○岡元義人君
只今議題となりました在外同胞引揚問題に関する件につきまして、特にソ連
関係地域でいわゆる反動分子と認められた者の引揚が著しく遅らされておること、及びこれに
関連するいわゆる徳田要請の問題の審議の経過並びに結果について御
報告申上げます。
在外同胞引揚問題に関する特別委員会におきまして、昨年四月吉村隊事件として伝聞されましたところの残留同胞間の不祥事件について調査を行いましたる際、四月十四日たまたま証人として喚問された津村謙二君の口から、いわゆる反動分子を引揚港より奥地に逆送し、その帰還を遅らせた事実があるとの証言を得て以来、その後引揚が引続き実施せられたのに伴う調査の進展から、同樣の事実が次第に明らかと
なつたのであります。然るに本年二月九日舞鶴に入港したる高砂丸による引揚者三百七十四名の連署を以て、参議院
議長宛提訴せられましたいわゆる徳田要請の問題が、新たに調査の目標に加えられるに
至つたのであります。
改めて申すまでもなく、いわゆる徳は要請なるものは、去る二月二十三日久保田善藏証人が、「
日本共産党書記長徳田球一氏より、その党の名において、思想教育を徹底し、共産主義者にあらざれば帰国せしめざるごとく要請あり、よ
つて反動思想を有する者は絶対に帰国せしめぬであろうとソ連側に言われた。」と証言しておるところからも明らかであります
通り、いわゆる反動分子の帰還遅延という問題と密接なる繋がりを持
つておるのであります。先に申上げましたるごとく当委員会といたしましては、昨年四月以降この問題の調査究明を行い、委員会を重ねること前後十回、召喚したる証人の数も四十九名の多きに達したのでありまして、今日漸くその中間
報告をなす運びと相成つた次第であります。
以下逐次重要なる証言を辿
つて真相を明らかにいたしたいと存ずるのであります。
先ず昨年四月十四日津村謙二君は本委員会におきまして、帰還者等によ
つて伝えられるところのナホトカにおける兵士大会は、ソ連側の軍令によるものでなく、兵士大衆の意思によるこのような大会をやりたい旨を申出で、許可を受けてや
つておつたものであり、三百人のうち五十名を残した事実を明らかにいたしておるのであります。続いて五月十一日増淵俊一君は、その犠牲者の一人として、ナホトカにおいて民主グループの熊木なる者より、「ここでは一歩たりとも敵に妥協はしない。断乎闘争をするのだ。今晩から君達と元将校の
諸君六百名と断乎闘争を開始しよう。そうして若しも我々の運動に飽くまでも
反対するのであれば、自分達は身命を賭して君達の帰国を阻止する」と言い、又その際、
日本新聞の宗像吉良という人が来て、履歴その他について尋ねられ、「君は反動である」と申渡され尚、「君は終戰当時の満州国内における同胞の悲惨な
状況だとか、ソ連に入
つてからの捕虜の
状況がどうだとか、非常に泣きごとを言うが、我々にと
つて日本の敗北は大いに祝賀すべきことなのである。何故ならば、今まで米英その他の相手国に向けていた武器を国内の階級闘争に言けることができる。敗戰ということ
状態を活用して一挙に革命を遂行することができる。我々にと
つては敵か味方かその二色しかないのだ。君達は同胞であるとか。
日本人同志であるとかいうようなことを言うが、そんな甘い言葉には騙されない。味方でない者は皆敵なのだ、中間はないのだ」と言われ、遂に他の十七名と共にスーチヤンに後送されたことを明らかにしており、更に五月十二日の委員会において小針延次郎君は、各收容所の輿論調査によ
つて各政党支援者の調査をなし、
共産党支持者の殖えた收容所を優先的に帰還させた事実を述べておるのであります。又反動的な者は民主グループの人達によ
つて早速人事係の方に連絡して帰還者名簿から脱落せしめた事実も、細川龍法君の証言によ
つて明らかにされております。
続いて十二月二十四日証人増崎依正君によ
つて、シベリアの民主主義運動が決して捕虜の自発的な或いは自分の意思に基く運動ではなく、
日本新聞は、その指導主権を利用して強制と圧迫のうちに各地において吊し上げ或いは追撃カンパをかけ、事実、二十四年九月ライチハ收容所において磯部某は五六十名のカンパに会い、殴る蹴るの暴行を受け、負傷した例があり、又同樣に岡本良藏君は、満身の勇気を以て
日本の全
国民に訴えると申しまして、今尚抑留されておる者は、精神的、肉体的に想像以上の苦悩を嘗めており、下士官、兵は労働の義務を負わされ、将校も又強要され、ソ同盟強化のため働け、ソ同盟の追化なくして平和なし、民族の独立を守るのは
