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1950-02-07 第7回国会 参議院 農林委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年二月七日(火曜日)    午後一時三十七分開会   —————————————   委員の異動 二月三日委員板野勝次君辞任につき、 その補欠として岩間正男君を議長にお いて指名した。   —————————————   本日の会議に付した事件 ○新農業政策確立に関する調査の件  (右件に関し証人の証言あり)   —————————————
  2. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) それでは只今から新農業政策確立に関する調査のために委員会を開会いたします。  最初委員長といたしまして一言申上げたいと存じます。  終戰第六年を迎えまして、諸事万端漸く安定の緒に着くことを得たのでありますが、而も尚農業は御承知のように依然混迷を続けておる現状でございます。もともと農業は終戦後極めて不安定の状態にあつたのでありますが、最近は特に質的にも誠に憂慮すべき状態にあるように思われるのであります。これを国内的に見ますると、農業課税の重圧、低米価政策、シエーレの拡大等々によりまする農業生産困難度の増大、農家経済の逼迫は言うまでもございませんが、いわゆるドツジ予算の強行は、農業自体に対する国家財政支出の節減に直接大きな影響を蒙つておるばかりでなく、一般産業経済界デフレ傾向の余波を厳しく受けて、ここにも亦苦悶の兆がまざまざと見え有様であります。失業群農村固着という一現象を捉えましても、将来に大きな問題を残しておるように考えられるのであります。又これを国際的な視野から見ましても、世界的な農業生産力の回復、国際自由貿易への我が国の復帰、及び我が国自体経済再建方式としての貿易振興による食糧輸入力増加という政策の採用、国際小麦協定への参加等我が国農業にとりまして極めて影響の大きな事柄のみであります。こういうような情勢下におきまして、一方では農業恐慌論が起り、他方では食糧国内自給度可能最大限度への高揚が叫ばれておるのでありますが、その間に処する農政、特に直接その担当者たる政府の側におきましては殆んど農政に見るべきものがなく、政策の貧困というよりはむしろ無政無策というのが率直に言つて実状でありまして、過般の総理の施政演説に竜ありましたように農政審議会を設けて、これからやるというような有様であります。国会、特に我々参議院農林委員会といたしましては、夙にこれらの問題の必然性に思い至りまして、この問題の最先端とも見らるべき水稻單作地帯における対策樹立の必要を痛感いたしまして、昨年は殆んどこの問題に重点を置いて農政の推進に努めて参つたのでありまするが、事態は更に広い全体的の問題として坂上げることの緊急性を認めまして、ここに新農業政策確立に関する特別調査を行うこととなつた次第であります。そこでその最初企てといたしまして、学識者たる諸先生方の御意見を先ず拜聽することといたした次第であります。即ち今日の国内的、及び国際的状況、及びそれからして将来予想される趨勢等を勘案いたしまして、日本農政は如何にあるべきか、その具体策重点はどこに置かるべきか等々いろいろの問題につきまして、平素特に御関心深く御研究をなさつておられまする諸先生方から忌憚ない御意見の御開陳を願いまして、我々委員会としての今後の調査上の大きな参考に資したいと存じました次第でございます。国会手続上、証人という非常に堅苦しい取扱を取りまして、このことは大変先生方にも失礼であつたと存じますが、手続上の堅苦しさは季に御容赦頂きまして、実質的には懇談会座談会として忌憚ないお話を承わり、又懇談いたしたいというのが今日の企て趣旨であり、又念願とするところでございますので、そういうふうに先生方におかれましても、又委員皆様方におかれましても寛ろいだ気持でこの会を有意義に御活用頂きますれば、委員長といたしまして誠に仕合せと存ずるのであります。本日は大槻先生東畑先生からお話を承わり、そうして又そのお話を中心にして座談懇談をいたしたいと存ずるのでありますが、最初大槻先生からお話を承わり、東畑先生は御都合で少し遅れてお見えになりますが、三時にはお見えになるそうでありますから、お見えになりましたら、東畑先生から承わることにいたしたいと存じます。  大槻先生は私から申上げるまでもございませんが、京都大学の教授として、そうして又農政関係には特に御造詣の深い先生でありまするし、我々農林委員会といたしましても従来いろいろ御示唆を賜わつたのでありまして、この機会に御礼を申上げるのでありますが、特に先程申上げましたような趣旨で本日はどうぞお寛ろぎの忌憚なく、率直にいろいろの問題についてお話をして頂きますれば、大変仕合せと存ずる次第であります。  一言簡單委員長からこの調査をするに至りました趣旨、並びにその運営の在り方につきまして申上げました次第でございます。特に大槻先生には御多忙のところをわざわざお見えを頂きまして誠に有難うございました。どうぞよろしくお願いいたします。お話の前に宣誓書捺印をお願いいたします。    〔証人宣誓書捺印
  3. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) それではどうぞ。
  4. 大槻正男

