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岩間正男君 まあ自由の問題に又戻
つて行きそうでありますが、昨日もこの自由の問題については保留してお
つたのです。今日もまあそれに深入りしようとは思いません。併し自由は心に抱いていて守れるということはない。必らずこれは恐らく今の文相流に申せば、
一つの抵抗を突破しなければ、どうして真の自由は得られない。これは当然なことじやないか、こういうふうに思うのです。そういう点から
考えて当然情熱の問題が出たわけですが、私は情熱があるからどうしてもいい、こんなことは
言つておりません。その点は文相の非常な私に対する
誤解じやないか。ただ過去の
教員のやり方を見ますと、情熱どころか無気力だ、こういう形で以て本当に正しいものを、そうして真の生命を守り抜くということが過去の政治になかつた。私自身をも加えて、そういう体験を、そういろ反省を持
つておる。そういう点から敗残の日本を再び起上らせるためには、どうしてもそういうものを捲き起さなければならん。むしろ
教員がそういうような情熱を持ち、実践力を持ち、
指導力を持つということなしに民族を復興することはできない。これは今の大きな課題にな
つておるのでありまして、そういう点から
言つても、文相の気持は分りますが、どうも今の
立場において文相は随分そういう議論にセーブされておるのじやないかと
考える。平和擁護、戰争反対というような
運動については、これは文相としては、これに対してその方法が正しいということだつたら少しも反対できないという御
答弁だつたと思いますが、一体そういう方法はどういうことなんですか。つまり
考えておることだけですか。戰争は反対だ、それから平和は飽くまでも守らなければならん、これを心の中で
考えたり、祈つたりする、どういうことですか、行動を伴わないところの
一つの
思想というものは私はあり得ないと
考えるのでありますけれども、そういう点はどういうふうに文相はお
考えですか。例を挙げますと、
学生諸君が、例えば日本の今の態勢の中におきまして、平和を守り抜かなくちやならん、戰争はどうしても憲法に
規定するところによ
つて飽くまでもこれは反対せざるを得ない、戰争を放棄した憲法を持
つておる日本人としてこの
運動を起す、皆の力を合せてそういうふうな
運動を進めることは対して、文相は一体どういうふうに
考えるのですか。(「常識」と呼ぶ者あり)常識です。非常に重大だ。これは今度のこの
基準の
一つの大きなポイントになると思うから……、文相は外らさないということをおつしやいましたから、私も信ずる、そういう
意味において外らさないところのはつきりした良心的な御
答弁を願いたい、こういうふうに思います。