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1950-02-01 第7回国会 参議院 電気通信委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聽会 ―――――――――――――――― 昭和二十五年二月一日(水曜日)    午前十時二十四分開会   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件放送法案内閣送付)   ―――――――――――――
  2. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 只今から放送法案に対する公聽会を開きます。  この際委員諸君にお諮りいたします。公述人津田正夫君より病気のため同協会編集部長江尻進君を代理として出席せしめたい旨の申出がございましたが、事情止むを得ないと思いますので参議院規則第七十一條により代理出席を特に許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 大島定吉

    委員長大島定吉君) それではさよう取計らいいたします。  今度政府より放送電波、及び電波監理委員会設置の三法案が提出されましたので、同電気通信委員会におきましては目下これを審議中であります。この事柄は一般的に関心を有する重要案件でありますので、国会法規則に基きまして真に利害関係を有する方々及び学識経験のある方から御意見を拜聽いたしまして、審議の一助にいたしたいという趣旨でこの会を開きました次第であります。公述人方々におかれましは、御多用のところお出を願いまして誠に恐縮に存じます。日時の関係で十分な連絡ができませず議事万端不行届の点もございますので何卒惡しからず御了承を願いたいと思います。  只今から御意見を伺いたいと思いますが、御発言の順序は大体私共の方で勘案いたしまして決めましたから御了承を願いたいと思います。御意見賛成、不賛成を明らかにして、且つその理由を述べて頂きたいと存じます。又賛成の方でもこの案で大体よろしいがこのうちこれこれが反対であるとか、或いは一部修正の御意見がありましたならば、その点もはつきりとお聽かせを願えれば結構と存じます。又反対の方はこの案には反対でありこうすべきだというような案をお持ちでしたらそれをお聽かせ願えれば大変結構に存じます。尚本日は放送法案につきまして御意見を承ることになつておるのでございますが、電波法案及び電波監理委員会設置法案のうち、放送法案に関連しておりまする部分につきましては言及されても結構でございますが、御発言の時間はお一人二十分以内にお願いしたいと思います。  それから委員諸君に申上げますが、公述人方々に対する御質問は午前中の分は午前中の公述人が終わつて後で、又午後の分は午後の公述人終つて後一括して願いたいと考えております。  それではこれより御意見の発表を願います。御発言の際は御氏名と職業をお述べ願いたいと存じます。小宮豊隆君。
  4. 小宮豊隆

    公述人小宮豊隆君) 私は先頃まで音楽学校の校長をしておりましたが辞めまして今は何にもいたしておりませんけれども、この放送法案について賛否の意見を述べろというお話でございましたが、大体私は賛成いたしておるのでございますけれども、中身にはいろいろ意見がありますので、それについてちよつと申上げたいと思います。  私の意見は二つに分れておりまして、これからできる筈の放送協会関係のことと、それからもう一つ民間放送、ここには広告放送と出ておりますが、以下広告放送の方から先ず申上げたいと思います。この放送法案民間放送若しくはここに挙げられておる広告放送に対しては大変に継子扱いをしておるように私には感ぜられるのでありまして、その点をもう少し新規事業の芽を枯らさないようにもつと温い手を以て新規事業を育て上げるようにすることを考えたらどうだろう、又そう考うべきではないかと私は考えるのであります。これまで放送協会で独占されていた事業に対して新らしく事業ができて、そして民間放送として出発しようとする場合に、新らしい事業ネツト・ワークを全然持つていない。何かをしようとしてもネツト・ワークを利用することができないとすれば、自力で以て新らしい途を切開いて行かなければならない。これには大変な労力も必要でありましようし、財力も必要である。而もこの広告放送の建前からいうと聽取料を取れない。聽取料が取れなければ結局広告料というふうなところから財源を仰ごうということにしなければならないだろうと思うのでありますがその広告放送による広告効能というものがネツト・ワークがなければあまり効能がない、従つて広告の方もあまり広告料がとれないという虞れが相当ありにしないかといそれにも拘わらず尚広告財源としようとする場合には相当無理な広告、或いは好ましくない広告というふうなものが沢山出て来てそうして金はとれるけれども広告は如何わしい広告である。極端に言いますと今日のエロ小説カストリ小説みたいな何らかの意味でそういうふうの虞れのある広告というものが出て来る虞れがありはしないかと思うのであります。これに対する勿論取締或いは注意みたいなものをこの委員会みたいなものがあつてそうして監督束縛束縛というよりも正しい軌道に乗せるように注意することもあるだろうと思うのでありますが、併しそういうふうなことでもつてその民間放送財源を仰ごうとするとこれは殆んど事業として成立たないのではないかと思うのであります。併しこの民間放送というのは單にそれは広告放送という名前で願い出る途より以外にありませんし、又広告放送でもつて経済的の基礎を得なければならないでありましようが、この広告放送の将来ということを考えると、例えば新聞社においてはニユース放送をすることができるとか、つまり新聞事業としてのニユース放送などというものも新聞社の方からの通信網みたいなものが沢山ありますので、そちらでもつて相当いいニユースが得られるでありましようし、又必要なニユースが得られるに違いないので、現在放送局でやつておるようなニース放送よりももつと意義のある、又もつと値打のある放送新聞社の方の広告放送からは得られるのではないかと思います効又或いは宗教放送とか或いは学校放送殊大学通信教授の面ではこの時間放送の力を持つて相当盛んにすることができるのではないかと考える。例えばこれは勿論大学通信教授はその課目によって全然通信教授の不可能な学課もありますし、例えば音楽通信教授などいうふうなことは通信教授としては最も適当なもののように思われるのでありますし、或いは外の文科の講義なんというものも相当程度通信教授で間に合わせることができる。そういう方面仕事つまり今まで開拓されていない方面のいろいろな仕事可能性として考えられる以上は、もう少しこの広告放送を單に広告放送としてのみ取扱わずに、広告放送から出発して相当広大な開拓すべき領域があるように思われるので、それに対して仕事のやりいいような又仕事として引合うような処置を考えてやつた方がいいのじやないか。勿論その方法は例えば新聞社の方からの意見に出ております広告税免税とか、或いは所得税をどうとかするとかいうような意味でのそういう便宜を図るというのがいいか悪いか。或いは現在の放送局の第二放送を半分けてどうするとか、第二放送を全部こつちに寄越すとかいうようなそういう面で便宜を図るのがいいか悪いか。そういうことは私にはちよつと判断ができないのでありますけれども、又それは相当技術的な方面での専門家意見があつて私には何とも判断がつきかねるのでありますけれども、全体の基本方針としてもう少しこの広告放送というもの、従つて民間放送というものに芽をふき易い、或いは成長し易いようなそういう制度考えてやつて頂きたい。その点で私は広告放送に対するこの法案は少し片手落法案のように感じます。その点に先ず私の不満を申上げて置きたいと思うのであります。  それからもう一つ放送協会、新らしくできる放送協会に関することでございまするが、これは放送協会をいわば指導運営するものとして経営委員会というものができる。それでこの経営委員会というものができてこれが放送協会事業の全般をいわば経営して行くわけなんでありますが、この経営委員会がいろいろな方面から束縛を受けるような恰好になつておる。例えば別に電波監理委員会があつて、それを監督するとか、或いは国会があつてそれを監督するとか、或いは大蔵省だの会計検査院なぞといふうなものがあつて、いろいろな方面から束縛を受ける感じがあるのであります。これは運営上相当柔軟性があるのかも知れないと思うのでありまして、一に問題は運営の如何にかかるのかと思うのでありますけれども、どうもこの経営委員会というふうなものが、自主性を持つてそうして仕事をすることができないような慮れがこの制度では相当あるように思います。若しそういうふうなことだつたら却つて仕事としては大変に仕事がやりにくい虞れがあるように思うのであります。だからできればこの経営委員会というものもあつてもよろしいのでありますが、その経営委員会監督する、或いは経営委員会指導する、構成するというふうな仕事をするのが電波監理委員会だけであつて、そうしその電波監理委員会というものは、国会からも或いは大蔵省からも殆んど全権を委任されるような形になつて国会だの或いは大蔵省会計検査院なんというふうなものは、その電波監理委員会というものを信頼してほんの名前だけの監督をするというくらいな程度に、この電波監理委員会というものを強力なものにして、そうしてこれ心主権を委任するというのがいいのじやないかというふうに私は考えるのであります。而もこの経営委員会というもりが地区別で以て一人ずつ任命されて、そうして無報酬でこの仕事を引受けるというふうなことになつておる。これは大変に公平でいいように見えるのでありますけれども、併しそれで理想的な経営形態が得られるかどうかということに多少疑問があるのです。又この経営委員会の会員、つまり委員会の、例えば一人は北海道から来る一人は九州から来るというふうなことで非常に遠方なところから会議に列席するような場合には、この委員会十分顏を揃えて、そうして相当度数始終会議をし、又は会議をしなければならない重要な問題も相当ありそうに思うのでありますが、そういう場合に初めのも、しまいには面倒くさくて行かないというふうなことが相当ありはしないかや又そういうふうにしないために報酬を出して、そうして相当腰を入れてこの仕事に従事するというふうな組織にして置かなければ、又そういう報酬を與えて、そうして腰を据えてするというふうなことにしても、とかく遠方にいる人は来られないような事情が相当出で来て、そうしてこの経営委員会会議というものが十分にその力を発揮することができないではないか。それに対してそれじやどうすればいいかというふうなことになると、これはいろいろ問題があつて私にはどうするがいいというふうなことは名案は浮ばないのでありますけれども、その点を考慮して頂いて、もう少し何とかこの経営委員会がますます強力に仕事をして行くことができるような組織にして頂さたいように思うのであります。  それからもう一つはこの真実であるかないかというふうな、この放送番組編集の自由という三ページの第四條のところに、放送事業者真実でない事項放送をした場合にどうするというふうなことが出ておりますのですが、この真実でない放送をした場合にそれをどうするかという問題は、これは大変な大問題のように思うのでありますが、これは放送局の方から案が出ておりまして、放送局自身でその訂正をするというようなことだつたように思うのでありますが、それはまだそれの方か私はベターなやり方じやないかと考えるが、それよりも何よりももつと重大なことは、それが仮に真実でない事項放送したとして、それが真実でないという、或いは真実であつたかなかつたかという弁別する、この問題が必ず後にごたごたした問題が出て来るに違いないと思うのでありますが、これを弁別する機関はどこにあるか。これは相当重大な問題で、例えばこれも又経営委員会の方でやるとか、或いは電波委員会の方でやるとか、或いは特別な専門委員会を設けるというふうにいろいろ方法はあると思うのでありますけれども、何らかの点でその真実であるかないかの弁別をする機関というふうふうなものを一応考えて置いて、その上で真実でなかつたら取消すとか、或いは真実だつたらどうだというふうなことを、態度を決定する必要がありはしないか。  それから又外にラジオ聽取料放送協会からの何では月額三十五円にするとか何とかいうふうなことで出ておりますが、これも今そういうふうに決めて、そうして金の値打が変つたときにどうするかというふうな問題もあるのでありますし、まだ外にこまこました問題ではいろいろ申上げたいこともありますが、大体私の考えはそういう点にありますので、これで私の意見を終ることにいたします。
  5. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 次に江尻君にお願いいたします。
  6. 江尻進

    公述人江尻進君) 私は日本新聞協会編集部長江尻進であります。本日は言論界を代表する立場から、放送法案に関する御意見を申述べたいと存じます。  私の所属しております新聞協会加盟者の中には放送会社の出願をしておるものが多数ありますが、その一方におきましてこれとやや対立的関係にあるNHKも又新聞協会に所属しておる次第でございます。従つて加盟者の中にはこの法案に対して現実に重大な利害関係を感ずるものが多々あるわけでありますが、私は本日はこうし光個々加盟者利害関係、或いは主張などには一切捉われず、言論に関する基礎的な問題といたしまして原則論について若干意見を述べて見たいと存じます。  憲法第二十一條に保障されております表現の自由の重要な対象になるものは、いわゆるプレスでありますが、このプレスという観念の中には旧来の新聞雑誌の外に近年におきましてはラジオ、映画なども含まれるようになつております。従つて新聞ラジオとは共通の観念で律せられる点が相当に多く、相互に緊密な関連かございまして影響を及ぼすものでございますから、この、ラジオを律する放送法案に対しては新聞人としても重大な関心があるところでございます。  次に本法案に対する根本的態度を申述べますと、本法案によりましてNHKだけによる放送独占形態が打破されまして、民間放送会社に対して広く門戸が開かれることになつたことは非常に喜ばしいことと考える次第であります。NHKが多年に亘つて努力され、研究され、日本放送文化を今日の状態まで発展させられました功績は非常に大きいものでございますが、今日新聞と並びまして、又更に新聞以上の影響力を持たんとしておるところの放送一つ機関で独占するということは、民主主義の健全な発展を促がす上に好ましくないものと考える次第であります。民主政治においては申すまでもないことでございますが、政治の原動力なるものは民衆の考え方でございます。この考え方を決定する材料を與えるものがプレスでございますから、プレスにはいろいろな考えを多角的に代表するものが多数並立しておるということが好ましいわけであります。今仮に全国の新聞一つだけになつたといたしますれば誰でも驚いて反対するでありましようが、ラジオにおいてもその原理は全く同一でございます。如何に不偏不覚を標榜してやつておりましても、一つ放送しかないとなりますれば、経営責任者ニユースやプログラムの選択に当る人の考え方というものは、大体一定しているのでありますから、その放送傾向というものは好むと好まざるとに拘わらず成る一定の枠内に嵌るものでございます。従つて国民思想趣味も定の統制の下に立つ結果になるわけでございます。今この法案によつて国民放送に対する自由選択の途を開き、耳による国民思想趣味に対する影響をより一層広くし自由にすることになつたことは、好ましい傾向考える次第でございます。従つて将来におきましても、ラジオ少数者の支配に陷らぬように十分御注意を願いたいと存ずる次第でございます。併し民間放送原則問題として設立を許されたというだけでは、殆んど意味をなさないわけでございます。只今述べましたように放送内容多様性ということが民主政治の上にも、国民文化の上にも如何に重要であるかということを考えまして、積極的に民間放送が成立つように助長されんことを希望する次第であります。従つて電波の割当や電力の決定などというような問題にいたしましても、單に技術の末に捉われた考え方からでなく、もつと大きな政治的考慮を拂つて決定しなければならないところと考えます。民間放送については、本法案規定は非常に簡單で、実際にはどのように運営されるものか判定がつきませんが、そうした細目がすべて本法案に附属するところの施行細則というようなものに委ねられて、行政機関の手によつて立法趣旨が全く骨抜きにされるようなことがありましては、本法案の効果は大半は失われることになりますから、このようなことがないように、立法府において最大の注意を拂われることを希望する次第でございます。  次にNHKに対する法律上の種々制約及び政府機関監督について述べたいと存じます。NHK公共放送を担当する特殊の使命を與えられておりますが、プレス機関であることにおきましては、商業放送或いは新聞などと同一の性質を持つものでございます。プレスの自由ということは、政府たると一般社会たるとを問わず、外部のどんなものからも強制を受けずして、報道評論する自由でございます。NHK番組の編成に対して非常に細かな規定が作られておりますが、これらは職業的な倫理原則ともいうべきものでございますから、法律規定するよりはむしろラジオ・コードというようなもので、放送事業者が自主的に守るようにすべきものと考える次第でございます。こうした細目法律的に規定している例は世界中にないように見受けられます。何故日本NHKだけがこのような法律的制約を受ける必要があるか、極めて疑問に思われる次第でございます。NHK公共的放送という特殊の使命を與えられているのでございますから、或る程度国家機関監督を受けるということは止むを得ないといたしましても、政府の各機関国会などにより監督指導統制が極めて複雑多岐に且つ嚴重に行われるような組織になつております。NHK自主性独立性もこれでは殆んど残されていないわけでございます。極端に言えばNHK国家機関といつても差支えない程度になつております。昭和二十年九月二十七日付で総司令部から出されております覚書によりますと、政府からプレスを分離すべしということを嚴重指令しております。ところがこの法案におけるNHKに対する政策は、プレス政府機関統制下に置かんとするものであり非民主的傾向であると考えられます。一体政府国会プレス機関監督指導を與えるのが、プレスの自主的な行動に任せるよりも一層公正な運用ができるという根拠は果してどこにあるのでありましようか。これは過去の日本政府及び議会の歴史を回顧して見れば、直ちに結論が出るところだと存ずる次第であります。我々新聞人としては、こうしたものの考え方が当然なこととして通用するようになりますれば、これは民主主義にとつて極めて危險なことだと存ずる次第であります。プレスに対する原則論立場からNHK自主性をもつと確立することが妥当だと考える次第であります。  次に第九條第二項第六号にNHK業務一つといたしまして「ニユース及び情報を他人に提供すること」という規定がございます。これに関しまして去る一月二十七日の衆議院電通委員会におきまして、網島政府委員が説明されているところによりますと、NHK通信社と同じように放送以外の方法ニユースを他に提供できるというふうに御説明になつておりますが、若しこれが事実といたしましたら、先刻述べました昭和二十年九月二十四日付の総司令部覚書の第二項、即ち現存の若しくは今後設立される如何なる通信社に対しても、政府は一切特恵的な取扱をしてはいけないという指令に違反するものと考えます。その理由は、NHK放送債券起債権とか、免税土地收用権、その他種々の特恵的な待遇を、国家より與えられておりますが、こうした特恵を受ける機関通信社を営むことになるからであります。関係者の中にはこの條項ニユース放送意味するものと説明する向もございますが、業務内容として娯楽その他放送内容には規定がなく、特に業務内容一つとしてこの項目を掲げているところから見ますと、ニユース放送意味するものではなくて、通信社類似行動意味することが明らかであります。従つてこの項目は削除されるのが妥当ではないかと考える次第であります。  更に第一章の総則につきましては、プレス原則立場から種々の問題がございますが、時間の関係もありますので、一点だけ特に指摘することに止めます。それは第四條の訂正放送の問題でございます。この條項によりますれば放送真実でないことを放送した場合には、そのことについては本人又は直接の関係者の請求によつて二日以内に訂正放送をしなければならないということになつております。この規定はすでに総司令部指令によつて廃止されました旧新聞紙法第十七條の復活と見られるものでございます。この規定によりますると、放送内容真実であるか、真実でないかを問わず、本人又は直接の関係人真実でないと主張して訂正を要求すれば、放送者は必ず訂正放送をしなければならないという義務を負つているのであります。ところが新聞ニユースについて調査いたして見ますると、米国のミネソタ大学のチヤンレーという教授の調査によつて見ますと、新聞記事の中で内容誤りのあるものは、同教授の調査した記事のうち四六%に上つているという結果になつております。この誤りは大体は重大なものではございませんで、報道の本旨には大した影響のないものが多いのでございます。即ち記事の中の時間だとか、場所だとか、肩書、数字、日附年齢氏名、こういうものの誤りがこれでございますが、こうした些々たる誤りをした場合でも本法にいう、真実でない事項に属する次第でございます。こうした小さな誤り理由にいたしまして放送内容の四割六分を占めます誤報の相手方が、一々訂正を要求するような場合には、或いは場合によつては直接本人弁明放送を許さなければならないということになりますれば、放送は大混乱を来すだけでなく、これが政治的に悪用される虞れも非常に多いことと考える次第であります。本條の規定のような訂正放送義務は、私の調査したところによりますれば世界的に前例がなく、各国共一般名誉毀損に上る損害賠償で救済することになつているようであります。今仮に訂正放送を認めるといたしましても、年齢一つ違つたというような真実でない事項放送本人が特に被害を受けた場合には、これを救済する必要があるわけでございます。従つて真実でない事項放送によつて権利を侵害された場合に証拠を添えて訂正を請求したときにのみ限つて訂正放送を許すべきものではないかと考える次第であります。繰返して申上げますれば、真実でない事項放送によつて権利を侵害された場合に証拠を添えて訂正を請求する、こういう場合に限るべきものと考える次第であります。又損害賠償方法もあるにも拘わらず訂正放送だけを強制する理由はございませんから、被害を受けた本人の自由な選択によつて訂正放送又は損害賠償のいずれかを請求させる方が更に合理的ではないかと考えます。又本人或いは直接の関係者弁明放送原則として不必要だと存じます。イギリスの例によりますると、悪徳な弁護士が過去の何年か古い新聞を引つ繰り返しまして、名誉毀損になりそうな事件記事の中から引つ張り出し、これによつて新聞社を次から次へと訴えて賠償を取り、その誤報記事の当事者と利益分配をすることを業としておるような悪徳弁護士の例がございましたが、こうした悪用を予防するためにも請求できる期間を一ケ月とか二ケ月というような短期に限定して置くことが好ましいと存ずる次第であります。  最後に本法案に関連しまして一月二十七日の衆議院電通委員会小澤電通大臣の述べられた見解について意見を述べたいと思います。小澤大臣の御説明は次の通りであります。即ち「新聞紙に対して制限を加えぬことにした以上、放送に対しても制約を加えないでいいのではないかとの御議論がありますが、むしろ私は或る範囲内においてやはり国民全般の利益のために新聞紙法というようなものがあることが望ましいのではないかというふうに考えております。将来新聞紙法というものができることを期待し、又できるのではないかと思います」こういうふうに御説明されております。これは本法案新聞紙法の前提となるという考え方かと思われますが、これは新聞にとつては極めて重大な問題でございます。総司令部から新聞の自由に関する指令は終戦後多々出ておりますが、昭和二十年九月二十七日付覚書の第六項によりますと、如何なる政府機関といえども、今後は新聞取締規則を発布してはならない。又直接たると間接たるとを問わず、圧迫を加えてその者の意思に反する編集方針を強制することは許されないと指令されております。過去において新聞に関する法規は常に国民全体の利益といつた美名の下に作られましたが、これは常に新聞を圧迫するために悪用されております。新聞の自由は民衆の自由の基礎であります。この自由を制約することは民主政治の基礎を危くするものでございます。現代は世界の民主国家においてはかような立法はございません。民衆の知識と識見を向上し、その批判によつてプレスを監視することが最も妥当な方法考える次第でございます。従つて本案におきましても、若し新聞の自由を制限するような立法をこの放送法案に倣つて考えておられるとすれば、指令に反するだけでなく、世界の民主国の新聞の自由に対する通念を侵害し、世界的な注目の的となることは必至でございます。この点本法案とは直接の関連がございませんが、特に議員各位の御認識をお願いしまして私の供述を終ります。
  7. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。次に仁科芳雄君にお願いいたします。
  8. 仁科芳雄