日本共産党だけである旨強調して思想教育が徹底して行われたことを証言いたしておるのであります。その他、本年二月の六日、種村佐孝、高橋善雄、尾ノ上正男、長命稔の四君によ
つて、共産主義を信奉せざる者が反動として帰国の途が如何に阻害されたかをつぶさに証言されておるのでありますが、詳細は会議録に讓り、時間の都合上割愛いたします。
以上述べて参りました多くの事例は、すべていわゆる徳田要請と密接不可分の
関係にあるのでありますが、実際、反動分子があらゆる方法を以てその帰還が遅延せしめられて来たことは、以上の証言によ
つて誠に明確なるところでありまして、この事実を証言し得る者は、單に以上の証人のみに止まらず、当委員会に寄せられた多くの資料によ
つて一層明らかなるところであります。
次に、このいわゆる徳田要請に直接
関連して明らかにされました点を申上げますれば、一九四八年五月一日頃、万国赤十字社スタンプ附往復葉書をウオロシロフ地区第五百六十三労働大隊附エルセノフ下士官が亀澤富男君の許へ持
つて来て、その葉書を掲示板に貼
つて呉れと依頼し、約一週間に亘
つて掲示され、その内容は民主グループ宛
日本共産党徳田書記長よりの返信で、「お手紙有難う。御元気にてソ同盟強化のため邁進され、立派な闘士として帰国され、反動に対して共に闘う日の来るのをお待ちいたしております」旨が書かれていたことの証言があり、これに対して徳田球一証人は、「それは秘書が出したものであり、その政治的責任は負う」と証言いたしたのでありますが、この手紙の内容は十分に共産主義信奉者にならない者の帰国を欲しないとの意味に外ならないことを示唆しておるものであります。
更に当委員会は二月二十三日、久保田善藏、山森勇太郎の両君の証言を聽取し、三月十六日に徳田球一君の証言を求めたのでありますが、その際、徳田証人より、昨年五月五日引揚要請の書簡を航空便で出したる外、何らの要請をなしたことはないとの証言があつたのであります。併しながら三月十八日の喚問におきましては、カラカンダ九十九地区第九分所において、一九四九年九月十五日、約三百名程度の抑留者を倶楽部に集合せしめ、政治部将校エルマーラエフ中尉は植松君の
質問に答えて、「いつ
諸君が帰れるか、それは
諸君自身にかか
つておる。
諸君がここで良心的に労働し、真正の民主主義者となる時、
諸君は帰れるのである。
日本共産党書記長徳田は、
諸君が反動分子としてではなく、よく準備された民主主義者として帰国するように
期待しておる」と通訳した旨の証言を得ており、又これと同様のことが
日本新聞に掲載されていたと証言いたしておるのであります。又一方、亀澤富男証人の証言によると、一九四八年五月四日、ウオロシロフ地区レエチホフカにおいてキイシイローフ大尉より明らかに徳田書記長と記名してある文書を示されたが、それには「貴国の好意によ
つて優先的に送還された身体虚弱者、素行不良者の言動著しく反民主的にして、党活動に大なる支障を来たすものである。故に願わくば貴国の好意によ
つて、思想的、身体的に健全なる者を送還されんことを希望する」旨の内容が記されてあつたとの証言を行な
つておるのであります。尚、亀澤富男君は曾て抑留中、民主グループの一人として活躍した者でありますが、帰還と同時に、祖国を破壞と混乱に陷れようとしておる
日本共産党の姿を見て入党の決意を飜し、過去三年間の罪悪を思うとき、一命を賭しても当事件の生きた証人となり、最後の一人が帰
つて来るまで鬪うと述べておるのであります。(
拍手)又小俣忠男証人よりは、ウラジオストツク第十四分所ウゴールナヤ收容所において、
昭和二十三年十月中旬、チーベル大尉より、ソ連側通訳及び
日本側通訳立会の下に、
日本共産党より、反動者、前職者は人民
政府が樹立されるまで帰して呉れるなと依頼されたと、彼の口からはつきりと聞いた旨の証言があつたのであります。次に上村宗平証人より、一九四九年九月上旬、イズベストコーバヤ、ウルガル第四百二十七分所において、所長、政治部将校立会の下に、反フアシスト委員会を通じて、
日本共産党書記長徳田球一氏よりの手紙に、立派な民主主義者にならざる者、作業を怠慢してソ同盟強化に邁進せぬ者は、懲罰に付してソ同盟に長く留め置くようにとの一節があつた旨の証言がなされたのであります。
以上のごとく、單にカラカンダ地区のみではなく、各地区においても、ほぼ同様の趣旨のいわゆる反動を帰さざるようにとの伝達がなされておることが考えられるのであります。
次にこれらの要請から、
日本共産党とソ連
地域との間には常に何らかの連絡がとられておると判断できるという点であります。これは次の事実によ
