○川村
委員 私は北海道班の
国政調査の班長といたしまして北海道の
調査を御
報告申し上げます。九月六日より同月二十五日まで二十日間、函館市を振出しといたしまして、全道の渡島支庁管内、檜山支庁管内、後志支庁管内、石狩支庁管内、留萌支庁管内、宗谷支庁管内、網走支庁管内、十勝支庁管内、日高支庁管内、胆振支庁管内の十支庁管内をくまなく
調査いたしたのであります。
参加委員といたしましては、
永田委員、水野
委員、林
委員、
松田委員、冨永
委員、川村の六
委員であります。
委員部からは菅原事務員が
参加いたしました。この二十日間におきまして、道庁
当局はもちろんといたしまして、支庁、あるいは
関係市町村、
関係漁業協同組合並びに
関係の
漁業団体等の好意によりまして、非常に迅速に、しかも詳細に
調査することのできたことをまことに欣快とすると同時に、その好意に対しましては、この席をお借りいたしまして、感謝の意を表する次第であります。
まず北海道を総論的に申上げまするならば、北海道の面積は東北六県と新潟県を合せたほどの面積があり、かつまた
海岸線も同樣これ以上に長いのであります。
漁業者の戸数は大体二十万戸、家族を入れますと、大体人口は百万人と算されております。そうして
漁民たちはいろいろな隘路があるにもかかわらず、それを克服いたしまして、
昭和二十四年度におきましては全国の漁獲高の三八%、すなわち百二十万トン、貫数に換算いたしますと、三億万貫の漁獲をしているという記録を現わしておるのであります。そのおもなる
魚族といたしましては、さけ、ます、いわし、いか、さば、ほつけ、たら、かれい、その他諸種の
魚族がありまして、まことに
魚族の豊富なることは、われわれが十分考えさせられて来たのであります。しかもその処理にあたりましては、万全を盡して
漁民は邁進をしておるのでありますけれ
ども、遺憾ながら現在の交通の不便、その他製造加工の施設から行きますと、これを完全に食料化することができないために、魚かす等を
生産しておるということを見せつけられて
参つたのであります。もちろん鮮魚も
相当輸送しておりまするし、あるいは加工の面におきましても、冷凍、カン詰、フイツシユ・ミール、魚油、魚かす等の製造加工もしておりますけれ
ども、盛漁期に至りますれば、海に放魚しなければならないというようなことも、突は函館のいかを見せつけられて
参つたのであります。これらの隘路打開のためには、われわれは十分国家においてその施策を講ずるようにしなければならないということを考えて
参つたのであります。なおその他の水産業の現在の隘路といたしましては、
金融の問題、あるいは資材の問題、あるいは燃油の問題、魚価の問題、
漁港の問題、許可制度の問題等におきまして、
相当に欠陷がありますので、これらを何とか一日も早く打開して、この非常に大きな
生産を、より一層増産せしめるように、本
委員会でも考えておかなければならない、かように考えております。
かような次第でございまして、一々
漁業家の経済
状態を
調査いたしましたところ、漁獲は一戸平均にいたしますと、なるほど内
地方面の三倍以上の漁獲はあるのでありますけれ
ども、遺憾ながら魚価が低廉であり、その反対に資材とか、燃油とか、その他
漁業に使用するところのいろいろな資材等におきましては逆に高価なために、漁獲が多い割合に、北海道の
漁民経済というものはまことに困却を来しておるということを、われわれははつきりと見ることができたのであります。この隘路を打開いたしまして、北海道の
漁民は内
地方面の技術等をも取入れましたならば、まだまだ北海道の魚田の将来というものにつきましては、まつたく大きな
役割を持
つているということを、
調査の上においてはつきり見たのであります。すなわち新漁田といたしましては、太平洋岸には、根釧魚田あり、襟裳魚田あり、惠山魚田あり、さらに日本海、オホーツク海に至りますと、大島小島魚田、奥尻魚田、武蔵堆、大和堆、その他まだ
調査のできておらない無名の魚田もたくさんあることが明らかであります。しかも戰争の後におきましては、彼の北洋の
漁場を失い、さらに北千島の
漁場を失い、ソビエト方面におきましては、十分な
漁業をも
つて漁獲しておらないために、さけ、ますその他たら、かれい等の
魚族は
相当に
増殖をされましたので、オホーツク海の
資源というものは無限であるとまで言われておるのであります。こうしたような魚田がありますので、将来この魚田の開発のためには国家の施策を十分織込んで、北海道の魚田開発に邁進しなければならない、かようにわれわれは考えて
参つたのであります。
次に
漁業協同組合の運営について申し上げますと、
