○
公述人(河田進君) 私は
放送協会の職員でございます。職員ではございますが、現在選ばれまして、
日本放送労働組合の役員をいたしております
関係上、協会から何らの
報酬は受けておりません。私の俸給はすべで組合員の組合費によ
つて賄われておるわけでございまして、この点
国民諸君に御迷惑をかけていないことを一言先に申上げて置きます。
先ず、
放送は如何にあるべきかということが問題になるわけでございますけれども、根本的な
観念といたしまして、どうしても三つの対立の面があることは止むを得ないと存じます。その
一つの
観念といたしましては、言うまでもなく
言論機関として、フリー・
ラジオとしての機能の発揮でございます。
言論機関は言うまでもなく、あらゆる権力から、あらゆる
統制から外れて自由になされるものでなければ、その
意味はないわけでございますけれども、併しながら
放送協会というような大規模な
組織において、この全国の、稚内から鹿兒島に至るまでの非常な広大な地域に亘
つて多くの聽取者に
放送を送
つておりますこの独占
事業でありますところの
放送協会は、やはりどこか公共性を持たなければならんこと、即ち
国民との繋がりを法的に確立しなければならないということは当然でございまして、我々はその点が明確にされることの一日も早く来ることを望んでおつたわけでございます。併しながら、ここに出されました
法案を見まして、実は非常に呆気にとられておる次第でございます。我々は労働者といたしまして、又
国民といたしまして、誠にこの
法案というものは非常に
民間放送というものをおとりに使
つて、これに焦点を集中させて、その外の肝腎の
公共放送に対する
監督の非民主性ということをカムフラージユする道具に使
つてお
つて、
内容から申しますならば、極めて
国家権力の作用するところの強い、或いは言葉を換えて申しますならば、官僚
統制の色彩の極めて濃厚である不埒極まる
法律であると存ずる次第であります。その点はこの前の第三
国会に提出されました
放送法案におきましても、
放送協会の
監督を
放送委員会に任せております。これは御承知の通り五人
制度の
委員会でございまして、
委員長以下五人の委員が
放送協会の全般的の
監督に当るわけでございますけれども、この点に我々といたしましては、この五人の委員によ
つて監督される
立場にあるわけでございますけれども、この五人の
制度の
委員会に一町の権限が大体集中されておつたわけでございます。ところがそれが今回の
法案によりますと、その五人
制度の
委員会の
放送委員の権限を、或いは
電波監理委員会に分け、或いはそれを更に内閣に承認を求める形式にな
つており、更に
国会の承認まで得る形式をと
つております。おまけに
会計検査院という大変なおまけまで付きまして、二重、三重に
公共放送を圧迫いたしまして、これによ
つてこのような権力で、この自由たるべき、私は敢えて申上げますが、
放送というものは、いわゆる
一つの総合芸術であると
考えます。例えば映画が然るがごとく、例えば演劇が然るがごとく、これは技術から、
経営面から、或いは直接プロ
番組にタツチするものももとよりでございますが、そういうものを含めまして、総合芸術であると思いますが、そういう面を、
言論機関としての面、文化
機関としての面を、一切忘却いたしまして、ただ公共性のみに、如何にして公共性を確立し得るかという一点に集中いたしました本
法案は、極めて非民主的な結果に陷入らざるを得なかつたところであろうかと思います。そういう観点からいたしまして、我々はこの多元的な
監督に絶対に
反対いたします。
放送の
監督はシンプルでなければいかぬ。我々は、官僚
統制の排撃ということを昔から言
つております。戰争前から言
つております。先程、第二
放送を私が作つたとおつしやつた方は、これは逓信省から天降りで来まして、我々の上司として来られた方でございまして、そういう官僚の非民主性には我々は骨身にこたえております。そういうふうな官僚
統制的な悪いものを、
放送協会に持ち込まれて来るということは、
放送に働く労働者として堪え得ないところであることをはつきり申上げて置きます。ここにお役人の方が非常に大勢いらつしやる中で、私言うのは心苦しい次第でございます。個人的には非常に能力がある方も、立派な方も多いのであります。私が何故官僚
