○小林
説明員 私建設省の文書
課長でございますが、ただいまから申し上智ます
意見は私個人の
意見でございますから、役所とは全然
関係ございません。その点あらかじめ御了承願いだいと思います。時間の
関係で十分意を盡せぬかもしれませんが、
ちようど最近、ただいまお配り願
つております自治日報という新聞に、
試験の問題についてある論文が出ているのを見まして、私としても非常に同感を禁じ得ないのでありまして、時間がありませんので、その紙面をよくごらんを願いたいと思
つておるのでございます。
私の
考えによりますと、附則九條の
試験の問題につきましては、まずどういう点からこれを問題に取上げるかという点で、二つの見方があろうと思うのであります。第一点は、いわば
法律のわく内でものを
考えるかどうか。
公務員法の運用の問題と、
公務員法に対する立法論の問題になると思うのであります。申し上げるまでもなく今度の
試験は
公務員法に基く
試験でありますから、この
試験として最近
人事院が御発表にな
つております
方法が、はたして
公務員法の趣旨とか精神とかいうものと完全にマツチしておるかどうか。運用上もつと考慮すべき余地があるかないかという点であります。もう
一つは、立法的に第九條そのもの、ないしそれを通じて
公務員法そのものについて、なお再考慮すべき余地があるのじやないかどうかという点であります。もう
一つ第二の見方は、今度の
試験を軍に事務的、技術的と申しますか、ほんとうにそれぞれの官職にふさわしい知識、経験、能力を持
つておる人間を、最も公平に民主的に選ぶ。そういう
試験の
制度を、技術として申分ないかどうかという技術的な問題であります。もう
一つは、そうでなしに、むしろ終戦以来引続いて来ておる現職の高級の
公務員全般を
一つスクリーンをして、ほんとうに民主的な
公務員として、今後
日本の行政を担当して行くにふさわしい適格を持
つておるかどうか、それをひ
とつ根本的に
審査する必要がないかという、いわば政治的な考慮であります。こうした点をそれぞれ分析して
考える必要があろうと思うのでありまして、この
試験についていろいろあります
意見は、
相当ごつもやにな
つておるのじやないかと
考えるのであります。しかしいずれにしましても、もうすでに
試験が目睫に迫
つておりまして、大体受付がこの二十四日で終るわけでありまして、現在この段階においてはたしていかなる
措置を今後講じ得るか、講ずべきかということになりますと、おのずから問題の解決はきわめて限局された
範囲にとどまるだろうと思うのであります。
まず第一番に、その技術的な点からこのやり方について私見を申し上げますと、この
試験は、
人事院の発表によりますと、筆記
試験及び人物考査をも
つて行うことにな
つております。ところがこの人物考査とは一体何を言うのかというと、これは
人事院が調査した結果の表示によることにな
つておりまして、それは
試験の対象となるような上級の官職に適する人物であるかい左かを表示する、こういうことが人物考査の内容にな
つております。しかしながらこれによ
つてはたしていかなることを具体的に
考えておられるのか。いかなる
方法で人物考査を行い、しかもこれを筆記
試験とどういうからみ合せで採点をしようとしておられるのか。そういう点は全然不明にな
つておるのであります。しかしながら今度の重大な
試験問題につきまして、はたしてそれがどういう内容で、どういうからみ合いを持
つておるかという問題は、当然最も客観的で、最も公開的であるべき
試験の
性格上、もつとこれははつきりさるべき問題じやないかと私は
考えておるのであります。その点はまずそれくらいにしまして、どう
考えて見ましても、そういう人物考査はいたしますが、結局は官吏の任用の
試験の成績順できまるということだけは、動かし得ない事実のように見受けられるのであります。どういうりつぱな
試験かわかりませんが、結局
試験の成績順できまるわけでありますが、そこに
一つ問題がある。
第一番に、いかなる
試験の内容かわかりませんが、それによ
つて二千何百ある、それご専門を異にし、それぞれ職務の内容や責任を異にする各官職にふさわしい適格性を持