漁業協同組合法が制定されましてから約三年になるのでありますが、この法律の建前からいうと、言うまでもなく加入、脱退自由であり、二十名以上であるならば協同組合をつくることができるというようなことから、一箇町村に、はなはだしきに至
つては七協同組合がある。少くも二以上の協同組合を有しておる漁村は多数であります。しからばその
内容はどうであるかというと、先ほ
ども申し上げましたように、
漁業家の経済が逼迫しておるために、同樣に
漁業協同組合の経済も逼迫して、運営はいずれも困窮を来しておるのであります。われわれは協同組合長並びに役員諸子に向
つては、一日も早く組合の根本精神にのつと
つて、隣保共助の精神から、でき得るならばすみやかに協同組合の団結が必要ではなかろうかと、るる説いては
参つたのでありまするけれ
ども、中には感情のもつれから、その運びに至らないという所も見受けて
参つたのであります。これにつきましては、
水産庁当局の協同組合課におきましては、ひとり北海道ばかりでなく、全国の
漁業協同組合の
育成強化に万全を盡さなければならないと考えるのであります。
次に
漁港関係について申し上げます。北海道の
漁港は、現在百七十八港あります。そのうち百二十四港だけ
調査して参りました。内訳を申し上げますと、渡島管内では三十一港、松山管内では二十一港、胆振管内では九港、留萌管内では七港、網走管内では十三港、宗谷管内では七港、釧路管内では三港、十勝管内では二港、日面管内では十三港、石狩管内では一港、後志管内では十七港、これだけ
調査して
参つたのでありますけれ
ども、いずれも完全な
漁港ではありません。もちろん
漁港の築設当時は、現在のように船型も大きくなかつたし、
漁業の
方法も違
つておつた。いわゆる低かつたというような点から、当時では
漁港はこれでもいいというような考えであつたと思いますけれ
ども、今日の漁船の型あるいは
漁業状態から考えますと、非常に狭隘を感じておるものの、あるいは吃水が非常に浅いために大きな船舶が入港ができないもの、あるいは接岸施設が完全でないもの、あるいは防波が完全にできない突堤にな
つておるもの、あるいは
漁港の荷揚げをする所、処理をする所の施設におきましては、まつたくできておらないとい
つてもいい所も中にはあることを見受けて
参つたのであります。また
漁業が非常に盛んであ
つて漁獲も非常に多い、また
漁民の数も多い。言いかえるならば、漁村として重要な地位を占めておる漁村であ
つても、
漁港がないために今日非常に
漁業に支障を来しておるというような所もあ
つたのであります。これらを思いますときに、これまでの
漁港の整備あるいは
修築ということについては、その裏に何ものかあ
つて、実際に
漁業の重要性ということを重点に置いて
漁港を築設したかどうかということが疑わざるを得ないところもあ
つたのであります。今後の
漁港の
修築に対しましては、
水産庁当帰の
漁港課においてそれぞれ
漁港の重要性を考えて、
漁港の整備計画を樹立しなければならないと考える次第であります。
次にこれも
漁港と関連するのでありますが、北海道の
特殊性ということは常にとなえられております。特に
漁港の問題で申し上げておき、
漁港課
当局によく考慮を拂
つてもらわなければならぬことは、御承知の通り、北海道は六箇月間かとうてい
漁港の工事はできない。従
つて予算
措置におきましても、工事の
措置につきましても、特別な扱いをしない限りは、内地のように
漁港の
修築は促進いたしません。冬季間に工事をいたしますと、凍結のためにセメントはばらばらにな
つて、ほとんど二年か三年で破壊される。現に白糠
漁港のごときは、もうほとんど岸壁すらも認めることができないように破壊されております。何ゆえにさようになるまで放置しておつたかということを、つぶさにわれわれが
研究してみたところが、すなわち北海道に凍期間のあることを忘れて、むりに
漁港の
修築をしたというようなことから、寒気にさらされてセメントの結晶が鈍かつたというようなことで、波浪のために完全に壊されて、今ではまつたく船の入ることができないばかりでなく、その残された岩石のためにかえ
つてその土地の
漁業を阻害しておるようなことを見受けて参りましたので、北海道の
漁業の予算
措置、工事
措置については、今後特別な扱いをしなければ、北海道の
漁港修築の促進ははかれない。また完全な
漁港を
修築することができないということを、われわれは見て
参つたのであります。
次に
戰災漁場の問題でありますが、茅部郡の鹿部村に一箇所だけであります。ちようど港の日から約五十メートルほどの沖合いに沈没いたしまして、すでにもう外板はありません。わずかにこの地点が沈没した地点であるというようなことが見受けられただけで、実際にそこにどういう支障があるかということまでも容易につかめないような
現状とな
つております。ただ爆彈投下により