    公述人(仁科芳雄君) 私は科学研究所の所長仁科芳雄でございます。この放送法案に対しましては大体において賛成でございます。これを見ますと、第二章におきまして日本放送協会規定があります。第三章におきまして放送事業者規定があります。この二つの釣合が非常にとれておりません。つまり放送協会の方は非常に細かく規定してありますが、放送事業者の方につきましては余り細かい規定がないようでありますが、これは恐らく放送事業者の方は新らしい事業でありますから、いろいろのことを予想してこの法律を作るということは必ずしも妥当でない、そういう配慮の下に生まれたことであろうと思います。これはむしろ将来の事態に即して規定して行つた方がよいと、こういう配慮は私は妥当なものであると、こう考えます。この放送協会の方の問題につきましては、先ずずつと読みましていろいろな複雑な規定がある。そういう印象を受けるのであります。電波監理委員会があり、経営委員会があり、国会があり、又経費関係の問題については会計検査院の検査を受ける。そういういろいろの複雑な規定があるようであります。ただこの放送協会は、この立法の精神から行きますと、結局これは国民のものである、例えば国有鉄道であるとか、専売公社であるとか、そういうふうなものと同列にこれを取扱うという精神から出ておると思います。そういたしますと論理的に言いまして成る程こういうふうな複雑なことも必要であるのじやないかと考えられます。これは初めてのことでありますから致し方がない、と思いますけれども、その運営におきましては、成るたけこの放送の自由又この運営の自由、そういうことを考慮に置いて、運営せられるということが望ましいと思います。又こういうふうに第二章と第三章と比べて見ますと、ある人はこの放送協会が特にいろいろの問題について国家の保護を受けておる。これに反して民間放送におきましては、そういうことがない、こういう感じを受ける人もあると思います。が、これはやはりこの法の運営によりまして、そういうことは避け得る、そういうふうに方々にこの規定が作られておりまして、すべての法がそうでありますが、運営によりましてそれは避け得る、こういうふうに私は考えております。  それから民間放送の場合でありますが、これは果してこういう事業が現在の日本の経済状態において成立つかどうか、これは私は疑問を持つております。従つてそういう民間放送を許可する場合においては、十分にこの点に注意する必要があると思います。そしてこれをできるだけ助長する、こういうことは必要であります。必要でありますが、余りに国家の補助に依存するという精神を起させる、これはよろしくないと思います。殊にそういうことになりますと、どうしても政府統制ということに服せざるを得ないというような結果になることを恐れる。でありますから助長する必要はある。ありますがそういうふうな統制の力が及ぶというようなことは避けられるような程度において助長する、こういう必要があると思います。いずれにいたしましても、大体のこの法律におきまして、いずれの法律もそうでありますように、運営によりましてこの目的を達することが必要である、こういうふうに考えております。  又放送のプログラムの作成ということにつきましても、これは放送協会の方のみならず、民間放送においてもそうでありますが、余りに文化の水準とか、そういうものとかけ離れますと、これは又放送統制を行うということになるわけでありますが、それかといいまして、余りに卑俗な放送に終る、こういうことも寒心すべきことでありまして、つまりこの放送によつて文化のみならず、すべての方面におきまして国民が向上していく。知らず知らずに向上して行く、そういうふうなプログラムの作成を当事者はして行かれるように望みたいと思います。第一にこの四十四條に「文化水準の向上に寄與するように、最大の努力を拂わなければならない」、その意味が、統制でなくて、そういうふうに努力が拂われて行くということを私は希望するものであります。私の話は簡単でございますが、これを以て終ることにいたします。
  9. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。次に古垣鉄郎君にお願いいたします。
  10. 古垣鉄郎

    公述人(古垣鉄郎君) 私日本放送協会会長をやつております古垣鉄郎であります。本日我々放送事業に携わつておりますものにとりまして、それが至大な関係を有するものでありますだけに、この公聴会に意見を述べさして頂きましたことを深くお礼申上げます。又第三国会に提出されましてより今日まで、議員の皆様にはお多忙の中を再度に亘り地方放送協会の御視察を行われまして、公共放送のあり方について深い御関心を寄せられ、又私達の事業に御認識を頂きましたことにつきましても、この機会に改めてお礼申上げます。  新らしい放送法案の眼目は、第一には、全国民の要望を充たすような番組放送する任務を持ちます国民的な公共的な放送企業体を置きまして、他方放送の自由の原則を高揚いたしまして、商業形態の企業をお許しになつて、我が国の放送文化の発展を期するというお考えのように拝察いたしまして私はこの法案原則的に賛意を表する者でございます。放送の公共性、放送の自由というこの二つの性格は、ラジオ放送を営む上の二大原則でありましてこの原則の上に立つ法案でございますので、私は心より御同意を表する者であります。  又放送のごとき文化財を取扱う上におきましては、お互いに協力し合い競争し合つて事業の発達向上に努めたいと念願いたす者であります。私共は放送番組の面、技術の面、更には業務運営の面で、企業者相互間の協力と正しい競争を盛んならしめることは、その結果が国民の福祉を増進することに貢献することとなるものと信じまして、全幅の賛意を表したいと存じます。それが国民全体の利益を増進することであり少くともそれが国民大衆の利益、利便を害なわない限り、公共企業体と雖も他の商業企業体の発展向上に協力を惜しむものではございません。かくして両々相俟つて日米の放送文化の向上を期し、そのことによつて国民全体の福祉に貢献しなければならないと考えるからでございます。  私共はこの見地から、具体的にこの協力の方法につきましても検討を進めたいと考えております。併しながら私共は、国民の中の一部分の人々の利益を考える前に、国民全体としての利益を考えなければならないのであります。公共の利益を優先せしめるという天下の公則は、新憲法にも明らかにされたところでありましてこの法案を貫く精神でもあろうと解します。我々は二兎を追つて一兎をも得ないという愚を厳に戒めたいと考える者であります。  今回の新らしい放送政策を実現するために、この電波関係法案を立案されました当局は、自由企業としてのアメリカの放送形態、それからイギリスの單一放送形態並びにカナダ、オーストラリアの公共放送に配するに商業放送を以てする形態を参照され、なかんずく放送の基本形態としては主としてカナダ、オーストラリアの例に倣われたものと考えられます。カナダ、オーストラリアの場合におきましては、公共放送商業放送とは明らかにその目的、使命又は地位若しくは業務範囲を異にした立場で存立、併存せられておる姿を見るのであります。外国の立法例は、如何に優秀な制度、形態でありましても、日本の特殊な地理的條件、経済の現状、文化の水準、放送事業の発展過程、並びに割当周波数と受信機の普及事情を無視いたしましては、日本制度形態としては余りに参考とはならないのではないかと存じます。この点につきましては当局が十二分の認識を以て立案に当つておられることを敬服しておる次第であります。併し最近一部からNHK批判の有益な意見を頂いておりますことを感謝いたしますと共に、他方NHKに対して不当な非難を浴せる種々言論が行われておりますことは、甚だ遺憾に存じております。NHKといたしましては、巷間に若干誤り伝えられておりますような、殊更に電波の独占を企図して商業放送の誕生を妨害しようというがごときことは毛頭考えておらないのであります。ただ日本という特殊の地理的條件の下に発達しました放送事業が、限られた我が国への電波の割当範囲で、而も国民の経済的負担に相応した簡易低廉な受信機の普及しております実情の下におきましては、如何にすれば混信なしに、而も国民に犠牲と過度の負担を與えないで放送が行われるかという観点に立つて電波関係法案を研究し、国民立場に立つての検討に注目しておる次第でございます。従いまして、商業放送を行うために混信による聴取者の迷惑も止むを得ないのではないかという議論は甚だ遺憾とするものでございます。放送電波を使用する事業であります以上、混信を前提とするがごとき、如何なる期待も、設備も、計画も、国の政策としては成り立ち得ないと考えるものであります。  又NHKの第二放送網拡充の五ケ年計画も昭和二十三年に計画され、目下進行の途中にありますが、この進行中途の第二放送の価値を指摘しまして、その効用が今のところ十分でないから、これを分割して他の事業体の運営に委ねようという御意見史又商業放送局の所在地にはNHK公共放送事業体の第二放送を中止させた方がよいというような御意見もあるようでありますが、NHK公共放送は地域的に見まして全国を対象とする全中プロがあり、数県をブロツクとする管中プロがございます。又一県、一地方を単位とするローカルプロがあるのであります。  それから又聴取者の階層一年齢、職業、教育程度というような区別に基く特殊の対象別につきましても、それに当てはまるような放道、教養、娯楽の番組のためには、第一放送だけを提供いたしましては、国民聴取者に選択の自由を與えることができなくなるばかりでなく、到底番組は第一放送だけでは編成し切れないのでありましてこのために第二放送網の完成を急いでおり、この完成を待つて第一放送と第二放送による表裏一体の公共放送網を国民大衆に提供して、一国民の要望に応えようとしておるのであります。番組の上で第二放送を必要とする理由を少しく細かく御説明いたしたいと思いますが、日本の特殊性として国民の持つ文化財、殊にあらゆる娯楽の面における多種多様性を挙げることができます。NHK公共放送として特に放送法案の中にも謳われております通り、常に最善の内容を持つ演劇、演芸、音楽番組を提共しなければならんということになりますと、NHK公共放送としましては、国民の半分以上が愛好しておるところの浪花節、歌謡曲の他に、例えば少数ではあるが特に教養度の高い人々のために例えば交響楽の番組を提共しなければならないのであります。聴取者の生活時間調査に基きまして、特に聴取率の高い夜間におきまして、この二つの目的を同時に果さなければならんという現象が先ず公共放送に最低二本組みを要求されることとなります。  次にアメリカのような同格の商業放送が競争してそれに従事することを許される場合、FCCはその許可條件としていずれも一定限度の公共放送義務を負わせております。併し日本のごとくNHKには公共放送としての責務を負せ、商業放送にはでき得る限りの自由闊達な放送を許し自由に放任するという場合に、勿論これが商業放送としてはでき得る限りの教養、教育面の地味で而も必要な、そうして儲からない放送電波を割くということは控えることになります。又当局としてもかかる商業放送にその義務を一方的に押し付けるわけには行かないと思います。かかる考え方からしてNHKは少数にして而も真摯に教養を求める国民の要望に応えるところの教養教育番組を十分に組まなければならぬ責任があると思います。而もこれは大多数の国民大参衆の犠牲を前提としてはなさるべきではないと思います。従つて又これが第二放送というものの存在を不可欠にする理由であります。然るに現実にNHKは終戦後苦しい国民生活を明るく楽しくするために努力し、それが又効果を挙げて参つております。併し今や恒久平和への建設期に入りつつある日本の現状に鑑み、NHKは特に今年以後大いに教養、啓蒙、教育の面に力を盡したいと考えており、具体的な例といたしましては、一月以降三月まで第二放送で農業研究の番組を組んでおりますが、この放送が全国農民に非常に歓迎されているという報告は受けております。併したとえ全国農民にこの農事研究の番組が歓迎されているからといつて、かかる種類の放送が一応農業に何の関係もない半数以上の国民大衆の犠牲においてなされるということはこれ又できないのであります。これは当然第二放送で行なわれなければならないのであり、NHKとしては今後ますますこの種の放送を充実して行く必要があると考えます。第一と第二の放送網を別の企業体にやらせたらいいじやないかという議論がありますが、これは頗るナンセンスなことは、違つた意思によつて如何にして前述のような睨み合せ、第一と第二の睨み合せで表裏一体ということが可能になるでありましようか。又現実に一本しか持たなかつた場合、誰がこの特種な要望に副う地味な仕事を喜んで担当するでありましようか。一本しか持たない場合大多数の聽取者から歓迎される番組に力を注いで、折角法案に謳われた高度の慰安、娯楽というようなものを提供することができなくなるということは当然なことであり、丁度今度の放送法案に似た形の法律を持つカナダの放送形体が具体的な実例ではないかと考えております。即ちカナダの公共放送は一本の放送によつて始められ、現在これでは公共放送使命を果し得ないという現実に尻を叩かれまして、第二放送を持つようになつたのでありますし、又イギリスのBBCのごときは更に第三放送を行なつて非常に国民大衆に歓迎されているのであります。即ち第二放送網の完成こそ公共放送の最小限度の需用を充たすものであるということを特に私は強調して申上げたいのでございます。  次に放送法案の基本的な事項につきまして、かねてよりNHKが主張して参りました点を申述べまして、皆様の御理解ある御考慮を煩わしたいと希望いたします。その第一は日本放送協会自主性の確立についてであります。この法案では日本放送協会の重要な問題を国民的基盤で審議させる方式として経営委員が任命されていることでございます。即ち地域的な、而も各階暦が十分考慮されて選ばれた候補が国会の承認を得て任命されますことは、事業の性質上、又全国民に至大な影響を持つ公共放送といたしましては、十分その運営の自主公正と民主的なことが考えられたことと思われるのであります。併しこの協会の経営の最高機関であります経営委員会は、法案によりますと、その決定は何一つとして最終的なものではなく、その議決事項はいずれも政府機関国会の原語や認可その他を経なければならないことになつておるのでありまして、経営委員が国民大衆の代表として公共放送の運営に参加しております目的は何であるかに戸惑う次第であります。経営委員会は最高機関として、公共のために方針を最終的に決定することが、公共放送の在り方として適当であろうと存ぜられます。  次には公共放送に対する監督行政の一元化についてであります。先程来の御意見もこの点について述べられまして、至極御同感でありますが、この法案によりますと、監督行政の主管の官庁は一応電波監理委員会でございますが、更にこの他に国会、内閣、大蔵省会計検査院にも認可や承認や検査を受けなければならないことが多数あるようになつております。これではそれぞれの機関が、それぞれ独自の立場監督に当られたり、更には一つ事項につきましても二つも三つもの複雑な監督を受けます場合などは、協会がその間に立つて困難いたしますばかりでなく、協会業務が停滞させられることも予想され、延いては放送事業の健全な運営が阻害される虞れも出て参るのであります。特に機動性を持ち、機敏に仕事を進めてこそ初めて放送のような動きの烈しいものの使命を果せるのでありますから、監督機関の複雑さはどう一元化されまして、すつきりとした形にして頂きたいと希望いたします。  尚協会の予算、事業計画、料金の決定の手続についてでありますが、公共放送国民生活に至大の影響を持ち、その事業計画や予算が国民の経済に繋がつておりますだけに、国民の代表であられる国会の批判の対象となりますことは当然であると考えるのでございます。併しながら財政的にこれを国家予算と同一の高さで国会に御審議を願いますことにしてありますが、このことはやや複雑に過ぎるのではないかと思われます。ものを言わして頂きますれば、聽取料金はガス、水道、電気と同じ主務官庁が認可されて、事業計画や、収支予算は経営委員会がこれを決定し、更にはこれらの事業の実績を国会に報告して御批判を頂くというのが放送事業の機動性にも合い、且つ監督の在り方としてもバランスを得た適宜な形ではないかと存じます。放送のごときものの公共性は監督の厳重さで維持するということよりも、経営委員への信頼と国民の直接の批判の声、又は国会の御批判を仰ぎますことこそ文化機関としての公共性の実質的な因となり得るものではないかと考えるのであります。これは更に会計検査院による会計検査にも関連するのでありますが、協会は経営委員会の任命いたす官吏によつて監査されることとなつております。元来が国庫の収支を検査する会計検査院によりますところの検査は、協会を官庁とみなし、協会の経費を国費としている精神かとも存ぜられますが、これでは公共放送とは官庁の行う放送であるという誤解にも取れますし、真に公共放送を打ち立てようとする意図にもそぐはないものになるのではないかということを惧れるのであります。  尚細部に亘りますが、そうして先程江尻さんの御主張もございました第四條の訂正放送の点は、全然江尻さんと御同感でありまして、この点について十分の御再考をお願いしたいと存じます。  その他小さな点二三まだございますけれども、時間が参りましたので、それらはさまざまの資料に基きまして、印刷物等を以てお手許に差上げるようにいたしたいと存じまして、これで私の公述を終ります。
  11. 大島定吉

    委員長。(大島定吉君) 有難うございました。次は吉田秀雄君にお願いいたします。
  12. 吉田秀雄

    公述人(吉田秀雄君) 私は日本電報通信社の社長で、現在東京放送会社の創立準備委員長であります吉田秀雄であります。今回の法案の最も大きな関心を呼んでおります点の民間放送の出願について、一二意見を申します。  放送法案の全体について見ますならば、立法の趣旨そのものは賛成であります。但し法案内容日本放送協会規定する條項が多過ぎはしないか。従つて民間放送への規定が少な過ぎはしないか。つまり民間放送に対してこの法案をやや冷淡ではないかとこう考えます。更に放送協会に関する規定についてでありますが、私自身の意見もそうでありますが、民間放送の出願者は全体の考え方からいたしまして、この法案放送協会の保護法案的な要素が多過ぎはしないかとこう考えます。例えて言いますならば、土地収用法、先程仁科先生でありましたか、お話がありました。それから受信料の法定徴収、つまり聴取者市場というものをNHKに独占させ、更に三十億の放送債の起債というような條項、即ち放送協会の保護法規が多過ぎはしないかと、こう考えます。尤もその中で受信料の法定徴収つまり聽取者市場の独占ということはこの種の事業にありましてはこれは止むを得ぬことでありまして、有形物を授受するというような取引形態でない場合には或る特定のものにこれを徴収させるということはこれは止むを得ぬと思いますが、その恩典といいますか、聴取者市場はNHKに独占さすということになりますれば、その他の土地収用法とか放送債の起債というがごとき保護條項は私は必要がないのじやないかとこう考えます。ただこれが今までのように日本放送事業というものが放送協会一本であります場合にはそのような條項があつても差支えありませんが、法案の第一條にありまする放送による表現の自由、つまり放送協会以外の民間人にも電波の使用を許すということになりますならば、従来の放送協会つまりその中の特定のものだけにさような大きな保護法規を設ける必要はなかろうと、又設けることは第一條にある放送による表現の自由という面に圧迫を加えはしないかとこう考えます。そこで個々の條項につきましての意見は、先程来小宮先生、江尻君その他からお話がありました。最初申上げました民間放送についてこの法案はやや冷淡ではないかという点について出願者の一人として申述べます。  先程仁科先生でありましたが、大体商業放送というものが日本の現在の経済情勢から言つて成立つかどうかということが問題ではないか。と言いますのは、放送による表現の自由というからには、NHK以外に民間放送が成立つということを前提にしなければならん。成立たないものを仮定して放送の自由ということになりますといこれはややNHKを保護するためにさような言葉を設けたとこういう嫌いがありますので、一番大事なことは民間放送が、商業放送が成立つかどうかということが恐らく今日御列席の各委員或いは傍聴者各位にとつて最も重大な関心事ではなかろうかと思います。私出願者の一人としまして、又広告会社の責任者としまして、今回の民間放送広告收入だけで賄つて行かるべき事業であるといろ建前から、広告専門業者としてこれを見ますならば、成立つとも言えますし、成立たぬとも言える。成立つという論拠は民間放送が許可されまして、東京、大阪、名古屋各地に放送を開始するわけでありますが、民間放送広告収入だけで賄うということは、民間放送が製造放出する電波は全都これを利用しようとする者に売るということでおりますが、最も大きい需要者は勿論一般経済界つまり一般事業家、もう少し具体的に言いますならば、いわゆる広告主であると思うのであります。その広告主が現在日本におきまして月額どの位の広告料というものを使つておるか、大体これは八億と我々の数字ではふんでおります。その中でどれだけのものが放送に、つまり電波を買うために使われるか、或いは広告放送に使われるか、日本にはその例はありませんが、アメリカの例で行きますと、大体一割二、三分つまり一億前後とこう考えられます。勿論アメリカは公共放送というものがなくて、全部が民間放送、而も長い間広告放送の経験なりテクニツク技術を体得して来て、今日全広告料の大体一割二、三分を広告放送に使つておるというのでありますが、仮りに同じ率を日本広告生が使うとしまして、さつき申上げた数字から言つて月に一億、東京、大阪、名古屋その他の地区の仮りに十キロのパワーを持つた民間放送会社が月一体どのくらいの経費が要るか、大体我々の推算では一千五百万円としますと、この会社が一応経営上つうつうに行くためには一千五百万円の広告収入を必要とする。つまり月産一千五百万円の電波製造をしなければならない。逆に言いますならば、一千五百万円だけの放送をしなければならない。こういうことになりますが、電波料金を一分間大体千円と現在我々は予定しておりますが、千円としまして一千五百万円の収入を挙げるためには毎日九時間も放送しなければならない。つまり九時間の電波時間を広告主に買つて貰わなければならない。そうしますと大体広告主が提供します芸能の時間を十五分単位で考えまして、毎日九時間電波時間を広告主に買つて貰うためには、十五分単位としまして、月に千二百単位、つまり一つ広告主が月一回ラジオ広告する。十五分単位でそれをしますと、千二百の広告主を必要とするのであります。十五分の負担金は一分間大体千円としますと、十五分で一万五千円、それに芸能料が今のNHKは可なり安いようでありますが、(笑声)必然的に放送協会を含めて二会社以上の競争になりますから、大体ステージ料金も同じとしまして一万五千円、一軒の、広告主の負担すべき料金が芸能料を含めて一回三万円、月一回ずつ広告主が放送するとして広告主の数が千二百なければならんということになります。恐らくこれはその意味ではできない。但し現在日本には月百万円以上の宣伝費を使つております広告主が百以上あります。従つてそれらの広告主が毎週一回ずつこれを使つて呉れますと、大体その広告主の負担が月十二万円、広告主の数は四分の一ですから三百であります。この三百というのはちよつと不可能だ。どうしても月に八回、つまり二十四万円負担してくれる広告主を百五十持つということでなければならない。これもややむずかしかろう。こういうふうに見ておりますが、併しながら従来の広告主以外に例えば新聞社或いは保険会社、証券会社等もこの民間放送の時間を買いまして、例えば朝日新聞の時間としてその時間に朝日のニユース放送する。或は山一証券の時間としてその時間に山一が時事解説をやるとか、経済解説をやるとか、継続利用する大企業者があることを前提として大体千五百万円の広告収入が挙るであろう、こう我々は目算をふんだわけでありますが、そこでできると申しますのは今言つた考え方、できないというのは現在の法案内容から見ますと、一体幾つ許すか、民間放送を一地区幾つ許すかということは規定してありません。その資格のあるものは幾つでも許すと、勿論その中には電波日本が現在使用し得る中波の余つておる波長、或いはこれを割当てる上での技術の問題がありまして、そう余計にはできない、地区によりましては十二、三ではなかろうか、こういうことでありますが、仮りにこれが十二、三のものを東京に三つとか四つとか、大阪に二つ、三つとかいうことになつて来ますと、その僅かなさつき申しました全体の日本における全広告料の一割、つまり一億のものを各放送会社が分けておる次第でございますから、十できたとしますと平均して一千万円、これでは民間放送は立つて行かない、分取主義ならよいのでありますが、今まで日本で全然経営上の経験もなければ、又広告放送広告放送と言いましても、その技術についての経験というものも持たないで始めようというのに、最初から民間放送業者間に猛烈な競争、つまりコストを割つての競争が必ず出て参りますが、これをやつたならばいずれも潰れてしまう、成り立たない、それが成り立つというのは、取り敢えず各地区に一民間放送会社という建前であるならば成り立つが、そうでなかつたならば恐らく現在においては成り立たん、こう申上げるわけであります。併し一地区に一民間放送ということが果してこの第一條の精神から言つてできるのであるかどうか、こう思うのでありますが、できないとしますならば、つまり民間放送が成り立たんということになりますならば、第一條趣旨も或いは空文に終る。成り立たすためには暫定的に一地区一放送会社ということにして、これに十分日本において初めての民間放送経営なり、或いは広告放送の技術の経験を積ますということが必要ではなかろうか。何らかそういうことがこの法案の中にあつて然るべきではなかろうか、こう考えるわけであります。先程古垣さんからもお話がありましたが、放送の競争が物事の進歩を促すというお言葉がありましたが、NHKという厖大な強力な組織、機構を持つたものを相手にしまして、民間の而も無経験の、又市場を全然別にしたつまり広告市場というものを、日本においては可なり未熟な貧弱な市場をその基盤としてやらねばならない民間放送が果してNHKと競争できるかどうか、恐らくこれは不可能だと申上げて差支ない。まして況んやNHKを向うに廻わしながら広告市場というものの中で同業者が相競争し合うならば、むしろこれは最初から、さようなものを作らんにしくはなしというふうな状態になるのではなかろうか。経営面におきましては、NHKは先程申上げたように、聽取者暦の独占という最も有利な條件を持つており、民間放送は貧弱な広告市場の分取りという誠にみじめな経営基盤しか持ち得ない。プログラムの面におきましては、一般聴取者はNHK放送であろうが、或いは民間放送であろうが、面白い有益な放送を聴く。つまりプログラム面ではNHKと一騎打ちの競争をしなければならない。経営面においては、先程言つたように全然段違いな差があるということになりますと、民間放送をお許しになると言いながら、果して許してもできるという前提に立つてお許しになるのか。許してもできないから許して置けというお考えでこの中にお入れになたのか。これについてもう少し明確な規定をお願いしたい、こう考えるわけであります。いろいろ申上げたいことはありますが、ただ先程古垣さんからお話がありましたNHK経営委員会の問題でありますが、これは各地区別に有識経験者、而もそれを経済界、文化界、科学界から選ぶということになつておりますが、果してそういう器用なことができるかどうかということと。それからNHK経営にとつて最も重要である経営委員会というものの委員の報酬が無報酬だということ、これで真劔にNHK経営をその委員の方々にお考え願えるかどうか、又貴重な時間を割いてNHK経営に参加して頂けるかどうか、どういう御精神で無報酬にされたか、その点についても私は疑問があります。  又先程古垣さんからお話がありましたが、聴取料金を国会で決める、これも随分おかしな話で、これは電波監理委員会でお決めになつてよいのではないか、こういうふうに考えております。  個々の條文についても意見はありますが、要は民間放送についてもう少しこれは育てなければならん、育てて行くためには考慮しなければならんというような規定があて然るべきではないか、具体的には時間もありませんので申上げませんが、一般論として申上げた次第であります。
  13. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 時間の関係で午前の公述はこの程度に止めたいと存じます。  この際只今までに公述された方々に対しまして、委員の方から御質問がありましたならば、御質疑を願いたいと思います。
  14. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 ちよつと公述された方方のどなたでも結構ですが、第四十六條でNHK広告放送を禁止されておりますが、どの程度広告放送と見られ、どの程度の限度をお考えになつておるか、例えば経済放送とか演芸放送広告放送の中に或る部分は入る部分があるのじやないか、そういう点をお聞かせ願えれば結構であります。
  15. 古垣鉄郎