つておるかどうかということを、はたして一ぺんの機械的な
試験の成績によ
つて決し得るかというところに、根本問題があろうと思うのであります。これはそもそも
公務員法の三十三條の一項によりますと、
公務員の任用というものは、その者の受験成績、
勤務成績、またはその他の能力の実証に基いて任用を行う、こういうことを明示しているのであります。この任用の根本原則にはたして合致しておるかどうか、私はこれはきわめて疑問だと思うのであります。
それからその
公務員法の四十五條を見ますと、
試験の目的は、職務途行の能力を有するかどうかを判定するということにな
つております。今度の筆記
試験によ
つて、はたしてそれが判定し得るかどうか。この
考え方は、おそらくは高文万能論という問題がか
つてありましたが、それ以上に
試験万能論でありまして、その
試験によ
つてすべての適格性を判定し得るという、いわばこれは非常な
一つの独断がそこにあるのじやないだろうか、こういうことをひそかに
考えているのであります。
第二の問題は、今度の筆記
試験は、各官職を通じて行うことにな
つております。それでそれぞれその官職によりましては、次官、局長、次長、
課長というふうに段階が、責任の態様、職務の内容に応じてわけてあります。そういうことを一切無視して、次官も
課長も同一の
試験でやる、こういうことにな
つているのであります。ところが一体、これははたしてそれぞれの官職に通ずる
試験で、しかも次官の適格性、
課長の適格性ということをそれぞれ判定し得るか。資格
試験でなしに、これは任用
試験というお触れ
出しでありますから、どうしてでもそれぞれの官職を通じて
試験が行われることは、これは解せないのであります。いわばこれは
試験制慶と申しますか、あるいは
試験制度の背後に予想されている職階
制度というものと、根本的に矛盾するやり方だろうと思うのであります。現に第一次
試験は、一般的な行政能力を調べるのだ、こういうことにな
つております。一般的な行政能力ならば、これはいわば資格
試験の問題であ
つて、決してそれぞれ次官、局長にふさわしい任用
試験の問題じやなかろう、こういうふうにむしろ断定し得るものじやないかと思うのであります。
第三番目に、官職の分類の仕方であります。これは六十の官職にわけてありますが、それがばらばらでありまして、どうもそこに統一性がない、一貫性がないように見受けられるのであります。たとえば労働と警察が一本にな
つている。警察の中には文書や
人事や会計までもちやんと入
つている。その他のものではそういうものが別々の官職にな
つている。そうかと思うと、行政管理方面の面と工学の面では、電力事業と電気がわかれ、鉱業事業と鉱山がわかれているかと思うと造船のように、これと似た行政が一本にな
つている。また農林省の農業経済というような別な職類を設け、主要な官吏職を除いているかと思うと、そうでないということろもあるというふうに、この分類の仕方がきわめて一貫性、統一性を欠いておるのであります。
〔
委員長退席、藤枝
委員長代理着席〕
さらに第二次
試験というのがあるのでありますが、第二次
試験のあるものもあるし、ないものである。ないものの選択が一体どうしてき三
つたのか。これは合理的な
理由が、われわれしろうとには全然わからないのであります。たとえば気象とか観測とかいうむのが入
つておるかと想うと、蚕糸、郵政、経済、調査というようなものは、第二次
試験がいうぬ。どうもこれはまつたくわからないのであります。第二次
試験は各職類についての専門知識を調べるということにな
つているのでありますが、今申しましたものについては専門知識はいうぬといヶのか、い
つても
試験のしようがないというのか、検査する
方法が具体的にないというのか、そこらが全然わからないのでありまして、
試験の
制度としてはまことにふに落ちない点だろうと
考えるのであります。
第四番目が筆記
試験の中味の問題でありまして、これは先ほど
委員の方からもいろいろお聞き取りのようでありましたが、これは
試験の中味の問題でありますから、問題を見なければ何とも申し上げるわけには参りません。しかしながら大体
公務員法の
