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委員長(
伊藤修君) 今読みますから聴いて違つておるところは指摘して下さい。
〔事務局燒ビルに
なつている電気クラブを購入し、
青写真その他に
使つています。延坪は千坪以上あります。地下室四十坪二つ、十五坪一つと三階二十六坪を私の方で
使つています。ビル全体としては財団法人日本電気協会の所有でしたが、株主がばらばらにあり結局大株主が各自で修理して共有のような格恰と
なつております。
昭和二十年終戦と同時に
丹羽喬四郎が
警視庁をやめて私の
会社の
顧問となり月二万円を支給しておりました。その仕事は大体官庁
関係の紹介、折衝でありました。
丹羽は
昭和二十一年中に半年ぐらいか
丹羽事務所として同ビルの三階の二十六坪を使用していました。
丹羽はその前から私が部屋の鍵を貸して、それで
使つていました。いずれも無償でありました。
丹羽は何か個人的仕事もしていたようですが、何をやつていたか存じません。三階の部屋は
丹羽以外に私の
会社の者はおらず、昨年春頃
丹羽から返して貰つてから全然
使つていません。
岡崎英雄も終戦と同時に退職しましたが、家が焼かれて困つているというので、
丹羽に頼まれ私の所有の家を貸しました。初めは私の南
品川一ノ四の
工場を住いに当て、その後大森海岸端の
家作で延三十二坪程(敷地百坪)で月五百円で貸しています。それ以外に仕事の上では
関係ありません。
丹羽にも南
品川一ノ九の家延三十八坪(敷地六十坪ぐらい)を
昭和十九年
官房主事時代に月百円で貸して私の
会社の
顧問に
なつてからは無料であります。私は
丹羽とは
官房主事時代に
知合いとな
つたもので、それは当時の
品川署長土田精が
丹羽が家を焼かれて困つているからと頼みましたことからであります。
岡崎とはその後間もなく
土田の紹介で同人から
岡崎の家のことを頼まれて
知合いとなりました。
丹羽五郎は喬四郎の弟ですから、同人の紹介でその後間もなく
知合いになりましたが、頭山は知りません。上村健太郎も
丹羽の紹介で知りました。門叶、衣川、
秋山は
丹羽の
関係で顔を知つている
程度ですが、町村は存じません。吉武は終戦前から上田
署長との
関係で知つていますが、
丹羽、
岡崎も同人とよく知つています。日野は存じません。
藤田元刑事部長は
丹羽が
官房主事当事
丹羽の紹介で知つています。谷川昇は井出
品川署長(現経理課長)に訪ねて来た当時、そのとき
ちよつと知
つた程度です。
丹羽事務所へは
岡崎が出入していたことは相違ないが、
土田が一回か二回来たように思うが、吉武その他は分りません。ともかく種々な人が来ていたが、それは追放にな
つた人の前職場の人々が慰めるために晝飯を食つてその後の消息(生活、家庭の状況)を話合つている
程度であります。二十年八月頃
増田氏は私が
丹羽を訪ねて霞ヶ関茶寮へ行
つたとき
丹羽に紹介されて一回だけ
会つたことがあります。そこには
増田事務所という看板が懸つていましたが、何をやつていたか分りません。これは終戦直後であります。
丹羽は
増田とは相当親しいように聞いていますし、又さように
見えますが、
増田が
丹羽事務所へ来たかどうかという点は、私の
記憶では一、二回来たように思います。
増田は
丹羽が満洲から帰つて来たときに相当面倒をみていたとの事であります。
岡崎と
増田との
関係はよく分りません。
加島警部補に
取調べを受けたことがあります。それは昨年十二月八日で拘束されたのですが、内容は贈賄と
なつており、元通商産業技官上田鉄夫に小切手二十五万円と元
警視庁警部飯澤源一郎に小切手二十五万円を貸借名簿で贈賄したということで本年二月十四日に起訴されました。私は二十日間拘束され、飯澤も二、三日拘束され、上田は臨床訊問だけでありました。その原因は
昭和二十三年三月頃紙の
事件で検挙された当時上田が世話になり、飯澤は主任捜査官であ
つたもので行政的に解決して刑事
事件は送検せず握りつぶしにな
つた後、金を貸してくれと言われて出したのであります。
加島警部の
取調べでは二回か三回調書に署名しましたが、その際先程の
丹羽関係のことを訊れましたが、調書には書いてないと思います。その内容は
土田精は
警視庁内で相当強引で嫌われているようで、私が
土田の
関係で
丹羽、
岡崎に家を世話したので
土田は内部で両名に恩を売
つたというのでいろいろなことに口を出すということです。元来
警視庁内には資格者派と成上り派との間の争いがあり、
土田は後者の総帥で、松本は有資格者で
土田をよく思つていないらしいのです。
土田が強引なのは
岡崎、
丹羽が糸を引いているのではないかと憶測しているらしいので、その
関係で松本の部下である
加島警部がそれらのことを聞いたのであります。
丹羽関係で
加島に話したことは先程の
程度で、或いは
増田、
土田が来たことがあると言
つたかも知れません。
丹羽は現在は主として須田町(万世橋広瀬像近く)の足利繊維の副社長で私の方の
顧問もやつてはいます。足利繊維には、
秋山、川口(元兵庫
警察部長)がおり、その
関係で入
つたものと考えます。私の社の仕事で
丹羽の紹介を受けたのは、
商工省、建設省、
警視庁関係で昔の
知合いである人々であります。岡田秀雄にも終戦直後に紹介され、桐山特別資材部長等で、
警視庁関係は岩井会計課長(入札参加)等であります。原文兵ヱ、倉井潔、も知つていますが、どんな
関係かは
覚えありません。田中、齋藤氏も防犯協会の
関係で知つています。私の
事件の際には
丹羽、
岡崎等は全然動いてはいません。同人等が昭電
関係で動いたことは全く知りません。佐藤昇は全然知りません。政治家として交際のあるのは参議院の黒川、衆議院の淺利さんくらいで、
丹羽、
岡崎は政治家と交際している様子はありません。以前のことは分りません。
丹羽は初め霞ヶ関茶房を
使つていたが
増田に悪いというので、私のビルに移りました。日を決めて
集つていたのですが、週に一、二回で余り目に立つし、多いときは五、六人から十人前後で目立つと工合が悪いというので解散しようという話があ
つたということですが、神田へ移
つたのであります。神田へは私は出席したことはありません。渡邊完夫氏、福田氏、江花氏は存じません。
丹羽方へ来たかどうかも知りません。私の
事件の主任検事は井本良光で、弁護人は松本重雄、高野源進でこれらの弁護士は私自身が以前から知つていたからであります。關口照里は元
近所にいた
関係、坂信彌氏は何かの
機会で
面識があり、岩田元二課長も知つています。
警視庁幹部は
丹羽が
官房主事をやつていたので、同人の紹介や防犯協会の
関係で知つています。
中西元
警務部長も
土田の紹介で知りました。終戦直後に家を貸しましたが、大井関ヶ原で延四十五坪で
家賃は貰つておりません。針本氏は
土田の
関係で知り、間狩氏は碁の
関係で、増井氏は
警視庁に出入りしていて知
つたことがあります。