○
参考人(
武見太郎君)
只今伺いましたことで、これは全部どれをとりましても大変結構なことだと存じております。今までに
新聞紙上その他で画期的な
結核対策というものが何回か伝えられましたけれども、その結果は
結核の悪循環を断ち切ることができない
状態に
なつております。今度は今までとは全然違いまして、莫大な
予算と学問の
進歩とが裏付けられておりますので、私は必ず成功させなければならないものだと考えます。それにつきまして少しばかり私
達自身の経験と、それから今後の
対策についての私
自身の考え方をお語いたしたいと思います。
それは今回の
日本のような
結核の侵襲度の大なるときには、余程ちやんとした
予防組織を作つてなければいけないということでございます。殊に
予防組織は末端において強力な
予防組織をどうやつて作るかということが成功するしないの鍵であると存じます。この問題について少し
お話をいたします。末端組織を如何に作るかということは、これは
保健所が握るべき問題であると考えます。現在
保健所の数は九百余ございまして、三千人の定員がある筈でありますが、千何百人という定員に満たない
状態に
なつております。この
保健所の
状態は現在におきましても甚だ遺憾なものであると考えますが、急激に厖大な
予算と大量の仕事が入つて来ました場合に、これを有効適切に使い得る能力があるかないかということにつきましては、疑いなきを得ないのであります。この点の拡充
整備がどうやつて行われるかということが問題であると考えます。この点に関しましては
保健所職員に対する特別な待遇が私はなされなければならないと考えます。ここが非常に立派な社会医学的な活動があり、その地区の末端組織の中心と
なつて十分な活動ができるかできないかということが、今度の厖大な
予算をうまく消化するかしないかという私は一番大きな重点であると考えております。今日の
保健所の
状態ではそれに対しては極めて不十分であります。この人的の強化という問題の解決は私はまだ伺つておりませんが、急激にこの人的の解決と質的の
向上ができるとは考えられません。
予算の五ケ年
計画、十ケ年
計画の初期の二年ぐらいは思い切つて個々の人的質的の確保のために厖大な
予算を使用されることが私は将来成功の基ではないかと思つております。それからその組織は末端の
結核患者を中心といたしまして、その家族に対する
教育が必要であります。現在におきましては、この
教育的な組織が一つもございません。これはどうしても
保健所を中心といたしまして
結核患者の家族を中心とした
結核予防に対する協力的な
教育が必要であります。この
教育の方法に関しましては、農村は農村特有の
教育方法が要りますが、工業地帶は工業地帶特有の
教育方法が必要だと存じます。この問題をその地区的にうまく解決して行くというのもやはり
保健所の責任であると考えます。私は社会保障
審議会におきまして、この点を考えまして、末端地区の公衆衞生
委員会を提唱したのでありますが、これは御採用は頂けなかつたのでございます。どうしても末端地区にそういうものを作りまして、開業医とか、学校の先生とか、或いは村の
相当物の分つた人とかを、その人達を
教育して
委員にいたしまして、又
患者の家族の中から、その看護に当る人の無智というものは将来の
患者発生の最大原因でありますから、家族の中から一人の責任者を選び出しまして、その責任者に対して十分な
教育を公衆衞生
委員会なり或いは
保健所が與えるという形になりませんと、末端に対する手当が十分には行き届かないと考えます。それからその末端をどういうふうに観察するか、どういうふうに見るかということは、この地区の公衆衞生
委員会にお任かせに
なつて、その報告をお聞きに
なつてもいいと思います。例えば消毒薬の入手が不十分であるとか、或いは衣服の消毒が不十分であるとか、そういうふうなことは
保健婦の
訪問だけでは到底手が足りませんから、その地区の知識階級を動員いたしましてこれに充てる。それに対しては必ず何らかの処置が取られるということが私は望ましいと思います。現在の届出が十分に行われませんことは、届出に対する裏付が
余りないということであります。これはどうしてもこの裏付を以て十分な届出を
要求することと、又その届け出たならば必ずその家の人達は安心して看護ができる。これは
日本の
結核患者の七割、八割は在宅
患者であるということの
日本特有の重大事実を見逃しはできません。たとえ
