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公述人(澤田榮一君) 私は全国三万五千の主として結核を更生する団体の会長代理を務めております。
生活保護法が
昭和二十二年と記憶いたしますが施行されまして以来、私共日坊同盟はその改善を常に叫んで参りました。戰後四年の間に国内の生産は向上いたしまして、一般的に生活の安定が見られておるようでありますが、私共患者の生活はちつとも改善されてはおりません。却
つて苦しんでおる者がますます苦しみに落ちて行くような
状態であります。労働力の保全、回復と社会釈序の維持といつたような一般的な社会保障の見方のうちにあ
つて、この
生活保護法こそは
憲法二十五條に明記されておる「すべて
国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衞生の向上及び増進に努めなければならない。」というこの基本的人権に基き、あるべき姿として当然押出さなければならないと信ずるのであります。併し過去三年間に亘りまして、私共が実際に見て来た今までの
生活保護は、これは決して健康で文化的とは言い得ないのでありまして、殊に
憲法の二十五條の後半に盛られておる積極的な意図、向上及び増進に努めなければならないというふうな意図は少しも感ぜられないのであります。
例えば一例を引きますれば、国家
予算六千億に上る
予算のうちで僅かに百五十億しか、この
生活保護法の方の
予算が支給されないという実情を見て頂けば分るのであります。私共は勿論この
生活保護のみにすべてを委ね、頼るものではありません。むしろ最近における中小企業の倒産と首切り失業、こういう社会問題を切実な根本的な問題として解決される全
政治面の動きの中で、この
生活保護法の意義を認め、この全面的
政治面の解決にむしろ期待をかけているものであります。それだからと言
つて私共はこの
生活保護法を軽んずるものではなく、最後の我々に用い得るぎりぎりの線として最も重大性を感じているわけであります。この
生活保護法が
如何に美文、名文を連ねても、実際それを裏付ける
予算がなければこの
法律は死文にな
つてします。我我はそれを信じ、ここにこの
生活保護法改正に当りまして、この
予算の増大、基準額の引上げを切の望むものであります。以上私の
保護法に対する全般的な点を申上げました。
次に各
條項に亘り申上げたいと思います。第一章第
一條でありますが、この後半部に、「その最低限度の生活を保障するとともに、」とあります。ここに私は「健康で文化的な」という二十五條のこの字句を挿入して頂きたいのであります。これは第八條、第十二條の「最底限度の生活」の前にも挿入して頂きたいと思います。
次に第四條の扶養
義務者の問題でありますが、「民法に定める扶養
義務者」云々とありますが、この民法では八百七十六條に「三親等内の
親族間においても扶養の
義務を負わせることができる。」ということが明記されているのであります。ところが私共長期療養患者の
立場から申上げまするならば、こうしたことが非常に無理なのであります。私共は結核の患者でありますが、今結核患者によ
つては長い者では十六年、短い者でも四年以上の療養を必要としております。こうした者が
一家の中から一人出た場合、全部がその犠牲とな
つて、逆境に立たなければならないのであります。かかる事由から伯父、伯母までに扶養の
義務を負わせることは当然できないのでありまして、これは特に最近の経済的な生活困窮からも言えるのでありますが、我々はこの点について
反対するものであります。この点につきまして、せめて血族の親子、兄弟程度にこの
範囲を制限して頂きたい、こういうふうに私は
考えるのであります。これは第十條におきます世帶單位
保護の原則並びに七十
七條の
費用徴收とも関連性を持
つております。
次に第八條「
保護は、
厚生大臣の定める基準により測定した要
保護者の需要を基とし、」とあります。この「
厚生大臣の定める基準により」というものがどのくらいの額であるかと思しますると、現行では六大都市において、五人世帶で五千三百七十円であります。
改正案では五千五百三十円くらいまで、約百六十円くらいの増加が見られると承
つております。併しこの数字は最近におきますCPSの東京都四百八十二世帶の
調査、四・八一人における一万三千四百二十六円六銭、この数字から比べますときに、実に格段の差を持
つておるのであります。私共はこの基準額の引上げを最低七〇%くらい頂きたいと
考えておるのであります。そこで私はこの「
厚生大臣の定める基準により測定した」云々の項を、特にここで「別に定める特別
審議会の測定した要
保護者の需要を基とし、」とし、特別