    公述人(古垣鉄郎君) これは今御指摘の通りでありまして、この條項はどうも広告放送の定義として、こういうことはしてはいけないというようなことは、放送番組を組む上に非常に窮屈で当を得ていないように考えるのです。もつと社会的通念それから習慣というようなものによつて考えられなくちやならない。ですからこの点についても書き方を御再考願いたいというふうに考えます。
  16. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 吉田さんにちよつとお伺いしたいのですが、さつきNHKの聽取者層の独占とおしつやつたように聞いたのでありますが、どういう意味で聴取者層の独占になるのか。
  17. 吉田秀雄

    公述人(吉田秀雄君) 聴取者層の独占ということは、聴取料はNHK以外は取れないということですね。つまり需要者から言いますれば、需要者に名前を附ければこれを聴取者層といいますか、民間放送は聴取料は取れない。これは取り得てもでき得ないと思います。相手の選択が明確でないから、その意味でこれは聴取者層の独占、民間放送広告市場でのみ経営の基盤を立てて行く、こう考えております。
  18. 千葉信

    ○千葉信君 古垣さんにお伺いしますが、只今の小林君の質問の御答弁に関連するところの問題でございますが、もと具体的に申上げて、今あなたのお話ではプログラムの作成上から言つても非常に窮屈であるが、大体が社会通念という考え方の中に立て行くというお話でありましたが、もう一歩具体的に進んで、例えば従来職業野球の放送がございましたが、これは今後広告という問題がこう前面に出て参りますと、放送によつて受益するような立場に置かれる職業野球というような場合の問題については、これをどういうふうにお考えになつておるか。これは広告という考え方の中に入つて考えになるか。その点を一つもつと具体的にお願いします。
  19. 古垣鉄郎

    公述人(古垣鉄郎君) お答えいたします。ここでこの広告放送の禁止というのは、広告料を貰つて放送する。非常に狭く端的に言うと考えられます。従いまして、職業野球の放送でありましても、或いは相撲の放送でありましても、それが国民大衆、殊に聴取者が聴きたいという観点に立つて放送をする場合に、この問題は起らないと考えます。
  20. 千葉信

    ○千葉信君 この條文の解釈から行けば、簡單にその結論が出ますけれども、若し仮に将来そういう放送によつて受益する者の立場から行て考えると、これは当然広告料を拂つてもよろしい、それでも放送して貰いたいというような要望が、こういう立場の人々から若し出た場合に、それに対する広告考え方というものが、広告に対する概念というものが非常に変つて来るのじやないか。こういうことを私共考えております。その点についてお伺いいたします。
  21. 古垣鉄郎

    公述人(古垣鉄郎君) 非常に御尤もに思いますけれども、公共放送をいたしますものの立場は、聽取者の希望するもの、又は聽取者の必要とするものを提供する、そういう我々は義務があり責任がある。又聽取者は聽取料を拂つておりますから、自分達の希望する放送NHKから聽く権利を持つておる。そういう立場で私共は考えております。従いまして、この規定でも広告料を取つてはならないということ、NHKは禁止されておりますから、NHKに取つては今のお話は起らないと考えます。
  22. 新谷寅三郎

    ○新谷寅三郎君 仁科先生にお伺いしたいのですが、放送法案の三十四條に関連する問題でありますが、仁科先生の御公述は、先程大体政策方面からの御公述が多かつたのでありますが、主としてこの技術方面からの問題につきまして一つだけお伺いしたいと思います。  三十四條によりますと、放送の進歩発達を図るために、国庫が費用を出しましてNHKに対して研究命令をする。こういうことが書いてあるのであります。もとよりNHK政府機関に類するような公共的性格を持つておりますので、NHKの研究機関を十二分に活用するということはもとより必要であろうと思いますけれども、送信設備につきましても、或いは受信機の改善につきましても、NHKの研究機関だけでは足りない部分が沢山あると思うのであります。受信機にいたしましても、或いは真空管の問題一つを捉えましても、これは広く一般の民間工場等における研究機関相当従来経費を出して研究を続けておるということもあるのであります。従いまして、現在の放送だけを見ましても、この規定だけでは不備でないか。もう少し日本放送に関するあらゆる技術を動員して、この際に送信設備も受信機も改善をいたしまして、民衆の利益になるようにしなければならんということは、一応考えられるわけであります。のみならず仁科先生非常に御研究しておられると聞いておるのでありますが、我我としましては、ここ三年或いは五年の将来を考えまして、今度の放送法案にははつきり入つておりませんけれども、将来やはりテレビジヨンの方に放送というものは移行とて行かなければならないと考えておるのでありまして、又その希望も非常に強いのであります。テレビジヨンの問題を考えますときには、これは日本の現状では殆んど非常に低い程度のことしかどこでもやつておらない。これを三年乃至五年の間に一般に実用化される程度までに持つて行きますためには、單にNHKの研究機関だけでは十分でないことは勿論であります。これらのことを考えまして、日本の無線通信に関する技術研究、これを総合し、急速にそれを高めて行くというためにはどういう政策をとつたらいいか。この点について仁科先生から御意見を伺えたら非常に結構だと思います。
  23. 仁科芳雄

    公述人(仁科芳雄君) お答えを申上げます。この研究の面におきましては御趣旨の通りと思います。ただこの規定電波監理委員会規定でなくて放送協会に関する規定でありますから、従つて電波監理委員会が行うその研究に関する問題についてはこういうふうに規定したのだろうと思います。若し電波監理委員会の設置規定の方にそういうふうな、例えばすべての民間研究所、官庁研究所に対して研究を命ずることができるという條項がありますれば、そうすれば御註文の通りのことになり得ると、そういうふうな條項がこの電波監理委員会の設置法案の方に挿入されることが望ましいと思うのであります。いずれにいたしましても、現在例えば文部省であるとか、通産省におきまして、そういうふうな民間のみならず官庁の研究所に対して研究を委託するということは現在行われておるのであります。ただ遺憾なことはその費用が非常に僅かでありますために、その目的を達するに至つていないというような事情でございますが、尚、若し必要とありますれば、この放送協会の方の規定におきまして、放送協会が民間に対して、民間の研究所、若しくはこれは逆に官庁の研究所でも構いませんが、これに対してこの研究を委託することができると、こういうかうな條項がありますれば、尚その目的を達し得られるのぢやないか。と申しますのは、この放送協会なるものは、これは国民のものでありますから、そうしてこれが経済的に相当に豊かであれば、その目的は達し得られると思います。若し必要とあれば、そういう條項をこの放送協会の方の章に入れるということも案ではないかと思います。いづれにいたしましても、御趣旨の通りこの一つの研究を完成いたしますにつきましては、従来のようにただ一つの研究所だけにこれを行わせるとか、或いは僅かな人数の研究者に行わせまして目的を達するという場合は段々と少くなつております。多くの人を動員しまして、一見全然関係のないように思われる研究者をも動員して目的を達するということは今日の通念となつておりますから、そういうことが望ましいと存じます。
  24. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 外に御質問がなければ休憩したいと思います。それではこれにて午後一持まで休憩いたします。    午後零時十一分休憩    ―――――・―――――    午後一時六分開会
  25. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 午前に引続き開会いたします。  伊藤豊君にお願いいたします。
  26. 伊藤豊

    公述人(伊藤豊君) 国民放送協会の伊藤豊であります。身分は会社員。この問題につきましては、ここに名前を貼つてある深水さんが委員長であつた通信委員会において、私は意見を徴せられましてお答えをしたことがあります。その時に、こういう一体羊頭狗肉の法案を何故に急いで出さなければならないのか。そうしてこういうものができても何ら国民にプラスするものでない、マイナスするものであるということを結論として申上げました。そうしてその理由を詳しく申上げ、且つその後書面にして差出しましたから、委員の方々はよく御存じのことだと思います。そこでその問題を今繰返すことは省略いたしますが、その結果は、今日まで一年半を経過しておるのでありまするが、一歩も内容が進化しておらない、発展しておらないのであります。何故に一体あの委員会に私達をお召しになつて意見を徴せられたのか、私は合点が行かないのであります。今日こういう機会を再び與えられたことに対しまして、御関係方々に深甚な謝意を表しますが、併しこの前のように、ただ一週間聞き流して置いたという程度で扱わずに、どうぞ国民の声というものが、議員というような形においてのみ発表されるのでなくて、私のような野人を通しても、又国民の声があることをよく御認識下さいまして、私の今日の公述が無駄にならないように、一つ御配慮願いたいと思うのであります。  その当時私が話しましたことは、法案国民の声を基礎としておらないというために、すべてのものが、第一條に掲げた目的を達することができないようにでき上つておる、これが私が最初に申しました羊頭狗肉ということであります。こういうような基礎になる観念が確立しておらないために、如何にこの法案をいじつて意味がない、それがこの五年間この法案を揉みに揉み抜いて内容が少しも進歩しない、而も末節の規定はもう実に目まぐるしく変化しておる、これが一貫した信念の下にこの法律ができておらない一つ証拠であります。変らないただ一つの問題は何であるかというと、NHKを徹底的に保護するというこの点だけであります。これはいわゆる国民の声に耳を掩うて、そうして国民の要望と相反する方向へ持つて行こうというやり方でありますから、私達民間人は、これを称して官僚フアッシヨだと言うのであります。何故に私がさようなことを申上げるかということを、これからもう一度前の形式によらずに話してみたいと思います。  こういう法律を作るのは、国民に利益と……この前の法案の文句を使えば、利益と利便と必要、これはアメリカの文句をそのまま翻訳されておるのでありますが、それにミートするものでなければならない、それをサテイスフアイするものでなければならないのであります。ところが、先程申しましたように、この法案は第一歩を誤つておるために、その目的を達することができないのであります。それは何であるかというと、この日本の国には日本の国の放送の発達して来た径路がある。それを無視してはならんのでありますから、徒らに外国のやり方を形式的に模倣してみても、日本の国の国利民福は少しも増進しないのであります。その第一は何であるかというと、放送が誰のものであるかということに対してしつかりした観念が確立されておらない。先程午前中の方々は、これは国民のものであるというようなことをよく言われまするけれども、直ぐその下からして、その国民のものであるということを忘れるような議論が飛び出す。古垣会長が帰られましたから遺憾と思つておるのでありますが、僕は大いに反撃してやろうと思つておつたところもあつたのであります。これは皆その思想を忘れて、この独占が久しく二十五年にも亘つたために、知らず識らずの間にその余弊が骨の髄まで喰入つてしまつた。そのために議論が、ともするとそれを正しいとしての議論が多いのであります。何故国民のものであるかということをしつかりしなければならんが、又国民のものであるということを申上げるかというと、私はこういうように考えるのであります。第一に、日本の国の放送というものは創始以来、国民が全部の費用を賄つて来た。一厘でも政府の費用によつて賄われたものではない。又放送協会という名において一つ組織はありますけれども、放送協会が一厘もこのために使つたものではない。すべて国民がこの費用を賄つて来ておる。そうして今日においては、一年に実に百数十億という巨額を負担しておるのであります。この点から言つても、全的にこれは国民のものであります。そうして又第二には、この八百万という聴取者、世界の人を驚かすような数字になつたということは何であるかというと、国民が自分のものであるということを強く認識しておるが故に、これに協力を惜しまなかつた結果なのであります。それからもう一つは、放送協会の人達、私も放送協会であつたのでありますが、その創立の初めから、口を開けばこれは国民のものである、我々は国民のものを代理に管理しておるのであるということを言つて来ました。先の古垣さんも、しばしばそれを言うたでありますからして、これも又国民のものであることを認めておるのであります。然らば政府は如何といえば、政府はこれも又認めておるのでありまして、それはこの法案が幾度も変化しましたが、その法案の二十三年一月二十三日附法案の草案があるのであります。それの第三十八條の末項に、こういうことが書いてある。「協会がその業務を執行するに当つては、協会の財産がもと国民全部に属し、国民の委託を受けてその事業の管理に当つておるものであることをよく銘記しておかなければならない。」非常に進歩的條項があつたのです。これがいつかなくなつてしまつたのでありますが、この点において政府も又これを認めておるのでありますからして、国民が認め、経営者たるところの協会が認め、そうしてそれを監督しておつた政府が認めておるのだからして、一点これは国民のむのであるということは間違いないのであります。然らば国民が要求することを聞いて立案するのは当然のことでありまするし、又それに反した行き方をする今の法案は、明らかに民主思想に反撃しておるところのアナクロニズムも甚だしい法案だと言つて差支えないのであります。この意味において先ず反対をするわけであります。  次に世論は何を要求しておるかといいますと、御承知の通り、私はくどくど申しませんが、独占放送の弊を認めで、これを否定しておるのであります。それは決して人に教えられたのでもなければ、他から強要されたものでもありません。二十五年の久しきに互つてみずから体験した、その貴重な体験を通してこの独占放送を否定するのであります。その証拠は幾らでもあります。時間さえ與えられるならば、幾らでも私は証拠を提出して、決して私の独断的な意見を申上げておるのでない、空理空論を言つておるのでない、観念論を述べておるのでないということを証明することができるのでありまするが、今は差控えて置きます。そうして国民はそれでは更にどういうことをこの独占放送の代りに求めるかといえば、それは競争放送である。競争は、先程も話がありましたが、進歩の源泉である。これは人間の本能でありますからして、競争の状態に置かれればひとりでにいろいろなことが進歩発達するのは、これは当り前のことである。誰も疑うところがないのであります。ところが今以て、先程話がありましたように、放送協会のあの大を以て、見ることもできないような小さな民間放送と競争ができるというような甚だしい間違つた観念が起るのであります。そういうものは、国民が絶対反対するところの議論であります。又事実上できるものではない。競争というものは、同じ條件に置かれたときに最大の競争意識、競争能率が上るのでありまして、片方がべらぼうに大きいのに片方は見るにも足らんようなみじめな條件の下に、競争というものに起りよう筈がない。こんな馬鹿げた議論をするところに、放送協会事業が一般民間人からして否定される理由があるのであります。だから競争放送をやるには、どうしても同じような大きさと同じような力を持つたものでなければならんし、形式的においても、内容においてもそうでなければならん、それならば、いろいろな法律上の保護の條件も等しくなければならんと思います。ところが今度の法案は、放送協会にのみ過度の保護を與えて、そうして、先程意見がありましたように、民間放送を実に白眼現しておる。何のために一体この法律を急いで民間放送を開くのであるか訳が分らない。先程も議論がありましたように、むしろ放送協会は大きくなり、民間放送は自滅せよというような立案なのでありますからして、これに対して賛成することができる筈がありません。絶対に不賛成であります。然らばどういう方法によるかといえば、私はこれは古垣さんはナンセンスと言つたんでありますが、その点大いに僕は反撃しようと思つたのですが、国民日本の今のような状態においては、経済の点から言つても、周波数の割当の点から言つても、又今日八百万という聴取者を得た最大の理由は、先程話がありましたように、実に安価な受信機を使い得た、という日本独得の事情があるのであります。その事情を無視することはできませんから、どうしても現在の国民のものであるところの放送協会の資産を適当に二分して、これをいろいろ條件があるのでありますが、ここでは適当という言葉を使いますが、適当に二分して、そうして競争をやつたらいいのではないか。又やつて呉れというのが国民の声なのであります。これも又決して私の独断ではありません。証拠を以て御覧を願うことができるのであります。ただここに問題になるのは、然らばこの国民の声を真直ぐに、国家を預つておる政府といたしまして、又その政府から提案された案を審議する国会として、鵜呑みしていいか悪いかという問題が残るのであります。ところがこれは正に日本の国の状態に適した唯一無二とも言うべき方法でありまして、これ以外どんな方法を探るといたしましても、国民の負担は増加するのでありますが、これによつてのみ国民の負担を増加せずして、而も国民の要望するところの競争放送を開始することができるのであります。今から二、三年前、確しか二十三年だと思いますが、二十三年の八月でありましたか、政府放送事業法案要綱というものを作りました。これは御承知の通り全面的に放送協会の独占放送を理論付けて、これに中波放送をやらせ民間放送を締め出そうという案でありました。併しこれは強く反対がありまして、到頭政府はその世論の前に兜を脱いだのであります。そのときに政府が言つた、大臣の言明があるのでありますが、民間放送を許可することができない理由が二つあるのだ。それは経済的事情と技術的事情である。その技術的事情というのは周波数割当問題であります。こういう二つの問題があるからして許されないのだと、こういうことである。私達はそれを率直に受取りました。正に日本の国がこういう状態である以上、国民の負担の増すようなやり方はいけない。正に経済事情からしてこれはやるべきことでないし、又周波数もかくのごとくゆつたりと使わせて、そうして今日のごとく加入者が発達をしたのは、正にこの安い受信機を使うことができたのだから、それだからして、成る程その通りであるからして、これ以上局数を殖やすということはどの途いけない。政府の言うことは全く正しいのであると、こういうふうに私はとりました。そうしてその議論からしても、前の国民の要望するところNHKの分割によるところの競争放送の実現ということが、全く日本の国情に適した、そうしてこれ以上の方法のない良案だと私は信じて今日までそれを主張して来ておるのであります。かように考えてみますというと、一つもこの案に反対する理由はないのであります。ただ併しNHK側からささやかな反対の声がある。先程も古垣氏が言つておりましたが、我が公共放送に競争ということはあり得ない、これは実にナンセンスも極まれりと思うのです。国民公共放送を望んでいるのではない。形式を望んでいるのではない。二つの競争体にするということは、これによつて日本ラジオのサーヴイスがよりよくなることを望んでいるのであります。でありますからして、この公共放送というものは、競争を許すことができないような不都合な公共放送の形態であるならば、これはやめて貰いたい。そうして競争のできるものにしなければならん。但し私一人の意見としましては、決してこの放送というものは営利に使うものではない。先程盛んに広告の話が出ましたが、広告、それは一定の限度があるのでありまして、公共の福祉の増進に適さないようなものであつてはならんということを主張するのであります。でありますからして單にこの民間放送を許したといつても、それがそういうような目的に反するものは絶対に許してはならんという説を持つておるのであります。それは今度の法文からはなくなりましたが、そのちよつと前に出た法文のうちに明らかに書いてあるのであります。それは放送協会は公共の福祉のために云々という言葉がある。民間放送、これは一般放送という字句を使つておりますが、一般放送は公共の福祉増進のために、こう書いてある。片方は増進という字がないのです。片方は増進という字がある。ここに一体どれだけの差があるか。実にこれを、一方は公共放送であり、一方は商業放送と言つておりますが、商業放送である、如何にも一方は営利を目的とした放送であるかのごとき言葉を使われるのでありますが、これも甚だ聞違つたお考えだと思う。すべてが国民放送であるということを口には唱えるが、ややもすればそれは自分の放送であるというようなお考えに陷られた結果、即ち独善の弊が骨身に染みておるからこういうことになるのだろうと思います。この点からいつても、公共放送であるが故に、性質が公共放送であるが故に競争を許さんということは意味がない。若しそういうものであつたら即刻直すべきである。アメリカのこの話を聞きますと、公共という言葉はパブリツク・コーポレーシヨンという字だそうでありますが、このパブリツク・コーポレーシヨンの内容については、実にいろいろな説があり、又これは種類もあるのでありますが、日本の国の放送国民のものである、その国民のものを一片の法律を出して取上げしまつて、新らしい、政府の管理するところの、事実上に管理するところの機関に與えて、これに国民が心から反対しておるところの独占放送を更に続けようというような馬鹿げた法案に対しましては、絶対に賛成することができないのであります。  そうしてもう一つ、さつきこういう議論があつた。第二放送の必要なるゆえんは、第一放送の不足を補うものであるということであります。日本の国の第一放送、第二放送が生れた一番のもとは、これはイギリスなのでありまして、イギリスのナシヨナル、レジオナールという二つの放送網が必要であるというところからできた。日本の国でもそれによつて我々が作つたのだから間違いない。第一放送はナシヨナル、第二放送はレジオナール、こういう役目を持つておるので、第一放送の補充という意味では断じてないのです。又この第一放送というもの及び第二放送というものは独占放送であつて日本の国においてその外に聞くことがないという事態においてこそ、そういう必要があるかも知らんけれども、今や放送を一般に民間に委譲して、そうして競争放送をやろうという私の議論からすれば、これこそナンセンスも甚だしい。第一放送を全面的に使い、第二放送を他の競争者に與えて、今のような非能率的な企画をせずに、全面的にこれをやることこそ、貧乏な日本の国において採るべき方法なのであります。これをナンセンスだというような上品な愚弄をなさるのは、正に逆に僕の方からそれにのしを附けて返上したいのであります。こうして考えて見ると、どこに一体不都合があるか、どこに一体国民の世論に反対してまで、このたつた一本のNHKを生かさなければならんか、而も先程来話がありましたように、NHKを生かす結果、どういうことになるかというと、日本の国の全体の放送というものはよくならない。NHKの見かけ上の形は大きくなるでしよう、肥るでしようが、内容はというと、先程話がありましたように、自主性を奪つてしまう、自主性を奪つたところに一体放送文化があるか。放送文化が今日まで確立せられなかつたゆえんは何であるかというと、そこにあるのであります。一方的なただ一つの官報的なニユースをばら撒いたり、そうして一方的な押付けがましい放送をやつているから、而もそれが一番いい、何人がこの衝に当るとも、これ以上のことはできないという増長慢がこの基礎をなしている。これを捨てずして、どうして日本の国の放送が救われましようか。この点に十分に御留意あらんことを希望してやまないのであります。  時間が大変超過いたしましたが、私はその外細かい規定についても大いに反対論を唱えるつもりで来ましたが、併し以上を以て止めまして、もう一つ最後にお願いして置きたいことは、放送法という立派な一つの独立した形の法律を作りながら、その内容を見るというと、電波法に関連しているところが多い、或いは設置法に関連しているところがある。放送一つでも何が何だか分らない。好んでこんな煩瑣複雑な放送法を作る必要があるか。それより、すつきりとした、放送法を見れば放送のことは分るようにしたらいい。例えば電波法においては、放送を含んで無線電信局というような名前になつておりますが、その中に括弧があつたりいろいろなことをしている。そうして篤とそれは吟味して、余程落着いた冷静な頭で考えないと、どの部分が一般放送に入つているかどうか分らない。ところが今日までの放送法の経過を見ますと、前にはあつた。それを三本に分割したからこういう形を採らなければならなくなつて来たのでありますが、我々が今の放送を批判するときには、過去において実に堆高い程作られた法律をずつと通して見る必要があるのであります。先程申しましたように、放送国民のものであるという実に進歩した見上げた規定が、ただ一回で抹殺されてしまつた。そうして又最近まであつたところの、協会の放送は公共の福祉に、そうして一般はその福祉増進のためというように明瞭なるデフイニシヨンがあつた。それがなくなつてしまつた。一歩々々段々法律内容も悪化して行くのであります。これなんかも民主主義時代の今日から見れば、実に情ないやり方だと思うのであります。そういうような問題からして私は絶対にこの法案反対するものであります。
  27. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 御告労様でした。次に榎本雅道君にお願いいたします。
  28. 榎本雅道

