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証人(野間海造君) 私は今日の
証人としての御案内を頂いた
治水、
利水の
技術という面からの御註文ですと、私は
技術者でございません。私の
專門は農学をや
つて、法律をやりまして、まあ
專門としては
水利権の問題、
水利法問題、こういつた問題を大正十四年頃から
自分の終生の
專門と心得てや
つて来ました。
従つて実態調査等も随分や
つておりました。それから又いろいろ
專門的な夢も
考えておりました。それがそういう夢だと思つたことがアメリカに行
つて見ると、夢でなしに現実にや
つておるというような嬉しいことにぶつかりまして、こういう
方面のことは
技術的に可能であるという安心も得られて非常に心強く思
つておるのでございますが、
日本の政策的な実施面におきましては、いろいろな困難があるかも知れませんが、要するにやればやれる大きな最大な問題であるという意味で、一層
專門的な熱情を高めながら
研究をしたいと念願しておるのでございます。今までずつとや
つて来て、それで結局私の
一つの主張として挙げたのは、昭和七年頃から私が総合開発の主張をしたのですから、もう十三、四年になりますが、そういう声の反響でできたのが僅かに河水統制であつた。私が夢だと思つたことは、これは誰でもの
考えるかも知れんが、
洪水の水がいろいろな
被害をもたらしながら海に流れて行くのが勿体ないと思つた、あれを何とかせきとめて使つたらなあと思つた。これをアメリカでや
つておることは、私がアメリカに
行つたのは昭和五、六年にかけてですが、例のフロツド・コントロール、アメリカのフーヴアーダムとかグランドクーリー・シヤスタとかいうああいう大きなダムがありますが、フロツド・コントロール、イリゲーシヨン、パーワアサプライ、フイツシエリー、下流のナヴイゲーシヨン、或るいはダム・サイトのリクリエーシヨン・センターとしての
利用とか、そういつたいろいろなことをや
つております。そういうことを
考えて、できることが私にも大分自信がついたのでありますが、要するに総合開発の問題はやればやれる。上手にやればこんな素晴しい仕事はない。
日本は持たざる国というけれども、実は持たざる国でありながら持てる素晴しい資源があるということには、年
雨量が非常に大きい。千五、六百ミリもあるというように年
雨量が多い。
雨量が多く山が豊富で、
従つて溪谷があ
つて、ダムサイトが適当なところに沢山あるという、この雨がうんとあるためにむしろその有難さを忘れて濫費し、或いは
洪水、
旱魃の
被害さえも受けておる。そういうような実情にだらしなくさらけ出されておる。併し
考えて見ると、この雨というものは非常に不便である。満洲や北支などは僅かな
雨量で、それからアフリカなんかに行きますと二、三百ミリの地帯がある。併しそういうところに比べると
日本は千五、六百ミリの
雨量がある。もう
一つ持てる大きな資源としては人口であります。而も人口が終戰後八千三百万人にもな
つてしま
つて、どうしてこれから食糧なり生産なりを興して食
つて行くかという非常に重大問題にな
つておるが、併し
考えて見ると、これは下手をすれば非常に社会不安を起すけれども、総合開発と結びついて上手に持
つて行けば食糧増産もできるし、それから電力開発によ
つて工業源料としての電力が豊富になれば、工業化が進むわけです。電力がどんどんできてどんどん安くなる。或いは火力補給が必要ないくらいに水力発電が多くできるというところまで行くと、恐らく電力單価も安くなるだろう、そうすると工業化のために非常にいい條件が備わる。或いはこういうことだけでこの過大人口が消化されるとは思わないけれども、併しとかく
一つの方式が国内で得られるということも十分
考えられるのであります。そういう意味で総合開発の主張が段々盛んにな
つて来まして、私も非常に嬉しいのでありますが、これ
はつまり上手に持
つて行くか下手に持
つて行くかということで
日本に発展的、積極的な永久な資源が新たにプラスされる、
洪水の
被害が打消されるのみならず、積極的な発展をするのに永久な資源がプラスされるということ、これは上手に持