審議会を以て実際的、理論的に研究測定して頂きたいと思うのであります。それからその
條項の終りの部分で「その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。」という項を、「不足分が完全に補われねばならない。」というふうに変えて頂きたいと思います囲現在の
医療保護が非常に低い査定標準で行われているということを私は申上げるのでありますが、その例として私はこれから二、三の問題を拾い上げて見たいと思います。新潟の国立新潟療養所におきましては、昨年の七月以降
医療の打切りを受けた者が七名、その中
市町村財政の窮迫によるものが五名を占めております。それから生活扶助の打切り、切下げを受けた者は五十名に達しているのであります。こういうふうな
状態であります。それから私自身被
保護者の
立場として皆様に申上げたいと思うのでありますが、現在の生活基準額は非常に低過ぎる。これでは健康にして文化的な最低生活は当然望み得ないのであります。私の例を申上げますと、私は七十歳になる父親と、三十歳になる姉、これはやはり患者でありますを持
つております。そうして頂いておる生活扶助は千四百二十円であります。ところが私共療養しておりましてもやはり身の廻りの品、或いは給食が十分でないために補食費として相当の金額を必要といたしまして、最低千五百円から最高では一万五千円以上も使
つておられる方があるのであります。そのような
状態で私共姉弟が父の頂きます千四百二十円の中から半分程とり、後に七百円そこらしか残
つていないのであります。これではとても七十歳になる父親が生活できない、そこで父親が只今内職をして飴の行商をや
つております。ところがその利益が月に僅か九百円に充たないのであります。一日三十円になりません。このような
状態でその一月の生計費は、私ここに数字を持
つておりますが、二月におきまして、僅かに千五百十八円三十銭しか使
つておりません。それから三月には千四百五十七円七十銭しか使
つておりません。このような支出の中で現在の配給物資の価格というものが相当な額を占めておりまして、一千三十八円五十銭、これは二月であります。三月には七百三十七円七十銭、この程度の支出があるのであります。こういう
状態でありまして、家は只今アパートの二階を間借りしておりますが、雨は漏り日は一日中射さず、而もその生活に至
つては副食費は僅か月三回しか野菜を買うことができない、こういうふうな
状態なのであります。実にその悲惨なことは言語に絶しておるのでありまして、私はこうした下々の末端を本当に議員の方に見て頂きたいと思うのであります。
次にこの例にもありますように、地方においては非常に漏救があります。この漏救、つまり救護に漏れているものでありますが、私はその一つの例としてこういうことを申上げたいと思す。現在国立療養所の入所
規定の中にはこういう
條文があります。これは入所費等
取扱細則でありますが、所長は入所者の中でその生活事情が
生活保護法の
保護対象たるべき
状態にある者で、他の
如何なる
方法によるも療養費支出の途なき者については入所費を免除することができる、こういう
條文があるのです。ところがこれにありますように、
生活保護法の
保護対象になる
状態にある者がなぜ
生活保護法に適用されないか、言い換えれば基準額が低いために
保護法に適用されないということがはつきり言えるのです。このような
状態で、このような制度で、例えば例を申しますと、国立清瀬病院においては八百三十名程度の患者の中百十数名がこれに適用されているのであります。こういうふうな実情であります。
次に第十條、世帶單位の原則でありますが、その
條文の後半部に「但し、これによりがたいときは、
個人を單位として定めることができる。」私は先程も申上げましたような長期疾病等の場合には非常に困難な面が出て参りますので、「これによりがたいとき」というところを更に具体性を持たせ、「長期疾病その他の事由により世帶を單位としがたいときは、
個人を單位として定める」というふうに改めて頂きたいと思います。このような單身孤独の
保護を受けておる者が、私のおります清瀬病院では八百数十名中百名程いるような実情であります。
次に第十
一條でありますが、ここに盛られております七つの扶助は、扶助が本当に実質的に裏付けられていなければならないと思うのです。今までの例を
考えますと、例えば生業扶助では僅か二千円しか頂けません。現在
国民金融公庫では生業資金として五万円を貸出しております。僅か二千円の金で生業に必要な機具又は材料を買い、或いは技能の習得をしろと言
つても無理なことははつきりしております。このような
状態に落ち込む者は、みすみす落ち込むのが分