    公述人(榎本雅道君) 私は錦峰電設工業所、小型無線機と小型のラウド・スピーカーを作つているものでございます。  放送法案に対する意見を述べる機会を與えられまして、私といたしましては先程からもたびたびお話のございましたように民間放送法案で言つておりますところの一般放送、一般放送というものが現在の我が国の状況、或いは国民生活の状況から考えて見まして、その経営が成立たないではないか、恐らく成立たないだろうということが考えられますので、この経営の成立たないという、相当危ぶまれる状況の下におきまして、そういう状況が入つておりますところのこの法案に対しましては、それが除かれない、削除されない法案であるならば、私はこの法案の成立は反対するのであります。言換えますれば、民間放送をなくなした現状におきまして、民間放送を許すということは時期尚早であるが故に、その放送を削除いたしますれば、この法案に対しては賛成であります。この部分を削除することができないならば、この法案の成立を反対いたします。  その反対いたします理由といたしまして、仮にこの法案が成立いたしまして、各地にいわゆる民間放送会社が生まれるといたします。その場合に現存我が国に許されておりますところの電波帯、電波帶はNHKだけでもすでに七十数波長を使つており、その外官庁方面或いは船舶方面相当我が国に許されておりますところの波長は窮屈の状態にある現状であると思います。その窮屈の波長の中で最も必要といたしますところの我が国経済の再建上、域いは国家の治安の確立上絶対に必要であると思われる方面電波を使用させるということが、先ず我が国の現状下におきまして一番必要であるのじやなかろうか。にも拘わらずここにおいて民間放逸を許可するとなりますれば、その窮屈なる現状におきまして電波を割愛するということになりますので、その民間放送が主眼といたしますのは娯楽放送商業放送いわゆる広告放送ということになると思いまするが、その特定のものが聽取するところの放送に、この非常に窮屈であるところの貴重な電波を割当てるということは、先ず無駄である、私はこう考えるのであります。それも万国電波監理委員会から我が国に割当てられておりますところの波長のバンドの拡張を図るという政策上の見地から、どしどしと関係方面に要求いたしまして、我が国に割当てられているところのバンドの拡張を若し許されるならば、これはこの民間放送に割当てて民間放送を許可することも結構と思いますけれども、政策の意味において今直ちに民間放送というものが許されるというようなことであるならば、もつと国家再建上に必要であるところの方面にこの電波を割当てて行くのが妥当であると考えます。理由の第二といたしまして、本法案が仮にこのまま成立いたしまして、民間の放送会社が生まれましたときには、いずれの、どこの波長を民間の会社に割当てるか、短波であるか、或いは中波であるか、或いは中短波であるか、いずれにいたしましても現在我が国の国民の大部分、大多数の者が持つておりますところの受信機は簡単なものでありまして、これらの電波をすべて検波いたしまして、そうして聽取するということは恐らく不可能じやないかと考えます。そういうことになりますとここにそういう電波をキヤツチしなくちやならないように現在の受信機を改造するということが考えられて来るのであります。漸く我が国のラジオの普及がどうやらこうやら隅々まで行き渡つたという現況におきまして、更にそういつたような複雑な電波を出すために、或いはその電波を聽くために各製作会社が非常に大巾な検波を必要とするところのセツトを造るということは、無駄に資材を使われるばかりでなく、今の国民経済の現況から行きましても、そんな無駄の方面に費用を投ずることは、まだまだもつと先に行つてからの方がいいのじやないかというように考えるのであります。従つてこういつた無駄な費用を今ここで国民に負担させるというような政策をとるということは、非常に国民生活の上にも、それから乏しい資材を有効に使うという面から行きましても、政策としては余りいい行き方じやないのじやないか、こう考えるのであります。  それから理由の第三といたしましては、そういう民間の放送会社が許されまして、そうして現在使われていない波長を許すことによりまして、普通農村、漁村方面では、ただラジオを据え付けて、そうしてラジオ屋さんが来まして聽けるようにして呉れたからという程度で聽いておるのも大分あるのじやないかと思います。そういういわゆる取扱の技術の面におきましても、その取扱技術というものをもう少し普及させる、或いはラジオというものに対してもつと手近に、或いは自分の一つの耳と同じように簡単に扱えるような、いわゆる技術面の普及が行われておれば別といたしまして、そうでない現況におきましては、折角放送されておりますいろいろの面における放送が、全く特定な者だけに利用されるという結果になつて、一般の者には余り利用されて行かないという面でも、その民間放送というものの許されることが意味がないのじやないか、こう考えます。理由の第四といたしまして、この民間放送で行いますところの広告放送、いわゆる俗に商業放送というものが、国家の再運上必要であるということであるなれば、電波を混乱に陥れるというような、いわゆる一般民間の放送を許しまして電波の混乱を起すような原因を作る必要はなくて、むしろNHKの現在の施設を利用いたしまして、もつとNHK放送番組の組み方であるとか、或いはそれを放送しますところの時間の割振りであるとか、そういつたいわゆる現在の施設を十分に活用する方向にこれを管理いたしまして、そうして現在の施設によつて、そういうことが再建上必要であるとするならば、これをやらせるのも一方法ではないか、こう考えます。  反対理由はそれでありますが、更に放協、日本放送協会、本法案によります放送協会なるものが設立されるといたしまして、これはもつとこの協会の運営を一般大衆の、或いはNHK、この放送協会のもつと自主的な管理の下に置きまして余りこれに対して政府であるとか、或いはその監督官庁であるとかいうものが立入つた行き方はする必要なく、もつと自由な立場放送をさしたらばいいんではないか。いろいろな方面の取締ということもありますが、従来我々が考えておりますところの観念というものがすでにおかしいというようの恰好でございまして、間違つていた場合にはもつと率直に放送する者自体が取消すなり、或いは適当に善処するというようのことをやりまして、余りこれに対しまして監督を強化するというようなことでなく、もつと自由な気持、自由な立場でこの放送を許して、そうして国民の福祉或いは変化の向上という面に寄與させるようにして行つた方がいいんではないかと考えます。  以上甲述べました理由によりまして、民間放送を許すという項目を削除しない限り、本案に対しましては一応不賛成をいたします。
  29. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。次に大宅壯一さんにお願いします。
  30. 大宅壯一

    公述人(大宅壯一君) 私は三十年近くいろいろなものを書いて来たものでありまして、放送に関してもたびたびやつたこともありますし、又放送に関することについて、いろいろ新聞雑誌に書いたことがあるのでありますが、そういうことで可なり関心を持つておるものでありますが、今度出たこの放送法案というものをちよつと見ましたところ、余りにも我々が平素考えていたことと反し過ぎているのでありまして、その点で一言申上げたいと思つて参つたのでありますが、大体今度出た放送法案というものは、如何なる目的の下にできたものであるか。これは日本放送事業というものが、現在の日本の進もうとする方向、その民主的な性格、そういつたような面において一体どういう形態を採ればいいのか。そういう一つの方向に向つて、その原則に基いてなされた案であるか。或いは又現に行われているところの日本放送協会というものを最大限に利用することが、これを生かすことが目的であつてなされたものであるかどうか。この点を、根本的なこの案の性格について私は非常に大きな疑問を持つので、そういう意味からいつて、現在のこの放送法案というものは非常に中途半端な、非常にお坐なりなものであると断定せざるを得ないのであります。というのは、例えて申しますと、現在行われている放送というのは、昔の戦争中の独占的な性格をそのまま受け継いでおるのでありまして、日本のあらゆる部門がこの独占が禁止せられたあとで、この放題事業だけが残されている唯一の独占事業であります。丁度電車の中に未だに戰闘帽をかぶつて国民服を着ている人が見受けられますが、丁度同じようなことが現在の放送事業であります。ところで私考えますのに、昔、この放送事業というものは、始まつたときにはそれ程、何ですか、戰闘帽的ではなかつたのでありますが、勿論その頃の日本の社会的な環境の反映もあつて、もつとのびのびした和やかなものであつたのでありますが、その後、日本国家的な性格が段々変つて来るに従つて、特にその国家的な性格を憂える上において放逸事業が最も大きな役割りを演じたのであります。そうして放送事業が真つ先に戦闘帽をかぶり、国民服を着て、それを国民に強制したのであります。それで国民も皆従来かぶつていた中折れ帽子を戰闘帽に変え、それから背広を国民服に改造したのであります。ところが敗戦になつてから急に、又民主主義の世の中になつて、今度改めて戰闘帽を中折れ帽にしなければならん。国民服を背広にしなければならん。ところがこの逆はなかなかむずかしいのであります。今戰闘帽をばらして中折れを作るということは非常に困難な仕事であります。ところがこの法案はこの困難な仕事をやろうとしているのではないかと僕は思うのであります。もつと例えて申しますと、現在の放送事業というものは、非常に昔の戰争時代のゆがめられた性格の下にできたものであるから、いわば日本の将来進もうとす、る方向から見れば、バラツク建築であります。あり合せ、間に合せであります。この間に合せをできるだけ取拂わないでこの基礎の上に立つて国民が理想とするような鉄筋コンクリートの立派な民主的な放送事業を建設しようとしても、それは全然不可能であります。このバラツクの一階の上に、二階、三階を、鉄筋コンクリートで作るなんていうことはナンセンスであります。それで先ず第一に、このバラツクの建築物を取拂う。この点、こういうものを頭に入れて、一体日本放送事業はやはりどういうものが一番いいかということを基礎にしてなされるべきではないかと思うのであります。私津が今までの放送を見ますと、完全にこの官庁的な事勿れ主義、官庁的な無施策主義、愼重主義、そういつたようなものをそのまま受け継いでおるのでありまして、勿論我々戰争後は野におる人間にも放送するチヤンスを與えられましたが、昔はこれは嚴重なる検閲を経たのでありまして、その癖が我々民間の人間にも放送に出る場合に、非常に厳重な検閲があるという習慣が残つておるのでありまして、ここではやはり今も行われている放送は、戰闘帽をかぶり、国民服を着て行かなければならんという印象が非常に強く残つているのであります。又放送をやられる、経営される方の方でもその頭はいつまでも残つてつて従つて放送一つのジヤーナリズムと見ますと、現在の放送のジヤーナリズムは一般ジヤーナリズムから比べると、少くともこの時開において普通一週間、最も甚だしきは一月も二月も遅れている。これはジヤーナリズムではない。現在のジヤーナリズムが魚河岸的なぴちぴちと生きているものであるとすれば、放送事業は完全な乾物であります。こういう乾物放送を飽くまでも続けて行こうとするこの基礎の上に立つている法案ではないかと僕は思うのであります。(笑声)  それから私はこれは前にアナウンサー論という原稿を書いたのでありますが、現在アナウンサーが放送局の窓口であつて放送事業を代表しているのでありますが、このアナウンサーを見ますと、その声も、言葉もそれから人格も思想も、甚だしきはみなりに至るまで一つの統一された型があるのでありまして、これは一つの極度に修正された人間のポートレートを見るようなものであります。昔遊廓に出ておつたところの女の写真のようなものでありまして、(笑声)人格というものは全然ない。一つ放送型という人間ができ上つているのであります。これは官庁的な干渉が無やみやたらに今まで行われていた証拠であります本当の人の生きた声を聞かせずに、一つの官庁のロボツト的な声を聞かせる。その結果、干渉に干渉を重ねた結果、この一つの類型ができたのであります。本人にとつて見れば職業ではありますが、誠に気の毒なことでありまして、一つの奇型兒であります。この奇型兒を解放して生きた民衆の声を聞かせようとすれば、放送局そのものを奇型兒から解放する外ないのでおります。従つて現在においては、放送局においては、成るべくこの個性のない、個人の意見を尊重しないという案、つまりどうでもいいような官庁的なことだけで行くという一つの設備になつているのでありますが、そこで私はこのままで現在の法案によつて放送事業というものがやられたならば、今の日本放送事業というものは永久に四流五流というよりも、むしろ非常にフアツシヨ的な、独裁的な国民の性格を続けて行く上に最も大きな役割を果す以外の何物でもないと思うのであります。私達片成る程、日本は隅々までこの放送の設備が、受信機が普及しておりますが、併しこれは戰争中に国民服が普及したのと同じような現象でありまして、私達が戰争中南方その他の占領地域に参りまして、そこで初めて国際的な放送というものを見たのであります。そこは我々が日本におつては想像できたなかつたような完全ないろいろな放送設備がここにあつて、私達が想像していたところでは、南方地帯は土人のいる野蛮地だと思つておつたのでありますが、行つて見たらばそこに日本で想像できないようないろいろな優秀な放送設備が中流以上の家庭にはありまして、そこで世界中のいろいろな放送を聞いておつたのであります。日本放送をかくのごとく片輪にして発育不全にせしめたのは、曾つて日本放送協会であつて、而もその発育不全の状態に永久に止めて置こうとするのが今度の法案ではないかと思うのであります。今受信機が不完全だとか、或いは改造するのは金がかかるとか、いろいろありますが、日本放送文化というものを永久に昔と同じような状態に止めて置きたいという希望からでないと、こういう法案が出ないのじやないかと私は想像するのであります。従つて具体的な問題になりますと、一体の今度の法案では、民間放送をやるとか、やらんとか、やらせるならやらせるようにどういう方法をとればいいのか。どこまでもこの従来の官庁的な日本、戰時中にゆがめられた日本放送協会というものを最大限に残して置いて、これに最大限の機能を與えてそれにちよつぴり何かつけ足しのような民間的なものを附加えて民衆をごまかすことが目的であるか、この点を僕は起草した諸君にはつきりと答えて頂きたいと思うのであります。ですから若し将来もこの官庁的な要素を持つた日本放送協会を何らかの形において残して置きたいということが御希望であるならば、それは恐らく最小限度のものに止めて頂きたいのでありまして、少くとも娯楽的なもの、或いは個人の意見を盛つたもの、そういつたようなものはできるだけ除いて頂きたいのでありまして、第一にその官庁的な公的なものが娯楽放送をする。その中にいろいろな娯楽がありますが、実にそういう興業師的な仕事をするということは滑稽である。これは鉄道を作るとか、酒とか、煙草の專売をするのとは非常に性質が違うのでありまして、非常にお上的な性質を持つたものが、そういう興業師的なことをするということは非常におかしい。又それを見ておるところの国民の方でも、丁度戰闘帽被つてブギウギを唄つているような感じを受けるのであります。(笑声)こうい非常にぎごちない要素があるのでありまして、本当にそのお上的なものからは楽しめないのであります。本当に心から楽しめないのであります。又意見でありますが、意見の面も、この意見というものは、よく選挙の放送のときに、「これは候補者の意見でありまして、放送局意見ではありません」ということを、のべつやたらに繰返して申されますが、一体この放送局意見というものは何かということになりますが、これは今まで時事解説のときにも、放送局意見というものは成るべく言わんということが建前のようでありますが、ところがときどきはいろいろあの「株券を買いましよう」というような意見を言われるのでありますが、(笑声)私共この問題については非常被害者でありまして、(笑声)私達の周囲で以つて、この「株券を買いましよろ」ということについて非常な議論がありましたときに、私の仲間で、これは昔から政府が言うことにろくなことはない。政府が奨励するものに必ず反対をすれば儲かるのだ、放送局は、これは政府の声である。政府の奨励するようなことをやれば必ず損をするに違いない。これは戰争中から国民が受けたところの非常な深刻な印象であります。ところがこの印象を更に強める上において、今度のあの「債券を買いましよう」ということが、非常な重大な役目を果したのであります。そうして、あの結果非常に儲かつたらいいかも知れませんが、儲かつたら政府は非常に投機を奨励したことになる。序に競馬も競輪もすべて毎日々々やりましよう、やりましようということをやれば、一番いいのではないかと思うのであります。(笑声)こういう場合に三責任は誰が負うのか。これが私は非常に伺いたいのであります。そうなれば、放送局意見を言わぬ。娯楽をないということ、つまり政府の官庁的な立場を代弁するならそれでよろしいが、それ以上にはみ出るということ口非常に危険で、その結果間違つたこと、例えばこの官庁放送において、近頃出るカストリ雑誌のようなことを誰か言う者が出たならば、一体その責任は誰が負うのかということになるのであります。現に昔関根という将棋の名人が、この放送の中で猥談めいたことを言つたのでありますが、それについて、私は当時あれだけあらゆる機会にびくびくしていた放送局の中で猥談を言つたのは非常に偉いと言つて誉めたのですが、結局これを言う、言わぬということで非常に議論をして、それならそのときの録音を見ようじやないかということになつたのでありますが、その猥談というのは、「私は当年とつて七十幾歳でありますが、あの方は非常に達者であります」というようなことを言つたのでありますが、(笑声)こういうことを言つたことが非常に問題になつたのでありますが、これで録音を見る、見ないということになつたときに、放送局の方で義一確かその録音盤は壊してしまつたと言われた。それは数日後であつたのでありますが、これは僕は放送局が負じやないかと思うのであります。録音は何のために取つて置くのか。そういうときのためにこそ取つて置くのじやないか。官庁がそういうことをやれば、今後必ずこれに似た失敗が起つて来るに違いないのでありますが、併し今度この放送事業をやられて、そうして而もその放送事業は、現存の日本放送協会というものが中心になつてなされるのでありまして、そうして誰でも受信機を家に持つておる者は聽取料を拂わなければならない。ところがこれからいろいろな民間の放送が沢山できて来ますと、恐らく初めの間は、民間放送は設備の上において非常に不完全であつて太刀打できないかも知れませんが、一年経ち、二年経ちすると、それは相当発展して、少くとも大衆に喜ばれる点においては現在の放送局よりは邊かによいものができることは保証し得ると思いますが、そういう場合に一体余り誰も聽かないような放送には金を拂つて、そうして一般の人が喜んで聽くようなものはただ、こういう不可解な現象が起こつて来るのじやないかと思う。つまり食堂の中に入るのに、入口で食券を買わされる。この食堂の中に入る者はすべて食券を買わなければならんところがこの食券とは一体何であるかというと、これは日本放送協会で売出しておるところの玄米パンみたいなもので、これは非常に栄養がある。ところが余り食いたくないというような場合に、その中に入るといろいろなカツレツとか、とんかつとか、ミルクとか、いろいろなものがある。そういうものはすべてただで、玄米パンだけは金を拂わなければならない。こういうような奇怪な現象が起つて来るのでありまして、(笑声)そうなつた場合に、国民の中で皆が申合せて、もう玄米パンは買わぬことにしようじやないか、ただの方ばかり專門にやらないか、こういうような機運が必ず起つて来ると思う。そういうようなことになったときに、一体これは誰が責任を負うか。恐らく国民の中でそういう聽取料不納同盟というようなものが当然起つて来るのじやないかと思います。今までの放送局の性格、或いは官庁的な仕事のやり方からいうと、これは火を見るよりも明らかであります。こういう場合にますます政府は醜態ということになつて国民政府に対する信頼感はますます弱められて行くのじやないかと思うのでありまして、いろいろな点から申しまして、私は細かい技術的な問題は分りませんが、つまりそういう印象を、大体起り得るであろうところのいろいろなことを予想し得るのでありまして、これは外の鉄道や煙草と違いまして、人間の心に関する、思想に関する、日本国家の、民族の進んで行く方向に関するととろの重大な問題であります。この重大な問題を昔のバラツクの上に継ぎ足して作るような、こういう馬鹿々々しい法案には絶対に原則的に反対であります。
  31. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。  次は小川忠作君にお願いいたします。
  32. 小川忠作

