○高良とみ君 私のほうからもいずれ明細な
調査報告書を
提出いたしますつもりでありますが、概略を
事務当局において
調査されたものがガリ版にできておりますので御覧を願いたいと存じます。
これは一々読上げませんのでありますが、私の
調査いたしましたものは山形県と秋田県でありまして、山形県は農地が七〇%もあるものでありますから、幸いに
開拓に適する土地を選択されましたので、そこにおける入植状態が非常によく行つていると言うべきであると思うのであります。但し山の中でありまして、非常に困難な原始的な状態のところで、山を越え、谷を越えして渡つて行くところに、而も殆んど樺太の南方くらいの高さの、寒さのところに
開拓家族が入つておるのであります。で特に山形県は進んで無縁故者を二万人以上引受けましたので、その
関係からの土地の無償拂下の問題があるわけであります。それから更に特別な引揚住宅、庶民住宅を建てておりまするのに対して、町村から弁償費、火災保険費、及び修理費は今まで出しておるのでありますが、それを早急な時期において町村へ無償拂下を実行して貰いたいという要求が切実にあるのであります。そうでありませんと、この国が建てまし先或いは外の残つておりました兵舎等を利用しましたものが国有財産に
なつておりますると、中に居住しております者等を動かすときも、二割くらいしか入替えをする自由を持つておりませんので、管理上非常に困難があるということであります。で私共視察いたしました引揚住宅の中でも、市街地に近いほうは勿論生活の安定ができつつありますし、殊に本年度の七坪半の引揚住宅の割当によつて建てられて行き、又昨年度のそれで建てておりますものは非常にきれいな、又衛生的な地区に選ばれてできておりますが、その以前に引揚を急に行いました住宅は困難な状態にあるのであります。未
帰還者は山形県としては三千人以上おるのでありまして、中共から音信のありまするものが百家族を越えており、香港、広東、天津等に居住しておるという実情がわかつておるのであります。
でこれらの引揚げた人たちに対する更生資金でありますが、これは一万五千円の更生資金を今日の物価に照らし合せまして三万円に増額して貰いたいという希望と、これの償還金が余りに多過ぎるために借りては直ぐ返し、借りては返すということになりますると、更生資金の役をなさないということなんであります。で山形県について申しまするならば、九百二十万円を五ヶ年で借りました更生資金のうち、七百三十万円を償還して行かなければならないという
ようなことがありまするために、安定した更生資金の役をなさないということは考慮すべきことだと思うのであります。
それから更についででありまするので、ここでまとめて申上げますと、戰歿者の葬儀を文民並に執行する自由を與えられたい。まあこの点は町村長等の要望でありましたが、戰歿者であるために、文民並の葬儀を遠慮しておるという
ようなことは非常に戰歿家族、又は戰歿の通知を後から受けました者の家族に卑屈な一種の罪悪感を與えて、村町等で困難を感じておるという訴えがございましたことも御
報告申上げるべきことだと思うのであります。
幸いに山形県におきましては、農林省から来ております営農資金がよく活用されておりまして、このうちの農機具代、或いは肥料代、家畜代等を潤沢に活用して運用して行きまするために、入植者の更生資金面でない、つまり社会課から来るところの更生資金でないものが非常に入植者を助けておるのです。この点は私共丁度板谷峠の近くにあります入植地に参りましたのでありますが、それを潤おしておりますものは営農資金なのであります。坂谷峠等の高いところにおいて、ああいう困難な生活をしておられる
方々の生活費を見ますると、殆んど
自分で作
つたものを
自分で食べるということの外は、月の生活費が四人家族の平均で極く支出金額が少いのでありまして、その点は一年の半分以上は雪と寒さにあるのでありまするから、もう殆んど最低生殖をもつと超えておる。食費等に拂うものが一人当り六百円
程度のものでありまして、これではもう栄養……、或いは配給品を取ることもできないということでありまするので、もう少し私共国庫の面からの……、生活から考えましても更生資金を長期に貸與えて行きましたならば、そういう極端な、生活戰線を守ることもできない
ような状態から入植者を守ることができるということを痛感いたした次第であります。この点私海外へも二、三
報告したり、訴えたりいたしまして、
日本の帰還入植者の生活が余りにみじめであるという点を数字で出して置いたのでありますが、細かいことはいずれ統計でお目にかけます。で秋田県におきましては無縁故者の帰還引受がやはり非常に多いのでありまして、秋田県では主に集団住宅を見たのでありますが、花岡鉱山地区におきましては五十戸の
引揚者住宅があり、このほうはすぐ手元に鉱山という仕事がありまするので、割合に就職状態がよろしいわけであります。併し雄物川住宅と言いますのは三百戸入つておりますが、旧造船所でありまして、近くには何の他の住宅も職業もないものでありまするから、寒風の吹きすさぶ
日本海面に当つてこの三百戸が生に日雇人夫をいたしておりまするために生活がなかなか安定しないのであります。これはここに住宅があ
つたために入れたという応急的なものでありまして、家賃は三十円ずつぐらいとつておりまするが、これに対する県費が二百万円以上もかかつておるのであります。その点から県当局では是非
