○一
萬田参考人 最近の
金融の
情勢につきまして若干
お話を申し上げます。最近の
朝鮮事変を
契機といたしましてどういうような
変化が
日本の
経済に起
つているか、
従つてこの
金融政策というものが、これに順応してどういうような
変化をしておるかというような筋書きで
お話をしてみたいと思います。そのそめには、この
朝鮮事変の起る前の
日本の
経済状況はどうであ
つたかということを、一応ごくかいつまんで
お話しておかないと、どういうふうに
変化したかわかりにくいと思いますので、それについてまず申し上げます。
朝鮮事変前の
日本の
経済は、御
承知のように二十四年度の
予算の執行以来、いわゆる
経済の安定ということを中心に押し進めて
行つたのです。そうしてその目的とするところは、
輸出の
振興によ
つて資本の
蓄積をはかり、
日本の
経済の
復興をさらに進めて行く、こういう
段階、こういう
方針にあ
つたのであります。これがすべて
ドツジ・ラインであります。
ドツジ・ラインというものは、何も
緊縮予算とか、あるいは
金融の引締めというようなことではないのであります。結局
輸出の
振興に
資本の
蓄積の
機会を求めて
日本の
経済を
復興しようというのが
ドツジ・ラインであります。言いかえれば、
ドツジ・ラインは非常な彈力性を当初から持
つている。そうしてそういう
方針の実行は
朝鮮事変前におきまして、おおむねそういう
方針で進んで
参つて、特に
経済の
安定——経済の安定というのは少し言い過ぎかもしれませんが、
通貨の安定、
インフレの
收束ということは
十分効を奏したのであります。ただ、さらに進んで
輸出の
振興という
段階におきましては、これは相手の国があることであります。また今日
日本が置かれている
状況等からいたしまして、
除除に伸長を見つつあ
つたのでありますが、思うように必ずしも伸びないという
状況にある。これは
経済的にはどういう
現象形態にな
つて現われておるかと言えば、当時いわれておりましたように、
滞貨がある。メーカーの
手元に
滞貨がある、あるいは問屋の
手元に
滞貨があるという
現象形態を呈しつつあ
つたのであります。
金融の面における
現象といたしまして売掛金、他の
言葉で言えば、同じでありますが、未拂い、こういう
状況が起
つてお
つたのであります。こういう場合に、結局
輸出の
振興をいかにはかるかということは、
産業の
合理化を一層推し進めて、
生産コストを下げ、そうして
海外において
日本の
商品は十分に
競争し得るということで、
輸出を
振興して行く。そのためには当時の
状況からいたしまして、
金融政策としては、やはり締めなくてはならない。いわゆる
合理化を推し進める。
物価もなるべく低位に持
つて行く。こういう
政策が、当時やはり見通されてお
つたのであります。こういう
状況は端的に申し上げれば、当時こういう
状況がもしも進むとすれば、
日本の
経済はどうなるであろうか、という心配がありましたことは御
承知の
通りであります。むろん、であるからとい
つて、
日本の
経済が非常な混乱に陷るとか、崩壊するとかいうことは、私の当時の
考えでは絶対にあり得ない。ただ苦しさが一層増すであろう。一層苦しいという
状況はこれはやむを得ない。
輸出打開のためにやむを得ない。こういうのが当時の
日本の
経済の大まかな
状況でありました。このときに
朝鮮事変というものが起
つたのであります。そこで、
輸出に悩み、あるいは
海外で
商品の売りさばきに悩んでいるところに、
需要が
増大して来るという、非常にいいチャンスに恵まれた。いわゆるこれが
特需という形で、
日本の
物資に
需要を喚起したのであります。むろん、そればかりではありません。この
朝鮮事変の性格というものは、要するに
国際情勢が大きく動いている。その
一つの
現象にすぎない。不幸にして、今日
世界が二大陣営にあることはいうまでもありませんが、このはげしい
闘争といいますか、その
争い——これは何も今に始ま
つたことではないのでありますが、この