    公述人(小川忠作君) 私は全国のラジオ電機組合の業者を代表いたしまして、その総意を申述べたいと存じます。このたび電波法案の制定にはとりまして、日本における放送事業が確立せられまして、放送の自由なる発達が約束される方向にあることは誠に慶賀に堪えない次第でございます。従いまして我々関係の企業者である受信機の風守供給を專業とする者はますますその責任を痛感いたしまして、その企業を整備いたしますと共に、聽取施設の保守につきましては、全国同業者相連繋し、相戒めて、遺憾なきよう万全を期しまして、この趨勢に即応いたしたいと念願しておるものであります。民開放送の実施によりまして、先程来お話がありました混信が、いずれあるのではないかというので、現在聽取者八百万のうち、約八割ばかりがいわゆる国民型、並四球程度の受信機を使用しておるのでありまして、この大衆の大剛分使用しておるところの受信機を、我我全国の業者といたしましては、最も安く、新たなる高い機械を買わないでもスーパーに改造できますように、その研究と運動を起しておる次第であります。この意義ある法律の制定に当りましては、あらゆる見地から能う限り日本の現状と国民性に適合せしめ、その完璧を期せられたいと念願いたしておるものでありまして、併しながら本法案を検討いたしますれば、如上の賞味で三法が全く理想化されておるかどうか、十分検討の余地があると信ずるものであります。我々業者といたしまして、直接関係ある放送法案について見ますと、この法案は一見單なる日本放送協会の運営立法と見受けられるのでありまして、従来といたしましても、独占事業として実力を有していた放送協会は更にこの法律を得てその実力の上に権力を追加して極めて強力な機関となるのであります。新法により、日本放送協会は従来の私的事業形体から、国民が運営する国家機関となることは明瞭でありまして、それが国民大衆の利福を優先にするとは言いましても、善良なる国民の一部に不安と動揺を與える内容を持つということは好ましくないと存ずる次第であります。我々ラジオ修理販売業者の立場から申しますると、その一例といたしまして、放送協会業務の中に受信機の修理を行うことを明示し、全国に配在するラジオ修理專業者の職域を侵そうとずることは十分考慮されなければならないと信ずるものであります。協会の修理業者は、終戰直後業者が動員により不足せる当時、初めて実施せられたことでありまして、今日のごとく全国至るところ業者の過剰を来しいいずれも過大なる税金に追われながらラジオ普及に全力を傾注すると同時に、又業者といたしましては、たとえ一台でもより多く受信機の供給に專念し、又故障ラジオの修理等につきましても、最も良心的に工作いたしまして、自己の信用を確立して行かねば、この自由競争場裡に成立つて行かない現状であります。そのときに当りまして、協会の修理業務というものは、営利を目的としてはならないということが法文に載つておるのでありますが、その修理業務が我々零細なる民業と対立されては誠に困るのであります。万が一修理專業者の業績が日本放送事業の発達を害するとか、或いは又不十分であるとかいうのでございますれば、その発達と育成を図る施策を行うことが最も適切なる方策であると信ずるものであります。本法にはその方策は認め得ないのであります。又ラジオ修理販売業者は、日本放送が開始せられで以来二十五年の間、何ものの庇護もなく、又盡く個人の資本により企業をなして、放送の普及に貢献しつつあるのでありまして放送協会の掲げる過去の実績と同様に、我々業者の功績を認めるべきものと信ずるものであります。その既存業者の功績を見ることなく、その既得権域を無視して。且つこれを誹謗し、更に又無能視して、法律的権力によつて業者の職域を侵そうということは、明らかに過去の独善的行為を更に濃くする以外には価ものもないと思うのであります。万一修理專業者のいずれかに、放送の発達を促がすために不十分な点がありますれば、これを育成し、助成する施策を要し、又これを害する点がありましたならば、勇敢にこれを除去する施策のあることの方がむしろ当然であると思うのであります。或いは又市場で作られるところのラジオ部品の品質向上に対して施策がありますれば、受信機の故障のごときは当然減少すべきであると信ずるのであります。  かように考えて参りますと、この法案には温かい精神が全くなく、徒らに業者と対立し、業者と同様の業務を対立施行することを明示しておるわけで、この法案は権力を利用して一般自由業者たる、而も零細なる小企業者に圧力を加える悪法として、我々はこれに当らなければならないことになるのであります。  而も更に二重の審査機関までも作つて監視するということは以ての外であると思うのであります。実際問題として、協会の機関による受信施設の保守の必要があるかないかという問題であります。過去の修理業者の実績でありまするが、協会の挙げておりまする数学的虫八積は、即ち我々業者の実績なのであります。その理由といたしましては、放送協会は、過去二十数年間は業者とは常に車の両輪と称して、相提携して受信機の保守業務を実施しつつありと呼称することによつても明らかでありまして、協会の修理業務を行うところ、必らずや業者の実務がこれに伴つておる次第であります。更に又全国業者は、業者自体においても小間僻地に対し巡回修理或いは出張修理等をやつておる現状であります。若し又発表によらない協会の單独修理の実績等があるということでありますならば、いわゆるそれは業者の生業を一方において圧迫しておるというように我々は考えておる次第であります。  さて、協会の技術保守能力の問題でありまするが、放送協会による修理の技術は、一般的に見て低級であるというのが業者の見解なのであります。一部責任者は勿論高級でありまするが、その実例といたしましては沢山ございまするが、協会の修理が、誤診した結果業者に持込まれて、更に新らしい故障を発見修理するというようなこともある。こういうような場合、聽取者においては、新たな故障は偽りであるという誤解を招いて甚だ迷惑していることもあるのであります。又最近の実例といたしまして、一月の十八日、北海道におきまして我々組合の道内の業者大会を開催いたし、種々の報告を受けて参つたのでありまするが、札幌の三越の三階におきまして、協会が盛んに沢山修理業務をやつておる。ところが係員の技術が甚しく悪いために、直らないようなむずかしい修理は業者に持つて来て、それを頼んで直して貰つておるというような報告を、極く最近最も新らしい報告として受けておるのであります。従つて協会が行う相談所の測定器のごときも、却つて業者の方が充実しているという報告を受けております。又放送協会による保守業務に対し、サービスの完全はかくのごとくでありまするから、絶対信ずることはできないのであります。その実例の一つといたしましても、八王子方面の巡回修理でありますが、大体午前十時から牛後三時の勤務のために、時間的に工作を急ぐために、誠に不親切で、その跡始末を業者に持つて来るということが度々であると、土地の業者より報告を受けておるのであります。問題の山間僻地に対する保守でありまするが、我々は協会に対しまして、同業と同じ修理業務をやつては困る、その必要がないじやないかと闘ってつておるのでありまするが、山間僻地こそは必要だということを言つて、盛んに我々の言葉を弁駁しておるのであります。協会の幹部の言うことと、全国に亘る協会のやつていることと事実反対であります。業者といたしましては、山間僻地に対しまして、自主的組織によつて誠に業者の自由なる競争進出によりまして、朝早く自転車に乗つて隅なく活動しておるのであります。将来ますますその充実に向つておるのであります。業者はかくのごとくにやらなければ経営が成り立たん。こういう状態であります。そこで協会の修理業務を山間僻地に限定するという趣旨において、只今の修理業務條項を残すことは誠に承認し難いのでありまして、その理由は、実際に協会がかような山間僻地に一々出張所のごときものを設けることはできないことだろうと思う。又故障の通知あり次第、直ちに馳せつけて修理をしてやることも不可能でありましよう。結局定期又は臨時に巡回修理でもするのが精々である。ラジオの聽取者が、受信機器の故障を速かに修理して貰おうと思えば、結局もよりの我々業者のところに持つて来る外はないのであります。協会が山間僻地において修理業務を行う必要があるということは、非常に意味がないのであります。現に協会が修理業務を行つておるいわゆる山間僻地と称するものは、いわゆる東京の真ん中でありまして、数寄屋橋であるとか、或いは全国を通じ中小都市の最も繁華のところで実施しておるのでありまして、我々零細なる業者の生業を圧迫しておるのであります。つまり修理業務を行えば繁昌しそうな所を選んでやつておる。協会は営利を目的としてはできない。そうかと言つて修理業務を無料でやるということもないでありましよう。やはり今日では業者よりやや或いは安くやつておるかも分りません。併しながら営利を目的としてはならない協会に、修理業務をやられるということに、営利に向わせるというような危険を生ずる直れがあるのであります。先程も聞いた話でありまするが、福島県の旭村のごとき、町から四、五里もあるのでありまするが、放送開始以来、放邊局が山間僻地をサーヴイスすると称して今日まだ一度も来たことがない。その土地の状況を見てみますると、必ず業者が自転車に乗つて四、五里が十里でも奥地に参りまして、そうして保守業務に專念をいたしておるのであります。  以上種々申述べましたが、協会の修理業務の実際面において、我々専門業者の立場から見れば、技術的にも、サービス面にも業者としては信頼する程価値のあるものではないのであります。業者はラジオの普及のため、受信機の販売に或いは保守業務に專念しておるのであつて民間放送実現と共に、更に企業の発達を期待するものでおりまして、その素質と配置等に関しても、又サービス面につきましても何ら不安はないと信ずるのであります。  次に、民業である修理業務法律規定し、電波監理委員会の調査機関を動員して、受信施設の保守に拂う努力の深さに反比例して、受信機器の生産面への施策が全然拂われていないことを痛感いたすのであります。受信施設の保守に、かくのごとく深慮するなれば、これに携わる保守技術者の素質並びに施設を認むべき国家的認許制度等の施策が考えられてよいと思うのであります。  次は、民間放送会社が企業維持の上、收入源として挙げておりまする受信機の修理業務でありまするが、やはり放送協会が修理業務に乗り出すということは、我々全国ラジオ修理業者と同様の影響を受け、その收入源を脅かされ、その自由な企業の発達を阻害する場合もあると考えます。併しながら、ここでちよつとお断わりいたして置きたいことは、これは民間会社の修理販売企業に対しましては、その独占事業的性格、集中資本的性格に鑑みまして、その実行に当りましては、我々中小企業者として、別の面から対策を研究しておるような次第であります。結論といたしまして、受信機器の修理業務條項は、徒らに国政を煩雑化せしめる以外効力はないことでありまして、中小企業者として重税を拂いながら、我々業者に圧力を加え、その生業を不安ならしめるに過ぎないのでありまして、その全項目を削除して、協会の余剰経費を削減して、本然の任務たる放送業務に集中せられまして、或いは又聽取料のごときはできるだけ逓減せられることを望むものであります。受信施設の保守と修理施設のごときは、むしろその生産根源への施策が必要ではないのでありましようか。将来の企業の発達等を考えましても、国法に律する程の問題ではないのです。従いまして放送法案第九條第一一項第七号、写本放送協会業務條文の中に、「委託により放送受信用機器を修理すること。」、同條第五項「受信用機器の修理業務は、電波監理委員会が定期に行う調査により必要と認めて指定した場所に限り行うことができる。」の全文の削除を要請する次第であります。どうか議員各位におかれましては、我々業者の立場、又ラジオの普及に対しましても、民主的に行わなければならないのでありますから、何分ともよろしく御賢察を願いたい次第であります。以上全国のラジオ修理販売業者を代表いたしまして、私の公述を終ることにいたします。
  33. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難う存じました。  次は、梶原房子君にお願いいたします。
  34. 梶原房子

    公述人(梶原房子君) 私は高等学校の教員でございます。  過日、図らずも新聞紙上で公聽会のございますことを知りまして、次の観点から応募いたしましたようなわけでございます。第一は、かかる放送ということの使命が重大であるということ、第二番目には、最も大衆的な事業であるということ、第三番目に、国民生活への浸透性から見て、そのあり方こそ問題だということでございます。私共の日常生活に直結する最も文化的なルートであり、而も最も親しみ深く安易に浸潤て来る放送効果は、国民教育の徹底したものとも考えられるわけでございます。この公聽会に出席をお許し頂ました御通知に接しまして、お送り下さいましたその法案内容を手にいたしまして、実は私はここに二つの気持が起きまして暫く迷つたわけでございます。新聞紙上に現われました事柄を主として中心に、ささやかな自分の日常体験から生れるところの意見しか持たない浅薄さを反省して、こうした場所へ出ることの厚かまししさに躊躇を感じます心と、取止めもない考えの中から何かを訴えたい、聞いて頂きたいと思う心の切なものとでございました。漸く気持を決しました私は、次の立場を根底といたしまして、貴重な時間を少し割いて頂くことにいたしました。一つは、女性として、二つには、主婦として、三番目に、教員としてでございます。又賛否を問われました点に、否といたして置きましたけれども、專門的な識見もございませんので、希望意見ぐらいしか申述べられません。その点もお含み頂きたく存じます。  先ず、全体的に見て放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図る必要上、放送法案の提出となつたようでありますが、何か、ともすれば一つの型に嵌めようとする形式的な感を深くいたします。こうした大衆的な事業こそ、もつと国民の手に任せ切つたものとしたいと思います。放送に関しましては老若男女の区別なく、生活と切り離すことのできないだけに、関心は深く、従つてこのプログラムについては常に批評が加えられ、声は投げかけられております。論説的な色彩も、法律的な見解も改まつて出されてはおらないだけに、世評としては、町に村に豊かな話題となるのでございます。この声を聞いて、民主的、近代的な経営と、香り高い豊かな電波を送られないものでございましようか。女性は名実共にその地位の向上を欲しております。情操豊かな放送の中に自分の本当の姿を求めております。主婦は家務の忙しさの中に、今日より明日へと新らしい生活内容を求めております。家族のリクリエーシヨンの一つとしても、プログラムの変化に期待と楽しみをかけて待つております。教員は生々発展する純真な子供達を、よりすばらしい次代社会の後継者として、申分ない人物に育成する喜びと努力の源を放送の方向から多分に伺うのであります。  さて、漠然と放送内容を中心として、より国民的なものとしての放送事業を要望して来たわけでありますけれども、次に法案内容に触れて、更にこの線をはつきりして見たいと考えます。放送法案は、言うまでもなく電波法案電波監理委員会設置法案の二案に関連性がございます。これによりますと、民間放送会社の認可もされるわけであります。この点で公共の福祉を図るために、よりよき放送を望んで競争させるのかも知れませんけれども、私は現状においてこれはと思われることが少しあります。力の分散といいましようか、こんな懸念を持ちます。映画スターの引抜き職と同様に、アナウンサ上の奪い合い等、紙上に見ましたが、こうしたことも聽衆の迷惑の一つになるでございましよう。人気取りといつた興行的なものに放送事業考えたくありません。総則の六條には「放送事業者は、同意を得なければ、他の放送事業者放送を受信して、その再放送をしてはならない。」とございますが、いいものを聞きたいと望むことが一般国民のひとしく望むところでございます。オープンで、内容経営、施設等、あらゆる点に示唆と指導を求め、日本放送協会を育てて行くことがいいのではないでしようか。終戰後の過渡期を渡り切ろうと努力している現在のNHKを健全に伸して行くことも行えてもいいと思います。大きな母の愛情は、産みの苦しみを堪え、ひざに抱いて授乳し、やがて成育した我が子を心置きなく社会に進出させております。今、日本ですべてに欲しいものは、利害を超越して、政党を離れて、よいものを皆で育て上げて行く喜びと苦しみを体験して行くことではないでしようか。現況の放送事業では、都合の悪いことが多いから、こんな法律が上れようとしておるのでしようけれども、もつと輿論調査などを計画しまして、あり方の研究を、一般の問題としてかけた後に編み出されたらよかつた思います。法律によつて自由にするようで、却つて束縛されることもあります。如何なる方向に経営されるかは委員会の手腕に俟つことになるでしようが、電波監理委員会あり、経営委員会ありで、素人には大変煩雑な気がいたします。委員の選出はいずれも両議院の同意を得るというのは、間接的に国民一般に問うことになりますので、両議院の良心的選出法に依頼していいと思います。ただ協会の役員として、委員の外に会長一人、副会長一人云々とありますが、名称的に来る感じがちよつと変ではないでしようか。会長と申しますと、協会代表ですが、経営委員会の命によつて業務の総理をするということになりますと、むしろ経営長といつたものではないでしようか。又委員会は、経営顧問委員会とでもすれば、民主的な響きもあるように思います。内閣総理大臣から電波監理委員会へ、懸賞委員会日本放送協会国民という線が、この法案に描かれますけれども、この両委員会を何とか一本に 関係付けて、有機的な活動を持たせることはできないでしようか。別に具体案も持ちませんが、任期も人数も異なる委員会が、やや同方向の事業に対して対立し、而も重さを比べ合うとすれば、実際の運営面にスムーズさが乏しくなるような気がいたします。経営上の両面として、この両委員会が持たれてもいいように思うのであります。  放送事業に関しては、加入者全般が株主であると考えられます。そうして又この株に多少の差はなく、みんな同一の権利があります。従つて株主代表は、国民の総意による経営委員会の委員ということにもなりましようし、会長でもありましよう。そこでこの人選は、重ねて申上げますならば、国民の納得の行くところまで両議院におきまして責任を持つて頂きたく存じます。又任命は内閣総理大臣に上り、会計も内閣を経て国会に提出されるのですが、これらのことも一つの形式をとらなくては纏まりが付かないからとも思いますが、絶対的な権限をこの委員会に持たせて見たら如何でしよう。内閣はオブザーバーであつて国会へ直納するルートを委員会に與えることは如何でございましよう。  以上、いずれも前に申上げましたように、全く素人でございまして、感ずるままを羅列したに過ぎません。ただ一刻の休みもなく送られておる電波は、瞬間々々大きな国民教育を担うものでございます。ローカルは地域社会の要望に応え、中央放送と相俟つて地方生活の向上を目指し、文化国家建設への大きな使命を果して頂きたいと思います。これがためには放送法案中の経営委員会とまで行かなくても、地方にも委員会組織して、中央との連繋をして行くことも一つ方法であろうと考えます。如何なる放送内容が、如何なる経営によつて施設をなし、国民に寄與して呉れるかが問題であります。講和会議の曙光も兆す今日、現在の生活線を高めて、文化の香り高い日本を方向付ける一つ方法としても、法案の検討をお願いしまして、私見を終りたいと思います。どうも有難うございました。
  35. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。次は河田進君にお願いいたします。
  36. 河田進

