○河田
公述人 河田進であります。私は
日本放送労働組合の役員であります。現在
日本放送協会には二つの労働組合がありまして、共産党の
諸君を
中心といたします約百六、七十人のものと、それ以外の六千八百人の大多数の職員をも
つて構成するところの労働組合と、二つにわかれております。私は後者の大多数の職員の立場を代表して、この
放送法案に対して、われわれだけがこの問題に対してほんとうの生活権の脅威
——場合によ
つては脅威を感ずる。また
文化事業に対して一生をささげることを誇りといたしておりますわれわれが、こののつぴきならぬ絶対絶命の、われわれといたしましては、
放送事業を離れて生活の道もないのでありますから、そういう立場からきわめて端的に、率直に
意見を申し上げてみたいと存じますので、よろしくお聞取りをお願いいたします。
まず第一に
放送法案のねらいでありますが、何とい
つても根本的な趣旨は、
NHKというものを公共的な立場と、
放送、
ラジオというものの持つ言論機関としての特性と申しますか、あるいは
文化事業といたしましての総合芸術を完成いたしますところの
一つの企業体としてこれを眺めて、この両者をどういうふうに調和するかということが、この
法案の根本的な問題であろうかと存ずる次第であります。その点から私どもこの
法案を見ますと、最近に至りまして各新聞社の
諸君が、一斉に
民間放送を出願いたしまして、各社とも競
つて民間放送をやろうといたしておりますが、この点にジヤーナリズムの傾向に迎合いたしまして、
民間放送は許可するという
一つの大きな見出しを出しまして、その陰に隠れて、かんじんの全
国民の九九%の利害を持つところの公共
放送を、完全に政府あるいは国家権力あるいは官僚のわくの中に閉じ込めて、これを
規則せんとするきわめて陰險な、非民主的な法律であると私は断ずる次第であります。
第一に私が申し上げたいのは、この法律は要するに
放送を育てるための法律でございまして、これを取締るための法律ではございません。いかに
国民大多数に重要なる
文化の滋養を供給する雌牛であ
つても、この雌牛を
国民のものであるからとい
つて、二重、三重に囲いまして、おまけに会計検査院という
ような鉄條網を張りめぐらして、全然牛の動きがとれない
ような立場に置くならば、必ずその牛は倒れてしま
つて、
国民はその滋養ある乳を飲むことができなくなるのであります。角をためることが目的ではない。牛をよくするために角をためるのでありますが、そういう観点からこの
放送法案というものは、
日本の
文化を阻害する大きな欠点を持つものであると、はつきり申し上げておきたいと私は思うのであります。ことに総合芸術としての、あるいは自由なる言論、いずれの権力にも左右されないところの、国家権力から独立したところの言論という観点から申しますならば、
ラジオはあくまでも自由であるべきであります。私は
放送協会に今日まで十一年おります。その間に一番痛感いたしましたことは、戰争中に味わつたあの官僚統制の弊害でございます。
放送協会が設立当初から、逓信省から来られた方で、確かに
放送協会として今日われわれ後輩から恩人と目する方は多いのでありますが、しかしながら逓信省の官僚
諸君が、その権力をも
つてNHKを蹂躙いたしまして、
文化的な機能を発揮するのを非常に阻害した事実を、はつきり私は思い起すのであります。ことに一番ひどい思いをいたしましたのは、戰争中でございます。御
承知の通り逓信省と内閣情報局と、この二重監督を
放送局は受けたのであります。この逓信省と内閣情報局の二重監督を受けたときのわれわれの思いというものは、まことにさんたんたるものである。立てば高しとい
つて党を打たれる。すわれば疊に鼻をこすりつけられる。立つに立たれず、すわるにすわれず、しよつちゆうへつぴり腰で両者のごきげんをうかが
つていなければならぬ。逓信省の官僚
諸君、情報局の官僚
諸君も、ともにこの
放送局という公器を、なわ張り争いという
ようなものに利用いたしました。この弊害がこの
法案に再び大きく浮び上
つて来ておるということを、私は痛切に遺憾の意を表したいのであります。これ先ほども申しました
ように、
放送事業は公共事業でございます。たとい
民間放送といえども公共事業であります。
NHKもとより聽取料を独占いたしまする
関係上、何らか国家との
関係に法的
