○勝間田清一君 私は、
日本社会党を代表しまして、総理の
施政方針演説並びに
経済閣僚の施政
演説に対する質問を申し上げさせていただきたいと存ずるものであります。私は、特に今度の
池田大蔵大臣の
演説の内容が、きわめて楽観的であるのみならず、きわめて倣岸なる
態度に対しては、まことに遺憾の意を表するものであります。
私は、現在いわゆる
経済安定ができておるかどうかについては重大な疑義があるのでございますけれども、インフレーシヨンが終息しつつある事実につきましては、私は、ドツジ氏初め、あるいは
吉田内閣の功績をもあえて否定するものではございません。しかしながら、私どもが一番注意しなければならない問題は、
池田大蔵大臣が言われるごとくに、通貨の変動が異常な状態を示しておらない、あるいは物価と
賃金が完全に安定しておる、あるいは
生産の上昇が行われておるという事実のみをも
つていたしまして、
日本経済が安定しておると断定することは、まことに大きな疑義を生ぜざるを得ないのであります。
われわれは、現在
農業恐慌におびえつつあるところの
日本農民、街頭にはき出されて今日職業を求めておるところの
失業及び半
失業の大衆、今日倒産に悩み重税に悩んでいるところの中小商工業者の現在の苦境というものに、われわれは今眼をとずることによ
つて、現在の
経済を論ずることは断じてできな
いものと考えるのであります。
池田大蔵大臣が、これらの事実に眼を覆うて、事実を歪曲し、
経済は安定せるかのごとくに誇大に吹聴するゆえんのものはどこにあるかを疑わざるを得ないのでありまして、もしわれわれが、これに対する批判を下すといたしましたならば、いわゆるためにする議論であるとこれを非難いたしておりますけれども、私は、いたずらに楽観を述べる
池田大蔵大臣の言葉こそ、ためにする議論であると言わざるを得ないと存ずるものであります。(
拍手)
もし、現在
経済が安定しておるといたしますならば、この
経済の安定をにない得たところの人は、数百万戸の
農民と、数百万人の労働者と、数百人の中小商工業者の窮乏と忍耐とによ
つて得られたところの安定であ
つて、これに対する感謝と
熱意なくしてこれを論ずることは、断じてできな
いものと思うのであります。一
大臣の功績によ
つてなつたものでは断じてございません。私は、謙虚なる
態度によ
つてこの現実を直視いたしまして、現在の
経済を、祖国の
復興を
希望あるものたらしむるために、真摯にして謙虚なる
態度を要求せんとするものであります。
まず、
池田大蔵大臣の言われるごとくに、はたして通貨は真の安定を見ておるであろうか。私は、昨年末における
日本のデフレの状態、なかんずく財政のしわを自己資本の蓄積に過大に求めたために生じたところの株価の暴落、これに対して
政府があわててと
つておつたところの証券融資の経過を見ましても、また昨年末において、
池田大蔵大臣はあえてドツジ・ラインを突破いたしまして、百億の緊急なる融資、いわゆる預金部の
資金を放出いたしまして、三千五百五十億という通貨量をかろうじて維持した状態というものを考えてみまして、またその百億の融資も、事実は中小商工業、産業に浸透せずして、
銀行の金庫にいたずらに眠
つておつた事実に対して、結局三千五百五十億円の通貨量というものは、断じてこれは真の意味の通貨ではなくて、仮想にすぎないと私は考えるものであります。
かかる状態に追い込まれている
金融への圧迫、財政が
金融へ圧迫するこの事実は、いかに
池田大蔵大臣が万能の士といえども、私はこれを防除することはできないと考えるものであります。そこに通貨が異常なる状態を発していないという現象をとらえて、内容にわた
つての吟味を行わずして通貨の安定を論議するにおきましては、私は重大なる錯誤を生ずるものと考えるのであります。
現に
池田大蔵大臣は、一—三月の
危機については心配がないと言われる。私は、巷間伝えられるように、三月