病床数を如何に増しましても全部の在宅
患者をベツドに收容するわけに行かないのであります。どうしても私は
日本の
結核の特質を完全に把握した強力な末端機関を、それの
教育に対して十分な責任が持てるだけの
保健所の機能を作つて頂きたいと考えるのでございます。それに協力いたします
医師会なり、学校医会なりいろいろの
方面の協力態勢というものがこれ又十分に行き届かなければなりません。今日はその協力態勢を作るべき中核体としての
保健所は甚だその役目を果していないのでございます。
保健所の
状態に関しましては、インターンの学生は大体において失望して帰つて来ておる現状でございます。忙しそうに見えても実際仕事をしているのじやありません。あれじや詰りません。こういうインターンの学生の
状態であります。この
状態を脱却するには、私は一つの方法があると考えております。それは地区の
保健所を選びまして、これは地区の大学の公衆衞生学なり
結核專門の教授をその
保健所長となさいまして、そうしてその人達が思う存分に野外作業として、将来の立派な、そういう活動ができる
医師を
養成する訓練をそこでされるということであります。これは惰眠を貧ぼつておる一部の
保健所に対しては覚醒剤となりますし、又画一的に上の方の
命令だけを実施して文書の報告だけで事が足りておるという
状態を脱却するためには、どうしても大学がこの野外作業において合法的、有機的な形で参加することが望ましいと考えております。それが先ず私が
保健所を中心といたしまして
お願いしたいことであります。
それから診定機関の問題でありますが、厖大な
国費を個人の
治療のために使用いたします以上、どうしても診定機関がなければならないと考えております。診定機関で強制
入院と決まりましたものは、その家族なりその人の生活保障が十分になされるということが絶対條件だと思います。
只今伺いますと、その保障はないように見えておりますが、この
状態では折角の診定機関も十分な活動ができないのではないかと考えております。その保障も生活保護の
程度の保障よりはもう少し立波な保障が私はされなければならないのじやないかと思います。その裏付がないとこの診定機関の診定は私は将来鈍りはしないかと考えております。これは極めて民主的な形で診定されますし、又現在の一般開業医や
保健所の診定能力は私は決して高く評価しておりません。その中で最も有効にそれらの能力を利用するものとしては診定機関が十分な活動をすることが望ましいのであります。ただここに問題となりますことは、手術の方法その他にまでどの辺のものが強制的なことができるかという問題であります。これは場所によりまして若し間違いますと、ナチス
ドイツが優生裁判所を二審制で持つておりますのと同一軌道に乗りはしないかという虞れもございます。
結核の
治療に関しましても充填術は
余り行われなく
なつておりますが、こういうふうなものを一部の人が興味本位に学術上の
対象として、こういうことが身体実験的に行われるということになりますと、人権問題ともなります。この点で私は運営は中正妥当な民主的な行き方でないといけない、こういうことが私の一つの希望條件でございます。これはナチスの優生裁判所的には恐らく今日の
状態ではなりはしないと思いますが、間違えればならないとも限らないし、そういうふうに受取られますと、折角地区の能力を動員いたしまして、診定に当ろうというのが不可能になる虞れがあるかと存じます。これが診定機関に関する問題であります。
それから集団検診の問題でございますが、私は現在の集団検診はそれに携さわる人達の能力を以てしては早期の診断というものは極めて困難であると考えております。これを急速にレベル・アップさせますためには私は研修が必要であることは十分に認めます。併しながらこの研修期間が私はやはり一年なり二年なりの長期を必要といたしますので、ここにも
相当大量な研修費が出ておりますが、これはやはり私は二年ぐらいは思い切つて短期でなく長期の講習をなさいまして、そうして十分な実力のできた人達を配置してやるということでなければならないと存じます。
それから末端の開業医が一番困りますことは、
BCG接種の後の陽転化と自然感染の陽転化が実際には区別ができないことであります。これは経過を追うて観察して十分に見ておれば分ることでございますが、そうでないと
BCGの陽転と自然感染とを区別できません。それを放つておきます間に或いは又次の病気の段階に入る慮れもございます。