    ○証人(大槻正男君) 私は農業経営学の專攻の関係から新農業政策という問題に対して、農業経営の側面から主としてお話をしたいと思います。昨年中本委員会において稻の單作地帶の問題を取上げられたそうでございますが、私もこの問題を前から大きな問題として取上げまして、今度も教室員十名ばかりと單作地帶の代表的な秋田県の農村に一週間農村に入りまして村々を見て参りまして今朝帰つた次第でございます。  農業政策が最近政府において探られておるのが、非常に眼前の、そうして個別の対策ということに囚われまして、全体として農業政策の体系がない。これがよくいわれるところでございます。私も亦そう思う。農業政策の問題を考えるときには、もつと体系的な見地から取扱わなければならないと思います。  で、現在の問題にいたしますと、我が国の農業に対して與えられるところの條件というものが非常にアブノーマルなのであります。これは戰時中から戰後にかけて非常に非正常的な、條件が與えられておる。戰争の遂行及びその後の混乱、そうして農業としての鎖国と申しますか、国内における需要というものが国内の農業において主として賄わなくちやならん。そうして国外からの供給というものを大体において遮断されておる。そういうわけでその鎖国的な状態においてやられておつた、この状態から農産物が非常に不足する、価格が非常に騰貴したというような不正常的な状態が起つたのでありますが、このアブノーマルな條件というものは、決して永続するものでなくて、やがてこの條件というものは取去られることは予期しなくちやならん。更に今度の敗戦によつて、單にアブノーマルな状態が戦前の状態に復帰するばかりでなく、戦前の状態そのものが今度の敗戰によつて何と言いますか、自由貿易主義と言いますか、戰前の日本の農業というものは主として食糧生産に終始し、そうして国内の食糧市場というものを独占しておつた。海外からり食糧の輸入というようなものは、関税政策輸入制限輸入禁止というようなもので防いでおつた。それで自由貿易主義の下に世界農業の一環となるというような在り方はなかつた。今度その條件も取去られてしまつて、今直ぐではありませんけれども、間もなくそういう自由貿易主義と言いますか、そうして日本の農業が世界農業の一環となるという時代が到来することはどうしても予想しなくちやならない。そういう條件の変化が起つたとき、その條件に日本の農業が落着いたときに、どんな農業になるか、これは條件の変化を吟味すれば大体経済学的に予想することができるところだ。それは戦時中と、現在の農業或いは戰前の農業と相当違つた農業になるだろう。そういうふうにその新らしい條件に日本の農業がどう適応するかという問題と、自然に放置した場合に……それからもう一つは、單に経済法則従つて新らしい條件に、あるがままに適応する場合と、それから日本の何と言いますか、国民生活の全体の立場から、例えば日本の今後における人員の問題を考えると、相当に食糧の自足自給を必要とするとか、その他思わしい日本の農村の状態だとか、そういう見地からあるべき農業経営というものが相当考え得られると思う。そういう目標に向つて到達しようとすれば、これはどういう農業経営があるべきかということも又考えられると思う。そのあるべきかという場合、余り経済法則を無視して、そうして経済的抵抗を受けながらやろうとすると、これは実際は実現ができない。最初の、経済法則の抵抗においてあるべき日本農業経営の状態というものを将来進めるように我々は方策を講じなければならんと思います。それで、その状態に現在の農業経営が推移するのに相当な時間が掛かる。それでその新らしい適応と言いますか、新らしい均衡状態が来るまで、そのとにおいていろいろな支障が起こりますが、それを最も摩擦なく最も順調に、又最も速かに促進して、そのあるべき状態に招来せしめるということは農業政策になくちやならん。そり見地から健全の個別対策というものは採らるべきものである。個別対策それ自体を切離していいとか悪いとか言わるべきものではないと思う。初めやはり農業政策の体系というものを立てて、そうしてそれに最も適当したものとして個別対策が採られなければならんと、そう思うのであります。それで日本の農業において新らしく與えられた條件、これはまだアブノーマルな状態が続いておりますから、顯現はしてないけれども潜在しておる條件、即ち間もなく相当自由貿易になる、或いは為替関係輸出工業の復興によつて相当にこれは為替関係が好転する、そういうふうになつたときに、日本の農業がどうなるか。即ち世界の経済状態が正常な状態に回復して来たような場合に、日本の農業というものはどうなるかということを考えなくちやならんと思うのです。そり場合に私共考えるのに、今まで日本の農業、或いは個別経営というものを考えますと、日本の農業が鎖国的であつた、或いは孤立的であつた。それで養蚕を除いては国内の食糧を自給自足するために行われた。そうして海外からの食糧生産の競争というものを遮断しておつた。で、米麦の価格というものは、食糧価格は独占的に決められておつた、そういうような関係でありますが、従つて国内におけるところの適地適生産というものは、日本の国民経済を單位としたところの適地適生産であつた。個別の村、個別の経営におけるところの適地適生産、或いは経営の組織というものを見ますると、これは日本の国民経済だけを單位としたところの、大体において適地適生産或いは適地適生産適経営組織であつた。併し今度は間もなく、世界を單位としての適地適生産主義というものを採られる。又経営も組織も、世界経済の中において日本の個々の経営がどういう経営組織を採つたらいいかということになると思われる。それでこの変化というものは非常に大きなものであつて、未だ曾て日本の農業になかつたような大きな変化であると私は思うのであります。で、そうした世界的な観点における適地適生産、或いは適経営というようなことが問題になつたときに、一体日本の経済が世界経済の中において均衡状態に到達したときに、どんなふうになるかどいうことを考えて見る必要があると思う。それで私共の考えから言うと、先ず作物であるならば作物というものを取つて見ますと、世界各国の農業と日本の農業とを比較して見るときに、一番顯著な日本と他の国との差というものを見ますと、これは日本の農業というものは、農業人口というものが多くて土地が狭い、そういうことだと思う。今ここに差上げた第四表のあれを見ますと、農業従業者一人当りの土地面積というものを見ますと、オーストラリアが百四十二ヘクタール、アルゼンチン百四十二ヘクタール、アメリカ四十ヘクタール、カナダ二十八ヘクタール、そうして日本は〇・四ヘクタール、そういうふうになつております。それで土地が非常に狭い。この土地が狭いという一つの條件だけを取上げて先ず考えて見ますと、日本の農業というもりは、私は世界の農業に追込まれると全くこれまでと違つた適地適生産、或いは立地配置というものが作物に対して行われるだろうと、そう思われるのであります。で、御存じのように農業には何と言いますか、土地報酬逓減の法則が働く。従つて狭い土地で沢山の生産を上げようと思うと、これは單位労働当りの生産力が非常に減ずる。これは工業と非常に違う。それで工業と農業を比較しますと、日本のような土地柄から言うと、これは或る意味から言うと、土地報酬逓増の法則が働くと言われる、こういうふうなものが日本の適生産であつて、農業はむしろ適生産でないというふうな悲観的な考えさえも持ち得るのであります。土地が狭いという関係から、それでこの土地が狭い條件の下において、これは日本には今度新たに農作物の、或いは農業生産立地配置が行われるとすると、どういう生産物が日本にやつて来るか、又日本から出て行つてしまうかということを考えて見る必要があると思うのであります。そうしますと、これは何しろ土地が狭いのですから、そうして労働が豊富であつて、そういう條件の下においては、狭い土地で沢山の生産を上げることができる、且つこれは資本が少いという関係から機械化ができない作業を必要とする。必ず人手を要するというふうな作物なり生産というものが、日本の適作物であるということは、これは非常に明瞭なことであると思います。そうしますと、この日本の最も適生産というものは、これは歴史的にこれが証明しますと、例えば養蚕のようなものであるとか、狭い面積で沢山の生産を上げる、そうして米麦等に比較して、單位土地当り五六倍の生産を上げることができる。その作業というものは機械化することができない。必ず人手を必要とする。そういうふうなものが日本の適生産物であるつかるが故に養蚕というものは、戦前においても国際経済的に行われた、自由貿易的に行われたのですが、これは日本の適生産として他の国の養蚕を圧倒して、日本の養蚕というものは、世界の養蚕界を制覇したと、いうことになると思うのであります。だから養蚕のようなものが、日本の適地的生産であるということが言えると思うのです。それと反対に沢山の土地を必要とする、或いは沢山の土地を有利とする、そうして人手を必要としないような農業生産というものは日本の適生産物ではない。その意味においては、例えば自然の草生を利用して営むところの放牧経営、緬羊の放牧経営といつたようなものは、これは決して日本の適生産ではない。やがて濠洲等から緬羊の、羊毛の輸入等が自由に行われるようになれば、日本の緬羊業といつたようなものは圧迫される性質があるのだと思う。それで若しそれが向うでは一人の労働者が三千頭の緬羊が飼える。群生動物と言いますか、一人の牧夫が先頭に立てば、三千頭の緬羊を率いることができるそうです。そんな工合で、ああいうものに対しては到底日本の農業というものは競争することができない。その次にこの粗放的など言いますか、必要な土地が沢山ありさえすれば、非常に労働の生産力を高めることができるというのは歴史的に見ても穀物である。その代表的なものは小麦である。米も又穀物の一種としてそうであると思う。で、小麦というものはやはり一つの群生食物と言いますか、その要求するところの作業というものは、画一的な作業でありまして、その作業というものはすべて機械化することができるのでございます。人手を殆んど要せずしてやることができる。これは南半球及びアメリカ等におけるやり方を見ると皆そうなつている。ここで第三表に小麦の表を掲げましたが、耕作所要労働時間一エーカー当り、これは五反歩ばかりでございますが、二番目の小麦でハンド・メソツド、一八五〇年及びその以前においては、これは時間ということになつているのですが、一エーカー、五反歩当りを六十二時間かかつておるが、これは一八五〇年です。その次も一八五〇年です。九五年とあるのは間違いです。その当時において小麦は機械化すればこれは三時間でできた。それから一九二四年のアクチュアル・フアーム・アヴエレツジ、これは農業経営調査、実際どれだけの所要労働が要つたか、小麦は十五時間、ところがその当時のペスト・マシン・メソッド、その当時知られた最も機械化されたところの方法でやると一・六時間。五反歩ばかりの小麦は約一時間半でできるように機械化ができる。だからアクチユアル・フアーム・アヴエレツジに比較すれば十分の一に所要労働を減ずることができる。そういうふうな機械化をして労働を節約する可能性があるのでございます。それでこういうものは、これは日本のようなところにおいてはなかなかアメリカや或いは南半球の土地の広い国々と競争するということは非常にむずかしい。御承知の通り米でも最近向うから帰つた人、或いは私が向うに行つた当時のことを調べますと、これは小麦と何ら異なるところはありません。アメリカ機械化された農業によりますと全く除草はせず、そうして最近になると飛行機で蒔く、そうしてコンバインで刈るとか、やはり同じように非常に作業というものが機械化して所要労働というものを減ずることができるのでございます。それでそれに比較しますと、その前の馬鈴薯根菜作物になりますとその所要労働というもりは減ずることができないのでございます。これは私はコーリン・クラークのザ・コンデイーシヨン・オブ・エコノミツク・プログレスよりとつたのでありますが、少し数字が変なところがあるのですが、一八五〇年及びその以前のやつが馬鈴薯が百八時間かかつて、その当時において知られたところのベスト・マシン・メソツドが三十八時間かかつた。ところが一九二四年のアクチユアル・フアーム・アヴエレツジが九十時間、そう減つていないのです。百八時間から九十時間に減つただけなのです。それからその当時におけるベスト・マシン・メソッドによると五十時間半分にならない、これは少し五十時間というのは一八五〇年が三十八時間ですから多くなつているので少し変でございますけれども、併しいずれにせよこれはそう減らないのでございます。そう節減することができない。それで馬鈴薯の耕作というものは機械化して見ても、或いは根菜作物というものは機械化しても機械化の限度がある、たかだか半分程度であるというので、機械化する限度というものは非常に狭いのでございます。それでこういうものは労働集約的な作物であるというわけだと思うのです。その外例えば果樹作であるとか、或いは園芸作であるとか、或いは畜産で言うならば乳牛の飼養、まあアメリカあたりにおいて乳牛の飼養あたりも相当機械化されたけれども、その限度というものは非常に限られている。機械化し得るという限度は小麦とか米作のようにはとてもいかん。やはり人手が多くかかる。土地が広いということがそれ程有利な條件でなくなる。それで日本の農業から言いますと、今後においては世界的に見た適生産というものが日本に立地配置される、例えば養蚕、生糸に対する需要がある限りには必ず日本において養蚕が行われるだろうと思います。その他いろいろ集約的な作物としての、例えば代用作物としての大きな根菜、代用作物としてのいろいろな除虫菊であるとか薄荷だとか、何かそういういろいろな適産物として日本で生産されて、そうして販路を外国市場に求める、これで日本に必要とするものを外国から輸入するというような世界的な立地配置が起つて来るだろうということはこれは非常に確実なのであります。だけれども、ただ問題になるのは日本の適性の産物というものは、或いは人手が多くかかる、機械化できないところの農業生産というものは、これは世界的な需要量というものは非常に制限される、例えば養蚕というものが非常に日本の適性産物でありますけれども、最近になりますと、アメリカにおける需要或いは世界における需要が非常に減つた、絹の靴下というものは殆んど用いられないで、ナイロンに代つている、そういう状態から養蚕というものもそう拡大することができない、戰前のたかだか二割か三割に止まるだろうというふうな状態にある。その他薄荷にせよ、除虫菊、チユーリツプの球根にせよ、百合根にせよ、そうしたものはいずれも世界的需要というものは日本の六百万町歩近くの土地と、今五百万町歩ということに統計ではなつておりますが、大百万戸の農家の農業生産力を需要し切る程の生産には到底なり得ない。それで結局のところが、国内消費市場というものが、なかんずく国内の食糧市場というものはやはり日本の農業を現在の程度、或いは戰前程度の規模において維持しようと思うとき、食糧市場の開発といこことをやはり考えなければならん。そういうふうに思う。併しその場合私共の考えるのは、日本の適産物適性産物を、もう少し食糧の生産供給ということができないかどうか、そういうことなのであります。従来我々は食糧というと直ちに米麦即食糧という、そういうふうに考えたけれども、これは伝統に囚われた考え方じやないか。食糧というものは、国民栄養である。国民栄養を、最も大量に必要とするものは結局炭水化物蛋白質と脂肪、この炭水化物蛋白質と脂肪、これをもつと日本の適性物、適性産物を生産することが必要じやないかというふうに考えられるのでございます。そうしますと、炭水化物に対しては日本においては甘藷とか馬鈴薯とかいう根菜作物がある。それから蛋白質に対しては豆なり大盃なりは日本の特産物である、これも技術的な改善を相当加えると相当優秀なものになると思うのであります。それから油については、菜種とか「いぐさ」であるとか「いのまた」であるとか大豆であるとかいろいろなものがある。そういうもので食糧を生産するということになりますと、海外の農業と競争して日本の食糧市場を確保することができるのじやないが、そういうふうに考えることができるのでございます。これはいずれも日本の農業というものを、これは農村人口問題などからいつて急に農業人口を減らすことができない。日本の農業というものは六百万戸或いは五百万戸の農家をすべて負担して、双肩に担つてやつて行かなければならんということになると、そういう方法をどうしても考えなければならん。そういうわけであります。だがそうした多收穫の、例えば炭水化物なら炭水化物の多収穫の、反当り非常に多収穫な作物、生産物というものは大体において品質が悪いのであります。例えば甘藷について言いますと、甘藷というものは非常に腐り易い、水分が多い、そういうことでそのまま食糧にすることはできないかも知れない。或いは大豆にしろ菜種にしろ、そのまま食糧にすることは、米麦のようには行かない。それで食糧にするためには必ず、必ずとは限らないが、或る場合にはこれを加工しなければならない。加工には工業的加工畜産的加工というものがある。工業的加工についてはは甘藷ならこれを澱粉にするとか、或いは藷粉にするとか、或いはアルコールにするとか、その他いろいろ加工して優秀な食糧にすることができましようし、大豆は大豆として加工する、菜種は菜種として採油する、そうして、品質のいいものにいろいろ食糧化することができます。或いは又更に生産物の中の品質の悪い、例えば飼料作物、或いは藷や何かの残滓物、副産物、いも蔓とか屑いもとか或いは絞り粕とかそういうものはこれを家畜の飼料として加工しますと最も優秀なるところの動物性の蛋白質に変えることができる。そういうふうな工業的加工畜産的加工によつて多収穫の生産物の品質の度を高めるという方法を採る。それで日本のように土地が狭くて貴重な、與えられた條件下においては、土地がなければできないものにだけ向けなければならない。例えば食糧について言うならば、食糧の栄養素でございますか、炭水化物蛋白質といつたようなものはこれは土地の生産力がなければ、土地がなければできません。併しこれを、品質をよくするということは工業でできる、或いは畜産でできる。土地を必要とせずしてできます。ですから土地を利用するところの生産というものは、日本のような與えられた條件、土地が狭く土地が貴重だというようなものは土地がなくては生産できない生産物、即ち栄養素の数量的生産、多收穫生産にこれを向ける、そうして品質をよくすることはこれは工業と畜産の協力によつてこれの品質をよくするということをすれば、日本の土地の狭さということを緩和することができる、そうしてこれを食べるときにはもつと家庭における料理その他を発達させまして、これまでのように日本の米ばかりを食べるというやり方でなく副食物を多くする、そうして人類の生理的要求に従つて調合して食べるというような方法を採ることができるだろうと思う。栄養食糧ということは米だけだという考え方に非常に囚われておるように思われるのであります。でそうしますと農業経営の側面から言うと、何も日本の農業を稻の單作、或いは米麦だけを作らなければならんということでなくて、そうして土地の利用をし、土地の地方を労りながら輪作式経営においてこの経営を行うことができる。更にそれに飼料的或いは残滓物を利用して、そうしてこの畜産を入れる、そうすればそれも又地方を太らせる。殊に單作地帯などへ行つて見ますと、例えば秋田などが丁度この二毛作の限界地になると思うのでございます。あそこは農業というものが米麦だけである、裏作は麦を作らなくちやならんというこの囚われた考えから言うと、二毛作はなかなか困難だ。例えば飼料作物、青刈類だとか、大根、「かぶ」、根菜類、或いは馬鈴薯というものがいずれもその成育期間は約二、三ケ月程でございます。ですから降雪の前後に作付けすることができる。麦になりますと約六、七ケ月ぐらいかかる。雪の害はどうしても受ける。そういうようなことも相当これを緩和することができる。それで飼料作物であるとか、この青刈類だとか、根菜作物を入れるということになりますと、二毛作或いは三毛作もできるという可能性ができて来て、そうして東北の農業が非常に收入が一時高まつて来る。それから凶作の危険が集中的である、そういうふうないろいろな弊害を除いて二毛作にやつて行く。そうしてそれに家畜を入れることができる。そうすると一年間の労働の分配は非常に寡少ならしめることができるといつたような工夫を講ずることができるのでございます。それでそういうふうにしますと、いわゆる輪作式有畜農業にこれを持つて来ることができます。それでこれまで例えば日本で有畜農業を進める、或いはこの農村工業を進めるなんて言つて見たところが、一体飼料にするものがない。それから加工すべき原料がない。その農村工業は起りつこない。それから畜産は起りつこない。だから畜産というと配給飼料にばかり頼るものですから、農村工業というと結局のところ藁細工とか、その外は例えば時計工業だとか、或いは精密工業なり、天から降つて来たような工業を進める。そういうので本当にその土地において生産した農産物を加工する、農村にあるべき農村工業というものはさつぱり起らない。それで作付けをそういうふうに変えて行きますと、米麦だけでなくて、あらゆる作物を作るということになりますれば、これは敢えてむしろ冬作物ということになると、さつき申上げたように品質が悪い、悪ければ残滓物が多いのでございます。それは家畜の飼料になります。それから品質が悪いから農産加工すれば、半農作物というものは非常に多くなる。それで生産現地に農村工業というものは起る。そういうふうに農村工業、有畜農業というものは本当に地につくのではないかと思われるのであります。けれどもこれは結局のところ農業生産というものは需要が起らないと、生産があり得るものじやない。農業生産だけの問題で日本の農業経営というものがこれは私変革されるとは全然思いません。ですから結局のところ日本の農業経営を変化しようと思うと、日本の食生活、国民の食生活というものをそれに並行して変えて行くというこのやり方を取らなくちやならない。例えば藷を沢山作つても、藷を国民が食べなければこれは生産過剰になると思うのであります。最近牛乳が生産される、併し国民が牛乳を飲まなければ牛乳が生産過剰になります。これは必ずこの国民の需要というものを並行的に変えて行くことによつて初めて日本の農業経営というものがこういうふうな変革を遂行する可能性が生ずるだろうと思うんです。そのためにはむしろ、今申上げたように農業生産におけるところの農産物の生産原価、或いは価格というものが非常に安くなくちやならない。それで経営というものを非常に合理化する、費用をかけないでやるというようなやり方をしなくちやならない。今ここにちよつと挙げたけれどもこの農産物庭先国際価格(キンタール当り弗)、これは戰前の調査でございますが、これは敢えて国際価格でございます。米が一キンタール四ドル三十三セント、小麦が三ドル二十七セント、大麦二ドル三十二セント、それからとうもろこしが一ドル九十セント、大豆が五ドル十五セント、それから馬鈴薯が三ドル三十一セント、砂糖大根六十三セント、牛乳が三ドル九十五セントになつています。目方單位当りの価格になります。それでここで非常に興味があることは、この米麦等に比較して馬鈴薯が非常に高いということです。三ドル三十一セント、日本ではこれは米麦等に比較すると四分の一位の価額になる、普通のときでもこういうように非常に高いということですね。それからその次の日米農産物庭先価格の対比、これは昭和九年から十一年平均、これは大川一司君が作成されたものです。ドルとして比率になつています。その当時一ドル三円四十五銭の時ですね。アメリカで一ドルでその当時日本では米が四円七十銭した。小麦は日本では三円三十銭している。大麦が二円七十一銭、ところが甘藷、馬鈴薯になりますと、アメリカで一ドルの甘藷が日本では七十銭、それから馬鈴薯が九十八銭、そうしますとね、この一番右の端のところを見ますとね。当時の為替相場が一ドル三円四十五銭に対する比率なんでございます。米は日本がアメリカより一三七%、大麦、小麦はその当時安かつた。ところが甘藷と馬鈴薯は、甘藷はアメリカの約一割程、だからアメリカにおいては日本よりも甘藷は五倍高い。それから馬鈴薯が二割八分、そうしますと、約四倍高いというふうなことになつておるのでございますね。それでこれは何故こうなるかというと第三表からも明らかのようにアメリカにおいては労働が沢山要る。集約作物は人手がかかる、麦とかいつたようなものは人手がかからない、機械化されている。だからアメリカのようなところじや小麦等は非常に安く価格が構成されるというようになるわけでございますね。それで日本の国として考える場合食糧というものは日本の適産物と申しますが、安くできるもので生活をするいうことを考えないということはない筈だと思う。そうして土地の広い、乾燥地帶の草原地帯の適作物であるところの麦や何かで生活をしなくちやならんということは、ないのじやないか。これは農業政策として考えられることだと思う。或いは食糧政策としてですね。ところが、一番最後の表を見ますと、各国の主要食糧の消費価額、百万ドル單位ですが、アメリカでは小麦を四億ドル食べる。そうして馬鈴薯を三億ドル近く食べる。そうして牛乳を十七億ドル消費する。こういうふうな農業生産構成になつておるわけです。ですから、馬鈴薯を食糧として消費するという量が二億八千三百万ドル、牛乳が十七億、これもコーリン価格の表によつたのであります。それで高いにも拘わらず、馬鈴薯というものは相当消費しておる。生活の中に入り込んでおる。それから日本と似た状態の国としてドイツを見ますと、小麦が九千九百万ドル、ライ麦が一億一千二百万ドル、それに馬鈴薯が二億七千三百万ドルの食糧としての消費量がある。これは相当生活の中に入り込んでおる。そうして牛乳というものが、牛乳は大体において輸入輸出がないと考えて見て、これは酪農品も含めたのです、九億三千百万ドル、それで牛乳というものは非常に大きくなつておる。これは大体において農業所得構成と見ていいと思う。各産物の……こういうふうになつておる。併し欧米人が薯を食べ出した歴史というものは、極く最近のことで百五十年くらいの歴史で、それ以前は薯というものはなかつたのであります。それで食物というものは変らんものだと言いますけれども、併し、決して変らんものでなくして、曾て薯というものはなかつたときと、優秀な炭水化作物としての薯ができた以後においては、これだけ薯が食糧化しておるのであります。現在日本で米食を他の食糧に代えるということは殆んどインポツシブルなるがごとく考えられますけれども、これは一つは時間の問題であり、又政策の問題であると思う。相当促進すれば不可能なことはない。併しただこの食糧というものも、ただ薯だけ食べろという戦時中の政策はよくない。必ずこれは副食物を撮らせなくちやならん。それで第一牛乳が問題になる。牛乳を飲むということになれば、薯というものは非常に食べ易くなる。或いは薯を飼料として豚の生産が殖えれば、豚のハム、ソーセージ等ができれば、やはり薯というものが主食として非常に食べ易くなる。そういうふうになるだろうと思います。それでさつき申し上げた通りに農業において薯の生産というものを殖やす、それは同時に飼料作物も作る。そうして家畜を入れる。そうして畜産物を殖やす、酪農生産等に資せしめる。そこから牛乳或いは酪農品というものができる。或いは豚の生産ができれば、それと薯と合せて食糧にするということになれば、これはそう国民に苦痛を與えないで、薯というものの食糧化が可能になつて来る。或いは食生活に変化を與えることができるようになり得るのだろうと思いますが、従来のように薯だけ食べろということは段々食糧が緩和して来る今後においては無理でございます。やはり薯がうまく食べられるようにしなければならん。例えばドイツの農村においては喜んで薯を食べる。無論パンも食べるけれども、パンばかり食べるよりは、薯を半分くらい食べる方がずつといい。且つ動物性の蛋白質が入れば栄養もずつとよくなるということになるのでないかと思う。  今度は第四の農業労働の生産力というものを御覧になつて頂きたい。これはさつき申上げたように、日本は農業人口が多い関係から、一人当りの耕地が非常に少うございます。その関係から、一人当りの農業生産力が非常に低い。例えばオ—ストラリアが千五百ドル。これは一人当りの農業純生産力です。これは肥料その他を差引いだもので、農業一人当りの農業純生産力、これがオーストラリアが千五百二十四ドル、アルゼンチンが千二百三十三ドル、アメリカが六百六十一ドル、日本が百二十ドルになつておる。日本は非常に生産力が低い。これは結局のところ土地が狭いということが原因しておると思うのであります。更にこちらの表に全国民を給養するに要する食糧生産労働力のパーセンテージというのがあります。一番右の方にはアクチユアル・カレント・ダイエツトがある。実際各国民が食べておる食物を生産するのには、オーストラリアにおいては国民の一割が食糧生産農業生産に従事しておる。これは国民の食糧を自給生産することができる。アルゼンチンにおいては一八%、アメリカにおいてはその当時は二四%。今は二一%くらいと言われておりますが……。ところが、日本は五二%。だから国民の半分以上が農業生産に従事しないと、国民に食糧を自給することができない。これは戰前の統計でございます。ところが、その左のオプチマム・ダイエツト、これはイギリスの中流社会の人の食物を標準にしたのであります。これは栄養食というわけです。オプチマム。適宜食というわけでございますか。これはオーストラリアは九・七%、ですから実際はアクチユアル・カレントの方が一%だけ贅沢食をしておる。だから、栄養食以上の食を攝つておるのです。アルゼンチンが一二%。アメリカが二三%。アメリカも一%だけ贅沢食をしておる。栄養食以上の食糧を攝つておるわけです。ところが、日本になりますと、国民の一四〇%が食糧生産農業生産に従事しないと、国民のオプチマム・ダイエツトを、或いはアメリカ人程度の食糧を生産することができない。一〇〇%が全体ですから、日本の国民全体掛かつてもオプチマム・ダイエットを生産することができないというように、日本の農業生産力というものは低いものである。そういうふうな統計になつております。これは土地が非常に狭いにしても、どうしてこうなるかということになると、結局私らの考えでは、日本人は米ばかり食べておる。炭水化物ばかり食べておる。動物性の蛋白質を攝らん。それから米ばかり作つておるから、土地の單位面積当りの生産物というものは増大することができない。この米の偏食と米の偏作ということ、この二つが日本の生産力を非常に制限しておるのだ。この米の偏作と米の偏食ということで束縛されておる限り、その束縛の下にある限り、日本の農業の生産力をこれ以上上げるということは殆んどインポツシブルである。もつと自由に作物を選択し、自由に経営組織を改善するというふうに自由が與えられなくてはどうにもならん問題である。これは天照大神時代から米麦を作つたその伝統の束縛の下で動きが取れないようになつているんではないか。この状態においては日本の農業というものは、国際競争はとてもできない。国際競争はとてもこれはできない。やはりもつと広い限界において、日本は世界において最も作物の多い国で、又あらゆる家畜は飼える、そうして世界の随一な工業国だ、こういう條件を利用しまして、あらゆる作物のうちから最も生産量の高いもの、利用度の高いものを取り、そうして工業及び畜産の協力の下において品質をよくする。そういうやり方をやれば、こんな一四〇%も国民が働かなければ栄養食を與えられないという馬鹿らしいことは起らんと思う。もう少し、例えば国民の四〇%程度に栄養食を與えて、更に酪農品等の輸出といつたようなことも相当行けるのではないか、というふうに考え得られるのです。それでこの日本の農業政策ということになりますと、経営の側面から言うと、余り日本は伝統に囚われている。ところがその伝統を作つた條件というものは、今度の敗戰によつて根本的に覆えされた。その新らしい條件に適応するということが、伝統に囚われて米麦にこだわつている限り適用能力というものを失う。ダーウインの適者生存、新らしい條件に適応する能力なくして、世界の農業の適者として繁栄するということは恐らくできないと、そういうふうに思われるので、これは結局……、併し日本の農業というものは、農業だけで解決がつくものではないと私は思います。必ずこれは竹本の国民の食生活の変革と歩調を合せでやらなくちやならん。食生活の方面からも日本の農業が、輪作農業や有畜農業等において生産力が上り、そうして生産費を非常に安くすることができるようになれば、例えば牛乳や豚肉等も現在のようにべらぼうに高いのでなくて、これを自給飼料において生産するというふうな組織の中に入れて行くということになれば、ずつとこの牛乳でも豚肉でも下げることができる可能性があると思う。日本は土地は狭いけれども、これは酪農経営においても飼料を裏作で作り、或いは普通作物、残滓物、副産物、そういうものを利用するというやり方で行きますならば、ずつとこの生産費を下げることができるのではないか。日本の今申上げました通り、藷の価格というものは非常に安い。例えばアメリカの二割程度である。ところが牛乳は一三七%になつておる。三七%牛乳がアメリカよりは高くなつておる。だから藷だけ安くても、畜産物が安くならなければこれは駄目でございます。畜産物の生産をもつと奨励し、経営を合理化しまして、そうして牛乳等を非常に安く飲めるようにする。或いは豚肉やなんかの生産をもつと安く供給できるようにすれば、これは消費が大衆化して行くんではないかと、そういうふうに思われるのでございます。更に日本のあるべき農業として、例えば日本の、国防を失つたところの国として、せめて食糧の自給だけをどうにか確保したいといつたような、この目的が農業政策に入れられるとすれば、これはやはりこういうやり方でやらなくてはならんのではないか、例えば藷なら藷といつたようなものをもう少し日本の農業の中に入れて行かなければならん。御存じのよに藷というものは、これは一炭水化物の作物としては最もこれは多収穫であり、且つ炭水化物のカロリーの生産を安くすることができる可能性がある。殊に最近の品質改良の耕作法の研究など進めるならば、まだまだこれは行けるだろうと思われる。そうしますと炭水化物の生産原価が世界的に低廉になるとすれば、工業の原料として最も適当なんで、或いは家畜の飼料として最も適当なんだ。で、平時においては、これは家畜の飼料に供し、或いは工業の原料にして炭水化物工業というものを起して、これは最近の、そうした醗酵化学、その他の化学工業の研究者の研究の結果によれば、いろいろな側面に利用できて、二十四貫、或いは三十貫ぐらいの藷というものは簡単に消費ができるということを聞きます。そうしておいて必ずしも平時においては、その藷を食べないでおつても、いざ何か事があるときには藷を食べて、最低の国民の食生活を保証する。家畜の飼料、或いは工業原料の方から持つて来るというふうなことも、これは併せて考えて置く必要があるのじやないか。今度の戦争の場合、日本の食糧政策が非常に根本的に間違つておつた。国防上の理由から食糧の自給自足をやつたに拘わらず、戰争が始まつて二ケ年も経たないうちに非常に食糧の不足を来たす。そうして未利用資源を食わした。未利用資源は家畜も食わぬものである。そうして未だに未利用資源として協同組合の倉庫に残つている。そういうものまで食わせようとしたのであります。併し藷が工業の原料として、或いは家畜の飼料として利用されているということになれば、いざ米麦が不足する、食糧が不足した場合は、その方面から引出して、国民の最低の食生活は数年これを以て維持することができるというふうなことも考えられるのじやないか。そんなこんなからこの日本の農業というものは、條件の変化というものをはつきり認識して、そうして目標を遠くに置いて、これは総合的、体系的に対策が講ぜられて行くべきであり、そうして無論米作を直ぐどうというわけじやありませんが、そうした経営の適用性が起るためには、無暗に急激な変化を行うということになると、日本の農業が亡びてしまうということになりますから、これは過渡期においては無論米麦の保護政策も探る必要がありましようし、いろいろなことがあると思いますが、併し、終局において日本の農業がどこに行くかということを見極めて、個々の対策が講ぜられるべきじやないか。ただ目前の個別的な対策だけに終始すれば、これはとんでもないことになりはしないかというふうに思うのであります。私余り長く喋つてしまいましたが……。
  5. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) 最初に申上げましたように、この委員会の進め方は主として懇談をやりたいのでありますが、一応両先生からお話を承つてからいたした方がよろしいので、次に東畑先生から御意見を御披露願うことにいたします。東畑先生は御承知のように東大の教授をしておられますが、同時に農林省の農業総合研究所の所長をやつておられまして、新農業政策確立について、特に総合研究所の機構を通じても御検討を頂いておりますので、この機会にこれ又忌憚のない御意見の御開陳を願いたいと思うのであります。その前に宣言書に捺印お願いいたします。    〔証人宣誓書捺印
  6. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) それではどうぞ。
  7. 東畑精一

