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河村参考人 このように
看護婦の問題を国会でお取上げくだすつたということは、私
看護婦でござい
ますので、たいへんありがたく思
つており
ます。
松谷先主の御
質問は、中座いたしましたので伺
つておりませんから、ヒントをはずすかもしれないのでござい
ますが、
審議会のことは、林
会長から申しましたので、私は審
議会委員の一人といたしまして
考えていることを、お聞きいただけましたら、ありがたいと思い
ます。
私
どもは三十有余年間、
看護婦という名前
一つで働いて参りましたが、今までには
甲乙どころでなく、
甲乙丙丁というように、五種類も、六種類もの養成過程を経た者が、
一つの
看護婦という名称で働いており、その給與の問題につきましても、それぞれの経歴、それから実際に監督指導にあるところのお医者さんであるとか、経営者の
人たちの認めるところによ
つて給與されておつたのであり
まするけれ
ども、この新しい
法律で甲と乙と二種類にしたというところに、私は非常な問題が起きて来るのだと思
つており
ます。
先ほど来、
審議会の私
どもといたしましては、
既得権者は保護されておる、認められておるのだということを申し
ますし、
陳情せられておる
方々は、差別されておる既得権を認められるべきだということでござい
ますし、それから
金子先生は、それは違うというような三つの御
意見がございましたが、私は新しくこの
法律ができ
ます当初から、甲はこういう養成過程を経て甲の
資格をもらい、乙はこういう過程を経てもらう。しかし
既得権者はどこまでも
既得権者として、
業務の上においても少しも不安を、持つものではないということを確信しておりまして、皆さんが差別々々とおつしやるけれ
ども、それは
考えていない。なぜならば、法文には、
既得権者が
甲種の
国家試験を受けなければならないというような、義務づけられたものは何もございません。どこまでも新しい
看護婦のあり方というものが要請されて、養成所の
制度の改革でござい
ますとか、
教育のあり方が検討されて参りましたし、また国が要求されるよい
看護婦、高い
程度の
看護婦にならなければならないし、またよい
看護婦になりたいのでござい
ますから、よりよい、より高い
看護婦の
制度ができるということは、喜ぶべきことでござい
ます。そのために、私
ども既得権者が受けなければ、お前は
看護婦として低くすると言われたならば、私などは憤然と反対をしたいはずでござい
ますが、法文のどこを見ましても、少しもない。ただ先ほど
恩典だという
意味のことを言われましたが私は
恩典というほどにも思いませんが、とにかく
既得権者の
人たちが、自分は経験も積んでおるし、
相当だと思うけれ
ども、新しく養成されて来た
人たちに比べてどうであろうか、また私は古くなり過ぎておりはしないだろうか、また若い人の場合には、自分は
看護婦の
資格はとつたけれ
ども、はたして現在認められておる
看護婦のような力を備えておるだろうかというふうに、自分の
職業に対する自信を高め、あるいは自覚をするために、
試験を受けたいと思つたときに、
既得権者は養成の過程のいかんにかかわらず、受けることができるという点は、確かによいと思い
ます。また一方に、皆さんの反対するところの、既得権が侵されるという点は、これは別の
方法で幾らでも
——資格のある
人たちが、新しい高いものができたから低くなるというような、たとえば給與の面なんかにおきましても、従来給與というものは、その人の経歴であるとか、その
資格を得るに至つたところの養成過程というものが考慮されており、また勤務年限というようなことにもよるのでござい
ますから、ある場合は、非常に初任給が低かつたために、
相当勤務年限の古い婦長さんの方が、新しく出た
人たちより割の惡いということは、間々ございましようけれ
ども、一面には、自分たちの仲間の
看護婦が高くなるという点において、私は何と申し
ますか、ひがむべきではないというような
考え方で、
国家試験というものは受けて、そして甲になる。しかし受けなければならないというように、義務づけられてはいないという、確信を持
つておるのであり
ますから、いいと思
つており
ます。ただ先ほど
金子先生が、偉い者が出れば何となしに低められるとおつしやいましたが、私
どもは、学士の先生が博士に比べて信頼ができないというような心理のあることを、今日勉強いたしました。先ほどから審
議会会長の林先生のおつしやるように、
審議会り
結論は出ていませんので、今日以後におきまして、そういう心理過程を研究いたし
ますが、これからの研究の結果は別といたしまして、私といたしましては、
既得権者は、甲の
国家試験を受けなければならないとは義務づけられておらないから、やはり
看護婦が向上するという
意味合いにおいて、
国家試験はあるべきだと思い
ます。
国家試験を受けないからとい
つて、別の面で不利にならぬように、
審議会としては十分検討しておるのでござい
ます。
もう
一つつけ加えさせていただくなら、問題は
甲乙三種あるということか間違いだと思い
ます。
看護婦は、学歴があり、知識がある者が甲であり、それに足りない者が乙と言い
ますけれ
ども、一旦病人を
看護いたし
ます場合、あるいは
保健指導をいたし
ます場合、その人の学歴であるとか、そういうものは、大切な要素ではござい
まするが、人に奉仕するところの精神があるかないか、あるいは
看護という
職業にどういう
意味合いで自分が携わ
つておるかという、そういう物の
考え方で、よい
看護婦、惡い
看護はきめられるべきでござい
ます。やはり
看護婦というものは
甲乙二種でなく、一本にな
つて、甲も乙もなく、従来のように
看護婦は
看護婦でけつこう、それで甲の
看護婦になる人は
甲種の養成過程を経なければ
看護婦になれない。それから
既得権者は、その人が好んで
職業についておるが、少しも
甲種とかわらないところの
業務をや
つていることかでき、たまたま自分の力をためすために、向上した限度をはかりたいために、
国家試験を受けるならば、道は開かれておるので、これでよいと私は思
つており
ます。たいへん粗雑でござい
ますが。