○
参考人(鷲見保佑君) 私は
肥料商
業者の立場から二、三申上げたいと思います。
統制が解除になりましてからのここ三ヶ月のことを申上げる前に、先ず
肥料商が過去においてどういう姿であ
つたかということを前提として申上げたいのでありまするが、
昭和十四年の八月頃までは
肥料の
販売は
肥料商も農協も特に政策的とか、政治的に
数量を決められて売
つてお
つたのではございません。極めて自由におのずから
需要者を求め
生産者のものを取次いでお
つたのでありますが、
昭和十四年の八月に商業系と農協系との
販売が段々エキサイトして参りまして、何らかそこに
調停の必要があるだろうという政治的の根拠が生まれましていろいろそこに交渉があ
つたのでありますが、結局二元制、農協系で
販売する
数字と商人系が
販売する
数字を国家が定められたのであります。その
比率は大体商人系が四九%、農協系が五一%、こういう
割合に決定されたのでありますが、本当の
実績はどうであ
つたか。これを
数字で調べて見ますと商人系は六八%、農協系が三二%ぐらいの
実績で農村に
肥料が流れてお
つたのであります。ところがその後漸次
戰争状態に
なつて参りまして
昭和十九年にはこの
肥料商は一軒もなくな
つたのであります。全部
肥料営業というものを
政府に返上いたしまして
日本中には
肥料商というものは一軒もなくな
つたのであります。その当時
肥料商はどういう
状態でストツプざれたかと申しますと、約一万五千九百六軒
肥料商があ
つたのであります。これは組合に参加してお
つた者の数でありまするがその外に組合に入らない
肥料商も多々あ
つたのであります。且つその当時の取扱い
実績というものを調べて見ますると、四九%に決定されておりましたが実際に扱
つてお
つた数字は約四八・五%でありました。これは
化学肥料であります。この外に有機
肥料、動植物
肥料を約五一%強扱
つておりました。かような形におきまして
肥料商は全部
肥料営業というものを国家に返上して一軒もなくな
つたのであります。そうして
肥料の
配給は農協系統一手で農村に入
つてお
つたのであります。その後
公団ができまして一手買取り一手
販売という形末の端機構として、
公団から農村に
肥料を流す段階の小売登録店が生まれまして、この規則によりまして
肥料商も再び
公団の末端
販売店としての資格を得て
公団の一機構として
行なつたときの
肥料商の数が約四千軒でありました。これは全く農村に接触した小売商がそうでありまして卸とか元売とかいうものは当時その仲間に入
つておりませんでした。そうしてどのくらいの
数量を
公団を通して
肥料商の系統から農村に流してお
つたかと申しますと、約一五%
程度のものを四千軒の
肥料商が扱
つてお
つたのであります。この四千軒の
肥料商というものを十九年廃止しました当時の
肥料商の
数量を比べて見ますと約二五%がそのときに復活したわけであります。かようにして扱い数は約一五%くらい。この四千軒の
肥料商は
公団の小売店の総数のどのくらいに当るかと申しますと約二〇%。小売店の二〇%の
肥料商が一五%の
実績を持
つて公団の品物を流してお
つた。こういう過程にな
つたのであります。
さてそこで
公団がなくなりまして八月から
肥料商として再び活動を開始したのでありますが、これはまだ
統計が取れておりませんが我々の推測しておりまするのに約八千軒くらいな
肥料商ができたのではないか。四千軒から八千軒までくらいに殖えたというような観察をしております、
只今名簿その他を
調査しておりまするが。そこでこの三ヶ月の間にそれでは
肥料商系統でどのぐらいの品物を流しただろうか、流通過程においてどれだけの
実績ができたろうか。こういうことになりまするが、この
数字もまだ分
つておりませんけれども二、三メーカーの
方々に承りますと約四〇%弱ではないか。農協系が六〇%商人系が約四〇%、このくらいのものは商人系から出たろうということを一、二承りました。先般農林大臣に
肥料公団廃止問題の当時、一体お前は商人系でどのくらい売れるか、こういうように聴かれましたのですが私はこれは四〇%はできると思います。かように私はお答えしたのでありまするが、略々その