    ○証人(東畑精一君) 御紹介を頂きました東畑であります。坐つたまま一つお許し願います。私はどうであろうかとか、どうなるかということばかりやつておりまして、どうしたらいいかということにつきましては極めてまあ、不得手なんでできんと思いますので、今日の折角の懇談会では余りお役に立たぬかも知れませんが、これは皆様に日本の農政ということをお考え願う上につきまして、何か材料になること、或いはまあ考え方と申しますかそういう点で一つ御参考になれば非常に幸いだと思つて今日参つた次第であります。今までの日本の農政につきましていろいろ問題はあると思いますが、そのうち一つ二つ挙げてですが一つ問題の切掛けといたしたいと思います。それは過去の明治以来の日本農業を、農業だけを考えないで外の産業と申しますか、工業とか或いは商業、外国貿易とかいうふうな中へ据えて一つ考えて見ますというとなかなか問題が面白い。一番そういう点をよく示しておりますのは農民が一体何人くらいあつたかという問題であります。で私はいつも思出しますが、大学へ参りましたのが大正八年でありました。その頃有名な横井先生に開かされた話でありますが、農民の数といいますか、職業として農業をやつておる連中は明治以来いつも数は変らないのです。こういうお話でありました。幸いにして大正九年に国勢調査がございました。最初の国勢調査でありますが、その国勢調査をやりましたところが、当時の日本の職業としまして総数が二千七百五十万ありました。人口が五千五百万ばかりだつたと思つておりますが、この二千七百五十万の中で男女入れてでありましたが農業を職業としておる者が千四百万、そういう話を聞きました。ところが横井先生は明治の初年だつた千四百万ばかりだつたというお話でありましたが、もうそれを憶えて置けば一生変らないのだと、(笑声)それでいいという話を横井先生から聞いたのでありますが、その後一体どうなつたかというと横井先生先見の明の通り一つも変らなかつた。大正九年に千四百万の男女入れて。職業としての百姓がありまして、男が七百五十万ばかりでありましたか、女が六百五十万くらいであつたと思います。で農家がやはりその頃五百五十万戸ほぼありまして、大体粗つぽい数字で申しますが、で農地が約六百万町歩と思います。それに千四百万の人間と、家族、働かぬ家族は別でありますが、千四百万の人間と五百五十万戸と六百万町歩、この三つの数字を憶えて置けば日本は変らないというお話でありましたが、その後一体どうなつたかと申しますと、十年経ちまして、昭和五年でありますか、昭和五年にやはり国勢調査をやりましたところが果して農業人口は千四百万であります。一万ばかり殖えたと、(笑声)殆んど同じ数でありますし、農家の戸数も五百五十万、土地は六百万町歩、ところがその十年間に日本の職業人口が二百五十万殖えまして二千七百五十万の職業人口が今度は三千万になつた。すると一年間に平均いたしますと二十五万人ずつ新らしく職業春が殖えたわけでありますが、これはどこへ吸收されたかと申しますと大部分は商業であります。大正九年から昭和五年というと日本はこの前の戰争の後のことでありますが、商業人口が殖えましたということと公務自由業というものが非常に殖えました。学校の先生、当時も新制大学を沢山作りまして高等学校なども非常に作りました。或いは新聞記者が殖えるとか弁護士が殖えるとか議員の数もやはり殖えたんじやないですか。(笑声)医者が殖えるとか軍人が殖えるというようなことで公務自由業というものが非常に殖えました。日本の発展の一つの象徴になつていたわけであります。ところが農業人口は一つも殖えなかつた。更に今度は昭和五年から十年を経て十五年に三度目の国勢調査をいたしました。これは余程戰時色の濃いときでありますので、以前とそのまま比較するのは必ずしも正確ではありませんが、そのときの農業人口というのは千三百五十万ばかりであります。徴用その他の関係で五十万ばかり減つておりますが、大体において千四百万ということが言えると思います。ところが昭和五年から昭和十五年までの十ケ年間に日本の職業人口が三百万殖えました。三千三百万になりました。平珍一年間に三十万ずつ新らしい職業者というものができたわけであります。そういたしますと、センサスの、この大正九年から昭和十五年までの二十年間の日本における職業人口は最初が二百五十万、攻め三百万を合せまして五百五十万だけのエンブロイメントというものが殖えたわけでありますが、これは全部農業以外で殖えておる。あとの十年間に殖えたのは主に工業人口であります。平均いたしますと、二十ケ年に五百五十万でありますから、ほぼ一ケ年間に二十五万から三十万の人間というものが新らしく職業人口として加わつたのでありますが、これ以外に尚植民地で職業を得た人があるわけであります。これはまあ別であります。これは或いは七十万と言つたりしておりますが……。これはとにかくとして植民地を除いた話であります。ところがこの毎年二十五万なり三十万のエンブロイメントの増加というものに一体農村は一つも関係していない。農村は元のままでありますが、農家は相当の人間を産んでいる。子供を産んだわけでありますが、大体産んだ子供は三十万の人間のうちで少くとも十五万の人間というものは農家出である。こう言つても大して間違いでないものと思つております。そうすると日本は農村で苟くも職業が、働きができるという人間は毎年十五万は少くとも内地だけで外へふり出しておつて、例の千四百万の総数というものを固定させて保つて来たのではないかと思います。これはずつと明治以来そうでありまして、日本の農村におる人は余り名も上しませんから、百姓は長男がやる、次男、三男は皆外に出て行く。そういう点から見ると現在でもそういうことは分るのであります。議会へ来ると思出しますが、吉田茂氏は次男である。名前からいつてどうか知りませんが、社会党の鈴木茂三郎氏はどうも三男じやないか。野坂参三氏は三男じやないか。苫米地義三氏も三男じやないか、こういうようなことになつて参りまして、兄さんは或いは農業をやつているのではないか、こういう感じが非常にいたすのでありますが、敢えてそういうお偉い方々でなしに、普通の平々凡々の労働者というふうに考えましても余程日本の農村から出て来た人達は多数あると思う。こういう方々が全部外へ出るという形で日本の農村というものが保つて来たというわけなんですね。それでも日本の農村というのは先程大槻教授のお話もありましたけれども、土地は足らん、人口過剰だ、こういう気分というものはずつとございました。ところがその中で今まで農業政策をやつて来たのでありまして、余程日本農業というものは他の産業の発達ということに貢献したというか、或いは犠牲になつたというか言葉はいずれでも結構でありますが、他の産業あつたが故に先ず今までの上昇を維持して来たと思います。これは更に別の言葉で申しますというと、日本の農産物のマーケットと申しますな、苟くも農業は進捗は少うございましたけれども、明治以来進歩をいたしておるのでありますが、その進歩或いは生産量の増加というもの、これは非常にその外のマーケット、つまり農業外のマーケットというものが大きくなつて来たんで、農業がまあ維持できた、米の生産量というものもちびちびでありますが、増加をいたして来たということは言えると思いますし、その他果樹園芸であるとか、蔬菜であるとか、或いは先程のお話がありました畜産物のごときは地の産業の発達ということによつてともかくもあることができた、こういうことが層えると思うのです。丁度戦前の数字で申上げますというと、日本労働者の、市街工業労働者でありますが、或いはサラリーマン、こういう人の家計調査をやりますというと、ほぼその家計消費の三九%から四〇%、いわゆるエンゲル係数でありますが、四〇%くらいが食物の費用になつておる、食物の費用になつておりましたのでありますが、仮にだから労働者の所得というものが十億でありますと、四億はつまり食物の消費に当てたのであります。五十億あればその中で四割でありますから約二十億くらいが農産物の食物の消費に当てられた。これは消費者が拂う代金でありますから、生産者に行きますともつと減りますが、当時の日本のまあ国民所得から申しますというと、約百億から百二十億くらいが国民総所得であります。その当時の農民の所得というのは二十億から二十五億くらい、四分の一くらいが農民所得になつておるのであります。この農民所得が殖えるためには、工業所得が殖えると申しますか殖えても、全部入れても四割であります。更に農民の手に渡るのはその半分くらいになると思いますが、そういう調子でいるのが大体戰前の数字でありましたのですが、その外側のマーケットというものが、ずつと今まで少々のアップ・アンド・ダウンはございましたけれども明治以来連続的にずつと殖えておる、これが日本農業というものがともかくも進歩して来た一つの大きな動力になつておると思うのであります。過去の日本がそういう調子で日本をとりまいておるところの他の産業の発達、或いは外国貿易の発達ということによりまして来たんでありますが、経験後御承知のように話がすつかり変りまして、他の産業の推移というものが一体過去のような勢いで伸びて来るかどうかと言いますと、これは余程疑問でございます。現に工業の方は非常に減退いたしておりまするし、それから外国貿易というものも殆んど減退いたしておる、更に加うるに植民地へ今まで人間が多く出て行つておつたのが全部帰つて来た、恐らく七、八十万の職業人口が植民地におつたと思いますが、こういう人も帰つて来た、或いは一つの職業軍人という職業というものもなくなつてしまつたというので、非常に急激に我々はエンプロイメントを求める人間が殖えて来た。それでそういう中でありますからどんどん農村へ、今まで外におつた人も帰つて来るということも言えますし、それはともかくといたしまして、もうすでに生れた人間の、先程の数字で申しますというと、毎年少くとも十五万は他所に出ておつたという農村であります。この人々が外に出て働くという可能性というものが非常に減退して来た。減つておると思います。新らしく職業を求める人が日本の過去でいいますというと、今年、戰前は四、五十万ぐらい新らしく職業を求める人があるという計算になつておりましたが、今日はそれが非常に増加いたしまして、何でもいろいろの計算上から申しますというと、今年は六十万ぐらい新らしいエンプロイメントがなければ、失業というものが出て来るという話であります。現に昨年、一昨年あたり二百七十万かの人間が生れておりますが、農家の子弟も半分近いと思いますが、こういう人々が年が二十になれば、昭和四十二、三年、その頃になつて参りますというと、二百七十万の人で健全に育つたという人は恐らく二百万は少くともあると思います。男女合せて二百万、お父さんが亡くなつてその職に就くという人もありますから、何十万か差引かなければなりませんが、男女入れて恐らく百万近くの人々が職を求めなければならんと思います。ざつとそうなるのであります。  こういうふうに毎年々々職を求める人、その半数は農家の者である。こう仮定いたしますというと、それが今後思うように出て行けないということになりますというと、日本の農村というものが非常に人口が汎濫して、土地に対する要求というものが非常に私は強くなつて来るのではないかと思うのであります。それが従来の農政というものを考える場合とこれからの農政を考える場合とにおいて、いろいろ対策の内容ということはともかくといたしましても、考えかの基本にこの問題をおいて頂きまして、一つ案を練つて頂きたいと思います。で御承知のように人口過剰といいますか、職を求める人が非常に殖えて参りますというと、農村の中でいいますと、それに対する働き口、言い換えますならば、農地といろ問題でありますが、農地というのが非常に大事なものになつて来る。こういうわけであります。地価というものは、私は否でも応でも上がつて来ざるを得ない。小作料というものは否でも応でも上がつて来ざるを得ないと思うのであります。現在いろいろ統制で抑えておりますけれども、実際上間価格というものは一体どうなるかということは皆さんの御承知の通りであります。徳川時代に土地の売買を禁止したことがありますが、ずつと禁止いたしておりましたけれども、その裏をくぐるといろいろな処置というものが随分行われまして、日本の農地制度というものを相当紊して明治に引継いだことがございますが、私は今のような状況で参りますというと、非常に土地が高くなつて来る。土地が高くなつて来るが、若しも生産上の進歩というものがありませんで、土地が高くなる、その割合には生産力が伸びませんというと、人間の値打というものは非常に下がつて来る、現状からいえば……。大体において我々は生産をするというときに、生産とは何だと言えば、土地と資本と労力を結びつけるのだ、こういうことをよく学校で申しますし、現に私共もそういうことを申しておりますけれども、それは非常に抽象的な話でありまして、軍に結びつけるというのではなしに、何を一番中心において経営を立てて行くかという問題であります。そういたしますとやはり社会的に一番少いものを標準にして経営を立てて行く、こういうのが最も普通であります。金はあるが時間がないという人は急いで自動車に乗る、自動車賃を拂つても構わん、時間が惜しいというのだから時間とお金のコンビネイシヨンがそうなりますが、金がないが時間は幾らでも残つておる人は陽気にぶらぶら歩いて行く、お金を成るべく節約して時間は無駄に使うというとおかしいが、時間はそれ程節約しないようにして東京を見物する。金はあるが時間がない人は急いで見物することになります。同じ時間とお金のコンビネイシヨンが二人で非常に違つて参りますが、二人とも各自の事情からいえば当然のことで両方とも実は合理的に活動しておるわけであります。丁度そういうことと同じわけで農業の場合におきましても、労力と土地というもののコンビネイシヨンというものを考える場合に非常に労力というものが今申しましたようにどんどん植えて来ます。土地はそれ程でない。こうなつて来ますと、誰しも土地ということを標準にして労力は少々無駄に使つても余計とればよいじやないか、こういう形の農業になつて参りますと、日本の人間の値打というものは非常に下つて来る。生産力の低い人間というものは非常に値打がない、こういう形になつて来はしないか。私共郷里の方でよく昔から聞いたのでありますけれども、蚕を飼つておるときに非常に蚕を大事にして自分の子供を大事にしない。家の子供を餓鬼といつて蚕をお蚕さんと言つておりますが、それは別の言葉で言えば、人間の値打がなかつたということではないかと思いますが、丁度そういうことが過去の日本にもございましたのですが、今の調子で押して行きますと、更に輪を掛けたような日本農業というものが結局現出して来はしないか。これを非常に憂えておるのであります。丁度イギリスあたりで言う。ポーパー貧民、ポーペリズムとも申しますが、非常に惨憺たる形の世界が現出して来ることを憂えるのであります。そういう好ましくない暗いことを防ぐ唯一の途は結局そういう状況にも拘わらず、人間一人当りの生産力が発達して来るということだと思うのです。どういう方法で一人当りの生産力が増すかという生産的進歩の問題が恐らく今申しましたことを救つて行く唯一の而も最も基本的な方針じやないかと思つております。これは一つどうしても皆さん方に十分お考えを願つて今後如何なる方策においてこういうふうになるということを、このなることを防ぐということを考えて頂きたいと思います。それが一つの今までの大きな問題でございますが、第二に一つ申上げたい問題がございます。  それは先程大槻教授もつよいよいお触れになりましたのですが、過去の日本農業政策というものが食糧の自給自足と申しますか、これを標準として今まで参りました。或る程度までそれは成功したともいいますし、戦時になつて必ずしもそう行かなかつたというお話もありましたのですが、ともかくも自給自足の目標を達するということが過去の日本の農政の一貫した筋金であつたのであります。これもいろいろな理由はありましよう。その理由はともかくといたしまして、この政策を採つておつたのでありますが、これがなかなか日本農業ということにつきまして、いろいろと問題を提供いたしておりました。それは自給自足ということを特に日本が先ずやかましく言うようになりましたのがほぼ明治の三十年頃でありました。三十年以前は御承知のように日本は例えばお米のごときも相当余裕がありました。これを外国へも出しております。明治初年には米と生糸とお茶を三大貿易品と言つたわけでありますが、多少ずつ余裕はあつたのでありますが、日清戦争が終りまして明治三十年頃になつて来ますと、油木の生産力がそれ程伸びませんということと、日清戦争によつて産業が大いに発達したものですから所得が殖え、食糧の需要が殖えまして、大体明治三十年頃になつて来ますととんとんになつて参りました。年によると余るときもあつたが、凶作でもあると足らんということになり、その頃になつて初めて輸入をした。当時の外米、南京米というものを輸入して、それで以て日本食糧というものは満ち足りておつた。その場合に初めてそこで日本は自給自足を採用した。これは国防上や農民保護というようなこともありますが、ともかく主食だけは日本で穫りたい。こういう政策を非常に強く採つて来たのであります。併しこれは別の言葉で言いますと、どういうことになるかというと、つまり足らん目の状態、普通の状態では食物の供給というものは不足勝ちである。而も日本は工業が段々発達して来たものだから需要は殖えて来る。これらが足らん目の形に置く結果になつた。それはどういうことかと申しますと、外国から入つて来るものを関税で防ぎ、国内の自給自足を多少ずつ足らん目の形に置いた結果、米作産業というものは当時の農業の大きな部分でございましたが、それは外国との競争も起さず、国内的の一つの独占産業と言いますか、そういつた形のものとして日本にずつとあつた。いろいろの国の歴史を調べて見ますと、これ程多数の人間が生産に関與し、これ程多数の人間が食い、これ程大きな主食の米、これを外国と殆んど絶縁しておるというものは世界にはちよつとないと思います。珍らしい特殊な産業になつておつたと思いますが、それがつまり日本の今までの農業の根幹であります。米価はそういう意味から申しますというと相対的に他の物価よりむしろ長い目で見ると値段の上り方というものは非常に強かつた。こういうことが一つであります。  もう一つ重要な点は、日本の米価というものに関心を持つておるのは農民であります。特に物納小作料を取つておりました地主諸君、自作農というような人々が米価の相対的ないつも足らん目の関係ということに重点を置きまして、できる限りこういう状態を保ちたい。だから日本農業政策というもりは、米価を維持する。順々に上つて行く米価を抑える、成るべく控えるということでありました。米価はイコオル地価ということであります。地価を擁護する、水田の地価を擁護するという形が日本の今までの農業政策の根幹になつておつた。それはどういう処置であるかというと、つまり米を足らん目に置く、或る意味において物を成るべくスケヤスな状態に置く、成るべく少量にして置く、外国から物が入つて来ないようにすることであります。当時の日本の地主及び自作農諸君の気持を反映したところの政策におきましては、新らしく農地を開発して水田を殖やすというようなことは余り興味を持たず、それよりもむしろ流通的な措置によつて関税政策、特に豊作のときは米価を引上げる政策、こういうことに終始していたと思うのであります。でありますから、植民地、朝鮮、台湾というものが日本の領域に入りましたけれども、ここで米の産業を開発するということは、内地の米作産業を侵すものだというので、ずつとそれは抑えて来たというのが実勢であります。併し輸出ができない。安い労賃は別の言葉で言いますというと、労働者の食費が安くなることが、四〇%近いものを食費に取つて、これを安くするということが、日本の外国輸出品の生産費を安くするゆえんだというので、工業の方から言えば、米作の発達ということは非常に望ましいことでありますけれども、農業的利益という点から言うと、それに余り努力をしなかつた。結局御承知のように、大正七年の例の米騒動というので爆発いたしましたあの犠牲というものを伴つて、初めて朝鮮、台湾の米作産業の開発ということに、やつと日本がかかつたわけでありますが、それまでは御承知のように政友会と民政党でありますが、商工業の方は朝鮮、台湾を開発しろという考えでありますし、農村の方は余りそれに対して努力しない。こういうことであります。で、米騒動によつて、後に朝鮮、台湾の産米増收計画をやつたというのは、御承知のように当時の民政党であります。つまり日本商工党というわけであります。でこれは別に非難をする、どうのというのじやありませんので、結局日本といたしましては、生産開発的な気持というものが余り農村にありません。地主諸君は勿論ありませんので、むしろ現状というものがいつも特権になつておるわけです。国際上の競争もなかつたという特権、而もいつも足らん目であるという経済上の有利な地位にあつたものでありますから、それを何らかの形で維持するというのが、従来のややもするというと始終出て来るところの農政の基本方針、考え方であつたのであります。結局誰がそれじや開発したかと言いますと、仕方がないですから、国内で一般の農家側で開発するということを、余り躊躇いたしておつたものでありますから、まあ政府が技術の改良をやる。それを政府の手において農村に奨励するという形で、ずつと今まで来ましたので、農村の中から生産的進歩、技術的進歩を図ろうという心持が非常に少なかつた。で、現に御承知のように朝鮮、台湾というものが開発されまして、そこから米が入つて来るようになつた。盛んなときは約二百万トン以上も入つて来た。千五百万石も入つたことがありますが、そうなつて来るというと、だから日本の海外発展というものは、内地を犠牲にしてやるので、農村というものを弱らすじやないかというので、又それに対しては非常な非難が出て参りまして、今度朝鮮、台湾というものを開発する奴は国賊だというような声も農村の中から出て来る。朝鮮征伐をしろと、こういうような気持も相当にあつた。朝鮮、台湾の開発商策というものは、当時ではとうとう抑えてしまつた、こういうことになります。満洲というものの開発も日本の内地の農村を侵すものだというので、極力いろいろな意味において満州国の農業の開発というのは、内地に競争になるからこれを抑えるのだ、こういう形に現われておりました。敢えてこれは食物だけでありませんので、蚕糸業としてもそうなんです。中国の蚕糸業が開発されて来るというと、日本の蚕糸業が困るじやないかというので、できる限り中国の蚕糸業というものの発展を希わない。我一人独占的な産業を保ちたいというのが、日本に余程ありました。いわゆる大東亜共栄圏をやりまして日本が中国へ渡つたときには、だから中国の蚕糸業というのは、日本の蚕糸業の競争にならないようにという処置を非常に講じたのであります。よそを抑えたという形において、自分の方を保とうと、こういうイデオロギーというものが非常に日本の農村の中にあつた。雑談になりまして恐縮でありますが、当時たまたま中国の留学生が私のところにおりましたのですが、どうも東亜共栄圏というのは非常にいいけれども蚕糸業を見るといやになる。中国の蚕糸業を抑えるということがどうして東亜共栄圏だ、中国が主体になつたらば中国の蚕糸業のために日本を抑えても東亜の共栄圏になるのかとこういう質問をした学生がありまして、非常にこつちは答弁に苦しんだことがありました。成る程理屈から行つたらそうだなと言わざるを得なかつたのですが、ともかくも蚕糸業もそういうわけでありますが、国内の農業全体について日本の民間におきましてはスキヤーシテイー・ポリシーとでも言いますか、丁度足る足らい目の程度に全体として置いて置くということがその当時の農村のイデオロギーでなかつたかと私は思います。それでずつと参つたのでありますが、別の言葉で言いますというと、生糸を除いて外の外国とは関係がない、こういうことになります。でありますから日本では重要な食物というものが全く為替関係ということと直接の関係がございませんので、そのために日本ではいろいろ面白い現象がある、一番面白い現象は為替ダンピングであります。昭和の五、六年頃から日本がどんどん為替を下げて行きまして外国へいろいろ物を安くして、円の切下げということによつて売出したわけでありますが、当時のつまり世界は如何に為替を下げても直ぐ国内の物価に影響するから講売力平価というものがじきに成立つのだ、又事実ヨーロッパ諸国ではそうであります。為替の引下げによつて国際競争はやつても一年ら同じことだということになつておりましたが、日本では為替を今度切下げて輸出価格が安くなりますと輸入価格が今度は高くなるわけでありますが、食物の輸入ということは全然ありません、国内だけで食物というものがあるものでありますから労働者日本でできた米麦を食べ、野菜を食べ、魚をとつておりますというと為替関係が無縁なものでありますから、為替の変動ということが国内物価に少くともまあ食物では影響を與えませんです。そのために為替を下げればイギリスでは賃金が上つて来る、それによつて生産費が高くなるから同じだということを外国人は言つたのでありますが、日本では賃金というものが為替を下げても元のままにある、上らない、そのために日本では為替ダンピングというものの効果というものが外国が予想するよりも遥かに挙るのです。日本では継続した、こういうような現象も日本では起つたわけであります。いずれにいたしましてもそういうわけで外国というものと断ち切られておつたというところで一つの特徴がありまするが、それは日本農業生産的進歩ということについては刺激がつまり別に見えなかつたということじやないかと思うのであります。それで日本では全体を通じてわざわざ生産的努力をする、苦労をして生産の進歩を図るということは一種の苦労の多いことであります、失敗もあることでありますからそんな面倒くさいことをやらないで、食物を足らん目にして行く、そうなれば米価というものが始終上つて来る傾向にあるのだ、人口が殖えて来れば地価は高くなつて来るのだ、小作料も高くなつて来る、この方が遥かに楽なことだつたものですから、いよいよ以て食糧は国内で自給するのだということを言わざるを得なくなつたというのが過去の農業じやないかと思う。それでも内地だけではそういうことができませんので、結局植民地というものへ相当の依存をいたしております。先程も申上げましたように米につきましても多いときは朝鮮と台湾から千五百万石ぐらい来ましたですか、まあ千二三百万石というところですが、砂糖が台湾から百万トン持つて来る、満洲から大豆を七十万トン、八十万トンですか持つて来る、或いは鳥の餌その他百万トンぐらい持つて来るとか、先ず直接の食物及び食物代用物というのですか、飼料なんか入れて四百五十万トンから五百万トン近いものを持つて来て、戰前我々はあのように食つて来た、そういう農業になつておりました。ところが皆さんに一つり御考慮を願いたいのは今日であります。そういう過去の状況に対して、終戰後どうだということになれば、すでに私共よりも実際にお分りになつておるので、遥かに御承知のことと思いますが、まあ今日のような状態であります。戰前ですらあのように、食うためには四百何十万トンの物を入れなければならなかつたというのが日本なんでありますが、戰前に比べて人口だけでも千二百万くらい殖えている今日において、余程国内で生産の増加ということをしなければ、輸入ということをですね、私は防ぐことが勿論できない。現にまあ今のような調子で外国から物を入れて来ておるわけです。そこでつまりまあいろいろ今後の問題が起つて来ると思いますが、一体今日においても尚自給自足政策を探らなければならないかということが一つの問題であります。採るにしても過去のようなとり方ということは私はこれはできないと思うのです。成るべく物を少く置いて置くというならば、今日ぐらい少いことはありませんから、港を全部閉じれば問題にならなくなるように、農産物価格というものは上つて来ますので、そういうことは日本としてはとれない。日本生産の増加ということも勿論努力しておりますし、あるわけでありますが、それでも外国から物を入れなければならんというので、今度は明治三十年から戰前に至る約四十年間とは違いまして、ノーマルな恒常的な意味で外国の食糧、農産物というものを日本に入れなければ、我々は相当程度のつまり食物政策ができない、こういうことはまあ常識的に考えても分ると思うのです。これは実は明治以来日本としましては初めてのことでありまして、あらゆるものが世界経済というものに入つて今までおつたのです。主要な国におきまして国内経済活動と貿易活動との割合というものを計算するというと、確かイギリスが植民地関係というものを一緒にすると別でありますが、日本は世界でつまり最も外国貿易の割合が多かつた国ではなかつたかと思つておりますが、一方においてそうであるに拘わらず、農産物においては生糸を輸出するということと綿を輸入するということは別でありますが、国内産農産物においては殆んど外国関係がなかつたというのが日本です。まあそれ程偏つた日本国民経済であつたのでありますが、今後は否でも応でも何らかの程度において、恐らくは過去に植民地から入れておつた数量くらいのものはしよつちゆう入れなければ始末がいかんのじやないか、こういう問題にまあ日本はぶつかつておる。そういたしますとまあ当然の問題は、従来の日本の農産物に何らの影響がなかつた、何らの影響がなかつたというのは少し言い過ぎるかもしれませんが、殆んど影響のなかつた外国の農産物或いは為替という問題がありますが、外国の農産物価格が日本の農産物価格に関係を持つて来るのであります。  もう一つは先程申しましたように、日本の労働賃金というものが、若しもそのような調子で外国の農産物価格と関係が出て来ますというと、過去のように日本でできたものだけ食つているのでない。世界的な、つまり農産物価格というものの影響というものが、日本の今後の労賃というものに影響して来るというのであります。これは日本労働者諸君にとりましても非常に大きな問題だと思いますが、労働者の問題はともかく別としましても、農村だけをとりましても、世界経済の動きというものが直接反映して来るのです。生糸のことをおやりになりました方はよく御承知だと思いますが、日本の生糸価格というものは随分大きく今まで動揺しております。これは世界の景気によつて動揺する直接のものでありましたが、それに性質的には少くとも類似した影響というものを生糸以外の農産物の価格に與えて来る。でどういう処置をとるかということが一つ、又大いに動揺した方がいいというような立場の方から言えば、放つたらかして置けばいいかも知れませんが、それでは困るということになれば、どういう処置によつてこの問題を処理しなければならんかということになると思う。それで少し本線から外れますが、外国貿易の問題は今の農村として初めての問題になりますが、一層もつと考え直したらどうだということも私は言えると思います。それはどういう点であるかといいますと、国内で今まで自給自足をしておつた、これが一つの考えであります。それができないから今度は併しできるだけ自給に努力する、自足はできないかも知れませんが、自給に努力するという考え方がこれは相当あると思います。併しどうもそれも僕は、その考えも一遍反省する必要があるのじやないかと思うのです。それはどういう意味でそういうことを申上げるかといいますと、先程大槻教授も非常におつしやいましたのですが、日本のような貧乏国になつて、先程も申しましたように、農村に多数の人間が押寄せて行つておるときには、一片の土地と難も最も有利につまり利用するというのが日本として大事じやないかと思う。そうしなければ先程申しましたような農村のポーペリズムというものが再び出て来るという心配がありますので、できる限り有利なものに土地を利用する、有利というものの判断を一体何によつてやるかといえば、これは仮に一切の政策なしということにいたしまして、世界が完全な自由貿易であるという前提に立ちまして、世界的に最も有利なものを作る、こういうまあ世界的に適地適作をするというような形を一遍考えて見る必要があるのじやないかと思うのです。従来は自給自足経済ということのために、土地を見れば米を作り、麦を作り、藷を作る、こういうことをしておりましたけれども、米にも適せず麦にも適せず藷にも適しないという土地もあるが、外のものを作つたらもつと適するのだ、こういう土地もあるのだ。況んや米を作るために巨大なる設備をする、こういうことになつて来るとなかなかコストの高いものになる。そういうふうに必ずしも農業を考えないで、もつと多数の作物というものを考えて世界に市場を求めるという考えで行きますというと、適地適作ということをやる余地というものは相当出て来るのじやないかと思います。まあ人間でいえば、やる仕事は三つより外ない、医者になるか、画描きになるか、労働をするか、こういうふうに或る人間を決めてしまいますというと、医者にも向かん、労働者にも向かん、画描きにも向かんという人に向かん仕事をさせるといろよりは、それが一番向いているところの学校の先生にするとかというのが、人間の才能をまく使うゆえんでありますが、丁度それと同じでその土地というものを外のもつと広い見地に立つて有利に使つて行つたならば、これは国内において直接食物というものの自給度を高めなくとも、間接にそれによつて食物を買つて来るということであれば、間接に供給力を増して来る。それの方が農民本位の考え方でないかと思うのです。由来日本農業の考え方というものは、いつでも全体ということが出て来る。米は六千五百万石必要なのだとか麦は二千万石必要なのだとかいうので、総量ということでいつも問題を扱つて来たのです。それはどういうことかといいますと、單に商品といいますか、生産物しか考えないから、そういうことになつて来たのですけれども、どこでどういうふうに生産されて来るかということをもつと考えなければならん。六千万石の米がどういうふうに生産されて行くかということを考えて来ると、農民の立場というものが出て来るのであります。そういう意味から申しまして、個々の農家というものに対しまして経営技術的に申してもそうでありますし、気候的その他一切の條件ということを考えて、適地適作ということに方針を求めることは、結局は日本生産力の伸びる途ではないかと思うのです。先程申しましたように千四百万の人間が農村におつたときと、先程申上げるのを忘れましたけれども、すでに二千万人近いものが農業に衣食を求めているという状態になりますと、余程農業のやり方も私は変えなければならないじやないかと思う。大体過去の日本、明治以来の農政というものを考えると、背景は今申しましたエンプロイメントの問題と、自給自足という問題ではなかつたと思います。非常に抽象的なことを申上げて恐縮でありますが、尚そういつた見地から今日の問題、皆様には来年度の予算も審議して頂かなければなりませんし、再来年の年度の予算ということにつきましても、いろいろと御審議を願いたいのでありますが、そういう見地から申しまして、今申しましたような点から若干尚今日私共は問題にして頂きたいという点があります。  それは一つはやはりこれも考え方になりますが、まあ明治以来の日本のことを考えますというと、大体この農業的進歩というものの前提がいつもある、どういう前提であるかといいますと、まあ御承知のように、あらゆる意味において治安というものが確立しなければならん、社会治安の確立されない時に、生産の増加ということはございませんが、社会治安はとも角としまして、農業の問題にいたしますと、自然治安と申しますか、自然治安というのは言葉が非常に悪いのですが、要するに自然界の善導という意味、自然治安というものの確立というものがなければ、私は進歩の問題ということはなかなか出て来ない、出て来ないし、人間の考える余裕もございませんし、又事実上できないのじやないかと思います。御承知のように支那が非常に自然治安というものが確立いたしておりませんで、黄河の氾濫があるとか、旱魃があるとかいうて、北支那のごときは、しよつ中自然界というものが農業を掻き廻しておるので、あそこではなかなか発展というものが、問題が起らん、いつでも農民の希うということは、如何にして安定できるかという問題だと思う。自然に対して安定するということは、旱魃を防ぐというならば、井戸でも掘り、或いは疫病が流行するなら、家畜の病気というものを治めるとか、何でも前の恐慌の時代でありますが、国際連盟が調査をやりますというと、支那では養蚕をやりますときに、種が繭になるのが約八%、九二%が病気によつて捨てざるを得ないという調査になつておりますので、支那で一番大事なことは、まあ家畜病院でも作るとか、蚕の疫病を癒してやることではないかしらということを、私は前の大東亜共栄圏の盛んな頃に話をしまして、余りけちな政策だというのでもつと景気のいいことを言えというので、景気のいいことはございませんと言つたのですが、それは支那の経済の発達というものが、自然治安というものが、実はできていなかつた、それが根本なのでありまして、日本も実は随分長いことかかりまして、これは明治以来の日本の国庫予算ということを見ますと分かるが、苟くも農業に投じた金の、非常に大きな部分というものは、自然治安の確立という問題であります。もつと端的に申せば、洪水を防ぐとか、治山治水をやるとか、災害を防ぐとか、收穫の動揺を防ぐための灌漑設備をよくするとかという費用であります、その他の費用は種々ありますけれども、僅かのものであります。大きな費用というものはそういうものであります。そういう意味で自然治安の確立ということがなくして、農業上のいろいろな進歩を図ろうというのは無理なのです。終戰後は特に日本の自然治安というものは、乱されておる、この自然治安というものの確立ということを一つどうしても考えて頂かなければならん。災害を如何に防除するとか、保險制度を如何に活用するかということで、細かいいろいろな問題がございます。これがまあ第一点でございます。  それから第二点は先程申上げましたように、外国からノルマルに食物を入れまして、現在は御承知のように外国から持つて来るところの食物の値段は、まだ日本の内地の公定価格より高うございまするが、日本の公定価格というものも或る意味においてもつと上げて頂きたいと思いますが、不幸にして外国の方は値段が下りつつあるという状態にありますので、まあ国際価格が段々鞘寄せして来るということもいえますし、将来鞘寄せした以後は、日本に対しても、今度はいわゆる価格恐慌的な現象ができるかも知れん。こういうまあ問題になつておりますので、御承知のまあ主食の供出制度、或いは生産割当制度というものがございますがこれを一つ再検討する必要があるのではないかと思います。御承知のように特に昭和……大正十年からでありますか、昭和五年からでございますか、米穀法というものを強行いたしまして、いろいろ農村救済をやつたのでありますが、それをやること約十年、いつの間にやら今度はその米穀政策というものが、生産者本位から消費者本位ということになつて来て、米価は余りむやみに上げないという形になつておりまして、今日に至つております。段々食糧も豊富になつて来る。況や外国との折触が密になつて来ますと、今度供出制度というものの意味は、私は余程変つて来るのじやないかと思います。百八十度今日すでに転換しておるとは申しませんが、そういう時期にもなつて来ると思う。なつて来ますが、これに対して昔の処置ということではちよつと困ると思う。なぜ困るかといいますと、到底日本にそれだけの昔のような、いわゆる端的な農村救済政策をやるだけの財政的力というものが、日本にないことが一つでありまするし、もつと重要なことは先程重々申上げましたような農業を遂行しておるところの国民経済條件というものが非常に変つております。昔のようにただ流通的処置によつて米価を高く買上げるというだけでは、私はノルマルに外国から物が入つて来るときの政策ではないと思う。いずれにいたしましても供出制度、割当制度ということにつきましては、一つ御検討を願いたいと思います。  それから第三條の問題としまして、これは先程申上げましたようにエンプロイメントという問題からいいましても、農業生産上の進歩を図らなければならんのであります。それから第一項で申上げますいわゆる自給自足ということが述べられておりますが、これに対抗して適時適作をやるとか、或いは外国から入つて来るものに対して競争的地位に立つ者は、当然技術的進歩、生産的進歩というものを図らなければなりませんが、或いはですね、全部これは金融的に、金の方からこれを見ますと、全部そういつた指導的進歩というものが長期的な投資ということになると思います。そこでですね一つお願いしたいことは、例の農地改革ですが、農地改革ということは第二次をするとか第三次をやるとか、又終つておるとか終つていないとかいろいろ問題でありますが、第二次の農地改革でも私は終つていないと思う。どういう意味でそういうことを申上げるかといいますと、つまり農地改革が当然庶幾するところの問題の総てに対して、十分の処置が講じてないと思う。その一つは何かと申しますと御承知のように今日のやり方で行きますと、農地というものは担保にならないということへ誰もあの農地に対して金を貸すことができない。こういうふうになつておる。苟くも一国の大きな産業が自分の持つておるところの生産手段というものに対して、担保力がない、こういうことに今日なつておる。それは元に返して土地を担保にさせりやいいじやないかと、と私は決して申すのではない。そういう担保力のない大きな産業というものがインフレーシヨンの時代になると謹む長期投資というものはやりませんけれども、だんだん経済が安定しで来るということになりますと、今日生産的進歩を図ろうというと、どうしても長期投資ということが必要になつて来る。だから長期投資の何らかの代策がなければ、私は第二次農地改革が恐らく終つたということはできない。あのまま放つて置けば、この大産業に対して担保も自分で提供できない、従つて金融的措置も何もない、どうもべらぼうな、言葉は悪いのでありますけれども、こういうことは苟くも一国の経済政策としては非常な欠陥があるのじやないかと思います。そういう意味から申しましても、何らかの形において少くとも長期金融、農業金融というものを日本の人はやらざるを得ない。これあるが故に又先程も申しましたような事態の中で、生産的進歩ということが初めて図られるのではないかと思います。私共実は先程も委員長から御紹介がありまして、農林省の一つの機関としてやつておりますが、残念ながら今日までまだその長期金融の問題につきましては、何らの皆様に御報告申上げるような結果を出しておりません。来年度は、二十五年度は予算的にもそういうことが出してございますが、一つ長期金融の問題につきまして、農業金融一般につきましても、こういう中において方法があるかどうかという点であります。前に委員長は或いは御存じかも知れませんが、あの不景気の時分に動産担保信用という金融、それは今法律としては生きている、それから立木ということに対しては、担保の中に問題があると思つておりますが、併し「ぶどう」だとか「みかん」だとか、ああいう永年作物に対しては担保がない。いろいろ日本の農金金融界には生産を開発するという意味の金融施設というものは、非常に少のうございます。これは悉く長期金融だと思つておりますが、この点につきまして一つ御考慮を願いたいと思います。  それから第四番目といたしまして、今度農業自身を非常に進歩さして貰わなければならん、そういう処置を講じて頂かなければならんわけであります。先程お話のございましたように、或いは家畜を余程入れるとか、機械をくれるとか、單作地帯を両作地帯にするとか、いろいろの技術的な問題がございまして、私も余り技術のことに通じませんので、詳しいことは申上げることができませんが、農業生産的進歩といいますすか、或いは技術的進歩ということにつきまして、お考え願いたい点が若干あります。これは進歩といいますか、それを大衆化するというとの問題であります。ちよつと例を引きまして、或いは例が適切でないので悪いかも知れませんが、例を引くとよく分るのであります。私の申上げたいことは、こういうわけであります。従来農林省或いは農事試験場、畜産試航場、そういうすべての方におきまして、いろいろ技術的進歩ということを図つておりますが、こういう場合において技術的に最も優秀なものというのが、いつも推奨されて来るというわけであります。一匹の仮に牛を取りますというと、例えば一年間に五十石の乳を出すとか、或いは鶏でいうと三百六十五卵を生む、こういうものは、成る程優秀な牛でありますし、優秀な鶏に違いはございませんか、そういつたものをつまり今までの日本では求め過ぎたのではないかと思うんです。シカゴの博覧会に、或いはどこどこの博覧会に出品するとか、いいものばかりを以て来たのでありますが、そういういわゆる技術的に優秀なものを一体誰が利用したか、こういうことを考えますというと、小農民はそんなものは使えない。如何に技術的には優秀ではあつても自分では使う立場にない。結局そういつた立派な牛というものは專門の畜産家、酪農場、ミルクプラントが使うか、又專門の養鶏家というものがそういうものは使う、こういうことになります。ところが大多数の農民というのは、そういうものは使えない、よ過ぎて……。丁度交通機関で一番いいのは側だと言えば陸上では自動車というかも知れません。それじや自動車を使いなさいといえばこれはなかなか使えない。やはり農民の実情に合つたというのが足らなかつたと思うのであります。又考え方によりましては技術的に勝れておるもの、経済的に勝れているものではなくして、農民が使おうとして最も勝れたもの、こういつたものを殖やしませんというと、実は進歩が非常に大衆化して来ないということであります。一部の人間がそういう恩恵に浴するということであります。従来の農業技術の進歩ということに対しての考え方がそうなつている。農業機械化すればいいと、どういう機械があるかというと、こういう立派な機械があるというが、そういう機械を使い得る人間というのは極く僅かである。むしろ大衆化した機械、農具、家畜もそうだと思います。鶏、牛悉くそうでないかと思うのであります。過去の日本は、古いことを申上げても仕方がありませんが、馬一匹だつてそうだつたのです。馬の研究というものも随分やりましたが、皆軍馬としての研究であります。農馬としての研究というものはなかつたということと稍一本ではないかと思うのであります。農業経営の進歩というものはこれだけ、聞くところによりますと、農業技術者というものは七、八万から十万になるというのでありますが、農民でなくして農業進歩ということに直接、間接携つておるのは約十万近いといわれるのであります。そういう沢山の人が日本の農民に意義ないということが仮にあるとすれば、或いはもつと意義あつて欲しいためには、進歩を大衆化するということが必要でないかということ、それには抑々勝れたものが何であるかということに対する考え方が、私は少し農民経済の面に至つては宙に浮いていると思うんです。  第五番目にもう一つ申上げて置きたい点は、先程申上げましたように、需給政策ということと、適地適作主義ということですが、適地適作という点でやるときには、敢えて国内にばかり市場を求める必要はありませんし、国内だけの市場は小さいのであつて、世界に向つて市場を求めると、こういう意味のことが日本農業生産力を上げるゆえんであると考えますが、そうなればもう少し農産物につきましても、外国市場の開発ということは日本としましては、一つの大きなつまりプログラムになるのではないかと思います。これは非常にむずかしいことでありますけれども、従来殆んどこういうことは考えられなかつたという意味で申添えて置きます。  荒つぽい話を短時間でございますが、その程度で私の話を終えて置きまして、いろいろと御質問に応じてお話申上げたいと思います。
  8. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) それでは五分程度休憩しまして、それから懇談に入ります。  尚この際申上げて置きますが、委員外の方で農業に非常に御関心を持つて下さつている方々も御出席頂いておりますが、懇談会におきましては、委員外の方も委員の方と全く同様に自由に御発言を頂きますれば、結構と思います。  では五分程休憩いたします。    午後四時一分休憩    —————・—————    午後四時十二分開会
  9. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) それでは休憩前に引続いて再開をいたします。これからフリー・トーキングに入りたいと思います。どうぞ御遠慮なく先生方も、それから委員の方々も自由に意見の交換をして頂きますれば非常に幸いだと思います。
  10. 羽生三七