なつながりを持つということは、これは必ずなければならぬことであります。われわれその点に対して、当然これは規制さるべきであるということを感じておるのでございますけれども、やはり牛は牛である。
文化事業は
文化事業である。言論機関は言論機関である。そのためにはその法律的
関係をきわめて單純に、シンプルなものにしていただきたいということを、率直にお願いする次第でございます。
この
法案を見ますと、経営
委員会がございます。その上に
電波監理
委員会がございます。さらに内閣の認可を得なければならない。最後に国会の承認を経る。それでOKかというと、締め括りとして会計検査院、この五重の監督を受けて、どうして自由な
放送ができるでありまし
ようか。私は非常に疑います。それと同時に、こういう
ように複雑な形に規制しておくことによ
つて、これは私はいつも申すことでございますけれども、やはり官僚
諸君といえども、
人間的には非常にりつぱな人も多いし、ことに專門的な技術官であるということに対しては、深く敬意を表するものでありますが、何分にも自分で判定を下して責任をとるという
ような態勢にない。そういう面から見ますと、この
放送法案は非常に監督を複雑化することによ
つて、いろいろな形に責任を転嫁し、責任の帰趨を不明確にいたしまして、その中に一貫して強靱な官僚統制というわくをはめ込んでいる
一つの構想があるということを、私は申し上げたいのであります。以下、われわれ労働者といたしまして非常に密接に
関係するところを、逐條別に申し上げたいと思います。
まず経営
委員会でございますが、この経営
委員会は、先ほどから種々論議にな
つております
ように、現在の
法案ではこれを地区別に出すことにな
つております。公共
放送の使命といたしまして、どんなところでも、もうか
つてももうからなくても、
放送が全
国民に聽取できる
ように、これは経営が成立
つても成立たなくても、聽取できる
ような施設をすることが義務でございます。従
つて北海道の
ような、開局以来今日まで二十数年、依然として赤字の出つぱなしのところでも、網走あたりに十キロ
放送局を建て、あるいは釧路に
放送局を建て、あるいは
鹿兒島の片いなかに十キロの
放送局を建てるという
ようなことは、公共企業体である
NHKだからこそできるのであ
つて、これは営利を目的とする事業では、とうていできないところでございますから、この経営
委員会のそういう面からいたしまして、地区代表的な、地区の利益の代表者が入ることは当然でございますが、私は何より各階級別の、あるいは階層別の、言葉をかえれば職能別でも
けつこうでございますが、そういう意味の横の層からの代表を経営
委員会に入れなければならないということを、はつきり申し上げたいのであります。経営
委員が地区別に出されるということになりまして、非常に一党一派に偏した、あるいはその
地方の顔役とかボスとかいわれる
ような
放送人によ
つて、この公共事業体である
放送が牛耳られる
ようなことがあ
つては重大問題でございますから、この
法案にはつきり各分野の代表を入れる
ように明記していただきたい。ことに現在の世の中で、労働者に対する資本家、あるいは支配階級に対する被支配階級という
ようなことは、これは嚴然たる事実でございます。また全人口の五〇%を占める農民
諸君、あるいは漁民
諸君の代表も、この公共事業体の経営に参加するということは、当然の権利でございます。また男性に対する女性、ことに封建的な、まだ民主革命の達成されない
日本におきまして、解放されざる婦人の代表が、この言論機関に参加することは当然でございます。單に地区別的な代表ということでなく、現在の
法案ではそれが非情にぼかされて来ておりますが、明確に労働代表あるいは婦人代表、教育代表、科学、
文化あるいは経済という
ような、各階層の代表がはつきり出られる
ように、この
法案を修正していただく
ように御考慮をお願いしたいと存ずる次第であります。
次に
電波監理
委員会について申し上げます。経営
委員会は公務員が欠格條件でございまして、公務員は経営
委員にはなれぬということにな
つていますので、この
電波監理
委員会も当然私は公務員が欠格條件になると
思つていたら、
法案によりますと、これは公務員でも有資格者でございます。従
つてわれわれがこの條文を見て率直に感ずるところは、現在の
電波庁を
中心といつたしますところの高級技術官僚
諸君が、ここに相当お入りにな
つて、その方々が
電波行政たけをおやりになるならともかく、
