○吉川末次郎君 私はこの前厚生
委員会でも私見を加えて
質問いたしたのでありますが、本日は
政府側から二
大臣その他の方がお出でにな
つておりますから、私はこの
法案の議決権を持
つております
建設委員でありません、地方
行政の
委員でありますが、意見を交えて多少
質問をこの機会にいたしたいと思うのであります。午前の本
会議におきましても、この
法案に関連いたしまして
本多国務大臣に
質問いたしたのでありますが、私が期待いたしておりますところの十分な御
答弁を得ることができなか
つたのであります。
本多国務大臣の御
答弁では、本
法案は
国会提出案であるから、
政府は余りそのことについては……今も私的にもお答えがあ
つたのでありますが、よく知らんというようなお考であ
つたようでありますが、
只今この
委員会におきましては、
国務大臣である益谷さんも
法案には
建設大臣として
賛成であるというところの、
政府の
意思を表明しておられるのであります。それで今岡本さんは、
東京都の
自治を害さないかということの
意味の御
質問があ
つたのでありますが、私が午前の本
会議におきまして
本多国務大臣に
質問いたしましたのは、ただ單なる
東京都の
自治を害するというようなことだけではないのでありまして、新地方制度の基礎観念にな
つておりますところの、もつと広い
意味においての地方分権主義、換言するならば反中央集権主義というものに反しはしないかということの
質問をいたしたのでありますが、本多さんの御
答弁は要領を得なか
つたのであります。この機会にそれについての御
答弁を益谷さんからでも、本多さんからでも、どちらからでも結構でありますからして頂きたいと思いますが、少しく詳しく申上げますと、中央集権或いは地方分権と申しまするというと、主として
法律的な
立場からの権力
関係のことのみに限定されておるようでありますが、それも承りたいことの重要点の
一つであります。
即ち権力的な
関係において、
地方自治法の基本観念であるところの地方分権主義に反対するところの
法案である。明らかにその
法律案の
内容を見ますと、これは
東京都の
都市計画につきましては、国の権力を
中心といたしまして
建設大臣がその
計画を樹立するところの
委員会の長とな
つて、これを実行して行こうというのであ
つて、又
東京都側かのら期待は私共の聞くところによると、この
法案はもつぱら前
東京都長官であり、又元神祇院の総裁であ
つた飯沼一省君の起草にかかるものであるということでありますが、
東京都の
方面からは、できるだけ国の
援助を特別に獲得しようということが……露骨な表現で申しますならば、その本体をなしておるものではないかと
考えるのであります。先ずその権力的な、
行政組織の面においての権力的な
関係においての中央集権主義は、地方分権主義の
地方自治法の基礎観念に反しておるものであるということについての
政府の
答弁を得たい。
併しながらこれは單にそうした権利
関係の中央集権或いは地方分権ということではなくして、
東京都が
日本における経済力及び文化力の、非常な一国としての過度集中の中央
都市にな
つておる。即ち分り易い
言葉で言うならば、
日本の経済力及び文化力というものが、非常な頭でつかちにな
つておるということは、これは非常にアブノーマルな
日本の
国民生活の実態であ
つて、これを直して行くということは、
日本の国内政策におけるところの基礎観念として、極めて重要なことでなければならんということを私は理論的に
考えておるのであります。そういう
考えから、この
法案というものがこれに相反する、私の
考えておるまするその頭でつかちの不健全なる文化力及び経済力の中央集中を地方的に分散して行かなければならん、即ち文化力及び経済力を地域的に
東京にばかり集めるのでなくして、普遍化して行かなければならんという観念に背反するものであるということを
考えるのであります。それは経済的に
考えまするならば……先般も言
つた事でありまするが、資本主義の経済組織というものが、必然的に
都市が農村を搾取して行くという
関係に立
つておるのであります。換言するならば、
都市の産業の
中心をなしているところの商工業というものが、資本主義経済の下においては、必然的に農村の経済の
中心をなしているところの農業よりもプロフイタブルなものである、即ち利潤の高いものなのでありまするから、当然に
都市は農村よりも富裕な経済生活を営むことにな
つて行くという面を資本主義経済組織そのものが持
つておる。同時に資本主義経済組織は、地方の中小
都市が更に大
都市にその富力、経済力を集中して行くところの必然的な
一つの傾向を持
つておるのでありまするから、地方の中小
都市よりも
東京にいろいろな富が集中して来る必然性があるのであります。尚そういう明治
政府以来の
日本の資本主義的な発達というものが、
東京にそういう
関係から非常な富力をば集中して来たのでありますが、もう
一つ、
東京をして今日
人口を非常な類例のない、六百万、七百万というような大
都市を作らしめ、又財力も、ざつとした統計におきまして……
人口は一割にも満たないのであるけれども、その富というものは
日本の全体の
国民の富の約三分の一
東京が持
つておるというような、そういうアブノーマルな富力の地域的集中というものは、今言うところの資本主義が、
都市が農村を搾取し、又大