試験と今度の高級官吏の
試験とは、
性質が違いますから、
試験の問題は全然同一であろうということはもちろん
考えられぬ。まつたくその内容を異にしていることは、きわめて容易に予測できるのでありまして、その点では、今までの
試験問題集を見て、
受験者が大騒ぎをする必要は毫末もないと
考えられるのであります。しかしながらいずれにしろ、同じ人が同じ頭で同じような
考え方をして、問題を作成せられるのでありますから、これは
人事院に何か部外のわれわれのような者がうかがい知ることができない特別な智恵才覚でもあれば、きわめてふさわしいりつぱな
試験問題が、それぞれ六十の官職類を通じて――六十のうち第二次
試験がいらぬのがありますから、少し減りましようが、そういうものを通じて合理的なものが出されるとは思いますが、その点について重大な疑いを何人といえども持たざるを得ないのであります。さらに問題は、この
試験問題の秘密性ということが議論されておりまして、問題の内容も、傾向も、
方法も、あらかじめ明らかにすることはできない。しかも
試験が終つた後といえども、絶対秘密で、明らかにされないはずにな
つている。巷間が触れているいろいろな書類は、全然インチキ、だということにな
つているのであります。一体そもそもそういうふうな
試験問題が
試験問題として適当かどうか。こういう問題が出たということがわかつたが
最後、未来永久に使い得ないような
試験問題は、はたしてそれぞれの官職にふさわしい責任能力を調べる
試験問題として妥当かどうかというところに、根本問題がむしろあるのじやないかと思うのであります。大体役人の仕事は、十年かかつたつで必ずしも会得できるわけのものではないのであります。一度わかつたとたんに、将来役に使えぬような
試験問題で、ほんとうの役人としての能力を判定し得るかどうかというと、これはきわめて疑問と言わざるを得ないのであります。
第五番目は任用資格の問題であります。今度の
試験は
人事院総裁の発表にあります
通り、平等取扱いの原則に基いて、広く人材を
国民の間に求めて、官界の空気を刷新するということにな
つておりまして、競争公開
試験ということが、その大きな旗じるしにな
つているのであります。ところがこれは旗じるしだけでありまして、実際問題は御
承知の
通り、任用資格というものがそれぞれの職につい厳重に縛
つてありまして、なかなか一般民間の部外者は入り得ないように文句が立てられているのであります。これはそれぞれ職類はそういう専門的な知識技能を要するのでありまして、だれがだれでも入り得るというわけのものでないことは明瞭であります。どうもそこに看板に偽りがないか。
公務員法によりますと、受験資格というものを四十四條において、職務の遂行に欠くことのできない最小限度の客観的かつ画一的な要件として制限できるということにな
つているのであります。今度の
試験は、受験資格はだれにも解放している。広いのでありますが、逆に任用資格を縛
つている。そこがどうも
制度としても少し疑いを持たざるを得ないのであります。いずれにしろ、一体何がゆえにこういうことをお縛りに
なつたか。おそらくはこの
試験の結果に自信を持ち得なかつた
一つの現われじやないか。この
試験の結果、どういう人がどういう結果が現われるかわからない。めちやくちやになるかもしれない。これは困る。だからある
程度任用資格の上で縛
つておかなければいかぬ。
試験だけは競争公開にするのだ。こういうふうな一種の
試験の結果に対する懸念がおのずからにここに現われておるのではないだろうか、こういうことが想像されるのであります。なお任用資格の中身をそれぞれ探
つてみますと、これも非常に困る。たとえば新しい官庁なぞにおきましては、任用資格のある者がきわめて少いのであります。これで行きますと結局さらに各省内部で、それこそところてん式というか、うなぎ登りというか、何年かや
つてその次
課長になる、次長になる、局長になるという形で、上
つて行かざるを得ない構成にな
つておるのでありまして、これは
公務員というものは将来そういう形で専門化、技術化するのが適当だという、
公務員法のイデオロギーに基くのかもしれませんが、全部の官職がはたしてそういうことにな
