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参考人(
内橋潔君) 私は
只今紹介を頂きました
内橋でございます。この度私共が二十年間に亘りまして
調査しました
瀬戸内海の
資源の様子を
お話する
機会を得ましたことは、感慨の至りである次第であります。
先ず初に問題となりますのは、私共の
調査研究の
資料の問題であります。これは
兵庫県
水産試験場が大正十三年に設立されましてから、
昭和十七年まで殆んど毎月、それ以後は大体一年に三回乃至四回、
紀伊水道、
大阪湾、
播磨灘というふうな
場所の
海洋調査、有要
水族の
去来集散、これらの
孵化生育というふうなことを
調査した
資料に基いているのであります。私共の
調査の対象として、民俗学的の
調査を普通取りがちですが、そういう
調査は一切含んでおりません。これらの
資料に基きまして、
内外資源の
実態を監査しました結果を申上げたいと思います。
第一に海の
状況を申上げます。
瀬戸内海と、
漁業の方で呼んでおります海区は、西から申しますと
周防灘、その次が
伊豫灘それから安
藝灘、備後灘、
播磨灘、
大阪湾、その南に
紀伊水道という海区があるわけであります。これらの海区の
水温の
状況を申上げますと、
瀬戸内海は御
承知の
通り、
海洋としましては海が浅くて塩が甘い、
温度は夏は非常に高くなりまして
冬温度が下がるのが
一般の傾向であります。一月、二月頃の一番寒いときの
水温の
状況を、
瀬戸内海を概観的に見ますと、
周防灘、
伊豫灘、という深い所は大体
水温が十二度前後であります。一番東に面しております
紀伊水道の北にある
大阪湾になりますと大体七度前後であります。その中間にある
播磨灘から
周防灘までの間は、西の方が段々高くて東の方が低いのであります。ですから
周防灘の東の方、それから
伊豫灘の
南部、そういう所が一番
温度が高くて、東へ参りますほど
温度が段々と冷えまして、
大阪湾へ行きまして一番
温度が冷えまして、それから南の
紀伊水道に入りますと又
温度が高くなりまして、大体十二度、十三度という
温度を現すように
なつております。これは
瀬戸内海に入ります
外洋水の
影響が
豊後水道から先ず
伊豫灘へ入りまして、その
影響がずつと東の方へ及んでいる証拠であります。明治四十二年に
瀬戸内海漁業取締規則というものが公布されまして、その
規則のよ
つて漁業をや
つておるわけでありますが、私共がよく
漁業法で決められた
瀬戸内海というものが、
紀伊水道を
瀬戸内海の中へ入れるなれば、
豊後水道も
瀬戸内海の中へ入れたらいいじやないかというふうなことをよく聞くのであります。これはこの
水温の
分布状態を見ますと、寒冷な冬に
温帯性の
水族が避寒する
場所は、西の方では
伊豫灘の南、
周防灘の
東南部になるのでありますし、東の方は
紀伊水道にそれがあるわけであります。ですから
伊豫灘の南とか
周防灘の
東南部というところは
水温の
状況から見ますと、丁度
紀伊水道に該当しているわけであります。
紀伊水道は該当しておるのでありまするから、その上更に
豊後水道を
瀬戸内海として入れる必要なないわけであります。それをもつと詳しく申上げますと、
内海の
状況というものは冬の海と夏の海の
二つからできている。こう私は考えておるのであります。夏の海と申しますのは、大体
水温が十二度以上に
上つた夏の時期、冬の海と申しますのは、
水温が十二度以下に下
つた十二月の下旬から四月の上旬までの時期であります。この時期におきましては、寒い時期、冬の海の時期におきましては、
温帯性の
水族、もつと別の言葉で申しますと、暖かさを好む
水族は、この夏の海で活躍しますが、一旦冬の海になりますと、そういう魚は皆暖かいところへ寒さを避けてそこで冬を越すわけであります。そういう
