を冷やして又お答え願つたらそれでいいのです。
  296. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) カニエさんちよつとお待ちなさい。それならば断定されたようなことを言われなければいいのです。めちやくちやになつていると言われる。私はそうは言わない。若し誤解があるといけませんからその点了解して頂きたいということを申上げたわけであります。それから特調の金としてこれが入つておりませんが、これは高橋の金でありますから、その点お含みおきを願います。
  297. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 際限がないのですが、高橋氏の金だと言いましても、先ほどの覚書には、あなたが署名されたやつには、自動車も田中平吉氏に渡すということをちやんと初めやつておるのですよ、これは……。
  298. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 先ほど質問申上げましたように、大橋総裁がこの過拂金の回收にいろいろ努力されておるわけであります。その点はいいわけでありますが、どういう資格で努力されておるのかその点が明らかになりませんと、今後の問題を進めて行くのに非常にやりにくいのでありまして、この点を一つ明確にして頂きたいと思います。従いまして長官のほうから一つ証言を併せて願いたいと思います。
  299. 根道廣吉

    証人根道廣吉君) 只今大橋さんにどういう形で依頼したかということでありますが、その時期は明確に覚えておりませんが、先刻来名前の出ております特別調達庁当時の、現在の官庁になります以前の組織におきまして幹事をしておりました三浦という人がおります。その人がたまたま幹事でありまして、特調においてそういうような過拂いの回收金の問題があるならば、これは幹事として、これは官職でありますが、いろいろそういうことの目付をすべきものであるのだという考え、又その三浦大橋さんと個人的によく知合いであるという建前におきまして、大橋さんもたまたま足利工業というものに御関連があつたということにおきまして、三浦氏より非公式に大橋氏に何か斡旋してくれ、速かに金が返るように斡旋してくれと依頼をしたというように私はその後聞いたのであります。従いましてその間において如何なる資格において依頼したかという証拠書類はないだろうと存じます。
  300. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうしますと、これは特別調達庁ということではなくして、特別調達庁三浦幹事が個人的に大橋総裁に依頼をされた、こういうふうに理解していいわけですか。
  301. 根道廣吉

    証人根道廣吉君) それは言い方の問題でございましようが、私がその後いろいろ聞き合せたところによりますと、依頼の形において特に知つておるというかたに心易く頼まれたという形でありますので、これは個人的であります。併しその際その当時の係のものも大体はその事情を知つてつたはずであります。はつきり個人的ということほどのものではなかろうと考えておるわけであります。
  302. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは大橋総裁が特別調達庁から依頼を受けたということをおつしやつておるので、この点はあなたの証言で大体わかつたのでありますが、それで私は第二の問題として疑問なきを得ないのは、少くとも国の代表者として資金の回收をせられるということになるならば、足利工業という法人に対して行われるべきものであつて、その内容を高橋とか田中と解剖して取立てを打われるものではないと思う。特に連帶保証までもしておられる書類が出ておつたのでありますから、当然これはそうあるべきだと思います。併しこの過拂金の回收は、足利工業の社の勢というものは毎日毎日衰退の一途を辿つておるという状態にあるならば、国はこの貴重な国の金を回收することになれば、強権を発動してまでもこれは最大限の回收をすべきであると思う。にもかかわらず残つた金で事業をやつて、儲つたらそれで全部回收しようというのは実にのんきな話でありまして、若しそういうことが税金の面において許されるならば、私はこれは非常に結構なことだと思います。そんな悠長なことが許されるということは言語道断だと私は思います。問題は大橋総裁が取立に行かれたその態度が問題だと私は思うのです。足利工業顧問をやつてつて二万円とか三万円という顧問料をとつておられる。非常に密接不可分な関係にある方が、今度ぐるりと債権者のほうに廻つて、そうして国代表して取立ての斡旋をするという、そういう二重人格的な行為というものは、これは確か法的にも私はいけないことになつておると思いますが、そういうことが大体常識的にできるかできないかという問題になるわけだと私は思うのであります。それをもう少し極端に言いますならば、今申上げました高橋が気の毒であるとか、そういうようなことも出て参りまして、これは斡旋でなくて、はつきりするならば、結局足利工業の利益のためにあなたが動かれたと私はこういうふうに申上げても止むを得ないのじやないかと思うのであります。その点は如何でございますか。
  303. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私がこの問題に関係するようになりましたのは、先ほど申上げましたる通り調達庁三浦君が是非お力を借りたいから来てくれというようなお話があつて、馳せつけたというのが事の起りでございますし私がそれまで足利工業顧問をしておるということは三浦君ももう承知の上です。そうして承知の上で私に頼まれたということは、これは私に対して個人的に私の性格なり、又私に頼むことが一番これを進める上からいつで調達庁の利益になるであろうというような点を判断された上のことであると思うのでありまして、これはいわゆる法律上の代理人として双方をうまくあやつたというような性質のものではなく、事実上いろいろな関係々総合いたしまして私がこの問題について盡力したわけであります。而も先ほど来申上げましたる通りこの問題の解決につきましては、すでにしばしば関係者が集つて、そうしていわゆる事情を取上げて、そうしてその上でそういう結論を出しておるのであります。私がこの結論について有力な意見を出したとか、或いは私が一人でこれをやつたとかいうような立場にはいなかつたのでありまして、ただ私はできるだけ、会社におつて会社顧問としていろいろの世話をいたしておつたという立場から田中高橋両氏に対して誠意をもつて返済するように説得をし、又そういうふうに望む、斡旋をする、そういう状態でありました。これはいわゆる法律行為というような性質のものではございません。事実上そういう動きをいたしたわけであります。
  304. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それからこれは、又他の証人の証言を聞いてからこの点はもう少しはつきりいたしたいと思うのですが、今の問題は明らかになつておると思うのでありますが、もう一点だけお伺いして置きたいことは、あなたが、その自動車の売却の代金のうちで、大体これは昨日聞きましたところによりますと、二十四年の八月四日に三十八万円返済になつておりまして、そのうちの三十方円ぐらいがどうも自動車賃らしい、売却賃らしいということでありますが、そういうことをお話になつたかどうか、これを伺いたい。
  305. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 確かその中から若干を高橋調達庁に返済するということを申出でましたので、調達庁に返済の手続をとつたのであります。
  306. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうしますと、今百万円で自動車が売れて、そうして気持のいいときに返しておこうという高橋氏の意向のままに、あなたが大体動かれたということになるわけでありますか。結局一番中心になりますことは、あなたが特別調達庁依頼を受けて過拂命の回收に努力すると言われたのです。努力するということは、債務者に対して少しは気持の悪いことをおつしやつたり、少しは工合の悪いこともして取立てるくらいの熱意がなければ、特別調達庁の要請に応じて取立ての斡旋をするということは言えないと思う。ところが今あなたのおつしやつたところによると、銀行の預金を全部押えられておる。あなたの許しがなければ出ない、そうして三十万円納めたいということで三十万円出したということです。それならば、あなたが取立の努力をされたというよりは、高橋氏の都合のいいようにただ金の勘定をしたということに過ぎないのじやありませんか。
  307. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) そういうふうな問題で返済計画を一応立てておりまするが、併しこの返済計画が会社として実行できなかつた場合、それに対して個人財産を以て支弁しなければならんということを説得いたしまして、そうして社長並びに専務双方から誓約書調達庁に出させるように、これが先ず私といたしましては、最も努力をいたしました要点でございまして、この根本がきまりました以上、あとはできるだけ高橋がそれを履行するのに都合のいいように援助をして、そうして最後までこの約束を実行させるということを図ることも又取立ての計画の完全実施のために盡力をいたすゆえんであると考えるわけであります。
  308. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 これは大橋さん、あなたは我々みたいな労働者じやないから、うまくつべこべとおつしやいますが、簡單に言いますと、この取立ては現在もうこういうことで焦つておる。そこで私はもうこの過拂いを取立てる、返済計画を出して来いとか出したとか、すつたもんだして一年以上かかつているのです。ところが今から一年前のその状態のときは、そのときはまだ東武の株も買つて自動車も四台も五台もあり、そうして家もあり、いろいろなものがあるのです。当然そのときには二千万円や三千万円の預金もあり、いつでも取れる態勢に私の調査したところからすればあつたのです。そうしますると、そのときに実際私があなたのように取ろうと思うなら、私はこれを一応ぱさつと網をかけるのです。網をかけて、そうしてそれらのものを一応こちらの特調の枠の中に入れさせるのです。いろいろ方法はあるでしよう、合理的に考えれば……。とにかくそういう形をとるのです。そうしておいて、或いは必要なものがあれば、その中から自動車はこれは特調が押えて、国のものである。併しお前たちも困るだろうから、これは月々なんぼで貸してやろうじやないか、或いはこの品物はこれはお前たちは要らないのだから、これはもう処分して金にして、これはこの分は返せ、実に向うに対してのいわゆる実意があり、又取立てる側においても実際にこれを取立てようとするならば、そういう措置は優にあつたんです。そういう機会は何回もあつたのです。ところがそれを特調ですつたもんだして、その三浦というのがどういうふうな人間か、これから聞かなきあ分りませんが、とにかくそれらがよつてごたらたらと一年半も一年以上も話をして、どどのどんず詰りがこういうことになつた、結果的に見て……。それでは余りにも皆寄つてたかつて、えらいかたが寄つて、そうしてその措置が実際に当を得ていない、熱意がないとしか考えられない。そんな法律的にどうとかこうとかいう問題でなしに、これは別に何もこつちは法律家じやないから、一国の法務総裁をされている者をあんなことで法に引つかけようということじやない。そういう措置ができたはずだ。それなのにこういうことになつて、焦げつきができた、而もこれが取れないような状態に現在なつてしまつた。これが今栗山君が言つたように、税金を取立てるなら税務署は、如何に苦しくとも、その人間が自殺一歩手前になつたものをびしびしやる実情です。それをなぜそういうことをやつていなかつたかというところに、私は常に不可解であり、又国民代表として実に心外な点があるのですよ。だからそういう屁理窟はやめて……。
  309. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと質問者のかたに申上げますが、成るべく事実の有無ということを主として御質問願いたい。いろいろ議論に亘つたり意見を述べることは成るべく控えて、簡單に事実を御質問願いたい、御注意申上げます。
  310. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 今のカニエさんの御意見、半ば御質問でございまするが、成るほどカニエさんの言われることについては私も或る程度賛成いたします。ただそういうふうな計らいができなかつたのはなぜであるか、これは私も存じません。私は先ほども申上げましたる通り、選挙から帰つて来ましたら、三浦君に呼ばれて調達庁に行たわけであります。そうしてそのどきに実は田中高橋二人とも幾ら呼んでも来ない。会社には一文も金がないと言つている。何とかあなたも顧問をしているのだが、調達庁のほうでも非常に迷惑しているから、できる限りの援助を與えてくれろ、こういうお話でありましたから、それで私といたしましては、田中高橋両氏に、調達庁へ行つて返済のことについて相談しろ、それで調達庁高橋田中両氏との間の返済計画についての内容は、これは調達庁と当事者両名との間できめたことであります。私はその條件について、殊にその最後の点、即ち会社の財産で以で完済できない場合には、個人保証をしてもらわなければ困るということを調達庁川田君は主張せられた。又三浦さんも主張された。ところがこの社長、専務は、会社個人は違う物だから、会社が返せられなければ会社が破産してそれでおしまいだという考えなんです。それでその点を特に何とか説得して、そうして両氏にその誓約書を書かせて判をつかしてくれ、こういうことを私は頼まれた。そうしてそれに努力した。抽象的に努力したというと、何でもかんでも皆一切計画の内容から或いはその実行から、全部私が考えて、そうして私が両方へ押付けたように考えられまするが、事実はそうでなく、この過拂いをしたのは調達庁であり、過拂いを受けたのは足利工業であります。これは私としては全くこの問題について介入するということは、私自身は迷惑であります。私が全く知らない留守の間の、選挙に行つて留守の間の事柄につきまして、調達庁が何とかこれを解決してくれ、こういうことを頼まれた。いわば私個人としては非常に迷惑な立場にあるわけであります。併しながら永年の友人としてつき合つている人たちからのお話でありましたので、私としてはできるだけの援助をしよう、そうして会社側の代表者を調達庁へやり、そうして調達庁の間で十分話合つた上での計画が立つて、そうしてそれに基いて調印をするということになつた。併しその際又調達庁から何とかこの個人保証だけは承知さして呉れという、これが今最後に引つかかつているというので、それを私は説得をいたしまして、そうして調印をさせるように盡力をいたしたわけであります。
  311. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) もう一点だけ。先ほど証人が法律的にやるのでなくて、半ば個人的にいろいろ斡旋をしたとおつしやいましたが、私はそういう意味で又お尋ねしてもいいと思います。要するに法律的でも或いはそうでなくてもどちらでもか構いませんが、問題はあなたが大切な国の金だから成るべく全額が回收できるようにすべきであると、従いまして今ここで運転資金になるようなものまでも吸上げてしまえば完全に殺してしまうことになるから、そこは若干匙加減をして、将来利益が両氏の活動によつて生まれて、その生まれた利益によつて過拂いものの弁済に当てるような余地を残して置くというようなこういう思いやりのある措置をとられた。私はその措置が正当なものであるならば国民は承服したと私は思うのです。併しただそういう気持だけでおやりになつたということになれば、それは国民は甚だ以て穏やかならんと思うのであります。そこで問題は、あなたにお聞きしたいことは、そのときに余り羽がえじめにしなければ、あれだけの、一千七百万円ぐらいになるのでありましようが、そういう金が短期間の中に回收できるであろう、そういう見通しを付けられた、その見通しの根拠を私は承わりたいと思うのであります。例えば高橋個人の行動、或いは性格等は私ども一応調べたわけでありますが、それから考えましても、これは私どもが極く最近にそういうことを承知したのでありますが、あなたは長い間の交友で我々よりももつとよく御承知になつておると思いますが、高橋氏がすでに足利工業の殆んど実権を握り、事業を運営されておつて高橋氏の個人的な性格なり、或いは行動なり、そういうような点から見通しを立てられた。又足利工業自体の最近の企業経営状態、こういうものから勘案されて、どうしてあれだけの金が今取立てを急がなくても将来回收できると、そういうようなお見通しをお立てになつたのか、この点が具体的に、あなたの友情は別といたしまして、そういう態度を御決定なさつた以上は、はつきりした信念の下に行われておるのでなければ国民は決して承知しないと思います。その点をお聞かせ願いたい。
  312. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) これは先ほど申しましたる通り、返済計画なるものは、調達庁と本人たちとの間において協定されたわけであります。そうしてその後私が、斡旋といいますか、これは成るべく遵守されまするようにできるだけ自分立場において努力をする。その方法というものは、大体私がこの條件をかくかくしろ、ああしろとかいうようなことをきめるべき立場にはないのでありまして、私はただ関係者がこの問題を誠意を以て解決するために話合う。その話合つた結果ができるだけ有効に実行されるようにお手伝いをするといつたような何と申しますか、この條件の決定とか、そういうことについて私がやるのでなく、調達庁と当事業者とで話合つておる。それについて調達庁から、これは本人たちだけにうまく承諾をして貰つても実行ができないから、大橋さんも一緒に立会つて聞いてくれ、こういうようなことを、その都度頼まれて私は出て行つたわけであります。聞いておる以上は止むを得ず道義的な責任といたしまして、それがうまく行われるように私自身できるだけの努力をしなければならないところの立場に追込まれておつた。こういう事情でございます。
  313. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それは実に奇怪なことで、さつきあなたは自動車の会計の話のときに何と言われたか。はつきりと言われたことは、売却して命を全部渡してしまえばできないことはないけれども、そうしてしまえば会社が工合が悪くなり、高橋が更生できなくなる。そこでこれは適当に余裕を残しておいて行きたいけれども、残しておけば高橋がどうしてしまうか分らない。従つて過去の例もあるので適当に大橋自身が仲へ入つて管理をするような工合に進めて来た。こういうような工合にはつきりおつしやつたではないか。そうして而も将来伸びるために努力をして行きたいというようなこともおつしやつたのでありまして、今の御証言と、先ほどあなたが自分の意思として相当積極的に述べられたこととは全く相反するではありませんか。
  314. 大橋武夫