つて立証できるのであります。即ち先の三月十六日、徳田証人は、昨年四月二日附
日本共産党中央委員会事務局より極秘指令として各府県地方委員会宛の第三百四十七号について証言を求めたところ、「‥‥事務局が出したものと思う。その細部は知らぬが政治的責任は負う」旨証言があつたのであります。この指令は、当時委員会といたしましても、その出所等について鋭意調査を進めて参つたのでありますが、その内容を申しますれば、「ソ同盟帰還者の受入態勢を強化せよ」との標題を付し、「ソ同盟地区からの引揚輸送が近く再開される。新らしく帰還する者は昨年度の帰還者より更に積極化しており、その大部分は直ちに党組織に参加して鬪うことを決意して帰
つて来るのである。」「
政府並びに反動諸団体は現にこれの切崩し工作の準備に躍起とな
つているが、我々は二十数万と
予想されるこの新帰還者を敵の謀略と懷柔から守り、全員を我が党の組織に吸收するために、積極的な受入態勢を講じなければならない。党各級機関は、全員にこれを徹底すると共に、緊急に具体策を講じ、労組その他の民主的団体とも広く提携して、大衆的な歓迎鬪争並びに生活擁護の鬪争を積極的に展開されたい」と記され、更に入党の取扱に関しましては、「帰還者の家族の殆んどが反ソ、反共的であり、而も帰還者の生活が逼迫するために、定着後の組織への吸收は困難である故、本年度は帰郷するまでに組織に吸收するよう努めなくてはならない。イ、仮入党申込はできるだけ上陸地で受付けること、併し上陸地では困難なる場合も起り得るので、到着駅で必ず獲得するよう仮入党申込書その他を準備すること、ロ、駅頭において入党手続が困難な場合は家庭訪問を行い組織に吸收すること、ハ、上陸地点並びに駅で受付けた仮入党申込書は直ちに当該機関に送付すること、ニ、仮入党申込書の送付を受けた機関は、直ちに本人に連絡し、正式に入党せしめること」等、その他詳細に亘
つて指令しているのでありますが、この三百四十七号の指令で最も注意せねばならないことは、昨年度帰還の第一船は六月二十四日であり、配給指令を受取つた総司令部並びに
日本政府、換言すれば、それまで如何なる公式機関と雖も引揚再開の時期を知ることができなかつた以前の四月二日に、この指令が出されており、而も内容の中に明らかに、本年度帰還者はいわゆる反動分子ではなく、共産教育の徹底した者が帰還して来ることを断定していることであります。即ち、この事実によ
つて、何人と雖も
日本共産党との間に連絡のあることを明白に肯定するであろうと思うのであります。この指令につきましては、かかる意味合におきまして当委員会は重要視し、この指令に基き地区細胞に至るまでリレーされている事実の資料を得ることができ、更に明瞭と
なつたのであります。又実施面においてもこの指令の
通り行われ、みずからの祖国に、天皇のいる島に敵前上陸だと叫び、又舞鶴に引揚船入港後も
日本共産党よりの指令が来ぬ限り上陸せぬと放言するに至り、留守家族は勿論、全
国民をして唖然たらしめたことは、未だ記憶に新たなるところであります。更にこの指令の中で看過し得ない事実は、正しくその構想の根本が革命準備への指令であるということであります。昨年七月七日午後八時二十分京都駅休憩所において、新潟、四国方面乘換待機中の帰還者二百四十一名に対して、
日本共産党谷口善太郎
衆議院議員は、その挨拶演説の中で明らかに、今年一九四九年こそ意義ある革命の歴史の時間であることを確信する旨述べているのであります。
以上申述べて参りましたような調査経過を経て、その結果、幾多の事実が明らかにされたのでありますが、これらの調査より当委員会が到達いたしましたところの
結論につきまして、以下簡略に御
報告いたします。
先程来縷々申上げて参りましたごとく、ソ連
関係地域残留者の中にいわゆる民主主義グループと称する
日本人指導者層が作られ、反動と銘打たれた人々の帰還を遅らせたという事実があつたことは確実であり、その中心をなすものがハバロフスク発行の
日本新聞であつたこと、更には一昨年頃からシベリア各地の收容所にいわゆる徳田要請なるものが次第に広く伝えられ、又同様に
日本新聞にも掲載され、いわゆる反動分子帰還遅延の口実にせられていたことが順次明白にされたのであります。このことたるや国内に対し重大なる
関係があるのみならず、事、引揚問題に直結し、而もその
現状が実に機微の間にありまする今日、特に重大なる
関心を拂わざるを得ないのであります。かような情勢の下、当委員会の証人として立つた徳田球一書記長からは、自身の名を以てソ連
地域内收容所に宛て出された書簡及び引揚者受入に関する