都市が中小
都市をば搾取して行くということの
関係の上に、もう
一つ、明治
政府以来の
政府が執
つて来たところの非常なアブノーマルな、先程申しました中央集権政治のためなのであります。それは即ち
日本の資本主義というものが
世界の資本主義より非常に遅れて発達いたしましたがために、
日本の
政府は、それに追いつくがために、
日本の資本主義の発達を助成するために、非常な政治力をそこに加えなければならなか
つたのであります。でいわゆるそれは殖産工業政策というような、官僚を
中心とするところの中央集権的な
政府の庇護の下において、
日本の資本主義は短期の間に今日の発達をして来たのであります。でありますから、資本主義的な経済経営を基本といたしましておりますところの企業、殊に大企業におきましては、すべて政治と関連性においてそれが発達して来た。端的に言うならば即ち御用商人が
日本の資本主義経済の発達の
中心をなして今日まで
日本の経済が発達して来たのであります。従
つて必ずそれらの大会社のようなもの或いは大銀行のようなものは
東京に本店を置く、営業の
中心をば
東京に置かなければならん。そういうようなことにそれが現れておるのであります。そういうような資本主義の必然性と、そうして又特殊的な
日本の資本主義経済発達のための政治力の非常な拡充というものが、今日の
東京をしてこうした頭でつかちの大
都市をば作り上げて来たのであると思うのであります。
で今文化力の過度流中ということについても申上げましたが、文化力というものは結局これは経済的に
考えますならば即ち富の余剩であります。即ちウエルスの……サープラス・オブ・ウエルスなんでありますから、富が集中するところに文化力が又集中されるということは必然なのでありまして、例えば
東京においてどれだけ文化力が集中されておる、ざつとした私のこれは考でありまするが、
日本の大学や專門学校の卒業生というものは、数でどれだけ
東京に集
つておるかということは、地方及び中央の大学、専門学校の卒業生は半分以上、恐らくは七、八割が又皆
東京へ来て生活いたしておるのじやないかと思うのであります。これは非常にアブノーマルな一国の発達状態であるということを我々は
考えなければならんと思うのであります。大学、專門学校というものは、どれだけ地方の
都市に比べて
東京に過度集中されて来たか、今日新制大学等を合せまするならば、私は恐らく百以上の大学が
東京に集中せられていると思うのでありますが、これまで全然そういうものが地方の各府県にはなか
つたのでありまするから、今度の新制度によりまして、少くとも各府県に
一つの国立大学を持たなければならんというので、師範学校ぐらいを基礎にいたしまして、今日各府県共その国立大学を建てるために四苦八苦いたしておるのでありますけれども、
東京には何百というような大学が集中されておる。又劇場なんかを見ましても、これは本多さんも西洋をお廻りにな
つてよく御
承知であろうと思うのでありますが、或いは歌舞伎座であるとか、
東京劇場であるとか、或いは帝劇であるとか国際劇場であるというような劇場は、これは
世界の大
都市におけるところの一流の劇場と比べましても、それ程見劣りは私はしないと
考えるのであります。ところが、そういうような大劇場、立派な劇場が、地方の
都市に
一つとしてあるかというと、殆んどこれは類例がないと言うてもいいくらいであります。それほど文化力や、或いはその基礎であるところの経済力というものが、非常にアブノーマルな過度流中を
東京にせられておる。これは、我々地方
行政の
法律を立案いたしますところのものからいたしまして、
日本の地方
行政というものは、私たびたび言うことでありまするが、
行政学の一部門として
法律学的な面からのみ地方
行政が
考えられて来たのでありますが、こんなことは末の末であります。重大なことは経済的、社会的見地から地方
行政を
考えて行かなければならないということでありまして、そういう観点から
日本の地方
行政を観察いたしまするときに、このアブノーマルな、頭でつかちの
東京に集中しているところの富と、そうしてこの文化の力と、そうして今日までのこの不当なるところの政治力というものをば、国内の全般を普遍化するように分散さして行く、デイストリビユーシヨンされて行く、ローカリゼーシヨンされて行くということが、私達地方
行政の担当の任にありますところのものからいたしまして、地方
行政の最大重要な観念でなければならんと
考えております。
この
法案は私共が見まするところ、関東大震災のときに特別に、
一般都市計画法と別個に作られましたところの、その最初の名は、これは途中で変
つたのでありますけれども、その初めの案といたしましては、帝都
復興計画法案というものが提起されたのであります。本多さんもその当時復興局にお出でに
なつたそうでありますからよく御
承知のことだと思いますが、それが後には、
特別都市計画法というふうに変
つたのでありますが、ともかくも
日本の
国民を支配して参りましたところの皇室に対するところの宗教的な感情と、そうして今の特別の中央集権政治的な概念とをうまく結び付けまして、そうしてこの関東大震災を機といたしまして、何が何でも玉の官房のあるところのこの皇都というものの再建のために、地方の富を集中しなれけばならん、地方の経済力というものをぼ
