○
堀木参考人 政府の
解釈が、この
会議に列席させていただきましてよくわか
つて参
つたのでありますが、それにもかかわりませず、私
どもは従来の
考え方を少しも変更する必要を認めていないのであります。今十六条の問題について
お話になりましたのですが、この
委員会で、
公共企業体の
予算上と申しますのは、
議会の
議決を経た
予算だということを
大蔵大臣みずからが認めておられます。そうすると、不可能か可能か。この
予算上――
議会の
議決を経た
予算の上で可能な
支出なのか、不可能な
支出なのかという問題だけが残
つて参ります。この点が実は
政府と私
どもとが違う点であります。私
どもは可能か不可能かということは、
議会の
議決を経ました
予算そのものから客観的にきまるべきものである。
大蔵大臣が認定いたしましたとか、あるいは
公社総裁がどうだとか、どう
考えるとかいうことでなしに、前の
委員会においても末
弘委員長から申し上げましたように、これは客観的にきまるものであ
つて、
大蔵大臣が
流用を許すとか、許さぬとかあるいはその金は
使つていいとか、悪いとかいう問題ではないのだ、こういうふうに
考えているのであります。しかも今度の
専売公社の場合におきましては、
増田官房長官も、その
歳出予算に
十分経費のあることを認めているのであります。つまりこの
予算上というのは、
国会の
議決を経た
歳出予算上ということは疑いないので、
政府も認めておられるのですから、初めはこの点も論議いたしましたが、この点は抜きにいたしまして、すでに
官房長官も
議会の
議決を経た
歳出予算においては、
十分余裕があ
つて可能な
支出だと言われている。それから
大蔵大臣も、
流用を
自分が
承認すれば、
歳出予算はあるのだ、こういうふうに言われている。そういたしますと、私
どもの方から言わせれば、つまり客観的にきまるものであ
つて、だれがどう
考えたかという問題ではない。しかも
歳出予算だということは
政府みずから、
大蔵大臣も
増田官房長官も認めておられる。つまり
法律の可能が、一人の
認定権、
考え方によ
つて、可能に
なつたり、不可能に
なつたりするという
法律は、私
どもないと思うのであります。ですから、この問題については――
国鉄の場合には四十五億中一部可能である、一部不可能であるということを私
どもが認定いたしました。もつとも可能だという金額が十五億五百万円であるか、あるいは
公社の
総裁が言われた十八億であるか、あるいは
組合が主張した二十七億であるかという問題は、客観的にきめなければならない問題でありますが、いずれにしてもこれの可能か不可能かということは、だれがこう
考えたからということで、きまるものではない。ただ
大蔵大臣は、今
労働大臣の言われたように、
財政法上、
流用、
移用を認める
権限は持
つております。これは
行政権として持
つておる分でありますが、その場合に一体その問題と、この十六条との競合をどうするか。こういう問題にな
つて参る。
政府はこれについて、
予算には
公社総裁が
流用可能な分がある。また
大蔵大臣の
承認を得て
流用可能になる分がある。それから
国会の
承認を得て
流用不能になる分がある。こう三つある。これは
財政法上の問題として当然三つあるのでありますが、これは
公労法十六条には
関係なしに、
財政法上そういう問題にな
つて参る、こういうことである、
公労法上は、あくまでも
議会の
議決を経た上での、
予算上可能な
資金か、不可能な
資金かということを、客観的にきめるべき問題である。そういたしますと、先ほど申し上げましたように、
大蔵大臣も
増田官房長官も、その
歳出予算のうちにはあると、こう
言つておられるのでありますから、これは三十五条によ
つて、もう
最終的決定として服従しなければならないものにな
つて参るのであります。すなわち
裁定に服従しなければならないと申しますことは、いわゆる
公社側と
組合側とに、
債権債務の
関係が生じた、こういうことにな
つて参ります。十六条に
関係なしに、つまり
公社と
組合との間に
債権債務が生じた。この
債権債務は、
履行期において
公社総裁が支払わなくてはならない金にな
つて参ります。それが問題にな
つておる一億二千八百万円であります。この点で、どうも少し各
方面に御理解が足りないのじやないかと思われておる点を申しますと、この
公労法で
公社と
組合側に、
労働協約ができたと同じ効力が発生したということに関して、どうも
認識が
不足なのではなかろうか。これを忘れてしまいますと、
大蔵大臣の
財政法上の裁量権で、いろいろとかわ
つて参る余地がある。つまりこれが国家と国家公務員との
関係でありますと、違
つた性質が出て参ります。しかし
公社――今度の
公労法によります
公共企業体と、その従事員との間には、団体交渉権が認められておる。そうして
労働協約を締結する権利を持
つておるのであります。そうしますと、
裁定はここにこれと同じ効力を発生するのである。こういうふうなことに相な
つて参ります。過般末
弘委員長が、何人も奪うべからざるものである。この権利は憲法上保障された私法上の権利であ
つて、何人も奪うべからざるものであるということを申しましたのは、この
意味であります。その
考えがないから、
大蔵大臣の
考えによ
つて活殺自由になる。権利のような、権利でないような、事実何もかも
大蔵大臣の自由裁量によ
つてできて参ります。どうにでもなるものならば、権利でも何でもないという問題にな
つて参るのでありますが、これは新しい
法律関係ができて、いわゆるもう私法上の
債権債務が生じておるのであります。そういう
意味において――過般この
委員会で、
公社総裁は、
大蔵大臣が
承認しないから私は払う意思がありませんと、ここで公然とお言いになりましたが、それは払わなくてはいけないのであります。あくまでも払わなくてはいけない。ただ
公社の
総裁としては、
大蔵大臣が
流用しませんから、事実上支払えないという問題は起
つて参ると思うのであります。しかし証文に判を押して、何月何日までに幾ら払うと
言つておいて、おれは払わないのだと言われるわけがない、払わなければならないのであります。ただそういう証文ができましても、一方において民間においても金ができないで、事実上支払うことがむずかしくなるということはあります。これは事実問題であ
つて、
法律問題ではありません。しかしながら私が
大蔵大臣の裁量は法規裁量であるということを申したところが、どうも
大蔵大臣は自由裁量だ――
自分で何でもか
つてに
判断できるように思われているのでありますが、そうは参らないのであります。ことに私法上の権利義務に
関係するような場合には、
行政権でも
つて、
大蔵大臣のそう
自分が
つてな
判断は許されない。これは前の憲法時代からでも、すでに行政上の自由裁量というものは、法規が命じておる制限を強化したり、あるいはその権利を行使するにあた
つては、
法律の線に沿うておるかどうかという
考え方から、運用しなければならぬことは確かなのでありまして、この問題は私
どもはいわゆる便宜裁量の問題ではなしに、法規裁量の問題である。しかしこの法規裁量だということを
考えるには、すでに団体交渉によ
つて、権利義務が発生しておるがどうかという問題を
考えなければならないと私は思います。事実今度の場合には発生しておるということが言えるのであります。従いまして私の十六条に対する
考え方は、この可能だ不可能だということは、
大蔵大臣だとかその他の
判断によるものではない、客観的にきま
つておる問題である。今度の
裁定の金額は、その客観的にきま
つておることでは、当然払い得るところの
予算を持
つておることは明らかであります。
従つて十六条の問題ではなくて、ただちに三十五条の効力が発生する、そういうふうに
解釈しておることを重ねて申し上げます。