○
高野参考人 厚生
委員会の皆様が、
日本の
医療制度の改善について、かねて御研究なさ
つておることに対して、深く敬意を表する次第であります。本日はまた
医薬分業問題につきまして、かねて賛成論を出しておりますわれわれの
意見をお聞き願う機会をお與えくださいまして、衷心より感謝申し上げる次第であります。
私
どもは、結論としまして、
医薬分業に賛成すると同時に、その
医薬分業は
法律をも
つて規定していただかなければならないということを、申し上げるものでありまして、その理論を
一つは
医療費の問題、
一つは学問の問題、
一つは業務その他そういう
制度の問題から、多少概略的に私は
意見を申し上げてみたいと思います。現在私
どもが、厚生省で設けられました
診療報難
調査会におきまして、
日本医師会並びに厚生省、われわれの方から、あらゆる資料を提供して、出し合いまして、いろいろ
医療の合理化、適正化について吟味をいたしておるのであります。そこに現われましたところの各種の資料は、多少誤差もあり、適正を欠く点もあるかもしれませんが、一応参考になるべき数字がございますので、それを基礎といたしまして、私
どもが一応頭の中で、
医療費はかくあるべきである、かようになるものではなかろうかということについての
意見を申し上げてみたいと思います。
厚生省の
調査によりますと、
日本の国民は一人一年について、去年の九月は十四日余り
病気をする勘定になる。今年の二月は、大体十三日弱
病気をする勘定に
なつておるのでありますが、しからば国民一人当りといたしましては、どれくらいの
医療費を
負担しなければならぬであろうかという総論にまず入
つてみたいと思います。ここに厚生省から出されました国民一人当りの
医薬費の
負担額は、
自分が支拂つた分でありまして、第三者が
負担してくれた分はこの中に入
つておりません。従
つて第三者が
負担してくれた
医療費を加算いたしますれば、これより
相当上まわるつもりでありますが、それを拔きまして、
自分のふところから出した
医療費、これが二十三年十一月は、一人当り八百三十八円九十銭に
なつております。昨年九月が八百二十二円、今年の二月が六百三十七円二十銭に
なつております。そこでこれを
人口にかけますと、一昨年の十一月の
調査におきましては、
人口八千二百一万七十人といたしますれば、大体六百八十七億というのが、国民が
自分で支拂つた総
医療費に該当するかと思われます。昨年の九月は、
人口八千二百万といたしますれば、一人当り八百二十二円でありますから六百七十四億、今年の二月はやはり
人口を八千二百万といたしまして、五百二十三億弱、この三つを平均いたしますれば、六百二十八億弱というものが国民の総
医療費、
自分のふところを痛めた、第三者が支拂つた分を除外いたしました
医療費に該当する。そのうちで、一体
医者のふところにどれだけ入
つているかということになりますと、一昨年の十一月が七百三円六十銭入
つている。昨年の九月は八百二十二円のうち六百四十三円九十銭、
医者のふところに入
つている。今年の二月は六百三十七円三十銭のうち四百九十四円九十銭が
医者のふところに入る勘定になります。これを
人口数にかけますと、一昨年の先ほど申し上げました総額のうちで、五百六十四億円余りが
医師の收入になる。昨年の九月が、先ほど申し上げました数字のうちで五百二十八億弱が
医師のふところに入る。本年の二月は四百五億強、平均四百九十九億九千三百万余り、ざつと五百億というものが、
自分のふところから出した金のうちで、六万三千の
診療に従事する
医者に対して
報酬として支拂われる額と見たいのであります。そこでこの五百億の内訳をいろいろ見ますと、大体これも厚生省の
調査によりますれば、
医者の收入の中の三割が
薬代に
なつており、四割が注射料でありまして、実に
医者の收入の七割が薬に依存しておるというデータが出ておるのであります。そこで総額といたしまして三割が
薬代であるといたしますれば、百五十億が
薬代になり、四割の注射料が二百億、合計三百億というものが、五百億の中の薬に依存した総收入と、一応見たいのであります。
そこでこの
薬品原価と、いわゆる利益というのはおかしいのですが、そのあきを計算いたしておりますが、その前にこの
医者の五百億の收入が、自費
診療によるものと保險によるものと、どういう区分に
なつておるかと申しますと、保險による收入が大体三割、あと七割が自費
