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大山郁夫君 議長並びに
参議院の皆様、私はこの両三日来病床に臥せ
つておりましたので、今日やつと出るようにな
つたのでありまするが、併しながらまだ十分の力がないのであります。殊に私は準備不十分の演説を諸君に聞いて頂くことを考えると非常に不本意に考えまするが、併しこれも一老学究が
祖国再建の事業に参加しようという熱意から出たものであると御了解下す
つて、お許しを願いたいと思うのであります。(
拍手)
私は
無所属の
立場から選挙に臨んだのでありまして、今も
無所属の
立場でこの
参議院の議席に連な
つておるのであります。そういう
関係上から勿論一
党一派に偏するような
立場を持
つておらないので、全民衆の
立場を代表して、ものを言いたいと思うのであります。殊に選挙のとき、或いはもつと早くから、即ち私が
亡命生活を終えて
日本に帰りましたときから、私は
民族独立と
日本の
民主化或いは
平和的建設について
語つてお
つたので、今日もこの
立場から語ろうと思うのでありまするが、こういう問題は勿論全民衆の問題であると思うのであります。
共産党の
人々も、社会党の
人々も、或いは
労農党の
人々も、
自由党の
人々も、民主党の
人々も、こういう問題には関心を持
つておられる。だからどの党派に所属される
人々と雖も、私の論旨に若し共鳴して下さるならば、私はそういう方といつでも提携することを辞するものでないということを先ず初めに申上げて置きたいのであります。(
拍手)それで全民衆の
立場からとは申しましたが、併しながら、過去の私の経歴上、或いは又私の持
つておる
理論的立場から、
労働者農民或いは
労働者農民と提携しておる
一般の
勤労大衆の
立場を特に強調することは、これは当然のことであります。今日の
反動政治の下において苦しみ喘いでいるのは、勿論
労働者もそうであり、
農民もそうであるが、それ以外に
中小企業家もそうである。それから
民族資本家も或いは又
科学者、
芸術家、文士その他小学校の教職員までも含んでおるところの、いわゆる
文化人、
知識人も、同じような境遇に置かれて、時代の悩みを悩んでおるようなわけであります。こういうわけで、今日の段階においては、
解放運動と言えば全民衆のものであるということは申すまでもないことでありますが、併しながら、この
解放運動が成功的に闘われ得るためには、
労働者、
農民、殊に
労働者がその先頭に立
つて闘わなければならないし、又
一般の大衆もそれを
労働者に期待しておると思うのであります。そういうわけでありまするから、勿論この
労働者の
立場は非常に尊重されなければならないと思うのであります。それからもう一つ、私は自分の過去の経験からもそういうことが言えると考えるのであります。私は今この演壇に立ちますときに、二十年前に、あの日比谷の公会堂の演壇を占めたときのことを思い出し、或いは又私達は、私自身は、学窓を出て街頭に来たり、
労働者農民並びにそれを支持する
一般の
勤労大衆と手を携えて闘争に従事してお
つたのである。そのときに、我々が掲げてお
つた中心的スローガンというのは、
帝国主義戰争反対というのと、
政治的自由旋律というのであ
つたのでありすます。この
スローガンを我々が今日の時勢に適用して見るときに、それは実にあの
ポツダム宣言が
日本の
国民に課した
民主化、
日本の
民主化と
平和的建設というあの使命と、符節を合したように一致しておるのだと思うのであります。(「その通り」と呼ぶ者あり、
拍手)
労働者農民は、
ポツダム宣言が発せられたときから二十年も前からその主張をしてお
つたのである。今でもその線に
沿つて、進んで祖国の自由と平和と
独立のために闘
つておるということを我々は考えなければならないのであります。(
拍手)こういうふうに、同じ
立場をしつかりと固守して変らない、その線に進んで飽くまで人類を解放に導こうとしておる階級は、我々は非常に尊重しなければならないと考えるのであります。こういう
労働者農民或いは
戰闘的大衆は、あの
日本が
無用戦争を起して置きながら、
ポツダム宣言が発せられるや、急に昨日までの
軍国主義とか、
帝国主義の看板を、今日は
民主主義・
平和主義に塗り替えたような
政権盲者達とは、その選を異にしておるということもできると思うのでありますが、(「その通り」「よく聞いて置け」と呼ぶ者あり、
拍手)こういうわけでありますから、私達は今後
祖国再建が叫ばれるときには、こういう大衆に非常に重要な場面が振り当てられなければならないのであります。今日、
日本は危急存亡の際に立
つておる。
民族の