NHKを含めた全般の
放送行政をお握りになるということに対しましては、非常に不可解な念を持つものでございます。
電波監理
委員会は、これは当然
電波関係あるいは技術
関係であることを規整すべきであ
つて、その技術面の有能な士をも
つて構成すべきであ
つて、その方々が
文化事業であるところの
放送の方に手をお出しになれば、これはたいへんな間違いがそこから起る危險がある。これは
放送関係のことは一切経営
委員会におまかせ願いまして、
電波監理
委員会は技術的な
電波行政のみにおとどめ願いたい。しかもそれは一般在野の有識者をも
つて構成して、公務員
諸君がこの中にお入りにな
つて、結局官僚統制ということの総仕上げをするという
ような形になることは、私は非常に危險ではないかと信ずる次第でございます。その
関係で、
法案の第三十七條から四十條までは、われわれ日放労といたしましては、削除していただければ非常に幸いだと存ずる次第でございます。
それからその上に、
電波監理
委員会の決定いたしましたところを、さらに内閣を通じて国会の承認を得るということが規制してありますが、これはまた私は非常にたいへんなことになるのではないかと思うのでございます。第一、
放送の
ような機動性に富んだ事業で、一年半前から予算を
放送局でつく
つて、それをさらに経営
委員会にかけ、
電波監理
委員会にかけ、さらにいつ開かれるか
ちよつとわからぬが、この次に閉かれる国会に
放送協会の予算が提出されるということにな
つているうちに、もうオリンピツクは開かれる。古橋君が
南米に行くとか、いろいろのことが次から次へ起
つて、われわれはどうもやりたいけれども、予算の認可が出ないのだというふうに、まつたく
文化的な機動性が失われる危險性がある。まして現在私も国会におきまして、少数党の方から、多数党の横暴という
ようなことをいろいろおつしやられておると聞いておるのでございますけれども、それは別といたしましても、こういう言論機関にまで国会の多数決で物事を決定する機関が入
つて来ることは
——これはよくても惡くても、当然そういうことにならざるを得ないと思う。ことに
電波監理
委員会というものができて、それが最後の責任を負わないで、国会に責任を持たせる。国会はこれは民主主義の原則といたしまして、当然多数決で物事を処理する。従いまして
NHKの言論もあるいは多数決で、民自党の横暴があの言論に響いて来るという
ようなことがあ
つて、盛んに言論統制の攻撃が国会に集中する。私は国会の権威のために、そういう
ようなくだらない責任はおとにならない方が賢明ではないかと思う。国会はやはり大きな目からこの
放送行政全般を眺めて、次の国会に間違
つている点、あるいはこうしなければならないという
ような点は、立法手段によ
つて処理していただきたい。あくまで国会は、その本旨が立法の府であり、ささたる行政の末の責任をおとりになるということは、私どもとしてはきわめて国会のために惜しむところであります。
ましてこの三十五円の聽取料を国会が決定するという
ようなことは、どういうことであるか、
ちよつと私には見当がつかないのでございます。これは
放送ばかりでなく、電気料金、あるいはガス料金、そういうものの方がはるかに
国民に重要な影響力を持
つておるのでございます。
国民生活に最も
関係の深いものはお米でございますが、お米の値段は今日国会ではおきめにな
つておりません。これは別のところできま
つておる
ようでございますが、それが何のために三十五円の聽取料を、国会でおきめになる
ように法律で規定しなければならぬか。実に私にはわかりかねるのでございます。ことに今日政府はデイス・インフレと申されますが、野党は盛んにデフレであるという
ようなこと、また国会共闘あたりでは、三月攻勢でドツジ予算の打破という
ようなことを、労働者は
言つておる
ようでありますが、非常にこのことは経済の混乱を意味しておるのであります。インフレのあらしが治ま
つていない、また新たなる経済的な秩序も立
つておらぬ今日、こういう
ようなことを法文に規定されるということは、私は非常に危險であるということを申し上げたいのでございます。
その次に会計検査院の問題でありますが、私は会計検査院は、あくまでも国家財産の会計検査に当
つてしかるべきものだと信じます。国家支出あるいは国家財産を会計検査院がタツチされるということは、当然でございます。これが全然民間の聽取料から成立