    ○羽生三七君 最初ちよつと大槻先生に伺つて置きたいと思うのでありますが、先程来のお話日本農業が、従来の自給自足的な狭隘な経営方式ではやつて行けないということはよく分つたわけであります。この場合世界農業一環として日本農業考える場合、今までのような統制や、或いは閉鎖的な種々の制約というものが全部解除されて、文字通り自由な交流関係が到来した場合に、先程来統計等で示されましたアメリカ、濠州、アルゼンチン等の広大なこういう耕地面積、或いは極度に高度化された農業形態というものと、日本の非常な零細農地と、立遅れの農業手段とを以て、果して日本農業がそういう農業の自由競争時代が来た場合に、現状の生活水準を維持し得られるかどうか。例えば昭和九年乃至十一年当時の生活状態といつても構いませんし、或いは現在といつても構いませんが、それは大体人間生活と広くいいますれば際限のない話でありますけれども、少くとも平常的な生活を維持し得られる見通しがあるかどうかということが第一点であります。勿論この点は見通しがあつてもなくても、そういうふうに努力しなければならんということとは別で、見通しとしてそういうことは可能であるかどうか、これが第一点であります。  それからその次は適地経営日本農業が取入れる場合、世界農業一環として適地経営を取入れる場合に、この場合先程来いろいろ伺つた点で、今一点明確にお伺いしたいことは、日本の国全体のあり方としての適地経営と、つまり日本の発展としての適地経営ということを御想定になつてのお考えであるか、或いは日本農家経営自体をピツク・アツプして農家経営自体が適地経営によつ七現状より生活レベルにおいては、或いはその他の農業技術においても向上が可能であるかどうか。日本農業生産の、工業とか、商業とかいろいろありますが、そういうものを全体ひつくるめて、日本全体の発展のために適地経営が妥当であるかどうかという問題と、そういう農業生産のいろいろの要素はあるけれども、農家自体経営として考えた場合に、適地生産をやつて行く現状より尚且つ有利な條件が想定し得られるかどうか、これが第二点であります。  それから次に東畑先生にお伺いしたい点は、先程のお話の一番あとにございました、日本の農地が担保力を持つておらない非常な不合理なものであるということは、御指摘の通りで私達も同感でありますが、これは本来日本の昔からの農業経営というばかりでなしに、特に最近の農地解放の結果、特にそういう傾向が著るしくなつたと思うのでありますが、結局まあ日本農業が資本主義的な発展過程を経ておらないと思うのでありますけれども、現在若し担保力のない日本農業というようなもの、或いは日本の農地というようなものを、若し何らかの資本主義的な形で更に発展させて、何らか立法的に担保力を持たせるとか何とかいうことでなしに、自然経済的な形でそういう担保力に価するような資本としての価値を付與せしめるにはどういうことが想定されるだろうか、この点についてお伺いしたいと思います。
  11. 大槻正男