つていながら、それを救済することができないのであります。次に葬祭扶助においても同様でありまして、現在六大都市では葬祭扶助として千四百円が支給されております。ところが東京都の都民葬ではこれはマル公でありますが三千四百五十円、葬儀社は千四百円では到底できない、最低二千五百円を必要とすると言
つております。この葬祭扶助を頂く場合におきましても、
申請を出してから実際に手許に頂くまでに非常に遅い。その結果葬式が出せないで借金をするというふうな例が実に多いのであります。又千四百円の額では到底満足な葬儀を行うことはできず、霊柩車に乗せる場合には、棺は二つ三つ一緒に重ねて運ぶ。朝燒場に持
つて行
つても晝間は燒いて呉れない。夜棺と言
つて夜に骨にする、こういうふうな例があります。
日本におけを搖籃から墓場まではこのようにして至る所に大きな
欠陷を持
つていると私は思うのであります。
次に第十五條でありますが、二のところで「薬剤又は治療材料」と書いてありますが、これは「薬剤又は治療材料の支給」、ミスプリントかも知れませんが、
健康保險法には「支給」の文字が入
つております。
次に第二十
一條でありますが、ここで
社会福祉主事が設置せられております。私はこの
社会福祉主事の設置の意図は、現在漏れておる数多くの
人間を更に救い上げるために、更に適正な
保護を加えるために、設けられるべきものであると
考えます。併し現在にな
つて社会福祉主事を急速に整えることは困難であると思うのです。これは專門の社会
事業活動家でなければならないと、こういうふうな点から、無理であると
考えるのであります。又厚生当局が
考えておられるようでありますが、現在の吏員を一部これに振替える、このようなことであれば、結局労働過重で今以上の実質的な向上というものが
考えられないのではないかと
考えます。又この
社会福祉主事を設けられるための経費の点を
考えましても、私はこの点に
反対したいと思います。又
社会福祉主事は地方の各
市町村に、就任いたしましても、その土地の事情というものが審かでない場合には、所期の効果を挙げることもできないと思います。今までの
民生委員制度がこのようにして官僚化するのではないが、私はそのような危惧を持
つております。常にこのような点から、
予算と見比べて、これだけの
予算だからこれだけしか救えないということであ
つてはならないと思います。この
意味で私は
民生委員の公選制というものをここで申上げたいと思います。確か
民生委員の改選期は二十六年の七月の存じておりますが、この
民生委員を公選制にし、あまねく大衆の輿論を反映して生まれ出た
民生委員こそ、最も大衆的な
立場に立
つて、その生活を守り、向上をさせて行くことができると信じます。このような公選制を採ることによ
つて、
社会福祉主事というふうな、竹に木を接ぐような措置を講じなくとも済むのではないかと信じます。
次に第二十四條の第四項でありますが、「
保護の
申請をしてから三十日以内に第一項の通知がないときは、
申請者は、
市町村長が
申請を却下したものとみなすことができる。」、これは私はおかしいと思います。今度の
生活保護法改正は、社会局長さんも言
つておられるように、従来薄弱であつた
保護の権利、
義務ということを強く前回に押し出しております。その面からこの
規定の第一、二、三條の裏付としてこの点は非常にまずいと思います。
調査を十分にせず、三十日経つたから
申請は却下したものとみなすのだ、こういうふうな一方的な印象を受けるのであります。この点からこの四項を削除して頂きたいと思います。この点につきましては不服申立の六十五條三項、六十
七條三項も同様であります。そうしてこの六十五條三項、六十
七條三項には「
前項の通知には第二十四條第二項の
規定を準用する」として頂きたい。第二十四條第二項の
規定とは、「
前項の書面には、決定の
理由を附さなければならない。」これだけの親切があ
つて然るべきだと
考えます。
次に第二十六條「
市町村長は、被
保護者が
保護を必要としなく
なつたときは。」とあるのですが、これは
民生委員の制度がありながら、
市町村長が
保護を必要としなく
なつたということを認めるというような一方的な感じを持ちます。この点につきまして「被
保護者が
保護を必要としなく
なつたと思われるときは、
民生委員、被
保護者より十分事情を聽取の上、その必要あればすみやかに
保護の停止又は廃止を決定し」と、こういうふうにして頂きたいと思います。それから「第二十八條第四項又は第六十二條第三項の
規定により
保護の停止又は廃止をするときも、同様とする。」とありますが、この点についても同じであります。
次に第四十六條、「
保護施設の
設置者はその
