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1950-12-01 第9回国会 衆議院 地方行政委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十二月一日(金曜日)     午前十時四十八分開議  出席委員    委員長 前尾繁三郎君    理事 河原伊三郎君 理事 野村專太郎君    理事 龍野喜一郎君 理事 門司  亮君       池見 茂隆君    大泉 寛三君       門脇勝太郎君    川本 末治君       清水 逸平君    塚田十一郎君      橋本登美三郎君    吉田吉太郎君       鈴木 幹雄君    床次 徳二君       山手 滿男君    大矢 省三君       久保田鶴松君    木村  榮君       立花 敏男君  出席政府委員         地方自治政務次         官       小野  哲君         総理府事務官         (地方自治庁次         長)      鈴木 俊一君         総理府事務官         (地方自治庁公         務員課長)   藤井 貞夫君  出席公述人         全国水道従業員         組合連絡協議会         委員長     小田原末治君         岩手尾崎高等         学校教諭    小林 亮一君         大阪従業員組         合書記長    輪違 清次君         神奈川県知事  内山岩太郎君         日本教職員組合         中央執行委員  辻原 弘市君         日本自治団体労         働組合連合委         員長      徳永 利雄君         日本自治会館常         任理事     伊藤 正丞君  委員外出席者         專  門  員 有松  昇君         專  門  員 長橋 茂男君     ————————————— 本日の公聽会意見を聞いた案件  地方公務員法案について     —————————————
  2. 前尾繁三郎

    前尾委員長 これより地方行政委員会公聽会を開きます。  昨日に引続き、地方公務員法案について公述人方々より御意見を承ることにいたします。本委員会としましては、本日公述人各位よりあらゆる角度から貴重な御意見を承ることができますことは、本法案審査の上に多大の参考となるものと、深く期待する次第であります。私は本委員会を代表いたしまして、御多忙中にもかかわらず、雨中わざわざご出席くださいました公述人各位に厚く御礼を申し上げますとともに、各位の忌憚ない御意見の陳述を希望する次第であります。  それではこれより御意見を承ることにいたしまするが、各委員からの質疑は、議事の都合上、午前と午後にわけまして、公述人公述が終つたときにまとめてこれを許すことにいたしますから御了承願います。  それでは小田原末治君より御意見を承ることにいたします。小田原末治君。
  3. 小田原末治

    小田原公述人 ただいま御紹介にあずかりました全国水道従業員組合連絡協議会委員長小田原であります。本日の公聽会におきましては、各団体公述がございますので、私は水道事業立場から、一言申し上げたいと思うのであります。  われわれ水道事業に従事する組合員は、地方公共団体の中に属するといえども、われわれの水道事業は、地方財政法によつて交通ガス電気とともに特別会計とせられ、住民の税金には何ら関係なく、われわれの働きによつてまかなつておる次第であります。しかしてこれは従業員能率増進サービス改善による増收によつてまかなう以外に方法のない独立採算制事業体であつて事業上の欠損は、水道事業みずからがそれをまかなつて行かなければならないのであります。赤字に対してもわれわれは責任をもつてこれを解決し、現在においてはその利益の一部が一般会計に繰入れられているような状態であります。  次に労働関係を見ますならば、われわれ現業庁は、何ら民間産業とかわらない同一の労働條件にあるのであつて事業そのもの企業的性格を持つております。この点すでに国鉄、專資などにおいては、独立立法による公共企業体労働関係法によつて労働組合法上の権利があるにかかわらず、われわれは政令二百一号によつて、それらの労働條件あるいは既得権を現在剥奪されているような状態であります。しかもその理由はただ單に、経営主体地方公共団体にあるという一片の理由によつてなされておることは、われわれは断じて納得のできないところであります。今回地方公務員法の制定にあたりまして、閣議決定によれば、地方財政法第六條に規定する企業に従事する者は、附則によつて除外された形になりますけれども、この二年の間に幾変化しまして、現在ようやく進歩的な考えを、いささか政府が持つて来たように考えられるので、別途の法律はいまだその内容がわかりませんから意見を述べることはできませんが、その立法はあくまで労働三法完全適用を目途として考えなければならないことは、われわれとして当然のことだと考えている次第であります。また政治活動についても、これは明らかに憲法に許されたわれわれの自由が、こうした一つ法律によつてほとんど禁止されるがごときことは、われわれとしては、断じて納得できないところであります。たとい公共企業体が全体の俸仕者としても、国民の一人として憲法によつて与えられた政治活動の自由は、あくまで保たなければならないと感ずるものであります。しかし職責を濫用し、あるいはそうした一部の人があつたにせよ、これはそうした惡徳者を法律によつて縛りつければいいのであつて、一部のそうした者によつて全体が一律に律せられるということは、これまたわれわれとして納得のできないところであります。地方公共団体といいましても、今私が申し上げように、交通水道ガス電気のように独立採算制をとつている団体もありますれば、あるいは一般労務者といいますか、現場に働く、いわゆる土木、清掃傭人、これは明らかに労務者であつて労働三法適用されることが当然であると考えるものであります。その他教育職員の方もありますが、これもやはり一般地方公務員として律することは、非常に疑義のあるものと考える次第であります。  われわれ全国水道事業に従事する組合員は、二年の長い間政令によつて手足を縛られ、せつかくできましたところの労働三法適用され得ない状態にあることは、振りかえつて見るならばいささか労働運動としての行き過ぎもあつたかに考えておりますけれども、現在われわれがすでに民主的労組を結集し、日本民主化をはかり得る今日にあたつて、かかる無謀な地方公務員法が出されることは、われわれとして断固として納得することのできないものであります。  以上述べました点を要約すれば、水道交通等地方財政法六條に規定する企業に従事する従業員は、当然一般地方公務員法より除外すべきものであると考えるのであります。しかして労働三法完全適用政治活動の自由は、先ほども申し述べた通り憲法に許されたその精神にのつとつて、平等に許さるべきであると考えるのであります。  われわれは以上の点に立ちまして、都市交通、全水連、自治労協、都労連、日教組、これら五団体目的達成のためには、断々固として闘うことを表明いたしまして、簡單ながら私の公述を終りたいと思います。
  4. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次は小林亮一君。
  5. 小林亮一

    小林公述人 ただいま御紹介にあずかりました小林でございます。私は岩手県の尾崎高等学校教員として参りましたものであります。従つて教員としての立場といたしまして、本法についていささか意見を述べたいと思います。  御承知通り教育青少年人格養成ということに、非常に大事なことと思いますので、その観点から申し上げたいと思います。従来教育者は、わが国においては非常に冷遇されていたといつては語弊がありますが、非常にその地位が不安定であり、あるいはその地位が非常にお気の毒な点があつたと私は思つております。従つて教員というものを社会的な観点から見たときに、たとえば就職方面におきましても、職がないから教員になるという状態で、教員地位が低く見られているのは、非常に遺憾であると思つております。従つて最近政府もこれに対して非常に目ざめて来まして、だんだんと教員を優遇する、あるいは給与方面においてのみならず、その他の面においてだんだんとそういうようなことが講ぜられて来たことは、非常に私ども感謝にたえない次第であります。そんなようなわけで、教員は非常に地位が不安定であるし、あるいは冷遇されている。そういうような立場で、社会的にあまり尊敬されない。ところが一面その職務たるや、非常に重要な立場にあります。教員はあくまでも青少年人格養成するというようなことで、密接にわが国の第二国民といいますか、その養成の上において非常に役立つ点が多いと思うのです。それで簡單に言いますと、生徒というか、児童というか、生徒諸君は親の言うことよりも先生の言うことをよく聞くという立場にありますので、これはあるいは父兄の方にはちよつと失礼な申分かもしれませんが、うちで言うことを聞かない子供でも、先生の言うことはよく聞くというようなことで、結局先生の一挙一動が直接生徒に影響するところは非常に甚大だと思うのです。それで、たとえば選挙があるというような場合に、あるいは学校を通じての選挙運動というようなことが、よく世間から非難の的になつているところもあるのです。ある点においては地方によりましてはこの点が極端に児童を通じてやられているのじやないかしらというような疑いが非常に持たれているのです。ですから実際問題としましては教員としても非常にこの点が遺憾であると思うのであります。あるいは一部の者が非常に行き過ぎて過般の参議院議員選挙において、さような問題が起きて、児童を通じてやつているのじやないかというような点が、非常に非難の的になつたのですが、もちろんあるいは事実において一部にあつたかもしれません。ところがそういう点は全体的に見て、いわゆる行き過ぎというのであつて、一部の者をもつて多勢を律するというようなことがなきにしもあらずで、非常に遺憾な点もあつたのです。従つて今度の法案においても、できるならば教員という地位を確立するために、特別な法律を制定していただいて、そうして教員は別個の立場でやつたらどうか、こういうような意見も持つているのです。従つてこれは單に地方公務員法のみならず、教員という立場に特別な——これは給与の面においても、社会的地位の面においてもすべて教員というものは特別な法律で、すべてを律しなくちやいけない、特別の法律という意味は、結局現在いろいろ不利な立場にある点を、もつと優遇して行かなくちやいけない、こういうようなところから、これは單に地方公務員法ばかりでなく、給与の面においてもあるいは社会的地位においても、そういうようなことをやつたらどうかしら、こう思いましてこの地方公務員法を制定せられるにあたりまして、その点も重々含んでいただいて訂正あるいは改正なさつて本法を達成せられんことを望む次第であります。  簡單ですがこれで終ります。
  6. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次は輪違清次君。
  7. 輪違清次

    輪違公述人 私はただいま御紹介にあずかりました大阪従業員組合の者であります。私が本日の公聽会に出て意見を申し上げさせていただくゆえんのものは、地方公共団体職場の中において地方行政責任的地位にない單純な労働者立場を代表いたしまして、意見を申し上げたいのであります。  まず私ども観点からいたしますれば、本法の第一條にその目的をうたつてございますが、それによりますれば、本法を制定することによりまして地方行政の能率的かつ民主的な運営を目的としておられるのでありまして、この点はよくわかるのでありますが、はたしてこの法律によりまして、第一條目的を達するようなことになるであろうかどうか、この点に多大の疑問を持つておるのであります。この法案の中で最も重要なる点は、第三十六條の政治活動のほとんど禁止に近い制限でございます。もちろん国家公務員並びに地方公務員は、国民並びに市民に奉仕する立場でございますけれども、しかし労働基準法にうたわれておりますように、賃金によつて生活する者はすべて労働者でございまして、そういう点においては十分に考慮を払うべきであります。ただ国家に奉仕し国民に奉仕するという立場でございますので、若干の制限のあることはやむを得ません。たとえば地方公務員もしくは国家公務員で、自分地位を利用して公の選挙において住民に影響を与えるというふうなことについては、若干の考慮が払われることは当然でございますけれども、しかし憲法において保障された政治活動を、全面的に禁止するというふうな措置は不当であると考えるのであります。私ども今静かに振り返つて見ますと、戰爭中の日本官僚制度地方公共団体の中におきまするきわめて露骨な官僚主義の横行を見まして、その結果は遂に今次の大戰をも引起すことにもなつたのでありますが、今日親しい憲法がつくられまして、国の機関並びに地方機関は、やや民主化の方向にあるわけであります。しかしながらその民主化の度合いは決して満足すべきものではありません。将来ほんとう日本官僚機構がもつと民主化するためには、少くも国もしくは地方公共団体の中における職員が、非常に優れた自覚のある程度にまで高まらなければ、決して日本民主化というものは達成しがたいと考えておるのであります。私どもは今日の段階におきましては、やはり民主化過程にあるのでありますから、十分にそれらの点を考慮されまして、政治活動の面におきましても、やはりさいぜん申し上げました点と相摩擦しない程度政治活動の自由というものは、与えらるべきであると考えておるのであります。たとえば端的に申し上げますれば、職場の中における政治活動、もしくは地位を利用して政治活動する、こういう点は厳格に規定すべきでありますけれども職場を離れて個人の立場に立つた場合には、そのような制限を加える必要は毫末もないと考えておるのであります。  次にこの法律の中で最も私ども了解に苦しむ点は、広汎な地方公共団体の中には、いろいろな職種、いろいろな立場人たちがあるのであります。たとえば教育関係に従事されておる教員方々、もしくは地方行政の中におきましても、何ら地方行政責任地位にない單に労務を提供しておるところの肉体労働者に至るまでを、一律にこの法律によつて規定されんとしておるのでありますけれども、このような画一的な方法でやられる場合に、どのような結果が生れるであろうかということについては、政府の方はいま少し御考慮を願う必要があるのではないかと考えておるのであります。教職員方々地方行政の面には私ども考えますところでは関連のないものではないかと考えます。さらにまた現場で直接つるはしを握り、スコップを握り、あるいは清掃もしくはその他の事業現場労働を提供する人たちは、地方行政の長である市長、知事もしくはその下にある局長、課長、あるいはその下にある職員の下で、その指揮命令を受けて労務を提供するにすぎないのでありまして、この点特に地方行政責任ある地位であると申されましようか。このような者に対してまで一つ法律でくくりまして、当然労働者として許さるべき労働三法適用を除外されておるのでありますけれども、これらの点は私ども何としても了解することはできないのであります。  私どもは今から約二十数年前に労働組合を結成いたしまして、戰爭のまつただ中に禁止されたのでありますが、私どもは二十数年の労働組合運動の経験を持つておるのであります。かつてども労働組合を結成したゆえんのものは、当時における地方公共団体の中において、私ども地位を守るためには、どうしても労働組合の必要を感じたわけであります。たとえば、私どもの上司と申し上げますれば、ここに言われる一般職員方々でございますが、この人たち監督下にわれわれはありまして、きわめて低劣な労働條件と、きわめて理解に乏しい職員の下で、事業を遂行するために非常に私ども地位は不安定でございました。かつて日本労働者の一番悪い点は、監督者の見ておる前では仕事をするかつこうをする。監督者がおらなければサボる。これが日本労働者奴隷的根性でございますけれども、私どもは、戰後労働組合をつくりまして、このような誤つた労働者の感覚、観念を一掃するには、労働組合を通じて、労働者の基本的な権利とあわせて義務を遂行することに、組合運動の重心があると考えて参つたのであります。もしこの法律通りまして、再び日本地方公共団体もしくは国の機関官僚主義がはびこりますならば、再び憂慮すべき事態が参りまして、そのためには職場労働者は再び双隷的な根性になつて、このようなことが繰返されるということを、私どもは最も憂慮しておるのであります。この点は起案されました政府方々に、その実情を十分にお知りを願いたいのであります。  私どもは今申し上げましたような点から、少くもこの法律の中において第五十七條で申されておりますが、職務責任と特殊的な地位において云々という條項がありますけれども、さらにまた本法案をつくられました過程において、閣議決定の要綱の中には、地方公共団体現場の特殊的な職員については、国家公務員法との関連において、将来別途に考究するというふうに確認されておるやに聞いております。さらにまた本法案が本委員会にかけられまして、その審議の過程において漏れ承りますれば、これらのものについて政府の側においても、十分に考慮するというふうな言明がなされておるやに承つております。私どもはもし真に政府の側において、このような問題について真剣にお考えをいただくならば、何がゆえにそのようなことを考慮しつつも、このような矛盾したものを本法の中に一応入れるという必要があろうか。もし別途考究されるというならば、今日われわれは政令二百一号を受けておりますけれども、やはり労働組合保護を受けておるのであります。従いまして、もし別途考究されるという御意思がおありでありますならば、当然これらの者たちに対しては政令二百一号のままで置いておいて、最も近き将来に早くこれらの者に対する適応した法律をおつくりになるのが、正しい行き方であろうかと考えます。要するに本法律はきわめて便宜主義的に——われわれの了解に苦しむような便宜主義的な方法によつて立案されたという点に、われわれとしては多大の不満を持つてあるのであります。  どうか以上申し上げました点を、十分に政府並びに議員方々は御考慮いただきまして、要約して申し上げますならば、日本の独善的な官僚機構の復活をしないために、日本民主化過程にあることをお考えいただきまして、不必要な政治活動制限一般職に加えていただくことは反対であります。さらに教職員並びに現場の單なる労務を提供するというふうな者で、地方行政責任的地位にない者まで、このような法で縛るという処置をお改めいただきたいことをお願い申し上げます。さらに別途考究されるということでありますから、別途考究されるということでありますれば、やはり今日労働組合法保護を受けておりますわれわれに対しては、ただ政令二百一号の制限はございますけれども、当然その処置がとられるまでは、現状のままに置いていただくのが当然であろうと思うのであります。  さらに若干論議を申し上げますならば、今日四つの企業は除外されまして、従前のままに置かれておりますが、これらの人たちに対しては、従前のままに置いておられるのでありますから、当然別途考究されるという立場の者は従前のままに置いて、早く立法措置をとられるのが、当然な処置であると私どもは信じております。  私の公述はこれで終ることにいたします。
  8. 前尾繁三郎