診療によるものであります。従
つて五百億の中の三割、百五十億が保險による收入、七割の三百五十億が自費
診療による收入、こういうことになろうかと思うのであります。
そこで自費
診療の中の三百五十億を例にとりますと、その中の三割の百五億が
薬代である。この
薬代は平均いたしまして、
原価は三割に
なつておりますので、三割といたしますれば三十一億が
薬品原価になりまして、そのあきが七十三億、こういうことになる。自費
診療の中の
薬代が百五億、その中の七十三億というものが、いわゆる商売の方でいえば利益になりますが、ここでは
診察料を含み、あるいは
医師の
技術料を含み、その他生計費を含まれたものと解せられる、いわゆるあきになる。保險の方で行きますれば、三割の百五十億の保險料の総收入でありますから、その中の三割の四十五億が
薬代に該当する。その二八%が
薬品原価でありますから、大体十三億弱、その余りが三十二億、こういうあきが出て参るのであります。
そこでもう
一つこれを逆算いたします
ために厚生省の
調査資料を借りますれば、一体保險、または自費
診療において、薬の單価がどういうふうに
なつておるかということを調べますと、これは一昨年の三月から八月にわたりまして、社会保險病院の十箇所について厚生省が調べられた薬でありますが、内服薬——これは
患者に対する全
投薬の八割を内服薬か占めている。そこで大体内服薬について調べますれば大よその見当がつくので、内服薬をお調べに
なつたものだろうと思いますが、社会保險において投與される内服薬の九三%、つまり九割三分という薬の数は、
薬品原価が四円三十銭以下であるというデーターが出て参
つておるのであります。これは四円三十銭は平均でありませんで、四円三十銭以下であります。一円のもあれば、一円二十銭のもあれば、一円八十銭のもある。四円三十銭を最高といたしまして、それ以下の
薬品原価のものが実に内服薬の九割三分を占めておる、こういう数字が出て参るのであります。ところでこの内服薬一日分は幾らであるかといいますれば二点でありますから、乙地をとりますれば二十円になる。二十円の
薬品原価が四円三十銭、そこで現在の保險としては、
薬剤師の
調剤手数料を四円と
つておりますので、
薬剤師の手数料をかりに一日分四円といたしますれば、八円三十銭になりまして、差引十一円七十銭というものがあきが出て、これが再診料とか
技術料とかいうものが含まれておると称せられる金額に概当するわけであります。そこで全保険の
投薬の一剤当りの平均をとりますれば、大体価格が二十三円三十九銭に
なつておる。そうして
薬品原価の平均が六円五十一銭に
なつておる。そこで四円の
調剤手数料を加算いたしまして、差引十二円八十八銭というものが、平均いたしまして差額になるわけである。これが
医師のふところに入るわけであります。
そこで先ほど申し上げましたこの保險の
薬代、保險の方から
医者のふところに入りますところの收入の中の
薬代が四十五億です。この四十五億が、一体幾つの薬の数に該当する金であろうかということを逆算する必要があるのであります。私ちよつと計算して参
つたのですが、先ほど誤りのあることを発見しましたので、数半を申し上げませんが、この保險の
薬代四十五億を保險の
薬代平均二十三円三十九銭で割りますれば、平均ここに剤数が出て参ります。大体二億何千万かの剤数になるかと思います。それからまた一方の自費
診療におきましても、自費
診療分の
薬代が一日三十円以上あるいは五十円以上、各地によ
つていろいろ
医師会の申合せが違うようでありますが、平均四十円といたしまして、それを四十円で割りますれば、自費
診療による総
薬代に該当する剤数が出て参ります。こういうようにいろいろ逆算して参りますと、
分業になりまして——われわれは
分業にすれば
調剤は
原価計算で行くべきであるということを主張いたしておるのでありますが、もしも四円三十銭が平均
原価である、あるいは六円三十銭が平均の
薬代であるということになりますれば、これに
調剤手数料を加えたものが
薬代になるべきものであるということを考えるのであります。そういたしますれば、現在ここでわれわれが
医師に支拂
つておりますところの
薬餌料なるものと、
分業に
なつた場合の——あるいは
分業にならなくとも、
原価計算をした場合の
薬代の差額というものは、ここに非常なる差額が出て参る勘定になるかと思うのであります。