独立が失われるか失われないかの瀬戸際に立
つておるのでありますが、こういうときにこそ、創造的の
政治的識見というか、
創造的経綸とでもいうか、いわゆるクリエイテイヴ・ステイツマンシツプというものが要求されておるので、この点に少しでも関心を持
つておる者は、今申しました点を非常に胆に銘じなければならないと思うのであります。だが、今日の事実は全然それに反しておるのである。今日の
反動政治の下において、真先にその
経済的搾取と弾圧の衝に立
つておるものは
労働者農民であり、そうしてだんだんこの
労働者農民或いは
一般大衆が、言論の自由であるとか、
集会結社の自由、デモの自由、
政治的活動の自由というものが奪われつつある。こういう状態が継続したならば、
日本の経済的、文化的、政治的の発展ということは決して期して望むことができないと思うのであります。今にしてこの情勢を我々引つくり返さなければならないところ来てる(
拍手)そういうようなことを念頭に置いて、先ず私は
民主主義の
立場から幾らかの質問を始めたいと思うのであります。
この点に関しましては、勿論我々の注意は、最近
あと月の六日でありましたか行われた
共産党の
中央委員会の二十四名の
追放、続いて行われた
共産党の
機関紙アカハタの
責任編集人の
追放、こういう問題から当然始めなければならない。これは
国民生活の上に対して非常に大きな影響をもたらし来たるべき性質のものであるから、どういう
立場にいる人もこの問題は徹底的に究明しなければならないと思うのであります。それで私は、この問題の起りは
マツカーサー元帥の書簡から発しておるように新聞で見たのでありますが、併しそれは暫らく触れない方がいいだろうと思うのであります。併し先だ
つてのあの
施政方針演説において、
首相はそのことに関する説明を少し試みられたように思うのであります。それを読みますと、若し私の読み違いでなければ、
首相は
治安維持の
目的のためにあの
追放を断行したのであるというような意味に聞えることを
言つておられたように思うのでありますが、この私の解釈は間違
つておるかいないか。これに対してもその御答弁を願いたいのであるが、併し
治安維持の
目的のためにあの
追放を断行したとするならば、その所期の
目的が十分に達成されたか。或いはその逆効果が今生じておるのではないであろうか。我々が
新聞紙によ
つて知るところによるというと、そういう
共産党の
指導部の
人々は、その
追放を受けてから間もなく或る者は地下に潜入したということが伝えられるし、それから
さまざま流言蜚語が行われるようにな
つたのでありまするが、これが
却つて日本の治安の妨害にな
つておるのではないかという疑いを私達は持
つておるのであります。これが私達の感じだけであるか、それともそういう事実があるかというようなこともよく承わりたいと思うのでありますが、同時にあの
追放を
治安維持の
目的のためという理由で説明するということについては、どういう憲法上の基礎があるのであるか。この点もやはり究明する必要があると思うのであります。私達はあの事件の真相について知
つておることは非常に少いから、殊に私は熱心にその点に対する説明を求めたいと思うのであります。私達の知
つておる限りでは、
共産党の
指導部の人人は、
コミンフオルムの批判を理論的に受入れたというようなことがあ
つて、これは
新聞紙にもそう書いてあ
つたのでありますが、併し
コミンフオルムの批判を理論的に受入れたということは、直ちに
共産党が
暴力革命の実行を掲げたということを意味するのであるかないか。この重要な点をやはり御教示を願いたい。法律は意思を罰せずというのは、これは
民主主義の要素の非常に重大なものであると思うのでありますが、この点からこれはどう説明されるのであるか。こういう問題に関する疑問は果てしなくあるのでありますが、時間の
関係上、私はそれを端折らなければならないのでありまして、この次には講和問題の二、三に触れて質問がしたいのであります。
それに対して先ず第一に、私はあの多分皆様も御存じであろうと思いますが、最近のニューヨークで発行されておるところのへ
ルド・トリビユーン紙に関して一つの
記事があ
つた。それは六月十一日
東京発、というのに載せられてお
つたのでありますが、
マーガリード・ヒギンスという
東京在勤の同紙の通信員がその電報を打
つたということにな
つておるのであります。その電報の中に、
吉田内閣が
單独講和と引換えに
軍事基地の提供を
マツカーサー元帥に申入れたと書いておるのであるから、何でもない電報のようでありますが、これは非常に重大な意義を
蔕びておるものと思うのでありまするから、これはそのままにして置くことはできない。それで私はその