統制に
反対するかということは、これは
放送協会二十五年の歴史において、
昭和二十年に戰争が終るまで、その圧力を受けて苦しんだ体験から来るものであります。而も戰争中には、内閣情報局と逓信省の二重
監督によりまして、その間に挟まれて、我々は石に挾まれた手を拔きもならず、さしもならず、
国民にただ迷惑をかけるのみであるという現状からいたしまして、この行政
監督の多売化ということは飽くまで
反対すると同時に、今回の
法案におきまして、
経営委員会などというものが設けられてございます。或いは内閣、或いは
国会に権限が委ねられております。肝心の実権をどこでお握りになるか、どこが
放送行政をおやりになるかと申しますと、端的に、これは
電波監理委員会がおやりになることは
法案に明確でございます。
電波監理委員会は、而も公務員もなり得るものでございます。これは公務員が非適格ではございません。我々は過去の歴史から
考えまして、明らかにこういう
法案の建前から行きますれば、恐らくは技術
関係、
電波技術
関係の高級官僚諸君が、
電波監理委員会にお入りになる、その手によ
つて一司の
放送行政をおやりになる。但しこれは私は特に申上げたいのですが、官僚の特性といたしまして、最後の決定権はいつでもお取りにならぬ。これは官僚がなぜいかぬかという最大の
一つは、犠牲を絶対に負わぬ。如何なる場合にでも官僚諸君は綺麗に逃げるのであります。責任を回避されたり、又責任を取り得る
立場にないことは事実でございます。いつでも官僚諸君は犠牲を取らず、外に被せております。そういうものが、この
電波監理委員会に進出いたしまして、專門的な権力をお握りにな
つて、
放送協会並びに一般
放送を御
監督になるという、絶対
日本の
放送の進歩にはならぬ。むしろ逆行する結果になるところから、私は
電波監理委員に参公務員がなることは止めて頂いて、これは欠格として頂きたいと存じます。更にこれから具体的に個々の條文について申したいと思いますが、
経営委員会というものを我々の
経営者として我々は迎えるわけでございます。これは労働者として、当然この間にも敵対
関係が生ずるわけでございますけれども、そういうけちなことは一切措きまして、やはり
日本に
一つしかない
放送協会でございます。
日本に
一つしかない
NHKを、責任を持
つて監督し、行うのに、あらゆる分野から賢明なる、或いは良識ある、或いは理性に富んだ賢明な方であ
つても、
NHKは未だに戰闘帽を被
つておるというような興行をなされる方の
経営は、我々ははつきり拒否いたします。責任のある、良識のある人に我々は
経営委員にな
つて貰う。殊にこれが問題になるのは、八地区から選ばれるということでございます。
放送協会の
経営者を
地区別に選ぶということは、これは重大なやはり
影響力があろうかと思います。北海道から九州に至るまで、
放送局の
電波の割当を完全に公平に行いまして、
放送行政を行うには、各地区の
利害関係というものは当然一致できるものではございません。これは各地区の利害者、
関係者が入
つて乗るのは当然でございますけれども、その委員の選び方も、最初ははつきり各分野ということが謳ってあるのでございますが、今回の
法案によりますと、法的にその
関係が濁されておる。で我々は
地区別の代表も必要であるが、階層別の代表がより必要である。今日我々
国民の常識といたしまして、やはり
国家は二つによ
つて、資本家階級、労働者階級、三つの分野に分れることは必然でございます。或いは支配階級或いは被支配階級という二つの分野が対立するということは当然でございます。そういう
意味から行きまして、必ず労働者の代表をこの
経営委員会に入れる、或いは農民の代表を入れる一漁民の代表を入れるということ、これは
放送法案になくちやならん点である。單に
地区別に選ぶことになりますれば、必ず地方ボスとか、或いは地方の顔役とかいうものの進出によ
つて、それらの頭で
放送が運営されることになり、重大な結果を招来いたします。婦人、農民、労働者、科学者、芸術家或いは経済学者というような、各分野から代表者が出られることを切望する次第であります。
