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公述人(小塩完次君) この
法律が成立いたしますと、現在行われておりまする
未成年者飮酒
禁止法がこれに吸收されるわけでございますが、この
未成年者飮酒
禁止法が問題にな
つておりましたときに、学者に対する諮問が行われましたその学者の答申は二十歳を限度とするやり方ではこれは徹底をしない。満二十五歳でなければならないというのが、すでに大正年間の答申に出てお
つたのであります。今度の御改正は、その学問上の実際上の二十歳では不適当であるという適用年齡を、満二十五歳以下と改められたことでありますから、その
意味において、これは実にそうなければならんと思うのであります。二十歳がすでに完全な人間として
法律上
成年に達しているのであるということを言われまするが、これは、人間の能力年齡はそれぞれその対象によ
つて異なることでありまして、結婚は十八歳からよろしい、
犯罪年齡は十四歳からである、被
選挙権は二十五歳である、それぞれその能力年齡は、その
目的によ
つて異なるものでありまして、これは必ずしも現在の民法上の、経済行為をなし得る年齡が二十歳からと言
つて、それに他のものの規範を合一せしめなければならないということは少しもない筈であるのであります。そうして酒を飮み出す年齡につきまして、私共が或いは職場において、或いは
青年団において、或いは学生の集団において、各
方面において調査をいたしましたその
統計的な結果によりますと、これはむしろ二十歳を越えて二十二歳乃至三歳この年齡の者が最も多く酒を飮み始める年齡であ
つたことはすでに明かなんであります。そういう点から申しましても、実際問題として今までの二十歳を適用の限度とする
法律では及ばなか
つたところが大変大きか
つたわけであります。すでに今度の
法律の定義におきましても、大攵よくここのところはお考え下さ
つて、二十五歳以下ではあるが現在すでに二十歳以上に達しておる者はこれを含まないということをその定義にも述べられておるのでありまして、すでに習慣の付いておる者から酒を奪うということではなく、その従来の
法律によ
つて酒の習慣を付けないように保護されて来たものを、それをそのまま推進めて行く、そうして二十五歳以下に至らしめるということでありますから、大変ここは無理がなく行
つて結構な改正に
なつたと思うのであります。もう二十歳にな
つて一人前であるから自分でそれはできるのであるという
お話もあ
つたのでありますけれども、私共が調査いたしました例えば京阪神の労働街において、可なり多数の者について取調べいたしましたものによりましても、性病に罹る、どういう動機、
理由から罹
つておるかというようなこと、及び年齡及び配偶の有無ということを調べて見ますと、いずれも二十歳から二十五歳までの期間の者が、最大多数が酒を飮んだことによ
つて、飮んだということよりは、むしろ飮まされたことによ
つて、その酒を飮んだために酒気を帶びて感染時の状況が、酒気を帶びて性病に感染したというのが全体の八七%も占めております。酒気を帶びなか
つた者は一三%、これを年齡によ
つて分けてに見ますと、最大多数を占めるものは二十一歳から二十五歳までの者がこれが三四%を占めております。二十歳以下というものはこれは言うに足らん数でありまして、僅かに二%であります。それから二十六歳から五十歳が第二位であります。これが三一%、この二十一歳から三十歳までのものが殆んど全体の三分の二を占めている、又独身者が六二%であ
つて、有配偶者が三八%である。それ又動機を調べて見ますと、各種の宴会及び友達と会飮して、その帰りにそういう遊びのところに行
つたという者が、これも全体の半数以上占めているのでありまして、單独で以て、独りでも
つて酒を呑んで行
つたという者は、僅に一四%であるのであります。つまり呑んで行
つたというよりは呑まされて行
つた。呑む機会があ
つたために、ついそういうところに行
つてしま
つたというものが、殆んど大部分を占めるということが示されているのであります。二十歳になれば、十分自分で判断をしているという
お話もあ
つたのでありますが、これはダーヴインなどの調べによりますと、性格が安定するのは智、情、意が平均を得て
一つの性格が固ま
つたということになるには、四十歳がその生長の限度であると言