    証人大橋武夫君) 私は事情申上げたわけでありまして、そういうふうに私がしたというわけではなく、当時関係者がいろいろ話合つた末にそういうふうにすることになつたという、その話合の筋途並びに結果を申上げたわけでございます。
  315. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 大分時間も経つて参りましたし、そうしてあとにたくさんの証人がありますから、一応大橋証人に対する質問はこれで打切りまして、なお他の証人を調べた上で必要があつたらば更に大橋証人に対する質問を続行したいと思いますが、如何ですか。御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  316. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それではそういうことにいたします。  次は田中平吉証人足利工業株式会社社長
  317. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 根道長官に対する証言がまだ残つておるのでありますが、これを明日に讓ることにいたしますか。どういうことにいたしますか。
  318. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 田中証人の方を先に調べた方が順序がよいと思いますので、そういうことにいたします。
  319. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) ちよつと、委員部ですか、事務局ですかに伺いますが、先ほど私がお願いしました調査というのはいつ頃できますか。
  320. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 主税局長をこちらへ呼んで、そうして伺つたほうが早いんじやないかと思います。
  321. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 主税局長をお呼び願えれば、足利工業のほうの件は田中社長が今日お見えになりますので、大体よくお聞きすればわかると思います。従いまして、主税局長をここへお呼び頂ければ私から質問いたしましてはつきりさせたいと思います。今日でも結構です。
  322. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 先ほど栗山君からの調査事項ですけれども、主税局長を政府委員として呼んで調べるほうがよかろうと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  323. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ありませんね、それではそういうことにいたします。  それでは足利工業株式会社社長田中平吉君を証人として調べますが、宣誓をしますから御起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。           証人 田中平吉
  324. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは質問がありましたら……。
  325. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 先ず順を逐つて田中さんにお伺いするのですが、当初足利板金が二重煙突を、註文を持つて来たという当初の事情ですが、誰がどこへどういうように持ち込んで、どういうような状態からこれをやるようになつたのか、それからどういうような経過で大体現在に来たかということを先ず最初にずつと一通り話をして頂いて、それからそれに附け加えて、又我々のほうから必要があれば質問をすると、こういうようにしたいと思いますので、先ずその点当初からの事情について高橋等の関係についても一つ詳しく話を願いたいと思います。
  326. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それはどうでしよう、一通りそれを話せと言われても、非常に話が長くなつたり要領を得ないことになつてはいけませんから、成るべく質問者のほうから問題を出して、それに対して答えるようにして区切りをつけるようにしてやつてつたほうがいいと思いますが、如何でしよう。
  327. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 では前言を取消しまして、それでは今委員長の方から申されましたような方法で御質問申上げます。  まず最初に足利板金が二重煙突をどういう経路でこれをやるようになつたか。その点まず伺います。
  328. 田中平吉

    証人田中平吉君) そのときは丁度昭和二十二年の十二月だと心得ております。ちよつと私年をとつたし、いろいろな……、頭も少しぼけているのでありまして、そうして契約になつたのが十二月だと思います。二十三年から仕事を始めまして、その二重煙突が入つてきたことにつきましては、高橋正吉君がこういうような、二重煙突のこういうようなのを拵えろということでその見本を拵えて、そうして持つて来いというので二十二年の丁度十一月頃その見本を、いや十月頃でしたかな、十月頃見本のその第一回を私が自分で拵えまして、そうして第一回を持つてつたのであります。横浜へ……。そうしましていろいろの試験をした結果、火熱が外へ出る。試験をするにはガスを使つてやるとか、又はコークスを使つてつてみる。燃し火でやつてみるというふうないろいろな試験をした結果、どうもこれでは火熱が外へ出て、もつと石綿が細かいのがいいのじやないかというので、今度はいい石綿でなく、その下の石綿を使いまして、細かい石綿を使いまして、もう一遍又拵えて横浜へ持つて行つた。そうして初めて試験済となりまして請負つたわけでございます。以上。
  329. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 品物をお入れになつたのはいつからです。
  330. 田中平吉

    証人田中平吉君) 品物を入れましたのは三月頃から品物が入つた記憶しているのですが……。
  331. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二十三年の三月ですか。
  332. 田中平吉