その次に、
電波監理委員会でございますが、との
電波監理委員会は、当然
電波というものは、
放送行政のみでなく、全般的にある以上は、行われることは当然でございます。併しながら、これは飽くまで技術
関係の分野に止めるべきであるという私は確信を持
つております。
電波監理委員会というものは、飽くまで
電波関係或いは技術
関係り專門家によ
つて構成されるものである。これは知識があるとか、良識があるとか言
つても、演劇に関する知識のあるものが
電波監理委員会に入
つて行
つて、何らの役に立つものでない、やはり
電波監理委員会には、技術
関係の知識のあるものを以て構成をして、公平に
電波行政を行うべきであろうかと思います。そういたしますならば、この
電波技術
関係の技術
関係監督官に一般
放送行政を
監督させるということは、非常に大きな負担でございます。併し又そこに非常に大きな危険があるということを私は指摘したい。先程もこれは高級
電波官僚の占めるところになるうということを申しましたが、そういう議論ばかりでなく、若しそういう人達が、善意である悪意であると私は問いません。善意、悪意ということは措きまして、とにかく
一つの技術家という建前から一般
放送文化を取扱うことになりますと、非常に大きな過誤があるのではないかと思いますので、一切の
放送行政は
経営委員会に任す、この
経営委員会というものは、法的
関係が非常にまずくなるのでございますならば曾ての
放送委員会制度に戻して、そうして
放送へ一般
放送並びに
NHKを
監督して頂きたい。
従つて法案の第三十七條から第四十條に至る
事項は削除をお願いしだいと思う次第であります。
それから更に
国会が、この最後の決定権を握るということでございますが、ここで私ははつきり申上げたいのは、
国会は立法の府であります。
国会の本旨とするところは、飽くまで立法の府であ
つて、些々たる行政の分野にみずからお立入りになるべきではないと私は
考える問題でございます。殊に問題となりますのは、
国会は何とい
つてむ、デモクラシーの
原則に従いまして、これはすべての討議を多数決によ
つて処理して行くところであります。ところが
放送、
言論機関である
放送は、その多数決に至るまでの
国民の一人一人の、隅から隅までの或いはそれぞれの
立場からの完全な
少数者と雖も、その声を全国に伝えて、共に討議の糧となるべきものを提供するところであります。その討議の糧と
なつたものから議論が発達いたしまして、
法案が成文化され、
国会にかけられるならば、これはやはり多数決でや
つて行かれるのは結構でございます。多数党横暴というようなことは、
言論を抑えれば横暴でございますが、議決を多数を以てや
つて行くのは当然でございます。デモクラシーの
原則でございます。そのデモクラシーの
原則を持つ
国会が、そういう
言論機関に入ることによ
つて必ずしも明朗な結果を生じない。却
つて妙な錯覚を少数党或いは特殊な
意見の持主に與えて、
国会が
言論を左右するという錯覚を持たせる虞れもあると思いますので、
国会は大きな
立場からこの
放送行政を眺めて、この
国会においては、次の
国会において立法の手段をと
つて頂きたい。そうして次から次と悪いものを修正したらいい。初めから
国会が行政的に乗り出し、承認権をお取りになるということはそこに大きな危険があるのではないかということを申上げたいと思います。
更に、
国会で受信料を三十五円と設定しておる点でございますが、現在の
国会で値段をお決めにな
つておるものは何かと申しますと、鉄道運賃がございます。郵便の値段がございます。或いは煙草とか、專売
事業がございますが、肝心の我々の生活に最も密接な
関係にあるお米の方は一切お構いなし。これは勝手にどこかでお決めになるでしよう。物価庁あたりで……(笑声)或いはいろいろ
委員会なんかもおありのようでございますが、そういうところをちつとも構いにならないで、この
法案で三十五円ということを
規定してしまうということは、私はどうも行き過ぎではないかと思う次第でございます。今日インフレは收まつたと申しましても、