危機を必ずしも過大に宣伝せんとするものではございませんけれども、現に起きつつあり、また起きんと予想されるところの三月末における千三百億円の通貨の引揚げ超過、もし三千億円の通貨量を維持せんといたしますならば、少くとも日銀の追加投資は六百四、五十億円を必要とするであろう。現在の
金融の状態、なかんずく
銀行の資産内容、それぞれの状態から考えて見まして、この六百五十億円の追加投資が可能であるかどうか、
従つて三月末における三千億円の通貨量がはたして維持できるかどうかについて、
国民経済界は重大なる疑問視をいたしておるのであります。これに対して、
池田大蔵大臣は、確固たる具体的
政策をも
つてこたえるのが当然の責務といわなければならぬと存ずるものであります。
しかも、かかる状態は年々起きつつある状態なのであるから、これを心配する必要がないとの先ほどの答弁でありまするけれども、いわゆる二十三年度春における引揚げ超過は、二十三年度における支拂い超過のあとを受けての引揚げ超過でありますので、そこに大きなデフレーシヨンは起し得ませんでしようけれども、過去二十四年度におけるいわゆるデフレ的傾向を引受けて、しかもこの一—三月に至
つて千三百億の引拠川げ超過を起す実情というものは、昨年の実情と本年の実情とはまつたくその基礎を異にしておるものといわなければなりませんので、われわれは、この事実に対して明快なる答弁を要求せんとするものであります。(
拍手)
同時に、
池田大蔵大臣は、物価と
賃金はまつたく安定したと言われました。はたして、物価まつたく安定しておるであろうかどうか。なるほど、現在までに至る物価指数、やみ物価の値下り等々の一般的傾向については、われわれはこれをあえて否定するものではございません。問題は、さようなところにあるのでは断じてないのであります。すなわち、現在の補給金の撤廃が
日本の価格体系にいかに影響して行くかという問題は、過去における問題ではなくて、ここ数箇月におけるところの重大な問題なのでございます。
ご案内の通り、肥料はすでにニ割の値上がりを来しましたけれども、三月においては三五%の引上げを行う、八月には、七五%の引上げを行うという事柄には、昨日河野主計局長の御説明でございます。同時にわれわれは、一般産業に重大な関係あるところの鉄の価格差補給金がいかに撤廃されるかという問題は、これは重化学工業に対して重大なる関係を有するものといわなければなりません。御案内通り、七月におきましては、銑鉄が六一%の値上り鋼材は七九%の引上げを予定されておるではありませんか。肥料の農産物に対する影響、鉄の一般産業に対する影響、しかも諸君の御案内の通りに、現在優良石炭の値上りは急速度ではありませんか。これが現在の科学工業に及ぼす影響はいかに甚大であるかということは、皆さんも御案内の通りであります。問題は過去の問題ではなくて、今後いかにこれに処して行かんとするか、いかに物価をこれによ
つて体系づけて行こうとするか、そこに問題がなければならぬと考えるものであります。
しかも
農村におきまして、御案内の通り、一般物価の値上りと農産物との関係におきましては、いよいよも
つてシエーレの拡大は増加しておるではありませんか。
農村におけるシエーレの拡大、都市における補給金等々に関する一般物価の基礎物資の値上がりの問題、今後における物価の問題は、われわれは重大なる関心を持たなければならぬと存ずるものでありまして、これをいたずらに放置し、自由放任価格を形成して、
日本産業の物価水準を自然に生み出して行こうとする
政策というものは、そこに重大なる支障を生ずるであろうことを私は考えるものであります。ここにおいて私は、物価がまつたく安定したとの考え方については、むしろ私は重大なる疑問を生ずるものでありますがゆえに、
政府は物価
政策をいかにして体系化せんとしておるか、この点を明確に知らす必要があると存、ずるものであります。
次に、
賃金は安定しているかのごとくに言われておりますけれども、われわれは、
賃金が何ゆえに低き水準に