    証人田中平吉君) さようでございます。三月頃から入つた記憶しております。
  333. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 当初高橋正吉が直接田中さんにお会いになつてつて来たものか或いは又そのほかにどこかへ持つて行つたものか、どういうような関係でそんな大きな註文を高橋正吉が持つて来たのか。こういう点について御承知があれば承りたいのですが……。
  334. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私はその役所のほうのことや、すべての大きな役所のことやなんかは自分としては余り出入りもしておりませんからよくわかりません。けれども、ただ私は職人とし、自分でそれができる腕は持つておりますが、そういうことはよく分らないので、それでその前のちよつと経歴を申上げますと、これを本当に手短かにここで二重煙突ばかりでなく、以前をちよつと御参考のために申上げて置くというと、それから皆さんの御推察でおわかりになるだろうと思います。第一回に高橋を私が信用し、そうして高橋が又持つて来てくれたということの経歴をちよつと申上げたいと思います。昭和十九年の戰争が終戰になると同時に、一重の煙筒というものを足利の鉄工組合にできるかと言つてつて来たのが高橋正吉でした。ところが鉄工組合に持つて来たところが、鉄工組合ではこういう薄いものはできん、これは板金のほうだ、板金は田中君に聞いたらいいだろうということで、私がやつてもいいということで、ところが十万本をこれを今年一ぱいのうちに仕上げるのだと行言つて、材料はどこから持つて来てもいいから仕上げろというので、太田、小泉というような手近な所の第八軍の占領区域の中島工場より物資を持つて来ました。そうしてそこには無論米国の番兵さんが立つてつて、勘定をしては持つて来て、それを一月の七日に私は足利の鉄工組合の下請としてそれを仕上げたのであります。それで信用を得たのだろうとこれは私の推察でございますが、その後において今度又あと十万、又あと十万というふうな註文をされたときに、そのときに、鉄工組合は小倉徳太郎という人が足利組合長でした。そこで高橋君から直かに今度君が仕事をしないかということでありましたが、一応組合長に話をしてくれというので組合長に話をした、又十万本来たが、どうしましようかと言つたところが、組合長がそれは私のほうはやらないから田中さんがやりたければ勝手にやれということを申されたのであります。それですから、私はそうですかとそれを私がやろうと言つたところが、それじややれというので、それから引続いてずつと一重の煙突何事もなく仕上げ、又金銭上も勘定はきちんきちんと高橋が持つて来て頂いて、又高橋の費用も私のほうで拂つて、そうしてできて初めてこの二重煙筒をやるときにおじいさん二人で共同にしてやろうというときから二重煙筒に移つたのであります。ですからどういう経路でこれを受取つたかよく私はわかりませんが、多分商工省の属官をしていた時分、商工省の中に知つたかたがあり、又商工省もその煙筒が、寒くなつて来るというふうなことだつたから、私の推察ですが、南方から米国の兵隊がお出でになつて寒くてしようがないというのを一時間に合したという点で、東京もその時分はもう燒野原、横浜も無論の話でございまして、足利でそれを間に合したというので、その信用を幾分か得たのじやないかと思つております。その点から又二重煙突を受取るべき運びになつたのじやないかと、私の推察ではそういうふうに思うのでございます。
  335. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでどういうような事情高橋が持つて来たか、そのことはわからんがとにかく持つて来た。そして当初鉄工のほうへ持つて行つたやつを、鉄工で最初一回分やつたが二度目はもうやらんということを鉄工の何という人ですか、どういうわけでやらなかつたのですか、そのときの事情は分りませんか。
  336. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは職務が鍛冶屋と違うし、幾らの利益金もきつと頭をはねたとか、何とかいうと工合が悪いから、というので私に遠慮して言つたのか、ちよつとそのほうの推測はしかねるのであります。
  337. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 高橋正吉との関係ですが、何かそれ以前から高橋正吉田中さんとの間に関係があつたのですか。どういうふうな関係ですか、その点を一つ……。
  338. 田中平吉

    証人田中平吉君) その関係は私は元よりはありませんです。その一重の煙筒からの関係でございます。
  339. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、高橋正吉が当時どこにおつたのか知りませんが、煙筒を足利へ持つて行つたということが、それならば足利へ持つて行くより名古屋へ持つて行くとか、或いは人その他へ、戰災の地域でないところへ持つで行くというようなことになると思いますが、足利に持つて行つたということはどういうふうな関係ですか。
  340. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは足利へ持つて来るのは私は無理はないと思います。高橋正吉足利の生れでございまして、そしてこの鉄工のほうのすべてのことについて足利に非常に知り合いもあり、又鉄工界の方でも戰争当時幾分の鉄工をやるのに、知つたおつき合いが鉄工関係の方であつたのじやないかと私は推察するのであります。自分の故郷であるから自分の故郷へ一応来て鉄工の方へ聞いて見るというのも一理あるかと存じます
  341. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 当時高橋正吉というものは相当何か家庭、自分の生家、或いは又自分自身が相当左資本力とか、或いは資力を持つてつたものですか。
  342. 田中平吉

    証人田中平吉君) これはその当時にそんな莫大ないろいろな財産だとか、そういうことは、私はないということを信じております。
  343. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからその後高橋と一致で仕事をやつて来られた。そうしていつ頃これが現在の足利板金工業株式会社とどういうようなことで会社になつたのでありますか。
  344. 田中平吉

    証人田中平吉君) 申上げます。これは二重煙筒になりましてから、会社にして、資金も一緒にして板金ばかりでなくいろいろなことを請負いするには二人で一つつて会社にしたほうがいいということを申しまして、それも結構だということで私は單にそれに賛成をしまして、それではそのほうもいいだろう。私に子供もあることだし、それから高橋も一族会社とそういう名称で、自分の家の子供、又高橋の家のほうの身内というものも混つてやろうと言つて会社にしたのであります。それに賛成しまして私も若い者には、すべて年寄りだから間違いがないと、若いものと会社ということは不慣れでございますけれども、それによつて会社にしたのであります。
  345. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでそういう事情会社になつたのでありますが、そこで実際仕事をやつてつて会社の実際の仕事責任者は当然社長であるのでありますが、田中さんですが、実際仕事をやつておられたのはどういうような調子で、あなたが何もかもやつておられたのか、或いは又あなたがどういう仕事をやつておられて、高橋はどういうような仕事をやつてつたか、この点について……。
  346. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私は職人で、すべての材料の売り方、又堅板をこしらえるとかということはほかの職工に、私どもの弟子も相当おりますけれども、やらせるのは何ですから、自分で以てそういうことをやる。あとは材料の方面は、高橋が材料が出るような割当の切符をもらうことは、切符の手配はそういうことは高橋がやることになりました。それで又金を取下げるほうはやはり高橋君がやる。高橋君が材料は、これは日本鋼管から出るものである、今度のはこれは日鉄から出るのだろうというふうなことで、高橋君のほうから私のほうへ来て、トラツクに乗りまして、一緒の板だからよそへこけるようなことがあつてはならんと思いまして、自分は職人でございまして、その時分は堅板、鉄板というものは非常に小板でも欲しかつた時代でありまして、そうして私は最初にトラツクに乗りまして、材料を日本鋼管なり、どこへでも自分で取りに行つたのであります。高橋は東京にいまして、それを取れる工夫というようなことをお役所のほうだけを高橋君がやつたのであります。
  347. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでそういうようなことで、高橋とあなたと仕事の分担をしてやつておられた。ところがそこで大橋武夫君ですか、大橋君とあなたとの関係、どういうような関係で、又いつ頃から知合いになつたのですか。この点……。
  348. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは二重煙突になりましてから、ちよつと私も何年の何月……、尾張町のヒルを丁度借受けまして、あそこで事務を開くように高橋君がしたのでありまして、高橋君とその時分は大倉さんというかたと石村というのがおつたのであります。その人がすべてのことを、よく事務をやつていて下すつたのであります。そうしてそのビルもその人たちの力で以て借受けて、そうしましてあそこは借りたのでございます。尾張ビルの三階をお借りしたのであります。そうしてそれを借りているといつても、東京へは出て行つても、材料を取りに行く帰りにトラツクで寄るぐらいなもので、そんなにちよちよ行つたこともないものですから、大橋さんともそうはお目にかかつたことはないのであります。大橋さんとお目にかかつたことは本当に、もう会社が金を頂いてしまつて、そうですね。昭和二十四年の春でしたかな……二月頃このかたが大橋先生だといつて初めて引合せをして頂いたかのように私は心得るのですが、そうすると、そうですか、いろいろ会社のためにお世話になりますというふうなことで、世話をして頂いた。それで、そのときの打合せをして、その次に都合二、三同しかお目に……、二回ぐらいそれから後にお耳にかかつて、二重煙突の問題になりまして、問題にされたのが二十四年の三月か四月頃だと思うのです。それからあとに三回ぐらいしかお目にかからないと私は思つておるのです。大橋さんとそう近しいお話は、私はまだ大橋先生としたことはないのであります。それで又、大橋先生のほうでそんなに近しい話は私にしかけたこともありませんし、それから又大橋先生と私は、一緒に事務所の中ではお茶の一杯ぐらいは、お互いに入れて来てもらつたお茶は飲んだことはありますが、喫茶一つ行つたことはありません。大橋先生とはよそへ飲み食いに行つたこともありません。それきりでございます。
  349. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと証人申上げますが、成るべく委員のかたの質問に簡單に答えるように、余分なことを成るべく言わないようにして下さい。時間が遅くなつておりますから、簡單に……。
  350. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それで大橋さんのほうへ会社から会社顧問になつているということで顧問料を拂つてつたというのですが、その点はどうなんですか。
  351. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは拂つたと思います。私はあとで一同しか拂いませんです。一瀞おしまいに高橋専務がよしてしまつて、私一人になつてしまつて、一番おしまいに会社を引拂つてしまつてから初めてたしか一同拂つたように記憶しております。それきりでございます。
  352. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはあなたが拂つたのは一回であるので、併しその前は会社から拂つておるということですが、その拂つたときに大橋さんのほうから何かやはり請求でもあつたのですか、こつちから勝手に持つてつたのですか。
  353. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは一番おしまいの話ですか。
  354. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 一番おしまいのあなたの拂つたやつは……。
  355. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは拂わなければならんというので拂つたのです。白井先生というかたが顧問でありまして、これは月に一万円ずつ拂つた。これは承認しておる。
  356. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから本件の問題ですが、過拂いでこういう工合に国の税金が大きく行き過ぎた。どうも私どもが考え会社が作つてもいないものを金を四千万円も取つちやつて何した。どうもその点けしからんじやないか。造つたものなら作つたもので自分で作つた数は分つておるのだから、作つた数だけ請求してそうして国が金を拂う。それなのに四千万円という金を作つていかないものを拂つちやつた。それはどこに間違いがあるか知らないが、拂うほうも拂うほうなら、取るほうも取るほうじやないかというような考えを持つのですが、その点はあなたどういうようなお考えですか。
  357. 田中平吉