事業を開始する前に、左に掲げる事項を明示した
管理規定を定めなければならない。」この
管理規程は非常に重大なものでありまして、特に小さな
医療機関などにおきましては、非常に重要性を持
つて来ると思います。それで「その
事業を開始する前に、」の下に、「被
保護者を
責任を以て
保護するために左に掲げる事項を明示した
管理規定を定めなければならない。」このように入れて頂きたいと思います。それからその三項目であります一番終りのところに、先程もおしつやられましたように、「その
管理規程の
変更を命ずることができる。」これは「命じなければならない。」とすべきだと存じます。
次に四十
七條三項を「
保護施設は、これを利用する者に対して、
責任を以て
保護に努め、宗教上の行為」云々として頂きたいと思います。
それから四十八條の四項で、
保護施設の長の内申制度でありますが、これは非常に惡用される虞れがあると思います。終戰以来三ケ年に亘りまして、患者が民主的に
医療機関当局の不正工作をいろいろ摘発して民主化して参つたのでありますが、今後このような問題が起きた場合に、患者が例えば所長にそれを問い質すといつた場合、惡用されまして
市町村にこれを届出られるということになる虞れがあります。よ
つてこの項目を全文削除して頂きたいと思います。
次に第五十二條の「
指定医療機関の
診療方針及び
診療報酬」の点でありますが、現在の
生活保護法の
医療の
診療方針は、厚生省告示百五号、
昭和十八年三月に出されておりますものによ
つておりまして、その
診療報酬の点におきましても
健康保險と大体同様であります。ところが先ず私はこれを
診療報酬の点から
考えて見いたのですが、
社会保險の
診療報酬の算定協議会で標準額が決められます。この標準額を
厚生大臣が認定しまして、そうして
国民健健保險の
診療標準額といたします。この標準額が更に
市町村と担当
医療機関の協定で
條例の中でいろいろと
変更ができる、このような二つの面がありまして、具体的に申上げますならば、昨年の八月、九月においては
国民健康保險は十円であつた。当時
健康保險は十一月でありまして、十月以降に肩を並べた。将来は又これがどういうふうになるかも分らないというふうな面があります。それから
医療の
範囲の面におきましては、看護、移送というようなものが
国民健康保險では顧みられておりません。それからコルセット、矯正眼鏡というようなものも
生活保護法の
医療保護では現在特別
診療面によ
つて給付されておりますし、体温計、吸入器、氷嚢、水枕というふうなものは
生活保護法においては生活実費のうちに盛り込まれております。こうしたものに対する面からいいましても、現在の
国民健康保險は
生活保護法よりも、その
医療面において実質的に或る見劣りを持
つておるのであります。この
国民健康保險の利用者が少いという点、まだ歴史的に日残く、二十数年を閲した
健康保險とは格段の差を持
つておると信じます。現在
国民健康保險法による組合は、五千
市町村に行われておるようでありますが、その約四割が破滅の
状態にある。経済的に行詰
つておるということが言われております。このような
状態は結局五割負担という
国民健康保險制度そのものに大きな
欠陷があ
つて、大衆の生活が五割の負担を許さなくな
つて来て、経済的能力がなくな
つておることを示すものであります。社会保障制度の末端として
生活保護法の
医療を最低
医療という建前から、この
国民健康保險に右へならえするならば私はいかんと思うのであります。二十二年七月にアメリカの社会保障制度
調査団が参りまして、
日本政府への勧告を行な
つておりますが、この中におきましてさえ、一部
負担金の廃止、
医療給付の一部として国庫扶助を行うというふうな強力な勧告を行な
つておるのであります。私はこの点からも
国民健康保險の例によることがまずいと思いまして、この
医療方針並びに
診療報酬を
健康保險並みに準じて頂きたいと思います。
次に第六十二條でありますが、第二項「
保護施設を利用する被
保護者は、」の下を「その団体生活を健全なものにするため、第四十六條の
規定により定められたその
保護施設の
管理規程に従わなければならない。」として頂きたい。これは前に挙げました
管理規程の下におきます項と対照して附加えたものであります。それから第三項に「
市町村長は、被
保護者が前二項の
規定による
義務に違反したときは、」とありますが、これも「違反した」というのは一方的な見方ではないか。「
義務に違反したと思われるときは、被
保護者より十分事情聽取の上、
保護の
変更、停止又は廃止」として頂きたい。こういうふうに
考えます。
それから第十章に参りまして