そこで問題は、これは当然出て参りますこの差額をどうするか、これだけの差額が百億出るとすれば、この百億の金を国民
負担から軽減さした方がよいか、それともそれだけ
医師のふところがマイナスになるわけであ
つて、
医師の生活が成り立たない、それを再診料、
技術料の名月において
医師の收入の單価をふやすことにすべきであろうかということが問題に
なつて来るように考えます。そこで現在開業医の一箇月收入が幾らに
なつておるかということにつきまして、
日本医師会から
調査会に出された資料によりますと、これは昨年十一月から一箇月にわた
つてお調べに
なつた数がわずかでありまして、はたして適正かどうかわかりませんが、月收九万四千七十一円という平均数字が出ております。この九万四千円余りの開業
医師一人——ベツトのない開業医一人の收入の中で経費は幾らに
なつておるかというと、六〇%余りの五万七千四百七十九円、あとは生計費その他に使うものが三方二千九百八十一円で、三五%余りというものが経費以外に残る勘定になる。ところでこの経費の中には税金が含まれておる。われわれの常識からしますれば、税金というものは残つた金の中から拂うというような勘定をするわけでありますが、税金を入れた経費を差引いた残り、生計費その他に充当すべき金が三割五分というようなことが、これが現在のあり方でありまして、はたして今後、将来社会のいろいろな各分野との均衡をとる上から行きまして、こういうことが妥当であるかどうかということについても研究問題があろうかと考えております。アメリカにおきましては、サムスさんからもたびたび聞かされるのでありますが、アメリカにおける
医師の收入は平均労働賃金の五倍であるというようなことを言
つておる。
調査会に
日本医師会から出された資料によりますと、大体月平均收入か五千ドルに
なつております。ところかアメリカにおいて聞くところによりますと、最低労働賃金は一日二百ドルである。そうすると一箇月二十五日働くといたしますれば五千ドルになる。
医師会から出ました資料では最低労働賃金の月收と
医師の月收があまりかわりない数字でありまして、これはどうも違うのではないかという疑問を持
つておりますが、かりに平均労働賃金の五倍といたしまして、
日本の労働資金を月七千円といたして五倍の三万五千円になる。三万五千円というのはどうかとも考えられるが、かりに全国都市の生計費の平均をと
つてみますれば、全国都市の平均、
日本では一万二千円の生計費に
なつております。これの五倍ということになれば六万円になる、一万円ということになれば五万円ということになるということになるのでありまして、アメリカ流に
一般の平均の五倍ということを考えるとすれば、
日本においては平均労働賃金を基準にするか、都市その他あるいは全国の生計費の平均を基準にして何倍ということにするかということも勘案さるべきであろうかと考えます。そうして開業医一人当りの月收が幾らあつたら妥当であるか、
医師だけが従来ともすれば全国民が強く印象を受けておるごとく、
相当高級の生活をしなければならないということが、今後も正しいあり方であるかどうかということについても、詳細に研究
調査の必要かあろうかと考えるのであります。なお全国の六万三千名の
診療に従事しておる
医者の中で、非開業の
医師が大体二方くらいだと思
つております。数字ははつきりわかりませんが、開業医が四万余り、ほとんどその中の大
部分を占めておりますところの開業医の收入をどの程度に置くかという適正なる数字をはじき出しまして、先ほど申しました
医療費の総額の中からいろいろ正しく計算し、逆算したりして参りますれば、私は
医療費の合理化ということによりまして、ただこれだけでも現在と同様な注射をし、現在と両様な
投薬をするものといたしましても、絶対に国民
負担は上るわけがないという感じを持
つておるのであります。なおあとで申し上げますが、
分業になりますれば、私は不必要なる
処方を書くということはあるまいと考える。現在
日本における慣習は水薬と散薬の二剤を與えるというのが、ほとんど九割までの慣習に
なつておる。われわれがその
処方を
調査すると、二剤の必要がないような場合が多々あるのであります。そういうこともいろいろ
医師の方で適正に合理化されまして、一剤で済むものは二剤をやめて一剤を投與されるならば、ここに
患者の
負担する費用は半減されるということも、
医療費の方で頭に入れて計算すべきデータではないかと考えるのであります。
