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説明員(一
萬田尚登君) 今日ここに参ります機会を得まして
金融のことに関しましてお話ができますことを非常に有難く存じております。丁度この
朝鮮事変を契機として恐らくすべての
政策に
相当の検討を要するこういうときに際会しましてお話を申上げることは、非常に私としては時を得ておるように思うのであります。併し同時にちよつと二十四年度の、一口二十四年度の
事柄を申さなくてはならん。二十四年度の
金融政策といたしましては、これは
ひとり金融政策のみでありません。
財政経済金融政策を通じて
インフレを收束するということがこれが主目的でありまして、無論こういう
政策を実行する上におきましていろいろとこれに基く
副作用、或る意味において面白くない
副作用も起るであろうということもそれは覚悟の前であります。いずれにしても
インフレを收束せなくてはならない。丁度大きな
おできができておる、これを切開せずに置くとやはり生命を失う。切開することによりまして
身体のいろいろな機能に若干の障害を生するであろう。これも併し敢えてやらなければならない。これが当時の
政策である。が、併し当時の
金融政策といたしましては、その同じ
おできを、できておるその
おできを治す
手術はこれが誰が見ても
相当のお医者が見る限りでは同一であります。併しながら
おできのできておる
身体というものは殆んど
各人各様の
身体であります。そうでありまするから、この
手術をするということは、言い換えれば当時ではドツジさんの趣旨に從い、
ドツジ・ラインを堅持する。
ドツジ・ラインの
処方籤というものがいわゆる
手術に当る。併しそれを実行する上においてこの病気を患
つておる体質というものを考慮に入れなければならん。その体質を考慮に入れたのが、いわゆる
金融上り調整とな
つて現われたのであります。言い換えれば二十四年度におきましてはこの
ドツジ・ラインを飽くまで堅持する、これは百パーセント堅持する。併しそれによ
つていろいろな惡い
副作用を可能な範囲において
金融上で調整して行くということが当時の
日本の
経済の実態、
病人に誓えれば体質と言いますか、或いは体の工合から見て、適当であると考えたのであります。それで大体そういう方向において
金融政策を採つで参つた。それは御承知のように大体において
財政によ
つての
引揚げを
金融の措置によ
つてカバーをしたという
政策が現われて来ておる。これが二十四年度の私は
金融の大筋と御覧下す
つてよろしい。が併し二十五年度に入りますとそれが違うと私は考える。それは丁度お医者が
病人を扱う場合と同様でありまして、
病人を、
相当の
重病人を
手術する、その
重病人に対する態度、その
手術がまあ大体において手際よくや
つてのけた後の
病人に対する扱いというものは
異らざるを得ない、異るべきが当然であると私は考えておる。ですから二十四年度のことを
金融情勢から申せば二十四年度におきましては
インフレを收束するという、この目的は達し得る。
副作用は起きても、若干起きても或る
程度これをカバーするが、或る
程度副作用が残る。言い換えれば
経済上ににおいていろいろの困難が起
つてもこれも止むを得ない。そうしてその
やり方としましてはこの
手術中と同じように、
手術中ではやはりこれでは輸血をしなければならん、
病人の意思に拘わらんでも輸血をする必要があります。或いは又
栄養灌腸、
栄養注射、或いは葡萄糖の注射も必要である。そういう
行き方が止むを得ない。そうしてその二十四年度の眼目と私のいたしましたことは、
闇物価を下げる。二十四年度の
金融政策といたしましてはそういうふうな
財政の
引揚げを調整はするが、
闇物価は下げなはればならない。更に又当時生産が
相当増大した結果、統制から外した
物資、
価格から言えば
自由市場価格といとものは
相当形成されて参
つたのであます。この
価格は下げる。こういう
程度に大体目途を置く。
從つてその範囲においては若干
デフレ的傾向、デフレ的であるとも言えるかも知れん。そうして
補給金を外したことによ
つて価格が上る。この
公定価格それをひつくるめて
物価で一般としては大体
横這い状態に置く。これが
政策の眼目であ
つたのであります。大体私はこの
政策は
相当実現をし得たと確信をしておるのであります。そうしてそういう
程度のことが当時の
日本経済にはやはり私は適当である。こういう見解で二十四年度では
相当の金を出したのでありますが、具体的に言えば
財政で
引揚げたのが約九百億前後と思いますが、それ以上若干一千億近い金を私は出した。從いまして、刻々いろいろな危機があるとか、いろいろ叫ばれまたけれども、二十四年度においては、私は大体において