    前尾委員長 それでは次に内山岩太郎君にお願いします。
  9. 内山岩太郎

    内山公述人 私は神奈川県知事ということでお呼び出しを受けたのでありまして、たまたまそれが知事仲間での代表者という形であります。ところがこの地方公務員法の問題は、私ども仲間の中では、寄つて論議するといういとまがなかつたのでありまして、自然私が本日申し上げることは、私一個の意見であるというふうに御了承を願いたいのであります、ただ一つ知事の全部でありませんが、仲間の中でお話をしたときに出たことは、今度の公務員法で少しでも気のきいたことは、たとえば赤い分子を追放するというような場合に、今日までは法的根拠がなくて、あいまいであつた。ところが今度はこれによつて法的根拠を与えられるということが、一つの進歩というか明確になつたことであろうという程度でありまして、そのほかにむしろ反対考え方といたしましては、今度地方公務員法ができて、その中に人事委員会というものや、公平委員会というようなものができる。しかもその上に事務局というようなものまでもできるということであるが、これは一体どこから金を出すのであるか、すでに地方では非常に財政の窮乏を告げておりまするし、人事についても相当各府県相応苦労をいたしまして何とかやつておるのに、そこへ持つて来て今度こういう厖大な機構を起して、たくさん金もかけ、事務所もつくらなければならぬが、どうしたことであろうか、まことにありがた迷惑であるということが、一応の議論になつたということを申し添えておきます。  そこで、私はすでに地方知事として約五年おるのであります。知事としてはほんとうにしろうとでありましたが、その間人事につきましては、一時官選の知事であつたことがありますが、その当時におきまして、人事の異動といえば、この人をどうもこういうことではいかぬから、こういう人にかえてくれぬかということを中央に持つて行きますると、三日か一週間の間に大体自分の希望するような人を探してくれたのであります。その当時は官僚であるとか、あるいは組織がどうであるとかいうことは別といたしまして、そういう便利なことがあつたのであります。ところが公選になりましてからの人事について、一人の部長をどうもぐあいが惡いからかえたい、こう思つた場合に非常に苦労をすのであります。三月かかつても六箇月かかつても、なかなかその処分がつかないことがあるのであります。すなわち現在の部長をどこへ持つて行くか。休職させるわけにも行かなければ、退職させることもぐあいが惡い。どこかにいいところがないかということが第一の問題であります。  その次にその出て行つたあとをどうするかということになりますると、また一つの大きな問題が起るのであります。それというのは、私の県は御承知通り日本で言えば比較的上位にあるために、部長というのは大方他の地方において一度ないし二度部長を勤めた人を採用する風習あるいは傾向にあつたのであります。私も平素県部長にはあなた方は県の部長であるけれども団体といたしましては——公共団体の役員としては、あなた方は中央の大臣に相当するものである。その部門については最高責任者であるということを言つておるくらいでありまするので、部長の人選についてはずいぶんに骨を折るのでありますが、そういう際に公選になつてからは、非常に苦労を続けております。これはおそらくはかの地方においても同様であろうと思うのであります。そういうことでありますので、今度こういう地方公務員法ができまして、どういうことになりますか、十分に考える余地がまだないのでありますが、ただこういう大きな公務員法を握つて受ける印象は、これはえらいことになつたものだ、こういう感じであります。そしてしかも中を読んでみると、知事は何かしら寄木細工の上に乗つけられたというふうになるのであります。何となれば最高責任者は県においては知事であります。それは人が死んでも生きても、騒動が起きても、食つても食えないでも、どんな場合におきましても、責任があろうとなかろうと第一に来るのは知事であります。国内的におきましても、外国に関しましても、まず第一に知事を出せ、こうなるのであります。その際に自分の使うところの、自分の補助機関をまつたく自分とかけ離れたような委員会にお願いして、そこで何とかやつてくださいといわなければ、自分の使いたい人という人が出て来ない。こういうきらいがあるように私は思うのであります。知事というものの権限というよりは、責任というものを、何かしら非常にかけ離れた方に持つて行かれてしまうのではないか、こういう感じがするのであります。  またその中で、前には国家警察の問題で公安委員をつくりました。私どもの県は幸いにしてわずか三人でありますけれども天下に誇り得る公安委員を持つておりまして従来一人も交代いたしませんで、今日でも依然として長谷川如是閑という人を筆頭といたしまして、非常に有数な老人を持つております。とにかく公安委員としてりつぱな人を持つております。それで今度ここにありまする人事委員の選考につきまして、何でも人事委員は「人格が高潔で、地方自治の本旨及び民主的で能率的な事務の処理に理解があり、且つ、人事行政に関し識見を有する者のうちから、」どうこうということが書いてあります。こういう人をほんとうに見ることがありましようか。私ども自分で使う——あるいは使うというと語弊がありまするが、いつでも全体を通じまして、補助機関として、私ども責任あることをおまかせしようという人たちを頼んでもろう、その審査官であり、採用官であるその委員会にこういうむずかしいことが書いてありますが、こんな人はほんとうに見つかるでありましようか。私は非常に心配でなりません。大体今日におきましても、私どもの方では、人事についてはだれもかれも同じでありまするけれども、非常に注意を払つて仕事をしております。最近におきましては、人の問題では大体能率が上らぬ人——戰後においてはずいぶんいろいろなふしだらをする者が出て来る。これは結局昔の官吏でありますが、現在の公務員の教養が足りない、訓練が足りないということから来ておりまして、一生懸命訓練と研修に努力をいたしております。これはどこの県でも、自分の力の及ぶ範囲においてやつておるのであります。たとえば九州とか、あるいは鳥取県とかああいうところで、ほんとうに研修をしようというときに、東京からりつぱな学者を呼んで講師とすることができましようか。これはできないのです。みんな各県で人事委員をつくつて、そこで研修をやるように骨を折れというように言われても、おそらくできぬだろうと思う。結局その地方に適応する程度のものしかできぬ。そうすると結局東京その他の中心地で、りつぱに研修を終えた人を連れて来るということになると思う。これは従来の経験であります。いろいろのことがありまするが、急ぎのために、しかも私の不得手とするこの公務員法について、私の申し上げたいことを簡單にここにまとめてあるので、申し上げますが、人事委員会を必要とすることは、現在の段階においては莫大な費用を要し、かつ無用の摩擦を起すことが容易に想像せられるので、かつ各県との均衡を失する等の関係もあり、屋上屋を重ねること等深く考えられるので、法律目的を円滑に推進するために、法案によるところの公平委員会、これに準ずる機関は、設けてもらうことはけつこうであります。しかしながら人事委員会というものは、私どもは今すぐということには非常に難色を感ずるものであります。  それから人事委員会事務局でありまするが、近代的公務員制度の実施にあつて、專門的人事行政機関を設置することの必要は、今さら冗言を要しないところでありますが、しかしこのことは專門的労務管理実施機関の必要性を強調することであつても、管理者とは独立した別個の行政庁の設置を正当つけるものではないと思います。猟官運動の阻止とか、その他の民主的人事行政の実施は、管理者のもとにおいて、行政機構によつてもその目的を達成するものと確信いたします。あるいは各任命権者がそれぞれ独自の政策を行つたのでは、同一地方公共団体において、統一された人事行政が行われないという説があるかもしれませんが、しかしこの点は地方公共団体の首長として知事の持つ統轄権というものが重きをなすべきであつて知事の管理する人事部局において措置するとすれば、これで十分だと信じます。職員の利益擁護のため使用者とは離れた中立的な機関の存在が必要なことは言うまでもありませんが、これは人事部局が公表するところの資料によつて公平委員会が中立的な立場において判定を下すことによつて、解決ができるのではありませんか。このように公平処理の機関としての委員会制度を設けることにより、ある程度職員の利益は保護されると考えます。いかにりつぱな企画も、県民の財政負担から遊離した制度では、公務員制度として推奨することはできない。給与問題については言うに及ばず、福利、勤務條件あるいは進歩的公務員制度実施のための事務費についてさえ、各省における——いわゆる東京の各省における経費の不足のため、人事院の計画についてさえもついて行けないというのが、国家公務員の現在の実情であります、こういうような理由から、公平処理の事務を除くすべての人事行政は、統括権者としての知事において実施するごとく定めることが、私どもの希望であります。これはどこまでも知事立場でありまして、市町村ということに今私は言及しておりません。  それから特別職の範囲でありまするが、都道府県知事はその補助役といたしまして、副知事及び各部局長を持つております。その実態は、あたかも中央政府における閣僚の地位に相当するものであります。これらの部局長のある者は行政技術者としてよりも、政策決定に関与するという性格の方が強いものがあります。なるほど職員の身分保障の観点から見るならば、一般職として法の保護を受けることが望ましいかもしれない。しかしながら更迭をした、新しく選任されました新知事のもとにおいて、事務に堪能の一事をもつてのみ、これらの職員がはたして知事との間に強固なる身分的靱帯を保ちつつ、その職にとどまることが可能であろうか。近代的公務員制度をいち早く確立いたしましたアメリカでも、必ずしもそういうことにはなつておりまん。アメリカで現在メリツト・システムとかいうて、昔はたとえば外国の公使なんかになるときに、大統領の選挙に応援をしてくれたからというて、宿屋の主人公などを出したことがあります。おそらく国内政治においても同様なことがあつたのではないかと思われるのでありまするが、その後だんだん行政的にもアメリカが進化して参りまして、最近ではできるだけ技術的なものにしようというふうになつております。ごとに地方行政、ことに市町村については、市町村の行政は技術的であるという方面から、現在におきましては特にマネージヤー・システムなどというものをもちまして、事務はどこまでも事務屋にということでやつております。これは一つの市町村について非常に尊重されるところであります。しかしながらアメリカのステートについては、必ずしもそうなつておりません。一般に申しまして、財政的の方面で特に專門家を必要とするというようなことから、たとえばニユーヨーク州などではせつかくとつたところの大学の優秀な学生をあらためて大学に送つて、そうして州の財政を切盛りさせるための財政的な專門家を養成しているところもあります。そのほかまた地方によりましては、特に技術家を養成する、專門的な技術家——昔でいえば日本の有資格者を意味するのでありますが、そういうものを訓練しているところもあります。しかしながら日本のように各地方人事委員会をつくつて、それが一手にその県の人事を引受けてやるというような機械的なものは、私は寡聞にして聞いておりません。大体日本で、地方自治にいたしましても自治といいながら、一本のわくで、大きな都市も小さな都市も、村にまで同じ規則をあてはめるというところに非常な危險があり、せつかくのいいものも惡くなる危險があるのであります。あだかもきれいなりつぱなモーニングでも、りつぱな大きな人に着せればいいのを。子供にそれと同じモーニングを着せると何かポンチ絵のようになるというような結果になりはしないかとおそれるのであります。そういう意味におきまして、私は画一的な法律ということを非常におそれております。そこでただいまの特別職の問題でありますが、特別職の範囲に次の一項を入れてほしいのであります。それというのは、地方公務員法の一部でありますが、そこへ地方自治法第百五十八條第一項に規定する都道府県の必置部局の長であつて條例に定めるもの、こういうものだけは裁量ということにできる、選考ということになつてもよろしいということであろうと思うのです。  それから試験制度についてでありますが、職員の任用については中等取扱いの原則、及び能力の実証、すなわち原則として競争試験によるとする原則を高く揚げている。平等取扱いの原則については、憲法第十四條の規定がある以上、法的にも当然平等の取扱いをすべきは論をまたない。また能力実証主義についても法の明文こそないが、近代的人事行政の裏面からいたしまして、競争制度の導入は必要なことであると思われます。但しこれが実施、導入の方法、技術等においては、相当の考慮が払われなければならない。その点同法第十七條第三項にも、「人事委員会の定める職について人事委員会の承認があつた場合は、選考によることを妨げない。」こういたしてありますが、一々これを人事委員会の承認にまたなければ選考ができないというのもどうかと思いまするが、しかし少くともこういう條文があるので、一応無事だと思います。また第二十條にも、「競争試験は、筆記試験により、若しくは口頭試問及び身体検査並びに人物性行、教育程度、経歴、適性、知能、技能、一般的知識、專門的知識及び適応性の判定の方法により、又はこれらの方法をあわせ用いることにより行うものとする。」とあるから、これらを大幅に考慮に入れて、実施運用して行かなくてはならないものと思うのであります。それは理念的には否定されなくとも、人事行政は生活感情をも考慮に入れて運用されなければならないし、試験万能より生ずるところの勤務能率への影響、いわゆる熟練職員への志気の影響、まして政策決定職である部課長等を一時的競争試験によつては、人格という必須の要素を判定することは困難である。試験方法は技術の向上と一般の生活感情の変化と相まつて、漸進的に導入をとらざるを得ないと思われるのであります。すなわち今日においては、試験制度というものに並行して、選考ということに重きをおいて——決して私どもは独断專行とか、あるいは情実にとらわれるとか、あるいは党派によつてどうするということでなしに、どこまでも選考ということを、相当強く認める必要があると思うのであります。  いずれにいたしましても、今このむずかしい公務員法について、私は技術的にこれ以上申し上げることはありませんが、特に議会にお願いいたしますことは、私どもが現在地方財政地方自治ということが一番大事なことで、この公務員法というものも結局は地方自治というものを確立させるというための一つの手段であろうと思うのでありまするが、その際にこれを現実に実行するということになりますると、どうしてもこれは財政的の手腕というものがなければいかぬと思うのであります。しかるに非常によいことであるからというて、議会において多数の法律をおつくりになる、その結果どういうことになりますかというと、一方においては何か国会でそういうものをつくつた場合には、それに見合うところの財源を付与すべきものであるという規則は、確かにつくつておいでになるのでありますけれども、その規則を実行することと、現在盛んに革命的な法律規則をどんどんとお出しになるその間には、相当の懸隔があるのでありまして、一方に規則をおつくりになるときには、これはいいことであるからといつておつくりになり、しかも一方ではそういう場合には金を出してやらなければならぬという規則もおつくりになつておりますけれども、前に出しておられるところの、金を渡すべきであるということは、もうそのときにはお忘れになりまして、新しいことをどんどんおつくりになる。そうなりますと、一体それはだれが実行するか、実行の責任はだれかということになるのであります。いいことであるからこれをやらないというと、やらないのは知事であり市長である。それがけしからぬというように聞えるのでありますが、しかしながらかんじんのそれを行うところの財源がなくて、手品をやれというようなことになつて来るのでありまして、これは私の責任の帰趨が非常にむずかしいと思います。また人事委員会においても、おそらくそういうことが起りはせぬかと思う。私どもの方に、あるいは各地方人事委員会というりつぱなものがつくられて。そうしてこれがどしどしいいことを勧告される。現在、私ども職員組合のほかに、共済組合というりつぱな組織をもちまして、十分に県職員の希望を達成させるように努力しております。そうして各地方ともその能力に応じて相当の施設をしております。最近私はそういう方面責任を持つておるために、多少地方を視察しておりまするが、その意味におきましては、かつて職員組合に要求されて、これを出せ、出さなければ承知しないというようなかつこうでいじめつけられたところの知事や、その他の市長の態度とかわりまして、共済組合に関しましては、ほんとうに一心同体になつて、お互いによくして行ごうという気持で、設備を改善してやつております。そういうときにあらためてまた人事委員会というものをつくつて、そこでああした方がいい、こうした方がいいというやり方で、一つの理想案が出ましても、ほんとうにこれを実行するための財源が伴つておりませんければ、またそこに一つの大きな問題が起ると思います。中央におきまして人事院と中央政府との間にときどきいろいろなことがあるのを私どもは見ております。人事院はときどきぽつりぽつり遠慮がちに何かよい案を、待遇案を出しておるようでありますが、それが何かしらうまく行かぬので、困つているように聞いております。それが地方々々で起つたならば、せつかくできた人事委員会の権威にもかかわりましよう、おそらくしつかりしたりつぱな人が人事委員になつても、こんなことじやごめんこうむるということでやめられると思います。また知事も市長も、そのために一々能力があるのかどうか問題になりはせぬかと、私はおそれるのであります。そういう意味におきまして、この法案はたいへんいいところがあると思いますけれども、いいところがあるからといつて、どんどん出されてもそれだけでは済まないのでありますから、どうぞその意味におきましても、国会の方々は愼重にお考えなつた上で、お通しになるのはけつこうでありますが、お通しになるときはこれの実行のできるようにお願いをいたしたいと思います。
  10. 前尾繁三郎

    前尾委員長 それでは小田原、小林、輪遠、内山四君の公述に対して質疑を許すことにいたします。  なお公述人方々に申し上げますが、公述人委員に質疑することはできないことになつておりますので、あらかじめ御了承願います。
  11. 久保田鶴松

    ○久保田委員 こちから質問をいたします前に、委員長にちよつと注意しておきたいと思います。この間かの委員会における委員の質問に対しての政府側の答えでありますが、その答えは單に純な労務者保護するためにこの法律適用するのである、こういうふうに政府の方では答えておられるのであります。ところがわれわれ聞いておりますと、非常にその政府の答えておられることと、この法律をつくられる間において大きな行き違いがある。労務者側では、こんな法律をつくつてもらうことはありがた迷惑で困るというので、陳情をしておられる。あるいは公聽会も開いておる。その公聽会に大臣その他の政府当局のへたちが出席しておらない。この公述人の声を大臣あるいは政府側の人たちに聞かさなければならないと私は思う。ですから午後の公聽会におきましては、委員長から大臣あるいは政府側の人を出席さしてもらいたい。
  12. 前尾繁三郎