つてよいのか悪いのか、これは
一つの大きな問題だろうと思うのであります。
大体以上申し上げましたように、この
試験の技術的な面におきまして、きわめて疑問があるのでありますが、そのほかになお任用
試験として大きな問題の
一つは、例の任用権者の選択権の
範囲の問題であります。任用権者はこの
試験の結果現われて来ます。しかもその
試験にはいろいろと欠陥が多い。その結果現われて来ます成績順によ
つて、一切の
人事任命権というものは事実拘束されてしまうのであります。一体それでたとえば政策の立案とか、あるいは行政の根本
方針に関する次官以下の局長等の者が決定されてはたしていいのか。それではたして任命権者は行政の適当な運営と、行政の責任が全うできるのか、こういう大問題があろうと思うのであります。もともとこの
試験制度は、スポイル・システムに伴う弊害を避けて、メリツト・システムをとろうという根本の理念があるだろうと思うのでありますけれども、それにしてもこうした
最高の高級官吏について、この画一的な形式的な方策でも
つて、はたして行政運営の責任を全うできるかということを、根本的に
考える必要があろうと思うのであります。もつともこれは
試験のやり方の問題よりも、もつと根本的に
試験制度、あるいは職階
制度というものの
範囲、わくの問題だろうと思います。一体
試験制度はどこまで適用すべきか、そういう根本問題に触れて来て、いわば運用論というよりも立法論に多少関連して来る問題なのであります。
さて、大体以上大きな問題だけを取上げまして、はたして今度のやり方は
公務員法のねら
つておるほんとうに科学的な
人事管理
制度を確立して、
公務員の民主的かつ能率的な運用を期するために
考えられたいろいろな任用
制度、職階
制度、
試験制度というものの根本精神から
考えてみると、どうもむしろ根本的に矛盾背馳しておる面があるのではないか、こういうふうに私は
考えられるのであります。しからばそうな
つて来ると、附則第九條そのものの存在が問題になるのであります。一体附則第九條というものは、立法当初からこういう結果を予測してお
つたのかどうか、そういうことにな
つて来ると思うのであります。これは立法者に聞かなければ、実はわれわれ部外の者にはわからぬのでありますが、私自身の推測をも
つてしますと、附則九條は決してこういうことは予測しておらぬ。初めから別の
考え方がある。それはどういうことかと申しますと、おそらくは附則第九條においては、ごらんの
通り試験は
昭和二十三年の七月一日から二年以内にやるという
建前にな
つておるのでありまして、そこに二年間の猶予
期間が設けてあります。この二年間の猶予
期間はなぜ設けたかというと、これはその間に職階
制度なり
試験制度なりというものが、
公務員制度の基本
制度として確立する、そういう
前提があるだろうと思います。そういう
前提で
制度が確立して、それに二年かかる。その後に全部の官吏を再エグザミンをする、こういう
建前で来ておるものと私は推測するのであります。そういうことにな
つて来ますと、今度の
試験は職階
制度も確立しておらぬ、合理的な
試験制度、任用
制度もはつきりしておらぬ、こういう段階におきましては、その確立まで当然これは延期さるべき筋が、ほんとうの
公務員法の精神だろうと私は
考えるのであります。こういう重大な
試験を、科学的な合理的な根拠もなしに、ただ思いつきということは非常に語弊がありますが、附則九條の期待がこうな
つておるからやるのだ。これは法を執行する
建前としての
人事院としては、当然の責任かもしれませんけれども、そこには
一つの根本問題があるのであ
つて、恒久的な、基本的な
制度の確立と並行するという
前提にのみ立
つて、これは認容できる。そうするとその
前提を忘れて、單にこうした矛盾の多い
試験を実施するということは、科学的な合理的な
制度を確立するという
人事院の根本
方針と、根本的に矛盾があるのではないかというふうに思うのであります。
しからば今まで申し上げましたような
考え方だけで、今度の
試験を考慮すべきかというと、私はそこでこれに対して前に申しました
