○上村
委員 この
民事訴訟法等の一部を
改正する
法律案、これも共産党としましては、反対の
意見を表明する次第です。というのは、むろん共産党は、
事件を
促進することについて反対しているのではありません。いろいろの討論で盡きておると思いますが、
事件が非常に延びるとか、
事件が輻湊するとかいうことは、集中
審理をやれば減るとか、あるいは集中
審理でないからそういうふうに
なつたということだけではないと思うのです。やはりわれわれは一車しかひけないのです、われわれ一人で二つの荷車をひくことはできない。そこでこれは
裁判所の員数の問題、すなわち訴訟取扱い処理能力が
裁判所には不足しておるわけです。それを
考えないで、そうしてただ
事件の遅れたというところだけを見て、そうしてそれを集中
審理をする。これはどんなにしたところで
根本解決にはならないと私
どもは思うのです。そうしてまた
弁護士の方を全然この民訴は見のがしているわけです。
弁護士もまた一車しか引けないのです。そこでわれわれがまたこの訴訟についてことさらに延ばすということはないけれ
ども、
事件の性質によりましては、きよう委任を受けてあす片づけては困る
事件がわれわれにたくさん来るのでございます。そういうことを
考えるときに、これは基本的人権の問題を
考えることなくしては解決ができないし、また認識が不足ということになろうと思うのであります。訴訟を片づける席で利益をする当事者がある反面には、訴訟を片づける席でどんどんやられてはいかない
事件があるのでございます。そういう立場の階級と依頼者があるわけであります。でありまするから、われわれは訴訟というものは決して原告だけでや
つているのではない、また
裁判所だけでや
つているのではない、いわゆる
一つの権利の争いとして、原告、当事者、
裁判所、
弁護士、こういうものがよ
つて、そうして言うべきところは言い、盡すべきところは盡す。そうして初めて、原被告ともに納得のできる
裁判があるのではないか、こう
考える次第でございます。そういうときにあた
つて、なるほど
準備手続は済ますけれ
ども、
準備手続もそうであると同時に、訴訟というものは何ら
準備手続だけで盡すのではなく、訴えの提起から
判決の送達まではいわゆる訴訟過程でございます。ですからこれを見のがして、そうして一気に片づける。この
準備手続が終れば
あとの期日は絶対にこれはやむを得ざる事由がなければ延期ができないということにな
つて、どんどん片づける。この
法律ができることによ
つておそらく
裁判所は少しくらいのことはどんどんか
つてにや
つて行くのではないか。そうしてそこに非常に摩擦が起きたり、われわれがもう少しこうしてほしい、この
事件はこういう事情であ
つたということを言い盡すことができないような
程度で結審されるのではないか、こういうふうに思うのであります。でありますから、私はこれがやはり刑事訴訟法と同じで人権の立場からもう少しお互いに
弁護士、
裁判所は
裁判所、相手方は相手方、こういう立場から訴訟のほんとうの納得のできる、そうしてしかも訴訟を円満に進行して行くという自主的な訴訟進行にま
つて、そうして解決して行かなければならないものであ
つて、先ほど梨木
委員が一言
つたように、この案は
裁判所でもおそらくこれをや
つて行つてうまく行くか行かぬかは、まだほんとうに未知数だと思う。そういうものを
法律でこしらえて、そうして強行するということは、これはま
つたく一大変革で、
弁護士、
裁判所、おそらくみなびつくり仰天しなければならないと思う、でありますから、そういう
法律をこしらえることにまず専念しないで――訴訟を進行し、早く解決するためには、
根本的に
裁判所をふやし、いろいろの方法を講じ、そしてこの日本の今までや
つて来たところの法廷の弊害というものをつくり直して、
弁護士道、
弁護士の権利、義務に徹したところの方法で行くべきであろうと思う。そういう
意味で、この
法律案を急拠出すということについて、そういう
趣旨で反対する次第であります。