医療費のことでいろいろ申し上げたいこともあるのでありますが、時間もございませんので次に移りまして、私はここで、
医療担当者といたしまして、医学と
薬学を修めた、または歯科医学を修めたという種類の人たちがいる、この学問上の相違について少し申し上げてみたいと思います。
日本においては明治六年に大学東校に
薬学科を置かれましてから——当時は
製薬学と称しましたが、置かれましてから今日まで、医学が独立独歩の進歩発達を遂げておると同様に、
薬学も独立、自主性を持つた学問として、大学その他
專門学校におきまして、りつぱな独立の学問であることは、いまさら私が申し上げるまでもないと思
つております。ところでよくこういう話を聞くのであります。
調剤というものは、いかにも
薬学が独立した学問であろうけれ
ども、
調剤はその一
部分にすぎないじやないか、それくらいの学問は
医者でもやれるということを聞くのであります。私はこの講論を非常にふしぎな議論として拜聽いたしておる一人であります。というのは、たとえば眼科
医師が眼科の
治療をするというような場合に、眼科の
病気に関する学問だけをや
つて眼科医が勤まるものでありましようか。医学の各部門の生理、解剖、内科、
外科、あらゆる学問を一
通りおやりに
なつて、しかる後耳鼻科は耳鼻科、眼科は眼科の局部的の
治療に従事されるはずであろうと考えます。われわれの
調剤おいても、なるほど
調剤は
薬学の一部門にすぎません。しかしながら、その一部門にすぎない
調剤の学問を活用いたしまして、その技能を発揮する
ためには、たとえば、眼科医があらゆる医学の
知識を応用して学問、技能を生かすと同様に、
薬学の他の部門の学科を生かしまして、そうして初めて
調剤の学問、技能というものが活用されるのであります、従
つて薬学の基本的の学問をやらない者は、
調剤学をやつたからとい
つて、それで
調剤がやれるというものならば、それでは医学の基本的部門をやらないものが眼科だけ勉強して、あるいは胃腸の学問だけ勉強して、おれは胃腸をやれる、眼科の
病気はなおせると言うのと、あまりかわらない議論になるのではなかろうか。そういうような例を引きますれば、それは機械のことにいたしましても、
法律のことにいたしましても、多々あろうかと思います。なおまた
医者は
処方箋を書く。
処方箋を書く以上は、薬のことをや
つておるのだから、薬のことを書けるのだ、こういう話もよく伺うのであります。この点につきましては、なるほどどういう薬がどういう
病気にきくという、いわゆる
薬理学なるものは医学でや
つておられる。これはわれわれ
どもでも多少やりますが、常識としてやるにすぎないので、どういう
病気にどういう薬がどういう作用を呈するかということは、医学をやつた者でなければ、ほんとうのことはわからぬので、
医師が
薬理学をやるのは当然であります。また従
つて処方学をやるのも当然である。しかしながら、これは医学の
立場から見た薬の使い方でありまして、この一枚の
処方箋の中に幾つかの薬を
処方なさるというような場合に、医学をやられた人たちは、医学的見地からこういう薬がよいということをここに盛られるわけです。ところがわれわれの方から見ますれば、その
処方されているものは、薬の配合、あるいは量その他のことが、
薬学的、いわゆる化学的
立場から見て妥当であるかどうかを、研究する必要があろうと思います。私は
分業の精髄はそこにあるのではないかと思う。医学の
知識を応用して薬を使うというのと、
薬学の
知識を応用して、そこに誤りがないかということ——たとえば、いろいろ実例がありますが、薬の量が非常に違う、あるいはここに二つの薬が
処方してあるといたします。この薬はわれわれの方から見れば、化学的合成品といたしまして同じ化学成分の薬である。ところがそれがわからない
ために、名前が違
つている
ために、この催眠剤を盛り、この催眠剤を盛るというような
処方例は、頻々としてあるのであります。そういうような場合に、もしもここで
薬学者がおりますれば、これとこれとは同じ化学成分であるから、これを
一つ使えばよいのであ
つて、これを二つ使つたらたいへんなことになるということが発見されるのであります。この機能をよく生かしているのは、病院ですでにや
つているわけであります。病院におきましては、医局から
処方箋が
薬局にまわりまして、そこで
薬剤師の手にかか