通り、今度の
試験には何らかの
一つの政治的な意図ということは非常に語弊がありますが、
人事院総裁の発表にあります
通り、この
試験によ
つて旧来の
日本のビューロクラシーというものを打破する。そうしてほんとうによい
意味のよき幹部
職員を得ようとするという、そのことが思い出されるのでありまして、実は現在の
日本の官僚機構は、御
承知の
通り戦争前から引続きそのまま残
つておるのでありまして、そうした官僚の機構というものを、ほんとうに民主的な官吏としての適格性を持
つておるかどうかということを
審査して、いわば国内の民主化態勢確立のために、残された
最後のステツプをこの際とる必要があるのだ。いろいろ諸般の内外の情勢を
考えまして、そうした態勢を完備する必要が是が非でもあるのだ。そういうふうなもつと大きな別の見地の考慮というものがあるのではないか、こういうことを
考えられるのであります。これは私個人の推測でありますが、私はそうしたものが
考えられる。そういう見地から行くと、これはむしろ今こそ断行する必要がある。これを遷延することは、いろいろな立場から
考えて適当でない。この時期に一度全官僚――全官僚でありますから、次官、局長ももちろんこれは含んで、全官僚を再
審査をする。そうして国内の民主化態勢の確立を完了し得る態勢に置く。こういうことがきわめて大きな
意味を持
つておるのではないかと思うのであります。そこで問題はそうした大きなこの
試験を実施しなくてはならない――政治的な
意味を持
つておるこの
試験を、先ほどいろいろ議論がありましたような不合理な、非科学的な、むしろ自己否定的な
試験方法でやらなくてはならぬというところに、今度の
試験の悲劇性というか、喜劇性というか、そういう面が存在するのではないかと私は思うのであります。それでこんなことまで言うとはなはだ悪いのでありますが、しかもさらに皮肉なことには、先ほどいろいろ
お話が出ておりましたようなきわめて厖大な機構、そうしてきわめてすぐれた専門的な民主的な知識経験を擁した
人事院が、二年もかか
つて愼重審議をも
つてしてでも、なおかつ職階
制度とか
試験制度について、今度の
試験のような矛盾の多い、欠陥の多い研究の成果――成果というと語弊がありますが、研究の経過を示さざるを得なかつたというところに、むしろ
公務員制度としての根本的な大問題があろうと私は思うのであります。
それなら一体そういう議論ばかりしておりまして、今度の
試験について何とむ具体的な
措置があるかないか。ともかくも、正月十五日に迫つた
試験問題について、何らの
考えがあり得ないかというと、私はこれについて
一つの
意見を持
つておるのであります。それはきわめて妥協的で、一時的で、糊塗的であります。しかしながら今申しましたような大きな政治的な
意味を果すために、全官僚の
試験というものは行わなくてはならぬ。しかも
試験を行うテクニツクとして、いろいろな弊害が
考えられるのでありますが、そのためにはやはり確立されておる現行
公務員法の線に沿うて、その
公務員法の許すあらゆるテクニツクを利用して、なるべく弊害もなく、矛盾もなく、この大きな政治上の要請にこたえる
方法がないものか。全然相談ができないかという問題であります。私はこれについてはこう
考える。今度の
試験というむのは、あくまでも現職の高級官吏の民主的な適格性を
審査して、官庁の民主化を実現する、ほんとうに特殊の目的のための、今回限りの
措置とする。その際に競争公開
試験を入れて、一般の競争者を入れることはごうもさしつかえないのであります。ともかくも今回限りの
措置といたしまして、この
試験の結果、任用が終りましたならば、任用候補者名簿というものはただちに将来に向
つて執行させる。そういうことがまず第一番であります。そうしてさらにこの
試験の内容は、
公務員法の許すところに
従つて最も実際的に、合理的に――この合理的というのは、
人事院のお
考えになる合理的と、われわれの
考える合理的とは違いますが、最も合理的に運用する、こういうことであります。それを具体的に言いますと、第一番に筆記
試験の成績というものと、それからいわゆる人物考査というものをフイフテイ・フイフテイに扱