つて行けば必ずこうなる。これは総合開発のために損を受ける者は余りないのです。総合開発のために損を受けそうに一応思えるのは漁業、これも稚魚を放したり、人口孵化をやつたりすると、これは又総合開発もむしろフイツシエリーが盛んにし得ると思う。それから流材が難しくなる。流材はこれは陸輸送を大体
考えるならばこれもいい。それからもう
一つは自然の風致を目標とする国立公園の面で以てマイナスという面が出るかも知れん。これも
考えようでありまして、人工の
変化によりまして、そこに又大きなむしろ観光地帯ができる。これはアメリカあたり十分に例証しておる。ただ世界の宝でどこにもほかに代りが得られないような天然の風致その他の保護物があるならば、これは保存しなければならんかも知れないけれども、そうでない限りはその方もそう困難はない。そういうことを
考えて行くと、実は総合開発を上手に持
つて行けば一石一ダース烏ぐらいになる、私は実はそう思
つておる。これは上手に持
つて行けばという條件つきの話、下手に持
つて行くと非常に困る、非常に困
つて禍根を残す。それは今度での水
利用の実態をずつと我々は調べて来ておりますから分るのでありますが、水の
利用には非常に原始的な形態と、極めて近代的、
進歩的な形態と二つあるわけです。原始的な形態というのは、流材だの灌漑だの、或いは
河川漁業だのというようなものですが、それと近代的なものというと、水力発電が王様で、それから上水道、こういうようなもの、この二つがいつでも利害衝突するのです。今まで私がずつと調べた中でも、水力発電が随分灌漑にいじめられたりもする、逆に農業灌漑からすると、電気のために随分いためられたりもする。私が最も古く調べたのは木曾川の大井、ダムの水の使い方です。つまり電力の需用に応じてロードを変えて行く。ピータ・ロードにはうんと水を落してうんと発電する。要らない夜中などには減して溜めて行く。こういう調節をすると、木曾川の本流の犬山から末の本流で以て相当広い所ですが、あれで平時一尺二三寸水位が上つたり下つたりする。それからお盆なんかに急にストップされたりすると三尺ぐらい下る。そのために宮田用水と当時の大同電力とが非常な紛争をしまして、私の水の最初の論文はあの事件であつたのですが、あの事件に対しまして、私はどうしても逆調整をして、
河川の流量に対する人為的な操作は、逆調整をして防がんといかんということを議論し、法律論を建前にして立派なこれは権利侵害であるということ、併しこれを権利侵害で法律で勝つた負けたと言
つても納まらないから、
技術的に逆調整をして安定した流量を流す、コンスタント・フローを流すようにということを議論として申したのが結局実現いたしまして、下流部に今渡の逆調整用のダムができました。勿論発電にも
利用しておりますが、ああいうふうなあの問題は実はどこにでもあるのです。鬼怒川でもあれば庄川でもあつた。庄川は流材問題の方が大きく騒がれたのでありますが、どこの
河川にも例外なくある。ただ一般の農業用水は、灌漑期間中は農業用水を侵害しないようにという許可條件がつけられるのが普通であり、或いは農民が騒いで何か補償をとるというような政治的解決で進む。そういう非常な無駄な
負担が水力発電にかか
つて来るのでありますが、要するに電力が電力の採算だけを
考えて、そうして外のことを無視なさるという気持が若し強いと、いわゆる総合開発は電力開発に終
つて、時には
流域変更もあろうし、或いは巨大なダムが沢山できて盛んな発電ができるけれども、この灌漑期間中の水量調節を電気本意にするというと、農業は今度は
被害が非常に大きくなる、禍根が大きく残る。その他のことは陸上正輸送に流材を変えるとか、
河川漁業の切換えとかいうことが
考えられますすが、農場の題につきましては、その問題が私は相当大きいと思うのでありまして、禍根が残らんようにどうしても持
つて行かなければならん。禍根が残らんように持
つて行くためには、どうしても
一つの理想を
考えて、その理想に近い方式で行くしかない。理想に近い方式ということは、結局大小のダムを数多く造
つて、最大
雨量、最大
雨量というのは
一つの
洪水でもたらされる
雨量は大体五、六百ミリでありますが、五、六百ミリを支流なり合流点なりで掴まえる。これはアメリカのダムを見ましても、大抵アメリカの雨の分布は
日本よりもつと極端でありますから、乾燥期には
旱魃しちや
