○中曽根
委員 勤労者はどうであるか。人事院勧告によ
つて、
昭和二十三年七月でありましたか、成年男子一人二千四百七十円という
基準を、二十四年を
基準として三千六百七円に改められたのは二年前の話である。しかも
物価は大体三〇%くらい上
つておるのに、そのまますえ置かれておる。この窮状に追い込まれて喚声をあげているのが、現にわれわれを取巻いている勤労者の声であります。こういうような方向にあ
つて、
日本経済はどのようになうて来ておるかといえば、要するに購買力を取上げて、結局さいふに金がない。さいふに金がないから売れない、売れないから滯貨が出て来た、滯貨が出て来たから取引がない。こういうように、伝染病のように不景気が蔓延して来た。その結果が物が余つた。しようがないから統制撤廃——統制撤廃というのは、十二月以来やつた民自党の統制撤廃であります。この程度の統制撤廃ならば赤子でもできる。国民が希望した統制撤廃というのは、もつと景気のいい統制撤廃である。物の売れる、荷物の動く統制撤廃である。その期待がまつたくはずれて、金を奪
つてそろして干上らしておいて、物が余つたから撤廃をする。こういうやり方がここに出て来た。
もう
一つ出て来たことは輸出の不振であります。今までの輸出の実績を見ますと、大体一年間平均して見ると、月四千万ないし五千万ドルくらいの輸出が今まで行われておつた。
ところが一月に入りましてから、三千万ドルくらいに減
つております。これは決して一時的な現象ではない。クリスマスが終
つて、多少減るのは通年の例でありますが、これが二月に入
つても回復されていない。こういう状態である。特に期待しておつた
ところのポンド圏との交易にあた
つては、先般の
新聞でも御承知の通り、一千万ドルの輸入超過にな
つておる。ローガン構想にもかかわらず、輸入超過がきわめて目立
つて来ているのであります。
〔小峯
委員長代理退席、
委員長着席〕
もう
一つ、問題は株式の低迷である。こういうようにして統制撤廃というお題目にもかかわらず、中小企業や農民や勤労者あるいは輸出業者、あるいは証界
民主化によ
つて株式を持つた国民大衆というものは、非常な生活の苦難にあえいでいるような状態に
なつたのであります。
そこで
昭和二十五年度予算が編成されるというときに際して、国民大衆がひとしく池田大蔵大臣から聞かんとしたことは、一体この重税からいつごろ解放されるかということであります。第二番目は、合理的な経済循環がいつまた回復して、景気の回復ということが、いつごろに
なつたら再び現われて来るのか。第三番目には、拡大再生産、つまり資本蓄積を合理的にや
つて、
日本経済が徐々に生活水準を高めて、拡大再生産に進展して行くという基本国策を国民大衆は知りたかつた。そうして
最後に貿易の振興ということを飢えたるがごとく待
つておつたのであります。しかしこれらの
目的が、しからば達せられておつたかというと、答えは遺憾ながらノーと言わなければならない。その最初の問題は、いわゆる一ー三月の問題であります。
ただいま申し上げましたように、一年間にわたる池田財政の積悪が、三月に出て来た。
政府は通貨を三千億台に何とかとめておきたいというので、四苦八苦しておる。池田さんは品を開けば、たとえば見返り資金を出すとか、オペーレーシヨンによ
つてうまくやるとか、
政府関係機関の金を預託して、それによ
つて零細な方面に流すとか、あるいは日銀の貸出し、その他によ
つてこれをカバーするということを
言つておられるが、実際に出て来た実績はどうかというと、決して
言つておるような状態にな
つて出て来てはおらないのであります。一例を申し上げれば、見返り資金は二月の初め二百億、第三、第四・四半期に出なければならないのが二十億しか現金化していない。オペレーシヨンは日銀で第四・四半期においては二百三十億程度やるという努力が、一月においてはわずかに三十六億である。この貸出しは、一月にわずか一億ふえたのにすぎない。こういうふうに、惰性で現在は流れておる。あわてて
政府関係預金を預託しておるけれども、一、三月に間に合わない。その一、三月のしわがだんだん寄
つて来て、中小企業の苦難を調べてみると、これはこの間の東京
新聞にも出ておりましたけれども、東京において二十四年の二月、それから九月までに、整理されてつぶれた工場の届け出たものは四百二十八である。大阪においては整理された工場が二百三、閉鎖したものは二百二、愛知県において、工場、商店でつぶれたものが千二百六十五、こういう状態が出て来ておる。これらの中で著しいのは繊維工業であります。群馬県の舘林、伊勢崎、福井の人絹その他の機業地は、ほとんど休業しておるという状態にな
つて来ている。そういうような機業、紡織あるいは機械、金属、製材、メリヤス、皮革、家具、こういうような中小企業が、軒並にばたばたとやられているという状態にな
つて来た。しかも中小企業者は、迫る手形の決済期に追われて、毎日毎日苦悩しておる。中小企業は危機だというのが、これが一般の大衆の声である。国民大衆め声というものは、これは神様の声であると政治家は思わなければならない。その声を代弁して、か
つて中小企業庁の蜷川
長官は、中小企業は危機だと言つたら、それは
政府の
政策に反するとい
つて、蜷川
長官の首を切つた。あの正直な蜷川中小企業庁の
長官の首を切つたということは、中小企業の首を切つたということにほかならないのであります。あるいはさらに、かような暴行をや
つておきながら、最近はどうかと言えば、池田大蔵大臣に至
つては、五人や十人は死んでもしようがない、なるたけじたばたしないようにしろ、金詰まりというむのは、経営者の
責任であ
つて、大蔵大臣の
責任ではない。こういうふうに断言した。死んでもしようがないと言う。今から二年ぐらい前には、
日本には殺人電車があつたが、二年たつたら殺人大臣が
日本には現われて来た。驚くべきことであります。こういうような中に、
日本の中小企業者は参
つて来た。三月危機を越すに越されぬという状態にな
つておる。農村にあ
つてはどうかと言えば、最近の例を見ると、群馬県に重税が振りかか