つて、あるいは数量の誤り、あるいは薬の名前が違い、あるいはまぜてならないものをまぜてあつたり、溶けないものを水薬にしてみたり、いろいろするようなことがあ
つたような場合に、医局に問い合せて、その
処方箋を書いた
医師といろいろ相談をして、これは違うじやないか、どういうふうにしたらよいかということを相談されて、そうして完全な
処方箋に
なつて病院の
薬局では現在
調剤が行われている。従
つて病院の
投薬というものに、外部に現われる限りは、ほとんど誤りがないということが実情であろうかと思います。現在、すでに軍はありませんが、以前陸軍、海軍がありましたときは、やはり医科と
薬剤科とわかれましておのおのその学問、技能を生かし合
つて来たのであります。そういうふうに、病院ではすでにそういうことをお互いに生かしておるにもかかわらず、
医師の大
部分のパーセンテージを占めるところの開業医においては、それが行われていない。従
つて開業医が薬をかりに間違うことがありましても、それが表面に出ないわけであります。
薬局に参りまして、
薬剤師が薬を間違えれば、よく新聞に出るように、明るみに出るのであります。私はこれでよいのだろうと思う。人間でありますから、
医者といえ
ども誤診はあります。
薬剤師にもいろいろありましよう。しかしながら、これが明るみに出ますれば、
責任の所在がはつきりする、お互いに間違いを未然に防ぐことができると、かように考えましたので、私は
処方箋の義務発行とか、あるいは
治療内容の公開とかいうようなことをやると同時に、この
処方箋を
両方で見合
つて、そうして
両方の学問が協力して、
患者に適正な
医療投薬を施すということに、学問を生かすべきではなかろうかと、私はかように考えておるのであります。
それから
日本医師会においては、最近いろいろ説がかわ
つて来まして、つい半年前までは、
医薬分業絶対
反対であられたのでありますが、その後春ごろから、別に
分業には
反対しない、ただ
法律できめるところの
強制分業に
反対するのであ
つて、
任意分業には賛成をする、こういう説をお出しに
なつておるのであります。ところで、
日本医師会の
任意分業論なるものを詳しく伺いますと、これは
現状維持である。ところが、
現状はどう
なつているかと申しますれば、われわれは
診察をしたならば、その
治療の
方法を
医師が
患者に教えるのが義務であると思う。たとえば、胃潰瘍に
なつた場合に、刺激物を食べてはいけない、あるいは安靜にしなくてはいかぬということを教えると同時に、こういう薬をのまなければならぬということを
医者は
患者に教える義務がある。その義務を果すのは
処方箋の公開である。
診察して
投薬の必要があると
医者が認めた場合には、必ず
処方箋を渡さなければならないということにならなければならない。ところが現在は
医師法二十
二條におきまして
患者が要求した場合は
処方箋を渡す、しかしながら、
医師が
治療上さしつかえあると思えば渡さなくてもいい、これを拒み得る、こういう仕組みに
なつている。ところで人情として
自分のかか
つている
医者のところへ
行つて処方箋をくれということは、なかなか言えません。言
つてもいやな顔をされる。これはどうしても
処方箋を出すということを規定づけていただきたいと思うのでありますが、ここにいう
任意分業というものは、かりに
任意分業という言葉が成り立つといたしますれば、
診察をしたならば、その
患者から要求されるといなとにかかわらず、必ず
処方箋を渡す。その
処方箋をもらつた
患者が、その医院の薬室で薬をもらおうと、あるいは一旦外へ出て
薬局で薬をもらおうと、自由に選択し得る
状態にあるということが
任意分業だと考えている。ところが
処方箋の義務発行をやらずして、そうして
任意分業ということは、われわれはとうてい考えられない。さらにまたその
処方箋の義務発行をやりまして、そうして
処方箋をもらつた
患者が
任意に
投薬を受ける場所を、
医師なり
薬剤師なりを選択するということに、私は非常なる誤りがあろうかと思う。たとえばここにお菓子があるとします。厚生行政に関して虎屋のようかんを引合いに出すのは、少しおかしいかもわかりませんが、ここに岡埜のようかんがあるといたします。どつちも一流のようかんで、どつちでもとりなさいといえば、これは
任意分業です。ところが虎屋のようかんと場末のサツカリンにズルチンをまぜて甘くしたようなようかんとを並べて、どつちでも同じことだからとりなさいと選択させることは、私は誤りをしいるものじやなかろうかと思う。この場合に、ここでサツカリン、ズルチンを入れたものが