    証人田中平吉君) その点は、私の考えでは実際余計頂いてたくて、もつと頂けるというような考えを持つてつたのです
  358. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それはどういうわけですか。
  359. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私のほうでは入つておる金が……、私のほうへ足利の第一銀行へ入金になつておるととろの金から推して言つたことであります。それとできた品物の数から推して行つたものであります。そうして十一月初めですか、ちよつと記憶が……、十月ですか……十一月だと思います。高橋專務に、どうしても今月は借金が四千万円からの、或いはそれ以上の借金になるかも知れん。新制中学もやつておるから……、どうも借りられないから一つ……、それくらいの金はこの暮にはおりる、四千万円くらいの金がおりなければ大事ができる。そうしたらおじいさん、大丈夫だ、下りるから、こういう話です。そうすると、四千百万円頂いてもまだ百万円や百五十万円の金は頂けると思つていた。ところがこれは私の考えでございまして、そうするとそのまま知らずにずつとしたら、どうも少しあやしくなつて来たような考えもあるし、はてなと思つて考えて、虫が知らせたのか、私には非常に数字がわからないので、学校へも行かないものですから、尋常四年しか行かないので、それで困つたな、こう思いまして、そうすると銀行では代行させろというわけです。そうすれば金を貸すというので、銀行の代行をお願いしまして、それで特別調達庁へ行きまして、第一銀行の代行をお願いしたのであります。それで私の判を私は取上げたのであります。そうして二十八日に勘定を頂いたということになつたのであります。そして二十八日に勘定を頂くときには、丁度私も行きましたが、勘定をもらえるようになつたから、おじいさん帰つてもいいというような高橋の話だつたのです。私も体の工合が悪かつたものですから、それじや頼むといつてつて来たところが、その次の日勘定が入つたの銀行から手形がみんなおりたわけです。そうしてやれよかつたと思つていて、その三月だと思います。そうしたらば行つたところが、実はこういうふうにお金が余計行つておる、どうしてくれるというふうなことになつて、初めて私はたまげたわけなんであります。それまではまだ知らなかつたのであります。
  360. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつとお尋ねしますが、お金の支拂いを受ける場合には、どういうふうな方法で支拂いを受けておつたんですか、何回にも受けたんですか。
  361. 田中平吉

    証人田中平吉君) 何回にも受けたわけであります。
  362. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) そうしますと、どういう工合にして支拂いを受けておるんですか。
  363. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは高橋君がやつたので、誠は私が責任者として申訳ありません。
  364. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) いや、証人は戰災復興院から支拂いを受ける際の方法とか時期とかいうものについては御存じないんですか。
  365. 田中平吉

    証人田中平吉君) いや金がなくて困るというんで、請求をしてくれたのは高橋がしてくれまして、そこで足利第一銀行へおじいさん入れたからというようなことに相成りまして、支拂いをしておつたので、そういうことは私にはよくわからないのであります。
  366. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) だか、品物を幾ら幾ら入れれば、それに対してそれの代金を幾ら幾ら支拂いをする。又品物を入れれば又それに対する代金を支拂いをするというような方法でやつたんじやないんですか。
  367. 田中平吉

    証人田中平吉君) そういうふうな方法で間違いがありませんから、品物が行つていたけれども、今度はたくさんの品物が行つたけれども、金が来ないから早く金をもらつてくれという請求を私は高橋に言つたことがございます。
  368. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 結局品物を入れてその都度代命の支拂いを受けたということになるわけですか。
  369. 田中平吉

    証人田中平吉君) そういうわけです。一重の煙突のときに、品物が入つて、そのほうは高橋のほうがやつたので、品物が入つて初めて伝票というものを切られて、その伝票を大平なら大平へ持つてつて初めて支拂うというようなことを私はただ聞いておつただけなんです。従つて金銭に間違いないというふうに自分考えておつたのであります。
  370. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 命は何回ぐらいに支拂いを受けたんですか。
  371. 田中平吉

    証人田中平吉君) 十回ぐらいだと思います。
  372. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ところがこの大橋武夫という人に、金の支拂いをしてもらいたいということを特別調達庁に催促をしてもらう依頼をしたというのは、会社からしたんですか。
  373. 田中平吉

    証人田中平吉君) 私は存じません。それは高橋氏を証人としてお聞きになつて頂きたいと思います。
  374. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) あなたは全然そういうことは知らないんですか。
  375. 田中平吉

    証人田中平吉君) 東京のほうのことは私もそういうことはわからないのであります。
  376. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) ちよつとお尋ねいたしますが、あなたが品物を作つてお納めになつて、それから向うからいわゆるこれだけ品物が納まつたということを証明をしてくれという、いわゆる検收がございますが、そういうことについて現品の立合いはあなたはおやりになつたことがありますか。
  377. 田中平吉

    証人田中平吉君) ありません。
  378. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 会社としては現品の立合いはないのですか。
  379. 田中平吉

    証人田中平吉君) はい。
  380. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうすると、そういう書類は高橋氏とその検收を依頼しておつた代行者の大平、それとの間でやられたんですか。
  381. 田中平吉

    証人田中平吉君) いや、そういうふうなことになつてつたんですが、私は一重の煙筒から一生懸命でずつとそのままただこしえらて、どんどん貨物に積んで東京へ送つてつただけでありますが、誠に申訳ございません。
  382. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今のお話を聞いておりますと、証人の言われるのは、仕事自分がどんどん作つてつてつた、併しながら肝腎の金のほうの取立てや何かは高橋がそういう事務をやつて、そうしてそれを足利の本社であるあなたのところへ送るておつた。そこで送つてはおつたが、その自分の作つた品物と、それから送つて来る金とか、自分の手許で見ておるとまだもらい分があるように思つてつた、だから過拂いだというようなことには自分はならんのだというようなことのように聞いたんですが、そういうようなことなんですか。
  383. 田中平吉

    証人田中平吉君) その通りでございます。
  384. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと、いろいろ聞きたいのですが、会社というものは正式に設立登記をされておるわけでありますね。
  385. 田中平吉

    証人田中平吉君) はあ。
  386. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そういたしますと会社の会計ですね。会計というものはあなたの会社に会計帳簿があつたのでございますか、或いはそのうちの一部は東京へ来ておつたんですか。
  387. 田中平吉

    証人田中平吉君) 大概高橋専務が東京で代行しております。
  388. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 東京本社というような恰好になつてつたんですか。
  389. 田中平吉

    証人田中平吉君) 本社は足利で、東京は出張所、全部そこでやつてつたんです。
  390. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そこで全部会計帳簿がありたんですか。
  391. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。そうして足利へ送つてくれただけの金は足利でやつております。
  392. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうしますと、一口に申しますと、あなたの会社高橋商事会社の不請会社というような恰好でありますか。
  393. 田中平吉

    証人田中平吉君) 考えて見るとそんなふうにもなるかも知れません。(笑声)
  394. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうすると、もの一つ伺いますが、大橋、今の法務総裁大橋君に三万円ずつ顧問料を出しておつたとおつしやいましたが、これはあなた御存じですか。
  395. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは私は知らないんです。一番おしまいですね、いよいよ段々切羽詰つて来て借金の催促を受ける。あれやこれやで仕事はやるが、やつた金は特調仕事の金ももらえなくなつて来るから、三十何名いた人間の首を切るでしよう。切つたから大橋さんにも断わらなければならん、大橋さんに三万円やるということではそれはしようがないから、今後はやれねえからといつて断わつて出したんです。
  396. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 金は三万円ずつ出ておつたということは、あなたの気付かれる前は全部東京で出しておつたんですか。
  397. 田中平吉

    証人田中平吉君) 出しておつたんでしよう。
  398. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) そうして最後になつてあなたのところへ行つたんですね、
  399. 田中平吉

    証人田中平吉君) 私にではないけれども、事務員からそういう話があつたから、じやあやつたらいいじやないかということです。
  400. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと速記のほうの都合がありますから、発言の許しを得てやつて下さい。
  401. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで段々わかつて来ましたが、実際には特調から金をもらつて来た。もらつて来た金は東京の出張所で高橋か自由にしてやつたかどうか知りませんが、そうしてそこで金を月々送つて来た。そこで問題はその点で、私が調べた点では特調からもらつておる金が仮りに百といたしますると、その時分に調べますと、足利銀行へ入つておる金は六とか、或いは五とかになつておる。そうするとその間のつまり東京で支拂いを受けた日銀の金と、足利の本社へ行くところの金とこれが違つて来ておる、その違つて来ておるというところにどうも我々もう一つわからんところがあるのですが、これはどういうわけで違つておるのですか、我々の考えるのは、日銀が金を支拂つたらそれは一応そのまま足利の本社へ行つて、それから足利の本社から東京で経費が要れば、本社の社長なり或いはあなたのところからその金が順次に東京へ行くとこういうことになれば、こういう両方の金が合わないということはないと思うのですが、その点はどうなつてつたのですか。
  402. 田中平吉

    証人田中平吉君) それはまあ確かにそうなんですけれども、私そういうことかどうか知りませんが、何しろ高橋銀行に持つて来て入れただけが私のほうへ入つた金としてあるのです、ただそれだけです。それで一番おしまいに、初めて二十四年の四月からだんだんこんなに僭越しになつたというのだ、調べて見たところが東京に残した方が多いのですが(笑声)……。金を数千万円もらうと足利へ六百万円、三百万円くらいしかくれないのですか。だからとても身上は骨を折つたのです。私もそれで直ぐにその材料を買うのですから、容易なものじやないのです。
  403. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そういうようなことであると、これは私は重大な問題じやないかと思うのです。その会社社長である者が政府の金を会社が持つていないと、その間どういう名目にしろ東京のほうで高橋が相当な金額を着服しておる。そうしてそれを社長である田中平吉に未だに渡していないというような結果になると思う。大体その額が私の調べによりますと、二千七百万円かの金がある。この金があれば今の国の損害の拂いは楽にできるのです。その金がどこに下つたかということいては御存じないのですか。証人は……。
  404. 田中平吉