つて来て、これが農民の方であると、更正決定によるものでありますが、大体人口五千ぐらいの農村には、協同
組合の預金が八百万から一千万ぐらい今までずつとあります。今度また税金は、それが一千万円から千四百万円ぐらいにな
つて来ておる。従
つて協同
組合から税金をとれば、協同
組合は即時につぶれてしまう。協同
組合がつぶれるだけではない。農民の資金がなくな
つてしまう。春の営農資金がない。私はこの間そのことを農林大臣にお聞きしたら、農林大臣は、営農資金がなければ農手を使えばいいと言つた。しかし農手を使う前に、協同
組合がつぶれてしまう。こういう現実の事態にあるのであります。こういうような重税に農民はあえいでお
つて、しかもこれに対するどんな明るい見通しが與えられているかと言えば、與えられていない。勤労者にと
つてはどうかと言えば、先ほど申したように、現にこのまわりをとりまいて、喚声をあげていることによ
つても明らかであります。こういうようなわけで、この池田財政一箇年の結果というものは、一月、三月においても改善せられなかつた。
しからば
昭和二十五年度に至
つて、この予算によ
つてそれが解決されるかということを調べてみると、池田大蔵大臣は、議会における財政演設にこういうことを
言つておられる。このような充実した財政
政策は、近来
わが国にもその例を見なかつた
ところであります——まことに心臓の強いことを
言つております——これらの予算上の施策は国民経済に健全なる資本の蓄積を可能ならしめ、適切なる金融
政策と相ま
つて、
わが国経済の真の再建、生産の上昇の素地をつくることに寄與する
ところが大きいと確信いたします。こういうふうに
言つて、いわゆる楽観論というものを放送されておる。青木安本
長官も同様である。しかしわれわれがここで真劍に
考えなければならないのは、大蔵大臣や、安本
長官のあの立論というものは、一定の仮説の上に立
つておるのであります。その仮説とは何であるかと言えば、まず第一は
昭和二十五年の十月一日には、人口が八千三百七十七万にふえるということである。第二は建設投資がふえるということによ
つて有効需要が必ず供給にマッチするようにちようどいいぐあいに出て来るということであります。第三番目は貿易の不振が打開されて、輸入によ
つては昨年より一四%、つまり十億ドル、輸出によ
つては二四%増し六・二億ドル、これだけ輸出入が伸びるということが三番目の前提であります。第四の前提は、
産業金融
政策が、たとえば見返り資金あるいは
産業資金、直接投資、その他のものによ
つて、これが適度適切に供給され、証券市場の育成もうまくや
つて行かれる。預金部資金も縦横無盡に活用できる。こういうことが第四番目の前提であります。第五番目には、企業合理化がみごとに行われて、たとえば補給金がなくなる。補給金がなくなれば鉄鋼の値段が上る、造船の
経費が上る、そうすると上つた造船代金では国際競争に対抗できない。その値段はどこで吸收するかといえば、生計費には吸收させないで、企業合理化によ
つて吸收させようと意図する。次に労働の生産性に至
つては、一割四分くらい吸收させて、それによ
つて合理化を行う。こういうことが前提にな
つておる。操業度の向上、近代化、科学技術の採用、こういうこどが前提にな
つておる。
最後に失業保険あるいは
社会保障制度というものが円満に行われて、摩擦が起きない。この六つの條件がうまく行われるならば、池田大蔵大臣が言つたような楽観論ができるということが、この予算の基礎にな
つておる。われわれがこれらの條件を検討した
ところによれば、大蔵大臣が
言明したようにそんなに軽く実現できない。むしろ答えは否定的であります。今度の財政演説、経済演説の基礎にな
つておつた
考え方の一番基本にな
つておるのは、有効需要という問題であります。要するに買手市場に
なつたために有効需要が起るのであります。問題は買う力であります。しからば有効需要は何によ
つて起るかといえば、
一つには資本の裏づけがなければできない。それではその資本の裏づけがあるかということを検討してみると、遺憾ながら資金の裏づけがない。第一番の大きな問題は、債務償還の問題であります。債務償還については、すでに前の人によ
つているく論ぜられたのでありますが、先ほど小坂氏は昨年度は千四百億、今年度は千二百億、昨年度の方が多いじやないか、こう
言つておられるが、なるほど池田大蔵大臣はそういう
答弁をやつた。それをまる暗記で言えばそうであります。しかし実際を言えばそうではない。債務償還額を調べて見ると、一般会計と特別会計と、さらにそのほかに
政府関係機関のものがあるが、これを三つ合せると千四百四十億にな
つておる。さらにもつと大きなものがある、その他の資金引上げ要因として計上されておるものであ
つて、特別会計剰余金、厚生保険積立金、簡易保険、年金積立金、貿易会計予備費、その他見返り資金の留保分まで入れて総合するとそれは二十五年度においては二千三百三十九億円、二十四年度においては二千五億円という、約三百数十億円というものの債務償還額が多くな
つておる。一般会計のみならず、特別会計、
政府関係機関のものも入れれば、さらにこういうふうに国庫の收支というものはな
つておる。のみなずこれが支拂い超過になる分だけを調べてみると、大体
昭和二十四年度は九百億円通貨收縮の要因があつた。それが二十五年度に至
つては千五十億円前後であ
つて、デフレ面というものは約百五十億だけ多くなる。こういう点からも、先ほど小坂氏が論ぜられたのは誤りであるということが言われるのであります。しかもこのときにあた
つて勝間田君が論ぜられたように、
日本の債務額の三分の一以上を強行して償還しようという
政府の真意がわからない。このことはあとでまた論じたいと思うのでありますが、こういう状態で、資金繰りを調べてみると、楽観するような材料は
一つもない。
第二番目に金融上の問題を調べてみると、銀行能力が問題であります。たとえば
日本銀行の貸出しを調べてみると、十二月末で千六十億円の貸出しをや