つている人さえあるくらいでありまして、まあそういうところから四十にして惑わずというところが来るでありましようが、四十にして惑わずと言われた孔子様も、七十にして則を越えずでありますから、酒のような麻醉薬、麻痺薬に対しまするには、七十に至らないということさえ考えられるのであります。これも二十歳以下、二十五歳に至らしめたということは、決して高過ぎる年齡
制限ではないということは言い得るのであります。
二十五歳以下の人が、産業上の大切な推進力にな
つている、生産力の根幹をなすものであ
つて、その労働
能率を高めるためにも、又喜んで働いて貰うためにも酒が必要であるという
お話もあ
つたようであります。これにつきましても私共、或いは造船所において、或いはゴムの工場において、或いは電気工場において、或いは鉱山において、各
方面において取調べをいたしておるのでありまするが、この非常な緊張を要する電気産業におきまして、その災害を受けたものを調べて見ますと、酒の影響を看逃すことはできないのであります。この点について最も熱心に本
法案を支持しておられましたのは京都大学の電気の專門家であられた青柳博士でありまして、先生はいくつかの会社、工場の顧問をしておられました。それらの点によ
つてお調べ下さ
つたものによりましても、電気産業において災害を起したものの多くはアルコールの原因から来た、これは少しの酒ならば却
つて苦労をいやす、沢山はいけないけれども、少しの酒はいいのではないか、仕事の前に飮むのはいけないけれども、仕事の後に飮んだらいいのではないかということは、一応は考えられることであります。今日欧米におきまして実際の立法令を見ますと、就業前八時間前に飮酒してはならないということで、極く最低の立法令でありまして、これを延長して八時間ではでは足らない、十二時間前から、ブルガリア
交通取締規則のごときは、就業前十二時間以前に酒を飮んではいけないということにな
つておるのであります。こうなりますと、今日働いて、今晩僅かの
晩酌をや
つたということは、明朝起きて働く人のためにはもはやその十二時間前よりも迫
つておるということになれば、もはやその人は働く資格はないわけであります。また少しの酒ならということでありますが、ドイツの立法及びスエーデン、ノールウエイ、ブルガリア、トルコ等の立法によりますと、アルコールは飮んだ量には大した影響はないので、一升飮んでもそれほどでない人もある、五勺飮んでも存分酩酊をする人もある、それを何によ
つて調べるかというと、飮んだ量ではなくて、血液の中に出て参るアルコールの濃度によ
つてそのことが決定される、そのことは各
方面の定説にな
つておるのであります。この定説に従いましてドイツの立法のごときは血液中に含まれておりますアルコールが一立方センチメートルに対して一ミリグラムのパーセンテージ、即ち二千滴の血液に対して一滴のアルコールがあ
つた場合に、もはやこれは仕事に堪えないもの
といつて、
交通会社にあ
つてはその自動車免許なら自動車免許をとり上げてしまい、その上で体刑に処するというような随分重い
取締りをされているが、その限度は二千滴の血液に対して一滴のアルコールであります。ノルウエーでは千滴に対して一滴でありますが、いずれにいたしましても結局微量のアルコールの有害性ということが、もはや学者の研究や議論ではなくて、実際上の
交通取締り、産業災害の
防止、
能率の増進というような点から、欧米の各国においてはすでに現実の問題として採上げられているのでありまして、
我が国におきましても多くの工場、それから
炭坑、造船所等において取調べられたものを見ましても、大概一対三の割合で、酒を飮む者と飮まん者の災害の相違が出ているのであります、甚だしい実例につきましては、住友忠隅
炭坑におきまして調べたものは、一対十でありまして、酒を飮む者は十倍の災害事故を生じている、こういうことでありますから、作業
能率を増進するという点において酒を飮まんことが有利である。殊に二十五歳以下の人がその産業の推進力をなしておるから、これに飮まさなければならないということは出て来ない、却
つてその
反対でありまして、本
法案がどうしても速かに成立せられなければならないことを示しているのであります。
そういたしますというと、この
法案で重要なことは一体アルコール飮料というものはどういうものを指すのであるかというと、本