政府はデイス・インフレと申しますし、野党ではデフレと申しております。そういう
意見がいろいろ出るということは、取も直さず経済界が安定しておらない、経済は変動しつつあるということを物語るもりであります。そういうときに三十五円ということを法文上に謳うということは非常にまずいのではないかと思いますので、この点削除を要求いたします。従いまして前の
国会関係から引続きまして第三十七條、第三十八條、第四十條、第四十七條第二項はいずれも削除して頂きたいと希望する次第でございます。
その次に、更に
放送協会の
監督に屋上屋を架せられるものとして
会計検査院を指摘いたしました。この
会計検査院というものは、飽くまでも
国家の財産或いは
国家の支出を規正し、
監督し、規律するものでございます。
従つて何によ
つて会計検査を行うかと申しますと、これは明らかに
国家の定めた会計法によ
つて会計検査院は会計を
監督して行ものである。然るに
NHKはもとより
国家の財産ではございません。K耳Kは飽くまで私は民間のものだ。これは
国民のものだということは伊藤さんも先程強調された通りであ
つて、この
観念を飽くまで打立てて、無論
国民の代表である
国会から任命されたるところの
会計検査院なり何なりではございますが、そういう
観念から切り離して自由な
立場から
放送をやらす、その会計は経理を公開させることにより、或いは
電波監理委員会なり、
経営委員会なり、十分なる監査機構を確立することによ
つて、その目的を達成上得るのではないかと思います。私は
放送協会に十何年おりますけれども、
放送協会のあの
仕事は機動性に富み、或いは迅速性が何よりも要求されるのであります。先程大宅氏は、ジヤーナリズムから一週間遅れると申されました。何故かと申しますと、
組織が大きいだけに、会計でもいろいろ面倒だから、
会計検査院、官庁の中でも保守的な最もやかましい
監督官庁の
監督を受けることになります。例えば古橋が泳ぎに行つたところで、直ぐそれに対してアナウンサーを出して全
国民にその活躍振りを
放送させるということを組みましても、予算手続その他の点で、或いは課長のはんこがないとか、或いは部長がどうしたというような煩鎖な些末な手続のために、
放送機関、文化
機関、
言論機関としての根本的な狙いを失うことになります。そういうようなことは止めて頂いて、そう人を疑わないで、
経営委員会或いは
電波監理委員会なりで、そういう密接な
関係を持
つている箇所において行われることを希望するものであります。
更に、先程一般業者の方から、受信機の修理を
放送協会がやるのは非常に怪しからん。
放送協会の奴は技術もまずく修理もできない。併しながら我々の生活を脅威するという御
意見がございましたが、
放送協会が技術が出鱈目であるならば民間業者の生活は脅威されません。
放送協会の方が技術が優秀であり、一般
国民にサービスをすれば民間業者は確かに困るでございましよう。私はこういう所で、
商業放送もそうでございますが、如何に綺麗なことを言
つても誰も信用しません。人間の
行動を規制するには、その経済的な裏付がなければ絶対にできないということを私は知
つているのであります。如何に
民間放送会社の
方々がどういうような理想を持たれましても、或いは一般の受信機修理業者が如何なる理想を拜たれても、やはり女房子を抱えて竈の火を焚いておられるならば、自分の経済を離れて生活をするという無理なことはできません。一般修理業者は山間僻地にもお出でになるということでございますけれども、山間僻地にお入りになれば、お入りに
なつただけのコストを計算して引合うような料金を一般
国民から要求されることは必然であります。そうでなければ餓死される。そういうことはできない。ただ
NHKのような公共
事業体であるものは、そういうものを
聽取料の收入によりましてカバーいたします。一般
国民、殊に山間僻地の、広島中央
放送局はよく船を出しまして、瀬戸内海の辺海の小島々々の、受信機を持
つて僅かそれのみを頼りにして文化の灯としている
国民諸君に対してサービスする
ラジオ巡回船を出しているが、ああいうことは民間業者では望む方が無理であ
つて絶対にできません。やるにはやるに