    前尾委員長 きのうは大臣も出ておられたのです。参議院の関係もありまして、全部出席できないまでも、注意して出席してもらつていますから…。
  13. 久保田鶴松

    ○久保田委員 午後ぜひ出席してもらいたい。これを聞かしてもらわなければ意義がない。
  14. 立花敏男

    ○立花委員 内山知事さんにちよつとお尋ねしたいと思います。神奈川県にも県庁職員組合があるということでありますので、今までこの職員組合と知事さんとの間に、折衝があつたと思うのでありますが、こういう組合ではいけない、地方公務員法をつくりまして労働三法適用を除外いたしませんと、これでは知事としての仕事がやつて行けないというふうにお考えかどうか、お考えでございましたら具体的に例をおあげ願いたいと思います。
  15. 内山岩太郎

    内山公述人 お答えいたします。県庁の職員組合は大体において全国職員組合に加盟しております。そのために、心ならずも全体の運動に参加しておるために、特殊の行動をとつたことがあるようであります。しかしながら、県職員組合独自のふるまいとして私自体がこれは困つた、こういう行き過ぎは困るであろう、解散させるとかあるいはどうしなければいかぬというふうに考えたことはございません。
  16. 立花敏男

    ○立花委員 そうしますと、知事さんといたされましても、こういう地方公務員法をつくつて、いまさら県庁職員組合から労働三法適用を除外する必要はお認めにならないというふうに解釈してよろしうございますか。
  17. 内山岩太郎

    内山公述人 私の県に関する限りは、それほど痛切に感じてはおりません。
  18. 立花敏男

    ○立花委員 どうもありがとうございました。  次に職員給与の問題でございますが、現在の県庁の職員の方の給与について、どうお考えでございますか。これで十分やつて行けるとお考えでございますか。特に下の方、独身の方、肉体労働の方などについて、私どもは先日から非常に苦しいということを承つたのでありますが、そういう点で知事さんは現在の職員給与について、どういうふうにお考えになるか。またその解決の方法などにつきまして、お考えがございましたならば、あわせて伺つておきたい。
  19. 内山岩太郎

    内山公述人 私は、現在の給与で十分とは決して思つておりません。これは必ずしも下の方ばかりではございません。全体の職員、私自信もその中に入ると思います。なぜならば、私自身の給料から言えば、月給をもらうときに半分を政府に持つて行かれるのであります。しかも年末になりますと総合調整というて、思いもかけぬものが参りますので、とうてい余裕がないという状態であります。もとより下の方はもつと窮屈やあろうと思います。しかしながら、戰争後今日まで次へ次へと金を延ばして参りましたけれども、さればといつてこれ以上どうしても金をとらなければ治まりがつかぬということではないのみならず、そうすべきものではないと考えております。私どもはここでできるだけがんばつて、そうしてだんだんと浮き上つて行くようにしなければならぬと考えております。従つて、県に関する限りもとよりたくさんあげたいと思うけれども、できるだけ県の施設におきまして、困る人が困らぬように、病人があつた場合にはこれを助けられるように、何か不時の災難があつた場合に、これが本人の将来の赤字になつて、要するに芸者の借金というようなことにならぬように、極力共済組合その他のものを運用いたしまして、落伍者の起らぬように努力しておるわけであります。これは現在の状態としてやむを得ないことであろうと思います。
  20. 立花敏男

    ○立花委員 話が非常に具体的になりまして、恐縮でございますが、そういういろいろな共済組合あるいは医療施設等の御努力はけつこうだと存じますが年の瀬を控えまして、はたしてそういう苦しい給与状態のままで年の瀬が越せるかどうか。また最近朝鮮事変を契機といたしまして、年末の物価の上昇などを考えまして、このまま給与の問題をほうつておいて、はたしてそういうふうな共済組合などの、それだけの施設でやつて行けるかどうか。この点はどういうふうにお考えでございましようか。それからそれに対しまして、政府の方で、吉田さんあたりは、地方は金がまだ節約できるのだから、それで何とかやつて行けというようなお考えでございますが、そういう点について知事さんはどういうふうにお考えでございましようか。その対策もあわせて伺いたいと思います。
  21. 内山岩太郎

    内山公述人 これは非常にむずかしい問題でありますけれども、これは実際の問題、しかもわれわれの困つている問題でありますので、お話を申し上げたいと思います。  従来は、どこの庁でも同じでありますけれども、年末には大概一月分というものは余裕があつたものであります。しかるに最近の財政の組み方、そして地方行政その他に対する中央措置がだんだんと、きゆうくつになつて参りまして、こういう場合に一文の余裕もないような組織になつてつたのであります。ことに本年は皆さんも御承知通り地方税法が非常に遅れて国会を通過したので、地方財政收入に大きな異常を来しております。その他税制の改正によりまして、税の收入がはつきりと押えられて、増税あるいは新税というようなものを起す余地もなければ、また徴收増を見込むということもできない状態になつておりますので、すべての地方の自治体のさいふは年末、年度末を控えて、からつぽ、あるいはからつぽ以上のマイナスになつております。こういう場合に、どうしても職員給与は上げて行きたい、また年末の手当も出してあげたい、こういう気持から私どもは、しきりと九月以来全国のものが集まりまして、知事ばかりではございません、市長も町村長も、また地方の議会も同じ気持になつて、何とか中央からせわしてもらえぬものかということを交渉しておるのであります。これは、私ども地方の予算というものが、非常にはつきり今度は出ておりました、余分がない。そこへ新しく問題が出て来るのであるから、どうしてもその分はくださいということでやつておるのでありますけれども、ただいまその点については、わずかに三十五億、しかもその中にはいろいろなほかのものが人づておるというようなうわさもありますが、要するにわずか三十五億をもつて、これでやつて行けというようなお話があるのでありまして、それがすでに議会に持ち込まれておるのであります。しかしながらこの根本を探してみますと、従来皆さんの方で御決定になりました法律、あるいは政府で出されたところの政令によりまして、地方負担となつておるもの、しかも平衡交付金という新しい措置と、起債のわくがはつきりきまつてから、あとで起つたところのいろいろの支出、これが百七億に上つておるのであります。災害もありますが、そういうものを全部ゼロと勘定してある。そして地方に大十三億の雑收入というものが人づて来るのだ、こういうような机の上の勘定から、三十五億あれば、地方ではこういうことができるのだということにして、それが議会に持ち込まれたようであります。私どもはそれはあんまりひどいではないかというので、議会の方に、そういうことでなしに、せつかく地方財政委員会というような特殊な機関ができておつて、しかもその機関が非常に苦労をして、苦労をしたあとで、これならば間違いない。せめてこれだけはというて出しました八十三億の平衡交付金は、どうしても出していただきたいということをお願いしておるわけであります。しかしながらこれがいつどうなるかわかりません。しかしどうしても出さなければならぬものは、例の年末の半月分と、政府の方でとられるところの給与べースの改訂の分であります。これはどうしても法律的に私どもは出す義務を持つております。また実際においても、中央でこれを出した場合に私どもが出さないということは成立ちません。それ以上は絶対出せませんが、私どもはどうかして少くともそれだけは、どんな無理をしても出したいと思います。しかしながらないところから出すのでありますから、その結果は相当大きな問題をあちらこちらに投げ出すと思うのであります。それは政府の方に返すお金も返せなくなるでしよう。またわれわれが地方議会の協賛を経て、実行にかかつておるところの事業も中止しなければならぬでありましよう。そのほかいろいろな点において摩擦が起つて来ます。何となれば、すでに私どもは本年の初めにおいて、二十五年度は二十四年度の配付金並びに補助金と、ほぼ同額のものと見積つて予算を立てたらよかろう、こういうことで全部のものが、昨年度と同じことに見当をつけて予算を組んで、すでに実行にとりかかり、年度半ばに達しておるのでありますから、あるいは半ばを過ぎておるのでありますから、いまさらこれをやめるということにありますれば、川の土手を半分つくつてやめるとか、家を建て始めたけれども、屋根だけ何とかしたが、下ができておらぬということも起り得るだろうと思います。その他においてもこれを具体的にあちらこちら調べれば、いろいろと起つて来る問題でありますから、各地方ともどうすればこの足りないものを、つまり出すものだけは出さなければならぬが、あと足りないところをどうするかということで苦労をするわけであります。中にはある知事は、思い切つて出さないで、政府の方で三十五億というなら、われわれの希望したもののわずか三割にしか当らぬから、三割分、すなわち五日分とか六日分の年末手当を差上げて、それでひとつ行こうじやないか。そうしてなぜそんなことになつたかと言うたら、これは政府がこうしたからしかたがないのだ。それならひとつ中央に押しかけようじやないかということで、職員組合も何も一緒になつて、押しかけようという案もありました。しかしながら私どもは、少くとも私はとにかく知事として、現在の状態でなるべくそういうことの起らぬようにしたい。どうせいろいろなことが起りますが、しかしながらそういう形をとりたくないという気持から、今日においてもなお議会に対していろいろお願いをしますし、また自分自身といたしましても、県の財政の上で、どうすればこのやりくりをつけ得るか。比較的損害を少く、比較的騒動の少い方法はないものかということを、目下考慮中であります。その点御推察を願いたいと思います。
  22. 前尾繁三郎

    前尾委員長 立花君、内山さんは非常に急いでおられますから……。
  23. 立花敏男

    ○立花委員 実は八十三億の問題は、この委員会では自由党の方も賛成されまして、八十三億出せという地方財政委員会意見書を満場一致で決定いたしまして、きのう委員長から予算委員会に申し入れてありますので、問題は予算委員会に移つております。ここで決議をいたしましても、予算委員会で金を出しませんと、実際上金が入りませんので、ひとつ予算委員会の方へ職員組合と一緒になりまして、知事さんも押しかけていただきたいことをお願いいたします。  それから人事委員会の問題でありますが、人事委員会は非常にむだだ、人事委員会ができますと、寄木細工の上に知事が乗つかつているようなもので、仕事にならないとおつしやいましたが、特に人事委員会財政の問題と関連いたしまして、人事委員会の費用は一体どれくらいお入り用のように知事さんは御算定になつておられますか。
  24. 内山岩太郎

    内山公述人 今私どもの方では、そのことは人事課でも相当やつておりますが、特に研修の方面で十二、三人を使つております。今度人事委員会ができますれば、その研修室は全部そこに入れることができると思います。しかしながら人事課のやつておる仕事を、人事委員会ができたからといつて人事課を廃止するわけに行きません。従つて人事委員会は、まつたく新しい機構をつくらなければならぬ。それが今の計算では四十人ないし四十五人ぐらいはかかると思う。もし四十人以上かかるといたしますると、現在の十二、三人の研修室を持つて行きましても、三十人以上の新しい人を必要とすると思います。そうしますと、この計算は、給与ベースの改訂を考えますと、そろばんが出て来るわけであります。その上に私どもは庁舎の狭隘を感じておりまして、今非常に苦労をしております。三十人というのは、どんなことをしても一つの相当大きな部屋を必要とします。こうなると、県庁の中にはない。そうするとどこかにつくらなければならない。これもまた何百万円かの支出になります。それからただいま申し上げました三十人以上の者というのは、どんなに少く見積りましても、一人十万円としても三百万であります。そういう小さな数では納まらぬと思います。どんなことをしても五百万円内外の金が、現実に経営費として出て来るのではないかと思います。その上に公平委員会というようなものができて参りますと、必ず一千万円を突破するところのものが出て来ると思います。なおこの委員会の手当その他については、何もまだこの中に規定がないようでありますが、これに対する給与というようなことについても、十分に考慮する必要があるのでありまして、だんだんと費用がかかつて来ることはあたりまえであります。こうなつて来ると、また議会の方にも影響を及ぼして来るのでありまして、こういうものを一つつくると、その結果は相当重荷になることは覚悟しなければならない。従つてどもは、時間が十分ありますれば、知事の中でやはり十分協議いたしまして、団体としての態度もきめるべきでありますけれども、私はただ一人の知事として、私の考えを申し上げたのであります。
  25. 立花敏男

    ○立花委員 お話を承りまして知事さんとしては地方公務員法にはあまり積極的な賛成でない。かえつて現在のままで何の苦痛も感じないのだから、反対だというふうに私どもは解釈するのであります。地方公務員に対しまして、全体の知事会議として、何ら結論が出てないとおつしやいましたが、これは重夫な問題でございますので、やはり他の知事もあなたと同じような考え方、あるいは立場におられると思いますので、特にまた給与の問題、平衡交付金の問題等につきましては、利害がまつたく一致しておりますので、ともどもにこの惡法を葬るように御運動を願いたいと思います。
  26. 大矢省三

    ○大矢委員 内山さんにお聞きしたいのですが、内山さんはせんだつて来アメリカに地方行政の視察に参られまして、いろいろ見学になつたことと思いますが、この法案に盛られておる——先ほどあなたの前の公述人から申されました單純労務、並びに筋肉労働者と申しますか、そういうものも合せて、こういう公務員法としての保護なり、あるいはそれぞれ義務づけられたようなことがアメリカにもあるかどうか。私はせんだつて神戸さんに聞いたのでありますが、不幸にしてそういうことは聞いて来なかつたというが、あなたは特に現場の人で、実際に知事をされており、こういう点は專門に調べて来られたと思いますから、一応お聞きいたしたいと思います。
  27. 内山岩太郎

    内山公述人 御質問実は恐縮でありますが、私は初めに申しましたが、アメリカでは一般共通的な法律で、全州に及ぶというような規則は、こういう公務員などにはなかつたと私は記憶しております。実は今日陳述のときに遠慮したのでありますが、私自体は、県などの場合は、公営企業等に関する問題はありますけれども、これは比較的数が少いのであります。従つて私はどうせこういうものをつくるならば、できるだけ同じ県の規則の中に入れて、そして互いに同じ方法保護もし、便宜もはかるべきたと考えております。しかしながらアメリカで共通なものがあると考えません。中にはそういうものを入れておるところもありましようが、そういうものに入つていないということもあると思います。なお職員組合についても、私は今の現場ほんとうにこまかいことについては調べておりませんが、職員組合などについても、私は多少は聞いて参つたのでありますが、日本のように、職員組合に入らなければ県の職員でないぞというようなことでなしに、きわめてゆつたりした仕組みになつておるようであります。従つてただいま御質問の点も、場合によつてはそういうものを入れているところもありましようが、さればといつて、そういう共通のものはありません。こういう御返事しかできません。
  28. 大矢省三

    ○大矢委員 先ほどの公述の中で、一万数百からある町村なり、県にも同じような画一的な立法で律するということは、どうも不合理だと言われたが、私ども反対だ。なおこの人事委員会というものをつくつて莫大な費用もかかるが、その経済上の裏づけのない委員会というものはかえつて迷惑だ。いろいろ立花君から質問がありましたが、大体この法律はつれらなくてもよろしいというふうに私どもは聞いたのです。なお特に職員保護する目的をもつてこの法律ができたというのですが、先ほど来のお話によりますと、あなたの方では職員組合の方とスムースに行つてつて、特に共済制度なんかが完備して、何らの不自由もないということでありましたが、私どももまた二十三年の七月あのマ書簡が発せられれた後における組合の状態というものは、非常にかわつて来ておると思うのですが、内山さんはどう考えておられるか、その点もお聞きいたしたいと思いますが、そういうかわりつつある健全な労働組合と、直接理事者との間に話ができて、そこが円満に行けば、こういう複雑な、アメリカのものを一々借りて来て、こういうものをしなくてもいいと私どもも思つているのですが、先ほど来のあなたの御意見も大体そういう御意見だと思う。特に任命権者として教育委員会なり、公安委員会なりがあり、いろいろの人がかつてに任命されて、責任だけ知事が負わなければならないというこは、まつたく困る。まつたくそうだろうと私どもも思つている。でありますから、一体こういう法律はつくらなくても今の現状でいいというふうに考えておられるようでありますが、大体現状でいい、そんなことをするならば、もつと金をよけいくれて裏づけしなければ、これだけこしらえてもらうのは困るということになるのではないかと思うのですが、そういうことについての結論をお願いいたします。
  29. 内山岩太郎

    内山公述人 私の話し方がそういうふうにお受取りになりますれば、おそらく私のほんとう考えがそうだつたかも存じません。しかしやはり私は、初めに申しましたが今度のこの法案でとりどころがあるとすれば、今まで根拠のなかつたものが、法律的に根拠ができた、こういう点はいいじやないかと存じます。これは金がかかりません。(笑声)でありますから、そういうことはけつこうであります。
  30. 鈴木幹雄

    鈴木(幹)委員 その点で内山さんにもう一ぺん念を押しておきたいと思います。なるほど画一的なものがアメリカにないということはよくわかつております。それから人事委員会その他の諸経費が、この法案に裏づけされておらないということもよくわかります。それで今のお尋ねと重複をいたしますが、それならば全体として地方公務員法というものは、この裏づけがない限りは、ない方がよろしいか、あるいはその裏づけの方法を講ずるごとによつて、この法律案を成立せしめる方がよいか、私も一、二の点におきましては若干不満な点を持つておるのでありますが、全体の価値判断としてこの法律案を成立せしめる方がよろしいか、あるいはそれを成立せしめない方がよろしいか、この見解を大局的に承りたい。
  31. 内山岩太郎