つておるところの
NHKの会計を、会計検査院がタツチされるということは、私は非常にわからないのでございます。こういう
ような公共的な意味からだけ申しますならば、先ほど申しました
ように電気料金、あるいは電気事業、発送電であるとか、あるいは関東配電であるとか、あるいはガス会社であるとかいうところでも、会計検査院の適用を受けなければならぬということになると、これは重大な問題ではないかと思います。單に
NHKだけの問題ではなくて、こういうことは、国家権力が民間事業体に伸びて行く要素をつくるものであると信じますので、会計検査院で検査するということはやめていただいて、これは経営
委員会なり、あるいは場合によ
つては
電波監理
委員会なりが、適当なる会計検査
規則を設けまして検査していただいた方が、一番いいのではないかと思う。ことに
NHKの予算あるいは決算、そういう経理の公開を徹底的にさせるということが、何よりも一番いいことではないか。われわれの労働組合といたしましても、われわれの働いておる企業体の経営状況を常に嚴重に見守
つております。そこに不正がないということをわれわれも注意しておりますし、一般労働者
諸君もそうであろうと思うのであります。またその他
国民諸君も、非常に興味を持
つておられることと存じますので、これを公開して、しかも直接密接にその仕事の
内容のわかるところで、会計検査をするという
ような方向にしていただきたい。か
つてわれわれは逓信省の会計検査を受けるために、駅の赤帽から領収書をもらわなければならぬ。あるいは機械を乘用車で運んで
行つて、運転手に領収書を書いてもらう。領収書を書いてくれなければどうにもならぬのだという
ようなことで、泣きついたこともあるのでございますが、そういうふうなことでは、
文化事業としてせつかくいい思いつき、アイデアが浮んでも、予算がない、あるいは会長の決裁がどうこうという
ようなことで、仕事としての機動性、あるいは迅速性というものがまつたく失われて行きますので、こういう点は特にわれわれとしては、できるだけこういう官僚的、官的のにおいのする機関の拘束を受けることは、
放送協会に対してやめていただきたいと考える次第であります。
次に非常に小さなことでありますが、第九條第五項に、
放送協会は受信機のサービスを、
電波監理
委員会の認可があつたところに限
つてできるというふうに規定しておりますが、これは私は非常に何か誤解されているのではないかと存ずる次第であります。
NHKは
ラジオを売りません。修理はいたします。これはとにかく受信者があ
つての
放送で、ございまして、聽取者
諸君が受信できないということであ
つては、
放送の目的が達成できないのでございますから、この観点で
NHKといたしましても、修理業務をやるわけでございます。特に一般業者の
諸君が、
都会を
中心として、とにかく一軒店を構えて引合う
ようなことでなければ、どうしても成立つものでございません。それが瀬戸内海の小島々々であるとか、ああいうところに巡回船をまわして修理して歩いたり、あるいは山間僻地の聽取者に対してサービスするのも、やはりこれは大きな公共企業体である
NHKみたいなところでなければ、事実上できないと思います。これは業者の方はやると言われてはおりますが、たといおやりに
なつたといたしましても、山奥に入
つて行つて、一日、二日の旅行で、一台や二台の受信機でお出かけになるという
ようなことでは、とうていサービスにならぬと私は信ずる次第でございます。
都会における
ラジオ業者の非常にたくさんおられる
ようなところで、
NHKがこの大
規模な組織をもちまして、その営業を圧迫し、その生活難を脅威する
ようなことは、
NHK自体が当然愼しむべきことであ
つて、私は現にそういう方向に向
つていることと信じているのでございます。しかしながらほんとうの山間僻地に至りましては、やはりわれわれがやらなければならぬ。
ちようどこの
関係は、一般の病院と国立病院という
ような
関係でありまして、国立病院あるいは慈善病院は、一般病院のお医者さんの生活権を脅威すべきではありませんで、やはりそういうものがあ
つて、なかなか恩典に浴し得ない、聽取者
諸君に対してサービスするということは、これは公共企業体としてきわめて当然のことであ
つて、これを一々
電波監理
委員会の認可を受けなければ、サービスができないという
ようなことでは、サービスにはなりません。これは