つておる。これ以上一般銀行に授信能力があるかというと、遺憾ながら授信能力はほとんどフルにな
つております。戰前における銀行の預金と支拂い、融資との
関係を見ると、
昭和十年において全国銀行で七〇%、大銀行で五二%、
昭和二十四年は全国銀行が八七%、大銀行で八五%、
昭和二十四年十月末現在で調べてみると、日銀よりの借入れ千六億円というもの、これらの銀行の資本金百九十五億円の五倍に当るものを、借入金としてや
つている。これは銀行の基礎がきわめてあぶなくな
つて来ているということであります。十二月末の統計によりますと、東京市内の銀行を調べてみると、預金が千八百億に対して、貸出が千九百億にな
つている例がある。これは銀行が貸したいけれども、一ぱいで貸せない。これ以上
日本銀行から供給を受けてもしかたがない。こういう状態でむります。もう
一つ、しからばオペレーシヨンによ
つてこれができるかというと、国債の償還の限度というものがあります。
昭和十年前後においては、国債その他の有力確実なる担保物件は、大体二四%程度持
つておつた。しかし現在においては、それが一割程度に下
つております。この担保物件、支拂準備的な性格を持
つている証券類というものはどうしても銀行が持
つておらなければならない。これをさらに吸い上げてしまつたならば、銀行の基礎はあぶなくなる。こういう状態のもとに、しからばいかにして長期資金、その他の金融のめんどうを見てやるかということを
考えると、大蔵大臣は、当面の問題として、
政府関係の金を預託しているけれども、これは三月とか期限がある。
昭和二十五年度の大きな財政
政策として、大蔵大臣の財政金融
政策としてうたうには、あまりにもこれは泡沫的なものであります。もつと根本的な、国策的なものがなければならない。ただ
一つ見られているのは、銀行に債券発行を認めよう。そういう案でありまするが、これとても一般の銀行には及ぶ力は少い。昔のいわゆる特別的な銀行、そういう銀行には多少余地はあるけれども、全般的な解決策としては、これは期待するには十分でないのであります。
こういうような状態のもとに、もう
一つ問題があるのは、
昭和二十五年度においては、設備資金運転資金においてもし池田さんが期待するような復興や、あるいは安本
長官が高らかにうたつたような建設というものをやろうとするならば、設備資金や運転資金の保証がなければならない。しかし
昭和二十五年の金繰りを見てみると、まず最初にいるのは滯貨金融であります。貿易公団の手持の繊維を売り拂うだけでも、これを処理するためにでも主ないし四百億いる。この滞貨金融というものが年間を通ずる大きな桎梏にな
つて参ります。特に
昭和二十五年度においては、企業はコ
ストを下げて独立採算制を強行して行かなければならない。そのためにはどうしても大量生産に移る。
昭和二十四年度においても、こういう傾向が出て来ているのでありますが、大量生産、量産によ
つてコ
ストを下げなければならぬ。そうすると生産過剰の気味が出て来る。それによ
つて物価は一応下落する。
物価が下落したことによ
つて消費生活が楽になる。有効需要がふえる。給料取りの買う力がふえる。その買う力がふえる量と、それと大量生産による
物価の下落と、それを両方突き合せてみると、それが全部さばけるためには、要するに有効需要が少いために、結局企業は採算点を割
つて、これはダンピングをやらなければならない。これは一番どこに出て来るかというと、中小企業に出て来る。現に一ー三月における中小企業の危機というものは、こういうような性格が非常にある。大企業の合理化に対応して、それに即応してなかなかやれない。やれないために投売りをやる、たたき売りをやらないという状態にな
つているのであります。この滯貨金融というものが大きな問題になる。
第二番目に、貿易金融として、少くとも千五百億円程度の金がいります。輸入決済資金、あるいはそのほかの一般の貿易資金、補償金、その他こういうものを入れると、千五百億円程度は当然いる。あるいはそのほか、たとえば統制撤廃をどんどんや
つている一それによ
つて今まで公団に貸しておつた金を、一般の企業にもわけ與えて行かなければならない。これによる金も相当いります。
もう
一ついるのは、そのようなコ
ストの切下げをやるためには、合理化を強行して行かなければならない。この合理化をやるためには金がいる。先ほど小坂氏は、中小企業の悪いのは倒れてもしようがないと言つたけれども、北村氏が言つたのは、合理化すれば助かるものは殺してはならない。合理化しても全然見込みのないのはしかたがない。こういう意味である。つなぎ資金をくれてやる。あるいは税金の資金を手当してやる。あるいは合理化の資金をくれてやる。そうすれば何とかや
つて行けるものは、この際生かさなければならない。そういう意味を含めていると信ずるのでありますが、これらの合理化資金だけでも、少くとも四百億円いるという安本の計算であります。それに対して資金供給の方を見ると、預貯金の減少というものがかなり見られる。昨年はインフレからデフレに入つたために、反動で人心に
影響する
ところから、あのようなかなりの貯金があつた。しかし、ことしはそれを期待するわけには行かない。しかしそれを見越して、ある程度の減少をしておりますけれども、その程度で行けるかどうか疑問であります。もう
一つ、直接投資額が昨年よりはるかに低くなるということを、覚悟しなければならない。この株もたれがいつ解消するかわからないけれども、とにかく直接投資は、昨年の半分以下になりはしないかということを、われわれは危惧するのであります。
以上のようなことを
考えると、設備資金の千三百五十億、運転資金大体三千三百億ないし五百億、これらのものについて、まかなえるかというと、まかなえない。ただいま申し上げたような、いろいろの資金を合せれば、もつと多くなります。そこで、資金供給の面でどうしても足りなくなるということによ
つて、有効需要の造出がくずれて来るということを、われわれは
考えるのであります。
第二番に