    証人大槻正男君) 只今の御質問、最初の問題でございますが、これはさつき申上げた通り、ごく簡單に申上げますと、日本農業のハンデキヤツプというものは非常に人口に対して土地が狭過ぎるということである。で、この日本農業がこの五百万町歩ばかりの土地でどれだけの人口にエンプロイメントを與えなくちやならんかということがこれは問題だろうと思います。で、これが軽減されれば非常に條件が有利になると思います。併し近く軽減される見込がつかない。都市産業の発展というものもそう人口を吸收して呉れん。農村の全人口を減らす、軽減して呉れるとはちよつと予想がつかない。併し戰後一千万近くの人口が殖えた、こういうことは非常に非正常的な状態であると思います。できればこれをやはり何とか処理したい。殊に失業や何かが起ると、日本の旧来の家族制度の関係から、これは農村が失業救済をしている。例えば最近いろいろな産業において人員整理をすると噂には多少とも農村関係のある、或いは農村から運動している極く零細な農夫、そういうものから馘首する、こういうふうなやり方をとつて、失業者というものを農村に負担させているということになつているところさえある。このやり方というものは、これは農業として非常に困つたことで、結局日本農業問題というものは人口過剰の問題であろうと思います。これは何とかして国民経済全体の政策として、農村にはそれ程エンプロイメントを與える力はないにも拘わらず、農村に人口を押しつけるというやり方は、これを変えなくちや農村の問題というものは決して解決がつかないのじやないかと思うのです。殊に今までの戰後における農村人口というものは、食糧の飢餓価格において成立した米麦価格を前提としての、人口の吸收力になつております。それが、価格が段々にノーマルな価格になつて行きますと、どうしても農民を養うだけの所得が農村にないということになります。私共からいうと米価が高い。安過ぎるのじやない。併し高い戰後の価格條件として、この失業者その他を農業の方に吸い込まされてしまつた。そいつを追い出すわけに行かんというふうな状態になつておるようでございます。この農業人口を多少整理しないで、日本農業経営が成り立つかどうか。現在一戸当り耕作面積が八反何畝程度で行くかどうかということは、これは疑問でございますが、併し私共経営学者に與えられた緊急課題としましては、やはりできるだけ狭い面積で、そうしてエンプロイメントを與える。そうやつて行くのにはどうであるかということなんでございます。これは人口が過剰だというのは何も農業ばかりでない。国民経済全体がそうなんだと言えばそうでございます。それで東畑教授のおつしやつたように、人口が多過ぎる関係から人口の労働の価値が下つて、人間の経済的価値が下る、人間らしい生活ができなくなるかも知れないということは、これは都市産業においても、又農業においてもそういうことが来るだろうと思います。それで人間らしい生活ができるかどうかということになりますと、これは非常に問題だと思います。ですが、與えられたそうした條件の下においてできるだけ問題を解決するということになりますと、これはやはり土地を無闇に不足せしめない、不足せしめないためには、單位面積当り沢山のエンプロイメントを吸收できるところの生産方法経営方法でなくちやならん。それが集約的或いは立体的といいますか、それに有畜農業まで結び付けたところの單位面積当り沢山のエンプロイメントを與えるという方法、而もできるだけ労働生産力を低下させないようなやり方として、私考えたわけで、何も薯だとか何かそういうものでやつて行けば必ず人間らしい生活ができるかどうかということは、これは分りません。これは恐らく国民経済全体の問題じやないか。恐らく日本人は、敗戰後における日本人が人間らしい生活ができるかどうかということは、私共ちよつと分らんと思つております。だけれども、できるだけのことをやる必要があるということで、経営の問題を考えたわけでございます。もう一つは何でございますか。
  12. 羽生三七