闘争が、
朝鮮事変を
契機として
アメリカの決意がはつきりして来たという点において、非常に重大な意義がある。そうしてみると、今後の
世界情勢の
見通しとしては、
経済的には、どうしても
防衛態勢の
強化から来る
物資の
需要というものが、相当持続的に続くであろうということが想定されるに至りました。そこで
日本の
物資に対しましては、
特需という形で、当面
朝鮮事変によ
つて直接に
需要が喚起されるばかりでなく、
国際情勢から、この
輸出という形で、相当
持続相に、いい
機会に恵まれて来るであろうということをも
十分想像ができる。従いまして、当時、
朝鮮事変直後は、どちらかといえば少し
浮足気味に
日本の
経済があ
つたのであります。言いかえれば、
先物に走りがちな
状況であ
つた。ともすると
インフレが再び起るのではないか、そうずると
物価が上る、早く早くというので、
先物……、こういう
状況が当時あ
つた。同時に、その当時までありました
滞貨は、おおむね一掃を見たのであります。のみならず不足なもの、足らないという部面も現われた、こういうふうな
変化をした。言いかえれば、
デフレという
状態のもとに、
日本の
経済を建て直して行くという
状況から、物が
需要されて、どちらかといえば、その限りにおいては
インフレ的な
状況のもとにおいて
日本の
経済を建て直す。しかもその
規模は国際的な
規模においてこれが行われる、こういうのが
朝鮮事変後の
状況であります。従いまして、こういう場合にどういうことが最も関心すべきことかと申し上げれば、
せつかく
日本の
商品が売れるのでありますから、売れるものを売るということが第一であります。言いかえれば、物が売れないときに
日本の物を売るというためには、
日本の
物価が下る、そういう苦しい
過程を必要とするのであります。物が売れる場合には、やはり売れる物をつくるということが、まず第一であります。しかしながら物が売れるということは、やはり今日の
事態では強く分析しなくてはなりません。これはドツジさんが
日本に来られる早々、
声明書にいわれておりますように、
朝鮮事変によ
つて日本の物が売れるということは、これは何も
日本の
商品が、国際的に見て、
価格においても安く
品質においてもいいので、
十分競争で勝つから売れるという
意味では必ずしもないのであります。これは第一に、
朝鮮に
日本が非常に近い。しかもこの
戰争が予期しない時に起
つたともいえる。また
戰争という特殊の消耗である、いわゆる緊急であるということである。従来売れなか
つたような
滞貨がどしどし売れるということは、このことを示していると私は思う。しかし、この
朝鮮事変が一応終息した後の
日本商品に対する
需要と申しますものは、要するにこれは先ほど申しましたように、国際的な
防衛態勢の
強化から来るのであろうところの
物資の
需要でありまして、これは
戰争しているのとは違うのであります。
日本の
商品がいい
品質で、かつ
価格が安いならば、言いかえれば
国際市場で
十分競争にたえる、そういうものでなくては売れない。言いかえれば、これはいわゆる普通の
輸出貿易、こういうことになるのであります。そうしてみると、当面、今物が売れるからとい
つて、特に
朝鮮事変の直接の
需要で物が売れるからとい
つて日本の
産業界がいささかでも慢心をすることがあれば、すぐに将来において
輸出がうまく行かないということに当面するのであります。それは、
せつかく
世界的に物を買う、あるいは物を
需要するという好機に恵まれながら、これを逸するおそれがある。いい物ができないと売れない、やはり
日本の物は、しいて買う必要がないという
事態が生ずるのであります。そこでこの際において
合理化ということが、前に劣らず強く要請されるのであります。
合理化ということは、一口で言えば、物の
生産の費用を少くする。いわゆる
生産費を低下させる。それはいかなる方法をとるかということになるのであります。これは
品質をひつくるめて、そういうことが一貫で言い得るかと私は思うのであります。そういう