考えなければならないのは、海外需要であります。海外需要については、先ほど申すように、ただいま造船の問題にしても、あの鉄鋼の補給金を一挙に切ることによ
つて造船の
経費が上り、それによ
つて対外競争力が落ちる。現にポンドの切下げ以来、
日本の輸出というものは、かなり困難を加えて来ている。この一月、二月の不況というものが、はたして期待するように回復できるかどうか。それは手当がなければ回復はできない。東南
アジアその他の政治情勢は、依然としてそんなによくならない。そういう点からすると、この海外市場回復に要するいろいろな努力やら、あるいは国内の企業の合理化に関する
経費やら、こういうふうな手当がないという
ところにおいて、貿易は私は悲観と見なければならないのであります。
最後に、安本
長官や大蔵大臣の構想の基本にありますのは、消費生活が一割向上する。それによ
つて有効需要が起るということなのであります。その消費生活が一割上るということは、実効価格が下るということと、生産増によ
つて名目
賃金が上るということと、減税によ
つて一割増すことになるのだ、こういうことを
言つておられる。なるほど部分的には、そういうものがあるかもしれない。しかしこれらの有効需要が一番起るのは、どこ葦あるかと言えば農村であります。
日本の人口の半分を占めている農村であります。この農村における有効需要が、ふえるか、ふえないかということが、死命を制する問題である。しかし現在の農林大臣や、池田財政による
政策から見れば、農村の需要はふえるどころか、今年はぶつ倒れなければならない。協同
組合はぶつ倒れる。村民税も、
地方税もとれない。こういう状態が明らかに観取されるのであ
つて、需要が一割上るということも、はなはだ疑問であろうといわなければならないのであります。これらの点から見ても、有効需要が上るということは、おめでたい話といわなければならない。
のみならず、第二番目に、この財政
政策の基本にな
つている生産の向上というものが、そのほかの面からあげられるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。それはどういうことであるかと言えば、企業が、特に中小企業が参るということであります。ただいま申しましたように、こういう状態にあ
つて、企業は大量生産によ
つてコ
ストを下げて、競争に勝とうとする。つくればつくるほど、物は余
つて安くなる可能性がある。それによ
つて物価は一部下る。しかし、それによ
つて出て来た消費生活の余裕による購買力が、ちようどマッチするかと言えば、マツチしていない。でき過ぎるという危險性がある。それによ
つて弱小の、少くとも中以下の企業、地方の小都市の企業というものは、大都会の大
産業に対抗して勝てない。勝てないから倒れる。投売りをする。たたき売りをする。こういうことを強制されているのであります。一番いい例が、たとえば川口における例、川口におきましては、大体一軒当り、鑄物屋が三十万円から四十万円くらいの生産をや
つている。売掛金が大体同じく四十万円くらいあつたのが、わずか九箇月日には、すなわち昨年の暮れになるというと、八十万円くらいに売掛金がたま
つて来ている。こういう圧迫が来ている。あるいは輸出
関係の織布について見れば、織屋は正月の加工賃が八円、これが九月になると二円に下
つている。こういうことが中小企業に全面的に現われて来ている。経済的な合理性を追及すればするほど、今度は
社会的不合理性、そういうものから生産面の亀裂というものが、明らかに出て来ると思うのであります。
もう
一つの問題は、そのような増産ができるかということは、電力問題にかか
つて来ている。しかしあれだけの、つまり三兆二千億という国民所得、あるいは三兆億円といわれる今年度の有効需要、これをカバーするに足るだけの電力があるかと言えば、電力が足りない。その面から見て、鉄鋼やセメントその他の増産に対して、かなり疑問視される
ところがあるのであります。
こういう
ところから
昭和二十五年度の財政というものはかなりの苦難を伴うておる。この圧力はしからばどこに来るか、これに対してしからばいかなる対策が講ぜられてあるかということを検討するというと、この圧力がまず来るのは農業であります。この農業に対して
政府はいかなる対策をと
つておるかと言えば、一番よく出ているのは
公共事業費であります。なるほど
公共事業費は絶対量はふえているものだから、絶対額はおのおのについてはふえているのは当然である。しかし
公共事業費の中におけるパーセンテージを調べてみると、たとえば山林事業については、
昭和二十四年においては全
公共事業費の中の五・二%である。それが四・一%に下
つておる。土地改良事業費は一二・八%が一〇・九%に落ちておる。開拓事業は七%が五・四%に落ちておる。林道施設は一・五%が〇・九%、漁港の施設が一・六%が一・二%、こういうふうに軒並に下
つておる。農林省の予算を調べてみると、昨年度は二八・五%であつたのが本年度は二五・二%に落ちております。いかに農林省が虐待されているかということを、われわれはこれによ
つて計数的にも見ることができるのであります。そのほか具体的な数字を調べてみると、農地改革を見れば、
昭和三十四年度においては四十四億円出しておつたのが三十億円、なるほど農地改革は登記事務しか残
つていない、こういうことが言われるかもしれないが、あのマッカーサー元帥が
指示された農地改革というものは、單なる土地の問題だけではないはずであります。農村
民主化あるいは生産力の向上というようなものが根底にあるわけであります。土地の問題だけやつた
つて、これはすぐ売り飛ばして、またあの地主制度によ
つて苦しめられるということすら出て来る。そこで農業生産力を向上して農村の再生産を確保してやらなければならない。そういう面に対して金が出なければならぬ。農業
委員会一本にまとめるという構想があるらしいのでありますが、しかしむしろこういう民主的な
委員会を活用して、農村の生産力拡充のためにこれを積極的に使う、こういう勇敢なる
政策すら私はほしいと思