ヘラルド・トリビユーンを最近探し
廻つてお
つたのでありますが、併しとうとうそれは見付からなか
つた。それで詳しいことはまだ分らないのであるが、それで筆者である
ヒギンス女史に
会つて様子を聞こうと
思つたのでありますが、
ヒギンス女史は
朝鮮の方へ今行
つておられるということで、とうとう会うことができなか
つたようなわけでありますから、それで私は止むなく外の材料でこの点を明らかにしたいと思うのであります。
北米新報というニユーヨークで発刊されておるところの
邦字新聞なのでありますが、この新聞はさつき申しました件についてはこういう
記事を載せておる。それをここで読むことを許して頂きます。
北米新報の六月十五日附の号であります。「
ヘラルド・トリビユーン東京特派員マーガリード・ヒギンス女史は十一日
東京発通信で、
吉田首相の率いる保守的な
親米政府は、若しも
米英側との
單独講和が締結されれば、
日本政府は自発的に
アメリカに
軍事基地を提供すると、
マツカーサー元帥に申入れたと伝えられておる。
ヒギンス女史は、
右通信で、先週枢要な地位を占める
日本の一閣僚」……名前は挙げていないが、大抵見当が付くでしよう。「先週枢要な地位を占める
日本の一閣僚と講和問題について会見したとき、その閣僚も同じような意見を述べたと
会見談を次のように伝えておる。我が党(
自由党)は今日の
世界情勢から見て、
日本が中立を保つことは不可能だと考える。
我我はできるだけ速かに
主権の回復を望んでおる。併し差当
つての将来の
最小限度の
アメリカ軍隊が駐屯することが、国内又は国外からの侵略を防止する上に必須の條件であると考える云々とこう
言つた」と、こう書いてあるのでありますが、これが
記事に現われたような事実が若し本当に事実的の根拠があるのであ
つたならば、
吉田内閣は
国民の背後に隠れて闇取引によ
つて日本の
軍事基地というものを外国に提供しようとしたと言わなければならないのでありますから、非常に重大な問題である。勿論政府はこれを否定せられるであろう。
吉田首相或いはこの
記事に対しても、
新聞紙に載
つたことは自分には責任がないと言われるかも知れないと思うのでありますが、併しこれは今日そういうような答弁でなくて、この
記事が虚報であるか、虚構の
記事であるか、それとも事実を伝えておるものであるかということをはつきりと弁明して頂きたいと思うのであります。(
拍手)これは非常に重大な意味を含んでおるのである。
日本を
軍事基地化することが如何に重大な影響を
国民生活に臭えるかということは、もう論じ盡されておることでありますから、私は言わないつもりでおりますが、併しながら
民族独立ということを我はしよつちゆう叫んでおるその
関係上、如何にこれが
日本の
主権の制限ということを意味しておるかということについて一言したいのであります。我々は
ポツダム宣言のあの第八項に
日本の領土に関する一つの
條文があるのを知
つている。それにはこう書いてある。「
カイロ宣言ノ
條項ハ履行セラルベク、又
日本ノ
主権ハ本州、北海道、
九州及四国並二吾等ノ
決定スル諸小島二
局限セラルベシ」と、こう書いてありますが、限らるべしというのは、これは地域的に言
つたのであ
つて、とにかく
主権が及ぶ限りはその
主権に制限が加えられるというようなことは少しも書いておらないので、私はこの
條文をどれだけ頼もしく考えたか知れないのでありますが、
日本が
軍事基地化されるようなことがあるならば、基地化されたその範囲内において
日本の
主権が全部と
言つていい程制限されるのであります。ところが最近の国際的の、あの国際問題に関する
評論家達の言葉を聞くというと、
日本の
軍事基地化に関連する
面積がますます拡大化して行くような傾向があるように思うのであります。あの当時から我々はしばしば有名な
評論家、ウオルター・リツプマン、或いはニユーヨーク・タイムスのガルツバーガー、或いはニユーヨークタイムスの
軍事評論家であるハンソン・ボールドウインとい
つたような人達のこの問題に関する議論をしよつちゆう見る機会を持
つてお
つたのでありますが、外の材料もあ
つたでありましようが、それは我々の目に触れることはできないけれども、そういうような人の書いた論文は始終我々は目に触れておりましたが、それから得た印象は、現在
アメリカが沖縄において持
つておる
軍事基地というものは余り
狹過ぎるので、一発の原爆の襲撃を受けたならば忽ち粉砕されてしまう。だから
アメリカは
日本の本土においてもつと沢山の
軍事基地を持たなければならない。極端な場合には
日本の全土を
軍事基地化しなければならないというようなことを考えておる人人が
アメリカの