経済は微動もせずして済んだと思います。そこで二十五年度はどう違うか。二十五年度は前と若干違うと言うがどう違うか。それは丁度
手術した後の
病人に対して、
手術は
十分成功裡に終つた。
病人は安静をしておる。これに対する
行き方というものは
手術中の
病人に対する手当と違うことはこれは申すまでもないのであります。大体
経済も同じ
状況であります。二十五年度は一体どういうふうな
やり方をするか、それにはちよつと
金融の
状況というものを申さなければなりません。大体この
ドツジ・ラインと申しますか、ドツジさんの趣旨に基いた
予算の編成、
財政というものは御承知のように非常に黒字を生ずる。巨額の黒字を生ずる
財政である。これは
インフレの收束のために止むを得ない。又とるべき措置であつたと思うのでありますが、非常にそういうふうな黒字、
從つて当時の
日本の
経済力からいたしますれば、総
国民所得の中かちこういう税金を
払つた上に
銀行等に預貯金をなすだけの余裕はないのであります。それにも拘わらず二十四年度にそういう巨額のこの信用を出しておる。そうでありますから、例えば二十五年度から考えると誓えて言えば、ここに
お櫃が二つある。一つの
お櫃にはそういう税という形で
国民所得から
吸上げておる金がずつとこの
財政に余裕とな
つて現われます。一方の
お櫃には
銀飯と言いますか、飯が一杯溜
つておる。一方の
お櫃は
金融界である。
金融界の
お櫃は今のような措置で預金が集まらないという結果
空櫃にな
つておる。ところが世間は
金融と言えば銀行のこと以外に
金融はないように錯覚をする。又そういうふうに考え易い。
日本銀行と
金融機関との間だけが
金融なんかのように考える。ここに間違いがある。今の
お櫃で誓えると、この
金融界の方の
お櫃は
空櫃にな
つておる。
財政の方の
資金の方に
銀飯が一杯溜
つておる。これは余りそう動いていない。
空櫃の
お櫃の飯をつけいつけいと子供がわいく言う。これをついだら
お櫃が壊れます。これは当然のことであります。そういうことは
金融当局としてやられることではないのであります。そんなら
お櫃にはないかも知れない。
お櫃にはないかも知れないが、新らしい米を出して、といで又飯にしてつければいいではないかという意見がある。それを実際に申しますれば、
日本銀行から
追加信用を出せばいいのではないか、こういう議論である。そういうことがこれはまあ御
婦人あたりにお尋ねすればお分りかも知れない。もう炊いてある飯はここにあるのに又米を新らしく出して飯を炊くというのは、そういう馬鹿げた話はあり得ることじやない。そんなことをしていれば、こつ
ちの飯が腐
つてしまう。そういうことが今日、
日本の困窮の
経済から立ち上ろうとして、無駄がなく一銭一厘もすべて効率的に行かなければならないときに許さるべき態度ではないと私は確信しておる。それでどうしてもこの
お櫃を壊さないように、こつちにある
銀飯を一つ出して欲しいというのが、二十五年における
資金源としての私の立場。
資金供給としてはどういうふうに二十五年度はなるかと申しますと、これは
手術中のこの
金融につきましては、先程申上げましたようにカンフルの注射もしなければならない。それから輸血も場合によ
つては必要、そういうふうにやるというのではないのでありますけれども、そういうふうな
考え方の
金融も、ときと場合に止むを得ない、こういうことであります。併し二十五年度は
手術が立派に
成功裡におさま
つておるのでありますから、そこでこれは先ず第一にはこの病入自体が起き上ろうとする、回復しようとする意欲と、節制が守られるということが何を言うても
要請される問題であります。同時にこれに適当な栄養もや
つて行く。こういうふうな
行き方をせなくちやならん。そうしてこの
病人が日一日と床の上に起き上り、或いは運動をする稽古をして行く。そうして後は外へ出て
ステツキを持
つて散一歩もできるでありましようし、或いは又マラソンに出る。こういうふうに持
つて行かなくちやならんのであります。そこでそういうふうになるように、
金融の方法を二十五年度以降には取らなくてはいかん。言い換えればこれは少しく
経済的な用語で申せば
経済の
循環をよくするということであります。
経済の
循環、いわゆる人間の
身体でも血の廻りが惡かつたらどうにもならん。
経済の
循環、生産から消費に
亘つて物がずつとこう適量において捌けて行く、そこで
経済というものが
循環をして行く。こういうふうな
経済体勢に二十五年度以降では持
つて行かなくてはならん。それをそんならばどういうふうにしてそれを持
つて行くか。これが
金融をする上の一つのコースになる。それを私はそういうふうによくなるように持