共産党指令第三百四十七号について、これを肯定すると共に、これに関する政治的責任を負うとの証言がなされたわけであり、而もその書簡の内容を端的に表現すれば、いわゆる反動は帰すなとの意味であり、且つこの書簡の外にも、先に帰還した病弱者等の反民主的傾向を非難し、思想身体共に健全なる分子をソ連側の好意によ
つて帰還せしめられよとの希望を表明した書簡が別にありまして、現地ではこれが
日本人俘虜に対し示され、逐次各地收容所に広く伝えられた実情にありますので、それが及ぼした
影響も察するに難からざるものがあるのでありますが、以上の証言及び調査等によ
つて、要請の
現実にあつたやの疑は濃厚なるものがあるのであります。この上は、同君が先の証言
通りに、進んで政治上又は道義上の責任を明らかにするため適切なる行動に出でられんことを、
国民と共に強く
期待いたすものであります。(「独断だよ」と呼ぶ者あり)
これと同時に、先の四月二日附指令第三百四十七号によ
つて、憲法に定められた思想、言論の自由を無視し、逐次帰還する引揚者を、予め計画的にその弱点に乘じ強制的に入党せしめんと図りましたことは、公党としての存在を疑わしむるに十分なるものがある点を指摘いたしたいのであります。(
拍手、「独断だ」と呼ぶ者あり)尚いわゆる反動の帰還遅延に関し重大なる役割を演じた者は、
日本新聞に
日本人幹部としてその地位を占めていた相川春喜、宗像肇、吉良金之助及び淺原正基の四君、及び各地区收容所におけるいわゆる反動分子に対して実際に
とつた手段は、自己の
背景を利用し、且つ帰国切望という弱点に乘ずる半ば脅迫、恫喝であり、殊に実際に帰還の遅延を図るがごときに至
つては正に非人道的と言わざるを得ない。かくのごとき人間性を無視した行為は、吉村隊事件に匹敵し、その実害の広きに及んだことは数百倍すると断ぜざるを得ないのであります。言うまでもなく、このいわゆる反動の帰還遅延ということが幾多の人々の心身に與えたところの害悪は非常に大きく、且つ被害者が極めて広範囲に亘
つている点等、これが單に国内問題に止まらず、延いては国際的にも大なる
影響を與えるという問題の重大性に鑑み、委員会はこの際
政府当局に対し、速かに
本件の調査に著手し、あらゆる努力を拂
つて真相を究明し、これが処置についても断乎たる方針を以て臨むよう強く勧告することが最も適切なりとの判断に到達いたしたのであります。(「タス通信が報じたのはどうした」と呼ぶ者あり)
更にこの際附加えて御
報告いたしたいことがあります。それはいわゆる徳田要請をめぐる報道に
関連することでありますが、去る三月十二日附アカハタ紙上における札幌在住小島清君に関する報道記事であります。御
承知のごとく過般来、対日理事会
議長より、四十四名の引揚者の宣誓口述によれば、徳田要請なるものは事実上あつたということになると発表されたのでありますが、右の四十四名中の一人である小島清君が徳田事件は事実無根の作り事である旨述べたと、アカハタ紙は報道しておるのであります。(「インチキだ」と呼ぶ者あり)然るに本委員会が徳田要請に関する調査のため当の小島清君を証人として喚問した際、たまたま小島証人の証言により、アカハタ紙の報道のごとく四十四名中の一人でもなく、又同君陳述の内容と記事とは全然相違しておることが明らかにされたのであります。この事実から、アカハタの報道記事が報道の本然の姿に背き、事実を歪曲し、いわゆる徳田要請を隠蔽せんとする
一連の策謀の現われと判断せられてもいたし方ないのでありまして、(「独断だ」「ノーノー」と呼ぶ者あり)この報道は單なるデマとして看過し得ざるところであり、内外に及ぼす
影響からしても正に重大なるプレスコード違反としての疑いが十分にあると言うべきであります。
最後に、去る三月十六日の委員会に徳田書記長を証人として喚問した際、傍聽中の
衆議院議員の一部が意識的に議事を妨害するの挙に出で、ために一時議事は混乱に陷るの止むなきに立ち至りましたが、(「
委員長が無能だからだ」と呼ぶ者あり)このことは、参議院の委員会運営に対し、参議院を無視したる暴挙であ
つて、誠に遺憾に存ずる次第であります。
委員長といたしましては早速
報告書を本院
議長宛に提出し、更に
議長を通じ
本件につき
衆議院議長に対し正式に申入れを行
なつた旨の通告があつたことを申添えて、(「侵略主義の弁明だ」と呼ぶ者あり)以上で御
報告を終りたいと存じますが、目下ナホトカに待機中と伝えられる千数百の引揚者を先頭として、速かに引揚が続行されんことを切に念願するものであります。(「当選確実だ」と呼ぶ者あり、笑声、
拍手)