    証人田中平吉君) どこへ行つたかわかりませんな。それがわかるようならば、私もこんなに今まで苦労しないのです。又特調の会計のかたがたにも御心配はかけないで済むかもわからないです、実際私のほうは……。
  405. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) あなたにお聞きして大体の見当が明らかになつたのでありますが、ただ一言最後にお伺いしますが、私として最後にあなたの御心境をお尋ねするわけです。終戰後の慌しいときからああいう大きな仕事をなさつて、そうして会計的に非常に高橋との関係でお困りになつて、且つ最近では返済のために非常な御苦労をなさつておるようですが、これにつきまして大体今あなたの率直な御気持ですね、どんなお気持でおられるか、一つお伺いいたします。
  406. 田中平吉

    証人田中平吉君) 気持でございますか……。
  407. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それは会社自体の将来と、或いは高橋に対する考え方、或いは特調に対する考え方、そういうようなものはどういうふうにお考えになりますか。
  408. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私の心境としましては、別に私も今までこうやつてつて来たことでございますし、自分とすると、ただみんな悪いほうに私がなりもしますが、ただ返済するのにどうしたらできるだけの返済ができるかという信念は持つておるのでございます。まあそれですから、私は特調へ行きましても、実に心苦しい思いをし、又は呼ばれる度に実際心苦しく存じておるのでありまして、金があれば何とか早く返せる、自分の持つておる物は裸になつても……。もともとは裸であるから、生れたときは裸であるから、結構じやないか、そういつた気持を持つております。ですから、私は元からこういう心構えを持つてつたのですから……。人が自分と同じ心持であるとは思つていないのです。又みんな悪いことをするものではないということを考えておる人間だとしか私は思つておらないのです。自分の心境としましては人を疑ぐるということは……。借金したものは返さなくちやならないという心境であります。取られてなくなつてくれば、みんな取られるということに不平があつても、借りたお金をお返しするのは止むを得ない。併しみんななくなつて来ればどういうふうになるかというだけの考えしか私にはありません。
  409. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 今日法務総裁がここで返済をするのに、あなたと高橋君との間は金銭的には全く対等でなければならない。高橋君だけから金を出させて田中が出さないというのじや困る。平等で行くように努力をしておると言われたが、今のあなたの御所見からすると、実際道徳的に見てあなたに対する御責任というものは非常に薄いのじやないかと私は考えますが、これについて高橋に対するお考えはどんなふうですか。又大橋法務総裁がそういうような措置をとつたのに対してどういうふうに考えておりますか。
  410. 田中平吉

    証人田中平吉君) 今申された私の負担額が薄いというふうなことですが、これは私もちよつと心外に堪えないのです。私が幾ら負担するとかいうようなことは申されない。高橋その者が負担額が厚くて私が薄いというような……、そういうお言葉が仮にあつたとしても、むしろ反対じやないか、私はこう考えるのです。高橋その者はいろいろ自分の財産を出しておると言うが、その人はすべて会社の金で買つてある物を出しておるのです。それから自動車も出すようになつておるけれども……。負担額のことについてこういいうふうにしてこういうふうにしろということは私は申していないわけであります。それですから、私の負担額が、重いとか軽いとかいうふうな責任はないんじやないかと私は思うのであります。
  411. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つこれは重大な点ですが、大橋法務総裁の言われるのは、株にしても自動車にしても、これは高橋が物を出したのだと、そうして田中平吉のほうは出さないのだと、そうなると不公平だからというようなことを言つておられたのですが、その今の話くを聞と、どうもその点があべこべのように考えられるのですが、自動直なるものは高橋自分の金で買つたのですか。株も高橋が買つたのですか、その点どうですか。
  412. 田中平吉

    証人田中平吉君) 自車動を買つたときはこういうわけです。おじいさん自動車買つたけれどもまあ一つ承認してくれと、実はあの自動車は駄目になつちやつて、何と言いましたか名前ちよつと忘れましたが、その前に持つてつた自動車は英国のやはり自動車だつたのでございますが、そのダツトか悪くなつたので、オースチンの……、一つ許してくれと、おじいさん承認してくんなされと言つて来たのを夜聞いたのでございます。そのとき銀行の泉さんという人を連れて一緒に遊びに来ながら、丁度私が風邪をひいて寝ておるところに来ました。それは結構ですと、買つてもいいだねと言つてつたので、それは会社の帳簿にもございますが、自動車は会社のものであります。そうして自分で運転するのだからいいだろうと、あれは自分の自動車ではないのでございます。会社のものであります。
  413. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 もう一つ株券の三万五千株というのは……。
  414. 田中平吉

    証人田中平吉君) 株券は実はこういうわけでございます。昭和二十四年の三月か四月だつたと思いますが、ちよつとそこのところは記憶がありませんが、そのときに丁度私は呼ばれまして、三浦幹事さんから、実は田中さんこういうわけだと、キヤンセルになつたのだと、それについてはその金が行過ぎになつちやたのだと、それで困つておると、それをどういうふうにしてくれるかと、こういうふうなやわらかい御相談だつたのです。そうですが、そのときに初めて私は知つたのですよ。そうですか、そんなわけはないと、いやそうなんだと、君は知らなかつたのかと、知らなかつたのだと、こういうふうなわけなんで、そういうような話を聞かされて困つてしまつたのです。それでは会社のものを全部提供しますから、会社のもので、一つ会社を潰してしまつてくれませんかと、こう言つたところが、そうして取るだけ会社のもので取つて会社を全部潰しちやつてくれませんかと、こういうふうにお話申上げたのです。そうしたところが、会社を潰すというならばお前にそれほど心配させないのだと、そうでなく何かいい方法はないかと御相談になつた。今のところになると、会社を潰すと言つたつて、潰すのはあなたの勝手だということになるのでありますけれども、私はそういうことは法律も理窟も知りませんから、本当に職人ですから、それでは皆潰しちやつてくれませんかと、こう言つたんです。そうしたら、そんな無茶なことを言つてはいかん。そんなら何も心配することはないのだと、それで何かいい方法はというので、そのときは帰つて来たと思いました。その次に又行つたときに、今度はどうしようと、今金がたい、そうするとここに金が五百万円あると、煙突で何とかキヤンセルしないで廻してくれませんか、何とか金だけあればよいから廻してくれませんかと、そり言つたのです。そんなわけにはいかないよと、ここに五百万円金があるから、それで東武の株が五万株ある、こう言つたのです。そうすると三菱本館の仕事をやつたらいいだろう、こういうふうな仕事ができたのです。三菱本館の仕事を第八軍のほうでも足利工業のほうにやらしたいという何があつたものですから、それを君やれと、そうすと、つまり百万円のところは、十万円儲かつても九十万円納めればよいのだと、それで百万円納めたことになるのだと、仕事をやつたほうがいいじやないか、幾らか儲けがあれば、というわけで、実は儲けがあるわけでその仕事を仕上げました。その仕事は仕上げたのです。そのときに株か五万あつた、五万株ありますから、その株を金にして届けますからと言つたら、いやその株は……、丁度川田さんもそのときにいらつして、その株はそれではどうだと、まあ役所として預かるわけにもいかないのだが、それではこつちで適当に売つてやろうじやないか。そうできれば結構な話ですということで、その後に五万株という株をさげて行つたのです。この三万五千株というのは、私の新株を売つて高橋名前のほうにやつたから、高橋の株が多くなつていたわけです。私の株が減つたわけで、高橋があべこべに多くなつていたのです。これは二人で同等に持つていたわけです。丁度これも勘定をもらう前は縛られておりましたから、手がつけられなかつたけれども、丁度これも二十三年に浮き上つたのですから、それではその株をというので私は持つて行きまして、五万株納めて、それで川田さんから、ここに東武五万株の領收をそのときに頂いて来たのであります。今日証人ですから念のために持つてつたのであります。ですから、これは個人のものです。確かに会社のものじやない、これは二人のものです。
  415. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでその株が、あなたが五万株特調へ持つてつて、確かに特調に渡したのですか。
  416. 田中平吉

    証人田中平吉君) 渡しました。
  417. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、渡したものが、その後特調からあなたに渡して、そこに証拠にあるような書類をあなたが持つておられると、その後その三万五千株をなぜあんな高橋に渡しちやつたのだろう。これはあなたが高橋に渡してくれとでも言つたのですか。
  418. 田中平吉

    証人田中平吉君) 無論言いません。このときは、どなたが来ても、私に任せてくれということで、金銭のことは皆私に一任してもらいたいということを言いましたけれども、これは誰それに渡してくれろとは言いません。又この書類をもらつて来るということについては、この書類を直さなければ誰にも渡すことはできないということを、ただ私の素人だけの考えで思つてつたものですから、それで私はどこにも行かないものと承知をしておりました。
  419. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 ところがその後その株が、高橋が騙したか、特調が騙されたか知らんが、とにかくも田中平吉から特調で預つてつた株を高橋に取られたのです。持つて行かれたのです。そうしてその株が未だにどこへ行つたか、未だに我々もその株の跡を追つておるのですが、杳としてわからんと、而もその渡した金が国のほうに納ますべき金であると、ところがその金が国に納まつておらんとすると、一体その納まつていない三万五千株、先の五万株はこれはまあ特調のほうで売つて金が入つておりますけれども、三万五千株をあなたが納められた分は、特調高橋に渡してしまつたと、そうするとそれが特調、国の会計に入つて来ないということになると、あなたとしては責任はどうなるのですか。
  420. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私としますと、どうしますかと言われても、このことについては納めたのですから、一向差支えないと思つたのです。どうするか。一日納めて、これが直つておれば何ですが、直つておりませんから、このままで私は納まつているものだと思います。
  421. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、あなたのお考えでは、あくまでも特調にその三万五千株は返したのだから、渡したのだから、自分責任は三万五千株の分は拂つているという信念でおられるので、それがどこへどう行こうと自分はこの受取を持つている限りにおいては責任を果していると、こうお考えですか。
  422. 田中平吉