相当するだけのコストを計算して、高い料金をお取りにになるということは決定的である。併しながら私は
NHKの人間として率直に申上げます。当然
NHKは民間業者の生活を危機に追込むようなことをなすべきではございません。我々も十分承知しております。そういうことは全然なすべきではない。併しながらそれはやはり
NHK自体の観察、
考え方によ
つて決定して行くものであ
つて、
法律的に
規定さるべきものではないと
考えますので、この第九條第五項の受信機の修理
業務を
放送協会がなすときは一
電波監理委員会の認可を求めなければならないという点は当然削除して頂きたい。その点は
放送協会の職員の良識を信じて頂きたいと思う次第でございます。この受信事務については、例えば国立病院等も問題になると思います。一般民間の開業医等もこれは当然国立病院の脅威を受けることにもなろうかと思いますが、受信機の修理
業務者に対しては一部会にあるところの
放送協会の受信機
業務を
放送協会みずからの手によ
つて逐次引締めつつあるのは事実でありまして、これを
法律的に規制されることは飽くまで
反対であります。
それから時間がございませんので、申したいことは沢山ございますが省略いたします。
訂正放送でございますが、第四條でございますが、先程委員各位から申されましたが、あの点は特に重大な点でございます。去年の六月から八月に至るまでの社会不安が醸成されたときの状態をお
考えにな
つて頂けばよく分ると思いますが、ああいうこともございますので、これは是非とも
訂正して頂きたい。それから先程小林参議輪議員から御質問がございましたが、協会の
放送の
広告でございます。この点は
法律上私はどうしても明確にして頂きたいと希望する次第であります。これは我々曾てアルマイトと言うことが
広告である、味の素と言うことが
広告である。松屋の前で人殺しと言うことが
広告であるというようなことで、
監督官庁から非常に惱まされた経験がございます。この点
法律で非常に明確にして頂きたいと思います。
最後に時間が過ぎましたが、伊藤
公述人も三十何分か余計におやりになりましたので、私も少し時間をお分け願いたいと思いますが、(笑声)最後に私は
民間放送に対して、私労働者として言申したいと思います。
民間放送ができるということは、我々労働組合の決議といたしまして
原則的に
反対でないという決議を取
つております。併しながら
原則的に
反対でないということは、
NHKの波長をどんどん割いてやらせるということではございません。れは
民間放送というものは、私も先程申上げましたが、飽くまで
広告收入によ
つて営利を目的としているものでございます心
広告收入によ
つて成立
つている会社でございます。従いましてその狙うところは、完全に利潤の追求ということがやはり
一つの目的でございます。この点
新聞と全く違ういう点を御承知願いたいと思います。
新聞は自由であるから
放送も自由でたければならん、そうできれば結構でございます。我々といたしましても、ちつぽけな労働組合でございますが、
新聞を持
つております。全国でそういう
新聞を入れましたならば、二万や三五ではきかないでございましよう。そういうことが許されるのでございましたならば、当然
日本の
放送は
民間放送にいたして全面的に開放されて然るべきものと
考えます。併しながら現実にはそういうことができない。
商業放送と申しましても、
民間放送と申しましても、許さるべきものは非常に制限されたものであろうと思います。特殊の資本家だけに、或る特殊の
経営の団体だけに
電波を割当てるということは、他のそれを希望する人々にと
つて非常に不公平なことになるわけでございます。
電波は発射されたが最後、空間的に無限に延びて参ります。又それを一瞬でも聞き逃したならば聞けなくなる時間的な制限がございます。
従つて新聞に比較いたしますならば、
放送という紙面は
一つしかないのでございます。
一つしかない紙面を或いは
政治面に、或いは経済面に、或いは社会面にそれぞれ割振
つて、或いは私の方では北は稚内から鹿兒島までございます。百何ケ所の
電波がございます、それぞれの地方版に入
つて一つの紙面が完全なものになるのでございます。これを自由に分割して行
つて、