有力者の中に相当沢山あるという感じを私達は持たされたのでありますが、万一これが事実の上に現われるというと非常に大変なことにな
つてしまうのであ
つて、非常に広汎なる
面積の上に及ぼさるべき
日本の
主権というものが殆んど全部的に制限されてしまうということになるのではないか。殊にその
軍事基地が設定されるというふうにな
つて来るというと、もはやそこには恐らく
日本人の立入が禁止されるでありましよう。
主権の制限というようなこういう法律上の用語を以て表現すれば何でもないようであるけれども、実際から見るならば、それに
関係するところの
面積というものは、もはや政治的に利用することもできなければ経済的に利用することもできない。又その上に農業が営まれたり、産業が営まれたり、又そういう
面積を運輸とか交通とかその外の経済上の
目的に使用することが全然できなくな
つてしまうのであ
つて、これは
国民生活の上から
言つて非常に重大な問題にな
つて来るのであります。
日本は非常に人口が稠密で、その割台に
面積が狭いと言われるのに、この上に尚こういうふうに
軍事基地が設けられるように
なつたならば、我々は一体どこで生活してよいのかという問題が起るに違いないと思うのであります。そういうわけで、この問題は非常に重大である。それから又さつき申しましたような
外交評論家或いは
軍事評論家の言葉によるというと、割合に狹い地域に
軍事基地を持つということは、これは戰路上非常に好ましからざることである。
戰路上価値がないことであるということが盛んに言われておるのであります。将来
アメリカが
日本の国を見捨てるかも知れないというふうの論拠も、多くの
人々によ
つてそういうことの上に置かれておるのであります。狭い土地の上に
軍事基地を持
つておることは危險である。即ち今日のような武器の発達した下においてはみんな粉砕されてしまうような危險にさらされておる。又
日本の再軍備ということがこの頃
ポツダム宣言にも拘わらず海外で唱えられておるのも、やはりそういうような
軍事基地を守るということが如何に危險であるかということを表明しておるのではないかとも考えるのであります。
吉田首相は
日本の
軍事基地段定ということに関連して
安全保障ということを説かれるが、併し
日本が
軍事基地となるときには、その
軍事基地が
占領国の敵国の側からの襲撃を我々は覚悟しておらなければならないことになるのでありますから、そういうことにな
つてしまつたならば、
安全保障であるべき筈のものが危險保障になるというような結果が現われるのではないか。(
拍手)これは非常に重大な問題であ
つて、決して
国民の背後に隠れて闇取引によ
つて決すべき問題ではない。これは飽くまで公明な手段によ
つて全
国民の
一般投票に訴えなければならないと思うのであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり、
拍手)そういうような点を言えば限りがないのでありますが、簡單にいたします。
又最近あの
北鮮事変が起
つてから、
吉田首相は、
日本が
国際連合に協力しなければならないというようなことを言われておるのでありますが、一体これは何を意味するのであるか。我々はこれは、あの
新鮮事変に適用した場合においては、
朝鮮に対する
国連の
武力制裁に何らかの形式によ
つて参加するということを意味するのではないか。若しそういうことを意味するもりとすれば、私はそれは明らかに
ポツダム宣言に違反しておるものであるということを断言しなければならないと思うのであります。第一、
日本はまだ
国連に加盟しておらない。私は
日本が
国連に正当に加盟することを急ぐという議論には賛成であります。加盟するために我々は準備を着々整えなければならないということには賛成でありますが、併しながらそれはまだ
日本が加盟しておらないということと協力しないということとは矛盾するもりでありません。全く加盟しておらない。そうして
国連の機構の中にいて一票も持
つておらない。
発言権を全然持
つておらないのでありますから、だから
日本はその
国連の決議を一も二もなく無批判的に受入れるというような地位にあるわけではないと思うのであります。若しそういうことを考えるならば、それは明らかに非民主的な考えである(「その通り」「そうだ」と呼ぶ者あり)ということは言うまでもないことであります。それで
国連と雖も人間の
集まりなんで神様でも何でもない。勿論、
国連は
世界平和保障のための
国際的協力機関としては立派なものである。だから我々はそれを尊重しなければならないが、何とい
つても
国連は人間の
集まりで過ちを犯さないとも限らないのでありますから、過ちを犯したようなときに