    ○羽生三七君 もう一つは、つまり先程来の御指摘になつた点が、日本全体の将来の発展性の角度から論ぜられたのか、或いは農家経営自体という問題からお取上げになられたのか、その点をもう一つお願いします。
  13. 大槻正男

    証人大槻正男君) 私共としては單に農家経営だけではありません。政策として国民経済全体の点から取り上げたつもりであります。私共の立場から申上げますと、私は恐らく今後においては、敗戰後の事実としまして、国民経済相当急迫すると思う。又農家経済相当急迫する。而もこれは農業というものが食糧生産するとすれば、少ない生産力というか、或いは費用において、できるだけ実質的な生活程度を下げないように、農家及び国民のそういうふうな農業生産方法、或いは食糧の賄い方、そういうものを考えて見たわけでございます。それで今後日本が発達するには、やはり労働者の食生活というものを、費用を下げて而も食生活の実質、栄養、そういうものを下げないやり方をするとすれば、今考え得るものは私が申上げたようなものでなくちやならん。そしてそれは労働者が栄養を攝つて働くのでなくちや、今後の国民経済の再建というものは覚束ない。貧乏になつても栄養的内容を下げないように、或いは栄養を増してやつて行きたい。そういうふうに考える。それで日本土地が與えられておる。そうすると、その土地労働の結び合せにおいて、その生産力においてできるだけ豊かな食生活を国民に與える。そういう農業でなくちやならんという、これが一つの食生活の方面でございます。  更に進んでは、世界的な適地適生産物、適作物というものを取入れてやつていかなくちやならん。併し私の考えることのあれは、やはり国内市場を開発して行かないと、海外市場ということに、なると価格の変動が非常に大きい。例えば除虫菊にせよ薄荷にせよ、大きい。例えば農業経営からいつてのみならず、販売だけでも非常に多いのです。それで私の農家に酪農経営を勧める場合に、売るために乳を生産するということには不審が多い。生活の中に織り込む。だから、乳を飲みながら余つたものを売る。そういうふうなやり方で酪農を興さなくちやならん。更に酪農品を世界に輸出する場合には、輸出することは、国内の消費を満して余裕があつたときに輸出する。そうしないと、非常に価格の変動が多い。国際価格のみならず、国内価格の変動も非常に多い。酪農経営なんという見地からいうと、できるだけ飲みながら、自家消費しながら造つて行く、そういう堅実な方法を採ることを私共勧めておるわけであります。それが食生活、国内市場或いは農家経済の内部における需要を満しながらだんだん上に行け、そういうやり方を日本のような小農経営においては採つて行かなくちやならんのでないかというふうなことでございます。
  14. 羽生三七

    ○羽生三七君 その点に関連してですが、こういう解釈もしていいわけでございますね。例えば今までのような自給自足経済から解放されて世界農業の競争場裡に日本が参加して、それから適地経営を行なつて行く。この場合に、現在アメリカ経済に依存しておるわけですが、こういう輸入食糧がガリオア資金でなしに、正常な貿易状態で、いよいよ正貨を支拂わなければならんというときに、なかなかそれに対する見返り工業製品というものは簡單に行かん。そういう場合に、今お話しになつたように、日本国内で食生活の転換なり作物転換によつて、できるだけ高度な正しい意味の自給度、それを幅を拡げて、余剰があれば外国にも出して行くという考え方で差支ありませんか。
  15. 大槻正男

    証人大槻正男君) 究極において本当の世界的な適地適生産に進むかも知れませんけれども、行き方としてはそういう徐進的な方法を採らんことには、経済が成り立たんのでないか。それは私の経営の方の立場からでございます。
  16. 東畑精一

    証人(東畑精一君) ちよつと私への御質問の要旨が分りませんでしたが……。
  17. 羽生三七

    ○羽生三七君 例えば先程お話の農地解放の結果として、農家の資本の最も有力であるべき土地が担保力を持つておらない。抵当にならない。こういうことがやはり、日本農業が近代的な資本主義的な発展過程を経なければ、一層高度になることは困難であると思うのです。そういう場合に何か法的な形で、必ずしも担保力を言うわけでないが、という先生が先程お話がございましたが、それ以外に何か担保力を付與し、或いは資本としての力を付與し得るような方法がありや否やという問題であります。
  18. 東畑精一

    証人(東畑精一君) つまり農民の問題としては土地に、何でもいいのであつて、何らかの形で金融力が付けばいいという問題なんですね。もう一つの問題は、結局災害ということがいつも担保に含まれておりますので、災害救済ということがひつかかつて来ると思うのですね、それに保險というものが付け加わつて来るというと、対人信用だけが私は最も暗い影なくしてやれるのじやないかと思つておるのです。併しこれは何も自信ございません。非常に大きな問題だと思います。つまりいずれにしても日本農業及び農民が全体として金融力というものは一体どこでついて来るのか、一つは担保という問題、違つた種類の担保として、法律的に申しましても、現在は例の立木というものはだめ、果樹園なんか全然だめです。これは非常な欠陷です。そういう問題と価格政策など皆関係があるのですが、私それで土地の自由流通を許せという意味から見ていないのです。このままに置いて尚且つできないかというのです。一国の生産力というものが非常に高い、伸びているというようなときは一国の土地全体を基礎にして、紙幣なんかを発行したことがある、そういう意味のことが仮にできるようになると、農業全体として国家が一定の長期金融をしても、基礎があるようになるということも考えられるということです。具体的にはちよつと甚だ恐縮でありますが。
  19. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) 私は東畑、大槻両教授の御意見を伺いたいと思いますが、私は自由主義経済を基にしなければ総てのものは進歩発達せないという信念の持主であります。そこで農業経営日本経済というものは、これは密接不離であつて均衡が保つていかなければならない、こういうことも基本であります。それから日本農業は多角経営でやらなければとうてい世界的な変遷に応じて行くことはできない、かように結論をつけておるのであります。そこで日本の国民の食生活の安定を図らなければいけませんが、この食生活の様相は御承知の通り千差万別でありまして、とうてい統制とか配給制度、人間の力によつて解決はでさません。故に私は供出制度というようなものは最早いらないという考えの持主であります。それから現在の供出制度にいたしましても、農家が保有米制度でやつて行くというようなことが、これが全く誤りでありまして、食生活の改善も当然できませんし、それから増産政策もできません。そういうように私は考えておりますが、それならどうして日本農業政策をやつて行くか、こういうことにつきまして私はこういうような考えを持つておりますが、それについて御意見を承わりたいと思います。  先程両先生からのお話もありましたように、日本食糧が足りない、これは嚴然とした問題でありまするので、輸入食糧というものを政府の管理の下に置きまして、日本経済農業の米、麦その他の価格なんかはこの輸入食糧政府の方策によりましていずれともできると思うのです。多く輸入する、少く輸入するということによつて、この輸入食糧によつて初めて日本農業政策が自由にできるかのように私は信ずるのでありますが、これを昔のように、或いは米がここまで下つたならばいくらでも買上げるとかというようなことは、先程東畑先生お話にありましたように、到底日本経済ではやれないと思います。からして私は二百万トン、或いは三百万トンくらいの輸入食糧政府が自由に操作いたしまして、それによつて日本経済と、日本農業経済とを按配調節して行くことが一番近途じやなかろうか、かような意見を持つておりますが、両先生の御意見を承わりたいと思います。
  20. 東畑精一

    証人(東畑精一君) 現在そうじやないのですか。
  21. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) 現在は供出制度があり、配給制度がある、これでは到底それができない。
  22. 大槻正男

    証人大槻正男君) その問題は、西山さんのおつしやるようなことは、輸入量というものを国民に十分量配給できるだけの量において輸入する可能性があればできるだろうと思いますが、十分な食糧輸入できない、そうして輸入しても食糧が不足する状態においてはやはり配給制度を置かなくちやならん、国民にできるだけ不足する食糧を均分的に分配するということですね。それから供出も、できるだけ多く確保するという意味において置かなければならん。なぜというと、輸入するにしても、十分量輸入するだけの国際購買力を持たん。それでできるだけ沢山確保しようという上において、やはり供出制度も現在の状態においては必要じやありませんか。日本国民経済が十分量食糧輸入することができる段階においてはおつしやるようなやり方がいいと思いますが、今の段階においてはまだそこまでは行つていないのじやないか、そういうふうに思います。
  23. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) 食糧は少く配給しましたならば国内食糧は騰貴いたします。多く配給しましたならば安くなります。故に私は輸入食糧だけを配給制度にする、こういうような意味であります。
  24. 大槻正男

    証人大槻正男君) 輸入食糧だけを……。
  25. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) 現在のように二合七勺の配給量でやりましたならば絶対下りません。それを農家経済日本経済とが均衡の持てるように配給量を多くする、少くする、つまり自由経済のときには明治時代には一ヶ年には五百万石——一千万石は値段の高下によつて調節ができておつたのは御承知の通りであります。からして私はそれに対して政府が調節できることが一番いいのじやなかろうか。それは現実において日本が自由経済のときに凶作がありまして足らないときには、値段が上つて皆が節約をして食糧が需給の均衡を保つていた。こういうような意味において輸入食糧政府が持つて、そこで農村生産したものは自由にしたならば日本経済農村経済とが密接不離に均衡を保つて行ける、こういうような意味であります。
  26. 大槻正男

    証人大槻正男君) それはこうだと思うのです。輸入量を加えることによつて日本国民経済食糧供給というものが、例えば貧乏な者でも十分富裕な人と同じように食糧を買うことができる。少くとも現在の公定価格程度価格までですね、下げ得るだけの輸入食糧というものを確保ができるようになれば、それは非常に結構だと思いますが、併し今輸入し得るところの量というものは、それ程多く期待し得ないとすると、あれじやありませんか、輸入食糧だけ配給して見たところで、国内生産の米の価格は非常に高くなりはしませんか、貧乏者は食えないということになりはしませんか。
  27. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) もう一度どうぞ。大槻先生のですね、先程言いましたように、多角経営、それから食生活を自由にして、肉食もさすと、甘藷も食わすということになりますとですね、現在の配給の制度、供出制度ではどうしてもそれはできない。こういうような意味において、私は極端かも知れん。これは極端かも知れんけれども、或いは供出を今の半分にして、輸入食糧政府が管理してですね、それで農家経済をやつて行く。こういうことは結構であります。が現在のように米を余計食べれるような制度ですね、それから外のものを食べたい人でも食べることのできないような配給制度、これはどうしても日本農業を振興さして増産に導かねばできない。こういうような意味でありまして、一概に極端ではありますが、今の供出の三千万石をですね、一千万石にして、米と輸入食糧政府が配給すると、こういうようなことにすればですね、自由に各個人々々に食生活を節約して、始めて日本農業は成り立つものである。かような意味で……。
  28. 大槻正男

    証人大槻正男君) 私も同感でございます。ただそういう状態になる過渡期として、現在ですね、いろいろな困難な問題が生ずる。これを過渡期の問題を無視してすぐそこに来ると、非常にこれは混乱が起きやしないか。除々にして行くべきではないかというふうに私は考えます。
  29. 西山龜七

