○梅津
説明員 それでは御
指名によりまして、私から川崎の
労働攻勢の状況を申し上げます。
川崎市におきまして
労働攻勢が行われたのは、ま
つたく以下述べるような実情に基いておこ
つておると考えられるのであります。それは十月半ばごろまでは、
日雇い労働者は全員就労しておりました。十一月の末にはこれが六〇%に
なつております。十二月末になりますと四九%、一月になりますと二九%に
なつている。こういうところから紛争が起きておると考えられるのであります。しかしながらこの十月末まで一〇〇%就労したという事実を検討しますと、当時
失業対策事業費第三・四
半期の—県の
失業対策の状況でありますが、これが第三・四期、十二月まで当然仕事をしなければならぬ実情であるにかかわらず、ま
つたくあの攻勢にあ
つて、当時の安定所はどうしてもこれを
防止できなか
つた。
従つて十月二十七日には、全部わくを食いつぶしてしま
つた、こういう実情が起きておるのであります。それで当時の安定所は、どうしてもこの
労働攻勢を押えることができないというので、十一月二十八日に、当時私は県におりましたが、お前はピンチ・ヒツターであるから、どうしても川崎へ行
つて再建するように、秩序を回復するようにという命を受けて川崎に参
つたのであります。なお私ばかりでなく、全部の課長が参りまして、決心を新たにして再建にかか
つたのでありますが、当時参りましても、ま
つたく
労働者の意のままと言いますか、そういう要求があると、押され押されて仕事をしてお
つた。しかしながら私
ども赴任した当時でありまして、よく実情をつかんでから仕事をいたしたい。十一月二十八日赴任以来その状況を把握するのに、十日くらいは何もできないのではないかというので、各課長以下がかかりまして実情を見てお
つたのであります。しかしながら当時新たに市の
失業対策事業が始まりまして、市の方で紹介するにあたり、やはり県の場合と同様に、わくでは押えられないほど熾烈な攻勢にあ
つたのであ
つたのであります。そういう
事情から、市の方では何としても県の方でこのわくで押えてもらいたい、そういう要求がありまして、今まで押され押されてお
つたのでありますが、十二月の六日には、どうしてもこれは六百名に押えなければならぬという実情になりまして、当時私
どもは組合の幹部に諮りまして、こういう
事情で、十二月八日からはどうしても六百名で押えなければならぬ、協力してもらえないかということを要請したのであります。ところがこれに対して組合の首脳—私
どもは首脳と思
つたのでありますが、この者が、そういう
事情であ
つたら、とにかく六百名で食いとめるのに協力しよう。ところが十二月八日の朝になりますと、
労働者が数百名囲んでおります。私が
労働課に参りまして、どういう
事情だということを言いますと、私
どもが組合代表ということで諮
つたのは、実は代表ではない。彼ら一部の者がや
つたのは、われわれ新たに選ばれた
執行委員は知
つたことではない。現に
執行委員は二十一名選ばれておるにもかかわらず、これには何も相談しなか
つたじやないかということで、もんちやくが起きまして、六百名のわくに対して四百八十名までは紹介したのでありますが、
あとは就労をえんじない。しかも一旦紹介を受けて現場に向
つた者も、組合の者から呼びもどされて、そうして今度は私
どもに、今まで出した紹介票は全部無敷とし、新たに六百名を出せ、それから、その要求事項でありますが、安定所の機構を充実し、会社側に対する紹介機能を発揮する、また全員を就労させろ、本日もし就労できないならば、あぶれ一人につき百円ずつ、出せ、これから市長の所へ行
つてわくを広げる運動をしろ、こういう四つの事項を最後通牒として突きつけられたのであります。しかしながら私は当時赴任したばかりでありまして、こういう交渉にはなれないものでありますから、代表だけを選んでその者と交渉するということはしなか
つたのであります。当時大体交渉する場合には、人員を
制限し、時間を
制限してするようにという指示がありましたが、私自身としては、とにかく新しい私
どもの方針を全部の
労働者に納得していただこうということで、全部のいる所に行
つてお話したのでありますが、今のような要求を突きつけられてどうにもならなか