つて草も枯れるくらい、それから降るときには一週間か、三、四日ぐらいでニ、三百ミリ、四、五百ミリと降り、非常に
雨量分布が片寄
つている。
日本の
雨量分布も片寄
つていると言えば片寄
つているが、まだまだアメリカなんかに比べると比較的ならしがきいている。併し本年のジェーン台風にしましても、一遍に五六百ミリが何十時間のうちに降
つてしまう。この水をどうしても巨大ダムで止める。これが
治水の役に勿論立ちます。
洪水を防ぐことになる。これを今度は小出しに成るべく平均的に使
つて水力発電をする。その水力発電も全部ダムにする必要はないかもしれんが、とにかく段々火力補給の必要がなくなるくらいに、石炭というものは何十年かすればなくなるらしい。少くとも経済的になくなる時が来るのじやないかと思う。だから火力補給に頼らないで、水力を過剰なくらいにと
つて、それのプーリングによ
つて調節ができて火力補給の必要がないくらいに私は水力電気が起きていいと思う。そうすると恐らく電力單価が安くな
つて、工業原料として安い電力が得られるということになると思う。つまり巨大なダムに限らず、勿論砂防のために堰堤、勿論砂防のことも
考えます。巨大ダムがすぐ砂で埋まります。大井のダムなんかひどく埋ま
つています。十年くらい経
つて行
つてみると、びつくりするくらい埋ま
つておる。あの大きなダムが
土砂が埋まるということは非常な問題で、適当なときに適当な排砂をするということは恐らくあの
方面の最大問題だろうと思います。
河川の維持のためにも大問題でありますが、ダムのためにも、或いは貯水のためにも、
洪水防禦のためにも必要なことであります。
従つて砂防はどうしてもしなきやならん。この砂防とそれから巨大ダム、そうしてその巨大ダムによ
つて水力発電、これを盛んにし、而も恐らくそういつたダムが
一つの大きな
河川ならば幾つかできる筈です。或いは自然に幾段階かできる。その場合に細末流のダム逆調整をする。つまり電力負荷によ
つて放水量をコンスタントに安定した平均フローを流す。こういう方式にする。そうすると、それから下の水は水位が高くな
つて、水量が豊富にな
つて灌漑のためにも聊かも迷惑はない、むしろ
旱魃の心配もなし
洪水の心配もない。それから水位が高くなるからナビゲーシヨンが利くようになる、安い運賃でそれから下は運べるようになるというようなことがありますので、こういう問題を
考えて、つまりダムのダムサイトの細末流は逆調整のダムにする。現在逆調整のダムは恐らく木曾川の今渡だけじやないかと思うし、又世界的にもあれは珍らしい例じやないかと思うのです。私世界的に実は知らない。アメリカなんかの逆調整のダムというものは私見ませんが、すべての権利
関係を包容してそれに適当な分類をしておるのでいいのでありますが、併し
日本のように
水田作が非常に普及している所で而もその使用流量が非常に大きい所では、どうしても最末流でコンスタント・プールをする方式の
工事がいいのじやないか、そうすると
洪水が防げるのみならず
旱魃も防げる。そうして発電その他に使つた永を今度は平均流量が殖えますから恐らく倍以上になりましようね。でありますから
利用対象の水量が倍以上になりますから現在三、四〇%しか使
つていないのが倍以上になりますから、
畑地灌漑それから
水田に改田するとかそういうことも勿論農業
方面からい
つても可能になりますし、それから非常な増産が期待できるのは、末流地帯に濕地帯が非常に多くある、排水事業を大きくしなければならんけれども、排水事業を大きくするには必ず用水を伴わなければならない。排水をじやんじやんやると今度は必ず水をかけなければ二毛作としてできない。こういう事態が私は利根の末流にしましても、信濃川にしましても、木曾川にしましても、大小の川に拘わらずあちこちに相当あると思うが、この排水事業が大きくなされてその又用水補給がなされるといようなことができると、私は非常な増産がもたらされると思う。でそうしてそれは二毛作ができる。一毛作も收量が安定するのみならず二毛作ができる。
畑地の灌漑というような、主として
陸稻の
畑地の灌漑、そういう問題が相当解決できる。こういう問題を
考えると農業増産にも大丈夫役立つ。農業の方も
旱魃被害の心配もなし安定した豊富な水量が十分に得られて、而も開発の余力を十分に発揮するということができるのであります。それから上水道ももとより水量が殖えますからして潤沢な用水が