つておるのであります。あるいは食糧
関係。供出
経費昨年度、二十四年においては十六億三千六百万円、これが
昭和二十五年度においては十五億に下
つております。あるいは農業保險費によ
つて見ても五十三億が四十七億に下
つておる。軒並に農業
関係の
経費というものは予算上からも非常な圧力を受けておるということがわかるのであります。
のみならずもう
一つわれわれが決して忘れてならない問題は、輸入補給金の問題であります。御存じのように三百七十五万トンの食糧を輸入すると言われておる。これに四百五十六億の補給金を入れておる。しかし農村が憂えることは、国際価格——タイ米は九千円である。われわれが供出する米は四千二百円である。この差をどうしてカバーしてくれるか。われわれの犠牲において
日本の工業建設をや
つておるではないか。これが農民の痛切な声である。そういうものに対する思いやりというものが全然ない。むしろ食糧の輸入というものは一割とか三割とかは削減して、それに充てるべき補給金をたとえば一割削減する。一割削減すると四十五億出て来る。これをも
つて土地改良に使う。災害によ
つてつぶれた土地を掘り返す費用に振り向ければ、一割くらいの増産ができる。それによつた方が国民経済的にははるかにプラスであります。しかしそういうような
政策はない。三百七十五万トンを易々諾諾としてのんで、しかもけさの毎日
新聞によれば、関税の問題が出ておる。一九五二年までは農業に関する関税はゼロにしておる。かけてはならぬということである。これはもう農村というものが着物を脱いで、洋服を脱いで、スリップまで脱がされる、こういう状態にな
つておるのであ
つて、根本的な農業に対する国策というものは見受けることができないのであります。そこにおられる農林大臣は支持価格制度を好ましいと言うておる。しかし今言うたように、関税制度がそのようになれば、当然農産物については価格支持をや
つてもらわなければならぬ。ただいま申しましたように、十八円が二円、三円に落ちるということになる。のみならずローガン構想によ
つて日本の貿易をドル圏からポンド圏に切りかえた。向うから入
つて来るものは何かと言えば、石油、ゴムを除いては農産物である。現に主食その他においても百万トンの米が入
つて来る。こういうものがどんどん入
つて来れば、必ず
日本の農村は徐々に絞められて行くのであります。従
つて農産物支持価格制度、価格安定というものが、国策としてもはや取上げられなければならない
段階である。こういう
政策も予算面にわれわれは全然うかがうことができない。あるいは蚕糸価の安定の問題にしてもそうであります。御存じのように、昨年の春と秋を比べて見ると、繭の値段、生糸の値段がこんなに上
つて来ておる。四千二、三百掛から七千掛ぐらいまでを上つたり下つたりしておる。こういうことでは農業経営の安定は期待できない。そこで七千掛なら七千掛でよろしい。八千掛なら八千掛でよろしい。一貫目一千円なら一千円で安定して、それによ
つて農家経営を保障してやるという
政策がなければならぬ。この点については予算
委員長も大いに声をからして
言つておられたのでありますが、いまだに実現しておらないのであります。あるいは協同
組合の問題にしても同様であります。協同
組合の現状は、農業会から引継いで、その間若干経理について遺憾な点はあつたろうけれども、農業会の旧資産を引受ける金がない。旧資産を引受けて、これから発展して行くためには、四十五億の金融がどうしてもほしい状態であります。しかしこの金融すらまだ手当ができておらないのみならず、ただいま申し上げたように、地方においては税金攻勢のために、協同
組合の預金を全部ひつぱり出してもまだ足りない。こういう状態が各地に出ておるのであります。そういう
ところに今度出て来た税法を見ればどうかと言えば、法人については特別法人も同じように三五%とるというのである。今まで農業協同
組合のものについては、保護
政策を加えて二五%という特別扱いをや
つておつたのでありますが、本年からは普通の営利会社と同じように三五%の税金を取上げるというような、はなはだ非農村的な、時代錯誤的な
政策がここに現われて来ておるのであります。この
政策は、農民には、米を売
つてお前は草とどろを食えという
政策にほかならない。われわれはこういう点においてはなはだ遺憾に思うのであります。
第二番目に、中小企業の問題について見ても、先ほど勝間田君が言つたように、協同
組合の振興のために一億数千万円が出ておるにすぎない。しかし今日の有効需要をふやし、あるいは輸出のための有効需要を確保する根本的な同順は、国内市場が撮もならなければ輸出もできない。
日本の国内市場は狹い。そのためにさばけないものはダンピングして外国に売つたために、今でもこのように外国から暗い目で見られておるのであります。われわれが外国からダンピングというそしりを受けないためには、まず国内市場を強靱にし、広くして、そうして海外市場というものを目ざさなければならぬ。そのような努力が、この中には全然認めることができない。われわれが先ほど提出したあの修正案の内部において、中小企業に対する出資金あるいは金融損失補償金、合理化のための施設改善補助金、都道府県への補助金、これは特に中小企業は参
つておるので、積極的事業をやれという意味であります。あるいは共同施設、先ほど小坂君が言うたように、協同
組合下の共同施設の補助金、海外市場開拓に要する
経費、国内市場開拓に要する
経費、これが全然ここに見受けることができない。單なる事務費にすぎない。こういう状態では、私は
政府が中小企業は死んでもしようがないと言つたのは、まことにほんとうであると感ずるのであります。これでは中小企業に対して、第三期の肺病人に自転車競走をやれと言うことにほかならない。こういうような
政策をそのまま続けるということに対しては、われわれはほんとうに心から憤りを感ずるのであります。
第三番目に、勤労者はどうであるかと言えば、御存じのように
公務員は六千三百七円
ベース。七千八百七十七円