    委員外議員(西山龜七君) それでですね、過渡期を解決するがために、私は米券制度によつて緩和して行くということから米券を唱えたわけです。
  30. 門田定藏

    ○門田定藏君 大槻先生東畑先生にお尋ねしたいのですが、先刻来お話になつた多角農業経営については、私共始終考えておりますし、双手を挙げて賛成するのですが、併し今のところ、例えば酪農にしましても、先生はまあ輸入でも何でも、農民が芋でも牛乳でも食べるということは我々同感ですか、今の日本経済から言いますと、良民は仮りに酪農を奨励して牛乳を作つても、牛乳と今の米の価格と比較しますというと、到底その農民が牛乳を常食として食うということは、農民どころか、日本経済として一般国民が米に代つて牛乳を飲むということは、病人でもないと今はできない。これは先生の今のお説の通りにこれが発展して、牛乳なりすべての多角の農業経営によつて生産が増加した場合、その場合において外国から主食が輸入されると同時に、外国の方も日本がそれだけ発展すると外国も同じく発展して来る。外国がどんどん発展して牛乳なり主食が入つて来るというと、又これが行き詰る時代が来やしないか、私はこう考えるのです。それですべて世界農業一環として我々の将来がそういうふうになつて来た場合、日本農業経営はどうなるか、今の通りであればいいけれども、先生の言われたようにやつてつて、我々の理想を実現して沢山生産が殖えた場合、外国からも入つて来る、そのときの対策は、先生はどうお考えになつておるか。  それからもう一つ東畑先生にお伺いしたいと思います。農業生産の市場を外国に求めるというお説でありましたが、これも我々は双手を挙げて賛成しますが、やはり今の通りで我々日本経済というものは農民ばかりで行けない。そこで農民の作つた生産した生産物ばかりでなくして、もつと農民に適した一つ農業生産を、外国にないところの生産を逸早く我々は研究して、これを作つて外国の方に市場を持ちたいという考えを持つておるのですが、これらの生産について、農業生産に適した、或いは酪農とか、藷とか、茶とか、椎茸というものはあるけれども、それ以外に未だ曾て外国では余り例のないような日本生産に適したような生産物をお考えになつておるかおらんか、そういうことについて一つ若しあればですね、一つお聞かせが願いたいと思いますが……。
  31. 大槻正男

    証人大槻正男君) 今お話のあつた例えば酪農とか、或いは藷だとか、そういうものはやがて競争ができるだろうというお話なんでありますが、それがその受け方がその素朴的な生産としての米麦はですね、例えば一エーカーあたり一・八時間でできるといつたようなものとですね、どうも一エーカーあたりに機械化しても五十時間は必要とするというような作物では競争の受け方が違う。土地が狭いということはそれ程ハンデキヤツプにならなくなる。それで大概競争力というものは相当高めることができると思う。或いはアメリカと競争はできないかも知れないけれども、ヨーロツパとは少くともできる。併しアメリカは結局生活程度が高うございますから、労銀というものは非常に高い。それでその関係でどうなるか分らん、で必らずしも負けないだろう、そういう意味合で集約経営いうことを申上げたのです。  それから東畑君に御質問になつてつたのでございますが、或る適当な生産がないかということは、それは結局山地が狭いということですね、ハンデキヤツプを克服するような生産方法がないかということですね。そうでないと日本でやつたことを又外国で真似します。それは條件に適したものということだろうと思うのですな。それは結局のところ技術の発達ということだと思うのですね。それで土地が狭いということと、それからもう一つ日本の有利な條件としては、日本農業というものは亜熱帯の農業だということですね。世界の文明国というものは大体において北欧系といいますか、一年一毛作、日本の冬作ですね、麦及び馬鈴薯が一作しかできない土地であります。そうしてどちらかというと夏乾燥する地帯です。そういう地帯が世界農業文化国、文明国であります。で亜熱帯において、亜熱帯の農業ということになりますと、亜熱帶において家畜をどうして飼うかですね。従来のように科学技術が発達しなかつたときには、これは草原地帯で飼うことなぞが非常に有利であつた。そして土地そのものが非常に素朴である。ところが亜熱帯は草生は、草の生え方、植物の成有力は大きい。ところが病虫、害虫その他が多かつた、その他いろいろな條件があつて家畜が飼えなかつた。草は一年中ある。なぜかというと亜熱帯において適当したところの生産方法というものを、日本農業技術というものはもつと育てることができないか、そういうことだと思います。今までは日本外国から来た農業というものは、すべて養蚕米麦を除いては、皆向うからの真似でございます。ですから畑作技術というものはさつぱり進まなかつた。私共がずつと亜熱帯に適した畑作技術をもつと何とか研究できやしないか。そうして亜熱帯の有畜農業というものをもつとやらしたらいいじやないか。その可能性というものは日本は強いのだし、雨量は多いのだし、エネルギーは多いのだから、何とか狭い面積でも競争をやつて行く行き方がないものか。それは結局技術の問題で、模倣技術だけでなくて、日本農業技術、生産技術というものをもつと日本の風土に応じ、もつと或いは社会條件に基いて、日本農業を発展させるだけの……。これはぜひ農事試験場の拡充のようなものをぜひやつて頂きたい。技術がさつぱりないというのが日本農業の発展力の阻止だと思うのです。集約的な農業を、亜熱帯の農業というものを、もう少し日本が独創的に研究できるだけな広大な農事試験場というようなものが必要だと思う。今のような非常に少い予算の農事試験場というもので、これで国民の半分にエンプロイメントを與える研究機関かと思うと、実に情ない。これではとても新らしい経営というものは私はできないというふうに思います。
  32. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) 先程大槻先生お話の筋、世界的の適地、適作というようなこと、私も全く同感なんですが、問題は輸出ができるようにと……。世界的の意味における適作物とはどういうものがあるか、只今あちらでも、そういう具体的な問題を御質問になつたと思うのでございますが、それが問題だと思うのです。事実そういうものがあるかないか、観念論だけでは役に立たない。そこで曾ては日本一つの見方によつては蚕糸王国であつたと言つてもいいと思う。私は一つの蚕糸王国という程の大王国になるか、これは測られんのですけれども、一つの見方として、私は日本を種苗王国にしたいという個人的の感覚を持つております。これは自分の商売の上から考えられたことでありますが、殊に花ですね。花の需要というものは御承知の通り外国人においては非常なアトラクシヨンだと思う。で、オランダがバルブの王国になつておるわけです。日本の風土、又我々のこれに関する研究というものは、日本は決して遅れていない。従つて学理的な進歩と同時に、その技術者の数も進めて参らなければならない。日本の天然條件その他の農業関係は非常によろしい。質としてはカリフオルニアが世界の最高の産地だ。これはいろいろな点においてカリフオルニアの種子は非常に充実がよくて生命が長いのです。日本では北海道が一番ですが、併しまだ長野県であるとか、或いは瀬戸内海、九州方面と多々あるわけです。それでこの方面の基礎的研究を大いに助長することによつて、オランダのバルブ王国の株を日本が取上げることは私は不可能でないと思う。現に私が手前味噌のようなことを申上げるのは恐縮でありますけれども、すでに世界的にも有名になつておる坂田のダブルペチユニアは、貿易庁が昨年度設定した値段でも一匁約一万円、今年も約十五ポンドばかり生産したんですけれども、そのうち約八百万円ばかりはオーダーになつて輸出しました。これは資材も要りません。それでこの戰時中にこちらからの種が行かなかつたためにカナダ、それからカリフオルニア、ドイツで以てイミテーシヨンをやつて……、私は得意になつて言うが、大抵のものは外国人の真似なんだが、この坂田ダブルペチユニア、これだけは外国人が真似したんだ。そうして外国から原料を輸入して、労力を加えてこれを加工して輸出しておる。これが日本の人口過剰の処理方策と言うが、願わくば我々はインテリジエンスを発揮したい。これは輸出のスモール・サンプルで些細なものでありますけれども、ここに初めて土地が少くて人口過剰の機能が発揮される。それで私は種苗立国論を今ここでやつているわけですが、大槻先生農業経営の研究を專らやつておいでになるが、種苗産業に対して、どういうお考えを持つておいでであるか、又私のような見方に関してどういう御批判をして頂けるか、それをお願いいたします。
  33. 大槻正男

    証人大槻正男君) 私も同感でございます。だから日本農業者というものは、何といいますか種苗生産等に適したところの、技術といいますか、非常にそういう農業者があると思いますので、私も種苗王国たらしめたいと思います。
  34. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) 併しそれは六百万町歩種苗を行うことになつては大変だ。
  35. 大槻正男

    証人大槻正男君) ただその問題が一つはエンプロイメントの問題、だからそういうものを沢山作る必要はない。種苗ばかりなくて、いろいろな適生産というものを見つけなければならない。種苗もその一つだから、その種苗というものへ力を注ぐことはいいと思う。併しもう一つ種苗に関しては、今おつしやつたように北海道とか瀬戸内海とか、どちらかと言えば高冷地、乾燥地帶ですね。濕潤地帶になりますというと、どちらかというと種苗生産には適さない。日本はその点において多少風土的條件としては、そうした限られた瀬戸内海とか、或いは北海道とか、高冷地とか、そういうふうに限られはしないかというので、日本国全体の農業の問題として、全体に普及してしまうということを……。だけれども日本農業の一部分として、日本農業者の技術発達のために利用するということには、私も同感でございます。
  36. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) その点は私も同感です。酪農問題についても、日本農業は将来酪農でやつて行くべしというような見方は、それさえも私は賛成しない。日本農業を一口に言いたくない。地域性を考え、この土地農業、こういうふうにひつくるめて日本農業ということが実は非常に気に入らない。殊に種子のような問題はその通りなんです。それで要するに地の利を活かすということ、酪農がいいに相違ないけれども、実際問題として考える場合は、現在において、或いは比較的安い食糧飼料輸入されるようなことがあり得るような場合においてさえもが、余程考えなければならん。押しなべて日本農業は酪農を加えてやつて行けばいいというようなことは、なかなかその他の事情もありまして、やはりこれは地域性だ。それでこの土地……、その場合日本農業が対象はなく、その地域が対象である。その地域をどういうふうに考えて行くか、こういう見地から考えなければならんという見方ですね。
  37. 大槻正男

    証人大槻正男君) 私もその酪農を特別に力を入れるのでなく、日本の大部分の地域に普及せしめることができる。現在のような酪農ですとこれは駄目だ。日本のような小農経営でありますと、兼業としては合うが……。飼料の問題は相当裏作の開発によつてやれます。或いはさつき申上げたように、米麦というものに囚われないで、大豆とか甘藷とか、そういう残滓物、或いは副産物を作る。或いは蔬菜とか……。そうしてその残滓物飼料化する。できるだけ飼料の自給度を高めてやれば、私は日本の風土でも大部分行くのじやないか。殊にその自信を高めたのは、北海道の黒澤酉造君が興農公社の社長を止されたものですから、その後最近三ケ月間日本全体を廻つた。そうして帰りに私のところへ寄つて下さいまして報告をして下さいました。殆んど全国に酪農というものは成立つておる。今まで適さんと思つてつたような所が、北海道なんかよりも酪農経営可能性が強いというような報告をして下さいました。私は酪農の経験者でも專門家でもありませんが、黒澤さんなどの言うことだから相当信頼していいのではないかと思いますので、そういうふうに申上げたのであります。そうしてそれを経営組織の中に入れて行きますと、相当に行くのではないか、併しそれは非常に困難が伴なう。それで私は、敢えて農家の貧生活の中に織込んで、それから経営の中に織込んでそうして堅実にやる、儲かるからやるといやり方ではなくて、これは牛を買わなければ経営が成立たん、生活が成立たんというふうなやり方において、酪農経営を発達させなければいかん。今迄は牛乳が儲かるから作る、牛を飼うというやり方は、これは必らず失敗すると思います。そういうふうなやり方で堅実にやれば、私日本全国に相当行くのではないかというふうに思つておるのであります。
  38. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 大槻先生にお伺いいたしたいと思いますが、適地適作はこれは勿論それが百姓の本能で、そうあるべきであつたのですが、御承知のように戰争中から今日まで随分ゆがめられて来たようです。そこで今度は段々統制が緩くなつて適地適作が行なわれると思うのですが、水田を畑地に還元することですが、私は食糧生産する上に坪当り生産から見て、水田ぐらい收穫のあるものはないと思う。これは今迄岡山地方で薄荷をさかんにやつた時分に、水田に薄荷を植えた、それで大部やつたことがあります。今はやつておらんが実は私共心配しておつたのです。それは單作地帯のことで、秋田に行つたときに畑地に還元するということが非常に有望視されている。併しこれは聞いて見ますと、成る程尤もなんで、百姓として米だけしか收穫しないということは非常に不便なものですから、自家用のために還元する分はいいと思いますが、裏日本のような非常に雨量の多いところは、どうしても成るべく還元しないでいつた方がいいのではないかということを考えている。そこで裏日本のことですが全体に日本の水田を、これは水田を畑地に還元して行くという行き方は非常に好ましくないと思うが、それはどうか。その次は多角経営農業経営することが、農業として一番いいことであり確実な行き方である。ところが日本の現在のような平均反別では、多角経営農業経営するということが、非常に農業経営の技術か、技能かを相当つている人でなければ、普通の百姓ではできないと思う。そこでこれをどの程度までのお考えを持つておられるかということをお伺いいたしたいのです。  三番目には酪農問題で、私実は秋田へ行つた時分に、秋田の横堀村に満州帰りの人が、横堀村が非常に困つておるので、水田一本なんです。それで酪農を奨励するというので牛飼を奨励したわけです。そこで村長さんと協同組合長が断わつて参りました。馬を工場に使つておるのを牛に置き換えるというのは結構だが、馬の食うものもないという、緬羊の食うものもないというところへ若し酪農にして行つたら成り立たない。そこで今おる馬を牛に置き換えて、そうして工場に使いながら仕事をやるのは結構だと思いますが、それ以上牛をやつても駄目だということを言つて来たのですが、日本状態はどういうものか、統制を甚しくしておりますうちは北海道一番乳の出方が多く、内地はさつぱり出なかつた。統制が外れますとどつと出て来て、北海道に比べてこつちが非常に多いのです。これは非常に耕馬を耕牛に置き換えて、そうして乳をとりながら僅か一年に四十日くらい使い、後は乳をとるというその行き方は非常にいいのであつて、それを酪農と称するものなら私は賛成もするし、いいと思いますけれども、そうでない、そういうのは酪農と言えない。酪農というのはもう少し面積がかかりますが、その面積に応じて牛を飼つてやるということで、牛を飼つて金を儲けようという考え方ですから非常に困つたんです。先生お話のように、必要に応じて牛を飼うというのを酪農と称するなら賛成なんです。若しそれ以上進んで牛をお飼いになるというなら、日本の大半の農家では私は不賛成なんです。そういうことはいかんと思いますが、如何でしよう。
  39. 大槻正男

    証人大槻正男君) 私もそう思います。牛を特別に專業家的に飼い、配給飼料を受けて、農業飼料を購入して飼うというようなやり方になりますと、これは日本農業ではやれません。むしろそれは都市近郊の専業者がやつた方がいいので、そういう行き方はいかんと思います。やはり日本のような小農経営になりますと、馬にしても非常に少いですから、これは近郊としては適当と思います。それから飼料の問題もたびたび申上げたように、米麦ばかり作つて、私も今度秋田へ行つて参りましたが、あすこは麦がないので麦を食べさせません。米を食べさしたり餅米を食べさしたりします。そういう乳牛の飼い方ではこれは駄目でございます。とてもやつて行けるものではございません。牛というものは反芻動物ですから草などがいいんです。何も穀物を食べさせる必要はないのです。やはり草で飼う。草ならば裏作でできる。穀作に利用できないような短かい期間にそういうような意味で家畜を入れると裏作の可能性などもできますし、そうした飼料がずつと殖えるのだろうと思います。  それから多角経営は、私から申しますと、これは小規模だから多角経営化しなくちやならんと考えます。むしろ小規模だから多角経営をいたさなければならん。大規模で大経営をやるならば、アメリカのようなやり方もできますが、日本の小農経営で、そうして労働に家族が定着して、そうして一年間の労働の均分化と申しますか、配分をよくする。雇用労働に依存しないというようなやり方になりますと、どうしても多角経営化しないとこれは労働が遊んでしまう。そんな関係でこれはどうしても小農経営であるが故に、むしろ多角経営化しなくちやならんいうことを考えております。  それから水田の畑作転換の可否というものは、これは相当やらなくちやならんと思つております。秋田へ行つて見ますと、秋田の耕地面積の約八割が水田で、二割が大体畑なんです。ああいう経営ではとても合理的な農業経営はできないと思います。食糧問題が米を中心にしてやつておりますから、急にこれを換えるということの可否はあると思います。併し稻ばかり作るというやり方になりますと、農業経営のやり方がなくなつてしまう。米ばかり作る、そうして……、ですからこれは秋は大豆なり甘藷なりそういうものに相当転換して行くことがいい。そうしてそれによつてむしろ生産も殖えて来るし、そういうふうに思います。
  40. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 実は今我々困つておるんですよ。と申しますのは、消費のない生産はない、先ず消費を図つて生産をすることが何によらず当然なんです。ところが現状は消費生活の部面の、食生活の部面は誰も何にも言う人はない。作る方面は我々心配しておりますが、どうもこれは御承知のように戰争当時から、芋々というわけで、どんどん芋の量を殖やせということで、量を殖やす。今でも地方では水芋でも量を殖やせというので……、それは御辞退申上げるのでありますが、これは駄目ですな。それで作る方でも消費する人の身分を考えて作るようになれば、これは相当に売れると思いますが、なかなかそういうわけに行かんので、前にお話がありました外国馬鈴薯状態なんです。あれはよく知つております。ところがあの馬鈴薯を現在私が政府に、北海道の馬鈴薯をそう減産をさせないで、持つて来られるうちに内地に持つて来て、そうして立派な倉庫でないにしても、倉庫に貯蔵をして、そうして十一月中に持つて来て、十一、十二月に売れば決して売れんということはないだろうというのですが、なかなかやろうとしないものですから、恐らく減反をし、殖やすわけには行かない。これは作る方面と、消費方面の両方を百姓が作るわけに行かんので、国内消費はこの消費の部面を誰か一つ宣伝をするなり、教えて貰わなければ非常に工合は悪いと思いますが、どうですか。
  41. 大槻正男