    内山公述人 これは條件つきであります。もし財政その他の裏づけがあることであれば、それはせつかくのことでありますから、おつくりなつたらよかろう。何となれば、昔は官吏服務紀律というようなものがありまして、一応これによつて官吏というか、公務員の気持というものは、はつきりしておりました。ところが戰後におきましての公務員というものは、官吏から公務員になつたところ、昔から公務員であつたところ、いずれにいたしましても、相当乱れた気持になつておることは事実であります。これを引締めるためにどうしても一つの準縄というか、繩が必要であるかもしれません。そのためにはこの法規は役に立つと思います。しかしながら必ずしもこういう込み入つたものでなくとも、またあえて金をたくさん使わなくてもできるのではないかと思つております。しかしながら私は不幸にしてこれに対する具体案を持つておりません。それだけの準備をしておりません。これだけ申し上げておきます。
  32. 門司亮

    ○門司委員 ちよつとそのことですが、労働法規が適用されてない点と、政治活動が非常に大幅に制限されている点が、どういう影響を持つかということを、実は知事に聞きたいのですけれども、時間もありません。さつきの知事のお話では、その方面は賛成だというふうに聞きとれるような御答弁であつたので、主として今知事が心配されております人事委員会の設置の問題でありますか、これはさつき知事地方自治法百五十八條の規定を引用されたのでございますが、百五十八條の規定の中に、総務部の中に、職員の進退あるいは待遇に関して、これをつかさどるということ一番先に書いてある。そういたしますと、この法律の條文と、この人事委員会の職権とが衝突する危險性があるというふうに、知事はお考えになつていると私は思うのですが、そうすると、地方自治法の百五十八條の規定はこのまま残しておいても、運用上さしつかえがないというようなお考えであるのか、あるいはこの法律を何とか改正をするような必要が生じて来るのだというふうなお考えであるか、これは政府にも一応この点は聞きたださなければならぬと思いますが、ここで機関ができたために、この法律で定めた事項と、人事委員会機構とが衝突するようなことは、非常に迷惑すると思う。この点をひとつお聞かせを願いたい。
  33. 内山岩太郎

    内山公述人 私はその点は、たとえば教育委員会というものは、そのために全体をおまかせしてさしつかえない。警察の問題もさしつかえない。けれども県の人事の問題は、自分が使う人である。——使うと言う語弊があるが、私と一緒にやつて行くという、まつたく私と一体になるものである。それをほかの人にお願いして、それでもよいのだというわけには行かぬ。いくら人事委員会ができましても、何ができましても、県は県としての人事課を持たなければ、県としてはやつて行けません。私のとこにどろぼう事件が起きた。県の職員にどろぼうがなつている。人事委員会へ持つて行けと言つても、知事は決して責任を免れません。いや、あいつは非常に惡いやつだ、人事委員会でつくつてつたのだ、そんなやつは人事委員会へ持つてつてとりかえて来いと言つては済まされません。結局知事責任であります。従つて私はこれによつて県にある人事に関するものをやめてしまう、拔きにするというふうには、どんな人が何と言つても、考えません。
  34. 門司亮

    ○門司委員 そういたしますと、第百五十八條の二項の、総務部の中の、職員の進退及び身分に関する事項というのは、このまま存続しておく方がよいというのですか。
  35. 内山岩太郎

    内山公述人 私もそう考えております。
  36. 立花敏男

    ○立花委員 大阪輪違さんにちよつとお聞きしたいのですが、今まで大体こういうものをつくられては困る、こういうものをつくられてはこうなるということが多かつたのですが、輪違さんのお話の中に、組合が非常に民主化されて来たというお言葉があつのですが、こういうものをつくらずに、自由に労働組合活動をさせて、組合がどんどん民主化して行けば、地方自治にはこういう有利な点があるのだという点を二、三あげていただきましたら、非常にけつこうだと思うのであります。
  37. 輪違清次

    輪違公述人 お答え申し上げます。特に私が申し上げた点は、單純労働に従事しておる者の立場から申し上げたのでありますが、昔は一般職員という人たちが、私どもの監督の任に当つたわけです。その人たちの昔の官僚主義的な考え方から、自分の上司に対する責任とでも申しますか、もしくは自分の点数をかせぐというようなことであつて職場労働者の気持を察することなく、極端な言葉で申しますならば、うしろからむちをもつて追いまわすというのが、大体われわれの感じた感じであります。そういう労働者に対する観念が、今日の日本労働者の自主的な、責任と義務をあわせて遂行するという労働者の本来の姿を失つたことになつている、こういうふうに考えておるわけであります。私ども戰後労働組合が自由に許されて、労働組合の活動の中で、労働者が百分の義務を完全に遂行すると同時に、さらに自分権利も主張するというかつこうで、職場の秩序が昔よりか、もつと自治的に労働意欲を高めて来つつあるという事実を見逃すことはできません。そういう意味で、私どもはこういう法律をつくつて、再び昔の官僚制度にかえるようなことは、結局においてお役所仕事がいつまでも続くということであります。私どもはお役所仕事というそしりを免れるためには、職員といえども、あるいは現場従業員といえども、みずからの勤労意欲を高めて、責任と義務を完全に遂行するという態勢が、地方行政の民主的な運営の根本になるという考え方を持つておるわけであります。むしろこのような法律によりまして、民主化の度合いの進んでおらぬときに、職員政治活動に対して目隠しをさしておくということは、結局大きな意味における公務員としての責任と義務を遂行するような、完全に民主化された職員になり得ない。従つてそういうところに使われる従業員は、なおさら昔の奴隷根性に陷つてしまうだろう。このことは地方公共団体全体の事務、事業を通じての能率をいう点では、結果においては非常に大きなマイナスになる。こうい点を批判者及び政府側並びに議員方々は十分にお考え願いたい。こういうふうな意味で御発言申し上げましたので、十分御了解いただきたいと思います。
  38. 立花敏男

    ○立花委員 輪違さんの気持はよくわかりますが、具体的に現在地方行政上、こういう官僚的な弊害が残つておる。地方公務員法ができたらよけい惡くなるだろう。むしろこういうものがなくで、自由に労働組合運動ができた方が、これはこういうふうに改善されるだろう、この具体的な例を二、三を承りたかつたのでありますが……。  実は私どもこの委員会といたしましては、大阪へ災害の調査に参りまして、西淀の方へ参りましたところ、七、八十人の方が災害のために一挙になくなつた。その原因は、府がつくりました土木工事が非常に粗雑なものでありましたために、在民が安心しておつたのが一挙にこわれまして、七、八十人の人がなくなつた。こういうのがなかつた方がよかつた。あつたから、かえつて皆死んでしまつたということを、私ども現場に行つて承りました。まつたくセメントなんかも使つておりませんし、石を積んだようなことをして、結局数十人の市民の命を失つてしまつた。ああいう問題に対しまして、実際仕事をなさるのは、やはり現場の方だと思うのですが、こういう問題も、現場労働者の方に、十分組合活動をしていただいて、民主化していただくかいただかないかに、大分関係があると思いますが、そういう点を考えていただきたいと思つたわけです。しかし時間の関係もありますので、省略したいと思います。  結局輪違さんは、地方公務員法をつくらなくても、今のままでいいのだ。今のままということは、ポツダム政令適用のままでいいのだとおつしやいましたが、私どもポツダム政令日体が問題だと思うのでございます。遺憾ながら今の労働者は、ポツダム政令が出たときのことを——のど元過ぎれば熱さを忘るるといいますが、ポツダム政令そのもの重圧を、ちつとも感じていないようでございます。この点はどうでございましようか。私ども地方公務員法とポツダム政令とは、本質的に同じものだと考えております。地方公務員法ができなくても、ポツダム政令適用のままでいいというようなお言葉は、少し注釈をしていただく必要があるのではないかと思いますが、その点をひとつ……。
  39. 輪違清次

    輪違公述人 私申し上げた意味は、この公務員法によりますと、労働組合の方の保護は、全然受けないことになるわけであります。しかし現在受けておりますポツダム政令——もちろん罷業権、あるいは対等の立場に立つての交渉、あるいは労働協約というものを禁止せられておりますけれども、しかしながら、なおかつ政治運動についての制限はないわけであります。この公務員法よりもポツダム政令の方が、まだゆるいのであります。もちろん私どもの望みは、われわれのような現場労働者は、町の労働者と何らかわりはないのでありますから、当然公務員法から除外していただきまして、労働三法の完全な適用、ただ若干公共性の度合いにおいて、制限をするなら労調法の関係において、適当に規制すべきであつて現場労働者労働三法に返していただきたいのがねらいでありますが、その問題を今度の国会で処理されなければ、それができるまでは、このものの中に入れてしまうというのは、政府側のこれまでの言い分のようでありますが、四つの企業従前のままに置いたから、われわれの立場において一言申し上げたので、決してポツダム政令のままでいいというわけではありません。ポツダム政令は、新しい立法措置というよりも、むしろ労働三法に返してもらうまでの経過措置としては、公務員法の中に入れるよりか、その方がわれわれとして望ましい、こういうことを申し上げたのであります。
  40. 立花敏男

    ○立花委員 よくわかりました。私どもは、現場の方の地方公務員法からはずせという御主張は、当然ポツダム政令からはずせということにも共通すると思います。  それから水道の小田原さんに開きたいのですが、実は神戸におきましても、最近上水道と下水道を一緒にしてしまうという意見が、市の理事者側にあるわけです。ところがこの法律によりますと、再び上水道と下水道をわけなければならないということが起つておるわけでありますが、特に横濱、神戸のような六大都市は、水洗便所が多くなりまして、仕事の性質から申しましても、工事の性質から申しましても、上水道と下水道がくつつくのが当然だと思いますが、実際にそれに従事されておる小田原さんといたしまして、わけた方がいいのか、一緒の方がいいのか、どういう御意見でしようか。
  41. 小田原末治

    小田原公述人 上水、下水に対して一緒にするということについては、いろいろ議論があるわけであります。自分は上水に勤めておるから、自分に都合がよいのだという気持は私は毛頭持つておりません。しかし真の公企業体としては、今のところ上水道だけということになつておりますので、将来こうしたものが下水も含めるのだ、下水もできるのだということに対しては、われわれもはつきり知つておるわけであります。下水課でもこの前七月でしたか、少くとも千何項目ふえました。たとえば火葬場であるとか、あるいは病院関係、あるいは屠殺場であるとか、もろもろのものがありますが、これらは民間にもあるわけでありますから、企業体にならないということはないと思います。しかしながらやはり今までの公共団体の行き方としてただとられた。将来そういうものが当然地方財政法に入れられて、そうして特別法になり、独立採算ができるなら、当然これは上水、下水道がまた一緒になつてもよいのではないか、現在の下水道においては、やはり何といつて一般会計より幾分かはもらわなければできない状態である。こういう形から上水道、下水道は分離するということと、仕事の現在の内容というか、そういうことは違うのであつて、将来下水道が完全にできて、そうして水洗便所ができて、その料金でまかなわれて行くというなら当然いいのではないか。あるいは上水と下水と一緒にならなくとも、下水は下水としての独立企業体として行つていいのではないか、こういうことが考えられると思います。必ずしも上水道と下水道が一緒になつていいということではなくて、私の考え方から言いますならば、今後のほんとうの仕事から行りたら、あるいは都市計画なんかから行くと、何十億というものを予算化されて、仕事の実態はむしろ下水課の方が大きくなるのではないかと思いますが、しかし現在の独立採算制から行つたならば、一緒になるということは、非常に疑問であると考えておるわけであります。また現在の状態で、今後どういうふうになりますかしりませんが、この地方公務員法ができてわくがはずざれたから、下水が上水からわかれるということは、法律ができたらそうするのだという解釈でなく、当然学問上といいますが、上下水道一本になつていいのだ、こういうのならばよい考えもあるわけですが、今後そういうものが地方公務員法において分離されて、たとえば職員の待遇問題という場合には、いろいろ問題が複雑になつて来るのではないか。今後どこまで行つて、下水が独立採算まで行かれるかどうか、この見通しにあるのではないかというふうに私は考えております。これはまつたく私の考えだけで、理事者はどう考えているかということも、今のところわかりませんが、いずれにしても仕事の性質上、独立採算ができる可能性は十分にあると私は考えております。
  42. 川本末治

    ○川本委員 私は小林公述人に、教職員政治活動制限の問題につきましてお伺いしたいと思います。たとえばある選挙の場合に、学校先生が黒板の一角に、ある特定の候補者の名前を書いたり、または出校の場合などに、メガホンなどに特定の候補者の名前を書いて放送しておるというようなことが、清浄無垢な青少年に、どういう影響を与えるかという点につきまして、教育者としての小林先生の御所見を承りたいと思います。
  43. 小林亮一

    小林公述人 ただいまのお尋ねにつきまして簡單に申し上げます。もちろんただいまおつしやつたように、教員としては生徒にそういうような意味のことをすることは、これは教育上もちろんけしからぬことで、これは教育者でなくとも、われわれ国民としても非常に遺憾なことと思つております。これは先ほどちよつと申し上げました通り、実際問題としまして、過般の参議院の議員選挙におきましても、そういうようなことがひんぴんとして伝えられ、耳に入つておりますのですが、これは要するにある一部の方がやつた仕事6ありまして、それをもつて全体を推していただくと非常に私たちが心外にたえないと思います。もちろん教育者という立場から行きまして、そういうことが一つでもあつた場合には断固として排斥しなければいけないと思つておりますが、これは他面教育者としまして、教育者教育をするというようなことが一非常に大事な問題だと私は思つております。ですから現在の教職にある者は、必ずしも全部完全な教育者であるかどうかという点も、非常に考えなくてはならない点もありますので、この点はあくまでも、そういうことが一つつたので、たくさんあつたのじやないから、いいのじやないかというような考えを持つ方が中にあるかもしれませんが、これはたとえ一つありましても、教育という面から行きましたならば、断然排撃しなければいけないと思います。これは数の多いとか少いことは問題にならないので、先ほど申しましたように、人格養成という建前から申しましても、一つでもあつた場合には、これは断固として排撃して、そういうような教職員に対しましては、あくまでも教職員自身が自戒自粛し、しかしてもつて国民の模範になるというような建前でやつて、一方においてはあくまでも教員という特殊の地位を認めていただいて、その方に專心していただく、こういうように考えます。
  44. 川本末治

    ○川本委員 そうしますと、今のようなことは、教育上非常に惡い影響を及ぼすから、これは厳重に取締らなければならぬという御意見に解釈してよろしゆうございますね。また公述人の御意見中に、いつの選挙でしたかに、ほんの一小部分はそういうものがあつたかもしれぬというようなお議がありましたが、これがかりに全国にたくさんあつたといたしまして、それからまた将来そういうことをやるおそれが多分にあるというような現状にありました場合には、教職員政治活動に対しまして、制限を加えるような法規ができる場合におきしては、どういう御意見でございましようか。
  45. 小林亮一

    小林公述人 ただいまの問題につきましてお答えします。多数かあつたとかいうようなお話が、ちよつとありましたけれども、もちろんこれは教育者としまして、一人がどうの三人がどうの五人がどうのと、数の問題で言うことでないのですが、たくさんそういうものが出れば、また一応ここに考慮しなくてはならない点も起きはしないかと思います。
  46. 大矢省三

    ○大矢委員 小林さんに一言だけ、私ども参考のためにお聞きしたいと思います。今度の法案の第六條に、いわゆる任命権者というものをいろいろ列記してありますが、その中に地方公安委員は警察難長を任命する権限を持つております。それと同時に、署長もまた部下に対して、いわゆる署内における職員の任免権を持つておる。これから行きますると教職員の場合も、その教育委員会が校長を任免するのでありますから、その校長がまた、警察署長と同様に、学校内の職員の任免権を持つた方がいいのか惡いのか、あなたは高等学校の教諭さんでありますから、小学の先生の方がもつと実質にわかると思いますが、あなたも教育家として、また校内の実情からして、校長さんが任免権を持つことがいいか惡いか、ちようど警察署長が任免権を持つと同様に。これにはあまり規定してないので、その点がいいか惡いかということだけでけつこうですから、その点をひとつ……。
  47. 小林亮一

    小林公述人 私、端的に申し上げますと、校長が任免権を持つということはあまり感心しないと思います。やはり従来の行き方で行つた方がいいと思います。
  48. 清水逸平

    ○清水委員 輪違さんに伺いますが、あなたの御経験において、旧来官僚のもとで、人事問題について非常に御苦心なさつたようなお話もございましたけども、公務員の身分保障についても、現在のままでよろしいと考えるのでございますか。それとも何かこれについてはつきりした制度ができる方がいいとお考えでございますか。簡單にお答えだけでけつこうです。
  49. 輪違清次

    輪違公述人 私どもの今の身分関係は、大阪市の例をとりますと、技手、書記という人の任免は、市長の指令で行われております。そから私ども一般現場従業員という人たちの任免は、所属長が行つておるわけであります。今御質問の点は、これを一本にしていただいて、われわれの身分も一般公務員と同じように、たとえば、やはり市長の任免というふうに身分をした方がいいではないかというお話でございますが、もちろん私どもは、われを保護していただくという立法措置については、反対する理由はありません。けれどもどもといたしましては、保護するからといつて必要以上にお縛りになるということは、今日の状態から見ると、結局角をためて牛を殺すという結果になつて、勤労意欲を失うというところに問題点を持つておるわけであります。もちろんあなたの御質問の点は、われわれの保護規定であるということにつきましは、私ども大いに伸ばしていただきたいと考えております。
  50. 前尾繁三郎

    前尾委員長 それでは午前の会議はこの程度にいたしまして午後一時半に再開することにいたします。それまで暫時休憩いたします。     午後零時三十八分休憩      ————◇—————     午後一時五十四分開議
  51. 前尾繁三郎

