○森国務
大臣 片柳事務次官が旅行先で何か喋
つておるということは新聞に出ておりました。きよう私もちよつと見たわけであります。それは
配給制度の
改正と、
配給基準量の増加ということが書いてありましたが、これは御
承知の
通り、来年の三月三十一日に現在の
供出御度は法的に一応御破算になるのであります。しからばそのまま捨てておいて自由にしていいかというと、申し上げるまでもなく、当分
主要食糧その他重要な必需品に対しましては、
統制を
継続しなければなりません。しからば
統制をどういうようにやるか、同じようにや
つて行くかどうかというのが今後の一つの問題であります。現在の
供出制度について、最も
政府の困
つておりますことは
生産計画であります。二十五年度の米の
生産計画をいたしましても、東北ほか九県でありますか、未だに末端の
割当ができない、あれでは困るというように、非常に
関係の町村長までがめいわくをいたしておるのであります。これが今日の
供出制度の欠陥であり、また法的に申しましても、とつたらとつただけ、所要だけ残してみな
供出しなければならぬという、まことにきゆうくつな、
生産意欲を傷つけるような
供出制度にな
つているのであります。これは私はとうから、何とかもつといい方法がないか、
改善せなければならぬといろいろ考えて参
つたのでありますが、この問
食糧事情もよほど緩和されて参
つたのでありますので、来年三月三十一日にこの
法律が
改正される時期に到達した場合におきまして、二十六年以後において
供出制度をかえたい。どういうようにしてかえるかということは、最も慎重に考えなければならぬのでありまして、
政府においても、いろいろと現在の
供出制度の欠点を研究いたして、そうしてこれを除去したいと考えているのであります。それが片柳次官の言によりますと、強制的なことをやるとかやらぬとかいうことに触れたようでありますが、まだ具体的にはな
つておりません。また片柳君が二合八勺にするとかいうようなことも載
つておりましたが、これは御
承知の六月一杯が日本の米穀による
食糧の期限でありますので、七月にな
つて日本の
食糧事情がよく
なつた場合においては、あるいは二合八勺にこれを増配し得るかもしれない、つまり三百四十万トンが既定
通り輸入されるならば、また七月以後もアメリカが日本に対して、
食糧事情を日本の増配し得られるように考えてくれるならば、二合八勺の
配給はできようと私は思うのでありますが、しかし先ほど申しました
通り、三百四十万トンというものは、これが必ずかつきりと
輸入されるか、六月まで
行つてみなければわからぬのであります。それでありますから、七月にな
つて、今日
予定いたしております
輸入食糧が入り、また七月以後アメリカから日本に対する
食糧の
供給が
予定通り参りますならば、そういう機会も来るのであろう、こういうことを片柳君が話したのだろうと考えております。片柳君一人で、七月から二合八勺やるというようなことは、おそらく言い得られるものじやないし、またさようなことはお話しなかつたことと存じております。
なお関税の問題でありますが、これは今日関税の自由は許されておりません。
輸入食糧なり綿布なりに対しましては、御
承知の
通り、
法律をも
つて関税をとらない、
政府が管理いたしております
関係上、そうな
つておるのでありますが、五十二年以後において、
政府がもし
食糧を管理することができないような場合にな
つて、
食糧に対しては関税を永遠にとらぬようにしたらどうだということは、これは決して公式に話合つたわけではありませんが、向うのセクシヨンの一部には、そういうふうな
意見を話したのでありまして、
政府といたしましては、現在は
補給金によ
つてカバーしておるのでありますが、将来自由な民間
輸入等が許される場合におきましても、この関税ということが、もし現存のように外国品が高ければいいが、これが向うの
増産状況によ
つて安くなるというようなことになれば、日本の農業政策を非常に圧迫をするのでありますから、そういう時期においては、ぜひとも関税を持たなければならない。また関税を持
つていることは、今後講和條約が結ばれ、自主独立の国家が認められた場合におきましても、関税政策を持ち得る態度を
継続しておるということが妥当と考えて、
政府はこの関税政策に対しましては、依然たる
措置によ
つて行きたい、かように考えているわけであります。
最後に、国民の食生活の問題にお触れになりましたが、これはまつたく同感であります。今まではとに
かく二合二勺でも腹をふくらさなければならぬというのが、日本の食生活であ
つたのであります。
いもの葉も食い、雑草も食い、
いもずるも食うというような、まことに鶏や牛の食う物を食
つて、とに
かく腹をふくらすということで、カロリーも、日本のカロリーは、戰前においては二千四百カロリーまでを平均とされてお
つたのが、千四百だ千五百だというように制約を受けて、カロリーの
最小限度が保有されているような状態であるのであります。しかしこれでは、お話のように、とうてい日本人が世界に肩を並べて進むところの体力ができておりません。お話のように蛋白質給源を取
つて、そしてりつぱな体に育てて行くということでなければならぬと思うのであります。しかし由来日本は穀物をあまり取り過ぎて、日本の相当年の
行つておる者はみな、胃拡張にな
つて、胃袋がふくれ過ぎておるのであります。
従つてやはり五合食わなければならない、百姓は一升も食わなければ食つたようにならないというように、質よりも量ということが、食生活の観念に今日までな
つて来たのであります。これが非常に日本人の体力を弱めていることは申すまでもないのであります。今後は文化的生活と申しますか、このカロリーよりも——カロリーも必要でありますが、蛋白質給源を求めて、栄養価値を食生活に入れて行くということが必要であります。しかしこれは経済的の立場もあります。また物資の
需給関係もあります。日本人はこれこれの物を食うべし、毎朝牛乳二合飲むべしと言うたところで、これは必ず飲めるものではないのであ
つて、やはり
経済事情もありますが、これは国民各自の自覚によ
つてなされて行かなければならない、かように考えるのであります。私は機会あるごとに家庭の主婦等の人々にも呼びかけまして、そして家庭料理においても、できるだけ、カロリーということでなしに、栄養価値を考えて、一つの蔬菜を料理するについても、価値を落さないような料理を考えて行く、そして、今までのように胃拡張になるようなことでなしに、わずかな
食糧を取
つて、そして働き得るような栄養量を取るというふうに、ひとつ家庭から持ち出してもらわなければならぬということを、機会あるごとに呼びかけておるのでありますが、今後水産物の増加、あるいは
有畜農業の発展等と相まちまして、
国内の蛋白質給源の増進をはかり、
井上委員のお説の
通り、日本の国民の体質を将来
改善するということに、指導して行かなければならぬと存じております。
政府は決してこの問題について無関心ではおりません。あらゆる機会に国民の自覚を促すとともに、また水産物の増加、そして
有畜農業が家庭に持ち込まれて行く、有畜がただ酪農的に
販売するというのでなしに、家庭に利用されるように
有畜農業を持
つて行きたい、かような指導をいたすつもりであります。まつたく
井上委員の御説に同感であります。
政府もさような
方針で進みたいと考えております。