漁港の突堤が一部破壊されておりますので、これらを早く修繕しなければならなということを、われわれは考えて
参つたのでありますが、幸い道庁におきまして、その旨を告げたところ、修繕をすることにな
つて、満々その工事を進めておるということでありますので、実際問題としては、その
漁港の
修築、修繕だけ完全にやりますと、
漁業に対する面接の
被害は今ないというような
状態にな
つております。
次に問題にな
つておりまする東北各県の
機船底びき網の入会であります。もちろんこの問題については他の
委員も非常な関心を持ちまして、いろいろ
漁民の
意見も徴し、あるいは道庁
当局の
意見も徴し、さらに道議会の
意見も徴したのでありますが、北海道といたしましては、これらが一致して全面的に反対であります。すなわち入漁絶対反対であります。ただ幾分
漁民の主張する事柄や、道庁の主張する事柄、あるいは道議会の主張する事柄には、北海道のみの小区域な考えがあ
つて、全国的な大きな
漁業というものからの
意見でなく、実際は北海道の
関係地区の
漁業のみに拘泥をしておりますので、この陳情を受け、あるいは
意見を徴した
委員におかれましても、北海道の立場から考えますると、もちろんこれは十分に了解ができるのであるけれ
ども、しかし今日本の
漁業を全般的にながめまするときに、必ずしも北海道の
意見だけをも
つてわれわれか
国会に臨むことはできないのではないかと考えられたような
意見も
委員から出たのであります。これを一日も早く
解決をつけるにおいては、もちろん
水産庁当局におきましては、それぞれ立案をいたしまして、北海道の
漁民は申すに及ばず、道庁
当局にも、その他各地区においても了解のできる公平な案を見出しまして、本
委員会にありまする
漁業経営安定
委員会において、これをさらに審議をして決定をしなければならぬと私は考えております。ただわれわれが、特に北海道出身の私として遺憾にたえなかつた点は、ちようど日高に
調査に行つた際すでに夜間とな
つたのであります。ちようど
漁港のまん中に立ちまして
漁民の声を聞いたところが、沖合い指さして、あの通り密漁船が来ておる、これではわれわれはどうしても反対せざるを得ないんだ、どうか各
委員においては、この密漁を完全に退治をしてもらいたい、と同時にこの問題が
解決つかない限りは、絶対われわれは反対せざるを得ないというようなことを申されましたので、私はその明りを見まして、あれはいかつきである――ちようどそこにいた
松田委員も、あれはいかがたいへんつくのでいかつきに来ておるのだから、まさかあれは密漁船でないというように、大体わかりつつも否定して
参つたのでありまするけれ
ども、その翌日道庁に参りましたところが、監視船から電報が来て、宮城県の船を二そうつかんだというようなことを、われわれが
会議の席上で見せつけられたのであります。まことに唖然としたのであります。しかもその後われわれが
調査を手続けて函館に参りましたところが、さらにあとでもう二そう宮城県の船が監視船につかまつたという電報か来たのであります。私は今日持
つて参りませんけれ
ども、その電報は私のところにあります。こうしたようなことで、われわれ
委員会におきましては、でき得るだけ内地
関係各県の要望におこたえを申し上げたい、そうして北海道
漁民にも、北海道出身のわれわれが何とかくどいてなだめてやろうという気持で
行つたのにもかかわらず、
調査のまつ最中に密漁船を四隻も出したところの宮城県の無責任もはなはだしいことを、私は痛感して
参つたのであります。その後いろいろ本
委員会でも問題に
なつたようでありますが、特にこの入会の問題につきましては、
水産庁は今後
処置をとりますのには、
漁民の自粛自戒はもちろんでありますけれ
ども、県当同の十分なる責任を追究するとともに、また今後の責任も十分持てるところの案で、北海道並びに本院の
関係委員との折衝を続けられるがいいのじやなかろうかということを考えますので、特にこの点を申し添えておきます。
最後にいろいろ北参海道の
漁業状態を見ましたのに、北海道は漁獲が多い、
資源か多いという割合に
漁業は進歩しておりません。今後われわれは内
地方面の技術あるいはその他いろいろな面を
調査研究をいたしまして、北海道の新魚田の開発はもちろんのこと、北海道
漁民の経済の福祉のために、本
委員会並びに
水産庁におかれましては、十分その
処置をとられまして、非常に狭くな
つておりまする内地の方面の
漁民も今後北海道に対して移民をさして、北海道の魚田の開発と、さらに食糧の増産をせしめることが妥当でなかろうか、かように考えております。本
委員会におきましても、
水産庁におかれましても、十分その
処置をとられんことを希望たしまして、私の御
報告は終る次第であります。