    前尾委員長 それでは午前に引続き再開いたします。  地方公務員法案について、公述人の方より御意見を承りたいと思います。辻原弘市君。
  52. 辻原弘市

    ○辻原公述人 私はただいまから教職員の全般的な立場から、提案せられておりまする地方公務員法の内容につきまして、反対意見を申し上げたいと存じます。  終戰直後の混乱状態の中にありまして、当時の非常に急迫を告げておりました教職員の生活を守るために、また民主国家として再建の基盤となる教育の復興のために、私どもはいち早く教職員組合を結成いたしまして、その目的達成のための運動を続けて参りました。この結成とそれによりまする運動の結果は、長い間の軍国教育を強いられて統制と圧迫によつて、非常に卑屈な教職員の性格をつくり、あるいは非常に無気力な状態に陥れられて、まつたく沈滞状態の中にさまよつておりました全国五十万の教職員に対しまして、次第に新しい希望と自信と勇気とを取りもどさせ、牢固として拔くことのできなかつた教職員、あるいは教育界独特の封建性を打破して行つたのであります。しかしながらその反面、この運動の過程におきましては、私どもの運動が——と申しますよりも教職員組合の運動を含めて、日本労働運動それ自体は決して長い苦闘の経験によつて生れて来たものではなくして、終戰の結果によりまして、いわゆる与えられたところの労働運動でありましたがために、きわめて微弱な状態にあつたということは、私ども大いに反省しているところでありまして、そのような結果に基きまして多少の過誤のあつたことは、私どもも否定できないのであります。しかしながらその事柄につきましては、今まで公述人の方からも言われましたように、すでに私ども自身の手によりまして、私ども責任と、またその過程から生れて来た自覚に基きまして、現代の段階におきましてはその憂いというものは漸次減少しておるわけでありまして少くとも民主的労働組合としてのあり方につきましては、その基礎はすでに確立しておるのであります。過ぐる一九四八年の七月に、当時の情勢に処して出されましたマ元帥の書簡の意味する精神というものは、その当時の情勢から強く反映を受けましたものでありまして、その最も根本としておる骨子は、いわゆる極左的な偏向性に対する是正であつたと、私どもはかように考えておるわけであります。従つて決して民主的な、合法的な労働運動、あるいは労働組合に対しましては、これを抑圧するというがごとき非民主的な趣旨に基いて発せられたものでなかつたことは、その以前に——私の記憶によりますと昭和二十年の八月でありましたか、日本民主化に対するマツカーサー指令として出されました五項品にわたる指令の内容の中に、日本政府労働組合の結成を促進して、その民主化をはかるべしということが明記せられてあつたことを記憶いたしておりますが、その精神に照らし合せてみますならば、このマ書簡の考え方と申しますものは、先ほど私が申しましたように決して抑圧政策をとれというがごとき、そういう内容を含んでおるものとは、とうてい考えられないのであります。しかるにこのマ元帥書簡に聽いて出されましたところの政令二百一号、あるいは国家公務員法というものの内容に至りましては、このマ元帥の書簡の内容をはるかに上まわつた、端的に申しますならば、民主的な労働組合までを抑圧するがごとき印象を与え、また実際にそう方策をとらんとするところに、きわめて非民主的なものであつたということが言えるのではないかと私は思うのであります。ためにわれわれ教職員を含めて日本の公務員に対して与えた影響というものは、物心両面にわたつてきわめて重大なものがあるのであります。すなわち精神的には、せつかく芽ばえておりました民主化に対するところの公務員あるいはわれわれ教職員の熱意というものは、これによつて漸次喪失の傾向に向つて、その背後から生れて来たものは、いわゆる反動と称するもの、あるいは極端な右翼的な偏向と申しますか、そういうものが再び擡頭のきざしを持ち始めたので赤ります。物質的にはそれが国家公務員の経済生活への圧迫となつて現われて参つたのであります。このことは單に公務員個々の問題にとどまらず、一方におきましては極端な考え方を持つ極右あるいは極左に対する絶好の口実を与え、正常な民主主義の発展を大いに阻害したことは、私ども事実であると断定してさしつかえないと思うのであります。このような幾多の惡結果を招来している政令二百一号及び国家公務員法に対しまして、私どもは爾来内外の輿論に訴えまして、その反対を続けて参りました。その結果、この政令法律が持つているところの非民主性、あるいは矛盾というものが、逐次理解せられまして、国内はもちろん、民主的諸国家におきましても、最近においては改正の要があるという声が、漸次高まりつつある状態であります。こうした客観的な事情であるにもかかわりませず、今まつたくこれと内容を同じくし、まつたくこれと性格を同じくするところの地方公務員法なるものを制定しようとしていることは、あまりにも時代の推移に対して無関心であり、また本末を誤つている措置であると、私は断定せざるを得ないのであります。むしろこの際公務員に対する進歩的な法律制定を顧慮されるのならば、積極的に国家公務員法の改正を企図せられるのが至当ではないか。かように考えております。  次に提案せられております地方公務員法案の内容についてでございますが、まず第一に私は教職員として指摘しなければならないことを申し上げたいと思います。それは国家公務員法が犯している一つの矛盾点、いわゆる直接行政事務には何ら関係のない教職員、われわれのような従来からの身分取扱いに関しで、特殊的な関係にあるものまでを、この法律一本で律して行こうというふうな考え方をしている点であります。はなはだびろうな話にわたりまして恐縮でありますけれども、みそもくそも一緒だということをよく言われますが、まさに私はその通りではないかと思うのであります。いまそのことがどのように不合理な結果を招来しておるかという点について時間がありませんので一つの例だけを申し上げたいと思うのでありますが、現在教職員の場合、市町村立学校教職員は、その身分は市町村にあるのであります。従つてこの法律で述べているところの教職員に対する地方公共団体と申しますものは、法律に従いまして当然市町村の当局ということになつて来るわけであります。そういたしますと、第五十五條にあるところの交渉の相手というものは、一体教職員の場合にはどこかということになるのであります。一面身分は市町村にあるけれども、市町村には任命権あるいは監督権というものは法律上何ら存在しておらないのでありまして、地方におきまして、現在教育委員会がほとんど設置せられておらない状態から考えまして、現在におきしましてのこれら市町村立学校教職員の任命権、監督権はすべて県の教育委員会にあるわけであります。そういたしますと、監督権もあるいは任命権もないところの市町村に対して団体交渉を持つ、こういうふうなまことに不自然きわまる現実に即せない結果が、この法律によつて現われて来るわけであります。また同様に第七條に規定されております人事委員会公平委員会でありますが、これについても今申し上げました身分の問題と、それから任命権、監督権の問題におきまして、やはり同様疑義が生れているのであります。これは單なる例をげあて言つたのでありますが、含んだためにどのような矛盾が実際に現れるるかということは、最近私は地方に参りまして、教育委員会の方にも聞いたのでありますが、実に困つておる。現在においては教育委員会自体が知事との関係において、まことに複雑な関係になつておる。それに今度は人事委員会公平委員会ができて、身分関係に対しての何だか対立的な機関が生れる、これによつて特殊的な教職員の身分取扱いに関しましては、さらに複雑な形態を備えて来る。こういうようなことを強調しておりましたが、まさにその通りであろうと考えるのであります。  次に重要な問題は第三十七條及び第五十五條、五十八條において憲法第十四條、十八條、十九條、二十五條、二十七條、二十八條に規定をいたしております国民権利、特に勤労者の諸権利をうたつた條項に聽いて制定せられておりますところの労働組合法労働関係調整法の適用を排除し、さらに労働基準法適用についての制限考えている。のみならず、罷業権はもとより、平和的な団体交渉権、あるいは団体協約権というものをも事実上否定してしまつておるということもあります。公務員と申しますが、少くとも俸給をもつて個人的な生活を続けている以上、勤労者の立場においては何ら一般労働者と異なるところはないのであります。それが四六時間軍に公務員あるいは教職員という名前を冠せられたことによつて、このような大幅な制限を受けるということは、現在の民主的憲法下においては、われわれとしてはとうてい忍びないところでありまして、納得できがたい問題であります。むしろ平和的な団体交渉こそ、現在の段階におきまして、われわれ教職員立場におきましても、とかく官僚的、一方的になりやすい教育行政のこうした非民主的な傾向を廃し、教育民主化に対して、大きな推進力を与えるものであると、私は確信をいたしているものであります。かつて官僚的な教育行政が行われた際に、盆であるとか正月であるとかには、いわゆる視学と称する人々の宅には来客引切らず、また到来物がうず高く山のように積まれたということを、私はたえず先輩から聞かされておつたわけでありますが、最近こうした非民主的な、いわゆる人事行政なり、あるいは教職員の身分の取扱いというものは、終戰後においては非常に少くなつた。いわゆる情実的な行政というものが、逐次廃されておるということは、今まで取り来つた民主的な団体交渉の結果に基く点が、非常に大きかつたのではないかと私は考えおるものであります。そもそもこの労働関係法規と申しますものは、民主的社会における社会法として、民主化一つのバロメーター、あるいは民主化の支柱として考えられ、尊重せられてあつたものでありまして、わが国におきましても、制定当時民主的な諸外国から、その制定を絶讃をもつてたたえられたものであります。このような重要な意義を持つております労働法の適用を否認し、その労働基本権をも剥奪してしまおうと考えておるこの法案の内容に対しては、私は賛成することができないのであります。  次に重要な点は、第三十六條の政治的行為の制限であります。先ほども述べられておりましたように、この問題を取扱う場合に、われわれ日本国民として厳粛に考えてみなければならない重要な問題があるのではないか、かように思つております。それはくどくどは申し上げませんが、過去におきまして、個人の政治活動を封じたために、一体どのような結果を日本国民あるいは社会に与えたかという事柄であります。この事実を私どもほんとうに真剣に考えるならば、個人の政治活動を禁じようなどというそうした考えは、とうてい起り得ないと思うものであります。こうした危險な考え方を考えようとしても、われわれは今までの苦しい、今までの自分たちの尊い犠牲によつて得られたこの一つの民主的な自由というものを、みずからが否定して行こうというふうな考え方には、とうてい立ち得ないのではないか、かように考えております。もしこのようなことが実施せられるとするならば、一体憲法が保障しておるところの権利というものは、どういうことになるのかというふうに、私は疑いをさしはさみたいのであります。特に教育の場合におきましては、第一次教育視察団の勧告にも、教育は常に自由の雰囲気の中においてのみ育つものである。またその教育の自由の確立は、教職員がそれ自体の自由を確保することによつてて推進が行われるのであるということを述べております。このように、民主国家の推進力となる教育は、少くとも教職員自体の自立性と自由の確立の上においてこれがなされるのであります。かような観点から申し上げますならば、いかようにしても私どもはこの教職員の自由というものに対しては絶対に確保しなければならない。そうしなければ、ただ民主的な教育と口では言いますけれども、形式的なものに堕してしまつて、時の国家権力によつてどのようにでも左右されるというふうな、非常に基底の薄いものになつてしまうおそれがある。再び過去の誤りをおかすようなことは万々あり得ないと考えてありますけれども、その危險性については十分そうした場合において考慮しなければならない問題となるのであります。教職員も含めまして、約百七十万に上ります地方公務員が、投票権を除きまして、ほとんど政治的な自由がないなどというような事柄は、私は寡聞ではありますけれども、米国あるいは英国その他民主的諸国家の例を見ましても、それを発見することができないのであります。先ごろ日教組の岡委員長が英国に参りました際に、この問題を提議いたしましたところ、向うではとんでもない問題であつて、とうていわれわれ英国人には理解できないといつて、その非常に不当だということについて、なじつておつたということを聞いたわけでありますが、こうした例を見ましても、英国等における考え方は私どもは十分に把握できるわけであります。もちろん教職員といたしまして、その職務に專念しなければならないことは当然であつて、その本来の職務遂行に重大な支障を来したり、あるいは公共の福祉に反するような政治的な行為に関しましては、深い考慮を払うと同時に、これについては、厳戒をしなければならないことは私の今さら論をまたないところであろうと思うのであります。しかし法案の規定はこれらと何の関係もない個人の政治的行動までを禁止しようとしているのでありまして、あまりにも行き過ぎであるといわざるを得ないのであります。  次に申し上げたい事柄は、この法律は本質的に身分保護法的な性格を骨子として持たなければならないにもかかわらず、保護規定というものは非常に少く、かつきわめて形式的であります。反対にいたずらな制限規定あるいは義務規定が多くて、極端に言えば、かつての官吏服務紀律的な性格に、やはり終始しておるということであります。この点につきましては、他の公述人からも詳細にわたつて話がありましたので、詳しいことは省略させていただきたいと思うのでありますが、例をあげれば、先ほど神奈川県知事さんの方から言われておりました人事委員会公平委員会の問題でありますが、任命権者が知事であり、あるいは市町村長である。この人々によつて任命された委員によつて構成されたものが、われわれの保護機関としてこれにあずかるのだという事柄であります。はたして実際的にそういうことが成立つのであろうか。理論的に申しましても、これがはたして第三者的な保護機関ということが言えるでありましようか。地方の実情をよくおわかりの方々には、私の言つておる意味がすぐ受取つていただけると思うのであります。また現在の人事院を見ましてもよくわかりますように、勧告すら実現できないような非常に弱い立場に置かれております。幾らこうした機関がありましても、知事とかあるいは市町村長とかいう人の、そうした立場を防護する機関にはなり得ましても、決してわれわれに対して積極的な保護を加えようというような形にはなり得ないのではないかと考えるのであります。  さらに分限あるいは懲戒、服務あるいは勤務成績の評定等の條項につきましては、ほとんど何々せねばならないというふうな規定と、理事者が一方的に判断した結果によつて、どのようにでもその身分が左右できるような、きわめてあいまい模糊とした規定を終始羅列しておるのであります。それに対しまして、保護の面でありますが、給与にいたしましても、あるいは厚生福祉の制度にいたしましても、すべて原則的にこうあらねばならぬというようなきわめて抽象的な、きわめて期待の薄いようなこの規定によつて終始いたしておるのでありまして、このような規定でありましては、とうてい保護とか、あるいは福祉であるとかいうことについての実際的な効果は、われわれは望み得ないのであります。このような制限あるいは義務阿東をもつて第一義としているような、この法案に対しては、私どもはとうていこれまた賛成することができないのであります。  以上はなはだ概括的でありましたけれども、大体四つの点にわたりまして、反対意見を集約して申し上げたわけでありますが、私どもといたしましては、根本的にこの法律に対しては、再検討を加えていただくという必要を考えてあるわけであります。どうしてもこうした身分法規というものを制定しなければならないという場合におきましては、最低限これだけはぜひ皆様方に確保していただきたいという点を、主要点といたしまして、三点申し上げたいと思うわけであります。  第一点は先ほど申し上げました政治活動の面でありまするが、それに対する制限は三点にとどめる。一つは勤務地管内における政治的行為であり、二番目はいわゆる職場における政治行為しかも勤務施設内における政治行為、三番目はことに職権をもつて行うところの政治行為、以上の制限にとどめるということであります。  第二点といたしまして、団体交渉権、協約権の問題でありますが、現在の法律におきまして、私が先ほど実際的に否認という言葉で申し上げました通り、何ら実質的な効果、むしろ将来において逆に言えば紛争をかもし出すような規定である。そういうふうに不明確なものでありますので、これを明確にする必要がある。そのために、次のようにこれを三点にわたつて明瞭にするということを、ぜひお考えいただきたいのであります。第一点は、現在の法案の中にその言葉を引例いたしますと、職員給与、勤務地その他の労働條件に関し、当局と団体交渉を行うことができるという交渉団体であるということをはつきりする。その次にその交渉の結果は、法律に抵触しない限りにおいて、当局と書面による協定を結ぶことができる。これは自治庁においても、あるいは私ソウルター氏とお会いいたしましたときもその言葉につきまして、いろいろ承つたのでありますが、原案で申合せでやつておりますが、申合せも協定もこれを英文に訳した場合には、やはり同じようにやはりアグリーメントという言葉を使つております。そのような意味におきまして、申合せと、わざわざなんだかピントのぼけたような表現の仕方をする必要はないと思うのであります。協定で十分だと考えております。三番目は交渉の結果すつたもんだやつて、それがたまたま双方が現在のように非常に協力的に行けばいいですが、理事者が非常に傲岸で、その交渉を拒絶した、それに対して職員団体がそれはけしからぬということで、そこですつたもんだが始まるというようなことは、これは地方行政の能率的運営から考えても、決して好ましい姿ではないわけであつて、ともに民主的な一つの会合によつて事態を解決して、地方行政に資して行くという事柄が、これが正しいやり方であるという点から、そういう紛争が何のことなしに事態を引延ばして行くような形態にならないように、その交渉の結果生じた粉雪については、これは人事委員会に権限を持たして、提訴をするという一項を入れる。なお協定を結んだが、それについてはどうなるかわからぬといえば、またさらに紛争が單なる。こういうことではなしに、協定をやはり誠意をもつて履行できるような、そういうはつきりした双方に対する義務を与えるために、ここにその不履行に関しては、人事委員会に提訴することができるというふうに、この交渉権のいわゆる締めくくりというものをはつきりさせておかなければならない。これがほんとうに私は平和的民主的に問題を解決するゆえんである、かように考えておるわけであります。  第三点は、これに関連いたしまして、人事委員会公平委員会は先ほど申し上げました通り、あれだけではとうてい保護機関ということは言い得ないのであつて、真に保護機関とするために、これに必要な措置を講ずる、従つて人事委員会公平委員会に紛争処理の権限を与えるということが一つ、次に今度は構成の問題でありますが、知事、市町村等の理事者の一方的任命によらずして、やはりこれを民主的な形態を考えまして、職員及び理事者及び中立の三者をもつてこれを構成して、職員に対する保護機関という形態にする。以上の三点にわたりましたものが、私どもとして最低限皆様方にぜひ確保していただきたいと考えておる問題点であります。  以上はなはだ簡單でございましたが、私の意見の開陳を終りたいと思うのでありますが、最後にこの問題に関しましては、全国五十万の私ども教職員は非常に、非常にと申しますよりも、異常な関心と決意とを持つて、この法案の成行きに対処いたしております。そういう私ども教職員の現在の心境というものを、十分御推察くださいまして、われわれが要望いたしております諸点につきまして、ぜひ実現方を期していただきたいということを御希望申し上げまして、はなはだつまらない開陳を終らせていただきたいと思います。
  53. 前尾繁三郎