法案の二條の二にその定義が掲げられてあるのであります。これによりますというと、アルコールの含有量三度以上の飮料分ということに出ておるのであります。これは恐らく重量パーセンテージのことと思うのでありますが、これを容量パーセンテージに直しますならば、今日市市販のビールはもはやこれに該当するわけであります。ドイツの
禁酒立法はビールを避けなければならないということに重点を置いているのであります。ビールを民族毒であると言
つておるのでありますが、若しこの定義に従いますというと、
日本においてはビールは
差支えないということにもなり得るのであります。またその商人の立場から考えますならば、この三度以下の飮物を作りまして
青少年の飮物であるというようなことを仮に申す者があるといたしますならば、これは非常な危險なことでありまして、アルコールが一度のものを三杯飮めば、三度のものを一杯飮んだアルコールを攝取し得るわけであります。三度以下のものでありましても、その飮む分量につきまして血液の中に出て来るアルコールは同じでありますから、ウイスキーに含まれておるアルコールも又同じであります。ビール以下のものを作りまして、それに含まれておるアルコールも同様なことになるのでありますから、寧ろこの種類の定義は現下の酒税法において列挙的に清酒はこういうものである、ビールはこういうものである、燒酎はこういうものであるというように列挙されておりますが、その通俗的な分りのいい
方法を取
つて、その酒類と言われて普通
国民が考えておるものは全部含むものであるということにすることによ
つて、この微量アルコールの有害性が強調されて参る、ところがこの
法律が国として即ちその点は罪人を作るのではなくて「
国民はすべて、
青少年に飮酒の機会を與えないように努めなければならない。」ということが第三條の二に駆われてありまして、
国民すべての協力と理解と親切によ
つて青少年に飮酒の機会を與えないようにする、大変これはよいお取り決めの仕方であると私共感謝をいたしておるのでありまするが、さてその点から見ますというと、第三條の「
青少年は、
医師の指示に基き
医療用として使用する場合及び結婚の儀式用として使用する場合を除いては、酒類を飮用してはならない」とあるのでありまするが、これは寧ろ現行法のごとく
未成年者は飮酒することができない、極めて明瞭な規範を示しておる、そのように「
医師の」以下「除いては」まではこれは寧ろ、どつか除外規定として若し必要があるならば別なところに掲げられて、第三條は
青少年は、酒類を飮用してはならない、とこう原則をはつきり示すことが飮酒をする機会を與えないようにするよい
方法ではないかと思うのであります。
医療用として酒類を用いるということは、これは
世界を通じて千九百三十年代からで年がたつともうなく
なつたことでありまして、イギリスの例なんか見ますというと、千九百年の初めに比べまして五十年たちました、今日におきましては九八%の減少を示しておる、殆どなくな
つておるということであります。
医師が処方としてアルコールを用いなければならないという場合は殆んどなくな
つておる、又仮に麻醉剤として用いる場合にはもつと適当なものが外にできておるということにな
つておりますので、これを今更駆わねばならない必要がそうあるのではないというふうに私共は考えるわけであります。又結婚の儀式用として、使用するということがあるのでありまするが、これも近頃は酒を用いない結婚式をどんどんや
つておるのでありまして、仏前において行い、或いはキリスト教会において行い、或いは集団結婚を行う等をいたしまして、殊に工場労働者が職場なんかにおいて実に近代の人達に適合したような新らしい習慣をどんどん作りつつあるのであります。酒を用いて三々九度をやらなければ結婚式をや
つたことにはならないという考えはなくな
つておるのであります。併しながら止むを得ずこういうことを認めるということであるならば、これはどつかに除外規定として用いるのであ
つて、原則として
青少年は飮酒をしてはならないということをお示し下さることが、飮酒の機会を與えないことの一番大切な規定になるのじやないかと思うのであります。先程申上げましたように自分から飮むというのではなくて、宴会或いは忘年会、或いは新年会、送別会、結婚式とか冠婚葬祭等に
まつわ
つて飮まされるそういう機会があるから、それで酒を覚えるということが殆んど大多数でありますから、その機会を原則として示した、第三條に結婚式はどうしても酒を用いねばならないような印象を與える、又アルコールは