——たとえて申しますならば、八千六百二十六円がいわゆる平均
賃金でありますけれども、これは
生活が安定し、そこに余力ができて
賃金が安定しておるものと考えることは大きな間違いでありまして、われわれが考えねばならぬ事柄は、農林省の統計によりましても、
農村の潜在的過剰人口は五百万に達するであろうと言われておる。
経済安定本部の
見通しは、いかなるものかは知りませんけれども、三十六万人の二十四年度の
失業者に対して、五十六万人ではないかと私は推測されるのであります。かかる
失業の産業予備軍が背後に控えておる。それがいかに
賃金を押えんとしておるか。また、現在の中小商工業者が団結することがなく、労働者が組織化されていないために強カな
賃金要求ができないでおるという事実、しかも官公労は、ごらんの通りに罷業権、
団体交渉権は禁止されておるという、かかる実情における
賃金の水準というものは、
経済外的な圧迫と、かかる客観的
経済事情によ
つて当然抑圧されておるという事実を認めざるを得ないのでありまして、かかる事実によ
つて形成されておるところの
賃金をも
つて安定せる
賃金ともし考えるならば、われわれは、これこそ大きな間違いといわなければならぬと存ずるものであります。現に、五百二十万の労働者、三十三單産の民主的労組が、いかにこの問題に対して、ほうはいと巻き起るかは、われわれはこれを眼前に見るであろうということをいわざるを得ないのであります。
われわれは、そこにおいて疑問を生ずる事柄は、
賃金を上げれば物価と悪循環を生ずると言われる。
人事院は勧告する際に、
賃金と物価の悪循環は起らないと言われた。けれども、これは
政府と
人事院との関係について矛盾でありまして、
人事院総裁は“いかにこれを考えておるか、さらにもう一つ考えられまする事情は、いわゆるこの前の七八ぺースの勧告が
政府の一方的な判断によりまして、これが阻止されておる
現状でありますけれども、
人事院総裁は、再びこの勧告案を国会及び
政府に対して勧告する意思あるやいなや明快に答弁願いたいのであります。次に私どもの考えねばならぬ事情は
生産の問題であります。
池田大蔵大臣は、
生産は上昇していると言われる。しかも、十一月が最高の
生産額であつたと言われた。
青木安本長官は、二割の
増産であつたと言われた。しかし、われわれはこれを疑問に考えるものでありまして、両者も御案内と考えるのでありますけれども、いわゆる
経済科学局、ESSの
生産指数をも
つていたしますならば、本年六月が、いわゆる八
——十年の平均に対して七八・七、七月が八〇・七、八月が七九・五、九月が七九・〇、十月が八〇・六、十一月が七九・六。これは、いかなる根拠に立
つて十一月が最高であり、
生産は上昇しておると根拠づけることができるのか。むしろ
生産の上昇は、ドツジ・ライン
政策実施以前における、すなわち昨年の三月以前における現象なのであ
つて、ドツジ・ライン修正
政策実施後におきましては、出産が停滞的であることは、ESSの統計がはつきり物語
つているのではありませんか。そこにわれわれは問題を置いておるのでありまして、現在の池田財政を遂行する限りにおきましては、
生産が上昇を見ないのではないかというところに、われわれはそこに重大なる関心を置いておるのであります。この事実に対して、
池田大蔵大臣及び
安本長官はいかに考えておられるか、
しかも、御案内の通り現在においては、あるいは出血
生産であると言われておる。滞貨は増加し、しかも
生産は続行し、
——これをも
つて言うならば、ちようど自転車のごときものであり、走
つていなければ倒れる。だから、いたずらに走らざるを得ない。かかる
生産の状況というものが、滞貨の存在の背後に、反面
生産停滞の條件というものが生れておるものと考えるのであります。かかる
生産の状況に対して、大蔵、安本両長官の明快なる答弁を承りたいと思うものでありまして、かかることのために
経済が安定せるという考え方に対して、私はそこに疑問をもつがゆえに、先ほど申した通りに、あえて過大に安定を主張しなければならな