    前尾委員長 日本自治団体労働組合総連合徳永利雄君。
  54. 徳永利雄

    ○徳永公述人 日本自治団体労組総連合の徳永であります。  この法案はようやく四年目に日を見たというように言つておりますが、その間この法案が私どもの生活はもちろん、その他の基本的人権やあるいは地方自治の消長にも非常に深い関係がございますので、私ども深い関心を持つて来たところであります。この機会に端的に卒直に私ども意見を申し上げたいのでありますが、その前に私は昭和二十二年の十月二十一日に公布されまして、翌年の七月から施行されましたところの国家公務員法が、どういうふうになつたかということを思い起すのであります。それで幾らかの違いはありますが、ほとんど身分あるいは労働條件を同じくしております地方公務員国家公務員の場合を比較することも、きわめて重要でないかと存じますので、国家公務員法ができましてからの経過を、私は振りかえつてみたいと思うのであります。国家公務員法地方公務員法も、その目的としまして、第一に公務員制度に関する基本、基準の確立、第二点としまして、行政の民主的かつ能率的な運営の保障、こういうことをうたつておるのであります。この目に対しましては、私ども何ら異論をさしはさむものではないのでありますが、国家公務員法が行われましてから、その後二年半の間に、はたしてその所期の目的を達成し得たかどうかということについて検討を要すると思います。この際最も注意すべき点は、国家公務員法の二十三年の七月の修正のときに出されましたところのマツカーサー元帥から、芦田内閣総理大臣にあてた書簡であります。この書簡の中にこういうことがうたつてあるのであります。「本制度は日本における民主主義の成功を阻んだ旧官僚制度の種々の宿弊を是正するに足る建設的計画を定めている。」中、ときどき飛びますが、御了承願いたいと思います。「国会が人事委員会を通じて、科学的人事行政の原理を適用し、かつ公務員制度、公務員の充足、報酬、官紀、年金及び雇傭に伴うその他の條件を標準化するという考え方に立つているのである。民主主義の考え方に基くかかる制度は、法律の忠実な実施と政府の仕事の能率的運営とを最高の職責として、政治や特権の圧迫に屈しない意図の下に作られたものである。」また「国家公務員法は、本来、日本における民主的諸制度を成功させるには、日本官僚制度の根本的改革が不可欠であるとの事実の認識の下に考えられたものである。」こう言われておるのであります。それでその後の結果を見ますと、私は残念ながらとれとは逆の結果を来しているのではないかということが考えられるのであります。すなわち国家公務員法の施行後、公務員の労働組合は非常に不活発になつて来まして、そのために官公庁の民主化が阻害された。また官僚制度の復活も助長されたのではないか。皆さん方が事実においてその市長あるいはその他の特権的な存在に対して従属する、あるいは大衆へのサービスを等閑視する、こういつたようなこと、また一方的独裁的な人事が行われて、労働條件の標準化ということも、事実上は混乱を来すようになつて来ておるのではないか、かように存ずるのであります。また同じくマツカーサー元帥は、十二月一日の国家公務員法の修正案成立の際における声明の中で、「この法律によつて公務員の権威は新たに一挙に引上げられ、無責任な少数派の圧力による侵害行為から保護されると同時に、公務員各個人に対して他の地位にあるすべての日本国民に対するよりも大きい保護が与えられることになつた。」こういうことを言つて脱帽されておるのであります。しかしはたしてその後公務員の、あるいは公務員制度の権威が伸張されたかどうかということについて、疑いなきを得ないのであります。このことは、人事院にいろいろ官公吏の不平不満などがたくさん集つておるそうでありますが、こういうことによつても明らかであります。また給与に関する人事院の勧告も、実際上産業労働者などに比し、特に産業方面に働いております同じような育ちをして来ました職員給与に比しまして、わずかに半ばを越えるといつたような状態に置かれておるのでありまして、こういうことによつても明らかであろうと存ずるのであります。また使用者の都合によつて容易に首切りが行われる。しかも労働法の適用排除によりまして、その救済が受けられない。もちろんその救済の方途は開かれておりますけれども、私ども寡聞にして、事実上それが救われたというのは、飯山生産庁長官以外には、残念ながら聞いておらないのであります。このような事実と結果から見まして、地方公務員法案が成立施行されました場合を考えますときに、いまだに中央以上に封建的の残存しております地方自治体において、どういうふうな事態が発生するであろうかということは、容易に想像するところであります。従いまして、終局においてこの法案が通過施行されましたときに起る事態は、この法案の施行によつて起る被害者は、私ども公務員であり、またこれらが不活発な活動によりまして、一般国民大衆が非常な迷惑をするのではないかということが考えられるのであります。  以下法案の内容に対します具体的な若干の意見を申し上げたいのでありますが、先に申し述べられました公述人である辻原さんの意見と、大体同様でありますので、簡單に申し上げたいと存じますが、この法案は、マツカーサー元帥の書簡にも見られるように、私ども保護を中心として規定されなければならない。しかるにこの法案の全般を流れておりますものは、公務員を統制しようとする、縛ろうとする、こういつたような色彩が非常に濃厚なことであります。私どもポツダム政令の二百一号によつて、現在ある程度の制約を受けております。この制約を受け、あるいはこの制約を除いて労働三法が完全に適用されるとしても、もちろん終戰直後にあつては少し問題があつたようでありますけれども、終戰後五箇年を経過した今日におきましては、おそらくはわれわれと理事者との労働関係は、円満に遂行し得るということを自信しておるのであります。こういうような建前から考えますならば、どうしてもこれはマ元帥が指摘されましたように、保護法を中心とした規定でなければならないということを考えるのであります。なお全般的に見まして、これはポ政令二百一号の横すべりであり、また国家公務員法の焼直しである、こういうふうな感が深いのでありますが、おおよそ同じような性格を持つておりますけれども、その行政運用面などにおきましては、国家公務員地方公務員の場合は、非常に性格が異なるのでありまして、従つてそこに当然異なつた配慮がなされなければならないと思うのであります。  次に人事委員会の問題でありますが、現在まで地方自治法その他のいろいろな関係法令によりまして、私ども理事者との間の協定は、大体スムースに行つておるのであります。これが、なぜ別に人事委員会その他によつて勧告せられなければならないかということを疑うのであります。ことに、今までのような国家公務員に対する人事院の行き方その他を考えてみますならば、そういつた制度ができました後の、現に現われております千円べース・アップ問題の給与にしましても、非常に上に厚く下に薄い傾向があるのでありまして、実際の活動面に立つております青年公務員に、非常に圧力が強くなつて来るのではないか、こういうことが考えられます。人事委員会というような、いわゆる民主主義的な機関であるごとく装つておりますけれども、これはおそらくは、先ほどの神奈川県知事の内山さんのお話にもありましたけれども、使用者の責任が非常に不明確になる、人事委員会を設けたために非常に不明確になる、こういうことが実際上出て来ると存ずるのであります。これは政府人事院との関係におけると同じようなことだろうと存じます。従いまして給与などの勧告がかりに行われるといたしましても、今まで国家公務員に行われましたように、勧告の出しつぱなし、聞きつぱなし、こういつたような状態が出て来るのではないかと思うのであります。人事院の不満に対する状況を、私ども国家公務員から聞きましたところによりますと、人事院の存在について七〇%ばかりがその不満を持つておる、否定しておる、こういうようなことを聞いておるのであります。はたしてどういうふうな新しい構想、新しい運営が持たれるかしりませんけれども、おそらくはあまりかわらない状況が出て来るのではないかと存じます。ことにまたこの機構地方に持込むことによつて地方財政あるいは事務の負担を多くするということは、理事者であります神奈川県知事も指摘された通りであります。  それから次に政治活動制限についてであります。私どもに与えられましたところの最低の権利であり、憲法に保障されたすべての政治的自由のうち、ただ投票をする自由ということだけで、その他の自由はすべて剥奪されておるのでありますが、こういうことになりますと、おそらくは私どもが政治的不具になりはしないかということを心配するのであります。従いましてその結果は、おそらく直接行政の末端におきまして、県民あるいは市町村民に接しております関係上、市町村民を盲にし、あるいはつんぼにする、あるいはおしにする、こういつたような結果を招来することは明らかであります。またこの政治的制限は、公務員の中立性を保持する、政略人事から守るというふうなことを上げられているようでありますが、一方において馘首が非常に楽になつて来ている。これは先ほど、やはり神奈川県知事が指摘された通りでありますが、こういうふうになつて来ますと、政治的に自由であり、またその信用を得ている市長のもとに働いております公務員は、非常に政治発に支配されるという結果を生むと存ずるのであります。私ども労働組合を結成しました一宇の理由は、もちろん私どもの経済的地位の向上ということが主要な目的でありますけれども、また一半の理由としまして、官公庁の民主化ということが、大きく取上げられておるのであります。おそらくは、これはすべての組合に取上げられている問題であり、目的であると存じますが、それが非常に不活発になつて来る。従つて官公庁内部における民主化、不正、腐敗の防止、こういつたようなことは、とうてい実現し得なくなるのではないか、こういうことが考えられるのであります。しかもこの政治活動制限法案を見ますと、公布後二箇月で発効することになつておりますが、あるいは政治的意図のもとに行われるのではないかというふうな懸念もいたすのであります。従いまして、こういつた政治的制限は全廃いたしまして、憲法に保障されたすべての自由が確保されなければならないと存ずるのであります。  次に団結権、団体交渉権でありますが、法案を見ますと、労働組合法に定めましたような団結権あるいは団体交渉権といつたようなものでなく、非常にきつい制約のもとにある。言葉をかえて言いますと、共済組合的なものになるのではないか、こういうにおいがするのであります。またその組織につきましても、法律によつて容赦しておりまして、組合員の自由な意思が伸張されない、こういつたような内容も盛られておるのであります。おそらくは、これが行われます場合は、あるいは理事者の意に沿われない組合ができたなれば、また人事委員会の意に沿わないような組合ができたなれば、これに対して解散を命じて、あるいは性格を変更させる、こういつたようなことも、事実上起きて来るのではないかと思われます。もしかりに気に入つた団体としましても、対等な立場で交渉をするといつたようなことは、もちろんうたわれておらないのであります。これは結局において、現在ともかく対等的な立場において交渉して来たものを切下げまして、理事者の自由な意思によつてこれを低下して行ごう、自由を剥奪して行こう、こういう意図ではないかと思います。  次に適用の範囲の問題でありますが、これは午前中からの公述人もたびたび述べられておりますので、簡單に申し上げたいと思いますが、わずか四業種を別に扱うということになりまして、他の現業的な職種を全然考慮されておらないのではありません、いつかやられるそうでありますけれども、当分の間一般職員と同じように、わくの中に縛るということでありますが、こういつたことは、まつたく労働者の事情を無視したことでありまして、私どもの絶対容認し得ないところであります。  次に罰則の問題でありますが、この法律に違反した者に対しまして、体刑規定があるようでありますが、これは非常に彈圧的性格を持つたものだと思います。また私ども寡聞にして、公務員法において体刑を科しているのは、ほかにないというふうに聞いております。  こういうふうな内容からいろいろ検討してみますと、その意図するところは、私ども労働條件あるいは職場秩序の確立、あるいは能率の向上、こういつたようなことではなく、労働組合を一方的に彈圧しよう、あるいは御用化しよう、こういうふうな意図ではないかということ、それが最近の全般的な反動攻勢と照し合せまして、痛切に感ぜられるのであります。  大体以上のような考え方を持つているのでありますが、重ねて結論として申し上げたいのでありますが、理論的に見ましても、また実際的な面から見ましても、現在地方公務員は、ポツダム政令の二百一号によりまして制限を受けておりますが、これは先ほども論議されておりましたが、これも廃止いたしまして、労働三法完全適用によつて、スムースに理事者との間に交渉が持たれ、また地位の向上あるいは事務能率の高揚されるということが望ましいのでありまして、こういうことによつて初めて地方行政の明朗闊達な、そして民主的な方向が見出されると思うのであります。このことをもう一つ裏返してみますと、地方公務員法の制定によりまして、非常に職制の圧迫が強くなり、官僚制度が復活助長され、情実人事であるとか、あるいは独裁人事であるとか、こういつたようなものが行われまして、ようやく民主的に建直りつつありますところの職場秩序が破壊されまして、旧来のような事態が起つて来るのではないか。従つて非常に萎摩沈滞した公務員は、あるいは骨扱きになり、あるいは事なかれ主義になり、あるいは上すべり主義になるというふうな結果になると信ずるのであります。従いまして、結論的には、この法案の提出は不要であつて、撤回すべきであるというように存ずるのであります。  なお、国家公務員法の施行につきましても、先ほど触れました通りであつて、もし地方公務員につきまして、この法案を施行するなれば、国家公務員法の実際に行われております状況を、こちらの方で調査員といつたようなものをつくりまして、その功罪を調査し、しかる後に、本来の目的に合致したような考え方で、新しく根本的に建直す必要があるのではないか、かように存ずるのであります。こういうことによつてのみ、おそらくは地方行政民主化ということが、実現すると存じておるのであります。私ども、終戰後五年になりますが、非常に劣惡な労働條件の中で、及ばずながら地方行政の確立のために剛つて来たのでありますが、不幸にして現在のような状況に置かれております。皆さん方も、もちろん選ばれて国会に出て来ておるのでありまして、一般国民の意思、これは私ども以上によくおわかりのことと存ずるのであります。従いまして私が今まで申し述べましたようなことを十分に御了察くださいまして、この法案がりつぱな本然の形において現われるように、御努力をお願いしたいのであります。  非常にまとまりにくいと存じますが、以上をもちまして私の公述を終ります。
  55. 前尾繁三郎

