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世耕委員 これに関連した問題であります。おそらく
総理もお読みになつたことと思いますが、最近アメリカ上院
議員のタフト氏が——これは御
承知の
通り米国大統領家に生れた名氏でありますが、代々法律家で有名な方であります。現在もタフト氏は有力な上院
議員であると同時に、著名な
米国の法律家であります。このタフト氏が上院において一月十一日に論議せられたその
言葉を要約いたしますと、こういうことを書いておる。一方的な協定宣言、
声明によ
つて他国の領土がか
つてに帰属が決定されるとは、国際公法よりも認められるとは思われない。こういうことを言
つておるのであります。結局われわれの言わんとする
言葉に裏づけしておるように思われて、アメリカの輿論の正しいということに私たちは敬服する次第であります。どうぞ台湾といわず、千島といわず、樺太といわず、
国民の意のあるところをおくみとりくださいまして、そろそろ適当な機会をとらえてしかるべき筋に綿密なる御連絡のもとに、御
交渉あらんことを特にお願いしてやまないのであります。
それから最後にもう一点
お尋ねしておきますが、
米国の国防長官、ジヨンソン長官で、ありますが、最近ヴアージニア大学において演説した
内容についてわれわれは非常に心打たれるものがあるのであります。国防があ
つてすなわち平和の維持ができる。そうすると
日本の場合はどうかということがすぐわれわれは連想されるのであります。
吉田総理は
自衛権という新しい
言葉をお使いにな
つておるようでありますが、ごもつともだと思います。われわれ人聞に生存権があると同様に、国家にも
自衛権が当然あると私はかように
考えておりますが、その
自衛権の権力の
内容をどこに置くかということが、少しぼやけて明瞭を欠いておるのであります。前回の本
会議において私は
お尋ねした。牛は角があ
つて自衛し、馬はかみつくとか、けることによ
つて自己を守る。これも一種の
自衛権と言えるでありましよう。武器を捨てた国防のないわれわれが、
自衛権をどこに行使することができるか。ベルギー、オランダの第一次欧州大戰当時、その後の
状況を見ましても、武力なき弱い国は、最後は敵に両手をあげるよりほかにないのではないか。ただわれわれは永世中立とか、厳正平和を守るとか言
つてみましても、結局最後はから念仏に終りはしないか。ヨーロッパの実例ル見ますと、武力のない国には往々ゲリラ戰術をも
つてその国を乱す。あるときは
政府を顛覆して
暴力革命を振うという例が幾らもあるのであります。
国民の憂うるところはそこであります。さような場合にいかなる方法をも
つて守るかという非常に現実の問題に、われわれは今日ぶつか
つて来ておるのであります。この点について、これはあるいはおつしやりにくいかもしれんが、器用な
言葉でお漏らし願えれば、
国民は満足するだろうと思います。ただそういうことは
仮定だからおれは知らぬというようなお
言葉ではなくして、
国民がなるほど
吉田さんの腹の中はそこだなという、観測のできる程度のお漏らしくらいはこの機会にむしろすべきではないか。かように何も遠慮はないだろうということを私は申し上げたい。
それからもう
一つであります。もう
一つはキーナン首席検事が発表された二日のUP通信によ
つて伝えられた電報でありますが、もし侵略共同謀議のかどでたれかが
裁判されるとしたら、それは
日本の
天皇でなく、スターリン首相である。こう言うておる。スターリン首相とヒトラーこそ
世界制覇の共同謀議者である。だからそういう意味なればむしろスターリンの方を先にくく
つて処分すべきである。こういう非常に勇敢な言明であります。私はあえてこの言をただちに採用しようとは思いませんが、非常に意味のある
言葉ではないかと思うのであります。
われわれはいわゆる民主国家の民主
国民によ
つて選ばれた代議士であります。
国民の意のあるととろを率直に言い表わさせようと、先輩国が指導され、ておるのだから、あえてこの点も申し上げますが、戰犯されなくてはならぬというような人の思想に基く
政党の構成が、もし
日本の国内にあるとしたならば、さようなものに対しては相当手配をしておく必要があるのではないか、こういうこと言える。これははなはだ引延ばした
議論でありますけれ
ども、これはいずれあらためて法務総裁に掘下げた御質問をするつもりでありますが、おそらく
総理は答弁しないだろうと思います。そう言うたら、あるいは答弁してくれるかもしれませんが、どちらでもよろしゆうございます。ただそういうことが
外国電報に載
つておつたから記憶にとどめておいていただきたいということをこの機会に申し上げたいと思います。
それからもう
一つは、もうこれでおしまいにいたしますが、この間道義の頽廃は、今後は社会教育をも
つてこれを是正するというようなことを文部大臣は言われた。まことにけつこうなことだが、これは膏薬張りであります。それよりも私は
日本のこの敗戰後の道義の頽廃は、従来の教育に宗教の裏づけがなかつた結果ではないかということを、われわれも責任者の一人として痛感しておるりでありますが、こういう点に対して、何か
総理は新しい御構想があれば、この機会に
国民思想の善導という建前から、お教えを願えればけつこうだと思います。以上で私の質問を終ることといたします。