    証人大槻正男君) ですから実際私共は消費の対策と、農業消費の改善改革と、それから生産の改革というものは並行して行かなくちやならんということを申上げるのであります。お説の通りであります。併し秋田県に行つて見ますと、非常に供出というものを苦しがつている。だけど供出が果して苛酷であるかどうかということになつて来ると疑問です。併し秋田県に行きますと、米をとられてしまうと食べるものがない。実際からいつて……。それですから非常に供出というものを不安がるのです。そこをあれにばかりせんで芋もある。何かそういうことになりますと、米をとられてもそれは芋を食べて行かれる。馬鈴薯あり、甘藷ありということになりますと、供出というものがあれ程農民を恐怖せしめない。そんなことを考えて私は今でもいいのじやないか。今はどうかというとこれは問題外です。  さつき御質問になりました多角経営の問題で、多角経営ということになると、農民が相当優秀でなくてはならん。それで今農民が相当駄目だから多角経営化することがよくないというお話がありましたけれども、私はむしろ逆にいいたい。日本の農民というものは相当農学校を卒業する。或いは相当能力を張つておりますが、作る物が極く簡單な米作である。米作というものは私の見解からいえば一番作り易いものである。田植をするにしても、水の中に植えて水をやれば決して枯れつこはない。肥料も水の中にやる。肥料も大したことはない。そして水を張つておれば旱魃はない。作り易いもので馬鹿でもいい。従つて農業者というものは皆んな馬鹿になつてしまう。馬鹿が適者である。農村ではそういうふうなことになつているのでございます。私の方からいえば、能力がなければできないような農業に持つて行くことが日本農村というものを、或いは農村の文化というものを高める。今の單作地帯の農業では、これは皆馬鹿ばかりが適者として農村に残りはしないか。むしろやはり相当農業技術を要し、頭を要するところの農業にする。それからの多角経営的な有畜農業というものが、すべて能率のいい状態において発展させることができるというように考えて行きたい。
  42. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) 東畑先生一つお伺いしたいのですが、先程来先生が非常に大きな見地からの農業政策と今後の農業の問題というようなことでお話下さつたのですが、一方我々の極く目前から来る感覚としては、戰事中以来この食糧問題が政府の最大関心事であつて食糧政策として專らやつて来た。従つて今の水田を畑地に換えるということは一つも許さないのだといつたようなことは、食糧政策的の方針に進むのではないか。先程来の大きな見地からの将来の米作問題は、それはそれとしても、直接にこの食糧政策を或る程度修正して、例えば新潟のような所でも、秋田県を歩いてみてもそうだと思いますが、畑地転換が地形上容易にできる所は少くない。そこをずつと畑地にしたら農民の自給に必要な物の生産ができてずつといいだろうと思いますが、そういう所が少くないのですが、それが今日全然許されない。これが即ち食糧政策であると思います。それを今度は農業政策から言えば、そういうようなものに食糧政策に適度の修正を加えて、成る程度の畑地転換を許すというような方針を取るのが、とにかく差当り必要なことであるように私は感ずるのですが、東畑先生農政審議会に加わつておられるに当りまして、私はそういう食糧政策の修正による農業政策ということの一つの課題として、そういうものを取上げて頂くことが必要ではないかと思いますが、これに関する農政審議会における東畑先生の態度というもの、そういうものを一つお伺いできれば非常に有難いのですが。
  43. 東畑精一

    証人(東畑精一君) 私は非常に技術的なことは存じませんのですが、畑作を田作に換えようと、田作を畑作に換えようと、これは一に飼料の問題であると思います。それはどつちでもちつとも構わないのです。それは理屈はないのです。今の日本では飼料があるかどうかということが問題なのです。
  44. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) それは飼料のあるような場合に、副業と申しますか、園芸か何かそういうものがある場合には尚更のことですけれども、そういう所も交通関係や地理関係から来まして、それによつて値がそういう金銭收入ができるものがあるのが、農業経営に関して非常に有力である。そういう場合には尚更ですが、そうでなくても、先程秋田県などのお話がありました中に、米ばかりを作つておるのを、そこを例えば一割なり二割なり畑地にすることは地形上楽にできる。そうしたならば農家が自給する蔬菜であるとか、その他の馬鈴薯であるとか、自給の方から言つても一部の水田を畑地に転換するということの必要があると思うが、今までは食糧政策見地からそれが許されないというように見ておるのでありますが、そういうところを先ず第一に修正しようじやないか。更に進んでは飼料なり、そうして農家経営上有利であり希望する場合、尚それまで認められるようになれば尚更いい。農政審議会の方においてはそういう御方針をお採り下さることが願わしいことだと私は思うのですが、その東畑先生のお考え方はどうなんですか。
  45. 東畑精一

    証人(東畑精一君) 農政審議会とか何とかおつしやいましたけれども、私はそういうことを知つておりません。私はそういうことを少しも存じませんから、そういう話は別問題としまして、併し過去の経験によりますと、一番米作が有利ではないかと考えます。又そういうようなことを説いて来たのですね。その事実があつて、如何に水田を畑地に転換するといつても、それは経済上不利であると思います。経済的に不利のことを知つていながら、農民が転換することができるかというと、経済上の不利は農民の態度を変えることはないのですね。やはり三年と五年とか七年とかやつておるわけなんですね。そうしますと、幸か不幸か、日本農業政策は先程申しましたようにいろいろな事情で、いつでも食糧は足らない目にやつて行くことが目標だつたと私は思う。だから一番有利なものは米だつた。米程殖えるものはないのですから、その事実というものを検討し直すということ、これは恐らく問題で、それを放置しておいて新潟、秋田県の農民に畑作にしろと言つてもそれは民を過まるのじやないか。一番有利なことは、過去の経験をとりますと、いろいろの変遷もありまして、今だつて米が一番有利じやないかと思う、米を作つておるのは……。その問題には、米をもつと軽視しろということはできないのでありますから、もつと有利なものを出すとかということは、経済政策としては言わなければならん問題でありまして、市場があれは尚やらなければならん。その市場が一体あるかという問題です。外のものより一番安定した市場があるのは米なんです。これは日本はずつと過去から……。だから私はその問題に結局依存している問題であつて、こいつはなかなか政策的にやらせるということと、農民が勝手にやるということとは大分違つてきますから、政策的にこれを取上げるならば今の問題があると思うのでありますが、如何ですか。
  46. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) 私のは政策的にやらせるというそういう方針をとるという、こういう意味じやない。従来一遍一坪を畑作にして、今度又市価が上つて米の方がいいと、やはりその米に返るということがあり得る。だが最近水田ばかりであつて、最近の生活状態では一番、一反歩なら一反歩畑が欲しいと農家が感じておる場合があるが、そういう場合は、国の食糧政策によつて、一坪でも水田を畑作にすることはできない、こういう場合のことなんです。政策として農民に、日本の国策として、そういうことを強いようと、こういう意味じやなしに、農民がその実際生活上から、又市場の問題でなしにむしろ実生活上から、せめて一反歩でも野菜畑を作りたい、こういう場合で、以前だつたら自由にやつたんです。ところが食糧政策上からそれが許されない、こういう状態です。これは或る程度修正して然るべきじやないかという、こういうような……。
  47. 東畑精一

    証人(東畑精一君) 殊に單作地帶では御尤もですね。これは日本の全体の食糧面について、供出制度と併せて考えなければならん問題なのでありまして、併し一般的な……。
  48. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) それは従来食糧政策という面に重きを置いたから、どうしてもそうなつていかなければならん。ここでは相当インフレも起りますし、そういうわけですね。それだけに農家のそれが、農業政策に転換させる時期に、その種の程度のことは政策として取上げていい時期になつているんじやないか、
  49. 東畑精一

    証人(東畑精一君) つまり農家本位にもつと農業経営をしろ、というお話ですね。それは趣旨としてそれを生かしていかなければならんと思います。
  50. 寺尾博

    委員外議員(寺尾博君) で、そういうふうに、殊に農家がやりたい場合において、それは先程申しましたように……。それは或る程度食糧政策考えていかなければならんからして、無方針にどこでも、幾らでも畑地に転換していいじやないか、こういうことじやない。
  51. 東畑精一

    証人(東畑精一君) いや、先程申しましたように、日本は三千何百万トンの米が必要だとか、総量など言つておるのですから自然農民を無視しておるということになるのですね。
  52. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 東畑先生にちよつとお伺いしたいのですが、羽生さんとのお話で、ちよつとまだもう少しお教え願いたいと思うのですが、金融の問題なんです。どうも御承知のように農村農業恐慌に追い込まれる形になつてきておるのです。御承知のように本当の信用は生産物以外に何もないわけです。それで自由にこれをどうこうということに参らんと思うのです。私は国が総括した、今の力においての恰好ですから、総括したものを押えて、凡そ八百億円ぐらいは一体日本の担保力はあると思うのです、今の力にしても、全部国が押えて、それを国が押えておいて金を出すという方法が、それでなければもう仕方がないから担保抜きでもいいと思うのですが、何か一つお智慧を……。
  53. 東畑精一

    証人(東畑精一君) それは先程来度度申上げますが、若し自由な担保を許して来ると、又どこかに出て来ますから、全体として八百億、そういうものを担保とした。やはり国家事業になると思うのです。国家事業というとおかしいですが、余程公共的な形の担保にして行かなければならん。担保といいますか。全体を活かして行く、これをうまく活かすという問題、どうしてそういう事業をこれに認めるか認めんかという制度ができるか。それにはその補助手段として農業財産の評価ということが実は日本でよく行つていない。評価というものは税金の問題にも関係がありますから、評価が非常に悪く行つたらでたらめなんです。災害というものをどうして評価しておるかということは一つもない。だから税制の場合も、今度まあいろいろ税制が変りますが、農業財産の評価というものも、所得の評価は勿論でありますが、これが改善される技術ができて来ませんと、そういう技術的手段をどうしても要する。国家の方を基礎にいたしましてもそういう問題がそこにあるということが、その方を突き探ぐろうというのが最近の私共のあれなんです。評価というもの、ヴアリエーシヨンの問題、これは一遍私共はここで一つ取り上げて頂いて……。他の産業は非常によく行つておると思う。これはインフレという問題がおりますから、大分混乱いたしましたけれども、財産がはつきりいたしませんが、農業については非常に細かいものですし、一番の重点は災害というものをどう評価するかということですね。災害評価というものは随分むずかしい。それができないと、国家金融というものは処理できないのじやないかと思う。
  54. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 まあ一つお智慧が廻つた一つお教え願つたら……、勿論我々としても議員として……。
  55. 大槻正男

    証人大槻正男君) 評価の問題私評価が專門なんですが、これは土地の評価というものが、日本のような小農経済の国において果して可能であるかどうかということが非常に問題になると思う。例えばこれは家族労働の評価と関連するのですが、例えばあるべき労銀といつたようなことで評価を済まして、農地改革における買上げ価格みたいな地価になつてしまう。今度自由経済的な労銀というものを、農村において労働需要供給において決定されるというような、やはり非常に安いやり方になつて、それは闇価格みたいな価格も出て来ますし、そのどこを掴むかということはこれは非常にむずかしい問題で、これをどうするか、これは何か勢力関係や何か入つて来まして、経済的にどう掴むかということが非常にむずかしい問題になるのですね。私も長く評価の問題をやつておりますけれども、今度の生産費の問題にも関係しますが、適正生産費が果して出るかどうか、こういう問題も非常に問題です。非常にむずかしいのです。  それからさつき寺尾さんの御質問で米の問題がありましたね。米の問題で、これはあれだと思うのです。私も米程有利なものはないと、こういう政策を取つて来ておる。そうして日本の農民に米を食べさせて来た。それで今後においても恐らく一番有利なのは只今の通りやはり米なんで、農業恐慌といいますか、値段が下るものは、今度芋の統制が撤廃されましたけれども、撤廃するということになると、畑作における振付自由の余地ができますが、恐らく生産が上り、非常に生産価格が下る。それから恐らく世界の市場を見ますると、麦が余つて、麦が来る。米は一番これは遅れるだろうと思う。これから増産をして送るというような、或いは増反して送るというようなことでは米が一番遅れる。日本人の趣味、嗜好というものはなかなか変りませんし、それでやはり農民に勧める場合なんぞ、無暗なことは言えないでしよう。それで必ず勧める場合には、その農家が自分で自分の食生活を変えて改善するという意欲を持たせるといいますか、持つ場合といいますか、そうしてやらないとこれは大変なことになります。それでやはり牛乳を作つたら牛乳を飲む。それで牛乳を飲むには贅沢かも知れないけれども、米を食べるところを牛乳と芋を食べるならば、米やパンを食するよりは経済的に行くというふうなことで食生活の改善ということをやる。更に日本の国全体の消費者の食生活の改善をする意欲がないとこれは駄目です。それでこれを自然のままに放置して置く、これはそういうふうな方向ではいかん。依然としてそういうふうに米ということが一番有利な行き方だ、だから食生活の改善の努力というものと、農業改良普及というようなこととして、これはやるというふうな前提を持たないとこれは駄目だと思います。併しこれは食生活を変えるということはなかなかむずかしいことです、古い伝統を持つていますから。だけれどもこれは不可能でないと思います。これはヨーロツパでもそういうふうになつた歴史があります。ですが遠い将来のことであります。目前のどうするかという問題になりますと非常にむずかしいのです。で無闇に他の作物に転換するというようなことは無條件に進めるということは無理だと思います。そういうふうな考え方。それからもう一つ、今度は東北地方なんかを旅行して非常に考えるのですけれども、農業経営を改善せよというような場合、例えば裏作としての小麦ということになりますとどうしても土地が悪うございます。それで日本の水田というものは米ばかり作る目的のためにされた。それで灌漑ということはされているが排水は無視している。ですから裏作というものは高畝とかなんとかにしなければできません。従つて労力も要る。ですから今後においてはこれは排水を完全に施設するような土地改良をしないと、これは日本農業の変革ということはできないと思います。で是非土地改良というものを徹底的にやつて、そして河川の改修は無論ですけれども、これに対して幹線明渠、支線明渠、暗渠排水に至るまでこれをやつて行かないと、これの変革條件が来たときに適応させることができないじやないかと思います。これをぜひ力を注いで頂きたいと思います。これが根本條件なんです。それからもう一つ東北なんかに行きますと、関西なんかでもそうですが、非常に農民はこういう話をすると依存的なんです。政府がこういうことをしてくれない、こういう助成をしてくれない、だからできない。金融の便がない、何とかかんとか今は金がないとかそういうことで直ぐ頼るのでございますね。自力で、自分で貯蓄してまでやるという気持が非常に欠けている。むかしは地主に隷属しておつたけれども、現在では国家に隷属しておる。そういうふうな何といいますか、依存的、隷属的な気持が非常に多くて、自主的に独立的にやるという気持が非常に少い。だから政策としてはぜひ国家がすべきものと、それから農民がすべきものとこれをはつきり限界をつけて、国家でなくちやできない基礎條件土地改良、生産技術の発達だとかいうことはぜひ国家でやつて、その基礎條件さえあれば有能な農業者であれば、自分で採算をとつてやれるというような條件をつけることが、どうしても日本の農民を民主的な独立的な農民に仕立てるためにぜひ必要じやないかと思います。頼るばかりの農民が非常に多いので、そうでなくて、国家がやるべきものは国家がしつかりやつてしまつて、あとは有能な農家であれば自分で独立で採算をとつてつて行けるというような條件、金融等もその條件になりましようが、ぜひそういうような基礎條件の確立ということで政策を講じて頂きたいと思います。非常に依然として隷属的な頼るというふうな気持ばかり強いのですから、本当の農業経営ができないというように思います。
  56. 楠見義男

    委員長(楠見義男君) ではこの程度で……。委員長もいろいろ聞きたいことが沢山あるのですが、ぐずぐずしているうちに時間が大分経ちまして、遅くなりましたので、本日はこの程度にいたします。両先生にはお忙しいところ大変御迷惑をかけまして、有難うございました。本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十六分散会  出席者は左の通り。    委員長     楠見 義男君    理事            羽生 三七君            石川 準吉君            藤野 繁雄君    委員            門田 定藏君            柴田 政次君            高橋  啓君            星   一君            赤澤 與仁君            加賀  操君            岡村文四郎君            小川 久義君   委員外議員            寺尾  博君            西山 龜七君   証人    京都大学教授  大槻 正男君    東京大学教授  東畑 精一君