    公述人(河田進君) 私は放送協会の職員でございます。職員ではございますが、現在選ばれまして、日本放送労働組合の役員をいたしております関係上、協会から何らの報酬は受けておりません。私の俸給はすべで組合員の組合費によつて賄われておるわけでございまして、この点国民諸君に御迷惑をかけていないことを一言先に申上げて置きます。  先ず、放送は如何にあるべきかということが問題になるわけでございますけれども、根本的な観念といたしまして、どうしても三つの対立の面があることは止むを得ないと存じます。その一つ観念といたしましては、言うまでもなく言論機関として、フリー・ラジオとしての機能の発揮でございます。言論機関は言うまでもなく、あらゆる権力から、あらゆる統制から外れて自由になされるものでなければ、その意味はないわけでございますけれども、併しながら放送協会というような大規模な組織において、この全国の、稚内から鹿兒島に至るまでの非常な広大な地域に亘つて多くの聽取者に放送を送つておりますこの独占事業でありますところの放送協会は、やはりどこか公共性を持たなければならんこと、即ち国民との繋がりを法的に確立しなければならないということは当然でございまして、我々はその点が明確にされることの一日も早く来ることを望んでおつたわけでございます。併しながら、ここに出されました法案を見まして、実は非常に呆気にとられておる次第でございます。我々は労働者といたしまして、又国民といたしまして、誠にこの法案というものは非常に民間放送というものをおとりに使つて、これに焦点を集中させて、その外の肝腎の公共放送に対する監督の非民主性ということをカムフラージユする道具に使つてつて内容から申しますならば、極めて国家権力の作用するところの強い、或いは言葉を換えて申しますならば、官僚統制の色彩の極めて濃厚である不埒極まる法律であると存ずる次第であります。その点はこの前の第三国会に提出されました放送法案におきましても、放送協会監督放送委員会に任せております。これは御承知の通り五人制度委員会でございまして、委員長以下五人の委員が放送協会の全般的の監督に当るわけでございますけれども、この点に我々といたしましては、この五人の委員によつて監督される立場にあるわけでございますけれども、この五人の制度委員会に一町の権限が大体集中されておつたわけでございます。ところがそれが今回の法案によりますと、その五人制度委員会放送委員の権限を、或いは電波監理委員会に分け、或いはそれを更に内閣に承認を求める形式になつており、更に国会の承認まで得る形式をとつております。おまけに会計検査院という大変なおまけまで付きまして、二重、三重に公共放送を圧迫いたしまして、これによつてこのような権力で、この自由たるべき、私は敢えて申上げますが、放送というものは、いわゆる一つの総合芸術であると考えます。例えば映画が然るがごとく、例えば演劇が然るがごとく、これは技術から、経営面から、或いは直接プロ番組にタツチするものももとよりでございますが、そういうものを含めまして、総合芸術であると思いますが、そういう面を、言論機関としての面、文化機関としての面を、一切忘却いたしまして、ただ公共性のみに、如何にして公共性を確立し得るかという一点に集中いたしました本法案は、極めて非民主的な結果に陷入らざるを得なかつたところであろうかと思います。そういう観点からいたしまして、我々はこの多元的な監督に絶対に反対いたします。放送監督はシンプルでなければいかぬ。我々は、官僚統制の排撃ということを昔から言つております。戰争前から言つております。先程、第二放送を私が作つたとおつしやつた方は、これは逓信省から天降りで来まして、我々の上司として来られた方でございまして、そういう官僚の非民主性には我々は骨身にこたえております。そういうふうな官僚統制的な悪いものを、放送協会に持ち込まれて来るということは、放送に働く労働者として堪え得ないところであることをはつきり申上げて置きます。ここにお役人の方が非常に大勢いらつしやる中で、私言うのは心苦しい次第でございます。個人的には非常に能力がある方も、立派な方も多いのであります。私が何故官僚統制反対するかということは、これは放送協会二十五年の歴史において、昭和二十年に戰争が終るまで、その圧力を受けて苦しんだ体験から来るものであります。而も戰争中には、内閣情報局と逓信省の二重監督によりまして、その間に挟まれて、我々は石に挾まれた手を拔きもならず、さしもならず、国民にただ迷惑をかけるのみであるという現状からいたしまして、この行政監督の多売化ということは飽くまで反対すると同時に、今回の法案におきまして、経営委員会などというものが設けられてございます。或いは内閣、或いは国会に権限が委ねられております。肝心の実権をどこでお握りになるか、どこが放送行政をおやりになるかと申しますと、端的に、これは電波監理委員会がおやりになることは法案に明確でございます。電波監理委員会は、而も公務員もなり得るものでございます。これは公務員が非適格ではございません。我々は過去の歴史から考えまして、明らかにこういう法案の建前から行きますれば、恐らくは技術関係電波技術関係の高級官僚諸君が、電波監理委員会にお入りになる、その手によつて一司の放送行政をおやりになる。但しこれは私は特に申上げたいのですが、官僚の特性といたしまして、最後の決定権はいつでもお取りにならぬ。これは官僚がなぜいかぬかという最大の一つは、犠牲を絶対に負わぬ。如何なる場合にでも官僚諸君は綺麗に逃げるのであります。責任を回避されたり、又責任を取り得る立場にないことは事実でございます。いつでも官僚諸君は犠牲を取らず、外に被せております。そういうものが、この電波監理委員会に進出いたしまして、專門的な権力をお握りになつて放送協会並びに一般放送を御監督になるという、絶対日本放送の進歩にはならぬ。むしろ逆行する結果になるところから、私は電波監理委員に参公務員がなることは止めて頂いて、これは欠格として頂きたいと存じます。更にこれから具体的に個々の條文について申したいと思いますが、経営委員会というものを我々の経営者として我々は迎えるわけでございます。これは労働者として、当然この間にも敵対関係が生ずるわけでございますけれども、そういうけちなことは一切措きまして、やはり日本一つしかない放送協会でございます。日本一つしかないNHKを、責任を持つて監督し、行うのに、あらゆる分野から賢明なる、或いは良識ある、或いは理性に富んだ賢明な方であつても、NHKは未だに戰闘帽を被つておるというような興行をなされる方の経営は、我々ははつきり拒否いたします。責任のある、良識のある人に我々は経営委員になつて貰う。殊にこれが問題になるのは、八地区から選ばれるということでございます。放送協会経営者を地区別に選ぶということは、これは重大なやはり影響力があろうかと思います。北海道から九州に至るまで、放送局電波の割当を完全に公平に行いまして、放送行政を行うには、各地区の利害関係というものは当然一致できるものではございません。これは各地区の利害者、関係者が入つて乗るのは当然でございますけれども、その委員の選び方も、最初ははつきり各分野ということが謳ってあるのでございますが、今回の法案によりますと、法的にその関係が濁されておる。で我々は地区別の代表も必要であるが、階層別の代表がより必要である。今日我々国民の常識といたしまして、やはり国家は二つによつて、資本家階級、労働者階級、三つの分野に分れることは必然でございます。或いは支配階級或いは被支配階級という二つの分野が対立するということは当然でございます。そういう意味から行きまして、必ず労働者の代表をこの経営委員会に入れる、或いは農民の代表を入れる一漁民の代表を入れるということ、これは放送法案になくちやならん点である。單に地区別に選ぶことになりますれば、必ず地方ボスとか、或いは地方の顔役とかいうものの進出によつて、それらの頭で放送が運営されることになり、重大な結果を招来いたします。婦人、農民、労働者、科学者、芸術家或いは経済学者というような、各分野から代表者が出られることを切望する次第であります。  その次に、電波監理委員会でございますが、との電波監理委員会は、当然電波というものは、放送行政のみでなく、全般的にある以上は、行われることは当然でございます。併しながら、これは飽くまで技術関係の分野に止めるべきであるという私は確信を持つております。電波監理委員会というものは、飽くまで電波関係或いは技術関係り專門家によつて構成されるものである。これは知識があるとか、良識があるとか言つても、演劇に関する知識のあるものが電波監理委員会に入つてつて、何らの役に立つものでない、やはり電波監理委員会には、技術関係の知識のあるものを以て構成をして、公平に電波行政を行うべきであろうかと思います。そういたしますならば、この電波技術関係の技術関係監督官に一般放送行政を監督させるということは、非常に大きな負担でございます。併し又そこに非常に大きな危険があるということを私は指摘したい。先程もこれは高級電波官僚の占めるところになるうということを申しましたが、そういう議論ばかりでなく、若しそういう人達が、善意である悪意であると私は問いません。善意、悪意ということは措きまして、とにかく一つの技術家という建前から一般放送文化を取扱うことになりますと、非常に大きな過誤があるのではないかと思いますので、一切の放送行政は経営委員会に任す、この経営委員会というものは、法的関係が非常にまずくなるのでございますならば曾ての放送委員会制度に戻して、そうして放送へ一般放送並びにNHK監督して頂きたい。従つて法案の第三十七條から第四十條に至る事項は削除をお願いしだいと思う次第であります。  それから更に国会が、この最後の決定権を握るということでございますが、ここで私ははつきり申上げたいのは、国会は立法の府であります。国会の本旨とするところは、飽くまで立法の府であつて、些々たる行政の分野にみずからお立入りになるべきではないと私は考える問題でございます。殊に問題となりますのは、国会は何といつてむ、デモクラシーの原則に従いまして、これはすべての討議を多数決によつて処理して行くところであります。ところが放送言論機関である放送は、その多数決に至るまでの国民の一人一人の、隅から隅までの或いはそれぞれの立場からの完全な少数者と雖も、その声を全国に伝えて、共に討議の糧となるべきものを提供するところであります。その討議の糧となつたものから議論が発達いたしまして、法案が成文化され、国会にかけられるならば、これはやはり多数決でやつて行かれるのは結構でございます。多数党横暴というようなことは、言論を抑えれば横暴でございますが、議決を多数を以てやつて行くのは当然でございます。デモクラシーの原則でございます。そのデモクラシーの原則を持つ国会が、そういう言論機関に入ることによつて必ずしも明朗な結果を生じない。却つて妙な錯覚を少数党或いは特殊な意見の持主に與えて、国会言論を左右するという錯覚を持たせる虞れもあると思いますので、国会は大きな立場からこの放送行政を眺めて、この国会においては、次の国会において立法の手段をとつて頂きたい。そうして次から次と悪いものを修正したらいい。初めから国会が行政的に乗り出し、承認権をお取りになるということはそこに大きな危険があるのではないかということを申上げたいと思います。  更に、国会で受信料を三十五円と設定しておる点でございますが、現在の国会で値段をお決めになつておるものは何かと申しますと、鉄道運賃がございます。郵便の値段がございます。或いは煙草とか、專売事業がございますが、肝心の我々の生活に最も密接な関係にあるお米の方は一切お構いなし。これは勝手にどこかでお決めになるでしよう。物価庁あたりで……(笑声)或いはいろいろ委員会なんかもおありのようでございますが、そういうところをちつとも構いにならないで、この法案で三十五円ということを規定してしまうということは、私はどうも行き過ぎではないかと思う次第でございます。今日インフレは收まつたと申しましても、政府はデイス・インフレと申しますし、野党ではデフレと申しております。そういう意見がいろいろ出るということは、取も直さず経済界が安定しておらない、経済は変動しつつあるということを物語るもりであります。そういうときに三十五円ということを法文上に謳うということは非常にまずいのではないかと思いますので、この点削除を要求いたします。従いまして前の国会関係から引続きまして第三十七條、第三十八條、第四十條、第四十七條第二項はいずれも削除して頂きたいと希望する次第でございます。  その次に、更に放送協会監督に屋上屋を架せられるものとして会計検査院を指摘いたしました。この会計検査院というものは、飽くまでも国家の財産或いは国家の支出を規正し、監督し、規律するものでございます。従つて何によつて会計検査を行うかと申しますと、これは明らかに国家の定めた会計法によつて会計検査院は会計を監督して行ものである。然るにNHKはもとより国家の財産ではございません。K耳Kは飽くまで私は民間のものだ。これは国民のものだということは伊藤さんも先程強調された通りであつて、この観念を飽くまで打立てて、無論国民の代表である国会から任命されたるところの会計検査院なり何なりではございますが、そういう観念から切り離して自由な立場から放送をやらす、その会計は経理を公開させることにより、或いは電波監理委員会なり、経営委員会なり、十分なる監査機構を確立することによつて、その目的を達成上得るのではないかと思います。私は放送協会に十何年おりますけれども、放送協会のあの仕事は機動性に富み、或いは迅速性が何よりも要求されるのであります。先程大宅氏は、ジヤーナリズムから一週間遅れると申されました。何故かと申しますと、組織が大きいだけに、会計でもいろいろ面倒だから、会計検査院、官庁の中でも保守的な最もやかましい監督官庁の監督を受けることになります。例えば古橋が泳ぎに行つたところで、直ぐそれに対してアナウンサーを出して全国民にその活躍振りを放送させるということを組みましても、予算手続その他の点で、或いは課長のはんこがないとか、或いは部長がどうしたというような煩鎖な些末な手続のために、放送機関、文化機関言論機関としての根本的な狙いを失うことになります。そういうようなことは止めて頂いて、そう人を疑わないで、経営委員会或いは電波監理委員会なりで、そういう密接な関係を持つている箇所において行われることを希望するものであります。  更に、先程一般業者の方から、受信機の修理を放送協会がやるのは非常に怪しからん。放送協会の奴は技術もまずく修理もできない。併しながら我々の生活を脅威するという御意見がございましたが、放送協会が技術が出鱈目であるならば民間業者の生活は脅威されません。放送協会の方が技術が優秀であり、一般国民にサービスをすれば民間業者は確かに困るでございましよう。私はこういう所で、商業放送もそうでございますが、如何に綺麗なことを言つても誰も信用しません。人間の行動を規制するには、その経済的な裏付がなければ絶対にできないということを私は知つているのであります。如何に民間放送会社方々がどういうような理想を持たれましても、或いは一般の受信機修理業者が如何なる理想を拜たれても、やはり女房子を抱えて竈の火を焚いておられるならば、自分の経済を離れて生活をするという無理なことはできません。一般修理業者は山間僻地にもお出でになるということでございますけれども、山間僻地にお入りになれば、お入りになつただけのコストを計算して引合うような料金を一般国民から要求されることは必然であります。そうでなければ餓死される。そういうことはできない。ただNHKのような公共事業体であるものは、そういうものを聽取料の收入によりましてカバーいたします。一般国民、殊に山間僻地の、広島中央放送局はよく船を出しまして、瀬戸内海の辺海の小島々々の、受信機を持つて僅かそれのみを頼りにして文化の灯としている国民諸君に対してサービスするラジオ巡回船を出しているが、ああいうことは民間業者では望む方が無理であつて絶対にできません。やるにはやるに相当するだけのコストを計算して、高い料金をお取りにになるということは決定的である。併しながら私はNHKの人間として率直に申上げます。当然NHKは民間業者の生活を危機に追込むようなことをなすべきではございません。我々も十分承知しております。そういうことは全然なすべきではない。併しながらそれはやはりNHK自体の観察、考え方によつて決定して行くものであつて法律的に規定さるべきものではないと考えますので、この第九條第五項の受信機の修理業務放送協会がなすときは一電波監理委員会の認可を求めなければならないという点は当然削除して頂きたい。その点は放送協会の職員の良識を信じて頂きたいと思う次第でございます。この受信事務については、例えば国立病院等も問題になると思います。一般民間の開業医等もこれは当然国立病院の脅威を受けることにもなろうかと思いますが、受信機の修理業務者に対しては一部会にあるところの放送協会の受信機業務放送協会みずからの手によつて逐次引締めつつあるのは事実でありまして、これを法律的に規制されることは飽くまで反対であります。  それから時間がございませんので、申したいことは沢山ございますが省略いたします。訂正放送でございますが、第四條でございますが、先程委員各位から申されましたが、あの点は特に重大な点でございます。去年の六月から八月に至るまでの社会不安が醸成されたときの状態をお考えになつて頂けばよく分ると思いますが、ああいうこともございますので、これは是非とも訂正して頂きたい。それから先程小林参議輪議員から御質問がございましたが、協会の放送広告でございます。この点は法律上私はどうしても明確にして頂きたいと希望する次第であります。これは我々曾てアルマイトと言うことが広告である、味の素と言うことが広告である。松屋の前で人殺しと言うことが広告であるというようなことで、監督官庁から非常に惱まされた経験がございます。この点法律で非常に明確にして頂きたいと思います。  最後に時間が過ぎましたが、伊藤公述人も三十何分か余計におやりになりましたので、私も少し時間をお分け願いたいと思いますが、(笑声)最後に私は民間放送に対して、私労働者として言申したいと思います。民間放送ができるということは、我々労働組合の決議といたしまして原則的に反対でないという決議を取つております。併しながら原則的に反対でないということは、NHKの波長をどんどん割いてやらせるということではございません。れは民間放送というものは、私も先程申上げましたが、飽くまで広告收入によつて営利を目的としているものでございます心広告收入によつて成立つている会社でございます。従いましてその狙うところは、完全に利潤の追求ということがやはり一つの目的でございます。この点新聞と全く違ういう点を御承知願いたいと思います。新聞は自由であるから放送も自由でたければならん、そうできれば結構でございます。我々といたしましても、ちつぽけな労働組合でございますが、新聞を持つております。全国でそういう新聞を入れましたならば、二万や三五ではきかないでございましよう。そういうことが許されるのでございましたならば、当然日本放送民間放送にいたして全面的に開放されて然るべきものと考えます。併しながら現実にはそういうことができない。商業放送と申しましても、民間放送と申しましても、許さるべきものは非常に制限されたものであろうと思います。特殊の資本家だけに、或る特殊の経営の団体だけに電波を割当てるということは、他のそれを希望する人々にとつて非常に不公平なことになるわけでございます。電波は発射されたが最後、空間的に無限に延びて参ります。又それを一瞬でも聞き逃したならば聞けなくなる時間的な制限がございます。従つて新聞に比較いたしますならば、放送という紙面は一つしかないのでございます。一つしかない紙面を或いは政治面に、或いは経済面に、或いは社会面にそれぞれ割振つて、或いは私の方では北は稚内から鹿兒島までございます。百何ケ所の電波がございます、それぞれの地方版に入つて一つの紙面が完全なものになるのでございます。これを自由に分割して行つて民間放送にこれを自由にお許しになれば、必ずや民間放送というものは、東京、大阪、名古屋、或いは福岡、北九州という利潤の上るところ、経営の成り立つところでしか放送はなし得ないと思います。飛騨の高山であるとか、釜石であるとか、帶広、釧路、最近できた網走、そういうところはやはり東京、大阪のヒンターランドからの聽取料收入を、北海道や九州や四国に分けて、全国民に揃つて均霑し得るような放送を行うのがNHK使命でございます。そういうところから一つ電波を割いて民間業者に與えるべきであるという意見には私は真向から反対いたします。それはどつかの我々の個人的な利害関係からではなく、どこかの地域の或る一つ電波を奪い去つて資本家に與えて、その利潤の追求の手段とさしておる工とに外ならないからでございます。但し原則的には賛成いたします。これが日本のような貧乏国では、先程吉田さんが成り立つとか、成り立たないとかおつしやつておりましたけれども、絶対に成り立ちませんと私は確信を持つております。併しながらこの日本の経済状態を、やがては発展する見込がないとも言えない、我々のごとき哀れなるサラリーマンが、飛行機は無理といたしましても、自動車を買うような状態にならんとも限らん。アメリカでは三人に一台自動車を持つているが、ああいうような経済状態になれば、無論民間放送も大いに盛んで立派なものができましようが、現在のような日本において、又この放送というものは技術が日進月歩でございます。毎日々々技術が進歩しておる。従つてあと幾つかより多数の、或いは窮極においては無限大の放送が可能である。民間放送を希望するのであれば、即時に許可されるという態勢になつたら、大いに民間油送結構であります。我々も民間放送一つくらいやりたいものと考えておりますけれども、そういう状態に現在はない。従つて現在はNHK電波を割いて、これを民間放送に当てるがごとき議論には絶対に反対いたします。これは殷鑑遠からずでございます。日本は敗戰国である。アメリカの占領下で、アメリカ、アメリカ、猫も杓子もアメリカである。あの世界の九〇%の富を集めているアメリカのみを御覧になつておるから、そういう議論が出るのでございますけれども、イギリスのあのデモクラシーの発祥地であるイギリスのBBCというものは独占放送でございます。自由を求めることにおいてあれだけ熱心な国であるフランスでも独占である。イタリアもそうであります。スカンジナビアでもそうでございますが、鉄のカーテンの中では無論これは政府統制下でございますが、そういう点がございますので、この点は我々は飽くまで承認できない点でございまして、日本としては当然BBCの範を倣うべきではないか。ただ将来に備えて法文にそういうことをお書きになるのは、これには反対をいたしません。  それから最後に私の言わして頂きたいことは、放送の二分割論でございます。NHKを第一放送、第二放送に分けるという議論はこれはやはり真向うから反対いたします。東西の交通文北が日本程入り乱れて複雑な形をしておるところはございません。文化の程度日本程幅の広いとろはございません刀そういうところで同じような態勢の二つの放送局ができてもそれは無理でありましよう。東海道線を上りと下りと別の会社で経営いたしますれば、車掌の言葉遣いや、水洗便所の水の出ぐらいはよくなりましよう。併しながら根本的に料金を大巾に引上げなければ、そういうことは成立ちません。競争々々と良識ある人間が鶏の何かのように喧嘩しなければ発達しないという考え方は、極めて素朴な愚劣な、むしろ滑稽な議論であると断ぜざるを得ない次第でございます。大分長くなりましたが、まだまだ申上げたいことは一時間も、二時間もございますけれども、最後にここで我々放送労働者といたしまして、日本放送そのものが盛んになるように、放送文化が振興するように参議院の諸公におかれまして放送法案を修正して頂きたいと思います。我々の希望しておるところは日本の文化の向上であり、民主々義の前進であります。そのためには、我々が今まで述べたようなことは当然規定さるべきものであると信じます。どうも有難うございました。
  37. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました。次は中谷共二君にお願いいたします。
  38. 中谷共二