関係にありますこの
水族の
避寒場所として、
紀伊水道或いは
伊豫灘というふうなところは、魚がそこへ冬の間避寒する
場所に
なつておるのであります。魚のとれる量から申しますと、これは
大阪湾と
播磨灘等について申上げますと、冬の
期間にとれます魚の量は夏の
期間にとれる魚の量の大体八分の一に当
つております。ですから冬の海でとれる魚の漁というものは非常に少いのであります。このために、
内海の
漁村か、冬枯どきと申しまして非常に皆がこの
期間困るのであります。それでは夏の海の時代にどんな魚が活躍するかと申しますと、
瀬戸内海の
東部におきましては、いわし、いか、たい、ぼら、あじ、さわ、くろだい、えそ、ぐちというような魚が夏の海で活躍するわけであります。冬になるとこういう魚は寒さを避けて
紀伊水道や或いは
伊豫灘の深い所へ避けまして、その代りそこで活躍するのは、てながだこ、かれい、ひらめ、
えびの類であるとかいうふうな、いわゆる
底物の魚が僅かに活躍しておる
程度であります。このように有要
水族の移動、
集散というふうなことから考えて見ますと、
瀬戸内海、特に
東部瀬戸内海に住んでいる魚は、
内海、
内海と申しますか、
紀伊水道瀬戸内海の
播磨灘、
大阪湾というようなところを一軒の家のようにして動いているわけであります。その次に
比重のことを
ちよつと申上げますと、
比重の大体
水温で申しましたと同じように、黒潮の末流が
紀伊水道の一部、
伊豫灘の一部に顔を出しまして、そのためにそこへ十二度或いは十三度というような
温度を出現さしておるのでありますから、そこへ魚が集ま
つて寒を越すわけであります。
瀬戸内海の魚のとれる量は大体どれぐらいとれるかと調べて見ますと、今までの
統計では大体三千五百万貫ぐらいとれるというふうなことに
なつておりますが、今までの
統計では学問上怪しげな点がありますので、私共は大体
瀬戸内海で一億万貫近い魚がとれているのじやないかというふうに想像しているのであります。これらの魚は昔は一本釣り、這縄、地曳そういう類でとられましたが、最近では打たせ網、
底曳網、いわゆるそういうふうな底を引廻すような網で以
つてとられている魚が多いのであります。
最後に申上げたいことは、
瀬戸内海では、
瀬戸内海漁業取締規則によりまして、
機船で以て網を引張ることは禁止してあるのでありますか、ずつと以前からどこの県でも、どこの水域でも大体隠れて行われているというのが常識でありまして、そういうふうな漁具で以て魚をと七始めまして、
稚魚乱髪ということになりまして、魚がとれないから
馬力を大きくする、そうすると暫くはとれますが、又とれなくなると
馬力を大きくし網を改良するというようなことを、つぎつぎと
馬力が大きくなりますし今では四十
馬力、五十
馬力の打たせじやなくて
縦曳のそういう網が各所に出現しているような
状況であります。
こういう網が沢山出現いたしますと、
瀬戸内海の魚の
繁殖保護の上には悪い
影響を及ぼすことは明らかであります。
それからもう
一つ特に私共が
調査しまして関心を持ちましたことは、
紀伊水道の海の
状況がプランクトンから見ますと、魚は
播磨灘と大体同じである、
紀伊水道と
豊後水道と比較しますと、
豊後水道は全くの
外洋性であるのと太いに異
なつておる点であります。
要約的に
最後に申上げたいことは、
紀伊水道と
播磨難と
大阪湾という海は
一つの海である、その
一つの海の中で魚が行
つたり来たりしている、殊に冬におきましては
紀伊水道というのは魚の
避寒場所であり、
蓄養場所であるという点でありますから、
紀伊水道或いは
大阪湾、
播磨灘というふうなものを生物学的には別個に考えることは不可能ではないかということを痛感しておる次第であります。
概略以上の
通りでございますが、何か御
質問がございましたらお答え申上げます。