BCGが感染防止に対しては私は未知数であると考えますが、発病防止がこのマイナスの面と、プラス・マイナス、どうなるかということは私は專門外の者でありまして分りませんが、こういう点に関しまして、今世界的にも
我が国内におきましても、
BCG効果に関する異論も
相当出ております。これらについては学界との協力によりまして、十分に解明して、そうして末端の
医師にその問題が十分な理解ができますような処置を取つて頂きたいと考えます。
それから
ツベルクリンの問題でございますが、
ツベルクリンは実際末端の学校医などが使いますと、或る
製造所の
ツベルクリンはよく出るが、或る
製造所のは出ないということはよく皆学校医が異口同音に訴えるところであります。これは
ツベルクリンの検定
規格がプラス、マイナス二〇%の差を許されております
関係上、絶対値は四〇プロの差が出ております。こういうものが
ツベルクリンのような精密であり厳重な管理を要するものの基準に使われるということに対しては私は多少の疑いなきを得ないのであります。この点に関しては、どうも末端の学校医は現在の
ツベルクリン液に対して全幅的な信頼を持つていないのであります。この点に関しましては、
ツベルクリン液に関して将来十分な
規格の統一を願いたいと存じます。
それからもう一つ今度は末端の問題から上りまして、中枢部のこれは頭脳的な指導される場合の問題でありますが、私はベツドを殖すことはこれは絶対の條件であると考えますが、いろいろな
日本の現状から考えまして、次の政策をどうやつて立てるかということについて、私は今まで十分な
資料が集められたとは考えられないのであります。いつもお役所の仕事はなさるときには華々しいが、してしまつた後の結果について十分な把握がなされていないことが多々ございます。で
結核の場合に関してもこれは私は例外ではないと思います。殊に統計的の問題になりますと、衛生統計の專門家が少いことと、それからそういうふうな訓練を受けた人達が末端の
療養所や病院に少いという点もございますが、
患者の現状分析を見ますと、特殊の
療養所を除きましては、現状分析の
資料は統一的には出ていないのであります。こういうふうな衛生統計やこの現状分折を十分にいたしませんと、次の
計画の
資料を得ることができないのであります。厖大な
費用を投じていたしましたことが場当り的に
なつたり線香花火になりますのは、この基礎的な
資料を十分に持つということが一番肝心なことであります。どうしても現状分析の
資料がありませんと、医療の
治療的な面におきまして、次の段階を、最後の決定をいたしますには私は困難があると存じます。その困難をはつきりと掴まえませんと、薬とか新しいものにだけぶらさがりまして、本質的なものが失われる心配があると存じます。十分に熟練した立派な所でなさいました
外科手術は
相当に成績も挙げておりますが、私共の聞き及んでおりますいろいろな面から考えますと、大体において
外科手術の成績は五〇%五〇%でありまして、これはゼロになる虞れもあるのではないかと存じます。現に特定な調査をされた方の結果を伺いましても五〇%五〇%でゼロだということを伺つております。こういうふうなことは次の段階に入ります上において、如何に
技術の研修が必要であるかということも教えますし、又その手術、手技そのものが将来更に研究の改良を待つということも考えられますし、強制することの良否も決定されるわけであります。この現状分析か一定の企画の下に統計的に成就されて常に
中央部に入つておるということが一番望ましい問題でありまして、実際に
療養所に参りますと、忙がしい方は無暗に忙がしいが、盲目的にその仕事をまつしぐらにやつておるということでありまして、それについての批判が加えられていないのが現実の
状態であります。こういうふうな点から考えまして、どうしても私は医療統計に関する專門家を
療養所に配置なさつて、そうして十分な現状分析の
資料を
厚生省が噛んで頂きたいと考えます。こういうような方法によりまして次の政策なり手段なり、現在やつておることに対する反省が科学的になされなければならないと考えます。厖大な
予算が現在の弱体な末端機関の上に覆いかぶさることの危險も、最上層部の
計画立案が本当に地面につくかつかないかという統計的に手技、或いは
資料に対する
経費が比較的見積られていないという点も考えまして、この点について十分な御考慮を願いたいと存ずるのでございます。
私が思いつきました点はその辺でございます。