費用でありますが、私はこの
費用を全額国庫負担とすべきであると信じます。最近におきまして、地方財政の逼迫から患者の
医療の打ち切り、生活扶助の打ち切り、一部負担等が続々と殖えておりまして、先程も新潟の例を申上げたのでありますが、私はここに三重県の或る国立療養所に起つた一つの例を引きたいと思います。これはその療養所の患者より私宛に来ておる手紙でありますが、「小生
昭和二十三年十月より
生活保護法により生活扶助を交付されておりましたるところ、突然
昭和二十四年一月廃止の通告を受けました。小生といたしましては生活扶助を交付されている時より現在に至るまで何ら收入が増加する何ものもなく、家屋も荒れ果て風雨に遭
つて凌ぎ難きまでに荒れ果てている
状態にありますこととて、再
審議を依頼しましたところ、何の返信もなき有様で、それで区域
民生委員、民主協議会及び民生常任
委員に再
審議を依頼し、又役場の方へも返信料付にて依頼しましたが何ら返信なく、それでその後
民生委員長に会
つて話しましたところ、私情においては十分同情しますが、何分村の財政上のこともありますのでと、とかく言を左右にして結論を得なかつたのであります。こんなことを繰返している間に心痛の余り病状惡化し遂に手術をしたのでありますが、その手術のために、当地看護婦会の慣例料金は、食費別百八十円のところ事情を訴え食費共百八十円にして頂きました。ところが経過惡く三ケ月附添人をつけましたが、その三ケ月分の看護料の一万六千二百円は支拂いの
方法もなく現在に至るまで療友に借用したまま今日に至
つております。こんなわけで当療養所事務所といたしましても見るに見かねて支書を以て交渉に当
つて呉れましたが、依然同じて返答なく、それで遂に靜澄園側から庶務課長代理及び患者係の厚生係と、患者同盟の生活部長が村当局へ出向いて呉れましたところ、厚生係の机上には小生の文書が全部小山程一まとめにして一册の綴りにしてあつたと、三者共驚いてその誠意のなさに呆れて呉れました。先日も父が来ての話では
民生委員会の意向として、結核患者を
保護すれば長期に亘るから困る。又一人を
保護すれば、後々の人まで
保護しなければならなくなり、自分達が生きている間先例を作
つては村人に申訳がないとの内輪話らしく、小生の村は三重県阿山郡鞆田村で厚生省でも御承知のごとくよく表彰されております。」云々「尚役場の方では実際支拂う能力がなかつたら帰
つて来いとも申し、最低生活も維持できない者が、せなくともいい手術をしたのだから勝手にしろとも申して」云々と、このような悲慘なる実情もあります。それから二十五年の一月、今年の一月の私の調べたデータでは国立清瀬病院において四十二町村の支拂が遅れておりまして、その一つである埼玉県の或る村におきましては、患者が二十三年の三月から現在まで入
つておりますが、二十三年の三月から二十五年の一月まで全然支拂がされておらない。その患者を私よく知
つておりますが、患者を父親が埼玉県の福岡村役場に勤めておりますが、給與の中から一割を差引いて村に拂えば
医療券を出してやろうと、このようなことであります。このような例は非常に多くて、川越在の或る村でも村が苦しいから、村の負担分を患者が拂えば、全額の
医療券を出すという所が非常に多いのであります。私はこのような点から全額国庫負担というふうにして頂きたいと思います。
それから第七十六條でありますが、「第十八條第二項の
規定により葬祭扶助を行う場合においは、」云々、これは葬祭の場合においては、たとえ扶助を受けておるその一人が死んでも、その扶助受けておつた者が使用しておつた物は、そのまま他の者によ
つて使用されるようになる。又
施設に入
つておる
個人の場合におきましても、殆んど生活に窮乏して売る物がないのが実情であると私は
考えます。このような
意味からこの点を考慮して頂きたいと思います。
以上私が大分申上げましたが、昨年の暮に私共患者の方で厚生省に対しまして、長期在院者の生活扶助費の支給、当時三百五十円でありました、これを千二百円程に引下げて貰いたいと要請いたしたのでありますが、それに対しまして厚生省の当局が出された結論は一月四百五十円であります。僅かに百円上つたわけでありまして、この内訳を見ますと、我々のお願いしました補修布年八ヤールに対しまして、厚生省当局では年四ヤールしか見て頂いておりません。これでは我々の着ている寢衣、敷布、枕カバー、一切の物が年四ヤールで繕われるということでありまして、我々といたしましては全然これでは足りないということになります。
私は以上いろいろ申上げた点から、書申に皆様方によ
つてこの生活護
法案が更に
改正修正され、又大幅な
予算を伴
つて我々の面に現われて来ることを強く切望する次第であります。以上で終ります。