いものは、現に不安定なる條件があるがゆえに、
政府は安定を過大に主張しておるのであります。(
拍手)われわれは、これを言わざるを得ない。そこに私どもはいかなる考えを待つべきか。
先ほど。池田
大臣は、三木氏への答弁に対して、悪性なるインフレ
政策に云々と言われましたけれども、さような問題を論じておるのではありません。いわゆる
設備が遊休し、数百万の
失業者が街頭に投げ出され、しかも滞貨が嚴存しておる
社会において、さらに
生産水準が七九・六という低水準において、かかる形における
経済の安定の施策というものを考えるよりも、より高き水準においてより拡大された
生産において
経済の安定の確保をする考えがあるかどうか、ここがわれわれの最も考えねばならぬところと考えるのであります。
私の言わんとするところは、
設備と労働と滞貨というあらゆる條件を考えてみましてインフレを伴わずして、
日本の
経済の拡大再
生産と安定とが
——すなわち御案内の通りに、モネタリ・スタビリゼーシヨンではなくて、スタビリゼーシヨン・オブ・エコノミーと
いものをわれわれはつくり出すことができないかどうか、ここに問題の
中心があるのであ
つて、いわゆる悪性インフレを回顧し憧憬するという
態度は、われわれは断じて持
つていないということを表明するのであります。
次に重大な問題は、先ほど来問題にな
つておりまするけれども、吉田財政のいわゆる資本の蓄積と再投資に関する問題であります。これは、すでにしばしば論じられたところでありますので、私は簡單に申しまするけれども、いわゆる大衆課税をしておいて、国家が資本を蓄積して、しかもそれを国債
償還という形で
銀行にその金をまわして、これを健全
金融によ
つて市中に流して、財政的デフレーシヨンを
金融によ
つて処置して行こうとするこの資本主義形態は、
池田大蔵大臣には最も確実なる資本蓄積の形態であると言われました。はたしてわれわれは、それを真実にうけていいだろうか、そこに問題がある。
すなわち、われわれは馬を水辺に導くことはできる。しかしながら、馬に水を飲ませることはできない。現在の
銀行の資産状況については、諸君も御案内の通りに、預金に対する貸付は、月末をと
つて八割、月央統計をと
つて十割に近い状態に相な
つておるではありませんか。しかも、現在の
公債の保有量は約六百億と言われておるその中の二百億が日銀の担保にな
つて入
つておる。現に、
銀行の資産内容は悪化しつつあるのでありまして、しかも昨年融資せるところの五千数百億の融資の中で、千億は滞貨融資と言われるではありませんか。
現在、中小の商工業者や、あらゆる産業が、これらの
資金を受入れるだけの規模と基礎を持
つておるかどうか。かく考えてみまするならば、いかに資本を蓄積して、銀行がこれを投資せんといたしましても、
銀行に水を飲ませることはできない。そこに基本的な問題があるのでありまして、すなわち通貨は蓄積できても、それが現物資本として蓄積されることができない限界に達していると見なければならない。(
拍手)そこに、いわゆる池田方式、ドツジ方式というものによ
つて資本蓄積が行われる形が大きな限界に達しておるのではないであろうか。そこを私たちは指摘せざるを得ないのであります。現に、現在の
市中銀行が言
つておるところのものは、いかに財政のしわを
銀行に寄せられてもわれわれはこれ以上引受けることはできないと言
つておるではありませんか。私はこの点を指摘せざるを得ない。しかも、
池田大蔵大臣は、三宅議員の、減税をいわゆる
見返り勘定でやつたらどうかという質問に対して、これを拒絶されましたけれども、三宅議員の質問は、そのようなものではないと私は考えるのであります。すなわち、シヤウプ氏が言
つております通り、復金債、国債の
償還に多額を
支出することは、デフレーシヨンであるのみならず、それは税制改革を困難ならしめ、税を歪曲せしむる原因になると言