医師であり、虎屋のようかんが
薬剤師であるとはあえて申しませんが、
調剤に関する
薬学の
專門の技能を持
つている者と、しからざる者とを並べて、それに対する自由選択を
患者にゆだねることは非常に危險である。私は議論としても間違
つていると思う。これが
両方とも同じように医学を修めている者と
薬学を修めている者とを並べて、
両方を選ばせるというなら、私は
任意分業でもけつこうであろうと思いますが、常に学問技能が違
つているものを並べて、それを選ばせるということは、私はその根本において誤りがあると思います。
なおまた外国においては多く
任意分業である、
法律でも
つて強制しているところはないという説を、やはりしばしば聞かされる。ところがわれわれが調べたところによりますと、ほとんど外国の大
部分は、全部
法律でも
つて分業を規定いたしております。まず第一に、この問題によく引合いに出される英国におきましては、なるほど英国はいわゆる
任意分業あるいは
医薬分業、そういう
制度でや
つて参りましたけれ
ども、一九一二年に保險を施行するようになりましてから、
調剤は藥剤師に限る。一九四六年に社会保障
制度による社会
医療を施すようになりましてから、完全に
医薬分業が決定された。そのほか昔の
ドイツ、イタリアはもちろんのこと、スエーデン、オランダ、ベルルギー、デンマーク、それから欧州の小国に至りますまで、ほとんどたいてい
法律で規定をいたしております。アメリカにおいては、ほとんど大
部分が
任意分業であるということを言われますが、これも、われわれの調べは多少古いのでありますけれ
ども、ほとんど大
部分の州が、州法をも
つて調剤は
薬剤師に限定するということをきめている。ただ
医師に
投薬を例外的に許す場合がある。たとえばコロラド州におきましては、
人口五百以下の村落であ
つて、
薬局のないところ、そういうところは
医者が
調剤する。あるいはフロリダ州におきましては、
人口二百以下で、その二百以下の村から二マイル隔たつたところでは、しかたがないから
医師に
調剤を許す。あるいは三マイルまたは五マイル以内に
薬局のないところ——向うは自動車がありまして、われわれの距離観念と向うの距離感覚とは違うのでありましようが、三マイルまたは五マイル以内に
薬局がない場合は
医師が
調剤する、あるいは
人口六百以下で
薬局かないところは
調剤をさせる。ニユーヨーク州におきましては、やはりニユーヨーク州法をも
つて分業を規定しておりまして、ただ
人口一千以下で三マイル以内に
薬局がない土地では
医師に
調剤を許す、こういうようなことが規矩されております。なおアメリカにおきましては、われわれの方の刈米
会長が、大体一両日のうちに、アメリカの三箇月の視察を終えて帰えられますので、そうしますれば、アメリカ四十八州の薬に関する州法の記録がすべてわかるわけであります。これをさつそく翻訳いたしまして、御参考に提供いたすことができますれば仕合せだと考えます。さように外国におきましては、すべてが
法律で規定していないという説が、いかに誤りであるかということも、一応——あるいはわれわれの調べが足りないかもしれませんが、なお十分皆様の手で御研究を願いたいと考えております。
なお私が最後に申し上げたいことは、われわれは
医薬分業と申しまして、医と薬とを離してしまう、何だかけんかわかれになるというような印象を。
医師会の方もわれわれの方も、
皆さんそのほか
一般公衆に與えておるのじやないかということを、常に反省をいたしまして、もしもそういう印象を強く與えておるならば、われわれは大いに議論の仕方その他において、自重しなければならないということを反省いたす次第でありますが、われわれの考えまする
分業論というのは、
医師は
医師、
薬剤師は
薬剤師、おのおの学問技能を生かして、協力して適正なる
医療を施し、そうして
医療費の合理化適正化をはか
つて、
患者が安心して高からざる
医療費の
負担において、
治療が受けられるような仕組み、外国のような
制度に
日本もしていただきたい、こういうことを考えまするので、私はもしも
皆さんの御研究の結果、そのお力によ
つて、ここに
日本においても
分業が実現するということになりますれば、
医師と