ベースが出て来ておるけれども、これには振り向きもしない。国鉄の裁定に対しては、この問第一審の判決があつた。これには不服で申し立てる。大体
政府がああいう制度をつくつたのは、勤労者から罷業権を奪う。しかし法律秩序の自動的な操作の中でこれを解決して行こう、こういう
考えであります。フーバー氏が言つたのも明らかにその通りである。一方においてはそういう改正をやりながら、一方においてはそれが出て来ると芽をつむいでしまう。みずから法を破る態度であるとわれわれはいわなければならない。
物価の趨勢を見れば、あるいは今後下落して行くかもしれないしからば今
政府はこれをのんでおくということは、あるいは引下げるときにも、五%の場合これを持出して引下げるという合理的な
基準を見出す根拠にもなるのであります。目前の利害、目前の予算の計数を合せるために、大きな国家の法律秩序であるとか、労資の問題の解決というものを見のがしておるという点において、私は
吉田内閣の
労働政策は、はなはだ貧弱であるといわざるを得ないのであります。勤労者に対しては青い鳥を與えよということを片山さんが
言つておつたが、しかしこれでは共産党の赤い毒へびを與えることになる。あの騒いだ連中の中には、かなりそういう者がいるということを、私は心配しておるのであります。
その次に問題になるのはどうであるかというと、地方財政の問題であります。地方財政の問題の中で、特にわれわれが訴えなければならない問題は、平衡交付金のわくの問題であります。か
つて配付税というものが行われたときには、法人税と所得税を合算した三三%という法律的
措置によ
つて地方の
公共団体を守
つてやつた。
ところがこの平衛交付金のようなものを、
政府が單独に一方的にきめてしまう。地方
団体はあてがいぶちをもら
つて、
自分で主張することができない。こういう状態で、どこに地方自治というものがありますか。むしろこういう一方的な平衡交付金制度をやるならば、昔のあの配付税の方が、地方
団体、地方自治のためにはいい制度ではないかと私は疑うのであります。これが第一点である。
第二点は、今年は本多国務大臣の努力によ
つて、三百八十五億程度の地方債のわくが広げられた。この御努力に対しては敬意を表するのであります。しかしながらこれに対する利子が問題であります。国債については五分五厘をと
つている。しかし地方債については九分四厘、これではまるで
政府は高利貸しをや
つているにほかならない。このことは前に私は訴えたのでありますが、今度の予算についてはいささかも修正されておらぬ。現に群馬県の例をとると、打続く災害によ
つて、
昭和二十五年度の予算において二億五千万円の県債の利子を計上しておる。税收入が八億五千万円、八億五千万円しか税收入かないのに二億五千万円県債の利子を計上しておる。それらの災害というものは、県民が
自分でやつた災害ではない、天災です。災害復旧費を国庫負担でや
つてやるという精神は、国家の共通の大災であつたら、国家がこれを直してやるという精神であります。県債に対してすらも九分ないし九分四厘という高率な利子をと
つておるのははなはだげせない。
政府は今のうちに国家の借金を返すのだとい
つて、千三百億の債務償還をや
つている。国の債務償還はこれだけや
つておきながら、大事な町方
団体の債務償還については全然考慮しない。見返り資金はもらえない。利子については九分五厘を国家がと
つておる。こういうことでは、はたして地方自治を擁護する意思かあるかどうかということを私は疑わざるを得ないのであります。
第三番目の問題は、平衡交付金のわくの問題であります。たとえば
社会保障的な性格を持
つておるあの生活保護費、あるいは失業対策費のわくをはずした。これは人によ
つて見解が非常に違う。われわれとしては、これはある程度いい
政策であると思
つておる。しからば、さらに加えて、大事な教育予算をなぜ忘れたかと私は言いたいのであります。御存じのように、戰前には村や県や町の財政状況によ
つて、受ける児童の教育のウエルフェアというか、ずいぶん手当が
違つておつた。貧乏な村に配属されておつた学校の先生は給料ももらえない。貧乏な村に生れた子供は、化学実験器具すら見たことがないという不公平が出て来た。こういう教育費というものは国庫によ
つて確保しなければならない。また教育の機会均等の精神に対して、全然逆もどりをしているのであります。私は
福祉国家ということを自由党の人からか
つて聞いたことがありますが、こういうやり方をも
つて福祉国家と言えますか。全国の均衡をと
つて、都会と農村、中央と地方のバランスをと
つてやるというのが
福祉国家の精神であります。こういう精神から見れば、百尺竿頭一歩を進めて教育費については
はつきりと立てられてあるわくを必ず確保するという
措置が、私はほしいと思うのであります。こういう点について、遺憾がらわれわれは地方財政の問題について賛成を表するわけに行かない。のみならず、災害復旧については、十五万円以下の工事は町村の負担にな
つておる。
ところが十五万円の工事というものは、大部分町村の工事であります。ちつぽけな道路がこわれたとか、橋がこわれたとかいうものを直す工事であります。こういうちつぽけな、しかも数の多い町村の負担にな
つておる
ところの工事を町村自身がやる。それがために今や全国の町村長はごうごうと沸いておる。こういう点についても、災害国庫負担という精神がきわめて稀薄にな
つておると私は断ずるのであります。
以上のような観点から、われわれは先ほど予算組みかえの要求を出したのであります。農業復興費二百四十四億、その根底は先ほど申し上げましたように、百四十四億というものを、米価を四千七百円に上げて、その差額を補給金で押えよう。土地改良その他の金に百億を使え、中小企業の振興費に二百億使え、特に円内市場振興、国外市場開拓、協同
組合育成あるいは合理化の資金については、優先的に與えろ、あるいは
地方税減税、平衡交付金の増額二百億、
公務員の給與改訂二百億、これは債務償還でデフレになる要素を
公務員の生活費として與えてやるのであ