民間放送にこれを自由にお許しになれば、必ずや
民間放送というものは、東京、大阪、名古屋、或いは福岡、北九州という利潤の上るところ、
経営の成り立つところでしか
放送はなし得ないと思います。飛騨の高山であるとか、釜石であるとか、帶広、釧路、最近できた網走、そういうところはやはり東京、大阪のヒンターランドからの
聽取料收入を、北海道や九州や四国に分けて、全
国民に揃
つて均霑し得るような
放送を行うのが
NHKの
使命でございます。そういうところから
一つの
電波を割いて民間業者に與えるべきであるという
意見には私は真向から
反対いたします。それはどつかの我々の個人的な
利害関係からではなく、どこかの地域の或る
一つの
電波を奪い去
つて資本家に與えて、その利潤の追求の手段とさしておる工とに外ならないからでございます。但し
原則的には
賛成いたします。これが
日本のような貧乏国では、先程吉田さんが成り立つとか、成り立たないとかおつしや
つておりましたけれども、絶対に成り立ちませんと私は確信を持
つております。併しながらこの
日本の経済状態を、やがては発展する見込がないとも言えない、我々のごとき哀れなるサラリーマンが、飛行機は無理といたしましても、自動車を買うような状態にならんとも限らん。アメリカでは三人に一台自動車を持
つているが、ああいうような経済状態になれば、無論
民間放送も大いに盛んで立派なものができましようが、現在のような
日本において、又この
放送というものは技術が日進月歩でございます。毎日々々技術が進歩しておる。
従つてあと幾つかより多数の、或いは窮極においては無限大の
放送が可能である。
民間放送を希望するのであれば、即時に許可されるという態勢に
なつたら、大いに民間油送結構であります。我々も
民間放送の
一つくらいやりたいものと
考えておりますけれども、そういう状態に現在はない。
従つて現在は
NHKの
電波を割いて、これを
民間放送に当てるがごとき議論には絶対に
反対いたします。これは殷鑑遠からずでございます。
日本は敗戰国である。アメリカの占領下で、アメリカ、アメリカ、猫も杓子もアメリカである。あの世界の九〇%の富を集めているアメリカのみを御覧にな
つておるから、そういう議論が出るのでございますけれども、イギリスのあのデモクラシーの発祥地であるイギリスのBBCというものは独占
放送でございます。自由を求めることにおいてあれだけ熱心な国であるフランスでも独占である。イタリアもそうであります。スカンジナビアでもそうでございますが、鉄のカーテンの中では無論これは
政府の
統制下でございますが、そういう点がございますので、この点は我々は飽くまで承認できない点でございまして、
日本としては当然BBCの範を倣うべきではないか。ただ将来に備えて法文にそういうことをお書きになるのは、これには
反対をいたしません。
それから最後に私の言わして頂きたいことは、
放送の二分割論でございます。
NHKを第一
放送、第二
放送に分けるという議論はこれはやはり真向うから
反対いたします。東西の交通文北が
日本程入り乱れて複雑な形をしておるところはございません。文化の
程度が
日本程幅の広いとろはございません刀そういうところで同じような態勢の二つの
放送局ができてもそれは無理でありましよう。東海道線を上りと下りと別の会社で
経営いたしますれば、車掌の言葉遣いや、水洗便所の水の出ぐらいはよくなりましよう。併しながら根本的に料金を大巾に引上げなければ、そういうことは成立ちません。競争々々と良識ある人間が鶏の何かのように喧嘩しなければ発達しないという
考え方は、極めて素朴な愚劣な、むしろ滑稽な議論であると断ぜざるを得ない次第でございます。大分長くなりましたが、まだまだ申上げたいことは一時間も、二時間もございますけれども、最後にここで我々
放送労働者といたしまして、
日本の
放送そのものが盛んになるように、
放送文化が振興するように参議院の諸公におかれまして
放送法案を修正して頂きたいと思います。我々の希望しておるところは
日本の文化の向上であり、民主々義の前進であります。そのためには、我々が今まで述べたようなことは当然
規定さるべきものであると信じます。どうも有難うございました。