つておるではありませんか。すなわち、
一般会計において今度は七百二十数億の国債
償還を
行つておりまするけれども、このこと自身は、いわゆる税軽減を不可能ならしめ、あるいわ抑圧しておる條件と相なるのであります。
さらにシヤウプ氏が言
つておる通り、もし復金債、国債の
償還をこれ以上増額しなければならぬといたしますならば、むしろそれは
一般会計によらずして、
見返り勘定でやつた方が税のためにもデフレのためにも効果的であると言
つておるではありませんか。それなるがゆえに、御案内の通り
イギリスの労働党は、昨年の
見返り勘定八億五千七百万ドルのうち七億五千万ドルというものを国債
償還に充てておるではありませんか。
イギリスは、
見返り勘定の八、九割を国債
償還に充てることによ
つて、税体系を保持せんといたしておるのであります。
本年度における千二百八十億円の甚大なる国債
償還を減額する、これも重大なる問題であります。シヤウプ氏の例を一つ申しますならば、御案内の通りに、これは地方債の発行限度を若干上まわる
程度でよろしいではないかと書いてある。われわれは、千二百八十億をさらに圧縮する必要があることを考える。もし必要といたしまするならば、むしろ
見返り勘定に多額なものを持
つて行くことが、
イギリス方式に持
つて行くことが、減税を可能ならしめるのではないかということに相なるのでありまして、この事実を三宅議員がはつきりと言われたのでありますがゆえに、かかる
政策はデフレと税体系を決定する上において重大なる問題でありますがゆえに、
池田大蔵大臣の再答弁をお願い申したいと思うものであります。
しかも、かかる蓄積
方針のもとにおける
銀行の
社会化がわれわれは必要であると考えますが、
池田大蔵大臣は、いわゆる日銀のポリシー・ポードルを改革して、か
つて片山氏が
内閣にあつたときに言つた通りに、
金融は産業に対する奉仕者であるという
態度をとるべきであると思う。現在の
池田大蔵大臣は、
金融界に対する奉仕者であるとの疑惑を受けるものであります。現在の
銀行の職員が、一般平均
賃金が八千何百円のときにおいて、一万六千円の高
賃金をもら
つておる。われわれは、これは單なる一例にすぎないと思うけれども、現在は、まさに
金融資本、
銀行資本の
勢力を拡張し、うつかりすると旧財閥の抬頭を許す結果に相なるものと考えるのであります。
われわれがさらに考えねばならぬ問題は
農村問題であります。これは簡單に申しておきたいと思いまするけれども、一つの問題は、いわゆる開墾
政策と農地改革と、これに対する現在の
政府の消極的
態度を私は非難せざるを得ないのであります。われわれは、いわゆる地主に蓄積される資本を、
生産者である
農業者自体に持ち来らすために、土地改革を実行いたしたのであります。それに対して消極化することは、いわゆる
農村の
民主化を後退せしむるところの大きな基礎に相なるのでありまして、しかもわれわれは、現在の開拓
政策が、過去百数億を投じて、現在開墾その他土地、財産の評価が百十億に達しておることを見ますならば、か
つての開拓
政策というのは決して失敗でなかつたことを指摘せざるを得ません。しかも、私たちがさらに考えねばならぬ事柄は、国際小麦協定参加に関する
農業政策の問題であります。御案内の通りに、国際小麦協定におきましては、いわゆる最高価格を一ブツシエル一ドル八十セント、最低価格を一ドル三十セントにいたしまして、一年ごとに十セントずつ下げて行くのであります。それが実行せられた場合において
日本の国産の小麦価格といかに違うか。
本年においては、確かに三万四千二百円という一トンの値段でありましようけれども、また同時に、国内は二万五千二百四十円であることは御案内の通り。もし小麦協定に参加するならば、
日本のシフ価格は、最高において二万九千三百四十円、最低価格において二万五千三百八十円、しかもこれが、一年に十セントずつ下
つて行くといたしますならば本年の価格が、国内産小麦価格とちようどとんとんに相なるのでありまして、もしこれが、最低価格で一年に十セントずつ下