つて、そうしてそれの合計点で成績順位をきめる。それが第一番であります。この人物考査というのも、これは
人事院がやられるのではなしに、ほんとうの任命権者が、各官職にふさわしい能力を持
つておるかどうかという評定成績というものを基礎にして
考えるのであります。この点は
公務員法のさつき申しました三十三條の一項の精神にむしろ合致するゆえんであります。民間の人の成績につきましては、これは
人事院によ
つて、責任を持
つて調べていただくよりほかにしかたがありません。それから第二番目は任用権者に対する例の任用候補者の提示を五人にするのであります。これはやや趣旨が違
つて来ると思いますが、現行の
公務員法によりますると、五人の提示というものが原則にな
つておる。今度のような
受験者の少い場合は、少い方が筋だろうと思いますが、そこのところは目をつぶ
つて五人置くことを貫いていただく、こういうことでおります。第三番目は
試験の問題のことでありまして、これは
試験関係以外の者が容喙する限りではありませんが、何とぞ
人事院におかれましては、
人事院だけの形式的な責任感ということでなしに、はたしてこの
試験によ
つて、いかなる者が官吏の高級官職の地位を占めて、それによ
つていかなる行政が今後運営されるか。つまり
日本の行政の中身が具体的にどうなるか。それについての
実質的な全般的な責任を肝に銘じて
考えていただいて、
試験の問題というものを
考えていただく。これが根本で、これは
人事院を信頼する以外には、われわれとしては何とむはやでないのであります。
大体以上申し上げました三点、これは私は今日のこの段階においても、決して不可能ではない。
政府と
人事院とのほんとうの明識と合理的判断と、それに加うるに国政の運営を批判監督される
国会の見解というものが加わるならば、今日の段階においてはこれはきわめて容易である。容易ということは語弊があるかもしれませんが、少くとも可能であると信ずるのであります。しかも少くともこの
程度の最小限度の配慮ということがただちに行われることが、ほんとうの官僚の
人事の公正、適正な行政の運営等のために、さらに率直に言
つては、むしろ国家機関の信用のためにもと言
つていいのであります。さらに言えば、わが国における良識、自主的な批判精神というものが残
つておるということを示すためにも、その
程度のことぐらいは必ずやでき得るもの、またしていただきたいものと、われわれとしては希望してやまないのであります。
大体以上申しましたような点で、今度の
試験に対して多少の
措置を講じても、なおかつ
公務員試験制度の根本にはいささかも触れないわ今申しましたのは、今度限りの
措置として特別な、例外的な
措置としてこれを片づける。むしろ問題は今後の恒久的な
公務員制度というものをどうするかということにさかのぼらなければならない。私はこの点につきましてこう
考えて、結論的に簡單に申し上げますと、現行
公務員制度の大黒柱、
日本の大黒柱は、申すまでもなく職階
制度と
人事院制度であろうと私は
考えるのであります。この二つはそれぞれ必要であるし、この
考え方はいずれも正しいのであります。しかしながら正直に申しましてこの二つながらが、いわば科学的な
人事管理というものの確立というその理念とい方か、名前というものにとらわれ過ぎて、いささか妥当の
範囲を逸脱しておるのではないかということであります。第一番は職階
制度の問題でありますが、職階
制度というものはきわめてこれは必要であります。職階
制度の原理というものは是認しなければならぬ。しかしながらそれには
一つの限界があり、原理的の限界がある。さらにこの職階
制度をつくつたり、動かしたりする人間の能力というものも限界がある。今日は不完全でも、将来りつばな
制度ができるかもしれない。しかし今日の
制度として
考えるならば、そこに越すべからざる人間的限界もあれば、なお原理上の限界もあるのではないか。この原理を乗り越えて、どこまでも妥当とすべからざる
範囲までこれを推し進めようというところに、
一つの根本問題があろうと思うのであります。きわめて機械的、反覆的、数量的事務と、
