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並木委員 私も先日来の
審議の
いきさつにかんがみまして、何とか
妥結点を探さなければいかぬという
観点で、非常に今苦心して参
つたのであります。私
個人の
結論としては、ただいま
栗山委員が言われたようなところへ持
つて行くのがいいというふうには、
考えてお
つたのであります。しかしこれは
個人だけではいけませんので、正式に党に諮
つて、そうして党としての意向をまとめて行く必要があると思いましたので、実は昨日の
民主党野党派の
総務会の席上にこの問題を持ち出して、そうして正式に討議をしてもら
つたのでございます。それはこの前の六日の
理事会の翌日の
新聞をごらんにな
つた方は、御記憶と思いますが、ほとんど
各社筆をそろえて
社説に取扱
つてございます。そうしてその中で感じた点は、角をためて牛を殺す、こういうような
表現をも
つて論ぜられている
傾向が多か
つたのであります。
もつと極端た
表現をしているのもありますけれ
ども——それで私は、
自分としては、その角をためる方にいささか重点を置き過ぎてお
つた。これほどまでに
新聞が保障してくれるならば、あるいは今まで
考えてお
つたところのものが杞愛ではないかというようにも
考えましたので、そういう点を特に強調して、昨日の
総務委員会において諮りましたところ、党の方といたしましても、
相当これを重要税して取上げておりましたし、
愼重審議をした結果、ただいまのような御
提案までには行かなか
つたのですが、実は
政党及び
政策についての
評論を認めて今の
段階におきましては、
個人に対する
評論だけはしばらく見送りたい、こういうことが
結論されたわけでございます。
その
理由といたしましては、
新聞社を信用しないとか、あるいはまた
国民のしベルが低いとか、別にそうい
つた点ではございませんけれ
ども、やはり
個人の
評論になると、勢い私行上の点が誇張されるおそれがあるということ、またいろいろの
新聞を全部読んでくださればわかるのですけれ
ども、
一つの
新聞だけを読んでおります場合には、他の
新聞との比較ができませんから、それによ
つて動かされやすいという点がある。それから私のように
東京におりますと、
ちよつと気がつかなか
つたのですが、
地方へ行きますと、たとえば
朝日とか毎日とか
読売とか時事とかいう
新聞を読みたいと
思つても、どこかで買い求めようとすると、なかなかない、あるのは県の
地方新聞である。こういうようなところも散見されましたので、私
どもが都会にいて
考えるように、
新聞はあまねく行き渡
つておらない節もある。そこで
個人に対する
評論を今ここでわくをはずしてしまいますと、かなり牛の角に
相当する
弊害が起
つて来るのではないか。起らなければ幸いでありますけれ
ども、やはり起
つて来るのではないか。だからその点を愼重にかつ自重する
意味において、
政党及び
政策に関しては
評論を認めて
個人に関するものはしばらく
制限をして行きたいというようにな
つて来たわけであります。
この
機会に私がぜひ一言つけ加えさせていただきたいのは、この
社説その他の
評論を見ますと、かなりいい
意見がある。たとえば
朝日の
意見とか毎日の
意見とかございまして
朝日の場合は、
文書図画の
制限は
候補者個人の
選挙運動の上の便宜上のものである。毎日の場合は、事実の
報道と
評論は不可分であると書いである。あるいはまた
東京新聞においても、われわれとしては傾聽すべき点が多か
つたのでありますけれ
ども、その中でもなお私
たちとしてやはり承服できないような点もある。たとえば
読売は、こういう暴挙をあえてしようという
根本原因は何かといえば、結局現在当選している議員が再選を確保する上にじやまになりそうだという彼らの懸念だけである、ということを書いておりますし、
夕刊中外におきましては、これは
時代錯誤である、一体いつの間に
国会人がこんな腐りはてた根性にな
つたか知らぬが、愚案とわか
つたらこだわらずに即刻撤回すればよろしいと書いである。私
たちのように、最も真劍に、そうして
ほんとうに、公正な
選挙ができるようにという見地から、むしろ無名の士、あるいは金を持たない人、「地盤を持たない人、新たに出て来る人のためにと思いつつ、この
改正について
論議をしてお
つた者は、はなはだ心外にたえないものが多々あるのです。天下の大
新聞にしてなおかつこういう
社説が出、こういう
評論が出る
傾向があるのでありますから、私はあえてそれを攻撃する
意味ではございませんけれ
ども、今の
段階におきましては、ただいま申し上げましたように、
個人の問題を除いて
政党及び
政策の
評論は認める、こういうふうに相談をお進め願いたいと
考える次第でございます。