○小平(忠)
委員 ただいまの局長のお考えには、私も同感であります。少くともその経営のあり方は、私はそうでなければならぬと考えるわけであります。なぜかというに、これはか
つての
日本の産業
組合運動を見ましても、
事業機関と
指導機関がはつきりとわかれてなされて来た。ところが戰時中の
農業会から戦後における
農業会のいきさつを見ると、
事業機関であるものが
指導事業を行う。
事業というものは、特に自由経済下においては、非常に熾烈なる自由競争をいたすわけであります。
事業を行う上においては、その間にいろいろなミスもありましよう。その場合に、
事業を行
つておるその機関が
指導をやることになれば、純粋な批判ができない。そういつたような観点から、私はこの
指導機関というものはやはり別個に切り離して、そうして純粋な批判性を持
つて、また純粋な
指導教育をするというものでなければならぬということを、私は常に考えるわけであります。そういつたような観点から、今回のこの御
措置は、非常にけつこうだと思うのであります。しかしその場合には、徹底してやらなければいかぬと思う。関連
事業だとか、あるいは
連合会の経営が成立たないからといつたような形において、ある
程度は経済
事業を関連
事業として行
つてもいいのだということにいたしますと、これは特に
指導機関というものが、苦しまぎれに、購買、
販売の
事業を関連をつけてやる。
指導連あるいは教育連が、こういうことをや
つておきながら
指導をするなんということは、とんでもないことだと思う。そういうような観点から、私はやはり
指導機関というものは、厳然として
組合経理の実態や、経営の
内容を鋭く批判し、鋭く
指導するという形のものでなければならぬと思う。ことに私は、戰後における
組合経営の実態を見ますと、戦時中に養成された職員はどうであつたかと申しますと、あるいは大正の末期、
昭和の初めごろの産業
組合の職員と比較するときに、雲泥の差がある。と言いますことは、大体帳簿をつける方法も知らない、簿記も完全には知らない。か
つての
組合運動に携わつた者は、百姓はくわをとるのだが、くわをとりながらペンはとれないから、くわをとるかわりにペンをとるのだという気持で
組合に奉職したものだ。ところが最近はまつたくサラリーマン根性で、ほんとうに機械的にやるという形にな
つて来ておる。そういつた観点から、私はもう一ぺん
組合運動は逆もどりしなければならぬと考えますが、そういつた観点から申しますと、まず
組合経営の点から、職員の養成、
指導教育が非常に大事だということを痛感する。その場合に、関連
事業の経営が苦しいからとい
つて、経済
事業をやらせるのはいかぬと思う。それでなければ私はただいまの局長の御意見に賛成であります。
それから今度の
改正案によりますと、第十條の第七項として一項が加えられ、その第一号の末尾の方、すなわち関連
事業の
内容でありますが、「第三者から
資金を借り入れる必要のないものを併せ行うこと」というのは、これは私は非常にいいと思う。その次の第二号において、「当該
事業の
目的を達成するためにこれに関連して行うことを通常必要とする範囲内において、経済的
事業を併せ行うこと」という、こういつた表現でありますが、むしろこの号もやはり
指導連、教育連の実態から考えてみるときに、こういうふうな関連で行うことが通常と、あとはぼやかすことによ
つて、これは非常に範囲が広くなりますし、
指導方針を明らかにいたしましても、また関連
事業として経済
事業を行うような形になると思う。なぜ一号と二号を同じように——この
考え方は、私は一応わかるが、第三者から
資金を借り入れてやるような、そういう
事業はいけないのだというふうに、第二号をなされてはいかがかと思うのでありますが、
政府の御所見をお伺いしたいと思います。