    公述人(中谷共二君) 私は只今は新日本貿易株式会社の社員でございます。ただ前歴が、ロスアンゼルスのKRKD放送局を通じまして、日本文化放送協会という名前の下に、彼の地の在留同胞の方々日本語の放送を受持つておつた経験を持ちましたために、今回のこの機会に参列をお願いしたわけでございます。従つて私が申しますのは、ただ一般放送事業民間放送の許可の問題につきまして意見を述べさして頂きたいと思います。  去る一月三十日に潮目新聞に耳の自由という論説がございました。大体私達が平素周囲の方々からいろいろ民間放送に関する声を聞きますと、やはりあの耳の自由の論説にございました三送への割当電波が極端に少いだろう。とれがございましたが、この点につきまして、ロスアンゼルスのようなところは、人口百二十万と申しまして、丁度名古屋ぐらいの人口のところに、私のおりました時には、すでに十二のステーシヨンがございまして、中には五十キロワツ十の放送局秀ございましたが、こういう比較的小地域のところに十二の放送局がありましても、左程電波の分離に困難でなかつた。勿論受信機がよいということもございますが、これは私東京に参りまして、アメリカから帰えりましてすぐ満洲に参りまして、裸一貫でこちらに参つたのでございますが、いわゆる標準型の受信機を一台手に入れまして、現在第一、第二放送の愛聽者として聽かして頂いておるのでございますが、この東京におきましては、あのJOAKの第一放送、それから、OABの第二放送、それから進駐軍のWVTR、あの放送局の三つだけしか放送されておりませんために、私の安い千二百五十円ぐらいで買いました受信機で以て十分なのでございますが併しながら、私達はこういう安い受信機で現在三つの放送が十分聽けるからといつて甘んじておつてはいけないと思う。分離の方法は、真空管を一つ殖やすことによりまして、簡單にスーパーに改造することもできます。その点できるだけ多くの放送を我我は聽くことができるようにして頂くことが、むしろ放送受信機の発達において非常に貢献するだろうと思います。勿論放送する側にしましても、例えはロスアンゼルスの例をとりますと、盡間と夜間と空中線の電力を、例えば十キロワツトのものは一キロワツ十に減らすとか、或いは一キロワツトのを五百ワツトに変えるとか、こういうふうに非常に苦心が拂われているようであります。尚且つ十二放送局がある中でも、例えば月、水、金とか、火、木、土、日、こういうように同じ周波数を二局が分けて使つているという実例もございます。それから特に民間放送賛成なさる方々は皆おつしやいましたが、放送出願者にできるだけ多くのチヤンスを與えるという意味の一例といたしまして、或る放送局放送が終りました後で深夜に、学術放送のために学校の研究材料といたしまして放送を、或る放送局の終つた後の電波を使用して或る学校では実際に、生徒に技術的の研究をさせると同時に放送技術、技術と申しますか、放送のいわゆる番組とか話術とか、こういうものの研究にまで当てているようでございまして、こういう点で私は電波の割当に関しましては特にこの衝にお当りになる方が十分研究を又深くなさつて、できるだけ多くの放送局をお許しになるように私は切望するものでございます。これが従つて民間人の受信機の向上にもなると思います。  次に第二に、家庭ラジオ程度で分離、今ちよつと私自身が第一と第二の問題が一緒になりましたが、朝日の論説には、家庭ラジオ程度で分離が不可能、混信の虞れがあるということを書いております。これは前に申上げましたような、いろいろの技術的なことと、又或いは周波数の割当の研究によつて解決するのじやないかと思います。  第二に広告收入についてでございますが、これはいろいろやりようによつては十分できると思います。私アメリカに参りますまでには、放送局と言えば非常に大きな殿堂の中で大きなタワーを持つて、そうして沢山の人を使つて放送しなければならんと思つておりましたが、実際向うに行つて見ますと、中流、何といいますか、中以下の放送局というものは、みんな小さな僅かこの部屋の半分くらいのスタジオを以ちまして、そうしてその中にモニタールームあり、待合所もあり、それからスタジオもあり、レコードをしまつて置く小さな棚もある。こういうふうに非常に小規模な放送局というも一のが沢山ございます。これは私アメリカ四十八州を廻りまして、殆ど各方選局を廻つて見ましたのですけれども、放送局の施設の非常に小規模であるのに私驚いたのでございます。こういう点で別に多くの人手を要しない、ただ機材の優秀なものを揃えれば、或る程度まで放送局というものは金をかけないで、僅かな広告收入によつで賄うことができるのじやないかと私は思います。事実私達の借りておりましたK・R・K・Dは僅か十七名ぐらい、技術者と、それから実際に放送に携つている者を全部合せまして十七名くらいで運営しておつたようでございます。にも拘わらずやはり聽取者は相当、おのおの贔屓がありまして、やはりK・R・K・Dの聽取者というものを或る程度まで獲得しておつたわけであります。こういうようにビツグ・スケールの放送局は今直ぐ望むということは無理でございますが、小規模でスタートすれば私は必ず成功するだろうと思います。  最後にこの放送法案の第三章の一般放送事業者、実はこのパンフレツト、放送法案を頂きまして読みまして、皆さんも御同感でございましたが、民間放送に関する項目が五十八ケ條の中で僅か二條で、而も行数にして五行半というのでは聊か驚いたのでありますが、第五十一條放送広告主の氏名又は名称及び広告放送であることを放送によつて告知しなければならない。」これは私は反対でございます。これは商業放送放送者名前とか、或いは広告主の名前がはつきり分つて来るというような放送方法は非常にまずい方法であると思います。そういう意味において、勿論放送局には何時何分にこういう放送放送されたのは、誰だという記録ははつきりと取つて置く必要はあります。そういう規定は結構と思いますが、一々商業放送で、これは誰誰の放送であるとかいうことや、或いは広告主の名前とか、或いは広告放送であるということを一々謳つたのでは却つてぎこちないものになると思います。これが分らないうちに、ああ商業放送だつたのかなという感じを受けるところに本当に商業放送の何と言いますか、進歩があり、又そこまで到達しなければならないところだと思います。そういう意味におきまして、第五十一條の文面をもう少し変えて頂きたいと思います。  大体一般放送事業者、この第三章についていろいろ検討してみたいと思いますが、この法案をお書きになつた方が放送事業者の実情というものをよく尊重なさつて書いて下さつたか、或いは冷淡に取扱つて頂いたために、僅か二條になつたかということが私理解に苦しんだわけでございます。こういう意味におきまして、特にこの五十一條の変更をお願いする次第でございます。  大変とりとめのない意見でございますが、これを以ちまして私の意見を終ります。
  39. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 有難うございました、次は宮入鎭君にお願いいたします。
  40. 宮入鎭

    公述人(宮入鎭君) 船舶通信士協会の役員でございます。船員でございます。最後になりまして、委員各位も相当お疲れのことと存じます。これまで聞いておりまして私自身も相当くたびれて参つております。そこへ持つて来て誠に地味な、而もこれに従事する者の人権や生活に関する問題をお述べするわけで、誠に効果が薄くなりはしないかという点が私心配されるのでありますが、委員各位におかせられましても、一つみずからカンフル注射をされて、この労働者の生酒問題に触れる件につきましては御熱心な御同情を以て御聽聞願いたいと存ずるのであります。私共はこの法律の対象となる、と申しますと、ちよつと前断りをする必要がございますが、私は今日の公述におきまして放送法案に触れず、電波行政の基本法になつております電波法に重点を置いて公述させて頂きたいと存じます。今までずつと放送法に中心がございましたので、ちよつと皆さんの頭の切替が困難かと存じますが、何とぞ電波法を中心にお考え置き願いたいと存じます。私共はこの電波法の対象となる無線局の設備の操作に従事する者、並びにその従事する者と連帯関係にあります人々の意見を、ここで皆さんに御理解願いたいと思つて起ち上つた次第でございます。  そもそもこの法律が公共の福祉を実現いたしますといたしましても、この公共の福祉を実現する一歩手前に、電波の価値を実現いたす方法がなければなりません。無線従事者というものは、この電波の価値を実現する労働者でございます。従いましてこの法律目的の達成を願う方々にとりましては、この電波の価値を直接に実現するこの労働者の納得行くような姿が、一応この法律で約束されないならば、法律目的の達成の遅れるが、障害になるか、馬鹿を見る結果になるということをお考え置き願いまして、この労働者達の言う言葉を極く愼重にお取上げ願いたいと存ずるのであります。それでは私は早速本條に入ります。條文第何條何條と言つて申上げます。  第二條第五号及び四條の関係によりますと、先程どなたかもお触れになつたようでありますが、受信專用の無線施設は、これは開設に免許の要らないことに本文はなつております。これは誠に結構なことと存ずるのでありますが、これに従事する労働者場その労働者の中で、通信士の資格を持つた者が、免許の要らない無線施設に勤務した場合におきましては、四十五條によりまして免許の更新を受ける場合に、有効実歴というものに加算されないのであります。一体無線と申しましても、通信と言えば送信と受信でございます。たまたま送信は混信を起し易いが故に、これに従事する者には特典を與え、受信の場合には混信にならないから、これには資格にも有利な條件を與えない。こういうような馬鹿な線の引き方と言うか、観念論は、私共初めてここで伺う次第であります。送信と言い受信と言い、これ無線通信を一貫すべき総合的な問題でありますから、これに従事する者は送信、受信に拘わらず、有効実歴の計算の中に入れるということが当然であります。局の免許の有無ということには関係ないのでございます。この点よく皆さんの御理解を願いたいと思うのであります。  続いて第四章の無線従事者についての條項でありますが、この法案を通じて看取されます点は、冒頭にも申上げた通りでございますが、電波の価値を実現する従事者の立場というものを、納得行くような形で取上げておらないために、甚だ目的達成の運命が気遣われるのであります。皆さんどうぞこの無線從事者の立場をよくお考え下さるよう願いたいのであります  それから第四十條におきまして、第二級の無線通信士でございますが、第二級の無線通信士と申しますと、国際電気通信條約上、第二級無線通信士の証明書を有する者でありまして、第二種船舶無線局には責任ある通信士として乗務できるような規定に條約面ではなつておるのであります。ところがこの電波法の第四十條におきましては、この第二級の無線通信士は、国際通信を自己の資格において行うことのできないような規定になつております。即ち第一級通信士の指揮の下に行うということになります。皆さん関町海峡をお出になれば朝鮮が目の前に見えます。北海道を抜ければ千島が直ぐ目の前にあります。我々は日本の玄関を出たときに直ぐに国際通信圏に入るのでございます。而してこの国際通信圏の中に入つた二級通信士が、独力で己の責任で国際通信が行えないという立場だつたら、これは船舶の二級無線通信士を、船舶無線局の枠から外したことに等しいのであります。而もかくのごとき枠の外し方は、二級通信士自身の職能的な矜持を傷つけることになると思うのであります。この点よくよくお考え下さいまして、條約上の精神をも活かし、二級通信士の職場を放逐するようなこと、或いは矜持を傷つけるようなことのないように取扱つて頂きたいと思います。  次に第四十四條の規定でございます。これは皆さん、日本の各地をお廻り下さいまして、恐らくこり問題につきましては、耳にたこのできる程お開きになつたことと存じますので、ここで貴重なお時間を拜借して私は述べることを成るべく避けたいと思いますが、私共にとりましてこの條項は実に生活権に対する弾圧だとしておるのであります。そうしてずつと削除を要求して参つたのであります。立案者側の意図は、国家試験を通じて與えられた免許は、その免許を與えた当時の知識が永久不変に保持されなければならないというにも拘わらず、長くその業務に従事しない場合には、この知識が低下するから、五年目毎に切換えて首を切つて行くのだ。免状を取上げるのだ。こういうお話なんでございます。これは余り專門に亘りますので、皆さんお分りにならないこともありましようけれども、一体医師の免許、その他技術者の免許というものが、終戦以後五年目ごとに切換えるという観念相当あつちこつちに流行つておりまして、そのとばつちりを無線通信士も食うことになつたと思いますが、一体知識や技能というものは、そんなに簡單なものでございましようか。成る程試験を受ける時の知識、それから技能、つまり試験用の知識、或いは答案用の技能というものと、職場を離れて日常生活の中に消化された技能や知識というものは、それ自身質的に違うのでございます。若し我々が試験を受ける当時分知識や技能というものを領の中に一杯入れて、この世の中に生きていようものならば、日常新聞を見る度に集つて来る知識、その他の知識のために頭の中は知識に食傷して倒れてしまうのであります。そのために我々は得たる知識というものを、成るべくこの生活に適するがごとく合理化し、経済化して、それが日常生活に如何に経済的に、又迅速に役立つておるかということは、皆さんの御経験に徴して明らかだと思います。それを簡單に試験勉強のための知識がなくちやいかん。試験を受けた当時の技能がなくちやいかん。そういう立場で五年ごとに首をちよん切つて行く。成る程五年経つた、何年経つた、我々の年になりますと、私が今持つております資格免状を取るために試験を受けたのでは、決してこれは受からないでございましよう。併しながら現在のままで私の職場に、私の資格において働く場合に、私は只今免状を持つておいでになる、免許を貰うて来たばかりの方より劣つておるなどとは、甚だおこがましいが、私は考えておりません。これは知識が必ず日常の生活化して、その人の人格化しておるからです。この試験を五年目ごとに切換えてやつて見る。これは誠に馬鹿な話であります。而もそれを二年、三年という工合に区切つて行く。こういう杓子定規は、私未だ曾て考えもしなかつたことであります。併しもう一つ考え様があります。長く業務に従事しないということで表現されておりますが、長く業務に従事できなかつたという言葉で、この事態を考えるとしましたら如何でございましよう。これはなかなか政治問題になり社会問題になり、人道問題になるのじやございませんでしようか。できなかつたという中には、失業する場合もございましよう。病気する場合もございましよう。勤め先の都合の場合もございましよう。先程申しました通り受信專用の局にたまたま勤めたということもございましよう。又船舶通信士にとりましては、これは船員であるという立場から、極めて複雑怪奇な境遇にあります。これらの事情を考えるならば、長くその業務に従事しないどころではない、長くその業務に従事できないという場合が相当社会的、政治的に発生するのであります。この事実を機械的に取上げて、ただできないという、長く従事しないという受動的な表現を以てこれを取上げるということは、誠に以て怪しからん話と思います。更に一つの資格、その人にとつて一個の資格を取るということは、その人がその社会に生きる上において、その生活の優位性といいますか、生活手段の上において一つのプラスになることに違いありません。従つてこれはその人にとつて資格を取るということは一つの財産であります。この財産を二、三年使わなかつたから取つてしまう。これは私有財産制の否定でございましよう。或いはそれを骨を折らなければ渡さない。これは誠に私五十年この世の中に生きておけましたが、こうした人格化された資格にまで及ぼす、こういうことには初めて出くわすのであります。皆さんも御同意と存じます。かるが故にこの四十四條に規定されました資格更新についての制限というものにつきましては何とぞ国会を通じて国民の意思、我々従事者の意思を反映して、これを削除するようにお骨折を願いたいと思うのであります。  次にこの法律電波法でございますが、本来船舶には無線施設がございます。その主たる目的は船舶の安全、いわゆる海上における人命と、財貨の保全という目的を果すために船舶の無線局が備えられたのは皆さんすでに御承知と思うのでありますが、今度の電波法におきましてはこの安全施設である無線局の使命を甚だ阻害する條項のあるということにつきまして、二三御注意を喚起したいと思うのであります。よく船舶の無線はSOSを出すためだというのであります。成る程SOSを出すための無線施設には違いございませんが、もつともつと積極的な目的は、むしろ奇矯に聞こえるかも知れませんけれどもSOSを出させないための施設なんです。海難、遭難を未然に防ぐための要素としての船舶無線施設なんであります。決してカンフル注射的の要素のために無線施設があるのではなく、これはワクチン注射的役目があるのであります。これあるが故に我々無線従事者におきましては、この使命を達成するために設備の充実を図つて欲しい。無休当直、即ち二十四時間執務に耐えられる條件を備えて欲しい。通信士の資格の向上を図つて欲しい。こういうことを我々が叫び続けて今日まで参つたということは、この使命を自覚し、この使命を利用することによつて如何に日本の海運に利便し、如何に人道的なことが果されるかということが、念頭に置かれておるからであります。皆さんはよくお分りと存じますが、一体通信は空気のようなもので、それが完全に存在しておる間は有難味が分りませんが、これがなくなつたときの想像ができないから遺憾でありますが、若しそれがお分りになりたかつたら真空の中に頭を突込んで見れば分るのであります。通信もそれが完全に果されている限りは、人々にとつてはその価値が分らないのであります。若しこれがなくなつたときを想像するならば誠に重大なことなんです。ところが船主諸君や資本家諸君は非常に鼻の下の経済観に捉われまして、僅かな人件費の節約や設備費の節約のために、この海難率を如何に高めておるかということは表を御覧になりますれば分りますが、世界では日本は群を抜いて最高を行つております。古橋以上の記録を持つております。而もこの法律を見ましても、この法律におきましては、それに対して尚拍車を掛けるような條項を持つておるのであります。即ち第三十四條におきましては義務無線以外の、つまりロンドン條約によります千六百トン以下の船舶についての補助設備は要らないことになつております。要らないと明示してございませんけれども、義務無線以外の船は付けなくてもよいという條項を持つております。若し付けなくてもよいという自由設備になります場合においては、資本家は決して付けないのが今までの通例でございます。最低の設備によつて、最低の要員で以て懐を肥そうというのが船主達の意向でございますから、若し付けなくてもよいという條項になりますなら、これは付けないに決まつておりますので、この補助設備を付けない結果一体どんなことになるか御想像がつくでありましよう。俗に地獄船八八というものを耳にされたことはございませんでしようか。海難と言えば八八かと言われるぐらい戦時標本型の船、これに乗つておる者の人命というものにつきましては、皆さんの想像のできない程おつかないものであります。この船はこの規定によりますと補助設備が要らないことになります。どんなに遭難いたしまして、原動機が動かなくなりましても補助設備がなかつたならば、彼等はあ救急の信号を出すことも、救急の信号を皆に聞いて貰うわけにも行かない。この設備がなくて危険な船でいいのだというような規定が、これに出ておるのであります。ところが前の無線電信法におきましては、船舶に施設したすべての無線電信は補助設備を持たなければならない。これは強制しておつたのです。ところが民主主義の有難い世の中になつたら、これが非常に緩和されまして、こういうような人命に関係のあるような安全施設を付けてもよろしいし、付けなくてもよろしいと考えられるような條文に至りましては、これは非常にアナクロニズムも甚だしいのではないかと思います。  その次は第五十五條について申上げたいと思います。前段にもちよつと申し上げましたが、無休当直、二十四時間執務ということを我々は非常に強調して参りましたのでございますが、この法律におきましては船舶無線電信施設の運用時間を決めておるのであります。一種、二種、甲、乙という工合に決めております。この運用時間というものに籍口いたしまして、この電波法の設定に並んで行われでおります船船職員法の設定におきましては、直ちにこの運用時間というものを労働時間に塗り換えまして、八時間の運用時間は八時間の労働時間なるが故に一名の通信士、十六時間の運用時間指定の船は十六時間の労働時間であるから二名という工合に、極めて端的に運用時間と労働時間と塗り換えて減員を図る。この法律案は近く国会に提出される運びになつておるようでございます。我々の持つておる定員というものは、海上におきまして千三百十一名の無線通信士が海上の保安要務に就いておりますが、この船舶職員法が通過いたしました際には五百数十名の減員となります。四一%の減員になりまして僅かに七百数十名の人間が保安要員として海上の保安要務に就くのでありますが、皆さん四一%の減員ということは無線通信に関する限り、四一%の安全率の低下を意味するもの以外何ものでもないのであります。こういう大巾の減員が実に白晝公然と行われるような措置の素因となつておるのが、この電波法の第五十條であります。これは大変なことでございます。單に安全率を下げるだけならばよろしうございますが、ここで五百数十名が職場を奪われ、更に失業という枠に落され、失業は直ちに先程申上げましたように、四十五條によつて失格への運命を約束されるのであります。失業から失格へ、失格は更に失業を救い難いものにするという二重苦、三重苦に虐げられるというような形が、この法律の二つの條文のうちから拾い出されるのであります。誠に悲惨なるかな無通士要員と言わざるを得ません。どうぞこの矛盾したことにつきましては皆さんよくお考え願いたいと思うのであります。  もう一つ第四十條の聽守員級無線通信士ということについて述べます。この聽守員級と言いますのは、戰争後船舶の安全法の適用を受けまして船舶の安全信号のみを聽取する、職責としてこの免状が制定されたのでありますが、これは第一次世界大戦の直後だと思います。その後これじやどうにもならないというので、いずれ皆さんのお耳に入ります自働警急受信機、オートアラームというものに、人間が機械に置き替えられました。ところがこのオートアラームは一向働いて呉れません。安全信号を出しても鳴つて呉れません。私自身三十年の経験を通じてこのオートアラームによつていまだ救われたという話を一度も聞かない。人一人の代用として渇望されてオートアラームが置き替えられた。こういう経緯があつて、このオートアラーム以下である聽守員級の免状がこの資格要項の中に残つているのです。これは今に資本家の皆さんはこれを御利用になるに違いない、必ず利用するから御覧なさい。而も信号の三つSOS、XXX、TTT、これだけ心得ればよろしいのだ、こういう人間が船に乗つて来て完全な資格者が一人減らされるという形になつた場合に、一体船の安全性はどうなるでありましようか。こういうふうにこの電波法案は船の安全に対して極めて障害となるようなものを、公共の福祉を増進する目的を以て制定すると言うに至りましては、私は何をか言わんやと考えるのであります。時間が相当急ぎましたが、後もう少し罰則の方を申上げたいと思いますが、かねて我々は電波対策委員会なるものを設けまして、電波法案に対する請願書をお手許に差上げてございますので、それに詳しくかくのごとくすべしということが記してございますので、誠に御苦労様でございますけれども、この法案の請願書をお取上げ下さいまして、我々無線従事者のためによく御検討下さいまして一臂のお力を下されんことをお願いいたしたいのであります。私の公述はこれで終ります。御清聽有難うございました。
  41. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 以上で本法案に対する公述人方々の御意見の御発表は終了いたしました。この際委員の方々におきましては公述人に対する御質問をお願いしたいと思います。
  42. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 質問申上げるのが沢山ありますが、先ず河田さんにお伺いしたいのですが、先程御説明のうちに地区別以外に階級層別の委員も出せというような御意見でございましたけれども、先程六つ程挙げられましたが、大体それはどういうふうな認定の上に挙げるようなお考えであるか、これは私共この法案に対しては別に関係ないと思いますけれども、参考までにお聽きしたいのですが。
  43. 河田進

    公述人(河田進君) 御質問の趣旨がよく分りませんですが、私が挙げたのは、労働とか、婦人、経済、文化、そういうものはどういう観点から選んだのであるかということですか。
  44. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 いえそれの選定の方法ですね。いろいろな方面から……。
  45. 河田進