政府の政策の根本や、あるいは行政運営の根本に関するような高度の行政活動というものを一緒にして、同じかつこうに、画一的に、同じ鋳型にはめる。そういうことは科学的というよりも、非科学的ということの方が、むしろ当てはまる場合があるのではないか。つまりとどまるべき限界を忘れた場合には、場合によ
つては非科学的にさえもなり得る。こういうこともあろうと思うのであります。私はこの点については先ほどいろいろ御議論が出てお
つたのでありますが、われわれ
日本人のすぐれた自主的の叡智によ
つて、最も進歩的な、最も科学的な職階
制度の確立することを、それは衷心から期待するのでありますけれども、しかしながら他の何人といえども企及せず、これに追随ができず、しかもみずからもほんとうの妥当な実際的の結果を期待し得ないようなものに対して、無用の混乱を招くということは、やはり避けるべきではないかというふうに思うのであります。特にこの点につきましては、この前の
国会から引続き審議されております職階法案は、今のような
考え方そのままを進めて行けば、今度の
試験に現われたような欠陥をそのまま恒久化するという
程度ならまだ恕してよいのでありますが、それよりもなおそらくはさらにその何倍かの弊害を露呈するような可能性が、きわめて大きいのではないかということを心中恐れるのでありまする
第二番目は
人事院制度そのものでありますが、これも
人事院というものの
性格から見て、ある
程度行政機能的な独立性を持つたり、あるいは準司法的機能を持つということは、これは当然その
性質上是認すべきことであろうと思うのであります。ただその独立性が行き過ぎて主張されまして、不当に強い一方的の権能を持ち過ぎておるというところに、問題の根本があろうと思うのであります。今度の
試験も結局いろいろの問題もありますが、この
人事院の不当に強い
性格が、やはり今度の
試験をもたらした根本原因の
一つにな
つておる。こういうことはきわめて明瞭であります。特に今審議されております職階法案についても露骨に、しかも現行の
公務員法から見れば、
公務員法の
規定に違反ではないかと
考えるほどまでに、その権能が現われておる。職階法の中身は当然に
法律で
規定してしかるべし。しかも最小限度以前に
国会の承認を得ることくらいは、
公務員法の
規定の精神であり、内容でもあるのではないかと思うのでありますが、そういうことが無規されておるというところに、現われておると周りのであります。大体
公務員法の
試験制度というもの、あるいは任用
制度というものの根本は、ここまでさかのぼらなければ、私はほんとうの解決はできないと思うのであります。しかしながらこれは今後の
制度の問題でありまして、今度の
試験とは直接
関係はないのであります。
私は今度の
試験について、二つの
意味においで非常に大きな関心を寄せておるのであります。その第一番は、今度の
試験の持つ技術的な欠陥によ
つて避けることのできない少からぬ犠牲者が出る。これは事実であります。その少からぬ落伍者を犠牲にして、
日本国の内部の民主化態勢と、うものが確立したということに、大きなステツプが進められるということには、大きな関心を寄せざるを得ないのであります。
第二番目には今度の
試験によ
つて、
試験制度あるいは職階
制度というものに対する、のつぴきのならない実験の資料というものが提供される。しかもこの実験の資料というものは、二度と再び繰返してはならず、おそらくは繰返されることはないであろうところの非常に大きな材料が、今日これから何箇月かの間に提供されまして、そして新しい合理的な職階
制度の確立と、
人事院制度のあり方について、根本的な批判と
検討とが行われるに違いないということを、私は信じたいのであります。どうぞ議会におかれましても、おそらくこの二度と繰返されることのない、あまりにも貴重な、悪く言うとあまりにもむもやな実験が、これから大げさに行われるのでありますから、この実験の経過並びに結果を慎重にごらんになりまして、そして職階法案その他の審議は、そのあとでゆつくりと腰を落ちつけて、愼重にや
つていただきたいということを衷心からお願い申し上げまして、か
つてなおしやべりを終りたいと思います。