つて、これが有効需要の根本になる、直接商取引を多くする、あるいは景気を回復するというようなものは、こういう
公務員の船脚のような、消費にすぐ向けられるものに使
つてやらなければ有効需要は起きない。こういう点からもわれわれは議員の給與というものを重観しておるのであります。さらに
社会保障対策費三十九億、この中に特にわれわれが主張したいのは遺家族援護費であります。アメリカにおいては六十五万ドルの金を使
つておる。
日本においては、機会均等というので、生活保護費で人並のことしかやられておらない、これはわれわれとしてはまことに忍び得ないのであります。このような
経費をぜひとも計上せよというのが、国民全体の輿論であるだろうと信じて、われわれはここに計上したのであります。教育文化費については、育英資金とか、科学、技術の振興費、私立大学の建設貸付金、いずれもこれらのものを合して二十三億というものを計上した次第なのであります。
最後に、この案については、いずれ
委員長によ
つて採決していただごうと思うのでありますが、この池田財政全般を総合して
考えるならば、
昭和二十五年度予算編成にあた
つては、私は少くともインフレの再燃を警戒しながら、均衡財政と健全金融のわく内におきまして、経済の合理的循環を起す、そのために注射を打
つてやる、しもやけの
ところにはこす
つてやる、マッサージを與えてやる。こういうような経済の合理的循環を起す、そして拡大再生産の入タートを切らなければならない、これが目標であるだろうと思うのであります。しかし
自主性のない
政府がやつたことは、ドツジさんにほめられるばかりであ
つて、国民からは嫌悪の念をも
つて見られておる現在の予算であります。池田さんはドツジさんにほめられたことについて、非常に誇りにしておられるようでありますが、私はそのような大蔵大臣の心情を、国民全体のために悲しむものであります。結局占領
政策というものが失敗すれば、これは
連合国のためにもならないので、そういう大きな観点に立
つて、
日本人の言いたいことは痛切に
言つて、理解してもらわなければならないものは、
最後までがんば
つて、理解してもらうというのが、国家の大臣たる職責である。しかるに大蔵大臣のやつたことは何であるかといえば、中国においては、軍閥が戰争に負けると、租界へ逃げ込んでしまう。
日本においては、
政府は最初から租界へ逃げ込んでおる。追つかけると、租界へ入
つて行くのが現在の
政府の態度であろうと思うのであります。
増田官房長官は向米一辺倒とい
つているようなありさまである。
吉田家の家老増田何がしという人は、
関係方面の三太夫に
なつたとわれわれは怒つたのであります。しかもこの財政
政策は、小坂
委員が指摘したように、これは貨幣的安定に終始しておるのでありまするしからば貨幣的安定のみによ
つて、自動的にほうりつぱなしにしておいて、このまま好ましい結果が出て来るかといえば、好ましい結果は出て来ない。インフレのべ一ルを取去
つて、自立の規模、つまり
日本経済が自立する規模と水準を町検討し、
日本経済の復興計画を樹立して、生産や投資やあるいは財貨あるいは消費、こういうあらゆる面について、自主的な国策を確立しなければならないのであります。
第二の問題は、一番大事である自立計画というものは、全然池田財政からうかがうことができない。つまあり民族の独立であるとか、あるいは民族の復興であるとかいうことを言うてお
つても、経済
政策が裏づけられておらなければ、これは画餅に帰するのであります。たとえば一番大事な自立経済の基本は食の自給であります。この食糧の自給について、
政府は自給に対する努力をしておるかといえば、ただいま申し上げましたように、
公共事業費のパーセンテージは減
つておる。あるいはまた輸入食糧に関する補給金は厖大に計上されて、まつたくあなたまかせ、お米あるいは小麦のある国にまかせつきりの状態にな
つておる。のみならず、か
つて前々
内閣において策定した経済復興計画というものは、くず箱の中に入れられてしま
つておる。こういう状態では決して独立への努力、独立への関心があるとはわれわれは
考えられない。口で独立だ、復興だと言て
つておりながら経済的
措置をや
つておらなければ、これはまつたくお念仏にすぎないのであります。その根本的な食糧自給に対する努力が全然見当らない。これは
吉田内閣の全閣僚の、
日本国民に対する第一番目の
責任であると、私は
考えるのであります。しかも私がここで大蔵大臣及び
総理大臣に
質問した
ところは、たとえば中共貿易であるとか、東南
アジア貿易であるとか、あるいはインドネシアその他の貿易であるとか、
日本の将来の貿易構造、経済構造、つまり
日本の経済をどの岸につけるか、そういう目標を立てて、この一定した計画のもとに、そこに近づけて行くような努力がどこにあるか、
日本の経済構造をどの辺にすえつけて行くか。いわゆる
アジア的経済のうちにおいて、
日本の経済をどの水準において安定させて行くか、こういう構想が全然見つけられない。これではまつたく自立への、独立への国策がないとわれわれは断定せざるを得ないのであります。その次にわれわれが指摘しなければならないのは、貨幣的安定というものはもうこの程度にしておいて経済
政策から言うと第二期に入つたのである。つまり先ほど申し上げた自立や拡大再生産のための
日本産業の近代化、農業も含めて、中小企業も含めての近代化と資本蓄積への努力というものが、まつしぐらに推進されなければならないのである。しかしこれらに関する
経費、あるいは施策を見ても完全とは言えないのである。池田財政や青木安本財政が追
つているのは、原始的な合理化であり、経済的合理化である。首切り、賃下げ、加工賃のたたき、工場閉鎖であるとか、こういうような原始的な合理化、経済的合理化をや
つておるにすぎないのであります。特にわれわれがここで指摘しなければならないのは、見返り資金による債務償還であります。御承知のように、あの見返り資金というのは、アメリカの人が税金で出している金である。アメリカの人、か