    証人田中平吉君) そういう考えでおります。おりますが、併しそれに今度はいろいろ特調のほうでこれは私はそのままでいつか一番お終いにでもこれは必ず入つて来るものであると思つたから、私はそのままにしておつたのでございますが、個人保証をするときに、つまりこれに間違いがないという、何というか私はどうもむずかしくてあまりよくわからんが、千六百万円なら千六百万円、これだけの負債があるということについて承認をしたときには、これは本当はこれを差引くべき金額だが、ちやんとやつているのだから、その承認するときに個人保証をする判を捺すときに自分でも疑念を抱いたが、自分で目をつむつてそのときに一番お終いにでも入つて来れば、やはり引けるのだと思つて、これは何か特調のほうできつと一番お終まいでには、大橋さんでも行つてつてくれるとこういう考えを持つていたから、自分で私は判を捺しましたけれど、株券、これは私は一番終いまで保存して置かなければならないと考えました。
  423. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでその株券を後日高橋が持つて逃げたということが問題になつて、その後一悶着の結果、あなたと大橋さんと、それから三浦ですか、それから川田氏等が寄つて話したときに、大橋さんが結局何かそのとき言つたのですか、その株につい高橋に対して……、
  424. 田中平吉

    証人田中平吉君) そのときは大橋さんが来まして、高橋株を持つて来い。俺のところへ持つて来ておけ、特調へはこつちから渡すからということは一言言つただけだと私は思います。
  425. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからもう一つは、自動車を一体渡したのは高橋が自動車を大橋さんにもらつたのか、あなたの手から大橋にもらつたのか、その点の事情について……
  426. 田中平吉

    証人田中平吉君) 自動車は交詢社の二階で覚書を書きまして、かく申す田中平吉に渡すべきだというので、大橋武夫自分名前を書き、又高橋正吉、私、三名の者が覚書に入つておりまして、それで覚書を書き、その中に入つているのでこれは田中平吉に全部渡すべきものなりと書いたのであります。これは大橋さんが自分で書き、名前自分で書いて拵えてくれた。そうして自動車のナンバーを私は外して事務所に置いて、事務員にこれはなくしちやいかんと言つて預けておいたのであります。私のところへ自動車屋が来て大橋に頼まれて来たのだけれどもと言つて来ましたが、それは東京へ行つて話をしてくれというので、東京へ打つて話をしましたが、大橋さんにナンバーを私からお返ししたわけです。
  427. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そうすると、結局は大橋さんからあなたに自動車を渡したのですか。高橋に渡したのじやないですね。
  428. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうじやない。高橋は私のほうヘナンバーを持つて来たのだから、もう私のものになつたのであります。
  429. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからもう一点ですが、その後いつでしたか、この高橋足利の市へ選挙中に電報が参つて、そうして金を送れというような電報が大橋から来て、そうして慌てで高橋が金を持つて行つた。そのときの事情について電報は果してあなたが見られたのかどうか。どういうふうなことであつたか、その点を御説明願いたいと思います。
  430. 田中平吉

    証人田中平吉君) このときは足利へ電報が来たのが一月の二十日過ぎだと思いました。
  431. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 何年ですか。
  432. 田中平吉

    証人田中平吉君) 選挙のときですから二十四年だと思います。
  433. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 選挙のときには間違いないですね。
  434. 田中平吉

    証人田中平吉君) 二十三年にはお勘定を頂いたのですから、二十四年の一月……、その後ですからそうだと思います。それでこれはそのときお金を送つてくれというのは俺に来たんじやない。高橋正やんに来たんだというので、私は事務所へ送つて自分の家へ帰つたんです。事務所は私の家の傍ですから……。
  435. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その後高橋が金をどのくらい持つて行つたか、或いはこの選挙の終りに現場の要るものを持つて行つたということは事実ですか。
  436. 田中平吉

    証人田中平吉君) 行つたことは事実です。併し金を幾ら持つて行つたか、それはやつたかはわかりませんよ。行つたことは事実でしよう。
  437. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それから次には、まあここに聞いておられるかたがたも大体全貌はわかつて来たでしようけれども、金を今実際あなたのところに特調からあなたの仕事をされた分の金が入つていない。その間に相当二千数百万円というものが本社に行つてない。その金があればこの際これは綺麗に片が付くのです。我々はその金がどういう工合に使われたかということをいろいろ考えて調べているわけなんですが、とにかく結論としては、あなたがやはり社長であるからまあ責任を負うという形になつて来ているのだが、いろいろなものを拂つてもなおそれが取れない。併しながらそういう自分がみすみす苦境に立つてつて、そうして高橋に使い込まれているその金をそのままに置いて置くつもりなのか、或いはあなたとしてはどういうお考えなんですか。
  438. 田中平吉

    証人田中平吉君) 私としますると、まあここまでになつて来たんですが、どうもあるとすれば実際出すのが当然だと思います。又どういう費用に使つたかということが明白になれば、これも二人でやつていたことと、途中から会社になつたことと二つはなつております。その会社になつたことと会社個人のこととまあ三つになりますかな。いろいろ共同でやつたことと、会社になつたことと三つのこととになりますね。そうするというとあるものならこれは出すのが当然だ。ちよつと九千万円頂いて足利へ送つたのが六百万円、七百万円もらつて三百万円しか来ない。千八百万円もらつて六百万円、千十二万円もらつて百万円、一番しまいには私が四千二百六十何万円というのは皆もらいましたが、そういうふうな金があれば出すのが本当だろうと思う。併しその点について、どうもあればといつても、ないと言えばそれまでですよ。そこのところの考えでやつて頂けば結構だと思います。
  439. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 今の金の内訳をもう少しゆつくりおつしやつて頂けませんか。
  440. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それはどういう書類ですか。
  441. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは特調の方で……。
  442. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) もらつてというのは……。
  443. 田中平吉

    証人田中平吉君) もらつてというのは下げ金のことです。お役所の方から代金としてもらつた金ですから。
  444. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ではそれをもう少し、いつ、もらつた金額、それから足利へ送つた額をゆつくり言つて下さい。
  445. 田中平吉

    証人田中平吉君) 一番最初の二つだけ日附がないのでありますが、最初が九千四百七十二万七千五百円、送つた方が六百九十九万二千七百五十円、次が九百一万二百五十円、足利に入つたのは六百万円、次、七百六十五万円、足利へ三百万円、次、一千八百八十六万五千七百円、足利へ六百万円、次、百十二万円、足利へ百万円、次、二百六万五千七百円、足利へ百万円、次、四千百七万六千八百五十円、日にちは一番目と二番目は載つておりません。三番目から日にちは二十二年十月二十四日、四番目が二十二年十二月一日、五番目が二十三年六月十八日、その次、二十三年七月二十四日、次が二十四年十二月二十八日。
  446. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは足利工業になつてからの分ですか。只今お読みになつたのは……。
  447. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは全部二重煙突に関してであります。
  448. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 会社のほうの決算書とか、或いは損益の報告書とか、そういうものは作つたのをあなたは御覧になつたことはありますか。期末の決算書………。
  449. 田中平吉

    証人田中平吉君) 作つたのは、そういうのは誠に申訳ないのですが、私はわからないのです。それは作つたことはこれで作つたのです。
  450. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) その決算書なり損益計算書に只今の下げ金の全額が入つてつたかどうか、その辺まではチエツクされたわけでございますか。
  451. 田中平吉

    証人田中平吉君) この一番おしまいの送つてくれたほうで決算報告は作つたと思います。
  452. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 足利のほうで決算雷をお作りになつたのですか。
  453. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。
  454. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 東京のほうの金では全然できていないわけですか。
  455. 田中平吉

    証人田中平吉君) 東京ではできていないわけです。
  456. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) それからもう一つ、二重煙突をお作りになるための材料費、工賃、運搬資金その他の諸掛り、そういうものは全部足利に送金された金で賄われたわけでございますか。
  457. 田中平吉

    証人田中平吉君) さようでございます。
  458. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 只今の書類は証人のほうから申告書類として委員のほうに差支えなければ頂いておいた方がいいと思うがどうですか。
  459. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと田中証人にお尋ねしますが、その初めにある金額、足利へ送つたほうでない初めの金額というのは、どういうふうにしてお調べになつた金額ですか。
  460. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは大変な借りができちやつたということになりまして、どうしてこういうふうだろうというので、実は東京出張所のほうの帳簿でこの係をしていた人から拾い出して頂いたのです。
  461. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 係をしているのは何という人ですか。
  462. 田中平吉

    証人田中平吉君) 係をしていたのは高橋正雄だと思います。
  463. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋正雄、高橋正雄に調べさしたので、役所のほうから入つた金がそれだつたというのですか。
  464. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは帳面のほうにあると思います。
  465. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それからそちらのほうの、足利のほうの金はどういうふうにして調べたのですか。
  466. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは銀行のほうでちよつと書いてもらつたのです。
  467. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 銀行のほうへお聞きして調べた金ですね。それを銀行で調べたわけですか。
  468. 田中平吉

    証人田中平吉君) はあ。
  469. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それじや今の書類は提出して頂けますね。
  470. 田中平吉

    証人田中平吉君) いいでしよう。これがきつと……これなんだろうと思います。そのほかに出ているだろうと思います。
  471. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) いやそれを一括して。
  472. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうらしいです、それで丸とか角とかありましよう。
  473. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 皆書類を提出して貰うことにいたします。
  474. 田中平吉

    証人田中平吉君) 提出します。
  475. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 只今の点ですが、それは今証人が言つておる数字よりももつと明確なものは、日本銀行或いは特調のほうから支拂いがあるのでありまして、その点で見ればわかるし、それから足利銀行のほうの入金を見れば、これはもうはつきりわかつておるので、疑義があればそういうような点を見て頂けばいいと思います。
  476. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私、委員長にお願いをいたしまして、この足利工業の創立後、いわゆる二重煙突になりましてからの会社の決算書、貸借対照表並びに損益計算書を揃えて頂きたい。これを毎期、定款の定める通りのものを出して頂きたい。期別のものをね。それからその会社の税金関係がどうなつておるか、これを調べてもらいたい。と同時に田中高橋両氏の、この会社から得た收入金に対する個人の税金関係を調べてもらいたい。
  477. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それは、あなたがあとで書いて出して下さい。こういうものを取寄せるという……。
  478. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 証人にお伺いするのですが、事情はそういう工合であると思うのですが、そこで問題は、やはりそれだけの国の損金というものですね。それが結局そういつた金さえあれば拂いができるということになるのでありますが、これを使い込んでおるところの高橋に対して、証人は法的な措置をとつてでも、告発してでも、一応これを明らかにするというようなお考えはあるのですか。
  479. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは私にはあれば……、先ほど申した通り、実際小遣いを出していた関係、お互いにこの解決を、国の財産ですから付けます。それでどうしてもいろいろ明白にしてもらうことは私は結構だと思います。そう思います。
  480. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつとお尋ねしますが、足利工業株式会社というのは、初めは足利板金工業組合とこう言つてつたのですか。
  481. 田中平吉