つて行かなくちやならん。運動ができるように持
つて行かなくちやならん。ただ併し
日本の
経済といたしましてはただ起き上り、ただ運動をするというような
行き方ではいけない。無論一時にそういう状態が出現するとは私は思
つておりません。併しながらそういうふうに持
つて行く
日本の
経済をして
要請されるところがある。どういう
要請を受けるかと言えば、貿易によ
つて、いわゆる輸出というものを振興しなくてはならん。
国際のマーケツトにおいて競争し得る
程度の
健康体に行く行くはならなくてはならんという
要請があります。そこで同じ動くにしても
国際水準に一歩々々と近寄るように立ち上るように持
つて行かなくちやならん。又そういうふうな
金融も考えなくてはならん。こういうことになるのであります。そこで、この二十五年度におきましては、私そういう点を、外の言葉で言えば
合理化を進めて欲しい。企業の
合理化を進めて欲しいということに要約されるのであります。企業の
合理化というのは、今日におきましてはよい機械を入れる。設備が惡ければ設備も改善する。よい機械も入れなさい。技術もよいのを入れなさい。そうしてこの商品の
生産費というものが
十分国際競争において堪え得るようなものにしなさいというのが
合理化の内容であります。そうしますと、この
合理化には
相当多くの
資金が要るのであります。又この
資金を供給することによ
つていわゆる
金融というものが緩かにな
つて行く。ただ
滯貨があるから
滯貨に
金融をしようというような
行き方ではいけない。この
滯貨が如何に動き、自然にこの
滯貨が捌けて行くようにする。
金融をすることによ
つていわゆる
合理化を推進する。
企業自体は
合理化によ
つて国際水準に近寄る体勢を徐々に示して行く。その
金融面ではその所要するその
資金の産業に入ることによ
つて金融が楽にな
つて行く。こういう方向をどうしても二十五年度から取らなければならん。それが二十四年度と異なるのであります。ところがこの
合理化資金は私がここで申上ぐるまでもありませんが、
長期資金であります。そこでどうするかという問題がある。そこで先程申しましたように、
資金源としては二十五年度は見返
資金と
預金部資金、これをお使いになればいいぢやないかというのが私の考。飯を炊いて置くということは食べるため。ただ蓋をして置くというようなために飯を炊く必要は毛頭ない。そこでこれを動かして来る。そうしないと、
空櫃の方は如何にお代りをして出してもつげない。つげば
お櫃が壊れる。そうして、
空櫃の方の
お櫃はこれは
金融機関というものを指すのでありまするが、若しも
金融機関が不健全な様相を呈しておるといたしますれば、日常に
日本の人々が
日本の
経済は
外資導入なくしてはやれないということを幾度も繰返して言うておるが、
日本の
金融機関が不健全な様相を呈してお
つてどうして
外資導入ができるでありましよう。実にこれは考えて貰わなくてはならん点であるのであります。そこでどうしても見返
資金と
預金部資金というものを動かして欲しい。これは
相当な金額に上るのであります。又私の考ですと、見返
資金のこういう性質について、余り私がむしろいろいろと御審議をされて專門な
皆様方にかれこれ言う必要もないかも知れんが、この見返
資金について若干の何と申しますか、誤解と言えば
惡いが、十分この
資金の性質というものを了解をしていないかの感じがある。この見返
資金の
資金というものは、
アメリカの
援助物資等によ
つてその
代り金がここに集ま
つておる。これは間違いはない。併しながら何故に
アメリカの
タツクス・ペーヤーの負担においてそれ程の
物資を
日本に寄越して呉れるかと言えば、それ程のものがなくしては、
日本の
国民生活も
日本経済も堪え得ない。
從つて自分達アメリカの
タツクス・
ぺーヤーとしては甚だ負担が大きいが、止むを得ずこれだけは
日本に送ろうということが
コングレス等の決定であると思う。そうしてみると、
そのもの自体は
日本経済、
国民生活の上にどうしても全部が入
つて来なくては、そこにマイナスを生ずる。ところがその
変つた形である見返
資金というものは、これは
国民所得の中から
買つた資金である。これは
アメリカから来たんじやない。例えば食糧を買う場合は私共が月給の中からこれを出している。或いは又外の資材でしたらそれぞれの会社がやはり出している。從いまして、この見返
資金というものは、援助という立場にある限りは常にやはり還元をして貰わないと、
資金面では
自立経済を営んでおるという様相を呈する。そこに無理が生ずる。よく分り易く言えば、仮にそういう見返
資金を十分使わずに置くとすれば、ニューヨークに持
つて行
つておると思えば概念がはつきりする。そうするとそれは売買です。
資金的に言えば、