    前尾委員長 次に伊藤正丞君にお願いいたします。
  56. 伊藤正丞

    ○伊藤公述人 私ども地方公務員地方職員は約百三十五万おるわけでありますが、これが理事者と一体になりまして、中央日本自治会館というものをつくつております。これは地方自治の民主化のために、いろいろ中央のサービス・センターとしてつくつてあるわけでありますが、そこの役員として私は本法案に対するところの公述をいたすものであります。  まず地方自治の確立ということが、日本におきましては最も緊急事であります。そしてこの地方自治の確立に対しましては、地方公務員地方職員の身分保全という見地からなさなくてはならぬのであります。本法案の提案理由を読んでみますと、一応ごもつともなことが書いてあるわけでありますが、この提案理由を見、そしてまた法案を読んでみますと、法案とはまつたく相反するものであります。つまり保護規定でなければならぬところの本法案は、提案理由にはそういうぐあいに書いてあるわけでありますが、まつたく違つた意味に受取れるのであります。まず提案理由によりますと、国家公務員国家公務員法を制度いたしまして、それに律せられているから地方公務員においても同様に取扱われなければならぬ、かように申しているのでありますが、この点ははなはだ不可解であります。しかも前公述人も申し上げましたように、国家公務員法の対象は、十分なものではないわけであります。先般来いろいろな国家公務員に対しての事件が起つております。だがその問題はほとんど解決されていないのであります。午前中の公述人内山知事は、この法案中にとりえがあるならば地方公務員の首を切ること、やめさせることが立法化されたことである、こう言つております。こういうようなことになりますと、この法案職員の首を切るためにできたというような感を受けるわけでありますが、こういうようなものが出て、はたして地方公務員が安心をしてその職にとどまることができるでありましようか。決してそうではないと思うのであります。しかもそういうような戰々兢々とした状態におきまして、地方民主化のため、地方行政のために一身をささげて働くことができましようか。つまり第二十八條によりますと、「左の各号の一に該当する場合口においては、その意に反して、これを降任し、又は免職することができる。」とあるわけであります。この第一項には「勤務実績が良くない場合」こういう項目があるのでありますが、この勤務実績のよくないということを、だれが判断するのでありましようか。すなわちこれは任命権者あるいはその係の人事部長なり人事課長というようなものが判断すると思うのでありますが、このことが起つた場合にどこで救済するか。もしもそれが不当であつた場合には、人事委員会に提訴して、そこへ持つてつてきめてもらえということに、この法案ではなつておるのであります。ところがただいま申し上げるように、国家公務員の場合も人事院がこれを救済しなければならぬ。公平委員会におきまして、公平課においてこれを救済しなければならぬということになつておりますが、今まで昨年八月以来国家公務員の数千件がここに上程せられております。しかるに飯山水産長官を除きまして、ただの一件も救済をされていないのであります。しかもその大部分はいまだに解決をせられないというような状態であります。こういうような状態ではたして救済ができるでありましようか。なおその後におけるところのいろいろの項目があげてありますが、これは一にかかつて首を切ることがスムースにできるというような條項であります。こういうようなことでは決して地方公務員は安心をして働くことができないのであります。しかもまた国家公務の場合と地方公務員の場合打とが非常に違うのであります。一例を私が奉職しておりますところの名古屋市に例をとりますと、名古屋市の行政機構に携わつておる者は、約一万一千百名おるわけであります。そのうちにおきまして交通事業に五千名、水道事業に八百五十名、復興すなわち、土木事業をやつておるのでありますが、これが八百名、保健福祉が一千二百名、これは市民病院あるいは保健所等であります。興農作業四百五十名、これは糞尿のくみとり、その他をやつておる事業であります。経済が百名、教育が七百名、住宅が五十名、総務理財が四百五十名、区役所が千五百名、こういうような状態になつておるのでありますが、この配分を見ますと、ほとんどがアメリカ等におけるところの行政機構中には含まれておらないところのものであります。このうちにおきまして、アメリカ等における州あるいはその他においての行政機構と称するものには、この区役所あるいは総務、理財、こういうような約二千名の者がこの中に入つておりますが、このうちにも小使さんとか、あるいはその他の給仕さんといつたような單純な労務に属する者も入つておるわけであります。すなわち一万一千百名のうち約二割が、行政機構に携わつている、こういうような状態なのであります。すなわち二割の者のために全般が律せられるような地方公務員法は、まつたくその趣旨、と実質とは違うのではないか、こういうように考えるわけであります。なお具体的例としまして、この法案中に非常な矛盾を持つておるということの一例を申し上げますならば、水道事業でありますが、水道事業と下水道というようなものが分離されております。これは大方のところにおきましては、水道事業一つの局あるいは部あるいは課というようなところでもつて律せられております。すなわち名古局市で申しますならば、水道局の中に上水道、下水道という課があるだけでありまして、まつたく一心同体になつてつておるわけであります。これをこの法案によりますと、上水道のみが公企業体として別個の処置がとられ、下水道地方公務員法によつて律せられる、かような状態でありますが、こういうようなことはまつたく現実を無視したところのものでありまして、かようなことが行われますならば、下部の行政機構において大混乱を来すことは当然であります。すなわちこういうような点は、調査が十分でない証拠であります。  次に申し上げたいのは、財政の問題でありますが、今まで人事院におきまして、あるいは公企業体法の十六條ないしは三十五條におきまして、国鉄、專売の裁定がなされております。あるいは人事院勧告によりまして八千五十八円ベース、あるいはその前にも勧告がなされているわけでありますが、人事院が立ち始まりまして以来、国家公務員に対しまして、はたして何らの保護施設が行われておりましようか。ただの一件も国家公務員を救済するような施設は、行われていないのであります。こういうような現状からいたしまして、かかる不適当な法律を、ただ單に国家公務員がやられているから、地方公務員にも速急にやらねば間違つているのだというようなこの立案の趣旨に対しましては、反対をせざるを得ないのであります。なおこの法案の中におきましては、非常に制限法規的なものが強く含まれております。すなわち政治活動の禁止というような点が強くいわれておりますが、これは前公述人におきましても、るる述べられておりまするので、私からはあまりくどくどしく申し上げませんが、ただいま申し上げましたように、大体この八割は、單純労務に属するものであります。すなわち病院関係、あるいはくみとり、あるいは焼場の人夫、あるいは道路工夫、こういうようなものがほとんどであります。あるいはその中におきましては、試験機関等が設けられておりますが、試験機関というものは、まつたく工場と同じに、旋盤あるいはミーリングその他のことを、民間の委託を受けてやるものであります。こういうようなものをすべてこの地方公務員法によつて律するということは、非常な間違いではないかと考えるのであります。すなわち政治活動の禁止ということにつきましては、人事院の法制局長であります岡部さんが法律時報で言われておりますが、衆議院議員選挙法第九條によつて、裁判官、警察官あるいは收税官吏、こういうような者は、衆議院議員の被選挙権を有していない。こういう立場にあるのでありますから、国家の官吏も当然政治活動を禁止していいというような御意見が載つておりますが、これはまつたく間違つておるのであります。すなわち地方公務員におきましては、ただいま私が申し上げましたように、ほとんど民間作業と違わないのが大部分であります。約八割のものが、病院にしても民間病院と何らかわるところがないのであります。屎尿のくみとり等はお百姓と何らかわりがないのであります。あるいは港湾においても民間港湾と何らかわるところがない。土木におきましても一般の土建業者と何らかわりがないところの作業をやつておるのであります。こういうようなものを法律によりまして政治活動の全面的禁止というような状態に置かれますことははなはだ不合理であります一もちろんわれわれといたしましては、公共の福祉のために、ある程度制限ということはやむを得ないと思うのであります。すなわち基本人権を制限されるということも、やむを得ないと思うのでありますが、これはいかなる程度においても、やつてよいというものではないのであります。基本人権はあくまで尊重せられなければならないものであります。すなわち最小限度において公共の福祉を傷つけるところの基本人権を制限するものでありまして、かかる民間事業と何らかわらないものを律するこういうような制限法規を設けるということに対しては、全面的に反対であります。かかるものが実施いたされまするならば、決して地方行政民主化されないのであります。  それで私はここに一つの提案を申し上げたいと思うのであります。と申しますのは、この地方公務員の問題は、ただいま中央における議会で御審議いただいておりますが、これは中央よりも地方に非常に大きな関係があるわけでありますから、全国的に公聽会を開いていただきまして、地方有識者並びにこれらに従事しておる職員の全面的意見を聞いていただきたいのであります。すなわち地方における公聽会を各所に開いていただきたい。  次にこの際、前公述人が申しましたように、職員その他議員諸賢あるいはその他の有識者を含めましたところの調査委員会を設けまして、国家公務員の場合その他を十分に御調査をいただきまして、その調査団の報告に基いて再審査をしていただきたい。こういうことを切にお願いしたいのであります。  次にアメリカにおけるところの状況と、わが国におけるところの状況が非常に違うにもかかわらず、この法案中にはアメリカの状態をほとんど日本へ移したというようなきらいがあるわけでありますが、これは日本の経済状態と、アメリカの経済状態が非常に違うということの御認識がないのではないかと考えるのであります。アメリカにおきましては公務員は一般民間産業よりも二割ないし五割程度給与がよいわけであります。わが国におきましては、一般民間産業は現在平均給一万二千円と相なつておる、にもかかわらず、現在六千三百円べース——今度千円のべース・アツプをやるといつておりますが、これでは一般民間産業の半分にも当らない状況であります。この国家公務員並びに地方公務員給与が万全でなくしては、決して行政民主化は行われないわけであります。すなわち職員が安心して事業に携わることができないわけであります。そういうような点も十分に御調査が願いたいと思うのであります。  なおもう一つつけ加えておきたいのは、政治活動の禁止でありますが、これは特別職が政治活動の禁止を除外されておりますが、これこそまつたく反対の現象であります。特別職こそ政治活動の禁止をなすべきでありまして、一般單純労務並びに末端の事務員、こういうものに政治活動の禁止をすることは、まことに不当というべきであると考えるのであります。  以上、飛び飛びに申しましたのでありますが、もう一度要綱のみを申しますならば、国家公務員地方公務員とは非常に状態が違う、こういうことを御認識願いたい。それから提案理由には非常に美辞麗句が並べてありますけれども、これとまつたく趣旨の違つた法案がここに提案せられておつて、こういうことはまことにおもしろくない状態である。なおこの説明にもありますように、国家公務員がやられておるのであるから、地方公務員にもこれを実施するというような御趣旨でありまするが、国家公務員人事院等を設けてやられておりますけれども、これは万全ではない、むしろ万全というよりも、非常に苛酷な條件に国家公務員が置かれておる。こういうようなものを十分御調査なさらずに、この法案をお出しになることに対しては、全面的に反対である。なお公企業体その他におきましても、同様なことが言われるわけであります。  それから次に水道、その他單純労務におきまして、分離その他のことをやられることに対しては、これは実情を無視したところのものである。ゆえに調査委員会を設けて、十分に御調査を願いたい。それから地方において十分な公聽会を開いて御意見を取入れていただきたい。かようなことを申し上げまして、私の公述を終りたいと思います。
  57. 前尾繁三郎

    前尾委員長 この際委員各位に申し上げますが、全国町村会長白鳥義三郎君は、都合により出席し得ない旨の申し出がありました。御了承願います。  それではただいま公述くださいました辻原、徳永、伊藤の三君に対して御質疑があればこれを許します。
  58. 立花敏男

    ○立花委員 教員組合の辻原さんにちよつとお尋ねいたしたい。結局この地方公務員法が施行されますと、先生方には致命的であると思われます思想の自由ということが、非常に制約されると思うのでございます。こう言つてはいけないのじやないか、こういうことを教えると首を切られるのじやないかということをお考えになつて、はたして子供の教育ができるかどうか。この点はほんとうに良心的に教育をなさろうとする方には、まつたく致命的なものじやないか。この点をどういうふうにお考えになられるか、困難があるとすればどういう点で、どういうふうな具体的な困難があるか、それをひとつお示し願いたい。
  59. 辻原弘市

    ○辻原公述人 お答えいたします。私もその点非常に懸念する問題でありますが、先ほど申し上げましたように、いわゆる教職員のひとつの欠陷といたしまして、非常におとなしくて従順であつて、しかもまじめであるということはひとつの定説になつておるわけでありますが、その反面非常に社会的な種々の動きに対して、積極的にそれをつかんで行こうとするあるいは思想的な動向、あるいは政治的な動向その他万般にわたつて、個人の識見を高めるということに対する積極性が従来とかく乏しかつた。そういう意味におきまして現在の教育は、具体的に申しまして社会科の教育、その社会科をこなすにあたりまして、現在教育上の非常な問題となつておりますものは、いわゆる教師自身に対してそれをこなして行くだけのいわゆる社会的感覚、時代的感覚というものが非常に乏しいのではないか、こういうことを言われているわけなのです。従つてそういう点から考えますと、私たちとしてはできるだけ、そういう教師自身に積極的にそれをつかもうとする意欲を、減殺するようなひとつの制限というものは、これは教育上における重要な問題として、なすべき事柄ではないと考えておるわけであります。ただ問題となりますものは、いわゆる学内における教育の実際問題に、あるひとつの偏向性を与える、直接教壇に立つて特定の政党を云々したり、あるいは特定の政治イデオロギーに対して、これをもてあそんだりするという事柄は、現代の教育本法の八條の二項におきましても、その点は規定せられておりますように、注意をしなければならない問題である。それは教師個人の問題と違つて、いわゆる与える対象である児童に対して、将来さらに飛躍したひとつの大きなものをつかませるためには、あらゆるものに対するひとつの批判力というものをつちかわなければならないという教育の原理から生れて来ているものである、だから注意しなければならない点と申しますのは、今申し上げました学内における直接教授に対する偏向性という問題であろうと思います。教師自身の問題については、できる限り自由を与えて、より高い思想的感覚というものを持たしむることが、必須の要件であろうと私は考えております。
  60. 立花敏男

    ○立花委員 あなたの方でお触れになりました政治活動の問題でございますが、今まで教員組合は私ども見ておりました点でも、非常に政治活動をおやりになつたと思う、あるいは選挙活動も相当おやりになつたと思うのです。私どもそういう点で、現在でも先生方に対しましては、公職選挙法の中に特別に制限を加えておりますし、あるいは教育本法でも、特にその点は制限を加えておるわけなのでございまして、その点は現在の法規でも相当制約が加わつておりますので、そういう政治活動選挙活動でもそう行き過ぎはないと考えておるのでございますが、現実に違法の事件がありましたかどうか。ひとつ全国的にそのデータをお示し願いたいと思います。
  61. 辻原弘市

    ○辻原公述人 御指摘の最後の方から申し上げたいと思うのでありますが、違反の件に関しましては、いろいろ当局の容疑によつて、検挙されておる件が相当数に上つておるわけであります。しかしながら最後的にこれが有罪であるという点の判決はきわめて少い、と申しますのは、なぜそういうふうなひとつの問題があるか、この点が先ほど他の議員の方の御質問もありましたが、これはひとつは先ほどの問題とも関連があるのでありますが、いわゆる常識として考えのないようなことを、ふつと侵しておる、これは選挙活動が行き過ぎたからというのではなしに、やはり、まことに私どもとしては反省しなければならない点でありますが、法律一かあるいは社会常識と申していいと私思うのであります。そういう点にきわめてうといような性格が教員に弱点としてあるのじやないか。そういう点でたまたま偶然に侵すというようなことで法規に問われておる、あるいはひとつの容疑にかけられておる。こういう例が多いのであつて、実際問題として容疑のかけられておる具体例を見ますと、積極的に選挙運動をやつたか、逆なのです。積極運動をやつておらない。これは一般的にも言えることじやないかと思うのですが、そういう点でこの問題については、そういう行き過ぎというような問題ではなしに、やはりもう少し、そういう選挙なら選挙、あるいはそれに対するひとつのやり方というふうなものについては、はつきりしたその人の法的な見解を持つておらなかつたり、そういうものを知らないがために侵すという点があつたのじやないか。だから盛んに言われております選挙運動行き過ぎという面は、今申し上げましたように、すでに現行法律において制限を加えられておる件に対して、そういう意味からひつかかつておるという問題でありまして、これはテクニカルに関する問題じやないかと私は思う。だからそういう点はわれわれとしては——これは先ほどの御意見にもありましたが、十分厳戒しなければならないと考えておるわけであります。しかしそれと、現在の法律で規定しようとしている個人の選挙活動を禁止しようという論とはこれはまつたく違つたものでありまして、そういうひとつの知らずに侵した事柄があつたからという理由でもつて、個人の政治活動を禁止するという理論にはならないのではないか、このように考えております。非常にぼけましたですが以上のような考えです。
  62. 立花敏男

    ○立花委員 日本教員組合の方では、平和声明というものをお出しになつて日本の独立の自由と平和を守つて行くということを唱道なされておられまして、私ども非常に同感申し上げるのでございますが、地方公務員法が出されますと、せつかくお出しになりました平和声明を実践して行くという面で、非常に支障が起るのじやないか。私どもといたしましては、日教組がお出しになつた平和声明は、日教組も南明の中に言われておりますように、全国民的な運動として、ぜひとも先生方にやつていただきたい。私たちの子供に対しましても、ぜひこの考え方は教壇を通じて教えていただきたいと思つておるのでございますが、このりつぱな日本国民としてはやらなければいけない平和声明の線が、この地方公務員法で蹂躙されるとすれば、非常に重大な問題だと考えるのですが、この点で地方公務員法の実施されたあかつきにおける矛盾の面を、どういうふうに打開されようとしておられるか、お聞かせ願いたいと思うのであります。
  63. 辻原弘市

    ○辻原公述人 非常にむずかしい問題でございますが、平和声明という事柄は、私の考えといたしましては、この法律がもしこのまま実施された場合においても、平和というものは時の政治権力に対して云々という問題ではなくして、われわれ国民が心の底からあり上つて来るひとつの希求というか、希望するものでありまして、そういう見解に立てば、あながちこの問題についてはこの法律によつて規定することはできないのじやないか。但しそういうものに対してでも、かりに平和に対する考え方、方策の相違によつて、これが政治権力に、あるいは時の政治当局に対して、反対をする行為であるというふうに拡大解釈をして、そうした純粋なひとつの考え方、行動というものに制限を加えられて来るというふうなことは、現代の国家形体におきましても、非常にゆゆしい問題ではないか。これこそやはり、先ほどから強調いたしました自由に対する圧迫というような感じを深める原因であります。同様に私は他の問題についても、この法律では同じようなことが言えるのではないか、寄付行為とか、無名運動とかいうようなことも、その前提といたしまして、当局に対して反対をしたり、賛成をしたりするためのものはいかぬということになつておりますが、それをもつてしても、当局に賛成をしたり反対をするというそのいわゆる言葉の概念の範疇でありますが、これは案に考えによつては幾通りにもとれる。その場合に、私ども昨年やりましたが、二千万人の六・三建築予算に対する署名運動というようなものも、かりに時の政府なら政府考えている金額が、われわれの要求するものと非常に違うので、われわれは時の政府考えておる金額に対して、絶対反対の意思表示をして、それを増額するための署名運動をやつた。こういう場合は、それもはたして当局に対する反対の署名運動と拡大解釈することができるかできないか、こういう問題であります。他のあるいは寄付行為でも、慈善事業とかいろいろな場合でも、当局の考えているものと結びついて来るものが、たくさんあると思うが、そういう問題までも、もしこの法律によつてやろうとすれば、これも違法行為だと考えられる余地が残されておるのではないか。ここらがやはり非常に具体的な問題として検討しなければならない重要な点ではな点ではないか。つけ加えますと、そういうことも私は考えておるわけであります。
  64. 立花敏男