NHKの自主的な判断においてこのサービス事業をやる
ように、かえていただきたいと思います。
それからまたきわめて小さいことでありますが、第九條第一項第四号に、
放送協会の研究事項がございますけれども、先ほど川島
先生も
NHKの世論調査をしつかりやれという
ようなことを言われましたが、ああいうことは
NHKでなければできない
ようなこともございます。その点で技術研究所というものがありまして、また片方に
放送文化研究所というものがあります。
法案によりますれば、
放送技術に関する研究は自由にできる
ようにな
つておりますけれども、
放送文化に対する研究、
音楽、演劇あるいは輿論調査という
ようなものの研究が、自由にできる
ようなことが明記してございません。この点を第九條第一項第四号に、こういう
放送文化関係の研究ができる
ようにしていただきたいということをお願いする次第であります。
それから、しばしばきのうあたりから問題にな
つております訂正
放送でありますが、第四條第一項に、二日以内に訂正しなければならぬということがございます。このことはむろん迷惑をこうむつた
国民諸君にと
つては、非常に重大な問題でございますけれども、言論機関によ
つては、場合によ
つてはこれは死命を制せられることになります。次から次えと変転して行くニユースを報道して行くだけに、ある事項だけをとらえて、これだけはぜひ訂正をしろということがたくさん申し込まれたら、一体どうして処理して行くか。ことに二日以内ということはとうていできない。これは明らかにそういう場合はこれを拒否することができるということを明記していただくとともに、「真実」というふうな言葉は、非常に何か深い意味のある
ような、主観的なにおいがするのですが、真実という言葉をやめていただいて、具体的に「事実」という
ような言葉に訂正していただきたいと存ずる次第であります。このことは昨年の六月から八月に至るころまでの、あの社会不安といわれておつた状態のときに、もしこの規定が生きておりましたならばどういうことになるか。ことに第三国人
関係の非常にデリケートな今日、こういう
ような規定がありますことは、
放送のみではございません。新聞に至
つても非常に脅威となることでございますから、その点御考慮を願いたいと思います。
それから、これは私がやはり
放送局におりましての体験でございますが、第四十六條に広告
放送ということがございます。広告
放送は、何が広告
放送であるかということは、非常にむずかしい問題であろうと思います。か
つてわれわれの仲間で、銀座松坂屋前と
言つただけでしかられたこともあります。味の素というのは、これは一般の家庭に使われておるけれども、広告であります。味の素という商標であります。アルマイトがしかり、ましてや相撲
放送、プロ野球という
ようなことになりますと、この広告という
関係において、
民間放送業者との間にきわめてデリケートな
関係を生ずるおそれがありますので、どの点も法文上明らかにしていただきたいと思います。
それから
民間放送のことでございますが、私は
民間放送があることは決して反対ではありません。原則的には賛成であります。われわれといたしましても、ストーブ・リーグでもや
つていただいて、アナウンサーであるとか、われわれなども引抜きでもや
つていただけば、われわれの賃金が高まることになることでございますので、その点に関しては異議はございません。しかしながらよく考えていただきたいことは、
民間放送を許すということは、これは
——民間放送という言葉が必ずしも適当ではない。これは商業
放送、ある意味においては資本家
放送、そういうことにならざるを得ないと思う。ことに新聞の場合は、われわれの
ような者でも機関紙を持
つております。全国機関紙まで入れたら、数万に上る新聞が出て来ます。これは完全な自由が確立されております。
放送の場合に完全な自由を與えたらどうなるか。これは一枚の紙面の上にいろいろなものを刷
つて、まつ黒な紙を配ることになる。従
つて民間放送を許可された結果、何箇所できるか知りませんが、これもまたきわめて特権を與えられるものであるということは、私ははつきり言えると思います。しかもこの特権を與えられたものは、大体
東京とか大阪とか名古屋とか、そういうふうな非常に聽取密度の高い、ヒンターランドとでも申しますか、そういうところにのみ発展して、裏