医療用として相当値打のあるもののような印象を與えるような除外規定が原則のごとくに掲げられておるのは、寧ろ御一考を願う事項ではないかと思うのであります。こういうふうに考えるのであります。勿論この
法律ができましてもこれはそれだけで励行が十分に行くということではないということは、これは勿論でありまして、これは
国民すべてこのことに努力をしなくてはならない、そういう
意味におきまして、この新らしい
法律ができますと同時に、未
成年禁酒法においては、あの
法律が大正十一年に施行せられまして以来、ただの一銭も国家は、これに向
つて予算を計上せず、その
趣旨の徹底に努めたという事実もなければ、又文部省がこれを教科書に盛り込んだという事実もなければ、少しもこれに対してその
趣旨の徹底に努めるということがなか
つたのでありますから、今度
法律が完全になりますると同時に、こういうことが、すべてここにありまする、
国民はすべてこのことに努めなければならないという
意味において、私共はこれに希望を副えますならば、予算の上にも相当の計上をして、これの励行徹底に当る。又教科書におきましては、これは実に驚くべきことでありましたが、私共は取り調べをいたしましたところが、今日は木内議員はおいでになりませんが、本内議員等がお調べ下さいましたところによりますと、従来の教科書におきましては、一年から高等二年までの間において、二十八ケ所酒に対しての記載があ
つたのでありまするが、その中のただ一ケ所高等一年の修身の教科書の一部に、酒は身体に害があるから飮んではならないということが一ケ所あ
つただけでありまして、あとの二十七ケ所は読み誤りますと、酒はいいものである、酒は飮めば元気が付く、大江山の頼光が、酒を飮んで退治をしたというようなことも書いてあり、又親孝行の報いで、泉が酒に変
つたという養老の滝のこともあるというようなことでありまして、むしろこれは逆のことを記載してお
つたというような事実もあるのであります。
アメリカが挙国
禁酒令を布くことに至りましたその五十年前におきまして、ヴエルモント州が最初に、一八八二年でありますが、学校
禁酒教育法というものを制定いたしまして、学校において
酒害を教えるようにした。これが十年の後に
アメリカ全州がその立法を持つように
なつた。フインランドが
アメリカよりも先に
禁酒国になりましたのは、やはり学校において、小学校、中学校、高等学校等において
禁酒教育をすることを法で定めて、これを実行した。殊に先生になるべきものは、最終の年において、四十時間以上
酒害について、アルコール問題について特別の講義を受けたものでなければ先生になることができないというような規定すらあ
つたのであります。又イギリスやフランスにおきましては文部省の手によ
つて、副読本が、編纂せられまして、
禁酒読本、これが用いられていたというふうに、相当の努力を学校教育の
方面でもいたしておるのであります。又この頃私共が受取りました、是非
公聽会に行
つて、こういうことも
一つ申上げて頂きたいということを手紙を添えて参りましたのには、浦和の中学において二十二歳になる先生が、生徒達に燒酎を飮ませた、宿直室において。ということがあ
つたそうであります。かくのごときことは、その先生自身もこれは本法の中に入れるべき年齡の、二十二歳であります。生徒はそれより年の若い人でありますが、これに生徒達が持
つて来た燒酌を宿直室において一緒に飮んだというような事実があるのであります。学校の先生となるべきものは、第一にこの本法の
趣旨精神を体得したものでなくては先生になることができないというような、例えば奈良朝のときの制度を見ますというと、学校の先生と、官吏になるものは不飮酒戒、仏戒を受けた者、即ち仏の戒律によ
つて、
禁酒の誓いをしたのでなければ役人にしない、先生にしないという制度を聖武天皇のときにお立てにな
つておることが奈良朝文化燦然たるあの基礎をなしてお
つたと言われおるのでありますが、こういうふうに先頭に立つところの役人、先生、官公吏、教職員の
禁酒というようなことが合せ行われて、少くとも学校教育においてこの
禁酒、問題が真劍に取上げられるというような努力が合わされる、その方の達成がなされるものと思うのであります。そういう点をも合せお汲取り下さいまして、本法速やかに成立いたしますようにお願いいたす次第でございます。