    ○立花委員 不幸にいたしましてこの法案通りましても、お出しになりました平和声明の線は、断固として守つて行くという御決意を承らしていただきまして、非常に心強く思います。  それからもう一つ最後にお聞きしたいのでございますが、さいぜん内山知事もこういう法律の必要はないと申された。それからあなたも、こういう組合を押えるような法律は必要ないとおつしやつた。こういうふうに、理事者の方も必要ないと言つているし、その他の直接の地方公共団体職員組合、あるいは日教組の方も必要がないと言つておられるのに、なぜこれをつくらなければならないか、なぜこれができて来るのか、この点をどういうふうにお考えでございましようか。これは政府の客観情勢の誤認だというふうにお考えなのか。ほんとうはもつと大きな必要性があつて、こういうものができて来るのであるか。日本理事者も組合もいらないと言つているのに、こういうものが出来て来るのはなぜか、どこに原因があるとお考えか。これは今後の地方公務員法反対闘争を続けるにつきまして、重要な点だと思いますので、ひとつ承らしていただきたいと思います。
  65. 辻原弘市

    ○辻原公述人 あまり端的に申しますと、非常に誤解を生む点もあるわけでございますけれども、私は先ほどの陳述の中にも指摘いたしましたように、この法律を直接制定しようとする動きを推進いたしましたものは、明年の地方議会の選挙にあるのではないか。それは先ほど私の次に公述をいたしました方が述べられた意見の中にもありますように、この法律を制定しようとして提案いたしました時期と、これの効力の発する時期とが、偶然明年の四月の選挙の直前になつておるという事柄を考えました際に、私は今述べましたことは、これは單なる想定でなしに、相当に根拠のある考え方でないかと考えておる次第であります。さらにそうした問題から飛躍いたしまして、地方公務員、あるいは国家公務員というものに対して、身分法の性格と反した拘束力というか、義務拘束を与える法律を制定するごとに、非常にお骨折りになつておるという考え方は、やはり終戰以来民主化という問題に対して、進んで来た現段階において、ある一つの反動性がここに現われて来て、われわれに対してこのような制約がぜひとも必要だという考えとなつて来ておるのではないか。このように私は思つておるわけであります。
  66. 立花敏男

    ○立花委員 ある一つの反動性が出て、こういうものを必要としているというお話でありますが、ある一つの反動性というものを、詳しくお尋ねしたいと思いますが、これはあとで個人的にお話したいと思います。ある一つの反動件というものが、具体的に申しますと、結局は日教組の平和声明の線を脅かすような反動性である。しかもそれは平和声明の内容と、日本の自由と平和と独立を忌みきらつておる反動性であるという線が確認されなければ、私は地方公務員法の性格がわからないと思う。この点はあとでひとつお話いたしたいと思います。  それから徳永さんに一つお尋ねいたしたいのですが、地方公務員の毎日毎月の生活状態を私ども聞くところによりますと、毎月地方公務員は二、三千円ずつ赤字が出て困つておるということ聞いておるのであります。しかもその赤字のために内職をやつたり、いろいろなことをしているわけでありますが、この地方公務員法通りますと、内職ができなくなつて、この赤字は埋めようがなくなつて来るわけですが、そういう点であなたたちのを台所のことを、もう少し御説明願いたいと思います。
  67. 徳永利雄

    ○徳永公述人 お答えいたします。御指摘のように、最近現われております数字は、大体二千円から四千円くらいの赤字が出ておるのでございます。それの補填の方策としましては、親戚、故旧の補助であるとか、あるいは資産、調度品などの売却であるとかいつたようなことで、大体補つて来ておるようでありますが、御承知のように最近非常に物価が上りまして、安本あるいはその他の政府機関の発表によりましても、大体二、三割の上昇になつて来ております。そういうような状況からしまして、もしこの上にわれわれの給与が制約を受けるならば、おそらくは首切りより先に脱落者が出るのではないかということが考えられるのであります。これは終戰直後にわれわれもすでに経験したところであります。これをできるだけ防止するために、私どもとしましては、理事者等に話しまして、共済組合的なものをつくつておるのでありますけれども、もちろんこれもきわめて微温的でありまして、根本的な解決策にはなつておらないのであります。もちろん今のところこうでさるという結論は出ておりません。
  68. 吉田吉太郎

    ○吉田(吉)委員 辻原さんに一点だけお尋ねしたいと思います。公述中の辻原さんの御意見を承つておりますと、過去の教職員組合の活動の過程において、多少の過誤があつたことを認めるということをおつしやつておりますが、多少の過誤というのはどういつた点をおさしになつておりますか。
  69. 辻原弘市

    ○辻原公述人 そのあとで申し上げましたマ書簡のところで、私は明らかであると思うのでありますが、これは客観的にいろいろ言われておる点であります。私に限らず、当時のいろいろな労働運動の中で、非常に微弱であつたために、一部幹部の考え方によつて、組合の一つの方向というものが一方的に決定ずけられて行つた。その当時のことを今反省してみますならば、これを極左的な偏向性というふうに言えるのではないか。私の申し上げましたのは、そういうふうな一つの傾向に陷つたのではないかと疑われるような、また私自身として考えましても、そういう点があつたのではないかということを申し上げたわけであります。
  70. 吉田吉太郎

    ○吉田(吉)委員 なおその点につきまして、今日の段階におきましては、多少そういう過誤も減少しつつあるというふうにお考えになつておると思うのであります。そこで現在の段階において多少減少しつつある、しかしながら完全にその過誤は払拭されていない、こういうふうに受取つていいわけですか。
  71. 辻原弘市

    ○辻原公述人 過誤という言葉では、言葉が足りなかつたと思いますが、今申し上げましたように、幹部の一方的な動きということは、單に極左的な動きということにとどまらず、それは組合が——よく労働法上あるいは労働問題について言われる言葉でありますが、民主的な行き方に対する逆行である。民主的な手続を怠つた、あるいはそれに対して非常にまずかつたというような事柄は、これもやはり過誤として考えなければならぬ。そういうふうな意味から申し上げたのであります。今まだ極左的な偏向性は残つておるか、こういう意味のお尋ねがありましたが、私の申し上げました減つて来たというのは、いわゆる組合の運営自体は非常によくなつた。その極左的な偏向性については、現在の段階においては、そのあとで申し上げましたように、全然残つておらない。従つて民主的な労働組合の基礎ははつきり確立されて来た、こういうふうに申し上げましたので、その点に対して誤解のないように御承知願いたい。
  72. 立花敏男

    ○立花委員 伊藤さんにお尋ねしたいのですが、伊藤さんはなまなましい体験をお持ちだと思うのです。今まで地方公務員に対して加えられました不当な首切り、それはどういうふうな形でどういうふうに処理されたか、私ども最近承りますと、各所で新しく首切りが出ておるようでありますが、その状態はどうなのか、どういう見通しなのか、これは重大な問題でありますのでお聞かせいただきたい。
  73. 伊藤正丞

    ○伊藤公述人 ただいま立花さんの御質問でありましたが、私がさいぜん申し上げましたように、この二十八條に基くところの「勤務実績が良こない場合」というようとなこ、あるいはその他適格性を欠く者、こういうような條項が今までの首切りにおきまして、ほとんどの理由とされております。そうしてこれは客観的にこういうことを言われておるのでありまして、第三者が、これははたして勤務実績がよくないか、あるいは適格性を欠いているかということを判断するわけであります。現在におきましては、労働委員会にこれが提訴されまして、いろいろ審理されているのであります。ところがその場合現在の労働委員会ですら、なかなかこれが結論は出にくいのであります。と申しますのは、この條項に当てはまるか当てはまらないかというこということではなしに、現在においても知事の任命したところの地方労働委員、この者が知事が被申立人としまして提訴されている場合には、労働委員といたしましての結論を出すことが非常に困難であります。といつて自分の良心の呵責がありますので、これを知事側の言うようなふうに妥当であるというふうな結論を出しにくいので、非常に制限されまして、昨年の八月におきましてこの問題が惹起しておるにもかかわらず、現在においても地方労働委員ですら、こういう問題が解決しないのであります。その間におきましてこの処分を受けました職員財政的、すなわち生活の面におきまして非常に苦しい面が出まして、ほとんどこういうようなことを長く続けて行くことはできない。この救済は現在の労働委員会ですら、なかなかでき得ないのであります。しかして今回のこの法案にありますところの人事委員会なるものにおいて、これをやられた場合においては、さいぜん申し上げましたように、国家公務員におけるところの人事院と同様に、とうていこれの救済はでき得ないのであります。現在地方労働委員会におきましては、数箇所におきまして、これの救済が実施されております。そういうような国家人事院と似でおるところの労働委員会ですら、なかなか救済が困難でありますので、今度この法案が全面的に実施された場合にも、とうてい地方職員を救済することはできない従いまして、この法案に盛られているところの職員の救済というようなことは、とうてい望み得ない。従いまして、地方行政民主化という面において、はなはだ欠ける点があるのではないか、かように申し上げたわけであります。
  74. 立花敏男

    ○立花委員 現在の首切りの状況はどんなぐあいですか。
  75. 伊藤正丞

    ○伊藤公述人 現在の首切りの状況はここに資料を持ち合せておりませんが、下松市におきまして現在首切りが起つおります。それ以外には、去年の八月、九月、十月のころにおいて起つているのであります。この地方公務員法の公布を待つてやろうとするような気風が多分に見えるわけでありますことにこの地方公務員法がしかれますならば、地方公務員は首切りの前にさらされるということになることは、さいぜんの内山知事が言われたことによつて裏づけがされておるというように私は考えてあります。
  76. 川本末治

    ○川本委員 辻原さんにちよつとお尋ねしたいのですが、私少し所用のために席をはずしておりましたので、あるいは他の諸君がお聞きになつたことと重複するかもしれませんが、御了承願います。先刻御意見のうちにありました、職域外においてというところで私聞き漏らしたのでありますが、お説は教職員の任地ということなんですが、村の教員は隣の村へ行つて政治活動に対しては制限を受けないようにしろという御意見でございますか。
  77. 辻原弘市

    ○辻原公述人 非常に誤解があると思います。この点私の申し上げたことは間違つておらないわけでありますが、お聞取りの点が間違いがありますので、重ねて申し上げたいと思います。私ども政治活動あるいは基本的人権に関する問題についてこれを考える場名には、教職員を公務員という概念の中に含めるが妥当であるかどうかということはさておいて、一応公務員であるとするならば、やはり教職員立場におきましても、公共の福祉ということに対しましては、十余の考慮を払わなければならない。同時に基本的人権は憲法上の問題であり、公共の福祉も憲法上の問題である。この観点に立ちますならば、このどちらを重視するかということになるのでありますが、私としてはやはり基本的人権というものを最大限確保するための公共の福祉である、こういうふうに考えておるのであります。従つてやはり基本的人権を先行しなければならぬ。そういう観点から見た場合、政治活動については教員といえども、あるいは公務員といえども、これに大幅に自由を与えるという考え方が妥当な考である。その場合に公務員の持つ一つの性格から制限すべき部分を含んでおる。これはどこの部分かということを私ども真剣に考えておる。そういう点に立つて、現在の私どもとしてはなぜ公務員あるいは教職員というものが、公共性というものに対して関連があるのか、なぜ禁止を受けなければならないかというそこを掘り下げて考えて行く場合、そこに一般的に言われておるのはその影響力が問題になる。その影響力の問題というものの限界は、これは私が言つたように、自由であるということが前提であつて、その影響力がある部分はどこだ、また本質的な公務に対して專念する義務、やつて行かなければならない部分はどこだ、それに支障を来す部分はどこだ、こういうふうに考えなければならぬのではないか。そうすると、教員という立場を保持してその業務に專念しなければならない点は、その勤務時間にあり、それからその勤務する場所——場所と私が申し上げましたのは、お聞取りの点と違いまして、職場だけで、従つてここで現在いろいろ論議されておりますいわゆる勤務地という問題でありますが、そこまで及ぼすことは、最大の自由を与えて行くという考え方に立つた場合には、やはり私どもとしては不当であるという原則的な見解を持つておるのであります。従つて制限する点は今申し上げましたように、本来の任務に支障を来すというおそれのある勤務時間内、これは当然でありまして、それとその勤務施設内——県庁に勤めておればその県庁の建物内において、いろいろ隣の人に政治活動を強制をしたりするということはいけない。なお一番問題になつているのは、職権あるいは地位を利用してやるということは、これはいずれの場合を問わずいけない。従つて私が申し上げました勤務場所、勤務施設と申しますのは、職場であります。そういう意味におきまして、三点の制限というものを私どもとしては考えております。
  78. 川本末治

    ○川本委員 午前中に小林先生に伺つたことと同じことを承りますが、たとえて申しますと、何かの選挙の場合、小学校なり中学校先生が、黒板の一角に、ある特定の候補者の名前を書いておいて、生徒にこれを暗示的に会得させるとか、または選挙期間中、特定の候補者の名前を書いたメガホンなどを首にかけて、勤務時間中も勤務時間以後も一向おかまいなくそうやつて歩きますことは、純真なる青少年に対しまして、教育上どういう影響を与えるかという点について、教育者としての公述人の御意見をひとつ承りたいと思います。
  79. 辻原弘市

    ○辻原公述人 先ほども若干申し上げたのでありますが、その問題は、その教職員個人の良識と、それから常識の問題になるのではないか、私が三点の制限について申し上げましたその範囲にそれは全部含まれることである。黒板は勤務しているところの施設であります。それを利用して子供に対して直接影響を与えるということは、現行の教育本法の第二條においてこれはすでに禁止されている。いわゆる学内における政治的中立という問題に反している。また腰にぶらさげて子供の目につくようにして、直接子供に対して惡影響を与える、あるいはそれが勤務時間中というふうなことは、これは常識の部類に属する問題であつて、お説のように、そういう事柄は、一般的な常識においても、当然あり得べからざる問題である。先ほどは、その人のテクニカルという表現で申し上げたのでありますが、いわゆる選挙なら選挙、あるいは法律全般に対する考え方、あるいは社会的な常識という点に非常に乏しい一面が、やはりそこらに現われて来ておるのじやないか。そういう意味におきましても、私どもとしては、教職員の場合、もう少し政治的な自由とか、もつと積極的に社会的問題に立つて、社会の一般的な常識に乏しいという従来の批利をなくするような教師の性格をつくり上げて行かなくてはならない。従つて今度言われておるような政治的の制限というものは、そういう意味においてもむしろ禁止すべきではない。そういうものを禁止するから、そんな非常識な事柄が行われるようになるのであろうということをつけ加えたいと思います。
  80. 川本末治

    ○川本委員 私が辻原さんにお聞きしたい点は、そこでないのです。それも含まれておりますが、あなたが教育者として、そういう非常識な行動をとることが、教育上子供に及ぼす影響の点を承つておるのです。
  81. 辻原弘市

    ○辻原公述人 私その点は十分おわかりと思うのでありますが、足らぬ点を補足いたしたいと思います。今申し上げましたような事例は、当然これはいわゆる職権——職名と私は申し上げましたが、それらを利用したということに嫌疑がかかつて来るわけでありまして、そういうようなことは、常識的にもやるべき問題でもなく、また法律上も現在すでに公職選挙法第百三十七條でこれを禁止しておる。また学校教育法では、そういうふうな学内において一つの特定の政党に支持を与えるような行為をやつてはならぬということをはつきり規定してあるのであつて、それはその人の常識が乏しい。私どもとしては、教育上そういう影響を与えるようなことはやるべきでないということは、はつきりいたしております。
  82. 門司亮

    ○門司委員 徳永君にちよつと聞いておきたいのですが、さつき伊藤君の話の中には、この法律の中で大体修正すべき箇所というようなことが少し聞えたようでありますが、徳永氏にはつきり確かめておきたいと思いますことは、この法律は全然いらないというのか、どうかということです。それを私が聞くのは、当局は、この法律保護法であるということを言つている。われわれの考え方は、保護法であるというが、その保護程度はきわめて少い。おせつかい程度のものであつて、大体彈壓法だ。従つてこれには反対だという態度をとつております。そこで問題になりますのは、保護法の面は残しておいてもいいということになると、この法律案には全面的な否定ではないという結論が出るわけですが、保護の分は残して、惡い方の分だけは困るということになつて参りますと、これは一部修正ということになり、法律自体が全面的にいらないということにはちよつと縁が達くなる。その辺の見解、最後の腹を聞かしてもらいたいと思います。
  83. 徳永利雄

    ○徳永公述人 お説のように、保護法としては当然これはあるべきでありまして、私どもは、地方自治法の附則にうたわれておりますことも、これは保護法としてうたうべきだというふうに解釈しているわけです。従つて保護法としては当然あるべきだ。ただ現在の法案では、保護の面よりも——保護の面は、お説のようにまつたくないと言つてもよい程度であつて、今の法案では絶体反対である。あらためて保護法として出されたい、こういう意味であります。
  84. 門司亮

    ○門司委員 わかりました。
  85. 前尾繁三郎

    前尾委員長 以上をもつて本日の公述人の陳述は全部終了いたしました。  この際委員長として公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中、しかも雨中にもかかわりませず御出席くださいまして、あらゆる角度から貴重な御意見を拝聽いたしたわけでありまして、今後法案の審議につきまして、多大の参考になることと存じます。ここに委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げる次第であります。  それではこれをもつて地方公務員法案について昨日及び本日二日間にわたる公聽会を終了いたしたことといたします。  明日は人事、文部、労働委員会の連合審査会でありますから、御承知おきを願います。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後三時四十八分散会