つた。それで私は、第一の、すでに紹介票を持
つて行
つて就労しておる者があるのに、紹介票を持
つたままもど
つて来て本日のデモに参加しておるからとい
つて、これを無効にすることは断じてお断りする。このとき、私はたといこの身を八つ裂きにされても、すでに行政官庁の長として紹介したものは絶対に有効だということを言
つたのであります。二の安定所の機構充実については、県と真劍に取上げておる。六日の所長
会議のおもな
議題はこれであ
つた。しかし他の安定所から当所にいすを持
つて来るわけには行かないから、もう少し待
つてもらいたい。あぶれに対し賃金を出すことは、ぼくの権限にはないことだから、相談には応じかねる。市長の所へ行
つてかけ合うことは、筋違いだからお断りする。すなわちアベック戰術を追られて、こういう応答を重ねて当時十一時—実際には十時半でありましたが、当時全部引揚げたのは十一時、とにかく第一回にはこういう猛烈な攻勢を喰
つたのであります。それから十二月九月にまた、この日は雨模様であるので、切
つたらいいか、切らないがいいか、交渉したのでありますが、雨がやみそうだから紹介してくれという連絡がありまして、紹介した。ところが運悪く紹介しているうちに、これが本降りに
なつた。それで川崎市の
失業対策事務所長が私の方に参りまして、せつかく切
つたのだが、今日は雨で不可抗力だ。
失業対策の
事業は屋外で仕事をするのが大
部分だから、むりだ。残念ながら今日はとりやめてもらいたい。私の方に来た者もすでに
事情を訴えてやめにしております、と言うので、そういう点から、広場にまだ残
つておりましたが、私
どもが出かけまして、まことにやむを得ない
事情だ、こういうふうにほんとうに雨になるとは思わなか
つた、不可抗力であるからやめてもらいたい、ということをお願いしたのであります。しかし、前には所長はすでに紹介した者は絶対、有効だと言
つているではないか、君は詐欺をするのかというようなことで、これも朝から五、六名の者にとりかこまれて、につちもさつちも行かない
事情になり、当時
一般の紹介に支障があるので二階に上げたのですが、そのうちに映写班が来まして、その状況を攻めたという例もあるのであります。しかたありませんので、午後
失業対策事務所の者と一緒に川崎市に行
つて、事態收拾のために、今後十二月末まで、今日のあぶれを含めて何とかわくを広げていただきたいという交渉もしたことがあるわけであります。
時間が短かいから省略いたしますが、こういう事例はたくさんありますし、また
失業対策事業は八時間就労という建前から、どうしても私
どもは八時までに就労の態勢をとりたい。そこで就労時間を
制限しておりますが、その規定の時間以後に遅れて来た者は、どうしても切れぬということで、これを断
つたために暴力行為が出て、所長がなぐられて、新聞をにぎわしたという事例もあるのであります。またこれは新年に入
つてからでありますが、中原という安定所から離れたところ—この地区からも
労働者がたくさん来ているが、わざわざそこから安定所に出向いて来て、紹介を受けるのでは気の毒である。何とかこの方に寄り場を設けて、そこに職員を派遣してもら
つて、
労働者のために、そこで紹介をし、その近くで就労できるようにしたいということで、とりはから
つたのでありますが、結果的にはそれが各個撃破という形になりまして、出張している職員がことごとく、場合によ
つては食事もとらせられず、あるときはタバコも吸わせられない。なお便所に行くのにも軟禁
状態に陷
つて、自由に行けなか
つたという事例も訴えて来まして、中原派遣の職員の六人くらいかわ
つております。次々にかえたのでありますが、そういう事例から
事情やむを得ずと見て、各自治体と協力の上、県に連絡し、さらに県を通じて本省にまで連絡して、一日就労を中止して、その
あと組合との折衝の模様によ
つた復活したいということで、そういう非常手段を
とつたこともあるのであります。組合の方も折れて来まして、安定所から派遣しておる職員には交渉は持たない、交渉するなら所長の要求しておるように、本所でやるということをのんでくれまたので、再開した事例もあります。その他私以外の職員か幾多暴行された事実もありますが、時間が
たちますから、この程度で大体の当所の模様の御
説明を終ります。