意味においての
合理化、しかも
合理化を
デフレ、いわゆる景気の悪いときに推し進めることは非常に苦しいのであります。あまりむりすると、いいものまでいかなくなる。そういう場合の
金融は締める
傾向をとらなくてはならない。ところが物が売れる、この
事態での
合理化は、比較的しやすい。物が売れる場合は
金融的にもそれはやりやすい。同時にまた
国石混淆のおそれがある。そういう、物が売れる場合でも、なおかついかないという、そういう
事業は非常に存立が乏しいのであります、そういうものは、かりに整理をしても、他の
事業に
影響を及ぼすことが、きわめて稀薄なのであります。ほかのいい
事業は、決してその
影響を受けることはない。こういう
事態もあるのであります。のみならず、物が売れるという
事態で、
生産費をなるべく下げるということにおいては、
海外に売る
値段は何も下げる必要はない。安くつく
つたからとい
つて、安く売る必要は必ずしもないと私は思う。今日においてはその幣があるのである。安くできたからとい
つて無用な
競争をして安く売りさばく、これは
日本の国をますます貧乏にする以外の何ものでもない。私
ども要するところは、
生産費をできるだけ下げて、売るのは、
外国の
商品と
競争し得る
値段でひとつ売りたい。そうするとその間に差額の
もうけというものが、たくさん
事業にある。その
もうけをも
つてこういう場合は主として
海外に売れるということが今日では前提でありますから、
外貨が取得できる。その
外貨でいい
機械を入れ、いい
技術を入れるということで、さらに
合理化を進めて行く。こういうような
方向に
日本の
経済を持
つて行く必要がある。従いまして
合理化ということをこの際やる。のみならず物が売れるから何でも
商品をつくれはいいという今日の
日本の
経済ではないわけでありまして、やはり国際的にマーケットを持
つて、そうして
品質の
価格も国際的なものであるという、そういう
商品をつくるということをやはり
目標にしなければならない。これがいわゆる
輸出貿易の
目標でありますが、そういう
商品の
増産ということが今日何をおいても必要である。こういう
事態におきまして
インフレ的な
傾向に対してこれを抑制する。
インフレに陷らないようにするというのは、
金融を引締めることではない
金融を引締めることによ
つてこの
インフレを抑制することは、私は誤
つておると思う。売れる物の
増産という、そういう
部分は、先ほど相当
條件をつけました。先ほど言うたような
條件のつくような
商品の
生産を
増大する、こういうことが
インフレを抑制して行く
基本的な線として今日必要であると思う。その点は
デフレのときは違う。物をつく
つて物が売れないというときと
インフレ抑制の
対策は違うのである。今日といえ
ども人は往々にして
金融を引締める、そういうことが
インフレ抑制の手段であるかのごとく思
つておる。また私
どももそういうことをや
つておるかのように誤解されやすいのであるが、これは
客観情勢の
変化ということについての勉強を怠
つておる人の
言葉であると私は思う。
従つて金融政策におきましても、そういう
意味の物の
生産の
増大に必要となる
資金は出さねばならぬ、また出すべきである。その結果、今日の
資本蓄積の
状況からいたしまして、かりに
日本銀行の
発券高がふえましても、こうも心配することはないのである。これは結局
日本の
経済活動がそれだけ大きくな
つたというしるしにすぎない。むろんそういうふうにいたしますためには、真に必要な
方面に
資金が流れる、無用なところに
資金が流れることによ
つて、
通貨の増発はむろん抑制しなければならぬ。しかしながら今言いましたような
生産増大に必要な
資金というものは、これは供給にやぶさかであ
つてはならない。こういうのが今日の
金融政策の
基本であります。ただこの際に具体的に一番問題になる点は、物の
生産の
増大は、今言うたように必要であることは申すまでもないのでありますが、不幸にして今日の