日本の金がニユーヨークに行
つておることと変りはない。そうすると
日本の
経済は大きな金詰りをするであろうということは、これは私は何人も考え得ることであろうと思う。そういう
ゆとりのあるものだつたら甚だ私は相済まんと思う。そんな
ゆとりのあるものを
アメリカの
タツクス・ペーヤーに御負担して頂くということは、これは又相済まない思
つている。これはぎりぎり必要のものである限りにおいて私は許されるべきものじやないのであろうか。こういうふうに私は考えておる。そこで二十四年度は
インフレ收束という見地でありますから、そう金が出なくてもよろしい。これは
インフレを收束するために他に
副作用が起
つてもよいという態度でやつたんでありますから、そう細かく議論しなくてもよい。併し二十五年度はそうはいかない。そこで今育つたような
行き方の
金融をするから見返
資金と
預金部資金というものを活用しよう。こういう方向。それは恐らくが
大蔵大臣も全く異論のない、私と同じ考えでおありになると信じている。ただ私は直接のその
特別会計、
財政の問題の直接の
責任者ではない。ただそれが
金融面に大きな
影響を与えますから、その限りにおいてできるだけ
大蔵大臣をお助けして、そうしてそういう金が動きますようにと努力をしているのであります。見解において決して相違はない。幸いにしてこういう点は
相当よく分
つて来まして、この見返
資金と
預金部資金の運用ということが二十五年度の
金融の
中心題目に今日な
つておりまして、そうして動き方も徐々によくな
つておる。どうしてこれを動かそうかというふうなところまで来ておりますから、これは私は今後
相当よくな
つて行くという確信の下にあるのであります。こういうふうな
行き方というのが私の抱いておる二十五年度の
金融政策のメイン・ストリートであります。これでよろしい。言い換えれば、
合理化ということによ
つて相当の
有効需要を起す、その
有効需要で
経済の
循環を図
つて行く、そうしてその線でデイス・
インフレというようなところで行ける、こういうふうな考慮の下に進んでおるわけです。こういうふうなところに
朝鮮事変が起
つたのであります。私自身は
朝鮮事変が
日本経済に如何なる
影響を与えるか、これは非常な細心の注意を以て見ておるのでありまするが、まあ併しこれは
相当な
日本経済に
影響を与えるということは言い得ると思うのですが、細かいことは無論私の十分
知つておるところでありません。これは又仮に若干
知つてお
つても、いろいろと
作戰上のことにも関連することで、申し上げ得ることではないのでありまするが、併し言い換えれば、ここに
有効需要というものの関係が又起つたわけです。そうしてこれは戰争というようなものの
要請でありまするから、戰争とまで言い得るかどうか知りませんが、
朝鮮事件というものの
要請、こういうことを中心として更に又こういうふうな
事柄から
国際の政局というものがどういうような動きを今後するであろうか、こういう進展をよく見つつ考えないと、何とも今は判断は下し得ない。併しいずれにしても
相当な
需要を喚起する。ただ私が今日そういう面において言い得るであろうと思いますことは、この事変がどういうふうに解決いたしましようとも、どういうふうにという意味は、非常にどうなるという意味じやありませんが、私共としては、速かに
局地的解決を念じておるのでありまするが、そういうふうに行きましても、今後の世界の情勢というものは
相当程度において
防衞態勢を強化するであろうことは想像がつくのであります。言い換えれば、
国際的に
物資の
需要が
相当喚起されるであろう。これは更に
価格の
政策の上から申上げれば、
国際物価水準という、ものが、どちらかと言えば上昇を迫るであろう、こういふことが言い得るのであります。從いましてこの
事柄は同時に
日本経済に大きく
影響をするであろう。まあこういうふうにも考える。言い換えれば、
有効需要の
日本経済に及ぼす
影響が徐々にやはり大きくな
つて来る。そう今日において大変な
需要を喚起するかのような
考え方をするのは非常に間違いであり、同時に謹愼を欠くのでありまするが、併し徐々に
相当の
需要があるであろうと思う。こういう形は
インフレ傾向を取る。
傾向としては
インフレ。いわゆる
有効需要がそういう形で国の内外から起る。言い換えれば
インフレ傾向。今
インフレということについて神経過敏にな
つておるのでは、決してありません。何もそう恐れることはない。これは又
インフレに断じて再び転じてはならない。又転ぜんでもよろしいというふうに考えておるのでありまするが、そういう
傾向はあるということはやはり
十分腹に入れて今後の
政策を考えて行かなくてはならん。これは言い得る。併し例えば