利用できる。それから家庭用に限らず工業用水としても勿論
利用し得るわけです。それから又そういうふうに
河川の水位が高ま
つて平均流量が安定して来ますと
地下水も高まる。こういうような又影響がありまして、
地下水利用につきましてもいろいろな利便があるわけなんです。
従つて上手に持
つて行けば
一つの
治水利水の理想目標に向
つて総合的な
技術を結集して、そうして法律
関係なんかもその間において調整して行く。
一つの電力のダムを作るために農業にいろいろな手を打たなければならんというような非科学的な手段でなしに、科学的手段でこれだけの総合開発をすると、末流にどういう影響が行くか、その末流に対する影響も考慮したいろいろな
工事をや
つて行く。これをや
つて行くとむしろ紛争もなくな
つてしまう。勿論この水という問題に限
つて変動が絶えないのですからして、いつでも何か一ケ所でやれば必ず利害
関係が両岸において起る。この調整をすれば紛争の禍根は残らない。又若し紛争が起
つてもそういう視野からまとめて行けば法律
関係も円滑に処理できる。或いは又そういう法律問題の処理のための特殊な審判制度を作
つて、按術的処理、総合
目的処理というような特殊な審判制度を作るということは立法として
考えなければならん。それから又総合開発の基上立法としましても総合的な権限を與えて、そうして総合的に調整しつつ開発に仕向けるような
技術中心に法律が追随して行くというよような立法の形態は我々
考えなければならんと思うのですが、そういうふうに行くというと立法としても私は非常にいいものができて行くのじやないか。でそういつた面は今の
河川法でいいのじやないかとおつしやる人もあるかも知れませんが、
河川法は大体許可の権限を地方長官に與えておりますので、そういう意味でよく弊害があるのです。例えば庄川の流材問題にしましても、富山県の方は許可したが岐阜県では知らなかつた。そういうふうな問題があつたりして、そういつたことも少い例かも知れないが、調整の
方法が或いはあると言えばあるかも知れないが、要するに水というものは流れて利害
関係が非常に拡が
つて行くので、
土地のようにあぐらをかいていない、一所にじつとしていない、こういう公共的利害
関係を持つという意味におきまして、どうしても水の行政対象というものは水
中心で別途に
考えなければならんということを私は
考えるのであります。つまり水系別行政ということで
考えなければならん。こういふうに
考えて来ると、今の行政区画では非常にまずいので道州制の問題もありますが、封建的因襲によつたような行政区画でなしに、少くとも水に関する限り別の行政区画を作つたらどうかということも
考えなければならん。実は私
自分でこんな行政区画を切
つて見たものがあります。非常に変つた行政区画ができております、御参考に。こんなことも法律問題として
考えなければならん。それは恐らく又
技術面との関り合いにおいて
考えられる。そういう
考え方をして行くと電力の方も非常に質のいい電力が豊富にできる。石炭がこれからどんどん年ごとに欠乏して行くことに対する補給策も水力として
考えなければならんだろうと思うのであります。農業の方も従来の
水田に安定して水量が行くのみならず、
畑地灌漑によ
つて陸稲も十分なものができて
旱魃の
被害がなくなる、それから二毛作ができると、こういうような農業増産が大きく
考えられる。その他の
関係は先程申した通りでありますが、要するに、そういつた問題を睨みながら私は総合開発の基本立法を、どうしても作
つて円滑に持
つて行きたいと思うのであります。この問題は
一つ参議院としても十分
考えて頂きたいのでありまして、私実はこの春の参議院の選挙にはこの問題をひつさげて立候補したのでありますが御承知のように落選しましたが、結局これはもう参議院として或いは議員立法としても
考えて頂きたい。
それからもう
一つは
予算的措置の問題でありますが、これが又直ぐ行き詰る。例えば今年の
災害はジエーン、キジアその又以前といつたものを建設省の防災課の調査で見ますと、土木
災害復旧費だけで五千億くらいになるのです。実に素晴しい損害を受けております。こいつの
復旧がなかなか御承知のようにできなくてまだ二十三年、二十四年の