日本であるとか、北海道、東北、四国、九州などというのは、完全に放任されてしまうおそれが多分にございます。これは私
放送局におりましても、先ほど北海道のことを申しましたが、東北、九州でも、決して現在の
NHKでも採算はとれません。赤字でございます。大部分
東京、大阪の聽取料から持
つて行つて、補
つて成立
つておるのであります。そういう観点から申しますと、この
民間放送を自由にすることは
けつこうでございますけれども、
NHKの波長をさいてそれに與えるということは、すなわち
国民の犠牲をしいているということに、私は結果的になるということをおそれます。
第一
放送が行われ、第二
放送が行われておりますが、第一
放送と第二
放送とは、これは当然なければならぬものでございます。今日
東京で第一シンフオニーを聞き、あるいはハムレツトを見るために、えんえん長蛇をなしている大衆
諸君もございますし、たるのしりをたたいて八本節を歌
つて大いに満足している
国民大衆もある。東西古今を通じて、これほどいろいろな形において、
都会と
地方の
文化の錯綜しているところはありません。
都会と
地方とこれほど
文化の
程度の開きのあるところはございません。こういうものを、あるいは娯楽
放送を提供しながら、常に民主主義的な方向に、
文化の向上に努力して、大衆をとらえながらひつぱり上げ
ようとする力がなければ、
日本の
文化は低下するばかりであります。従
つて第二
放送において、高級な
文化を常に
放送して、それが聞える
ようにすることが、また
国民文化の水準を高める上において大いに必要であります。従
つて第二
放送が今二十数局しかございませんが、当然第二
放送を全国に聞える
ようにすることが、
NHKの義務であります。これができない
ようにするのは、あるいは
NHKのどこかの波長をとることになりますから、今日百数箇所に出ている
NHKの
電波のどこかを奪うことになりはしないかと思います。そういうことであ
つては、
民間放送に私は反対せざるを得ないのであります。飛彈の山奥や釜石、ああいう辺境の地に技術屋を五、六人も置きまして、またアナウンサーを置いて、そういう
地方の
文化の向上に努めていた者を、引上げさせることになりますと、そういう
地方の
文化というものは、勢い低下せざるを得ません。従
つてだんだん
民間放送は
都会に集中いたしまして、
都会人の抹消的な、官能的な点のみを刺激する
ような方向に行くということを、私は
日本文化のためにおそれるものであります。従
つて第一
放送、第二
放送が全部できて、しかもなお
民間放送のできる余地が私はあろうかとも思いますので、そういう面において
民間放送を許可せられるのは
けつこうでございますが、辺境の地区の犠牲において、都市のみに集中して利潤追求を目的とする
ような商業
放送を御許可になる
ようなことがあると、私は
国民のために非常に残念だと思う次第であります。
いろいろ述べましたが、要するにこの
法案というものは、私が見ますのに、国鉄あるいは專売を規定する法律と、まつたく同じ趣旨でできているということを痛感いたします。その点に根本的な問題があろうかと思います。
文化事業である
放送を、国鉄、專売と同じ
ように規律することが、はたして
日本の
文化の向上に、言論の自由確保のために、適当であるかいなかということは、賢明なる
委員諸賢の御判断にまちたいのでございますが、專売の場合、サロンでタバコを巻いても、監獄でタバコを巻いても、タバコはタバコであります。徳田球一氏が石炭をくべても、吉田茂さんが石炭をくべても、汽車は大阪まで走ります。ところが
放送の
ような言論機関を、そういうふうな考え方で律して
行つて、官僚的な面を非常に濃化して行きますれば、これは
文化の低下となり、言論の圧迫となり、私は国家のために非常に憂うべき事態があることを信じます。極端な左翼の進出によ
つて、今日いろいろな面から言論の圧迫の問題が出て来ていることは事実であります。極端な左翼の、あの破壞的な傾向は最も憎むべきことですが、それを規制するために、全般の言論を抑圧する
ような風潮が今日
日本にあることを、最も嘆くものでありまして、自由主義精神の高揚を期待すること、今日より急なるときはないと思います。そういう意味におきまして、この
法案に対してわれわれ純心なる七千労働者の皆様にお願いするところを、よく御吟味いただいて、御
審議の一助にしていただきたいことをお願いする次第であります。(拍手)