    証人田中平吉君) さようでございます。
  482. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これはいい頃できたのです。この組合は。
  483. 田中平吉

    証人田中平吉君) これは昭和二十二年に足利板金で……。
  484. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二十二年の何月。
  485. 田中平吉

    証人田中平吉君) 何月でしたか、はつきり記憶がないのですが、それから足利板金工業所としたのですから……
  486. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それは、足利板金工業所としたのはいつです。
  487. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは二十三年です。
  488. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二十三年のいつ頃です。
  489. 田中平吉

    証人田中平吉君) 一月の初めの頃です。足利板金工業所で少しごたごたしたものですから……。
  490. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) いやまあよろしい。足利板金組合と言つたときには組合員は何人ですか。
  491. 田中平吉

    証人田中平吉君) それが……組合員というと、私と高橋、私が組合長で……。
  492. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二人だけの組合ですね。
  493. 田中平吉

    証人田中平吉君) そのとき高橋君が、二人では組合にならないじやないかというと、なあに二人以上あれば組合となると言うのです。
  494. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) あなたが組合長で、高橋が……。
  495. 田中平吉

    証人田中平吉君) 高橋がその次です。
  496. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋が專務ですか。
  497. 田中平吉

    証人田中平吉君) 專務じやない。組合員です。
  498. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二人だけですね。それから工業所となつてからどういうことになつたのです。これは名前が変つただけで二人の組合ですか。
  499. 田中平吉

    証人田中平吉君) ただ同じことですけれども、名前が変つただけです。
  500. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それから今度は足利工業株式会社になつたのはいつです。
  501. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは二十三年の、さあ、あれは足利板金工業所から会社になつたのは、二十三年の四、五月頃だと思うんです。
  502. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 四、五月頃。これは株式は。
  503. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは資本金一番最初三百万円。
  504. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 株主はどのくらいあつたんですか。
  505. 田中平吉

    証人田中平吉君) まあ二十人や三十人はあつたでしようね。
  506. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 二十乃至三十人ぐらいの株主……。
  507. 田中平吉

    証人田中平吉君) 定員を拵えたりしたから……。
  508. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それはあれですか、あなたの家族とかそういうものですか。
  509. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。
  510. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) そういう人で作つたんですか。
  511. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。
  512. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それで高橋も加わつてつたのですか。
  513. 田中平吉

    証人田中平吉君) 高橋もやはり家族だとかと……。
  514. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) これはやはり社長があなたで、高橋が專務ということですか。
  515. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。
  516. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 実際においてあなたと高橋だけの株式会社なんですね。
  517. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうです。あとの七百万円は借りたんです、一千万円にしたのは、銀行から一時会社になるまで。そういうことは高橋のほうが分ります。
  518. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 三百万円のうち、あなたはどのくらい出しておるんですか。
  519. 田中平吉

    証人田中平吉君) どのくらい出したか……。実際は私が一番最初株式会社になるようにして、最初銀行で五十万円借りたんです。
  520. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) あなたが五十万円出資したんですか。
  521. 田中平吉

    証人田中平吉君) 五十万円借りたんです。借りて出資したんです。
  522. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 株式出資したんですね。
  523. 田中平吉

    証人田中平吉君) それから引続いての話です。
  524. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋は。
  525. 田中平吉

    証人田中平吉君) 高橋は、私が仕事つていて、別に小遣くれるとかいうことでやつてつたんですから、幾ら出資したか、幾らやつたか……。
  526. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋も幾らか出資したんですか。
  527. 田中平吉

    証人田中平吉君) 二人の名前で借りなんですから、三百五十万円。
  528. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) この会社は登記したんですか。
  529. 田中平吉

    証人田中平吉君) したんです。それは平井先生がやつて下さつたんです。それで、二十四年の一月二十日に、おじいさん、社長やめろというので、じややめようというのでやめたんです。
  530. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それはいつやめなんですか。
  531. 田中平吉

    証人田中平吉君) やめたんですけれども、公式にしなかつたために社長なつちやつたんですけれども、やめたんです。
  532. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) いつやめたんですか。
  533. 田中平吉

    証人田中平吉君) 二十四年の一月の二十日、これだけは忘れなかつたんですよ。
  534. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) やめさせられちやつたんですか。
  535. 田中平吉

    証人田中平吉君) やめさせられたんだけれども、これは登記を変えなかつた
  536. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 実際においては社長仕事はしなかつたけれども、まあ名義だけはあつたわけですね。
  537. 田中平吉

    証人田中平吉君) だけれども、借金のほうは、社長なつちやつた
  538. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それから解散になつたのはいつですか。
  539. 田中平吉

    証人田中平吉君) 会社になつたのが二十三年の四、五月頃だと思います。
  540. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) いや解散になつたのは。
  541. 田中平吉

    証人田中平吉君) まだ解散をしておらないのです。
  542. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) まだあるんですね。
  543. 田中平吉

    証人田中平吉君) ええ。
  544. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それから大橋氏をこの会社顧問にしたのですね。
  545. 田中平吉

    証人田中平吉君) 私は知りませんけれども。
  546. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) あなたは知らないのですか。大橋氏を顧問にしたのは知らないのですか。
  547. 田中平吉

    証人田中平吉君) ええ、平井先生を顧問にしたことは存じております。
  548. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 大橋氏を顧問にしたことは社長は知らないんですね。
  549. 田中平吉

    証人田中平吉君) 知らないのです。
  550. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 今のこと重要ですから。あなたが先ほど大橋氏に一回か二回か会つた。ひき会いにかれて会つたということをおつしやつたのですが、そのときは顧問としての紹介ではなかつたのですか。
  551. 田中平吉

    証人田中平吉君) そうじやなかつたと思うのですがね。そのときはおじいさん、いろいろ世話になるのだからというふうなこと、会社は先生にお世話になつておるから、いやどうもお世話になりますと……どうも年をとつて少しなんですけれども、そんな程度らしかつたのです。
  552. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは今後の問題をやりますのに、ちよつと重要なことになりましたから、足利工業組合が設立されてからあとが三段階に変つておりますが、登記面を通じて日附その他を明らかに調査を願いたいと思います。それからもう一つここで特別調達庁長官ちよつとこれはお伺いしたいと思います。中間に挟みますが、今お聞きの通り、この会社会社としての運営は経理的にはできていないと私は思います。それはたしか証人の証言が真実であれば、極めて乱脈なことでありますが、あなたのほうが過拠金の徴收をすることに努力をされたときに、こういうような会社経理内容までも検討されたかどうか、これを私は伺いたいと思います。
  553. 根道廣吉

    証人根道廣吉君) その当時過拂金がわかりましてから、どうすれば回收ができるかということにつきましては、係員を現地まで派遣いたしまして、いろいろ銀行その他にも当つて調査をしたはずであります。そのとき会社の帳簿を調べたのかどうですか。ちよつと係に聞かずには申上げられません。
  554. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつとお待ち下さい。時間が遅くなつて来ましたので、ちよつとこの辺で休憩したいと思いますが、田中証人に対する御質問はもうこれで……、これ以上ありませんか。
  555. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) これは私どもが最初に予定しましたよりも問題が非常に複雑で、而も重要な問題を含んでおると考えます。従つてこの委員会だけでやるべきものかどうかというような範囲の問題も考えなければなりませんけれども、一応今日御出頭願いました証人は、大橋総裁以下私は本日では完全を期けることはできないと思います。従いまして、今日仮にお帰りになつて調査は完了しないのであります。証言が完了しないのでありますから、引続いて続行をするようにこの小委員会で御決定を願つておきたいと、こう考えます。
  556. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 栗山君の御提案如何でしよう。なお証人に対して尋問したい事項が残つておるから、更に続行するようにという御提案ですが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  557. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 御異議ありませんね。それではそういうことにいたします。なお本日は非常に遅くなつておりますが、我々も疲れておりますから、横道証人に対する尋問はどういたします。
  558. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今日は遅いのでありますが、併し今日証人を喚問しておる分を我々がこれを聞かなければ、明日引続いて喚問ができるのか、その点委員部の方から法的な関係について聞いておきませんと、明日できるなら、只今委員長が言われたようにしてそれでも一向差支えないと思うのですが、若しもそれが喚問が法的に今日中に呼んであるものを、明日又来て貰うということができないということになりますと、これはもう日にちもございませんし、従つて委員会にもかけねばならんということになれば、なかなか事実上証人を喚問するということはできなくなつちやうんですね。そういう点で、そんなことになれば、我々委員会としては折角もう結論まで付きかけておるのに非常に困ると思うので、その点明らかにされたいと思います。
  559. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 只今こちらのほうの手続きを調べましたが、証人を調べることは一旦採用して決定されておりますから、これは引続いていつでも調べることができますが、ただ明日証人が出頭ができるかどうかということだけなので、改めてこれは喚問状を出さなくてはいけないことになつております。だからそれは今日こちらにおいでになる証人のかたにはこのままでお尋ねして、明日来て頂くようにしたらいいのではないかと思います。そこでその手続きはそれでよろしいと思いますが、なお証人が、根道証人それから高橋証人があります。それから只今田中証人に対する取調べは大体終了いたしましたが、この三人の証人に対して今晩更に続けるか、今晩はこれで中止するかということを御相談願いたいのです。田中証人に対しては如何いたしましようか。
  560. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 まだ重要な点が極く僅か一、二点残つているのですから、それは今僅かな時間で済みますからやつて貰いたいということ。それからその今言つているように委員部の者に聞きますと、それは明日呼ぶことは法的に疑義があるというような、手続上そういうことはできないようにちよつと聞いておるので、委員部から明確にその点を先にして頂いて、そうして明日にするか、或いは今日中に遅くなつてもやつてしまうかということを御決定願わんというと、ちよつと我々は判断がつきかねると思うのです。
  561. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋証人はなをお尋ねたいことがあるから、もう暫くやつて頂きまして、あとのほかの証人は如何がいたしましよう。
  562. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私長官質問ではないが、ちよつとお願いしておきたい。先ほど会社経理内容を調べたかという私の質問に対して、人を派遣したから調べたかも知れないという……。
  563. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと待つて下さい。今お諮りしておることをそれを先きにきめて頂きたい。田中証人に対しては更に引続いて尋問することがございますか。
  564. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 引続いて質問いたします。
  565. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 他の証人はどうしますか。根道証人、それから高橋証人については……。
  566. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 あとの証人についても伺つておきたいのであります。
  567. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 今晩続けてやるというのですか。どうですか。御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  568. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) どうぞ皆さん御意見があつたら……。
  569. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 委員部が明日必ず呼べるということになれば、今日散会してもいいのですが、それを決定される委員部のほうがはつきりと言明されるまで待ちたいと思います。そうして而もその間にこの質問を許して頂きたい。
  570. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは田中証人に対する質問を続けます。
  571. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 長官は先ほど経理内容を調査するのに足利行つたとおつしやつたが、足利行つた係官、並びにその係官がその経理内容をどのように調査したか、その点を伺つておきたいと思います。
  572. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ちよつと待つて下さい。根道証人に対する質問はあとにして下さい。きまりがつかないので困ります。
  573. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは田中証人に対しての質問を一、二点残つておる分を伺いたいと思いますが、先ず田中証人にお聞きしたいのですが、こういうような大きな過拂いができた。どうもそういう結果について何か証人はどこに間違いがあるのか。どこにあつてこんなことになつたのか。この点について何かお考えがあつたら聞かせて貰いたいと思います。
  574. 田中平吉