つて行くといたしますならば、いわゆろ主食の値段が外麦の圧迫を受けるという状態は一両年に迫
つているということを、はつきり言い得られるのであります。
かかる状態のところにおきまして、肥料の値段を三割五分とか七割上げるという状態が現に存在している。この肥料の補給金撤廃と値上げという問題と、国際小麦協定参加とい問題は、絶対に相矛盾する條件ではないか。われわれは、さような條件を考えてみて、今後の農産物価格の
政策をいかにと
つて行くか。しかも、
農業恐慌
対策をいかにと
つて行くかということを明確にいたすべきあると考えるのであります。
なおわれわれが一番最後に注意をいたさなければならぬ問題は、
日本の産業構造に関する問題であります。現在円レートの維持がいかに困難であるかという事柄は、ポンドを切下げた諸国家におきまして、もはやポンドを切下げた有利な條件というものは、ほぼこれを解消するに至りました。そうしてポンド切下げ以前の状態が現
世界に起
つていることは御案内の通りであります。
しかも現在においては、補給金の撤廃、これも一つの悪條件であることは御案内の通りであります。現在
銀行がいわゆる採算主義を強行していることも事実であります。これらの事実が
産業合理化とな
つて現われることは、言われている通りであります。しかもそれが首切り、労働強化等々とな
つていることは御承知の通りであります。しかもそこに生れて来ることは、下請工業に対する責任転嫁の過程であります。現在下請工業におきましては、旧態依然たる封建的支配関係が、再び
復興せんといたしているではありませんか。産業における構造、低
賃金、低米価、
農村における五百万人の
潜在失業者、零細化、過小農化、この事実を諸君は否定するわけに参らぬと存ずるのであります。
しかも、われわれは考えねばならぬ事柄は、今度
食糧が三百七十五万トン入る。この三百七十五万トン入
つて食糧が改善されることについては、われわれは決して反対するものではありませんけれども、いわゆるローガン方式によ
つて占める、このいわゆる
食糧の地位が過大に高ま
つて行くために、
日本の貿易、なかんずく輸入の構成がきわめて不利な、すなわち過去へこれが逆もどりする可能性を持
つているのであります。
食糧が多く場をふさげばふさぐほど、建設資材の輸入はそれだけ防除されて、輸入の構成は逆転しつつあるのであります。
しかも、現在補給金の撤廃、炭価の植上り及びアジア・ブロツク
経済における競争力等々、しかも
政府の
産業合理化の観点から見まして現に起りつつある問題は、重工業の発展の阻止と機能を失いつつあること、軽工業が逆に進展せんとしていること、
日本の産業構造がせつかく重化学工業への編成を遂げようといたしましたけれども、これが再び軽工業化へ逆転せんとしている傾向は農耕であります。低
賃金、低米価、過小農、下請工業等々のあらゆる條件を考えてみますならば、
日本の産業は
近代化、
民主化の
方向に進んでいるのではなくて、如実に非民主的な、封建的な過去へ
日本経済構造は移りつつあるということを、われわれは否定することはできないのであります。(
拍手)かかる事実の上に、平和條約の締結であるとか、あるいはいたずらなる楽観論を説くという根拠が、私はわからないのであります。
私は、
日本経済のかかる事実を民生化し、しかもこの根拠の上に立
つて行くところの條件を検討して参りますならば、
日本の全産業構造を維持する上におきまして、
全面講和がいかに必要であるかということが裏づけられると思うのであります。われわれは、この非
民主化の傾向はフアシズムの温床であると考えるものであります。かかる事実の上の平和條約の締結、あるいは
全面講和の
経済的な必要條件、かかるものを考えて来る場合における吉田総理の責任は重大であると考えざるを得ません。吉田総理の所感を承
つて私の質問を終ることにいたします。(
拍手)
〔
国務大臣吉田茂君登壇〕