我我はそれに参加する必要はない。それに加入しておるならばこれは話は別であるが、まだ我々は参加しておるのでも何でもないのであるから、
国連の決議だと
言つても一々これを批判してから、かからなければならない。殊に今日動乱の
朝鮮の場合においてはそうである。先ずあの
国連が北鮮に加えておる
武力制裁に
日本が参加するということが
ポツダム宣言の條項のに違反するか、しないかということを考えなければならないが、
ポツダム宣言の精神は明らかに
日本が
世界中のすベての国と
親善関係に立たなければならないということを
日本に命じておるのであります。即ち
ポツダム宣言によ
つて日本は完全に非武装化されている、そのことから来る当然の帰結はそうであります。それで我々は
朝鮮に対しても、イデオロギーという問題を超越して、
朝鮮民族を
朝鮮民族として見てそれに対しても心からの友情を贈るのは当然であ
つて、この際、
国民は、南に或いは北によ
つて同情を示す態度をとるべきでは断じてないと考えるのであります。(
拍手)それで、この点も大抵このくらいのところで端折りますが、最後に、まだいろいろの項目を並べて置きましたが、これを一々ここで論ずるわけに行きませんから、最後にあの講和問題についての質問と書いてある、あの辺に書いておることを一言だけ言いたい
さつき朝鮮のことに関して
言つたことはそのまま中国について言える。
我我は
ポツダム宣言を受諮したときには、中国はまだ
国民政府の支配の下にあ
つたのでありますが、今や中華人民共和国とな
つて人民政府の支配の下にある。が併し我々が飽くまで
ポツダム宣言の精神の上に立つ限りは、曾て
国民政府の
支配下にあ
つた中国に対して
我我は友情を示したと同じように、今中共政権の
支配下にある
国民に対しても同じく友情を示さなければならないと思うのでありますが、殊にこの点に
関係しては、我々は直ちに
日本の将来の
国民生活というものが、
アジアとの緊密な提携にかか
つておるということに関連して来るのであり、又経済的のものは、あの
日本の将来の
経済生活の方面における
至上命令であるところの日
華貿易の線が、非常にくつきりと浮び出て来ると思うのであります。こういうふうに、経済的に文化的に我々は
アジアの諸
民族と緊密に提携しなければならないのだが、今日におきましては、殊にあの
世界平和の擁護という問題において、隣接の
アジア大陸の諸
民族と一層提携を緊密にしなければならないと思うのであります。勿論、
世界平和という以上は、我々は
世界の各
国民・各
民族と
親善関係を結ばなければならないことは当然でありますが、併しながら昔から遠きに行くには近きより行くということがあるのでありまし
つて我々はここに
世界平和の建設ということを論じたにしろ、お隣りの諸
国民と
親善関係を結ばないで
世界平和を説くということは、実に矛盾した態度であると言わなければならないのであります。我々の
世界平和建設に対する貢献は隣国の諸
民族と仲よくするということから始めなければならない。ところがあの
單独講和というのは、これはその
日本の
国民を
アジア大陸から引離すというような意味を
蔕びておる。そういう意味において我々は
單独講和に絶対反対なのであります。我々は本当の講和は
全面講和でなければならない、
單独講和というものは講和の名に隠るるところの戰争の準備以外の何ものでもない(
拍手)と考えるのであります。これも又
日本を非常に危險なところに導く。我々は飽くまで
日本の
民族独立を守らなければならない。私の場合においては、過去何十年間、殊に
世界大戰以来、自分の生命を犠牲にしてや
つて来たことは、
民族の
独立を守る、
日本を
民主化すること以外のことではなか
つたのであります。私はこれを考えて、その
立場を守り、又諸君と提携してこの
立場を守り通そうとして考えておる。私はこの
立場から絶対
單独講和には反対して
全面講和を主張するものであります。
全面講和に関する
吉田首相の説明はたびたび聞きましたが、今日は
日本の将来の、
日本の隣国との提携の問題の一線から、もう一遍考え直して頂いて、その点から
首相の熟慮せられた意見を聞きたい。
私が
首相に答弁を求めました問題は、
日本の全
国民が非常に大きな関心を持
つておるばかりでなくて、全
世界がやはりそれに対して大きな関心を持
つておると考えるのでありますから、それで私は非常に厳粛な態度で今日の質問を試みたのであります。私は
吉田首相に同じ嚴粛な態度で、こういうすべての問題に対して、明確な一点疑いのない答弁が與えられることを期待しておるということを申上げて、今日の演壇から下ろうとしておるものでございます。(
拍手)
〔
国務大臣吉田茂君登壇〕