アメリカの……今新聞では特需、特別な
需要の特需、というような言葉で呼んでおりますが、
アメリカの
作戰上から、
日本の
物資に対する
需要、こういうものはこれはドルの
裏付けがある。ですからそれ自体直ぐに
インフレ的と言わんでもそれはよろしい。ただ
輸入状況が、今後における
日本経済に対する
物資の輸入がどういう
程度にスムースに行くかということがキー・ポイントである。ドルの
裏付けがあるから直ぐに安心だというようなことを考えると大変な間違いである。これは六一次
大戰当時における
日本の輸出が如何に振興し、そして百円が五十数ドルというような
為替相場の現出をした。外貨は溜るに溜つた。二十数億の外貨が溜つた。併し
日本の
国内価格が高くな
つたのと同じであるのであります。要するにドルというもので
日本に輸入をする……特に
日本の場合におきましては御承知のように
原料資材というものが極めて少い。
原料資材が非常に少いのでありまするから、この補給というもうが十分できない限り、差当
つては若干のストツクがありますが、この限りにおいては物の
需要に応じられまするが、併しこれは直ぐ
物価騰貴を生ずる懸念を生ずる。これがそういうふうなことになると、
日本の
物価騰貴というものは
国際物価水準を上廻る
可能性が多いのであります。それは
自分自身が
原料資材を持
つているか、或いは輸入如何にかか
つている。こういうことなんでありますが、仮に
日本の
物資に対する
需要が多くな
つて来て、而も
原料資材がこれに伴わんということになると、
日本の
物価は上
つて来る。言い換えれば、それでも無理に
需要に応ずるとすれば
日本国民生活をぐんぐん下げる。いわゆる
日本の戰争中みたいに
国民の
国内生活の面において変
つて行く。あの戰争状態と同じような
状況を生ずる慮れが多分に生ずるのであります。こういう点はやはり十分に注意をいたまして、今後の
経済政策並びに
金融政策を見て行かなければならない。これは又どういうふうな
金融上の形で変
つて来るかという点も一つ申上げて置きますと、今分
つておることだけでも二つの点が
財政上において違つた形を取
つておる。一つは今申しましたように、私は大体先程申しましたように、見返
資金と
預金部資金を大いに役立てようということを説明した。今後は産業に対して
預金部資金も見返
資金も
長期資金として出して貰いますが、今度そういう特需と申しますか、
アメリカの
需要、貿易の方は暫く措きまして
アメリカの方から軍事用の
需要がありますと、ドルでそれを買
つて行かなければならない。そうするとこのドルは
日本の
物資を買うために今日では為替管理委員会と言いますか、あすこに売るわけであります。言い換えればドルが来て、そのドルを売
つて、又ドルが円にな
つてその円が産業界をずつと潤して行く。いわゆる外国為替
特別会計といいますか、私法律をよく知りませんが、この外国為替管理委員会の基金に、ドル
資金を麺やすような形において国内
金融は大きく賄われている。これは大きい一つの変化であります。これは見返
資金にも
預金部資金にも
財政支出というものにも関係なくて行われる大きな
経済の口がここに一つできた。もう一つ
財政上においてやはり
変つた形があるのは今回のいわゆる私余りよく知りませんが、予備警察隊ですか、警察の方が七万五千人ですか、それに水上保安隊が八千人、こういうものが殖えて行きまして、
相当これは恐らく
財政上予定しなかつたことでありますから、これにやはり数百億要るでしよう。これは私より皆さん方がお分りのことですが、恐らく私は数百億円の
資金もこれは結局債務償還を減らすという形において賄えるだろうと私は想像している。そうしてそれだけ又
資金の
需要が出て来ているわけであります。それが又一般産業界にいわゆる
国民所得という形で還元されて行く。こういう形にな
つて、こういうふうに幾つか変
つて来ている。特にやはり外国為替
資金から産業
資金が投下される。これは十分その他の輸出入貿易とも総合的に考えるべきは無論でありまするが、要するに
輸入状況というものを十分よく見ないと、これは非常にむずかしい問題だ。
日本の産業というものは
需要があ
つても
原料資材がない。そのために物を作るのにどうにもならない。ましてそういう要地席があ
つて設備の拡充をやつたところが、直ぐに行詰
つてしまう。そういうような
状況である。そういうふうな形で今後行く。これが二十五年度の
金融が動いて行く上において一つの大き道なである。そういう点を一つ十分皆さん方が御承知、御注意下さ
つてお
つて、いろいろ
政策を立てて下されば、非常に私は有難く思う次第であります。今日は極く大筋なところを申上げまして、尚御質問がありますればお答え申上げます。これで御容赦願いたいと思います。(拍手)