    公述人(河田進君) 分りました。それは私は一番よろしいのは国民の直接選挙でございまして、こういうことは実現が困難でございますので、今日国会国民の選出するところに従つて国民の利益を代表しておられます国会のお決めになる委員によつて国会が全責任を持つて任命なさつて然るべきだと思つております。
  46. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 次に中谷さんにお伺いしたいのですが、アメリカで同一周波数を月水金、大木土というように二局で分割して使つておるところがあるから、そういうふうなやり方をすればよいというようなお話であつたのですが、こちらが月水金使つて、こちらが火木土使うということになると、一つの波長でやれば一日置きにやらないという意味ですか、それともこつちの波長は五OOKC、こちらは四五OKCというように、両方相互いにやるという意味ですか。
  47. 中谷共二

    公述人(中谷共二君) いえそうじやありません。全然片方がやつておる場合は片方は止めるということであります。勿論それは大抵商業放送と宗教、いわゆる教会などがタイアツプいたしましてやつておるようでございます。
  48. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 次に宮入さんにお伺いしたいのですが、法案の第四條並びに三十七條にも規定しでありますが、方向探知機は受信設備とあなた方の方ではお考えになるのかどうか、これはただ受信のみというような御観点であるのか、受信設備という……あの無線設備というふうにお考えになるのかどうか、それが第一点、第二点は四十條に漁船級を設定して呉れという意見が先般の地方の公聽会でありましたが、只今何ら御意見がないようですが、漁船級の設定の必要があるかないか、あなた方はどういうふうにお考えになるのか、それから第三点は六十二條の碇泊中の船舶の通信にFMを使用することをあなた方として希望されるのかどうか、先ずその三点をお伺いいたします。
  49. 宮入鎭

    公述人(宮入鎭君) お答え申上げます。方探について申上げます。船舶に施設した方探等の設備でありますが、純粋に申上げましたならば、これは受信機だと思うのでありますけれども、この方探を操作する上におきましては、当然無線局の送信設備が活動してこの方探をとることに協力と申しますか、これを可能にするような態勢は、我々の意思を通ずることなしには現実には置けない。つまり我々が電波を発射して、向うがそれに対して方探を取り得るような態勢にして呉れることの方が非常に例が多いのであります。従いましてこの方探は船舶無線局の設備として当然あるべきだと考えております。  次に漁船級の設定でありますが、本法におきまして只今御質問の漁船級というのは恐らく電波法におきましては三級無線通信士を振り当てておるものと考え、又国際條約上におきましては特殊無線通信士の項目の中に、これが吸收されておるのじやないかと思うのでありますが、この商船の通信士と漁船の通信士というものは、決して簡單に通信士という枠では決められないと思うのであります。商船の通信士がその電波の形を実現する上の方便と、漁船がその生産に直接直結する姿でこの漁船を利用する面とは非常に違つて参ります。ですから漁船級の通信士というものは先ず漁夫であることが漁船級の通信士にふさわしい。又商船の方は先ず船員であることが船舶通信士になるにふさわしい。こういう考えからいたしますれば、三級通信士の項目は止めで、むしろ漁船級という項目をつけまして、これを二級通信士と同格以上の免許を與えるという方法をとつて行く方が、ためになりはしないかと私は考えます。  次に碇泊船にFMの利用ということであります。誠に船員は皆さん御想像のつかない寂しい生活をいたしまして、今頃は岸壁等におきましても占領軍の使用が優先でございますので、いずれも沖がかりでおります。沖の中でただ頼りとするのはラジオを聽くぐらいでありますが、問題になるのは病気になつたとき、船内で病人が出て医者がいない。船内で何か火災が起きた、これを知らせるすべがない。碇泊中の無線の使用は禁止されております。この場合は使用してもよろしいのですが、事実問題にすれば荷役の問題、その他の連絡について碇泊中FMが設定されて、陸上との間の交通が自由にできるようになつたならば、船員の生活にも、又船主の海運上の利益にも相当なものがあると考えております。この程度でよろしうございますか。
  50. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 次に電波法の六十五條に「第二沈黙時間」ということがありますが、これは国際法では第二沈黙時間は規定してないと思いまするが、あなた方の船舶乗組員から考えられて、第二沈黙時間の必要を認められるか認められないか。  次に四十四條の問題でありますが、この免許の期間が五ケ年ということになつておりますが、これを万一変更するとすれば何年ぐらいの有効期間ならよいかということをお伺いしたい。  それから第三番目に九十七條の訴訟の問題でございまするが、地方に起つたよう事件を取扱う場合、私共はこれは民事であると思いますが、民事であるならば、東京高等裁判所の方に持つて来なくても、地方でよいのではないかと思うのですが、その点はどういうふうに考えられるのか。  それから百十二條以下の罰則の点でありますが、この罰則により免許を停止するということに相成りますので、これが聽聞会を開けばそれでよろしいとお考えになつておるのかどうか。
  51. 宮入鎭

    公述人(宮入鎭君) お答え申します。第二沈黙時間というのは、恐らく八メガの短波で遭難信号を一応出すことになつておりますために、遭難信号を出し得る波長帯に対して一応沈黙時間を設定するのがよろしいということで、第二沈黙時間が考えられたものと思うのでありますが、これは誠にどうも面白くない法律なのであります。第一に、この沈黙時間を守るということ、これは中波帶の場合に及びますけれども、さつきの罰則に関連がありますから申上げます。五OOKCにおいて、沈黙時間を厳守しなければならないということは、我々が生命を海上に託しておる限り、我々が厳粛な事実においてウイルフリーにこの沈黙時間を破るということはあり得ないことでありますが、時計が不正確であつたり、いろいろの事件のために、つい沈黙時間というものに違反を起す場合があるのであります。つい犯すというようなこの沈黙時間の罰則のために五万円の罰金、更に五万円の罰金刑に処せられたならば当然彼は免許の執行を停止される。こういう苛酷な罰則が制定されるのです。さればここに第二沈黙時間というものの短波帶における沈黙時間が設定されるとするならば、第一沈黙時間は五万円、第二沈黙時間は五千円というようなお金で設定されるか知りませんが、沈黙時間に絡まるところの通信士の恐怖というものは誠に甚大なものがあるのであります。我々は我々の命が大切なのでありますから、いたずらにこんな訳の分らない沈黙時間を拾えない方がよろしい、中波帶だけで結構だと思います。  その次に有効期間をどの程度にしたらよろしいかということにつきましては、私は目下のところでは、この免許の有効期間制というものを削除して貰う以外の方便というものを考えておりません。これは絶対に削除して頂きたいと思うのであります。併し、若し強いてこれが削除が可能でないといたしましても、監理委員会は、これは削除にふさわしい方便を十分に考究して運営上取計らうべきことを明示して、我々に安心さして頂きたいと思うのであります。これはそう申上げましたが、原則としてはこれは削除して頂くということ以外に考えておりません。  それから九十七條の監理委員会の処分に関する件でございますが、私も法律学者でございませんので、この條項はただ不当というような感じで私はここにマークはしてございますが、詳しく法理上のことは分りませんが、この法律で見ると、何かもうすでに裁判所に渡る場合には、第一審で以て決定されてしまうというような危険を感じるのでありますが、この点につきましては、私法律学者でないので、甚だ妥当な御答弁ができかねておりますので、後刻書面なり、又は尋ねまして確かな御返答をいたすことを責任を持ちたいと思います。  それからもう一つ罰則でございますが、この罰則が、これも皆さん御覧になつて頂けば分りますけれども、如何にこの無線従事者というものが罰則規定で縛られておるかということを、一つよく法規を通じて御覧願いたいと思うのであります。それでこの罰則規定につきましては、まあ百七條については、技術規定である電波法が殊更この種の通信を予想して罰則を決める必要はなくて、当然別個の法律で処理して欲しい。この法律では、是非とも行政処分以内に止めて呉れということが我々の趣旨であります。第百十五條の調査審問に対して答えなかつた場合の罰則でありますが、これは憲法で認めておる黙秘権を侵害するものだから、これに対しても基本的権利を認めるということを我々は考えております。その他沈黙時間のことにつきましては只今申上げましたし、秘密漏洩についての罰則でありますが、これは元は親告罪といいますか、被害を受けた人の告発によつてその罪が成立するというようになつておりましたが、今度は摘発されれば直ぐにそのままやられるという恰好らしいのでございますが、これは是非とも親告罪として被害者の届出を待つて処分に出るという方法でやつて頂きたい、かように考えております。
  52. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 次に伊藤さんにお伺いしたいのですが、これはいろいろ理由もあり、いろいろ立案者の方の電波庁の御意見もあることと思いますが、教育の問題が何ら取入れられておらない。いわゆる四十六條乃至は四十九條までにおきまして、この試験に合格すればよろしいということに相成つておりまして、例えば地方の高等電波学校乃至は中央の電気通信大学を卒業しなくても免許には差障りがない、乃至は取扱いに差障りはない、通信士になることにおいても何ら加味されておらない、こういう点からいたしまして、この免許資格とか、そういう点から言つて、どういうふうに伊藤さんはお考えになつておられるか、ちよつとその辺をお洩らし願いたいと思います。
  53. 伊藤豊

    公述人(伊藤豊君) お答えいたします。この問題は、教育の衝に当つておる文部省、それから電気通信大学、又文部省の中にできております無線従事者教育協議会等で問題にしておりまして、それぞれ意見を持つておるのであります。殊に文部省と通信大学では、このために特に協議会をお開きになつて結論をお出しになりまして、そのお出しになりました結論を実は頂戴いたしましておるのでありますが、まだここの席上でその結論そのものを直ぐ採り上げて頂くことが妥当であるや否やということについては、我々協議会に席を置く者から考えても、もつと考えて見なければならんことだと思います。併し原則論といたしましては、今お話がありました通りに、他のどの職種の国家試験にも、必ず教育に対する資格があるのでありまして、この教育資格を持たない者に、この重大な責務を担当する通信従事者を、そのまま国家試験に通りさえすればよいというようなやり方ではいけないのじやないか。そういう方面からいつてもいけないのではないか。又通信大学の方の教科目を見ると、百数十の單位を取らなければ卒業ができないような規定になつておるのであります。ところが国家試験はその中の七、八單位に相当する分だけ通過すれば、もうそれで以て百何十單位というものを取るべく努力して来た人と、同じ資格を得るというようなことになつている、そうであります。かようなことを考えますれば、教育が何のために行われておるかということが分らなくなつてしまう。それから又教育というものは、絶対必要な理由があつて、そういう大学国家が認めておるのでありますからして、そういうようなことを考え併せますと、無條件に直ぐ出すということはいけないと私は思いますので、先程時間がありましたら、この点を一つ御質問のある前に申上げたいと思いましたが、この席上としましては、電波高等学校の問題もありますが、一級、二級、三級とある、その中の三級くらいは先ずそういう制限なしに、広く開放して競争によつて資格を與えてやるのが妥当と思いますけれども、一級、二級というような、国際的な関係を持つ免状に対しましては、それは余りに軽卒であるのではないか。国家試験をやる場合において、外の職種でも、そういうことを十分考えて立案されたら……、それと同じ建前からいつて、同じ精神からいつて、これにそういう制限を加えるのが妥当だろうと思います。併しそれの具体的数字等につきましては、一番初めに申上げましたように、もう一遍考えて見なければならんことがあろうと思います。
  54. 小林勝馬

    ○小林勝馬君 電波法につきましては、更に沢山お伺いする点もありますけれども、時間の関係もございますので、これで一応打切りまして、先程小川さんに質問申上げましたのですが、小川さんからいろいろ第九條の二項の第七号の問題につきまして、撤廃のお話がありましたのに対して、河田さんから非常に反駁があつたようでありますが、これに対していわゆるラジオ業者として、撤廃した場合、山間僻地乃至はいろいろな島、そういう所の修理業務は、一体どういうふうにしておやりになる御意図であるか、承わりたい。
  55. 小川忠作

    公述人(小川忠作君) 協会は莫大な聽取料の收入がございまして、都市の業務に対して、山間僻地を非常に痛烈におつしやつておるのでありますが、文業者といたしましては、協会が非常に犠牲をお拂いになつておるならば、もともとラジオの修理は業者だけであつて、協会は経験後に始めたのである。又終戰前は、業者共々にやつておつたのであります。ときには協会が費用を御負担になつたこともあるでありましよう。ただ徒らに今日のごとく、業者と対立いたしまして、山間僻地どころか、都会の真ん中でどんどんやつておる。協会が完全に手をお引きになり、又我々業者に対し温かい気持で共に相提携するならば、全国到る所心配はないと確信するのであります。又厖大なる聽取料の收入もあるのでありますから、むしろ協会の費用よりは業者の方が安く上る。大きな放送で二十五年間に八百万の聽取者を獲得し、共に車の両輪と言われて働いて来たこの業者に対する僅かな援助によつて十分なし得ると思うのであります。如何なものでございましようか。
  56. 千葉信

    ○千葉信君 私は河田さんに対して御質問申したいと思います。今日おいでになられた公述人方々の御意見は非常にいずれも御立派で、法案審議の上に貢献するところが非常に甚大であると思いますが、特に河田さんや宮入さんの御意見は、私にとつては少くとも非常に同感を深くするところがあつたのでございます。ただ併し河田さんの先程言われた御意見の中で、第九條の第二項第七号に関しまする点につきましては、むしろ私はこれは中小商工業者の既得権を、最低生活権を守るという立場から、これは私は俄かに御意見賛成することができない部分があるように考えられますし、それから又もう一つの点は第五十一條、五十二條も一般放送事業者の問題に関連するところでございますが、特にあなたに御質問申上げたいと思いますことは、私は経済民主化という立場から言いましても、独占企業を排除するという立場から言いましても、この一般放送事業者事業というものはできるだけ広汎に守られるように考えられて行かなければならん。こういう立場から私はこの條項に関していろいろ考えておるものでございますが、特にあなたの先程の御発言の中で、一般放送事業商業放送の場合と新聞とを同日に考えることはできない、同日に論ずべきではない、こういうお話がございましたが、実は私はこの問題については、聽取料を取らないということ、新聞の場合のように商品として売るのではない。広告料によつて事業が成立つて行くという点、この点が明らかに新聞とは同日に論ずることができないわけであります。それからもう一つ新聞紙が大量に用紙を獲得してどしどし新聞を発行しておるのに比べて、今度の商業放送の場合にありましては、大体電波の規整の点から地域的に非常に制約を受ける、こういう点については、これは一応新聞と大体大きく根本的には違つておる点ではないか、その他の点におきましては、商業放送の場合にありましては何らの制限の規定はない。広告もやつてよろしい。放送協会の場合においては広告をやつちやいけない、片つ方は広告をやつてよろしい。そうすると制限がないだけに、商業放送の場合にありましては或いは国民の喜ぶようないろいろな種目を放送するかも知れない。それから先程古垣さんのお話では一応公共放送というようなものが新らしくできる、日本放送協会の專売であるかのような御発言がございましたけれども、或いは商業放送の場合にもそういう点にもつともつと大巾に手を延ばして行くかも知れない。まあ私はそういうふうに行くことが独占形態を排除する形に行くと思うわけですが、あなたがさつき言われた御意見の中での、新聞商業放送同一考えることがいけないという御意見は、一体どういう点を指して言われるか、もつと具体的にその点をお話し願います。
  57. 河田進

    公述人(河田進君) 先ず第九條第二項第七号から申上げます。先程申上げましたように、私は如何なる場合でもそれに対し、一つ事業としては財政的基盤から、或いは経済的基盤から必ずそのことはできないということを申上げたのであります。勿論公共放送であるNHKが先程業者の方がおつしやいましたように、その資本を以て、人件費を協会で持つて実費で安くやるというようなことで、民間業者を脅威するということは、十分愼まなければならないことであり、又現に愼んでおるところであります。これは終戰後始めたとおつしやいましたが、これは放送協会始まつて以来直ぐ始まつたことで送信があれば受信がある、送りつぱなしではない。放送とは送りつぱなしと書きますが、送りつぱなしではいけない。受信の面まで見てやらなければいけないという建前で戰前からやつておつたことでありますが、ただ違いますのは、戰前は部品を一切売らない、従つてこことここが悪いから受信機はラジオ屋さんに持つていらつしやいということを戰前にはやつておつた。ところが戰後は隔靴掻痒であるということで、先程放送協会が故障に気が付かずに、修理業者が故障に気がついて、修理業者は痛くない肚を探られたというお話もございましたが、又同時に故障でもないものを故障と言つて暴利を貧つた業者、経験直後のあの混乱期においては確かにやつておる。段々そういう人は淘汰されておるでしようけれども、そういう存在もあつたわけで、そういうことに対して公定価格でも実際できるということの標準を示すために、放送協会の都会の中における公定制度というものの存在の意義があつたのであります。併し今日はその意味も薄らいで参りました。将来ますます簿らいで行くでございましようが、併しながら山間僻地においては、これは業者の方がいらつしやるでしよう、いらつしやるけれども一日分の日当、宿泊料と妻子を養うために、一台か二台の受信機をそういう所に行つておやりになることは、これは国民にとつてサービスではない、そういうことはやはり公共放送が本当に受持つて瀬戸内海の島々、或いは山川越えて田舎に入つてつて直すということは、やはりそういうふうな営利を全然考えないで、ただ公共面だけを考え機関でなければできないことで、飽くまでこれは放送局が必要である。それが即ち国民諸君に対しての、むしろ放送協会義務であるということを私は申上げた次第であります。決して業者諸君の生活を圧迫することが我々の本旨ではございません。その点は医者の公共性とやや似ているのじやないかと思います。それから先程新聞面と放送面とが違うということを観念的でお分りにくいということでございますが、先程申しますように放送は一枚の紙面だ、新聞の場合は何万でも出せる、そういう観点から言うと例えば労働組合がですね、放送を持つという、完全に持てるようになればよろしいのでございますが、そういうことは到底できない、飽くまで制限があるものであります。それを下手に電波を沢山出しますと、新聞で申しますならば「朝日」を刷つて、「読売」を刷つて、「毎日」を一緒に刷つて配つたら真黒で何も読めない。それが放送というものの特殊性なのであります。だからやはり制限があつて民間放送を実行される方々におかれましても、放送は特定の人しか許可にならないでございましよう。これはアメリカのようにあの広大なる地域を持つておるならば、非常に電波も弱くなつて来ますから適当の放送局が数多くできるでございましようが、日本のように非常に狭隘な面積で、沢山の入口を持つておる所ではそういうことができない。従つて許可される資本家はそれは特権を與えられたことで、その方々がこういう放送によつてやられるならば、これは低きにつく、広告放送ということは大衆を捉えることであります。私はNHKにおりましてずつと見ておりますと、シンフオニツク・オーケストラというようなもののクラシツクなもの、或いは日本の芸術でも高級の洗練された放送なんかならば、聽取者は二五%から三五%を出るものではない。どうしてもこれは笠置シズ子の敵ではありません。大衆性から言いますと、段々民間放送が許可されるということによつて放送の質の低下というものは止むを得ずこれは競争によつてつて来る。そこがやはり公共放送でなければならんと我々は言いたい。我々の方でもそういう低俗な放送は、国民大衆を捉えて、大衆に食入つて一歩引上げ、二歩引上げ、三歩引上げるという努力が公共放送によつてのみなし得る。日本の公共のために放送が寄與するのはそういう立場からでき得るのである。これが商業主義の放送に委ねて行つたならば、悪貨は良貨を駆逐するように、段々低俗になる危険があるということを私は言つたのでございます。ちよつと御質問の趣旨とは食い違つておるか知れませんが、大体そういうことで御了解願つて置きます。
  58. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 公述人公述人の間におきまする討論に亘るようなことはお避けを願いたいと思います。
  59. 小川忠作

    公述人(小川忠作君) 修理業務に対して申上げたいのでありまするが、電波監理委員会が必要と認めた場所に限りというように法文に載つておるのであります。我々公團業者といたしましては、單に必要と認めた場所に限るということが非常に不満なのであります。この運用如何によりましては現在やつておるところの放送協会の修理業務は、今のところ必要と認めると言えばそれまでであります。何故かくも心配するかということは、放送協会が山間僻地で修理が必要だ、修理が必要だと申しておりまして、或いは島々へ船を廻して直すと称するのでありますが、大部分は中小都市の中心地、繁華な儲かりそうな所で修理業務をやつているのであります。真の山間僻地は百分の一か千分の一か恐らく分らないのであります。我々業者には、その協会の行う修理業務組織をそつくりお受けいたしますならば、山間僻地であろうと、船であろうと小島であろうと尚十分にサービスして余りあると確信するのであります。一言申上げます。
  60. 大島定吉

    委員長大島定吉君) 外に御質問ありませんか。それではこれを以て本日の公聽会を閉会いたしたいと思います。  尚終りに臨みまして公述人方々に一言簡單にお礼を申上げさせて頂きたいと思います。本日は公述人方々には非常に公私共御多用の折からお差繰り頂きまして、御出席を頂きまして有益な御意見をお聞かせ頂きましたことを深くお礼申上げます。私共委員会におきましては、皆様の貴重なる御意見を資料ともし、又参考ともしまして本法案審議を期したいとかように考えております。心から皆さまの御厚意をお礼申上げまして閉会といたします。    午後四時十八分散会  出席者は左の通り。    委員長     大島 定吉君    理事           橋本萬右衞門君            小林 勝馬君    委員            深水 六郎君            尾崎 行輝君            新谷寅三郎君            千葉  信君   公述人    無     職    (前音楽学校校    長)      小宮 豊隆君    日本新聞協会編    集部長     江尻  進君    科学研究所所長 仁科 芳雄君    日本放送協会会    長       古垣 鉄郎君    日本電気通信    社社長    (東京放送株式    会社創立準備委    員長)     吉田 秀雄君    国民放送協会代    表       伊藤  豊君    錦峰電波工業所    所長      榎本 雅道君    著  述  業 大宅 壯一君    全国ラジオ電機   組合連合会々長  小川 忠作君    高等学校教員  梶原 房子君    日本放送協会労    働組合役員   河田  進君    新日本貿易株式    会社社員    中谷 共二君    船舶通信士協会    常任委員長   宮入  鎭君