つて敵であつた人が税金で出している金を、戦争中の公債の償還に使
つて、はたして
日本人が良心的といえるかどうであるか。復興のためにその金を使
つて、近代化のために、自立のためにその金が使われて、初めて筋道が通
つておるといわなければならない。そういうような重大な誤謬を犯しておる
日本経済を安定させ、健実にさせ、拡大再生産の基礎にこれを使うというのが、当然の
政策でなければならないのであります。今のようなはなはだ心外な
政策をや
つておられるのであります。要するに目前の採算性にのみとらわれた経済的合理性にのみ終始して、
社会的な合理性を包括した
ところの
社会連帶主義に基く国民経済的合理性を忘れでおる。その結果、たとえば勤労者や農村や中小企業に圧迫が出て来ている。なるほど統制は撤廃した、撤廃したらここに出て来た経済は何であるかといえば、こく低い水準における停滯であります。池田大蔵大臣は安定であると言つた。安定ではないではないかと野党から
質問されたら、低い水準における貧乏な安定でありますと言う。しからばもつとほかの安定があるかと言つたら、高い安定もあると、こう
答弁されている。そのこと自体がすでに表明しておるように、今まで統制経済で流して来た、これを自由にふわつとほうり出した、ここに出て来たものが盲経済である。たとえばセメントも木材もガラスも余
つているが、家が建たなかつた。金は余
つていて、見返り資金はポヶツトの中にあり、これを出しでやれば家もできよう、労働の生産性も向上される。こういう
政策がなく盲に
なつた。従
つて統制経済をや
つて来て、自由経済にほうり出す前に何かなければならない。調節経済がなければならない。そういうような
政策がここに全然見られない。その調節経済がないということは、この低いわずか
昭和五九年の平均以下の国民経済に、そのまま永久に甘んじようという
考えであります。われわれは決して
昭和五九年の平均の低い水準に甘んじようという意思は毛頭ない。その経済
政策の行詰まりを打開して、生活水準を前より高めて行かなければならない。そういうような具体的面がない。これを自由にほうつたらかして、盲経済に放任しておくからそれが出て来る。計画性をも
つて、先ほど申し上げたような国民経済的合理性をもとにして、生産の能率と生活保障を、計画によ
つて調節をと
つて行く試行錯誤によ
つてそのバランスをと
つて行く。これによ
つて初めて国民経済の再起はできるのであります。青木安本
長官、池田大蔵大臣も知
つておるように、
日本が明治の初め農業国、後進資本主義国から、いかにして八幡製鉄所をつくつたか、いかにしてわれわれの商船像が建造されたか、この歴史を
考えるならば、ふ
ところ手をしたような自由放任経済で
日本の富国栄民ということはできない。(「
軍国主義か」と呼ぶ者あり)われわれは何も富国強兵だとは言わない。しかし国を富まし民を栄えさすという積極
政策、これはまじめな愛国的資本主義的計画経済によらなければならないとわれわれは信ずるのであります。
以上のような点のほかに、
最後に指摘しなければならないのは、
日本経済を国際的にどこに安定させるかという目標であります。国際経済との均衡水準というものを策定して、明示して、それによ
つて農村に対しても中小企業に対しても、
ベース産業に対しても、これくの合理化をやれ、これこれの
基準で今年は安定せよ。そういうような努力の目標を與えてやるのが、良心的な態度であるといわなければならない。しかし池田大蔵大臣は、参議院及び
衆議院における
質問において、十月くらいからいわゆる恒久的安定の門に入るというような口調を漏らしておられる。しからば恒久的安定という正体はいかなるものであるか。その恒久的安定というものの正体を今出してもら
つて、それによ
つて企業家や農村はいかなる対策をとらなければならないかということを明示するのが、国策ある、
責任ある
政府の態度であるといわなければならないのであります。そういうような
政策は、現在の自由放任、デフレ
政策からは出て来ないのである。こういう点において遺憾なく私は自由党の
政策の欠陷を指摘できるのであります。
最後にこれらの財政
政策をやつたならば、結局われわれの見る
ところによれば、
昭和二十五年度一般会計、
特別会計予算の性格というものは、これは自由放任デフレ
政策である。その結果まず第一に補給金撤廃、これによ
つて一方からは国際競争力が
重要産業において非常に弱化して来る。第二番目に、長期資金計画というものがまつたくできていない。従
つて資本蓄積や近代化がまつたくなおざりにされている。拡大再生産という芽が全然見受けるととができない。第三番目に、有効需要と企業の採算点をいかにバランスをとるかという明確な指標が現われていない。第四番に一中小企業と農村の没落。第五番目に、勤労者の生活の窮迫、特に生活の落差というものが非常にはなはだしくなります。就職した今と失業した人、組織
労働者と未組織
労働者、こういうものの生活落産が非常に離れている。国民経済、
国民生活に亀裂が入
つて来るというのが、この予算の性格であります。
最後に、地方に対してあまりに過重な負担を與えるがために、地方財政の混乱ということが出て来る。特に附加価値税であるとか、固定費産税というような悪税をつくるために、地方町村ではその能力がない。従
つて昭和二十四年までは国民は税務署に押しかけたが、
昭和二十五年は市町村に押しかけるということにな
つて来るのであります。こういうものに対する十分な対案、われわれは発見することはできないのである。
以上総合するならば、このような予算は遺憾ながらわれわれの
政策とは根本的に違う。青木安本
長官や池田大蔵大臣は、この予算をやれば安定する、天国に入る、極楽に行くというようなことを
言つておりますが、極楽に行く前に国民は三途の川を渡る船銭がないということを、大蔵大臣に知
つてもらわなければならない。そういう明確な認識に立
つて、われわれ民主党国民協同党、新政治協議会三派の要求する、予算組みかえをただちに実行されんことを要望して、私の討論を終ります。(拍手)