数字がこの
秋肥三ヶ月間の
実績においては完了し得たと思うのであります。尚我々の観察といたしましては一、二年後には約四分六の形にまでは行くのではないか、かように観察をしております。
そこで申上げたいことは、かように
公団が廃止になりまして極力
販売に努めたのでありまするが、
公団が廃止当時における金融措置というものは極めて商人系には冷たくて、閣議決定の新聞記事もありましたが、農協系の方は農林中金というバツクの下に
日本銀行と繋がりができて、メーカーに対する
肥料代の支払いというものは非常に安定した形ができたのでありますが、商人系は一般財界の金融の中に
肥料金融も放り込まれてそこに
政府その他から水増しがされておらないのでありますから、他の金融を食うか或いは自分の過去の
肥料統制中の自己の金融以外には金融力というものは持たないのであります。かように金融的に不利な
状態に置かれましたのでありまするが、メーカーの
方々の理解ある
販売政策等のために、例えば三十日後に払
つてやる、四十日後に払
つてやる、それでよろしいというようなことで先ず三十日乃至四十日間において品物を流して貰
つて金を吸上げてメーカーに払込まなければならない、こういう非常に苦しい
状態の下に自己資金を全部使い尽して尚金の吸上げを
行なつて激しい
販売戰を
行なつているわけであります。その結果において尚先刻申上げたような
数字が出たということは、私は
肥料配給面においても商業機関がやはり農村の機構に適しておるためではないかと思うのであります。勿論これは全購連
方面も必要でありますし、又商人系にも必要であろう、この両者を通して農村に
肥料を流すのが一番いいというのが
農林省当局並びに
政府各位のお
考えがあ
つてその形が生れたのでありまするから、大体
公団当時のような
実績よりも
肥料商は
実績を挙げたということが言えるのでありまして、
政府の方針先ず当
つたと私は思うのであります。
さような意味合におきまして今後の
情勢もこれをそのまま引延ばして
考えてもよろしいだろうと思うのでありまするが、そこで
考えられることは我我はこの農協と商人系とが過去におきましては相当争
つた例がありまするけれども、我々の現在の
考えは全然そういうことを持
つておりません。どうかこの二本建で平穏に農村に
肥料を流したい。それにはどうすればいいかということを先ず
考えているのでありまして、これが若し商人系が漸次
数字を延ばして逆に四分六分にでもなりますれば又そこにいろいろな問題が起ると思うのでありますが、でき得ればこれを五分五分の線に抑えて大体の
数字を農協系から五〇%、商人系から五〇%流すような或る
一つのアンダースタンデイングを設けるか、或いは過去においても閣議において大体の
数字を決定した例がありまするので、この慣例に習
つて五〇、五〇という線に抑えてメーカーのものを流すならば無用の競争を廃すると同時に、中間で売
つたり買
つたりするような過去の差金売買の弊害を除去することができるのではないかと思
つている次第であります。さような意味におきまして、私は
機会がありましたならば御考慮を願
つて商人系と農協系の取扱い数を、これは
工場から出る
数字であります、半々くらいのところに何らかの政治的御処置を願うことができますれば
肥料界のために非常によいことだとお願いする次第であります。
次に金融措置でありまするが、これは現在も変
つておりません。これはなかなかむずかしいようでありまするが、商工中金の制度におきましては
只今申上げました五分五分ということになりますると、
化学肥料で金額が約六百億になりますれば、その三百億の金融を商工中金に仰ぐということは枠が大き過ぎて無理であります。二、三私も商工中金に参りまして
理事者諸公と会いましたが、どうも「たらい」が小さ過ぎて「こい」がはみ出すというような恰好で乗
つて呉れません。でありますから、これを例えば農林中金が
肥料金融を扱
つておられる現状でありますから、
肥料商の
肥料金融も農林中金で御考慮を願い、又農協の
肥料金融も中金が見るというように、
肥料の金融の一元化或いは市中金融で
業者に対して
肥料金融の水増しをして頂いてその安定を図るならば、我々の金融問題は
