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小笠原委員 それでは、大臣が見えなければ、総括的な問題はあとまわしにして、今次官も見えておりますから、一応
畜産局長と二人で聞いていただいて、お
考えのあるところを御答弁願いたいのです。先般私は
畜産局長に資料の要求をしたところが、その資料が来ましたけれ
ども、前の資料にもそういう問題が出ているということで、
せつかく前の資料も調べて持
つて参りましたが、こんな資料では
畜産五箇年
計画も何も、
政府としての方針はあまり大したものじやない。まず馬の問題から申し上げるが、馬といえば、ただ一年に百何万頭の増産
計画、今年は百十三万頭、来年が百十五万頭というふうな数字が出ているが、こんなことじやとうてい
畜産五箇年
計画というものは盲目
計画である、これを改めなさいということなんだ。第一馬とい
つても、農馬もあれば、輓馬もあり、
競馬もある。
競馬の中にもサラブレツトあり、アラブあり、こういうことなんだ。しからばその
競馬はどこに何頭いるか、都市に輓馬は幾らいるか、
農村に幾らいるか。戦後のように、あんなに食糧がきゆうくつで
飼料がないときは、三箇月に一頭ずつ倒れたが、今日は
飼料は非常に潤沢で、三年平均の生命は保てるのだ。しからば今日都市輓馬はどれほどいるか、
農村輓馬はどれだけいるか、それだけに充当するにはどれだけの牝馬がお
つて、それに配合するに種牡馬がどれくらいいるかということがはつきりして、それでこれがうまく行くのだということの
計画がなければならぬはずである。また農馬はどういう体型であるか、これは元の軍馬そのままの型を奨励してはだめで、国有牧場の廃止もそういうところから起きるので、農馬というものは、どんな子供でも操縦できるような馬でなくてはならぬ。それを
目的とするなれば、その体型はどういうものであるか、そしてそれが何頭必要なんだという
計画が盛られなければ、馬としての
畜産五箇年
計画の
目的は達せられない。
競馬だ
つて、今
競馬場に
反対する
共産党の
木村君からさえも、ああいう有力な
意見が出る、
競馬場ばかり多くした
つて馬がなければだめだということは、これはもつともな話で、その点私も同感だ。一体
競馬をや
つて勝馬に奨励金をや
つているが、それは大部分牝馬の方に行
つているけれ
ども、
木村君も言
つたように、とにかく種牡馬の大切なことを忘れているようなことじや困るのだ。そこで、
競馬場が何箇所あるか、
健全娯楽をや
つて国民の
娯楽機関というものを法律によ
つて定める以上、特にこれを国有でやる場合には、どれだけの
資源をどういうふうにして獲得するかという
計画がなければ、国有
競馬はできない。その問題も盛られておらぬが、それではとても
畜産五箇年
計画はだめだ。
畜産局長、あんたは役牛とは何のことだかわかるか、役牛と乳牛の境目がどこにあるか、それをあなた講釈できるか、局長はできないでしよう、われと思わん者は手を上げてください。一体わが国の
農村のように、まだ乳牛などという技術が発達していないところには、牛というものは、あらゆるものから乳をしぼるのだという観念を与えなければだめなんだ、黒牛は役牛だ、あるいは短角は役牛だ、ホルスタインは乳牛だという観念を持
つているが、そんな観念を持
つているから失敗するし、採算がとれないで、バターが向うから入ると暴落すると
言つて大騒ぎするのだ。それが全部の牛から乳がしぼれることになれば、採算はとれるし、
農村も非常によくなる。これを、こんなことを区わけするから間違いが出来るので、それは区わけがつくものじやないのだが、まだそこまで技術は発達していない。そこで役牛というものは、実際乳が何升以下しかしぼれないのは役牛だ、それ以上しぼれるのは乳牛だ、その乳牛はどういう種類の牛をいうのだということを、ちやんの調べてかからないと、牛の五箇年
計画だ
つてだめですよ。そういうことをよく研究なさるためにはもう少しわか
つた連中の
委員会を開かなければならぬ。そんなことは何もわからぬ人間をひつぱ
つて来て、あれは
畜産の代表だと
言つておるが、それだけはやめて、実際乳をしぼ
つた体験のある連中を集めて相談するようにしなければ、
委員会をこしらえてもだめだ。とにかく実際問題を言うと、
畜産局長を初め課長連中も技師連中も、昔の軍馬を扱
つたような頭を改めて、ほんとうに今の
農村の経済に即応したことを研究した連中を集めて、しつかり研究しなければ、とてもこれはだめだ。
こまかいことをほじく
つて言うときりがないから、総括的なことを言うが、
金融問題について、今
遠藤小
委員長から中間
報告をして詳しく申されたが、第一漁業の方には漁業手形というものがあるが、
畜産手形というものはない。これは
畜産局長はもちろん、われわれといえ
ども責任を負わなければならぬが、漁業手形があ
つて畜産手形というものがない
理由はないはずだ。中金あたりでは
畜産に融通するわくなんというものは、
畜産というものは一体何を言うのだというようなきめ方だ。
畜産のわけのわか
つたのは一人もいやしない。それで中央金庫に金を貸せなんて、へんなそろばんだけ置いているから、とてもたま
つたものではない。あれを監督する次官であるから、これは
相当に
畜産の頭のないような者が、あの頭で
理事だなんて言える次第でないことをよく教えてやりなさい。そこがほんとうの監督の使命だ。ただそろばんをはじいて、利子をとる。あとはボーナスをたくさんわけることばかり。そんな
理事であ
つてはだめだ。ほんとうの
農村の民主化と
農村の事業の発達というものは、あらゆる部門から見てそれを
検討し、公平な
金融をすることによ
つて、あの農林中央金庫というものは立たなければならぬ。それを見通してやらなければならぬ。今
畜産手形というものは落度がある。手形なら何かわくがあるのかというと、
一つもない。一銭一厘たりとも
金融の道がない。
予算は、次官御
承知の通り、
畜産というものはいくら持
つて行
つたつてだめだ。ことにひどいことは、今伝貧と称する伝染性の貧血する馬の病気がある。その馬の病気を研究するために、ある獣疫調査所で
相当な要求をしているにもかかわらず、あの大蔵省というものは
——農林省の会計でもそうだ。大蔵省は馬のことはわからぬから、これはいいじやないかとい
つて、これを削ること三十年継続だ。それだから今にな
つても病源がわからない。馬の半分が病気にかかつちや
つて大騒ぎを始めたが、これは何が
原因かというと、研究費が足りない。馬の病気を研究するのにモルモツトを持
つて来てや
つている。感染しない動物を持
つて来て振りまわしていること十何年続いている。こんなことでどうして、
畜産の振興なんということができるか。これは大蔵省の方では何もわからぬ。
農林省の会計の方もわからぬ。会計の方が
畜産局長よりも強い。だから会計の方に行
つてぴしやん。大蔵省の方に行
つてでしやん。それが今日の
農民の不幸を見るに至
つた原因である。その不幸は
農民ばかりではない。
政府がこのようにして、今大きな財源によ
つて解決しなければならぬ場面に到達したということだ。
従つて馬屋、
畜産の
関係にある人が、よく熱意をも
つて当らなければならぬから、次官といえ
ども、この点はよく認識して、今回はこういうふうに、この病気が勃発したのを、破れたのを食いとめることに、
相当な御尽力を願わなければならぬという時期に到達したのであるから、この点は事務半分、政治半分であるから、次官も局長も、よくお
考えにな
つてや
つていただきたい。あとは農林大臣が来たときに、よく全部のことに対して申し上げることにするから、この点どうか十分お願いいたします。