復旧ができなくて本年に繰越されておる
災害復旧費が四百八十九億というようなことが出ております。本年の
災害だけでもすでに五千億ということにな
つておる。こういう厖大な損害を水のために受けておる。これに
旱魃の
被害とか土木の
災害復旧費以外の損害なんかを加えたら素晴しい
被害、実に馬鹿々々しい損害を受けているのでありますから、
予算の
方面で余程思い切つた措置を取られたらいいと思うのでありますが、それも今は
関係筋があつたり或いは均衡財政いろいろな問題でむつかしいかも知れないが、要するに私の
一つの
考えは
治水に関しては公共的
災害なんだから国庫
負担これはもう動かすことができない。
治水を
災害地域で
負担してはとてもたまらない、これは上塗りになるからたまらないからこれはどうしても全額国庫
負担、せめて
労力賦役という奉仕的な方画を地方で
考えて行かなければいけないと思います。賦役の方は政府は
労力的に
考えていいが資材その他の
費用については全額国庫
負担ということをどうしても
考えなければいかんが、これも従来の
治水工事みたいにただ
河川堤防を上げるというのでなくて、砂防等の大小のダムでこういう水を変じて経済化する、財源化する、資源化するという意味に今度転換するのだから、それに一部
災害画を
負担してぶつける、ぶち込む。それからもう
一つの
考えは、水はそういうふうにして行くと、今度は財源になる、経済対象になる、資本になる、生産手段になるのだと、こう
考えたらこれ
はつまりそれによ
つて儲ける、
利益を受ける、だからしてそういう面が全部
費用負担をする、それを公債の形式で、そういうところに公債の形式で国が持
つて、それに立替える。その償還をそういう受益者が水力発電なり、農業の
土地改良区なり或いは上水道なりその他受益者が適当な割合で
負担する、その経済力に応じ受益の内容に応じて
負担する。そうしてその公債償還に充てるというようなことも
一つの方式だし、或いは特殊金融機関ができてもいいと私は思う。非常に長い二十年三十年というような長期の社債発行、或いはこれは外債を募
つてもいい、そうしてできた水力施設を担保にしても構わないから外債を募
つても資金を調達して、そうしてそういう特殊金融機関でお金を立替えてぶち込む。農業についていうと農林中央金庫があるのでありますが、あの資金は非常に季節的に変動が激しいのでありまするが、それにしましても最低のときでも或る
程度、何百億か持
つております。あれを上手に調節して行つたら或いはその金と機能を結びつけるような方式で行つたら、農業の方でも何百億かの年々出資の力ができるのじやないか、そういうことも
考える。その償還としましては
土地改良区あたりで
水利自身にぶち込むというようなことにして行けば財源の点も、国としても或いは公共公益的な企業としましても
負担できるのじやないか。要するに失業救済の大きな意味もあることでありますからして、もつとこの
治水を、
堤防を高くするというようなことに終らないで源を矯めるという意味の大きな観点から
治水を大規模に、ただ勿論これは重点的に段々にや
つていかなければならないでしようが、そういうような方式で
治水を大規模にや
つて半面
旱魃の
被害も防げる、水力発電も不断に起きる、もう
日本では石炭なんか焚かんでもよろしい、自動車も蓄電池で走るし、機関庫は煙をはかない、工場は全部電力、家庭の熱源も全部電力と、そういう電化国家に十分になり得る素質を持
つてお
つて、而もそれに恵まれるためには先ず
治水、
洪水を防がなければならん、その
洪水の水をキヤツチし
なつければならん、それを立法的な措置、
予算的な財政的な措置というような面から裏付けて、
技術的には総合的に集結して、そうして先程
秋葉教授が言われたようにセクシヨナリズムを排して行つたならば、ここに立派な資源ができて世界の霊化、世界の交化、それで大きな人口を擁することができる、勿論人口問題としてはこれにだけ限らないが、海外の資源開発ということをどうしても我々としては強調しなければならんが、国内問題としてとにかく十分になし得るという
程度にあるのだから、十分にや
つて行きたいというような点もいろいろ思いを凝らして十分にぶち込みたいと
考えておるのであります。私の報告はこれくらいで簡單に済まさせて頂きます。