東京に非常に、あのときうまく集中いたしまして、そうしていわゆる帝都の復興というものができ上
つたのであります。固よりそれは、こういう地震を受けて特殊的に被害を受けたのでありますからこれを、
国家的
事業といたしまして、被害を受けなか
つたところの地方民が
援助いたしますることは当然でありますけれども、それも今言うように、中央集権政治と天皇崇拜、或いは皇室に対するところの特殊観念とを非常の利用して、そうして地方民の
立場からいたしますと、非常な搾取を一面において地方民が受けて来たということは私は言い得ると思うのであります。それと同じような観念で、今日新憲法によ
つて民主主義の政治が行われ、又地方分権の地方
行政が行われなければならないときにおいて、玉の官房の宮城のあるところの
東京をば、何が何でもそこへ地方の富を集めて来て立派にしなければならんというのと同一の観念にこれが立
つて計画されておるということが、私の観点からいたしますると、私は吉田内閣の閣僚諸君、殊に地方
行政のことを分担するところの
本多国務大臣並びに益谷
建設大臣がもつと広い高邁なる、博大なるところの政治家的識見において、ステーツマンシツプにおいて、私は
日本国民の地方民を網羅したる全体の発達のために、十分にこの
法案について私は
考慮して貰いたいと要求することの主眼点なのであります。今日実際上この
法案を作製いたしましたところの
東京都の代表者である知事が参
つておりませんが、その代理として私の多年の親友であるところの
石川榮耀君が
見えて、先程来いろいろと御
説明がありましたが、
東京都の
立場からいたしまするならば、できるだけ国費で以てこの復興をして貰うというようなことは、これはもとより
賛成するところでありまして、望むところであります。地域的には
東京都の人ができるだけ国費を
東京都の復興のために使
つて貰いたいということを希望される気持は十分分るのであります。併しながら一国の
大臣である人は、ただそんな地域に偏したところの
東京だけを地方の富をここに集中して、立派にして行くというような、そうした偏した観念に立
つてその態度を
決定いたしますならば、これは
東京都の地方的な役人か、地方議会の議員の観念と同一なものにな
つて来ると思うのでありまして、その点について私は
国務大臣である諸君が、そうした普遍的なステーツマンシツプの上に立
つて考えて頂きたいと思わざるを得ないのであります。成る程その言われるところを聞きますと、
東京都は大
都市であり、又キヤピタル・シテイであるという
関係から、特殊的な
関係の施設を持
つたところのものが多数あるから、現在の
都市計画に関するところの
法律である
都市計画法及び
特別都市計画法だけでは、不便なところが多々あると言われるのでありますが、私は細かいことは昨今
都市計画法規のことは特に勉強いたしておりませんから、詳しいことは申上げることはできませんが、一応はそういうこともあるかとも思うのであります。若しそこにそういうことがありましたならば、それはただひとり
東京都のみに
考えないで、同じように、これは
東京都に、そういうようなこの罹災の復興に対して国との特殊的
関係を作らなければならん、或いは隣接するところの
都市、
東京でありますならば、横浜であるとか、そういうような地方との特殊的な
関係を
考慮して行かなければならんというようなところがございましたならば、それは例えば、大阪なら大阪を復興するにつきましても、隣接するところの京都であるとか、或いは神戸と同様にやはり連関性を持
つて計画を樹立して行かなければならんということもあり得ると思うのであります。又中部地方でございますところの
中心都市である名古屋についても同様なことが起
つて来るのであります。又北九州の
中心都市でありますところの福岡においてもその
関係は異なるところのものではないのじやないかと思われるのであります。でありますから、私は大体におきまして、現に行われておるところの
都市計画法規だけで十分私は、その
東京都が所期されておられるところのこの
計画をや
つて行くということについてはさしたる不便はないものであると私は思うのであります。でありますから、午前の本
会議におけるところの
質問におきましても、この法規は実に屋上屋を架せるところの無用なるところの
法案ではないかということについては御見解を
質問したのでありますが、十分なる御
答弁を得られることができなか
つたのであります。併しその必要がありといたしますならば、若し現行法規以上に別個の
都市計画に関するところの法規を制定するところの必要がありといたしまするならば、これは長年の間
日本の
都市計画の研究者の間によく言われておりますような、この地方
計画法、レージヨナル・プランニングに関するそういう
法律をお作りになるということによ
つてそれを満たし得るのじやないか、全国的にその必要に応じたところの別の
法律をお作りになるべきであ
つて、ひとり
首都であるからというので、昔と少しも変らないというところの経済力と政治力とそうして文化力とをこの上更に又
東京に集中して行くことに役立つような、
東京都のこういう
法律をお作りになることは、私はいけないのじやないかとそういうように実は
考えておるのでありますが、以上私の述べましたことに対するところの益谷
建設大臣並びに地方
行政の担任
大臣であるところの
本多国務大臣の明快なる御
答弁を承りたいと思うのであります。