一つ外の地方にありまするところの引揚家屋の割当を早く建てて、そうしてこの集団住宅三百戸というものを解消して行きたいという希望を持つております。こういうふうにこの応急に建てましたもの、殊に引揚初年度に建てましたものは改築費のほうがかかつて行きまするので、風で屋根がふつ飛んでしまうとか、或いは廊下のもう床が拔けておる。畳のごときものは殆んどない住宅が多いのでありまして、極く小部分においてはアンペラを敷いてそうして我慢をしておる。広いところに両側に住宅があつて真中は真暗な通路であつて、そこに辛うじてかまどを据えておるというのでありまして、火災等に危險であります。その外強首にあ
つた兵舎に二十世帶、沼立というところに二十世帶ありますが、この兵舎の利用もやはり多少似たりよ
つたりであります。市内のやはり兵舎であ
つたところにありまする千秋寮秋田住宅というのは三十戸或いは二十戸ぐらい住んでおりますが、このほうは土地柄が都心に近いために余り悲惨な生活を見なか
つたのであります。で秋田県の
引揚者住宅はどうしても早くこの割当の住宅を建てて、そうして明朗な生活にいたしませんと、いたずらに依頼心の強い、或いは反抗心をさえ持つておる
ような引揚家族を見まして同情に堪えなか
つたわけであります。それから未復員者の実情について調べましたところによると
給與法を千円にすべしというのは世論でございまするが、未復員者の中で引揚げて来て……、いえこれは未復員者のほうではありませんが、未復員者の数が秋田県では非常によく
調査ができております。フイリツピン、濠州、英国、中国等のことと、それから戰犯の実情もよく調べておりまして、これに対し世話課の世話も行き届いております。ただこの
引揚者が帰つて来まして直ちに申告することの遅れてお
つた人たち、未申告者というのがこの県ではありまして、
先ほど鈴木委員から
お話のございました
ような過誤
給與という話は秋田、山形においては聞かなか
つたのであります。でその点は更に
調査を要するかと思いますが、この両県においてはそれはなか
つたものと考えます。で秋田県は入植者が合せて二千九百五十戸あるのでありまして、その中に
引揚者は七百六十戸ありまして、これに対する生業資金、更生資金、その両方をやはり長く貸して貰いたいという要求が多か
つたのであります。概して秋田県におきましてもこの入植者に対する畜産のための、一戸二万円の家畜資金というものを與え、農具資金は一戸五千円を與え、これを二十四年度は一戸に当つて七万二千円、それから二十五年度は十万円を
給與して行く計画を立てておりまするが、これはやはり農林省の資金と、それからこの生業資金との両
方面から調整をとつて援助して実施をいたしております。それからそれらに対しまして、この中金の貸出を要望しておるのでありますが、利息を六ヶ月ごとに更新して行くことに困難を感じておるのでありまして、
開拓者信用基金というものの第一号というものを秋田県では作
つたのであります。それは県と
政府とが協力いたしまして、そしてこの中金から貸出を要望して来ておりますが、可なり進んでおりまするけれども、六ヶ月ごとにその利息を拂つて更新して行く。借金の形を更新して行く。この点で非常につらい借金である。併しこれだけのものを借りて入植者を援助しなければならないということを申しておりました。で、山森は国有林が全県の三分の二もあるのでありますから、これをもつと開発して行くことに対して秋田県は計画を持つておるわけであります。
次に県として希望しておりますることは、漁業でありまして、カムチヤツカ漁業或いは日魯漁業ということ、或いは樺太の樵ということは県としての誇りであ
つたのでありますが、その
方面に対する出稼出漁が全部止められましたために、漁業
方面からの收入が減り、或いは労働に従事する方法がない。
従つて失業問題が秋田としては特に
引揚者の間で痛烈に
なつて来ておるわけであります。この
方面は或いは漁業の資金融資ということも考えて行きましたならば、秋田県の海のみでなく他の遠海にも出たいという希望と一応解釈したわけであります。
それから引揚或いは在留
同胞の中で、日赤の看護婦の問題が秋田県にはありまして、折角県で以て養成いたしました看護婦の中で帰りました者が昨年二十二名あるのであります。そしてその大部分の実情は、これらの者が引揚げておりまするが、尚新京、ハルピン等に残つておりまする在留
同胞の消息がこれらの日赤看護婦を通して聞かれるのであります。で、追加して日赤としましては、こういう秋田県の
ような地区で日赤看護婦の養成に今まで実績も挙げ随分苦労して働いて来た人のあるところに対しまして、今後共日赤看護婦の養成を非常に
程度の高いものとせずに、養成の許可を貰いたいということで、これは厚生
関係の要望であります。その理由といたしましては、結核が秋田県では六十万人あるのに対して病床は五万人分しかないので、
引揚者の中には非常に沢山の結核があるのにこれに対する援護機関が何らないということであります。で、労働状態は月に二十日間くらいしか働けないのでありまして、県、市社会課等では授産所を作つて働いておりまするが、なかなか今の衣食住一般
方面の内職がないものでありますから、授産所の実情を視察いたしましたけれども、秋田地方における生業の途が立たないというところに
引揚者も苦労をしておりまする実情を見て参りました次第であります。大分飛び飛びに主だ
つた條項だけを御
報告いたしましたが、細かい数字の
報告はこのガリ版に刷りましたほうで御
承知願います。