日本はきわめて
資源に貧弱であります。物をつくろうといたしましても原料がない。その他の資材にも乏しい。また今申しました
通り生産の
増大ということも、そう一朝一夕に、きようからあすと
増産ができるとは限らない。ある
程度輸入にまつものも少くない。そこで今日では
輸入ということが非常に大きな問題にな
つて来る。むしろ
輸入というものを
基本に
考えて、
輸入がうまく
行つて、そうして
輸出される物の
生産ができさえすれば、そこに利潤を生じ、
資本の
蓄積が生ずる、こういう
過程が繰返されて行くのである。それでまた他の
言草でいえば
——先ほど私が申した
金融政策ということも、今申しましたような
意味の
商品の
生産の
増大ということに置きますが、また
一つの
言草でいえば、現実にいかに
輸入というものがうまく
行つておるかという、その質、量に応じて
金融政策をと
つて行つても、大きなあやまちはないのであります。そういうふうに
金融政策というものは、今後におきましてはいわゆる先走らない。
経済の実態の
動きに順応して
金融をや
つて行つてもよろしいという、きわめて本然な姿、あるいは明朗な姿に今日立ち返りつつあるのでありまして、これは
日本のみんなが喜んでいいことと私は思います。ただ先ほど言うたように、忘れてはならない点が多々ある。それを忘れてはならないということだけは、はつきり頭に入れておかなくてはならぬ。私
どもはこういう
金融の
基本線に沿
つて具体的にいかにそれがうまく行くかというふうに、いろいろと
——たとえば
輸入促進のためのユーザンスの問題、あるいはまた
自動輸入といいますか、
輸入が自動的にできる、そういうふうな金額をふやし、あるいはまた
貿易に関する、
外貨に関する
輸出入の
予算というものについても幅を持つ、あるいはまた
長期の
先物取引を可能ならしめる、こういうふうないろいろな措置が今日講ぜられておるのも、そういうふなことから発足しておるのであります。なお今後において
貿易について改善する余地は非常に多い。また私の
考えでは、なるべく大きなわくを政府でおきめにな
つて、それを実際
輸入するような場合には、やはり專門の
商売人にまかしたがよろしいと思う。それが一番
輸入の
増大の道である。商売というものはなかなかしろうとがわかるものではない。
商機というものはやはり
商売人がよろしい。
商売人の
責任においてやれというふうな
方向に、やはり切りかえて行かなければならぬ。言いかえれば
外貨予算というようなものについても、あまりにきゆうくつである。今日でもたとえば物によ
つてはなお
四半期ごとの
輸入計画というものもある。そういうものがあると、すぐ
海外市場では、何月から何月までは、
日本の関係でどういうものが幾ら買いつけられるということがはつきりして、すぐ上る。
従つて不当に高い物も買わなくちやならぬというようなことも起りがちなんであります。そういうことは
商売人に、一年なら一年についてこういうものをひとつ
責任をも
つて輸入させる、そうしてそれに応ずる
外貨はやるということにしておけば、
商売人は実に上手に
商機を見てそれを適当に
輸入する、こういうふうになるのでありまして、今後私はこういう点は一層拡大し、またそういう
方向がとられつつあることを申し上げてさしつかえはないと思う。
輸出につきましては、これも
金融面では今回おそらく
輸出貿手については二厘くらいに
金利を下げることになると思います。今日二銭二厘でありますが、二銭くらいな日歩になる。こういうふうにして、できるだけ私
ども金融面から量並びに
金利という質において、今後
日本の
生産が今申しましたような、今日
日本が必要とする
生産で、そうして国際的な資格を持つ、そういう
生産の
増大に一層の力をいたしたい、こういう点が今日の
国内金融政策の
基本であると思う。
簡單でありますが、大きな線と流れを申し上げ、なお具体的な御
質問でもありますれば
質問を受けまして、そうして擱論にいたしたい、さように思
つております。