    証人田中平吉君) どこにあつて、どこでこういう間違が起きたかという今の御質問でございますが、これは私もどこの所でこれが起きて来てこういう過拂いが起きたのか、それはよく……その過拂いというものはどうもどんな点での間違いで起きて来たものやら、ましてこの代行すべきところの大平というものが中に入つておるのですから、そういうこともないだろうと思つていましたが、併し間違いですから、どういう点で起きたのですか、そういうことは私にもよく分りかねます。
  575. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこでね、過拂いができたということはどういう点で起きたか分らない、大平がやつてつたのだから、ということでありますが、併しこの過拂いについては金を受取るとか、或いは東京に来られたときに、何かどうもおかしいじやないかという感じかしたか、或いは何も感じがなかつたかどうか。どうも何かおかしいとお考えになつたようなことはありませんか、御記憶の中に……。
  576. 田中平吉

    証人田中平吉君) それはおかしなふうなことは極く押詰つて来て私が考えたので、実はどうもおかしいから少し調べてくれ、どうも金がおかしいじやないかということは、返事を取る場合に、貰えるのだろうかと言つたときにあやふやな返事をしたのがおかしかつた。その点だけでございます。ほかに別に帳簿のことなんかも私はよく調べて見ませんでした。余り見ても横文字で書いてあるので余りわからないので見ないのですが……。高橋君を信頼してやつておりました。
  577. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 どういうような点で今言われたように何かおかしいなあというような感じを持たれたのですか。
  578. 田中平吉

    証人田中平吉君) どうしてもなくちやならない金でございますから、是非この暮までには少くとも四千万円だけの金をもらわなければ困るということを……。そして係の者に四千万円くらい貰えるだろうと言うたら、そんなにありませんよ、そんなに貰えないというようなことで、幾ら貰えるとも言わなかつたが、そんなに貰えんかも知れませんよと言われたときにおかしいなあと思つたのです。
  579. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 その点が非常に重要な点になると思うので、私はそういう過拂いができるときに、もらうほうで自分の胸勘定というものは誰もあるのですよ。あなたが仮にそういう詳しい帳簿の経理も、何か横文字でわからなくても、仕事をしておつて大体胸勘定はあるのだから、これだけもらえるだろうとか、或いはあれだけはもらえないのだ。大体これだけの金をもらつてこれだけの仕事をするのだから、どれだけのものはもらえるのだということは、大体胸勘定にあるものと思うのです。それにはその四千万円をもらえるということは誰がそんなことを言つたのですか。
  580. 田中平吉

    証人田中平吉君) それは高橋君が言つたのです。私は高橋正吉君は專務として足利の方にもつ行つて賄いをやつているだけに、行つたらばそういうふうに係の事務員がそんなにはないかも知れませんよということでした。それでおかしいなあと思つて自分の推意でこれはこのくらい請求してくれろと言つたのです。又二度目に高橋君に四千万円くれろと私が言つたら、そのくらい貰えるだろうかと私が言つたら、大丈夫おじいさん、こういうようなことでした。それで実は何か無視をしたのかなあ、二十四年の四日にその話を聞いたときに何か無理をしたのかなあと、こう思つたのです。従つておかしいと言つたのはそんなふうな点だけであります。
  581. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そのときに証人は本当にもらえるかどうかということについては、何かやはり疑念を持つてつたのですか。
  582. 田中平吉

    証人田中平吉君) 疑念を持つておりました。それだから心配ですから、十二月二十八日に私は銀行に、一緒に足利を一番で発つて事業終いでごたごた片付けるのに忙がしかつたのですが、一緒に行つて心配していたのです。そしてもらえるような手続が来たから帰つて来いというので、その朝実は体の工合が悪かつたのですが、それを無理に行つてそれで家に帰つて来たのです。
  583. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それからもう一つですが、過拂いを発見された当時、これだけのものを取過ぎているというそのときに、その当時であれば、何もかも全部いろいろな株とか自動車とか、全部処分すれば完全に拂えたのですか。そのときに拂えなかつた状態にあつたのですか。
  584. 田中平吉

    証人田中平吉君) そのときには抑えました。
  585. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 今よりもよかつたのですか。
  586. 田中平吉

    証人田中平吉君) よかつたのです。今はだんだん自動車は古いものは値が下つて、新らしいものは高いのですけれども、だんだん下つてそのうちに信用もなくなつて来るし、食い潰しも出て来る。
  587. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 そこで今の利益を挙げて、そうしてそれを返すというような状態に、あなたが会社をおやりになる見込みはあるのですか。
  588. 田中平吉

    証人田中平吉君) それはこういうふうに新聞にも出ていろいろこういうふうになると、役所も相手にしてくれんし、できなくなつて来るのではないかと思います。ですから何か方法を変えてやるより方法はないと思つております。
  589. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 田中証人に対する尋問は大体これでよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶものあり〕
  590. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは田中証人に対する尋問はこれで終ります。
  591. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 なお我々が質問している点だけでなくて、田中証人から述べておきたいようなことがあれば委員長からお聞きになつて、要点だけを聞取つておいて頂いたら結構だと思います。
  592. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 今カニエ委員の言われるように、何かあなたのほうにこの点について言つておきたいことがありましたら、この際陳述して頂きたい、何かありますか。
  593. 田中平吉

    証人田中平吉君) ほかに別に申したいということもございませんが、先ほどの私の発見の中で足利工業組合長は小倉徳太郎ですけれども、小倉徳太郎が組合で受取れないからというので、個人でそれを受取つたようでございますから……。小倉徳太郎君とたしかそのときは高橋正吉と心得ておりますが、そのときに組合長は確かに組合長でしたけれども、組合を離れたのは、十九年の十二月の一番最初の一重煙筒のときですから、それを訂正をお願いしたいと思います。私としましては、いろいろ皆さんに今日御迷惑をかけて申訳ないことは幾重にもお詫びいたしますが、同時に国庫負担もお互いに高橋と私でやつたのですから、先ほどのお言葉ですが、いや田中が余計だとか少いとかということでなしに、田中も少くない、高橋も少くない、公平に一つお願いいたしたいと思います。
  594. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 田中証人に対する尋問はこれで大体終了いたしておりますが、なお他の証人を調べてみた結果、必要がありましたら改めて田中証人に御出頭を願いたいと思います。
  595. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 主税局長が見えておつたらしいですが、若しおられたら一つ質問したいと思います。
  596. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) お帰りになりましたが……。見えておりましたけれども、あなたのほうから新たに尋問したいと思う事項を書いて頂いて、そうして向うの方からそれによつて書面を出して頂く。こういうことにお願いしてございます。  それではあとの根道証人高橋証人の方はどういたしますか、今晩続けますか。
  597. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それは委員部の方で……。
  598. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) こちらのほうの都合は、今二人の証人に明日出頭して頂けますかどうかお尋ねして置いて、出頭して頂けるということであれば、それで手続のほうはよろしいと思います。
  599. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 それでは合法的に明日御両氏の了解を得てそういうことができ得るなら明日にして頂いて結構ですし、それができなければやはり少し遅くなつても我々としては努力して、もう僅かですから、証人答弁を求めたいと思います。
  600. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  601. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは速記を始めて下さい。お二人の証人ちよつとお尋ねしたいのですが、大変長い時間、遅くまでお待たせしましたが、時間も遅くなりましたし、皆疲れておりますので、皆さんに対する尋問は明日にしたいということなんですが、明日お出掛けが願えるか否か。若し明日お出掛けが願えれば……。
  602. 根道廣吉

    証人根道廣吉君) 時間は大体どういうことでしようか。
  603. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 時間は若し明日やるということにすれば何時から……。
  604. カニエ邦彦

    カニエ邦彦君 午前十時から……。
  605. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 午前十時からです。
  606. 根道廣吉

    証人根道廣吉君) 大体午前中で終りますなら、よろしうございます。
  607. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 高橋証人よろしうございますか。
  608. 田中平吉

    証人田中平吉君) はい。
  609. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) どうか十時にお出掛け下さい。今晩はよろしうございますから……。大変遅くまでお待たせして済みませんでした。ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  610. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記を始めて下さい。増田証人に対しましては、高橋根道証人に対すると同じように、今晩中に了解を得ておきまして、明日更に喚問状を出すということにいたします。大体これでよろしうございますか。
  611. 栗山良夫

    委員外委員(栗山良夫君) 私のお願いしましたのは明後日大橋法務総裁を……。
  612. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それは承知しました。こちらのほうで手続きをいたします。それじやこれで散会します。    午後六時三十九分散会  出席者は左の通り。    委員長     棚橋 小虎君    委員            溝口 三郎君            小杉 繁安君            仁田 竹一君            カニエ邦彦君            杉山 昌作君            岩男 仁藏君            矢嶋 三義君   委員外委員            栗山 良夫君   証人    法 務 総 裁 大橋 武夫君    特別調達庁長官 根道 廣吉君    足利板金工業株    式会社社長   田中 平吉君