解決ができると思うのでありまして、これを格別にも御考慮願いたいと思
つておる次第であります。
それからもう
一つお願いいたしたいことは、これは甚だ申しにくいことでありますが八月から
肥料は自由に
なつたと、かように申して一般的には
考えておりますけれども実態は完全な自由に
なつておりません。と申しますことは
肥料生産公団が品物をストツクしておる、これは
政府の手においで処理をする、これと
会社から売出す品物の売出との勘案ということで、完全な自由にはまだ
公団の尻つぽが残
つておるためにいろいろなそこにいがみ合いができて参りまして、
販売する方におきま
しても困難な面が起きておることと、もう
一つはこれはいろいろ
販売の問題になりますが、売手と買手が値が合い買いましよう、売りましようと、大体売手と買手との間において価格が決
つたと思うその価格を、農業政策とか或いは
肥料価格が高いとかいうようなことから抑えられるというような面が起きて参りますればこれは売買ができない。私はその売買のできないことを申上げるのじやありません。
肥料の
販売と申しますのはそう簡單にできるものではありません。前輸送も相当の時間を要しましてあらゆる
機会を掴えて農村に入
つて来るのでありますから、祭があ
つたとか法事があ
つたとかで或いは町に出たとか農村に行
つたからというようないろいろな条件で農村に品物が入
つて行くのであります。もう
一つは季節的に例えば現在冬に向
つて参りますと、今から商談が行われませんと雪の降る国は輸送ができないのであります、雪が固
つて。それで「そり」で品物を運ぶ。それは何であるかというと来年の雪が解けた後の品物を送るのであります。でありますから現在すでに来年の三月乃至五月の品物の商売の話を進めていなければ農村に適宜な
配給が困難な場合が多いのであります。
公団時代は前輸送というものがありまして
公団のリスクにおいて各地方にストックしてありましたから、季節に直ちに手近なところから輸送ができたのであります。現在ではストック・ポイントに入れるということは非常に費用も嵩みまして、メーカーの立場からできれば
工場からすぐに田圃に送りたい、代理店より持
つて行くのが一番安い。そうすると季節に輸送ができない。そうなりますと一番近いのは農村に成るべく早く入れてやる。それには雪の降る当時はその雪を利用して「そり」で運ぶ、こういう慣習に
なつておりますのでそれに持
つて行くにはそれより一月乃至二月先に商談ができていなければ間に合わないというような季節的並びに地理的いろいろな条件がありまして、
肥料というものは農村へ入
つて行くのであります。これの売買をいろいろな
事情から高い安いというようなことから抑えられますと、その値段の生れるまでに相当長い間会合なさいまして、漸く
一つの価格の線が生れて来たのにそれが崩れてしまうということは、ひいて農村の
肥料買付けに非常に
影響が参ります。根元が動けば先が余計揺れるようなものでありまして、こういう面が自由でありながら自由でない、ここに何らかの調整或いは完全な自由を持
つて行
つて、
販売させる何らかの措置をして頂きませんと、非常に
販売する面において苦痛を生ずる、時期を失して適期に入らなか
つたということがあるのじやないかと思うのです。現にこの八、九、十の結果を見ましても、八月廃止と同時に
販売にかか
つたのでありまするが殆んど八月は出ておりません。関東のごときは十月十五日にはもう麦の
肥料には遅いのでありますが、九月も大して出なか
つた、十月に
なつて非常に出荷が殖えた。やや手遅れの感で農村に
肥料が流れているのでありますが、さような工合でありまして、一ヶ年間の
肥料の
消費量は大体秋が三割、春が七割、こういう
割合で農村に出しております。秋はここで三割の
消費はどうやら済みましたが、来春にかけて七割の厖大な
数字をこれから売
つて参りますには、少くとも数ヶ月間の
販売期間というものを要すると思うのでありますが、こういう点に
販売上の苦心があると同時に、これを御理解願
つて自由にしたならば、成るべく前にいろいろな準備を民間にさせて季節に間に合うように売ることのできるような形にして頂きたいと思うのであります。大体以上の通りであります。