薬剤師の協力体制というものは意外に早く、そして意外に緊密に実現されるのではなかろうか、かように考えておるのであります。たとえば一軒の家をつくるにいたしましても、設計するのは設計家であります。家を建てるのは、大工が建てる、家具は家具屋がやる、左官は左官屋がおります、また土を掘るのは人夫がや
つておる。そういうおのおの持場々々があ
つて、その
專門の
立場で
專門の技能を活かして、初めてりつぱな一軒の家ができるのであります。ところが田舎においては、そういうふうに持場々々の人がおりませんで、大工一人しかいない。しかたがないから大工一人に設計させて、大工と建具もつくらせ、壁も塗らせ、かわらを置かせるというふうにしてつくるよりほかない。こういうようなことでありまして、こういうことは、この
分業を実施する上においても、われわれは参考として考えるべきではなかろうかと、実は考えておるわけであります。なおまた
法律におきましては、御
承知の
通りに、原則としては
薬剤師でなければ、販売授與の目的をも
つてする
調剤はできないとはつきりときま
つておるわけであります。これは明治八年の医制以来今日まできま
つておる。ただ現在の
薬事法はこの本則の但書により、その前は附則において、言葉はいろいろ違いますが、
医者が
自分の
患者に対してだけは
投薬ができるという除外規定がありまする
ために、せつかく本財において、原則として
医薬分業を認めながら、事実はその本則をまつたくくつがえした結果に実情は
なつておる。そこで大正十四年に
薬剤師法を制定いたしますときの所管の内相であります若槻内相は、本則にいろいろなことをきめて、附則でこうして置いているというのは、これは例外法であり、便法であるから、これはいつの日にか本則にもどらなければならないということを、議会においても言明されておるのでありますが、われわれもやはりそうあるべき筋合のものではなかろかと実は考えておるわけであります。現在の
状態は、たとえば機関士に機関士の免状を與え、運転士に運転士の免状を與えて、お前は運転させない、お前はひ
とつ雑役をやれ。弁護士に弁護士の免状を與えて、お前は裁判所の出入りはできないというようなこととひとしい実情に
薬剤師は置かれているということを、ひ
とつ御考慮を願いたいと思うのであります。
なおまたもうひ
とつつけ加えて申し上げますれば、
分業になれば非常に便利が悪くなる。従来一軒の家で
診察してもら
つて、そこで薬をもらう、それが今度は
処方箋をもら
つて別の家に行かなければならないということに
なつて、非常に便利が悪くなる、こういうふうな説が一部において出ておるのであります。いかにもそのことだけを聞きますれば、一軒で済んだところが二軒に行くのでありますから、便利が悪くなるように考えられますけれ
ども、私はさようには思わないのであります。もしもこれを便利が悪いと称するならば、それでは
医薬分業をやり、
薬学と医学の
分業をや
つている外国においては、どういうふうに
説明したらいいだろうということを、反問いたさざるを得ないのであります。なおまた、これは
習慣から来てそういう感じがいたすにすぎないのでありまして、もしも最初から
日本において
薬剤師が多数おりまして、
薬剤師が全国に普及してお
つて、原則的に
分業が行われておりまして、薬をもらうことは
專門の
薬局に
行つてもらわなければならぬというふうなことに
なつておりますれば、また不便を感ずるという気持は起らないであろうと私は思う。たとえば、これもひ
とつつまらない例をあげて、まことに
專門家の
皆さんに恐縮でありますが、従来田舎に一軒の店があ
つて、その店で魚と八百屋を兼帶でや
つておつた。そこに買いに行けば、魚も買えれば野菜も買える、非常に便利である。ところがこれが二軒にわかれて、八百屋
專門と魚屋
專門と
なつた。そうすると
両方買う場合は、二軒に行かなければならないので、非常に便利が悪いようでありますけれ
ども、しかしながら二軒に
なつておのおの魚屋
專門、八百屋
專門でやる
ために、それぞれ材料は新しく豊富になり、値段も安くなるというようなことになりますれば、私はどつちが市民にと
つて便宜がよいと解釈すべきであろうかといつも考えるわけであります。
いろいろこまかい点もございますけれ
ども、
日本の
医薬制度は
分業であるべきであるということを考え、その点について
皆さんの御理解を願い、公正なる御批判を願う
ために、以上つまらない、か
つてな議論を申し上げまして、まことに恐縮でありましたが、御清聽を感謝いたします。